雨。熊本では地震。この地震自体も心配だけど揺り戻される記憶も心配。外ではバイクの音。新聞かな。以前は夕刊の準備をする新聞屋さんの姿もたくさんみたけど今は早朝バイクの音を聞くくらい。以前みたいに一軒一軒で止まる音とは違うから新聞配達ではないのかもしれないけどこの時間だからそうかな。雨の中大変だけどこれもずっと続いている文化なんだよね。輪島のこととか考えてると文化を継承するって日常を大切にするってことで日常を大切にするって生活を大切にするってことで、じゃあその生活をどう無事に成り立たせるかといったら、とか色々考えてしまう。
今日締切のものが終わってないけどどうしましょう。やるしかないけど隙間時間にやるには課題が大きい。少しまとまった時間があれば一気にできるんだけど夜は疲れ切っていて無理だし、今か。この2時間でやればいいのか。ああ、キウイまだあったかなあ。アンドロワ・パレの焼き菓子があとひとつある。「パウンド・オレンジ」。この語順がフランス。コーヒーを淹れよう。「アンドロワ・パレ」って「御殿場」に合わせた造語なんだって。「場・御殿」ってことね、きっと。フランス語って話す人によって印象が違うけどそれは日本語も同じね。しっかし語学堪能な人って多いよねえ。ほとんどシームレスに切り替えるもんねえ。コーシャス・クレイかよ。こうやってサボっているから終わらないのだ。ああ。
仕事って本当に自分のためにやるものだから評価とかどうでもいいと思ってるのだけど反応は大事。でも評価されないと収入増は望めないのでそのうち評価ももう少し目指さないといけない。今更だけどお金をもっと貯めないと国際学会に行けない。今回すごくお金使ったもの。辛い。自分のためというのがシームレスに相手のために繋がっている必要が私の仕事にはある。私にもあるのか、シームレス領域。嬉しい。だからね、描写するときに治療者が自分の反応ばかりいっているのは本来ありあえないことなんだけど指導しているとそこを指摘しないといけないことがとても多いし、私も若い頃そうだったから気持ちはわかるんだけど指摘された方はナルシシズムが傷つくから普通に「相手の反応のこと忘れてた!」となれないものなんだよね。オグデンは転移と逆転移は相互のものではなくてユニットをなしているという当たり前のことを書いているけどこの理解が本当に難しいのだと思う。片方を見ると片方が消える世界なんてSNSがまさにそうだよね。自分が被害的になるとすぐ攻撃。たやすく鏡になる。がしかし「強者」たちは他人の言葉を上手に引用するので「みんな言ってる」感で連帯するのも上手。難しいことだ。がしかし(連投)私の仕事はコミュニケーションなので他者の言葉は引用として使うべきでなく他者は部分ではなく全体であり部分の総体が全体であるというのもまたほんと、という視野をわすれてはならないので都合のいいとこだけ他者利用する話し方はすぐに行き詰まってしまう。こちらが指摘するまでもなく行き詰まりは起こる。まあ昨日私も「技術と革新」さんというアカウント(改めて書くと面白いアカウント名)の
“「多様性を認めろ」というより「画一性に支配させるな」という気持ちのほうが近い だって画一性に支配させるべきではなくない?”
という投稿をRTしたけどほんとそれって思ったからついしちゃた。自分の言葉で語ると色々めんどくさいからつい。だけどSNSって自分の言いたいことを支持してもらう場になっているのがまずいわけだから気をつけないとだね。おうちで済ませないのですね、という感じ。でもほんと「多様性」って言葉も使いづらくなったよね。これだけ断片的な言葉に脆弱な「強者」の独りよがり言語が蔓延ると大変なことになると思う。なんかいちいち「検閲かよ」と思うことも増えてるし嫌になる。「強者」がかけてくる圧力って大体「俺の意見となぜ違うのだ」というものだし「強者」だけあって自分が見下されたとなると上手に相手を見下し返しして、そこに似た人たちが短時間で乗っかる設定がSNSでしょう。そうやって圧かけて「みんな同じ」になってるだけだから画一性とも言えないと思うけどそういうのを画一性っていうのかもね。はあ、大変。それよりこのお天気、ひどくならないでほしいし雨だけでなく、どの地域でも、特に能登や熊本や東北や阪神や震災の記憶が濃いところに被害が重なることがありませんように。