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花火、禾乃登、フロイト草稿

風が気持ちいい。洗濯物が揺れすぎているのが心配だがすぐに取りこむから大丈夫。今日もこれから暑くなるみたい。風も朝の光も確実に秋なのに。夏休み中は東京ヤクルトスワローズ神宮花火ナイターといってヤクルトの試合の5回裏終了時には300発の花火が上がっていた。初台のオフィスは新宿にも原宿にも近く、神宮球場はそのちょっと先。毎年、夏の毎日に花火が窓から見えるなんて特別。大体仕事中なので音を聞くだけだけど。それも8月31日で終わった。今日9月2日から6日頃まで七十二候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」。処暑の末候。たしかに暑さも峠を越した感じはあるからやっぱり暦は気候変動にまだ対応できてる。これからも五感と言葉が離れすぎることのありませんように。

昨日、9月1日はイレギュラーな予定の時間がわからなくなって確認したり、8月末までの締切にきづき慌てて書いて送るなどした。焦った。私個人の夏休みはとっくに終わっていたがいつも学校の夏休みモードに気分も身体も合わせてしまう。子どもの話もたくさん聞くからかも。それはそれで楽しいことだが時間ができるとこの暑いのに精力的に遊んでしまい、翌日の疲れを気にするという繰り返し。実際、疲れはそんなに感じないが割と大きなもの忘れをしている時点で疲れているかもしれない。あるいはこれまでもそうだったジャンという話か。どっちにしてもあーあだよ。

時が経つ早さには困るけどオフィスのカレンダーをめくってまた楽しい気分になった。霜田あゆ美さんのイラストのカレンダーは毎年、毎月楽しい。

昨晩、Reading Freudの準備としてフロイト『心理学草案』のことを考えていて
松山あゆみ「メランコリーと初期リビード経済論 : フロイト草稿G「メランコリー」のリビード論的意義」(2010)を読んだ。

フロイトの草案は全集に載っている『心理学草案』だけではない。この論文では題名の通り、草稿Gを精読することで、リビドー経済論の観点からフロイトのメランコリー論の起源をそこに見出している。こんなものを送りつけられたフリースがどのくらいフロイトの頭の中にあることを理解したのかは不明だが、フロイトにとってはとにかく相手がいることがまずは重要だっただろうし、フリースがいてくれたおかげで精神分析の種がたくさんまかれた。初期にまかれた種を乱暴に交雑することなく、起源として大切にすること。乳児期を大切にするのと同じこと。それは単に過去に原因を求めている、とはわけが違う。歴史を大切にするということ。9月からまたReading Freudがんばろう。

身体大切に過ごしましょう。良い一日になりますように。

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大暑、すもも

昨晩は久しぶりにベランダでゆっくりした。少し冷えるくらいの風は部屋に入ってしまうとあまり感じられずまた外に出た。昨日は暮れゆく空をキレイキレイ言いながら帰ってきたが夜の青もとてもきれいで西の空には弓形の月が爽やかに光っていた。とても気持ちよかった。昨日7月23日は二十四節気でいう大暑。一年で最も暑さが厳しくなる頃。8月7日頃までをそういうがその後も暑いは暑いだろう。ふと「あ、秋の風だ」「秋の空だ」と感じる日も遠くはないのだろうけど。昨日はあまり間をおかず二つのグループの事例検討会をしていたので外に出たのは夕方だった。歩いて新宿に出ると浴衣の人もちらほら。私のオフィスからは神宮球場の花火が見える。この時期はヤクルトスワローズ主催試合の5回裏が終了すると花火が上がる。たいていは音を聞くのみだけどこの前はグループのみんなに見せることができた。思わず大きな声をあげていた。夏だ。

7月20日にはすももをもらった。その日は府中の大國魂神社の『すもも祭』だったそうだ。11世紀半ば、朝廷から派遣された源頼義、義家父子が、奥州安倍氏平定(前九年の役)に向かう途中、大國魂神社に戦勝祈願、戦勝御礼詣りをした際の神饌の一つが李子(すもも)だったとのこと。そこからすもも市がたつようになったそうだ。赤い網に入った少し緑がかったすももは2、3日常温でということだった。もういいかなと冷蔵庫に入れて今朝いただいた。すもも、久しぶり。千歳烏山に住んでいた頃、八百屋さんで「すももだー」と喜んでいたらソルダムという品種を教えてもらってその素敵な名前にも盛り上がって買って帰った。今日いただいたすもももソルダムだそうだ。皮が少し厚かったので剥いた。飴細工のような艶やさと赤ともオレンジともいえないような美しい色に感激。かぶりついたときの絶妙の酸っぱさも懐かしい感じで子供の頃を思い出した。

昨日はとても丁寧な議論ができた。現場の「慣習」として意識していないことも外の目を借りればその違和感に気づける。環境と対象の使用についても話した。外からは見えないその人の痛みや苦しみがどんなものか、それがどうなることが「良い」のか。終わりのない問いばかり。だからこそ話し合う。その時点ではそういう感じなんだ、ということの積み重ね。今日も一日。