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短詩 読書

短歌とか孤独とか。

台所の小さな窓を少し滑らせる。開けた隙間から風が入ってくるか手を寄せてみる。スーッと気持ちの良い風が入ってくることを期待しては裏切られるというまでがデフォルトなので今日も本当はそんなに残念じゃなかった。東京も少し雨が降っているかと思ったら降っていないみたい。わからないけど。昨日も降っていないと思って家を出たら腕にポツリと大きな雨粒が当たった。京都、大阪ほどは降っていないのはたしか。どうか皆さんご無事でと思う。

すでに起きてからしばらくたつ。少し眠いのだから寝ていればいいのだけどあっという間に30分以上経ってしまった。そしてこうして机に向かう。そのまま公にするには憚れることばかり考えていた気もするが冷蔵庫のゴールデンキウイをいつ食べようか、ゴールデンカムイと似てるなとかも思ったりしていた。

少し前に俵万智の『サラダ記念日』が話題になっていた。きちんと読んでいない私でもその名前はよく知っている。なんで話題になっていたんだっけと思って調べたら節目の年だったのか。『サラダ記念日』から35年。私はまだ小6か中1か。もう少し大きくなっていたらハマったかもしれないな。当時は詩集ばかり読んでいた。そして谷川俊太郎は『二十億光年の孤独』から70年。『言葉の還る場所で―谷川俊太郎・俵万智対談集―』というのが出ているのか。谷川俊太郎は小さいときからちょこちょこ読み続けてきている。大岡信との対談本もよかった。これも良さそう。

そうだ、これを書く前、森英恵が亡くなったというニュースをみてこの前インタビューを読んだばかりだったなと思った。96歳。違う。あれは桂由美だ。90歳。軍国少女だったという。その時代を生きた人というかどんな時代を生きた人かということはどの人に対しても持つべき視点。

俵万智と谷川俊太郎、生きてきた時代が異なる二人だが詩人も歌人も時空の飛び越え方がすごくて私たちにいろんな時代のいろいろを感じさせてくれる。二十億光年の孤独なんてどんだけと思うが、孤独とくればなんとなく納得もいく。誰もが知っている孤独。動物も知っているのでしょう?分離の契機を持つ存在はみんな。

私は俵万智の良い読者ではないが初恋について考えているときに出会った本をたいそう気にいっている。ツルゲーネフの『初恋』にはまっていたことも思い出した。

あなたと読む恋の歌百首』(文春文庫)。野田秀樹の帯のインパクトもあった。解説も面白い。何首あるんだろう、番号振ってないんだ、と最初の一覧をみていたが百首って題名にある。うーん。もうどれもこれも恥ずかしくなるくらいあからさまだったりある意味分かりやすかったりしてたやすくときめいてしまうわりにすぐおなかいっぱいになったりもする。俵万智の解説を読むと落ち着く。消化を助けてもらえる。ひとりひとりの歌人が生きた時代や状況に思いを馳せ、自分の体験とも重ね合わせながら読み解かれるそれぞれの歌は私からは近いものも遠いものもあるがわからないものはない。孤独、不安、嫉妬、恋はめんどくさい気持ちをたくさん連れてくる。そして歌にするとこんなにストレートになってしまうのも恋なんだろう。逆に言葉を失うことだって多い。なんだか馬鹿になってしまうのが恋だ。

秋深き網走の旅つづけゐむ夫の孤独を妬めり我は 宮英子

俵万智同様、私も網走を訪ね、かつての刑務所などを見学したことがある。網走刑務所は開拓の歴史にも重要な位置を占める。全国を旅してきたが網走はおすすめしたい土地のかなり上位だ。ここにも孤独がある。この歌の「夫」は歌人の宮柊二、歌人夫婦だ。この孤独は妬みの対象となる孤独であり、妬みとともに体験される孤独とは異なる。ひとりでいること、それがいかに難しいことか、それはたとえ秋の網走を旅したところで同じかもしれないがそれでもそうできていること自体がいろんな妬ましさを連れてくる。

暦の上では秋。網走は涼しいだろうか。過酷な冬に向かうそれはそんなに気持ちよくはないものだろうか。どこで生きるのも生きるって大変だ。いろんな気持ちに彩られてそれらが混じって真っ黒な気持ちになったりもするけれど今日もなんとかはじめよう。

さあ6時。準備準備。