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『新プロパガンダ論』

ゲンロン叢書008『新プロパガンダ論』について早朝から呟いていた。2018年4月から2020年9月にかけて、辻田真佐憲さんと西田亮介さんのお二人がゲンロンカフェで行った5回の対談が書籍化されたのがこちら。この間に何が起きたかを私たちは共有しているだろう。ウィルスによって。

辻田さんの「辻」は本当はしんにょうに1点なんだけど2点しか出ないからすいません。本当は1点のしんにょうの「つじ」さんです。

ところで、私は対談がそのまま掲載されているような本は、対談形式が多い著者以外のはあまり好きではないが、この本は書籍化に伴い大幅に加筆修正がされたという。というか大抵の場合、そうだと思うけどそうでないものもあり、雑誌ならともかく書籍だとなんだかなとなる。

内容についてはすでに呟いてしまったので書かないけど、書籍の一部はネット上で読めるので関心のある方はチェックを。私はとても関心があったのでゲンロン友の会に入っていると選べる本の中からこれを選んだ。表紙もカラフルでポップ(ポップの意味を本当はよくわかっていないけど)で置いておくだけでもかわいい。

でも置いておくだけにしないで読んだ。辻田さんは朝ドラ「エール」の時代考証(?)的つぶやきが好きでみていたのだけど、近現代史の研究者なんですね。西田さんは公共政策の社会学がご専門だそう。

この本、「プロパガンダ」というやや古い、しかもネガティブなイメージを伴う言葉を巡って二人が語り合っているわけだが、「新」と書名につくだけあって、この言葉がこの数年で生じた出来事を眺めるときのちょうどよいフレームになってくれる。

というより、お二人、とくに辻田さんがこの言葉の使い方がとても上手なのだ(西田さんはあえて使っていない)。議論を狭めるためではなく、広げるためにこの用語を使い、結果的にこの用語自体がもつイメージに曖昧さを与えることに成功している。少なくとも私はこの用語ってこうやって役に立ってくれるんだ、という感触を得た。

知ったり、学んだりすることが何かに気をつけることばかりにつながりがちな気がする昨今、情報を自分の自由な思考のために使えるようになりたい。

プロパガンダ、要するに情報戦略だが、それがどのように人のこころに入り込み、行動変容を促してきたか。精神分析的臨床の世界でも患者やクライエントと治療者がオンラインで出会うようになった。それだけではない。セミナーなどのオンライン化で彼らをオンラインにのせることになった。私たちは彼らをどのように表現していくのか。

私は、特に臨床家が対談をそのまま書籍化することが好きではない。これらは同じ問題意識から生じている感覚だと思う。話し言葉と書き言葉は違う。ともにいる場で話される言葉と身体が別々のところで話される言葉も違う。

コロナ禍の「利用」も言い方を変えれば悪いことばかりではないだろう。経験から学ぶ、という点ではたしかにものすごく気持ちを揺さぶられ、思考を促される体験だった。そこにどういう形を与えていくか、それをなんらかの合理化のもとに情報戦略として利用するか、空気感で忖度を迫るものたちに対して冷静に思考を維持できるか、どれも人のこころをどれだけ普通に慮ることができるかという話かもしれない。

辻田さんの冷静で率直な語り口は、西田さんがいうとおり「優しい」と思った。西田さんの政策に関する話は非常に勉強になった。よい対談だった。

そして以前『ゲンロン』に掲載された「国威発揚年表2018-2020」も加筆されていた。この対談が行われた期間は加筆せざるを得ない数年であり、それは今も続いている。今回「プロパガンダ」という用語がそのイメージに反していろんな世界を見せてくれたように、情報を単なる情報として受け取った結果、ダメージを受け、思考停止に陥るのではなく、情報が単なる情報である可能性を踏まえ、あれこれ考えることを意識するにはとてもタイムリーな本だと思う。