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汗と涙と結膜下出血

結膜下出血と汗と涙について書こうと思ったのに、とか恨めしそうなことを書いてから約24時間。定点観測の番組があった。たまに見るそれが好きだったけど今もあるのかな。そこではある時間にはいろんな人が入れ替わり立ち替わり現れてある時間にはだーれもいなくてただ噴水だけが動いていたりしていつのまにかまたその縁に誰か座ってまたいなくなってというような変化があった。ここでの私はとっても単調。いるかいないかくらいの変化しかないかも。これを撮ってみたとして2日分くらいを見てもらったあと、何も言わずその中の5分とか10分とかを切り取って3日目として流したとしても何も気づかれないと思う。

土曜日、右目のはじに血溜まりが見えて驚いた。すぐに「またか」となった。またか、といってもあの人が候補生としてはじめてミーティングにきたとき以来だから数年ぶりか。はじめましてだったその人は医者だけど眼科医ではないから怖がらせてはいけないと思って前もって伝えた。だから覚えている。結膜下出血。「けつまくか」ときちんと打たずに音だけで「けつまっか」と打つと目の状態に近い感じに変換される。数日間かかるが放っておけばいつの間にか血は白目かどこかに吸収されていくのだが赤い目ってそれなりにインパクトがある。本人である私はトイレとかにいって鏡でも見ない限りは忘れている(何かの病気なわけではないとわかっているからというのもある)。昨日もトイレに立って鏡で思い出して席に戻って「目が赤いでしょ」と言ってみたものの「結膜下出血」というのを忘れてしまいとりあえず説明だけした。その人はそういうものがあることを知っていたようでこうやって説明しなくてはいけないのは大変だねというようなことを言ってくれた。そうなの。ありがとう。でもかかりつけ眼科医がいつもの豪快な笑顔と大きな声で心配いらないと説明をしてくれたのを思い出しながら言葉だけ繰り返せばいいだけでもある。安心とともに慣れてこられたのは幸運。もしこれに痛みが伴っていたらきっと慣れるのにはすごく時間がかかるだろう。慣れないってことだってありうる。

数年前、保育園の子が私の目を覗き込んで「金魚さんがいるね」とニコニコとした。時々しか訪問しない私に駆け寄ってくるタイプではないがはにかんだような笑顔でやってきてほかの子より長時間そばにいる子だった。これから先、また何回かこうなるかもしれないけどそのたびにきっと私はその子の笑顔と言葉に支えられる。昨日かけてもらった言葉を思い出す。

そうだ、昨日の朝はその前の数日間と比較すると少し気温が低くて汗ばむ感じがなかったように思ったのだ。そして歌謡曲を聞きながらコーヒーを飲んでいたので「珈琲は涙色」とか「涙味珈琲」とか思いうかべてコーヒーと涙はつくづく取り合わせが悪いななど思ったのだった。でも暮田真名さんの川柳「OD寿司」にある「良い寿司は関節がよく曲がるんだ」とかいわれると「そうなんだ」と納得せざるを得ない。取り合わせの問題ではないらしい。(参照「好書好日 暮田真名さんインタビュー」)

汗は生理現象、涙は心性に触発された身体現象。それらも目の中の血溜まりも私にはどうにもできない私の内側から染み出して張りついてくる。どれもポトンと落ちるなら拭き取ることができるかもしれない。目の中の金魚は再び内側に吸収されるのを待つしかない。言葉ってすごい。どうしようもないものやことにイメージを与え、時間的な見通しを与え、扱える形にしてくれる。いろんなことは一人ではどうにもできない。今ここで汗や涙や血の流れととともに体験する時間が誰かとの過去によってなんらかの未来へと継がれていく。語り継ぐなら痛みや焦りや恐れだけではなくそのときそこに共にいてくれた人のことも。そんなことを思った。

今日は月曜日。昨日と同じくらいの気温なら耐えられるかな。台風の地域のみなさんもどうぞご安全に。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生