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精神分析

ゆらゆら

早生みかんと柿を昔LOWSON(多分)でもらったリラックマのスープマグにいれたらオレンジと茶色と緑の混ざった黄色で秋っぽくなった。意図的にやれば当たり前のことも何も考えずに出会えると楽しさ嬉しさが増す。

月末の学会でセミナーを担当するがベルギーの先生がそのために来日してくださる。私たちのセミナーはハイブリッドではなくオンラインなのだけど。ちょうど個人の旅行にもビザが必要なくなったタイミングで来日を決められたらしい。登壇者は全員集まれるんだなあ。嬉しい。

とか言っていないで原稿を書かねば。昨晩雪崩を起こした本の山が変な格好で表紙をこちらに向けている。直してあげたいけど今そこをいじると別の雪崩が起きそうなのであとで。ごめんね。

しかしわからないことをわからないと伝えることの難しさよ。書き手は伝わると思って書いていることに対してポカンとしたりむむっとなったりする自分が馬鹿なだけではないかと思うが私くらいの人は他にもいるだろうと思い直して勇気を出してわからないと書くわけだ。なかなか苦痛だのう。仕事(私の場合は面接)ではわからないことはわからないといわないとどうにもならないので割とあっさりいうわけだけど二人だけでその人の言葉の使い方に馴染みつつも敏感に注意を向けている関係とは異なるからなあ。

最近は言葉にならないことばかりでなんかもういろんなことは世界におまかせみたいな気分になることも多いのだけど実際委ねるしかないことばかりかも。私も伝わっていると思っていたことが悪意に受け取られたりしたらとても悲しいけどそういうのも相手におまかせ。そう思ってたんだとわかったらそんなことないというしかない。違うものは違う。そうだったらそう思ってしまったんだよ、なぜなら、となるし。拙い言葉でさらに悲しい事態を招いたとしてもできることってそれくらいしかないもの。できない自分を呪っても何もいいことないもの。どうしたって関わるしかないし関われば反応はくるしそうやって近づいたり離れたりとんでもないことが起きたりなんか今日もいつも通り、となったりする。なんか今日もいつも通り、という言い方は何か起きるはずだったのにという感じがあるね。まあわからんから今日も今日とて揺れて揺られて。ゆらゆらしつつがんばりましょ。