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精神分析

言葉とか料理とか。

今朝は少しひんやり。春のうっすらとした優雅な夜明けもいいな、と思えるようになってきた。そんな頃にはもう夏が立つ。なんでも気づくのが遅いな。でもまだ春の内。

内と外については土居健郎も書いているし、日本人の特徴を語られるときの補助線になりやすい言葉ではある。土居健郎は内と外についてたくさん語ったあとに、といっても便宜的なものでそんな確らしさがあるわけではないけどね、という様子で書いていた気がする。土居の文章も読みやすいが思考を追うのは難解。「甘え」さん独り歩きのせいでこちらが迷子みたいな感じがある。

多分いずれ関係してくるというか私が関係させていきたいと思っているだけだけど、今NHK Eテレ「100分de名著」ウィトゲンシュタイン特集をやっている。1回目を見逃して2回目をみたがこれだけコンパクトにする場合ここを取り上げるのかという感じがした。私が古田徹也さんの朝カルとかでの講義に出てウィトゲンシュタインを少し読めるようになったのだけど、Eテレのこの番組は誰を取り上げるときもなんとなく読めるような気分になってしまうからすごい。伊集院光と安部みちこの進行のおかげ。ウィトゲンシュタインの第2回も方言の話がとても面白くて、言葉は生活と密着しているということを再確認した。この土地でこの言葉を使うのはその土地で同じ言葉を使うのとは違うんだよ、ということを知っていることは大事。土地だけでなく、子供と大人の言葉の違いも文化の違い、時代の違いが現れる。「私が育った地域では」「平成生まれの間では」とかそれらの違いを意識した話し方をする患者さんはたくさんいるし、戦前、戦後というのが世代間伝達を考えるときのキーワードになることも多い。関係というのはほぼ言葉で成立しているので、子供の頃にこんなことをこんなふうに言われたということが何十年もその関係を規定している場合だってある。言語ゲームというアイデアは有用だ。この場合の「ゲーム」はウィニコットが「遊び」というときと同じく生活そのものと近い。

朝、ぼんやりしていたら料理の手順を間違えた。昨晩やろうと思っていたのを先延ばしにしたのだけど、昨晩だったら間違えなかったのかというとそれも怪しい。目が悪くなってレシピのみまちがいが増えているのだが思いこみも強くなっているのかもしれない。なんか変だな、と思っている場合、レシピを見直したら大抵「あーやっぱり間違ってた」と思いそうなものだが、見直したつもりで修正が効いていないということは「見たいように見る」状態になっていたのかもしれない。危険だわ。

今朝は日光のお土産「湯沢屋」の酒饅頭。やったー。日光に行ったときに前を通っているはずのお店だけどあまり覚えていない。参道にはたくさんお店があるから目移りしているうちに忘れてしまったのだろう。日光ラスクももらった。これはパッケージもとてもかわいくて味も大好き。私が日光に行ったときはこれをお土産にした。日光も特急で日帰りで行けるからとってもいい。GWとかはものすごく混みそうだけど。

そうか、もうすぐGW。出かける準備も発表の準備も何もできていない。生活整えながらがんばらないとだ。新しい週もなんとかがんばろう。

もこもこ