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東京公認心理師協会地域活動とか暮田真名さんWSとか。

今年8月7日(日)10時〜12時、東京公認心理師協会に応募した企画が無事に通り、予定通り開催できることになりました。詳細はもう一つのサイトをご覧ください。

その一週間後、8月14日(日)午後は川柳界から暮田真名さんをお迎えしてワークショップを行います。

ふりょの星』(左右社)読まれましたか?私が20代の頃には(もちろん引き続く今も)とても持ち得なかったいろんなもの(主に才気)が詰まった明るいハテナにつままれる川柳句集です。その後に続いた平岡直子さん『Ladies and』(左右社)、なかはられいこさん『くちびるにウエハース』(左右社)、3冊とも全くタイプが異なりますがどうやったらこんな言葉の選択ができるのかしらとびっくりさせられてしまうところは一緒。いつもと少し違う景色を見たいなという方におすすめの川柳句集三冊です。

暮田さんをお迎えするイベントの詳細は7月に入ったら。え?つまり明日!?

6月、こんなでしたっけ。梅雨は苦手だけどもうちょっと居座ってくれてもよかったのですよ。居心地が悪い国になってしまったのかしら。東京が猛暑日でだるいだるいと呟いていた先週末、zoomミーティングで札幌の仲間も「29度」と。えー、札幌のみなさん、大丈夫ですか?となりますよね。普段涼しいイメージがあるだけに暑さ対策などどうされているのかしら、と。同じ気温でも地域によって感じ方ってだいぶ異なるから不思議です。

ということで冒頭でご紹介したのは地域活動イベントとなります。東京都、しかも大田区、世田谷区に登録されている方のみ、しかも臨床心理士、公認心理師のみを対象としたイベントです。狭くてごめんなさい。

移動には時間もお金もかかります。心身の事情であまり遠くにはいけないという方もおられるでしょう。そんな時、近くの「地域」は何ができるのか。しなくてはいけないのか。そして心理職はそこに対してどんな介入なりサポートができるのか。そういうことをじっくり考えるためにもまずは同じ地域で暮らしたり働いたりしている仲間と交流して横のつながりを作りましょう、という感じのイベントです。基本的なことではありますが基本こそ難しいということも共有していただけるかと思います。ぜひご検討いただけますと幸いです。

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精神分析

『スープとイデオロギー』をみた。

外が暗いうちに目覚める。すぐに明るくなる頃に目覚める。鳥たちとともに。洗濯機をかけて麦茶をいれる。花火が描かれた薄いグラスが曇っていく。一昨日からまた麦茶を作り始めた。といっても沸騰したお湯にパックをポンと浸しておくだけだけど。今日も猛暑だそうだ。水分補給も気をつけねば。

『スープとイデオロギー』という映画を見た。ヤン ヨンヒさんがご自身の家族を撮った映画だ。彼女はこれまでも父親や姪のことを撮って多くの賞をとっているとのことだが私は全く知らなかった。彼女は在日コリアンで今回撮られたのは彼女のオモニ(母)である。オモニは18歳の時に済州4•3事件を現地で体験していた。

「来週見ようと思って」と見るより先に買ったパンフレットを見せてくれた。その人は部落の方々に話を聞くドキュメンタリー映画を見てきたとその話もしてくれた。生活史を聞く。社会学者の岸政彦さんの仕事が広く知られているだろうか。私の仕事の主要な部分でもある。彼らの生活史が広く知られることはないだろうけど。同じ場所で同じ出来事を体験したはずの人たちでも語りは異なる。おそらく聞き手によっても異なるだろう。その映画には若い女性の語り手はあまり出てこなかったと聞いた。

済州4•3事件、私は朴沙羅さんの『家の歴史を書く』(筑摩書房)で知った。以前ここでもこの本には触れたことがある。朴さんがご自身のおじさんおばさんの話をそのまま書き取り、聞き取るなかでの想いも吐露し、学者としての考察も加えた豊かな一冊だった。同じ場所で同じ出来事を体験したはずの人たちでも語りは異なる、と書いた。この本でもそうだった。歴史的な非常に残虐な事件が起きた場所でその日も生活していたからといってその事件について語られるとは限らないのである。

『スープとイデオロギー』の冒頭には、母親が病院のベッドで突然事件のことを語りはじめる場面、娘の結婚相手に言及する父に娘がツッコミを入れ母が笑う父在りし日の賑やかな食卓の場面が置かれていたと思う。大阪弁と韓国語が混じり合う家にはかつてこの映画の監督、オモニの娘であるヨンヒさんの兄3人も暮らしていた。写真でしか登場しない彼らのひとりはすでに亡くなり、2人の兄は平壌で暮らす。ヨンヒさんは映画が理由でそこにはいけない。父も墓で眠る平壌に。「人間プレゼント」という言葉も私は知らなかった。ヨンヒさんが結婚相手を連れてくる場面はこの映画の最も幸せな場面だろう。オモニの笑顔の美しさに涙が溢れっぱなしだった。そして昼過ぎにくる彼を迎えるために朝からオモニが作る鶏丸ごと一羽と大量の真っ白な青森ニンニクと高麗人参とナツメをコトコト煮込むだけのスープの美味しそうなこと!アボジ(父)が望まなかった日本人のパートナーを暖かく丁寧に笑顔いっぱいにもてなすオモニが済州島で大虐殺と焼き討ちを体験したのはまだ18歳のときだ。婚約者を失い、叔父を失い、幼い妹と弟と散歩を楽しむふりをして検閲を潜り抜け大阪へ密航を果たしたという出来事はこの映画ではクレイアニメで描かれた。余計な感傷を寄せ付けないクレイの若きオモニの目線はこうして娘たちを見守るオモニのなかに確かにあったものなのだ。でも私はそれを想像することすらできない。ヨンヒさんはアルツハイマーが進行しそこにはいない家族と同じ屋根の下で暮らしていると信じているオモニを済州島へ連れていく。もちろんパートナーの荒井さんも一緒に。ヨンヒさんがはじめて感情を抑えられなくなるのはそこでだ。母がした体験をそこで起きた出来事をどこまでも続きそうな犠牲者の名前の列を墓を彼らが幼い日を過ごしたかもしれない海を幼い妹をおぶって弟と手を繋いで30キロを歩いて大阪へ向かう船に向かったという道をヨンヒさんは車椅子の母と荒井さんと一緒に体験する。

”「語りえない」ことなど、おそらくそれほど多くはないのだ。”

朴沙羅さんは『家(チベ)の歴史を書く』で書いた。

”「ただ、調査者や聞き手が聞き取り得なかったことがあるだけだ”

ヨンヒさんは自分のカメラを通じてではなく母の体験の場所を共にすることで母の想いを知ってしまった。

ヨンヒさんの気持ちを考える。子供の頃から疑問だらけだっただろう。なぜ兄たちは、なぜ父は、なぜ母は、どうして自分だけ、と。映画のトーンはあくまで静かで暖かくユーモアがあり時折入り乱れる感情も日常に回収される。ただ、私にはオモニの症状が一気に進むきっかけとなったかどうかはわからないがその直前の聞き取りのシーンが本当にキツかった。ただ聞く、その難しさは日々実感している。ただ聞く、あくまで受動的に。そうすれば朴さんが書くように「語りえない」こどなどそんなに多くはないのだ、多分。

みてよかった。教えてもらってよかった。オモニは今年のはじめに亡くなったそうだ。問い合わせが多かったらしくヨンヒさんがTwitterで報告していたのをみた。ヨンヒさんの仕事の意味はとても大きい。難しく苦しい仕事でもあると想像する。歴史を共有してもらえてよかった。知らないことばかりの日常だけど少しずつ今日も少しずつ。

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incommunicado

鳥は今日も元気。だれかの朝を想う。穏やかにいつも通りの朝を迎えた人もいるだろう。激しい情緒に向かうべき先がわからなくなっている人もいるだろう。体験は人それぞれだ。「いつも通り」であればそれがなんであれ今日もとりあえずそれでいけるかもしれない。人に会えば普通に挨拶をし、空を仰いでは今年の梅雨はなんだったのかなど思うかもしれない。強い情緒を持て余すなら、抑えきれぬ苛立ちを身近な人たちにぶつけては強まるどうしようもなさに泣き崩れるかもしれない。もう行かねばと時計を気にしつつ狂気と正気がぐるぐるするなかを起き上がれずにいるかもしれない。時間は過ぎる、世界がどうであれ。気持ちは変わる、今がどうであれ。ただ受け身でいても必ず。

誰かを特別に想うってどういうことだろうとよく考える。特別だなんて思わなければこんな辛い思いをしなくてよいのではないか、自分にも相手にもうんざりしたり嫉妬に狂ったり嫌われないための無理をしないでもすむのではないか。ただそばにいたい、いろんな話を聞きたい、聞いてもらいたい、あなたを知りたい、知ってもらいたい。特別な相手に変わっていく人を想う喜びや幸せに満たされながらそこからこぼれ落ちる、あるいは生じてくるなにかはときに不安や疑惑の形をとる。重なり合う部分が増えるほど本当にひとつになることなどできないことを知る。知っていたはずのことをいかに知らなかったかを思い知らされながら時々互いに自分の攻撃性ゆえに被害的になる。ひどいことをいってしまうときもある。そしてまた語り合い抱き合いまた離れては出会い直す。セクシュアリティゆえに退行しジェンダーに縛られながら今この社会で偶然出会って惹かれあいそんなことを繰り返す。私は誰かを特別に想うってそういうことなのではないかと考えている。偶然性に身を委ねるというある種の賭けに自分の未来を投じたい、何かを産む産まないといった目的のためではなく正解もゴールもない場所で一緒にいたい、そういう欲望のことではないかと思う。

精神分析家のウィニコットはincommunicado selfということをいった。だれとも交わらない完全に孤立した状態とでもいえばいいのだろうか。それが守られることの重要性を指摘した。ウィニコットの言葉でいえばそれは以下のようなニードである。

The need to be an isolate intertwined with the need to be recognized continues throughout life as perhaps our most fundamental ontological set of needs. Without recognition by another person, we are adrift; we cannot know who we are when in a state of complete isolation (Winnicott, 1967, 1968). 

彼は「ひとりの赤ん坊というものはいない」「全体がひとつのユニットを形作っている」という言葉で関係性を記述した。私はそこに委ねるが交わらない、受け身でいること、想像的あるいは創造的でないことの重要性をみてとる。

カタツムリのツノが思い浮かんだ。いつきたのか曖昧なまま梅雨は明けたが彼らはどうしているだろう。

昨年ケアの文脈で「想像力」「創造性」という言葉もよく目にした気がする。人を特別に思うことはケアすることでもあると思うが果たしてそれらは必須だろうか。それがない人もいるという前提がそこにはあるように思うが、それがない場合にも人を想ったりケアすることは受け身的に生じていると私は思うので考えたい。関連して「思いやり」についても再考が必要と感じる。ウィニコットも「思いやりの段階」を重視しているがそれは一体何か、ということも問い直してみたい。もちろんこんなことを考えるのも共にいること(being)について考えているからだけど。

孤立、孤独であることを可能にするそれ。毎日そんなことを考えていることを書きながら確認した感じ。まあのんびりやりましょう。暑過ぎるから。

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シェイク

東京の住宅街が薄いピンクに染まっています。ここ数日の暑さにはすっかりやられてしまった。ずっとうとうとうとうとしている。ずうっとだ。

週末、初回面接を検討するグループを終えてお昼に行こうと思った。涼しいはずの部屋でもなんだかぼんやりだるくてまたうとうと。いいかげん出ねばと思って外へ出てみたが食べたいものもない。今度はうろうろ。信号待ちでは少し手前の大きな木の下でぼんやり。信号がいつの間にか青になっていて慌てて渡った。日曜日はいつものカフェが別のカフェに見える。しばらく日陰ばかり選んでぼんやりうろうろしていた。そういえばこの前ドトールでシェイクを飲めなかったことを思い出した。その日はなぜか販売中止だった。

子供の頃、父親がいない日に出かけたのはロッテリアだった。みんなでシェイクを飲んだ。特別だった。特別においしかった。田舎でのファストフードの位置付けは東京とは異なる。今はだいぶ東京寄り(?)だと思うけど。

日陰を真っ直ぐいってかっこいいキャップをかぶった小さな子が困り顔で(眉間に皺と書こうとしたがなかったと思う)お父さんを見上げながら一生懸命何か訴えているのを横目に通り過ぎ、いつもは誰もいない石の椅子でファストフードやみたことのない何かを広げている男性たち(なぜか男性ばかりだった)の前を通り過ぎ、日陰のないカンカン照りの短い横断歩道を足早に渡り店の前につくと「深刻な人手不足のため」と営業時間短縮のお知らせが貼ってあった。大丈夫か。隙間時間にバイトしようか?いや。無理だな。高校時代、バイトをしていた喫茶店で私だけアイスクリームを盛らせてもらえなかったんだ。嘘。違う。私があまりに不器用で上手にできないので「やらないでいいよ」と言ってくれたのだ。練習したけど自分でもびっくりするほど上手にならなかった。美味しいアイスだったしかっこいい盛り方だったからできるようになりたかった。いつももう一人のバイトがやってくれた。ありがとう。やってくれたバイト仲間も恐ろしく不器用なのにやりたがる面倒な私に付き合ってくれた店長たちも。

店は混雑していた。涼しかった。二人の店員はすごく忙しそうだったけどとても感じがよかった。すごい。シェイクを作るのはメジャーな飲み物より作業プロセスが多いことを知っている。どうしようかなぁ、と迷う。今日も販売中止だったら諦めがつくなと思ったけど販売中止はもっと手間のかからなそうな別のものだった。店内はすでに満席に近づいていて並んでいる人もほとんどいなかった。前の人が向こうにずれるまでに決めねば。あー。頼んでしまった。私も右側にずれると洗い場が見えた。あーあ。頼まなければよかった。でも頼んでしまった。いつまでも待ちます、という気持ちで暑い暑いドアの向こうからいろんな人が入ってきたり向こうへ再び出ていく人たちを観察していた。

世の中には本当にいろんな人がいていろんな会話が繰り広げられていていろんなことをしている。こういうのが当たり前でありますように。

もったりとした液体でも固体でもないものがグラスに注がれている。ごめんなさい、ここでも時間がかかりますね。最後のもったりまで店員さんがミキサーを振るようにして入れてくれた。感謝。小さく会釈して受け取る。おいしい。大人になってもシェイクは特別なんだなぁ、いろんな意味で。

冷えてきた。なんと間抜けな、と思ったけど早々に店をでた。さっき渡った横断歩道の日差しが今度はありがたかった。なんと勝手な。同じものでも感じ方はちょっとしたことで変わってしまう。関係性だってそうだ。でも多分私にとってシェイクの特別さはずっと変わらない。「昔は全部飲めたんだけどねえ」とかいうようになる可能性は高いが。

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見る見られるからの連想

危険危険、と呟きながら日陰を探しながら歩く。朝9時でこれ。この暑さはやばい。保育園の子たちは熱中症が心配。オンラインの仕事の人は絶対その方がいい。私はいつもなら歩く区間も電車に乗った。昨日の朝のこと。今日も暑そうだ。

今朝はここ数日と比べると風が穏やかだ。窓を開けたブラインドはたまにカタカタンとどこかにぶつかる音を立てるけど概ねじっとしている。いつもより大きく開けた窓から時折スーッと気持ちのいい風が入ってきてティッシュペーパーを揺らしている。いつもは早朝から窓が空いている隣のマンションの一室はしんとしている。あの窓があいたらこの窓は少し閉めねば。

子供の頃、隣の家の兄弟と一緒に幼稚園に通っていた。幼稚園までは一つ角を右に曲がってあとは真っ直ぐ。一つ小さな交差点を越せば右手が園舎だった。彼らの家に「おはようございます」と行くところまでは覚えているが園までの道のりはどうだったか。角にはとうもろこし畑があって斜めに突っ切ることができる季節もあったし、夏は自分より背の高いそこに犬と一緒にわざと迷い込んだ。彼らともこうして遊んだのだろうか。

彼らの家には繭倉庫があって独特の匂いのする薄暗いその場所で私たちは転げ回って遊んだ。私の家のひんやりした場所には蚕がいたし、小学生のとき、一緒に帰っていたEちゃんの家の隣は桑畑だった。当時の群馬はまだ地場産業を伝えていたんだな。

子供部屋は彼らの家側にあった。夜になるとお互いにカーテンを少しだけずらして「見つかった!」となれば戻して今度はさっきよりそっとほんとに少しだけずらしてまた「見つかった!」と閉めることを繰り返し騒ぎすぎて叱られた。隠れてもこんなによく見えてしまうことを私はその時に知った。

上京しはじめて一人暮らしをした小さくて壁の薄いアパートは大学からは近かったが駅からは遠かった。何かの畑の隣でこの季節は虫が多くて怯えた。田舎育ちだからといって虫に強いわけではないのだ。隣の部屋は何歳くらいだったのだろう、学生よりは年齢のいった若い男性が住んでいた。ある日、私が階段を降りてふと2階を見ると窓の隙間から目が見えた。ああいうとき、本当に声は出ない。身体も硬直したような気がしたけど私はまるで何事もなかったかのように大学へ向かった。振り返ることは決してできなかった。その視線から確実に外れたと思えた場所からは走ったのであっという間に大学には着いた。守衛の男性とはすでに顔見知りでその日も何か言葉を交わしたけどそのことは話せなかった。そうやって目だけ覗かせてもこちらからは見えているという体験を彼はしたことがないのだろうか。私は声が出ない体験、身体が硬直する感覚、強い動機と持続する恐怖、それでもいつもと同じように振る舞えてしまうことを知った。

暑い暑いと思ってここに座って隣のマンションのしんとした窓を眺めてなんとなく書いていたらこんなことを思い出してしまった。すっかり忘れていたのに。きっとここを離れたらまたすぐ忘れるのに。怖い想いをするとはそういうことなのだろう。トラウマと呼ばなくても私たちは日々その大きさにかかわらず不安や負担を積み重ねている。忘れたり思い出したり意味づけを変えたりしながら出来事自体は遠くなっていくかもしれない。でも強く打たれるような重くのしかかるような情緒はふとした瞬間にこうして戻ってくる。そういうものなのだろう。そうではない人がいるとしてもそういうこともあるということも知ってほしい。

中絶を権利として認めない判断を下した米最高裁は人間の身体を知るどころか人間の身体を持っているのだろうか。性別を超え戯れぶつかり合い仲直りしいつの間にか学び自分の体験を通じて相手の体験を想像し、自分は大丈夫でも相手はそうではないかもしれない可能性を、非対称の関係においてはなおさらそうである可能性を考慮したことはないのだろうか。ないのだろう。自分が生まれた場所である身体の権利さえ奪えるという前提が共有されたからこの判断になったのだろうから。

これは妊娠する女性だけの問題ではない。単に女性だけの問題でもない。人間の問題だ、と速やかに広げることが必要に思う。その判断に目的があるとしたら変化の芽を摘むことだろう。失望させ絶望させ硬直させ、法という視線で身動きを取れなくする。そこで守られるのは権利を奪った人間の頑なな信念だけではないだろうか。変わることを頑なに拒んで変えようとする相手の声を封じ込めるような暴力的な心性だけではないだろうか。それはこの世界において多数派なのだろうか。少なくとも私の周りは違う。速やかに性別を超えた人間の権利の問題にしていく必要性を感じる。女性だけの、ましてや妊娠の可能性のある女性だけの問題にすることは無力なマイノリティとして彼らを扱う素振りだと私は思う。もしそうだとしたらそれは私たち自身がこの判決の罠にはまり彼ら権力者と同じようになる危険性を孕んでいるのではないだろうか。特定の女性の権利を奪うという行為を巡って戦うつもりがそれがマイノリティであるというイメージを増大させ見えやすい形での暴力を引き起こしたりそれによって不安や恐怖が蔓延していくようなプロセスに加担することは避けたい。その可能性はいつでも潜んでいるのだ。私たちは彼らと同じ当然の権利を守る人間として共にあろうとしながらいつの間にか権力者と同じことをするかもしれない。コロナ禍でそのような人間の心性に私たちはすでに直面しているはずだ。自動的に正義の側に立つということはない。どちらでもあるという状況をどう生き延び、誰もが声を奪われ身体を硬直させつつある人間である可能性に思いを馳せる、まずはそこからなのだと私は思う。

同時にこの気候も生き延びねば。身体は基本だから。熱中症などにどうぞお気をつけて。良い日曜日でありますように。

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助走(愛とセクシュアリティに向けて)

昨日からずっと風が強い。夏至を過ぎたことを悲しく思うのは毎年のことでぐんぐん強くなっていく朝の光にそんなに急がなくてもいいのにと思ったりする。風がそれを煽っているようにも感じるのだろう。

いろんな現場でいろんな人と会ってきた。いろんな目に会ってきた。いろんな人との間でいろんな目に会ってきたいろんな人の話も聞いてきた。具体的なエピソードを積み重ねれば積み重ねるほど人にはそれぞれ事情があるという一見当たり前のことを実感するようになった。たしかにあのひどい人にも本当は事情があったのかもしれない。あんなことが起きたのにはこういうことも関わっていたのかもしれない。それぞれの事情を知れば知るほど出来事の見え方は変わってくる。もちろん体験の受け手に見方を変える力があればの話。ただもし何を見ても似たような風にしか見られない人がいたとしてもその人にもそうなった事情があるだろう。

「あいつさえいなければ」。強い憎しみに覆われながら身体を震わせてつぶやく。この人にこんな強い気持ちがあったとは、と驚きつつ、ものすごい圧力に少し後退りするような気持ちで私はじっと観察する。こんなときに「でもこういう可能性も」と言ったところでそんなの無意味だ。

あのときは「そういうもの」なんだと思った。大人がいうから「正しい」と思った。でも違った。大人になった私が今こんな状況でこんな想いをしているのはあのときにおまえが体験を奪ったからだろう。本当はあんなことしたくなかった。気持ちや考えなど聞いてくれたことがあっただろうか。おまえらの押し付けのせいでこうなってる。それを今更こっちの責任みたいにまたおしつけてくるのか。

繰り返されるやりとり。繰り返される痛み。体験を体験し直す場。精神分析の設定はそれを提供する。

「でも自分にも問題があったと思うんです」「だとしたらどんな?」「・・・・・」

何がなくてもそうなんだと思い込んできた。自分に目を向ける余裕などなく人の目、人の言葉ばかり気にしてきたのだから言葉でいうほど自分のことはわかっていない。だから問われても答えられない。なによりこんな風に問われたことなどなかった。

彼らは徐々に治療者との間でもこれまでのパターンを繰り返しはじめる。定期的に継続してあっていればそれがいつものパターンであることは二人の間で明確になってくる。「私は可能性を奪われた」という話もそんな中で何度も何度も繰り返される。治療者である私も彼らの時間やお金や可能性を奪う相手として体験される。彼らは繰り返す。まるでそう自分に思い込ませるように。そう、そこからやり直すためにそうするしかない場合もあるのだ。私は失敗しながらもなんとかそこにいようとする。ほとんど彼らの過去の体験の相手として、でもどうしたって残ってしまう自分として。

フロイトは能動性と受動性という心的な特徴を男性と女性それぞれに与えた。心的両性性の観点からいえば男性と女性の区別はそこにはないはずだった。しかし性器の違いにこだわったフロイトはどうしてもそこで異性愛を前提にしがちでそこから逃れようとするたびに「女性はわからない」となっていた印象がある。それこそフロイトの逃げではないかと思うが、性を性器から逃れたところで語ろうとしなければそれはたやすく生殖と結びつく。精神分析が神話から持ち込んだ父と息子、臨床で発見してきた母と娘といった重要ではあるがあくまで生殖の文脈から逃れられない物語に従属しがちなのもそのためではないかと思う(これはかなり雑な言い方なのだけど)。

能動性と受動性、する/されるの関係は常に反転する。転移状況はその反転を患者と治療者のペアにおいて実演するため、どこをみてもそのパターンか、というものが見えてきやすい。同時にそれまで一人で体験していたパターンを今ここでお互いが体験し、体験させられることでこれまでとは異なるパーステペクティブが生じる。「あいつのせいで」という憎しみにようやく別の角度から光があたりはじめる。

私は精神分析における愛とセクシュアリティに関心があり、これまでも助走的に書いたものもある。これ↓とかこれ↓とかだろうか。

精神分析というプレイ」「精神分析における愛とセクシュアリティ」

それは愛だと思い込むでもなく、憎しみに覆われるでもなく、愛と憎しみの両価性を生きるために私はそれー精神分析における愛とセクシュアリティーについて考える必要があると思う。それぞれのセクシュアルティがもたらす多様な関係を生殖やそこからはじまる家族の物語、あるいは異性愛と同性愛の区別で語るような用語(例えば「倒錯」)に閉じ込めるのではなく別の言葉で語ることはできないのだろうか。子供と大人の区別は重要だがそれで誤魔化されてきた部分に注意を向ける必要も患者たちが伝えてくれているのではないだろうか。

また助走みたいな文章になってきたのでここまでにしよう。いつまで助走なんだかと思うが特にゴールがあるわけでもないのだから今日もこんな感じで歩いたり走ったり立ち止まったりしようと思う。

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非対称

鳥。何を話しているのかなあ。やっぱり小川洋子さんの本はすごかった。通じない言葉のなかをどうやって生きていけばいいのかわからない、と書くのではなくてそれでも淡々と生きて愛して死んだ人のことを書き、その人の言葉を唯一理解できる残された人のことも同じように書いた。残された人も鳥の言葉の方が人間の言葉より理解できた。人間同士のコミュニケーションは上手にできなくて大切な場も奪われた。でも彼らがそういう言葉でそれを記述することはなかった。彼らは被害の言葉も加害の言葉も使わない。

皮肉も冗談も理解しにくい彼ら。静けさ。幸福。暴力。男性であること。女性といること。傷つき。疲労。彼らはそうではなかったけれど、単語だけで伝わっていた幼い日のこと、多分伝わっていたのは言葉の意味ではなく対象を求める気持ちでその内容は必ずしも必要のなかった時代のこと、今はどんなに気をつけても自分の受け取りたいようにしか受け取れない。

この人は一体何を言っているのだろう。言葉を奪われた瞬間を思い出す。あれは愛情ではなく憎しみの始まりだったのか、と一瞬思う。でもそんなものは分けられない。

彼らの世界に行きたい。静かで決して強い言葉で突き放されることのない世界。二人の間に入ることはできないけれど。

ものすごく受け身のままいられた幼い日のこと。何も通じていなかったかもしれないのに通じているという幻想と勝手な空想を維持する時間と場所を与えてもらった。兄弟姉妹で与えてもらう量が違うように感じていろんな気持ちになったこと。例えば「お兄ちゃんだから」「まだ小さいから」という理由で。それが正しさであっても理不尽と感じていたのはそういう理由が欲しかったわけではないからだと思う。人に向ける気持ちにまるで量があるかのように比較される悲しみや寂しさを理解してほしかったのだと思う。

もうこんなに歳をとってしまった。身体もとても変わった。こうなるまで知らなかったことばかりだった。

最初の瞬間にものが言えればよかった。驚きすぎて言葉が出なかった。いまだにものをいえないほど混乱する瞬間があることを知った。後悔では学べないことも知った。

驚きを相手からの加害と感じたとしてもそうしたくないゆえに希望や期待で封じ込めるところからはじまるのかもしれない、どんな関係も。精神分析は原初の傷つきをどうしようもないものとして捉える。それぞれが愛と憎しみを十分に体験する場を設定する。その傷が癒されることは決してない。ずっと苦しいまま。それでも相手の言葉を奪ったり自分の言葉を奪われたりする関係が憎しみばかり生まないように体験を繰り返し、内容を理解される以上の体験を内省の契機とする。

ため息も涙も出るに任せているうちに朝になった。そんな毎日だとしても委ねてみる。力を持つ人たちとの非対称のなかで再び言葉を奪われたとしても強い憎しみに覆われてしまうよりはその方がいいような気がする。

彼らの世界に行きたい。途中からは決して入れないとわかっているけれど。拒絶されないことで安住したとしてもどんなに言葉を使わなくてもそれがない世界なんてないからそれぞれがそれぞれの仕方で傷を負うだろう。それでも彼らは決して憎まないだろう。通じないという現実に希望も期待もしていないから。好きな人ができたとき以外は。

非対称と知りながら言葉を奪う。そんなつもりはないと知っている。それでも痛みが重なればその時の驚きは被害に変わりうる。必死で確認してきた希望や期待が単なるごまかしだったように思えてくる。

混乱したままでも動く必要がある。動こう。これは年をとるとわかる。多分混乱しすぎなければ傷つきを傷つきのまま誰かに向けてしまうことはない気がする。先のことは何もわからないけれど。

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それでも委ねる

「物事を分析する際に、ブラック・フェミニズムの伝統は、さまざまな抑圧には、体系を異にしていても、互いに重なり合い関連している特質があることを強調してきた。この伝統はまた、グループ全体こそがリーダーシップの中心にあらねばならないという、女性に発する物事の見方を大切にしつつ、LGBTQIAの人びとの懸案も共有しているものである。そしてこの伝統は、ブラック・コミュニティのなかにおいても最も周縁化され、弱い立場にいる人びとを、運動を語る言語や課題の重要度において、その中心に据える途を探ろうとするものである。」

バーバラ・ランスビー著『ブラック・ライヴズ・マター運動 誕生の歴史』(彩流社)の冒頭「本書の概要」からの引用である。ミシェル・オバマでもなく、ビヨンセでもなく「ブラック・コミュニティのなかにおいても最も周縁化され、弱い立場にいる人びとを、運動を語る言語や課題の重要度において、その中心に据える途を探ろうとするものである」。SNSを見る限り、この視点は常に忘れられがちなように思える。

生身の相手と交流しながら感じ、知ろうとするのではなくTLを流れる言葉や映像に反射的に反応していく。その様子はその人自身が描写する分には豊かな物語かもしれないが見たいもの触れたいものとしか交流したくない自分として表現されることはないだろう。たとえ他者からはそれが明らかであったとしても。否認というのは認め難いゆえに否認であり、生身の他者に委ねる、あるいは委ねられることは面倒で恐ろしいから絶対避けたい、といわないまま好かれていたい。そこまでの否認を可能にするのも言葉だろう。一見、傷ついた場所に正確に丁寧に絆創膏を貼るような言葉が、「自分の言葉」が通じない相手の傷を広げ、傷ついたということを表現することさえ封じ込めようと躍起になった結果であることをその恩恵を受けた人は知らない、ということもあるだろう。

私は背が低いので混雑した場所でモノ扱いされたかのように痛い想いをさせられたり、全く関係のない相手への怒りをちょうどその場にいた反撃できなそうな相手としてぶつけられたりすることがあるが、これは子供、女性、障害をもつ人なら誰でも多かれ少なかれ体験していることだろうと思う。

無力。生まれつき何かを剥奪された、あるいは欠如している、と表現することもできる。それは表現としても洗練されているように思える。が、私は使いたくない。大体、生まれつきとしても一体誰が剥奪したというのか、そもそもこれを欠如とするなら欠如していない状態は誰が定めたものを指すのか。

非対称の関係に傷つき傷つけられることを繰り返し絶望と希望に振り回されながら過ごす特定の他者との生活は外からは見えない。力ある者の言葉や仕草に封じ込められていることもそれが暴力や殺人として明らかになるまでは「普通の家庭」「仲良し」と表現されることも多い。

一見知的で豊かな表現力をもった似たような言葉遣いの者同士ののっぺりとした「連帯」を支えているのは非対称な関係においてそんな相手に身を委ねざるを得ない、ときには暴力的に支配されている人たちであることは否認される世の中だ、特にこのインターネット時代においては。

毎日「それでも」と思う。私は私でこの身体でこの言葉で生きていくしかない。いつも誰かに片想いしたままその囚われから抜け出すことができないような重たさを引き摺りながらそれが錯覚であることにも気づきつつやっていく。支配やコントロールより偶然性に身を委ねられたらと思うが、それこそ自分でどうにかできるわけではなくすでに選択肢はなくその状態であることはそれはそれでとても苦しいものだ。それでも、と思う。

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スイカ、呼び名、つながり

スイカ。冷たくて水分たっぷりでちょうど良い甘さで目覚めるにはピッタリ。スイカ大好きな友人がいろんな土地のを食べていてどれも美味しそうで羨ましいのだけどこの美味しいスイカは産地知らず。でもなんだって人の手が関わっているわけですよね。どこぞのどなたかどうもありがとうございます。東京の住宅街で朝5時頃いただきました。少し元気が出ました。

スイカの名産地っていう曲ありましたよね。あれは今思うと不思議な歌詞。どこの国の童謡なのだろう。とうもろこしの花婿と小麦の花嫁だからアメリカ?うーん。農地を思うとまた大変な労働環境のことを考えてしまう。花嫁と花婿、嫁と婿、ママ、パパ、「おい」「はい」など、パートナーの呼び方の議論もありますね。誰かに対してその人との関係を伝えるときにどういうか。嫁と旦那、妻と夫。あるいは友人カップルの片方しか知らない場合に知らない方をどう呼ぶか。私は相手の年齢によっても使い分けるけどどれも名前のように使うかな。相手が呼ぶ仕方で私も呼ぶ。この仕事だからかもしれないけど。本来正解とかもないだろうし、すでになんとなくある「正しさ」に塗れた呼び名なのだからまずはそれが薄まるように自分ではあまり使わない。そういうのはすごく意識しているわけではないのだけど「どれが適切か」「何が正解か」みたいな議論にのる前にそれがない場合を考えるのは癖だと思う。

少し前に読んだアリソン・アレクシー『離婚の文化人類学 現代日本における<親密な>別れ方』(みすず書房)はアメリカ人の文化人類学者が日本で日本人(東京の中流階層の人が多かったと思う)の離婚話を聞いて彼らがどのように親密な関係を生きようとし、離婚した後も含め、どのようなロマンス(といってしまうが)に基づいて親密さという「つながり」を維持しようとするのか、あるいはどのようにそれについての意識を変えていくのかについて、個人の意識(というものがあるとすればだけど)、家族観、ジェンダー規範、「甘え」(土居健郎を引用)や依存、自立、法制度、国家のイデオロギーといった幅広い視点を維持したまま考察を加えたユニークな本だったと思う。とても大雑把に私がよかったと思う観点からいうと、誰かが「離婚した」といったときに相手が「え!なんで?」となりがちなのは「離婚」に対する偏った意味づけがあるからで「離婚」をつながりも別れも、始まりも終わりも含んだある二人の関係性の変化を示す言葉としてニュートラルな行為の言葉にすれば私たちがこれまでその言葉に与えてきた「正しさ」的な何かによって当事者たちを苦しめることは減るかもしれないのでその言葉にまとわりつく様々な意識や規範をまず「それぞれ」のものに分解し、「つながり」の変容という観点からそれを位置付け直すような本だった、という感じだろうか。

パートナーをどう呼ぶか、という問題についてもこういう作業が必要なのかもしれない。この本は「その言葉を使わない場合」というところからはじめる癖のある私にはしっくりくる本だった。

また本紹介になってしまった。今日はバタバタ移動の多い日だ。ちょっと寄りたいところがあった気がするが眠ったら忘れてしまった。

深刻なんだか呑気だかわからない毎日だがいろんな気持ちになるのが人間らしさを維持するのだろうからとりあえずこのままというかそれ以外ないか。急に変われるわけでもないから。それぞれに良い一日を。

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タリア・ラヴィン著『地獄への潜入 白人至上主義者たちのダーク・ウェブカルチャー』を読み始めた。

タリア・ラヴィン著『地獄への潜入 白人至上主義者たちのダーク・ウェブカルチャー』を読み始めたが、これがもう最初から驚きの連続だ。著者は書評家でありライターでありジャーナリストのNY在住の女性である。ユダヤ人だ。

フロイトはユダヤ人であるがゆえに出世を阻まれ、愛する人と結婚するために開業せざるをえなかった。少年の頃、父からユダヤ人であることを罵倒され帽子をはらい落とされたと聞いた。フロイトはそれでどうしたのかと父に聞いた。父は何も言わずその帽子を拾い上げたと答えた。フロイトは幻滅する。1938年、すでに癌に冒され手術を繰り返していたフロイトの家にもナチスがやってきた。娘のアンナがゲシュタポに連れていかれた日のことは『フロイト最後の日記 1929-1939』にごく短く記されてる。周囲の強い説得によりフロイトはついにロンドンへ亡命した。妹たちはガス室で殺された。

『地獄への潜入』では冒頭から私たちは地獄へと導かれる。著者のラヴィンは様々な人物になりすまして白人至上主義者、ネオナチ、極右レイシストたちのいる地獄へと潜入していく。インターネットの時代、私たちは何者にもなれる。ユダヤ人であることを明かさずとも。ラヴィンは憎しみにの炎に焼き尽くされることなくこれを書いた。

彼女が「はじめに」で引用したのは米国の詩人、イリヤ・カミンスキーの「作家の祈り」という詩の一部だ。

私は自分自身の限界ギリギリを歩かなければならない

目の見えない人が家具に触れることなく部屋を通り抜けるように、

私は生きなければならない

wikiによるとカミンスキーはソ連生まれのウクライナ系ロシア系ユダヤ系アメリカ人で難聴だという。彼のパフォーマンスは検索すればすぐに見つけられるし彼もTwitterにいる。you tubeで聞いた彼の朗読はとてもインパクトがあった。

If I speak for them, I must walk on the edge
of myself, I must live as a blind man

who runs through rooms without
touching the furniture.

Yes, I live. 

ーAuthor’s Prayerより抜粋。by ILYA KAMINSKY

ラヴィンの祖父母は当時はポーランド、現在はウクライナに属するガリツィアという地域に生まれたが、彼らがホロコーストを生き延びた体験を直接聞いたことはないという。彼女は大学卒業後、家族の系譜、反ユダヤ主義が自分自身に及ぼした影響を理解するためにウクライナで一年間過ごしたという。彼女の家族が生き延びた土地が再び戦禍の地となった今、彼女はどんな気持ちだろうと考えざるをえない。全く想像もつかないけれど彼女は今日もアメリカで白人至上主義、反ユダヤ主義、レイシズム、ミソジニーに塗れたソーシャルメディアとの終わりなき戦いに挑んでいるだろう。世代を超えて繰り返される戦いに。

著者は「プロフィール」を偽り、ときにはカイク(ユダヤ人の蔑称)を激しく非難するナチ・ガールになりすまし、オンラインを嬉々として流れていく見るに耐えない、聞くに耐えない憎しみと嫌悪の言葉、それらを暴力や殺人の衝動にまで駆り立てる具体的なプロセスに私たちを立ち合わせる。そこは地獄だ。言葉を失う。著者は祖父母と同じくそこを生き残ろうとしている。地獄にも歴史がある。何がどうなったらこうなるのか、著者は偽りの自分を差し出しつつオンライン上を観察し続ける。

ここに描かれることがアメリカ特有の問題ではないのはすでに明らかだ。日本語版特別寄稿はフォトジャーナリストの安田菜津紀。まだ半分くらい(150ページくらい)しか読んでいないが地獄もまた事実として知っておくべきだろう。原題が浮き上がる赤い凸凹の表紙も印象的だ。柏書房のwebマガジン「かしわもち」での公開部分も。

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趣味

『貴婦人の来訪』を見ての連想

細身の背の高い若い男性が子供の笑顔のまま踊るように大きく回った。同時にやはり華奢で背の高い無邪気そうな若い女性が嬉しそうに大きくスカートを翻した。さらに地べたに座りこんでいた芸術家が描いていた垂れ幕がパタパタパタと波打った。電車が通り過ぎたのだ。この貧しい街の駅には決して停まることのない特急が。もちろん舞台に電車はやってこない。音と光と彼らの動きが特急が通り過ぎたことをvividに表現していた。人間の身体はすごい。

やや冗長で噛み合わないはじまりをみせた舞台は主演の登場を得てこれから起こる不穏な出来事へと緊張感を増していく。誰も止めていない。しかし視線に囲まれている。自分が動けば引き止められる。自分はここから逃れることはできない。目の前にようやく止まった各駅停車に乗り込むことがどうしてもできない。混乱し絶望に支配されていく様子を相島一之が巧みに演じていた。

大学生の頃、重度の自閉症の青年たちが暮らす施設へ出かけて週末を共に過ごしていた。ある男性は次の一歩を踏み出すまでに何十分もかかった。彼らは大きな声を出したり楽しそうな音を出しながら笑うことはあっても言葉はでなかった。突然顔を近づけてきて手をひらひらさせながら何度も私にぶつかりそうになるくらいの距離まで頭を前後に揺らす間、彼は私をじっと見ていたけれどそれは私を通り抜けて背後に向かうような視線で私に何かを見出そうとする目ではなかった。数年間、彼らと時間を共にし、さまざまな場所に出かける中で私は彼らと随分馴染んでいた。彼らには彼らのペースと決まりがあった。それらは私たちにも多かれ少なかれあるけれど。私はいつも通り静かにそばにいて、彼は大きな身体を小さく何十回か前後に揺らしたあと一歩を踏み出し一緒にお散歩に出かけた。音、光、場所、差異に敏感な彼らにとってこの世界はとても住みにくいだろう。元気だろうか。私たちは同年代だったから彼らももうおじさんだ(男性ばかりだった)。ご家族はご健在だろうか。みなさん、元気でいてほしい。

どうしても電車に乗り込むことができない。誰も引き止めてなどいないのに。そこに視線があるだけで。カフカだ、と思った。この戯曲はスイスの劇作家、フリードリッヒ・デュレンマットの『貴婦人の来訪』であってカフカの『掟の門』ではない。これは人間が持つ普遍的な心性なのだろう。苦しい。あなたをそこに押しとどめ、進むこともひくこともできないままそこで死ぬように仕向けているのは一体誰なのだろう。

そういえば、昨年8月、最終回を迎えた吉川浩満さんのscripta (紀伊国屋書店、電子版あり)での連載『哲学の門前』がこの8月、単行本になって登場するそうだ。日常的に「掟の門」性と付き合い続け思索を重ねてきた著者がひとりのモデルとしてその付き合い方の断片を見せてくれたこの連載がさらに多くの読者を得てそれぞれが門前で死ぬことなく生きるすべを見いだせたらいいと思う。どうにかして生き残ろう、みんなで。

デュレンマットの戯曲における主人公は「逃げろ」と言われてもそうすることができなかった。誰も引き止めていないのに、身体的には。私たちを捉えるのは実際の腕だけではない。言葉、過去、思い込み、誰かを思う気持ち、あらゆる出来事から私たちは自由ではない。街の住民の貧困は彼の命と引き換えに救済された。しかしそれは果たして生きている、豊かになったといえるだろうか。

たくさんの人がでてくるこの舞台、どの人物の造形も見事だった。殺人がサイコパスによってではなく葛藤できるはずのひとりひとりの個人の集団心性に基づく狂気によって行われるとき、それは決して他人事ではないという気持ちにさせられる。私は終始、共感ゆえに舞台上の人物たちに嫌悪感を感じていた。愛が裏切られたゆえに苦しみ続け富の力で復讐を実行しようとする今や老齢の女性を演じた秋山菜津子はいつものことだが素晴らしかった。悲しみ、切なさ、かつて愛した男の棺を慈しむように抱く姿には心揺さぶられた。後半は終始涙ぐんでいた。

制作に知り合いがいる、しかもオフィスからお財布ひとつで仕事の合間に行けるという理由でいったので後から知ったのだが『貴婦人の来訪』は「新国立劇場 演劇 2021 / 2022シーズン」のシリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」のひとつとして上演されたものだった。それに関する対談記事も観劇のあとに読んだ。

「正論」、患者からもよく聞く言葉だ。それって何、だから何、「正しさ」って何?私たちがもっとも囚われやすいそれに今日も私自身、惑わされるだろう。私が感じていること、考えていること、伝えたいこと、どれもこれも間違っているのではないだろうか、こんなことを言ったら嫌われてしまうのではないだろうか、たとえそれが「正論」でもそれは防衛であり攻撃である可能性を含むだろう、だから怖い。伝えればまた心閉ざされてしまうかもしれない。触れ得ない関係になるかもしれない。

コーヒーをこぼしてしまった。ほとんど飲み終わっていたが私は数cm分飲み残してしまう癖がある。PCはスタンドに立てていたので濡れたのはテーブルだけで済んだ。よかった。早速心が揺れたのだろう。すぐにこんなになってしまうのだから困ったものだ。少し敏感になっているのかもしれない。不安が強まっているのかもしれない。気をつけて過ごそう。すぐに忘れてしまうだろうけど。これまでもこれでやってきたのだからなんとかなるだろうとも思う。

こぼしたせいかコーヒーのいい香りが再び広がっている。なんだかなぁ・・・。今日からまた新しい一週間だ。週末の様子は月曜日の様子でわかると保育士の先生たちが言っていた。家族と過ごした時間が小さな彼らにとってどんなものだったか思いを馳せながらいつも通りの保育をする先生方を思い浮かべる。私もなんとかいつも通りやれたらいい。みんなもなんとかそれぞれのペースで、あまり掟や決まりにこだわらず縛られず過ごせたら。大きな地震があった地域の方もどうぞお気をつけて。

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精神分析、本

『ピグル』1965年6月16日

1965年6月16日(昭和40年、水曜日)、3歳9ヶ月の女の子が父親と一緒に老齢の精神分析家のところを訪れた。ここにくるのはもう11回目だ。彼女の両親が分析家に手紙を書いたのは1964年1月、彼女は2歳4ヶ月だった。1ヶ月後、両親と彼女、8ヶ月になる妹は4人ではじめてここを訪れた。ロンドンのChester Square87、London Victoria stationが最寄駅だ。2回目からは毎回電車で父親とここへ通った。

“What’s this?” 前回と同じように列車で遊びながら彼女が言った。thisはコバルトブルーのOptrex社の洗眼ボトルのことのようだ。

東京の空が明るくなりはじめた。まだ水色にもなっていないグレーがかった薄い青。2022年6月19日(日)の朝がはじまる。

1965年6月16日(水)、また電車で遊んでいたガブリエルがウィニコットの背中に声をかけた。

“Dr.Winnicott you have got a blue jacket on and blue hair.”

彼女はOptrex社の洗眼カップをメガネにしてウィニコットを見ていた。ほんの数行の記録だが私の大好きな場面だ。乳房(このセッションではおっぱいyamsというべきだった、とウィニコット)という一部分をウィニコットという全体対象に押し広げ分析家と同一化し、以前は悪夢にしかならなかった情緒をたくさんの言葉遊びとともに自由に遊び尽くそうとするガブリエル。ウィニコットが核心的な解釈をするのはこのセッションの最後だ。その解釈を受け入れた彼女はとても幸せそうにそんなにたくさん手をふる必要もなく父親と帰っていった。

今引用しているのはイギリスの小児科医、精神分析家のドナルド・W・ウィニコットの最後の治療記録『ピグル ある少女の精神分析的治療の記録』である。この本については以前も書いた。

ウィニコットとガブリエル(=ピグル)が会っていたChester Square87番地(でいいのかな)もOptrex社の洗眼ボトルも検索すれば画像で見ることができる。しかし、この本を読んで何が起きているのかを知ることは不可能かもしれない。

私はかわいらしい声の女性二人と三人で輪読をしている。彼女たちの声がこの年齢の女の子をリアルに想像させてくれる。私たちはウィニコットとガブリエルが会った日付にできるだけ近い週末に約束をする。昨日2022年6月18日は1965年6月16日のコンサルテーションを読んだ。約3ヶ月ぶりだ。ウィニコットは心臓を患っていてこの時期の体調は思わしくなかったようで、セッションの後の手紙のやりとりには母親とガブリエルの不安が現れているようにもみえた。しかしそれも一時的というか当たり前の反応と思われた。

久しぶりに読んだからというわけではなくこのセッションの記録はウィニコットとガブリエルどちらの言葉なのか不明瞭な部分が多い気がした、というコメントをきっかけに3人で話しあった。

もしかしたらそれは二人の相互交流における浸透性が高まっているからではないか、このセッションでは融合しては境界を取り戻すという自由な遊びがさらに洗練されている、そしてそれは I とYouの境界をはっきりさせるようなジョークとノンセンスの領域での言葉遊びの行き来にも現れているのでは、などなど。ウィニコットがこれまでの記録にも触れてきたように「不明瞭」や「曖昧さ」というのはこの二人の治療の特徴かもしれないが、これは精神分析の特徴でもあるだろう。

いつ死ぬかわからない、というより、もうそんなに長くはないだろう、という予測がウィニコットにははっきりあっただろう。ウィニコットは会いたいというガブリエルにすぐに応じることはできない。それを知らせる手紙の中で彼はいう。「子どもたちは自分の問題に家庭の中で取り組まなければなりませんし、ガブリエルが今の段階を切り抜けることができても驚くことはないでしょう。もちろん、彼女はたくさんの機会にそうやってきたので、私のところにくることを思い浮かべているでしょうし、私もまた必ずガブリエルに会うつもりですが、それは今ではありません。」

とても簡潔で明瞭な手紙だ。ガブリエルの心の中にははっきりとウィニコットが存在する。それはたとえ今彼が死んだとしても保持されるだろう、ウィニコットにはいまやその確信がある。

出会っては別れるを繰り返し、お互いの不在によって確かになる存在をまた確かめ、また離れ、生きていく。子どもの遊びのような、彼らの成長のような、目を見張るような部分を自分自身に見出すことはもうできないが生を限りあるものと認識できるようにはなったと思う。だから何というわけではない。もう60歳くらいになるガブリエルも同じ空の下で残りの時間に思いを馳せたりしているのだろうか。彼女は大人になってからインタビューに応じた。ウィニコットとの治療のことはよく覚えていないそうだ。ただ、この治療がホロコーストを身近に体験した母親に向けてもなされていた可能性を示唆している。

子どもがそれが何かはわからないまま晒される続ける不安、それは大人がかつて子どもだった頃に体験した不安でもある。思いを馳せる、大切な人に。何かができる距離にいなくてもせめて不安をともにすることができるように。そんな関係を築くことができるように。「ひとりの赤ん坊などというものはいない」「全体がひとつのユニットを形作っている」というウィニコットの言葉を思い出しながら。

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精神分析

無関心

まただ、と思う。こころを閉ざしていると言葉は届きにくくなる。興味深い内容を普通の声でたくさん話しているように思えても受け手を長い期間やってきたせいかそれは明らかに感じるようになった。

話している本人は私を特定の相手としてみていないこと、少なくとも私がそう感じていることに気づいていない。そんなとき、私はとても寂しくていろんなことを言いたくなるけどその状況でそれをいうことができない。閉ざしている相手に、私の気持ちより自分のことに気を取られている相手に何かいったところで被害的に受け取られるだけだろう。たくさん我慢してきたのに、と思うがそれも私が勝手にしている我慢だ、と片付けたくなる。私のことを考えてくれればすぐにわかるような我慢しかしていないつもりだけど、と恨めしく思っても、時折ため息をつきながら心閉ざしている様子は観察していると心配だし疲れさせたくもない。向こうだってそんなつもりはないのだ、多分。

一緒にいるのにもう離れているような、すでに忘れられているような、適当な社交辞令のような挨拶に何かをいうことも拒否されたような感触を持ち顔も見られぬまま別れ電車で涙ぐむ。でももう泣きはしない。繰り返されてきたことだから。関心を向けられないことの寂しさを相手に仕事を続けてきたのだから自分に対しても役割で対処できる。疲れたな、と思考停止しそうな自分を感じながらせめて眠れたらいいのに、と思う。なんでも夢まかせだけどこんな日は夢なんてみられない。瀕死だな、自分を笑う。気持ちも思考も動かない。こう書いていれば動き出し襲ってくる痛みには意識的にブレーキをかける。かかるはずもないけれど。訓練の成果はそこではない。むしろどんな痛みも感じない限り停滞だ。

しかたない、が口癖になってしまった。治療関係ではない間柄で親密な関係を築く。それはいつの間にかそうなっていく。自然に相手を思い、実際の関係を重ねながら自分を内省し、相手とコミュニケーションをとる積み重ね。自分を相手に委ねることで相手に対する関心が配慮の壁を突き破ってしまい喧嘩になることはあってもお互いに心揺さぶられながら相手を思いつつ自分を取り戻すことができればなんとかなる。でも無関心にはなすすべなしだ。しかたない、が口をつく。言わないけど自分の中で何度も繰り返す。

受け手を失い生きる気力を失った人たちの声を聞く仕事を続けている。彼らが受けてきた的外れな関心も無関心も同じものだと思う。どちらにしてもその関心はその人の個別性に向けられたものではなかった。寂しくて悲しくて腹立たしくて頭がおかしくなりそうなときも「大人の」言葉でなだめられそれと向き合ってもらえたことはなかった。理不尽はそのうち当たり前になって、無関心によって生じた絶望をナルシシズムによってどうにか持ち堪え生き延びてきた。ナルシシズムは自分にしか通じない言葉を話している自分に気づくことをさせてくれなかった。いつのまにか自然にコミュニケーションがとれなくなっていたことにも気づいていなかった。当然、治療は難航する。まず言葉を共有できるようになるまでにものすごく時間がかかる。共有したところでナルシシズムの傷つきと激しい怒りを体験することは避けられない。ここで治療者がもううんざりだと無関心に陥ればそれが反復になる。だから自分が無関心になりつつあることにも気づけるこころを育てていくことが必要だ。仕方ない、と頭痛を感じながら沈み続ける自分を投げ出さなければどんなに最悪の状態でも仕事では機能する。反対に、耐えがたい痛みを自分に対する無関心で乗り切ろうとすれば仕事に影響する。そういう仕事だ。辛いけど仕方ない。生きていくって大変だ。これは多分一番共有しやすい。生きていくって大変。ほんとだね。動けるだろうか。動けそうだ。今日が終わることには少しは楽になってればいいけど先のことはわからない。ほんとだね。これも共有できる。少しずつ回復しよう。自分にも相手にも関心を失うことのないように。絶え間なく流れる情報で自分の狭い興味関心に閉じこもることのないように。目の前の相手を見失うことのないように。

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精神分析、本

詩の朗読

平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の著者、宮崎智之さんが詩の朗読(暗誦!)を始めたと知った。聞いてみた。詩はパーソナルなものだ、と改めて感じた。

精神分析家のトーマス・オグデンの近著”Coming to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility”に彼がこれまでもずっと取り上げてきたロバート・フロストが登場していたので読んでみた。

8:Experiencing the Poetry of Robert Frost and Emily Dickinsonという小論がそれだ。オグデンは初期の著作から”creative readings”の試みを続けている。これは以前のブログでも触れた。最新刊である本書のオグデンはもうその極に達する、というとon goingだと言われそうだけどさっぱりしていてもう十分に死を意識しながら生きているのだろうなと感じた。この世には自分だけは死なないと思っているのではなかろうかと疑いたくなるような人も少なからずいると思う。私は虚しさや儚さと触れ得ないこころを感じとるときにそう疑ってしまう。オグデンはそれを否認しない。

オグデンはこれまでもボルヘス、ロバート・フロストを頻繁に引用しcreative readingを続けてきた。ここではエミリー・ディキンソンの詩を引用している。多分はじめての引用。

ちなみにこの小論の初出は2020. Experiencing the Poetry of Robert Frost and Emily Dickinson. Psychoanalytic Perspectives 17:183-188である。

私は彼らの詩自体にもようやく興味が沸いたので調べてみた。岩波文庫『アメリカ名詩選』『対訳 フロスト詩集』『対訳 ディキンソン詩集』の3冊がとても役に立った 。詩は面白い。

そうだ、宮崎さんの朗読に触発されたという話。細々とフロストやディキンソンを読み、ネット上でそれらの朗読を聞き詩を読むのはとても難しいと改めて感じていたところに宮崎さんの試みとも出会った。私も試してみた。読んだのは先日ここでも取り上げたさわださちこ『ひのひかりがあるだけで』。やっぱりとてもとてもいい。恐々自分の朗読を録音してみた。なんか変だ、やっぱり。私が詩から受け取ったものが私の声では表現できない。難しい。

夜になり「文章ならどうだろう」と思い立ちこれまた大好きな作家、小津夜景の『フラワーズ・カンフー』の短い散文を読んで録音してみた。こっちの方がまだマシかもしれない。が、なんと、とっても短い文章なのに自分の声を聞いてる間に眠ってしまった。私は私に読み聞かせをする意図などなかったのに。「あみさんの声は眠くなる」と言われてはきたがまさか自分が寝るとは。びっくりした。

これまでたくさんの子供たちに読み聞かせをしてきた。療育のグループで紙芝居を、お膝で赤ずきんを、抱っこしたままあやふやな記憶の断片を。これからもしていくだろう。精神分析の仕事も詩を読む体験ととても似ている。だからオグデンもそれを続けてきたのだ。私ももう少し体験を増やしてみよう。

朝はとてもそんな時間がないが(こういう文章をばーっと書くのとは訳が違うから)また夜かな。今夜かな。今日を過ごしてみて手に取りたくなった本から何か読もうかな。そう考えてみると今日を過ごすのが少しだけ楽しみになる。なりませんか。なにはともあれもうだいぶ朝も深まってきました(とは言わないけど)。よい1日になりますように。

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精神分析

カーテンを開く音が聞こえる。一瞬の勢いある音は遠くまで届く。今朝はまだ曇。部屋は確かに明るくなったけど曇り空がはいりこんで空と部屋の境界をなくしただけみたいに思えた。電気をつけようか、何をするわけでもないからいらないか。ここが空だったらそれはそれで素敵だ。

冷蔵庫が閉まる音に赤ちゃんが小さな全身をビクンと震わせた。「どうして今開けちゃったの」と恨めしく思いつつ起きてしまわないか注意をはらう。大丈夫そう。「大丈夫よ」と少し歌うように小さく呟きながら抱える腕を注意深く調整する。再び深い眠りに落ちた我が子に愛おしさが増す時間。音にまみれている日中にはそんな余裕はなかった。緊張が緩み口元が微笑みの形になる。

鳥はいつも通り、と思ったけどいつもと違う声の持ち主がいるみたい。季節が過ぎて鳴き方を覚えたのかもしれない。春はまだ鳴き方が下手な鳥が多くて微笑ましかった。山に出かけるとその違いは顕著で「うわ、下手だなあ」と笑うこともある。これから少しずつ上手になってすぐに私には真似できないきれいな声を出し始めると知っている。また小川洋子『ことり』(朝日文庫)を思い出す。小父さんが一番好きなポーポー語は「おやすみ」だった。

他の本を数冊どければ取り出せる場所にまだあったその文庫をまた少し読んでしまった。仕事に行かねば。

この時期は鳥も親元を離れ自分から世界と関わっていかなければならない。それぞれの声を持つ時期なのかもしれない。とても素敵な声をもっているのにとても受身な鳥もいるだろう、身近で何人かそんな人を思い出して少しおかしかった。愛しさに頬が緩んだのがわかった。

「あの頃はいつでも小鳥の声を待ち望んでいたのに、その時小父さんはいつまでもメジロが歌わないでいてくれることを願っていた。その方がより長く彼女と二人でいられると思ったからだった。小鳥ではなく彼女に向って、小父さんは耳を済ませていた。」ー168頁、小川洋子『ことり』(朝日文庫)

音、声、二人を繋いだり離したりするそれに私は今日も耳を澄ます。なぜかそういう仕事についた。同じ母国語をもち同じことについて話しているはずなのにまるで鳥の声のように、外国語のようにわからなくなり通じなくなるそれに時折苛立ち不安になる。でもそれが元々なのかもしれない。言葉は少しずつ二人の間で意味を持ち共有できる記号へ変わっていく。「おやすみ」のことは数日前に書いた。私も好きな言葉だ。

でも今はおはよう。朝だよ、そろそろ動き始めようか。鳥たちはもう遠くの方で鳴いている。

「私のためになど、歌わなくていいんだよ」鳥籠に顔を寄せ、小父さんはささやいた。「明日の朝、籠を出よう。空へ戻るんだ」ー303頁、小川洋子『ことり』(朝日文庫)

私たちはどこへ戻るのだろう、生きている間。どんなに受身でもこの世界に居場所を見つけ、日々戻る場所を得る必要があるらしい、人間は。そこは日々変わるかもしれない。一つに定めることが難しいかもしれない。どこにいてもそこを居場所だと感じることはできないかもしれない。それでも今ここにいる自分の身体を、声を、言葉を、自分自身を宿らせる場所として一日をはじめられたらと願う。大丈夫。時々そう呟きながら。

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精神分析

見えないもの

わかってて言わないことなんてたくさんある。そんなの当たり前じゃないかと思うが、相手が言わないことに対して想像力を働かせることができない、あるいはしたくない人もいるのだ。相手が言ったことに対してさえそういう人もいるのだからそりゃそうだろう。

見えないものを見る見ない見ようとするしない問題はその人のこころがどれだけのキャパをもっているか、どれだけ揺れに耐えられるかと関係しているだろう。何かを見ることはとてもモヤモヤしたり不安になったりするものだから。

今日は楽しかった。久しぶりに好きな人と会えた。パートナーに「今から帰る」とメッセージを送りながら「今日はありがとう」とその人にもメッセージを送る。

多分気づかれていない、誰も見ていない、と周りをもう一度確認する。最初からここにあったといえばいいんだ。間違えてもってきてしまった他人のものをそこに置く。

よくある例だ。こころの揺れは行動に分裂をもたらす。それに葛藤を覚え誰かの傷つきを想い苦しみながら行動する人もいれば自分の行為の外側で誰かが自分のことを想っていることを忘れ、さらには一瞬訪れた「まずい」という感覚もSNSを開いた途端忘れいつも「いいね」をくれる人のTLを眺めては自動的に指を動かしはじめる人もいる。誰かを忘れても自分を忘れてほしくはない。後ろめたさに時間差で襲われることもある。

表面が全体を表すとしたら他者との間でこころの動きを使って変容に身を委ねる精神分析が向いているのは前者だろうし、精神分析を求めるのも前者だろう。どちらにしてもパターンだが「そういう風に悩む」ことができることは精神分析には必要だ。

相手の気持ちといった見えないものにあまり重きを置かない人は期限も「解決」もない精神分析には魅力も感じないというかむしろネガティブな気持ちさえ持つかもしれない。外側の他者と繋がりそこから得られるライフハックで自分の生活を豊かにしていくことと相手に対して想像力を働かせることは当然両立するが、自分が他者や異質なものをどのように感じるかに細やかに注意を払い続けるためには外との交流に閉ざされた孤立した部分を持つことが必要だ。精神分析は頻回(週4日以上)に定期的な時間と空間を提供することで誰とも関わらないでいるこころ、関わろうとしないこころの体験の場を共にする。

私にとってそのような場が必要だったのは分断や対立にうんざりしていたからだと思う。どうして好きな人を好きでいられないのだろうと思ったからだと思う。たとえ国籍が異なったとしても同じ国で同じ時代に生まれ大きな環境を共有しているのに少しの違いを大きな違いにすり替えていくものはなんなんだろう。いじめや差別、虐待、育児放棄、パワハラ、セクハラ、呼び方は色々だが人を排除するこころが小さな個人のこころを壊し、命さえ奪うことがある。そして排除するこころ、分断を持ち込むこころは自分の中にも蠢いているわけで、それとどうやって私は生きていくのだろう。人は人をコントロールできない、と私はこの仕事を通じて実感している。それでもそれが可能に見えるのはどうしてだろう。

さまざまなことを考える。毎日の寝不足を引き起こす小さな傷つきと心の揺れを通じて。いい悪いの話とは別のところで。なにかを裁く態度からはできるだけ離れたところで。

私は見えないものを見ることができない。見えているものの僅かさとそれ以外の広大さもすぐ忘れてしまう。でもせめて大切な人のこころから締め出されたと感じてもそう感じることを否認したくない。誰かと比べることはしないが世界はこんなもんじゃない、人のこころの世界も今誰かが生まれたり死んだりしている世界もこんなもんじゃないのだろう。自分の愚かさをすぐに忘れすぐに苛立ち寂しさに発狂しそうになり泣いては眠れない日々を繰り返したとしてもこうして回復したい。いくら取り乱しても少しは取り戻す、たとえ独りよがりでも壊れたり壊したりする方向へ向かわない自分でいられますように。毎日、小さいんだか大きいんだかわからない願い事で始める朝だ。

東京は雨らしい。雨の音がする。気温も上がらないみたい。暖かくして出かけよう。電車に傘を忘れないようにしよう。まずはそこから。

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精神分析

おやすみ

前に誰かがSNSで「寝る」だか「おやすみ」だかいってからしばらく起きている人のことをSNSあるあるとして書いていた。

「おやすみ」背後から声をかけられた。PCに向かったまま中途半端に首を回して「おやすみー」と応える。きちんと振り向いたときにはもう気配だけ。寝室のドアが閉まるのが聞こえた。

いつもの分かれ道にきた。「おやすみなさい、また明日ね」手を振ってわかれる。お互い振り返りはしないが(多分向こうも振り返っていないが)反対方向へ薄くなっていく気配を感じながら歩く。「ただいま」一人暮らしでも小さな声で。

オンラインでの「おやすみ」は「あなたとは今日はこの辺で」という区切りだと思うので一緒に住んでいない人と夜に別れるときに直接いう「おやすみ」とあまり変わらないはず。なのでその人がそのあと起きていようと何をしていようと構わないわけだけだが、SNSではそれがさっきまでと同じ画面で見えているからなんとなく違和感があるのかもしれない。この見えているけど切断されている時間というのを私は以前より余韻として感じる。共にいる三次元空間で相手の存在が遠のいていく感じは背後を感じさせ身体性を伴うが、二次元だと、どうなんだろう。そのうち考えてまた書くかもしれないけどマッチ売りの少女感覚かな、声は聞こえない、姿も見えないけどあちら側で生きている人を遠くから眺めるように視覚から描き出すイメージ。自分が手元を照らしている間は。マッチ売りの少女だと少し寂しすぎるかもしれないがそんな気持ちの人もいるかもしれない。

「おやすみ」を交わし、お互いを背後に感じながら離れていく二人。「おやすみ」のあとも画面を見たままもう今日は交流をしない相手が別の誰かと小さな交流をしたりしているのを眺めている一人。それもどちらかのさらなる切断によって見えなくなったり一瞬で消える。なんにしてもそれ自体が二人の関係をすぐに変えるわけではない。どんな二人であってもずっとそばにずっと一緒にいることはできない。誰もが体験する離れていく(離れている)時間は、それまでの生活で誰かと空間を共にするという体験をどのくらいどのようにしてきたかによって異なるだろう。

私は安心したい。せめて眠る前くらい。眠れない夜を過ごすのは嫌だ。悪夢を見たとしてもそれはそんな直前の出来事のせいとは思わないけど一つ一つの行為はそれまでと連続性がある以上不安は夢に侵入してくるだろう。

何時間経っても「ママ、ママ」と泣き続ける子ども、親が拍子抜けするくらいあっさり手を振って部屋の奥へ駆けていく子ども、保育園の仕事ではさまざまな分離を目にする。私はどんな体験をしてきたのだろう。そしてそれは今どのように反復されているのだろう(ある程度わかってきたように思うが)。できるだけこころの空間を広げていきたい。どんな情緒にも反射的に動かされるのではなくできるだけ時間をかければ回復できる程度に抱え、丁寧に言葉にしていきたい。相手を想う気持ちを形にしていきたい。そこが二次元であっても三次元であっても余韻をうむのはそんな想いなのだろう。

外をけたたましくサイレンを鳴らしながら消防車が通り過ぎた。こんな朝早くに。何もありませんように。無事に「おはよう」を交わせますように。また今夜「おやすみ」といえますように。

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読書

はじめまして

今日はなにやら楽しそうな名前の保育園に行く。これまで担当していた人が遠くのご実家にお帰りになるので私が引き継ぐことになった。はじめまして。

先週の「はじめまして」もとてもスムーズだった。この仕事ももう長いのでどこへいくのもわりと気楽でどんな対応であったとしてもそうそう驚かない。いや、驚くけど「ほー、こういうこともあるのか!」と自分の知らない世界に自分のやり方で適応しようとがんばることをしない。馴染みはあるが知らない街を散策する。実際そうだし、気持ち的にもそんな感じではじめましての場へ向かう。こんなところにこんな建物が、全然知らなかった、ということばかりだ、日常は。

その園はとてもウェルカムな雰囲気で迎えてくれた。商店街のはずれ、ちょうど傘を閉じられるアーケードの端っこの方にある小さな保育園で何度か通り過ぎたけど時間ちょうどにたどりついた。その日は雨で少し寒かった。

私が担当する園は注意をしていても見過ごしてしまうような小さな園が多く、よくこの間取りで工夫して保育してるな(基準って・・・と思わざるをえない)と感心する。もちろん感心されている場合ではなくて自治体は乳幼児が育つ環境について真剣に対策を練るべきであろう。保育というのは大変だ。大変なのは保育士だけではない。月齢によって離乳食の内容も変わる0歳児の食事と他の年齢の子供たちの食事をひとりで作る栄養士の仕事ぶりにも頭が下がる。特に用事はないが「○○さん」と言っては振り向かせ何かを言ってもらいニコニコと帰っていく子供たちに対応しながらプラスチックのお皿を少量かつ多彩なおかずで着々と埋め、サランラップをかける。アレルギーを持つ子供たちの食事も特別な注意を必要とする。小さな園はひとりで全てをやっているので保育士との連携や園長の援助も絶対必要。誰かが孤立したら保育の流れが滞る。ただでさえ子供の動きは統制不可能だ。思った通りに動いてなんかくれない。言葉はそんなにたよりにならない。物理的にも仕事の内容的にもこれだけ近い関係だったら保育士の間にも色々あるだろう。それでもそれは二の次だ。やるべきことをやるためには協力せざるをえない。本来家庭だってそのはずだ。

「こんにちは」と何度もやってきては逃げるように去っていく。だいぶおしゃべりが達者になってきた2歳児だ。全身ではにかむような姿がとてもかわいい。私も同じようなトーンで「こんにちは」と返し続ける。私は観察をして助言をする立場なので能動的に関わることはほとんどしない。だから距離や時間の変化を肌で感じられる。たまには定点でじっとしている大人に近寄っては離れ離れては近寄りを繰り返しながら自分のペースで距離を調整していくことも悪くないだろう。大人も子供も忙しすぎる。

村田沙耶香『信仰』(文藝春秋)を読んだ。主に海外からの依頼で書かれたいくつかの短編とエッセイが収録されている。相変わらずなのに凄まじかった。「現実」と「信仰」。言葉が作る境界など曖昧なものだ。読めば「正しさ」がぐらつく。私はどこか気持ち良くなっていて実は誰かをひどく傷つけていることに気づいてもいないのではないか。自分に対する疑わしさはかつて大人に対して持った疑わしさかもしれない。

「何度も嘔吐を繰り返し、考え続け、自分を裁き続けることができますように。」p117

村田沙耶香は子供の頃、「個性」という言葉に感じた薄気味悪さとそれに傷ついた体験を忘れない。なのに繰り返す何かを彼女は罪として裁き続けながらこういう文章を送り出し続けている。凄まじいことではないだろうか。私はこれを愛情と感じるし、子育てにおける激情と近いように感じる。私は彼女の文章を読むと救われる。そこがどんなに血の流れる場所であっても、私たちがいかに愚かでも、私は動物的な部分をケアされたように感じる。世界を肯定するように、という言葉も浮かんだが肯定という言葉が何かとても上から目線のような気がした。私は私の好きなようにしたい。だから好きな人にもそうしてほしい。でもそれは噛み合わない。私のしてほしくないことがその人のしたいことだったりすることがほとんどなのだ。私たちはあまりに違う。こんな小さな、時折小動物のようにもみえる子どもたちが世界と出会う仕方も様々だろう。見るものが違う。感じることが違う。食べるものは同じでも消化の仕方が違う。お昼寝だって暗くするほど興奮する子もいる。ほしいものは大抵手に入らないかもしれないし、手に入れたものはほしかったものではないかもしれない。

私はすでに大人になってしまった。相変わらず自分の気持ちよさにかまけては苦しむ大人に。人なんて変わらない。毎日思う。それでも動きをとめない。感じること、考えることをやめない。罪と知って選択したものだってある。それでも。

いまだに「はじめまして」があるのは幸運かもしれない。「滅びるまで続ける」というセリフがこの本にあった気がする。はじまりに遡ることは難しくとも滅びるまでの距離と時間を子供の頃よりは定点観測できるようになったと思いたい。今日も今日を続けながら。小さな罪深き存在として。

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精神分析

非対称の関係

マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か。#Me tooに加われない男たち』(集英社新書)で著者の杉田俊介は以下のようなことを書いている。

男性がquestioningな男性として自分を「反省する意識としての自分」と「反省される対象としての自分」に分裂させ、二重化するだけでは普遍的な「人間」にはなれない。なぜならその一つ高次化した視点もやはり何らかの男性性に汚染=侵食されているからだ。そこには「観察の観察」「観察者の観測」のジレンマ(無限のメタ化/無限後退のジレンマ)がつきまとう。そこでそうではなく、男性と女性の間の非対称性と敵対性からはじめること、それを思考や行為が立ち還るべき根源とすること、つまり異なる他者の眼差しに貫かれながら、男性が男性問題を問い直していくことが必要なのではないか、と。

「男らしさ」「本物の男になる」みたいな発想ではなく、ということだろう。そうだそうだ、と私は思う。「らしさ」とか「本物の」という言葉ほど疑うべきものはない。

この本は男性にとってのまっとうさについて考えるための本なので非対称性は女性との間にあるが、精神分析では分析家と被分析者の非対称性がまさにこれである。精神分析の場合、それは親と乳児の非対称性としても語られる。この本でいう「男性」=分析家、親として考えてみる。分析家になるには訓練分析を受ける必要がある。その目的を簡単にいうとしたら、訓練によって、他者(内なる自己とも重なる)とその歴史のいいところ悪いところの全てをこころの内外に住まわせながらもそれにのみこまれることなくともに生き、自分としても他人としても自分のことを考え、他人のことは他人のこととして考えられるようになるためだろう。それは常にbeではなくbecomeの問題である以上「らしさ」や「本物の」という言葉はここでも適用しにくい。

治療者が正解を持っているわけではない、大体正解なんてあるのかしら、いい悪いの問題ではない、それって誰が決めるのかな、「みんな」がそうなのはわかった、だからなに?あなたは?というのは私の口癖だが精神分析の口真似でもあるかもしれない。

他者の眼差しに貫かれ続け、問われ続ける関係の中にいつづけること、被害的になり攻撃的になり敵対しながら、逃げない手応えのある相手として約束通りの時間にいつもそこにいつづける分析家を十分に使いながら自分を問い直し、その欲望に複数の形で開かれていくこと。複数のというのは、正解や本物のない世界において常に揺らぎながらということ。苦しくて辛くて耐え難いこともたくさんある。むしろそんなことばかりだ。精神分析は「幸福」も想定していない。結果として想定するとしたら「今よりましな苦しみや不幸」だろう。自分をたやすく外に開かず、目の前の相手とともに考え続け言葉にしていくことは自分に対する配慮でもあり誰かを愛するための準備でもある、と私は思う。ダメさも愚かさもひっくるめて愛していくとはどういうことか、なかなかの苦闘だけれどともにいるってそういうことではないか、と私は思う。

杉田俊介はいう。

「かつてリブの田中美津は「わかってもらおうと思うは乞食の心」と言いました(もちろんこの言葉がはらむ「乞食」に対する歴史拘束的な差別性も書き換えられるべきでしょう)。ボクたちのつらさを女性たちにも理解してほしい、男だってつらいんだ、という期待は捨て去りましょう。それは「女性からの承認待ち」であり、卑しく惨めな心です。「強く」「男らしく」ある必要はありません。ただ、まっとうな人間であろう。被害者意識の泥沼に落ちることなく、加害や暴力に居直ることもなく、自分(たち)の自由を公的な言葉にしていこう。その限りで、女性の同意ではなくむしろ異論を。対話ではなく論争を。友愛ではなく敵対を待ち望みましょう。それらを待ち望みながら、当面は、男たちのことは男たちが考えていくしかないのです――いつの日か、対等な「人間」同士でさわやかに語り合い、愛し合える日が来るまでは。」

そうだそうだ、と私は思う。男女というより非対称の関係において。「いつの日か」がいつになるかわからないけど瞬間としてならそのプロセスで何度も訪れているであろう愛し合えている瞬間を信頼して考え続け、問われ続け、いつの日かを待ち続ける、今日も。

今日は日曜日。東京は曇のち晴れ(雨も?)の予報。小さな願いが叶わなくても寂しさに心押しつぶされそうでもそれだけで今日が終わってしまうことはないだろう。それぞれの1日をせめて無事に。

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精神分析

短い・長い

コーヒー。頭痛が少しはまし。身体が温まった。ストールをグルグル反対側に回してはずした。週末か。週末って金曜日からのことをいうの?土日は週末でしょ?一週間は7日しかないのによくわからないとは何事。というかわからなくても不便がないからこんな歳になっても曖昧なのです。曖昧でいいことっていっぱいある。正解なんてないことだらけだ。

とはいえ、と「私はあなたにとって都合のいいものとして扱われたくない、私にもこころがある。」ということを書きはじめたが「とはいえ」というのは違うか、と消した(が、結局残っている)。意識はしていないが好きな接続詞(あるいはそれ的なもの)というのがある。自分にとって使い勝手がいいとすぐ使ってしまう、と思ったが使い方を間違っていたら使い勝手もなにも、である。まぁ、こうやって毎朝家事やらなにやらの合間にダラダラとだが一気に書かれるこんな短文においては曖昧でも問題なし。

短文ってどのくらいのことをいうのだろう、と思って以前調べたような気がするがもう覚えていない。調べてさえいないかもしれない。私が毎朝書いているこの文章は短文だと思う。少なくとも長文ではない。短いと長いの間は?中短文、中長文、中間文とは言わないからスペクトラムか。スペクトラムなものは曖昧さによっていつの間にかそのどちらかになるのだろう。『へんしんトンネル』(あきやまただし作・絵)を思い浮かべた。この前保育園で子どもが「よんでー」という意味のなにかを言いながら持ってきて膝に座ったので読んであげたばかりだ。要求の言葉はまだでも絵本を十分に楽しめていた。そうだ、短文って?このブログの編集画面には文字数が出ないので他にコピペして調べてみた。いくつかの記事で見る限り大体1200字平均か。そうか、1200字程度の体感がこれか。無理なくなんとなく独りよがりに曖昧を許容しながら思いを巡らせるウォーミングアップ的文章量。

「私はあなたにとって都合のいいものとして扱われたくない、私にもこころがある。」

当たり前だな。書くまでもない。非対称の関係であっても、というより非対称の関係であればあるほど前提が異なるのだから相手を尊重し、私はこんな感じなんだけどあなたはどんな感じか教えてもらえるかしらという態度が必要だと思う。

昨年からTL上で話題になっていた男性性に関する本を読むようになった。男性が著者のそれらは私が男女という非対称な関係をどう感じているかを意識させてくれた。著者たちだってそれをずっと意識して生きてきたわけではないだろう。むしろ意識してこなかったからこそ逡巡の末に書きはじめたのだろう。どこか後ろめたさを残しつつ、自分の生きてきた歴史のみならず自分が生まれる前から組み込まれている歴史に対する態度を模索するようにさらなる「誤解」が生じることを警戒しながら異質なものと共にあることをあらかさまな目的とはしないような書き方が印象的だった。当たり前と感じるか配慮と感じるか当たり前の配慮と感じるかなど色々受け取り方はあると思う。私は個人的には多くの男性は自分が持つ力にあまりにも無自覚だと思うことが多いが、無自覚であることに対して女性である私も自分が組み込まれてきた短くも(個人史)長い(人類史)歴史のなかでどういう態度をとってきたか内省する必要があると感じている。

共にあること、それが自然になされているのは胎児のときだけかもしれない。そのときですら「そうせざるを得ない」という感覚は生じているかもしれない。誰かと一緒にいる以上、避けられない傷つきと痛みに対してどのような態度をとっていくか。時代と歴史という観点をどのくらい自分の中に維持することができるか。書いているうちにそんなことを考えた。

短い。長い。文章は歴史と違ってそこに区切りを入れることができる。こんなダラダラな文章も手を止めればあっさり終わる。私は「〜しつづける」ことにそんなに価値も置いていない。それはそうせざるを得ないものとして無意識には常にあると考えるから。

今日もふつうに心揺さぶられたりふと冷静になったり色々あるだろう。行きつ戻りつの毎日を。

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精神分析

これまでもこれからも

これまでもずっとそうだったじゃん、とふと思う。

変な時間に起きて変な格好でうとうとしていら左腕が圧迫されて手が動くなった。数年前に橈骨神経麻痺になった時みたいに。今回はしばらくしたらバキバキながら動くようになった。

以前から身体がこわばりやすく、こんなときにこうしてタイプするのはほとんどリハビリだ。

今日は曇りときどき晴れらしい、東京。少しずつ梅雨に向かっているのだろうか。

人なんて変わらない。これまで何度呟いてきたことか。精神分析を何年受けても誰かが思うようにはその人は変わらない。その人自身は確かに変わるけれどそれが誰かにとっても変化とは限らない。

どうして変わる、いや、変わってくれると思ったのだろう。「きちんとする」って言われたから?「きちんとって何を?」って聞いたらまるで想像したのと違う言葉が返ってきただろう。だって、これまでもそうだったじゃん。自分のしたいようにしたいんだよ。全然変わりたいなんて思ってないんだよ。隠したいとすら思っていないと思うよ。したいようにしたいっていうのはそれをみてて、認めてってことなんだから。わかってたはずじゃん。

本当にそうだ。私はよくわかっていたはずだ。

痛みをそのまま伝えられる距離にいられるのは特別な立場の人だけだ、とひたすら痛みに耐えているとまるで人体実験だなとちょっと可笑しくなる。自分の情緒に振り回されながら強い衝動に突然涙をこぼしたりしながらそれを観察している。体験は共有されず適当な言葉でつなぎとめられていることを知っているけどそれでいいんだ、仕方ないんだ、と思いこむ。すごく悲しくて辛いけどもはや怒りも出てこない。相手との関係を諦めているというより自分の愚かさに諦めている。交流していないのだから一人相撲だけど。強い気持ちに打ちのめされながらもそこに入りきれていない自分に可笑しくなる。私がこんな気持ちになる権利なんてないんだ、と自分を責めるような言葉が出てくる。すると、いや、権利はある、と戒める私が出てくる。言葉を正確に使え、と。大きなお世話だ、と思うがそうだなとも思う。いろんな現実をききすぎたせいかドラマ的に感情を展開することさえツッコミが入る。権利はあるが人を傷つけるリスクが高いということだよね、と私は応える。一人相撲だけど。もう冷静になっている。さっきのドラマチックな感情は一体どこへ、と思うがまたすぐに出会うだろう。現実は変わっていないのだから。何も交流していないのだから。

交流しないのは怖いからだ、と知っている。その結果を考えれば怖い。でも少し先のことを考えればトライする価値も必要もあるのかもしれない。

悶々とした朝だ。なのにコーヒーも入れてチョコも食べた。いつもの朝だ。過剰になるな、ぞんざいになるなとこれまでの自分に戒められる。

これまでもそうだったんだ。これからもそうかはわからない。全ては暫定的で流動的だ。

遅くまで週末の仕事のやりとりをしていた仲間たちも寝不足だろう。毎日いろんなことが起こる。これまでの積み重ねでもうどうにもならなそうなことでも誰かが声をあげている以上無視もできない。自分の声より他人の声に対しての方が遥かに真摯になれてしまっている気がするがごまかしだなと思う。人体実験のようにではなく、衝動のまま、自分に対する観察やツッコミなど入れないまま突っ走れたらその瞬間は生きている実感を持てそうだ。でももう子供ではない。さっきまでの痛みはもうない。過剰にならない。ぞんざいにもならない。大丈夫。いつも言い聞かせるように。

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精神分析、本

男性性研究の本を買いに行ったら忍者のことも学べた。

NHK WORLD-JAPAN On DemandでNINJA TRUTH Episode

を見ていた、というか流していた。早朝からKUSARIGAMAとか聞いて何をしているのだ、私は。

昨日本屋へ寄ったときに東大出版会のPR誌『UP20226月号があったのでいただいてきた。表紙に「忍者」という文字を見つけた。金沢に忍者寺(妙立寺)というのがあって私はその仕掛けだらけのお寺が大好き。忍者大好き。それにしても忍者学というものがあるのか。と「忍者学への招待」という連載を読んでみた。今回は3回目「忍者の火器・火術」について。ふーん。忍者学というのは学際領域なんだな。これを書いた荒木利芳さんは三重大学の水圏生物利用学というのがご専門らしい。??…なんだそれは。三重大学のHPによると「水圏に棲息する魚介類を対象とし,それらの生産する有用物質の抽出解析並びに未利用資源の開発を行うとともに,遺伝子操作を用いた魚類の品種改良や微生物による生合成のための原理と技術を研究する。また,化学物質と生体の相互作用を分子レベルで解明し,その作用機序を細胞から生体レベルで明らかにするための技術やシステム生物学に関する教育研究を行う。」という学問領域らしい。世の中にはいろんな研究があるのだなぁ。それにしても「水圏に棲息しない魚介類」というのもいるのかな。「すいけん」とうつとやっぱり「酔拳」と出てきた。あまりテレビをみる子供ではなかったがたまにみる「酔拳」はべらぼうに面白かった。

忍者といえば伊賀、伊賀といえば?そう、三重。三重大学はすごい。三重大学国際忍者研究センターというのを持っている。本も出している。その出版記念シンポジウムの内容も多岐に渡りなんだか面白かった。もう素早く動けないのでそういう人にも使える忍術を教えてほしいしアナログ忍者ゲームもやってみたい。にしてもこういうのみると勉強って大事。物理学も生物学もわかってないと忍術なんて編み出せないじゃん、ということも楽しく学んだ。しかも冒頭に載せたのは英語なので忍者を通じて世界と繋がることができますね。

昨日、本屋へ寄ったのはレイウィン・コンネルの『マスキュリニティーズ 男性性の社会科学』(伊藤公雄訳、新曜社)を買うため。高い本だが男性性研究は今の時代追っておくべきだろう、私の仕事では特に。この本も「第一章 男性性の科学」の冒頭はフロイトの引用だ。著者は「ジェンダーに関する私たちの日常的な知は、理解し、説明し、判断すべき相反する主張にさらされているのである。」という。それはそこに複数の実践があることを暗示しており、その実践を支えている理論的根拠は何か、ということに目を向ける必要があろう、ということで著者は広がりを見せる男性性研究における知を紹介していく。まだ途中だがとても丁寧な本だと思う。

そういえば忍者学の皆さん、男性ばかりではなかったかな。忍者にはくのいちがいるけど。「万川集海」にも登場しているって書いてあったよ。精神分析の世界も男性社会ですね。IPAの会長は二代続けて女性なので少しずつ変わってきていると思うけど。私は男女の違いをとても感じながら生きているけれど精神分析における両性性に関する議論は転移状況において私たちが性別を超えて被分析者にとっての重要人物になっていくことを考えればもっと臨床と理論を掛け合わせたところで深めていけるもののように思う。そのためにもこの本は活躍してくれそうだ。

あーあ。このドアをひっくり返したらあの人がいる場所に行けたらいいのに。忍術が戦いのためじゃなく使われるような世の中にいつかなるかしら。願いましょうか、今日も。

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精神分析

夢現

目覚ましをかけなくても起きられるようになってからもう何年も経つ。老化だと笑われてからももうだいぶ経つ。最近は考えごとの中身が具体的なので眠れない夜は振り回されている自分がちょっと可笑しい。

やたら具体的な夢の途中でパッと目が覚めた。若い頃、どうしてあんなに不機嫌な寝起きだったのか。起きてなんとかキッチンのイスにたどり着くなりテーブルに突っ伏し寝ていたなんてこともしばしばだ。現代の機械だってウォーミングアップが必要なのに今の私は最初から熱いお湯が出るシャワーみたいだ。といったところでなんのありがたみも自分に感じない。寝た方がいいに決まってる。夢で作業をした方がいいに決まってる。

朝4時くらいにはブラインドの外はもう白くなりはじめる。マットを敷いた床でゴロゴロしながら空を眺め起き始めた鳥たちの声を聞きバキバキになった身体を重たく感じながら空想にふける。今日も少し寒い。

昨日見た夢。あれはなんだったのだろう。正確には昨日の朝を迎える前に見た夢。精神分析において夢は転移状況であり、とてもパーソナルなものなのだ。誰にでも話すものではない。精神分析状況で密やかに大切に扱われるそれは話すことでようやくこころに棲みつくことができるのだろう。

そのおかげで夢から覚めてすぐに家事ができる私でも微睡んだ部分を維持できる。だから何かをしながら空想することができる。覚醒しているのに夢現の身体のまま、私は多分ずっと私以上のことを感じている。きっとそれが今夜の夢を構成し、過去の夢を再構成するのだろう。ひとりでみた夢もすでに誰かとの出来事だ。私はそこを生きた覚えがないが夢では普通にそこで生活していた。

昨日の夢のそこは古いアパートだった。見たことも住んだこともない部屋の中がドアの隙間から少しだけ見えるアパート。分析で話せば夢の中の誰かが私にとっての誰でそこでの出来事が私にとってなんであったのかに自然と注意が向く。共有するとはそういうことだ。最近の私の考えごとがいくら具体的でも夢はそんなこととは関係なく知らない出来事を平然とみせてくる。私、そこで何やってたんだろ、あれは誰だったんだろう、それは夢で実際に見えたもの(矛盾)とは違う、というのが考える前提となっているのも興味深い。恋人が父親のようだったり兄弟姉妹が我が子だったりする。夢には様々な置き換えがある。

と書きながらも昨日見て、昨日話した夢のことを思い浮かべている。書かないけど。パーソナルなものだから。

朝はコーヒーを飲みながらチョコばかり食べてる。甘さ控えめ、厳選素材とあってもチョコはチョコ。この美味しさも歯磨きで流してしまうのにどうして食べるのだろう、と思ったけど変な問いだなとすぐに自分で引き取る。書いては消す、見ては忘れる、出会っては別れる、生まれては死ぬ、そういうものなんだろう。ただ、食べている間は、こうして書いている間は、夢を見ている間は、あなたといる間は、今こうして生きている間は私の存在は比較的確かで、誰かを感じながら考えたり心揺らしたりできる自分がいることに少し安心できるのだ。

今日も少し現実よりに夢見がちな時間を過ごそう。ひそやかに夢をそこそこに現実を。

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精神分析、本

悩める朝に

明るい。朝はとりあえずカーテンを開ける、というのは大切なことですね。内側がどうであれ外側くらい大切にしないと。

この前、ゲンロンカフェでやっていた安田登さんと山本貴光さんの「心を楽にする古典講義──『古典を読んだら、悩みが消えた。』刊行記念」イベントをアーカイブで見た。

昨年夏には安田登×玉川奈々福×山本貴光「見えないものの見つけ方」イベントにもいった。それは『見えないものを探す旅 旅と能と古典』刊行記念イベントだった。

安田登さんはとてもたくさん本を書いているんだな。今回の『古典を読んだら、悩みが消えた。』もとてもユニーク。今ちょっとエネルギーがないので書きたいことも書けないけど出版社のページをぜひチェックしてみて。と言いたいのだけど目次が載っていないのが残念。

「自分より強くてイヤなやつがいるなら」「自分の気持ちをうまく言葉にできないなら」「自分は陰キャだと思うなら」「コミュニケーションで失敗しがちなら」などなど私たちがよく悩む事柄に対して古事記、和歌、平家物語、能、おくの細道、論語を解釈しながら応えるという超難易度高い人生相談を安田さんは誰にでも読める形で実現してくれました、というかわいい表紙(中の漫画もかわいい)のすごい本。読んでいるうちになんか昔見たことあるあれ、聞いたことあるあれって本当はこういうことだったんだ、とか思っているうちに悩みにも別の意味が与えられて「まあこれでいいのかな」と思えると思います。お悩みがなくても私は夢の話とかすごく面白かった。能は特に興味深いなと感じます。ゲンロンのイベントで「みんな必ず寝るけど必ず起きるでしょ」(超雑な抜粋です、アーカイブでチェック)というようなことを安田さんが話していたのだけどこれ本当にそうで、この流れで話されたこともよかった。本では能は“「残念」を昇華する芸能”と書かれていてフロイトのいう個人的な無意識の産物とは違うよ、というようなことが書かれています。今は精神分析は個人のこころを集団的なものとして扱う視点があるので安田さんの書いてあることは本当にそうだなぁと思うのでした。

なんだか文章がバラバラしてしまうな、今朝は。いつものことか。私が悩んでいることもこの本にあるから読み直すことにしよう。

そうだ、昨年のイベントでは能の「忘却と疲労」のお話がとても印象的でブログにも書いた。コロナ禍だったけど現地で見られてラッキーだった。少人数で間近で見られた安田さんと玉川奈々福さんのおくの細道の実演は迫力とユーモアがあったし、一緒に声に出して読むのも新鮮だったし(今回のイベントでもやってたね)、山本さんがお天気のせいか何かで電車が止まっちゃって遅れちゃったことが起きたのもおくの細道の世界と相俟って面白かった。

朝から楽しかったことを思い出せたことに安心した、今。こころを集団として、全部私だけど全部私だけではない部分で構成されていると考える。変化しつづけていると考える。いろんなことは「変わらない」と感じられることの方がずっと多くて「もういやだ」ということばかりかもしれないけどこころを集団的かつ力動的なものと捉えれば綻びや虫喰いを見つけたときこそ変化のチャンスかもしれない。とはいえあまり思い切らずにいこう。行動化っていうのはあまりよくない、私たちにとっては。

ふー。なんとか今日も過ごしましょうね。東京は気温もちょうどよさそうです。

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仕事 精神分析

迷路

薄く窓を開けた。コーヒーも失敗せずに入れた。雨は静かに降ってるみたい。どこかに打ちつけるような音はしないけどまっすぐの通りを走り去る車の音が雨を引きずっている。

今日は新しい出会いがある。これまでいくつの保育園を回ってきたのだろう。何年もの間、一年に20園ほどを巡回してきた。主に0歳から2歳の子供たちをたくさんみてきた。今年は巡回の仕事を半分ほどにしたので担当する園を組み替えていただく必要があり、何年も一緒に仕事をしてきた保育園との別れもあったし、今日ははじめての保育園へいく。どこの園を担当するかは新年度にならないとわからないためお別れなどもできないが「来年も先生かはわからないんですよね」というのが毎年、年度内最後の巡回の日の決まり文句なので「そうなんですよ。また担当になったらよろしくお願いします」と互いを労って別れる。保育士にも異動がある。出会いと別れは当たり前なのでさっぱりしている。ただ、同じ区内で長く巡回を続けているとこっちの園でお別れした保育士と別の園でバッタリなんてこともあって偶然も楽しい。全て同じ区内の保育園なのでこれだけ何年も回っていれば土地勘も身につきそうなものだが、その駅自体は頻繁に利用していても知らない道の多いこと。こんなところにこんなものが、というのは昨日オフィスのそばを散歩したときもそうだった。

人もそうだよね、と急に思う。人なんて迷路みたいなもんだ、とかとりあえず思い浮かんだ言葉を書いてみるが、書いてみるとそんな気がしてくる。戸惑いながら「好きだ」という以外になんの確信ももてないまま一緒にいるようになった。だからいつでも時々迷子になる。見慣れた景色が見えて安心したかと思えば突然の事故で思考停止することもある。恋ほど理由なきものも先行きの見えぬものもない。精神分析バカの私はなんでも反復強迫だと思っているが、そんな言葉で説明する気にもならない色とりどりの情緒が、激しい衝動が、そこには溢れていることも臨床経験で実感している。

どうして、ばかり問う。自分にも相手にも、心の中で。こんなにくっついているのに、「なに?」と聞いてくれてるのに、言葉にすることができない。「なんで今?」「なんでわざわざ」「どうして私が嫌がると知ってるのに?」「どうしていつも」などなど。見て見ぬふりが増えていく。不安で眠れない夜を経験しても理由をいうことができない。恋は少なからず人を狂わせる。暴走したい気持ちに苦しむこともある。どうしてこんな苦しいのに。どうしてこんなに好きなのに。いや、好きだからだ。愛情は必ず憎しみとセットである、とフロイトだってウィニコットだっていってる。むしろ憎しみが生じない愛情関係をそれということができるだろうか、と思ったところで苦しいものは苦しい。不安や疑惑に苛まれるのも辛い。それを溶かすように、包み込むように安心させてくれる瞬間もたくさん知っているのに。

同じ傘の下でそっと指を触れ合わせながら「やまないね」と空を見上げる。このままやまなければいいのに、とさっきよりほんの少しだけそばに寄る。そばにいたい。あなたを知りたい。そんな気持ちがいずれなんらかの形で終わることもどこかで知っているが今だけでも、と願う。人なんて迷路みたい、というか人生が迷路ってことか。

東京は雨。さっきより屋根を打つ音が増えている。色も素材も形も全て異なる屋根を雨が打つ。鳥たちの鳴き声もいつもと違う。何を伝えているのだろう。好きな人の気持ちだってわからないのにあなたたちのことをわかるはずもないか。また、バカみたいだ、と苦笑する。恋は少なからず人をバカにする。抱えてくれる腕や胸や言葉を必要とする。どんな拙くても、どんなわかりにくくても自分の言葉でいってほしい。それがどんな言葉だとしても何かの真似っこのような言葉より目に見える物よりあなたがどんな感じでいるのかをいってほしい。

人を想うのは難しい。シンプルなことほど難しい。それでも今日もシンプルに考える。見えるもの、感じたことをたやすく複雑なものに変形しないように自分の限界がいくら近くてもそれを大切にする。先のことはわからない、なんていうことはどこの誰にとっても同じこと。あなたが大切だ。それでももっとも確からしいこの気持ちを胸に、今日も。

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俳句

珈琲分布地図

早朝からせっせと仕事。どうして今やっておけばいいのに、という時間はダラダラ過ごしちゃうのかしらね、とあんまり気にしていない感じで書けるのは締切を一日過ぎた作業を終えられたから。ダメですね。

とても高い声で鋭く鳴く鳥がいるのだけど毎朝聞いてるのにその鳥の名前を知らない。鳥の名といっても個別の関係ではないから呼ぶ機会もないのだけど「あの子は一体誰かしら」とは思う。

毎朝、スーパーでお得大容量みたいな感じで売ってるドリップパックのコーヒーを淹れるのだけど今日も失敗してしまいました・・。安物のせいかお湯を注ぐと肩というか腕みたいにカップに引っ掛ける部分が片方ちゃぽんと落ちちゃって粉がブワーっとカップ内に広がるという惨事、惨事というほどではないけどコーヒーの粉って細かいからちょっと面倒。ということで毎回両側を注意深く押さえながらそっと淹れることを心がけてる。不器用さがこういう失敗に拍車をかけてるから注意深く。もう子供の頃からなんだから大丈夫。ならどうしてさっき失敗したのー。どうしてかしら。そっと両側を押さえてゆっくりお湯を注いで「よし、できたー」と思って手を離したときに指に引っ掛かってしまったのかもしれない。なんか余計なことを考えた気もする。トポン、プワーッ。見慣れた景色。もはや「あ」とか「あー」とか声を上げることもせず「またやってしまったけど大丈夫」と心で呟きながら棚から茶漉しをだし、別のカップにコーヒーの液体(って書くのもなんか変だけど)のみを移しかえる。よし。茶漉しと最初のカップに残ったコーヒーの粉はやっぱり細かすぎるのでしっかり乾くのを待ってから捨てましょうね。乾くと匂い消しにもなりますしね、ということでサク山チョコ次郎(お菓子)と一緒にいただいております。

新涼の壁に珈琲分布地図 岩崎照子

1980年、牧羊社から出版された句集『二つのドイツ』から。

確かに珈琲専門店に行くと地図が貼ってある。私はそんなに味にこだわりがないので「酸味が強くないのがいいです」くらいをお伝えしてお店の人に教えてもらっておすすめを買うときもある。でもコロンビアがちょうどいい感じというのは覚えたからそれを買う時もある。

あぁ、コーヒーの生産国のこと。大学時代の友人がホンジュラスで働いていた。ホンジュラスの教え子たちの労働のことも聞いた気がする。今こうして思い出したのだからきっと大変な状況を聞いたのだろうと思う。水を出すとかそういうところから一緒にやっていたように思う。彼女の明るくのんびりした口調とかわいい笑顔と子供たちとの楽しいエピソードしか思い出せないせいかその深刻さは教科書的知識で後付けするように思い出さねば、という感じになっている。

珈琲分布地図は労働の場所の地図でもある。爽やかな夏の朝に鳥の声を聞き分けようとしコーヒーを失敗しながらも入れ直す。今ちょうど月刊「母の友」2022年7月号の特集「涼しく楽しく!夏をのりきる」の表紙を見た。とても素敵。みんなでスイカを食べている。平和にも幸せにも色々あるだろう。「〜だから不幸」と決めつけることはできないように思うし、戦火の中、心で守る小さな平和は紛れもなくそうなのだろう。でも季節をいちいち楽しみながら他愛もないことを他愛なく繰り返せることは決して当たり前ではないんだな。すぐに忘れてしまう考えるべき問題を少し思い出せてよかった。

Tちゃん、元気かな。帰国しておうちに遊びにいっていろんなおしゃべりをして以来会っていないかもしれない。どこかで小学校の先生をしていると思うのだけどまた外国で似たような仕事をすると聞いた気もする。

みんなそれぞれの場所でどうか元気で。

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精神分析

限りあること

また後出しジャンケンさんが上から目線でなにかいってる。夜中にも投影先を探し続けていたらしき方々のRTのせいで追ってもないのに目に入ってきた。当事者である彼らもまたこれをみるのだろうか。

特定の親子とか男女を「こういう人たちって大抵こう」みたいに語れるほどあなたはその関係を生きてきたのだろうかと言いたくなる。そこがどれだけ複雑で知れば知るほど外からは何もいうことができない世界か少なからず体験しておられると思うのだけど、と言いたくなる。体験していないとしても研究者としてはそういうことをとても弁えておられるようだからその知性と言語能力でかっこ付きでもいいから「想像力」を作り出してみては、ご自身の中に、と言いたくなる。安全な場所からの暴力については前にも書いた。

今も私たちと同じように大きな葛藤を抱えながら生きているペアにどんな課題があるとしても彼らも私たちも生きていかなければいけない。大勢の人に刃物をちらつかせるように言葉を使われては二人の間でなら考え直せたかもしれないものも別の何かにすり替わってしまうだろう。いつ代弁をお願いしたっけ。もちろん彼らにそんな「つもりはない」のだろう。「会えばいい人」なのだろう。

投影と行動化、自分で自分を抱えることができず素朴に素直に吐き出された言葉を「そのつもりなく」利用してしまうこと、私たちがよくやることだ。「あなたが言えないなら私が言ってあげる」と吐かれる言葉は大抵その人が言いたいことではないだろうか、と外からみれば思う。

あいつのせいでこうなった、と声を震わせ叫ぶように話す人と共にいる。これまでそれが当たり前だと思っていた。でもこう話してみればそうじゃなかった。子供の頃からあいつらのせいで自分は自分らしく生きることができなかった。なのにどうしてあいつらじゃなく自分がこんなところに時間とお金をかけなければいけないんだ、変わる必要があるのはあいつらだろう。

強い憤りに圧倒される。そうかもしれない。そうなのだろう。でもここにきたのはあなたでそう思ってしまう自分自身を変えたいといったのもあなたなんだ。いい悪いの話ではない。正解や間違いがあるわけでもない。確かに「あいつら」があなたにしてきたことはひどい、ひどすぎる。でも今、あなたがこれまでとは違う感じでそんなに怒っているのは「あいつら」を変えることはできないと実感したからではないか。それが何よりも辛いのではないか。悔しいだろう。苦しいだろう。だから今こうしてこれまでに感じたことのない憤りをあなたは感じていて私に対してもそれを向けている。

絶望と憤りを繰り返すうちに「もういい」という言葉が出てくる。順番でいけば彼らが先に死ぬだろう。私は死ぬまであいつらへのこの怒りに囚われていくのだろうか。そんなのはごめんだ。なんであいつらのために私がこんな辛い想いをして時間を割かなければいけないんだ。もういい。

そしてまた怒り出す。おさめようとしてはぶり返す暴力的なまでの衝動がかろうじて行動化しない形で私に向かって吐き出される。幼い頃からこれまでの体験がいくつもいくつもその時の実感を伴って私相手に繰り広げられる。二人でいるとき以外は決して体験できない激しい情緒に突き動かれその背後に広がる無力と空虚にものみこまれる。これはあなたの問題だ、ではない。これは今や私たちの問題だ。二人の問題だ。ようやく私たちは「あいつら」から自分たちを取り戻す。

これまで誰かと体験を共にしたことなんてなかった。暴力を振るわれずに言葉を吐き続けることなんてしたことがなかった。それが当たり前だと思っていた。だから私はこんな大人になってもまだどう話していいかわからない。私は子どもに戻ったような彼らの言葉を聞き続ける。あの饒舌はもうない。辿々しく曖昧にしか言葉を使えない、それでも以前よりはずっと安心した様子で話す彼らを観察しつづけ、ときどきなにかを伝える。

激しい痛みを体験している人を前にまずすべきは沈黙だ。彼らの言葉を聞き彼らをがんじがらめにしている糸の様子を調べるように論理的に言葉を使う。断ち切りたい関係ばかりではないだろう。断ち切れない関係ばかりでもあるだろう。関わることで生じる新たな傷に対しても注意を向ける。反復は常に生じる。そこで共にいる。それは外側から何かをいうことではない。自分も生身の人間として多くのものを引き受けていく。傷や痛みと関わるというのはそういうことだと私は思う。それができないのなら言葉ではなく物理的な援助やそれが有効に活用されるようにマネージメントを行うべきだろう。

それぞれに事情がある。状況はそれぞれだ。あなたのことを知りもしない人の言葉に振り回されずにいこう。時間と労力を割くべき対象ではない。あなたの時間も私の時間も限られている。共にいる時間はもっと限られている、物理的な意味では。共にいられるうちにできることをしていこう。「人から見たら」「みんなは」と言いたくなるだろうけど言ったところで、だ。

私もだいぶ白髪が増えた。苦労してるからだよ、と気遣ってくれる人もいるけど単にとしをとった。時間に限りがあることをだいぶはっきり認識できるようになった。今更だけど。だからこそなおさら地道に、と思う、今日も。

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詩集『ひのひかりがあるだけで』さわださちこ

最近の家電はなんでも音楽だな、と洗濯が終わった音を聞いた。「最近の」とかいっているが最初にそう思ったのはもう随分前のはず。月日が流れるのは早い。

昨年春、友人が編み物で作った作品を届けにきてくれた。私たちが卒業した大学に講師として勤めながら作品を作り続ける彼女と昔話をするなかでさっちゃんが自然豊かな土地へ引っ越したと聞いて驚いた。彼女たちは以前二人で詩集を出していた。その詩集は賞を取って授賞式のときの二人が写ったポストカードを私も持っている。詩集もいただいた。『ねこたちの夜』という詩集だ。

毛糸で編まれた薄い紺色の夜に大きな三日月の下、影を作ってたたずむ猫の表紙がとてもかわいらしく、掌サイズのそれを開けばさっちゃんが願う通り” 今の自分が本当にかきたいことを、子どもにもわかるやさしい言葉で”書いた言葉がたっぷりの余白に優しく配置されていた。詩集は余白が多いのがいい。そういえば山本貴光さんの『マルジナリアでつかまえて2 世界でひとつの本になるの巻』(本の雑誌社)に詩集は出てきただろうか。詩集の余白は余白という文字な気がするのでそこに書き込むとしたら上書きになってしまう、など一瞬思った。

「ああ 今日も

きみに おはようが言えた

そのことが こんなにもうれしい」

ー「こまる」より抜粋 『ひのひかりがあるだけで』さわださちこ

さっちゃんの10年ぶり2冊目の詩集からの引用だ。昨日、帰宅したらポストに入っていた。ありがとう。さっちゃんの字、変わらない。

やっぱり表紙は猫。今回はやぎ公さんというさっちゃんが惚れ込んだという画家さんが描いている。

「ねこで よかったね

なんにも しんぱいしないで」

ー「ねこは」より抜粋

クッションにすっぽりとおさまりなんの心配もなさそうな顔で眠る猫が本当にシンプルな線だけで描かれている。さっちゃんの猫でよかったね、こんな素敵な詩集にも登場してるよ。

ウクライナの猫たちが浮かんだ。先日、瓦礫となった街を紹介する記者が放送中に猫を見つけ戦争が始まって以来はじめて笑ったというようなことを話していた。

さっちゃんの優しい視線を思い出す。さっちゃんはいつも微笑んでいた気がする。のんびりとはっきりとしたことをいうイメージ。きっと今もそうだ。私の友達はマイペースでのんびりとしている人が多くてこうして作品を作る友達は特にそうだ。

「だれにも おそわることなく できたこと

そして やすみなく つづけてきたこと

すーはー すーはー

すって はいて すって はいて」

ー「いき」より抜粋

さっちゃんは「子どもにもわかる言葉で」というのをいつも心がけている。この場合の「わかる」は知的な理解という意味ではないだろう。あなたの生はいつも肯定されている、それが伝わりますように、というさっちゃんの願いだ。私はそう思っている。

<詩集>

ひのひかりがあるだけで』さわださちこ 詩・やぎ公 画

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読書

蜃気楼という真実ー村田沙耶香『生命式』

村田沙耶香『生命式』(河出文庫)は私にとって名言集だ。

「あそこってさ、誰も、着ぐるみの中の人の話しないじゃん。皆が少しずつ嘘をついてるだろ。だから、あそこは夢の国なんだよ。世界もそれと同じじゃない?みんながちょっとずつ嘘をついてるから、この蜃気楼が成り立ってる。だから綺麗なんだよ。一種のまやかしだから」

本当にそうだと思う。とかいってみるが、この台詞が吐かれる世界はぜひ本で体験してほしい。自分では絶対に想像ができない出来事がそこでは繰り広げられている。

これも全くそうだと思うので引用する。

「だって、正常は発狂の一種でしょう?この世で唯一の、許される発狂を正常と呼ぶんだって、僕は思います。」

この時代、セックスは受精と呼ばれている。花粉のような私たちはただ数を増やすために受精する。死んだ人の生命を美味しくいただきながらときどき涙したりして。

「本能なんてこの世にはないんだ。倫理だってない。変容し続けている世界から与えられた、偽りの感覚なんだ。」

わかったような、正しそうな怒りの言葉もそこが狂気の世界なら儚いものだ。偽り?正常?それが何?村田沙耶香の小説の登場人物はそれぞれの快楽に恐ろしく素直で本当に恐ろしくも可笑しい。その快楽がその人のものかいつの間にか押し付けられたものかなんてどうでもいい。それはもうそうでしかないものとしてそれぞれに生きられていて私たちは内臓になったりたんぽぽになったり「自分」とか「本当」とかそんなものは問われない世界に迷い込んで混乱し発狂する。

私は気持ちが混乱して辛いとき村田沙耶香の小説を読むと安心する。なぜならそこは自分では到底辿り着くことのできない狂気の世界だからだ。混乱を感じるうちはまだ辛いかもしれないが発狂し快楽を快楽と言わずただ体験しながら生きる。そんな恐ろしい世界はまだ私には遠いのではないだろうか。いずれ一気に近づくのかもしれないが…。これら短編を読み終わるごとに「戻ってきた」という感覚をもてることが多分私を安心させるのだろう。

さあ、今日もまだここまでは狂っていないであろう社会で仕事をしよう。人と会おう。笑ったりサボったり眠ったりしよう。それがいずれ全てまやかしだと言われても。

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眠れない夜を

人の嫌がることをしない、というのは難しい。誰かを喜ばせることが別の誰かを嫌がらせることもある。相手が何を不快と感じているか知っていてもどうしても自分の快を欲してしまうのも子供のままの部分だろう。子どもがいたり介護が必要な家族がいたりすればいつの間にかその性質が変わるかというとそうでもない。人はそんな簡単には変わらない。ただやらざるを得ないことが増えれば時間もないので守られる必要がある方が優先されるのは当然のことだ。

もちろん「人はそんな簡単に変わらない、子どものままの部分がある」ということが非対称な関係で生じる侵入や搾取の理由になどなるはずはない。私は家族的な関係を仕事にしているので思い浮かべているのは大体親密な関係だ。親密な関係に巧妙に偽装された搾取的な関係もあるが家族的な関係になればそれはすぐに暴かれることが多い。生活を共にすることの力は大きい。気持ちいいところだけで付き合えない違いだらけの人間たちが空間と時間を共にしていく。日々葛藤し否認し行動化しながらもなぜかそれを維持していこうとするこの生き物らしさ。それはやはり子どもという存在に向けられた本能のように思う。相変わらず寂しがりで構ってもらいたがりの大人の中の子どもに対しても。誰かを大切に想うこと、特定の誰かを愛すること、それは自分の一部を相手に開き委ねることだ。誰にでもはできない。直感的に選択される関係のなかで私たちはどれだけ相手を大切にできるだろう。多くの失望と絶望によってその選択は間違っていたとようやく気づいたとしても一度委ねてしまったという事実を取り消すことはできない。うんざりして苦しくて泣きながら皮膚をかきむしっても食べては吐いてを繰り返しても無理は無理だ。自分に同化してしまった異物はモノではなかったのだから。

取り消せずに上書きされ深くなった傷に絆創膏を貼るように。今はまだそんなものでは到底足りないとしても。いずれ瘡蓋に、何度もかき壊したとしてもいつの間にかそれが剥がれ落ちてくれますように。そしてまた自分の愛する能力を信頼できますように。願う。それを使うことができる関係を今度こそ選択できますように。願うことさえ勇気がいることだとしても。未来の存在へと向かう私が大人になりたがる私が子どもへ向かう私がそこに生きていますように。眠れない夜をただただ願い続けることで明日へ。

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郵便局

大急ぎで資料を仕上げた。今日は絶対に郵便局に行かねばならない。それにしても暑い。鳥は元気そう。元気かどうかわからないけど空を飛べてよく届く声で鳴けるくらいの状態ではあるらしい。あ、いっぱい鳴き出した。いっぱいというのは鳥の数ね。一匹がピーピーピーピー(私だとこんな単純な音にしかしてあげられないの残念だけどみんな知ってることだもんね)たくさん鳴いているのってあまり聞かないかな、そういえば。

郵便局へは1通が速達。毎月提出しているものなのに速達料金があっているのか不安だからみてほしいけど午後までいく時間がないから自分でー速達ーって書いてポストに入れるか・・。これ何年もやってるんだけどこんなこといってられるのって通り道だけでもいくつかの郵便局があるからかも。そうでなければいくら大事な書類だからって毎月決まって払っている料金くらい覚えて自分でさっさとやるはずだから。田舎だとすごく近い距離でも車でいくよね、と助手席からの景色が思い浮かんだ。郵便局は進行方向左手にあった。そこまでに信号はない。一軒一軒全て思い出せる程度の近さだ。それを横切る小道にはそれぞれ小学校の時の友達の家がある。誰が住んでいるかはもうわからないけれど。助手席の私は車が止まるとパッとドアを開けて小走りにポストへ何かを入れるか、郵便局の中のいつもの郵便局員さんに何かをお願いして走って母が待つ車へ戻る。今思えば急ぐ理由は特になかったと思うのだが母は何かと早く済ませたい人なのだろう。何かと急かされていた気がする。私も何がなくともすぐ走ってしまう落ち着きのない子供だったのでそういうペアだっただけかもしれない。のっぽさんのようなおじさんがひとりでやっていた「ストア」はそのおじさんの苗字で呼んでいた。「Iさんのところでこれ買ってきて」とか。Iさんの店は信号のある交差点にあったけどいつの間にかコンビニに変わった。郵便局の向いには檻があって何かを自営しているおうちだった。そこのアヒルと少し遊んでから帰るのがいつもだったがそれももう40年近く前の話だ。郵便局は数年前に移転した。周りが変わりゆくなか、いつまでも私が小さな頃のまま佇むようにそこにあった小さな小さな郵便局はバージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』のようだった。

今日はどちらにしても郵便局に行かねばならない。大阪の古本屋さんから届いた本が「上」だったのだ。私がお願いしたのは下巻だったのだけど。「上」は「ゆうメール」で送り返してと言われたのだけど「ゆうメール」って中がわかるように一部封筒開けておいたり透明にしたりしないといけないみたいで本だからちょっと開けるとかも嫌だし一応濡れたりしないように送ってきてくれたままビニールにはいれるけど郵便局で中身が確認できればいいみたいだからそうしようと思って。これだけなら急ぐ必要はないから午後にのんびりいけばいいか。その時間は暑くなりそうね。

と朝から友達に話すような他愛もないことを書いているが理由は特に考えない。朝の短時間をこうするのが日課になってしまった。私が他愛のないひとり喋りをしているうちに鳥たちはもう遠くに出かけていってしまったようだ。一羽の鳴き声しか聞こえない。いってらっしゃい。私もいくよ。今日もきっと色々あってそれぞれがいろんな感じ方をしていろんな思い出と触れ合ったりいろんな未来を思い描いたりするだろう。いろんなことは今日で終わるわけではないはずだからなんとか過ごしてみよう。