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精神分析

人ひとりひとり

秋の蝶黄色が白にさめけらし

高濱虚子句集 『遠山』

虚子居らぬ世や風鈴を見て欠伸

秋風に見るうどんのううなぎのう

岸本尚毅句集 『雲は友』

文化を大切にすること。その文化に生きる人がいること。その意義や価値をあえていう必要のない世界はまだ存在している。とても安心した。

自分の領域への侵入には達者な言葉で謝罪を要求し続けるのにたいして知りもしない他者への領域への侵入はあっけらかんとおこなう。自ら対話の場を失い、同じような刃を持つ人か刃を権力として従うか利用する人ばかりが当面の話し相手になっている可能性は否認されているのだろうか。そうでないとそんなことできないか。撒き散らすようにかかれるものばかりが業績になり、それに素早く迎合できる人が作るものがこの国の「文化」になっていくのだろうか。

毎日、目に見えない差異に怯え、苦しみ、時折素直に反応しては素早い攻撃にあい、言葉にする体験を奪われ続けている人のことを知らないわけではないだろう。自らもそんな経験をし傷つきと戦い続けたプロセスが今なのかもしれない。でもそのやり方は反復を生じさせているだけだ。いつの間にかおそろしくマジョリティの立場から振りかざしているそれを指摘してくれる友はいないものだろうか。おそらくいるのだろう。でもできない。そういうものだというのはなんとなく知っている。力を持つものが弱さを持たないはずなどない。知性とは何か。やはり「連帯」という言葉が良きもののように利用されないことを願わざるをえない。

頭で考えることと気持ちを感じることの乖離が甚だしいこの世界に対する違和感を意識することもままならず、言語とスピード優位の周囲にただただ振り回されるように生活している人たちと私は仕事をしている。時間をかけてしっくりくる言葉を探す仕事をしている。これまでの傷つきをさらなる、あるいは別の傷つきとして重ねていかないこと、彼らに対するケアは彼ら自身にだけでなく、そこにいない周りの人たち、ひいては私たち全員に通じていることだ。それは特別なことではない。自分も関わりがある、と引き伸ばされた時間の先を想像できない人がそういうひっそりした場にぞんざいな言葉を投げ込んでくるのだろうか。だとしたら反射的にそれに応答するのではなく、何が生じているのか考え、静かに抵抗をつづけ、患者たちが自分のペースで言葉にできる場を守っていくのも私たちの仕事だろう。

昨日、紀伊國屋の階段を踏み外して派手に転んだ。そばを通り過ぎる人の足が見えた。顔だけよけるようにした。しばらくして通りがかった店員さんが心配して傘を杖にして歩く私と一階分一緒に降りてくれた。心優しい人もきちんといた。足腰が健康でないと不便な世界はたくさんあることを不注意で怪我をしがちな私は多分普通よりは知っている。人ひとりの力の大きさもたくさん経験してきたように思う。

昔、足の指の骨にひびがはいったときも一歩一歩片足を引きずるようにしか歩けなかった。前から人が向かってくるスピードが普段の何倍にも感じた。東京は前にも後ろにも真横にも人がいる。怖かった。でもあまり庇うと腰もやられる。人が来るたびに止まりながらやっと電車に乗った。疲れた。ドアの隅に立っていても続々乗ってくる人が怖かったけど足を安全な隙間に隠せて安心した。そのとき優先席にいた私よりずっと年上の方が「座りなさい」と声をかけてくれた。足の指など誰も気づかない。たとえ包帯を巻き大きなサンダルをはいていても。見かけは単に歩くのがやたらゆっくりな人だ。その人はどこからみていたのだろう。動かなければそんなに問題なかったので戸惑ったが座らせてもらった。とても疲れた。こんなに安心できていなかったのか。ありがたかった。

昨日もしばらくは人を避けて端っこをゆっくりゆっくり歩いた。怖かった。どうしても端っこを歩きたい人というのはどこにでもいてぶつかっていく人もいた。これは私がこの見かけでなくてもされることなのだろうか。よく思うことをまた思った。

自分が知らない世界がある。起きない方がいいけどどうしても起きてしまうことがある。細々とでも着実に受け継がれてきた学びや文化がある。

見知らぬ人の頭のそばを靴で通り抜ける。びっこをひいて隅っこを歩く背の低い女に邪魔だとぶつかる。誰かがそれで生計を立てている仕事をいらないものとする。こう書けばおかしなことのように思うかもしれないがこんなことは日々平然となされている。私たちがそれぞれに感じる不自由や理不尽に終わりがくることはないだろう。それでもできるだけ防衛的にならず、何かを排除する言葉を使うことに少し躊躇することを忘れない。それはひとりではなかなか難しいから私は今日も仕事をする。

何がなくとも何もないという必要などない。誰かにそう言われたとしてもそんなはずはないのだから。無理に言葉にしないで黙っている権利だって誰にでもある。黙っていることを何もないという人がいるとしたらそれはその人に圧倒的に何かが欠けていると思っても間違いではないだろう。時間をかけることで見えてくるものでゆっくり繋がっていくこと。その厚みと豊かさを静かに守るにはとても痛みが伴う世の中だけど今日もなんとかやっていこう。人ひとりひとりの力は小さくない。言葉にできない、言葉にならない、言葉にするプロセスにそんな戸惑いがたくさんあること、そこに注意を向けること、向けてもらうことはひとりではできないけど相手がいればできなくはない。

さあ、今日も一日。何がなくともどうぞご安全に。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生