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精神分析

なんでもないことはなんでもないこと。

お湯が沸いた。低めの音でパチンといった。いろんなこと着々とやっているつもりが終わりがないし新しくやるべきことはどんどん入ってくる。まあなんとかなるよね、結果的に。なるのかな。

なかったことにする人って本当にどこまでもどこまでも終わりなくその活動を繰り返すんだなあと眺めている。それでもうまくいかなくなったら忘れられる権利とかを軽薄に持ち出しそう。もはやそういうのは「活動」だなと思う。加担する人も似たような人ばかり。まずはカップルを形成して似たようなことをするところから。依存も排除もひとりでではできないものね。そういうのは数が増えても依存と排除であって協力でもなんでもないので搾取と侵害をさらにひどい形で繰り返しているだけじゃないかなと思うけど。「活動」に対する「運動」というのもある。私たちの運動の相手は政治家であり同業者なわけだけど別のなかったことにする人グループを見ているとその人たちのあり方とよく似ている。膨れる集団。なんにしてもなかったことになどできないのだけどね。そうしない人が生きているうちは。

冷凍ごはんを冷凍庫からガタガタと取り出す。タッパーで冷凍しているからベリベリと少し蓋を開けて電子レンジにいれる。その間に納豆をかき混ぜる。あの音はなんて表現したらいいのかな。さっき一度鳴った電子レンジが早く取り出せとばかりにもう一度なる。はいはい覚えていますよ。納豆まで準備してごはん忘れたりしないと思う、さすがに。そのうちそうなりそうだけど。

近所のコンビニみたいなお店が早くもなくなるのでコーヒーを買ってきた。閉店で安くなっているとかではないけど安いドリップコーヒーはそこで買ってたから。私はいつもそれを「おいしいコーヒー」と言い間違えるけど「いつものコーヒー」だぞ、と心の中で確認しているときに「うまいコーヒーだよ、いつものコーヒーじゃないよ」と言われて驚いた。ありゃ、どっちにしてもまた間違ってた。

関係が良好だとなんでもないことに何度でも笑える。なんでもないことは実際になんでもないことでしかないのに、という一言を言いにくくなるような圧力を受けることもある。どうでもいい一言にまで正確さを求められようになったらその関係は支配関係かも。それを怖いといえなくなったらその関係はとても悲しく辛くて苦しいけど離れた方がいいかもしれない。怖いし愛情も混ざってるから離れがたくて頭が真っ白になる瞬間が増えて解離を起こすときもあるかもだけど相手のことを思うならなおさら離れた方がいい。そういうことをする人は大抵なかったことにする人でそういうことをさせない人が必要だから。怖くて悲しくて辛い気持ちは心身が回復したら別の形で見て見ぬ振りをしない人に向かって伝えていこう、ということを別の場所で書いた。

今日は20度まであがると教えてもらった。「すごいね」といったが何がすごいかはわからない。相手も「ねー」と言っただけ。イラッとされて「なにが?」とか聞かれる人もいる。どうだっていいじゃん、ということにまで憎しみを向けられるようになった、愛情なんてそんなもの?そんなことないよ。最初から搾取の文脈に使われてしまったのかもしれない。攻撃性というのは関係性を使って複雑に表現されるから。自分だけがそうされたから自分が悪い、なんてことはない。そう思わされることはいっぱい起きるだろうけど断じてそんなことはない。似たようなことが真逆の形をとっていたりするのは普通のこと。

なんでもないことに溢れている小さな日常がきちんとなんでもないこととして扱ってもらえますように。朝から苦しむなんてことのありませんように。願うばかりでそうでない現実は世の中に溢れていると知っているけどそれでも願う。

東京はよく晴れていますよ。それぞれの場所でどうぞご無事でご安全に。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生