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あれはなんだったんだろう 仕事

「あれはなんだったんだろう」を問い続ける。

WBC決勝は仕事中にちょこちょこと経過と結果だけ聞いて夜テレビで後半だけみたけどやっぱり最初から見ないと盛り上がらないね。準決勝は見てたから一日中「いい試合だったねー」といい続けていた。

今日は木曜日か。土曜日からもう5日目か、とあえて数えたくなるのは土曜に自分が作ることになった文書があってそれを今日までにやらねばだから。毎日なにかしら資料作ってるけど種類によって負担がまるで違う。今日のは書き始めてしまえば時間はかからない気がするが気持ちの負担が大きい。ただどうにかなると思えるのは差出人が二人でもう一人にチェックしてもらえるから。信頼する人が控えていてくれる安心感は大きい。週末も様々な負担にともに静かに持ち堪えてくれる人たちと昨日届いた文書に関する話し合いのための話し合い。すでに結果が出ているものは結果に対しては無力でもそのプロセスに対しては無力ではない、ということで地道に活動してきた。大体の仕事は「あれはなんだったんだろう」を少しずつ明るみに出していくことだ。今起きていることが結果だとしたらそれはもう仕方ない。でも「人生は続く」。これからのためにやっておけることはやっておく。「人生は続く」。昨日はなぜか数人のTLや他の場所でこの言葉をみかけた。戦いの中でたとえ無力でも、ということだった。傷つきを避けることはできない。心ない人はどこまでも心ないし、なにが相手を傷つけたのかまるでわかっていない場合も多い。「ごめん」「なにに謝ってるの?」「・・・・」というやつだ。傷つくというのも色々で自分の欲望が少し邪魔されたと感じるだけで不快さを募らせて勝手に被害的になっていく場合もある。ほとんど空想の世界で膨張したそれを合理化&知性化し押し付けてくる言動は本当にひどいもので押し付けられたほうが精神や生活に支障を来すことも多い。実際に病院に行ったり時間をとられることも多いなか相手は平然と楽しそうな姿をSNSにあげていたりするのもよくある現実だ。わかっていない、あるいは分かりたくないのだからこういう地獄のような出来事が生じるのも必然か。この場合も相手を変えることはできないという意味では無力だ。わかっていても傷は痛み続けるしとても辛いだろう。その中でなにがなくともできることがあるとしたらなかったことにしないで人生を続けていくことだろう。「あれはなんだったんだろう」を問い続けることだ。昨日目にした彼らの言葉は多くの失望と絶望を今も体験しつつ書かれたものだった。痛みや傷つきに終わりがないのであればそうする以外ないというだけのことだがそうつぶやきながら実際に地道な戦いを続ける彼らを尊敬する。私は戦うまではいかないし戦ってもいないのに戦いに巻き込まれるのもうんざりだしそうされることで随分消耗してきたので回復しながら交渉とそのための準備をする感じ。支えは多い。どうにもならなくてもどうにかなるという感じもする。

というわけで文書を作りましょう。みなさんはどんな感じですか。自分の気持ちも身体も大切にすることに価値を見いだせますうに。搾取には抵抗していけますように。今日も一日。どうぞご無事で。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生