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精神分析

お菓子とか包装紙とか。

いいお天気。昨日、沖縄の玉城デニー知事が台風9号の関連情報を出していた。いつも大変そう。被害がありませんように。

早朝から道の駅まえばし赤城で買ってもらったアカギマサラを使ってカレーを作った。ハーブ農家さんのオリジナルスパイスカレーパウダー。原材料をみたら辛みは入っていなかったのでチリパウダーを足した。スパイスの量が結構多い気がしたが煮込んでしまえばそうでもないかな。いい香り。

いつもお菓子のお裾分けをいただいてる。最近だと東京都大田区久が原の老舗、フラマリオンのクッキー。お中元にいただいたそう。なんとなんと中身だけのお裾分けでなく猫とリスCANのままくれた。しかも未開封みたいな包装紙に包んで。ここの包装紙は東郷青児でかっこいいのだ。私もお菓子の包装紙大好きだけど、これをくれた彼女は包装紙を捨てずにとっておく人。お手紙を書いたり、封筒にしたり、ブックカバーにしたり、こうやって素敵に包み直したり。超不器用な私からすると最初に出てくる感想は「器用だなあ」なのだけど、包装紙の魅力は使用してこそかもしれない。知り合いの子供が小さかったとき、包装紙はもちろん、何かを包んでいたものはなんでもとっていて、母親もそれ用の袋を持ち歩いていた。ゴミという概念をもつ前の小さな子供には捨てるという選択肢は遠く、使用か保管。どちらも似たようなものだ。わからないけど。なんでも遊びでなんでも仕事。あまりに長い枝とかいかにも虫がついてそうな石とかになるとうまいこと家にいれずに保管か破棄をする説得力が必要になるが包装紙的なものであれば折り紙みたいなものなのでどうぞー、と寛容な気持ちでいられるのもよいところだ。昔から知っている包装紙に思わぬ発見をすることだってある。この前、高校生になったその子がコーヒー牛乳を包んでいたプラスチックのフィルムを飲み終わった容器型にきれいに立てているのをみて笑ってしまった。まだそういうことやってるんだ。一緒に遊んだ記憶はなくしてもやることはそんなに変わらない。そういうのがいい。どうでもいいけど、いや、よくないけど、人って忘れることに対してすごく厳しいよね。自分が忘れっぽいからいうわけじゃないけど、いや、そうなんだけど、ただ覚えてればいいってものではないでしょう。どんな記憶がどんなタイミングでふと現れるかなんてわからないし、そういう瞬間のためにも知識として覚えるなんてことしたくないよ。生活はテストじゃない。臨床で言った言わない問題が生じる場合、それは記憶の問題ではなくて関心の問題。私の存在を忘れていませんか、と問いたい場合は記憶の問題でもあるがそういう記憶の話じゃない、とか言い出すことになるから記憶についての書物は書かれ続けるわけです。言葉の流れと膨らみを大切にしよう。私たちは全てを覚えていることはできないし、みんな瞬間瞬間で変わっていくのだから。

で、なんだっけ、そう、おやつのお裾分け。先日もらった京都のお土産、祇園辻利の「つじりの里」も美味しかったー。小さな袋に一本ずつ入ってて、その袋が和紙風でね、開けるときに「お!」となった。さすがやなぁ。京都も金沢と同じく間違いなくお菓子天国。八つ橋に「おたべ」と「夕子」があると知った時も新鮮だったけど、硬い八つ橋とか餡なしの八つ橋を知ったときもなんやそれだった。私はニッキの香りしっかりの硬い八つ橋が好きなんだと思った頃には生八つ橋には抹茶とか桜ならまだしもいちごとかチョコとかいろんな味が出てきて、ほかにもいろんなお菓子を知るようになって、でもお土産はよーじやのあぶらとり紙みたいなね。京都も何回も行ってすごく歩いた街だけどまだまだみるべきものをみていないし、食べたいものは全然食べきれていない。あー、まだまだ足腰も胃腸も丈夫であってほしいし、すぐにいっぱいにならない胃袋がほしい。

今日のおやつは何にしようかなあ。それを楽しみにがんばろう。良い一日になりますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家