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精神分析

メメント・モリ

寝ている間もエアコンが必要になってから数日か1週間かそれ以上か。日々はあっという間に過ぎる。昨晩、Reading Freudを終えてビルを出ると雨がポツリポツリ。濡らしたくない荷物があったので戻って大きな傘を持った。もう一度ビルを出たらかなり強めの雨になっている。さっきまで自転車の人がひとりいただけのビル前は雨宿りの人が7、8人。数分で弱雨になったから雨宿りした人は正解かも。濡れたまま歩いている人も見かけた。週末になんてこっただったよね。

思考するとは次世代のことを考えることなんだなと思う日々。そうは考えない人がマジョリティであることが明らかになりつつある日々でもあるけれど。

早くに亡くなった友をおもい、同世代と本音を話し、年老いた親世代からなお学び、これからの世代を案じる。学問もそんな日々と重ねながら育んできたつもり。文化を守ることも人の心を守ることとおなじだと思っている。教えを鵜呑みにするのではなく丁寧に咀嚼し、大げさな言葉で装飾することなく事実を伝え、手近で使い勝手のいい相手以外とも広く交流する。書いてみれば当たり前のことかと思いきや思いきや思いきや・・・ブツブツ。

今朝は初台の水道道路からふどう通りに入ってすぐのレトロ喫茶LUCY’S BAKE SHOPのエンガディナー。くるみたっぷりしっかりキャラメリゼ。きれいに半分こにするのは不可能。歯ってすごいよね。ナイフで割れなくてもサクッと噛める。美味しいって身体機能あってこそ。初台の人といろんなお店情報を共有するのが楽しく、何度話しても新たに発見されたお店情報と出会える。私からは今度ふどう通りにカヌレやさんができるみたいという情報を提供した。お散歩してたら工事してて8月中旬だっけな、オープン!だって。またお菓子が豊かになってしまう。山手通り側からのふどう通りも人気店チクパルベーグルにはじまり、なんだかんだ美味しかったり安心できたりする店が多くローカルな魅力に溢れている。はじめてきた人には多分「なにもないまち」なんだけど生活というか、毎日この街で仕事していると「なんでもあるまち」みたいな気分になる。もちろん「なんでもある」わけではないがグッドイナフなのだ。

昨日、フロイト『メタサイコロジー』(十川幸司訳、講談社学術文庫)の第3論文「無意識」を読みながら臨床の話になりウィニコットのgood enoughの話にもなった。小児の領域でも仕事をしてきた私たちの推測ではウィニコットは死、なかでも子供の死を見守ってきた人である。心と身体がまだ分離していない小さな子どもはとても死に近い、ということを子供の現場で感じることは多い。赤ちゃんを抱っこするときに「こわいこわい」という人が多いのも彼らの小ささや柔らかさが想像以上だからだ。自分も通ってきた道とはいえ記憶としてあるとしたら誰かか何かに抱えられている自分でしかないだろう。放っておけば死んでしまう。激しく揺さぶったら死んでしまう。生まれてすぐになくなる子供だって少なくない。重い障害を抱えて寝たきりの子どもたちもいる。

津久井やまゆり園殺傷事件から10年。殺す側は死を思えない。メメント・モリ。メメント・モリ。死に近いところで生を願う。臨床とはそういうものだと私は思うし、生きるとはそういうことのはずだと私は思う。だから次世代を思う。

今日も暑そう。気をつけて過ごしましょう。