とっても明るい朝。このオレンジは朝だけのもの。とりたちも元気そう。
昨日は移動が多かった。暑かったけどそんなに汗はかかなかった。汗って歩いている間より止まった時にどっとでる感じがするけど電車がちょうどよく涼しいなかゆったり座れた。快適で乗り過ごしそうになったけど。どの道でも色づき始めた紫陽花をみられた。
夜は分析家同士の読書会だった。何度読んでも内容を覚えられないのも困るけど、興味をひかれて一生懸命調べた相手のことを忘れてしまうのも困る。昨日、忘れていたのはHaydée Faimbergというパリでプライベートプラクティスをしているパリ分析協会の訓練分析家。SNSをメモ機能として使っているので検索してみたら昨年3月に彼女の論文をアンドレ・グリーンとトーマス・オグデンの論文と一緒に良きものとしてポストしていた。結局全部ウィニコット関連。ナルシシズムにおけるtemporality、symbolization、subjectivationの文脈で差異の認識の発生と伝達について考えていたらしい。Macにも部分的に翻訳したものが入っていた。ここまでやってどうして忘れるのか、といえば使用していないからだろう。書き物や発表で引用すれば忘れる頻度はかなり下がるはず。すごく雑ながら訳したのはFaimberg, H. (2014) The Paternal Function in Winnicott: The Psychoanalytical Frame. International Journal of Psychoanalysis 95:629-640とメモしておかないとまた忘れる。このブログもほぼ備忘録。忘れる力はこんなにいらないのにな。たぶん、なにかで引用しようと思って訳したのだろうけど結局使わなかったからこんな我が家の放っておかれ花壇みたいな雑さで保存されていたのね。我が家の花壇の春菊は次々にかわいい花を咲かせるのはいいけど茎がたくましすぎてほかの植物を圧迫しつつある。どうにかせねば。
そういえば先日瀬尾夏美さんの連載がはじまった柏書房のウェブマガジン「かしわもち」で渡邉悟史さんの連載『植物暴力論』もはじまった。とっても面白いのでチェックしてみてください。きちんと紹介する時間が今はない。とうか、当たり前だけど私の紹介文より本文のほうが断然面白いから。なんかこういうとき要約しなければという気になるのはどこからきた習慣なんだろう。今はこうやってリンクを簡単に共有できるとはいえ要約文化って必要だしなくなってはいないと思うんだよね。
そうだ、さっきの象徴化、主体化を時間論から考えることはAIと精神分析の違いについて考えることでもあって、AIの即時性と精神分析の遅延、事後性はまず大きい。あとは frictionless、repetitive、adaptiveの観点か。とかね、忘れないで考え続けられたらいいのにね。
とりあえず日曜日。よい一日を。

