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精神分析

子どもの動き

朝の光がきれい。風はひんやり。関東も地震が増えている気がする。

今日もTシャツの上に薄手のなにかを羽織り、リュックに薄手の上着も入れておく。最近みつけたAXESQUINが展開するアウトドアブランドの素材の手触りを気に入っていつも持ち歩いている。ユニセックスで私には少し大きめだけどサクッと着られていい。この時期のハイキングだとさらにウインドシェルとか持っていったほうがいいな。常備のレインウェアも防寒の足しになる。近々また山に行く予定。

小さい子たちと会っていると、ドアから入ってくるなり、Tシャツや靴下に私の注意を向けようとすることがある。胸を突き出すようにしたり、靴を脱ぐなり小さな足をこちらに向けたり。「カーズだー」「ポケモン!」「恐竜だね」など応じると誇らしげな顔をしていつもの動きにはいる。時々、なんとも名付けようのない柄のときもあり、色や形で応じることもある。いつも会っている子だと、こちらが応じるのが半テンポ遅れること自体を面白がっているときもある。実際、なんじゃこりゃとなることもある。小さな一往復のやりとり。そしてその満足の重要性。とてもかわいらしい。

大江健三郎「共通の言葉を作ること」 ( 『言い難き嘆きもて』講談社文庫、2004年所収)
にこんな文章がある。

>そうだ、戦中の森のなかの子供だった私も、物語を想像しては身体の動きを励ましたものだ。想像の展開が、たとえば遊び仲間の陣地にしのびよるというような動きにメリハリをあたえた。

プレイセラピーでの子どもの動きを見ていると、大江のいうようなことが起きていると感じる。言語化は事後的なものだし、体験はそれぞれのものだが、その動きの質が、そこにどんな自然があり、どんな音が聞こえ、どんな色のなかにいて、今この子は、どんな世界にいるのだろう、と想像させる。そこに人はいるようだが、人とは距離を保っていることが多いように感じる。不安で、不穏で、少し怖いような環境で、自分の身体を動かすことをたよりに進んでいく。突然威嚇するような大きな声をあげたり、森の王者になったように胸をはったり。プレイセラピーの世界は夢と似ている。

彼らは突然、待合室の親のところへいくことがある。怖い夢をみたあとの子どものように。プレイルームに残される私は夢の守り人でありたいと願う。

こう書きながら、私の一部はいつのまにか上橋菜穂子の『夢の守り人』のなかにいる

そういえば、北千住の古書店で買った上橋菜穂子とチーム北海道による『バルサの食卓』というレシピ文庫本。なにかが足りなくて、作りたいのにまだ作っていないレシピがあることを思い出した。日常はせわしないな、こんな風に。今日もなんとかがんばりましょう。いいことありますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家