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お菓子 音楽

1987年、高尾のお菓子、Jazz

月曜日になってしまった。どうしましょう・・・。雨が降っているのね。寒くはないけど首にストールを巻きましょう。昨晩、阪神の応援で騒いだわけでもないから喉が痛いとかではないけど肌が出ているところはなんかひんやりする。今日も明日も日中は暑いくらいらしいけど8日(水)は立冬。きっと急に冬を感じる瞬間が訪れる。毎年そうですから。昨日の阪神は強かったですね。今年はずっと強かったわけだけど日本シリーズでも勝つとは。私は岡田、掛布、真弓時代の阪神を知っているので岡田監督が前の優勝の時は27歳だったというのを聞いて時の流れをしみじみ感じたのでした。当時は毎年巨人ー阪神戦、いわゆる「伝統の一戦」というものを後楽園球場に見にきていた。今wikipediaで「後楽園球場」を見たところ

「最後のパ・リーグ公式戦は1987年10月13日の日本ハム-近鉄戦で、近鉄先発の吉井理人がプロ初完投勝利を挙げている。最後のナイター開催試合は10月17日の巨人-ヤクルト戦で、巨人のサヨナラ勝ち。最後のセ・リーグ公式戦は10月18日の巨人-広島戦で、巨人の吉村禎章が4ボール2ストライク(4ボール目の見落とし)から本塁打を打っている。最後のNPB主催試合は10月30日の日本シリーズの巨人-西武第5戦で、最後の投手は西武の工藤公康、最後の打者は篠塚利夫だった(結果は三振だった)。」

馴染みの名前ばかり。前回の阪神優勝は1985年。私が最も野球をよく知っていた時代かもしれない。野茂がドジャースに入団するのはその10年後。いまだに野茂は偉かったよね、という話をする。

そういえば昨日はまた同世代で BUCK-TICKの櫻井敦司を偲んでしまった。BUCK-TICKのデビューは1987年。後楽園球場閉鎖と同じ年。1987年のwikipediaには

「5月25日 – 森高千里が「NEW SEASON」で歌手デビュー。9月12日 – マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート。9月20日 – おニャン子クラブが解散。12月24日BOØWY、渋谷公会堂にて解散宣言。」

はあるのにBUCK-TICKデビューはない。なぜだ。それにしても「そうか、これはこの年だったか」と思う出来事ばかり。38年。うーん。

ストールしてコーヒー飲んでたら暑くなったので巻き巻きをぐるぐる外したら今度は寒い。なんなんだ。今朝のお菓子は高尾のお土産。めじろ台に店舗があるパティスリーメゾンの高尾ラスクとマドレーヌ。ラスクはカステラを焼き上げてるんですって。今朝は黒蜜味をいただきました。マドレーヌも蜂蜜使ってて美味しい。蜂蜜大好き。

昨晩からグレッチェン・パーラトを聴いている。音楽の記録はTwitterとnoteにしていこうかな。なんとなくすでにそうなってる。時間があるときにメモ的に。グレッチェンは少し前に聞いてその優しい歌声にすっかり虜になってしまったのです。グレッチェンと一緒にやっていたベッカ・スティーヴンスもいい。

“’Cause there’s only now,
change all your thoughts from loneliness to solitude,
sacred,
the space that you’ve found.”

Becca Stevens BandのWeightlessに収録されている Weightlessという曲の歌詞なんだけどウィニコットみたい、と思いながらウィニコットはsolitudeという言葉を使ったかどうか、と考えていた。isolationを使ってはいるけど。

もうこんな時間か。辛いな。辛くてもお菓子は美味しく感じるんだからいいことですよね。みんなにも「あーこんな状態なのに空はきれい」とか「もう秋が終わっちゃうけど今年も紅葉みられた」とかほんのり良い感じのことがありますように。

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お菓子 舞台

お茶、ケムリ研究室『眠くなっちゃった』

ベッドで雨音を聞いていた。結構しっかり降っている感じ。今日もルピシアの「知覧 ゆたかみどり」。おいしいおいしい言っていたらいただきました。本当においしい。少し低めの75度から80度くらいのお湯でいれるのがおいしいのにぼんやりしていて熱いお湯をいれてしまった。でもおいしい。今朝はまだなくなっていないお土産お菓子にちんすこうとかパンセとかまだどこのかチェックしていないお煎餅とかも追加されたから選び放題。でも今日はあんまりおなかが元気ないらしく「どれにしようかなあ」と眺めただけでお茶だけいれた。おなかが積極的に痛みを訴えてくるわけでもない日は自分の行動で自分の状態を測る感じ。小さい頃から胃腸が弱いわりにお付き合いが下手でおなかに申し訳ない。欲望がね・・・。ポットのお湯を足しながらこの前まで毎日煮出して冷やしておいた麦茶のパックが目に入った。冷蔵庫の麦茶が減らない日が増えていってこの前「もういっか」となったのだ。今日はグループもセミナーもあるけどいつもよりのんびりできる。とりあえず作っておこうかな、と1000mlまで目盛が入っている小さい方の片手鍋に上限ギリギリまでお湯を入れる。本当は1200mlまで目盛が入っている鍋の方が余裕があっていいのだが今ここにある方を使っちゃう。IHなのでタイマーをかける。7分でお湯が沸く。わりとすぐに小さな泡が鍋の底につきはじめる。この鍋でこのまま「6」の熱でいくと7分より少し前に吹きこぼれる。なんとなく見続ける。泡がどんどん増えていく。これが大きな泡になって一瞬でふきこぼれる様子を思い浮かべながら小さな泡が水面を白く濁ったように埋めていく頃に「5」にした。7分はこっちの鍋用設定ではないのだから最初から5分とかにしておけばいいだけなのだが時間に余裕があると動きが鈍くなるのでぼんやりキッチンに立って観察。小さな粒が現れて最初は控えめなのにどんどん数を増やしていく。音も変わる。校庭にひとり、ふたりと出てくる子どもたちがいつの間にか校庭を埋め尽くしていくとか、朝の光をいっぱいに受けて遠くまで見渡せる表参道が用事を済ませて出てきたら遠くまで人でいっぱいだったとかそういうのを思い出す。ふきこぼれるほどに人が溢れてしまいませんように、とやはりガザを思う。

昨晩はケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきのユニット「ケムリ研究室」のno.3「眠くなっちゃった」をみた。場所は三軒茶屋の世田谷パブリックシアター。今回、舞台装置かなにかにトラブルが生じたということで初日があくのが1週間遅れた。私はまた観られないかも、と心配した。ケラさんの舞台だけは絶対に観たいのだがコロナで公演自体がなくなったこともあったし、席数が減ってチケットが取れなかったこともあったし、コロナで私がいく日をいれた数日が公演中止になったこともあった。なので今回も何かあったらどうしよう、と思っていたらあった。心配した。払い戻しになってしまった方々はとても残念だったと思う。こういうのは巡り合わせだなあ。私は今回はラッキーだった。とにかく幕が開いたのはよかった。開いてみたらとんでもなかった。上田大樹さんによるオープニング映像の素晴らしさはいつものことだが今回はあまりの良さに最初から涙が出てしまった。役者の皆さんのほとんどは何度も舞台で見てきている私にとってはお馴染みの猛烈に安心感のある人たちで、振り付けも何もかもが素晴らしくて今思い出しても涙が出てしまう。ストーリーももちろんあるし近未来を描いていたはずが今すでにそんな未来がきてしまった、ということを実感させられるセリフも多かったけどケラさんの舞台は全体としてしか語れない感じ。公演終了の放送が流れても拍手が鳴り止まず、また役者さんたちが出てきてくれて客席はスタンディングオベーション。本当に素晴らしかった。東京は今日の13時でおしまい。是非チェックを。この後の北九州、兵庫、新潟にいくというのもありかも。

今日の雨は舞台の余韻をひきずるのにぴったりかも。東京は雨だけどみんなの住んでいる場所はどうだろう。どうぞ良い一日をお過ごしください。

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お菓子

旅がらすとか波さんとか虫さんとか。

東の空で賑やかにしてる鳥たちのことを考えていたらパスワードをhigashiと打ってしまった。当然ピコピコって跳ねられてしまった。画面のその小さな揺れだけで「このパスワードは違いますよ」って伝えてくるんだから面白い、と思うけど、私たちも首ちょっと降ったり、指ちょっと動かしたりで伝えられるものね。昨日と同じく「微」が大事。

洗濯したりお茶いれたり柿剥いたりお菓子準備しているだけで時間はあっという間に過ぎる。合間合間で余計なことをするからだけど。目に入っちゃうとついね。今朝はこの前高崎に行ったときに買ってきた旅がらす本舗清月堂のシルクスイートポテト。秋らしく温かいお茶ととっても合ってとっても美味しい。私は小さい頃からこの会社の「旅がらす」というサクッとした薄いお菓子が大好き。お煎餅ともクッキーとも呼べない、と思うのは私だけで実はなんなのかしら、あれ。あ、鉱泉せんべいか。これ。言われてみればそうか。自分にとって特別なお菓子ってなにかもっと特別な感じがするのかな。いや、単に語彙に乏しいとか想起の力が乏しいとかってことか。

首にストール巻き巻きしたまま窓開けてバタバタ動いてたら暑くなったからトレーナーも脱いで半袖になった。ミッキーの頭の部分が小さく貼り付けてあるようなちびT。豹柄に塗りつぶされているのだけどこれもこの形だけでミッキーってわかるんだからすごい。これももうさよならしたほうがいいかな。何年着てるんだろう。まだ形はしっかりしてるのだけど生地が薄くなっている気はする。窓から静かに流れこんでくる風が冷たくて上着を羽織った。ついこの間まで風がないー、涼しい風流れこんできてー、と思っていたのに今は窓を少し閉められてしまう。風さんは何も変わっていないのかもしれないのにね。

この前、ベルクソン研究者の平井靖史さんが時間を説明するときに「波さんのほうからしたら」と言っていて俳句みたいと思った。そうだ、さっき「想起」って言葉使ったけどベルクソンは単に「想起」とは言わないということも学んだ。俳句みたいと思ったのは俳句は時々ものからみた描写をするから。月さんからみたら、とか虫さんからしたら、みたいな感じで。お米さんとかもいいかも(今ごはんのいい匂いが広がっている)。たい焼きの歌なんて、というか「およげ!たいやきくん」(漢字に変換されたら変な感じがした)、あれなんてたいやきくん、ケンカしてるしももいろサンゴが手ふったりしてる。でも擬人法はあまり使わないんだよね、俳句は。中途半端に人でいないようにしないと。子どもはすぐ虫とかになりきれてすごい。むこうに虫になりきられるとこっちはその仲間になったり人間のままでいたりしなくちゃいけなかったり臨機応変な対応が求められるが。知らない生物なのに微妙に動き直されたりして戸惑ったり。まぁなんにでもなるよ、ならせてもらえるのなら。色々教えて。子どもたちが今日も元気でいますように。

今日も部屋には光がいっぱい。外はまだ少し肌寒そうだけど東京はいいお天気みたい。週末ですね。がんばりましょう。

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お菓子 音楽

羊羹、お茶、音楽

PC前に突っ伏して寝ていた。よく働きよく遊びよく疲れている。が、翻訳とか書き物とかは全然進んでいない。なぜだ。やっていないからだ。

南側の窓を4分の1開けた。これまでは半分。それ以上は開かない。戸袋がないから。大学生のとき一人暮らしをしていた仙川の小さなアパートは雨戸があって戸袋があった気がする。いや違うかも。どこかで私は戸袋に窓を入れるのが下手だな、と落ち込んだ記憶がある。ああいうのに上手いも下手もあるのかよ、と思うかもしれないがあるんだよ。不器用な人は本当に驚くようなことに苦労しているものなのだ。今はとにかくゆっくり動く、仕組みをよく見る、人の真似をする、それでも無理ならやってもらう、ことが上手くなった。最初のステップである「ゆっくり動く」が最大の難関だったが優しい人たちの上手な声かけが徐々に内在化され今は不安や恐怖や眠気が強いとき以外はまるで落ち着いている人のように振る舞うことも可能になった。

戸袋といえばこれももうどのくらい前になるのか。母と京都の町屋に泊まったことがあった。とてもとても古い建物でとてもとても高齢に見える女性がお孫さんと思しき方と一緒に経営されていた。お二人ともとても素敵でお二人の姿が見えなくなるたびに母と静かに盛り上がった。建物も古さゆえの不便はあれど私の語彙では表現できないがとてもよかった。あの町屋はもうなくなってしまったはずだけどまた行きたい。

今朝は、暑い間は食べる気がしなかった羊羹をようやく開けた。熱いお茶と一緒にいただきたかったから。羊羹は数年前、河口湖に行ったときにふらっと入って一目惚れした「富士菓匠 金多留満」の「富士山羊羹  甲州もも」。今回はお土産でもらった。パッケージはまるで洋菓子。桃と羊羹の断面がいろんな向きで配置されているピンク基調の絵柄なのだがよく見ると少し面白い。かわいいピンクのワンピースに羊羹の柄を描かないでしょう、桃は描いても、という感じ。フフフ。かわい面白い。さて、少しの弾力を感じながら小さなナイフを入れる。伊万里の青木陶房で買った水色の小皿にそっと置く。青木さんもとても素敵だったな。土のこととか色々教えてくださった。お茶も夏の間は開けなかった滋賀のお土産、中村農園の「土山煎茶」。爽やか。緑がきれい。少し暑くなってトレーナーを脱いだがまた着た。今朝は少し寒いくらい。

お茶といえば来月はルピシアのBOOK OF TEAが出ますね。知ってるかな。いろんなお茶を丁寧に、でも気楽に飲みたいな、という紅茶好きな方に特別な贈り物をしたいときにはこの一冊(一箱)。最初にいただいたとき、大感激した。みんなであれこれ言いながら分け合うのも楽しいです。お茶とか陶器とかはそのヴァリエーションの多さに本当に驚く。葉っぱとか土とか基本は同じなのにね。

今朝はNubya Garcia『Source』。ゆったりかつ力強いサックスが心地よい。最近は柳樂光隆の記事が私の音楽の指針。どの記事も背景がしっかり書かれていてその人の個人史としてもジャズの歴史としても興味深いし勉強になるし紹介されている音源が素晴らしい。あと彼らが所属していたり受けてきた教育の話がとても参考になる。多様性を実現しようとするチャレンジャーたちの資質と地道な努力が素晴らしい音楽とともに受け継がれる土壌づくりにもしっかりと目配りが利いている。上質のグループで教育を受けられることは本当に素晴らしいこと。そういう人たちを単に「恵まれている」とするのではなくそういうグループ作りが可能であることを私たちはまず知らないといけないのかもしれない。ヌバイア・ガルシアのインタビューはこれ

今日は再び月曜日。色々あったはずの9月も体感5日分くらいでしたね。そうでもないですか。日常は慌ただしいけど心の中の時間だけは過去にも未来にもどこかへも引き伸ばす工夫をしながらなんとか過ごしましょうか。

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お菓子 散歩 精神分析

寄り道、新ハムレットオンデマンド配信、カチカチ山

暑い。でも朝はまだ冷房が効くのが早い気がする。今朝のリビングは31度だった。28.5度設定。0.5度ずつ変えられるようになったのっていつからだろう。その差をどのくらい身体がキャッチしてるかわからないけど。

隙間時間に友達とおしゃべりして連れてきてもらった道を戻るのではなく神社のほうへ。あ、通りの名前は知ってる。この通り、この前も見たけど繋がってるってことか、と陽射しを辛がりながら歩く。明らかにこの前通ったばかりみたいな景色だがこれはどっちにいけばいいんだろ、と左へ。あ、いつも突然現れる美術館はここかあ、行くときはのんびり寄り道しながらいくから全然道を覚えない。知っている道なのに知らない感じ。ここはどこだろう、と思ってると間もなく馴染みの景色へ。別の駅から帰りたかったのに降りた駅に戻ってしまった。あーあ。都会は難しいな。美味しそうなお店も見つけたけどまた偶然通りかかるまでは忘れちゃうな、きっと。その時はもっと時間があって偶然お腹も空いていますように。寄りたい。

五戸真理枝さん演出で6月、PARCO劇場で上演された 『新ハムレット〜太宰治、シェイクスピアを乗っとる!?〜』が今日から7月25日(火)までオンデマンド配信とのこと。劇場なんて遠くて行けなかったよ、みたかったよ、という人はぜひチェックしてみてください。太宰の命日である「桜桃忌」にはすごくかっこよくてすごくうじうじしたハムレットを演じた木村達成とこんな舞台を作ってしまう天才、五戸真理枝のアフタートークショーも収録されているとのこと。舞台の3分の1のお値段です。夏の夜のシェイクスピア、太宰のハムレットはやや暑苦しいけど女たちも魅力的。

太宰といえば河口湖町にカチカチ山(天上山)というのがあってハイキングにもいいしロープウェイでも山頂に行けるのだけど山頂も色々遊べて楽しいの。たぬき茶屋もあるしかわらけ投げもできる。もちろん太宰のカチカチ山の場面を辿れる場所もありますよ。面白いです。

今朝は太宰繋がりで河口湖土産、私的(多分多くの人にとって)No.1のフジヤマクッキー。オンラインでも買えるけど現地からきたそれらは少し山頂の雪が溶けたりしていてそれはそれで趣というもの。今回も美味しいです。

はあ、パソコンあっつい。熱い紅茶も飲んじゃったからあっつい。きれいさっぱりして出かけましょう。でもきっと外に出るなりダランデロンってなって電車でキンキンに冷やされてまたダランデロンってなっての繰り返しだろうけどね。毎日ぐったりしがちやわ。みなさんもどうぞお大事にお過ごしください。

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あれはなんだったんだろう うそもほんとも。 お菓子

余裕のなさとか

缶がガラガラと大量に落とされる音を聞いて目が覚めた。多分大量のレモンサワーの缶がプラスチックの箱の中に投げ込まれたのだろう。ベランダから覗こうかと思ったが外に出られる格好ではなかったのでやめた。でもまあ起こされたついでにと着替えて裸足で靴を履き外へ出た。風が弱い。もう少し吹いてくれていいのに。通りにはすでに誰もいなかった。箱の中は予想通りレモンサワーの缶で底は見えなくなっていたがいつもみたいに溢れんばかりではなかった。スーパーの3円のビニール袋を傾けて発泡酒とビールテイスト飲料の缶をガラガラと箱に落とした。レモンサワーが見えなくなった。ビニール袋に一本がくっついて落ちてくれないので手で剥がして置いた。ほとんど乗らない私のマウンテンバイクもどきにかけた傘がまだ少し濡れている気がしてわかりづらい平面のボタンを押し込んでサドルに立てかけた。薄い日陰ができた。まだ光が弱い。今日も曇り空だろうか。キッチンに戻ると一本だけ缶が置いてあった。捨て忘れた。朝そこに立った時に「これも捨てなくちゃ」と思ったのにな。

さて今日は教えてもらたチーズケーキのお店に寄りたいのだけど移動時間を考えると余裕がなさそうだ。うーん。でもキャロットケーキが届く予定もある、そういえば。以前散歩コースに美味しいキャロットケーキを出してくれるお店があった。人気のある店だったが遠くへ移転してしまった。移転先は結構田舎で車がないといけない。相変わらず地元の人に愛されているらしく売切の毎日らしい。よかった。キャロットケーキは見た目もとってもかわいい。見かけると思わず寄っていってしまう。こんがりした茶色にクリームチーズの白。この前も外から覗いたパン屋さんにキャロットケーキを見かけて思わず寄っていってしまった。そこのは断面が正方形ですごくきれいな地層みたいだった。惚れ惚れした。でもかなり大きい。一人分のカットみたいなんだけど。うーん。なんかもったいないから誰かといるときにしようと泣く泣く諦めた。その日から通りかかるたびに「今日はあるかな」とガラスの向こうを探してしまう。あると嬉しくなる。ないと「これからかな」「もう売り切れちゃったのかな」と思う。そしてチャンスがある日に限って余裕がないか忘れてしまうかする。美味しいものがそこかしこにあるからな。

あら。大きな声がして赤ちゃんが泣き出した。大丈夫かしら。この辺、また赤ちゃんが生まれてたんだ。しばらく聞こえてなかったんだけど。赤ちゃんの泣き声もどんどん変わる。保育園の子どもたちも元気かな。土曜保育はいつもと違うおもちゃで遊べるかもしれないね。みんな色々あるだろうけど元気に育つんだよ。

昨日、不買運動について一瞬考えた。人物と作品は関係ないと私は思っているがそう思えない関係があることも知っている。作品によって名を成した人に心も体も弄ばれ仕事もままならず収入も減った人がその人がいろんな種類のパートナーに囲まれて平然と次の作品に向かっていることを知ったらまた日常の行為とかけ離れたよくみれば軽薄なだけの作品(と関連した諸々)に金が入って相手を利用する資源や機会を増やすのかと不買運動に乗り出すことは十分にある。ただ、サークル的関係は解体しない方向で動くから運動と呼べるほどの大きな動きにはならないだろうし多くの女もそこに巻き込まれているわけだからシスターフッドなんてまるで感じられずまた絶望と孤独に陥るだけけかもしれない。それでも「声をあげる」としたらそれは決して黙らない相手に「こんな状態でもまだ生きてるよ」ということを知らせたいからかもしれない。でもそれだって軽薄に知性を活用して人を騙しながら誰かと嘘っぽい幸福な関係を築いている人は自分がしたことまで知的に面白がって距離をとれてしまうのですでに切り捨てられている可能性が高いかもしれない。毎日、高橋ユキさんのツイートでいろんな事件を知るのだけどああいう犯罪とこういう搾取って量と程度以外でどうわけていくわけ、とそこに連続性を見出しながらもそれが法的に罪ではなければ罪ではないという事実に戦う気力すらなくなることだってある。罪悪感を感じない人でも法的に「罪」というレッテルを貼られたら罪人になるわけだけどそれはレッテルでしかないし反転可能な場合もあるから難しい。むしろ法的には被害者とされる人の方が孤独で小さな抵抗を試みるたびに罪悪感に苦しんでいたりもする。都合よく使われ言葉を限定され身体は発散の場所にされ我慢は労われるどころか言葉にしなかったことを「どこに書いてあるんですか」と責められたり。「傷つく」という言葉を簡単に考えたりいろんな側面から検証しないとと検証もせず言っているだけの人はこういう目にあったことがない幸運の持ち主かもしれない。そんな余裕ないことっていっぱいあるんだけど。仕事をしないと生活が維持できないから怒りや気持ち悪さや理不尽に学ぶしかないとどうにかこうにか切り替えようとしてもすごく時間も気力も奪われてどうにもできない体験ってしたことある人って多いと思うんだけどだからといって他人は他人。そういうときだけ割り切れる。誰だって自分のことが一番大事で気持ちよくいたいものね。意味とか価値とか考える余裕もなくそういう目に遭い、それでも生きているという事実に応じていくしかない状態で自分のことも誰のことも殺めず生きていくためにはどうしたらいいのだろうと苦しい夜を過ごす人たちはどうすればいいのでしょうね。言葉で追い詰め身体を傷つける人に限って「そうしないためには」とか他人事のように言ったり書いたりしはじめるからせめてそういうときはすかさず「あのときのあれはなんだったんだろう」と呟くくらいはしておくとかね。不買運動も小さな抵抗。小さな抵抗は小さな祈り。届かずとも自分が生きていくために、と思えばいいのかしらね。

今朝はローゼンハイムのバウムクーヘンと紅茶でした。外はいつの間にか日差しでいっぱい。難しいことだらけだけど今日も一日、なんとかかんとか。

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お菓子 精神分析、本

Netflix、フロイト読書会、お菓子

早朝からNetflix三昧してしまった。「その女、ジルバ」とか「クィア・アイ」とか。「クイア・アイ」相変わらずいいわ。この上品なハイテンションも好きだしみんなすごくよく相手の話を聞くしいうべきことをはっきりいうところも好き。ポジティブになるって一人じゃできないもんね。大事にされて真剣に考えてもらえることは時にうざいし拒否したい気持ちの方が大きくなることもしばしばだけど変わらなければという人には欠かせない関わりになる。クィア・アイはそれぞれの専門性を生かしたチームでやってるのもすごくいい。変化のためにはいろんな方向からの支えを準備していくことが大切になる。前もってではなくて同時進行で。前もっては難しい。何が起きるかは誰にもわからないから。でもパターンというのはあるから積み重ねられてきた歴史は大切。だから勉強も必要なのね。友達も大切。積み重ねといえば何年も続けているフロイト読書会、フロイト全集を最初から読んできて主要論文は2巡目、3巡目になるわけだけどみんなの読み方がすごく変わってきた気がする。こうなるとみなさん優秀だから私は教わることの方が増える。「それは精神分析でなくても理解可能」という範囲での対人関係的な読み方ではなくなってきて、自分の枠組みを壊して広げた感じ。強烈なわからなさの中で持ちこたえてるとこういうことが自然に生じる。多分みんなはまだ「わからないわからないわからない」の中にいるような気持ちでいると思うけど。わからないはそりゃそうでしょう。わかるというのがどんな状態なのかと聞かれたらわからないでしょ。だからわかるわからないの軸はとりあえずなくしてその場にとどまることでいいんじゃないかな。人間関係だってひどい人はいっぱいいるけど心ある人もいっぱいいるから判断は速すぎない方がいいかもね。違和感は大切にした方がいいけど。

今朝は相変わらず長野のお土産の「栗のガトーショコラ」でした。なめらかな生地で小さくてきれいで美味しかった!

今日も雨?今はくもり。このまま降らないといいね。傘持ち歩くとなくしちゃうもの(そういう人多いでしょ?)。それでは今日もご無理なく。余裕なくすと悪循環始まっちゃうからいろんなこと受け止めつつも真に受けすぎず距離取りすぎずゆらりゆらりやれたらいいかもね。わからないけどね。

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お菓子 精神分析、本

お菓子、Webちくま、メタ

今週は信州のお土産で朝を過ごしています。昨日のはnoteに載せてしまったけど「ヌーベル梅林堂」の「くるみやまびこ」ハーフ。アンガディーネ(伸ばすって知らなかった)みたいなお菓子でとても美味しいのだけどウェブサイト見てびっくり!7年間保存できる「くるみやまびこロングライフ」バージョンもある。信州だから登山用の非常食にもと。すごい。私の想像ではロングライフバージョンは少し乾いた味がしてる。それにしても「7年」というのはどういう基準から算定されたのかしら。すごい。今日はお土産さんのSHINSHU BLACK TEA COOKIE & CREAM 信州 紅茶のミルククリームサンドクッキー。これ美味しい。ザクザクした生地と紅茶のクリーム。なんだか懐かしい味がする。

いちいち動きを止めるような衝動が生じるけどそこそこのスピードで進まなくてはいけない。みんな他人を利用しながら生きているということに痛みを感じつつ自分がそうしている仕方を確認しつつ。とどまるには自分をメタで見ていくしかない。

本が助けになる人にはWebちくまのこんな連載もいいと思う。堀越英美さん(@fmfm_nknk)の新連載「あなたの悩み、世界文学でお答えします。」。面白かった。

https://www.webchikuma.jp/articles/-/3127

私はジェインみたいになれない、「強火と弱火を自在に操る」なんて、という人もいるでしょう。というか大抵の人はそうでしょう。でもその物語を読んでいるときは少なからず主人公に同一化するわけで実際にそうなれるかどうかよりもひとときでも違う自分になれる自分を発見することの方が大事なのかも。だって「私にはできない」でも「私なんてどうせ」という言葉でも相手になってみようとした結果の言葉でしょう。相手の立場になってみる方法なのね、読書は。最初から拒否的になることだって生じるでしょうけどそれはそれ。自分の気持ちが自分の想定とは異なる方向に動く予感を感じるだけで苦しくなる場合だってある。それもそれ。そういう心の状態にひどく傷つけられる場合もあるけどそういう心は傷つくことをしたくないのだから心を動かせる側がメタを目指したほうがいい。弱者だから傷つく、苦しむ、という場合もあるけれど強者(大抵変化を嫌う人)の脆弱さの投影を引き受けている側面も大きいと思う。だから憎みつつもそれに覆われてしまわないことが大切なのでしょう、ジェインのように。でもこれはやはり文学でのお話。それはそれはひどい結末のお話も「単なるお話」と思うこともできるね。物語に入ってみて出てきてなにかを思うとき、それは入る前よりも自分を客観視できる状態なんじゃないかな。すぐにそうできなくなってしまうかもしれないけど。実際の人間と関わるっていうのは大変だ。でも人がいる限り、人でいる限りしかたないからプチメタ大事かもね。ヘビメタみたい。また言葉遊びに入ってしまうからこの辺にしとこう。プチコントロール。明日は夏至。寂しいな。とはいえ暑さに気をつけて過ごしましょう。

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お菓子

おしゃべり、おやつ、小豆島

まだ雨が残ってる。と書いてメールの返信をしていないことを思い出した。した。

今日も長いな。資料もサクッと作らねば。

隙間時間をめいっぱい使うため走った。私に合わせてこっちまできてもらった。おしゃべりは楽しい。成城石井のモーモーチャーチャーがおやつ。おいしいよ。ずっとモーモーチャーチーだと思っていた。成城石井のしょっぱい系だと「カレーおせんべい」と「オリーブオリーブあられ」とか「まめごろう」もおすすめ。「まめごろう」は甘いか。

小豆島のマルキン醤油記念館を思い出した。なんでだろと思ったけどオリーブ繋がりか。小豆島は本当にオリーブの島だった。そしてオリーブオイルが本当に美味しい。高いから島では楽しんだけどお土産は提携しているイタリア産のを買ってきてしまった。お醤油も有名なんだよね。マルキン醤油のミニサイズもお土産にしたなあ。工場見学みたいな感じで楽しかった。「二十四の瞳映画村」からどこへ行ったときだったかどこかへ行ったとき渡し舟で行った。電話をしたら年配の男性が舟でお迎えにきてくれた。タクシーみたい。私は田舎育ちだからタクシーは拾うものではなくて呼ぶものなのでそう思った。今もあるのかな。おじいさん、元気かな。もうかなり前だけど17年以内ではある。クリニックにお土産を持っていったから。あそこは開業してそのくらい。あ、でも、と今クリニック内のスタッフがやめたり入ってきたりを思い出して、あの人がいたということは、と記憶が蘇ってきた。でもわからないや。何年に何県へ行ったという紙をチェック。香川は2007年。一回じゃないはずだけど書いてないな。2007年、お醤油をあげたあの人はそこにもういたかなあ。まあ、そんなわけで小さな船でどんぶらこどんぶらこ、よりは早かったけど海なし県育ちだと水辺の交通に馴染みがないからワクワクした。小豆島は地域によって表情が全然違って小道もすごく面白い。歩きでも自転車でも練り歩いた(練り回った?)。一番印象的だったバス停がある、とそのバス停を思い出したけどあれ鹿児島だったかも、と思って記憶をひっこめた。旅の記憶をもっと正確にもっておけたらいいのに。

おしゃべりして感じたことを書こうと思ったのにオリーブから小豆島へ飛んでしまった。まあいいか。本を売る仕方、教えるということ、「美意識」という言葉が心に残った。

時間切れだー。週の真ん中、なんとか乗り切りましょう。

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お菓子

宇都宮土産とかいつものお菓子とか

深夜にも早朝にも原稿が届いた。みんな仕事しすぎでは。でも素敵な文章をありがとうございます。あああ。ここからがまだ長いけどもう5月も13日か。困った。が、とりあえず今日を。大切な会議もあるし。なんとか無事に終わってほしい。

さて今朝は宇都宮のお土産「とちおとめバウム」。ちっこいまるたみたいなバウムクーヘンがしっかりチョコに包まれていて中にはとちおとめのクリーム。10こ入りでホワイトチョコとスウィートチョコ5個ずつ。とっても美味しいの。私も栃木へいったらこれをみんなに買ってこよう。うちには餃子も買おう。ホワイトチョコ自体をあまり好きじゃない人からホワイトチョコ味の方は追加でもらったのでいっぱいあったんだけどすぐになくなっちゃうね。なんのための個舗装かってね。バウムクーヘンはホールだと賞味期限までに食べきれないから買えないなあ、とか思ってたけどそんなことない気がしてきた。でも最近はどこも個包装があるか。近江八幡のクラブハリエで焼き立てバームクーヘン食べたなあ。近江八幡ってすごくいいところで、と宇都宮から心が離れてしまった。いけない。宇都宮からきたお菓子をいただいのだから。

群馬県民にとって宇都宮は身近なんだけど最後に行ったのはいつかな。友達のうちへ行ったり後輩の結婚式へ行ったり普通に遊びに行ったりしたけど。私が行ったときって駅前の広場にいくつも餃子屋さんが出ていてみんな並んだりしてたけど今もそういうのやってるのかな。私は量を食べられないから普通にお店で食べたけど昔池袋のナンジャタウンで餃子の食べ比べができてそこのは何度か行った。今もやってるのかな。いろんなことが昔になっていくねえ。早く記憶から消えてほしいことほど薄まりもしないでずっと苦しかったりするのにね。食べ物のお土産とか「消えもの」って言い方するけど大事な発想だと思う。

おみやげをくれた人が宇都宮に行く前に餃子像を見るのが楽しみといっててそんなのあるのか!と調べたらすごく笑ってしまった。「言わないで!聞きたいけど、でも言わないで!」というから画像を見せることも説明することもしないでひとりでウケてたんだけど送られてきた写真を見るとそれはそれでまた全然印象が違った。いろんなこと思いつく人がいるもんだ。私も会いたい、餃子像。

こんな毎日お菓子ばかり食べてたら肌が荒れてきてしまった。ローソンとセブンイレブンのお菓子はもうほとんど試してしまった。セブンイレブンのあんみつは定番としてずっとあってほしいな。ファミマはあまり行かないけど宇治抹茶のティラミスは甘い甘い言いながらふわふわとしっとりが美味しくて全部食べちゃったな。ローソンは最近だとさくさくバターパイサンドとあんバターサンドが美味しかった。あ、肌荒れしてるのにまたお菓子のことばかり思い浮かべてしまった。

あ!投句締切、今夜の分だけじゃないことを今思い出してしまった。15日までのが二つもある。しかもひとつは必着。もう間に合わないではないか。欠詠だけはしないようにというのが目標だったのに。明日なら直接持っていけるからそうするかなあ。東京ってこういうことができてしまうからすごい。とかいってないでまずは俳句を作らねば。鳥たちよ、俳句になっておくれ。

鳥雲に隠岐の駄菓子のなつかしき 加藤楸邨

これは春の句だけど鳥とお菓子でこんな句作れちゃうのすごい。私は毎日こんなたくさんのお菓子や景色と出会っているのにダメダメだな。こんな駄文ではなく素敵に切り取って残していけたらいいのにね。

今日の暦生活はみつ豆だ!きれい。キラキラしてる。夏は透き通るお菓子を楽しむのもいいですね。お菓子好きじゃない人も別のものやことに支えられて一日なんとかやれますように。良い週末を。

草いちご
宇都宮土産