これだけ様々な土地へ行っているといつのまにか松尾芭蕉が歩いた「奥の細道」と重なりあいが増えてくる。芭蕉の頃は街はこんなに高くなく、きっともっと遠くまで見渡せたであろう。山に入ってしまえばもしかしたら似たような景色に立っているかもしれない。
1689年3月27日、河合曽良と江戸深川(江東区)を旅立った松尾芭蕉。芭蕉が船で向かった千住も先日歩いたばかりだ。芭蕉はそこから草加へ。日光街道を歩いたのだろうか。私は東武伊勢崎線で草加へ。今は東武スカイツリーラインというのか。以前、北千住と草加の間にある新井薬師の看護学校に教えに行っていた。オフィスのある初台からの行き来は途中秋葉原を使っていたことを思い出した。
「もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう草加という宿にたどり着きにけり」
「おくのほそ道」の冒頭だが、旅のはじめから不安でいっぱいの芭蕉とは全く異なる軽やかさで草加に行ける現代の私の不安もそういう一歩目のところで語れるものなのだろうと思う。今はわからないわからないと不安をどんどん漠然としたものにしてしまえる気がする。
毎日夜遅くまで仕事をしていると大体のことは「まあいいか」と考えない方に仕分けしているところがある。動けば面倒になること、動いても伝わらないであろうことは最初から動かないで受身的に応じるか、何か起きたら考えるか、という感じでいつのまにか忘れていくことも多い。今週はルーティンの仕事を休んでいるのでちょっと面倒だけど、ということや、どうせ言っても変わらないけど、ということをやってみている。推測通りのことしか起きないがやっぱり意識的に動くと思考は展開するなあ、と思う。旅に出ると、というのと似ている。そしてそれが表現のチャンスとなる。誰かが何かを書くために読んでいるとどこかでいっていたけどそういうのも近いのかもしれない。人は表現をしたいものなのか?
声はあげていきたいかな、自分が率先して何かを主張するよりも自分が大切だと思うものを守ろうとする人たちの味方として。草加松原だって高度経済成長に伴う変化、例えば車の排気ガスの影響とかで松がどんどん枯れていくのを見かねた市民団体が声をあげたから今みたいに美しく安全な松並木が維持され、俳人たちの句碑をのんびり眺めることができる。草加市的にもこのほうがずっとメリットがあったのではないか。みんなの表現が生まれる場所、受け取る場所がこうしてできるプロセスに意識的でいたい。
今年は大きすぎない花火を偶然みられている。夏はオフィスから毎日のように神宮球場の花火の音をきいているが数分で終わってしまうし音しか聞けないことも多い。先日、長岡の花火が話題になっていた。昔、花火職人の方にお話を聞いたことがある。身体的な危険も困難も具体的な職人の世界。山下清も愛した長岡の花火、芸術家は実際にみたら表現するしかないという衝動に駆られるのだろう。
先日、加賀温泉郷片山津温泉に泊まったときも納涼花火まつりがあるからよければ中庭でといわれた。ショートパンツでも蚊に刺されない涼しさを喜んでいたら花火の音がした。ひょろっとした花火が上がって消えた。え?となっていたら今のはテストだろうといわれた。へー。しばらくするとヒュルヒュルヒュルと火の玉があがりボーンと大きな輪が広がった。ゆったりあがる派手さのない花火に私たちもゆったり歓声をあげた。人に触れ合うこともなくこんなにそばで見上げられるとは。
能登半島地震の年の夏、羽咋(はくい)に泊まったが、それも偶然復興花火in千里浜海岸の日だった。私は寝てしまい見逃したがそういうのも含めて心に残っていく。
どうして花火はいつまでもぼんやりみていられるのだろう。抽象画を見るのとも違う。ロールシャッハのように意味を見いだすことも求められない。雲よりずっと情報量が多い。大きな音、全く日常的ではない火の輪。なのにすっと懐かしさのなかに静けさをくれる。日本の花火はそのあげかたを含め特別な文化の一つだと思う。危険を避けたいのか巻き込まれたいのかよくわからないこの国で職人さんの技術や街の意気込みが守られていきますように。来年は花火大会の会場にいってみたいな。
海の事故が増えているみたい。怖いね。私は海の知識も経験もほとんどないから山よりずっと怖く感じる。みんな気をつけて過ごしましょう。良い一日でありますように。



