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精神分析

沈黙のため

沈黙する。止まらなくなってしまわないように。一見まともそうな理由をつけて誰かを巻き込まないように。自分の不安をその対象からずらすことがその相手の不安を刺激することでもあるけど自分のことは自分で考えねば。だから見せない。その人はそういうこころのメカニズムがわからないからなんとも思わないだろう。本音を伝えたところでそんなつもりはない、これこれこういう理由がある、と苛立っていうだけだろう。頭でならわかるだけに嫌な思いをするだろう。悲しみや寂しさは感じるほうが悪いのだ。気持ちの共有はいつもむずかしい。もっと悲しくもっと寂しくならないために我慢する。こんな気持ちになる自分がおかしいのだと。受け入れることだけしてほしい相手に自分の寂しさや我慢することの負担を伝えることの負担はずっと経験してきた。それにこれ以上直面したくないから黙る。優しい人なのだ。でもその優しさを私に向けられるのは直接会っている間だけなのだ。会わない時間は時折思い出してもらえるだけマシなのだ。受け入れてあげることで嫌われないですむのならその人のあり方に合わせた私になるべきなのだ。自分の気持ちは自分で引き受け続けるべきなのだ。苦しんで苦しんで少し慣れてきたけれどノルマ的なスタンプと変わらない悪気のない言葉によって引き起こされる気持ちを抑えこむのは時間がかかる。でも暴発しないためにひたすら時間をかけるやり方を学んだ。外向けの饒舌と優しさも嘘ではない。それとは全く異なるあり方に心底悲しくなったけど何かを言ってはいけない。だから言葉にしない。沈黙の方法を模索する。言ってもまたスタンプ的な、あるいは本当にスタンプしかかえってこないのだから。悪気なんてないのだから。余裕がないだけなんだ。特別にしてあげてるくらいに思っているかもしれないのだ。気持ちを言ってもこちらの陰謀論だくらいに言われるかもしれない。陰謀論という言葉は相手を抑えこむために使うためのものではないけど。それにもしそうだとしても気持ちを考えてもらえなければそうなってもおかしくないのではないか、とも思うけど。でもそれも言わない。相手の振る舞いも自分の気持ちも飲み込むための沈黙の方法はどこ?どこまで続けるのだろうこんな見て見ぬふりを。

自分で理由をつけて苦しみを終わらせようとしない。身体もこころも壊れていくのを感じるけど壊れるまで続けてしまうのが私たちだ。そうなっても伝わらないものは伝わらないのに。

今日もいろんな人のこころが壊れていく。相手のことは諦めるざるをえなくともどんな言葉で思うこともどんなことを考えるのも自由であることを忘れませんように。一瞬一瞬の回復によってなんとか持ち堪えることができますように。

昨日も何冊かの本を買ってどれも途中まで読んだ。どれも詩に関する本だった。すごく大雑把に言えばだけど。沈黙するためにこころを大切にしようとする言葉を求める。そうだとしたらと思うと悲しくて可笑しかった。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生