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精神分析

「みんな」、use、伊万里

何歳になっても誕生日をお祝いしてほしい人だったな、とある人を思い浮かべた。私もいろんな記念日は忘れてても誕生日くらいは覚えているけど自分からお祝いしてほしいとか思わないから不思議だった。しかもその人は「みんな」にそうしてほしいみたいだった。そういえば親たちの誕生日を親から仄めかされ(なくても日付ちょっと怪しいながら覚えているけど)たことってないと思う。自分が誰かを生み出していると自分の誕生についての認識が変わるのかしらね。そんなはずないか、とも思うけど誰かが心の中にいるって自分自分ってなる暇をなくす(悪い意味ではなく)のかも、ここにもbeingとdoingの違いがあるんだろうな。今日は別のある人の誕生日。本人も忘れている可能性が高いし私もいざ会ったら伝えるの忘れそうだから書いておこう。おめでとう。

ウィニコットのuseの概念を精神分析を受けることで実感したわけだけど自分の心の中に人がbeingしていないと安心して人をuseできない。搾取という意味でのuseでもなく、クレーンとしてのuseでもなく。

秋にウィニコットの書き物について話す予定があるんだった。この辺の論文を取り上げようかな。ああ。今積んでいることをどうにかせねば。

さっきNHK俳句で佐賀県伊万里市の方の俳句が入選していた。伊万里市は行ったばかり。あの居酒屋知ってるかな。2月で閉店するといっていた親子でやっている細長いカウンターだけのとっても味のあるお店。いつもはご夫婦だけでやっておられるみたいだけどあの日はとても混んでいてお子さんが大活躍だった。もう80いくつだから、と父である店長は笑っていた。常連さんにすごく惜しまれながら。すごいことだ。たまたまだったけどちょうど空いた席に入れてもらえてよかった。そういえば隣の新婚カップルとのやりとりも可笑しかったな。みなさんお元気でありますように。

河津桜はもう葉桜に変わりましたね。いよいよソメイヨシノも開花かな。花粉で辛い方も多いと思うけど今日もご無事によき春を。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生