東京はいいお天気。梅雨の晴間。この時期の花々は水も太陽も供給されているせいか朝日に輝く姿もみずみずしい。早朝から夜ごはんの準備をして朝ごはんを食べた。生活習慣は時間感覚を整える。ある程度の見通しがもてることは安心感につながる。
5月はソウルで精神分析の伝達、継承について、先日は市ヶ谷で「甘え」について発表したが、発表は少し過去の思考プロセスの断片となる。外からみると異なるテーマに見えてもひとりで考えられることなんてたいしたことないので、いつもいいたいことは大体同じなわけで、それらは日々考え続けられている事柄でもある。
今年の日本精神分析協会のジャーナルでも対象の不在を知覚するプロセスにおける精神分析カップルの心の揺れやそこから立ち現れる気づきについて書いた。「甘え」もそうだが、精神分析が相互作用を重視することは現代では普通のことだ。私はそれを分析家になる(becoming)という文脈で考え続けているから継承の話になるし、治療者が先に甘えにまつわる情緒を体験することの重視になる。土居はもちろん甘えの相互性を強調したし、子供も大人も甘えると述べた。そして甘えを転移と同様のものとして位置づけたが、私たちが甘えや転移という言葉を使うとき、そこに治療者側、母子関係モデルでいえば、母親側をどこまで患者と対等に位置づけて思考できているだろうか。訓練を受けることの重要性はまさにここにあるわけで土居でいえば治療者が「甘え」を自覚することにむけて自分のこころが他者との間でいかにいろんなふり幅で、いかに繊細に動くかに怯えたり、防衛したり、一時的に病的になったりする体験をするなかで自分を知る長き苦闘だろう。
私が土居健郎の「甘え」について考えるとき、同時にアンドレ・グリーンのネガティブ、そしてウィニコットの鏡役割についても考えている。たとえばContemporary Psychoanalytic Practice(2025, French Psychoanalysis: Contemporary Voices, Classical Texts series)のThe enigma of guilt and the mystery of shameの以下の部分は「甘え」の説明になりうる。訳はいつも通り間違いがあるかもしれないので参照する場合は必ず原著を。
>>ここに残される問題は、「欲動満足の欠如だけが攻撃性の引き金となる唯一の要因なのか」という点である。この疑問に答えるためには、まず欲動満足を構成する要素を同定する必要がある。母子関係の中で、破壊的側面が存在しているように見える場合、そこでは欠如による苦痛が攻撃性へと変形する背後に、持続的な融合、あるいは分離の欠如non-separationの徴候がうかがえることがある。子どもはこの状況から逃れようとして、母親を執拗に引き留め、ほとんど絶え間なく母親を自分のそばに置いておこうとし、母親に安らぎの時間を与えず、心配させる。まるで、母子関係だけでは得られない何かを、必死に求めているかのように。しかし、このような葛藤の反復は悪循環を延長させ、サディスティック=マゾヒスティックな関係を強化するにすぎない。私の見解では、ここで起きているのは、子どもが、自らの欲望の関係性を母親が理解していない(母親自身の葛藤のために盲目になっている)ように感じるがゆえに、その関係の中の欲望の性質を認めてもらうために行う必死の試みである。したがって、この要求に満足に応じるための前提条件は、主体がこう感じられることである。自分の欲求は欲望の表現として理解されている、そしてその欲望は、他者のうちに、自分自身を映す、自分と相補的な欲望する姿勢を見いだしたときにのみ表現可能である。
私の考えでは、攻撃性は対象を攻撃しようとする意志そのものではなく、むしろ他者からの応答の拒否への反応である。すなわち、主体が期待していた自らの欲望を映し返す応答がそこに見いだせないときに現れるのである。これこそ、ウィニコットがきわめて深く理解した点である。(引用ここまで)
土居は甘えを相手に自分の気持ち、欲求を察してほしい、理解してほしいという受動的、依存的な面を強調した。
一方、ここでのグリーンは、子どもは、自分の欲望の関係性を母親が理解していないように感じるがゆえに、その欲望の性質を認めてもらうために必死の試みを行うとう文脈で述べている。グリーンはウィニコットを引き合いにだすが、土居がウィニコットを引き合いに出すとしたらウィニコットの鏡役割ではなく、攻撃性の理解のしかたに自分の理論との類似性を見出したのではないだろうか。土居は切実さを情緒的に描写したが、それを即痛みとして、つまりわかりやすい攻撃性の文脈におくことはしなかったようにみえる。北山修のいう儚さもそうだが、日本の精神分析はどこかずっと見続けられる夢として親密さを捉えているのではいか。
とかこういうことをあれこれ毎日考えているわけである。今月末〆切の仕事もできていないのに同じく今月末〆切の演題募集に応募したいと欲張っている。どうせだめだろうとワンチャンあるかものはざまにいつもいるな。まあ、その時々の状況でどうにかしましょう。
今日は火曜日。良い一日になりますように。

