カテゴリー
お菓子 仕事 俳句

確定申告、橋本多佳子の句集

昨日は雨が降った。昼も夜も降ったらしい。昼間、外に出たら道路が濡れていた。傘をさしている人もいたからほんの少し前まで降っていたのかもしれない。

雨は大船渡の火災を少し鎮めたらしい。もっと早く降ってくれればと思わざるを得ない。土の中にはまだ熱源があるとのこと。完全に鎮まりますように。すぐに大きく細やかな支援が入りますように。私もできることを探そう。

確定申告、ああそういえば、と後回しにしているものを次々思い出す。よくわからなくて後回しにしていたものだから友達に教えてもらいながらする。毎年、こうして、いろんな人と愚痴を言い合いながらする作業だ。開業仲間が多いのは心強い。こういうのはいろんなものの持ち寄りと分け合い。期日には間に合うだろう。色々納得いかないが。お金をもらわずにすごく労力かけているものには何もくれなくてお金をもらった分からは取られていく。なんなんだろう。仕事ってお金にならない部分がかなりあるけどね。

以前も書いたがコロナ禍、オンラインで話していた句友が教えてくれた橋本多佳子の句集をちょこちょこ読んでいる。馬車の時代を経験しているんだな、と思う。私はその音も揺れも映画やドラマの中でしか知らない。

仏蘭西租界

春曉の路面かつかつと馬車ゆかす
 
春曉の街燈ちかく車上に過ぎ
 
幌の馬車春曉の街の角に獲し

春曉の外套黑き夫と車上
 
春曉のひかり背がまろき馭者とゆけり
 
春曉の靄に燐寸の火をもやす

これらは多佳子が夫と上海、杭州へ旅したときのものだ。昭和10年5月、これが夫との最後の旅となったという。

毎日10,000歩以上歩いていた日々は終わったが週平均だとなんだかんだそのくらいになる。意識して歩いているわけでもいろんなところに移動しているわけでもないのに不思議だ。鳥たちは実物でも写真でも実によく歩く。飛べるのに。飛ぶ方が労力いるのかな。

今日は頒布のみのお菓子屋さんを営む友人のフロランタン。北杜市での生活も長くなってきた。

「バタークッキーの上に、キャラメルアーモンドが乗ったクッキーです。リッチなバター感の歯応え良いクッキーが、香ばしいキャラメルアーモンドをまろやかに包み込みます。」

と紹介されている。この紹介プリントもいつも嬉しい。そしてこのフロランタン、とっても美味しい。花豆のケーキも最高だったがこっちはまた別の感動がある。そしてプレゼントにつけてくれた丸子紅茶のこの自然な甘みはすごい。ほんわか。今日はよく晴れそう。外も光に覆われ始めた。週末、良い1日になりますように。

カテゴリー
お菓子 精神分析

月、ポッドキャスト、お菓子

昨晩も月がきれいだった。一昨日も満月みたいだったけど昨日が満月だったらしい。2月の満月をアメリカでの先住民はSnow Moonと呼んだとのこと。日本では春の月は朧月とか言ったりするけどまだ冬の月に近い輝き方かも。昨日は強い風をマスクで避けながら少し春を感じた。

いろんな発表の準備をしなくてはならないけど隙間時間に読みものをしているだけでは「これで行こう」という糸口が全然掴めない。いつもそうこうしているうちに〆切間際になって追い詰められてようやく思いつくという感じだけどそのパターンを変えていきたい。マイケル・パーソンズ、G.コーホンなど独立学派の分析家のpodcastを聴いたりしたがいまいち発想が広がらない。パーソンズが取り上げていたミケランジェロ・アントニオーニ監督の『Lo Sguardo di Michelangelo( The Gaze of Michelangelo)』は見てみたい。

パーソンズの取り上げ方はこんな感じ。

 The title of the film is: Lo Sguardo di Michelangelo — ‘The Gaze of Michelangelo’. This is splendidly ambiguous. Which Michelangelo? Buonarrotti or Antonioni? Who is gazing at whom? Patient and analyst, in their different ways, ask themselves the same question. Both, of course. The two Michelangelos are gazing at each other.

 

今週末はタイプロ。メンバーが決まる。そもそも元々のメンバーのことをあまりよく知らないのできちんとみていたわけではないがみると泣いてしまう。SNS上は盛り上がるのだろう。

煎餅工房さがえ屋さんと老舗ショコラティエ「サロンドロワイヤル」さんのコラボ商品「おこめショコラ【ホワイト】」をもらった。サクサク甘く美味しかった。

今日も東京は晴れみたい。どうぞ良い一日をお過ごしください。

カテゴリー
お菓子 精神分析、本 趣味

パイ、カレー、読書

朝焼けはまだ。今日は「市ヶ尾パイ」。パイだけどしっかり。硬い。美味しい。

あ、色々していたら空が白くなってきた。日々、時間の使い方を模索しているができたら空に合わせて動きたい。日曜は雨だったが帰り道はやんでもやっとした空に月が浮かんでいた。ここ数日はその月が少しずつ大きくなっていくのを見た。習慣を変えるというよりも作るという感じ。一番はきちんと自炊する時間をとりたい。大体20分くらいで作れるものばかり作ってるけど目指すは印度カリー子さん。カリー子さんはすごい人ですごく運動もするからあれだけ食べられるというのもあるし多分胃腸も丈夫なんだと思う。私は毎日カレーが食べたいというわけではないがあのパワフルで優雅な食事スタイルは見習いたい。三浦哲哉さんの影響もあるが自炊は楽しい。美味しい。昔はあれだけ面倒だったのにね。不思議。まあ、スパイスは増やしたから1週間に1回は印度カリー子レシピから作りたい。サバカレーと無水チキンカレーのレシピは保存してある。

昨晩は週末に読むアンドレ・グリーンの論文に出ていた言語学に関する本を調べようとしていろんな本を引っ張り出したが私が探しているものは全然見当たらず。この領域はすごく幅広いのだなあ。面白い分野というか精神分析理論を細かく検討するために深めたいのだけど理解に時間がかかるから死ぬまでにどのくらい深まるのだろうか。まあ、こういう時間もちょっとずつ読もう。すぐ忘れるのにどうしてこんなに勉強するんだろうねえ、不思議だ。でもどっかで役に立つのだろう。がんばろう。

カテゴリー
お菓子 俳句 読書

フィナンシェ、伊達公子の番組、中村哲の本

神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾のパティスリー グランウールのお菓子をもらった。まずは抹茶のフィナンシェからいただきます。あずきが入っているのね。わりとさっぱりしていていいかも。カフェインレスのコーヒーとね。最近のカフェインレスのコーヒー、紅茶はとてもおいしいのね。ありがたい。パティスリーグランウールのお土産には秋冬限定の「時間ショコラ~トキショコラ~」という素敵な名前のお菓子も入っていた。立春をすぎたとはいえいよいよ冬みたいな寒さだものね。俳句も春の季語で作ろうとするとあたたかみが増してしまいちょっと実感とそぐわないと思ったけど「春の霜」とか「春の」をつければ本当は春なんだけどね、という感じもでるかなと思ってそうした。立春前は「日脚伸ぶ」とか「日向ぼこ」とか冬だけど春が近いですよ、みたいな感じのお天気でしたね。

昨晩、Eテレで伊達公子の「最後の講義」という番組をやっていた。聴講していたのはみんな女性。ある方が今後子どもを持ちたいとかなった場合にキャリアが中断することについての質問をしていた。こういうとき、やっぱり質問する側は緊張してしまうし、不安が溢れてしまうし、涙ぐんでしまうんだよね。その不安が具体的でなくても、今直面していることではなくても、こういうときの情緒って口に出してはじめて感じるものでもあるんだよな、とこれまでお会いしてきたいろんな女性患者さんのことを思った。トップクラスの人の話を聞くってとても大事よね。トップクラスではなくても自分と同じような体験をしている人の話を聞くことはとても大事。それ以前に人の話から学べる姿勢を持っていることが大事だけど子どもでも大人でもまずはその部分が育ってきて、すると「テレビでこういうのやってて」とか「友達が何なにって言ってて」と自分のあり方を考えるときに人を参照することが増える。暖かい文脈で。まずは暖かさをいっぱい知って少しずつ人の話を聞ける自分を育てていくことが大事なんだなあといつも思う。この仕事しているから特にだと思う。

私は中村哲さんの言葉からたくさんのインパクトを受けてたくさんのことを学んでいる。澤地久枝が聞き手となった『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』も読みたい。澤地久枝もいい。『完本 昭和史のおんな』は上下合本がほしいけど書籍代がかかりすぎているのでセーブ。合本でなければどこかにあると思うし探すべし。洋書が高すぎるんだよねえ。はあ。高いからきちんと読むのでそういう意味ではセミナーとかにお金かけるよりずっとお得だとは思ってるけど。あ、そうだ。週末までにもっと読まねばならないものがあるのを忘れていた。それも英語だったかなあ。そのチェックからせねば。もっとかしこくなりたいけどしかたないね。今日も自分の持ち物で一生懸命やりましょう。ためいきまじりだけど。鳥が鋭く鳴いて去っていった。元気ならいいな。暖かくして過ごしましょう。

カテゴリー
お菓子 イベント 俳句

豆、習慣

今朝は朝焼けの様子が少し違う。雲が多く空はまだら模様。昨日焚いたお香と朝ごはんの匂いが混ざっている。そんな変でもないけどちょっと変。今朝のデザートは苺。嬉しい。しかも美味しい。果物は当たり外れが少し心配だけどこれは美味しい。もう春なのね。今日は2月1日。立春は3日。ということは明日は節分。もうお豆食べてしまった。お正月が終わってすぐにスーパーには鬼の絵が書かれた豆菓子が並び始めた。私が買ったのは「でん六」の「マメにするのだ!アソート」。赤塚不二夫のキャラクターが書いてあったから。昨日食べたお豆はレレレのおじさん。レレレのレー。お掃除する人を見かけると「レレレのレー」が浮かぶことがあるけどなんか失礼な気がして楽しくなることを一瞬控える。掃除してるのおまえじゃないじゃろ、ってね。でも大好きキャラだわ。

1月16日から1日一句は作ってもう10日以上過ぎた。なんか習慣化してきた。私はこれは精神分析の効果だと思っていて、分析家になってから習慣化したことがいくつかある。いつも締切前日に速達で出すか、オンラインだったら締切時間ぎりぎりに出すかだった俳句が習慣化するとは。句会に出る習慣もつけたいけどこれは時間を確保するところからだから難しいので結社にこだわらず行けるものに行こうと思う。この前出た句会は平日昼間だったせいか年上の方が多く、私が俳句をする前にイメージしていた俳句の世界が広がっていた。全国的にも俳句はまだ高齢の方に馴染みのある文化かもしれないけど私が所属する結社は私より若い人たちもたくさん活躍しているし、というか書いていて思ったのは私もすでに若くないわけで私がいう若いは少なくとも20代ではない。俳句は短いのがとにかく魅力なので好きなんだけど読むには漢字が難しいのと語彙力が必要なので調べる習慣がついていないと大変。辞書をひく習慣がオンラインで辞書使うようになってからいまいちうまくいかないんだよね。というより複数のことを同時にすることができないから辞書引き始めるとずっと辞書読んだりしはじめてしまうわけで、オンラインだとそれもせず別の何かを調べ始めたりしてしまうからなんだな。とまずは自分の今の行動の癖を知るところから別の習慣作りははじまるはず。作る分には自分の持ち物でやればいいという面もあるけど私の場合はインプット足りない。語彙力って使えないと意味がないとまでは言わないけどあまり意味がないわけで言語化とお勉強ができるかどうかがあまり関係ないのと似ているところがあるわけです。私はお勉強も平均的なうえに言語化するときの語彙が乏しいわけで日常生活に支障はないけど俳句生活には支障がある。これは続けていきたい趣味だから多分積み重ねでなんとなく今よりはましにはなっていくとは思うけど作る習慣もまだ1ヶ月経っていないからどうなることやらだわね。忙しいとかいってないで今日も何か見たらパッとつくろ。

2月かあ。早いねえ。なんとかやっていきましょう。

カテゴリー
お菓子 俳句

保田小学校と秋桜子

夜明けの空。配色も月の配置も完璧でとてもきれい。

『桜の園』大千穐楽か。ケラリーノ・サンドロヴィッチが2020年版、幻の『桜の園』の稽古場最終日の写真をSNSに載せてくれてる。すごく楽しみにしていた舞台。まさかコロナという感染症によって全公演中止になるとは思わなかった。ケラさんによるチェーホフ四大戯曲。全部見られた人が本当に羨ましい。

千葉県安房郡鋸南町保田の道の駅は「保田小学校」というそうだ。そこのお土産をもらった。この道の駅、給食メニューが食べられたり、教室のような宿泊施設もあって楽しそう。日帰り入浴もできる。金次郎もいる。びっくりしたのは校歌の歌詞が水原秋桜子だったこと。私は昨日、日々を吟行とするためにということを考えていて小川軽舟の『俳句入門』(角川俳句ライブラリー)の第11章「「吟行」をどう生かすか」」をパラパラ読み、そこで紹介されていた秋桜子の第一句集『葛飾』をほしいな、と思ったばかりだった。なので秋桜子がなぜ保田?と驚いてしまった。さっき調べたら「町報きょなん」のバックナンバーを読めるサイトがヒットし、そこに秋桜子と保田のつながりが書いてあった。

保田小学校校歌について

伊丹信太郎と秋桜子について

なるほど。小学校は平成26年3月に閉校したそう。こうして道の駅として地域の交流の場になったのはとってもいいこと。ここは元小学校らしく子供の遊び場もきちんとあるらしい。一時期、全国の「道の駅」に出かけようと思って色々行っていた時期があったのだけど最近は行った場所にあったら行く、という感じでこだわらなくなっていた。でも地域交流の拠点としてその町の歴史を受け継ぐ大事な場所だから今度からもっときちんとまわろう。いつもその地域のお野菜やお菓子やお惣菜やお酒ばかり見てしまうから。今回のお土産は「保田どら 保田小びわつつみ」。水色のランドセルの形をしたお菓子。千葉県産びわあんをかわいく包んだ小さいお菓子。かわいくておいしかった。

今週も色々いいことあるといいですね。良い一日を。

カテゴリー
お菓子 音楽

ジョン・ゾーン、湘南ゴールド

明るい月が出ている。と早朝に書くのはなんかいい。この時間でもこんな明るい三日月が出ていることもあったっけ。あったに違いないけど。昨晩、SpotifyでおすすめされたJohn Zornのアルバム「Ou Phrontis」を聴き始めたらとてもよくてジュリアン・ラージが公開しているジョン・ゾーンとのコラボレーションのプレイリストも聞いたりした。いつの時代にもなんでもできる人というのはいるものだがジョン・ゾーンという才能は一体なんなのだろう。ジュリアン・ラージは誰に対しても素敵な言葉で表現する人だけどジョン・ゾーンに対する語りもいい。柳樂光隆さんによるインタビューで読んだ、有料部分になるけど。

今朝は湘南ゴールドのゼリーをいただいた。爽やかだった。wikipediaによると湘南ゴールドって「神奈川の「今村温州」と神奈川県西部で採れる「ゴールデンオレンジ(黄金柑)」の交配により作られた」そう。柑橘だと知ったのが最初だったからあれだけど最初に名前だけ聞いていたら湘南のサッカーチームかなとか思っていそう。ゴールドではないけど、最近晴れの日が多くてすれ違う人みんなどこかが光ってる。ボタンとか袖の一部とか。多分本人も気づいていないのだけど意外と光るのね、人間の装いって、と思った。夏の光では感じなかったのに。単に暑すぎてそんな余裕がないだけかもしれないけれど。

色々進まなくて昨日も帰ってから「がんばろう」と声にしてみたもののジョン・ゾーン聞きながら腑抜けていた。やっぱり夜はダメだな。朝がんばろう。次はなにをすればいいんだっけ、という確認から始めないとだけど。進捗がないのだからスタート地点変わっていないはずなのにそこがどこだかわからない。がーん。まあ、なんとか今日もはじめましょ。

カテゴリー
お菓子 俳句

くるみ信玄餅、『現代日本文学大系95 現代句集』(筑摩書房)

朝は特に目がよく見えないなあ。でも朝焼けはきれい。もっと上空からみたらとってもきれいだろう。冬、朝早くからオフィスで仕事をしていると世界中と言ったら大袈裟だけど新宿区、渋谷区、世田谷区を覆う朝焼けがものすごくきれい。明治神宮の森も都会の建物たちもオレンジ色に輝きながら染まる。毎日毎日都会にいるわけだから都会の現代的な俳句が作りたいなと思っているけどなかなか難しい。読んでてスッと入ってくるのは昔の句だし。

それはそうと今朝は北杜市のお土産、金精軒のくるみ信玄餅。これのことは前にも書いたかもしれないなあ。一箱に一つの個包装。風呂敷を結ぶような形になっている箱を開くとくるみを持ったリスさんが登場。くるみ一つを手に、一つはそばに置いてある。かわいい。箱の側面には金色で縁取った葉っぱ。袋をあけてのっぺりした楕円形のお餅をぬっとお皿に出す。美味しそう。うん。美味しい。熱い緑茶と頂いております。桔梗屋と同じタイプの信玄餅もあるけどこれはこれで黒蜜とかきな粉とか自分でかけなくていいから気楽ね。あの作業楽しいしあれで美味しくなるわけだけどきな粉を飛ばさずにあの袋の上できれいに食べる自信がないから下にさらに皿を重ねる。風情があっていいけどね。

この前、土井善晴さんのレシピでひじきの煮物を作ったんだけど生姜いっぱいのレシピですごく気に入った。生姜大好き。生姜が入っている飲み物も大好き。生姜紅茶とか常備。でも常備しちゃうとあまり飲まなかったりする。ペットボトルで生姜が入っている飲み物があるとすぐ買ってしまうのに。オフィスから近いオペラシティに成城石井が入っているからそういう飲み物が豊富で危険。さっきペットボトルで生涯が、って打ち間違えた。生涯をペットボトルに詰めてはいけないわ、と一瞬思ったけど投壜通信とか思えばそういう形の詰めかたもあるかもなと思ったりする。咳。きな粉でむせた。飛ばないようにお餅にくっついているタイプなのにさすがきな粉。

この前、『現代日本文学大系95 現代句集』(筑摩書房)をなんとなく開いて『鬼城句集』の序文の虚子にふーんとちょっと思うところあり、別のもパラパラしていて橋本多佳子の『紅絲』にの序文を読んだ。書いたのは山口誓子。実作者にとっての批評という観点から多佳子への信頼を示す誓子の文章が素晴らしい。そういえば私は『橋本多佳子全句集』を持っているではないか、とKindleをチェック。あった。コロナ禍で句友が勧めてくれた。つまみ食いするように読んでいたから序文をきちんと読んでいなかった。多佳子の句集の序文は全部山口誓子が書いているらしい。句集『信濃』には序文がない。『海燕』の序文もかっこいい。

「女流作家には二つの道がある。」

から始まる文章。性別は男と女しかいない、という言葉とはだいぶ違う現実味がある。最近、私が俳句を再び丁寧に始めようと思っているのは世界の言葉がどんどんおかしくなっているからかも。思考のない言葉は怖い。

さて、私が持っている私が持っている『現代日本文学大系95 現代句集』(筑摩書房)は昭和五十年六月十日発行の初版第三刷。2021年八月十四日に購入したらしい。当時の定価は2300円。私も古本でそのくらいの値段で買った。箱が壊れかけており、表紙にシミ、汚れがあるけど中はきれいでこれだけの句集が入ってこの値段はすごく安いと思う。どれだけの句集かというと以下。


內藤鳴雪『鳴雪句集』村上鬼城『鬼城句集』尾崎放哉 『大空」前田普羅『普羅句集』阿波野靑畝『万両』富安風生『草の花』芝不器男『不器男句集』川端茅舍『川端茅含句集』松本たかし 『松本たかし句集」渡邊水巴『白日』中塚一碧樓『一碧楼一千句(抄)』原石鼎『花影』星野立子『立子句集』種田山頭火 『草木塔』三橋鷹女『魚の鰭』富澤赤黄男『天の狼』山口青邨『雪国』高野素十『初鴉』白田亞浪『定本亜浪句集』日野草城『旦暮』野見山朱鳥『曼珠沙華』橋本多佳子『紅絲』西東三鬼『今日』細見綾子『冬薔薇』篠原梵『雨』金子兜太『少年』澤木欣一 『塩田』飯田龍太『童眸』石原八束『空の渚』角川源義『秋燕』秋元不死男『万座』加倉井秋を『真名井』石川桂郎『竹取』森澄雄『花眼』野澤節子鳳『蝶』荻原井泉水『大江』

山本健吉の解説が付録でついている。これは山本健吉を読むといい、と言われた関係で買ったのだろうなあ。買っておいてよかった。今の値段だと高いから。

もうこんな時間。今日もがんばりましょう。

カテゴリー
お菓子 仕事

冬至、乳幼児

冬至の朝です。いよいよ本格的な冬が来る気配が昨晩した。温暖化は着実に進んでいるのにこういう季節の変わり目は毎年きちんとその通りにやってくる気がしている。ということでベッドに帰りたい。が帰らない。仕事仕事。今朝は大月土産の「煎餅屋のクッキー 甲州味噌&胡麻」。栄月製菓さんのお菓子。こういうのは絶対おいしい。そしてやっぱりおいしい。甘じょっぱい。カフェインとりすぎかもと思って緑茶ではなく暖かいハーブティと。優しい甘味。冬はいろんな味に敏感になる気がする。寒いから摂取するもの皆ありがたいという面もある。そしてまたカーテンの向こうをのぞく。朝焼け。きれい。カーテンは日が出てからあける。この部屋は晴れた日は冬でもポカポカ。暖房いらずになる。今日も晴れらしい。

今日は保育園にも行かねば。楽しい仕事だけど小さい子たちと直接関わる仕事ではないからちょっと寂しい。彼らと遊ぶのはとても楽しい。こちらから積極的に関わる立場ではないのだけどじっと座っているだけでも彼らは絵本を持ってちょこちょこ寄ってきて当たり前のように膝に座ったり少ない語彙で驚くほど豊かに色々紹介してくれたりする。もちろんこちらが補いながら聞いているわけだけどこちらが適切なことをいったときの大きなウンウンとか何かしっくりこないことをいったときのちょっと止まる感じとかそしてスルーする感じとかもすごくかわいい。大人はそういう彼らに対してがんばらねばならない。

スパイク・リーの『ファイブ・ブラッズ』でベトナム戦争を生き延びた黒人退役軍人とその息子が出てくる。この父息子関係も非常に複雑で、と今思い出したのは私がさっき思い浮かべた子供たちはまだ言葉がではじめた頃の1歳児とかで、その年代の親子を描いた映画ってあまりないのでは、と思ったから、かもしれない。あとベトナム戦争の話とちょこちょこ出会っているから。ガザでは本当に小さい子たちの映像もたくさん出てきてこの状況でその笑顔で遊ぶのかと驚くこともある。もちろんたくさんの遺体の映像も見た。隠しようもない現実。その現実には本当にたくさんの乳幼児がこの世界を生き延びようと本当に豊かに活動をしている。彼らの心が少しでも守られますように。いいものをたくさん取り入れる機会を得られますように。

どうぞ良い1日を。

カテゴリー
お菓子 イベント 俳句 散歩

満月、俳句、「昭和のくらし博物館」@大田区

朝焼け。緑茶。熱湯のままいれてしまった。あれだけあったお菓子が底をつきそう。今年も美味しいお菓子をたくさん食べた。そういえば昨日いただいた素敵な焼き菓子があるのだった。緑茶にしてしまった。ガーン。明日、コーヒーでいただこう。

昨日も月がピッカピカだった。今年最後の満月だときいて夜ベランダに出たら空のずっと上の方で星と星の間に黄色い月が輝いていた。オリオン座もくっきり。冬の空だ。寒い寒いとすぐに部屋に戻った。

深夜締切のネット句会、今回もギリギリ。推敲せず。次回こそしっかり推敲!と思って数年が過ぎた。今回のお題の一つは鍋料理。平井照敏の『新歳時記』をパラパラしていたら狸汁、鯨汁(鯨鍋)、河豚汁(ふぐ鍋、ちり鍋)、葱鮪(鮪鍋)などがあった。冬は汁物だな、やはり。私は「牡丹鍋」で一句作った。ジビエの話をしたばかりだからちょっと創作で実体験じゃないけど。自分の鍋エピソードを思い出そうとしたのだけどエノキが好きとか白菜が溶けるとか具を譲り合うとかおじやにするとか食べすぎるとかは思い浮かぶけどエピソードがなかなか浮かんでこない。ネットで「鍋 思い出」で検索したら違う国の人たちと囲んだ鍋の話とかうちは鍋といったらこれ、みたいな話が載っていた。私は家族以外と鍋を囲んだことってそんなにないかも。いや、そんなことないか。はっきり映像として思い出せないんだよなあ。鍋は簡単だから冬はよくやるわけでこの冬はそういう場面に意識的でありたいわん。

もう年末。年賀状、買ってこないと。普段一番会うのは精神分析協会の人たちだけど年賀状のやりとりってしたことないかも。やりとりする枚数も減ってきたけど年賀状でしかやりとりしていない人もいるからあちらからこなくなる限りは出しましょうかね、と思っている。いつからか喪中ハガキも多くなった。中山美穂と同世代の私たちはみぽりんの死を悲しむと同時にお風呂気をつけねば、特にお酒飲んだときは、と話している。数年前と比べたら本当に死が身近になった。仕事はまだまだしたいなあ。

先日、東急線多摩川線下丸子駅前の大田区民プラザへ行った。デザインフェスタのローカル版といった感じの展示販売イベントに出している友人に会いに行った。みなさん、すごかった。売れたらいいなあ。私がもっとお金持ちだったらなあ。それにしてもこの施設は本当駅前なのもいいし、すごく使い勝手がいい施設だと思った。その日もいろんな催しが開かれていて老若男女いろんな人がいた。せっかくなので大田区の別の施設にも寄ろうと「昭和のくらし博物館」にも行った。こんな小道の普通のお家っぽい所に博物館なんてびっくり。昭和26年に経った公庫住宅初期のお家が当時の暮らしを体験できるように開放されている。見たこともない家電もあったが昭和生まれの私はまだ懐かしめるものがたくさんあった。スペインからのお客さんも来ていて昭和のおもちゃコーナーのところで一緒になった。駒とか竹馬とかを一緒にやった。スペインにも駒と似た遊びがあるとのこと。私も彼も紐を巻くのが下手で回せなかったがニコニコした。ホッピングもやった。懐かしい。すごく久々。庭に出るためにお借りしたサンダルで2、3回できた。自分の靴ならできるかもしれない、と嬉しかった。「子供の頃は簡単にできたのにねえ」と職員さんがニコニコと見守ってくれた。私は子供の頃からできなかったが「軽かったですしねえ」とか言ってしまった。全ての部屋が楽しかったが長居したのは2階の子供部屋。姉妹とお兄ちゃんの3人のお部屋で長女の学校の先生との連絡帳や姉妹で遊んだというお人形とその着せ替えなどもかわいく懐かしく戦中、戦後の子どもたちは私にとってまだそんな遠くないなと思った。その時代を生きた人のお家へ遊びにいった感じで楽しかった。お庭には夏みかんとか柿の木もあって眺めていたら鶯がきて、そのあとまた鶯がきて、つがいかしら、すばしっこいね、など知らない人と話したりのんびりした。少し歩いていると小さな商店街があり、もちつきのお知らせなどが貼ってあった。神社もそろそろそんな雰囲気。私たちいろんな初詣の準備に出会ってきたね、と話しながら大田区の保存樹林や神社の本殿の裏側、全然目立たないところにある立派な彫刻を眺めたりした。上を見ても下を見ても銀杏が金色に輝いていてそれがメインだったかな。ちょっとの時間でもだいぶ豊かに遊べる。昨日は3つの事例検討会があったけどどれもすごく勉強になったし今週もがんばろう。

カテゴリー
お菓子 精神分析

神戸のお菓子、習慣化

今日も良いお天気になりそう。夜の雲が引いていっている。最近、毎晩、月がくっきりきれいだって知っていました?今朝はみかんをのんびり食べてぼんやりしていたらいつもより遅くなってしまった。先日会った神戸の友人からもらったクリスマスのクッキーをいただくためにコーヒーを入れてようやくPCの前に座った。嬉しいなあ、地元の洋菓子屋さん。おお、これベリーのジャムが入ってる!こんな小さいのに丁寧なお仕事!甘すぎず美味しい。お花みたいな模様に雪みたいな粉砂糖がすこーしかかってる。そういえば富士山の冠雪が今年は遅かったですよね。11月初めに名古屋へ行ったとき、新幹線の中から富士山を見てびっくりした。すっかり雪景色を想像していたから。実際は私が新幹線に乗る二日前とかに例年より一ヶ月以上遅い冠雪が発表されていたのだけどそうは見えなかった。

気候が変わっていくことは世界のあらゆる変化に繋がっていることは実感している。そこで私がずっとテーマにしている習慣とは何か、習慣化とは、ということを考えていたわけだが次から次へ難しい事柄が出てきて考えが全く進んでいない。國分功一郎さんの「中動態の世界」を読んだりイベントに行ったりしてからですかね。もう何年経つのかしら。精神分析って習慣化をどう考えるかで技法が変わってくると思うのですよ。組織化、構造化をどう考えるかという。脱構築は治療としての精神分析では言わないけど脱錯覚とか「脱」の方に行く以前に、再構築とか「再」の方にいく以前にさ、と。反復による習慣化があるだろう、と。精神分析に時間とお金をかけることはそれぞれの習慣形成とそこからの変化をためし続ける、ジャンプし続けることで、それは相当に贅沢なものなのだけどそういうことにお金と時間をかけるモチベーションを持てる時代ではない。週2回は来られても週4回となると、と躊躇する人は多い。金額でいえば、私の場合は、週2回と週4回は1週間で4000円違う。一ヶ月で1万6千違う。この差も大きい。贅沢だと思う。なので私もガンバラねばな。今週はいいものにたくさん出会ったし。皆さんもどうぞ良い1日を。

(この「贅沢」は國分さんのいう「贅沢」)

カテゴリー
お菓子 精神分析

朝焼け、カステラ、こなれた英語

いつもの毎日が始まると一日一日があっという間。今日も朝焼けがきれい。いつも素敵な朝ごはん画像を載せてくれる人も同じ時刻にそう言っていた。空は広いからいつも誰かしらと共にできる。「みんな空の下」という絢香の曲がありましたね。絢香は空の曲が多いね。三日月とか。にじいろとか。多いわけではないのか。

今朝はまた、というかまだ名古屋のお土産。学会には私も行ったのに名古屋のお菓子が大渋滞。賞味期限の早いものからのんびりいただいて本日辿り着きましたのは八事の菓宗庵さんの「名古屋コーチン卵カステラ」。緑茶を淹れました。白い和紙で包んである。丁寧できれい。きれいな黄色。さっぱりした甘さ。カットしてある一本ってありがたい。自分で切るよりきれいなままお皿に出せるし。これは名古屋の方にいただいたのでした。地元の人のお土産ってさらに嬉しい。美味しかった。

昨日は深夜に英語の文章の書き直しをしていた。自動翻訳だのみだけど結局それを直さなくてはいけなくなる。正確さだって危ういのにこなれた表現となるとなにがなにやら。人々が「こなれた英語」というのを眺めてみた。うむ。読みやすさと繋がってはいるのだろうけど「こなれた英語」の基本のパターンみたいのがあるのか?これを使えたらこなれてる、みたいのはたくさん見つかるけど。それ以前に内容をもっと丁寧に書くべき。いつも大慌てで一気に書いてしまってそんな自分に慣れてしまっているのは良くない。アドバイスをいただいて、ああこんなにきちんと読んでくれる人がいるんだなあ、と思って反省した。毎年、新年の抱負で俳句で推敲をきちんとすると言っているがそれも何年もできていない。俳句でもいつも丁寧に選評をいただいているのに失礼ですよね。来年こそ、ではなくて今日からがんばるぞ。すぐに取りかかれないものはどんどん後回しにしがち。隙間時間に本ばかり読んでないで手を動かすぞ。この時間にもこんなこと書いてないでやりましょ。どうぞ良い一日を。

カテゴリー
Netflix お菓子

冬支度、ムーミン谷のお菓子、『天狗の台所』

薄いダウンを羽織ったまま寝た。冬用のモコモコの敷布団も毛布も出したけどカバーをかけるのが面倒で適当に羽布団の上に置いたまま寝た。すでに色々な暖かグッズがベッドに置いてあるせいでぬくぬくのまま朝になった。少し汗ばんだ気さえする。昨日今日と空が明るくなるのが早い気がする。実際、日の出は1分、2分、3分あたりの間隔で遅くなっているはずだから気のせいに違いないが。私がこうしてPCに向かうのが数分単位で遅くなっているのだろう。今朝は時間があるから冬支度を整えるために部屋を温めたり、作業に取り組むための構えを作っていた。寒いと本当に何もする気が起きないのでガンガン温めて一気に作業してから出かけたい。

ハーブティーを入れた。夜寝る前用の。また眠くなってしまうかなあ。実際、あくびが止まらない。お菓子はMOOMIN VALLEY PARKのニョロニョロスティック。結構しっかりしたニョロニョロと同じ棒状の生地に白餡が詰まっている。甘さ控えめ。りんごの味がちょっとするかな。美味しい。袋だけ見るとフィナンシェみたいなのだけど和菓子でちょっと意外なのも楽しい。ムーミン谷にお土産を持っていくとしたら和菓子かしら。

料理をしながらNetflixでなにかしらを流していることが多い。最近は『天狗の台所』。美味しいものの話をしているときに勧められた。確かに泣けてくるくらいきれいで美味しそうな食材とお料理が登場する。そして一条天皇はどんな役でも美しいのね。オンくん役の越山敬達くんがとってもかわいくて驚いたが『Season2』では大きくなっててびっくり。子供は一気に変わるよねえ。思春期になった子たちと昔の写真をみたりしていると自分で自分のこと「かわいー」とかいって懐かしい話をしはじめたりする。それもかわいい。生意気盛りがそういうときだけ子供がえりしたり。複雑な時期には媒介が必要ね。オンくんがお兄ちゃんと距離を縮めていくにはおいしいお野菜が必要だったしね。

さてさてこの週末も色々大変だ。いつもよりは時間あるから冬支度しっかりして臨みましょう。

カテゴリー
お菓子 精神分析 音楽

紅茶、人それぞれ

朝焼けがきれい。鳥たちが賑やか。熱いハーブティーと友人の紅茶のパウンドケーキ。戦後消滅しかかった国産紅茶(丸子紅茶)を復活させた村松二六さんの淹れてくださったミルクティーから着想を得たとのこと。静岡県に丸子という地名があるのですね。「まりこ」と読むのか!ちびまる子ちゃんも静岡だしね、とか思っていたのに。東海道の宿場町のひとつですって。宿場町は楽しいですよね。行ってみたいな。丸子紅茶も買ってきたい。お茶って葉っぱとしては緑茶、紅茶、烏龍茶、みな同じ。最初に知った時は驚きました。静岡の親戚のお茶畑でお茶摘みをしたことがあるけどものすごく大変で地道な作業。お茶のおかげでほっこりできる毎日。ありがたいことです。何事も丁寧な作業は大切。私は毎回原稿も俳句も当日過ぎてよくない。日々繰り返す作業に変えていかないと。今日締め切りの俳句もまだ作ってない・・・。複数のことを同時にするのが苦手だということは十分わかっているのだけど苦手すぎて自分の理解を超えている。あっという間に注意が逸れたり忘れてしまう自分に驚く。学会の発表原稿も時間を間違えていて結局当日の朝に書くことになったし。友達には「いつものことだよね」と笑って応援してもらえたが。私もいい加減直さないといけないがこうやって受け入れてくれる存在がいるとその場その場で助けられる。ありがたいことです。duolingoのフランス語は38日間続いている。今も一回やったから39日間。こうやって思い出したときにやるようにしてるからなんとかなってる。5分もかからないからNHKの講座より注意が逸れない。人の話をじっくり聞くのはできるのに対面でない講座は聞けない。人にはそれぞれいろんな特徴があるものですね。あとは心身の状態で感じ方や行動は変わってきてしまうから無理せず行くのがやっぱり一番いいかな。精神分析とか受けると結構「無理かも」と思う瞬間は増える。最初は週4日通うのに疲れるけど身体の疲れはリズムができればなんとかなる。学校に毎日通っていたことを考えれば。私は通っていなかったけどなんとかなった。身体化はすると思う。どうしても自分ではどうにかできないものが出てきてしまうから。知的な作業では全く追いつかないスピードでこころって動くから。だから「もう無理」という瞬間が何度も訪れる。だから密で硬い構造が必要。生身では守れないけど構造で守れるとして構造に対する吟味は常に必要。単に頻度とかそういう話ではない。こういうことは延々考え続けている。今日の隙間時間は俳句のことだけ考えねば。

さて今朝はクリスマス・ジャズのプレイリストを流していた。Norah JonesのChristmas Callingはとてもいい。東京はいいお天気。どうぞよい1日を。

カテゴリー
お菓子 精神分析

とりあえず

少し遅くなってしまった。鳥たち元気、というかとりあえず鳴いている。でもやっぱり大きな声で鳴けているというのは元気ってことでしょうか。人間だと概ねそうで、かなり早めに出してあげないと死んでしまうかもという状態で生まれた赤ちゃんが大きな泣き声をあげたときにみんな「ああ、泣いた」とまずは健康な機能の存在を思って安心したりする。

週末は名古屋にいた。大学の医学研究室ってはじめて入ったかも。そこでこじんまりと精神分析と訓練について話させていただいた。みなさんのいろんな思いも聞けてよかった。ひとつひとつ具体的に考えようとしても知らない世界のことはかなり想像しにくい。これからのライフプランを具体的に考えたところですぐに思った通りにいかない事態が生じるのと同じ。それはどっっかでそういうものとわかっていたはずのことかもしれないけれど。何かを知るには良くも悪くもモデルが必要だし、まあとりあえず、ってやってみることも大事かもね。

今朝はチーズケーキの残りとハーブティ。週末はお菓子もたくさんもらって元々ある我が家のお菓子と合わさってすごく豊富。ぬいぐるみとならお菓子屋さん開ける。年末の蓄えができた感じだから安心して11月を満喫しないとね(なんのこっちゃ)。今週もがんばれたらいいね。起きたり寝たり食べたりとりあえず必要なことを。

カテゴリー
お菓子

白湯、お菓子

鳥の声が聞こえない。テレビをつけた。柳家わさびが落語やってる。とても久しぶりにみる、といっても流してるだけでこうしている。時折聞こえる笑いが心地いい。そして今朝も白湯。少しまだ熱い。俳句を作らねば。締切が近い。白湯は季語ではないと思うけどいいかも。ようやく温かい飲み物がおいしい季節がきたし。何と合わせたら類想にならないかな。

白湯一椀しみじみと冬来たり 草間時彦

草間時彦は食べ物の句が有名な俳人。1920年(明治30年)に東京生まれ、鎌倉育ち。この前鎌倉に行ったけどあまり句碑に出会わなかった。句碑って意外とどこにでもあるし長谷寺とかにはあるから私が歩いた場所になかっただけか、私が見逃しただけかもね。

秋鯖や上司罵るために酔ふ 草間時彦

週末はこういう人も多かったかもしれない。酒のつまみはなんでもいいけど言葉だけじゃもちろんダメ。私が最近食べた珍しいつまみは「あん肝の奈良漬け」。ほぼ奈良漬けなんだけどきちんとあん肝。こういう取り合わせって日常ではそうと知らずやっていたりすると思うけどお店で出そうと思った人ってどんな気持ちだったのかな。でもこうやって消費者の「あん肝の奈良漬け?なんじゃ?」という興味をそそるわけだから素晴らしい。珍しくて美味しい食べ物にたくさん出会いたいな。昨日は山形の方にはじめてみるお菓子をいただいてすごく嬉しかった。「梅チョコスティック」。なんとなんと。山形の名産品「のし梅」を使っているそう。おしゃれな箱。ブランデーとかウイスキーに合うとのこと。私はブランデーもウイスキーもほとんど飲んだことがないけどやってみたい気はする。土地が変われば食べ物も変わる。旅先でお土産を探すとその土地の名産がいかに多くのものにアレンジされているかわかる。干物とかほぼそのまんまみたいなお土産も豪華でいいしこんなものまでお菓子にしてしまうのかみたいなお土産もいい。今日はどんなものと出会えるかなあ。

四国、沖縄が雨で大変とのこと。断水や停電も。そういうときどうしたらいいのだろう。どうか被害が広がりませんように。

カテゴリー
お菓子 散歩

鎌倉

雲が多い。天気予報は晴れだけどこれからどこかへ消えていくのかな、雲。鳥たちはまだそばにこない。もう飛び去ったあとかもしれない。遠くでカラスがしきりに鳴いている。洗濯機が水を回している。

先日、鎌倉へ行った。藤沢まで通っていた時期もあり身近ではあるが相変わらずどこへ行っても記憶が曖昧だ。北鎌倉と鎌倉の違いもよくわかっていなかった。鎌倉駅へ降り立つとずいぶん変わった印象を受けた。前にこの辺で、など思い出話をしながら大混雑の鶴岡八幡宮前の信号を渡り一条恵観山荘へ向かった。道なりにまっすぐまっすぐ歩く。「岐れ路」は右へ。左手に杉本寺が見えたので立ち寄る。お寺にまっすぐ向かう階段は登れず迂回。苔がすごいせいかな、と思ったらそこは「苔の階段」という名前がつけられていた。石畳の苔が抹茶チョコレートみたいで写真をとった。受付の高齢の女性はまるで眠っているような姿勢のままゆっくり手を動かしていたがこちらがお金を渡したことを忘れてしまいみんなで少し焦った。すぐに転がっている新しい千円札を「あったあった」と見つけたが。降りてきたときには受付にはもう誰もいなかった。またまっすぐ歩く。すぐに報国寺へ。私が以前きたと思っていた場所とはずいぶん違う場所だった。美しい竹林は健在。受付は行列。枯山水をのぞむ宅間谷という谷戸に出ると気持ちのいい風が一気に通り抜けていって驚いた。どうしてあそこだけ、谷間だとこんなに変わるものなのかとびっくりした。石庭を眺めるベンチがあるせいもあるがたくさんの人がそこでくつろいでいた。日中は半袖でいられるくらい暑い日だった。一条恵観山荘にははじめていった。少し足を伸ばせば着く場所なのにどうしてこれまで行っていなかったのだろう。江戸時代の初期の建物でお花が美しい素敵な建物。後陽成天皇の第九皇子であり、摂政・関白を二度務めた一条恵観によって営まれたと書いてあった。皇族の茶屋とのこと。野趣あふれる庭をあえて作れる優雅さ。とても素敵だった。来た道を戻る頃には行列ができていたパン屋さんはもう落ち着いており、外のベンチでのんびりカフェしている人たちがみえた。やっぱり鎌倉はいいな。仕事にくる感じで来られる距離なのも恵まれている。

今朝は「やまなし上野原 あんどうなつ」。菓子処植松さんの人気商品。すぐに売り切れてしまうそう。熱いお茶といただきましょう。空の雲が薄くなりつつある。今日も無事に過ごしましょう。

カテゴリー
お菓子

十勝、柳月のお菓子

とても早くに起きてしまった。夜がそのまま続いているみたい。まあ、続いているのだけど。まだ鳥たちは起きていない。朝焼けも始まらない。

北海道帯広市に本社がある「柳月」の「三方六の小割」をいただいた。嬉しい。イレギュラーなコンサルの仕事。いつも帰りに何かを持たせてくれる。三方六は柳月の看板商品。広瀬すず主演の朝ドラ「なつぞら」を見ていた人も見ていなかった人も「柳月」のことは知っているのではないか。お菓子をみれば「ああ、これ見たことあるかも」となるのではないか。「柳月」のある町は「なつぞら」に名前を変えたくらい朝ドラとコラボしていたらしい。「三方六」はバウムクーヘンなのだけど形が少し変わっていて一本だとちょっと長くて今の時代には合わないので小割にしたらしい。個包装なのでお土産にしやすい。まあるいバームクーヘンもまるでもらったら嬉しいは嬉しいけどやっぱり小分けの方がありがたいかな。十勝はコロナ前に最後に旅した場所だ。帯広には六花亭の本社もある。どちらも観光地として楽しめる工夫がされていてたくさんの人が訪れていた。二度目に柳月の前を通ったときは車がずーっと長い列を作っていてなんだなんだといってみたらお買い得商品を求めて並ぶ列だった。生産の都合でお買い得商品へとなるお菓子の種類も個数も当日までわからないという。どのくらいお買い得なのか。そんなに買って賞味期限は大丈夫なのか。三方六を一本サイズで買うのだって躊躇するのに。でもいいなあと思ったけどすでに家用のお土産も買っていたので我慢した。十勝でも本当によく遊んだ。中札内村は散歩しながらアートを楽しめるし、吉田美和の故郷、池田には「いけだワイン城」もある。駅からワイン城にいくまでにはドリカムの衣装が展示されている”DCTgarden IKEDA”がある。ここもとても素敵だった。ちょうど「勝毎花火大会」の日で宿泊先の近くのデパート藤丸の屋上から楽しんだ。その藤丸も閉店した。行けてよかったな。長いこと旅していろんなデパートの閉店のお知らせを聞いてきた。生活はどう変わるのだろう。そこの土地はどうするのだろう。なにがなくなっても人はなんとかやっていくものだろうけど寂しいは寂しいと思う。

鳥が鳴き始めた。朝焼けも始まった。お互い良い一日でありますように。

カテゴリー
お菓子

今朝はそれほど寒くない。チョコが溶けない季節。この長すぎた夏の間はチロルチョコを集めただけでそんなに食べなかった。サンマルクのチョコクロはようやくハロウィンを終えてホワイトチョコだって。温かい飲み物がおいしい季節になってきた。私は今朝も白湯をちびちび。

大変なことでもそうじゃないことでも面白いもんだなと思うことが多い。皮肉だなという意味で使うこともある。それにしても毎日慌ただしくてまとまってものを考えられない。書評もエッセイもどきもよく提出したなと思うけど過ぎてしまうと何も残っていない気がする。そんなことは全然ない、ということはそのときがくればわかるって、しかも結構すぐくるって知ってるのだけど日々流されるように過ごしている感覚にもなるから面白いもんだ。

ゼリー飲料をこれ以上薄っぺらくできないくらいまで長い時間吸っている人がいた。終わりを設定するの難しいよね、ああいう形状の飲み物?食べ物?って。いつまでも吸うことはできちゃうから。赤ちゃんのときから一番慣れてる動作かといえばそうでもないんだよね。吸う力がどうしても弱いとか吸うのがどうしてもうまくできないとか色々ある。それで困る場合とそうでもない場合があるのも面白い。あ、保育園の子供達のこと考えていたら巡回先の幼稚園に返信していないことに気づいた。今しよう。東京は雨っぽいけど無事に過ごしましょう。

カテゴリー
お菓子 仕事

飯能のお菓子、グループ

少しの朝焼けがあっというまに曇り色になった。窓の外に広がる街はまだ静か。暑い紅茶を入れた。TWGのENGLISH BREAKFAST TEA。コットンを使ったティーバッグがとってもおしゃれ。お味も美味しい。自分でも買えるのかな。チェックしてみよう、とこの前も思って忘れている。お菓子は埼玉県飯能市洋菓子屋さん「夢彩菓 すずき」の極上バームクーヘン。今日はクリームチーズ味。昔、私も行ったことがあるけど飯能銀座通り商店街の入口の老舗。飯能は日帰りで遊びにいくにはちょうどいい。と書きながら思い浮かぶ景色が秩父と混ざっている。両方西武線の観光地。西武線の特急が好き。

昨日も作業が進まなかった。初回面接を検討する少人数のグループはとってもよかった。ある程度経験のある人がまだそんなに経験のない人に自分の通ってきた道を思い出しながら、しかもまだまだ遠い道のりを教えるのではなくて一緒にいい感じにしていこうという感じで丁寧に言葉を使っているのがとてもよかった。偉そうに言えば成長を感じた。私はもう指導的な立場になってからも長いけど自分の場合は老いを感じる。まあ成熟とでも言っておこう。この仕事は極めてロボット的なところがあること、理論ではなくて患者の言葉に対して極めて論理的であること、直観は才能っぽいところあるけど地道に基礎を辿る臨床をしていれば起きることにそんなに差異はないということ、なども話せた。

今日はどんな一日になるのかなあ。雨降ってる。ひどくならないといいけど。気温はこのくらいなら着込むほどでもなくていいかな。気をつけて出かけましょう。

カテゴリー
お菓子

今日は全然風がない?東の空の低い位置に雲がお釈迦様の寝っ転がり姿みたいな形をしている。涅槃仏雲、なんてないだろうねえ。こう考えると雲の名前ってうまくつけられている。動いて形を変えるものを名づけるのって楽しいけどそれなりの時間はその形でいてもらわないと固有名詞にはなりにくいものね。子供が空を見上げるたびに「きょうりゅう!」とかいう感じで瞬間瞬間を楽しみつつそれがゆったり姿を変えていくたびに名前を変えるのもいいけどね。今書いてて思ったけどあの子たち(保育園で見てきた子たち)、雲を恐竜っていうこと多かったような気がする。でもそれよりお空に飛行機を見つけるほうが早くて多かったかな。大人よりずっと早く飛行機の音に気づくから先生たちといつもびっくりした。「コーキ」「うん?なに?」「コーキ」目線の先を見ると音が聞こえはじめる。「あ、ヒコーキ」空を見上げたままうんうんうなづきすぐに空を指差す。「ヒコーキ!」とみんな口々にいう。東京の飛行機は最近低いところを飛ぶ。音も大きい。でも彼らは大喜び。遠ざかっていく飛行機が見えなくなるまでずっと見ている。そういえば飛行機雲というのも素敵な雲だね。子供の頃、不思議で不思議で消えてしまうまでずっと見ていた、いや大抵は消える前にうちについたり授業が始まったりしていた。でもふわぁって消えるときもあるよね。空がのっぺりしている。私の涅槃雲はどこへ?朝の東の空って特別な色と景色。南側の大きな窓のカーテンを開けて窓を開けてまず左方向を眺める。そして毎日小さく感動する。すぐに全体に溶けてしまうけど特別な時間。そういえばもうあと二ヶ月もしたら「初日の出」とか言い出すのかしら。年末年始は大体南の方で過ごすけどあまり初日の出に関心がないなあ。旅先では早朝から散歩しているから場所によっては会えるね。

今朝は朝なのにナイトタイムというハーブテイーをいれてしまった。昨日はお天気のせいか体調がガタガタだったからとりあえずカフェインを避けている。でもリラックスしすぎて仕事を忘れないようにしないとだわ。大丈夫、普通忘れない。お菓子は箱根のお土産、菓子処「ことほぎの木」の「箱根の坂 」。定番お土産。今日はいちご味。かわいくて美味しい。

飛行機の音!と思ったけどこれコロコロの音かも。この時間、キャリーバッグをコロコロさせていく近所の人がおられるの。普段使いみたい。私はお仕事に行きましょう。みんなも元気で。

カテゴリー
お菓子

「にらさき咲咲」とか。

空が暗い。雨は降っていない。鳥たちが今日は遠い。少し前と同じ遠さ。ここ数日、どうしてとても近い場所で鳴いていたのだろう。そういえば大学の森も動物園の森も鳥たちがたくさん鳴いていた。高いところで。きれいな声で。森の鳥は姿は見えない。都会の鳥はすぐそこに見える。

山梨県韮崎市本町の「洋菓子アルプス」の大村智博士ノーベル賞受賞記念クッキー「にらさき咲咲」をもらった。大村智博士は韮崎市生まれとのこと。新型コロナの時に「イベルメクチン」が話題になったけどあれを開発した人。私設美術館も持っていたのね。すごい。今は韮崎市に寄贈されたそう。「洋菓子アルプス」さんの前を通りかかったら「にらさき咲咲」の試食をどうぞってしてくれたんだって。そして急にノーベル賞とっちゃったから最初は(プリントではなく)シールだった、などのお話も聞かせてくれたそう。お土産も嬉しいけど土産話はどこのでも面白い。私も知らない街でお菓子屋さんを見つけるとそこで一番有名なお菓子を一個だけで悪いかなと思いつつ一個だったりひとパックだったり買ったりするのだけどそういう人は地元の人じゃないな、とわかるのね、多分。どっからきたの、と聞かれてお茶とか出してくれることもある。そういう場所で聞くお話はとっても興味深い。今までで一番面白かったのはどこかなあ。花巻で宮沢賢治ゆかりの場所を回ったときは結構いろんな人にお話を聞いたけどあそこはすごく観光地だし話したいことたくさんだ、きっと。すっごく入りにくく出にくいところもあったな。どこだったか・・・。たまになんかいい感じと思って入ったカフェでお店の人にまさかお客さんがくるなんてという感じで驚かれることがある。あれも面白い。大慌てで材料買いにいったりね。お手伝いしますよー、と元カフェ店員の私は思ったりもする。

さあ。今日も長い。頑張りましょう。

カテゴリー
お菓子 精神分析

朝焼けがとってもきれいだった。あっという間に薄くなってしまうけどそのあとに広がる水色もきれい。今日は少し雲があるかな。最近、鳥たちが近い場所で賑やか。生活の仕方を何か変えたのかしら。柿をスルスル剥いて食べた。小さな柿。鳥たちも木の実に合わせて活動しているのかも?

gmailの調子がずっと悪い。フォントが変になってしまうし、iphoneだと立ち上がらないこともある。フォントはgmailに限らずか。改行やコピペすると大文字になったりする。画面上ではわからないのだけど送信したあとの画面でわかったりする。困った。

ポムポムプリンとコラボしたチロルチョコを食べた。生姜紅茶と。冷蔵庫にはチロルチョコがいっぱい。一個で十分すぎる甘さ。

ラカンを読みながら言語と身体、欲動と情動について考えている。精神分析は言語が治療に役立つと信じているというか大体の治療法はそうなわけだけど言語の効果をどこまでも探求し続けているのが精神分析。ペラペラだけど上手なおしゃべりに癒してもらえる部分、というか人が受け入れやすいのはそういう形式のものなのでそれはそれで大事で、患者さんでもそういう本などをお守りにしながらそれではどうにもならない部分をどうにかしようとやってくる。どっちも必要。いろんなものが必要。こっちの人とは気づかなかったことがこっちの人となら気づくという感じで人はいろんな人の間でいろんな出来事を体験していく。もちろん周りに誰がいてもいつも同じ反応ばかりしている場合もある。人の心はたやすく侵入されたくない部分も持っている。一方、誰かにたやすく明け渡さない自分で大切な人を大切にしていくには誰かと密な体験を積むことが必要なので侵入が避けられることはないといっていい。キレイゴトをいうのは簡単。自分はいつも「正しい」側にいるというのが前提のような言葉って簡単。でもそれは相手と距離が確保されているからたやすいのであって密になってくるとそういう言葉は薄っぺらくなる。だからレトリックに走る。書き言葉だとちょうどよくても目の前の相手には嘘っぽく聞こえる。それを語り方で調整しようとする。私もそう。自分で話しながら嘘っぽいなあと思うときがある。そういう時は通じていないのが助かるけど。もし私に権威があったらどんな言葉も通じる言葉に変換されてしまうかもしれない。臨床続けている限り気づくことはできると思うけど。精神分析家の場合、理想化されるのなんてほんのひとときで頻繁に会って同じこと繰り返していればお互いにお互いに侵入的になることもあるしいろんなことが起きる。何度もやり直す。先のことはわからない。生活と同じ。なんなんだろうね、楽になっていく感じって。今日もあれこれ頑張りましょ。

カテゴリー
お菓子

風、大河ドラマ、絵巻

西側の窓を開けたときは気づかなかったのに南側の窓を開けたら結構強い風が入りこんでひんやりした。ペパーミントの紅茶をいれていたら西側の窓のブラインドがカタンカタン言い出して閉めた。いろんな方向に渦巻くような風の音がすごい。天気予報をみたらくもり一時雨。月曜は雨が多い。

今朝はあさぎり牛乳とろりミルククッキー。山中湖土産。これを買ったのは御殿場って言っていたかも。御殿場駅での乗り換えの待ち時間が長いからお土産買い足してくれたんだって。ウェブサイトがシンプルでかわいいのだけどポインタ?カーソル?なんていうのかわからないけど動かすと今私がみている短い縦線じゃなくて丸が出てきてちょっと違和感。よく考えたらカーソル?なんて一番見慣れてて名前も忘れてるくらいだから急に別の姿で現れるとびっくりしちゃうのね、きっと。名前忘れてるのは単に私のってやつかもしれないけど。いつもと全然違う服着てたり違うメークしてるとびっくりするのと同じ。和菓子のような箱と包みで個包装されているあさぎり牛乳とろりミルククッキー(なんとなく全部言わなくてはいけない気がする)甘い!これはコーヒーの方が絶対合う。ハーブティーはなんだかんだ単独で飲んだがほうがいいといつも思うのだけど(サラダとかは合うかもね)早朝からコーヒーってほどやる気がないのよね。それにしてもすぐそばで風がヒュンヒュン言ってる。近づいたり遠ざかったりこんなんで雨が降っても傘させないのでは。レインコートにしようか。でもそんなに降るわけではないみたいだし。梅雨なのかな。

昨日の「光る君へ」みましたか?吉高由里子と高畑充希はきれいでかわいらしいのはいつものこととして、声や姿勢での表現が巧みで脚本もすごいけど作り物のような完璧さといえばいいのか、平安絵巻が動き出すような感じで演じていると思いませんか。清少納言も一目惚れしてしまうわけです。私は高校の図書館で『源氏物語』と『枕草子』を延々読んでいたのですが、今回、定子をどうにか慰めたい清少納言がまひろのアイデアを借りて書き、定子の声でそれが読まれたときの映像も素敵でしたね。このドラマは誰が誰にどんな思いを向けているかの表現が現実と物語の重なる場所で明確に描かれるから昔ひとりで『あさきゆめみし』を読んだときほどいろんな気持ちにはならないけど(それはやはりドラマは現代語だし現実味が強いから)美しさがすごいなと思ってみています。もう随分前になりますが京都へ行ったときに友人が京都文化博物館で面白い絵巻が見られるというので行ってみました。動く絵巻だったと思うのですがとっても面白かったですよ。あそこは元日本銀行の京都支店なので(だったと思う)建物としても巡る価値ありです。場所もいいですし。新宿にもああいう場所作ってくれないものでしょうか。それにしても絵巻の収納ってTシャツを丸めて収納するのと同じで場所の節約にいいですよね。本も巻物の時代に戻るととこんなに積み上げて時折雪崩が起きるみたいなことは無くなるのでしょうか。巻物の時代のそういうトラブルも想像できなくはないですが。個人的に予想されるのは巻物なのに巻かずに置いておいて本を積むより足の踏み場をなくすということかもしれません。

さっきから先週の月曜日に雨のことでおしゃべりした内容がチラつくのだけど全然思い出せまん。なので書けません。残念。思い出したらすっごく大したことない可能性が高いけどここはそもそも大したことないことを書く場所だからちょうどいいかもしれなかったのに。こんな指が動くままに書いても大したことなくはないことを書けるようになりたいです。6月の抱負にします。原稿の締切は5月末だけど。全然書けていないので書きます。どうぞ良い一日を。東京は風があっちゃこっちゃに吹いているのでどうぞお気をつけて。

カテゴリー
お菓子

紅茶やサンダルを買った店とか通りとか。

今朝も「杜の色相環」の夏みかんケーキ。爽やか。T2のJust Peppermint Tea Bagと一緒に。私たちが最初に偶然辿り着いたのは多分Wynyard店。あってた。調べた。そうそう、George St, Sydney。このジョージストリートが路面電車の走る素敵な通りだった。泊まったホテルはこの通りに並行して走るPitt St.ここも主要道路みたいだけど車通りが多くジョージとは全く異なる雰囲気だった。同じ通りの別のホテルに泊まった友人は最初ピットにパッと出ちゃったみたいで帰りに少し土地勘のついた私がその人とホテルに向かってジョージを歩いていたらあまりの雰囲気の違いに道を間違えていると思ったくらい。紅茶の専門店T2はWynyard Stationのすぐそば。電車は最終日に空港に向かうときに使っただけだけどこの駅は使わなかった。シックでかっこいい駅だった。オーストラリアの人も大体定時で帰るらしく(私が経験したイギリスもそうだった。むしろ少し前からお店が閉まっているかのようにしていた店もあってドアを開けたら本気で残念がられたこともあった)ちょうどラッシュアワーと重なった。初日にこのビルの存在を知りスーパーで食材を、Everything Party Suppliesでサンダルを買うつもりで出向いたら駅に向かう列が続いていた。止まってしまうことはなくみんなどんどん駅に吸い込まれていった。私はそれと逆行してEverything Party Suppliesへ。さっき調べるまでEveryday Partyだと思っていた。最初に通りかかったときにこっちではどれだけパーティーが日常なん、と笑った。入ってみたら仮装用のグッズとかなんじゃこれはという楽しい小物とかいっぱい。小さい店内にはお客さんも数人いて真剣に商品を見ていらした。包装紙とかカードとかかわいいのもいっぱいあった。空港からホテルに着いてチェックインしてすぐにランチにでたのでホテルの部屋にスリッパがないことに気づいたのは散策して夕方帰ってきてから。飛行機のが持ち帰れたのに忘れてきてしまった。うちにもこういうとき用にいくつかあったのに入れるの忘れちゃったしな。スニーカーを脱いでベッドに座ってしばしぼんやり。そうだ、あそこ行こう、と思いついたらテンションがあがった。あそこなら変なものかも知れないけど絶対ある、と思って再びEverything Party Suppliesへ。あっさり行けた。スリッパはなかったけどサンダルがあった。しかもコアラとか書いてあって思いっきりオーストラリア。即購入。店近くのスペースで写真を撮って友達にLINEしたらうらやましがられた。その人もスリッパがなくて困っていた。帰り道ウロウロしてほかにも安いサンダルを売っているところを見つけたのでそれもLINEした。すぐに買いに出かけていた。T2もEverything Party Suppliesも入っているそのビルのスーパーには毎日お世話になった。安いものを探すのが大変だったけど美味しいジュースにも会えた。まだこうして思い出せるけどいつくらいになったら「あそこなんだったっけ?」って言い出すかな。思い出を共有している人たちがいるからそんな話もできるわけで「あそこなんだったっけ?」って言い合えるだけで楽しいんだろうね、きっと。なんかえらくのんびりしたことを書いている。休日っぽい。今日は自分主催のグループとセミナーと会議ともりだくさん。それでも日曜日は日曜日。気持ちはのんびり。がんばりましょ。

カテゴリー
お菓子 音楽

ケーキ。滋賀。ノラ。

コーヒーのいい香り。今朝は「杜の色相環」のケーキ。5月、6月のケーキは「フルーツパウンドケーキ」と「夏みかんのパウンドケーキ」。今朝は夏みかんの方をいただきます。特別なケーキなのでお裾分け用も切ってラップラップ。もう何年のおつきあいになるのでしょう。お店ではなく頒布スタイルにしてから直接会うことはほとんどなくなったけどその人が以前に働いていた彦根のレストランでお店のご夫婦とその人のことを話したり間接的な交流も含め随分長いおつきあいになってきた。彦根のレストランもめちゃくちゃ美味しくて1日に二度(ランチとおやつ)に行ってしまった。滋賀をぐるっと旅したときのこと。大津、草津、彦根、あとどこだったか地名を忘れてしまった。どこからも琵琶湖が近くのどか。犬もいる素敵なカフェにも行ったな。大きい犬に大きいおなかのサングラスの妊婦さんにいろんな子供たちに短パンとかの大人たちにといろんな犬や人がテラスにも大きな窓が開け放たれて境目をなくした店内にもいた。猫や鳥もいたのかな。鳥は湖畔にはいたね。妊婦さんがおっきなバスタオルをばさっとかぶって急に授乳を始めた。周りの人はそばの荷物をどかしたり赤ちゃんに微笑みかけていた。すごく自然。大きな犬たちもかわいくて湖畔に停められたでっかい車に乗せられてきたのか地元の犬なのかわからないけどうちの近所の犬連れOKカフェとは全く違ってそこにいるのが犬だか人だかよくわからない空間がとても素敵でのんびりした。一緒にいた人は犬用のお皿で水を飲んでしまった。今でも笑う。犬用のお皿、カラフルで素敵だったもんね。つい手に取るよね。面白い。突然ライブが始まったのもよかった。こういうのはとっても楽しい。私たちも若い頃、公園で急にギターでみんなで歌ったりしたねえ。私は聴いてるだけだったけどなんで彼はギターを持ち歩いていたのだろう・・・。みんなそれぞれバンドマンだった。尾崎豊が死んだ年だった。そういう時代だったか。私は尾崎豊が死んだときの友達の反応で彼がいかに有名だったかを知ったので曲をきちんと聴いたのはそのあと。洋楽ばかり聴いてたからな。びっくりするかっこよさだった、尾崎。尾崎裕哉も声似てるよね。音楽はいい。何も聴きたくなる時期もあるだろうけど自分の中に流れているなんからの音楽ってきっと誰にでもあるでしょう。それ自体が煩わしい時もあるだろうけど。

そういえば昨日また柳樂光隆のすごいインタビューを読んだ。なんと今回ノラ・ジョーンズ。新作が出てすぐの別の人によるインタビューがいまいちだったようなのだけど、私も読んだのかな、覚えていないのだけど、柳樂さんがやってくれたらきっといいんだろうなあ、と思っていたら叶った!ご本人も願っていたことらしいのでよかった。いつもいいけど今回のインタビューはいつもとはちょっと違うというか、ノラくらいジャンル横断型の世界的シンガーになると内容も変わるだろうし、深めるの大変そうなのにすごかった。私みたいな偏った聞き手にも別の視点(聴点?)をくれるっていうのかしら。ノラの軽やかだけど緊張感も力強さもある答えにワクワクした。一緒に作業する人に対する信頼も強くてかっこいい。それにしてもノラ・ジョーンズくらいになると答え方がもう大御所、というか貫禄があるのね、私より若いのだけど。出てきたときかわいくって声がきれいでびっくりしたよねえ。今朝は「よねー」という感じの気分になりやすいな。早起きしすぎたか。みんなノラの新作聞いた?すごくいいよ。自由で楽しそうだし、今回のインタビューで曲作りのプロセスも話していてもちろん苦労もたくさんあるみたいだけど一貫して力抜けてる。かっこいいの。読んでみて。というか聴いてみて。70代の人とノラの話で盛り上がった。もう20年以上経つんだもんね、デビューから。その人との出会いの頃だな、そういえば。ああ、時間があるとノスタルジックになるわね。仕事前に明日の資料読まねば。フランス語バージョンは読めないから英語バージョンを。誰か日本語バージョンをおくれよ。フロイト、ラカン、ヘーゲルの線は少し勉強した。ラカンに関する本はフロイトに関する本よりずっと豊か。そういうものだよね。補助線を引く人が現れて創始者のものは豊かになっていくんだもんね。今日は晴れかな。洗濯物どうしましょう。勇気を出してほしっぱなしでいくか。どうぞみなさんも良い1日を。

カテゴリー
お菓子 精神分析

うまみ、面白味、醍醐味

早朝より早くに起きてしまったからお布団で携帯で作業しようかなと思ってiphoneをもってお布団に戻ったら眠ってしまった。そんなものそんなもの。

今朝も調布市「feuquiage」のフィナンシェピスターシュ。ピスタチオのお菓子はもう本当にどこでも定番ですね。外国だともともとそうだったりするのかしら。昔々にもらったアフタヌーンティーのかわいいフォークでパクリ。あー、これもとっても美味しい。しっとり。かなり甘いと思うのだけどこれぞ「うまみ」では、とまた「うまみ」をよくわからないまま使う。味とは模索するもの。模索を楽しませるものが「うまみ」では。というかそもそも感覚器官を意識的に使わせるものには魅力があるのかもしれない。

私が日々営んでいる精神分析だってお互いにものすごく辛い局面はあれどやっぱり自分の面白味、人間であることの醍醐味を知るから受けた人はそれを価値あると思うわけだし。私は訓練でもあったから患者として受ける以上に膨大な時間とお金をかけたけど自分にとって本当に良い選択をしたと思う。感情をフルレンジで使うのが精神分析だと言われていたけどこれは無意識の作業を相当しないと難しいとよくわかったし、それができるようになって私の場合は楽しいこと、面白いことがそれまで以上に増えた。SNSとかで時折外側から呟かれるようにいろんなことが日本の精神分析協会にもあるけどどの組織にも少なからず何かはある。内側にいる人はその部分だけに関わっていないというよりその部分に巻き込まれながらそれをどうにかしていく人間なので批判ではなくコミットしつづけることが必要で大変。もちろん素知らぬふりをしながらとりあえず所属先として組織を使用することもできるけど私は自分の居場所を人にお任せするのはちょっと嫌。自分のオフィスを他人にあつらえてもらうのは嫌、自分の家庭を他人に評価されるのも嫌(これはしょっちゅう起こりうることだけど)。治療関係もなんでもそうだけど外側から何かいうのは簡単だよ、と思うこともある。でもそんなことを言っている暇はなくなってしまった。余裕がないから協力して、とは思う。もしも批判が「良く」する方向をむいているならそのための言論空間を守り育てる方向にシフトしていかないとではないだろうか。他人のこと、他人のせいではなく、環境因はもちろんあるものとしてそこで生きている自分のことを考える、というのは精神分析作業の前提。だからこそ精神分析はその歴史において自分が自分にいかに激しく巧みに抵抗するかを明らかにできた。防衛ってすごいし、病的な防衛と言われるものもあり、わたしたちはみんなそれを少なからず使いながら生きている。結構大きな問題を自分だけ見て見ぬふりしていられることだってできてしまう。精神分析はそういう自分でありたくない人が価値を見出すものだと思うし、大抵の人はそんな日々やっていることを変えようとは思わないわけで、本当にどうにもならなくなって受ける場合が多い、というかそうじゃないとそんなに時間とお金かける気にならないだろうからメジャーにはなりえない治療。メジャーになったらそれはそれで豊かな時代が来たな、という感じがするし好循環かも、と内側の人間としては思いたいけど。私の場合は昔から精神分析家になるというより精神分析を受けることを決めていたのでよっぽどどうしようもない自分を感じていたのだろう。フロイトを読む以外に精神分析のことなんて何も知らなかったのに不思議な縁だと思う。色々ある組織であってもどの訓練分析家の先生たちにもとてもお世話になった。人間は本当に自分にも他人にもわからない部分でできているのでそのわからない部分にまずは治療者が持ち堪える訓練が必要でこれがないと無意識は揺るがない。表面的な変化は生じてもその変化を起こしたのが精神分析かどうかはわからない。自分でも相当びっくりな自分を体験するのが分析なんだと今は思う。途中から自分で自分のこと手放して委ねて苦しんででも興味を持ち続け、それができるように関心を向け続けてくれる相手を知る。人は人に支えられている。そこへの信頼が自由をくれる。今世界のいろんなところで起きている戦争ではそれが損なわれている。精神分析ではケアはキュアの前提であって自分と他人をケアすることは分けられない。常に相互作用。本当にいろんな大変さがあるけどその面白味、醍醐味を知ることができて本当に良かった。嬉しいし。

東京の今日は雨。大きな傘を持っていこう。台風の時に傘の骨が曲がっちゃって今もそのままなんだけど元々が大きいから不便ではなくまだ直していない。傘屋さんで買ってもらったいい傘だからそこに持っていけばいいだけなんだけど。梅雨に入る前に直していただきにまいりましょう。みんな元気かな。そこそこでも何かいいことありますように。

カテゴリー
お菓子 読書 音楽

Mac、成瀬、駿くん

鳥より私が音を出す方が早かったな、と西の窓から聞こえてきた鳥の声を聞いて思う。昨日はバタバタよく動いた。なぜならAppleから「製品をお渡しする準備ができました」というメールが届いたから。長い件名だがわかりやすくて良い。隙間時間に新宿に急いだ。途中で汗ばんできた。アップルストアは担当がつけば早口ながら丁寧ではある。でも店を入るときの対応がイマイチな人が何人かいる、というのは私の主観にすぎないが「今絶対気づいてたのに無視したよね」という対応に「えー」となったこと数回。急いでいる身としては、しかもどっちかというとアップル側の都合に振り回されて数回来店することになった今回としては腹が立った。しかも服の色とかチェックされる。他のスタッフに引き継ぐときにわかりやすいようにということだが「私、暑いからこの黒い上着すぐ脱いじゃうよ、その下いきなりオレンジだよ、それいらなくない?」と思ってしまった。急いでいたんだ。今回の担当者にも私のMacBookAirはvintageだからと強調された。「ここにアップルマークが出るのはもうないんですよ」など色々言われた。新しいのを知らないからイメージが湧かず曖昧に笑いながら「早く私のマックをお返しください」とだけ思っていた。余裕のあるときに取りに行くべきだったかもしれないがMacがないと困るんだ。最初はvintageの響きが少し嬉しかったが今回あれやこれやで何回か毎回違う担当者と話すうちに「要するに買い替えろということですよね」と思うようになってしまった。私容易い。実際「お買い替えのご検討も」と言われたし。でも、がんばろうね、私のマック。バッテリー交換は無事にできたし内部に異常はないと言われたのだから。いろんな旅にも一緒に行ったではないか。まだまだ一緒にいろんなとこ行こう。いや、買ってまもない頃に高野山に連れて行ってフリーズしたのを思い出せ。だって、でも、とマックをめぐる私内対話が続く。大事にしよう。こんな雑に使ったのにもっていてくれているのだから。ドニーには一緒に行こう。ただでさえ慣れない場の発表で手間取りたくない。だからお願い。無事でいてね。

昨日本屋へ寄った。今年、本屋大賞に選ばれた宮島未奈の『成瀬は天下を取りにいく』(新潮社)をまた少し読んだ。立ち読みで読み終えるようなことはしないけど大津の西武にさよならするところまで読んだ。文体も素材も新しいなと最初は思った。でも読んでいくとなんだか懐かしいというか成瀬って変わり者だけどある意味普遍的な人間像だよなあと思ったりして愛すべき友情が微笑ましかった。ちょっと『スキップとローファー』の雰囲気を思い出した。舞台は滋賀。滋賀はとても魅力的な県だと思っているが一部しか知らない。一応、琵琶湖の東西南北全部の大きめの市に滞在したことがあるとはいえ滋賀は琵琶湖ばかりだなんて言っていられないくらい知らない土地がたくさん。でもこの本で「膳所」を「ぜぜ」と読めるようになったぜ。

ブルーノートから無料で届く新聞サイズのマガジンの表紙はマリーザ・モンチ。雰囲気ある。昨晩は一晩中マリーザのちょうど良い深みと気だるさがある歌声を聞いていた。ブラジル音楽は身体全体に心地よく響く。寝不足の身体にも優しいけどあまり今日の朝っぽくないからどうしましょう。石若駿くんに娘さんが生まれたそうだから駿くんの曲にしよう。まずは桑原あいとのアルバムからDear Family. おめでとうございます。私は駿くんのドラムと楽曲に出会えて音楽が楽しくなった。ライブでの振る舞いもとても印象的だった。ライブに行ったときに周りの私の同世代の人たちが「駿ちゃん」「駿くん」ばかりいうから私もそうなってしまった。みなさん、駿くんが子供の頃から知っているみたいだった。そんなファンの皆さんには孫ができたみたいな気分なのかしら。まるごと愛すべき存在がいるっていいことだ、きっと。本当におめでとうございます。これからの活躍も楽しみ。

さてさて見ないようにしてきたもろもろのことを見ないと。その前に今日も調布市のお菓子とケーキのお店「フキアージュ」さんのお菓子をいただきましょう。ここのお菓子とっても美味しい。今度自分でも行ってみたいな。調布は楽しいですよ。バスで神代植物公園に出るのもいいし。

今日は曇り空のままかなあ。雨が降るのかなあ。ゴミ出しに行ったときは降っていなかったけれど。調整の難しい気温ですがどうぞお大事にお過ごしくださいね。

カテゴリー
お菓子 読書

睡眠、花、いとうせいこうの本

おはようございます。疲れのあまりそばのソファに無理矢理身体をねじこんで寝てしまった。身体が痛い。広いお屋敷やお城に暮らしているわけでもないのになぜベッドに辿り着こうとがんばれないのか。アメリカは7時間の睡眠を推奨しているのか。そのためのツアーまで組まれている。なんだそれは。睡眠って大事だけど個人差あるし中途覚醒とかもことさら問題にする必要ないし。どんなツアーなのだろう。皆が同じ夢を見て夢で交流するツアーとか入眠までの早さを競うツアーとか色々できそう。同じ夢をみるはできないか。入眠競争なら私は自信がある。睡眠クリニックで検査を受けたときにそこが「異常に」速いという数値だった。「一般的な」日本社会で暮らすには不便なのかもしれない。

今日は調布市のフキアージュさんの桜マドレーヌ。色も形も美しい。桜はすでに葉桜だけどまだほんのりピンクを纏ってるような木も多い。昨日はそんな桜も八重桜も藤もモッコウバラも菜の花みたくさんみた。普通に生活しているだけなのにこんなたくさんの花々に囲まれてるなんて素敵なこと。桜マドレーヌも上品なピンク。甘さも上品。コーヒーと一緒にいただきました。ほかの焼き菓子ももらったので楽しみが続く。

いとうせいこうの『東北モノローグ』は買わないと。『想像ラジオ』はそれはもう必読としか言えない本だった。いとうせいこうみたいに言葉を多様に聞き書き言葉に反映できる人が「聞き書き」したこの本もきっとそういう本なのだろうと想像する。先日、東北の友人が満開の桜の写真を送ってくれた。とてもきれいだった。みんなの当時が今どのように体験されているのかわからないけれど今日もどこかしらで土地の傷痕がうずくのだろう。せめて想いをはせる。

東京は曇り空。どうぞ良い一日をお過ごしください。

カテゴリー
お菓子 精神分析 音楽

ヴァッフェル、メタル、ヒューム

なんだか夜、暑くありませんでした?まだ服装もお布団も真冬と同じなので暑くて起きてしまいました。二度寝したけどなんか暑かったよねという寝ぼけた感覚がまだ残っています。

今朝も京都若菜屋さんのお菓子。「苺クリームヴァッフェル いちごいちえー一期一会」。これもかわいい。開けるなりいちごクリームのいい匂い。私が大好きな系列のお菓子。「ヴァッフェル」ってワッフル?と思って調べたら

「欧米の伝統的なワッフル生地をさっくりと堅焼きし、芳醇なヴァニラクリームを挟んだ長崎堂のヴァッフェル。 」

という大阪の長崎堂さんのサイトが最初にでてきた。なんと。「ヴァニラ」とくっついておるのですか。若菜屋さんのも美味しいです。ありがとう。

ここのところ思いがけずっと色々大変で仕事が進まない。でもそんな状況にも少し慣れて締切を2つ守ったのは守ったことだけ偉かったと思います。内容はともかく。もうひとつは国際精神分析協会(IPA)のアジアンパシフィック地域の大会で出すパネルの原稿。もうダメだと思って1週間締切を伸ばしてほしいとメールしたらbut no later than Friday 5th Aprilということで2日遅れで出しました。日本語で15分間話す分量から随分減らすことになってしまったけどそういうものなのですね。色々素人すぎるけど今回学んだのは締切に遅れると英語でメールを書く手間が増えるということ。これはこれでめんどくさかった。

Spotifyの2024年のデータを基に、どの国でどのメタル・バンドが最も聴かれているかを示す「現在、世界各国で最も聴かれているメタル・バンドの地図」が話題に。”

というニュースを読みながら「へーおもしろーい」となっていた。

”注意点としては「何をメタルと分類するかによって結果が変わること。”

いやあ、そうでしょうねえ。

アジアンパシフィックの大会でご一緒する国を見てみましょう。

Taiwan:Flesh Juicer , Korea:Madmans Esprit , China: Nine Treasures , India: Bloodywood , Australia: Parkway Drive。で、日本はBabymetal

ふむ。早速インドのBloodywoodを聴いてみましょう。おお、インド音楽要素が強い!のにしっかりメタル。面白い。いいですね。

新しい本を読むエネルギーがないので再読ばかりしていたのだけどなんとなくKindleで読んでいない本を読んでみたのです。そうしたら全然頭に入ってこない。入門書かと思ったら博士論文を書籍化したものでした。博士論文の書籍化って多いけど難しい、素人には。まあ、まずは専門の人に役立つのが大事だからいいのだけど。読んでいたのは

成田正人著『なぜこれまでからこれからがわかるのか ーデイヴィッド・ヒュームを哲学するー』(青土社)。副題と目次からして難しいってわかるだろ、という感じだけど題名が魅力的だったのですもの。

教えて、ご本人、というわけで「普及版」といいながら全然普及しなそうな値段の『デイヴィッド・ヒューム 『人間本性論 第1巻 知性について』 (木曾好能訳、法政大学出版局)を読み始めました。さすが、ひとつひとつ丁寧。そう思ったから買ったんだもんね。ちょっとずつ教えてもらうように読みましょう。

さあ、洗濯は終わりましたが資料作りがもう少し。こんなことしてる場合ではなかったよ。どうか良い1日になりますように。

カテゴリー
Netflix お菓子 精神分析、本

三体、ほっこり餅、夢判断

 コーヒー&和菓子。机に向かうのが遅くなった。最近、帰宅するとNetflixの『三体』をちょこちょこみている、と早朝からすでに朝を2時間ほど過ごしたにもかかわらず書き始めたら昨晩より前に頭が戻った。朝らしさいっぱいの部屋なのに。昨晩もちょっとみた。『三体』は読もう読もうと思って読んでいないので何も知らないがこれはこれで面白い。すごいコンパクトにしちゃってるんでしょ。でも私はこれでいいや、みたいになってる。しかし、すごいね、原作も役者もゲームのことも知らない私みたいな人でもこのなんとなく知っている全く知らない世界を作り上げてしまうのだから。あ、しまった。こんなこと書きながら京都土産の「ほっこり餅」を食べてたらあっという間になくなってしまった。もっと味わって食べようと思ってたのに。この若菜屋さんのお菓子はほんと小さくてかわいい。ペタッ、モチッとした生地でニッキの香りほんのり。パクパクしちゃったけどニッキの味が残ってて美味しい。やっぱり知らない世界を知らないようにえがくって本当に難しいんだな、とまたドラマのことを思い浮かべてる。けど、味覚は「うん?何この味?」ってかなり新規性を感じるものがあるね。歯磨き粉とかも。この前、いつもと同じメーカーだからとあまり何も考えずに買った歯磨き粉が使い始めて何回かはいちいち「なんじゃこの味」となった。でも今は慣れてしまった。この最初の未知との遭遇の時間の短いこと。貴重。今年はもっとベルクソン勉強したいな。昨年、平井さんに問いを発したもののそれをしたことで自分が考えていたことにも疑問符がついた。この前のクドカンドラマはタイムマシンだったけどあれも既知である未知との遭遇だよね。そうそう、タイムマシンの物語って19世紀末までなかったそうですよ。アインシュタインの相対性理論が契機らしい、って何かで読んだ。でも記憶が意識されている以上、脳の中はいつもタイムマシン状態なわけだから「これタイムマシンものじゃない?」って今からなら思える物語はたくさんありそうですよね。神話とか。でも空間というか場所の移動、というのはかなり特殊な事態なのか、よく考えれば。一番そういう世界をたやすくこなしてるのは夢ですかね。昨晩、NHK Eテレで『夢判断』のことやってたけど立木康介さんの説明も面白かった。伊集院さんが指摘してたけどこんなこと自分でやってしまうフロイトやっぱり変だろう、と思いながら楽しくみた。しかし、なぜこの番組は岩波版の『夢解釈』ではなく古い訳を使ったかな。いろんな事情があるのかな。昨日はエイプリルフールだったけど「なにか嘘ついた?」という会話しかそれらしいことはしなかった。楽しい嘘ならつきたいもんだ。今日はどんな感じになるかな。良い一日になりますように。

カテゴリー
お菓子 読書

京都土産、朴沙羅『記憶を語る,歴史を書く』

今朝のお菓子は迷った。京都のお土産たちを眺めに眺め結局ひっくり返して賞味期限を確認して一番早いものからにした。お日持ちするのを買ってきてくれたけど多分どれもすぐになくなっちゃう。どれも美味しそう。今朝、選ばれましたのは若菜屋「京銘菓 焼き栗きんとん」。すごく素朴に栗の形になっててかわいい。小さいしかわいい。かわいいって二回書いちゃった。そして、うん、美味しい。結構甘いからこの小ささがとってもいい。ほうじ茶と一緒に。このほうじ茶、棚の奥で忘れられていたいい煎茶をフライパンで煎ったもの。あ、煎るっていうかな。いうね。あんな乾いてるようにみえても湯気で水分の存在に気づく不思議。すごくいい香りがする作業です。

今日は首が痛くて持ち上げづらい。ひどい頭痛は頚椎ヘルニアのせいかも。というか、前にそういうふうにいわれた。

私のオフィスは新宿が近いので「今新宿なんだけど」って急に声をかけられることがある。時間があえばちょこっと会ったりする。ごはんする時間がなくてもちょこっとお茶しておしゃべりしてバイバイするだけでほっこりする。ほっこりほうじ茶タイムを過ごしたら思い出した。

朴沙羅『記憶を語る,歴史を書く』(有斐閣 )を久しぶりに手にとった。noteでの記事は読んでいたのだけど、社会学の専門的な本でもあるから取り組めなかったのよね。でも最近、主にナチとか戦争が関わる歴史や歴史修正主義に関する本を再読していたせいか今回はじっくり読めている。何かが生じるにはいろんな条件が必要なはずなのにそれを吟味する前にパッと攻撃対象を作ったりするのも既に何か前提があるからだよね、ということを言ってるんだよね、と思いながら読んでいるのだけど違ったりして。私自身が思っていることを投影していませんように。読めていますように。まあ、ゆっくり。

ほっこりとかゆっくりとか言ってるときほどそんな場合ではないわけだけどどう焦ったら成果が出るのかもわからないし作業しつつたまにほっこりゆっくりしながらやりますわ。小さいお菓子をいただくほっこりも隙間時間の読書も時間的にはたいしたロスじゃないし、常にチャージされてた方ががんばれるかもしれないじゃん。ということでexcuseはもう結構、と自分で自分にいって始めましょうか。

東京は昨日桜が一気に咲きましたよー。暑いくらいの一日でしたから。朝と夜で駅前の景色が変わっていて驚きました。皆さんもどうぞ良い一日をお過ごしください。

カテゴリー
お菓子 読書

街のお菓子、千葉雅也『現代思想入門』

今朝もまたまたパティスリートリヨンフさん。小川町マドレーヌ。町名のついているお菓子が好きです。たとえばヴォアラの「世田谷讃菓」とかだと太子堂の風景として「芙美子のかけおり坂」、豪徳寺だと「福まねこ」とか。心象風景をお菓子に、ということなので「これはどうしてこの味かしら」と想像しながらいただくのが楽しいです。なんでも「か」は「菓」に変えてしまうところとかも好きです。小川町マドレーヌはどうして小川町?というかどうしてマドレーヌ?これは多分ごくシンプル。パッケージに「和紙のふるさと」とあるからマドレーヌ自体に街らしさがというより街のお菓子屋さんならではの定番お土産なのでしょうね。「小川町って和紙のふるさとなんだー」「そう、わしのふるさと」「・・・」みたいな会話をもたらすのでしょう。「あ、わしって私ね」「(わかってるよ。だから・・・なんだよ)」みたいな会話も聞こえてきますね。あ、くだらない。

千葉雅也さんの『現代思想入門』読みましたか?私の周りは多分「フーコー」で挫折してると思うのです。デリダ、ドゥルーズとものすごく軽やかに話されているわけだけど「フーコー」は内容からしてちょっと雰囲気が変わるからなんにも考えずに「ただ読む」という方法をしない人は立ち止まってしまうと思う。なまじ有名だし。でも本は立ち止まらないことが大事。全部平面として読むことが大事。小さい頃って多分それができていたと思うよ、みんな。絵本の読み聞かせしてるといちいち反応はあるけど立ったまま膝に乗ってきたり指くわえてぼんやりしたりしながらもわりとじっと本を見て聞いているでしょ。反応は自分の中の情報と照合できる部分とかびっくりしたりするところであるわけだけどある意味作者の意図通りなわけでそこはそこ。進むことが大事。千葉雅也さんはこの本の付録にこういう読み方についてもっと上手にユーモラスに書いてくれています。「細かいところは飛ばす。一冊を最後まで通読しなくてもいい。」など。えー、最初に言ってくれよ、と思う人もいるでしょう。でもこういうのは壁にあたってから「え、そうだったの?」となる方が学びになるのでさすがは千葉先生なのです。方法論について常に考えておられるのはnoteを購読しているとわかる。それもすごく勉強になる。この本もベースになっているのは立命館大学での授業だそう。いいねえ、こんな先生に教わることができて、と思うけどだったらこの本を読め、ということですね。高校二年生のときのお父さんとのちょっとしたエピソードも印象的。進路を考え始める時期に誰かがいてくれるって本当に大事。言葉に従うためではなく何かを言われたら反抗したくなったりなるほどそうかと思ったり考えるためのきっかけができるから。そういう相手がいろんな事情でもてなかった人たちとお会いすることが多いのでこういうエピソードにもじんときてしまうのかもしれません。そうそう千葉さんの『エレクトリック』のフランス語訳も出版予定だそう。高2の達也くんのお話。フランス人にどう読まれるのか、千葉さんご自身がフランス語堪能だからご紹介してくれることでしょう。楽しみです。

どうぞ今日がよい一日でありますように。

カテゴリー
お菓子 散歩 読書

思い出など

今日も小川町のトリヨンフさんの焼き菓子と紅茶。神保町の隣の神田小川町ではなくて埼玉県比企郡小川町。東武東上線の。懐かしいなあ。東上線沿いに住んでいたことがあるから駅名はすごく馴染みがある。森林公園も遊びにいったなあ。ジャングルジムで遊んでたら男の子と間違えられた。当時の彼氏と一緒だったのだけどベリーショートだったから?いつもTシャツにジーパンだったから?今もたいていそうだけど。きっとそういうイメージなんだろうね。18でジャングルジム登るのが子供っぽいというのもあるか。でも公園行ったら遊ぶでしょ。今も小さい子たちと登ることがあるけど子どもの危険防止で登っているはずなのだけど私の方がバランスとか危うくて全然ダメですね。鍛えねば。最近ようやくストレッチポールに乗る習慣はついた。脛ゴリゴリするとまだすごく痛いけどトレーナーの先生のところでやったときより痛くない気がする。というかやり方が間違っているのかも?先生、ものすごく的確だったから。怪我しやすい人は身体が感覚掴めるまでプロにきちんと教わった方がいいと思う。自己流で怪我してたら二度手間というかとっても残念な気持ちになるし。整形外科とか行かねばになるといつも混んでるし病院通いは時間がかかるから本当にやってられないでしょ。私は日曜診療のところも使ってるけど、助かるけど・・・。この歳になると友達との病気関連情報網が発達してるから「ここは混むけど順番になると連絡くれるし先生がこういう感じでいい」とか「ここでこんなになってあれは失敗だった」とか教えてもらえるのがいい。この前、友人の病院選び失敗談を聞いてて、その人が医療系の友人にその病院のことを話したら「いい先生はそんなにべらべらしゃべらない」って言われた、と聞いた。至言と思った。必要なことだけをやるっていうのが技術でしょ、医療系も支援者も。余計なことはしない。友達じゃないんだから。友達だったら色々してほしいことをしてあげたいのはわかるよ。小さい子供がいる家庭なんて本当大変だし。予防接種行ったり、熱出したり、怪我したり、なんだかんだ、と自分のメンテナンスする時間も持てないでしょう。だからできることはしたい。私は小さい子がいる友達と遊ぶときはハーブティーとか持ってくことがある。自分が一緒に試してみたいのもあるし、前もってリサーチする場合もあるかな。ハーブって好き嫌いあるものね。彼らと森林公園に行くのもいいな。小さい子はとにかくいっぱい動きたいから見える範囲が広いところで(狭いとこっちもあれこれ注意払わなくちゃで疲れてしまうものね)遊ばせてあげたい。でも最近体力ないからあんまり遠くに行かないで・・・。森林公園は今はチューリップがたくさん咲いてみるみたい。昨年はチューリップで有名な公園に行ったつもりがもう終わっててありゃーってなった。でもいいところだったから野生の花々とか鴨とか見ながらお散歩して楽しかった。なんかまだ寒くて嫌になってしまうけどいろんな種類の桜が咲き始めてて沈丁花やコブシがとってもきれいなまま終わり始めてる。昨晩も真っ白なこぶしが朽ちていく手前の大きな花で闇を照らすみたいに咲いててすごくきれいだった。三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』(朝日出版社)の終盤「索引と徴候」という章で中井久夫の『徴候・記憶・外傷』からの文章が引用されている。この本は私もよく引用させていただいている。そこで中井久夫が書いた花のにおいのところが引用されているのだけど本当に見事な描写だと思うし、その後の三浦さんの思考の展開もすごい。「懐かしいにおいのお茶があれば、それを淹れてください。飲みつつ、つづきを読んでください。」のあとの文章。懐かしいにおいのお茶、なにかな。オレンジティーかな。バイト先で最初に飲んだときはびっくりした。紅茶なのにオレンジ?今ほどフレーバーティーのない時代だもの。でもすっごく美味しかった。あれはジャム使ってたのかな。タバコ臭くて意地悪なお客さんが多くてすごく近寄り難い喫茶店だったのだけど(だからバイトがバレないと思って友達に紹介してもらった)賄いのパスタもアイスココアも全部美味しかった。厨房の大人たちは怒鳴るし最初は怖かったけど(あまり覚えてないけど多分怖かった)「メニューにないものも作ってくれるよ、これが美味しいよ」と先輩が色々教えてくれたから恐々いってみると先輩のいう通り美味しいのが出てきてニッコリしたり。そのおっさんもそのうち怒鳴らなくなった。最初から怒鳴らないでよ。先輩はメルローズに就職した。あるとき道を歩いてたら田舎道ではあまり見かけないかっこいい車がピタッと横に止まった。声をかけられて「だれ!?」って一瞬ビビったけど先輩だった。モデル体型の人ではあったけどすごくおしゃれで最初誰だかわからなかった。エプロン姿しか馴染みがなかったから。あの人が私にとって「かっこいい」の元祖かも。元祖って今もいうよね?中性的で言葉少なくて優しかった。不良時代を支えてくれた皆々様との思い出が食べ物を通じて蘇るよ。感謝感謝。こんな歳になるまでどうにかこうにか生き延びております。みんなも元気でいてほしい。あ、千葉雅也『現代思想入門』のことを考えていたのに全然書いていない!なぜだ。お菓子を先に食べたからか。まあ、今日は時間切れ。あの本はとてもいいけどかなり難しいよね、ということを考えていたのさ。どうぞ良い一日をお過ごしください。

カテゴリー
お菓子 読書

三浦哲哉『自炊者になるための26週』

今朝は埼玉県小川町のパティスリートリヨンフさんのフルーツケーキ。ここの焼き菓子をいくつかお土産でもらったのでまたしばらく朝お菓子が充実。いちごもあるし。フルーツケーキって昔はあまり好きじゃなかった。多分生地にも少しお酒が入っているのが多かったんじゃないかな。あとドライフルーツが苦手だった。歯にくっつく感じが嫌だったんだと思う。レーズンは昔から好きだけど。甘さも好きな甘さではなかったんだろうなあ。実際、いろんなお菓子は当時よりずっと癖が抜けて誰にでも美味しくなっているのかもしれない。今となっては当時のをそのままの味で食べたいけどね。きっと美味しく感じると思うの。たとえ「ん?」となってもそれが美味しいってなりそうでもある。

三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』(朝日出版社)という本がとても良くて何度もパラパラしちゃう。『LAフード・ダイアリー』も一緒にパラパラしてなんだかジーンときてしまった。三浦哲哉さんの語り口が好きで映画の本も持っているけど私が映画に詳しくないからこんなワクワク感では読めなかった。でもこの2冊は本当に生活の色々が詰まっててこんな料理本これまであったのかしら!と驚く。三浦哲哉さんはお料理も上手だけど対談もすごくいいですよ。対談は映画のことをよく知らなくてもすごく面白い。すごく前のことだけど千葉雅也さんとの対談からファンになった。味もお話も引き出すのが自然で上手。生活する人、交流する人、考える人の自然に鍛えられた末の自然体、かっこいい。自炊本、1980円で買えるんだけどこの質でこの値段はものすごくお得ですよ。これは子育ても含め、三浦さんの育ちとか生活とかに即した本なのだけど引用されている文献もいいし、料理ってレシピではないんだよな、こういう行為で、こういう思考をもたらすものなんだよな、と何度もお鍋の中確認するみたいに舞い戻って読んじゃう。『LAフード・ダイアリー』もぜひ一緒に読んでほしい。生活って面白いな、ってなると思う。今日も美味しいものと出会えますように。良い1日をお過ごしください。

カテゴリー
お菓子 未分類

2月27日(火)朝

今年は梅の木に遊ぶメジロをたくさん見ている。ちっちゃくすばしっこくすぐに幹に隠れてしまう。何枚も何枚も写真を撮るけどはっきりメジロだとわかる程度に写ってくれることはほとんどない。私は残念だけどメジロは元気。良いことだ。スズメ、ムクドリ、ヒヨドリ、シジュウカラ、私がぐったりしている間にみんな少し遠くへいってしまったみたい。しまった、また眠ってしまった。ずーんとだるいが色々やらねば。今日は秩父土産、阿左美冷蔵のとろっとろの水羊羹。お腹痛いけど黒みつが美味しくて少し食べてしまった。かき氷で有名なお店だそうなので夏に行ってみたい。

昨日聞いたポッドキャスト。私の興味あるところ。

Episode 153 : Female Sexuality in India Today: Through an Analytic Lens with Amrita Narayanan, PsyD (Goa, India) FEBRUARY 25, 2024

この人のこの本も欲しいけどKindleでもすごく高い。

Women’s Sexuality and Modern India In A Rapture of Distress” by Amrita Narayanan

富永京子さんのポッドキャストも聞いた。なんて表現したらいいのかわからないのだけどとても良いのですよ。おすすめです。

カテゴリー
お菓子

パックマンとか。

寒いから起きてすぐに準備をした。暖房の種類も色々で我が家も広い場所はエアコン、洗面所はカーボンヒーターなど使い分けている。田舎の一軒家(実家)に住んでいた頃は家が広い分、いろんなところが寒すぎた。でも多分子どもだったから寒い寒いって騒ぐのもワンセットでこんなに動きたくないとはならなかったのかも。朝ごはんのときとかは母が前もって暖めておいてくれたし。

毎冬、春と長期休みは朝日新聞社主催のスキー教室にいっていた。小学生低学年から参加していて1班で大会に出るようなお姉さんたちが眩しかった。万座温泉スキー場。大好きなスキー場になった。私もすごい怖いコースにでる3班くらいになるまでは行っていたと思う。ほかの学校のいろんな年齢の人たちと仲良くなったというかバカなことをたくさんした。お互いの部屋から聞こえてくる声からふざけあいが始まっていつのまにか蹴り合いになって壁に穴が空いたときはビビった。大きくなって「こんな薄い壁じゃ穴もあくわな」と思ったがその前に蹴るなよという話である。若かったというか幼かった。夜のビンゴ大会だったか、クイズ大会だったかで上位に入り原辰徳のサインボールをもらった。当時ファンだったので嬉しかった。小さな売店の横にあったパックマンにも相当お金を使った。初期のパックマン。はまったなあ。相当お金を使ったが今の子供たちの話を聞いているとまあかわいいもんだった、と思いたい。実際どうだったんだろう。もともとそんなにお小遣いもたされていないだろうからやりくりしたのだろうと思いたい。子供の頃の自分も信用ならない。今もそこそこ心配だが当時よりはだいぶまし、だと思いたい。

今朝は朝からクレープ。毎日おなか痛くなりませんようにと願うなら食べなければいいのだがそうもいかないのが私たち、と思いたい。パックパックパックマン。

主に欲望のお話でした。今日もがんばりましょう。

カテゴリー
お菓子

「よかった」

寒くて起きてしまうような場所で寝たり起きたりしてしまった。失敗。じんわりきく暖房を消して急速に温まる暖房をつけた。しかしジンジャーブレッドティーを飲んだらあっという間に暑いくらい。これが一番きくが短時間しか持たない。昨日セミナーが開かれるいつもの6階へエレベーターで上ってドアが開いたらなんとシャッターが。ガーン。なんだこの締め出し感は。行き場がないから下へ戻った。なぜかビルの自動ドアは閉まらない設定になっておりエレベーター前も黄色い落ち葉でいっぱい。先日世田谷ボロ市のときも世田谷通り沿いの店の店内が公園のように黄色い落ち葉がふわふわ積もっておりびっくりした。でもそこはお店の人もいた。わざとってことはないだろうけどなぜ。わざと?だとしたらなぜ?アート?きれいではあった。誰か来ないかな、と再びしまったエレベーターのドアのそば、できるだけドアの外から離れて隅っこで人を待つ。昨日は私もそんなに早く行かなかったしもっと早くくる人もいるのにこの日はみんなゆっくりだったみたい。誰も来ないよー、と思って寒さに耐えかねてさっきまでいたヴェローチェへ、と思ったが開始時間までそんなに時間があるわけでもなかったからファミマへ。ホットコーヒーレギュラーで。ポン(紙コップを置く音。軽い。)どうもありがとさんです。うん?コーヒーが出てこない。またセットの仕方が悪いのか?この前セブンでカップ傾いたままスイッチ押しちゃったらもうカバーがあかなくてあーどうしよーこれカバーとカップがすこしかぶっちゃってるよ出すとき倒れちゃうよ店員さーん、と心で呼びながらまずはコーヒーが無事に注がれてくれるのを見守る。よし無事。注意深くカバーを開ける。よっしゃ。あーよかった。隣の人、こいつやばい、って感じだったのかもしれないけどそんなこと気にしない。無事でなにより。ファミマのコーヒーもじっと見ていたら出てきた。豆を丁寧にひいてくれてたのか、機械さんが。私が待てない人なだけか?でも寒かったからむしろ長居はしたかったし、実際このご家族はここで寒さ避難をしているよね、という三人家族がすぐ後ろで年賀状を見ながら楽しそうにしていた。そうだ年賀状買わねば。ファミマで買えばよかった。10枚入りの細長いメルティキッスは買ったのに。コンビニやばい。おなかいっぱいだったのに冬季限定の文字に全て惹かれ迷いに迷って箱が小さいことで罪悪感だけは減らし購入。ストロベリーマーブルメルティキッスかわいい。結構甘かったけど昨夜はセミナー続きで夜遅くなったから合間合間にいただいた。小さくて白とピンクのマーブルでかわいかったし美味しかった。そうそう今回も無事に入ったコーヒーカップで手を温めつつセミナールームのあるビルへ戻った。別の参加者が三人。よかったー。鍵空いてないね、誰が持ってるんだろう、ここでできない場合どうするんだろう、スタバ?それにしても寒いねー。そこの自動ドア閉まらないの。あ、ほんとだ。など話しているうちに鍵到着。無事解錠。無事開催。よかった。毎日小さいよかったがいっぱい。やばい、しまった、やっちまった、も多いけどどれもこれもとりあえず解決すればよかったになるから結果的によかったが一番多くなる仕組み。また寒くなってきちゃったけど朝のお菓子タイムはほくほくだったからいいや。今朝は秩父のお土産、「玉木屋詰め合わせ」から「かえでモン」。小さいお皿に半分乗せてフォークを入れたらポロポロポロ。おお、もう一回り大きいお皿の方が安全だったか。でもこぼれなくてよかった。メープルの味が美味しい。マーガリンの味も美味しいということでよかったよかった。色々難題も多いし勉強も難しいが無事に月曜日ですね。嬉しくないか。でもとりあえずがんばろ。とりあえず、とりあえず、と一歩一歩。気づいたら結構進んでるかもよ。と希望を持ちつつね。私はまずはセミナーのフィードバックのメールを送ろう。はあ。何かやろうとするとすぐに元気がなくなるのはなぜ。セミナーはすごくよかったのだからがんばって書きなさい。がんばらなくても書けるでしょ、そのくらい。はい。やります。自分の中に怖すぎない尻叩きフレンズを住まわせてなんとかやりましょう。寒い寒い。お大事に。

カテゴリー
お菓子 読書

12月1日朝

ちょうどいい温度のお茶と聖護院かぶらのお漬物。まんまるでまっしろ。そういえば昨日の月もきれいだった。雲に包まれていてもそこに月があるんだなとわかる見事な明るさだった。悪者に呑み込まれちゃった主人公が復活するときに黒い内側からブワッって光が溢れる描写があるけどそれみたいだった。聖護院かぶらは真っ暗な土の中でよくもこう真っ白に育ったものよ。京野菜は今ではすっかり馴染みのものも多いけどきっとまだ知らないものもあるのだと思う。少し甘めのお漬物で食べすぎちゃいそう。後柿とみかんを少しずつと勝沼のお土産の最後の一つ「しっとりぶどうチーズケーキ」。作っているのは長野の「れんがはうす」というところらしい。パティシエマークがかわいい。これも美味しい。最近の焼き菓子はしっとりが上手。私は泉屋のクッキーみたいなパサっとした硬いお菓子も大好きだけど最近は歯も欠けやすいから柔らかいお菓子の方が安心するようになってしまった。歯医者さんは私の歯が欠けるたびに「噛む力が強いから」と笑うのだけど硬いものを食べるために歯ってあるんじゃないっすか、先生、と思うけど口開かれてると無力。日曜日にやっててくれるし  「キャプテン翼」でサッカーやっていそうな容姿でとても親切な先生なのだけどムー。最初、岬くんみたいって思ったのだけど岬くんを調べたら私の思っていたのと違った。どちらかというと翼くんだった。「キャプテン翼」は生まれてはじめて自分で買いにいった漫画。岡山県津山市の商店街の本屋で。私も休み時間はいつもサッカーやるような「ボールは友達」に「そうだよね!」と思える子供だったしうまかったし、サッカー。結局親にねだってはじめて買ってもらったのはバスケットボールで部活もバスケ部に入ったけど。それでもボールは友達だから毎日学校に持っていっていたらなぜか持ってくるなと注意されて教室で使うわけでもないのになんで、と無視して持っていってた。おさがりのエナメルの紫の大きなショルダーバッグと。ミッキーの。ランドセルもいいランドセルで気に入ってたけど先生に注意されてもそういうことがしたかったのね、当時の私は。今は毎日でっかいリュックで移動してるし運動なんて全くしない大人になったのに。ミッキーのことはよく知らなかったけどエナメルのムラサキというところが素敵だったんだ、多分。こうやってプチヤンキーってできていくのね。高校生になって本格ヤンキーの友人がエナメルのムラサキのバッグ持ってて似合っていた。私もその年齢まで待つべきだったな。当時私はすごく背も小さかったし引きずるように持っていたような気がするもの。彼女は背も高くて明るい茶色のながーい髪も似合ってた。バイト先では嫌味と悪口しか言わないお客さんに文句を言わせない迫力があったしアイスクリームを盛るのも上手だった。私は下手すぎてついにはやらなくていいといわれた。私なりにがんばったのだけど私なりはどこまでいっても私なり、と当時学んだ。不器用な人は器用な人に助けてもらえばいいのだ。みんな元気ならいいな。まだ10代だった私たち。

10代といえば最近読んだ本で一番良かったのは

アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』(小学館)
著/ベンジャミン・アリーレ・サエンス 訳/川副智子

シンプルな言葉が響くのはこの年代ならでは。「ボールは友達」だって子供の言葉だからいいわけでしょう、大人が書いたものだとしても。この本で「会えてよかった」に傍点がつくわけも。冒頭の二行は思春期の患者からも大人の患者からもよく聞く言葉。そのあとの母子の会話に胸が小さく何度もギュッとなる。この感覚も10代のものだ。星を見上げたりしながらぜひ。でもまだ朝が始まったばかり。今日もなんとか過ごしましょうね。外は寒そう!暖かくして出かけましょう。

カテゴリー
お菓子 音楽

11月30日朝

うっすら明るくなってきた。うっすらでウルスラを思い出した。魔女の宅急便。今朝熱いお茶とあんぽ柿といづみやさんの「すかのわ」。いずみやさんのウェブサイトには

「横須賀の船をモチーフに「うきわ」の形をした焼きドーナツ。
メープルきなこの贅沢な味わいが口いっぱいに広がります。」

とのこと。ほんまや。美味しい。うきわ真っ二つにしてしまったけど。そもそも沈まないで。

今、ジャズピアニストのエメット・コーエンが来日している。行きたかったなあ。これもおなじみ柳樂光隆さんのインタビューとそこにある音源をぜひ。今年一番好きになったピアニスト。アルバム『Future Stride』は何度も聴いた。今も聴いている。周りに音楽を楽しむ人がたくさんいるライブハウスに来たみたいな気持ちになれる。実際のそれを体験したかった。ピアノを作った人は本当にすごいと思う。それではピアノの歴史をみてみましょう、ということでウィキペディアをみてみる。ふむふむ。すごく詳しいので途中まで。誰か弾いてるときのグランドピアノってウキウキする。叩いて鳴らす音楽。このPCのキーボードも一音ずつ音が違ったら今の私はどんな音楽を奏でているのかな。素敵な文章だと素敵な音楽になったりするのかな、やっぱり。

それにしても眠い。帰ってくるのが遅いというのもあるけど帰宅後は何もできないままきちんとした格好で眠りもせず朝が来てしまう。そりゃ眠いさ。寝てはいるんだけど。

この前、4歳児とzoomで話した。「あみさん、スヌーピー好き?」というから「好き好き」と答えつつ何かなと思ったらその子のセーターがサングラスをかけたスヌーピーだった。まあ、かわいい。褒めると恥ずかしそうに満足そうに画面の外へ行ってしまった。しばらくしてまたその子が「あみさん、ネイルしてる」と。へ?ちょっと映った指がそんなふうに見えたのかな。おしゃれ爪に見えた?ありがとう。全然しないのだけどたまにはしましょうかね。今の子は「ネイル」っていうのね。かわいい。今日もチビさんたちとのお仕事がありますね。お互いがんばりましょ。

それにしても眠いのよ。エメット・コーエンの音楽のせい?心地よいの。寝てしまう前に出かけましょう。みなさんもどうぞお元気で。

カテゴリー
お菓子

勝沼のお土産とか。

勝沼ぶどう郷のお土産が色々。もちろんワインも♪下北沢に日本のワイン専門の美味しいお店があるんだけどそこでみたことがある。ビンもきれい。身延の方へ泊まり込みボランティアに行っていた頃勝沼によく立ち寄った。子どもたちとぶどう狩りにも行った。小さいワイナリーもたくさんあってフルーツ公園からは夜景がきれいで、といろんな思い出がある。少し前にフルーツサンド屋さんに行ったら当時よく行っていたワイナリーのワインがあってびっくり。あまり見かけたことなかったのだけど。あら、今ウェブサイト見たら大きくなってる?あの店と同じ?すごく小さい店で、小さい駐車場に赤ちゃん猫がいてかわいくてかわいくて一緒に行った友達カップルはそのおかげで仲直りしていたよね。もうすっかり有名ワイナリーになったのかもね。それはそれでなにより。彼らもそれぞれ別の相手と。あれ?一人は今でも仲いいから知ってるんだけど。当時学校に行かないで山梨の廃校に集っていたみんなももう大人。実はあまり年齢変わらなかったんだよね。みんなみんな元気ならいいな。今は「ぶどうのつぶやき」というレーズンをミルク(?)でコーティングしたちっちゃい粒々のお菓子を熱い紅茶といただいています。これはワインに合うようになのね。紅茶とでも止まらない・・・。どうしましょう。昨日は友人に奈良の柿ももらった。すごくきれいですごく美味しかった。この季節は食べ物が美味しいだけが救い。寒くて日に日に動きが鈍ってるもの。でも寒い方が好きという人も多いですよね。なんて羨ましい。昨日も仕事だったけど日曜だから何かしたいな、と映画に行こうと思ったら有楽町とか決まった映画館でしかやっていなくて新宿渋谷以外に行く気力がなかった私はやめてしまったのでした。有楽町の映画館はすごく昔に父に連れられて『モモ』を見て建物が嘘みたいに素敵と思ったけど改装されたね。群馬っ子にはお城の階段みたいに思えたよ。そのせいか有楽町ってどこか特別感があって物理的にというより心の距離が遠いのよね。それを超えるエネルギーがなかった、寒すぎて。新宿渋谷、まして下北沢だったら庭くらいに思ってるんだけど。とかいって最近の下北沢は全然知らないお店ばかりでキョロキョロしてばかりだけど。変わる変わるよ色々変わる。まわるまわるよ時代はまわる。また地球はまわるって歌ってしまった。寒い寒い。それでも太陽が出ているうちに動き出しましょう、というか動かねば。時間どろぼうはこころのうちに住んでるものね。がんばりましょ。

カテゴリー
お菓子 音楽

マドレーヌ、ソフィア・レイなど。

またまずい寝方をしてしまった。顔が潰れているのか腫れているのかわからない変な感じになっている。暖房はつけっぱなしだったからあったかいのはいいけど。さてあったかい紅茶と横須賀土産のマドレーヌ。昨日はよこすか海軍カレーマドレーヌを食べた。今日は普通のだけどでっかい。半分ずっこ。っていう?半分ずつと半分こが混ざってるのかしらね。

今来日しているホルヘ・ローダーとソフィア・レイのアルバムからSofia Rei & Jorge Roeder “Callejon de un solo caño“From “Coplas Escondidas”. ソフィア・レイも楽器みたい。ひとりでいろんな音が出せてしまう。素敵な声。

しまった、関連でジョン・ゾーン(JOHN ZORN)のことを調べ始めてしまった。『The Book Beri’ah, Vol. 1 – Keter』は Sofía Rei & JC Maillard。うむ。30分も経ってる。ジュリアン・ラージが参加しているジョン・ゾーンのアルバムは、と調べていたら「哲学者ジル・ドゥルーズの著作と思想に触発されたアルバム「Multiplicities: A Repository of Non-Existent Objects」の第2弾」というのがディスクユニオンのページで出てきた。今はそれを聞いている。Multiplicities II: A Repository of Non-existent Objects

あーだめだ。これ仕事行けないよ。あとで柳樂光隆が何か書いていないか探そう。彼の記事は私みたいな初心者にも本当にいい。

今日は移動も多いし大変だな。ちょっとした時間に翻訳しないと。昨日は朝少し進んだけどその後は全然進まなかった。11月中にやらないと。お待たせしてしまっている。

しかし、ソフィア・レイの明るさと深さの両方がある声は素敵ね。いつのまにか『The Book Beri’ah, Vol. 1 – Keter』は Sofía Rei & JC Maillardに戻っていた。

今日は今日も今日こそなんかいいことあるといいね。いい音はそこら中にあるね。いい景色も。今日はまた冬らしい気温に戻るのかな。本当に寒くなるのはこれからだけど。こわいこわい。暖かくしてお過ごしくださいね。

カテゴリー
お菓子 俳句

眠い、あたたかい、ありがたい。

毎日毎日あったかいお布団で寝ないとダメだよ身体痛くなる、とおよげたいやきくんの替え歌として歌う、脳内で。ウトウトして起きるたびに腕が痺れてるからまた麻痺になったらまずいなと思うのだけど寒くなるなりよりだめになる。

薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫 松本たかし

ああ、炬燵でひとりぬくぬくしたい、が我が家に炬燵はない。なくてよかった。仕事に行けない。

そういえばオンラインでやってる小さな句会で俳句を打ちこんでいる間に寝落ちして一句しか投句しなかったうえに選句するのを忘れるという失態をまたさらしてしまった。毎日毎日なにかの理由で謝る事態が発生している。全て自分が発生源。ごめんなさい。でもみなさんいつも通り優しくてあたたかくて素敵な選評までいただいてとてもハッピーでした。人に恵まれてるのにいつまでもだめなオレはどうしたらよかんべ。今月も俳句の雑誌に句友たちの句がいっぱいのってるんだ。発売されたら買いに行かねば!選評も面白いの。そんな観点があるのか!と目を見開いてばかり。手動かさんとね、わたしも。

今朝はアーモンドとチョコのマフィン。あったかい。美味しい。あっついコーヒーとね。昨年からカフェインとりすぎたみたいで調子悪くしたから気をつけながらね。日々、気をつけねば、ということが多すぎるからこの優先順位は低そうだけど。しかし持つべきは友。ありがたいことだ。ありがとうございます。今日もよろしく。みんなも元気で。

カテゴリー
お菓子 音楽

1987年、高尾のお菓子、Jazz

月曜日になってしまった。どうしましょう・・・。雨が降っているのね。寒くはないけど首にストールを巻きましょう。昨晩、阪神の応援で騒いだわけでもないから喉が痛いとかではないけど肌が出ているところはなんかひんやりする。今日も明日も日中は暑いくらいらしいけど8日(水)は立冬。きっと急に冬を感じる瞬間が訪れる。毎年そうですから。昨日の阪神は強かったですね。今年はずっと強かったわけだけど日本シリーズでも勝つとは。私は岡田、掛布、真弓時代の阪神を知っているので岡田監督が前の優勝の時は27歳だったというのを聞いて時の流れをしみじみ感じたのでした。当時は毎年巨人ー阪神戦、いわゆる「伝統の一戦」というものを後楽園球場に見にきていた。今wikipediaで「後楽園球場」を見たところ

「最後のパ・リーグ公式戦は1987年10月13日の日本ハム-近鉄戦で、近鉄先発の吉井理人がプロ初完投勝利を挙げている。最後のナイター開催試合は10月17日の巨人-ヤクルト戦で、巨人のサヨナラ勝ち。最後のセ・リーグ公式戦は10月18日の巨人-広島戦で、巨人の吉村禎章が4ボール2ストライク(4ボール目の見落とし)から本塁打を打っている。最後のNPB主催試合は10月30日の日本シリーズの巨人-西武第5戦で、最後の投手は西武の工藤公康、最後の打者は篠塚利夫だった(結果は三振だった)。」

馴染みの名前ばかり。前回の阪神優勝は1985年。私が最も野球をよく知っていた時代かもしれない。野茂がドジャースに入団するのはその10年後。いまだに野茂は偉かったよね、という話をする。

そういえば昨日はまた同世代で BUCK-TICKの櫻井敦司を偲んでしまった。BUCK-TICKのデビューは1987年。後楽園球場閉鎖と同じ年。1987年のwikipediaには

「5月25日 – 森高千里が「NEW SEASON」で歌手デビュー。9月12日 – マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート。9月20日 – おニャン子クラブが解散。12月24日BOØWY、渋谷公会堂にて解散宣言。」

はあるのにBUCK-TICKデビューはない。なぜだ。それにしても「そうか、これはこの年だったか」と思う出来事ばかり。38年。うーん。

ストールしてコーヒー飲んでたら暑くなったので巻き巻きをぐるぐる外したら今度は寒い。なんなんだ。今朝のお菓子は高尾のお土産。めじろ台に店舗があるパティスリーメゾンの高尾ラスクとマドレーヌ。ラスクはカステラを焼き上げてるんですって。今朝は黒蜜味をいただきました。マドレーヌも蜂蜜使ってて美味しい。蜂蜜大好き。

昨晩からグレッチェン・パーラトを聴いている。音楽の記録はTwitterとnoteにしていこうかな。なんとなくすでにそうなってる。時間があるときにメモ的に。グレッチェンは少し前に聞いてその優しい歌声にすっかり虜になってしまったのです。グレッチェンと一緒にやっていたベッカ・スティーヴンスもいい。

“’Cause there’s only now,
change all your thoughts from loneliness to solitude,
sacred,
the space that you’ve found.”

Becca Stevens BandのWeightlessに収録されている Weightlessという曲の歌詞なんだけどウィニコットみたい、と思いながらウィニコットはsolitudeという言葉を使ったかどうか、と考えていた。isolationを使ってはいるけど。

もうこんな時間か。辛いな。辛くてもお菓子は美味しく感じるんだからいいことですよね。みんなにも「あーこんな状態なのに空はきれい」とか「もう秋が終わっちゃうけど今年も紅葉みられた」とかほんのり良い感じのことがありますように。

カテゴリー
お菓子 舞台

お茶、ケムリ研究室『眠くなっちゃった』

ベッドで雨音を聞いていた。結構しっかり降っている感じ。今日もルピシアの「知覧 ゆたかみどり」。おいしいおいしい言っていたらいただきました。本当においしい。少し低めの75度から80度くらいのお湯でいれるのがおいしいのにぼんやりしていて熱いお湯をいれてしまった。でもおいしい。今朝はまだなくなっていないお土産お菓子にちんすこうとかパンセとかまだどこのかチェックしていないお煎餅とかも追加されたから選び放題。でも今日はあんまりおなかが元気ないらしく「どれにしようかなあ」と眺めただけでお茶だけいれた。おなかが積極的に痛みを訴えてくるわけでもない日は自分の行動で自分の状態を測る感じ。小さい頃から胃腸が弱いわりにお付き合いが下手でおなかに申し訳ない。欲望がね・・・。ポットのお湯を足しながらこの前まで毎日煮出して冷やしておいた麦茶のパックが目に入った。冷蔵庫の麦茶が減らない日が増えていってこの前「もういっか」となったのだ。今日はグループもセミナーもあるけどいつもよりのんびりできる。とりあえず作っておこうかな、と1000mlまで目盛が入っている小さい方の片手鍋に上限ギリギリまでお湯を入れる。本当は1200mlまで目盛が入っている鍋の方が余裕があっていいのだが今ここにある方を使っちゃう。IHなのでタイマーをかける。7分でお湯が沸く。わりとすぐに小さな泡が鍋の底につきはじめる。この鍋でこのまま「6」の熱でいくと7分より少し前に吹きこぼれる。なんとなく見続ける。泡がどんどん増えていく。これが大きな泡になって一瞬でふきこぼれる様子を思い浮かべながら小さな泡が水面を白く濁ったように埋めていく頃に「5」にした。7分はこっちの鍋用設定ではないのだから最初から5分とかにしておけばいいだけなのだが時間に余裕があると動きが鈍くなるのでぼんやりキッチンに立って観察。小さな粒が現れて最初は控えめなのにどんどん数を増やしていく。音も変わる。校庭にひとり、ふたりと出てくる子どもたちがいつの間にか校庭を埋め尽くしていくとか、朝の光をいっぱいに受けて遠くまで見渡せる表参道が用事を済ませて出てきたら遠くまで人でいっぱいだったとかそういうのを思い出す。ふきこぼれるほどに人が溢れてしまいませんように、とやはりガザを思う。

昨晩はケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきのユニット「ケムリ研究室」のno.3「眠くなっちゃった」をみた。場所は三軒茶屋の世田谷パブリックシアター。今回、舞台装置かなにかにトラブルが生じたということで初日があくのが1週間遅れた。私はまた観られないかも、と心配した。ケラさんの舞台だけは絶対に観たいのだがコロナで公演自体がなくなったこともあったし、席数が減ってチケットが取れなかったこともあったし、コロナで私がいく日をいれた数日が公演中止になったこともあった。なので今回も何かあったらどうしよう、と思っていたらあった。心配した。払い戻しになってしまった方々はとても残念だったと思う。こういうのは巡り合わせだなあ。私は今回はラッキーだった。とにかく幕が開いたのはよかった。開いてみたらとんでもなかった。上田大樹さんによるオープニング映像の素晴らしさはいつものことだが今回はあまりの良さに最初から涙が出てしまった。役者の皆さんのほとんどは何度も舞台で見てきている私にとってはお馴染みの猛烈に安心感のある人たちで、振り付けも何もかもが素晴らしくて今思い出しても涙が出てしまう。ストーリーももちろんあるし近未来を描いていたはずが今すでにそんな未来がきてしまった、ということを実感させられるセリフも多かったけどケラさんの舞台は全体としてしか語れない感じ。公演終了の放送が流れても拍手が鳴り止まず、また役者さんたちが出てきてくれて客席はスタンディングオベーション。本当に素晴らしかった。東京は今日の13時でおしまい。是非チェックを。この後の北九州、兵庫、新潟にいくというのもありかも。

今日の雨は舞台の余韻をひきずるのにぴったりかも。東京は雨だけどみんなの住んでいる場所はどうだろう。どうぞ良い一日をお過ごしください。

カテゴリー
お菓子

旅がらすとか波さんとか虫さんとか。

東の空で賑やかにしてる鳥たちのことを考えていたらパスワードをhigashiと打ってしまった。当然ピコピコって跳ねられてしまった。画面のその小さな揺れだけで「このパスワードは違いますよ」って伝えてくるんだから面白い、と思うけど、私たちも首ちょっと降ったり、指ちょっと動かしたりで伝えられるものね。昨日と同じく「微」が大事。

洗濯したりお茶いれたり柿剥いたりお菓子準備しているだけで時間はあっという間に過ぎる。合間合間で余計なことをするからだけど。目に入っちゃうとついね。今朝はこの前高崎に行ったときに買ってきた旅がらす本舗清月堂のシルクスイートポテト。秋らしく温かいお茶ととっても合ってとっても美味しい。私は小さい頃からこの会社の「旅がらす」というサクッとした薄いお菓子が大好き。お煎餅ともクッキーとも呼べない、と思うのは私だけで実はなんなのかしら、あれ。あ、鉱泉せんべいか。これ。言われてみればそうか。自分にとって特別なお菓子ってなにかもっと特別な感じがするのかな。いや、単に語彙に乏しいとか想起の力が乏しいとかってことか。

首にストール巻き巻きしたまま窓開けてバタバタ動いてたら暑くなったからトレーナーも脱いで半袖になった。ミッキーの頭の部分が小さく貼り付けてあるようなちびT。豹柄に塗りつぶされているのだけどこれもこの形だけでミッキーってわかるんだからすごい。これももうさよならしたほうがいいかな。何年着てるんだろう。まだ形はしっかりしてるのだけど生地が薄くなっている気はする。窓から静かに流れこんでくる風が冷たくて上着を羽織った。ついこの間まで風がないー、涼しい風流れこんできてー、と思っていたのに今は窓を少し閉められてしまう。風さんは何も変わっていないのかもしれないのにね。

この前、ベルクソン研究者の平井靖史さんが時間を説明するときに「波さんのほうからしたら」と言っていて俳句みたいと思った。そうだ、さっき「想起」って言葉使ったけどベルクソンは単に「想起」とは言わないということも学んだ。俳句みたいと思ったのは俳句は時々ものからみた描写をするから。月さんからみたら、とか虫さんからしたら、みたいな感じで。お米さんとかもいいかも(今ごはんのいい匂いが広がっている)。たい焼きの歌なんて、というか「およげ!たいやきくん」(漢字に変換されたら変な感じがした)、あれなんてたいやきくん、ケンカしてるしももいろサンゴが手ふったりしてる。でも擬人法はあまり使わないんだよね、俳句は。中途半端に人でいないようにしないと。子どもはすぐ虫とかになりきれてすごい。むこうに虫になりきられるとこっちはその仲間になったり人間のままでいたりしなくちゃいけなかったり臨機応変な対応が求められるが。知らない生物なのに微妙に動き直されたりして戸惑ったり。まぁなんにでもなるよ、ならせてもらえるのなら。色々教えて。子どもたちが今日も元気でいますように。

今日も部屋には光がいっぱい。外はまだ少し肌寒そうだけど東京はいいお天気みたい。週末ですね。がんばりましょう。

カテゴリー
お菓子 音楽

羊羹、お茶、音楽

PC前に突っ伏して寝ていた。よく働きよく遊びよく疲れている。が、翻訳とか書き物とかは全然進んでいない。なぜだ。やっていないからだ。

南側の窓を4分の1開けた。これまでは半分。それ以上は開かない。戸袋がないから。大学生のとき一人暮らしをしていた仙川の小さなアパートは雨戸があって戸袋があった気がする。いや違うかも。どこかで私は戸袋に窓を入れるのが下手だな、と落ち込んだ記憶がある。ああいうのに上手いも下手もあるのかよ、と思うかもしれないがあるんだよ。不器用な人は本当に驚くようなことに苦労しているものなのだ。今はとにかくゆっくり動く、仕組みをよく見る、人の真似をする、それでも無理ならやってもらう、ことが上手くなった。最初のステップである「ゆっくり動く」が最大の難関だったが優しい人たちの上手な声かけが徐々に内在化され今は不安や恐怖や眠気が強いとき以外はまるで落ち着いている人のように振る舞うことも可能になった。

戸袋といえばこれももうどのくらい前になるのか。母と京都の町屋に泊まったことがあった。とてもとても古い建物でとてもとても高齢に見える女性がお孫さんと思しき方と一緒に経営されていた。お二人ともとても素敵でお二人の姿が見えなくなるたびに母と静かに盛り上がった。建物も古さゆえの不便はあれど私の語彙では表現できないがとてもよかった。あの町屋はもうなくなってしまったはずだけどまた行きたい。

今朝は、暑い間は食べる気がしなかった羊羹をようやく開けた。熱いお茶と一緒にいただきたかったから。羊羹は数年前、河口湖に行ったときにふらっと入って一目惚れした「富士菓匠 金多留満」の「富士山羊羹  甲州もも」。今回はお土産でもらった。パッケージはまるで洋菓子。桃と羊羹の断面がいろんな向きで配置されているピンク基調の絵柄なのだがよく見ると少し面白い。かわいいピンクのワンピースに羊羹の柄を描かないでしょう、桃は描いても、という感じ。フフフ。かわい面白い。さて、少しの弾力を感じながら小さなナイフを入れる。伊万里の青木陶房で買った水色の小皿にそっと置く。青木さんもとても素敵だったな。土のこととか色々教えてくださった。お茶も夏の間は開けなかった滋賀のお土産、中村農園の「土山煎茶」。爽やか。緑がきれい。少し暑くなってトレーナーを脱いだがまた着た。今朝は少し寒いくらい。

お茶といえば来月はルピシアのBOOK OF TEAが出ますね。知ってるかな。いろんなお茶を丁寧に、でも気楽に飲みたいな、という紅茶好きな方に特別な贈り物をしたいときにはこの一冊(一箱)。最初にいただいたとき、大感激した。みんなであれこれ言いながら分け合うのも楽しいです。お茶とか陶器とかはそのヴァリエーションの多さに本当に驚く。葉っぱとか土とか基本は同じなのにね。

今朝はNubya Garcia『Source』。ゆったりかつ力強いサックスが心地よい。最近は柳樂光隆の記事が私の音楽の指針。どの記事も背景がしっかり書かれていてその人の個人史としてもジャズの歴史としても興味深いし勉強になるし紹介されている音源が素晴らしい。あと彼らが所属していたり受けてきた教育の話がとても参考になる。多様性を実現しようとするチャレンジャーたちの資質と地道な努力が素晴らしい音楽とともに受け継がれる土壌づくりにもしっかりと目配りが利いている。上質のグループで教育を受けられることは本当に素晴らしいこと。そういう人たちを単に「恵まれている」とするのではなくそういうグループ作りが可能であることを私たちはまず知らないといけないのかもしれない。ヌバイア・ガルシアのインタビューはこれ

今日は再び月曜日。色々あったはずの9月も体感5日分くらいでしたね。そうでもないですか。日常は慌ただしいけど心の中の時間だけは過去にも未来にもどこかへも引き伸ばす工夫をしながらなんとか過ごしましょうか。

カテゴリー
お菓子 散歩 精神分析

寄り道、新ハムレットオンデマンド配信、カチカチ山

暑い。でも朝はまだ冷房が効くのが早い気がする。今朝のリビングは31度だった。28.5度設定。0.5度ずつ変えられるようになったのっていつからだろう。その差をどのくらい身体がキャッチしてるかわからないけど。

隙間時間に友達とおしゃべりして連れてきてもらった道を戻るのではなく神社のほうへ。あ、通りの名前は知ってる。この通り、この前も見たけど繋がってるってことか、と陽射しを辛がりながら歩く。明らかにこの前通ったばかりみたいな景色だがこれはどっちにいけばいいんだろ、と左へ。あ、いつも突然現れる美術館はここかあ、行くときはのんびり寄り道しながらいくから全然道を覚えない。知っている道なのに知らない感じ。ここはどこだろう、と思ってると間もなく馴染みの景色へ。別の駅から帰りたかったのに降りた駅に戻ってしまった。あーあ。都会は難しいな。美味しそうなお店も見つけたけどまた偶然通りかかるまでは忘れちゃうな、きっと。その時はもっと時間があって偶然お腹も空いていますように。寄りたい。

五戸真理枝さん演出で6月、PARCO劇場で上演された 『新ハムレット〜太宰治、シェイクスピアを乗っとる!?〜』が今日から7月25日(火)までオンデマンド配信とのこと。劇場なんて遠くて行けなかったよ、みたかったよ、という人はぜひチェックしてみてください。太宰の命日である「桜桃忌」にはすごくかっこよくてすごくうじうじしたハムレットを演じた木村達成とこんな舞台を作ってしまう天才、五戸真理枝のアフタートークショーも収録されているとのこと。舞台の3分の1のお値段です。夏の夜のシェイクスピア、太宰のハムレットはやや暑苦しいけど女たちも魅力的。

太宰といえば河口湖町にカチカチ山(天上山)というのがあってハイキングにもいいしロープウェイでも山頂に行けるのだけど山頂も色々遊べて楽しいの。たぬき茶屋もあるしかわらけ投げもできる。もちろん太宰のカチカチ山の場面を辿れる場所もありますよ。面白いです。

今朝は太宰繋がりで河口湖土産、私的(多分多くの人にとって)No.1のフジヤマクッキー。オンラインでも買えるけど現地からきたそれらは少し山頂の雪が溶けたりしていてそれはそれで趣というもの。今回も美味しいです。

はあ、パソコンあっつい。熱い紅茶も飲んじゃったからあっつい。きれいさっぱりして出かけましょう。でもきっと外に出るなりダランデロンってなって電車でキンキンに冷やされてまたダランデロンってなっての繰り返しだろうけどね。毎日ぐったりしがちやわ。みなさんもどうぞお大事にお過ごしください。

カテゴリー
あれはなんだったんだろう うそもほんとも。 お菓子

余裕のなさとか

缶がガラガラと大量に落とされる音を聞いて目が覚めた。多分大量のレモンサワーの缶がプラスチックの箱の中に投げ込まれたのだろう。ベランダから覗こうかと思ったが外に出られる格好ではなかったのでやめた。でもまあ起こされたついでにと着替えて裸足で靴を履き外へ出た。風が弱い。もう少し吹いてくれていいのに。通りにはすでに誰もいなかった。箱の中は予想通りレモンサワーの缶で底は見えなくなっていたがいつもみたいに溢れんばかりではなかった。スーパーの3円のビニール袋を傾けて発泡酒とビールテイスト飲料の缶をガラガラと箱に落とした。レモンサワーが見えなくなった。ビニール袋に一本がくっついて落ちてくれないので手で剥がして置いた。ほとんど乗らない私のマウンテンバイクもどきにかけた傘がまだ少し濡れている気がしてわかりづらい平面のボタンを押し込んでサドルに立てかけた。薄い日陰ができた。まだ光が弱い。今日も曇り空だろうか。キッチンに戻ると一本だけ缶が置いてあった。捨て忘れた。朝そこに立った時に「これも捨てなくちゃ」と思ったのにな。

さて今日は教えてもらたチーズケーキのお店に寄りたいのだけど移動時間を考えると余裕がなさそうだ。うーん。でもキャロットケーキが届く予定もある、そういえば。以前散歩コースに美味しいキャロットケーキを出してくれるお店があった。人気のある店だったが遠くへ移転してしまった。移転先は結構田舎で車がないといけない。相変わらず地元の人に愛されているらしく売切の毎日らしい。よかった。キャロットケーキは見た目もとってもかわいい。見かけると思わず寄っていってしまう。こんがりした茶色にクリームチーズの白。この前も外から覗いたパン屋さんにキャロットケーキを見かけて思わず寄っていってしまった。そこのは断面が正方形ですごくきれいな地層みたいだった。惚れ惚れした。でもかなり大きい。一人分のカットみたいなんだけど。うーん。なんかもったいないから誰かといるときにしようと泣く泣く諦めた。その日から通りかかるたびに「今日はあるかな」とガラスの向こうを探してしまう。あると嬉しくなる。ないと「これからかな」「もう売り切れちゃったのかな」と思う。そしてチャンスがある日に限って余裕がないか忘れてしまうかする。美味しいものがそこかしこにあるからな。

あら。大きな声がして赤ちゃんが泣き出した。大丈夫かしら。この辺、また赤ちゃんが生まれてたんだ。しばらく聞こえてなかったんだけど。赤ちゃんの泣き声もどんどん変わる。保育園の子どもたちも元気かな。土曜保育はいつもと違うおもちゃで遊べるかもしれないね。みんな色々あるだろうけど元気に育つんだよ。

昨日、不買運動について一瞬考えた。人物と作品は関係ないと私は思っているがそう思えない関係があることも知っている。作品によって名を成した人に心も体も弄ばれ仕事もままならず収入も減った人がその人がいろんな種類のパートナーに囲まれて平然と次の作品に向かっていることを知ったらまた日常の行為とかけ離れたよくみれば軽薄なだけの作品(と関連した諸々)に金が入って相手を利用する資源や機会を増やすのかと不買運動に乗り出すことは十分にある。ただ、サークル的関係は解体しない方向で動くから運動と呼べるほどの大きな動きにはならないだろうし多くの女もそこに巻き込まれているわけだからシスターフッドなんてまるで感じられずまた絶望と孤独に陥るだけけかもしれない。それでも「声をあげる」としたらそれは決して黙らない相手に「こんな状態でもまだ生きてるよ」ということを知らせたいからかもしれない。でもそれだって軽薄に知性を活用して人を騙しながら誰かと嘘っぽい幸福な関係を築いている人は自分がしたことまで知的に面白がって距離をとれてしまうのですでに切り捨てられている可能性が高いかもしれない。毎日、高橋ユキさんのツイートでいろんな事件を知るのだけどああいう犯罪とこういう搾取って量と程度以外でどうわけていくわけ、とそこに連続性を見出しながらもそれが法的に罪ではなければ罪ではないという事実に戦う気力すらなくなることだってある。罪悪感を感じない人でも法的に「罪」というレッテルを貼られたら罪人になるわけだけどそれはレッテルでしかないし反転可能な場合もあるから難しい。むしろ法的には被害者とされる人の方が孤独で小さな抵抗を試みるたびに罪悪感に苦しんでいたりもする。都合よく使われ言葉を限定され身体は発散の場所にされ我慢は労われるどころか言葉にしなかったことを「どこに書いてあるんですか」と責められたり。「傷つく」という言葉を簡単に考えたりいろんな側面から検証しないとと検証もせず言っているだけの人はこういう目にあったことがない幸運の持ち主かもしれない。そんな余裕ないことっていっぱいあるんだけど。仕事をしないと生活が維持できないから怒りや気持ち悪さや理不尽に学ぶしかないとどうにかこうにか切り替えようとしてもすごく時間も気力も奪われてどうにもできない体験ってしたことある人って多いと思うんだけどだからといって他人は他人。そういうときだけ割り切れる。誰だって自分のことが一番大事で気持ちよくいたいものね。意味とか価値とか考える余裕もなくそういう目に遭い、それでも生きているという事実に応じていくしかない状態で自分のことも誰のことも殺めず生きていくためにはどうしたらいいのだろうと苦しい夜を過ごす人たちはどうすればいいのでしょうね。言葉で追い詰め身体を傷つける人に限って「そうしないためには」とか他人事のように言ったり書いたりしはじめるからせめてそういうときはすかさず「あのときのあれはなんだったんだろう」と呟くくらいはしておくとかね。不買運動も小さな抵抗。小さな抵抗は小さな祈り。届かずとも自分が生きていくために、と思えばいいのかしらね。

今朝はローゼンハイムのバウムクーヘンと紅茶でした。外はいつの間にか日差しでいっぱい。難しいことだらけだけど今日も一日、なんとかかんとか。

カテゴリー
お菓子 精神分析、本

Netflix、フロイト読書会、お菓子

早朝からNetflix三昧してしまった。「その女、ジルバ」とか「クィア・アイ」とか。「クイア・アイ」相変わらずいいわ。この上品なハイテンションも好きだしみんなすごくよく相手の話を聞くしいうべきことをはっきりいうところも好き。ポジティブになるって一人じゃできないもんね。大事にされて真剣に考えてもらえることは時にうざいし拒否したい気持ちの方が大きくなることもしばしばだけど変わらなければという人には欠かせない関わりになる。クィア・アイはそれぞれの専門性を生かしたチームでやってるのもすごくいい。変化のためにはいろんな方向からの支えを準備していくことが大切になる。前もってではなくて同時進行で。前もっては難しい。何が起きるかは誰にもわからないから。でもパターンというのはあるから積み重ねられてきた歴史は大切。だから勉強も必要なのね。友達も大切。積み重ねといえば何年も続けているフロイト読書会、フロイト全集を最初から読んできて主要論文は2巡目、3巡目になるわけだけどみんなの読み方がすごく変わってきた気がする。こうなるとみなさん優秀だから私は教わることの方が増える。「それは精神分析でなくても理解可能」という範囲での対人関係的な読み方ではなくなってきて、自分の枠組みを壊して広げた感じ。強烈なわからなさの中で持ちこたえてるとこういうことが自然に生じる。多分みんなはまだ「わからないわからないわからない」の中にいるような気持ちでいると思うけど。わからないはそりゃそうでしょう。わかるというのがどんな状態なのかと聞かれたらわからないでしょ。だからわかるわからないの軸はとりあえずなくしてその場にとどまることでいいんじゃないかな。人間関係だってひどい人はいっぱいいるけど心ある人もいっぱいいるから判断は速すぎない方がいいかもね。違和感は大切にした方がいいけど。

今朝は相変わらず長野のお土産の「栗のガトーショコラ」でした。なめらかな生地で小さくてきれいで美味しかった!

今日も雨?今はくもり。このまま降らないといいね。傘持ち歩くとなくしちゃうもの(そういう人多いでしょ?)。それでは今日もご無理なく。余裕なくすと悪循環始まっちゃうからいろんなこと受け止めつつも真に受けすぎず距離取りすぎずゆらりゆらりやれたらいいかもね。わからないけどね。