早朝の空がとてもきれい。気温も半袖ニットでちょうどいいくらい。足出してないせいもあるかも。今日は友達とサッと会ってサッと移動しないとだから服装気をつけよう。ギリギリまで会いたい。お互い近くに住んでいても遠くの地での学会のときくらいしかごはんしないという人もいるけど「今度東京行くからごはんしよう」とかお互いの土地にいくときは声をかけあったりする。私は学会に行くときは大抵開催地に住む友人と会う。この年齢になると学生時代の友達はいろんな土地へ散らばっているし、学会って大体大きい都市でやるから誰かしらがいる。札幌でやったときは最高だったなあ。バド部の先輩が同じ道内とはいえ少し離れたところからわざわざきてくれて色々とおもてなししてくれた。北海道の人がみんなそうというわけではないだろうけどその人はフットワークが軽くて札幌にも詳しかった。学生時代は近くに住んでいたからお部屋に遊びにいっておしゃべりしたりした。「あみー」とのんびり寄り掛かってくる声が聞こえそう。バド部の先輩たちとは今も仲良しだけどその先輩は特別。ニセコでダッキーというのか、一人乗りボートでの川下りに連れていってくれたときには驚いた。途中ボートから川に降りて遊んでボートに戻ろうとすると自力で上がれなくなっていた。こんなに消耗していたのかとそのときはじめて気づいた。なのに私よりずっとか弱いと思っていた先輩はあっさり戻っていた。えー。しかもそのあと重たいボートを自分で持って歩かなければだったのだけどそれもあっさり。疲れ切ってるのにこんな重たいもの担いでいくのかよ、と私にはキツかったのに。先輩、そんなに逞しかったっけ。そういえばそうか、とこれまでのいくつかの場面を思い出した。ニセコは水量も十分で激しく遊べてとても楽しい体験ではあったがボートに戻れないときは怖かったよ。先輩。水って怖いね。先輩の家は冬になると一階部分が雪に埋まるそうだ。私が遊びにいったときはまだ一階から景色が見えた。すごい。北海道とか雪国の生活ってすごい。私は寒いだけでかなりダメになるので住めない。でも住まなくてはとなったらどうしよう。先輩に助けてもらおう。頼りにしてもらっているようで結局いつもずっと寄り掛かってきた。みんなすごく面白いし優しいんだもん。子沢山の先輩も数人いるけどもうみんなすっかり大きくなったらしい。小さかったのにねえ。当たり前だけど大きくなるよねえ、ときがたてば。それぞれ個性的な人生を歩んでいるようなのでこれからもマイペースでがんばってほしい。なんだかさる・るるるだよ。子沢山の先輩には「あみこ」と呼ばれているけど当時からお母さんだったんだね。全然そんな風に思ったことなかったけどずっと面白がってかわいがってくれたものね。絵本を思い出すわけだ。プチこどもがえりができる場所があってよかった。精神分析は赤ちゃんになりすぎて自分でもやばい(患者として)と思うときがあるけど友達はグッドイナフ。彼女たちはグッドイナフなお母さんたちだな。すごい。なかなか無理なものとしてのグッドイナフでしょう、普通は。こうやってダラダラ喋り続けられるのも友達のおかげだよなあ。ありがたい。ありがとう。今日もそんな場合ではないけど気持ちだけはのんびりやりましょう。なんか今日は夜雨なのかな。どの地域の方もお気をつけてお元気でお過ごしくださいね。
カテゴリー: 精神分析
プロとか人間とか。
薄緑のお茶がきれい。何もかも進んでいないけどお茶はいつもきれい。空の色も水色とピンクになるようなならないような色が境界線なくしててきれい。昨晩は明日までに読まなくてはいけない本を探し回って終わってしまってなんにもなんにも進んでいないのだけどなんにもベイベーだな、って今思ったのは前に身内が「何度もベイベー」って曲を舞台用に作ってそれが私の中を流れてきたから。ほんと単純で最初はなんだその曲って笑っていたのだけどプロにアレンジをお願いしたらとんでもなくかっこいい曲になって返ってきてプロすごい・・・と思ったのだ。しかもその人とてもいい人で、とまで書いて「あ、これは別の人だったかも」といつも通り記憶の揺れがひどい。いい人!素敵な人!やさしい!って思うことがたくさんあるから混ざってしまう。「プロすごい・・・」と思うことも本当によくあってこの前も「ちょっと意味がわからない」と思うくらいすごい人に会ったのだけど一緒にいたり会話できたりするんだよね。動物とは通じ合っている気はするけど会話はできないし。プロってなんだ、という話でもあるけど対話ができる、ということまで含めてプロだと思う。
でも人間ってわからないものでとっても素敵でとっても大好きと思っていた人に「あれ?」と思う瞬間があったとして、そのときは「この人に限ってそんなはずないか」という感じでなかったことにするのだけど小さな違和感は大抵正しかったりする。悲しいことに。前にその人の全体がなんだかわからないまま勢いみたいな感じで親しくなった人がいた。その時点で「あれ?」という感覚をいくつも持っていたのだけど否認していた。その人には配偶者と愛するペットがいてそのペットが死んだあともそのペットについて呟くたびにたくさん「いいね」がつくほど動物好きで有名だった。その人の家にはほかの動物もいたけどそのペットだけは特別だったようで家族がほかのペットの死を悲しんでいる日もその人はごきげんに愛想を振りまいていた。私がそういうエピソードに「あれ?」と思うのは、その人が人に対しても突然冷たくなるところがある人でいわゆる「さめる」様子がよく伝わってきて、怖いと感じることがあったから。そしてその直感が正しかったことは悲しみが共有されなかったペットが死んで一年もしないうちにわかった。人を全体としてみていたら絶対にできないことってあると思うのだけど部分で見ている人はやってしまってから「だっておまえがひどいことするからじゃないか!」みたいな感じで何も言っていないのに不安定になったりしてしまう。本からそれだけ学べるのに人からは決まった範囲でしか学べないのか、SNSではそれだけ発信できるのに受信範囲はそれだけか(見なければいいから)と驚いたりもしたが自分の攻撃性によって被害的になりやすい人との対話は難しい。ああ、このセリフってあのアニメの男の子のセリフだな、と思ったけどアニメって本当に人のそういうところをよく描き出している。人の関係における複雑さを単純化する力がすごい。プロたちすごい。今日もいろんな人から学ぼう。私の仕事はとりあえずそのまま置いておくところからかな。現象大事。事実大事。
鳥たちも元気っぽい。がんばりましょう。
10月9日は小寺記念精神分析研究財団が毎年開いている学際的ワークショップ『精神分析の知のリンクにむけて』 だった。今年度のゲストはベルクソン研究者の平井靖史さんとドゥルーズ研究者の小倉拓也さん。第八回のテーマは「心、身体、時間」。討論と司会は精神分析家の十川幸司先生、藤山直樹先生。
最初に今回の議論の基盤となりうる先生方の本をご紹介。藤山先生のだけ2003年出版で時間が経っているようだけど精神分析の実践に関心をお持ちの方には真っ先に読んでいただきたい一冊。今回の議論でいえば平井さんの時間論に対して精神分析は空間というものをどう考えているかを示すときの一例となる。
平井靖史『世界は時間でできている-ベルクソン時間哲学入門-』
小倉拓也『カオスに抗する闘い-ドゥルーズ・精神分析・現象学』(人文書院)
十川幸司『フロイディアン・ステップ 分析家の誕生』(みすず書房)
藤山直樹『精神分析という営み 生きた空間をもとめて』(岩崎学術出版社)
2022年はベルクソン・イヤーと言われるほどアンリ・ベルクソンに関する出版物が相次いだ。私もフロイトと同時代を生き、多くの類似点を持つベルクソンには以前から興味があり、昨年の盛り上がりのおかげでようやく門前に立つことができ福岡の「本のあるところajiro」でおこなれた連続トークイベントを視聴したりした。大変面白かった。羨ましいほどの盛り上がりだった。今回は精神分析と人文知の対話を試みる「学際的ワークショップ」だったのだが、平井さんは早くからベルクソンを意識研究や脳科学など他領域の研究とつなぎより大きな問題を考える基盤となりうる国際的な協働ネットワークを構築してきた人だ。その成果は平井さんがリーダーをされているPBJ(Project Bergson in Japan)のサイトが参考になると思う。それを知ったとき、本当にすごいな、と思って無料で入れる関連のオンラインカンファレンス的なものに入ってみたことがあったが使用言語がフランス語だったのでそっと退室した。なので今回は「学際的」であることを考えるためにもチャンスではないか、しかも自分のホームならば、とはじめてワークショップに参加してみた。
当日、セミナー直前に送られてきた資料を見てちょっとのけぞった。これは大変だ、と思った。「逆円錐のテンセグリティ・ダイナミクス」???テンセグリティ?平井さんは精神分析臨床を営む私たちとの対話を本当に望んでいてくださっていたようで最初にご自身で「ガチでいこうと思った」というようなことをおっしゃっていた。まさにそういう講義で大変刺激的だった。
ドゥルーズを主に研究されている小倉拓也さんは書名に「精神分析」とあるように私にとってベルクソンよりは身近なのではと感じてはいたが、私が主に國分功一郎さんの講義で学んできたドゥルーズとは異なる論点がたくさんあってビビっていた。でもSNSで時折あがる講演記録や資料は興味深かったし、なにより旅好きとしては秋田県内情報に惹かれた。小倉さんは秋田大学教育文化学部の准教授として哲学、思想史をご専門に講義をされているのだ。日本全国を回ってきたが秋田で寒さに泣き不機嫌になり幻の日本酒に救われたことは忘れない。まだ旅慣れてもいなかった。雪の角館で寝っ転がったりして遊び惚けて電車に乗り遅れたことも忘れたいが忘れない。その実践がどこで行われたか、ということはとても大切だと私は思う。精神分析でいえばフロイトとの物理的な距離とかもその後の研究の発展に関わっているに違いない。遠くにいるほうが自由にできるというのは大きい。小倉さんは舞台俳優のような滑舌のよさで率直で明快にドゥルーズにおける精神分析批判を期間限定のプロジェクトと位置付け、精神分析の対象として今後も議論が広がるであろう「自閉症」「認知症」をどう理解していくことができるかという話をしてくださった。ドゥルーズがマルディネのリズムの哲学を援用し(十川先生もマルディネを援用している)展開した「リトルネロ」論はやはりなじみやすかった。ただそのあとドゥルーズとガタリがリトルネロによって構成された領土を「我が家」といったみたいな(うろ覚え)話は!?!?となった。なんで「家」という発想がそこにくるの?みたいなかんじで。
お二人の講義はわかりやすく教えるものではなく徹底して対話を促してくれるものだったと思う。知識がなくても対話って可能なんだ、と知ってはいたがこんな難しいことが目の前に広げられていても色々考えてものっていえるんだ、と発言してから思った。なぜか発言したあとにめちゃくちゃ緊張して震えがきた。多分、私は結構なインパクトをお二人のお話から受けていた。自分が何を言ったかすでにあまり覚えていないのだがそういう実感が今後の咀嚼と消化を助けてくれるだろうと思う。
内容についてほぼ書いていないが(時間をかけないと書けない)それはお二人のご著書をぜひ。
筋肉痛。起きられるかな、と思ったけど腹筋だけで上半身を起こせた。腹筋はあまり使っていなかったらしい。立てるかな、と思ったけど立てた。ふくらはぎがパンパンな感じで少し痛い。遠くに洗濯物干すのに身体を伸ばしたら背中も痛かったけど普通に動いている分には全然痛くない。筋肉痛になるとどの筋肉が使われたのかがわかるから面白い。辛いけど面白い。いずれにしても本格的な痛みはこれからかも。
「厚木オクトーバーフェスト2023」にいくついでに低山登山をした。時間ができたから調子に乗って計画してしまったが老体に鞭打つみたいな感じになってしまった。距離だと6キロくらいしか歩いていないが普段はあげない高さに足を上げてこんなふうに踏み出してバランスとりながら身体を持ち上げることを繰り返すことなんてないし、なんてちょっとしたことをはじめて言語化したくなるくらい身体が自然に動かなくなっているのを感じる。トレランやろうとグッズ探したりしたのだってすごく前ではなかったような気がするがすごく前なのだろう。あのときコピス吉祥寺でかわいいと思ったトレラン向けリュックが全然似合わなくて買わなかったのが分かれ道だったのかもしれない。今はわからないが当時のコピス吉祥寺には赤ちゃんや小さい子を連れていきやすいフロアがあってそこで赤ちゃん連れの友達と会っていた頃だから10年くらい前か。コピスもまだ新しかったし。2014年に精神分析家になるための訓練に入るための準備に入って2016年に候補生になって(候補生になるにも手続や審査がある)自分でも開業したりで単に時間がなくなったというのもあるが今回みたいにちょっと思い立ってサクッといって帰ってこられる山は東京にもたくさんある。今回は1200mくらいの山だったが標高100メートルくらいの山でもなめてはいかんぞと実感したのは島根県のJR安来駅から徒歩で行ける標高92mの十神山だろう。私たちはよく旅に出るがちょっとした山があると登ってみる習性がある。その日も足立美術館に行って帰るのに電車の時間まで少し間があったので標高100mくらいならと向かってみた。なんだかいい山でぐんぐん登れたが途中から「意外ときつい?電車間に合うかな」となった。当時は駅まで走って戻る体力があったのでよかったが100mをなめたらあかん、と学んだ。いい山だったのでまた行きたいな。ちなみに足立美術館ではスクールカウンセラーをしていた学校で親しくしていた先生と偶然再会したりとても素敵なこともあったがかの有名な庭園とか送迎バスに関しては結構な文句を言ってしまった。だってさ、と今も言いたい、とかにはならないが。思い出とは過ぎ去った証拠。
そうそう、「山登り後のビールは最高!」と書きたかったけど山は時折ポツポツパラパラと雨が降ったり寒かったりだったのでいつも通り「ビールはうまいぜ」でした。祭りは楽しですしね。今日は結構きちんと雨なのかな。寒いし。風邪ひかないように過ごしましょう。
秋の空、黒糖、無理。
PCの画面に何か通り過ぎた。首だけ後ろに倒して空を見ると早速鱗雲。秋。いくつかのことは確実に積み上がってきてるのだけど今が一番大変かも。かも、というのはこれまでにも大変なことはたくさんあってやるべきことのシンプルさは知っているから。それにしてもなぜこんなに効率が悪い、というか効率の良いやり方を忘れてしまうのか。しかもなぜいつも保存先を間違えたりしてしまうのか。さっきも危なかったぜ。毎回、色々学んだり教わったりしてるのに自分のものになっていかない。よくこんなんでやってきたよな。まあでもこれでやってきたのだからこれでやっていくのだろう。
サクサクのはずのお菓子がベタベタになってしまった。お菓子ってお砂糖なんだなあと改めて思う。美味しいお砂糖ってあるのね、きっと。うちは沖縄のお土産だっけな、黒糖があるのだけどサトウキビは美味しい!あんみつの黒蜜も黒糖から作るんだよね?難点は塊が大きいこと。これ皆さんどうやって砕いたりしてるのかな。そのまま舐めておやつにする人もいるみたいだけどそれはちょっと不安、止まらなくなったらどうしよう。自分の意志の力を信じられない。温めたら溶けちゃうよね。うーん。そういえば作家、作詞家の高橋久美子さんが自分の畑で黒糖作って売ってた。チガヤ倶楽部というサイトがあるのですよ。そこに書いてあるかな。あとで探してみよう。彼女の記事は面白いし勉強になる。それにしても高橋久美子といい松山ケンイチといいすごく忙しそうなのに食べられるものを育てている。芸能活動と通じる一貫した何かがないとなかなか時間を割くの難しいと思うのだけど。すごいことだ。
私は自分が無理できる範囲でできるだけ無理しながらできることやろう。「無理しない」ことが本当に大切なこともあるけど無理無理言いながら少し力を入れたら「あれ?さっきよりちょっと遠くに手が届いた」みたいな地道な無理は続けていけたらいいかもね。小児科でも子供たちにそういうちっこい魔法をかけて遊んだりしたなあ。ちょっとのイカサマで結構な自信がついたりする遊びって結構あるの。面白いよ。ということでがんばりましょう。
雨、Sufjan Stevens、福来氷
起きたら雨が降っていた。東側の大きめの窓を開け放したままだった。まっすぐに落ちるような雨の音だったから大丈夫かな、どうかなと思ったけど、うん、よかった、降り込んでいない。パソコンのあるこの部屋の窓はどうだったっけ、とパタパタ。そうだ、昨晩寒くて大きく開けた窓を少しの隙間を残して閉めたのだった。
SNSで知ったSufjan Stevensの『CARRIE&LOWELL』をかけてみた。最初の曲”Death with Dignity”のリフレインに驚いて何度もスマホを覗き込んでしまった。壊れたレコードみたいになるはずもないのだが。なるはずもなくもないのか?二度目に聴いたらそんなに不思議には感じなかったのだから不思議だ。このアルバム、雨の日にピッタリ。圧力を感じない声。安心する。Sufjan Stevensのサイトにポンっと飛んでみたら曲とはまた少し異なるイメージの背景に写真。車椅子や杖?と少し驚いた。Guillain-Barré Syndromeでリハビリ中とのこと。重くなければよいが。新しいアルバム”Javelin”が出たばかり。あ、これから出るのか。チェック。あ、もう聴ける。本当に雨の日にピッタリ。背景の音の美しい規則性のせいか。優しい声に心が落ち着く。
それにしても冷える。昨晩は窓を少し閉じたほど寒かったのに真夏の格好のまま寝てしまった。トレーナーを着た。お湯も沸かし中。今、我が家はお菓子天国だから迷うな。筑波山のお土産もいくつかあるが「福来氷」にしようかな。でもこれは夜っぽい。つくばは福来みかんというみかんが特産だそうで福来氷はそのふくれみかんの皮を加えた寒天菓子。表面がカリカリしてたりパサパサしてたりするお菓子は甘いのが多くて少し苦手なのだけどお茶菓子としては絶対優秀。お茶をいただく必要がでるお菓子たちだよね。組み合わせで考えるの大事。羊羹とかも以前は苦手だった。甘すぎるから、と思っていたけど茶道とかで使うお菓子ってそんなに多くないものね、と少量ずつお茶といただくと染み渡る。福来氷も小さいからやっぱり朝のうちに緑茶といただこうかな。茶道の先生をしている身内にもお裾分けしよう。彼女にお土産のお菓子を選ぶのはとても楽しい。ゆっくりみていると本当にいろんな工夫がされているなあ、と知れるのも楽しいし。
二度寝したくなってきてしまった。ダメダメ。気持ちよさしか求めていない感じになっている。バックトゥリアリティ。ポンっとクリックしなくてもここが現実。戻らなくてもそこにいるでしょ、逃避しない、と自分に言い聞かせないとなかなかね。東京は一日雨なのかしら。皆さんもどうぞ足元にお気をつけて。
朝の月とか星とかクリスマスソングとか。
空がきれい。寒いのは嫌だけどこれから冬にかけて朝の空はどんどんきれいになる。今朝の西の空にはまだ月が明るい。月のそばで明るく輝く星はなに?木星?
Samara Joyの投稿を見て”Have Yourself A Merry Little Christmas”を早速チェック。もうそんな季節。足元に入り込んでくる風の冷たさに急に気づいた。優しくて暖かい声。23歳でこの声。これからもっといろんな声が出せるようになるのでしょう、きっと。すごい。楽しみ。今流れている“Tight”もすごくいいなあ。
カイリー・ミノーグもまた新譜出してたんだね。UKチャートにも入ったのか。すごい。高校時代、ジャズを聴きまくる一方、ユーロビートにもはまっていた。かっこいいお姉さん的存在は今も元気。嬉しいことだ。カイリーはオーストラリア出身だよね。シドニーに行ったときにライブハウス行けないかな、と思ってるんだけど情報を得るのが下手すぎるから多分いけない。日本のだってスケジュール管理だけで精一杯で空き時間をライブ情報と合わせるのは私には複雑な作業。移動時間とか考えるといけないのが多いし。あとから「あーきてたんだー」「あーやってたんだー」と「あー」ばかりだけど「おー来てるのか!」とライブに行けなくても馴染みの景色に彼らが立つ写真をSNSで見たりして嬉しくなったりもする。今は色々リアルタイムで知れてしまうのはあまりよくないよな、と思っているのだけどそういうときは嬉しい。勝手なもんだ。
この週末もお菓子がたくさん集まってきた。再び豊か。秋!暖かい飲み物はなににしましょう。身体冷やさないようにしませう。長すぎた夏のせいでなんかおかしくなってる。みんなもそうかも?大事に過ごしましょ。
音楽聴いたりおしゃべりしたり。
夜と朝の風が冷たくなってきた。日中はまだ暑いけど。
SpotifyでThis is 石若駿を聞いている。今思えば柳樂光隆の記事をその人の記事としてきちんと読んだのって石若駿に関する記事ではなかったか。友達に紹介したくて転送したんだ。今急に思い出した。まだみていないがジャズ漫画が映画化された「BLUE GIANT」の音楽を上原ひろみが担当し、石若駿もドラムで参加。先日の柳樂光隆によるインタビューもすごく面白かった挾間美帆も参加。すごくいいサントラ。サントラって今もいうかな。石若駿率いるバンドしてはSongbook Trioが好き。
「〇〇って今もいう?」っていう会話が増えた、と母に言ったら母が笑った。母が何かの単語を使ったあと「まだ関西弁が残ってる」といったあとのおはなし。それは関西弁がどうか怪しい、母には母語(ははご)があるから、と私は言った。母は笑った。母語(ぼご)といったら私たちの場合は日本語だが狭い意味での母が使うという意味での母語が我が家にはあった。私も普通に使っていたら周りに笑われたりして「えーこう言わないの!?」となったことが何回かある。父語もある。おいおい、きちんとした言葉使っておくれよ、だからこんなんなっちゃって、なんて父母のせいにしない(当たり前か)。数えられる程度の語彙がいまだに思い出話として残っているのだからそのインパクトは大きかったに違いないが。
自分が住んでいる街のことを住んでいる人が馬鹿にしちゃダメだよ、今度帰ってきたら再発見してもらおう、名古屋で遊ぶのが不思議と難しいのは「何もないから」ではないよ、だって奈良すごく楽しかったじゃん。平城京の空、すごかったものね、ねー、タクシーの運転手さんの話も。あそこであべさんがね、建物っていいわね、ねー。
隣の市の市役所の展望台から住み慣れた街を眺め、地上に。自分の住む街と比較したくなるのもわかる。私が育てられた街でもある。段差の少ない歩きやすい道を案内しながらゆっくり歩き、話す。さまざまな苦労のなか、私たちにいろんな体験をさせてくれた感謝を織り交ぜながら。東京にもあるデパートのローカルな喫茶店でフルーツパフェを頼んだ。二人でパフェ食べるのなんてはじめてだよね、と。お互いがパフェを食べている姿なんて見たことないのではないか。10代後半、当時の彼とMY CITY(今はルミネエスト)の多分2階、今もカフェがあるところのカフェで大きなパフェをよく食べた。荒井注が隣で一人でパフェだかなんだかを食べていて彼が興奮して小さな声でそう伝えてきたのを覚えている。私はドリフは見ていたけど誰が誰だかあまりよくわかっていなかったから「そーなの!」という表情だけして「この人が、そうかー」と思っていたに違いない。大体いつもそんな感じだから。阿部寛が隣にいたときも私は全然気づいていなかった。なんだか大きくてかっこいい人と電話ボックス(知ってる?)で隣り合ったのだ。今思えば向こうは撮影の合間だったのだろうけど。東京に出てきてからのそんな日々を母は知らないけど話ならいくらでもできる。生きている間は。どちらかが死んじゃっても話すのかもしれないけど。みんなが少しずつ時間をずらしながら死ぬことは当たり前ではないんだな。たくさんの人が一気に亡くなることの言葉にならなさ。辛い。震災も、戦争も。今日の東京の空は静か。月曜日、いってきます。
古田徹也『謝罪論』(柏書房)を前に謝罪のメールを書いた。たまたま読んでいる途中で置いてあっただけだが。古田徹也はこの本でも「小さな子どもに「謝る」ということを教える場面を想像してみよう」と子どもと大人のやりとりから始める。2022年10月にでた『このゲームにはゴールがない』(筑摩書房)の冒頭は幼稚園に通う娘さんとのやりとりで、これが本当に心つかまれるものだった。今回は単に子どもが言いそうないくつかのことが書いてあるのだがこれが早速生き生きしている。言われればどれも聞いたことのある台詞だがスラスラと書き言葉にできるのは生活で子どもと密に関わっている人だからだろう。私は古田徹也の著作や講義のおかげでウィトゲンシュタインに触れ続けているが『このゲームにはゴールがない』もウィトゲンシュタインと自由に距離をとりながら対話する書き方がすごかった。「子どもが「痛み」という概念を習得するプロセス」とか「子どもが言語ゲームを始めるとき」など「心」って、「心をもつ」って、ということが詳細に議論されているのでこちらもすごくおすすめ。にしてもこれにしても『謝罪論』にしてもめちゃめちゃややこしいことによくここまでピタッとくっつきながらいくつかの視点から描き出せるよなあ、と思う。子どもの言葉も生き生きと描き出せるわけだ。『謝罪論』も最初から謝罪のややこしさがすごくわかるから「もう謝罪という言葉を一度なくしてみたほうがいいんじゃないの?」とか思わなくもないが、そんなことをしていたら多くの言葉が消滅してしまう。というか言葉は取り消し不可能だからこうやってややこしい議論をしなくてはいけなくなるのだ。難しい。ややこしやー。「すみませんではすまないんだよ!」みたいなこと言いたくない。内心「私何ややこしいこと言っちゃってんだろう・・・」と思うだろうし。とにもかくにも下訳をお送りするのが少し遅れます、という謝罪メールを書いた。クスン。思ったより時間が取られていて困るが小さなお出かけもしながら息抜きだけは上手にやっている。言い方を変えればサボるのだけはやめられないってやつだ。「サボる」って言葉もさ、とか始めたくなるがそんなことしてるから時間がなくなるのだ。今日は少しだけ遠くへ。電車の中で頑張ろう。みんなー、と意味もなく呼びかけたくなるなあ、今日は。対面で会える日々だけどコロナもインフルエンザも本当に流行っているからお気をつけてお過ごしくださいね。では。
着々と仕事を終えている、と早く書きたい。早く書きたい、という時点で全く「着々」感がない。今日出すのも「速達」だし。高いし。昨日出せる予定だったのに持ち歩いていた書類を間違っていた。郵便局で気づくなんて・・・。悲しかったけど速達の切手を買って速達という赤いスタンプを押してもらった。スタンプ押してもらえたのは少し嬉しかった。朝出すのを忘れないこと。毎日毎日確認事項だらけ。自分でやっていると結局間違ったり忘れたりするから「忘れてそうだったら言って。忘れてそうじゃなくても言って」とリマインドをお願いすることもある。私もできることあったらするから言って。ああ、何ができるだろう・・。
翻訳は難しい。意味はとれても日本語の書き言葉にするのは非常に難しい。なんなんだ、このギャップはと思う。わかるのに伝わる言葉にできない。でもまあ言葉というのは大体いつもそんなもので対話しているうちに「ああ、そういうこと」となったりすることも多いのだから、とも思うが、書き言葉は直接的な対話を前提としていないので「言わなくてもわかる」書き方が必要なのだ。なんてひとり喋りをしている場合でない。
まず速達を出すこと。念じておかないとすぐに忘れる。前に抱えて歩くリュックのチャックを少し開けて自分から見えるようにしておかねばならない。駅前のポストに無事に投函してからチャックをしめること。癖で封筒の端っこ押し込んでチャーッとしめてしまわないこと。はい。
今朝はウィニコットフォーラムのための抄録を仕上げた。色々書いていたがほとんど使わなかった。まあこれもそのプロセスが大事、ということで。
ああ、言い訳がましい朝ですよ。
今夜はこれ。
RadioAmbient 027 : The Bookends Vol.02
ただの雑談だけど楽しかった。紹介した本はぜひチェックしてほしいです。
どうぞ良い週末を。
9月27日朝。
キッチンで色々しているうちに空の青が薄くなってきた。きれい。54袋入りの麦茶が消費できていないけれどこれは2巡目なのかな。8月初旬に青森に行く前から作っていたと思うのだけど、と書いていたら「あ、これ2袋目かも」と思えてきた。前に空になった袋に別のゴミを入れたイメージが浮かんできた。青森、楽しかったな。猛烈に熱くて猛烈な陽射しでまだ日焼けの跡がくっきり残っている。最終日に行政の方にたくさん説明をしていただいた八戸ブックセンターでは24日(日)「本のまち八戸ブックフェス2023」が開催されたとのこと。私も知っている関東の出版社も参加されていた様子。会場はこの八戸ブックセンターと「八戸まちなか広場マチニワ」「八戸ポータルミュージアムはっち」。街づくりの時にこれらを拠点として街をぐるっと回れるように設計したというのも聞いた。私たちは何も知らないままそれらをぐるっと回ってブックセンターに到着したので街づくりは成功している。
あ、雨だ。さっき天気予報をみて朝だけ少し雨マークがついていて「ふーん」と思っていたら本当に降った。降り込んではこなそうだから窓は閉めない。鈴虫が遠くの下の方で鳴いている。水平線を想った。空はもうだいぶ明るい。
別のところにも書いたが、人の心を殺して身体を傷つけるような人でも外では優しく穏やかに軽薄なおしゃべりをしながら快楽優先で過ごすことは当然ありなのだが、知識があったり書くのが上手ということだけで臨床の知にまで踏み込んできたりするのは厄介だなと思う。もちろん賢い人の行動よりお言葉のほうが関係のない人には貴重で、知的な部分だけで「学際的」であることも大切かもしれない。でも、現場での搾取や現場でトラウマが作られる可能性に言及するのであれば、同時に、法的にも規約的にも規制されない部外者をお友達感覚で現場に関わらせて消費者からお金をとることについても鈍感であってはいけないのではないか。少なくとも人をモノのように扱う人に自動的に書く場が与えられているのをみると世の中の仕組みだなあとうんざりする。見えない暴力は蔓延るばかり。現場を守る環境を壊す仕組みを見ながら現場で仕事をするというのは不毛だが不毛さから何かを見出す仕事だから無思考にはなりたくない。そんな社会でも自らの思考や心ある身体を守ろうと思う人は患者としてやってくるだろう。すでに傷ついた心身と共に。言葉と力で言いたいことだけ押し通そうとしているだけの人を見破ることはできなくても戸惑いや疑惑を感じたら相談する場と出会ってほしい。背中を見せれば触ってもいいと思っているような人たちは現実にいる。一度受け入れれば何してもいいと思っている人も現実にいる。自分の暴力性もナルシシズムも否認して相手が悪いとする人に効く治療はあるかもしれないがないかもしれない。そういう人が治療を自ら求めるとしたら自分が相手にしたことを自分が体験したときかもしれない。やはりこの仕事は傷ついた人たちに向けられているので弱い立場の人の声をかき消すような構造や仕組みに対してできる抵抗を考えないといけない。専門性はそのためにあるのだろうから。
今日こそ地道に。コロナもインフルエンザも流行っているようなので皆さん、どうぞお気をつけて。体温調節も難しいと思うけど脱いだり着たりできるようにしましょう。
昨晩、月がきれいだときいたが私が見たときにはもうどこかへ行っていた。その前の日はきれいに輝く月を見た、神奈川県秦野市で。ということで今朝の音楽はB’z「今夜月の見える丘に」と思いきやスターダスト☆レビュー「月の輝く夜に」。彼らももう長い。B’zより前からだろう。B’zは今年35周年。最初から大好き。吉田栄作も来年歌手デビュー35周年だそう。なぜ突然吉田栄作かというと「秦野たばこ祭」でライブを観たからです。栄作(ライブで野太い声で「栄作ー!!」と叫んでいた人を思い出している)は「はだのふるさと大使/秦野たばこ祭エグゼクティブアドバイザー」とのこと。LUNA SEAの真矢もはだのふるさと大使ということで和太鼓を披露していた。私は川沿いにズラーっと並んだみんなが掲げたスマホの画面にそれらしき姿を眺めながら遠くからの太鼓とスピーカーからの音を聞いただけだけど。とてもいい祭だった。祭については時間ある時にnoteにでも書いておこう。ちょっと確認しながら書かないとだろうから。LUNA SEAはB’zより少し遅い登場だった。なんでもB’zが基準になっとる。
今朝も何も進まないまま寝不足。大変なことだぞ。羊羹とお茶の組み合わせは早々にいただいたが。日差しが優しくなったのにもホッとする。バタバタと移動しながらの日々だから辛かったんだ、夏は。電話もしなければいけないんだ。まずい。気づいたそばからその前に思い出した予定が抜けていく。大丈夫じゃないな。が、こういうことは珍しくないので単にしっかりしなさいという話か。なんでも寝不足のせいにしてないで。昨日は早速買ったばかりの高性能イヤホンが行方不明になり泣きそうになった。なくさないように派手な色のポーチに入れねば、と思ったところまでしか記憶がなかった。帰り道まで気づかずにいられたのはよかった。仕事詰まってるのに気になっちゃって、というのでは困る。患者さんたちもいろんな音楽聞いてるよなあ。この仕事してるといろんな学校や仕事や音楽やゲームや習慣の話を聞くので世界は広いなと感じる。自分のことを話すというのは他人のことを話すということでもあるのでお会いしたことのない人が聞いたり読んだりしているものまで知っていたりする。私は最近再びジャズを聴き始めたおかげでずっと音楽活動をしてきた先生といろいろ話すことができた。黒人音楽のような手応えのある「相手」の登場は日本にはありうるだろうか。小さな差異に非対称を見出すことでは話を聞く気などない相手に抵抗することはできないだろう。いつの間にかのっぺりと「きみたちも似たようなもんですよ」と呑み込まれなんだかんだそこに安住している自分を見つけたりしないだろうか。それも見ないふりでいくのだろうか。傷つきはすべて「個人的なトラウマ」として処理される可能性はないだろうか。行けるところまで見て見ぬふりで?実際、そうなっていると感じないだろうか。日本の精神分析は日本の文化に向けられたものである必要がある。患者が生きる場所自体の分析を同時に行うために大切な対話ができたのはよかった。
今日も冷たい冷たい世界ちゃん、おはよう。秦野たばこ祭の「火」は幻想的に燃えていた。どこで熱くなるかは人それぞれ。それなりの緊張感と切迫感を維持したいと思うがどうだろう。
なんか蒸し蒸しする。まだ冷たい麦茶を飲んでいる。もう9月も22日というのに。もう22日か。言ってみて改めて意識する。どうしよう・・。
あるイベント会社の会員の自動更新が減っているという。どうしてだろう。私もやめた。私の場合は小さな抵抗として。女を部分対象として扱い、扱えない女には暴力的に振る舞い、そう扱える女とは依存関係を維持し、そうすることで自らを使ってくれるホモソーシャルな場ともwin-winであろうとする人を知識人として扱い登壇させる場にお金を払うことは性的搾取の温床の維持に貢献することになるから。個人の戦いなんて誰にも理解されないかもしれないが、そう感じながら戦っている人はたくさんいるというのも事実だ。個人的なことを個人的なこととして考える大切さを知っているからむやみに「私も同じだよ」と言わない。だからそれぞれ孤独だけどそれを維持することも必要なんだ。精神分析は社会的に、政治的に自分を抑圧、否認、解離することで消去してきた人に「個人的なこと」を個人として語る場を提供する。そういうイベントスペースとは真逆の機能。こういうプライベートな空間を維持するためにはそれを脅かす場にたやすく課金するなどしないという努力も必要。私が会員の自動更新をしなかったところで登壇者たちは何も困ることはない。そこではない場所で十分に稼げている社会に「適応」した人が登壇する場所だから。それでも、ということ。
喪失をモーニングワークすることができない時代。実際の身体をもつ人間同士の関係を「リセット」できるかのように振る舞う人が高度なAI技術について語ったり「人は誤る。失敗する。そういうものだ」とかいっているのを見ると「なかったことにしたいだけじゃん・・・」と呆れる。痛みに触れることができないのだろう。相手から脅かされたと感じるとすぐにビビって被害的になってありったけの知識を駆使してこちらを加害者にするスキルも高い。痛い想いするくらいなら相手の心も身体も壊してもいいことになってるみたい。すごいことだ。人の痛みを理解する基盤を自らが壊す。大変な時代だ。そういう人が「場の安全」とか言ってるのをみると驚く。自分の「安全」ばかり考えている人が?安全ってなんだっけ?場づくりについてはずっと考えていかないとすぐに何か良くないものの温床になる。難しい。
Samara Joyの声は優しいなあ。昔、サラ・ヴォーンが大好きでよく聞いていたことを思い出した。個人的なことを大切にできる場をそれぞれが維持できることを願って。
日の出が少しずつ遅くなる。西の方はまだまだ明けない。夏の旅は日の出の早い方へ。冬の旅は日の出の遅い方へ。昔からの友人に旅の話をした。「うちは転勤族だったから」ときいてそういえばそうだった、と思った。海沿いの街に住むその人に案内されながら時々車が身体すれすれに通るのを避けながらその人の前を歩いた。便利か便利じゃないか、というのも誰にとって?何を目的にする場合?そういう便利さからはあえて離れたい、とか色々ある。日本全国旅をしていると地域によって観光客に対する態度は異なる。もちろん個人の性質もあるだろうけど「見かけない顔だね」と囁き合うシーンをテレビなどで見たことがあるだろう。異質なものに対する態度はその土地が歩んできた歴史や文化と関係があるように思う。旅するなかでいろんな体験をしてきたが毎回興味深いのは地元の人との関わり。あったりなかったりする関わり。
菅島に泊まったときの話をした。菅島は三重県鳥羽市、伊勢志摩と呼ばれるあたりの離島の一つだ。その人は三重にも住んでいた時期があるが離島のことはあまり知らなかった。菅島には鳥羽マリンターミナルから市営定期船でいく。船がくると多分島の人たちが続々と荷物を積み始めた。鳥羽湾最大の島、答志島に最初に寄り散策をした。島の生活、島の祭事に関わるであろうもの、狭い道路、突然開ける海、猫、歴史を感じさせる佇まいだった。そこから宿泊先の菅島に移動した。旅館の人が迎えにきてくれた。行きはほとんど何も話さなかった。魚が干されているのをたくさん見かけた。答志島の活気とは打って変わってとても静かだった。誰にも会わない道は海沿いなのにいつの間にか海が見えないくらいの木々に囲まれ夕日が沈むまでに灯台にたどり着けるかわからなかった。その後の記憶はあまりない。別に何が起きたわけでもない。魚が干されている四角い網、木々の間からチラチラ見える海、私たちしかいない大広間と御膳、そんな断片的な場面と独特の静けさだけが私に残った。翌日、宿を出て船の出る場所まで送ってもらった。昨日と同じ人が島のことを話してくれた。最初彼が口を開いたことに少し驚いてしまったがなんだか少し嬉しかった。
友人の案内で海を離れてまっすぐ歩いていたら駅に出た。お店はどこも混んでいるようだった。最初の店は予約で満席、二つ目の店も満席と言われてドアを出てエレベーター前の狭いスペースを挟んだ数歩先のガラス窓はイタリアンだった。入ってみた。入れた。とても美味しかった。たくさんの話をした。お互い生活が変わってもなんでも話し合える関係は全然変わらない。楽しかった、と駅へ向かうと時間を調べてあった電車が電光掲示板に出ていなかった。人身事故でダイヤが乱れてるとアナウンスがあった。乗り換えが増えるだけで電車の本数はある駅だ。私より心配そうに見送ってくれる友人の変わらなさにもほっこりした。
今日も一日仕事だ。いろんな土地での出会いや思い出を自分の背景に海みたいに広げながらそこで遊ぶようにでも真面目な顔して仕事したい。いい気持ちで二度寝したらこんな時間になってしまったけど。どうぞ良い日曜日を。
上原ひろみ新作とクラリネット
ゴミ捨てにいった。私より早く家の前の道に誰かいる音がしていた。もう昼間みたいな音を立てて。ゴミを持って外に出ると誰もいなかった。隣の家はまだ起きていない。あの窓がガラガラと音を立てるんだ。ゴミを捨ててタイマーをかけていた除湿機に溜まった水を捨ててまたかけた。玄関には靴もたくさんあるから除湿は必須。とはいえ毎日同じ靴ばかり履いている。最近はいつ雨が降ってもいいように傘は持たずともずっと雨用のスニーカーだし。靴は服よりも使ってあげないと悪くなる気がする。持っているのはスニーカーばかりだけど生地によってはすぐはきにくくなる場合もある。不思議だ。生地の特性とかをしればうまいお手入れもできるのだろうけど。靴屋さんみたいに壁に貼り付けるみたいに並べれば手に取るかな。なんでも一番ちょうどいい場所にあるものを使ってばかりだから。
コンビニのレジ横にあったというスイートポテトをもらった。角切りりんごが入っているとあって確かにポテトというよりアポー。紅茶が合う。
柳樂光隆による上原ひろみのインタビューを読んだ。衣装もすごくかわいい。米ラジオ局「NPR」のTiny Desk Concertの音源が最高。最高すぎて何度も何度も聴いてしまう。
SET LISTは 新作”Hiromi’s Sonicwonder”から”Sonicwonderland” “Wanted”の2曲。トランペットの Adam O’Farrillがすごくいいと書いてあったが実際すごかった。ドラムはGene Coye、音が小さいってあったけど本当にそう。ベースはHadrien Feraud。あとでアルバムも聴いてみたい。私はベースはビリー・シーンとダフ・マッケイガンくらいしか名前を覚えていない。ギタリストはたくさん知っているけど。それももうだいぶ忘れたか。楽器として好きなのはベース。昔付き合っていた人もベーシストだった。低音の方が好きなんだろう。このアダム・オファリルのトランペットもクラリネットみたい。ああ、素人すぎてなんと表現していいかわからない。
小さい頃からピアノを習っていた。隣の市まで子供だけで電車で通った。ボックスシートではないドアのそばの二人がけの席でちょっとしたことでずっと笑いをこらえるように笑っていた。うるさくする子供ではなかった。たまに喧嘩もしたがお互い少し心細かったのかすぐに仲直りした。車内で編み物をしている高校生がいた。みんな三つ編みだからあの学校だ、とわかるようになったのはもう少し経ってからだ。父の整髪料の匂いがすると父がいるのでは、と探した。仕事をしている父を知っているのにここにもいると思うのだから電車はまるで夢の中だ。駅のドムドムでジュースを飲んだ。ドムドムの象さんはいつもそこにいてくれた。ピアノの先生はきれいでしっかりした人だった。ピアノの才能が特にない私は順番を待っている時間が大好きだった。とにかく綺麗がいっぱいだった。綺麗なカップで紅茶を淹れてくれる。最初はいい子にそこで待つ。すぐに飽きる。綺麗な花柄のトイレットペーパーを点線でちぎってポケットに入れたり勝手に外に出てマンションの生垣を綱渡りするようにひと回りして戻ってきたりした。マンションの周りは同じ植物ばかり、と思ったのもその頃。一番楽しかったのは先生が一緒に暮らしていたクラリネット奏者のお部屋に入ること。細身で優しくて小さく笑う人だったがそこで会ったことはあったのだろうか。いつも誰もいなかったような気がする。私の記憶ではその部屋はとても小さかった。いつもドアのそばの低めの本棚の前に座り込んで音楽雑誌を見ていたから中の広さを気にしたことがなかった。今思い出してもそんなに広いマンションではなかった。クラリネットの練習部屋だったのかもしれない。雑誌の中でもクラリネットはトランペットより上品で私はなんだか誇らしかった。クラリネットの音というか多分その人が奏でるからなんだけど、その音に魅了されたのはそこでだったからやっぱり彼はいたのかもしれない。アダム・オファリルのトランペットをきいて彼のクラリネットを思い出した。
冬休みはいろんなライブに行きたい。旅先で出会う音楽もいい。そろそろワイヤレスイヤホンを買うか。ずっと音楽と離れていた気がするけどそろそろ昔みたいに一緒に。
今朝の空もきれい。オフィスの窓からはずっと遠くまで空が見える。夏の雲と秋の雲が共演する季節。単にダイナミックなだけではなく、単にコントラストがはっきりしているだけではなく、うっすらと落ち着きが宿る。特に昨日は風がなかったせいかもしれない。絵画みたいな空だった。その空の下の明治神宮の森は空よりも少しだけ秋らしく緑に少し錆びたような色が混じり始めていた。昨晩の空は夜の萌黄色という感じで緑がかってみえた。明日は雨なのかな、と空を見上げながら帰ってきた。実際、今日は雨が降り出すみたい。移動の時間と重ならないでほしいけどちょこちょこ移動してるからどこかで雨にあたるのは仕方ないか。明後日は?くもりのち晴れか。悪くない。
今朝はこの秋はじめての柿。ワケアリみたいな感じで4個入りで安く売られている和歌山産の柿。袋がかわいくて柿の時期が終わるまで今年もきっと何度も買ってしまう。最近スーパーで買い物をするたびに合計金額に驚く。いつも似たようなものしか買わないのに物価が高すぎる。海外に行けるだろうか。柿は見かけより熟していた。おいしい。硬いのも熟しているのも好き。
インスタでお花が開くタイムラプス映像をじっと見ていた。ずっと見てしまう。小さい頃、部屋のお花がいつ開くのかと植木鉢と同じ高さで寝そべるように頬杖をついてずっと見ていた。お水をあげるとピクンと動くのを目にすることができたが開花を見るには時間も忍耐も足りなかった。いつの間にか寝てしまい目覚め慌てて花を見ても眠る前と何も変わっていなかった。小声で声をかけたり歌を歌ったりしてみたが声も変わってるし歌も下手だからあまりいい刺激にならなかったかもしれない。でも花こそ変わった形や色に溢れてるから人間の変さなどきっとどんぐりの背比べ。タイムラプスやスローモーションという手法は私が待っていた長い長い時間をぎゅっと縮めてその繊細な動きを鮮やかに見せてくれる。大体の植物は頭をグイッともたげるようにして立ち上がりゆらめく。そのしなやかなこと。大野一雄なら表現できるかもしれない。植物とも動物とも境界をぼかせる人間もいるのだ。表現というのはすごい。私は時間軸が異なる世界に感動することが多いような気がする。だから精神分析とかやるのだと思う。絵本とか子供の本とかだと引き出しとか庭の穴とかが時間軸の異なる世界への入り口になる。でも植物といたり動物と暮らしたりすると時間軸は自ずと揺らぐ。あと赤ちゃん。
あー。社会の時間はもう私にこれを書くのを続けさせてくれない。突破することもできるが合わせることで得るものも多いから出かけますよ。みなさんもどうぞお元気で。
窓の外がきれい。でも風が足りない。朝晩はだいぶ涼しくなった。昨日の帰り道、Tシャツの上にカーディガンを羽織っていたことを駅に着くまで忘れていた。冷房対策と夜の気温対策が同じ服でいけるという時期ということ。
誰かと会うたびにちょこちょこお菓子とか小物を贈り合うが、そろそろチョコレート好きの友人にあげられるかも。ずっと外にいるのでなければ溶けないだろう。棚に並ぶチョコを眺めてその人の顔が思い浮かんでも手にとれない時間が結構長かった気がする。だってここにこうやって書く程度には何度も同じことを思ったから。チョコレートは気楽に買える範囲では日本のチョコが一番おいしい気がする。DARSとか出たとき「あーこれおいしい」と思った覚えがあるし。アポロとかかわいいのも最高。あー。秋だからモンロワールの葉っぱのチョコとかもプレゼントにいいか。そういえばDARSのCMってオザケンだった。
オザケンはこの季節だったら
♪きっと彼女は涙をこらえて 僕のことなど思うだろ いつかはじめて出会った いちょう並木の下から♪
ですかね。 「いちょう並木のセレナーデ」。
仕事が全然進んでいない。隙間時間にひたすら訳すとかしないと翻訳の仕事は進まない。ウィニコット協会の抄録は絶対今日書こう。
そうそう、私がはじめて読んだウィニコットの論文は「食欲と情緒障害」(1936)だったと思う。今は精神分析家になられた妙木浩之先生が『小児医学から精神分析へ ウィニコット臨床論文集』の読書会をしていらしてそこに参加した初回が第1章のこれだった。私にとって最も印象に残っている論文でもある。もちろん内容的には重要論文と言われるものはこの本の別の章のものだったりするのだけどインプリンティングみたいなものだ。最初に出会ったものを親だと思う、みたいな。その後もよくわからないなりにウィニコットだけは読み続け、よくわからないからクラインとフロイトの購読会に何年も参加し、そこでいろんな分析家の論文に触れ、今は自分で読書会を持つようになったし、精神分析家になる訓練まで受けてしまった。同一化ってこういうプロセスなんだな、と事後的に感じているのが今。
とか言っている間に作業をしましょう。少ししか時間がなくなってしまった。なくなって、とうったら「な苦なって」とでた。テレパシー。今日は木曜日。なんとか過ごしましょう。
鳥たちが少し鳴いてまた静かになった。窓を全部開けてみたけど作業するには暑くて少しの隙間を残して閉めてエアコンをつけた。エアコンの音。風が涼しい。でも冷えるばかりで自然ではない。
友人が朗読のファイルを送ってくれた。小学生の頃、教科書をもらったら国語だけはすぐに全部読んでいた。朗読も大好きだった。指されると嬉しかった、ような気がする。今も保育園でまだ絵本でさえ重たそうに持って膝に乗ってくる子たちに読み聞かせをする。辿々しい足取りでみんな違う絵本を持ってくる。「読んで」とはまだ言えないが目の前にぐいぐい差し出してくる。かわいい。最初に持ってきた子の絵本をみんなに見せるように読みはじめるとさっきまでぐいぐい自分の本を差し出していた子たちの動きが止まってそのままの姿勢で絵本に見入る。読みながら立ち尽くして絵本に吸い込まれそうになっている子のそばの床をトントンとする。座る。目線は絵本から離れない。読み終わると「もっかい!」と小さな手で同じ絵本をもう一度開いてくる。さっき自分の絵本を読まれなかった子たちが再び目の前にいろんな絵本を押し付けてくる。「じゅんばん」となんとなく掴んでいた順番で次の子の絵本を受け取る。別の子がそれを叩き落とすようにして自分のを差し出す。一応受け取って床をトントンとして座ってもらって3番目の子にアイコンタクトをしてうんうんと頷く。その子に表情でお礼をして2番目の子の絵本を読みはじめる。どうしてこれが通じるんだ、と思いながら。大学の臨床センターで幼児グループをみていた頃もよく任せられた。その頃は今よくみている0、1、2歳よりも大きい幼児さんだったがADHDや自閉症など発達の困難を抱えている子たちだった。すぐにどこかへ行ってしまう子供たちもいたが私が絵本を読む時間は療育の後のフリーの時間だったのでみんな自由にしていてよかった。それでも絵本には力があるのだろう。遠くにパーっと走っていってもドアのところから絵本をじっとみている子もいた。隣で急に大きな声を出すので「どうぞ」という気持ちで床をトントンすると隣に座って絵本は見ずに言葉を聞いているようだった。
あ、朗読のこと。いつの間にか友達が送ってくれたファイルの再生が終わっていた。私もこれにチャレンジする予定。
もう13日か。まずいな。みんなはどんな感じだろう。どうぞ元気で。
窓を開けずにキッチンであれこれしてパソコンの前にきた。キッチンの小さな窓は開けっぱなしで寝た。その前に立った時にあまりいい風が入ってくるようなイメージを持てなかったのかもしれない。椅子に座ってすぐにエアコンのスイッチを押した。鈴虫が今日はそばで鳴いている。
今朝、宇多田ヒカルのインスタがネットニュースになっていたが私もこの写真はインスタで見た。ほんと子供ってすぐに大きくなる。こうやって私生活を守りながらあれだけの仕事をしていることにも驚嘆する。宇多田ヒカルは精神分析に助けられたそうだし私も助けられてきた。では何が助けになったかというと精神分析を体験した人とは共有できると思うがその人たちとさえ言葉で共有できるかというと心許ない。むしろその共有できなさについて言葉にすることになる。私のところへ来る人は専門家に話すのははじめての人もいれば別の場所にかかったことのある人もいるし多くは医療にかかりながらだ。彼らは以前のカウンセリングや医療での体験を「話を聞いてもらえて」とか「問題を整理してもらえて」と話すことが多い。精神分析にもその側面は含まれるが混乱の中、狂気に陥らずに混乱したままいられるようになるとか、自分にしかわからないことを自分にしかわからないこととして大切にできるようになるとかいうことを助けに感じていることが多いと思う。異質なものや人に対してバウンダリーを揺さぶられつつもメタで考えられる自分の機能を失わなくなる。ほとんどの場合、「適応」はいつの間にかよくなる。憎んでいた人や場所を愛せるようになるとかではないけれど「最悪!」と思いつつも憎しみに覆われることも減るし、覆われている自分に自分で気づけるようになるので行動が変わる。外側は何も変わっていないのに自分が別のしかたでそこにいられるようになる。あるいはいてはいけないことを認識できるようになる。もちろんそのプロセスは反復のプロセスでもあり何度も似たようなことは起きる。その度に狂気に陥りそうになる。でも精神分析が機能していればその反復は少なからず治療者との間にも起きている。だから外側のことではなく今ここのこととして扱える。同じものをお互いの場所から眺め対立したり共有したりする。「そっちからはそう見えるのか」という驚きに素直に驚くことができず「こっちからはこうにしか見えないのだからこうなんだ」と言い張ったりしながら少しずつ別の可能性に開かれていく。このプロセスにおける二人はとても対等で直接的な関係だ。でもこの局面にこそ関係の非対称を持ち込みたくなるのも事実。差異はあるものとせず差異のせいでこうなっているという考えにとらわれてなんとか自分の立ち位置を維持する。それはある意味なけなしの努力でもある。変わることは怖いことだから。などなど。体験してみなければわからないことを言葉にしていくことの意味などない、とは全く思わない。自分の知らない場所の方が知っている場所よりずっと多いなんて当たり前なのだから。「そういう場所があるんだ」と知るところから旅が始まるのと同じ。精神分析状況を両方の立場で体験しているから観光案内としてもそんなに間違ったことは書いていないと思う。でも考えは変わるかもしれないからこういうことも書き続けると思う。もう準備せねば。今日は火曜日。なんとかやりましょう。
北杜市、シャトレーゼ、環境。
今日は虫も鳥も遠い。PC前にきたのが遅かったからか。ハーブのパウンドケーキをハーブティーと。どちらもとても優しい味。ケーキ職人の友人が暮らす山梨県北杜市で今週末だかいつだか何かのイベントに参加すると大学のときの友人が言っていた。詩とか本のイベントかな。ほかにも知り合いが北杜市のイベントに出ると話していた。みんなが知らずに同じ場所で出会っていたりするのかな、と思いながら聞いていた。北杜市が合併する前、不登校の子どもたちと廃校になった小学校で長期休みを過ごしていた頃、みんなを連れてシャトレーゼのアイス工場へ行った。工場見学はとても楽しくてみんな食べ放題のアイスを競い合って持ち帰ろうとしていた。すぐ溶けるってわかってるのに。さっきウェブサイトを見たらこれまでの工場見学はコロナ禍の2020年に休止し、2022年4月に再開中止の発表。その後は有料の体感ツアーという形で見学は再開された様子。食べ放題はないらしい。もう25年以上前のことだがみんなが嬉しそうに楽しそうにそこにいられるような場を作ってくれたことに感謝。今でも話題にするほど楽しい時間だった。
シャトレーゼは私が子どもの頃にできたのだと思う。どういう出会いだったか忘れたけれど小さな衝撃のようなものを受けたのを覚えている。田舎の子供が知っていたアイスとは違うというよりも多分私が驚いたのはその売り方だったような気がする。今はシャトレーゼは素敵なケーキ屋さんのような店舗ももっていてそれを見たときにも驚いた。この変化に対する大きくはないがそれなりに何かを考えさせる驚きをうまく表現することができないが別の文化と出会ったような感じだったのかもしれない。
違う文化といえば、先日、外国からきた訓練分析家資格を持つ精神分析家と話す機会があった。そこでオーストラリア精神分析協会のトレーニングシステムの話を聞いた。精神分析家になるためには訓練を受けなければいけないがその訓練を受けている人たちを候補生candidateと呼ぶ。私もその一人だ。
日本精神分析協会は東京支部、福岡支部の二つがあるのだが、オーストラリア精神分協会にはシドニー支部Sydney Branch 、メルボルン支部Melbourne Branch、アデレード支部Adelaide Branchの3つの支部がある。
そこでは、
the candidates of the three different Branches of the Society meet interstate three times per year to share their clinical and theoretical experiences.
ということでin personで年に3回、州を超えて3支部の候補生が一同に会する機会があるという。精神分析の訓練は組織によって違いがあるとはいえかなりハードだ。そんななかこういう機会が候補生たちに対して設定されているのはとても心強い。
人はそれぞれ少しずつだが大きく異なる文化を持つ。日々、多くの人のこころの動きに細やかに出会っていくためには異なる文化に対する自分のあり方を常に内省し、変化させていく必要がある。そのためにはそういう違いをたくさん体験していくしかない。同じ場所でも別のしかたで立つために訓練を続けている今、環境側の整備も同時に必要だ。いまだcandidateとはいえ普段は教える立場でもある。次世代に向けて何ができるかも自分が訓練でどう変われるかにかかっているのだろう。
シャトレーゼに一緒に行った彼らとも本当にいろんなことがあった。今思えば私たちはそれほど歳が離れていなかった。元気だろうか。私のできなさを笑いからかいそれでも頼ってくれたりもした。感謝。私たちはみんな違うけどみんな似たようなものでもある。大学のときの友達とは会うたび「変わらないねー!」だが彼らからはすごく老けたと言われるだろう。現実、そうなのだ。同じか違うかより変われるかどうか。今日はどんな感じだろう。慌ただしいがなんとかやろう。みなさんもどうぞ良い1週間を。
洗濯機が回る音。いや、洗濯機を回す音?洗濯槽が回る音?洗濯槽も洗濯機の一部だからやっぱり洗濯機が回る音?元に戻ってくるまでのくるりんくるりん。言葉が醸し出す空間をくるりんくるりん。
「でもなんかそういうふうに言いたくないんだよなぁ」「なんで(笑)」言葉を使うというのはそこに含まれる命令に従うことだから?ピクトグラムだってそう。なんでそのマークのある方へ入らなくちゃいけないの?なんで三つしかない丸の色で止まったり進んだりしなくちゃいけないのさ、といって赤信号を渡ったら死んでしまうこともある。それはそれで縛られちゃってる。私は赤信号を突っ切って走ってきた車に轢かれそうになったことがあるが自分が間違ったのかと混乱した。その後、赤信号を突っ切っている車を数回見つけて「そういう場合もある」ということを確認したが。
言葉はずっと遊ばせておくと遊ばなくなってくる。楽しくてはじめた遊びがそのうち捕まるような悪さになっているなんてこともある。精神分析は言葉遊びというよりは言葉が遊ぶ生き生きした感じが好きなのであって患者のそれを大切にしたい治療法なのだと私は思っている。そしてその遊びは抑圧という心の動きを細かに想定してこそ成立する。抑圧されたものに気づくプロセスには痛みが伴う。自分ひとりの言葉がそうではなくなるから。押さえつけられているように感じるから。好きに話させてもらえない。ごまかしていては伝わらない。小さい子が叱られたときに大きな声で言ってはいけない言葉を何度も何度も繰り返して親の言葉を遮る。あれは悲痛な叫びだ。言葉で縛るのはやめてよ、と。自分は自分を大切に閉じ込めていたいんだ、という言葉が相手に通じるとわかると少し相手が自分に入ってくる。そして長い時間をかけて他人がいても言葉が遊ぶようになってくる。むしろ他人がいたほうが言葉が自由と感じたり。抑圧は治療者の言葉(非言語を含む)が患者の心を、という流れだけではなく患者の言葉(非言語を含む)が治療者の心を、という流れもある。陣初期のコンピューターで陣取りゲームをやったことがある。あんなシンプルではないがいつの間にか自分の陣地が減っているような感覚、それを取り戻そうという動き、いろんなことが二人の間に生じる。「コミュニケーションが成立しない」と言って切り捨てるのは簡単そうで簡単ではないから何度もそう思いながらずっと一緒にいたりもする。争いも消えないが仲直りの機会も残り続ける。コミュニケーションをしたいかどうかは重要だが。
たくさん言葉を聞いてたくさん言葉を使った後にひとりになる。別の音が聞こえてくる。別の言葉が生まれてくる。昔やった言葉のひとりあそび。最近は遊ばなくなった言葉と短時間戯れるように過ごす。言葉を使うことはとても疲れる。別のものに気づく余裕をなくすこともある。精神分析は毎日のように会うけど会わない時間の方がずっと多い。そのことがいかに重要か。音楽も聴き続けない。邪魔が入る。電源を落とす。それを聞いていないときに聞こえてくる音にノル。今日も一日。
お湯を沸かして残りのカポナータを温めてゴミ捨てにいった。涼しい。昨晩はタオルケットでは寒いくらいだった。雨は上がっていたが湿気がすごい。鈴虫。通りにはまだ誰もいなかったが家の中で人々が起きているような気配があった。今日は隣の家の窓が開いていない。土曜日だから少しゆっくりなのだろうか。ゴミ箱はすでに結構いっぱいだった。開け放したままの玄関に戻って昨日面倒で捨てなかった除湿器の水を捨てた。いっぱいになっていない。しょっちゅうかけていたからか。でも表示は湿度76%。この数字の方が溜まった水の量よりリアルなはずもないが体感はこっちに近い。空気はどれだけ水を閉じこめておけるのだろう。溢れてこぼれ落ちたものが雨か。メタファーとしても涙と近い。再び除湿器をONにした。「ワイド」「4時間」、あといくつか設定があったが変えるのはタイマーくらいだから忘れてしまった。
なにもする気がするせずただ眠れなかったというだけの寝不足をなんとか取り戻した。元々睡眠時間は長くない。どこでも眠れるからだろうか。昔は電車のドアの隅っこに立ったままガクンってなることも多かった。見かねて席を譲ってくれた人もいた。年上の人だった。「ベッドで寝なさい」と言ってもらえるのは子どもだけか。大人になってもそういう部分は子どものときのままという人もいるか。そうやって親と子供みたいなパターンになっていくこともあるのかもしれない。自分の性質の強い部分を強化する相手は対象として選択されやすいだろうから。
先日、音楽評論家の方にこのブログを引用されてびっくりしてしまった。閲覧数が平均より増えるとなのかなんなのかわからないのだけど通知がくるのだ。「読まれてます!」という通知はnoteだったか。いろんなところに書き散らしているのでそれぞれの文言を忘れてしまった。引用はその方の記事について書いたからに違いないけどその人のだから、と辿ってきた方々にこんな文章でなんだか申し訳ない気もした。きちんと考えて書くような文章は公にしない文章の方が多い。考えたからといって大した文章が書けるわけでもないが姿勢として。考えるでもなければ溢れてくるとか?というわけでもない。キーボードに手を置いて起きたばかりのことを書き始めると自然に浮かんでくる他愛もないことを書いているだけだから時間切れで突然終えてしまうことも多い。でもその人の記事がとてもよかったということが伝わったのならそれはそれでよかった。そういえば昨日はすごく久しぶりにブログを書かなかったな、と思ったら書いていた。寝ていなかったから時間軸が狂ったのかもしれない。
少し前に『中央公論』2022年10月号掲載の大山顕さんの文章を読んだ。漫画『東東京区区』のかつしかけいたさんが写真の色づけに関して紹介していた。
寝なかったその日にベッドで一瞬見た夢がカラーでも白黒でもなかった気がしたのとインスタで結構見かけるモノクロのポラロイド写真の数枚が重なって思い浮かび、写真の色づけに連想が飛んだ。
大山顕さんは写真家だ。記事はネットで途中まで読めるが私は全文を読みたかったのでKindle Unlimitedで読んだ。「戦前・戦争写真のカラー化は何を見えなくしたのか――色づけが生み出すスペクタクル」という記事である。写真に残された記憶を色付けによって現在の自分たちと「地続き」「身近」にすることについて彼はこう書く。
ー「地続き」「身近」にしないことの重要性があるのではないか。自分に引き寄せて感じたり考えたりすることは、いつでも良いことなのだろうか。遠く隔たったことを、そのままにして考え続けていくことが重要な場合もあるのではないか。そうでなければ、「当事者」が最も「正しく」なってしまう。ー
夢はどちらにでもになりうる。見たのは眠っている自分だけで最初から「正しく」などありようがない。
触感が強く残った一瞬の夢だった。精神分析状況は夢見と覚醒を行き来する場だ。今日はひたすら覚醒している必要がある時間があり言葉を信じて使う必要もある。勝手に自分たちと「地続き」にしない。私はそれを心がける。
雨がいろんなところを叩く音が聞こえる。鈴虫も鳴いているけどいつもみたいにきれいに声が響かない。その場所から動けないのかな。それとも動いてそこにやってきたのかな。
「娘は絶対日本から出させる」「力のある女性は日本から出た方がいい」というような言葉をよく耳にするようになった。切迫感のあるメッセージだと思う。頭はいいらしいが幼児的な快楽優先の男性に気持ち悪さを感じながら戦ってきてくれた力ある女性たちの危機感は大きい。互いに甘えあってwin-winの世界にいる男女もたくさんいるがそれは多くの場合部分的な関わりなので、子供がいたり、普通に第三者的な視点を持っている人なら遅かれ早かれ自分と向き合わざるをえなくなる。このままでいいのか、と。いつまでも子供でいられる立場の人は永遠少女とか少年でいることに満足を見出す余裕もあるかもしれないからそれはそれ。でも永遠少女やお勉強はできて自分のダメさもふざけながら上手に自己開示できている男性に「ほんとそういうところが・・」なんて真顔で言おうものなら引きつった笑いか小さな舌打ちとともに不機嫌になって急に相手を見下した態度をとる人は多いわけで、戦う女性たちはそのあまりに薄っぺらい正体に怒りを通り越してヤバさを感じるのだろう。コミュニケーションが成立しないという判断のもと「こんなところにはいてはダメだ」あるいは「いさせてはダメだ」と。たしかに。「いさせてはダメ」というのは実際に守るべき相手に対して思うことでもあるし、自分の尊厳なるものに対してもだろう。一方、尊厳は守りたいが、たいして力のない私はここにいるしかない、というか与えられた場所でどんな工夫ができるかを考えることをまずするかもしれない。怒りに打ち震えたり吐き気と涙でぐちゃぐちゃになったり、何も手につかずここから動けないという状態になってもそういう自分をぼんやり観察する。そういう時はぼんやりか極端かのどっちかにならざるをえないから眠れないときみたいな少し変になった頭と身体で観察を続ける。狂った世界ではこちらも少なからず狂うこともを許容しないと知らないうちに迎合して本当に心が死にそうな気がする。だからぎりぎりのところに留まる。自分の資源があまりない場合は相当な切迫感がないと行動の判断って難しいけど心が壊れてしまうと死を行動と勘違いしてしまうこともあるから本当に危険。なのでひとりではなく専門家か、普通に思いやりのある人と。彼らが変わることは偶然何か起きないかぎり多分期待できない。自分が変わることも一人では多分相当難しい。だからまるで知らない人(繰り返すけど専門家か、普通に思いやりのある人、あと常識のある人)に相談してみるのもいいと思う。相手や世界に対するあれこれを吐き出しつつそこで反復される自分の心のありように目を向けてみる。それはときとしてこの国から離れたくなるくらい気持ち悪かったその人たちよりもずっと不快なものとの出会いになるかもしれない。でも他人のものより自分のものの方が取り扱いは安全にできる。ときに自分を傷つけたり誰かを傷つけたくなることもあるだろうけどどうにかして持ち堪える力も同時に芽生えていく。そういう心の変容って本当にあるから自分にはそんな力ないし、と本当はすごく気持ち悪いのに気持ちよくしてあげなくて大丈夫、と言いたい。そしてそんなこと言わなくてもいい日がくると願いたい。今はとても無理だけど。なんとか生き延びよう。そうだ、前の職場の人とごはん食べにいく日程決めなければ(=こういうのもありがたい資源)。
「フライングドッグ」の設立10周年記念作品『サイダーのように言葉が湧き上がる』をNetflixで見た。2020年5月の公開予定がコロナで延期され、2021年7月に公開された映画だそうだ。
俳句をやっている友人が「高校生の俳句は本当に高校生が作ってて大人のは黒瀬珂瀾という人が作ってるんだって。よかったよ」と教えてくれた。二人の高校生が出会うまでのオープニングがとてもカラフル。誰かを想うことで防御一方だった過敏さを超えていく二人と彼らを取り巻く人たちの優しさの描写がシンプル。ところどころスマホに打ち込まれる俳句が意外なほどパワフル。
よい映画だった。
台風が近づいているのか。移動に支障が出たら嫌だがなにより被害が出なければよいが。
映像作家の小田香さんという人が、青森県の下北半島で寒立馬を題材に監督作品を作っているという。「かんだちめ」と読む。朝日新聞デジタルの記事で読んだ。小田香さんは大島渚賞の第1回受賞者とのこと。坂本龍一が強く推したそうだ。8月初旬に巡ったばかりの下北半島、下北半島に住むガイドさんがこれまで扇風機しか使ったことがないのに今年はエアコンを導入せざるをえなかったというこの夏の炎天下、のんびりとたくさん歩きながらいろんなことを感じた。この作品はぜひ見たい。その記事に小田香監督が寒立馬を撮影する写真が載っていたがちょうど私たちが行った頃のだった。すぐそばに津軽海峡と太平洋が広がり、それを分ける位置に真っ白な尻屋崎灯台が立つ。国の重要文化財であり日本の灯台50選に選ばれているとのこと。
さて、記事には
「放牧中の寒立馬はかつて、身近で見ることができたが、人が馬に蹴られたり突かれたりするトラブルが相次ぎ、柵越しにしか見られなくなった。」
と書いてあるが、どうやらペットを連れた人とのトラブルもあったらしい、と現地で聞いた。動物と人間の関係は難しい。
そういえばこれは先日ここで文句めいたことを書いた青森県立美術館のプロジェクトの一環だそうだ。素晴らしい活動だと思う。
忘れないようにここにメモしてしまうけどそれが小さなアザであろうと小さな裂き傷であろうと心踏み躙られる体験と重なればその傷自体が消えても痛みは消えることはない。ただ変化はする。単純に薄くなるとか、いずれ消えていく、とかではなく、景色でも人でも外とのなんらかとの関わりにおいて心がふと軽くなったりほっこりすることがある。逆に急に吐き気を催したり突然涙が止まらなくなることもある。そうなることはわかっていてもそうなるときはそうなってからでないとわからない。「またか」と思うのはそうなってからだ。そのときに思い出せるのが心を支えるなにかの方であることをいつも願う。その「なにか」が直接的な関わりだけではなく外からふとやってくるものであることも確認したい。
さてさて、今日はどんな1日になることやら。なんとかはじめましょうか。
博物館とか美術館とか。
紅茶とフロランタンと粉砂糖のかかった丸いホロホロしたクッキー。名前を忘れてしまった。昨日、緑道を歩いていたらアゲハがフワフワよりも速いスピードで横切っていった。名前のわからない葉っぱのそばをこれまた結構なスピードで舞い降りたり浮かび上がったりしていた。花はないのに何を探してるんだろう。私は少しずつ近づきなかなか写真に収まってくれないアゲハを何回も撮った。きれいに写せたのも数枚あった。アオスジアゲハ。少し光沢のある水色の小さな四角が帯状の模様を作っていてとてもきれい。我が家の小さな花壇の山椒は最初はアゲハの幼虫に食われてばかりだったがいまや時々切り落とさなければならないくらい立派な枝を伸ばしている。どこが転機だったのだろう。花壇にアゲハがやってくると「むしろ今は食べ放題ですよ、ぜひ食べて」と心の中で伝える。料理で使う山椒の葉なんてほんと数枚だから。箱根登山鉄道 「入生田」駅からすぐのところに神奈川県立生命の星・地球博物館がある。以前ここで見た蝶の標本が素晴らしかった気がする。蝶のすごい標本というのは全国回っている間にいくつか見た気がするが多分私がこういうときに思い浮かべているのはこの博物館のだ。河口湖でもそういう展示があったかもしれない。とても心に残っている博物館なのでまた行きたい。今ならもっと違う楽しみ方もできそう。当時よりきちんと観察する力が身についたと思うから。いろんなところへいっていろんな人と話していると「ほらここ」と言われ何かをきちんと見る機会が多い。自分では気づかなかった部分に目を向けさせてもらえる体験はその後の自分の目の力になる、思い出と共に。
思い出といえば青森県立美術館はとてもまわりにくかった。最初から館内が複雑でまわりにくいと言われていちいち案内されるのだが、この案内のせいでまわりにくかった。美術館の設計がどうであれ私は一度入ったら自由にまわりたい。次はあっち今度はこっちあれれどこ行くんですかこれはこっちいやいやお手洗いへあああちらへあれれこちらはご覧になりましたか今お手洗いへ行ってきてはいはいそうですかこっちはご覧になりましたかはいさっきあそうですかなど今やっている「生誕120年 棟方志功 メイイキング・オブ・ムナカタ」は十分に楽しみつつも疲れてしまった。あまりの声の指示の多さに途中からはイライラもしてしまった。どうして簡単な地図と矢印とか視覚情報ではいけないのか。点字だってあっただろうか。美術館では視覚優位になっているので聴覚情報とバランスが悪いと疲れるのだろう、と今思った。余裕があるとこういうことも考えられるがあのときは疲れきった。そのあとに奈良美智の「あおもり犬」へ向かおうとしたらここからだとすぐそこなのにそこのドアは配慮の必要な人用だから、と一度外へ出て階段を登って、と疲労とイライラに少し拍車がかかった。こちらがこれだけ動きにくいとなると障害のある人とか妊婦さんとかにも全然使いにくいのではないか。人の声での指示はできるだけ少ない動線づくりというのが重要なのでは、と保育園でいうようなことを思いながら歩く。いた。あおもり犬。でかいのはわかっていたがかわいい。このおかげで元気を取り戻したがいやはや、自由度大事。
それにしてにも以前青森にきたときに三内丸山遺跡はいったのに青森県立美術館にはいった覚えがない。時間はあったと思うのだけど。すぐそばだし。まあ一度は行けてよかった。八戸市美術館は真逆でとてもオープンな空間で作家との距離も近くその時やっていた展示も非常に印象的だった。また行きたい。八戸ブックセンターでは行政の人とたくさんお話できたし楽しかったな。
しまった、もうこんな時間。いかねば。どうぞ良い1日を。
林芙美子「漣波」、リモコン、寿命
遅い時間のごはんが消化されない。アタリマエジャ。ソリャソウダ。ごはんを食べたあとまた林芙美子『トランク 林芙美子大陸小説集』(中公文庫)をパラパラした。やっぱり面白い。芙美子は4本の連載を書きながら突然死んだ。今回の文庫にはその中のひとつ「漣波ーある女の手記」が収められている。1951年、芙美子が死んだ年に中央公論社から「漣波ー或る女の手記,女家族,菊尾花(新方丈記)」を収めた『漣波』が出ておりそのあとがきを書いたのは川端康成だった。今回の文庫『トランク』にはそれが付録として収録されている。「漣波ーある女の手記」は手記なので一人称で書かれており「三十歳を越えた私は、十七歳の、あの時から、まるで一呼吸(ひといき)で現在になったような気がしてなりません。」と十七歳のときに女中としてパリで体験した出来事がとても無垢ぶった様子で書かれていて大層面白い。気持ちが昂ったり急に冷めたりうっとりしたり意地悪な気持ちになったり男性との関係で経験する体温の変化を十七歳ならではの無邪気さでなんとなく大袈裟に描写しているのがとてもかわいい。最後に(絶筆)とあるのでこれが未完であるとわかるが書かれなければこの余韻のまま何も気づかないかもしれない。
今朝はすでに暑い。エアコンをつけた。西の窓の左後ろの方でカラスが一声鳴いたあと少し早いリズムで何度か鳴いた。
昨日、とうとうエアコンのリモコン(なんでも「コン」だな)に何も表示されなくなりついに運転を切ることができなくなった。電池を変えよう変えようと思っていたのだが小さなリモコンの動かせる部分を全て(と言ってもスムーズに動くのは1箇所のみだが)動かしても電池を入れる場所がわからず変えていなかった。でも今回ばかりはまずい。消さないで出かけられない。こんなときこそインターネット(久しぶりにきちんと言った)。「ナショナル」と品番を入れて検索。「ナショナル」は2008年にブランド名として廃止されたが私がここに住んで15年くらいだからナショナル最後の世代のエアコンということになるか。やはり世界をつなぐインターネット。同じように困る人はやはりいるらしくすぐに動画が見つかった。なんてことはない。私が何度も滑らせていたカバーの下の方をねじるようにして力を入れて開ければよいだけだった。おかげで「運転 切/入」を押したらピッと消えてくれて出かけることができた。消したら急に鈴虫の声が聞こえ始めた。そういえば冷房をつける前もすごく鳴いていた。同じ鈴虫だろうか。ずっとそこにいたの?私ここにきて15年くらいなんだけどみんなは?検索。鈴虫は卵が孵化してから約4ヶ月、成虫の寿命は約1、2ヶ月しかないそう。「人の手で大切に育てたとしても冬は越せないため、」と読んで悲しくなっていたら「次の年も飼育を楽しむには産卵・繁殖させる必要があります。」と続いていた。Oh…。
今日やるべき事務作業や翻訳作業の資料はひとつのファイルに入れた。分けるとあっという間にどこかへ分散してしまうことがわかったから(何回もやってるけど)「2006世界バスケ日本開催!」と大きく書いてあるファイルに入れた。どこかでもらったのだろう。中学時代バスケ部だった私は一時バスケ観戦もよくしていたから。今回の「FIBAワールドカップ2023」は日本すごかった。前回日本で開催したのが2006年だからこのファイルもこの家にきた頃のものか。ものは大雑把な時計代わり。私は物持ちが良すぎるから時計としてはどんどん大雑把な機能しか果たせなっていくものたちだけどそれぞれの寿命をなんとか生きましょうかね。
キッチンの窓を開けたら珍しく鳩の声が一番最初に聞こえた。今は西の窓の向こうで鈴虫が鳴いている。あ,鳴かなくなった。鳥たちがガヤガヤとなにか言っている。どんなことがやりとりされているのだろう。やりとりとは限らないか。人間には思いもよらない何かがたくさんあるのだろう。
今朝は友人の手作りフロランタン。吉祥寺の小さなお店を閉じてから何年経つのだろう。オンラインにお店を出すわけでもなく、季節ごとにケーキと焼き菓子セットを届けてくれる形式。山梨県北杜市から。その人のこだわりにきちんと答えてくれる土地なのだろう。引っ越してからもうだいぶ経つ。小さな段ボール箱を開けるといつもの小さな紙にその人の書いた字が見えた。栗の実のことも書いてあった。「竹のクリップはプレゼントです」とある。箱の中をみるとクシャッとされた薄ピンクの硬めの紙に守られたいつもの蝋引き袋がある。蝋引き袋というのを私はそれまで知らなかった。おしゃれで機能的。袋はいつもはない細長い竹のピンで留められていた。そっと外す。口はとても小さく挟む力はほとんどない。端っこを押して開く仕組みでもない。挟むというより留めたいものをそっと差し込むようにする。いざ挟むと結構しっかりしている。ゼムクリップよりもずっと繊細にみえるけど竹は強い。ケーキの紹介文が書いてある和紙のような紙を差し込んでその確かさを頼もしく思った。その人みたい。竹のクリップは竹細工職人さんに作っていただいたとのこと。嬉しい。フロランタン、とっても美味しかった。少しずつ大切にいただこう。
今日はいつもの仕事の前にあれこれやっておかねばならないことがたくさん。困った。いつも困っている。とりあえずやろう。夜中より雨の音が弱まっていると思うのだけど今日は一日雨なのだろうか。雨は大事。いい音。どうか静かに降ってくれますように。自然に対しては願うばかり。
月曜日、なんとかはじめよう。
「うん?三日」と思う。昨日は「うん?二日?」と思った。一昨日は「(略)」と思ったがいよいよ〆切日だ。毎月毎月誰も見ていないのに声も出さずこんなことを繰り返している。「ちっ、暦なんかあるから、グレゴリウスめっ」とか思っても〆切は遠ざからない。というか暦って多分ないと困る。毎月毎月ほぼ同じように数字で区切ってもらえるからかろうじて〆切だって思い出せるわけだ。これが1ヶ月40日とかだとちょっと感覚狂うかもしれない。40人学級より30人学級の方が運営はうまくいくはずだ。何月が31日まであるんだっけ、と小学生のとき、友達が指で確認していてめっぽうかっこよかった。私も真似したが山と谷、どっちが30日でどっちが31日かを忘れてしまったりそもそも最初の手の形が違ったりする。しかもチョンチョンって2回やって折り返さなければならない。難易度が高い。なので結局「8月は31日まで」というのを基準にあとは大体変わりばんこと覚えていた。私の誕生日を祖母は死ぬまで「8月31日」と思っていて毎年「亜美ちゃん、8月31日、お誕生日おめでとう」とお手紙とお小遣いをくれた。おばあちゃん、私の誕生日は30日だよ、といつもほっこりした。
そうそう、おばあちゃん、と祖母に向けてお話したくなるがBack to realityの声が聞こえる。
そうそう、おばあちゃん、昨日ね、友達がとっても美味しいお店に連れていってくれたの。前菜がシャインマスカットといちじくと生ハムだったの。すごいでしょ。最高でしょ。夏に青森に行ったんだけどね、その話とかしながらなんとなく群馬の話も出たの。そしたらシェフが「生ハムは群馬のですよ」って。そー、びっくりでしょ。向いてるんだって、群馬、生ハムに。あのからっ風が。あの冷たい乾燥した風が生ハムの熟成にいいんだって。前髪は凍るし肌は粉吹いちゃうしいいことなんてないと思ってたのにね。「からっ風、いいとこあるじゃん」って思わずいっちゃったよ。
あ、天の声を無視してしまった。Back to reality.あなたは9月は本当にまずいよ。がんばりなさい。あぁ、おばあちゃん、私こんな歳になったけどまだこんななんだけどなんとかやってるよ。おばあちゃんは元気かな。なんで死んだ人にそう思っちゃうんだろ。私の記憶の中で彼らがみんな元気でいてくれたらいいなと思うからかな。また話そう。今日も元気でね。
おばあちゃんといえば
Woman’s Best 13 韓国女性文学シリーズ10『私のおばあちゃんへ』나의 할머니에게
ユン・ソンヒ、ペク・スリン、カン・ファギル、ソン・ボミ、チェ・ウンミ、ソン・ウォンピョン 著 / 橋本智保 訳
はとてもよかった。
私も着々とおばあちゃんに向かっている。戦争を知っている祖父母は長生きした。その時代に生きるってどんな感じだったんだろう。うん。やっぱりまた話そう。なんらかの形で。岸政彦さんたちの本とか生活史の本もたくさん出てきた。私も聞こう、話を。
みなさんもどうぞお元気で。
よく寝たと思ったけどそんなに時間は経っていなかった。
人の身体を傷つけて心を踏みにじった人がしんどいしんどい言いながら嘘ついたままやりたいことやって偉そうに人間ってこういうものみたいにいっていると唖然とする。嘘、しない。そういう人だから。「知性」も自分の暴力的な関わりをなかったことにして突き進むために利用するならそんなのなかったほうがよかったのでは、と思うけど、そんなこと知らない人には大層役に立っていたりもするのだから大きなお世話だろう。見えないところでなされる暴力が裁かれることは少ない。自分の快楽に忠実な人が起こす様々な事件も事件にならなければなんにも問われない。事件になっても関わっていなければ心壊されることもない。そんな安全がほしい?ほしいだろう。それが人間。なのか?疲れる。胃が痛い。
昨日は金曜日の仕事をしていたのにどこかで土曜日だと思って病院に行きそびれた。朝の予定を間違えたからだろう。不注意な人間にはよくあることだ。辻褄を合わせようとするから。一度間違って「あれ?」と思う。特にトラブルにならなければすぐに忘れる。でもどこかで最初間違えたときのモードが残っている。それがどこかに出てしまう。気をつけててもそういうことは起きる。完全に忘れるのも問題だがそれこそ不可能なことだ。困った。胃が痛い。
『デオナール アジア最大最古のごみ山 くず拾いたちの愛と哀しみの物語』ソーミャ ロイ 著/山田 美明 訳(柏書房)を読みはじめた。発売前、柏書房のnoteに公開されていた冒頭を読んだときにすでに言葉を失った。巨大なごみ山に捨てられた大きなガラスびん。そこに詰め込まれた臍の緒がつながったままの三つ子の赤ん坊。それをそっと抱きかかえ埋葬したのはそんなごみ山に暮らす子どもたちだった。これはノンフィクションである。ムンバイを拠点とするジャーナリスト、ソーミャ・ロイが2013年に出会ったゴミの山、デオテールごみ集積所を8年以上にわたり調査、インタビューをしてきた記録だ。物語はデオテールごみ集積所でくず拾いをしながら暮らすコミュニティ、特に大人になる一歩手前、18歳になろうとするファルザーナー・アリ・シェイクを中心に進む。
また読み耽ってしまった。今日も無事に過ごそう。
今日もいいお天気らしい。暑くなりそうなのだけどもう「暑」という字は使いたくない。暦のほうに寄せているわけでもないけど最近は朝は冷たい麦茶と温かい紅茶を両方いれる。そして最初に飲むのは温かい方。身体的には起きたらまず冷たい水を一杯、とかいうから冷たい麦茶の方が喜ぼれるのかもしれないが私の身体はもう秋仕様らしい。それにこれまでだって「身体にいい」生活にこだわってきてもいない。大体いろんなお菓子に喜ぶ日々をやめるなんてできない。いつまでも喜べる身体でいられるために健康に気をつけるんだよ、と言われたとしてもそこまで身体に悪いことしているわけでもない。弱い胃腸を信じられるところまで信じたい。
自傷行為は自分の身体へのチャレンジだと思う。自分は自分にどこまで耐えうるか確かめるための。嗜癖という苦痛な快が和らげてくれる瞬間を少しでも引き伸ばしながらなんとか生きようとする心の作用。
誰にもいえない状況で傷つけられた体験を声にしようとするとき、そこには大きな痛みと恐れが伴う。「また傷つくだけだよ」「だったら言わなければいいじゃない」と制止がかかる。「それだって自傷行為みたいなもんなんだからやめなよ」と。そうだろうか。自傷の日々から逃れたくて、他害の恐れからできるだけ遠くにいきたくて自分のこころを守ろうとする行為が?立場を利用して人の性を軽く、乱暴に扱う人に対してもの言いつづけることが?もっと痛い想いするのだから、あるいはもっと絶望が深まるのだから、と制止してくる声は平然と嘘をつきながら人を傷つけた歴史を黒歴史としてヘラヘラと処理するような、あるいは記録がない、証拠がない、と言い続ける加害者に寄り添う声なのだろう。
みみをすます。自分の。他人の。他人から向けられた自分への。痛みと生きることのいたしかたなさを簡単に「しかたない」と言わないために、粘り強くそこにいつづけるためになんらかの工夫を。
ベランダにハンガーにかけたバスタオルなどを干した。いいお天気。部屋に入ったらベランダの風はついてきてくれなかった。なんでなんだろう。外だと気持ちよく感じた風は確かに「吹いている」のに。窓は開けたままなのに。
それにしても疲れた。多分、夏に。あと難しい本に。
ブルース・フィンクの『精神分析技法の基礎 ラカン派臨床の実際』を再読した。これは難しくはない。が、パッとしない。電話分析の可能性についての章はカウチでの自由連想を頻度よりも強調するフランスでは特にオリジナリティが高いのだろう。「電話分析に特有の難点」が詳細に書いてあるのもいい。そしてフィンクは高頻度であることを重要であると考えているというか、ラカン派は変動時間セッションを行なったりするので時間に対する感覚は独特なのでその辺の考察はもっとほしい。この本には変動時間セッションを行う分析家が電話分析を行う際の具体的な手続きも書いてある。フィンクくらいになれば直接会いにいける距離にいないがフィンクによるラカン派のセッションを受けたいという患者は多いのだろうからその経験が蓄積されているのだろう。やはり本人が多く体験している臨床事例から書かれたものは思弁的でなくこちらの思考も促される。ラカン理論が臨床としっかり接続していくためにはラカン派ではない私たち実践家もラカンを読んでいく必要がある。フロイトと同時に。現在のフランス精神分析の中心はラカン派でいう「精神病」事例についての議論が盛んだと聞いた。日本の精神分析の遅れも指摘されたが臨床ありきであることを考えればフランスほど精神分析が根付いていないこの国とフランスではまるで異なることが生じるのは当然といえば当然であって遅れているわけでもなかろう。フロイトやラカンへの回帰に基づく理論の更新という点ではその議論が当たり前に盛んなフランスとは比べ物にならないかもしれない。フィンクもこの本に書かれた議論を読むことでラカンを読むインスピレーションを与えたいようだ。たしかにラカン派の本を読むとラカンとフロイト読まねば、となるいい循環は確実にある。
今朝は出雲土産のバウムクーヘンを食べた。昨晩は熱海土産のお饅頭を食べた。お菓子がますます美味しい季節はもう少し後。どちらもとても美味しいけどもっと涼しかったらあっついお茶や紅茶ともっと楽しめそう。秋よ、深まれー。
南側の窓をドーンっとならないようにスーッと開け、リビングの大きな窓も同じように慎重にスーッと開け、パタパタ家事をしてから思い出したように東側の窓を開けた。ここの窓はそんなに慎重にならなくても大丈夫。西側はブラインドの向こう。見える空の色が全部違う。きっと土色の空とか月色の空とかもあるのだろう。星色の空は難しそう。どうしても太陽の影響を受けそうだから。海の色だってほんとうに色々で驚く。八月初旬に行った青森県下北半島を囲む海も様々だった。青にもいろんな青があり時間や波の様子でも全く変わる。
本州最北東端の尻屋崎はその先端に尻屋埼灯台がたち、津軽海峡と太平洋の境界地点となっている。灯台は真っ白で美しく、レンガ作りの灯台としては日本一の高さだそうで上ることもできるそうだが今回はちょうど閉館時間を過ぎたところだった。この上からみたらどこまでも続く海とそこにもある境界とそれが見えないことをますます実感しただろう。上らずとも右側に振り向けば草原の寒立馬たちがゆったりと草をはみ、海岸には家族たちが岩場に遊び、西側にはもう少しで沈みそうな夕日とお墓。え、お墓?とバスの出発の時間が近づいていたが少し早足で近づいてみた。遠くから見たよりも近く間に合いそうだったのでもっと近くへ早足で行ってみた。岩場の先には第二進徳丸殉難者の碑が立っており、そのそばにお地蔵さんもいた。この津軽海峡は海難事故が多発する難所だったという。手を合わせてもう一度海をぐるっと見渡しバスへ急いだ。
寒立馬は以前は囲いもなく放牧されていたそうだがペットを連れた観光客となんらかのトラブルがあり柵が設置されたそうだ。宮崎県の都井岬みたいだったのかな、と少し残念だったが激減しているという寒立馬の保護は大切だ。もうそれほど小さくはないが子馬らしき馬が母親らしき馬の首元にひたすら鼻を擦りつけるようにしてやがて乳を吸うようにおなかの方に首をもぐりこませていた。その横でのんびりと佇んでいた馬が突然ドボドボとホースのような尿を放出した。コロナでなくなってしまった日曜日の句会で「尿をにょうと言った人がいたけどしとと読みます」と先生に言われた。「にょう」と読んでしまったのは私で少し恥ずかしかったけどすっかり覚えた。芭蕉が宮城で読んだ句、
蚤虱馬の尿する枕もと 芭蕉
も馬の尿の音のインパクトをよんでいる。
それにしてもこの夏はものすごく日焼けした。炎天下をあれだけ歩けばそりゃそうかという感じだが左腕だけはっきりとTシャツ焼けをしている。最初なんの線かと思ってしまった。身体にも色で境界ができる。境界なんて曖昧なものを無理やり消すことも自ら作り出すこともしたくない。いろんなものはグラデーション。スペクトラムという言葉はなんだか使われすぎな気がする。いろんなものいろんな人、今日も色々色々だ。
横になったまま足にあたる窓からの風を確かめていた。いつもより冷たい風が足に触れながら通り過ぎていく。秋だ。
リビングの窓を開ける。昨晩突然焚いたお香の香りが残っている。これは昔誰かにもらった外国のお香。大きな象が描かれた派手でかわいいパッケージ。いや大きな象かどうかはわからないか。今朝も適当に出しっぱなしにしていた日本の短いお香に火をつけてみた。実家からもらってきたのがたくさんある。ヨガを教えてくれた友達の家に遊びにいったときお香が当たり前のように焚かれていた。引っ越したあとのおうちでも。今は京都にいるその人と京都の自宅そばで会ったときもその人が選んでくれたお店はお香が焚かれていた。二人目の子がまだ赤ちゃんだったか、まだおなかの中だったか忘れてしまったが上の子が誰が何を言っても「チンチン!」とゲラゲラ笑いながら答えるばかりの時期だった。まあそれでもコミュニケーションは何の問題もなく成立していたのだからそれでもいいのかもしれない。いや、よくないか。
週末は精神分析のことしか考えていなかったが江の島にいる人から突然「あみさんもくる?」とメッセージが届いた。なんとなく「いく」と返事してからほんとにいくのかよと思ったが夏の終わりに何か特別なことがあってもいいなと思った。突然の誘いに乗ってそれなりに時間のかかる場所へ行くというのは特別だ。藤沢まで通勤していたのだからすっごく遠いわけではないが当時は仕事があればどこにでもいっていた時期だ。Psychoanalytisches Institut BaselのGerald Personnier先生のセミナーに出たあとフランス語と日本語の区別もつかない(つまりどちらも聞き取れていない)ぼんやりした頭で電車に乗った。乗り換えはしたがずっと座れたので楽ちんだった。Personnier先生は日本にも詳しくて日本語も少しお話になる先生でとても親しみやすくかなり自由にいろんな話ができた。時折先生方がフランス語で盛り上がってしまって完全に置いていかれていたが色々話しているうちにフランス語も聞き取れるような感触になっていた。単に頭が疲れていて知っている単語を拾っていただけなのだが。Personnier先生が谷崎潤一郎の名前を出した。『陰翳礼讃』という言葉を拾ったので(日本語だけど)車内で読んだ。江の島では江の島灯篭というイベントが開催されていた。『陰翳礼讃』じゃん、と思ったのはあとからだ。例によって車内から海が見えただけでひとり密かに身を乗り出しているうちに江ノ島駅に着いた。諏訪神社のお祭りだったそうで半纏姿の人がたくさんいた。コンビニで鎌倉ビールを買って飲みながら江の島へ向かう。島への通路はこちらに戻ってくる人たちもたくさんいたが向かう人もたくさんいた。日は沈んでいたが空はまだ明るかった。いろんな人がいろんなものを食べたり飲んだり並んだり笑ったり喋ったりしている中を歩きながら神社への階段へ向かった。少しずつ暗くなってきた。入り口の瑞心門に影絵のような大きな龍が現れたり深い緑の木がピンクに染められてまるで花が咲いているようだったり照明での演出がとてもきれいだった。道の両脇には影絵灯籠が並べられ幻想的だった。島の上の方にあるサムエル・コッキング苑に着く頃にはもうだいぶ暗くなってきて南国の木々の間をゆっくり歩いた。音楽が聞こえる方へ行くと小さなステージがありひとりでいくつもの楽器を使う人が奏でる音楽の中、たくさんの人がくつろいでいて子どもたちはトランポリンで跳ね続けていた。展望台シーキャンドルに数回エレベーターの順番待ちをして上った。どんどん空は暗くなっていき月がとてもきれいだった。雲に隠れてもこんなに海を照らすものなのか、と感動した。いい夜だった。子どもたちの夏休みももうすぐ終わる。いつまでもトランポリンで跳ね続ける感覚を心に蘇らせながら私は彼らを眺めていた。
変な時間に寝たり起きたりしてしまった。一度起きたときに暑かったからリビングに置いてあった扇風機を持ってきてつけた。一番弱い風で首振りの設定にしていたのに、起きたらなんだか喉が痛い。やばい!と喉を温めるためにというか昨日作っておいたからカポナータを温め直して食べる。墨絵の美味しいパンと一緒に。墨絵は今はない新宿の地下街にあった。墨絵自体は店舗を増やしている。なくなったのは新宿メトロ食堂街という地下街だ。追分だんご本舗でよくお土産を買って丸の内線に乗ったりした。そのうちその地下街自体が大好きになってしまっていろんなお店を利用するようになった。墨絵は異彩を放つ高級感で席と席の間隔はとても狭いのにいつも行列ができていた。私も中で数回食事をしたことがあるが利用するのは主にパン屋だった。通りがかりに小さいパンを一つ買って移動しながら食べていた時期もある。今だったらそんなことしないだろう。胃腸が弱いのは今も昔も変わりないが当時はどんなに時間が無くても何かを食べたかったしそういう時間だからこそ食べるものも決まっていた。どこもかしこも変化が激しいが私の移動の中心だった新宿西口は本当に変わった。小田急デパートもハルクだけになり新宿駅全体が枠組み自体を大きく変えようとしている。昨日はオフィスから新宿南口へ向かったらルミネ前の大きな交差点の一角が白い壁に覆われていた。あそこも変わるのか、と信号の反対側からなんとなく写真に収めた。
私は写真部だったわりに保管とか保存をする能力がないらしく、写真でせっかく保存したのにそれをどうやって整理したり保存したらいいのかわからない。わからないというよりはやっていない。SNSで自分が若かった頃の新宿の写真を見つけるといまだにホームなので今はこんな感じだよ、と話しかけたくなるような気分になる。
千葉雅也が2020年に『ツイッター哲学 別のしかたで』(河出文庫)という本を出した(今は文庫化)があれがどれだけ貴重な記録か、と今になって思う。とはいえ千葉雅也はここで哲学をしているのであって記録を提示しているのではない。千葉雅也という哲学者はいつも静かにオリジナリティ溢れるしかたで日常を哲学するしかたを提示してくれる。何度も書いているがいまだ門前とはいえ哲学の世界を私の遊び場にできているのは千葉雅也と國分功一郎のおかげだ。この本についても感想を書くべきだった。写真よりも文章の方が保管がしやすいし。千葉雅也は日本語も美しく情報に対する軽薄さや横柄さもなくとても真摯な書き手だと思う。そういう人がツイッターといういろんなものが渦巻く場所でこういうつぶやきをしていたことが示されるだけでもSNSに対して別のみかたが可能になるだろう。工夫に工夫が重ねられた一冊だ。それにしても「ツイッター」。今もURLがtwitterなのでなんて呼んでもいいのだろうがとりあえずそれは「エックス」に名前を変えた。この本は千葉雅也がカタカナで「ツイッター」と書いているのもいい。
どれもこれも保存保管にまつわるお話。今日は朝からフロイト読書会。これも保存保管にまつわるお話。午後はフランスの精神分析家を交えての勉強会。
みなさんもどうぞよい一日をお過ごしください。
生き物本、料理本、なぞる。
早朝、ベッドから外を見ると空が少しだけピンクがかってとてもきれいだった。今はすでにグレーと水色の間みたいな色でのっぺり。
昨晩、徳間書店から出ている『スタジオジブリの 生き物がいっぱい』をなんとなく見ていた。友達の犬がテトというのだけどもちろんナウシカから。テトは本当にかわいい。友達の犬もすごくかわいかった。おうちに行く時間があった頃はよく会っていたけどまだ元気なのかしら。聞いてみよう。これ巨神兵もラピュタのロボットも紹介されてるけど「生き物がいっぱい」という言い方だとちょっと雰囲気が違う気がするけど生き物ではあるな、たしかに。コダマとかマックロクロスケはやっぱりかわいい。マックロクロスケって「ススワタリ」という名前がついていたのか。知らなかった。ネコバスも生き物だなあ、そういえば。絶妙な生き物がいっぱいだな、ジブリ。
何年かぶりに調味料ポットを買った。何十年ぶり?グッドデザイン賞のかわいいのを見つけてパッキンがしっかり閉まるのを何度も確認して買った。家で一度洗って乾かしてパッキンを閉めてお砂糖とお塩をそれぞれに入れたのだけどなんか密閉されない。おかしい。お店ではきちんと閉まったのに。付け方はあっている。持ち上げたりして色々と確認するが頼りない感じでしか閉まらない。困る。中のすり切り板のせいか、と思って取り外した。閉まる。うーん。すり切り板の付け方もあっていると思うのだけどなあ。売っていたときはこれはセットされた形ではなかったのだっけ。まあいいか、閉まるなら、とすり切り板を外して利用することにする。多分あってもうまく使えないだろうから。
ゆっくり料理する時間はないけど料理本が好き。随分たくさん持っている。東京に出てくるとき『暮しの手帖版 おそうざい中国料理』と中華鍋を親にもらった。私のは平成九年発行。今は装丁が変わったみたい。これ1、2、とか手順の番号がふってあるのとないのがあるのだけど読み物として楽しいし写真もとても綺麗。素揚げするものが多いから不注意ゆえ揚げ物を避けている私が実際にこの通りに作ることはないのだけど置いておくだけでも素敵なever greenな一冊。揚げ油使わないものをここから作ってみようかな。そういえばこの前、本屋を出たらちょうどお昼の時間になるところでビルのレストラン街に1人の人や3、4人のグループが続々と向かうのが見えた。あまりおなかが空いていなかったけど冷やし中華の看板を見つけて今年一回は食べておかねばと入った。ベーシックな色合いのきれいな盛り付け。麺の量が多くなくて助かった。『暮らしの手帖版 おそうざい中国料理』には「冷麺四題」として「蒸しなす」「揚げ魚とかまぼこ」「えびとトリで」「麻醤麺ふう」のレシピが載っている。文字のフォントも可愛い。「えびとトリで」の「で」がいいしこれ作ろうかな。丁寧なレシピの後に「おそばは、ゆでて水洗いしたてに限りますが、具のとり合わせや分量、タレの味つけ薬味、香辛料には、べつにキマリはありません。お好きなように加減して下さい」とかこだわりと適当をうまく混ぜこんだ文章もいい。「あとがき」は「とと姉ちゃん」のモデルの大橋鎭子。この本の料理を引き受けてくれたシェフ(漢字が打ち出せない)と花森安治のエピソードも書いてある。『暮しの手帖』は実家での生活にずっとあった。八月初旬に訪れた八戸ブックセンターではバックナンバーの表紙がズラーっと並べられたスペースがあり興奮した。母に家事を教わったことはない。こういう素敵な本や美味しい料理や慌ただしい子育てをそばで感じながら育った。環境って、教育ってと考えることが多い仕事だ。自分の体験はほとんど当てにならないが思い出として大切ではある。そう素直に思えるようになったということかもしれない。その気候に持ちうる持ち物で知恵と工夫を書かれた通りに真似てみる。なぞる作業。今日も一日。
板かりんとう食べたり高橋ユキさんの記事読んだり。
おしゃれ着洗い用洗剤(商品名以外だとなんて言えばいいのだろう)で洗った服たちを外に干した。一番太陽に近い服が光を纏っている。服も日焼けしちゃいそう。陰干しの方がいいのだろうか。でもこの日差しを無駄にするのもイヤ。出かけるまで我慢して、と服に対して思う。
8月初め、浅虫温泉に泊まってブラブラしていたら久慈良餅店という看板を見つけた。地元のお菓子らしい。惹かれた。ホテルの数軒先に店を見つけた。立派。永井久慈良吉餅店という。あとで寄ろうとホテルに戻り翌日浅虫水族館へ行った。そしたら水族館のショップにも久慈良餅が売っていた。出来立てが運び込まれているようだった。地元の連携はほかのシーンでも目にしたが地方では特別なことではないだろう。いや、地方に限ったことではないだろう。私の住む小さな街の商店街でもその店のパンやコーヒーを同じ街の別の店でいただけたりもする。大切なことだ。久慈良餅の賞味期限は製造日入れて7日間と書いてあった。食べたいけどそれなりに重量のある羊羹のような包みで一人分に切ってあるような包装のものはない。お土産にするにしてもみんなに切り分けてすぐに捌けるような職場はないから7日間だと難しいかなど考えながら水族館の帰り道に永井久慈良餅店へ寄った。線路沿いの小さな道の方にも小さな入口があった。作業着のままお店の人が出てきた。迷った挙句、この後の行程も考え久慈良餅を諦め「板かりんとう」というもうひとつの名物を買った。それを今食べている。危険。かりんとうは止まらない。しかも歯が割れやすい私はまた歯医者さんに呆れられてしまう。でも美味しい。なるべくそっと噛む、といってもそっとじゃ噛めないので力を入れる。おせいべいとかかりんとうとか硬いものが噛む歯があるからこそのお菓子なんだから耐えられるはずというか耐えて。どうしてかりんとうってこんなに美味しいのだろう。「板」って珍しい。
しまった。高橋ユキさんの記事を読みふけてしまった。『現代思想』からの抜粋。
「なにとぞ執行猶予を」被害女性は耳と鼻から出血…再犯のDV男をぬか喜びさせない名物裁判官が放った“衝撃の一言” https://bunshun.jp/articles/-/65086
すごい。事件内容もひどいし裁判官もインパクトあるが高橋さんたち傍聴マニアの人たちの視点がとても興味深い。実際に見ている裁判の数が違うから大抵はこうなるものがそうならないときの見方の細やかさや驚きが半端ない。そしてそれを書くのもうまい。
もう準備しなくては。今日もいろんなことがあるに違いないけどなんとかできるものはなんとかしていきたいものです。どうぞ良い一日を。
オフィスのビルあるいは駅までの景色
昨日は夜になっても昼間のままの雲が空に残っているかのようだった。夕方、日没直後の月をオフィスのビルから眺めた。一瞬外に出て中に入った。
換気扇をつけると窓がぴったりしまって開かなくなる。気密性が高いというのかもしれないけど給気と排気のバランスが悪いともいえるか。
今日は変な時間に起きてしまった。私が寝た頃に届いたらしいメッセージをスマホで読んだ。紹介した本について嬉しい言葉が書かれていて著者でもないのににっこりした。
朝はまだ静かで車の音も少ない。バタバタする必要もないのに色々してたらフルーツを食べる時間がなくなってしまった。そこにあるのに食べられないとなんだかとても残念な感じがする。自分のせいなのに。
駅までの道に不思議な木があって、ずっと枯木のままでいるのに一気に花が咲く。咲けばメインは桜とわかるのだけど藤とかいろんな花が絡み合ってて一つの塊でいろんな季節感をだしてくる。今も名前がわからないけど知っている実をつけた蔓のような緑が葉っぱの布団から這い出してきたかのように伸びている。
ピンクの芙蓉の花は大きな5枚の花びらをうまい具合に重ならないようにふんわり広げきれいな色のお皿みたいな場所に花柱を突きあげている。芙蓉はふわふわと色んな方向をむいているがひまわりというのはみんな太陽の方向をきちんと向いていて私が虫だったとしても失敗せずに辿り着けそう。お互いに生き延びるために優しい設計でありたいものだ。
余裕がないことを忘れていた。動き出す景色の中へ私もでかけていかねば。まだそれほど気温は高くない。暑さ対策も冷房対策もぬかりなくお大事に。
きのうのあまだれにみみをすます
オフィスからそう遠くない街を歩いていて、頭よりずっと高いところから地響きするような大きな音がした。雷だ。予報通り。降ってくるかな、と空を見上げる。視界の前方には水色の空に真っ白の大きな雲が浮いているが真上の空はのっぺりしたグレーになっていた。あっ。手の平をひらいて待つ。あれ?降るのか降らないのかはっきりしない空を尻目に私は建物の中へ入った。
夜、また雨を感じた。というか雨の音を。でも身体のどこにも雨が触れた感じがしない。傘をさしたら降っているかどうか確認できるだろう。さっき後ろの人の影だけ見たがその人も傘をさしていなかった。その人はいつの間にかどこかの角を曲がったようだった。そっと手の平を広げた昼間のことを思い出して今度は前方より少し上空に突き出すように腕を伸ばして手を広げてみた。やはり感じない、雨を。結局雨の音を感じるだけで雨に触れないまま駅に着いた。昨日は一日傘を使わなかった、濡れた道路はみたけれど。
東京にも雨が降る。ポツリと地面が濡れたら少し早足になる。部屋に入って窓を開けて外をながめる。世界がどんどん濡れていく。昨日は大きな水溜まりにうつった剪定された夏の紫陽花を撮った。
今朝は昨日より少し明るい。スマホで天気予報のアプリを開いたらしばらくグレーのままだった。もう一度開くと「雨 のち くもり」とでた。雫マークの隣に60%と書いてある。相変わらず気温は高いらしいがそれでもかなり秋めいてきたように感じる。少しぬるくなった冷たい麦茶を飲んで果物を食べた。麦茶が温かいお茶に完全に切りかわる頃はきっと確かに秋だ。朝の果物を楽しみに店先をうろうろする時間も増えるだろう。
さあ、今日も人と会い話を聞く。耳をすます。言葉の水分量はどんなだろう。そしてそれはどんな響きがするだろう。耳をすます。谷川俊太郎の詩を思い出した。「みみをすます」。大好きでオフィスのWebサイトを作ったときに最初に載せた詩。縦書きの詩だし雨のように縦書きで書きたいけど横書きで。冒頭だけ。
みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます
ウィニコットを読むこと
久しぶりに明るくならない朝。グレーという時点で夜よりはずっと明るいけど。今日は曇時々雨らしい。天気予報のアプリでは雷注意報の⚡️がついている。
朝から晩まで働いて家に着くともうかなり遅いので積み残した作業は朝やるしかない。夜のうちにやっておきたくてもダラダラするばかりで全く進まないので睡眠時間にしたほうがいいとなる。朝の作業はなんの苦もなく機嫌よくできる。
とまで書いて別のことをはじめてしまった。ここは何も考えずに一気に書けることしか書かないのだけどその短時間ですらもたなかったのか、と注意のそれやすさに苦笑する。ちょっと別の部屋へ行った時にちょっと気がかりなことを見つけたからだろう。ついでにスマホで処理水に関する記事を読んでいた。
昨日「ウィニコット「移行対象と移行現象」(1958 )を読み直してウィニコットってモーニングワークについて、つまり抑うつについてどう考えているんだっけと「原初の情緒発達(1945)に戻る。」と書いたhttps://twitter.com/amisoffice1/status/1693397880621662657?s=20
どちらの論文も北山修監訳『小児医学から精神分析へ ウィニコット論文集』(岩崎学術出版社)に収められているが「移行対象と移行現象」は2015年に改訳が出た『改訳 遊ぶことと現実』にも収められているのでそちらで読んだ方がいい。ウィニコットの論文を読むのはフロイトの論文を読むよりもずっと骨が折れる。言葉にできないことを言葉にしようとするときにどんなことが生じるのかを読者に体験させることに関してはウィニコットは成功していると思うが、これを普通に読むだけではほとんど理解ができない。私の主催するReading Freudに出ている人はウィニコットの読書会にも参加しているがこれまで難しくて敬遠してきたフロイトがウィニコットより「読める」ということには同意する。ウィニコットは読者に乳児や乳児とユニットをなす母親に備わっているような創造力を要求する。これがどれだけ骨の折れる作業かは普通に育児を想うだけでわかるだろう、経験者であればなおさら。その大変さが否認されまくって母親に責任を取らせているのが現状だろうけれど。さて、フロイトと異なるのはウィニコットが言葉にしようとしている言葉にできないことは「原初の」状態であり、精神分析状況における二人が体験する非常に激しく厳しい側面であるということだ。「移行対象と移行現象」においてウィニコットはこの論文は「対象というよりも、対象を使用すること」について書かれたものであり、そこに含まれる「逆説」が「受け入れられ、耐えられ、尊重され、そしてそれが解決されないように求めている」と書いている。「対象というよりも、対象を使用すること」に関するさらなる考えはもっと後に展開されることになるがウィニコットがいう「逆説」はこの論文の数年前に書かれた「原初の情緒発達」においてはほとんど精神分析状況、つまり転移状況における愛と憎しみの分かち難さにおいて衝動的に行動しないこと、思考することとして記述されていると思う。ウィニコットはそうとははっきり書かないが精神分析を体験した人ならその状況がいかに耐え難いものかしかし耐え得るものかそして耐える価値のあるものかを知っているだろう。ウィニコットはまだ見ぬそこへ向けて希望を持つという無意識的努力を読者にも要求しているのかもしれないが、ウィニコットの人気はBBCラジオなど一般の人に向けた講演や講義ゆえではないだろうか。もちろんウィニコットの語りが小児科医としての豊富な臨床体験だけでなく精神分析体験に裏付けられているゆえでもあるだろうけれど。ウィニコットを読むためにはフロイトとクラインを読むことが必要だ、というのはウィニコットを読めば読むほど痛感されるものであり簡単に推せる相手ではないことは確からしい。
なんだかさっぱりしないのでシャワーを浴びた。洗濯もした。麦茶はどうしようかなあ。作ろうかなあ。やっぱりもう身体が冷たいものを求めてないんだな。一応作った。飲んでいるのは暖かい紅茶。美味しい。京都の小さなお餅もほんの少しいただいている。信玄餅そっくり。仙台の「萩の月」と山梨の「信玄餅」はいろんな場所でそっくりさんがいる。どれもそこそこ美味しいけど本家が一番美味しい。黒蜜が好きなんだけどこれはお餅も不思議な味。抹茶が練り込んであるのね。長後の直売所の梨となんとかという紫の葡萄とシャインマスカットもあるのだ。あとでいただきましょう。なんとかという紫の葡萄の名前も確認しましょう。藤沢で働いていたときに知った駅、長後。降りたことあったかな。藤沢はお気に入りのお店が何軒かできて夜の鎌倉に寄って帰ったりしたこともあった。まだそんな時間があったんだな。私は地域に根付いた医療機関で働いてきているからその土地その土地の特徴があって興味深いのだけど藤沢は患者さんのサンダル率が高くて海が近い地域ならではのお話も多くて新鮮だった。その土地ならではの文化というのがあっていろんな仕事のことも教えてもらったなあ。今は都会で仕事してるから農業とか海の話は子供の頃の話として聞くようになった。色々な土地で育って東京に出てきて親や親戚は自分が育った町に暮らしていたり出たり戻ったり色々色々色々な人生がいろんな土地で紡がれる。
青森で突然気候変動や環境問題を強く意識したのは地元の人との話や水族館の資料のおかげだけどその土地の暮らしを構成していたものが穏やかな口調ながら「いつもと違う」といわれるときそれは危機の前兆なんだと思う。直売所の果物や野菜にも変化は出ているのだろう。その土地の人の声には力がある。私は動かされた。こういうことを書きながらずっと頭に浮かんでいるのは福島のこと。安東量子さんのSNSやnoteで福島の人の声を感じているが今発する声が言いたいことを話せているとは限らない。長い時間をかけていろんな状況や感情となんとか折り合いをつけて紡いできた言葉はすでにとても複雑でまとまりのないものだろう。見た目は単純化したりパターン化したりしてしまっているとしても。そこで育ちそこに暮らす人たちの歴史に生じた断絶を想像する力をつけていきたいと思う。
すごく寝たと思ったのにまだ5時台だった。カーテンの向こうは6時台っぽかったのに。日の出も遅くなってるしこの明るさなら結構な時間では、と寝坊できる喜びを感じていたがいつもと同じだった。この夏は夜の温度調整に成功していると思うのだけど昨晩は少し寝苦しかったのか、逆に快適だったから時間より質ということか。なんとなく残念だけど起きるかといつからか起きるなりスッキリ動けるようになった身体で部屋を出て南側の大きな窓のカーテンは開けずドアを開け閉め開け閉め大きな机に置かれたPCの前に座って冷房を入れる。西側のそこそこ大きな窓のブラインドの向こうに強い光が溢れているけど西だから入ってくることはない。冷房はすぐに効く。首の後ろに風があたるとすぐに冷える。朝日新聞デジタルを読む。Whiteberryの前田有嬉さんはホタテ漁師の人と結婚したのか、メンバーの紹介で。先日、青森の浅虫温泉に行ったがそこでは「むつの海」が再現されており、カゴとかホタテの養殖器材の上に魚がのんびり乗っていて面白かった。サメの下に敷かれている魚もいた。お互い何も気にしていない様子だった。ホタテ漁は養殖と天然の両方に関わっているんだよね、きっと。大変手間と時間のかかる仕事だな、と水族館で学んだ。Whitberryの「夏祭り」は歌詞とかは曖昧だけどカラオケなら歌えると思う。パワフルでいい曲だった。前田有嬉さんは今二人目を妊娠中だが解散後ブランクを経て再び歌の仕事をしているそうだ。あんなふうに歌えるって素晴らしい。
ニューヨークで音楽の仕事をしている身内が帰ってきた。道でばったり会って「帰ってきてたの!」となることがこれまで数回会ったが今回は会う日を決めていた。身内ならではの話をたくさんした、と書きながら私の仕事は身内しか知らないことを身内は知らない形で話されるのを聞く仕事だな、と思った。映画の話もした。宮崎駿の映画についてはじめてたくさん語った。Netflixで見てきたアニメやドラマの話もいっぱいした。モーツァルト・イン・ザ・ジャングルというドラマを教えてくれたが今はNetflixではやっていないようだった。お店の人とも楽しく言葉を交わしながらいろんな日本酒を試すように飲み楽しかった。
今日も「今日こそは」の一日だ。やらねば。熱中症、油断せず気をつけましょう。なんか暑さに慣れてきちゃってる気がしたの、昨日。水分水分。
日めくりとか思い出とか。
何十年もよく見える目できたのに何歳からだろう、老眼が始まってからは早かった。どんどん見えなくなる。本が読めないのは苦痛だがこれまでそれなりに読んできた本のこともほとんど覚えていないのだから少し不自由がある方が記憶のあり方だって変わるかもしれない。
「あみさんはいい目してるんですよ」と眼科医は大きい声と大きい目で私を見ていうが「いい目」ならなぜ見えないのだ、と聞くのは我慢して小さく愛想良くした。「疲れやすい目だから目薬出しておくね」と言われて薬局で目薬を出してもらった。すっかり忘れていた。今さした。目薬久しぶり。結膜下出血になりやすかったのでその時は忘れずにさしていた。疲れ目だけだと見える症状でもないから薬のことも忘れていた。
色々とLINEでやりとりをしながらごく簡単な書類作業を済ませた。このくらいなら私でも楽にできる。名前を書いて印鑑を押す、みたいな。
時計の電池を変えてもらわねば。自分でボタン電池を買えばいいのだがどこかへ出向くという労力という点では同じなので丁寧に仕事をしてくれる近所の時計屋さんに行きたい。色々教えてくれるのも楽しい。あちらからしたら「だったらすぐに電池変えにきてください」という感じだろうけど。だって置き時計ならいっぱいあるんだもん。だってじゃありません。・・・子供か。
先日、日めくりカレンダーを一気にめくった。
三密にならぬ輪が出来盆踊り 落合水尾 七十二侯:寒蟬鳴(ひぐらしなく)
「三密」という言葉もすでに遠いか。厚生労働省のサイトもなんとなく曖昧に思える。輪にも色々ある。
生身魂ひよこひよこ歩み給ひけり 細川加賀 季語は「生身魂(いきみたま)」
生きているなら歩いてきてくれよ。そうそう、そうやって。昨年亡くなった人の名前を先日恐山で叫ぼうと思ったが忘れた、というかどこでどうしたらいいのかわからなかった。お参りはしたけど。下北半島の人には恐山はとても身近で「死んだらお山(恐山)へ行く」と信じられていて先祖に会いにいく感覚があるとのこと。恐山はもっとおどろおどろしいところかと思ったら視界が閉ざされる場所がほとんどない岩場と湖だった。カラカラ回る風車が少し不気味で炎天下、湖の水際を歩くと硫黄のせいか砂と水が黄色く染まっていた。
敗戦日それからずつと敗戦日 堀田季何
1945年8月15日。私も敗戦日というな、この日のこと。今年は半藤一利を再読した。
人ゐても人ゐなくても赤とんぼ 深見けん二
赤とんぼはまだみてないな。浅虫温泉のある浅虫駅はとても穏やかな陸奥湾をいつまでも望める場所なのだけどお散歩していたらそばにもとんぼ地面にもとんぼ岩場にもとんぼ。全然逃げないからそばからもすぐ横からも真正面からも写真を撮らせてもらいました。今回の旅は浅虫温泉に行きたいというところから選んだのだけど下北半島素晴らしいところだった。その分、原発の問題が大きく感じられた。
旅のことを上司に話した。上司も40年前くらいに行ったということで当時の話とか縄文文化のこととか教えてくれた。旅に出ると一緒に行ったわけでもない人と同じ場所での体験を新鮮な語り口で聞けて楽しい。
さあ、慌ただしい毎日。昨年のこの頃の嫌なことも思い出すけどそれはまた別の場所で別の形にしよう。学ぶのだ、痛みからこそ。囚われながらも別の形へ。
スイカ、オペラシティはフェスティバル
陽射しが強い。部屋は涼しい。冷たい麦茶。いつまで作ることになるかなあ。気温はまだまだ高いけど冷たい飲み物はもうイナッフって感じだな。朝の手軽な水分のために飲むけど。お菓子とかといただくのは暖かい飲み物の方が合う気がするし。
スイカも食べた。水分いっぱい。カブトムシになった気分。この強い香りに惹かれてくるのかしらね。果物って香り強いねえ、と思うのは私がアリンコに敏感になってるから。匂いの原因を作りたくなくても生活してれば出ちゃうしね。その後、アリンコ出てないけど。カブトムシはどうしてスイカ?と思って調べたらいろんな俗説があるのね。今はカブトムシにスイカは主流じゃないみたい。栄養が足りないって。いろんなこと書いてあったけどネット情報がどれがどのくらいよくわからないから本屋さんに行ったときにチェックしてみよう。
オフィスの最寄駅は初台駅で徒歩5分くらいかな。オペラシティと駅が直結なのだけどオペラシティは昨日から20日(日)までフェスティバル。昨日少し通りかかったら飲食用の椅子とテーブルがたっぷり出ててみんなビール飲んだりしてる中サックスのカルテットがジャズを演奏をしていた。子供たちは自分たちの遊びに夢中で喧嘩して大声で泣いたりすぐに再びキャッキャやってた。まだ夏休み中だものね。外でこういうのがあるといいよね。子供がある程度どっか行っちゃってもこっちの視界も広いからすぐ見つけられるしお互いに自由度が高くなる。そこで音楽。素敵。ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの4種類って言ってた気がする。サックス憧れたなあ。ソニー・ロリンズが素敵すぎたから。
ああ、今日こそやらねば、というか本格的にとりかからねば、ということが3つある。色々遮断してがんばりましょう。遮断できなかったら吐き出しながらがんばりましょう。進まなくてはいけない時があるものね。涼しくして水分とってみなさんもお大事に。
斎藤幸平を読んだり。
4時台でも東の空が明るくなってきた。まだ夜色の方が濃いけれど。日の出はどのくらい遅くなったのだろう、など思うとき、主に日の出と月の様子が気になるときは国立天文台の「今日のこよみ」を見る。さて今日の東京は。あえて東京はというのは旅に出ると日の出の時間の違いをはっきりと感じるからこれまでのそれを意識している。今日の日の出は5:01だそうだ。日の入りは18:29。まだまだ遅い。月は昼と重なって見えない。
キッチンで冷たい麦茶をグラスに注いだ。昨晩少しずらしておいたつもりの食器が重なり合っていた。乾いた食器はしまってそれらは内側が乾かないので置き方を変えた。もう夜のおかずのことを考えている。夏野菜をを煮るだけでもいいのだがもっとチャチャッとできるものがいい。もう少し涼しくなれば煮込み料理は作っておけばいい。頭の中にはおでんの季節がもう来てしまった。
有名なタナー講義のひとつ『人新世の人間の条件』(ディペシュ・チャクラバルティ著 早川健治訳)を読んだあとはずっと斎藤幸平を読んでいる。チャクラバルティの本についてはnoteになんとなくメモした。今読んでいるのは博士論文が既に文庫化しているのでそれを。『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(角川ソフィア文庫)。マルクスに関する革新的な論文や書物を表彰するドイッチャー記念賞受賞作。解説はスラヴォイ・ジジェク。博士論文ってすごく難しいのが多いと思うのだけどこれは読める。既に他の著作を読んでいるせいもあるだろう。斎藤幸平は小さな善意によってやってる感を出す欺瞞を嫌い、実践に役立つしっかりした理論の啓蒙を目指しているようで確かに啓蒙される。マルクスすごい、とカジュアルに思えるのも入り口としていいと思う。こういう本を読むと同時に私などは目の前の現実に常に対峙していかねばならない。精神分析はお金がかかるので金持ちの治療法と思われているだろうけどこの年代の平均的な稼ぎ手である私が受けられるくらいではある。精神分析に限らずお金をかけて心理療法を求める人たちの背景にものすごい貧困の事実や過酷な環境があったりすることもたやすく想像できるだろう。たやすくではないかもしれないが想像してみてほしい。過酷なことほど外では語られることはないが生きるために語る場所を求める心の切実さに対して「お金のある人」というような分類をされるとその発想の貧しさに悲しくなる。それを自分の患者に対して言えるだろうか。また、私が知らないだけかもしれないが同じアジアなのに今の日本では触れ得ないような過酷な状況で生きる人たちのことも物語として消費するのではない仕方で知る必要があると思う。8月24日に柏書房から出るソーミャ・ロイ 著/山田美明 訳『デオナール アジア最大最古のごみ山――くず拾いたちの愛と哀しみの物語』は今の読書をただの読書にしない力を持っていそうだとその一部をnoteで読んで思った。
朝の音楽がラジオから流れている。人の声、人の身体、まずはそれらが大切にされることを様々な痛みとともに願う。私の場合は実践として。
晴れてるのに前が降っている。これは晴れているとは言わないのか。サーっという雨の音にザーッという車の音。部屋はそれほど涼しくないのに冷房が直接背中に当たるとすぐ寒くなる。すぐに消す。すぐに暑くなる。もういいや。つけない。どうせ外に出たらもっと暑いし。
キッチンの小蟻が何度退治しても出てくる。1匹見つけてしばらく見てるともう1匹みたいな感じで数えられるほどなんだけど。2年くらい前にも出たから蟻退治グッズは買ってあってすぐに対処したけどそれが置いてある場所から堂々と出てくる。なぜ。きれいにしてるんだけどな。というか蟻が出たら嫌だからきれいにしてるのになんなんだ。匂いも私の鼻にはわからないけどするのですか?こんな小さいのに色々優れている。すごい。のかもしれないけどそこはダメです。あなたたちの住処も大事かもしれないけど共存しましょうとはならないのよ、そこでは。うーん。悩ましい。蟻も大変だな。なのかな。
台風7号で鳥取の橋が崩落したのか。ラジオで言っていた。ハワイマウイ島の山火事も今日で1週間か。うーん。自然は難しい。被害が広がりませんように。
さっき食べたお菓子の店の作り手のご家族のブログを見つけた。そのお菓子の名前を入力したら出てきた。思い出してにっこりしてしまった。
どこだろう、この道なんだけど、と歩いていると前方に車が止まって大きな荷物を運び込む人たちが見えた。そこだった。私をみるとみなかったかのように2階へいってしまった。お盆休みでご家族が帰省されたようだった。そのすぐ前に寄った洋菓子屋さんもレジで目の前に立つまでは声をかけても向こうが見るか見ないかにかかっていた。そういう地域なのかな、と全然嫌な感じではなく思った。観光客だとわかるのだろう。でもちょっと待てよ。近所の焼き鳥屋さんもこんな感じだけど受ける印象が全然違う。私結構買ってるのにこっちは結構嫌だし怖い。その人がいるときは勇気を出さないと買えない。美味しいから書うしその人じゃないとサービスしてくれるからとんとんかもだけど。もうかなりお歳で店以外で見かけるともっと高齢に見えるのでお店にはずっと立っててくれるのがいいんだと思う。ずーっとこのスタイルでやっててしかもとても小さい店なのにコロナ禍からかな、待たないと買えなかったりするくらい繁盛しているし実際美味しい。私もタバコ臭いクセの強い喫茶店でバイトしていた頃、お客さんに理不尽な注意をされたりもしたけどどう考えても向こうのほうが態度悪かったし無表情で無視していた。それぞれのあり方があるね。
今日も1日がんばりましょう。こっちは今は雨の音はしません。降ったり止んだりかな。被害のあった地域に少しでも早く多くの実際的なサポートが入りますように。
2023年8月15日
日が落ちてからの涼しさが戻ってきた。昨日は強い陽射しの中、小さな事務所へ寄ってあれこれ話していたら聞きなれない音がしたけど雨。聞きなれないのは私がその建物に慣れていないのと雨の降り方のせいだった。またしばらく話したり先方が電話をとったりしているうちに雨はすっかり止んで外はオレンジの光でいっぱい。挨拶をして外に出ると来た時よりもずっと強い陽射しで日焼け止めをしていないことを思い出した。しばらく歩くとさっきの雨に濡れた白いお花が大小のたくさんの水玉を光らせていた。これはムクゲみたい。蝶の羽みたいに繊細なのにしっかりした5枚の花弁、白い雌蕊がおしべを突き抜けるようにピンと伸びてる。葉っぱの観察はあまりしなかったけど花の名前を知りたいなら葉っぱもみないとだった。歩きながら目を惹かれたところをスマホにおさめてるだけだったから。雨上がりのお花はきれいで思わず撮ってその直後にはまた空がグレーになって遊歩道を少し先に進んだら同じ花が白黒写真の雰囲気で撮れた。振ったり止んだり止むだけではなく一気に晴れたりと変なお天気だった。ニュースでは続々と新幹線や空の便も運行中止や欠航が発表されはじめた。東京の小さな街の私の駅でも台風による遅延の可能性がアナウンスされていた。どうか被害が大きくなりませんように。
ハワイの山火事も心配でハワイに住む友人にLINEした。友人が住む島でも少し山火事が発生してハイウェイが止まったというがマウイが大変だと心配していた。青森の海の状況や涼しい暮らしを守れなくなった人たちの話を聞いて温暖化に本気でビビって急に人新世と自然災害について色々読みはじめたり周りと話したりしているがハワイの山火事は何が誘因なのだろう。これ以上被害が広がりませんように。地球の本来の状態ってどんななんだろう。「初期状態に戻しますか?」「yes」とキーを叩けばどうにかなるものではないのだから変化からそのずっと前とずっと先を推測しつつ学び続けていくしかないのだろうけど。
ピーピーピーと音がした。慌てた。麦茶を作ろうと思って鍋を火にかけていたのだった。IHだから火にかけるとは言わないか。全部水がなくってしまった、と思って鍋を持ち上げたらまだ水が残っていて慌てたら熱い水がこぼれ自分にも少し飛んできた。危ない。火傷は本当に怖い。気をつけねば。こうやって音で知らせてくれるのはいいけどそのうちこういう音も聞き逃したりなんの音か瞬時に思い出すことができなくなったりするんだろうな、と自分を心配する前に親世代のことも考えないと。今日は終戦日。なんとか生きてきた人たちの語りを聞く機会を大切にしようと思う。
青森で学んだこととか人新世、公共空間とか。
湿気がひどい。玄関がタプタプしているような感じがして除湿器があるのを思い出した。ワイド、8時間タイマーでかけた。きっともう水がいっぱいになっている。
なのに目が覚めたときにふと冬を思い浮かべた。鰯雲を見た。鈴虫の声を聞いた。もう夏ではない、という感覚がどんどん季節を先に進めている気がする。もう何度も何度も繰り返してきたことだから。それなのに毎年この暑さに慣れることはない。先日、青森県の下北半島を主に回ったがそれまで扇風機しかなかったが慌てて冷房を導入したという話や扇風機しかないからお客さん倒れちゃうから店を閉めてたという話を聞いた。浅虫水族館では今年4月から環境問題やSDGsについて学ぶことができる「アクア学びうむ~豊かな地球を未来に~」が企画展から常設展示に変わった。青森でとれる魚の種類も変わってきているそうだ。人新世(Anthropocene)はまだ既成概念ではないようだが地球環境や気候変動に対する人間の関与は実際どの程度であり、これから関与できるとしたらそれもまたどの程度なのだろう。その土地で主に食べられていたものが変わっていく。それは私たちの身体には確実に影響を与えるだろう。そしてそれは些細なことだろうか。あるいはどのくらい大きなこととして語っていくべきなのだろうか。
まずいなと思ったら一気に離れろ。それはそうだと思う。でも人はなかなかそれができない。最初から誰かに嘘をついて裏切っているような関係であればあるほどそれができない。自分の中ですでに生じている矛盾をどうにかするためには反復が一番手っ取り早い。相手を変えればいいだけだ。それは人からは離れているが状況からはほとんど離れられていない。その状況にある自分に折り合いをつけるために葛藤が生じない方を選ぶ。そしてまた失敗する。
大きな判断を迫られたときほど時間が必要だ。しかし何を「大きい」とするかはその人によって異なるのが大問題ではないだろうか。何が些細で何が大きいのか。そんな大切なことをどうしてそんな簡単に、ということもあればそんな些細なことにいつまでこだわってるのという場合もあるし、そもそも問題の区別なくいつも同じ態度をとり続ける場合もある。安全に時間をかけたいなら問題に対して思いきり逆の方向への舵をとり続けることもまた重要だろう。常に軋轢と分断を作り出しておくことがかえって平和を持続させることもある。動きにくい状況を作り出すというのもまた戦略かもしれない。
さて、SDGs。持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)という場合の持続をどう考えるかという問題もある。誰のための?どんな時間規模で?想定は何世代先まで?
精神分析においては言葉の意味内容よりも形式や文法を重視するがそれらの変化を見ていく必要があるだろうか。あるだろうと私は思っているが。意味内容を問う前に形式と文法を問う。この世界は人間だけのものではないがまず人間、まず自分。でも相手ある自分として。そこに暮らす自分として。別の土地へいけば視点はずれる。昨日、八戸ブックセンターで行政の方が好きだと教えてくれた富山の公共空間に関する本『にぎわいの場 富山グランドプラザ稼働率100%の公共空間の作り方』を紹介した。こうして別の人や別の土地や別の種と触れていけば少しは悩みや痛みは消えるのだろうか。わからない。とりあえず今日を一日。
15日〆切の10句ができた。自分で作っておいてよくわからない一句を推敲しようと考えているうちに寝てしまったがなんにしても寝不足だ。いまだ投句することに意義があるというレベルで意欲に欠けているがそれでも投句することに意味があるのだ。そこからしか始まらない。何年もそんなだけど。
スマホをあまり使っていないのにバッテリーがすぐなくなってしまう。バッテリーの交換ってしたことがないのだけどした方がいいのではと言われた。
今日は色々と相談しながら勉強できる日なので少し作業を進めたい。体調も少し回復してきた。ナルシシズムから三者関係が生じる契機、つまり対象を使用しながら思考するための心的空間が生じるまでに治療者と患者で作り出している第3項はなにか。それが作り出される過程で生じる激しい抵抗は治療者が彼らの幻想上の繋がりに現実をもちこもうとするから。人は変わりたくなどない。これまでの自分がどんなに情けなく感じてもそれを感じさせた方に責任はある。そう思いたい。ナルシシズムによって視点を自分からずらすことができない場合、外から何を言われてもそれは全て同じものやこととして扱われる。自己の断片化によって異質な相手が見えてしまうことは彼らにとって侵入としか感じられない。情緒を体験するまでにも時間がかかる。断片化するくらいならどこまでも肥大したい。なかったことにしたい。幻想の空間が現実にとって代わっていく。治療者はその分激しく情緒を揺さぶられる。強力な不毛感もその一つ。ほどよくない環境を再演しながら体験の場を提供し、対象を肥大する自己を保護する環境としてしか捉えたくない彼らの処理の綻びを慌てて塞ぐのではなくその構造を探る。同時にそうされることの痛みを発生論的な解釈で意味づけてしまうことは体験を遠ざけるので避けたい。ナルシシズムは綻びを体験しない魔法として使われているのだからそれに共謀しない。などなど特殊な治療設定で特殊なことが生じる精神分析状況をより詳細に描写していく作業をしなくてはならない。
今日も猛暑日の予報。お盆休みに入っているところも多いだろうか。とりあえず身体第一で過ごそう。今日は美味しいお菓子も届く予定。全部美味しく食べる胃腸にしておかねば。食べて治す方法とかあればいいのに、なんてね。
まとまらず触れられず語られず
何も考えたくないというよりは何も考えられない日々が続いている気がする。仕事は別。相手がそのときどんな感じなのかに注意を向け続けている私の仕事における思考は普段の思考とは違う。こうやって書き始めれば色々考えているらしいので正確には何も考えられていないわけではないのだがいつも考えていたようなことが全く考えられないというか今までどうしてそんなことを考えていたのだろうということを考えたりする。
精神分析では思い浮かんだことを自分の声で通じなかったり言葉にできなかったりしながらもなんとか言葉にし続ける。そういう設定が自由連想だ。私もその設定のなかでこういう状態に何度も何度もぶつかってきている。だから特に不思議でもなんでもないのだが多分いつもよりその状態を強く意識している。本やセミナーでの言葉より人の話し言葉や行為に触れている時間が長いからかもしれない。まとまらないものに身をひたす時間。
先日、小さな見学ツアーに参加した。私たちは 2人で参加した。あとはみんな 1人だった。
車内はシーンとしていた。私たちはガイドさんの説明にへーっと顔を見合わせたりジェスチャーを交わしたり時折短いやりとりをした。何回かバスを降りてそれぞれのペースで散って所定の時間に戻ってくるのを繰り返した。お昼は階段を上って右のお部屋にお弁当を準備してあると言われた。私が一番先に階段をのぼった。あとから来たみんなはキョロキョロしていた。よくわからないままそれらしい部屋に入ってみた。ビニールの風呂敷に何かが入っているのがみえた。開けたらお弁当だったので続いて入ってきたみんなに配った。そういう係の人みたいに思われていたのか受け渡しがやたらスムーズでおもしろかった。あとからきた人も戸惑っている様子だったので渡した。ポットに冷たい麦茶が用意されていてありがたかった。みんながとってもリラックスしているように感じた。スマホもたいしていじらずほとんど言葉も交わしてないのだけどそれぞれがそのツアーを楽しんでいるようだった。色々な場所ですれ違ったり見かけたりするたびにいい表情をしてた。
ウィニコットは孤立と孤独の違いを強調し誰にも触れえない、触れようとしてはいけない、私の理解からしたら語り得る領域に持ち込んではいけないこころの領域を描写した。ある程度の年齢になり孤独をそれなりに通過したあとに達する領域もあるだろう。彼らの静けさと穏やかさが守られていた時間ゆえの表情だったならいいなと思った。
今日もそれぞれ。
まだカーテンを開けていない。また胃腸がやられてしまった。悲しい。おいしいものをおいしく食べてるだけなのに。脱水にだけは気をつけて過ごさなければいけない。
体調が悪いと普段考えられるようなことが全く考えられなくなる。自然に体が動いているように見えても実はたくさんの作業をしているんだなとそういう時に感じる。ぎっくり腰になったとき、前から人が来るだけでこんなにも怖いもんなんだと知り自分の痛みに配慮しながら予測できない相手にも対応しなければならないことの困難に意識的になった。だから配慮は圧倒的に配慮する側の想像力が必要なのだろうと思うがひとりのことにエネルギーをさくというのはこれまたものすごく難しい。口ではなんとでもいえるが行動するのはせざるをえないときとなる。そりゃそうだろう。とすると支援や配慮を必要とされる側も自分が欲するものより必要なことを考えることが大事とされたりする。私たちはどちらの立場にもなりうるのだから、と考えるだけでお互いのことも自分のことも思いやりながら行動できたらいいのかもしれないがそういうこと激しい葛藤とともに描写されないとしたら相当まずい気がする。精神分析が高級品にみえるとしたらこの葛藤する力に重きを置くからだと思うがこのナルシシズムの時代、葛藤は必要にも大事にもされなくなりつつあるのだろう。
先日、山車の解体作業の現場を通りがかった。こうやっているのか、ということにも驚いたし多くの人が解体に向けて協力して丁寧に作業するプロセスでいろんな人の表情をみられたのはとても貴重だった。
人を必要とする作業を作り出しながらなにかを繋ぎ残すプロセスに解体という作業が含まれることの意味を考えた。こんな外側から意味を考えることなど作業自体にはまるで無意味だけれど。
今日はあまり動けなさそうだけど安全に過ごしたい。みんなも元気で。