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俳句 精神分析

晩春、「ねば」、津山

今朝は昨日に引き続き「菓詩処 石井」の「甲州路の菓詩 志ほの山」白餡のほう。包み紙にキラキラの文字で書いてある和歌は同じものでした。昨日はキラキラしてて読みにくかったけど一度読めてしまうと二度目はすんなり。なんでも触れてみるものですね。

ぼんやりしているうちに春も終わってしまいそう。春以前からもう何ヶ月もこんな感じでどうしましょう。すでに晩春ですよ。GW明け5月6日は立夏。立春、雨水、啓蟄、春分、晴明、穀雨、で立夏。

3月を切り抜けたのも嘘みたいだったけど4月はどうなるのかな。あと少ししかない。昨晩もメールの山に埋もれさせたまま忘れてて慌てて提出した書類があったしもうダメかも。こんなことばかり。でもこんなでもやるしかないですね。今月も家賃が払えることに感謝。精神分析がラカン理論のように形骸化してしまわないように実践を続ける場所を維持せねば。候補生の会のニュースレターも作らねば。大抵のことは「ねば」ではないのだけどこれらは「ねば」。

「これはマスト」という表現っていつ頃から使われ始めたの?学生時代は聞いたことなかった気がする。この20年くらい?でもこういう外国語からきたカタカナ用語って意外とすごく昔からあったりするんだよね。明治の文学とか読んでるとしょっちゅう出てくるし。正岡子規の幼名は升(のぼる)なんだけど帝大哲学科に入学する年の三月、同級生に宛てた手紙の署名が「野球」。なんて読ませたかわかりますか?もちろん「ノ・ボール」です。子規の野球愛。俳人の言葉遊び。にしても「ノ・ボール」ってどうなのさ、って突っ込んだかしら手紙をもらった大谷藤次郎(是空)は。是空は美作国西北條郡西苫田村大字山北、今の岡山県津山市の生まれ。津山には小さい頃から何度か行ったことがある。川でお魚とったりお城へ行ったり。何か買ってあげると言われても当時からあまりほしいものもなく赤べこを買ってもらった。赤べこといえば福島だと知ったのは大人になってからだけどいまだに私は赤べこをみると津山に思いがいく。かわいいよね、赤べこ。多分はじめて自分で選んで買った漫画は「キャプテン翼」だけどこれも津山の商店街の本屋さんに子供だけで行ったときに買った。当時「からだのしくみ」の図鑑にもはまっていたな、そういえば。と仕事が積まれていようと、回復できない気持ちを抱えていようと自由連想しながら生きている木曜日の朝です。

みなさんはどうでしょう。東京はいいお天気で暑くなるみたい。梅雨がくる前に傘をささないでお散歩できる時間を楽しみたいな。「ねば」だけはこなしながらなんとかやりましょうかね。どうぞご無事でできたら元気でいらしてくださいね。

ひたむきな薔薇というか下向きに咲く薔薇を下から撮った。