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精神分析、本

パーソナル

アルゴリズムが高度化した現在、私たちは簡単に嘘をつけるようになった。あるいは瞬間的な気持ちをどこかに書きつけることをするようになった。SNS環境においては匿名の人(本当はわかっていたりすることもあるけど)も匿名じゃなくても拡散は無邪気に行われ、誰のどんな言葉なのかという吟味のないまま、自分的「正しさ」のもとに裁かれる、あるいは捌かれることが増えた、という印象がある。

特に非難や裁きに関しては、実際に会ったら言わないであろう言葉が使われることもしばしばで、実際に会うことは言葉を育てることである、とコロナ以降、特に感じる。

ファクトか、フェイクか、人間関係ではそんな簡単に二分できないことがたくさん生じる。好きだと悟られないようになんでもない感じに振る舞ったり(嫌いとか言ったらかえって好きとバレるかもしれない)、空想が現実を覆ってしまったりいろんなことは重なり合う。

ウィニコットのtrueとfalse、北山先生のオモテとウラなどもそうだけど、とか色々思うけど、私は最初に何を考えていたのかな。うーん。忘れてしまいました。まぁ、続けよう。

先日、飯間浩明さん、山本貴光さん、吉川浩満さんの辞書編纂に関する対談で、飯間さんが「正しさ」という警察的、規範的な考えで辞書を作っていないというようなことをおっしゃっていて「それも含めて日本語」という言葉が印象に残った。

ところで、パーソナルな言葉って何かしら。精神分析でパーソナルというとき、というか私が使うとしたら、それを二人の間にある無名の誰かを「パーソナル」と定義づけたいし、そのために四苦八苦すると思う。

そう考えると(突然だけど)夏目漱石はやっぱりすごい。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」

写真はムクドリ。知っている方には声も聞こえてくるでしょうか。小学生の男の子たちが「すげえ、こええ」ばかり言いながら見上げていました。

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精神分析における切なさと懐かしさ

昨日は寒くて泣きたかったですね。冬のコートを着てしまいました。昨日がちょっと特別でもう少し暖かい日もまだあるでしょうけど季節は確実に先に進んでいますね。今日はどうなのかな。

切ない、という言葉をシソーラスでひいてみました。分類としては「哀愁を帯びる(気配)」という「抽象的関係」の「不快な気配」に入るようです。切ない・・・遣る瀬無い、ほろ苦い、甘酸っぱい、ペーソス(使ったことがないです)、など色々ありますが、「不快」と言われるとそうかなぁ、という気がします。少なくともフロイト のいう快不快という一次過程的な言葉ではないでしょう。

こんなはずではなかったのにこうならざるをえなかったというような、愛を基盤とした叶わない複雑な想い、というのが私の定義です。胸がギュッと締め付けられるのを服の上から押さえてしまうような幾重にも狂おしく、でも絶望までいかずとどまる健気さをこの言葉には感じます。

そしてこの「切ない」をワークスルーできたとき、「懐かしい」という言葉に開かれるような気がしています。

長い期間、本当に多くの患者さんと密な関係を築いてきて、この二つの単語はキーワードになると感じてきました。「懐かしい」という歴史性を帯びた言葉に開かれることは諦念と希望を感じます。

精神分析は痛みを生きる場です。だからアクセスしやすいものにはなっていません。痛みに触れながら生きる場所は特別である必要があるからです。頻回の設定にお金と時間を費やしていくことの意味はこの痛みを除去するものとみなさず、関係を繋ぐものとみなすことと関係するのでしょう。たやすくはないデリケートな作業です。

そこでの二人の関係もまた切ないものです。お互いが絶望せずそこにとどまれるように言葉を単なる言葉として聞き流さず、その声に含まれるものに開かれていくこと、フロイトを読んでいると、彼がここに見えないけど確実にありそうなものをとても大きくて緻密な網の目で捉えていることに気づきます。

大切と書こうとしたら、ここにも「切」。無意識に、「そんなつもりはなかったのに」、こころを切ったり切られたりすることが起きてしまう、精神分析は誰もが持つこころの凶器、あるいは狂気に触れます。そしてそこに敏感に注意を払い、価値判断をできるだけ退け、関心を向け続けます、お互いに。だから、精神分析家になる訓練では患者を持つ以前に自分が患者になる必要があります、十分に。それがどんなものかを知ることなしに他人のこころに触れることは不可能です。

今日は日曜日。誰かと関わらないことでえる休息もとても大切です。精神分析の場合だと、お互いに。毎日会って日曜を休む、フロイト的、精神分析的生活は、一次過程における快不快の水準ではない「不快」さ、疼く痛みを感じながらも「切ない」にとどまることを可能にする仕組みでもあります。痛いけど、狂おしいけど、それが憎しみを含む愛情関係である限り、憎しみだけに覆われてしまわない限り、いずれ懐かしい痛みへ。それは目指されるものではなく、精神分析において生じうることとしか言いようがないけれど。

良い日曜日をお過ごしください。

付記

精神分析における日本語の使用については北山修、妙木浩之が詳しいので、『日常臨床語辞典』北山修監修、妙木浩之編、誠信書房と『意味としての心 「私」の精神分析用語辞典』北山修、みすず書房をみてみたが、単独の言葉としてはどちらも取り上げられていなかった。ただ「切ない」は『意味としての心』の索引にあり、「神経をつかう」「つながる」の項目で取り上げられている。

ちなみに『日英語表現辞典』では、せつない(つらい)painful; trying;stabbing

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『記憶のデザイン』

昨日今日とたくさん走って疲れた。といっても向こうの信号が変わるまでにとか、せめてあそこの角までとか、断続的にドタドタ急いだだけだが。周りからは重たい荷物によろめいている風にしか見えなかったかもしれない。

急ぐ事情は毎日色々だが、腰をやられてからは極力急がないですむ方法を選択している。

でも、昨日は山本貴光著『記憶のデザイン』(筑摩書房)の発売日だったのだ。しかも昨日は電車に乗る時間が長い日だった。ちょこちょこした隙間時間ではなく、ある程度まとまりのある移動時間にこれを読みたくて走った。

少し前までNew Directions in the Philosophy of Memory Edited by Kourken Michaelian, Dorothea Debus, and Denis Perrinを読んでいたが、それもこの本を読むための助走だった。これは英語だし、基礎知識に欠けるので読みたいように読んだ感じがあるが、自由連想と外傷記憶について考えを深めることができたと思う。

山本さんはこの『記憶のデザイン』の冒頭で「コンピュータの記憶装置にしまいこんでから、そうした土地勘のようなものが失われたことに気づいた〜」という表現をしているが、昨日の私は土地勘に助けられた。

オフィスのある西新宿は10代後半から私のフィールドだ。新宿東口は劇場と本屋くらいしか今はわからない。歌舞伎町も今はすっかり変わってしまい、ペペとバッティングセンターしかわからない。

私は画面上の地図を見るのが苦手だし、目的なく歩くことが多いので、どこかに目的をもってたどり着かねばならないときはいつも迷う。大手町なんて一生慣れなそうだから迷う時間も移動時間に組み込まねばならない。

でも昨日の私はインターネットいらずで最短距離をさくさく(ドタドタ)いけた。一軒目の本屋の新刊コーナーにないとわかるとすぐにレジへ。「まだ入ってきていない」と言われて時計を見たら「まだいける!」とわかり二軒目へ(居酒屋みたい)。そこなら確実にあるだろうと思っていたが、万が一のために次にまわる本屋への最短ルートもパッとイメージした。

長年歩き続けた土地では足も頭も自然に動く。「ここ、前はこうだったのに」と変化を横目にみながら急いだ。アスファルトはすでに晩秋のような色をしていた。自然が残す足跡は濃い。反復ではなく巡っているものの強さだ。

「記憶のデザイン」プロジェクト、と著者はいう。このインターネット時代を生きる自分の記憶をどうお世話するか、この環境と私たちの記憶がよりよい関係を結べるような仕組みを作れないだろうか。それはそうと記憶というのはそもそも何か。

コンピュータと早くから関わり、ゲーム作家としてそれと生産的な関係を結んできた山本さんは、その背景をなすものすごい博学ぶりを注に潜ませながら、時折柔らかな笑いを誘うツッコミ(かどうかわからないが)とともに語る。「思考の散歩」という表現も穏やかでいい。

ガタリの3つのエコロジーもここでは柔軟に用いられる。でもなぜガタリ なんだろう。基礎知識がないからわからない。

以前、ガタリの入門書で4つ目のエコロジーとして「情報」があげられていたが、ここでは「技術」が取り上げられ、ひとつずつ、説明に紙面が割かれる。

個人的には山本さんが自由連想的に書きつける彼の記憶がとても面白かった。人の記憶を面白がるなど失礼な話かもしれないが、その内容というよりはその想起の仕方がなんとも興味深かったのだ。このあたりから付箋を貼ることも忘れて読んだ。

私の場合は精神分析と関連させずには読めないので、この辺の興味は精神分析の醍醐味を感じるからにほかならない。

この本はどんな立ち位置からでも読みやすいし、自分を取り囲む情報環境とどうお付き合いするかについて素朴に考えさせてくれる。とても豊かな情報量なのに押し付けがましさは一切ない(山本さんの本の特徴だと思う)。情報量に圧倒されるのは辛いな、私は。だから私もお世話の仕方を考えよう。

記憶に対してニュートラルでありたい。そんなことを思った。

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美しさ

穂村弘『ぼくの宝物絵本』(河出文庫)には美しい「赤ずきん」の本が載っている。

私は卒論を幼児が絵本の読み聞かせをどう体験するかというテーマで書いた。題材はグリムの『赤ずきん』。絵はバーナディット・ワッツのだった。

児童文化・児童文学と発達心理学の両方を学びながら緩やかに自分のやりたいことをみつけていけばよかった大学生活は至福だった。小さな美しい森の中にある図書館の陽だまりで、鍵を借りて入る地下書庫で、何冊もの児童書や専門書を読んで過ごした。図書館のそばの池には毎年おたまじゃくしがたくさんうまれた。

私は発達心理学のゼミだったが、卒論は児童文化・文学との重なり合うものを選んでいたんだな、と今になって思う。当時の私にはとても自然なことで意識していなかった。

大学院を修了後、療育と精神分析という組み合わせで臨床を続けてきたのも私にとっては自然だった。精神分析といっても、セミナーとスーパーヴィジョンを受けながら真似事のような、なんとなくそれっぽいふりをしたことを長らくしていただけで、訓練に入ったのは心理士としての経験年数だけが増えたほんの数年前だが。

なんにしても歳をとった。

先日、美しいものをみた。私の絵本を二人で覗き込む女性たち。モノクロのその絵本にはさまざまな石が描かれていて、ページをめくってもめくっても違う石と出会える、つまり驚きと出会える。レオ・レオニの「はまべにはいしがいっぱい」という絵本だ。

少女が大人になること、美しいプロセスだと私は思う。そしてその人に子どもの姿を垣間見るとき、それもまた美しいと感じる。彩色はあってもなくてもいい。ただ別のものとしてそこに存在しながら同じものを眺めている。彼らの歴史がスッと繋がったとき、眺めている私には彼らが少女に見えた。

そして小学校2年生の時の自分を思い出した。彼女と私はいつも一緒に遊んでいた。少し大きくなって会わなくなったあとも家の前を通れば彼女の部屋を見上げた。

「狼とともに吠えよ」。穂村弘が紹介する最も美しい「赤ずきん」、『Dressed/Naked』のエンディングだという。今はもう手に入らない。

精神分析には同一化という概念があるが、様々な水準で重なり合っては離れていく私たちの無意識は個人のものであり集団のものでもあり、子どものそれでもあり大人のそれでもある。

「狼とともに吠えよ」。美しさはピュアではない。

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ステレオタイプ

世界では物事が順序立って起こると予測していなければ、ユリの香りがすることやハチに刺されたら痛いことなどを予想せず、絶えず驚いてばかりだろう。ステレオタイプとは心が行なう速記であり、自分の体験を理解可能なカテゴリーへと区分けすることから避けがたく引き起こされるものである。ーマーク・W・モフェット『人はなぜ憎しみあうのか』(早川書房)より

そうね、でも、と思う。精神分析はこれに抗ってきたと思う。というか「驚き」をもっとも大切にしているのではないかな。ものすごい負担や痛みはあるものとして。

でも、抗っても抗っても常にいつの間にか何かのカテゴリーに回収されるというのも本当かも。人のこころは不自由で、いろんなことを決めつけることばを使ったほうが簡単で、微細な揺れなどなかったことにできる抽象概念を扱えたほうが「賢く」生きられそうだ。

無意識と出会う驚き、双方が。なのに言葉を使う。この矛盾。矛盾ではないか。言葉を使うことでズレを知るわけだから。だからこそ言葉の使用は重要。でもその前に身体がないとなんとも。身体は大事だから、眠れないときは眠れるように。具合が悪いときも環境や気の持ちようのせいにしない。心身というくらいだからこころのことももちろん連動はしているけど身体がないとこころは存在できない。

冒頭にあげた「驚き」は、知らないことに出会う驚き。私はユリの香りが強くて苦手だし、ハチに刺されるのも嫌。確かにそういう知識が速記されてる、私のこころにも。いつのまにか書きつけられたそれらで世界を掴もうとすることの繰り返しが毎日だ。それは似たような身体が持つあまりに個別な体験のはずだけど。

ステレオタイプは、一方ではこころを守るために、一方では誤魔化すために、攻撃するために用いられる。物語も同じように危険だ。驚きつづけることの負担も相当なものだけど大事にしたいと思ってきた。今はそれもな、と思っているけど。迷ってばかりだ。

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居場所

今日は新しい保育園へはじめて巡回する日です。本来だったら5月6月あたりに行く予定でした。関係をつなぐことは決して当たり前ではないということを知らされます。

私がしてきたことは、長い間ずっと好きで、信頼してきことに向かっていました。オフィスを訪れる方が私が大切にしてきたものを読み取ってくれるのをありがたく感じながら、今更ながら私にはこれ以外何もないな、と思いました。

いくつもの世界に生きることはできないからこそ居場所というのはとても大切だと思います。遊牧民のように移動する生活でも生きている場所が居場所になるように、俯いて歩く朝に小さな花を見つけて立ち止まるような、そんな瞬間を居場所と感じられたら素敵だなと思います。そのために必要なことを多くの患者さんから教えてもらってきたと思います。

ひとりではできないことをひとりでやろうとする無理をしないように、無理をさせないように、人間関係では必然的に生じてしまう傷を修復可能な状態に留めておく術についていつも考えていますが、それはとても難しくて、こんなことを考えること自体に無理があるのではないかというような気もしてしまいます。

身体全体で世界を受け止めている小さな子供たちが小さな花に気づき、まだ見えていない遠くの飛行機を見上げ、見知らぬ私に泣き、保育士に小さな手でしがみつく、そんなひとつひとつのことが彼らの居場所を作っていくように、何度でも最初の頃に戻れるなら、と思います。

精神分析は、二度の大戦を生き延びながら受け継がれてきました。耐えがたい痛みのなか、今はまだ見えていない場所を潜在空間とし、そこに希望を見出す、つまり錯覚を十分に体験しうる力を信じてきたのだと思います。

でももしその強さがなくても、とりあえず、なんとか今日のはじめの一歩を、というのも勇気かもしれません。良い一日でありますように。

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エピソード記憶

駅前のひまわりが雨にうなだれながら咲いていました。あそこのひまわりもきっとまだ咲いているでしょう。いつまで咲き続けるのかしら、と通るたびにチラッとみて少しほっとすることの繰り返しでした。

いつまでも、と願う気持ちもあるけれど、いつか、いずれ、と思うことも素敵なことです。そんな日はこない、とどこかでわかりつつ奇跡を願い続けた人はいつの時代にも存在します。だから希望という言葉が消えることは多分ないのでしょう。

旅に出てネイチャーガイドさんと一緒に出かけると自然の連鎖と循環を知り胸を打たれます。厳しい気候のなか、壊されながら、自力で修復しながら生きる植物、落ちた場所を選べなかったために生まれてすぐに土に還った種、小さなひだまりを知って細い腕を伸ばすようにしている蔓、鳥も動物も様々な形で生命を交換しながら生き、死に、別の形でまた存在していきます。

存在を消すことは難しいです。私たちは記憶するから。

最近読んでいた記憶の哲学の本ではエピソード記憶は過去の単なる想起ではなく、記憶は再構築される、あるいは生成されるというようなことが書いてありました。すると記憶に関する因果説の説得力は弱まります。この話は、少し前にここで書いた記憶に関する実感に根拠を与えてくれました。

mental time travel。魅力的な用語です。外傷と記憶の関係を考えながら、多くの事例を思い浮かべるとき、過去の記憶がいかに未来を想像することを妨げてしまうのか、そこに希望という言葉が存在することの難しさに思い至ります。

mental time travelにはある種の偶然が必要かもしれません。そのためには時間も必要かもしれません。いつまでこんなことが続くのだろう、と苦しくて辛いときも「いつか」「いずれ」と願うこころが瞬間的にでも作動しますように。

雨の音を聞きながら旅の景色、音をなぞっています。

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精神分析

知らんけど

どうして「わかる」「わからない」を問題にしてしまうのだろう。

そんなのどっちだっていいじゃないか。

わかったりわからなかったり、ちょっとわかったり、わかったと思ったのにわかってなかったりする。それでいいじゃないか、と思う。

精神分析を「言葉遊び」だという人がいるけれど、多分そういう意味での「言葉遊び」ではない、わからないけど。

精神分析はプレイだと書いた。昨日。だから「遊び」でもいいけどそれだとわかってもらえない気がしちゃうんだ。わかるわからないじゃなくて、って書いたばかりだけど。精神分析は「する」もので「受ける」ものだから言葉を尽くしてどうなることでもないのだけど。

一応私の体験からいうならば演劇やスポーツのプレイかな、精神分析は。いろんな気持ち。生命の動き。言葉にならないものばかりを言葉にする営み。どちらかというと声に近い。意味はずっとずっとあと。かも。

わかる、わからないもずっとあと。かも。わからないけど。知らんけど、が近いのかな、関西弁だと。ラジオで聞いたんだ。いい言葉だなと思った。知らんけど。

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精神分析というプレイ

決めのセリフというと決め台詞と少しニュアンスが違いますね。決め台詞というと「出た!」という感じがするけど(多分それぞれに思い浮かぶ台詞は違うでしょう)決めの台詞というとなんだかもう少し個人に向けられた感じ。そんなことないかもしれないけどそんな気がしました。

精神分析はアセスメントのあと始まってしまうと認知行動療法(CBT)のようにパッケージがありません。なので、その先は個々の患者と治療者の言葉に委ねられていきます。

精神分析は、生きることと死ぬこと、あるいは愛と憎しみの瀬戸際、子どもの性と大人の性の瀬戸際で人のこころを描き出してきました。そこには俯瞰してみれば似たような、近づいてみればまるで違う世界が存在しています。そのため、お互いが使用する言葉も似ているようでまるで違ったりします。決め台詞は共有されないかもしれません。

日本の精神分析家の北山修先生がきたやまおさむとして紡ぐ歌詞と、彼が精神分析家として語る言葉の違いは多くの人に通じる例かもしれません。あえて例を出せばということで、いつも付け加えるように、患者と治療者の二人がその場、その時間に使用する言葉はひとつひとつ全く異なるはずです。

同じ言葉に潜む距離、それが実感されるまでには長い時間がかかります。また、大抵の治療はお金がかかりますが、精神分析はそういった長い時間に伴った多くのお金がかかります。これは、それで生活をしている専門家の時間を買っているから、といえばそうですし、その専門知を、その存在を守るため、といえばそうなのかもしれません。ただ、これらの説明は一面的というか、専門家の側に立った言い方のようにも感じます。もちろん患者はいつでも辞めることができますので、そんなことはしたくないよ、となればやめればいいわけですが。

でもどうでしょう。私たちはそんなにはっきりキッパリした存在でしょうか。むしろ精神分析を受けにくる方は、自分のこころの曖昧でぐちゃぐちゃした部分に困っている方ばかりではないでしょうか。

そういえばこれは北山先生も強調するところですし、お金のことも『心の消化と排出』(作品社)という本に書いてあります。夏のブックフェアで『居るのはつらいよ』(医学書院/シリーズ ケアをひらく)の東畑開人さんも選んでおられたのでご存知の方も多いかもしれません。

お金を払う、お金をもらう、ということについて私たちは普段そんなに意識的ではないかもしれません。私がよく知る心理職の間でも、同じ職種でこんなにお給料が違うのになんとなく理由をつけて済ませていることが多い印象があります。

親子の間でも子どもの側は親がどんなふうに自分にお金をかけているかについてあまりよく知らないでしょう。子どものうちは知る必要もないかもしれません。

子どもの精神分析的心理療法の場合、お金を払ってくださるのは保護者です。ということは、保護者が払わないと決めたら治療はそこで終わる場合もあるということです。そのときはじめてお金の問題が患者である子どもと治療者の間に切実な問題として立ち上がってくることがあります。私は、この局面がとても精神分析らしいと思っています。曖昧さを、どうにもならなさを、どうにかしようともがくふたりにこれまでとは異なる言葉が生まれてくるチャンスだから。切実な問題は二人を切り離しも近づかせたりもするのです。

さて、大人の精神分析の場合も、プロセスは少し異なりますが、時間とお金と言語という、形がありそうなのにあまりに曖昧で多義的なものに患者と治療者は出会っていきます。

もし訓練でこの部分が切り離されたらそれは精神分析ではないだろうと私は思います。セッションの頻度などの変数で比較する以前に。

長い期間、お金を払い続けたり、いただき続けたりするなかでお互いの生を繋ぎながら見えてくるのは、私たちがいかに曖昧なつながりを信じて生きているかということです。そしてそのつながりは関係性によって名前を変えます。それが繋がりになるか搾取になるか、今はこうでもいずれは別の言葉になるのか、こころも言葉も揺れ続けます。とても大変で切ないことです。

精神分析は転移ー逆転移という過去と現在が同期したり切断したりされる時空で行われるものなので、とにかくいろんなことが起きてしまうようです。これはお互いの真剣なプレイであって、「すること」以外には共有の可能性は低く、精神分析におけるふたりのあいだに決めのセリフは多分、ボルヘスのいうように身も蓋もないそれ自体ということになるのでは、というのが今のところの私の仮説です。

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精神分析

記憶

フロイトは忘れたくても忘れられない人だったみたい。実際は多くのことを忘れているし、それが当然だろうけど。

夢、日常生活における間違いや「〜忘れ」と呼ばれるもの。

回想も連想も事実の想起ではない。でも事実の表現ではある。事実が私を作ってきたとするならほんとに大事だったのは事実それ自体ではなくてそれをどう体験したかにほかならない。

世界には、といわなくても私の周りにも悲しいこと、しんどいこと、耐えがたいことはたくさんあって、もうどうしようもない気持ちでもなんとか、なんとかやっている。そんな声は少なくない。

忘れたいことばかり。全部が錯覚で思い込みだったと思おうとしても、実際にそうだったとしても、忘れるということは不可能なことだ。

精神分析は記憶にまつわる学問だ。時間と空間という二分法に陥ることなく、私たちが生きる場所をそこに見出したのだと私は考えている。

英国の精神分析家、ウィニコットが「私たちの生きる場所」といい、「可能性空間」といったのもつまり、そこが精神分析の場所であるということだろう、と私は思う。

ひとりではない体験。その記憶。しかも生成され続けるそれとともにいること。辛くて長い作業だ、と何度でも言いたくなる。

なんとか、なんとか生きている。そんな毎日をどんな言葉で綴ろうか。

秋日和。日曜なのに制服のこどもたち。部活かな。今日は半袖でも大丈夫ね。良い一日でありますように。

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投壜通信。

海にいたらそうかもしれない。

この電話で特定の誰かに言葉を送るのは少し心許ない。

どこに向けていいかわからないから空ばかりみてる。

この前は夕焼けがきれいだった。少し目を離したらもう消えてしまっていたけど。

昨日今日はのっぺりした空ですね。

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生活と臨床

山の方へ移動。昨日渋谷でふわりと香ってきた金木犀を探した。午後は探さなくても見つかるだろう。

開業して移動が減った。これまで色々な土地を歩き、色々な患者さんと会ってきた。江ノ島方面と東京東部では水の意味も異なるのではないかというくらい景色が違った。東京駅近くと多摩方面も同じ東京とは思えない。オフィスのある初台だってお隣の新宿とは雰囲気が違うのだから当たり前か。

私のする臨床は生活に密着しているので患者さんの住む土地やそこならではの出来事をたくさん聞く。職場の周りを歩いているとその語りと景色が緩やかにつながっていく。

病気というのは当然その人の生活とともにある。一般化された言葉に置き換えられるものでは到底ない。

生活感のある言葉、生活音を感じる言葉、画力は全くないし、言葉も足りないけど、風景を描くように言葉を紡げたらいいのにな、と思う。

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精神分析

同時性

私は、精神分析家について何か書くとき「日本の」とか「今も実際に会える」とかあえて付け加えたくなります。それは「同時性」というのをとても大切に思うからです。同じ国に生まれて、同じ時代を生きて、同じ学問を愛して、同じ場所をともにするなんてとても特別なことのように思いませんか。

 たとえば私は、土居健郎先生とは同じ会場にいたことはあるけれど言葉を交わしたことはありませんし、土居先生の考え方やお人柄などはひとづてや本でしか聞いたことがありません。一方、小此木先生以降の東京の先生方にはご指導をいただいてもきましたし、日本精神分析協会の先生方は特に身近に感じています。だからといって土居先生は遠く感じるということではなく、実際にお会いできたことで遠くは感じないのです。

 私より若い世代の方にとって、小此木先生や土居先生は等しく遠いレジェンドのように感じられることもあるようですが、「実際に同時にここにいた」という事実、そして実際にその場で私が受けたインパクト、それは知らない相手に対して自分勝手に言葉を繰り出すことを難しくします。だから知ろうとする、対話を試みる。フロイトを読むのもそのためです。

 それに、過去の過ちを繰り返してならない、とばかりになされる試みがその過去にすでになされていたことを知ることもしばしばで、そんなときも知るのは自分の無知でしかありません。若いときにはそれこそ若さだからいいと思いますがもうそろそろそういうのはいいかな、という感じがしています。多分、またやるけど。

 同時というのは過去、現在、未来、という直線的な時間軸を超えていく概念だと私は思います。精神分析でいう「今ここ」が単純に「あのときそこで」と対比できないように、それは今より前も今より後も含みこむ生成されつつある時間なのだと思います。だから、私の中で生き続けている実際に同時にここにいた人たちをとても大切に思うのです。

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電話

わたしと連絡が取れないと別の友人づてに連絡がきた。これまでもやりとりしていたのになんでだろ。わたしから連絡したら無事につながった。

私たちは大学時代が「ポケベルが鳴らなくて」の世代だから、連絡が取れないことに対する時間感覚が今の若い人たちとは違うかも。待つしかない、という状態を知ってる。

好きな子と電話するのだって家の電話だから前もって時間を決めて待機したり、それなのにその時間に親兄弟が電話使っちゃってて理由も言えず怒ったり、待機に遅れたら親が出ちゃってなぜか親と盛り上がってた、なんて話も聞いた。電話をめぐっては今よりずっとたくさんのドラマがあったのだ。

わたしに連絡が取れないと共通の友人に電話をかけたその人は久しぶりにその友人と話した、と喜び、その友人も久しぶりにその人と話した、と喜び、双方からお礼を言われた。なんだかこちらこそすいません、ありがとう。

受話器といえばフロイト なのだけど、今日はもう遅いからまたいずれ。

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いれもの

いれものを変える。儀式だ、これは。

お財布、キーケース、カードホルダー、小さいけど生活に欠かせない大切なものをいれる場所。カードホルダーは私は使わないか。

数年ぶりの儀式だ。新しいパスケースが届いた。まだ革がパリパリ。すっかり私の手専用になった今のパスケースと同じモデルのはずなのになんだか溌剌としている。持ってみるとまだちょっとゴツゴツしていて私の手には大きい。

なんだか寂しい。

交通系ICカード、定期券、回数券、図書館の利用カード、何かで当たったQUOカードはお財布を忘れた時に役に立つかな、でも交通系ICカードでなんとかなってしまう。もう使えません、となる前に使おう。やだ、このカードここにあったの、

など思いながら一枚ずつ新しいケースにうつしていく。

私はお財布はあまり忘れない。でもパスケースはしょっちゅう忘れて取りに戻る。この新しいパスケースとは何回そんな体験をするのかな。明日からよろしくお願いします。ますます忘れっぽくなってるから呼びかけて、無言でいいから。

そして、あぁ、今のパスケースさん、長い間毎日毎日ありがとう。バックの中でさえ何度も見失って、慌てて取りに戻ったら、君はどこにもいなくて結局もう一度ガサゴソしたらバッグの中にいた、なんてこともしょっちゅうあったね、

と思い出を語り出したらキリないけど(そんなことない)、ありがとう。しばらくは新しいパスケースが入っていたこの綺麗な水色の箱の中にいてね、何度も確認したけど、まだ忘れ物があったら嫌だし、もうちょっとそばに。

大事なもの。大事なもののいれもの。いつのまにか身体の一部のように動かしているけど最初はぎこちなかったね。なんでも少しずつだね、馴染むのもさよならも。

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読書

漫画

最近は漫画の貸し借りってするのかな。

昔は漫画喫茶ってなかったですよね。ありました?たくさん漫画が置いてある喫茶店はありましたよね。ゲーム台がテーブルだったり。あとは床屋さんにも漫画がたくさんあった。なんだかいろんなところで読み耽っていた覚えがあります。

大学時代によく利用したユースホステルにもありましたねえ、そういえば。そうそう、旅先にはよくありますね、漫画。宿の共有財産。

専門書だとすぐ眠くなるのに漫画は読み終わるまで寝られない、連載ともなるともう大変、というわけで夜更かししているわけではないのですが、私が読んでいた漫画っていまややや古典なのでは、と思ったりします。というか、今も語り継がれているものは覚えていられるけど、きっと忘れてしまっているのもたくさんあるのですよね。その場ではきっといろんな気持ちをもらったのでしょうけど。

また古くて安い宿で再会できたらいいな。「あー、懐かしい!」と。

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精神分析 精神分析、本

1939年9月23日

1939年9月23日、フロイトが死んだ。その生涯はあまりに有名だ。でも、未公開の資料がいくら公になったところで、フロイトについての本が何冊書かれたところで、彼や彼以降の精神分析家が患者のことを知ったようにフロイトが理解されることはなかった。精神分析の創始者である彼には自己分析という方法しかなかった。

先日、認知行動療法家の先生から本をご紹介いただいた。『認知行動療法という革命』という本だ。原題は、A History of the Behavioral Therapies: Founders’ Personal Historiesなので本当は「行動療法」の第一世代の個人史だが、翻訳は「認知行動療法」となっている。

錚々たる顔ぶれが集まったこの本は、新しい世代の行動療法家が技法ばかりで歴史を重視していないことに対する警鐘から始まるが、精神分析を専門とする私が興味があるのはやはり精神分析に対する彼らの態度である。

「精神分析から行動療法へのパラダイムシフト」という章もあるが、精神分析に対して最も明快な態度を示しているのは「社会的学習理論とセルフエフィカシー ─主流に逆らった取り組み」を書いたアルバート・バンデューラと「認知行動療法の台頭」を書いたアルバート・エリスだろう。特にエリスは精神分析実践をよく知ったうえで書いている。

もっとも精神分析に向けられる批判はいつの時代も実証性のなさなのだが、体験した人にとってはそれ以上にこれを退ける意味や理由があるのだろう。実際、実証性に関してはエリスの時代よりも効果研究が進んで、それなりのデータを持っている。一方、もし、体験が精神分析を遠ざけたとしてもそれも十分にありうることだろうと、精神分析を体験している私も思う。むしろ体験したからこそわかるのだ。

精神分析はそんなに希望にあふれていない、不幸を「ありきたりの不幸」に変えるかも、とフロイトが書いたことからもそれははっきりしている。そんなものをどう信じればいいのか、と言われれば、まあそうだよね、という気にもなる。

でも、私たちはそんな簡単に何かが修復されたり、改善されたり、正しくなったり、美しくなったりする世界に生きているだろうか、とも思う。

他の場所でも書いたが、実際、精神分析は、設定と技法以外は臨床で生じる驚きを説明するには十分ではない。そしてそれは精神分析にとっては当然のことである。無意識を扱うとはそういうことだ。したがって、比較対象にはなりにくい、と私は思う。エリスのように経験してそれを放棄するのもよくわかる。

対象の選択がその人の歴史性を示すように、私たちが何かを選択するということはそれほど意識的なものではない。精神分析を選択する人もいれば、認知行動療法を選択する人もいる。また、患者からみれば、その治療者の技法が何かよりも自分のニードを繊細に受けとってくれることのほうがずっと大切だろう。

フロイトはこの日付に死んだ。私たちはいまだに精神分析が精神分析らしいか、あるいは精神分析と認知行動療法はどちらが効果的か、という議論をしている。先人たちは丈夫な種を蒔いてくれた。改めて感謝したいと思う。

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精神分析

一語文

移動時間に徒然なるままものを書き続けたら自分の本音がみえてくるだろうか。この時点ですでに何度か打ち間違えているがフロイト的にはこの失策行為のほうに本音をみるだろう。

二語分を話し始める前の子供は単語でいろんなことを教えてくれる。一語文ともいう。一語で文章になっているということ、そこに含まれる様々な情緒、それを受け取ろうとする主観、喃語がいれものを得て人を介して広がっていく。一語文というのは本当に意味深い。

もはや一語文で何かを伝えられるほどの何かを持っていないからかもしれないが、私は少し長い文章を使う、こうやって。指が動くままに。特に何も考えず立ち止まることもせず。

そして少し不安になる。その行き場のなさに。この言葉のいれもの、置き場はあるのだろうか。この場を一応そことしたとしても、主観と客観も能動も受動も区別を曖昧にしながら文章が組み立てられていくときにポロポロとこぼれ落ちていく意味や意味のなさは増える一方。

ひどく切迫した瞬間が訪れればそれらは一語文になるのだろうか。それとも言葉を失うのだろうか。

筒美京平が死んだ。誤嚥性肺炎だったという。昭和に浸透する歌を送り出した作曲家の最後の言葉ってどんなものだったのだろう。その人を思い出せば歌が流れるような、そんな人の言葉に最後もなにもないか。人は記憶する。

一と多を含みこむ二者の言葉を一語文として、それが本当に人との間に放たれるとき、それまでとは別の何かが始まってしまう。それはどうしようもないことだけれど、そのどうしようもなさに抗うかのように主観というものがあるのかもしれないけど、種のようなその一語文にひきこもってしまいたいときもあるかな。ただの可能性に戻ることはもう難しいから。ただのじゃなければわからないけど。

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アイスココア

なんとなくお昼を食べそびれたまま用事を終えてオフィスへ向かう。今日こそ最後の暑さらしい。すでになんどか聞いた気がするけど。

ぶりかえしつつも夏が遠のく。新宿中央公園の蝉は数がわかる程度になり、空はすっかり高くなった。夕方に向かうにつれ日射しは柔らかくなったが、10分以上歩いたら軽く汗ばんだ。最後の暑さか、と思ったからでもないがココアフロートを飲んでみた。しゃりしゃりの氷がおいしい。

学生時代、人がほとんど通らない階段そばの喫茶店でアルバイトをしていた。薄暗い店内は外の大通りからみても怪しく、客のほとんどはそのビルの従業員だった。煙草臭くアングラな雰囲気を漂わせていたその店は若かった私に多くの経験をさせてくれた。

もっとも明るい記憶は、そこのアイスココアの味だ。今ではちょっと甘すぎるその味をいまだに求めてしまうほどそれはおいしかった。バタバタしたランチタイムを終えて、ぼんやりテーブルを拭いたり、紙ナプキンを折っていると店長が「何飲む?」と聞いてくれる。時々ちょこんと生クリームが乗せられたとてもいい香りのオレンジティーもお願いしたが、ほぼいつも「アイスココア」といった。珈琲なんてまだ大人の飲み物だった。フィルターの準備はたくさんしたけど。

まかないドリンクも食事も基本はメニューから頼むのだが、好みはなんでも聞いてくれて、どれもとてもおいしかった。パリパリの海苔がかかった明太子パスタの美味しさもそこで知った。

メニューにないものを頼む先輩(いつでもとっても優しかった)もそれに平然と応える厨房のおじさん(最初はめちゃめちゃ怖かった)もすごくかっこよかった。でも私はメニューからだって決められないのだ。いつもメニューと睨めっこして結局いつもと同じものをお願いしていた。こういうところ、今と全然変わってない。

アイスココアをのんだらちょっとタイムスリップしてしまった。いかんいかん。今はもうバイトではないのだ。バイト先のみなさんには大変お世話になった。なんとか仕事しています。ありがとうございました。

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ヒーロー

オフィスのエアコンがぽこぽこいうようになった。あれは7月だったか、窓側の換気扇を閉めて、エアコンを消したら急にぽこぽこぽこぽこ言いだした。小人がお祭りでも始めたのではないか、と驚いた。怖いし、でも音はなんとも呑気だし、しばらく祭りが終わるのを待ったが終わりそうもない。リズムも一定でないので音楽としてもどうかと思う、とか思いながら聞いていたが、もう夜だし管理会社もやっていない、仕方ないか、と玄関に向かい、玄関側のキッチンスペースの換気扇をきったらピタッとやんだ。なんなんだ。

ネットで調べてなんとなく理由は分かったが、患者がきている間にこんな呑気な音をたてられたらたまったもんじゃない。私は患者の声が聞きたいんじゃ。かといって業者の人に入ってもらう時間もない。ということでなんとか夏を過ごし、そろそろエアコンを使う頻度も減ったので管理会社に電話をした。私のオフィスを管理してくれている会社は同じビルの中にあるので「音がでたらすぐ呼んでください、すぐ行きます」といってくれた。頼もしい。

が、しかし、せっかくその時間をとったのにエアコンがポコポコいわない。ネットで調べて「こうやったら一時的に直る」というのの逆、というか特に何も対処せずに放っておいたのになにもいわない。なんで?と思っている間に眠ってしまった。寝不足だったのだ。気づいたらもう管理会社は閉まる時間。私が眠っている間に音はなったのだろうか。夕方からはエアコンがいらないほどだったのに、音を出すためだけに除湿や冷房をつけ、寒さを凌いでいたこの時間はなんだったんだ・・・。

まあよい。なんせすぐに駆けつけてもらえるのだ。私の大切な部屋を守ってくれるヒーローだ、今のところ。

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精神分析

自由連想

透明なものが好きだ。

大学のとき、ゼミで墨田区の硝子工房へ行った。ゼミで、といっても専攻である発達心理学とはなんら関係はない。たくさんのガラス製品ができるまでをみせていただき、柴又まで足を延ばし、みんなで大きな縁台に座って団子を食べた。

小学校の遠足の帰り、大型バスの小さなテレビにはいつも宇宙戦艦ヤマトか寅さんの映画が流れていた。学校に到着すれば、それが途中であろうとバスから降ろされる。そのことに特に未練を感じた覚えはない。バスの窓に見慣れた景色が現れたときには、すでに映画からこころが離れていたのかもしれない。

宇宙戦艦ヤマトは家でも何度もみた(そして泣いた)、寅さんはこのバスでの時間でしかみたことがないかもしれない。バスに酔いやすい私はいつも一番前の席でぐったりしながらこれをみていたが、密に心躍る時間だった。

柴又に行ったのは初めてだったと思う。江戸川の近く、たしかに風を感じた。みんなはそのあと、矢切の渡しに行ったが、当時、バイトに明け暮れていた私はここでみんなとお別れだった。今思えば、その日くらいバイトを休めばよかった。

その後、それぞれにいろんなことがあった。大きな出来事もあった。若い頃は今過ごしている時間の意味など考えたこともなかった。その後、何が起きるかなんて誰にもわからないなんていうのは今も同じなのだけれど。

その後、私の専門は精神分析になった。発達心理学は大切な基盤としてそれに貢献してくれている。フロイトは無意識は無時間だといった。そしてあまりある不断のそれを扱う設定として、休日以外の毎日、特定の時間を患者と過ごし、その対価で生活をしていた。フロイト自身の生活も非常にパンクチュアルだったという。このあり方を日本人的という人もいる。精神分析は日本人に馴染まなくはないだろう、ラカンは別の文脈でそうはいわなかったけれど。そう、日本人は確かにパンクチュアルかもしれない。私があの日、バイトに間に合うように急いで帰らねばと思ったように。

誕生日プレゼントに文庫本を開いたまま置いておける文庫サイズの透明なアクリル板をもらった。ほかのことをしながらでもパサっと閉じてしまわないし、ページをめくるときにいちいちそれを持ち上げる時間があるのもなんだか素敵だ。もちろん早く次へ、という気持ちを抑えきれないときはアクリル板を外して手に持ってしまうのだけど。

いまやアクリル板は刑務所のものでもなく、日常的に人と人とを隔てるものとなった。前にも書いたが是枝監督の『三度目の殺人』で使われるアクリル板は多くのものを映し出した。私もアクリル板越しに患者と会うとき、そこに映る自分や背景がこれまでとは異なるこころの風景を描くことがあると感じる。

文庫に重ねる透明なアクリル板は、立てるのはではなく重ねるものなので、ページをめくるときにこれまでとは少し異なる時間を体験させてくれるだけで、私と本を遠ざけない。

ガラス、画面、窓、川面、アクリル板、まるでフロイトのマジックメモWunderblockのようだ。透明な接触面越しの記憶を秘密が守られる場所で語るとき、その体験が別の姿で現れるように、限りはあるがあまりある不断の時間に身を委ねることは、不幸を「ありきたりの不幸」に変えていくのだろう。

そういえば私は以前にもこんなことを書いた気がする、と思って記憶を探った。谷川俊太郎さんの詩について書いたときだ。https://www.amipa-office.com/cont8/20.html

ああ、そうだ。本に重ねる透明なアクリル板、これには谷川俊太郎さんの書き下ろし三篇がついていた。紐解くように、自由連想のように、語れば重なるものなんだな。

「ありがとう」という詩は私の気持ちにぴったりだった。

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読書

限界

海外の本、特に、その国が、その国の人たちが経験してきた傷つきの歴史について知ることは意義深い。ときには目を背けて本を閉じたくなり、それでもそれを読むこと自体が何かの供養になるのではと思い、それでもやはりひたすらに胸をえぐられる思いに耐えきれないと感じる。

一方で、私はその国のことを何も知らない。こんな簡単にまるで自分が同じ体験をしたかのような振る舞いをしてよいものか、私の体験は私の体験でしかなく、それと重ね合わせて何かを理解したかのような仕草をしてもよいものだろうか、と考えあぐねることも多い。

物事を近くから、遠くから、斜めから、上から、下から、鏡を通じて、あるいは音声だけで、あるいは・・とできる限り多様な仕方で見られたらいいのかもしれない。でもそれほどの余裕を私たちは大抵持っていない。

だからこそ限界を知ること、そのうえで語ること、それが大切なのではないか、そんなことをよく考える。とても難しいことだけれど。

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精神分析

Fort-Da.

渋谷方面のホームは塾帰りの小学生で溢れている。久しぶりにみる光景だ。器用にマスクをずらし、傘をトントンと床に打ちつけながら「あいつ、本当にうるせえ」と悪口合戦をしていたかと思えばキャハハと別の話題で盛り上がっている。


時間通りにきた電車に乗り込むと、追いかけっこのまま駆け込んできた数人の男の子にぶつかられてつんのめった。ひとりの子が一瞬視線を走らせてまたダンゴになってぶったりぶたれたりしている。


身体の大きさもそれぞれだ。子供の頃にみていたドラマを思い出す。主人公は中肉中背の男の子だった気がする。ガキ大将という言葉は今も通じるだろうか。相変わらず駆け回っていた彼らを中年女性が一喝した。説得力のある声に誤魔化すような動きでなんとなく隣の車両に移った彼らは隣駅で降り、また声をあげながら走っていった。


電車を降りて濡れたタイルを慎重に踏みながら急ぐ。小さな段差も難しいらしい杖を持った老婦人にご家族だろうか、「私、下いくから先に行ってて」など声を掛け合っている。
今日の雨はなんというのだろう。霧雨でいいのだろうか。SNSには今夜は涼しいという言葉が並んでいたけれどあまりそうは感じない。

きっとこれは霧雨だ。遮断機が上がってから街灯の灯りを避けてシャッターを切った。あっという間に小さな水滴がつく。
都心には遮断機がない。


保育園にいくと子どもたちが駆け回っている。駆け寄ってくる子どもたちに遮断機を作ると笑顔がもっと大きくなる。なぜ腕を下ろすだけで遮断機とわかるのだろう。お散歩でも彼らは行ったり来たりする電車に何度でも同じように声をあげる。
行ったり来たり。Fort-Da.いずれはいったままに。残像と遊ぶように今日を明日へ。

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精神分析 読書

適応と適当

早朝が一番色々捗ります。今日は土曜日ですね。一日中雨かしら。

昨日は色々書いたまま眠ってしまい、内容は昨日仕様だったので消してしまいました。ほんと、画面からって消すのも消えるのも簡単。

でもたとえ私が文章を消したところで私の考えだからまた何かの形で出てくるでしょうし、たとえ私が姿を消したところで私が消えてしまうわけでもないので、何度でもやり直せますね。

でも現実に姿を消したとしたらどうでしょう。社会学者の中森さんの『失踪の社会学』を以前ご紹介しましたが、失踪とかで姿を消されたら辛いな。と、今、私が失踪される方であることを大前提として書いてしまいましたが、こういうのは注意が必要かもですね。「誰にでもありうること」、病気でも障害でも喪失でもなんでも。いや、なんでもはないか。

精神分析はその人のあり方全体を大切にしますが、それだってその人だけのこと、私たちだけのこと、誰にだって起きること、社会全体のこと、全てに関わることであって、単なる密室的なにかではありません。営まれる場はふたりだけのプライベート空間ですが。

精神分析では「適応」を特に目指さなくても治療の副産物として、いや違うな、「適応」というよりは、その人がその人らしさをある程度保ったまま、その場に適当に、ほどよくいられることができるようになります。それは精神分析が、固有のものを大切にすることのなかに社会を大切にすることを含みこんでいるからだと私は思っています。

静かな朝です。朝の暖かい飲み物がしっくりくる季節になりました。どうぞ良い一日をお過ごしください。

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精神分析

度忘れ

何かを言おうとして口を開いた瞬間にそれがどこかへ行ってしまうことがあります。ありませんか?いわゆる度忘れです。

フロイトは『日常生活の精神病理に向けて』(1901/1904)のなかでこの度忘れに触れています。フロイトとしては、精神分析が想定する「無意識」ってこんなふとしたところに現れるんだよ、ということを一般の人にも知ってほしくて書いたようですが、なにはともあれ、度忘れ、面白い現象です。

度忘れ、言い間違い、読み間違い、書き間違い、どれもよくありませんか?私はしょっちゅうあります。言い間違いとかとても恥ずかしくてどうして言い間違えたかなんてフロイトみたいに考えたくもないときもありますが、勝手に考えてしまうので「きっとあれのせいだ」と気づいたときにはやっぱり恥ずかしくて誰も見てなくても机に突っ伏したりしてしまいます。あーあ、ちょっと本音出ちゃったな、と。これぞ無意識ですね。

フロイトのこの本はとても売れました。この前に出した『夢解釈』がフロイトが思ったよりも売れなかったのに対して、『日常生活の精神病理に向けて』はフロイトの予想を超えて売れたようです。夢も日常ですが、夢解釈なんてちょっとおせっかいだな、とか、自分の夢なんだから自分が一番よくわかってるし、とか思われたのでしょうか。たしかに夢はみんなみるとはいえ、内容が個別的なのに対して、この『日常生活の〜』に出てくる失策行為の例は「わかるわかる、自分にもこんなのあるある」と受け入れやすかったのかもしれません。

それにしてもどうして忘れちゃうのでしょう。頭に浮かんだ瞬間に消えている、と私は感じるけど、もっと細かくみるとたくさんの不思議な現象が一瞬にして起きているのでしょうね。

眠くなってきてしまいました。度忘れどころかいろんなものが遠のいてきました。また、っっっっっっっっっって打ってた。無理せず休みましょう。今度は、いいいいいいって打ってた。いい夢、をって打ちたかったのでしょう。

明日も度忘れや言い間違いがあってもそれなりに良い日でありますように。おやすみなさい。

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和菓子

和菓子ってどうしてあんなに魅力的なのでしょう。季節ごとにどうしてこんな形が、どうしてこんな色合いが、と驚くような和菓子がショーケースにたくさん並びます。と書き出すと私の頭のなかにはいろんなお店がポコポコと浮かんできます。

一番はあそこかな、でもこの季節はこっちかな、食べたことないけどあそこのは一度は食べてみたいよね、そういえばあそこでいただいた和菓子はとっても美味しかった、と近所からデパ地下から旅先まで、私の和菓子地図は小さなエピソードと一緒に一気に広がっていきます。

季節の和菓子は大抵高価ですし、一度にいくつもいただくものでもないので、生きているうちに実際に味わえるのはとっても一部でしょう。迷って迷って迷った挙句、結局いつもと同じのを買ってしまうこともしばしばですし。あー、また同じのにしちゃった、今日こそあれを試そうと思って行ったのにな、とお店の名前が書かれた包みを開いて、お茶を入れて、竹の和菓子切りでいただくと、やっぱりこれにしてよかったー、となることもまたしばしばです。

特別なお菓子は失敗したくないので、つい守りに入りますが、そのおかげで味わえる幸せもありますね。

と美味しいもののことばかり考えているときは、あまりやりたくない作業から逃げているというのも世の常でしょうか。

空想チャージがなくならないうちにしあげましょう。今夜も少し雷がなっていますね。どうぞよい夢を。

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精神分析

本人

支援でも補償でもなんでも本人から申し出る必要がある。この「本人」というのは拡張していくことはできないものだろうか、とよく考える。私たちは誰もが裕福になれるわけではないけれど、誰もが困難を抱える可能性はある。住む場所をなくしたり、身体が動かなくなったり、言葉を失ったり、考えたり感じたりすることができなくなったり。

それでも「私が本人です」というために証明書だって必要なわけで、どうして私たちは身ひとつで、あるいは身近な人の言葉で本人になることができないのだろう。もちろん嘘はだめだ。でも本当のことなのにどうして本人ではない人がそれを証明してはいけないのだろう。

精神分析は他者を必要とする。精神分析の最大の特徴は無意識を想定し、それを言語化するところだ。つまり、自分は自分のことをわかっていない、というのが前提だ。

他者との間に言葉を差し出してみると「あれ?こんな風に言いたかったわけじゃないのだけど」とか「いざ話そうとすると言葉が出てこない」とかいう体験をする。カウチ に横になって自由連想を求められるだけで私たちは自分のなかに(でもどこでもいいのだけど)知らない誰かを見つける。

こうして少し曖昧になった自分を「あなたはそう思う」「あなたはそう感じる」とふわっと本人のものとして留めておいてくれるのが分析家だ。

今、っっっっっっっっっって打ってしまっていた。眠るときも自分が曖昧になるね。とりあえず夢で。

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読書

遺稿

今年2月、クルーズ船での感染が騒がれ出した頃、敬愛する作家、古井由吉が亡くなった。その後、『新潮』に遺稿が載せられた。

多くの本屋がコロナを理由に休業するなか、オフィスのそばの本屋はいつも通り開いていた。『新潮』自体、よく売れていて手に入りにくいと聞いていたが、本屋が開いていると思わなかった人も多かったのだろう。私はいつもより暗いひっそりした通路を行き、エスカレーターを歩いて上り、いつも通りの明るさの本屋へ向かった。この本屋のことは大体知り尽くしている。『新潮』があるはずの棚へ真っ直ぐに向かうと一冊だけそれはあった。私はすぐにそれをレジに持っていった。いつもなら時間が許す限り長居していろんな本を見るが、この日は違った。

古井由吉はおじいちゃんだからもうすぐ死んじゃう、と思っていたにも関わらず、いざ亡くなってみると親戚でもなんでもないのにそれなりに衝撃を受けた。悲しかった。

「杳子」を読んだときの衝撃は忘れられない。女を描くならこう描きたい、と思った。薄暗いのは陽の光のせいだ。まるで病床にいるかのような女を男は観察しつづける。その視線もまた仄暗い。

コロナをめぐる状況は2月とは変わった。日々の景色も変わった。マスクをしない顔と会えるのは画面の中だけ、といったら大袈裟だが人は距離を取るようになった。

古井由吉は亡くなった。彼だったら今の状況をなんというだろう。

私はまだこの遺稿を読めていない。こころの距離がとれていないから。

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俳句

小鳥来る

長月、旧7月17日、大安、立待月、小鳥来る

日めくりには素敵な言葉がたくさん。いつも1日の仕事を終えて、めくって、というか、私の場合は剥がしてからじっくり見るのだけど(見ないで積まれていく時もあるのだけど)今夜は特に癒されます。

だって立待月と小鳥来る、なんて素敵な言葉なのでしょう。「なんて素敵な」という言葉を使うときに思い浮かべるのはジュリー・アンドリュースです、なぜか。

毎日毎日空ばかり見ています。夕方オフィスに戻るとき、急に黒い雲がやってきて冷たい風が吹いたときは少しびっくりしました。降るのかしら、と思って少し急ぎ足でオフィスに帰って、夜の仕事を終えてカーテンの向こうを見たら広い空が白く光りました。そしてオレンジの稲妻も。パソコンに手書きで描くときのちょっと曲がってしまった線みたいな光が短くビビッと。

今日はパソコンも持ち歩いているし、大雨とかいやですよ、と思って今度は小走りで帰宅。降られずに間に合いました。

降られた方もいらっしゃるでしょうか。地震や大雨の地域のみなさんはご無事でしょうか。

小鳥来る、秋の季語です。空を見ていて出会えたらきっと笑顔になるような、いろんなことあったけど今年も会えたね、と思えるような、そんな季語だと思いませんか。

小鳥来る、この季語は、私が使っている平井照敏編の『新歳時記(秋)』河出文庫には載っていません。私が持っているのは1996年の改訂版初版です。その代わりではないけれど載っているのは「小鳥網」。「秋に群れなして渡ってくる小鳥を霞網、別名ひるてんを用いて捕獲してしまう猟法で、昭和二十二年以降禁止されてしまったもの」で「残酷な猟法」だったそうです。

どうしてこちらの季語を載せたのでしょう。理由はわかりません。今日の日めくりの「小鳥来る」をみて明るくなったこころが曇ってしまいそうです。

人を見て又羽ばたきぬ網の鳥 高浜虚子

これを読むとき、私たちは網の鳥になった気がしませんか。生きようとする力を本能と呼ぶとして、人はあまりに大雑把な万能感を行使して自らのそれを放棄することもあるのかもしれません。

その行為がなくなるとき、その季語もまた私たちから遠くなっていきます。でも多分、言葉は行為よりずっと長生きする必要があって、想像力がどんどん乏しくなっている私たちはそれに助けてもらいながら同じ過ちを繰り返さない努力をしたり、生きて会うことはなかった人と対話したりするのかもしれません。

小鳥来る音うれしさよ板庇  蕪村

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8月31日

立秋に「もう!?」と虫の声に驚いたことを書き、8月半ばに「もう慣れた」みたいなことを書きました。今日は8月31日。虫の声が本当に涼やかに響くようになりました。さらに今夜の風、半袖でオフィスを出てきたら「寒い!」と感じたことに自分で驚いてしまいました。「うわっ、本当に来た!」という感じ。秋の方からしたら「立秋の頃からちょっとずつ慣れさせてきたではありませんか」という感じかもしれないけどちょっと突然冷たくなりすぎじゃないかしら。

そういう人間関係もありそう、と今いくつかの場面を思い浮かべてしまいました。

雨がポツリポツリ落ちてきたから急いで帰宅したら、仲間から「こちらは月が綺麗です」とメッセージ。オンラインの繋がりなのでどこにお住まいなのかも知らないのですが・・。もしかして、と思って窓を開けてみたのですが、やっぱり秋の雨が静かに降っているだけ。でもそうか、この空のどこかで月は綺麗に輝いているんだ(やっぱり「綺麗」って漢字は抵抗あるけど)。

月がどんなふうに輝くかなら私も知っています。想像できるって希望をもつことと似ている気がします。

今の日本の現実に視線を戻すと、多くの方の失意や絶望に目を奪われるかもしれませんが、いろんなことは今に始まったことではないはずです。もうだめだ、といつだって言いたくなるかもしれないけれど。

私たちは生きながらいつも、なにかに持ちこたえられるように準備をする機会を与えられているような気がします。患者さんとの関わりからそう学んできました。秋の虫からも少し。

予測不可能な未来をすでに知っている風景から透かし見ます。そこは決して楽園ではないことを私たちは経験から知っています。でも、その経験があるからこそ、私たちは、驚いたり、絶望したりしながらもそこにとどまることができているような気もします。

人生なんてろくなもんじゃない、でも捨てたもんでもない、そんな言葉を私たちは知っているような気がしませんか。

なんだかんだ気づかないうちに時計の針は8月を超えていくでしょう。また明日。9月にお会いできたらと思います。

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俳句 精神分析

写生

朝、窓を開けると秋の風が入ってくるようになりました。でもあと数時間もすればまた夏の熱気に覆われるのですね、この街も。すっきりと去ることはできない夏の気持ちを熱気というのかもですね。

ところで、俳句のお話ですが、俳句は素材を写生することで感動が生まれるので、擬人法は「月並み」としてあまり歓迎されません。

友死すと掲示してあり休暇明 上村占魚

どきっとしますね。休暇明けの掲示板を写生しただけなのに。これが俳句が持つ力です。たった17音なのに知らないはずのその風景がパッと浮かび、こころ打たれてしまう・・・。それでは月並みといわれる擬人法はどうでしょう。

五月雨を集めてはやし最上川

えっ、擬人法なの?と思うくらい自然。これは月並みではありません。松尾芭蕉ぐらいになると自然も人もこころの中で十分に融けあってしまうのでしょうか。月並みではない擬人法も実はたくさんあるのですが、私なんかが作ると月並みというかやや陳腐な句になりがちですねえ、やはり。

素材を時間をかけて観察してその感動を伝えること、事例研究みたいです、私たちの世界でいったら。相手のことをよく観察して、そこで生じているやりとりや二人の間の現象を細やかに言葉にしていくこと、精神分析でいえば、クライン派や対象関係論と呼ばれる学派の人たちがそうですね。事例を読むだけでその方の様子が浮かび、こころの世界まで伝わってくる。後からならいくらでもなんとでもいえる、みたいな書き方とは全く違います。私はそういう事例研究が好きだし、そう書けたらいいな、と思っています。その人の姿を勝手に変えてしまわないように。

今日はどんな風景と出会うでしょうか。目にとまったものがあったらいつもより少し長く立ち止まってみようかな、日曜日ですし。

さえざえと水蜜桃の夜明けかな 加藤楸邨

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精神分析 読書

モモ

ミヒャエル・エンデの『モモ』が、最近また取り上げられていましたね。『モモ』は私にとってとても大切な作品で、好きな本を聞かれるといつも「モモ」と答えていました。もう少し大きくなると、同じくエンデの「鏡のなかの鏡」と答えていました。

映画も観に行きましたが、私が描いていたモモとはだいぶ違う、と思った記憶があります。本を読みながらはっきりしたイメージを持っていたわけではなかったのに不思議です。

赤ちゃんが泣きわめくとき、私たちはその子が何をほしがっているのか見定めようとします。0歳児に慣れている方は「おなかすいたね」「おむつかえよっか」「眠くなっちゃった」など声がけをしながらニコニコと抱っこをする余裕がありますが(もちろんこころで泣いて、というのはあっても)、はじめての子どもを持つお母さんや0歳児の担当ははじめて、という保育士さんは、赤ちゃんの切迫した泣き声に含まれる不安や不快や苦痛を自分のもののように感じてしまうことがとても多いです。この子はどうしてほしいのだろう、これでもない、あれでもない、もうどうしたらいいのだろう、もうやだ、と本当に辛く悲しくなってしまうときがあります。

たとえばおかずひとつでも、あれもだめ、これもだめと大きな声で泣き、小さな手でお皿を払いのけようとし、これまた関わる人は大慌てで「これ?」「こっち?」と彼らの本当のニードを必死に探ろうとします。でももう全部だめ、何をやってもだめ、させてもらえるのは抱っこだけ、と抱っこして泣きやむのを待って、落ち着いたらもう一度お座りをさせて、小さなスプーンであげてみたらぱく、ぱくぱくってなったりして、こちらがほっとするとあちらもにっこりしたりして・・。

私たちはなにがほしいのか、どうなりたいのか、なんて本当ははっきりしないのかもしれません。そのときの体調やそれが差し出されるタイミングやなにかいろんな感覚的なものが混じりあって、パッと決められるときもあれば、これかな、あれかな、とやりながら「これかもな」と一番自分のイメージにしっくりくるものを選択するときもあるのでしょう。そしてそれはあとから変わることもあるのでしょう。

モモは受け身で、静かな子どもです。人の話を聞くのが上手です。話したくてウズウズしても、怖くてしかたないときでも性急に言葉を発することを控えることができる子です。そう学びました。

眠って、夢をみて、目覚めたら、やるべきことが自然に定まるような、なんとなく言葉の形になるような、まるで精神分析プロセスのようなプロセスを踏んで、モモは強くなっていきます。

もしかしたら、私はそんな時間が大切で、精神分析家を目指しているのかなぁ、と思いました。私が思い描いているそれと「精神分析」のイメージが違うかもしれないから(違ってもいいのだろうけど勝手に変えることはできないから)、私はどうしたいのかな、ということを長い時間をかけて、眠り、夢をみて、目覚め、言葉にして・・というトレーニングを繰り返しているのかもしれません。

今日の言葉は、明日は少し違う形を描くかもしれません。時間をかけて、二人で、大切にしたいなにかと出会っていけたらいいなと思います。

それでは今日もおやすみなさい。

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未分類 読書

雲の絵

今日の空、すごかったですねえ。入道雲がすごすぎてアニメみたい!と思ったのですが間違いでした。こんな景色が本当にあるからあんなアニメもできるわけですね。

歩いていても、電車に乗っていても、何層もの雲が湧き上がるように青空を占めていて、太陽の光がつくるグラデーションがきれいで、いちいち目が離せなくなってしまいました。

雨が降るっていうから傘を持ち歩いていたのですが降られませんでした。降ったのかしら、雨。

「のはらうた」のくどうなおこさんだったらどんな詩を書くでしょう。かぜみつるくんが「でかい くもだぜ」とかいって通り抜けるのをやめて眠っちゃったり、きりかぶさくぞうさんが「きょうは くもも 「どっこいしょ」 をしている」とかいったりするのでしょうか。

ご存知ですか、「のはらうた」。とっても素敵な装丁の小さな詩集です。それを眺めているだけでもいと楽し、ですが、自然の声を聞きたくなったときに開いてみるといいかもしれません。

夜になっても雲は、昼間の形のまま、背景の空より少しだけ薄いグレーになって、街を包みこんでいます。

画像は昼間の新宿駅です。まるで絵みたいじゃありませんか。

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精神分析

蝉の死

新宿中央公園はいまだに蝉の国だけど、蝉の死骸もだいぶ増えてきた。仰向けに寝転がるように一生を終えた彼らの透明な羽をきれいだと思った。

この時期なら新宿中央公園への道案内は簡単。「ここをいくと蝉の声が聞こえてくるからそこ」って言える。蝉の声が空間の輪郭を描く。

精神分析はいまだ輪郭を持てずにいるその人の部分に触れる。そこに無理に言葉を与えてしまわないように細やかに注意を払う。そうありたいので訓練する。簡単じゃないけど、いろんなことは大抵簡単じゃない。

蝉は「精一杯生きたぞ」とか思わないで力尽きて死んでいく。それはある意味「力の限り生きた」という感じでもある。

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俳句

虫の息

アブラゼミも虫の息か、と少しトーンダウンした声をききながら帰ってきました。アブラゼミに「虫の息」とかいうものかしら。虫が虫の息なのは当たり前か、など考えられるのは平和なことかもしれません。

今日は俳句の日だそうです。バイクの日でもあるそうです。ハイクの日、と山へ向かう人もおられるようです。819. 他にも何かあるかもしれません。

今年の夏はお祭りの音をほとんど聞きませんでした。「あ、お祭り!」と思って音のする方へ向かったらお寺のなにかだったことはありましたけど。駅や電車が色とりどりの浴衣でいっぱい、という光景も見ませんでした。来年はどんな夏になるのでしょう。と思う前に秋ですね。木々は今年も変わらず色づいてくれることでしょう。

現れて消えて祭の何やかや 岸本尚毅

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『秋刀魚の味』

尾道といったら小津安二郎。小津といったら『東京物語』なのかもしれないが私には『秋刀魚の味』。あれ、秋刀魚の秋だっけ、と思ったけどそれだと『八月の蝉』と同じですね。あれは『八日目の蝉」でした。角田光代さんの小説。映画も好きでした。

『秋刀魚の味』、娘を嫁がせる老いた父のもの想いとがんばりと悲哀。語るべき箇所は多々ある映画だけどこの映画、食事の場面がたくさん出てくるのに食べ物そのものがほぼみえないのです。お料理の音だってするし、器も食べ物が入った紙袋も登場するのに。秋刀魚も然りで登場せず。

やはり悲哀を味わう、というときの「悲哀」がみえるものではないのと同じように、ここでは見せないことに意味があるのでしょうか。

この主人公は妻に先立たれ、ひとりで子供たちのことを考えなくてはならないのですが、子供にとっては母親の不在を生きるということ。味というのは象徴的です。小津安二郎にとっても母親は大きな存在だったと聞いたことがあります。

尾道のことを書こうとしたら小津のことを書いてしまいました。今年のサンマ漁はどうなるでしょうか。豊漁と漁の安全をお祈りします。

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精神分析、本

『ピグル』

Twitterで東畑開人さんが、青山ブックセンター本店のブックフェア「180人が、この夏おすすめする一冊」で北山修先生の『心の消化と排出』を挙げていた。北山先生の本から「おすすめ」を選ぶとしたら私もこの本を選ぶ。「夏」っぽいとは思わないけど。

北山先生の『錯覚と脱錯覚』も私に大きなインパクトを与えてくれた。ウィニコット の『ピグル』とセットで読むべきこの本も「夏」かといえばそうでもない。

2歳の女の子とおじいちゃん先生ウィニコットとの交流が描かれた『ピグル』、16回のコンサルテーションの間にピグルは5歳になった。最初は1ヶ月に1回、二人が会わない時間は少しずつ増えていく。それでも1年に3,4回というのは私が保育園巡回に行くペースだ。3歳、4歳ともなればその頻度でも「また会えたね」となる。

ウィニコットはピグルと会わなくなった4年後に亡くなった。これからを生きる子どもと死の準備をする大人。妹の出生によって母親の不在を体験したピグルはウィニコットを一生懸命使い、持ちこたえ、生き残るウィニコットを発見し、「私」とも出会っていく。ピグルの名前はガブリエルだ。

1964年7月7日、6回目のコンサルテーションの冒頭、ウィニコットは「今回は、ピグルではなく、ガブリエルと言わなければならないとわかっていた」と書き、そこからの記録はすべて「ガブリエル」に代わる。そして帰宅したガブリエルも母親に「ウィニコット先生に、私の名前はガブリエルだよって言いたかったの。でも先生はもう知ってたの」と満足そうに言った。母親からの手紙でウィニコットはそれを知る。

子どもの治療の重要な局面だ。二人は通じ合っている。

夏の休暇前のセッション、「私はサンドレスと白いニッカーズを着てたの」とひなたに仰向けに寝転がるガブリエル、私はこの場面が好きだ。子どもが安心して空想に浸れること、複雑な情緒を体験する場所はいつもこうして開かれている必要がある。

そして夏の休暇後、二人がはじめて会う7回目のセッション、ガブリエルは「ウィニコットさん」とよそよそしい。「先生」ではないウィニコットの休暇に対する抗議のように「だれにも一緒にいてほしくなかったの」とひきこもっていた自分を知らせるガブリエル、このとき、彼女は3歳になったばかりだが、大きくなった。ウィニコットの記録を読むとそう感じる。

精神分析は週4日以上会っているので休暇の意味は大きい。たまにしか会わなくても会えない日々のことを想うのだから、この二人のように。

いない人のことを想う。いたはずの人のことを想う。そうやって描かれる私たちは大抵いつも現実と違うけれど、想うことだけが私たちを生かすこともある。

この夏、『ピグル ある少女の精神分析的治療の記録』(ドナルド・W・ウィニコット著、妙木浩之監訳、金剛出版)を読んでみるのはどうだろうか。彼女が青い瓶を目に当てて「ウィニコット先生は青いジャケットを着て、青い髪をしているのね」というように、本を読むことで(もはやなんの本でもいいかもしれない)この暑さを違う色に染めてみたり、2歳の頃の目で世界を見直してみる。この夏は、そんな旅もいいかもしれない。

(翻訳作業についてはオフィスのサイトに少し書いてあります。)

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黎智英氏も周庭氏も逮捕された。周庭氏と一緒に活動してきた黄之鋒氏(Joshua Wong)、若い政治家の羅冠聡氏(Nathan Law)は流暢な英語で海外に向けて声を出し続けている。

20代、自由を求めて国を相手に戦うなんて考えたこともなかった。自分の意見を言えなくなることは自分の母国語を使えなくなることと同じ、それはつまり自分の出自を存在を否定されるようなものなのだろうか。頭ではいろんなことを考える。考えれば考えるほど身体も重い。

言いたいことが言えないこと、程度の差はあれ、おそらく誰もが子供の頃から経験したことのある事態について考えるだけでも原因に向かって紐解けるものではないので相当難しい。それは症状にもなりうるので臨床的にも身近だし、精神分析のように主な道具が言葉である場合、それは単に症状ではなく、治療関係そのものに大きく関係しているので何が起きているのかと常に再考を迫られる。

私たちが当然もつ権利を行使させなくする行為には敏感に抗っていく必要がある。コロナがわかりやすく明らかにしたゼロリスク志向、「正しさ」による支配とも根は繋がっているのだろう。物事は一気に動く。集団であることが自制しないことを正当化する。一方、そうしようとする力に抗う物語は昔から数え切れないほどある。歴史から学ぶことはいくらでもできるはずだと言い聞かせる。

目的としてではなく結果として抗えるように、繊細でしなやかな網目を張りつづけるようにこころを動かし、言葉にできたらいいなと思う。それには言葉を大切に扱ってくれる人の存在がなにより必要だろう。

彼らが発しつづける声を大切にすること。自分の声を大切にすること。いつも立ち返るのは当たり前のようなことだけど、その当たり前こそ守りたい。

蝉が鳴いている。彼らはいつも自然体。

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長崎

昨日からずっと、というより広島に原爆が落とされた8月6日からずっと長崎のことも合わせて考えている。といっても、私の知っている長崎について思い出を辿っていただけなんだけど。

長崎は平和公園や原爆資料館は必ずいく。長崎は本当に「祈りの街」という感じがする。小道や坂道、広場、ひっそりした場所がたくさんある街というイメージ。電停でいろんなところへいける。眼鏡橋がかかる川沿いもとてもいい散歩道。中華街は私は神戸が一番好きだけど長崎もいい。長崎はいろんな国のお菓子も美味しくて楽しい。グラバー園ではスコールにあった。鍋冠山からの景色が穴場、と長崎の人に聞いていったら、あの時は何かの理由で頂上への道が封鎖されていたんじゃなかったかな。途中からでもすごい眺望だったけど。稲佐山からの夜景もきれいだし、長崎造船所はすごいインパクトあった。色々考えてしまった場所だった。軍艦島は風が強くて上陸できなくて別の島に上陸した。私は船に酔ってしまってダウンしていたからずっと休憩室にいたけど。そのときの船の乗組員さんがすごくさりげなくサポートしてくれたのがありがたかった。船内では、軍艦島の悲しい歴史を映像見ながら話してくれるのだけど実際体験された方のお話で胸が締め付けられた。長崎は「祈りの街」というより祈らざるをえない街といえるかもしれない。

ほかにも色々行ったけど、一番好きなのは平戸かなあ。島原もよかった。貝雑煮を食べた。島原城にはキリシタンの史料がたくさんあって説明も受けられるのだけど関係する場所、全てに行ってみたいと思った。説明してくれた人が上手だったのだと思う。萩、津和野へ行ったときも史料を結構読んでいろんなことを感じた、そういえば。興味深くて誰かに喋った気もするけど内容をもう忘れてしまった。インパクトは覚えているけど。

長崎はとても素敵な街で何度でも行きたいと思う街のひとつだ。あそこに原爆が落とされたなんて信じられない穏やかさで、でも街全体が静かにいろんな国のいろんな痛みを抱えこみながら、祈りながら生活しているように思う。今頃、蝉があの静けさを際立たせているかもしれない。ニイニイゼミはまだ元気に鳴いているかな。五島列島は台風が近づいているようだけど皆さんご無事で、と祈ります。

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残暑お見舞い

残暑お見舞い申し上げます。

風立ちぬ、今は秋。今日から私は心の旅人♪の季節ですね。私は今日から夏休みです。お元気ですか?

毎年やっている夏メロ(意味違う)ハガキ、今年の書き始めはこんなふうにしてみました。聖子ちゃん好きでしたよね?

今年は句会で夏の句に行き詰まると杉山清貴や井上陽水を使ってしのいでいました。すぐに「陽水かよっ」とバレましたが。サングラスという季語を「君は1000パーセント」で作ったときは「それ杉山清貴じゃないから」とか。同世代の素早いツッコミはどんな暑くても健在です。

今年は少しでものんびりできますように。どうぞお元気でお過ごしくださいね。

空想暑中見舞いシリーズはあっという間に立秋がきてしまったので二枚しか書けませんでした。残暑お見舞いの時期もあっという間に過ぎそうでしょうか。時間感覚は人それぞれだと思いますが、せめて自分で自分を急かすことなくお過ごしになれますように。

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俳句

立秋(仙台七夕まつり)

さっき「つぶやき」で今日は立秋ですよ、びっくり、というようなことを書いて、日めくりの写真を載せました。その右上に小さく「仙台七夕まつり」と書かれていたのを見つけた方もいらっしゃるかもしれません。

一度は行ってみたい仙台七夕まつり。今年は8月6日から8日まで行われるはずでしたが「250万人もの大勢の観客を安全安心な形でお迎えすることは、その準備を含めとても難しく」中止を決定した、と「仙台七夕まつり」のサイトに書いてありました。日本一といわれる誇りある伝統行事の中止、悔しさ、悲しさ、虚しさ、決断を余儀なくされたみなさんがどんなお気持ちかははかりかねます。現実的な損失も大きいかもしれません。それでも「伝統を絶やすまいと、市内の各商店街では素敵な七夕飾りが飾られています。いつもとは違った思い思いの七夕を、ぜひお楽しみ下さい。」と「仙台七夕まつり」のFacebookに書いてありました。たしかに、伝統のはじまりはひとりひとりの小さな、でも切実な願いだったりするのかもしれません。

それにしても250万人ですか。宮城県の人だって全員が行くわけではないでしょうけど宮城県の人口を超えていますね。

華やかな喧騒をのんびりのんびり移動して、賑やかな通りを抜けて、ほとんど人気のない場所に出るときのあの感じ。東京の満員電車から吐き出されるように外に出て互いの顔も知らなまま四方八方に向かっていく、あの無言の群衆とは全く異なる人の流れ、音、空気。ひとりひとり全く異なる文字で書かれた願い事。

お祭りは身体とこころの全部で感じるような特別な瞬間を思い出せてくれるような気がします。移動や集まりが難しいのであれば記憶のなかで、夢のなかで出会えたらと思います。 

今日は立秋。まだ真夏と出会ったばかりだけど秋がどんな感じかはよく知っています。

そよりともせいで秋たつ事かいの 鬼貫

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八月六日

8月6日木曜日、原爆投下・全記録という番組を見ていた。

広島には学会でも旅行でも何度か訪れている。野球も見た。広島で広島の友達に電話もした。思い出が多い。

もう10年になるが、世界平和記念聖堂を訪れたとき、そこの職員さん(?)に声をかけられて、特別に見せてあげる、と普段は公開していないというところを案内してもらった。誰にでもそういっているのかもしれないが、たしかにここはあまりに舞台裏、という場所も見せていただいた。このとき、偶然一緒にいた男性が建築家か建築に詳しい人か忘れてしまったけど、とにかく建築に詳しく、この建物のこともそうだし、広島市内にある建築物について本当に色々教えてくれた。その後、時間の許す限り行ってみたが、彼との出会いのおかげでそのときの広島の旅は特別なものになった。

世界平和記念聖堂は村野藤吾の設計。平和記念資料館を設計した丹下健三とは対照的な建築家だ。私は村野藤吾の建築が好きだ。東京にいてもたくさんみられる。この日はその男性たちのおかげで聖堂に施された工夫を隅々まで堪能でき、広島と建築の関係についても聞くことができ、この旅のあとしばらく、私は建築のことばかり考えていた。

75年前、広島で生きていた方々、今も生きている方々が当時の記憶を住まわせる場所を私たちは作り続けていく必要があるように思う。目を背けたくなるような場面を見る目を、その後を生きてその日のことを伝え続けてくれる方々の声を聞く耳を、その瞬間とそれ以前、その後を具体的に想像する身体とこころを、空間として差し出せるように、なにかに囚われていない場所を自分のなかに準備しておけたらと思う。

エノラ・ゲイ の乗組員のために牧師が祈りを捧げるシーンが流れた。私は何をどう祈ったらいいかわからないけど、歴史から学ぶこと、二度と起こしてはいけない、あれは過ちだったということを忘れないでいたい。

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俳句 精神分析

「月がきれい」と思いながら帰宅できる日が続いている。とかくと、そう思えない日もあるのか、と思われるかもしれないけど、不思議とそうでもない。ほんとに不思議と。

山を 海を 川を 空を 月を 私たちは嫌ったり憎んだりすることができるのだろうか。私は山育ちだから山に対する怖さと海に対する怖さは質が全く異なる。知っているからこその怖さと未知ゆえの怖さ。しかし知っているといってもごく一部。災害と会えば呆然と立ち尽くすしかない。憎むにはあまりにも知らなすぎる。

一方、私たちは本当に小さなことで誰かを好きになったり嫌いになったり愛したり憎んだりする。自分とよく似た姿の相手は自分とよく似たこころを持っている、という前提があるせいかもしれない。

フロイトは精神分析の創始者だけど、やっぱり怖かったんじゃないかな、両方の意味で、と思うことがある。読んでいると。

こころと自然。昔からあるテーマ。似たような木々が立ち並ぶ山を切り崩すことはその多様性を奪うかもしれない。表面ではなくそのなかをその背後を見ようとすることはとてつもなく侵襲的かもしれない。

最初に何かをしようとする人が背負うであろう大きな何か。フロイトも、地球が回っているといった人も、「神は死んだ」と言った人も、月を目指した人たちも、はじめての子を持つお母さんお父さんも、この世界に出てきた赤ちゃんも、と書いていると先のことを見通すことができない私たちみんなが主語になりうるか、とも思う。積み重ねては振り出しに戻るような、でも最初の最初とはちょっとずつ違うような軌跡を積み重ねる。ひとりひとりがみんな。

今日の香港のニュースにもいろんなことを感じた。「それって誰が決めるんですか」という問いかけも普遍的かもしれない。

こんな何十年も月がきれいと言い続けて、しかもそれは私が生まれるずっと昔から言われ続けていることで、愛でるものがあることの大切さを思った。

墓石に映つてゐるは夏蜜柑 岸本尚毅

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俳句 精神分析

精神分析は時間がかかる、というけれど、なんだって時間がかかりますよね、と思う。この歳になってもまだこんな、ということからして。

だから急がない。

いつ何が起きるかわからないから早く決めて次へ進まなくちゃ、という場合もあるかもしれないけど、いつどうなるかわからないからこそ急がなくても、とも思う。走らなければならないときは自然にそうするだろうし。そうでもないかな。たまには走っておかないと急に走ろうとしてぎっくり腰になる、みたいなことも起きるのかしら。

現実的なことには合わせざるを得ないし、それが全て、という時もあるとは思うけど、それならそれでいずれ来たるべきなのか、いつまでも来ないのかよくわからない先のことより今に委ね直すことをその都度していけたらいいなと思う。

着物に詳しい友人に博多織というのを教えてもらってそれについて調べていたらなんとなくそんな気がした。たくさんの経糸と太い横糸、中島みゆきの歌も思い出しますね。

私たちは何も知らない。

いつか、いつか、と小さく願いながら出会いをつないでいく。言葉を紡いでいく。昨日引用した石田波郷の手花火の句もそうかな。

少しずつ少しずつ。

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俳句 読書

花火

今日も暑かったですね。夜の風もなんとなくまとわりつく感じになってきました。月は良い感じに雲隠れにし、でした。夏の月って雲の向こうでもなんとなくすっきりと明るく感じませんか。

以前、お世話になっている先生に「書く」練習として沢木耕太郎を「読む」ことを勧められてとりあえず『一瞬の夏』を読みました。内容はうろ覚えですが、最初に神田でビールを呑んで、新宿でウィスキーを呑んで、1杯目のビールだけが汗を引かせてくれた、というような記述があるのです。この話って結構暑苦しいお話だと思うのですが、その前振りとしてかっこいいなぁと思いました。

ビールの一杯目ってほんとそういう感じですよね、という話ではないのですが、夏ですねえ。今年はビアガーデンとかどうするのでしょう。

今年は十勝の勝毎花火大会は中止らしいです。帯広の藤丸百貨店屋上でビールを呑みながら見たことがあります。ああいう夏がまたきてくれますよね、と誰に聞いたらいいかわからないけど、きてくれるといいですね。でも私には北海道は寒くて、その日も途中でリタイアしてガラスの内側で音と本物が放つ光をみていましたけど。東京の夏はエアコンで喉がやられてしまうし、一体どこがちょうどよいのか・・困ったものです。

今年は小さく線香花火もいいかもしれないですね。

手花火を命継ぐごと燃やすなり 石田波郷

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俳句

暑中見舞い その二

暑中お見舞い申し上げます。

先日お会いしたばかりですがお元気ですか?あのお話はまた改めてお返事しますね。

会うといつも同じような話ばかりしてしまうので、お手紙くらいなにか目新しいことを書きたいな、と思ったのですが意識するとなおさら何も思い浮かばないものですね。

明日も「暑い暑い」ばかり言っているうちに一日が終わりそうです。それはそれで平和でしょうか。

何も思い浮かばないので、今日の日めくりにあった俳句を書きますね。大好きな俳人のちょっとあれな句です(私の鑑賞を今度聞いてくださいね)。

男にも唇ありぬ氷水 小川軽舟

それではまた近いうちに。またみんなでいつものお店で集まりたいですね。それまでなんとか無事に過ごしましょう。

ということで、今日も宛先のない暑中見舞い、やってみました。書くことがない、みたいなことを書いていますが、今日は結構あったかも。月もきれいだし。十三夜ですって。でも葉書に書ける量は本当はもっと少ないですものね。自分のなかにおさめておくことも大事かもです。いずれもっと伝えたい気持ちが強まったときのために。

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読書

ポッカリ

というわけで(前のつぶやきとつながっています)8月です。

今日は夜の予定を間違ってしまいぽっかり時間ができました。ポッカリ月がでましたら、舟を浮かべて出掛けませう、は中原中也でしょうか。彼が生まれた山口県湯田温泉、いつでもいつまでものんびりお散歩していたくなる大変よいところです。お目当てだった居酒屋さんが満席で、お知り合いのお店を紹介してくださって、なぜか駄菓子も持たせてくれて、うかがったお店も暖かく迎えてくださって地元ならではの雰囲気を堪能したことを覚えています。今年はそんな旅もお預けでしょうか。行かれる方は楽しめますように。観光客を待っていてくださる地元のみなさんもどうぞお元気で、と願います。

本当に今年は辛いことが多いですね。もちろん毎年そういうことはたくさんあるのですが、新型コロナはこれまでと違う形で私たちの生活を変えつつある気がします。

ようやく梅雨があけたので「そうだ、暑中お見舞い書こう!」と思い立ち、さっき架空の宛先に暑中見舞いを書いてみました。8月はこんな夏だからこそちょこっと想像書簡のようなもの、あるいは夏の宿題シリーズ的なもの、あるいはこれまで通り?まぁ、気ままに書きたいときになんか書こうと思います。

今夜の月は穏やかです。これからグンと暑くなるでしょうから大雨の被害に遭われた地域の方の体調も心配です。どうぞご無事で、ご安全に。

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精神分析 読書

誤配

東浩紀は『哲学の誤配』のなかで、フロイトにこだわる理由を問われ、フロイトとユングの比較をしたうえで、フロイトは個人主義者なので、「人間一人ひとりはバラバラだけど、各自がバラバラの状態で出力したデータを集積すると、データのうえでは集合的無意識が立ち現れる」という東さんの考えとしっくりくる、と答えていました。

 それはそうと、この「誤配」という概念は大変有効で、精神分析のように明確な目的を持たず、特定の問題を焦点化するでもなく、二者でいるのに自分のことばかり語り、沈黙し、感じ、それをまた言葉にしていく作業を連日続けていくというのはまさに誤配をつくり出す作業なのではないか、というようなことを研究会で話しました。

 倉橋由美子的だな、とも私は思っていました。

 ほかにも色々話しましたが、やはり「誤配」概念の射程は広く、精神分析の可能性を示すための補助線になるように感じました。東さんはこの本のなかで誤配は意図的に作り出すのは不可能なので、誤配が起こりやすい状況を作りだせないか、と考えているともいっています。

 精神分析は「先のことは誰にもわからない」という現実を無責任にではなく素朴に言い続けているようなところがあります。「いい悪いではなくて」とか「今ここのことを話している」という言葉も先のことはわからないという現実とつながっているように私は思っています。

 精神分析は、他の人からみたらなんの意味があるかわからない、無駄な時間なのでは、と思われるかもしれません。実際、精神分析を受けたり、実践したりしている側にもそういう思いは生じます。でも「で、だから?」というのが精神分析なように思います。答え、目的、意味って?自分で無駄という言葉を使うなり「無駄って?」と自分に問い直すようなことが起き続けているという感じでしょうか。

 この前、「三度目の殺人」という映画を観ました。ぼんやりとみていたので詳細もぼんやりですが、「それって誰が決めるの?」というような言葉を広瀬すずさんがいっていました。線引きに対して疑義を呈するというのは是枝作品に一貫した態度のような気がします。そうでもありませんか?

 私たちはそんな確かな存在ではないので、というか、私はそう思っているので、いろんなことを感じて考えていつも揺れ動いて、なんだか大変だなぁ、ということが多いです。一方でよく笑ったりくだらないこといったり、ちょっとしたことで今日はいい日だったなぁ、とか思うことも多いです。「だから何?」みたいなことを書いているのもそんなわけです。

 明日はどんな一日になるのでしょう。ウィルスも災害も気になるし、それどころじゃない、むしろ目の前のこの人の気持ちの方が気になる、という場合もあるでしょうし、特に何も気にならない人もいるでしょうし、色々ですね。かなり確かなのは明日から八月ということですね(びっくり)。とりあえず睡眠は大切なのでみなさんもよく眠れますように。

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精神分析 読書

密、親密、秘密

6月に社会学の本を読んだよ、ということで気鋭の若手社会学者、中森弘樹さんの『失踪の社会学 親密性と責任をめぐる試論』を取り上げました。

この本、コロナ関係の本かと思ってしまいませんか?題名だけみると。でも違うのです。出版は2017年ですから。そのくらいコロナは親密性と責任について考えることを余儀なくしたウィルス、というかもはや出来事となったと思いませんか。

そして、コロナ関連の本が続々。本というか雑誌?みなさん、仕事が早くてすごいです。危機のときの情報の取り入れ方は人それぞれだと思いますが、私はネットニュースやSNSで流れてくる情報をぼんやり眺めながら、そのなかでも信頼している書き手が参照している元の資料や文献をみて、でもよくわからないから関連のもみて、とかやりながら自分の仕事をどうしていくかを考えています。終わりがない作業ですねえ、こういうのは。開業だと最後は自分で決めるしかないけれど。

研究者のみなさんはすでに視点が定まっているから「この視点でこの出来事を見た場合」という感じで書けているわけでしょうか。これが臨床との違いかなぁ。でもこういう雑誌を読むときもどの論考も大抵「今の時点で」というような言葉は入っているわけだから変わりゆくものとして取り込むことが大切なのかもしれませんね。

あ、「こういう雑誌」というのは2020年8月に出た『現代思想』のこと。今号は、パンデミックを生活の場から思考する、ということで「コロナと暮らし」という特集を組んでいます。目次は青土社さんのHPをご覧くださいね。

冒頭に挙げた中森さんの本、やはりコロナにも通ずるテーマですよね。親密性と責任。ここでは、【家族と「密」】という分類(分類、やや雑ではないか?と思わなくもないけどスピーディーな作業には必要かもしれない)で『「密」への要求に抗して』という論考を書かれています。

 まず、「コロナ離婚」という言説、あるいは社会現象を「ステイホーム」がもたらす親密圏への過負荷に対する私たちの不安感を示唆するもの、として捉えるところから始まるこの論考。

ワイドショー的な言葉の使い方はこうやって言い換えてもらうと急に自分のこととして考えられる言葉になるような気がします。これぞ専門家の役目かもしれません。

「密を避ける」、で「ステイホーム」、といってもそもそも「家族」って形式としては「密」ですよね、でもそこは前提だから議論は避けて通りますか、だとしたらそれはなぜでしょう、みたいな疑問を中森さんはきちんとしたデータをもとに書いておられて、「それを自明の前提として受け入れるとき、その背景にはどのような規範が存在しているのだろうか」という「問い」に変換していきます。

「そんなの当たり前じゃない?」というのは昨日書いたような「あっちがあるじゃない」というのとたいして変わらないような気がします。前提を顧みること、「前提が、現状に対してとりうる選択肢を狭めている」可能性を考えること、中森さんがここでしているのはそういうことかと思います。

「家族を特別視する背後にあるもの」を検討するために援用されるのは山田昌弘(2017)。私にとっては久しぶり。あとは読んでいただくのがいいと思うので詳しくは書きませんが、確かにコロナ禍のコミュニケーションのなかで、それぞれが前提としている「家族らしさ」ってあるんだなぁ、と思ったのは本当。そしてその前提から要求が生じ、いつの間にか大切にしたかったものはなんだったっけ、となることも確かにあると感じます。

中森さんはご著書でも「親密」をキーワードにされていましたが、ここでも家族にとどまらない親密な他者との関係について、まずは「親密圏」とはという概念から教えてくれます。これも昨日書いた「広場」の概念を考えることと私には重なってきます。

とサラサラ書いていたらなんかすごく長くなってきてしまいました。読みにくいですね。もしご興味のある方は、まずは本屋さんでちょっと見てみてください。他の方の論考も興味深いです。

中森さんのこの論考、最後はジンメルの「ある程度の相互の隠蔽」を引用し、「ステイホーム」においては、「秘密」「奥行き」、すなわち「距離」あってこそ生じるものの確保という課題が想定されるため、「「密」への要求に抗する新たな規範を構築してゆく必要がある」と結ばれています。

ここは土居健郎の「隠れん坊」とか「秘密」の概念と重ねて考えるところです、私の専門としては。

そういえばジンメルも「人間関係論」のテキストに出てくるなぁ。有名な社会学者です。

「人間関係」は本当に幅広くて複雑で難しいこともたくさんですが、目の前の誰か(とかSNS上の文字とか)のキャッチーな言葉に自分のことを当てはめたり、当てはめられたりしてしまう前に、「なんでこんな不安なのかなあ」とかまずは自分のこころの奥行きを使ってみてもよいかもしれません。本来であれば、そこは秘密の場所だと思うので。

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広場

新宿中央公園、10代後半からずっと馴染みのある場所だ。少し前から蝉が一斉にわんわんと鳴き出した。先日、学生もホームレスの人も会社員も私たちも誰でも寝転がることができた芝生広場がリニューアルオープンした。「魅せる芝生」エリアの分だけ私たちの居場所は少なくなった。

広場。私たちが出会う場所。お互いが何者かなんて知らなくても言葉を交わす場所だった。

「いいじゃん、こっちがあるんだから」と残された広場を指差す人もいるかもしれない。単に寝転がるという目的を果たすだけならその通りかもしれない。でもすでに「残された広場」と書いた私は、美しく整えられたその場所を侵襲を受けた場所として捉えているらしい。一個だけ、あともう一個だけ、と言っていたら全部なくなってしまった、というような欲望、あるいは関係のあり方にも馴染みがある。「そこだけは」「それだけは」という抵抗こそ虚しく奪われていく場面も見聞きしてきた。

自分だけの場所を守る。それがどのくらい必要で、どのくらい難しいことか、いろんな人の表情や語りが思い浮かぶ。一度侵襲を受けた場所は多くの場合、最初からそうだったかのように少しずつ姿を変える。事実は変わらないとしても侵襲の記憶に苦しむのは辛い、お互いに。

広場、それは作られるものではなくてどちらかというと余白だろう、と思うのは昨日、マルジナリアのことを書いたからかな。