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精神分析、本

つもりはつもり

こんなでもやっていけるもんだな、と感心する、自分に。世界に。

本を読んでいても患者さんの話をきいていても「よくそんなこと覚えてるな」と思うことが多い。記憶力の問題も大きいだろうけど自分がいかにぼんやり世界と関わってきたかを思い知らされる。

川添愛さんという言語学者であり作家でもある多才な方がいるが、『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)の面白さはすごかった。同じ年齢で文化も共有していて書かれていることもそれが誰でそれがなにかはわかるのだけど、私は細かいところをなにも覚えていない。私にとって川添さんはもうなんかすごすぎるのだが特別というわけではなくて誰と話してても私はそう感じやすい。そのくらいぼんやり生きてきてしまった。が、最初に書いた通りこんなでもなんとかなっているので大丈夫だよ、と誰に言うでもなく書いておく。自分にか。

この本の最後は、といきなり最後に飛ぶが「草が生えた瞬間」ということで書き言葉の癖について書かれている。三点リーダーとかwとかそれがのちに草になったこととか全然知らなかった。私いまだに(笑)をたまに使うくらいだし…。←これが三点リーダーと呼ぶんだって、私はこれよく使っちゃう・・・。悪いことではないが何事も過剰はよくない気がする。

この本、2021年5月にでてすぐに読んでまだ一年くらいしかたってない。こうしてめくれば「ああ」と思い出すこともある。が、ごくわずかだ、私の場合。最後からめくるのが癖だからさっきはいきなり最後に飛んでしまった、と一応意図を説明してみようかと思ったがそんなのなかった。「あとがき」から読む癖は変わらないな。変えようとしない限り変わらないのが癖か、というとそうでもない。いろんなことの複合体というかなにかがまとまって仮固定された形なのだろう。忘れる忘れないでいえば、本の最初、つまりもっとも集中してなんどか読んだ可能性のある箇所を「こんなこと書いてあったのか」とまた新鮮に読めてしまったりすると「大丈夫かよ」と自分に思うがさっきも書いた通り大丈夫。縄文時代と古墳にだけやたら詳しかった時代なんて誰にでもあるでしょ、ということにしておこう。

ダチョウ倶楽部の上島竜兵が亡くなったときに思い出したのもこの本だった。表紙にも登場している。「意図」と「意味」の違いを説明するときに使われるシーンはもちろんあのシーンだ、と私でもいえるくらい、さすがにダチョウ倶楽部のあのネタは有名だ。彼は「AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか」という二番目の話に登場する。

「知るかそんなもん!」と絶叫したくなる例も面白い。上島竜兵は誰もがその「意図」をわかる形で正反対の「意味」の言葉を伝えたが、「たいていの言葉については、話し手が「こういうつもりで言った」とか「そういうつもりじゃなかった」ということができてしまう」ほどにその意図は個別的で読み取ることが難しい。

私の臨床でもよく聞く言葉だ。「そんなことはわかってる。あなたが意識できていることなら私がなにかいうまでもないでしょう」と私は思う。特に精神分析は無意識や「こころ」と名付けられるものなど捉えられなさ、わからなさのほうに常に注意を向けているのでそういうつもりじゃなかったのに今ここでこれが生じていることに関心をもつ。私たちをおかしくさせるもの、苦しくさせるもの、それを同定することは多分無理だ。でもピン止めする(北山修が使う言葉)、仮固定(千葉雅也が使う言葉)することはできる、他者がいれば。もっともひとりだったらずれ自体に気付く必要もないのかもしれないが。

今日二度目のブログを書いてしまった。こんなつもりじゃなかった。書かねばならぬものは別にあるのだ。はあ(これにもwとか草みたいな記号的なにかはあるのだろうか)。はあ。

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精神分析、本

アリスのことではなくて単に夏の思い出

この花が咲けばこの季節とわかる。この果実がなればもう一年かとわかる。廃墟、という感じではないな。私がこの道を通いはいじめてから少なくとも2年以上は誰も住んでいないみたいだし。いろんなところをいろんな植物で埋め尽くされてこの時期は中の様子はあまり見えない。でもこんなに色があったら廃墟って感じではない。モノクロ写真の一部に色をつけたみたいな感じとも違う。全部きちんと生きている感じがする。

この道はインターナショナルスクールがあり、私がいくのはちょうどお迎えの時間。日本語と英語を自在に使いこなす親子(男性はほとんど見ない)が続々と集まり別れていく。

はじめて海外へ行ったのは20歳の夏。サンディエゴのSDSUの寮に1ヶ月間。広大な敷地を持つ大学はライブ会場にもなりニール・ヤングとかきてたんじゃないかな。違ったかな。ライブのある日は寮からみた景色がすごかった。毎日プールに入り、海へいき、古着屋とレコード屋をめぐり、最初は甘すぎたお菓子やアイスもたくさん食べられるようになった。友人が恋をした人の結婚相手が海軍の人で海軍専用ビーチでBBQもした。その人がすごくセクシーな水着で犬を連れて海辺を歩く姿が映画みたいでもちろん友人は釘付けだった。日焼けしすぎてカリフォルニアの皮膚ガンの発症率をもとにクラスで叱られた。帰国してから急に体重も増えた。あれだけアイス食べればそうなるよなあ。翌年の夏は六週間、ケンブリッジへ。今度は絶対日本語を喋らないときめて親にお金を借りていった。最高だった。ケンブリッジ大学の有名なカレッジは緑がいっぱいで、庭では無料でシェークスピアがみられた。美術館も無料で毎日のように自転車でブリューゲルをみにいった。児童文化の授業でもブリューゲルの絵は重要で見れば見るほど発見があった。ロンドンにもパリにもウェールズにも足を伸ばした。フランスへ向かうフェリーで死ぬほど気持ち悪くなって以来、車酔い、船酔いに強くなった。酔わなくなったわけではなく酔ってもあそこまでなることはないだろうと思えた。早朝フランスへつき、ぐったりしたままバスの窓からひろーい田舎の景色をぼんやり眺めているうちにパリに着いた。途中立ち寄ったドライブインみたいなところでクロワッサンとカフェショコラのセットだったのかな、を頼んだ。「お前気持ち悪かったんじゃなかったのかよ」と呆れられそうなくらい元気が出た。あの味が忘れられなくてどこいってもクロワッサンとカフェショコラを頼んだ。日本に帰ってきてもそうした。あの味はあの一度きりだった。エッフェル塔の真下でいかにもパリというカフェへいったがお肉が美味しくなかった気がする。必ず一人になれる場所があるというヴェルサイユ宮殿の構内をバスでめぐったが確かにこんなところで読書を、という人がいた。鏡の間ではベルばらのセリフが思い浮かんだ。セーヌ川の船では日本語も含めたくさんの国の言葉で音声ガイドが繰り返されるのが興醒めだった。オペラ座は当時工事中だった。フランスでトレーニングを積んできた分析家がちょうどフランスへいるときであとからその話をした。すでに古い訳のフロイトを読んではいたが精神分析家という存在を当時はまだ意識していなかった。私がはじめて精神分析家という肩書きを持つ人の家を訪れたのはその5年後だ。内戦が続いていたクロアチアの彼は元気だろうか。日本文化をうまく説明できない私の代わりに彼がしてくれた。私よりずっと日本のことをよく知っていた。彼はいつも英語で先生と怒鳴り合いをしていた。いや先生は怒鳴ってはいなかった。怒りをどうにか抑えた声で彼の暴言に注意を与えていた。そんなときの彼は小学生みたいだったが私にとってはさりげなく助けてくれる素敵なお兄さんだった。ケンブリッジでは「これを紳士的というのか」という対応もたくさんしてもらったし、ネオナチの若者には注意が必要だったし、寮の管理人さんやB&Bの宿主には宝くじで待たされたし、お店ではあからさまな差別を受けたし、チェコになったばかりのチェコ出身の私の2倍くらいある優しい彼は美味しいパイを焼いてくれたし、ロシアの家族はロシアのおやつを作ってくれたし、私がスーパーに行く時間に必ずその道をバイクで通るアイルランドの男性とはいつの間にか仲良くなった。みんな今はどうしてるのだろう。差別はやめられてたらいいけど。生きているといいけど。本当に。生きていてほしい。

思い出すことをそのまま書いていたら最初に書こうと思っていたアリスのことを書く時間がなくなってしまった。いつもお世話になっている先生とハンプティ・ダンプティのことで盛り上がりThe Annotated Aliceという本を何度も読んだと聞いた。英語かあ、ともうすでに遠い英語に負担を感じながらネットで調べたらあるじゃん、邦訳。しかもすごくかわいい。アリスはこれからも何度も読むだろうから買った。『ピグル』の言葉遊びの世界にもハンプティ・ダンプティがいる。それにしても『ピグル』を素材にした北山理論の概説書『錯覚と脱錯覚』が「品切れ、重版未定」ってどういうこと?もう買えないの?ダメでしょう。『ピグル』の読書会をしている私も困りますよ、岩崎学術出版社さん。まあ私ひとりが困るならともかくあの本はウィニコットを読む時にも大変貴重なのです。ハンプティ・ダンプティの挿絵で始まる名著なのです。だからお願い。みんなが買えるように準備しておいてくださいな。

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精神分析

言葉

言葉の展望台』三木那由他(講談社)を読了。あっさり読めたが頭はぐるぐるした。だって著者がそうだから。そのぐるぐるをこの少ない分量で言語化できるのがすごい。時間がないから感想文は書かない。『群像』で続いている連載の12回分がとりあえずこの本になったようなので続編が期待できるということだろう。山本貴光さんの『マルジナリアでつかまえて』も連載が途中で一冊の本になって、そこから最終回までが二冊目の本になった。とっても好きな本なんだけど中身がいちいち濃すぎて読む大変さと楽しみと興奮がごっちゃになって「もっとゆっくり読む時間がほしい!」となることがあった。まあ、山本さんの文章はどれもものすごい情報量なので読み慣れるまでは結構大変だった気がする。比べるものでは全くないのだが連載を一冊にしないで分けてくれるということは私にとっては助かることなのだ、と言いたかった。

三木さんのこの本はその理由だけではなくとてもコンパクトで、著者が経験した日常の一場面や出来事を言語学、言語哲学の知見をさらっと紹介しながらそこでどんなコミュニケーションが起きていたのか、そのコミュニケーションは学術的にはこの理論で説明できるかもしれないけど実際起きていたことってなんだろう、こんなもやもやした気持ちをその理論は説明してくれない、だとしたらどう考えればいいんだろう、ということを一緒に考えさせてくれる。

言語学、言語哲学の専門家である著者はこの連載の途中でご自身がトランスジェンダーであることを打ち明けたという。本書の最終話「ブラックホールと扉」では「あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)の著者、松岡宗嗣さんとのトークイベントでされた対話のことも書いてある。どの話も読まれるべきと思うがひとつの言葉が生まれたときにそれを大切にせずその言葉が持つ意味をたやすく広げることはある意味暴力だという認識は大切だろうと思った。

なんかすごいスピードで書いたのでこれこそ雑でよくない気がするけどとりあえず置いておく。

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嫉妬とか

誰にでも優しい親とか恋人とか持つと大変なときがある。一番厄介な感情は嫉妬。「誰にでも優しい」というのはほとんど不可能で誰か特定の人に誠実で愛情深い方が結果的に誰にでも優しい気がするけど(人に不安を与えないあり方を知っている、つまり人の気持ちがわかるからでしょうね)それは置いておいて嫉妬ってすごく不快だけど興味深い。人殺したりする力がある一方で別の対象が見つかればたやすく薄まったりもする。私が嫉妬でしんどいなと思うのはその相手に囚われていると時間もエネルギーも浪費している気がするのにそこから抜け出せないこと。厄介だなと思うのは「外では」「誰にでも」「優しい」のに身内には全く違ったりすること。というわけで全部が括弧付きになってしまうわけだ。でも愛憎はそんな簡単に分けられないから「そんな人とはお付き合いするのはやめましょう」とはならないわけだ。親と縁を切る、もう離婚する、あんな奴とは別れる、と何度も何度も言っているけどなかなかなかなか、という場合もたくさん見ている。そういうものだと思う。簡単ではないのだ。浪費は必要。時間も必要。そういう体験は必要。「必要」といえるのは嫉妬だけではなくてその人を辛くさせる感情がどこからきてどうなってしまっているのかについて一緒に考える時間や労力を負担なく割ける人だろうけど。もちろん本人がそう思う場合に同意する形でのみだろうけど。必要かどうかなんて他人がいうことではないだろう。簡単じゃないんだよ、と何度も言いたいよ、自分にも。わかっていてもできないこともたくさんだから。私たちはかなり愚かだから。

三木那由他さんの『言葉の展望台』(講談社)という本を読み始めた。『群像』で連載中だが私はたまにしかチェックしていなかった。読んでよかった。今年3月にでた『グライス 理性の哲学 コミュニケーションから形而上学まで』(勁草書房)はちょっと難しいので放っておいてしまったけどこういうエッセイで言語やコミュニケーションの具体例とともにそれを当たり前にせず、そこでは何が起きているのか、それはどういう意味なのかについて考えるところから始めると読める気がしてくる。私の仕事と近いから。またトライしてみよう。

今朝はやることが多いのになんとなく書いてしまった。習慣ってすごい。こういうひとり遊びは誰とも約束しているわけではないからいつでもやめられて楽ね。

「コミュニケーションは、話すひとから聞くひとへの約束の持ちかけだ。しかし、コミュニケーションの外側での力関係によって、それがどのような約束であるかが、話している当人の望まないかたちで決められてしまったらどうだろう?」18頁

三木那由他『言葉の展望台』(講談社)

どうだろう。嫉妬などを考える場合にもこのような視点は重要だろう。何はともあれ今日もいろんな気持ちになりつつ無理せずがんばれたらいいなと思う。少しずつ先送りしつつ少しずつ考えていこう。

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インベカヲリ★写真展「たしか雨が降っていたから、」へいってきた。

明治神宮前にいったついでにインベカヲリ★写真展「たしか雨が降っていたから、」へいってきた。Gallery KTOというきれいな街並みになってから何年にもなる原宿の旧渋谷川遊歩道沿いの小さなギャラリー。こっち側もキャットストリートっていうのかな。原宿は小さなギャラリーが多いね。きれいだけど箱が並んでいるだけのような通りの古着屋は20歳の頃に行ったサンディエゴの古着屋みたいだった。ギャラリーはとても古いビルにあって「103」とあるのにそこにいくにはきれいな店と店の間の狭い階段をのぼる必要があった。何度かビルの前を行ったり来たりしたけど「このビルなのは確かなのだから」と登ってみたら右側に昔ながらの集合住宅のポストがあった。このビルではここが一階なのね。狭くて短い通路を数歩いくと開いているドアから話し声が聞こえた。ドアにポストカードみたいなのが貼ってあったらかここだな、と思って覗いてみるとギャラリーのオーナーなのか、男性が笑顔でパンフレットをくれた。オーナーらしきその人はドアのすぐ傍に置かれた小さなテーブルで若い女性と営業なのかな、なんだかこれからのことを楽しそうに話していた。部屋は真っ白な小部屋だった。正面に4枚、左の壁に4枚、右の壁に3枚、あと手間に残された小さなスペースに1枚。一枚を除いては全て女性ひとりの写真だった。インベさんの作品は雑誌や立ち読んだ本で見たことがあり、見たことがある作品もそこにあった。今年5月にでた『私の顔は誰も知らない』(人々舎)もオフィスの近くの本屋で素敵な装丁が目立っていたので何度か少しずつ立ち読んだ。ネットでも一部見られる。そしたらギャラリーで値引きでしかもおまけつきで売っていた。もちろん買った。写真を見たあとだからなおさら全部読みたくなった。この本には様々な女性が登場する。個人の歴史の断片にはすでになかなかの困難が伴っているがインベさんの聞き方がすごいせいか登場する女性たちはとても素直でこの本に載っている写真たちもとてもいい。人はひとりひとりとても面白くそれぞれにとてもユニークだというのは私も日々の仕事で知っている。この白い小部屋の写真の女性たちも独特で特にこちらに目線を向けている写真は対話的でいい。足を広げ性器をこちらへ向けている女性の眼差しはほとんど長い前髪に隠れているのに強い力を放っていた。人は笑わなくてもむしろ笑わない方がずっと魅力的だったりする。

力を入れても入れなくても怒ったり泣いたりしても自分に対して素直にいられる場がそれぞれにありますように。インベさんはそういう場作りの天才でもあるのだろう。ささっとだったけど小さなスペースなので仕事にも十分間に合った。小雨のなか傘をささずに地下鉄へ向かった。大雨の被害が出ている地域の皆さんもどうぞご安全に。

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パターン

うーん。親でもないのに言いたくないけど、ということはやっぱり言わない方がいいんだろうな、と思って。これまですごく悩んだ挙句伝えてきたけどすぐ「怒られた」みたいな感じで不機嫌になって「ならそうできる人と付き合えば」って突き放されるだけだったし。「そういう問題じゃないでしょ」と言っても「じゃあどういう問題?」とかいわれて、向こうのほうが賢いから口でもかなわないしもっとひどいこと言われると思うと怖くて何もいえなくなっちゃう。こんなに疲れて苦しいのにどうして別れられないんだろう。優しいときもあるからそれを信じるしかないのかな。私にとって嫌というよりその年齢でそんなことしてたらおかしいでしょ、と思って言ってるだけなのに。でも変わらない。だから見て見ぬ振りをしたほうが自分のこころ的にはまだマシと思って最近はそうしてるけど。本人がそれを問題と思って変わりたいと思わない限り誰にもどうすることもできないのだからそれを待つしかないのかな。

というのは本当によくある話だけど、口で言うほどそうは思えないから人は誰かを想うと苦しくなるわけだ。愛情ってなんでしょうね、とか悠長な話でもなくてこれを暴力と感じ実際にそう名付ける日だって遠くないかもしれない。それでも人は繰り返す。驚くほど同じようなやりとりを。

今朝は鳥の声が止まらない。どうしてだろう。彼らにも耐えがたい関係とかあるのだろうか。ないだろう。彼らは私たちよりずっと儚い分、しっかりと自然と対話するように生きている。葛藤などおこしている場合ではないだろう。

辛くて苦しくて眠れない。そんなわけでそんなパターンにいつも通りはまりこんでなんて愚かなのでしょう、自分は。わかっているのに涙が止まらない。

今この瞬間にもそうなっている人がたくさんいるだろう。人間って難しい。自分の欲望と同じくらい相手の欲望のことを思えたらたやすく反応できないことばかりなはずなのにいつもちょっと自分が優先されてしまうことばかり。

ケアというのはこのちょっとの部分で反転が起きているのかもしれない。自分にとって何が必要で何が大切か、それをたやすく見誤ってパターンに陥ることで自分の可能性を失ってしまうことのないように私はパターンに陥る側としてもケアする側としても考えていく。鳥の声に励まされながら。優しい人に見守ってもらいながら。

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回復のための時間

「ちょっとやそっとのことでくじけたりしない。」朝ドラの主人公みたい。「ちょっとやそっと」って言葉、面白い。「そっと」って「ちょっと」を強調してるんでしょ?控えめな強調が自信なさそうでちょっとくじけてそうで応援したくなる。ならないですか?私はなるなぁ。しかも(?)私はちょっとやそっとのことですぐくじける。暑いとか寒いとかでもすぐくじける。回復は早いかもしれない。「ちょっとやそっと」がどんなもんかわからないし回復の度合いも比較できるものでもないだろうけどずーんと重たい痛みに沈んだり「私ってほんとだめだな」ってなったりとか「もうほんとうるさいバカ」とくさくさと引きこもるような状態から、そんなこと何も知らない相手から送られてきた写真に思わず笑っちゃったり「あ、スズメだ!(スズメ好き)」と思えたり点滅する信号に向かって走りだしたりする自分に気づくと「あ、回復してる」と思う。そうなるまでの時間が結構短いのを回復が早いといってるかも。以前との比較でいうなら時間的に短くなったのはたしか。いいか悪いかの話でもないけど気持ちが軽い時のほうが外の人やものを受け入れやすいからいいんじゃないかな。

精神分析家の北山修先生(芸能人のきたやまおさむと同じ人物なんだけどみんな知ってるかな。私最初知らなかったんだけど)はイザナミ・イザナギとか「浦島太郎」とか「夕鶴」を素材に「見るなの禁止」を描写し続けている。その禁止が案外破られやすいところが面白いと思うのだけどこれもそれぞれの時間感覚で異なるかも。同じ体験でも「もうバレた」「まだ気づかない」とかその体験のされ方って違うよね、と思ってる。「見るなの禁止」はいわゆるタブーのことだけどタブーだってそうなるまでに時間がかかる。プロセスがある。歴史がある。タブーを破るというのはその逆をいくわけだから単純に考えれば同じくらいの時間がかかってもよさそうなものだ。私は精神分析的な治療をそれに重ねるので患者さんに対しても治療に時間がかかってしまうのはその悩みや苦しみが時間をかけて作られ維持されてきたものだからそう簡単にはどうにかならないのではないかなというような話をよくするし当事者である彼らも大抵の場合納得してくれる。でも時間をかけることでどうにかなるのかもしれない、と思えること、そう感じられるような作業を一緒にしていくことって本当に難しくて自分の少しの変化を「回復」と感じられるように自分に対する信頼を少しずつ取り戻していくプロセスを支えていくことなんだろうと思っている。そうするためには私自身がそうである必要があってだいぶそうなってきた自分を感じられることは患者さんにとってもいいことなんだと思いたい。いまだ訓練中ですけどね。

いわゆる北山理論に学ぶことが多く、今日もそれで色々考えようとしていたのだけどあまり進まなかったな。タブーを発達論的に考えると「躾」というワードがでてくるわけで、そこでは超自我的父性と養育的母性がまじりあう。どの言葉にも両義性とそれゆえの曖昧さを見出しその二重性を生きていくことが大切なんだ、ということだと思うのだけど私はそこから逃れようとする心性が作用しているのであろう通じにくい言葉について考えていて、もしそうやって守らねばならない領域があるとしたらそれは自分だけの言葉にはならないなにか、だけど言葉の生成に深くかかわるなにかをためておく必要があるからではと思っている。ウィニコットがいうコミュニケーションしない領域のことだけど。北山修著『新版 心の消化と排出 文字通りの体験が比喩になる過程』(作品社)は北山理論入門としておすすめかも。かも、といったのは北山理論はとても魅力的なのだけどお付き合いするにはちょっとエネルギーがいるよなぁ、という気持ちがよぎったからなのでした。まあ勉強ってそういうものですね。

ダラダラ書いていたらなにをしたかったのかわからなくなってしまった。いつものことだけど休日だからってことにしておこう。回復のための時間。Au revoir.

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別の目で

ソフトクリーム型アイスの上半分を守るフタを開けられず苦戦していた。それを買ってくれた人がパッと手にとって開けてくれた。こんなことまで。やってもらってばかりで。この不器用さ。ああ。と情けないような恥ずかしいような気持ちに一瞬なったけど私が粘ることでアイスが溶けちゃったら買ってくれたその人にも申し訳ないものね。ありがとう。

大学院生のとき、受付のバイトをしていた。その日の朝もその日に必要な書類を揃えていた。かなりの数を結構なスピードで次々と積み上げていく。どうしてもある人の書類が見つからない。いつもの場所を何度も探した。似たような番号、似たような名前、間違えそうな要因を頭に巡らしながら何度も探した。

「○○さんのがない」と呟いた。当時すでに高齢だったもう一人の受付の方が「別の目で見れば」と探してくれた。すぐに見つかって二人で笑った。バイトをしている間、このやりとりを何度もした。「別の目で」という言葉が好きだった。その人は特別な几帳面さを持っていた。いつもきれいに袋分けされた見たこともないお菓子をくれた。その人が「絶対にしない仕事」というのがあって(一人の時はしていらしたので「絶対」ではなかったけど)一緒に仕事をできる人は少なかった。私もお菓子を素直に受け取れるようになるまでに時間がかかったけれどすぐに仲良くなった。だいぶ年上なので仲良くというのも変かもしれないけど院を出て受付を辞めたあとも電話で話したり目黒不動尊に一緒に行ったり一人暮らしのご自宅で鰻をご馳走してもらったりした。姪っ子さんの写真を見せてくれたときのみたこともない笑顔を今思い出した。今も年賀状で近況報告をしているけれどこうして書いていたらなんだか心配になってきてしまった。暑中見舞いも出そうかな。もう一人の高齢の方と組む日もあってフラダンスのお話を伺うのがとても楽しかった。彼らの関係はなかなか難しかったようだけど下の世代はどちらにもお世話になった。その人が亡くなってからも随分経つ。

8月に牟田都子さんという校正のプロの方が『文にあたる』(亜紀書房)という本を出されるそうだ。私も編集者さんに校正をしていただく機会があったが私には「絶対にできない仕事」だ。行を追うのにも苦労する、すぐにウトウトする、そもそも正しい表現がわかっていない気がする。こんなにダメではなく注意力も正しい知識も持ち合わせている人であったとしてもやはり校正というお仕事はちょっと普通ではない特殊能力を必要とする気がする。それこそ「別の目」を持っている人のお仕事ではないか。多分この予想は当たっていてやっぱり私には「絶対できない」と思うと思うんだけどもっとずっと驚きのお仕事だと思うし「別の目で」見える世界を知りたいから読むんだ。

自分の目も耳も信じてはいるけど疑ってもいる。すごく長い間、思い違いをしていたことだってある。「別の目」にいつも助けられている。困らされることも惑わされることもあるけど私の仕事は正しさを求めているわけではないからぼんやりと複数の視点で焦点をずらしながらそのうち何か見えてきたら共有する。笑ったり泣いたり怒ったり反応はそれぞれだろうけど一緒にやる。

今日は祝日。お休みの人もそうじゃない人もとりあえず暑さに参ってしまいませんように。

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精神分析

じっと。

今日も明るくなってきた。昨晩は昨日の朝にも登場してもらった3人の川柳作家、暮田真名さん、平岡直子さん、なかはられいこさんのトークを聞いた。司会進行はこの3人による3ヶ月連続川柳句集刊行の編集を担当された筒井菜央さん。とても穏やかで楽しい時間だった。強い情緒を簡単に投げ出さず自分におさめておいてそれを自分の作品に昇華できる人たちだからこその穏やかさという感じがした。彼らが無理なく自然に相手を思いやれるのは彼女たちが自分の生きづらさを消化する力によるんだろうなあ。すごく主張が強いのにそれを押し付ける感じはなくお互いの良さを言葉にするときもまったく気持ち悪さがない。お手軽な優しさやわかりやすい甘さがない。自分とも他人とも丁寧に関わっている感じはツイートや作品からもとても感じる。先日の大澤真幸さんと千葉雅也さんのイベントでも同じような感触をもった。彼らは、年齢や性別をその違いだけでなくそれらが持つ意味を意識することを当然としているし、断片ではなくお互いの話をよく聞いて、お互いがどういう時代を誰とどんなふうに出会って生きてきたかに関心を向け想像し丁寧に反応していく様子には優しさを感じる。そうではないことばかりでまいっていたりもするけれど「ばかり」でもないのだろう。こうして間接的に支えられながら思いやりのない世界を思いやれる力を持てるようになれたらいいな。孤独と生きていくこと。思いやりのなさに振り回されて辛くて苦しくて眠れなくてという日があるのはしかたないけどまずは自分の中にじっとおさめてみよう、とあらためて。無理のない範囲でやってみよう。やるべきことをやるために動き始めたらそんな気持ちも忘れてまた表面的なことに振り回されてしまいそうだけどとりあえずじっと自分の中におさめられますように、と自分に願う。

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あたりまえ

お願いをかたちにすればえのき茸

ーなかはられいこ『くちびるにウエハース』(左右社)

左右社川柳句集3冊連続刊行の3冊目がこれ。先陣を切ったのは8月14日、私たちのイベントにお招きする川柳作家、暮田真名さんの『ふりょの星』、そしてお会いしたことはないがその文章にどうしようもなく惹かれる平岡直子さん『Ladies and』、そしてこのなかはられいこさん。『はじめまして現代川柳』に掲載された川柳も大人のかわいらしさがとても魅力的でこの三冊でいえば最も身近に感じたのはなかはらさんのだった。暮田さんは『ふりょの星』出版前の講座で「私が露払いに」と何度かおっしゃっていた。先輩たちの句集を売るぞ、という強い意志を感じた。川柳はその作品の自由さだけでなく、若い世代が好きなものを好き、いいものは絶対売りたいととても素直にいえる世界なんだな、と新鮮な驚きを感じた。なかはられいこ『くちびるにウエハース』の解説でも荻原裕幸が「なかはらが川柳に強く求めている一つに、あたりまえのことを大きな声で言いたい、があるように感じる。」と書いている。たしかに。川柳にはじめましてをしたばかりの私ですらそれを感じる。それぞれ主張の仕方は全く異なるがこの三冊全部にそれを感じる。

お願いをかたちにすればえのき茸

NY在住の身内が法事で帰国した。一緒にお昼を食べながらえのきをありがたいといった。今NYでは日本円で600円くらいするそうだ。いけない、そんなのは。食用のえのきは野生のそれとはだいぶ違う。白くて細く柔らかくともしっかりと伸び小さな傘をたくさん広げて見かけほど儚くなく可愛く美味しい。私という一応の主体を切り取ったらすぐバラけてしまうようなお願いなのかな。似たり寄ったりの小さなお願いの花束のようなえのきなのだな。そうなのかな。あー。えのきとしめじのバター蒸し食べたい。

今日も眠い。あくびをしたら涙が出た。「え?それってあたりまえじゃないの?」「そんなのあたりまえじゃん」今日もいろんなあたりまえと出会う。あなたにとって、私にとって、それがそうならそうなんだ、まずはそういうところから。

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言葉、関係

「サラダ仕立て」ってなんだろ、って何となくわかりながら「うす塩仕立て」と見比べて後者を食べている。美味しい。うす塩だ。「サラダ仕立て」は袋から透けてみえる姿がサラダ煎餅と同じだったのでわかった気にもなったがなんでサラダなんやろと思い調べてみたらサラダ油を使うからと。うーん。それはそうやろうけど(言葉の使い方違う気がする)サラダ油自体が曖昧じゃん。サラダ油のことは数ヶ月前にオリーブオイル使用のツナ缶を食べながら話題にしたばかり。今って「サラダ油買ってきて」「サラダ油どこだろう」とか使うかな。私は使わないな。サラダ油は使うけど。

8月に東京公認心理師協会(やっぱりこの名称変更はおかしかったなと思う)の地域交流企画で大田区と世田谷区の心理士・師向けにイベントをすることになった。テーマは「言葉の可能性を探る」

皆さんは「サラダ油」という言葉を使いますか。

からはじめるか。いつどんな時にどんな用法で誰に向かってなど質問はいくらでも作れるし、その分答えも色々聞けるだろう。そこから思い浮かんだ小噺とかも聞きたい。「そんなこと聞いてどうするんだ」という反応が一番ほしいかも。

どんな少人数でも開催するから工夫のしがいもあって楽しみなんだけど、基本的には自分が使っている言葉に意識的になることをしてみたい。人の言葉には敏感なのに自分の言葉となると指摘されてはじめて気づくことばかりという場合もあるだろう。多くの場合、人は指摘されるのを嫌うから「そんなことありません」と否定するどころか「そんなこという人とはお付き合いできません」となる場合だってある。「えー、自分が相手にやる分には平気なのにー??」と思うこともしばしばだ。興味深いと思う。何かが触れてしまうのだろう、何に?どこに?こころに、といったところでこころって、というのがいつもの問いだけど心理士なのでそこは問わない。あると想定して理論を学び実践を繰り返して20年以上経ちそう呼ぶしかない何かがあることは疑いようがない。それでもその言葉を使うたびに「こころって?」と突っ込むことも忘れないだろうけど。

朝からどうでも良さそうなことを書いているけどこれ単なる朝のあそびでノルマでもなんでもないから自分まかせで何かを伝えることを想定していないのだ。もちろん読者がいることはわかっているので自分と誰かの区別をぼやかしたりそれこそ言葉の使い方には最低限気をつけているつもりだけど基本的には自由連想。「なんで?」とか「そんなことして意味あるの?」と聞かれても「わかんない」「意味ないと思う」と答えると思う。そして答えながら「理由とか意味とかいちいち必要ですかね」と思うと思う。そしてなんだかんだ考えちゃって「まあこういうことを考えることになんらかの意味があるのか」と落ち着くと思う。自分ひとりよりは何か言われたほうがあれこれ考えられるので悪いことばかりでもない。

言葉って本当に曖昧で複雑なものだと思う。なんでも正しそうなことを言えばいいってものではない。ひたすら正答を教えられても大抵はそれとは違う行動が選ばれることを大抵の人は体験している、ということを前提にすると「正しさ」を押しつけられと感じたときに「なんで私に?私のどこの何をどうしたくて名指しで?」と思うかもしれない。世界は自分仕様にできていない。事実だって正確に記述するのは非常に困難だ。何かを「正す」関係ではなく差異を当然のものとしてそれを分断、排除の種にしないためにできることは何か。何したっていろんなことが起きるけど「そんなこという人とはお付き合いでません」「そんなこというなら出ていきなさい」など関わらない方向へいくのでなく大切にしていきたい関係というのはあるわけで相手が深く傷ついてしまうことのないように、狂気に暴走しないようにできることを考えたらこんな言葉は使えないな、とか言葉って相手を大切に思えば思うほど饒舌さは失われてその貧困さや難しさと出会うようにできていて、でもそこからなんとか諦めずに言葉の使い方を考えようとするるのも相手のことを大切に思うからで、という循環があると思う。普段は全く意識せずにいっぱい失敗したとしてもいざというときに助け合えるように時間をかけてゆっくり育てていけたらいいな、言葉を、そう思える関係を。

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この道の長さいっぱいを

遠くで救急車の音がする。何もないといいけど人は突然死んだりすることも経験済み。驚くほどあっけなく。もちろんそうでない場合も。いろんな生き方があっていろんな死に様がある。どんな場合もそれは誰にもコントロールできない部分を残す。誰もがいずれ死ぬ以外のことは私たちはまるで無知。

文芸誌『群像』で山本貴光さんが「文学のエコロジー」という連載を持っている。2022年7月号では「文芸と意識に流れる時間」という題そのままに「時間とはなにか」という終わりのない問いを具体的な文芸作品を素材に検討している。普通こう書かれたら前号までの素材『ゴリオ爺さん』のような名作がくると思うではないか。しかしなんとここで山本さんが取り上げたのは

古池や蛙飛こむ水のをと

たしかに言わずと知れた松尾芭蕉の一句である。が、こんな最短のところから見ていくのか、と思った。

575の17音にいかに豊かな世界が展開しているかはいい俳句を読めばわかるとばかりにさまざまな俳人がさまざまな句集や解説書を出している。例えば私の師でもある堀本裕樹先生の『十七音の海』(株式会社カンゼン)は題名がすでにそれを示しているし、先生の恩師である宗教哲学者鎌田東二は「俳句は宇宙を詠めるんだ」と言ったそうだ。堀本先生のこの本はリニューアル版として2017年に『俳句の図書室』(角川文庫)という書名で文庫化された。『俳句の図書室』でもはじめに「はじめに」で登場するのは松尾芭蕉のこの一句である。常に源流を辿る山本貴光さんがここから始めるのも必然、当然なのだろう。とはいえ、山本さんがこの句を使ってここでしようとしているのは十七音に流れる時間、それを読む人の意識における時間などをシミュレーションによって検討することであるからまた新しい。俳人の作業をメタで分析されるとAI俳句もそんなに別物という感じがしなくなる。

古池やかはづとびこむ水の音

私は最近別の本でもこの表記でこの句を見かけている。真木悠介『気流の鳴る音 ─交響するコミューン』(ちくま学芸文庫)のなかでだ。

今年の4月に亡くなった超有名社会学者だが私はあまり読んだことがなかった。私はこの本の最初の方で自分が重度の自閉症の方々と関わってきた記憶のなかでずっともやもやと抱えていた部分に光を当ててもらったような気がしたのだがそれはまた別のお話。

真木はこの句を「時間の構造を空間の構造におきかえている」と延べ「水の音という図柄はじつは、このしずけさの空間を開示する捨て石なのだ」といった。イタリックは本文では傍点である。

「存在を非在非在として、有をとしてとらえる感覚の反転力をこの一句は前提としている」

真木悠介『気流の鳴る音 ─交響するコミューン』(ちくま学芸文庫)

ここで生じているのは単なる図と地の反転ではない。それを通して得られる「地を地として輝きにあふれたものとする感覚だ」。芭蕉は四十日余りも歩いて着いた松島では一句も残していないという。

「松島はただ芭蕉の旅に方向を与えただけだ。芭蕉の旅の意味は「目的地」に外在するのではなく、奥の細道そのものに内在していた。松島がもしうつくしくなかったとしても、あるいは松島にたどりつくまえに病にたおれたとしても、芭蕉は残念に思うだろうが、それまでの旅を空虚だったとは思わないだろう。旅はそれ自体として充実していたからだ。」

松島に到着することに価値があるのではない。「心のある道を歩く」とは「その道の長さいっぱいを」歩くこと、「その道のりのすべてを歩みつくすことだけがただひとつの価値のある証なのだ」「息もつがずに、目を見ひらいて」。

真木はドン・ファンがカスタネダとパブリートと別れの時に告げた言葉も引用する。「夜明けの光は世界と世界のあいだの裂け目だ。それは未知なるものへの扉だ。」

また救急車の音だ。今度は近くを通り過ぎた。今日も無事に朝を迎えられたこと自体はたまたまかもしれない。たまたまな気がする。この生を、生活を、「今ここ」という時空に向かって回帰する自己の歩みを一歩一歩確かめるように、というのもなかなか難しい。でもそんなことを考えるこんな朝の短時間は悪くない。何のために?そんなことは考えずに今日も一日。

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何はともあれ

南側の大きな窓をそっと滑らせて開けた。雨の音。期待通りちょうどいい涼しさの風がスーッと入り込んできた。降り込んでくるほどではないから開けておこう。

昨日、新宿駅は雨漏りしたらしい。この前、雨でもないのに雨漏りしていたあのお店は大丈夫かしら。あ、雨でもないのにということは雨とは関係ない水漏れだったのかな。あ、鳥が鳴き出した。

毎日どこに向かうわけでもない言葉を聞いている。話してもいる。日々なにかの答えを求められる仕事をしていても「思い浮かんだことをそのまま話して」と言われれば曖昧な自分とばかり出会う。伝えたいことを伝わるように言葉にするなんて不可能だと私は思うので何度もやりとりが必要だし誤解したり喧嘩したり自己嫌悪に陥ったりちょっと嬉しくなったりいろんなことで時間がかかるのは当たり前だなあと思ってこういう仕事をしている。でもその曖昧さやわからなさを負担に感じる人にとってはこの作業にあまり価値はないのかもしれない。あ、私も負担ではあるけれど人間関係ではこういう負担は当たり前だなあ、なんで負担に思っちゃうんだろう、なんで私こんな負担なのに関係の取り方を変えようとしないんだろう、とか考えるので単なる負担ではないというか、いつの間にか負担ではなく考えるのが必要な習慣になっているというか。好きな人や大切な人に対してはなおさらどうしたらお互いを大切にできるのだろうとか、お互いを大切にするってどういうことだろうと思い悩んだり。こういうのすでにめんどくさいかな。私はこうでもないああでもない、今日はあんなこと言っちゃったけど本当はそんなことが言いたいんじゃなかったのに、と泣きたくなったり、泣いたり、現実的な制約と自分の欲望の折り合いのつかなさに落ち込んだりする。辛いし負担も大きいけど、だからこそひとりではやらない。できない。堂々巡りになってしまうだけだから。色々めんどうだけど悪いことばかりでもないだろうからだれかと色々考えていけたらいいのではないかな。

まあ、何はともあれどこへ行くかはともかく雨だけどがんばれたらいいですね(うとうとしてしまったら時間がなくなってしまった)。

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塀の中の希望

ようやく鳥の声が聞こえた。洗濯機を回す音や冷房が風を送る音に紛れてしまうこともなかろうに、と思ってなんとなく待っていた。いつもより1時間くらい遅い。私の耳のせいか。鳥たちに、自然に何かあったのか。

今朝は奥多摩駅内にあるという珈琲屋さんのコーヒーとそこで売っている山形県みはらしの丘のESCARGOTというお店のパウンドケーキを食べた。お土産でいただいた。みはらしの丘なんて素敵な名前。富士見ヶ丘という地名はたくさんあると聞いたことがある。以前はそのどこからも富士山が見えたそうだ。そりゃそうか。みはらしの丘はとてもみはらしが良さそう。そりゃそうか。

そういえば映画「ショーシャンクの空に」の序盤、一台の車を追うようにして要塞のような刑務所の入口へ観客の視線は導かれるのだがここのカメラワークはとても印象的だった。観客の視線は車と一緒に刑務所の門を潜ることはなく、飛行機が離陸するようにそのまま上空へと導かれ塀に囲まれた広い空間を俯瞰するようにゆっくり旋回させられる。鳥の視点だ。このシーンがあるからラストシーンがなおさら意味があるものになる。

原作にはこんな語りがある。

Some birds are not meant to be caged, that’s all. Their feathers are too bright, their songs too sweet and wild. So you let them go, or when you open the cage to feed them they somehow fly out past you. And the part of you that knows it was wrong to imprison them in the first place rejoices, but still, the place where you live is that much more drab and empty for their departure. That’s the story

ーKing, Stephen. Rita Hayworth and Shawshank Redemption

そう、そういう話でもある。

自由とはなにか、罪のあるなしに関わらず一度囚われたその場所から釈放されるためにどれほどの犠牲を払わされるのか、釈放の許可を与えるのは誰か。「更生rehabiritation」とは何か。人生の半分以上を刑務所で過ごしてきたレッドはいう。

Have I rehabilitated myself, you ask? I don’t even know what that word means, at least as far as prisons and corrections go. I think it’s a politician’s word. It may have some other meaning, and it may be that I will have a chance to find out, but that is the future… 

これは原作からの引用だが、映画でこれが語られるシーンでは静かに圧倒される。棒読みで目を泳がせながら媚びるように決まったセリフを繰り返す必要はいまやない。この囚われの立場を知らぬ者たちが使うその言葉はただのブルシットワードだ。この場面には映像やポスター以外で刑務所内ではじめて女性が登場する。時間はゆっくりと着実に変化をもたらす。自由の意味も変わる。ある者は死を選び、ある者は静かに夢見る。いずれ記憶のない暖かな場所で暮らすことを。

相手の話に耳を傾け、気持ちを想像できる人ばかりがメインの登場人物であるこの映画、暴力的なシーンもあるが相手を知ろうとする力と豊かな情緒を持つ人たちの関わりが観客にも希望を失わせない。希望hope、原作でもそれが最後の言葉だ。

それぞれに過酷さを生きる瞬間瞬間があるだろう。たやすく希望を持てと言えるはずはないがなくはないかもしれないそれに少しでも自分を委ねることができたら。いつも願ってばかりだけれど今日も。

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hope&force

いつもの森から一斉に鳥の声が聞こえてきた。誰かの一声が目覚まし時計みたいになってみんなびっくりしちゃってるとかあるのだろうか。ないか。

今朝も早速「プライバシーって」と思うことがあったがまぁプライバシーも切り売りするものと捉える人もいるだろうし、とりあえず人のことは人のことということで朝の一筆書きのように書く。

プライバシーは急に侵害される、というとき、すでにいくつかの例が思い浮かぶがこのソーシャルメディア時代、いくら削除依頼を要請したところでその扱われ方の軽さを思い知るだけかもしれない。

プライベートでパーソナルな部分に触れていくことはたとえその意図はなくても侵入、侵害として受け取られやすい。精神分析における非対称性、それ自体がトラウマとなる可能性が常に問題になるのは精神分析がプライベートな空間でパーソナルな部分に触れる作業だからであり、その繊細さ、脆弱さは常に治療者の想像を超えている。なぜそう知り得るか。精神分析は転移状況であり、反復されてきた患者の体験を分析家は患者の位置でまるでそのときそこでのように体験させられるからだ。精神分析において関係性は反転し、今や分析家のものである患者の繊細さ、脆弱さが患者がそうされてきたように侵入や侵害を受けるとき、その傷つきは患者だけのものではなくかつての自分のものでもあったことを分析家は訓練のプロセスで知っている。

厳然と存在する設定上の非対称は本来、患者のプライベートでパーソナルな部分を守るためであり、転移上、侵入や侵害をする、されるの場となっていくときこそその機能の重要性は明らかになるが、分析家の脆弱性や傷つきも強烈に賦活される転移状況において分析家が転移を扱い損ねたとき、それはたやすく破壊される危険も孕んでいる。訓練を経て分析家の資格を得ることはその危険から自由であることを意味しない。人間は人間と強く拘束しあいながらそれぞれの自由を模索するのであり、絶対に安全と言われるような関係こそ疑うべきだろう。では、私たちが強迫的に安全な関係を志向することなく、死と隣り合わせになる危険を恐れながらもその関係性から逃げ出さないのはなぜか。逃げられないから。少なくとも治療関係においてそれはない。一方、そう生きるよりほかないという極限的な状況は実際にある。そしてそういう心境もある。

Remember that hope is good thing,

スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』からの引用だ。妻とその愛人殺しの罪に問われた主人公アンディが刑務所で過ごす中で信頼しあうようになったレッドに書いた手紙の一部である。

この小説は『ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption)』という邦題で映画化、1994年に公開され遅れて話題になった。原作は英語であり私は持っているが理解が曖昧なので映画の方を素材にプライベートであること、パーソナルであること、そしてそれらがたやすく侵入、侵害され、軽く扱われることについて考えてみようと思った。

といっても朝の一筆書きでかけるはずもないので少しずつ考える。今日もMay the force be with you.これはスターウォーズだけど。人には絶対に触れられない領域がある。そこに希望を見出せる力があなたと共にあらんことを。

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まずはそこからとりあえず

昨晩は雨が降ったのか。向かいの家の屋根が濡れている。今も曇り空だけど洗濯物どうしましょうね。

昨晩、精神分析家のJoyce McDougallのThe Many Faces of Erosの一章を読んだ。同じ患者のことが素材になっているので一気に読んだ方が忘れないのだが優先すべき読み物はたくさんあるので忘れながら読んでいる。女性の精神分析家が書いた女性性にまつわる本を女性の分析家&候補生で読む小さな読書会。文字にすると偏りが顕著だが精神分析状況は転移状況であり治療者の性は患者に多様に体験されるため、とりあえず自分や対象を女性と位置付け、ゆるく固定された視座からあれこれ話し合ってみることには意義があると思う。マクドゥーガルは心的構造の基盤をmasculineとfeminineの要素の融合、つまりbisexualなものとみなしており、構造が異なる身体が様々な出会いと喪失を通じてどのような複数性を備え、genderに囚われ、生物としての限界をもち、人や外界と関わらないという選択肢のない状況でどのようなcreativityを作動させることで生き延びようとしているのかについて描き出した。

とりあえず自分や対象を女性として位置付けることはインポテンツや不妊、子供を産む体験をしないことという生殖にまつわる言葉の使用に対して他人事ではなく意識的になるために必要なことだと思う。またまずは同質性の高いグループで話し合うことで同質にみえる人たちに潜む差異を俎上にのせることも可能になるだろう。精神分析を体験している者同士で話し合うことのメリットもある。セクシュアリティとジェンダーの話はそこから逃れられる人がいないように個人的な体験と切り離すことは難しいため負荷も高い。しかし精神分析は非対称の関係、そこで生じやすい出来事、そのありがちな描写、そのようなものに何度も何度も内省をかけていくので攻撃性、衝動性の行動化は必然的に少なくなる。実際の出来事とは別の時間でそれを反復的に体験することは他者を断じたり裁いたりすることに迷いをもたらす。そうしようとしている自分、そうしたくなっている自分の欲するところはなにか、さらなる傷つきを繰り返さないためにまず表現すべきこと、表現すべき場所はどこかと考える時空が広がる。私たちはひとりひとり違う。だから結果ではなくプロセスを。情緒的でありつつシンプルな言葉を。マクドゥーガルの事例はたまたま芸術家だが、クリエイティブであることは私たちひとりひとりに課せられた課題であると同時に誰にでも備わっている力だ。今日も言葉を紡ぐ、誰かを思いながら。言葉にできないならまずは聞く、わからなくても。まずはそこからとりあえず、ということをやめない。とりあえず時間は過ぎるけど、終わるまでは続くのだから。

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知る知らない

ダッフィーは我が家にもいる。もう何年前になるのだろう。研究会仲間とTDLへ行ったときに買った。いまだにフワフワだしかわいい。私は喉が弱いので大声を出さずともその日たくさん喋っただけで翌日のスーパーヴィジョンで「TDLにいって声が出なくなってしまってすいません」と掠れた声で言わねばならなかった。

今朝はTDLのお土産にもらったラスクを食べた。プレーンとミルクティー風味の2種類だからダッフィーとシェリーメイの二種類かと思ったら「ダッフィー&フレンズ」というシリーズだそうだ。ダッフィー、シェリーメイ、ジェラトーニ、ステラ・ルーだって(調べた)。たしかに袋にみんな書いてあった。よく知らないとなんとなく知っている主役にばかり目がいってしまうものだなぁ。

秋にビオンとウィニコットが重なる領域について話す。知り得ないということについて。主役にばかり目がいくというのはパッケージでも映画でも舞台でもなんでも同じだと思う。「推し」を持つ人にとってはその人が主役なのだろうけど一番目立つようにデザインされているものをそのまま受け取れば大体の人はそれを主役と思うだろう。世界がどうデザインされているかとそこで生きる人たちが世界をどうデザインするかは相互作用だと思うから変更はありうるだろうけど、と生まれたばかりの乳児にとっての母親、母親にとっての乳児のことをおもった。

ローマの哲学者セネカは『道徳書簡集』(高価で買えないから「メランコリーの文化史」(講談社選書メチエ)から孫引き)で「人間はいつかは死なねばならないことを知らないほど、無知な者はありません」と言った。

生の短さについて 他二篇』(岩波文庫)ではこう述べた。

「人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、畢竟、われわれは必然性に強いられ、過ぎ行くと悟らなかった生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされる。われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。」

ビオンもウィニコットも母子関係のモデルで精神分析状況で生じる現象を描写したが、人生後半の仕事ではひたすら人間の本性を描き出そうとしていたように思う。ビオンであれば「O」という不可知の概念をめぐって、ウィニコットであれば「交流しない自己」という誰にも触れえない孤立した自己の部分について。

知り得ない、不可知の領域について考えるのであれば私たちが何をどうやって知り、なぜそれを「知った」と知るのかなども考える必要があるのだろう。母子関係をモデルとするのもそれが最初の認識の場所であり、生の時間もそこから複雑なものに変わっていくからではないか。

それにしても眠い。もう赤ちゃんではないから自分で起きて動かねば。今日も色々知るだろう。「知らなかった!」ともいうだろう。「知ればいいってもんじゃない」とかもいうかもしれない。「そんなことは神のみぞ知る」は言わないかも。知らないことばかりなのはたしか。

何を知らずともそれぞれ良い土曜日になりますように。

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ダメージモード

朝から攻撃的な「願い事」をみてため息。そうやって支えあっているのでしょうしどうしても外に見える形にしてしまうのも「親切」の形態の一つになるからややこしい。本当に親しい間柄で起きることはわざわざ見せなくてすむものばかりなのに。なんにしても排除の言葉に見える形で平気でノルのは怖い。スプリットしていることに気づけないのは仕方ない。スプリットしてるのだから。排除の形式も本当に色々あるけどやっぱりナルシシズムの問題なんじゃないかなあ。排除されないために誰かを排除する「親切」とかないでしょ、と思うけど、とこういうことを書き出すとキリがないので身近な人と話そう。

朝一番に大きな窓を開ける習慣。この時間くらいスーッと涼しい風に入ってきてほしいのだけど今日は無理でした。暑くなるのかな。昨日は涼しくて助かったけど。

フロイト読書会。急いで帰ってオンラインで参加。アドバイザーというやや偉そうな役割。今読んでいるのはフロイト全集一巡りしてから再びの「心理学草案」。神経学者フロイトが精神分析家になるまでの道のりで考えていることのややこしきことよ。数年前にはじめて読んだときは全くわからなかったけど今はその後のフロイトの考えも症例も知っているから何と何がどこでくっついたり分かれたり重なったりして次の点や線に向かっているのかをそのダイナミクスと共に理解することはなんとなくできる。症例はいつも興味深く、たとえフロイトが論文のために症例を利用したと言われていてもそれは言い方の問題でフロイトはそうすることの意義をものすごく詳しく書いていて、現在の私たちも症例論文というのを書くけどそれは患者を利用しているのとは違うと知っている。だけどこういうのも一度そう思いこんでしまった人にはなすすべなしだし、実践を伴う側と言葉だけでそれと関わる側でそれ自体の是非を問う話をしてもそれこそ「誤った前提」(昨日読んだ部分)からの話になるから私は実践を伴う側として患者との出来事を再び記号化したりしていくだけ。

彼らは自分からもなくしてしまいたい部分がたくさんあるし、他人からも奪いたかったりやめてほしいと思うことがたくさんある。最初に書いたみたいにそれなりに味方を作りながら吐き出すやり方はスキルでもあるからしたくてもできない場合も多いし、そう収められないほどに、でも外に撒き散らしたら大変なことになるモノとどうにかこうにか暮らしている彼らと日々少しずつ積み重ねていることを言葉にしていくことは本当に時間もかかるし知的能力に限界あるし大変。そのまま出せるようなことではないのだ、そもそも。彼らのことを理論化の素材として書かせてもらうときに、攻撃的な言葉をバンって最初に提示してそこから「でも実は」みたいな論法に巻き込むのも嫌だし。そこからスタートする必要ないのでは、と思ってしまう。そうそう、最近こういう疑問に地道に付き合ってくれそうな本と出会ったんだ。でももう時間切れ。朝からプチダメージを受けたせいかこのモードに辿り着くまでに時間がかかったな、と今になって思う。いつも目指しているわけではない「モード」なのに。昨晩は事後性の話でもありました。それぞれ自分のペースで今日を始められたらいいけどなかなか難しいでしょうか。とりあえず今日も体調に気をつけて過ごしましょう。

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七夕

7月7日。七夕。例年通り曇りか雨か。

東京に住み始めて最初の年の七夕、その夜も池袋西口公園にたむろしていた。坂本九「見上げてごらん夜の星を」が流れていた。みんな空を見ていた。

ウィニコットを読んでいた。好きな人が好きなものを好きな理由をつい聞いてしまうことを反省した。それは移行対象かもしれないから。それはあなたがたまたま見つけたのか、それともあなたが作り出したのかと問うことは野暮だ。といってもこれは赤ちゃんがお母さんと融合した状態から分離するときのお話だけど。知りたいという気持ちが理由を求めてしまう。大体のことは理由など後付けだったりするのだから好きな人が好きなものを大切にしている、ただそれだけでいいのに。

夜、東京に戻るとき、チャイルドシートで眠っていた小さな子供が泣き出した。外の暗さを奈落に感じるのだろうか。激しく激しく泣いていた。私はその子に覆いかぶさるようにしてしっかりと抱きしめた。世界が崩落する恐怖を自分がバラバラになる恐怖を精神病の人が感じるように、たまたままだ発症していない私も少なからずそう感じることがあるように、この子も感じているのかもしれない。全身で激しく泣き叫ぶその子との間に隙間を作らないようにしっかり抱えながら大丈夫、大丈夫と呟いた。少しずつその子がこっちの世界に戻ってくるのを感じた。腕を緩めるとぽやっと私の顔をみてまた顔をうずめて泣き少しずつ夜の世界に馴染もうとしているようだった。外に光があることに気づいたようだった。そうだよ、夜は暗いだけじゃない。その子は私をみて小さな両手のひらをキラキラと回した。「キラキラだね」私は一緒に外を見ながら彼女のキラキラに合わせて「キラキラ」と何回か繰り返した。バックミラー越しに注意深く私たちを見守っていた母親が微笑んだ。

七夕。私が住む街の小さな商店街にもいつの間にかキラキラの吹き流しが飾られていた。ある日の夜に気づいた。保育園でも子供たちが短冊に書いた願い事が(まだ大人には読めないけど)先生方が苦労して取り付けた笹に飾ってあった。

空を見上げる。災害も戦争もこの空の下で起きる。出会いも別れも誕生も死も。2018年、西日本豪雨から4年がたったという。もう4年か。今なお仮設住宅に暮らす方々がいると知った。どうにからならないのだろうか。その中でコロナ禍も過ごされていたと思うと言葉を失う。その年はたまたま広島を旅する予定でいた。被災地にいくことは常に迷う。いろんなところに問い合わせた。「ぜひいらして」といってくれたとしてもそこにあるであろうアンビバレントに注意を向けないわけにはいかない。結局行った。いろんな跡を目にした。大きな家を通り過ぎると大きな窓のカーテンが閉められた。まだ昼間だ。観光客である自分を恥ずかしく思った。宿の人にはいろんな話を聞いた。「ここはたまたま水も止まらなかった。でもあそこは」と道一本隔てるだけで変わる生活状況を知った。それを助け合って時間を過ごしてきたことも知った。彼らは普通のトーンでそれを話し「来てくれてありがとう」といってくれた。東日本大震災のときもそうだった。

七夕にはいろんな言い伝えがある。スクールカウンセラーをしているときは毎年お便りに七夕のことを書いた。隔てられた二人が出会う話であるならば今日がそうであってほしい。明日だってそうあってほしい。どんなお天気だとしても。時間的に、空間的に、どんなに離れていたとしても。

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詩人にはなれなくても

友人から「プロの詩人」という言葉を聞いて「おお、すごい!」と思った。この場合の「プロの」というのはそれで生活できているということになるのかな、と思ったけどその人は並行して稼げる仕事をしているからなんらかの社会的な評価をえているということかな。あるいはその人が詩作によって詩人になるという行為を続けていれば「プロの詩人」であるということかも。詩人っていつの時代も特別な立場。フロイトにとってもラカンにとっても詩人は特別だった。彼らは自分は詩人ではないと言った。キルケゴールは詩人を「例外」といった。

ここで自由連想のように綴っていると過去のことが思い出されたとしてもそれは過去のことではないような気がしてくる。常にそれは今となって私に立ち現れてくるもので精神分析が自由連想を方法とし、反復を扱い、精神分析を続けることが精神分析家になることだというのもシンプルに納得する。「意図せず」「そんなつもりなく」という日常生活の精神病理を発見し、自分で見るのに自分でもわからない夢の痕跡を辿り、あなたではないが私だけでもない間柄でお互いを侵食し合うことで知り、患者より少しだけ早くそれを言葉にする。精神分析家のしていることはそういうことだと思う。それは詩作とはほど遠いのかもしれないがウィニコットやオグデンは精神分析場面に現れる言葉を歌や詩として聞く。彼らの声もそういうものとして発せられる。ウィニコットだったら子どもと共にマザーグースを口ずさむように、オグデンだったらフロストのように押韻から意味を聞き取るだろう。確かに患者の言葉を聞くとき音の響きやリズムのずれはこちらに何かを知らせる。確かにそれらはいつの間にか解釈の言葉として練り上げられている気もする。言葉が生まれる、という実感は常にある。

空や鳥や花や月がそれぞれのリズム、それぞれのペースで消えたり現れたりするのを私たちはそんなに意識していないと思う。いつの間にか消えたそれが現れたら気づきまた忘れということを繰り返しているように思う。それらを「きれい」「不思議」「不気味」と思う気持ちもそんなに変わらないと思う。かつて愛した人のことはすっかり忘れたりするのに不思議だなと思う。先日取り上げた『どうにもとまらない歌謡曲 ─七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫)でも北山的美意識として書いてあったが「あのとき同じ花を見て」「あのときずっと夕焼けを追いかけて」も私たちの「心と心が今はもう通わない」ことは生じるのだ。そしてそれに伴って花が汚くなったり夕焼けもセピア色になってしまったりはしないのだ。心はたやすく投影同一化によってまるで別のものになったりするのに。(参照:「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦作曲、北山修作詞)

私たちは自然と違って自分の足で目で耳で鼻で触覚(感触?)で直観で常に自分を戸惑わせている。すぐ戸惑ってしまう。不安になってしまう。症状を呈してしまう。だからつい自分探しをしたくなってしまうのかもしれない。「らしさ」なんてあるんだかないんだかわからないものを探すことで正解がある世界を錯覚していたいのかもしれない。見通しを持てること、ゴールがあることは安心感を与えてくれるから。それはそうだ。それを「弱い」とか「情けない」とか自分にも他人にもいう人もいるがそれこそ何基準?という感じがする。世界は私たち仕様にはできていないのだからいろんな気持ちになるのは当たり前だろう。反復の仕方は確かにその人らしさを際立たせたりするけどそれはその人だけのものであって正解とか間違いとかいいとか悪いとかそういう類のものではない。

曖昧で不確実でいろんなことがそんなつもりなくたまたま生じるような世界の秩序は自然が守ってくれているとして、私たちは今日もいろんな気持ちになって必要以上に自分を苦しめることなく過ごせたらいいような気がする。全くの停滞というのは人間には難しいのでなおさら辛いこともあるかもしれないけど諦めるとしても小さくため息をつく程度であったらいいような気がする。詩人にはなれなくても言葉を紡ぐ自由は誰にでもある。少しずつ少しずつ行きつ戻りつ。

地震も台風も常に身近だけど引き続きどうぞご安全に。

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再発見に向けて

今朝もカーテンの向こうがうっすらピンクでそっとのぞいたら思ったより水色混じりのピンクが東の空から広がってきていました。昨晩の三日月はもうとっくに西へ。火曜日の朝です。

昨日、隙間時間になんとなく田野大輔『愛と欲望のナチズム』(2012/講談社選書メチエ,Kindle版)を読み上げ機能で流していました。精神分析におけるセクシュアリティとジェンダーについて考えるとき、フロイトの理論においてそれらがどう捉えられ、他の分析家や患者との関係を通じてどんな変遷を見せたのかを知ることが重要なのは当然です。それはその時代のその社会が精神分析に対して為してきたことを知ろうとすることでもあり、だから私たちはフロイトを断片ではなく読み続けるわけです。

一方、精神分析をなんらかの形で体験しながらそれらを詳細に検討することと彼らとは異なる時代と社会で生きる私たちが自分の文脈の正当化のためにフロイトを断片的に使用することで生じる偏見の溝は埋めようがありません。もちろん体験のみで知る精神分析とも違いはあるでしょう。精神分析が技法として意義があるのはどのようなあり方も当然ありうるものとするからだと思うので何がどうというわけでもありません。ナチズムのように性の抑圧と解放という二重道徳を手に性生活に介入する権力的な精神療法によって「治療可能」であれば生かし、「治療不能な患者の存在は、民族の健康を守る精神療法の限界を露呈させる」として排除するような治療観は持ち合わせていません。

フロイトの性欲動は生の欲動であり、セクシュアリティは異性あるいは同性を対象とし、セックスを目標とした本能行動であるだけでは決してありません。精神分析におけるそれは、人間のこころの組織化の中心をなすものでそこに潜在する拘束力と破壊力は「常に別のものの再発見」とセットで語られるべきものと私は思います。

「常に別のものの再発見」という言葉はラプランシュが、非性的な機能的対象から性欲動の対象への移行について論じたとき、フロイトの「対象の発見とは、本来再発見である」(Freud,1925)というフレーズを用いて「発見とは、常に別のものの再発見である」と明確化したものを援用しました。

メラニー・クラインが鬱病を抱えていたり、不幸な結婚をして妊娠の可能性に悩んでいたことやアンナ・フロイトとドロシー・バーリンガムとのパートナーシップなど分析家の個人史に見られるセクシュアリティに関連する出来事を単にフロイトをめぐる精神分析史におくのではなく、当時の社会の側から見直したうえで現代を生きる私たちのフェミニズムの文脈に置き直してみることも大切だと感じます。精神分析が誰かのこころをコントロールしたり排除したりする文化に加担することのないようにその内側にいる私はああでもないこうでもないと考え続けることが大事そうです。

フロイト
「最もうまくいくのは、言ってみれば、視野に何の目的も置かずに進んでいき、そのどんな新たな展開に対しても驚きに捕まってしまうことを自分に許し、常に何の先入観ももたずに開かれたこころで向き合う症例である。分析家にとっての正しいふるまいとは、必要に応じてひとつの心的態度からもう一方の心的態度へと揺れ動き、分析中の症例については思弁や思案にふけることを避け、分析が終結した後にはじめて、得られた素材を統合的な思考過程にゆだねることにある。」

ー「精神分析を実践する医師への勧め」(1912)『フロイト技法論集』に所収(藤山直樹編・監訳、2014)

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汗と涙と結膜下出血

結膜下出血と汗と涙について書こうと思ったのに、とか恨めしそうなことを書いてから約24時間。定点観測の番組があった。たまに見るそれが好きだったけど今もあるのかな。そこではある時間にはいろんな人が入れ替わり立ち替わり現れてある時間にはだーれもいなくてただ噴水だけが動いていたりしていつのまにかまたその縁に誰か座ってまたいなくなってというような変化があった。ここでの私はとっても単調。いるかいないかくらいの変化しかないかも。これを撮ってみたとして2日分くらいを見てもらったあと、何も言わずその中の5分とか10分とかを切り取って3日目として流したとしても何も気づかれないと思う。

土曜日、右目のはじに血溜まりが見えて驚いた。すぐに「またか」となった。またか、といってもあの人が候補生としてはじめてミーティングにきたとき以来だから数年ぶりか。はじめましてだったその人は医者だけど眼科医ではないから怖がらせてはいけないと思って前もって伝えた。だから覚えている。結膜下出血。「けつまくか」ときちんと打たずに音だけで「けつまっか」と打つと目の状態に近い感じに変換される。数日間かかるが放っておけばいつの間にか血は白目かどこかに吸収されていくのだが赤い目ってそれなりにインパクトがある。本人である私はトイレとかにいって鏡でも見ない限りは忘れている(何かの病気なわけではないとわかっているからというのもある)。昨日もトイレに立って鏡で思い出して席に戻って「目が赤いでしょ」と言ってみたものの「結膜下出血」というのを忘れてしまいとりあえず説明だけした。その人はそういうものがあることを知っていたようでこうやって説明しなくてはいけないのは大変だねというようなことを言ってくれた。そうなの。ありがとう。でもかかりつけ眼科医がいつもの豪快な笑顔と大きな声で心配いらないと説明をしてくれたのを思い出しながら言葉だけ繰り返せばいいだけでもある。安心とともに慣れてこられたのは幸運。もしこれに痛みが伴っていたらきっと慣れるのにはすごく時間がかかるだろう。慣れないってことだってありうる。

数年前、保育園の子が私の目を覗き込んで「金魚さんがいるね」とニコニコとした。時々しか訪問しない私に駆け寄ってくるタイプではないがはにかんだような笑顔でやってきてほかの子より長時間そばにいる子だった。これから先、また何回かこうなるかもしれないけどそのたびにきっと私はその子の笑顔と言葉に支えられる。昨日かけてもらった言葉を思い出す。

そうだ、昨日の朝はその前の数日間と比較すると少し気温が低くて汗ばむ感じがなかったように思ったのだ。そして歌謡曲を聞きながらコーヒーを飲んでいたので「珈琲は涙色」とか「涙味珈琲」とか思いうかべてコーヒーと涙はつくづく取り合わせが悪いななど思ったのだった。でも暮田真名さんの川柳「OD寿司」にある「良い寿司は関節がよく曲がるんだ」とかいわれると「そうなんだ」と納得せざるを得ない。取り合わせの問題ではないらしい。(参照「好書好日 暮田真名さんインタビュー」)

汗は生理現象、涙は心性に触発された身体現象。それらも目の中の血溜まりも私にはどうにもできない私の内側から染み出して張りついてくる。どれもポトンと落ちるなら拭き取ることができるかもしれない。目の中の金魚は再び内側に吸収されるのを待つしかない。言葉ってすごい。どうしようもないものやことにイメージを与え、時間的な見通しを与え、扱える形にしてくれる。いろんなことは一人ではどうにもできない。今ここで汗や涙や血の流れととともに体験する時間が誰かとの過去によってなんらかの未来へと継がれていく。語り継ぐなら痛みや焦りや恐れだけではなくそのときそこに共にいてくれた人のことも。そんなことを思った。

今日は月曜日。昨日と同じくらいの気温なら耐えられるかな。台風の地域のみなさんもどうぞご安全に。

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両性具有とか更新とか

洗濯をして麦茶を作ってクラッカーつまみながら珈琲飲んでNHK俳句を少し立ち見してゲストにあんな服も違和感なく着こなしててかわいいな、コメントもいいなと思ったり、「雷」って季語はいいね、とか俳句やってるのにこの語彙はどうかと思うけどそう思って、またバタバタして今なんだけどどうしましょう。仕事もしていたはずなのだけど進んだ形跡が見当たりません。どこ?

そうそう、昨日ブログ書きながら思い浮かんだのは最近読んだ舌津智之『どうにもとまらない歌謡曲 ー七〇年代のジェンダー』(筑摩書房)、私でも知っている曲ばかり出てくる実感から己のジェンダー規範を振り返ることもできる本の文庫化(単行本は2002年、晶文社)。北山修先生の「あの素晴らしい愛をもう一度」「戦争を知らない子供たち」も取り上げられていた。北山先生、「戦争を知らない子供たち」を書いたの20代なんですね。著者がそれに驚いた口調で書いていて私はそれを読んで驚いた。この本、ジェンダーの視点から聴き直すとこの歌詞ってそう読めるんだ、すごいな、そんなふうに聴いたことなかったよ、ということばかりでとっても面白いです。桑田佳祐の歌詞の両性具有性とか確かに!と思った。両性具有という言葉で書いてあったかどうかは忘れてしまったけど。そうだ、忘れないうちにここにメモしちゃうけど両性具有性についてはプルーストを読みたい、とずっと思っているのに断片しか読んでいない。精神分析との関連で、と思うのだけどプルーストとフロイトってお互いのことを知らなかったそう。ほんと?同時代人で二人ともこんな有名で、ユダヤ人という文脈で重なるところもある。ちなみにフロイトの方が15歳年上。プルーストは51歳で亡くなってるけどフロイトは1939年、83歳まで生きた。2019年にプルースト研究者の中野知律さんと精神分析家の妙木浩之先生が登壇した「プルーストとフロイト」という市民講座に出た、そういえば。中野さんの「失われた時を求めて」の話がすごく面白くて私もがんばって読もうと思ったのにあれから3年かあ。一日1ページでも読んでればそれなりに読めてたはず。文庫、持っているはずなんだけど。どこ?

どうにもとまらない歌謡曲 ー七〇年代のジェンダー』を読んだ影響でApple Musicで1970年代の歌謡曲を聴きながらこれを書いている。今かかっているのは山本リンダ「狙いうち」。この曲のことも書いてあったと思う。

男女という近代的二元論というのかな、その差異によって排除されているものに目を向けるのはもちろん続けていく必要があって、そのために「両性具有」という言葉を使い続けていくのが大切な気がする。精神分析はいまだフロイトの時代のそれが一般には広まっていて実際その父権的な態度から自由になったとはとてもいえない。前にも書いたかもしれないけど、だからこそ国際精神分析協会(IPA)の中にはWomen and Psychoanalysis Committee (COWAP)という委員会があって、社会、文化、歴史との関連におけるセクシュアリティとジェンダーに関する研究などをサポートしている。精神分析概念の修正と更新のため。

これも連想になってしまうけど「更新」といえば、先日、吉川浩満さんが『樹木の恵みと人間の歴史 石器時代の木道からトトロの森まで』というNYで樹木医みたいな仕事をしているウィリアム・ブライアント・ローガンという人の書いた本を書評(「失われた育林技術を探す旅」していた。なんかプルースト的。萌芽更新という言葉をキーワードにした評で私もその言葉にとても惹かれた。それでちょっと調べて驚いたのは「萌芽更新」の英語ってcoppicingでupdateではなかった。意外だった。ちなみに「間伐」はthinning。児童文化の授業でこの「間引き」についてすごく考えたことがあって今も時々考えるのだけど元は樹木を守りその恵みを与えてもらうなかで生まれた言葉なんですよね。 

ジェンダーとセクシュアリティ、差異が排除の理由になどなるはずないのにそうなりがちな現状に対して有効なキーワードを持っていくことが大事そう。

そういえば結膜下出血と汗と涙について書こうかなと思ったのを忘れてダラダラ書いてしまった。まあいいか、日曜日だし(いつものことだとしても)。それぞれに良い日曜日を!

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短詩 読書

はじめまして川柳

来月8月14日(日)午後、暮田真名さんをお迎えしてワークショップをおこないます。暮田さんにはすでにたくさんのキャッチーな修飾語がついていて、私もあえていろんな言葉で暮田さんを紹介してきました。でも多分どれもあっていてどれもちょっと違う感じがするのです。一番シンプルにいえば「暮田真名さんは20代で、川柳を書く人です」となるでしょうか。

暮田さんのこれまでとこれからについてはご本人がnoteにシンプルにまとめておられるのでそちらをご覧いただくのが一番いいかもしれないです。

暮田真名の活動と制作物、やってみたいお仕事

以前に書きましたが私が暮田さんを知ったのは俳句仲間の友人のお宅で彼女と1歳になる娘さんと楽しすぎる時間を過ごした帰りの電車でした。流し見していたSNSでふと「あなたが誰でもかまわない川柳入門」という文字が目に留まりました。「あなたが誰でもかまわない」って今思うと攻めた言葉とでもいうのでしょうか。とても今っぽいともいえる。それこそSNS的な。でもそのときの私は俳句の話をいっぱいしたあとだったせいかその何も求められていない感じに惹かれ俳句だって入門だけしてぼんやりしているのについ申し込んでしまったのです。知らない世界に飛び込むときの私はいつもそんな感じだなと思います。

時間的にアーカイブで視聴するしかなかったのですが暮田さんの導入を素晴らしいと思いました。今思えばそこにも結構とんがった感じの話が混ざっていたように思うのです。でもそんなことを思ったのも暮田さんがまだ若い方だと思ったのも後からでした。もちろんお顔も見えているわけなのでその若さを認識はしていましたし、とてもパーソナルな自己紹介でもあったのですが、そんなことはどうでもいいというか「あなたが誰でもかまわない」というのは受講する側である私が持つものでもあったようなのです。

だから暮田さんをどう修飾しようとどれもあっているようでどれもちょっと違う感じがしてしまう。そして多分それは川柳の特徴でもあり、普通に考えれば人ってそういうものでしょう、ということでもあるかもしれない。私は暮田さんの講義を聞いて、川柳ってどこに出かけなくても何も持っていなくてもぼんやり寝転がって天井を眺めたままでもできてしまうことを知りました。また、川柳って好き嫌いの対象にはなっても良い悪いという評価の対象にはなり得ない性質を持っているらしいということも学びました。

暮田さんが4月に出された『ふりょの星』も書名からしてそれが何とは同定しにくいですものね。アイデンティティってなんでしょう。暮田さんを通じて幸せな「はじめまして」を川柳にしたもののまたぼんやりしていますが、その魅力を少しずつ感じられるようになっている気はします。

例えば昨日あげた左右社から4月5月6月と3ヶ月連続で出版された3冊の川柳句集もそうですし、暮田さんが講座の中で入門書として紹介してくれた小池正博編書『はじめまして現代川柳』なんて装幀も内容も最高の入門書だと思います。俳句にも様々な入門書やガイドブックがありますが私にはどれも少しずつ過剰に思えてしまう。一方『はじめまして現代川柳』は昭和の歌番組(「ザ・ベストテン」とか)のように説明は最小限、作品重視という感じの作りで息抜きしながら学べてしまいます。そういえば「あなたが誰でもかまわない」って昭和の歌謡曲っぽくないですか。私はそこに惹かれてしまったのかもしれない、時代的に。

もう行かなくては。また別の本のことも思い浮かんだからそのことも合わせて明日書くかな。とりあえず今日も暑そう。どうぞお気をつけて。

ちなみに「あなたが誰でもかまわない川柳入門」第二期はこちら。暮田さんの「授業概要」読み応えありますよ。

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精神分析

アンデスメロン/ルシア・ベルリン

小さなアンデスメロンを4分の1食べた。アンデスメロンはアンデスのメロンではなくて「安心ですメロン」なんだと聞いた。この年齢になればこれまでも同じことを聞いていそうだがまた(多分)驚いてしまった。だとしても(これもきっと前にも思ったのだろうけど)なんで「アンデス」?「アンシンメロン」とするよりははるかに魅力的ではあるが。にしてもなにが「安心」なのかしら。メロンと似てるけど安心して、きちんとメロンと同じ味だから、とか?

一番美味しそうなのは種のところ。ジュワッと泡立つように水分が集まって茶漉しに集めてスプーンでギュッと潰しながら濾してメロンジュースにしたいくらい。「こす」って漢字を二種類使ったのだけどわかりました?なんでこんなに似て非なる漢字を同じ意味に当てたのかしら。遊び?だとしたら楽しいな。もっとそういうの探したい。今日は朝からなんでなんでばかりだな。2歳児か。

職場の愚痴を話している大人に「なんでー」とタイミングよく入れたその人の娘の声を思い出した。あの時は笑った。私よりずっといい聞き手だ、あの子は。複雑そうだけど実は単純で大した理由もない大人の意地悪の話を理解できたわけではないだろう。それでもその「なんで」はそのタイミングによって核心をついていた。ほんとなんでこんなことするんだろうね、そして私たちはなんでこんなかわいいあなたを置いてこんな話をしてるんだろうね。私たちが顔を見合わせて笑うと彼女は「みてー」と今書いたばかりのぐるぐるがきをみせてくれた。一日に数えきれないほど言われる「みて」もこんなときは特別。母親である友人はさっきよりずっと明るい笑顔をみせてそれを受け取った。

今朝は『メンタルクリニックの社会学』を読みたいなと思いながらルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』(岸本佐和子訳、講談社)を手に取った。

「なんてこった」のルビは「ファック・ア・ダック」。メキシコからアメリカにきた若い母親である彼女がはじめて声に出した英語だ。

ルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』のなかの一編「ミヒート」を参照

ルシア・ベルリンの短編はぞんざいに積み上げられたような短文からなっていて積み上げられているのは主に暴力とケアだと感じる。メロンの種のところみたいに緻密で涙がいっぱい溜まっているような世界をじっと見つめつつも暴力的で不寛容な外界を当然の背景とし決して感傷に陥ることのない距離感のもと私たちのすぐ目の前に広げられる文字世界。そこは読者の衝動と抑圧のバランスも引き受けてくれるような安定感さえある。

『ミヒート』は診療所の看護師の視点が臨床家のリアリティと重なる短編だ。「ファック・ア・ダック」、字面では決して伝わらないあまりに悲しいこの言葉の響きを私も今日聞くのだろうか。

メンタルクリニックと診療所、ここで私の連想が繋がってこの本を先に手に取ったというわけか。無意識、委ねては気づくことの繰り返し。自分より先走ることなんて不可能なのだから今日も突然目の前を飛び始めた夏の蝶を追うようにのんびりいこう。にしてもなんで夏の蝶って案内人のように急に現れるのかな。また「なんで」といってしまった。答えも急がず慌てずそのうちわかればラッキーくらいな感じで行きましょうか。行ってらっしゃい。

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精神分析

東京公認心理師協会地域活動とか暮田真名さんWSとか。

今年8月7日(日)10時〜12時、東京公認心理師協会に応募した企画が無事に通り、予定通り開催できることになりました。詳細はもう一つのサイトをご覧ください。

その一週間後、8月14日(日)午後は川柳界から暮田真名さんをお迎えしてワークショップを行います。

ふりょの星』(左右社)読まれましたか?私が20代の頃には(もちろん引き続く今も)とても持ち得なかったいろんなもの(主に才気)が詰まった明るいハテナにつままれる川柳句集です。その後に続いた平岡直子さん『Ladies and』(左右社)、なかはられいこさん『くちびるにウエハース』(左右社)、3冊とも全くタイプが異なりますがどうやったらこんな言葉の選択ができるのかしらとびっくりさせられてしまうところは一緒。いつもと少し違う景色を見たいなという方におすすめの川柳句集三冊です。

暮田さんをお迎えするイベントの詳細は7月に入ったら。え?つまり明日!?

6月、こんなでしたっけ。梅雨は苦手だけどもうちょっと居座ってくれてもよかったのですよ。居心地が悪い国になってしまったのかしら。東京が猛暑日でだるいだるいと呟いていた先週末、zoomミーティングで札幌の仲間も「29度」と。えー、札幌のみなさん、大丈夫ですか?となりますよね。普段涼しいイメージがあるだけに暑さ対策などどうされているのかしら、と。同じ気温でも地域によって感じ方ってだいぶ異なるから不思議です。

ということで冒頭でご紹介したのは地域活動イベントとなります。東京都、しかも大田区、世田谷区に登録されている方のみ、しかも臨床心理士、公認心理師のみを対象としたイベントです。狭くてごめんなさい。

移動には時間もお金もかかります。心身の事情であまり遠くにはいけないという方もおられるでしょう。そんな時、近くの「地域」は何ができるのか。しなくてはいけないのか。そして心理職はそこに対してどんな介入なりサポートができるのか。そういうことをじっくり考えるためにもまずは同じ地域で暮らしたり働いたりしている仲間と交流して横のつながりを作りましょう、という感じのイベントです。基本的なことではありますが基本こそ難しいということも共有していただけるかと思います。ぜひご検討いただけますと幸いです。

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精神分析

『スープとイデオロギー』をみた。

外が暗いうちに目覚める。すぐに明るくなる頃に目覚める。鳥たちとともに。洗濯機をかけて麦茶をいれる。花火が描かれた薄いグラスが曇っていく。一昨日からまた麦茶を作り始めた。といっても沸騰したお湯にパックをポンと浸しておくだけだけど。今日も猛暑だそうだ。水分補給も気をつけねば。

『スープとイデオロギー』という映画を見た。ヤン ヨンヒさんがご自身の家族を撮った映画だ。彼女はこれまでも父親や姪のことを撮って多くの賞をとっているとのことだが私は全く知らなかった。彼女は在日コリアンで今回撮られたのは彼女のオモニ(母)である。オモニは18歳の時に済州4•3事件を現地で体験していた。

「来週見ようと思って」と見るより先に買ったパンフレットを見せてくれた。その人は部落の方々に話を聞くドキュメンタリー映画を見てきたとその話もしてくれた。生活史を聞く。社会学者の岸政彦さんの仕事が広く知られているだろうか。私の仕事の主要な部分でもある。彼らの生活史が広く知られることはないだろうけど。同じ場所で同じ出来事を体験したはずの人たちでも語りは異なる。おそらく聞き手によっても異なるだろう。その映画には若い女性の語り手はあまり出てこなかったと聞いた。

済州4•3事件、私は朴沙羅さんの『家の歴史を書く』(筑摩書房)で知った。以前ここでもこの本には触れたことがある。朴さんがご自身のおじさんおばさんの話をそのまま書き取り、聞き取るなかでの想いも吐露し、学者としての考察も加えた豊かな一冊だった。同じ場所で同じ出来事を体験したはずの人たちでも語りは異なる、と書いた。この本でもそうだった。歴史的な非常に残虐な事件が起きた場所でその日も生活していたからといってその事件について語られるとは限らないのである。

『スープとイデオロギー』の冒頭には、母親が病院のベッドで突然事件のことを語りはじめる場面、娘の結婚相手に言及する父に娘がツッコミを入れ母が笑う父在りし日の賑やかな食卓の場面が置かれていたと思う。大阪弁と韓国語が混じり合う家にはかつてこの映画の監督、オモニの娘であるヨンヒさんの兄3人も暮らしていた。写真でしか登場しない彼らのひとりはすでに亡くなり、2人の兄は平壌で暮らす。ヨンヒさんは映画が理由でそこにはいけない。父も墓で眠る平壌に。「人間プレゼント」という言葉も私は知らなかった。ヨンヒさんが結婚相手を連れてくる場面はこの映画の最も幸せな場面だろう。オモニの笑顔の美しさに涙が溢れっぱなしだった。そして昼過ぎにくる彼を迎えるために朝からオモニが作る鶏丸ごと一羽と大量の真っ白な青森ニンニクと高麗人参とナツメをコトコト煮込むだけのスープの美味しそうなこと!アボジ(父)が望まなかった日本人のパートナーを暖かく丁寧に笑顔いっぱいにもてなすオモニが済州島で大虐殺と焼き討ちを体験したのはまだ18歳のときだ。婚約者を失い、叔父を失い、幼い妹と弟と散歩を楽しむふりをして検閲を潜り抜け大阪へ密航を果たしたという出来事はこの映画ではクレイアニメで描かれた。余計な感傷を寄せ付けないクレイの若きオモニの目線はこうして娘たちを見守るオモニのなかに確かにあったものなのだ。でも私はそれを想像することすらできない。ヨンヒさんはアルツハイマーが進行しそこにはいない家族と同じ屋根の下で暮らしていると信じているオモニを済州島へ連れていく。もちろんパートナーの荒井さんも一緒に。ヨンヒさんがはじめて感情を抑えられなくなるのはそこでだ。母がした体験をそこで起きた出来事をどこまでも続きそうな犠牲者の名前の列を墓を彼らが幼い日を過ごしたかもしれない海を幼い妹をおぶって弟と手を繋いで30キロを歩いて大阪へ向かう船に向かったという道をヨンヒさんは車椅子の母と荒井さんと一緒に体験する。

”「語りえない」ことなど、おそらくそれほど多くはないのだ。”

朴沙羅さんは『家(チベ)の歴史を書く』で書いた。

”「ただ、調査者や聞き手が聞き取り得なかったことがあるだけだ”

ヨンヒさんは自分のカメラを通じてではなく母の体験の場所を共にすることで母の想いを知ってしまった。

ヨンヒさんの気持ちを考える。子供の頃から疑問だらけだっただろう。なぜ兄たちは、なぜ父は、なぜ母は、どうして自分だけ、と。映画のトーンはあくまで静かで暖かくユーモアがあり時折入り乱れる感情も日常に回収される。ただ、私にはオモニの症状が一気に進むきっかけとなったかどうかはわからないがその直前の聞き取りのシーンが本当にキツかった。ただ聞く、その難しさは日々実感している。ただ聞く、あくまで受動的に。そうすれば朴さんが書くように「語りえない」こどなどそんなに多くはないのだ、多分。

みてよかった。教えてもらってよかった。オモニは今年のはじめに亡くなったそうだ。問い合わせが多かったらしくヨンヒさんがTwitterで報告していたのをみた。ヨンヒさんの仕事の意味はとても大きい。難しく苦しい仕事でもあると想像する。歴史を共有してもらえてよかった。知らないことばかりの日常だけど少しずつ今日も少しずつ。

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精神分析

incommunicado

鳥は今日も元気。だれかの朝を想う。穏やかにいつも通りの朝を迎えた人もいるだろう。激しい情緒に向かうべき先がわからなくなっている人もいるだろう。体験は人それぞれだ。「いつも通り」であればそれがなんであれ今日もとりあえずそれでいけるかもしれない。人に会えば普通に挨拶をし、空を仰いでは今年の梅雨はなんだったのかなど思うかもしれない。強い情緒を持て余すなら、抑えきれぬ苛立ちを身近な人たちにぶつけては強まるどうしようもなさに泣き崩れるかもしれない。もう行かねばと時計を気にしつつ狂気と正気がぐるぐるするなかを起き上がれずにいるかもしれない。時間は過ぎる、世界がどうであれ。気持ちは変わる、今がどうであれ。ただ受け身でいても必ず。

誰かを特別に想うってどういうことだろうとよく考える。特別だなんて思わなければこんな辛い思いをしなくてよいのではないか、自分にも相手にもうんざりしたり嫉妬に狂ったり嫌われないための無理をしないでもすむのではないか。ただそばにいたい、いろんな話を聞きたい、聞いてもらいたい、あなたを知りたい、知ってもらいたい。特別な相手に変わっていく人を想う喜びや幸せに満たされながらそこからこぼれ落ちる、あるいは生じてくるなにかはときに不安や疑惑の形をとる。重なり合う部分が増えるほど本当にひとつになることなどできないことを知る。知っていたはずのことをいかに知らなかったかを思い知らされながら時々互いに自分の攻撃性ゆえに被害的になる。ひどいことをいってしまうときもある。そしてまた語り合い抱き合いまた離れては出会い直す。セクシュアリティゆえに退行しジェンダーに縛られながら今この社会で偶然出会って惹かれあいそんなことを繰り返す。私は誰かを特別に想うってそういうことなのではないかと考えている。偶然性に身を委ねるというある種の賭けに自分の未来を投じたい、何かを産む産まないといった目的のためではなく正解もゴールもない場所で一緒にいたい、そういう欲望のことではないかと思う。

精神分析家のウィニコットはincommunicado selfということをいった。だれとも交わらない完全に孤立した状態とでもいえばいいのだろうか。それが守られることの重要性を指摘した。ウィニコットの言葉でいえばそれは以下のようなニードである。

The need to be an isolate intertwined with the need to be recognized continues throughout life as perhaps our most fundamental ontological set of needs. Without recognition by another person, we are adrift; we cannot know who we are when in a state of complete isolation (Winnicott, 1967, 1968). 

彼は「ひとりの赤ん坊というものはいない」「全体がひとつのユニットを形作っている」という言葉で関係性を記述した。私はそこに委ねるが交わらない、受け身でいること、想像的あるいは創造的でないことの重要性をみてとる。

カタツムリのツノが思い浮かんだ。いつきたのか曖昧なまま梅雨は明けたが彼らはどうしているだろう。

昨年ケアの文脈で「想像力」「創造性」という言葉もよく目にした気がする。人を特別に思うことはケアすることでもあると思うが果たしてそれらは必須だろうか。それがない人もいるという前提がそこにはあるように思うが、それがない場合にも人を想ったりケアすることは受け身的に生じていると私は思うので考えたい。関連して「思いやり」についても再考が必要と感じる。ウィニコットも「思いやりの段階」を重視しているがそれは一体何か、ということも問い直してみたい。もちろんこんなことを考えるのも共にいること(being)について考えているからだけど。

孤立、孤独であることを可能にするそれ。毎日そんなことを考えていることを書きながら確認した感じ。まあのんびりやりましょう。暑過ぎるから。

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シェイク

東京の住宅街が薄いピンクに染まっています。ここ数日の暑さにはすっかりやられてしまった。ずっとうとうとうとうとしている。ずうっとだ。

週末、初回面接を検討するグループを終えてお昼に行こうと思った。涼しいはずの部屋でもなんだかぼんやりだるくてまたうとうと。いいかげん出ねばと思って外へ出てみたが食べたいものもない。今度はうろうろ。信号待ちでは少し手前の大きな木の下でぼんやり。信号がいつの間にか青になっていて慌てて渡った。日曜日はいつものカフェが別のカフェに見える。しばらく日陰ばかり選んでぼんやりうろうろしていた。そういえばこの前ドトールでシェイクを飲めなかったことを思い出した。その日はなぜか販売中止だった。

子供の頃、父親がいない日に出かけたのはロッテリアだった。みんなでシェイクを飲んだ。特別だった。特別においしかった。田舎でのファストフードの位置付けは東京とは異なる。今はだいぶ東京寄り(?)だと思うけど。

日陰を真っ直ぐいってかっこいいキャップをかぶった小さな子が困り顔で(眉間に皺と書こうとしたがなかったと思う)お父さんを見上げながら一生懸命何か訴えているのを横目に通り過ぎ、いつもは誰もいない石の椅子でファストフードやみたことのない何かを広げている男性たち(なぜか男性ばかりだった)の前を通り過ぎ、日陰のないカンカン照りの短い横断歩道を足早に渡り店の前につくと「深刻な人手不足のため」と営業時間短縮のお知らせが貼ってあった。大丈夫か。隙間時間にバイトしようか?いや。無理だな。高校時代、バイトをしていた喫茶店で私だけアイスクリームを盛らせてもらえなかったんだ。嘘。違う。私があまりに不器用で上手にできないので「やらないでいいよ」と言ってくれたのだ。練習したけど自分でもびっくりするほど上手にならなかった。美味しいアイスだったしかっこいい盛り方だったからできるようになりたかった。いつももう一人のバイトがやってくれた。ありがとう。やってくれたバイト仲間も恐ろしく不器用なのにやりたがる面倒な私に付き合ってくれた店長たちも。

店は混雑していた。涼しかった。二人の店員はすごく忙しそうだったけどとても感じがよかった。すごい。シェイクを作るのはメジャーな飲み物より作業プロセスが多いことを知っている。どうしようかなぁ、と迷う。今日も販売中止だったら諦めがつくなと思ったけど販売中止はもっと手間のかからなそうな別のものだった。店内はすでに満席に近づいていて並んでいる人もほとんどいなかった。前の人が向こうにずれるまでに決めねば。あー。頼んでしまった。私も右側にずれると洗い場が見えた。あーあ。頼まなければよかった。でも頼んでしまった。いつまでも待ちます、という気持ちで暑い暑いドアの向こうからいろんな人が入ってきたり向こうへ再び出ていく人たちを観察していた。

世の中には本当にいろんな人がいていろんな会話が繰り広げられていていろんなことをしている。こういうのが当たり前でありますように。

もったりとした液体でも固体でもないものがグラスに注がれている。ごめんなさい、ここでも時間がかかりますね。最後のもったりまで店員さんがミキサーを振るようにして入れてくれた。感謝。小さく会釈して受け取る。おいしい。大人になってもシェイクは特別なんだなぁ、いろんな意味で。

冷えてきた。なんと間抜けな、と思ったけど早々に店をでた。さっき渡った横断歩道の日差しが今度はありがたかった。なんと勝手な。同じものでも感じ方はちょっとしたことで変わってしまう。関係性だってそうだ。でも多分私にとってシェイクの特別さはずっと変わらない。「昔は全部飲めたんだけどねえ」とかいうようになる可能性は高いが。

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精神分析

見る見られるからの連想

危険危険、と呟きながら日陰を探しながら歩く。朝9時でこれ。この暑さはやばい。保育園の子たちは熱中症が心配。オンラインの仕事の人は絶対その方がいい。私はいつもなら歩く区間も電車に乗った。昨日の朝のこと。今日も暑そうだ。

今朝はここ数日と比べると風が穏やかだ。窓を開けたブラインドはたまにカタカタンとどこかにぶつかる音を立てるけど概ねじっとしている。いつもより大きく開けた窓から時折スーッと気持ちのいい風が入ってきてティッシュペーパーを揺らしている。いつもは早朝から窓が空いている隣のマンションの一室はしんとしている。あの窓があいたらこの窓は少し閉めねば。

子供の頃、隣の家の兄弟と一緒に幼稚園に通っていた。幼稚園までは一つ角を右に曲がってあとは真っ直ぐ。一つ小さな交差点を越せば右手が園舎だった。彼らの家に「おはようございます」と行くところまでは覚えているが園までの道のりはどうだったか。角にはとうもろこし畑があって斜めに突っ切ることができる季節もあったし、夏は自分より背の高いそこに犬と一緒にわざと迷い込んだ。彼らともこうして遊んだのだろうか。

彼らの家には繭倉庫があって独特の匂いのする薄暗いその場所で私たちは転げ回って遊んだ。私の家のひんやりした場所には蚕がいたし、小学生のとき、一緒に帰っていたEちゃんの家の隣は桑畑だった。当時の群馬はまだ地場産業を伝えていたんだな。

子供部屋は彼らの家側にあった。夜になるとお互いにカーテンを少しだけずらして「見つかった!」となれば戻して今度はさっきよりそっとほんとに少しだけずらしてまた「見つかった!」と閉めることを繰り返し騒ぎすぎて叱られた。隠れてもこんなによく見えてしまうことを私はその時に知った。

上京しはじめて一人暮らしをした小さくて壁の薄いアパートは大学からは近かったが駅からは遠かった。何かの畑の隣でこの季節は虫が多くて怯えた。田舎育ちだからといって虫に強いわけではないのだ。隣の部屋は何歳くらいだったのだろう、学生よりは年齢のいった若い男性が住んでいた。ある日、私が階段を降りてふと2階を見ると窓の隙間から目が見えた。ああいうとき、本当に声は出ない。身体も硬直したような気がしたけど私はまるで何事もなかったかのように大学へ向かった。振り返ることは決してできなかった。その視線から確実に外れたと思えた場所からは走ったのであっという間に大学には着いた。守衛の男性とはすでに顔見知りでその日も何か言葉を交わしたけどそのことは話せなかった。そうやって目だけ覗かせてもこちらからは見えているという体験を彼はしたことがないのだろうか。私は声が出ない体験、身体が硬直する感覚、強い動機と持続する恐怖、それでもいつもと同じように振る舞えてしまうことを知った。

暑い暑いと思ってここに座って隣のマンションのしんとした窓を眺めてなんとなく書いていたらこんなことを思い出してしまった。すっかり忘れていたのに。きっとここを離れたらまたすぐ忘れるのに。怖い想いをするとはそういうことなのだろう。トラウマと呼ばなくても私たちは日々その大きさにかかわらず不安や負担を積み重ねている。忘れたり思い出したり意味づけを変えたりしながら出来事自体は遠くなっていくかもしれない。でも強く打たれるような重くのしかかるような情緒はふとした瞬間にこうして戻ってくる。そういうものなのだろう。そうではない人がいるとしてもそういうこともあるということも知ってほしい。

中絶を権利として認めない判断を下した米最高裁は人間の身体を知るどころか人間の身体を持っているのだろうか。性別を超え戯れぶつかり合い仲直りしいつの間にか学び自分の体験を通じて相手の体験を想像し、自分は大丈夫でも相手はそうではないかもしれない可能性を、非対称の関係においてはなおさらそうである可能性を考慮したことはないのだろうか。ないのだろう。自分が生まれた場所である身体の権利さえ奪えるという前提が共有されたからこの判断になったのだろうから。

これは妊娠する女性だけの問題ではない。単に女性だけの問題でもない。人間の問題だ、と速やかに広げることが必要に思う。その判断に目的があるとしたら変化の芽を摘むことだろう。失望させ絶望させ硬直させ、法という視線で身動きを取れなくする。そこで守られるのは権利を奪った人間の頑なな信念だけではないだろうか。変わることを頑なに拒んで変えようとする相手の声を封じ込めるような暴力的な心性だけではないだろうか。それはこの世界において多数派なのだろうか。少なくとも私の周りは違う。速やかに性別を超えた人間の権利の問題にしていく必要性を感じる。女性だけの、ましてや妊娠の可能性のある女性だけの問題にすることは無力なマイノリティとして彼らを扱う素振りだと私は思う。もしそうだとしたらそれは私たち自身がこの判決の罠にはまり彼ら権力者と同じようになる危険性を孕んでいるのではないだろうか。特定の女性の権利を奪うという行為を巡って戦うつもりがそれがマイノリティであるというイメージを増大させ見えやすい形での暴力を引き起こしたりそれによって不安や恐怖が蔓延していくようなプロセスに加担することは避けたい。その可能性はいつでも潜んでいるのだ。私たちは彼らと同じ当然の権利を守る人間として共にあろうとしながらいつの間にか権力者と同じことをするかもしれない。コロナ禍でそのような人間の心性に私たちはすでに直面しているはずだ。自動的に正義の側に立つということはない。どちらでもあるという状況をどう生き延び、誰もが声を奪われ身体を硬直させつつある人間である可能性に思いを馳せる、まずはそこからなのだと私は思う。

同時にこの気候も生き延びねば。身体は基本だから。熱中症などにどうぞお気をつけて。良い日曜日でありますように。

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精神分析

助走(愛とセクシュアリティに向けて)

昨日からずっと風が強い。夏至を過ぎたことを悲しく思うのは毎年のことでぐんぐん強くなっていく朝の光にそんなに急がなくてもいいのにと思ったりする。風がそれを煽っているようにも感じるのだろう。

いろんな現場でいろんな人と会ってきた。いろんな目に会ってきた。いろんな人との間でいろんな目に会ってきたいろんな人の話も聞いてきた。具体的なエピソードを積み重ねれば積み重ねるほど人にはそれぞれ事情があるという一見当たり前のことを実感するようになった。たしかにあのひどい人にも本当は事情があったのかもしれない。あんなことが起きたのにはこういうことも関わっていたのかもしれない。それぞれの事情を知れば知るほど出来事の見え方は変わってくる。もちろん体験の受け手に見方を変える力があればの話。ただもし何を見ても似たような風にしか見られない人がいたとしてもその人にもそうなった事情があるだろう。

「あいつさえいなければ」。強い憎しみに覆われながら身体を震わせてつぶやく。この人にこんな強い気持ちがあったとは、と驚きつつ、ものすごい圧力に少し後退りするような気持ちで私はじっと観察する。こんなときに「でもこういう可能性も」と言ったところでそんなの無意味だ。

あのときは「そういうもの」なんだと思った。大人がいうから「正しい」と思った。でも違った。大人になった私が今こんな状況でこんな想いをしているのはあのときにおまえが体験を奪ったからだろう。本当はあんなことしたくなかった。気持ちや考えなど聞いてくれたことがあっただろうか。おまえらの押し付けのせいでこうなってる。それを今更こっちの責任みたいにまたおしつけてくるのか。

繰り返されるやりとり。繰り返される痛み。体験を体験し直す場。精神分析の設定はそれを提供する。

「でも自分にも問題があったと思うんです」「だとしたらどんな?」「・・・・・」

何がなくてもそうなんだと思い込んできた。自分に目を向ける余裕などなく人の目、人の言葉ばかり気にしてきたのだから言葉でいうほど自分のことはわかっていない。だから問われても答えられない。なによりこんな風に問われたことなどなかった。

彼らは徐々に治療者との間でもこれまでのパターンを繰り返しはじめる。定期的に継続してあっていればそれがいつものパターンであることは二人の間で明確になってくる。「私は可能性を奪われた」という話もそんな中で何度も何度も繰り返される。治療者である私も彼らの時間やお金や可能性を奪う相手として体験される。彼らは繰り返す。まるでそう自分に思い込ませるように。そう、そこからやり直すためにそうするしかない場合もあるのだ。私は失敗しながらもなんとかそこにいようとする。ほとんど彼らの過去の体験の相手として、でもどうしたって残ってしまう自分として。

フロイトは能動性と受動性という心的な特徴を男性と女性それぞれに与えた。心的両性性の観点からいえば男性と女性の区別はそこにはないはずだった。しかし性器の違いにこだわったフロイトはどうしてもそこで異性愛を前提にしがちでそこから逃れようとするたびに「女性はわからない」となっていた印象がある。それこそフロイトの逃げではないかと思うが、性を性器から逃れたところで語ろうとしなければそれはたやすく生殖と結びつく。精神分析が神話から持ち込んだ父と息子、臨床で発見してきた母と娘といった重要ではあるがあくまで生殖の文脈から逃れられない物語に従属しがちなのもそのためではないかと思う(これはかなり雑な言い方なのだけど)。

能動性と受動性、する/されるの関係は常に反転する。転移状況はその反転を患者と治療者のペアにおいて実演するため、どこをみてもそのパターンか、というものが見えてきやすい。同時にそれまで一人で体験していたパターンを今ここでお互いが体験し、体験させられることでこれまでとは異なるパーステペクティブが生じる。「あいつのせいで」という憎しみにようやく別の角度から光があたりはじめる。

私は精神分析における愛とセクシュアリティに関心があり、これまでも助走的に書いたものもある。これ↓とかこれ↓とかだろうか。

精神分析というプレイ」「精神分析における愛とセクシュアリティ」

それは愛だと思い込むでもなく、憎しみに覆われるでもなく、愛と憎しみの両価性を生きるために私はそれー精神分析における愛とセクシュアリティーについて考える必要があると思う。それぞれのセクシュアルティがもたらす多様な関係を生殖やそこからはじまる家族の物語、あるいは異性愛と同性愛の区別で語るような用語(例えば「倒錯」)に閉じ込めるのではなく別の言葉で語ることはできないのだろうか。子供と大人の区別は重要だがそれで誤魔化されてきた部分に注意を向ける必要も患者たちが伝えてくれているのではないだろうか。

また助走みたいな文章になってきたのでここまでにしよう。いつまで助走なんだかと思うが特にゴールがあるわけでもないのだから今日もこんな感じで歩いたり走ったり立ち止まったりしようと思う。

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精神分析、本

非対称

鳥。何を話しているのかなあ。やっぱり小川洋子さんの本はすごかった。通じない言葉のなかをどうやって生きていけばいいのかわからない、と書くのではなくてそれでも淡々と生きて愛して死んだ人のことを書き、その人の言葉を唯一理解できる残された人のことも同じように書いた。残された人も鳥の言葉の方が人間の言葉より理解できた。人間同士のコミュニケーションは上手にできなくて大切な場も奪われた。でも彼らがそういう言葉でそれを記述することはなかった。彼らは被害の言葉も加害の言葉も使わない。

皮肉も冗談も理解しにくい彼ら。静けさ。幸福。暴力。男性であること。女性といること。傷つき。疲労。彼らはそうではなかったけれど、単語だけで伝わっていた幼い日のこと、多分伝わっていたのは言葉の意味ではなく対象を求める気持ちでその内容は必ずしも必要のなかった時代のこと、今はどんなに気をつけても自分の受け取りたいようにしか受け取れない。

この人は一体何を言っているのだろう。言葉を奪われた瞬間を思い出す。あれは愛情ではなく憎しみの始まりだったのか、と一瞬思う。でもそんなものは分けられない。

彼らの世界に行きたい。静かで決して強い言葉で突き放されることのない世界。二人の間に入ることはできないけれど。

ものすごく受け身のままいられた幼い日のこと。何も通じていなかったかもしれないのに通じているという幻想と勝手な空想を維持する時間と場所を与えてもらった。兄弟姉妹で与えてもらう量が違うように感じていろんな気持ちになったこと。例えば「お兄ちゃんだから」「まだ小さいから」という理由で。それが正しさであっても理不尽と感じていたのはそういう理由が欲しかったわけではないからだと思う。人に向ける気持ちにまるで量があるかのように比較される悲しみや寂しさを理解してほしかったのだと思う。

もうこんなに歳をとってしまった。身体もとても変わった。こうなるまで知らなかったことばかりだった。

最初の瞬間にものが言えればよかった。驚きすぎて言葉が出なかった。いまだにものをいえないほど混乱する瞬間があることを知った。後悔では学べないことも知った。

驚きを相手からの加害と感じたとしてもそうしたくないゆえに希望や期待で封じ込めるところからはじまるのかもしれない、どんな関係も。精神分析は原初の傷つきをどうしようもないものとして捉える。それぞれが愛と憎しみを十分に体験する場を設定する。その傷が癒されることは決してない。ずっと苦しいまま。それでも相手の言葉を奪ったり自分の言葉を奪われたりする関係が憎しみばかり生まないように体験を繰り返し、内容を理解される以上の体験を内省の契機とする。

ため息も涙も出るに任せているうちに朝になった。そんな毎日だとしても委ねてみる。力を持つ人たちとの非対称のなかで再び言葉を奪われたとしても強い憎しみに覆われてしまうよりはその方がいいような気がする。

彼らの世界に行きたい。途中からは決して入れないとわかっているけれど。拒絶されないことで安住したとしてもどんなに言葉を使わなくてもそれがない世界なんてないからそれぞれがそれぞれの仕方で傷を負うだろう。それでも彼らは決して憎まないだろう。通じないという現実に希望も期待もしていないから。好きな人ができたとき以外は。

非対称と知りながら言葉を奪う。そんなつもりはないと知っている。それでも痛みが重なればその時の驚きは被害に変わりうる。必死で確認してきた希望や期待が単なるごまかしだったように思えてくる。

混乱したままでも動く必要がある。動こう。これは年をとるとわかる。多分混乱しすぎなければ傷つきを傷つきのまま誰かに向けてしまうことはない気がする。先のことは何もわからないけれど。

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精神分析、本

それでも委ねる

「物事を分析する際に、ブラック・フェミニズムの伝統は、さまざまな抑圧には、体系を異にしていても、互いに重なり合い関連している特質があることを強調してきた。この伝統はまた、グループ全体こそがリーダーシップの中心にあらねばならないという、女性に発する物事の見方を大切にしつつ、LGBTQIAの人びとの懸案も共有しているものである。そしてこの伝統は、ブラック・コミュニティのなかにおいても最も周縁化され、弱い立場にいる人びとを、運動を語る言語や課題の重要度において、その中心に据える途を探ろうとするものである。」

バーバラ・ランスビー著『ブラック・ライヴズ・マター運動 誕生の歴史』(彩流社)の冒頭「本書の概要」からの引用である。ミシェル・オバマでもなく、ビヨンセでもなく「ブラック・コミュニティのなかにおいても最も周縁化され、弱い立場にいる人びとを、運動を語る言語や課題の重要度において、その中心に据える途を探ろうとするものである」。SNSを見る限り、この視点は常に忘れられがちなように思える。

生身の相手と交流しながら感じ、知ろうとするのではなくTLを流れる言葉や映像に反射的に反応していく。その様子はその人自身が描写する分には豊かな物語かもしれないが見たいもの触れたいものとしか交流したくない自分として表現されることはないだろう。たとえ他者からはそれが明らかであったとしても。否認というのは認め難いゆえに否認であり、生身の他者に委ねる、あるいは委ねられることは面倒で恐ろしいから絶対避けたい、といわないまま好かれていたい。そこまでの否認を可能にするのも言葉だろう。一見、傷ついた場所に正確に丁寧に絆創膏を貼るような言葉が、「自分の言葉」が通じない相手の傷を広げ、傷ついたということを表現することさえ封じ込めようと躍起になった結果であることをその恩恵を受けた人は知らない、ということもあるだろう。

私は背が低いので混雑した場所でモノ扱いされたかのように痛い想いをさせられたり、全く関係のない相手への怒りをちょうどその場にいた反撃できなそうな相手としてぶつけられたりすることがあるが、これは子供、女性、障害をもつ人なら誰でも多かれ少なかれ体験していることだろうと思う。

無力。生まれつき何かを剥奪された、あるいは欠如している、と表現することもできる。それは表現としても洗練されているように思える。が、私は使いたくない。大体、生まれつきとしても一体誰が剥奪したというのか、そもそもこれを欠如とするなら欠如していない状態は誰が定めたものを指すのか。

非対称の関係に傷つき傷つけられることを繰り返し絶望と希望に振り回されながら過ごす特定の他者との生活は外からは見えない。力ある者の言葉や仕草に封じ込められていることもそれが暴力や殺人として明らかになるまでは「普通の家庭」「仲良し」と表現されることも多い。

一見知的で豊かな表現力をもった似たような言葉遣いの者同士ののっぺりとした「連帯」を支えているのは非対称な関係においてそんな相手に身を委ねざるを得ない、ときには暴力的に支配されている人たちであることは否認される世の中だ、特にこのインターネット時代においては。

毎日「それでも」と思う。私は私でこの身体でこの言葉で生きていくしかない。いつも誰かに片想いしたままその囚われから抜け出すことができないような重たさを引き摺りながらそれが錯覚であることにも気づきつつやっていく。支配やコントロールより偶然性に身を委ねられたらと思うが、それこそ自分でどうにかできるわけではなくすでに選択肢はなくその状態であることはそれはそれでとても苦しいものだ。それでも、と思う。

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精神分析

スイカ、呼び名、つながり

スイカ。冷たくて水分たっぷりでちょうど良い甘さで目覚めるにはピッタリ。スイカ大好きな友人がいろんな土地のを食べていてどれも美味しそうで羨ましいのだけどこの美味しいスイカは産地知らず。でもなんだって人の手が関わっているわけですよね。どこぞのどなたかどうもありがとうございます。東京の住宅街で朝5時頃いただきました。少し元気が出ました。

スイカの名産地っていう曲ありましたよね。あれは今思うと不思議な歌詞。どこの国の童謡なのだろう。とうもろこしの花婿と小麦の花嫁だからアメリカ?うーん。農地を思うとまた大変な労働環境のことを考えてしまう。花嫁と花婿、嫁と婿、ママ、パパ、「おい」「はい」など、パートナーの呼び方の議論もありますね。誰かに対してその人との関係を伝えるときにどういうか。嫁と旦那、妻と夫。あるいは友人カップルの片方しか知らない場合に知らない方をどう呼ぶか。私は相手の年齢によっても使い分けるけどどれも名前のように使うかな。相手が呼ぶ仕方で私も呼ぶ。この仕事だからかもしれないけど。本来正解とかもないだろうし、すでになんとなくある「正しさ」に塗れた呼び名なのだからまずはそれが薄まるように自分ではあまり使わない。そういうのはすごく意識しているわけではないのだけど「どれが適切か」「何が正解か」みたいな議論にのる前にそれがない場合を考えるのは癖だと思う。

少し前に読んだアリソン・アレクシー『離婚の文化人類学 現代日本における<親密な>別れ方』(みすず書房)はアメリカ人の文化人類学者が日本で日本人(東京の中流階層の人が多かったと思う)の離婚話を聞いて彼らがどのように親密な関係を生きようとし、離婚した後も含め、どのようなロマンス(といってしまうが)に基づいて親密さという「つながり」を維持しようとするのか、あるいはどのようにそれについての意識を変えていくのかについて、個人の意識(というものがあるとすればだけど)、家族観、ジェンダー規範、「甘え」(土居健郎を引用)や依存、自立、法制度、国家のイデオロギーといった幅広い視点を維持したまま考察を加えたユニークな本だったと思う。とても大雑把に私がよかったと思う観点からいうと、誰かが「離婚した」といったときに相手が「え!なんで?」となりがちなのは「離婚」に対する偏った意味づけがあるからで「離婚」をつながりも別れも、始まりも終わりも含んだある二人の関係性の変化を示す言葉としてニュートラルな行為の言葉にすれば私たちがこれまでその言葉に与えてきた「正しさ」的な何かによって当事者たちを苦しめることは減るかもしれないのでその言葉にまとわりつく様々な意識や規範をまず「それぞれ」のものに分解し、「つながり」の変容という観点からそれを位置付け直すような本だった、という感じだろうか。

パートナーをどう呼ぶか、という問題についてもこういう作業が必要なのかもしれない。この本は「その言葉を使わない場合」というところからはじめる癖のある私にはしっくりくる本だった。

また本紹介になってしまった。今日はバタバタ移動の多い日だ。ちょっと寄りたいところがあった気がするが眠ったら忘れてしまった。

深刻なんだか呑気だかわからない毎日だがいろんな気持ちになるのが人間らしさを維持するのだろうからとりあえずこのままというかそれ以外ないか。急に変われるわけでもないから。それぞれに良い一日を。

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精神分析、本

タリア・ラヴィン著『地獄への潜入 白人至上主義者たちのダーク・ウェブカルチャー』を読み始めた。

タリア・ラヴィン著『地獄への潜入 白人至上主義者たちのダーク・ウェブカルチャー』を読み始めたが、これがもう最初から驚きの連続だ。著者は書評家でありライターでありジャーナリストのNY在住の女性である。ユダヤ人だ。

フロイトはユダヤ人であるがゆえに出世を阻まれ、愛する人と結婚するために開業せざるをえなかった。少年の頃、父からユダヤ人であることを罵倒され帽子をはらい落とされたと聞いた。フロイトはそれでどうしたのかと父に聞いた。父は何も言わずその帽子を拾い上げたと答えた。フロイトは幻滅する。1938年、すでに癌に冒され手術を繰り返していたフロイトの家にもナチスがやってきた。娘のアンナがゲシュタポに連れていかれた日のことは『フロイト最後の日記 1929-1939』にごく短く記されてる。周囲の強い説得によりフロイトはついにロンドンへ亡命した。妹たちはガス室で殺された。

『地獄への潜入』では冒頭から私たちは地獄へと導かれる。著者のラヴィンは様々な人物になりすまして白人至上主義者、ネオナチ、極右レイシストたちのいる地獄へと潜入していく。インターネットの時代、私たちは何者にもなれる。ユダヤ人であることを明かさずとも。ラヴィンは憎しみにの炎に焼き尽くされることなくこれを書いた。

彼女が「はじめに」で引用したのは米国の詩人、イリヤ・カミンスキーの「作家の祈り」という詩の一部だ。

私は自分自身の限界ギリギリを歩かなければならない

目の見えない人が家具に触れることなく部屋を通り抜けるように、

私は生きなければならない

wikiによるとカミンスキーはソ連生まれのウクライナ系ロシア系ユダヤ系アメリカ人で難聴だという。彼のパフォーマンスは検索すればすぐに見つけられるし彼もTwitterにいる。you tubeで聞いた彼の朗読はとてもインパクトがあった。

If I speak for them, I must walk on the edge
of myself, I must live as a blind man

who runs through rooms without
touching the furniture.

Yes, I live. 

ーAuthor’s Prayerより抜粋。by ILYA KAMINSKY

ラヴィンの祖父母は当時はポーランド、現在はウクライナに属するガリツィアという地域に生まれたが、彼らがホロコーストを生き延びた体験を直接聞いたことはないという。彼女は大学卒業後、家族の系譜、反ユダヤ主義が自分自身に及ぼした影響を理解するためにウクライナで一年間過ごしたという。彼女の家族が生き延びた土地が再び戦禍の地となった今、彼女はどんな気持ちだろうと考えざるをえない。全く想像もつかないけれど彼女は今日もアメリカで白人至上主義、反ユダヤ主義、レイシズム、ミソジニーに塗れたソーシャルメディアとの終わりなき戦いに挑んでいるだろう。世代を超えて繰り返される戦いに。

著者は「プロフィール」を偽り、ときにはカイク(ユダヤ人の蔑称)を激しく非難するナチ・ガールになりすまし、オンラインを嬉々として流れていく見るに耐えない、聞くに耐えない憎しみと嫌悪の言葉、それらを暴力や殺人の衝動にまで駆り立てる具体的なプロセスに私たちを立ち合わせる。そこは地獄だ。言葉を失う。著者は祖父母と同じくそこを生き残ろうとしている。地獄にも歴史がある。何がどうなったらこうなるのか、著者は偽りの自分を差し出しつつオンライン上を観察し続ける。

ここに描かれることがアメリカ特有の問題ではないのはすでに明らかだ。日本語版特別寄稿はフォトジャーナリストの安田菜津紀。まだ半分くらい(150ページくらい)しか読んでいないが地獄もまた事実として知っておくべきだろう。原題が浮き上がる赤い凸凹の表紙も印象的だ。柏書房のwebマガジン「かしわもち」での公開部分も。

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趣味

『貴婦人の来訪』を見ての連想

細身の背の高い若い男性が子供の笑顔のまま踊るように大きく回った。同時にやはり華奢で背の高い無邪気そうな若い女性が嬉しそうに大きくスカートを翻した。さらに地べたに座りこんでいた芸術家が描いていた垂れ幕がパタパタパタと波打った。電車が通り過ぎたのだ。この貧しい街の駅には決して停まることのない特急が。もちろん舞台に電車はやってこない。音と光と彼らの動きが特急が通り過ぎたことをvividに表現していた。人間の身体はすごい。

やや冗長で噛み合わないはじまりをみせた舞台は主演の登場を得てこれから起こる不穏な出来事へと緊張感を増していく。誰も止めていない。しかし視線に囲まれている。自分が動けば引き止められる。自分はここから逃れることはできない。目の前にようやく止まった各駅停車に乗り込むことがどうしてもできない。混乱し絶望に支配されていく様子を相島一之が巧みに演じていた。

大学生の頃、重度の自閉症の青年たちが暮らす施設へ出かけて週末を共に過ごしていた。ある男性は次の一歩を踏み出すまでに何十分もかかった。彼らは大きな声を出したり楽しそうな音を出しながら笑うことはあっても言葉はでなかった。突然顔を近づけてきて手をひらひらさせながら何度も私にぶつかりそうになるくらいの距離まで頭を前後に揺らす間、彼は私をじっと見ていたけれどそれは私を通り抜けて背後に向かうような視線で私に何かを見出そうとする目ではなかった。数年間、彼らと時間を共にし、さまざまな場所に出かける中で私は彼らと随分馴染んでいた。彼らには彼らのペースと決まりがあった。それらは私たちにも多かれ少なかれあるけれど。私はいつも通り静かにそばにいて、彼は大きな身体を小さく何十回か前後に揺らしたあと一歩を踏み出し一緒にお散歩に出かけた。音、光、場所、差異に敏感な彼らにとってこの世界はとても住みにくいだろう。元気だろうか。私たちは同年代だったから彼らももうおじさんだ(男性ばかりだった)。ご家族はご健在だろうか。みなさん、元気でいてほしい。

どうしても電車に乗り込むことができない。誰も引き止めてなどいないのに。そこに視線があるだけで。カフカだ、と思った。この戯曲はスイスの劇作家、フリードリッヒ・デュレンマットの『貴婦人の来訪』であってカフカの『掟の門』ではない。これは人間が持つ普遍的な心性なのだろう。苦しい。あなたをそこに押しとどめ、進むこともひくこともできないままそこで死ぬように仕向けているのは一体誰なのだろう。

そういえば、昨年8月、最終回を迎えた吉川浩満さんのscripta (紀伊国屋書店、電子版あり)での連載『哲学の門前』がこの8月、単行本になって登場するそうだ。日常的に「掟の門」性と付き合い続け思索を重ねてきた著者がひとりのモデルとしてその付き合い方の断片を見せてくれたこの連載がさらに多くの読者を得てそれぞれが門前で死ぬことなく生きるすべを見いだせたらいいと思う。どうにかして生き残ろう、みんなで。

デュレンマットの戯曲における主人公は「逃げろ」と言われてもそうすることができなかった。誰も引き止めていないのに、身体的には。私たちを捉えるのは実際の腕だけではない。言葉、過去、思い込み、誰かを思う気持ち、あらゆる出来事から私たちは自由ではない。街の住民の貧困は彼の命と引き換えに救済された。しかしそれは果たして生きている、豊かになったといえるだろうか。

たくさんの人がでてくるこの舞台、どの人物の造形も見事だった。殺人がサイコパスによってではなく葛藤できるはずのひとりひとりの個人の集団心性に基づく狂気によって行われるとき、それは決して他人事ではないという気持ちにさせられる。私は終始、共感ゆえに舞台上の人物たちに嫌悪感を感じていた。愛が裏切られたゆえに苦しみ続け富の力で復讐を実行しようとする今や老齢の女性を演じた秋山菜津子はいつものことだが素晴らしかった。悲しみ、切なさ、かつて愛した男の棺を慈しむように抱く姿には心揺さぶられた。後半は終始涙ぐんでいた。

制作に知り合いがいる、しかもオフィスからお財布ひとつで仕事の合間に行けるという理由でいったので後から知ったのだが『貴婦人の来訪』は「新国立劇場 演劇 2021 / 2022シーズン」のシリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」のひとつとして上演されたものだった。それに関する対談記事も観劇のあとに読んだ。

「正論」、患者からもよく聞く言葉だ。それって何、だから何、「正しさ」って何?私たちがもっとも囚われやすいそれに今日も私自身、惑わされるだろう。私が感じていること、考えていること、伝えたいこと、どれもこれも間違っているのではないだろうか、こんなことを言ったら嫌われてしまうのではないだろうか、たとえそれが「正論」でもそれは防衛であり攻撃である可能性を含むだろう、だから怖い。伝えればまた心閉ざされてしまうかもしれない。触れ得ない関係になるかもしれない。

コーヒーをこぼしてしまった。ほとんど飲み終わっていたが私は数cm分飲み残してしまう癖がある。PCはスタンドに立てていたので濡れたのはテーブルだけで済んだ。よかった。早速心が揺れたのだろう。すぐにこんなになってしまうのだから困ったものだ。少し敏感になっているのかもしれない。不安が強まっているのかもしれない。気をつけて過ごそう。すぐに忘れてしまうだろうけど。これまでもこれでやってきたのだからなんとかなるだろうとも思う。

こぼしたせいかコーヒーのいい香りが再び広がっている。なんだかなぁ・・・。今日からまた新しい一週間だ。週末の様子は月曜日の様子でわかると保育士の先生たちが言っていた。家族と過ごした時間が小さな彼らにとってどんなものだったか思いを馳せながらいつも通りの保育をする先生方を思い浮かべる。私もなんとかいつも通りやれたらいい。みんなもなんとかそれぞれのペースで、あまり掟や決まりにこだわらず縛られず過ごせたら。大きな地震があった地域の方もどうぞお気をつけて。

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精神分析、本

『ピグル』1965年6月16日

1965年6月16日(昭和40年、水曜日)、3歳9ヶ月の女の子が父親と一緒に老齢の精神分析家のところを訪れた。ここにくるのはもう11回目だ。彼女の両親が分析家に手紙を書いたのは1964年1月、彼女は2歳4ヶ月だった。1ヶ月後、両親と彼女、8ヶ月になる妹は4人ではじめてここを訪れた。ロンドンのChester Square87、London Victoria stationが最寄駅だ。2回目からは毎回電車で父親とここへ通った。

“What’s this?” 前回と同じように列車で遊びながら彼女が言った。thisはコバルトブルーのOptrex社の洗眼ボトルのことのようだ。

東京の空が明るくなりはじめた。まだ水色にもなっていないグレーがかった薄い青。2022年6月19日(日)の朝がはじまる。

1965年6月16日(水)、また電車で遊んでいたガブリエルがウィニコットの背中に声をかけた。

“Dr.Winnicott you have got a blue jacket on and blue hair.”

彼女はOptrex社の洗眼カップをメガネにしてウィニコットを見ていた。ほんの数行の記録だが私の大好きな場面だ。乳房(このセッションではおっぱいyamsというべきだった、とウィニコット)という一部分をウィニコットという全体対象に押し広げ分析家と同一化し、以前は悪夢にしかならなかった情緒をたくさんの言葉遊びとともに自由に遊び尽くそうとするガブリエル。ウィニコットが核心的な解釈をするのはこのセッションの最後だ。その解釈を受け入れた彼女はとても幸せそうにそんなにたくさん手をふる必要もなく父親と帰っていった。

今引用しているのはイギリスの小児科医、精神分析家のドナルド・W・ウィニコットの最後の治療記録『ピグル ある少女の精神分析的治療の記録』である。この本については以前も書いた。

ウィニコットとガブリエル(=ピグル)が会っていたChester Square87番地(でいいのかな)もOptrex社の洗眼ボトルも検索すれば画像で見ることができる。しかし、この本を読んで何が起きているのかを知ることは不可能かもしれない。

私はかわいらしい声の女性二人と三人で輪読をしている。彼女たちの声がこの年齢の女の子をリアルに想像させてくれる。私たちはウィニコットとガブリエルが会った日付にできるだけ近い週末に約束をする。昨日2022年6月18日は1965年6月16日のコンサルテーションを読んだ。約3ヶ月ぶりだ。ウィニコットは心臓を患っていてこの時期の体調は思わしくなかったようで、セッションの後の手紙のやりとりには母親とガブリエルの不安が現れているようにもみえた。しかしそれも一時的というか当たり前の反応と思われた。

久しぶりに読んだからというわけではなくこのセッションの記録はウィニコットとガブリエルどちらの言葉なのか不明瞭な部分が多い気がした、というコメントをきっかけに3人で話しあった。

もしかしたらそれは二人の相互交流における浸透性が高まっているからではないか、このセッションでは融合しては境界を取り戻すという自由な遊びがさらに洗練されている、そしてそれは I とYouの境界をはっきりさせるようなジョークとノンセンスの領域での言葉遊びの行き来にも現れているのでは、などなど。ウィニコットがこれまでの記録にも触れてきたように「不明瞭」や「曖昧さ」というのはこの二人の治療の特徴かもしれないが、これは精神分析の特徴でもあるだろう。

いつ死ぬかわからない、というより、もうそんなに長くはないだろう、という予測がウィニコットにははっきりあっただろう。ウィニコットは会いたいというガブリエルにすぐに応じることはできない。それを知らせる手紙の中で彼はいう。「子どもたちは自分の問題に家庭の中で取り組まなければなりませんし、ガブリエルが今の段階を切り抜けることができても驚くことはないでしょう。もちろん、彼女はたくさんの機会にそうやってきたので、私のところにくることを思い浮かべているでしょうし、私もまた必ずガブリエルに会うつもりですが、それは今ではありません。」

とても簡潔で明瞭な手紙だ。ガブリエルの心の中にははっきりとウィニコットが存在する。それはたとえ今彼が死んだとしても保持されるだろう、ウィニコットにはいまやその確信がある。

出会っては別れるを繰り返し、お互いの不在によって確かになる存在をまた確かめ、また離れ、生きていく。子どもの遊びのような、彼らの成長のような、目を見張るような部分を自分自身に見出すことはもうできないが生を限りあるものと認識できるようにはなったと思う。だから何というわけではない。もう60歳くらいになるガブリエルも同じ空の下で残りの時間に思いを馳せたりしているのだろうか。彼女は大人になってからインタビューに応じた。ウィニコットとの治療のことはよく覚えていないそうだ。ただ、この治療がホロコーストを身近に体験した母親に向けてもなされていた可能性を示唆している。

子どもがそれが何かはわからないまま晒される続ける不安、それは大人がかつて子どもだった頃に体験した不安でもある。思いを馳せる、大切な人に。何かができる距離にいなくてもせめて不安をともにすることができるように。そんな関係を築くことができるように。「ひとりの赤ん坊などというものはいない」「全体がひとつのユニットを形作っている」というウィニコットの言葉を思い出しながら。

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精神分析

無関心

まただ、と思う。こころを閉ざしていると言葉は届きにくくなる。興味深い内容を普通の声でたくさん話しているように思えても受け手を長い期間やってきたせいかそれは明らかに感じるようになった。

話している本人は私を特定の相手としてみていないこと、少なくとも私がそう感じていることに気づいていない。そんなとき、私はとても寂しくていろんなことを言いたくなるけどその状況でそれをいうことができない。閉ざしている相手に、私の気持ちより自分のことに気を取られている相手に何かいったところで被害的に受け取られるだけだろう。たくさん我慢してきたのに、と思うがそれも私が勝手にしている我慢だ、と片付けたくなる。私のことを考えてくれればすぐにわかるような我慢しかしていないつもりだけど、と恨めしく思っても、時折ため息をつきながら心閉ざしている様子は観察していると心配だし疲れさせたくもない。向こうだってそんなつもりはないのだ、多分。

一緒にいるのにもう離れているような、すでに忘れられているような、適当な社交辞令のような挨拶に何かをいうことも拒否されたような感触を持ち顔も見られぬまま別れ電車で涙ぐむ。でももう泣きはしない。繰り返されてきたことだから。関心を向けられないことの寂しさを相手に仕事を続けてきたのだから自分に対しても役割で対処できる。疲れたな、と思考停止しそうな自分を感じながらせめて眠れたらいいのに、と思う。なんでも夢まかせだけどこんな日は夢なんてみられない。瀕死だな、自分を笑う。気持ちも思考も動かない。こう書いていれば動き出し襲ってくる痛みには意識的にブレーキをかける。かかるはずもないけれど。訓練の成果はそこではない。むしろどんな痛みも感じない限り停滞だ。

しかたない、が口癖になってしまった。治療関係ではない間柄で親密な関係を築く。それはいつの間にかそうなっていく。自然に相手を思い、実際の関係を重ねながら自分を内省し、相手とコミュニケーションをとる積み重ね。自分を相手に委ねることで相手に対する関心が配慮の壁を突き破ってしまい喧嘩になることはあってもお互いに心揺さぶられながら相手を思いつつ自分を取り戻すことができればなんとかなる。でも無関心にはなすすべなしだ。しかたない、が口をつく。言わないけど自分の中で何度も繰り返す。

受け手を失い生きる気力を失った人たちの声を聞く仕事を続けている。彼らが受けてきた的外れな関心も無関心も同じものだと思う。どちらにしてもその関心はその人の個別性に向けられたものではなかった。寂しくて悲しくて腹立たしくて頭がおかしくなりそうなときも「大人の」言葉でなだめられそれと向き合ってもらえたことはなかった。理不尽はそのうち当たり前になって、無関心によって生じた絶望をナルシシズムによってどうにか持ち堪え生き延びてきた。ナルシシズムは自分にしか通じない言葉を話している自分に気づくことをさせてくれなかった。いつのまにか自然にコミュニケーションがとれなくなっていたことにも気づいていなかった。当然、治療は難航する。まず言葉を共有できるようになるまでにものすごく時間がかかる。共有したところでナルシシズムの傷つきと激しい怒りを体験することは避けられない。ここで治療者がもううんざりだと無関心に陥ればそれが反復になる。だから自分が無関心になりつつあることにも気づけるこころを育てていくことが必要だ。仕方ない、と頭痛を感じながら沈み続ける自分を投げ出さなければどんなに最悪の状態でも仕事では機能する。反対に、耐えがたい痛みを自分に対する無関心で乗り切ろうとすれば仕事に影響する。そういう仕事だ。辛いけど仕方ない。生きていくって大変だ。これは多分一番共有しやすい。生きていくって大変。ほんとだね。動けるだろうか。動けそうだ。今日が終わることには少しは楽になってればいいけど先のことはわからない。ほんとだね。これも共有できる。少しずつ回復しよう。自分にも相手にも関心を失うことのないように。絶え間なく流れる情報で自分の狭い興味関心に閉じこもることのないように。目の前の相手を見失うことのないように。

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詩の朗読

平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の著者、宮崎智之さんが詩の朗読(暗誦!)を始めたと知った。聞いてみた。詩はパーソナルなものだ、と改めて感じた。

精神分析家のトーマス・オグデンの近著”Coming to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility”に彼がこれまでもずっと取り上げてきたロバート・フロストが登場していたので読んでみた。

8:Experiencing the Poetry of Robert Frost and Emily Dickinsonという小論がそれだ。オグデンは初期の著作から”creative readings”の試みを続けている。これは以前のブログでも触れた。最新刊である本書のオグデンはもうその極に達する、というとon goingだと言われそうだけどさっぱりしていてもう十分に死を意識しながら生きているのだろうなと感じた。この世には自分だけは死なないと思っているのではなかろうかと疑いたくなるような人も少なからずいると思う。私は虚しさや儚さと触れ得ないこころを感じとるときにそう疑ってしまう。オグデンはそれを否認しない。

オグデンはこれまでもボルヘス、ロバート・フロストを頻繁に引用しcreative readingを続けてきた。ここではエミリー・ディキンソンの詩を引用している。多分はじめての引用。

ちなみにこの小論の初出は2020. Experiencing the Poetry of Robert Frost and Emily Dickinson. Psychoanalytic Perspectives 17:183-188である。

私は彼らの詩自体にもようやく興味が沸いたので調べてみた。岩波文庫『アメリカ名詩選』『対訳 フロスト詩集』『対訳 ディキンソン詩集』の3冊がとても役に立った 。詩は面白い。

そうだ、宮崎さんの朗読に触発されたという話。細々とフロストやディキンソンを読み、ネット上でそれらの朗読を聞き詩を読むのはとても難しいと改めて感じていたところに宮崎さんの試みとも出会った。私も試してみた。読んだのは先日ここでも取り上げたさわださちこ『ひのひかりがあるだけで』。やっぱりとてもとてもいい。恐々自分の朗読を録音してみた。なんか変だ、やっぱり。私が詩から受け取ったものが私の声では表現できない。難しい。

夜になり「文章ならどうだろう」と思い立ちこれまた大好きな作家、小津夜景の『フラワーズ・カンフー』の短い散文を読んで録音してみた。こっちの方がまだマシかもしれない。が、なんと、とっても短い文章なのに自分の声を聞いてる間に眠ってしまった。私は私に読み聞かせをする意図などなかったのに。「あみさんの声は眠くなる」と言われてはきたがまさか自分が寝るとは。びっくりした。

これまでたくさんの子供たちに読み聞かせをしてきた。療育のグループで紙芝居を、お膝で赤ずきんを、抱っこしたままあやふやな記憶の断片を。これからもしていくだろう。精神分析の仕事も詩を読む体験ととても似ている。だからオグデンもそれを続けてきたのだ。私ももう少し体験を増やしてみよう。

朝はとてもそんな時間がないが(こういう文章をばーっと書くのとは訳が違うから)また夜かな。今夜かな。今日を過ごしてみて手に取りたくなった本から何か読もうかな。そう考えてみると今日を過ごすのが少しだけ楽しみになる。なりませんか。なにはともあれもうだいぶ朝も深まってきました(とは言わないけど)。よい1日になりますように。

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カーテンを開く音が聞こえる。一瞬の勢いある音は遠くまで届く。今朝はまだ曇。部屋は確かに明るくなったけど曇り空がはいりこんで空と部屋の境界をなくしただけみたいに思えた。電気をつけようか、何をするわけでもないからいらないか。ここが空だったらそれはそれで素敵だ。

冷蔵庫が閉まる音に赤ちゃんが小さな全身をビクンと震わせた。「どうして今開けちゃったの」と恨めしく思いつつ起きてしまわないか注意をはらう。大丈夫そう。「大丈夫よ」と少し歌うように小さく呟きながら抱える腕を注意深く調整する。再び深い眠りに落ちた我が子に愛おしさが増す時間。音にまみれている日中にはそんな余裕はなかった。緊張が緩み口元が微笑みの形になる。

鳥はいつも通り、と思ったけどいつもと違う声の持ち主がいるみたい。季節が過ぎて鳴き方を覚えたのかもしれない。春はまだ鳴き方が下手な鳥が多くて微笑ましかった。山に出かけるとその違いは顕著で「うわ、下手だなあ」と笑うこともある。これから少しずつ上手になってすぐに私には真似できないきれいな声を出し始めると知っている。また小川洋子『ことり』(朝日文庫)を思い出す。小父さんが一番好きなポーポー語は「おやすみ」だった。

他の本を数冊どければ取り出せる場所にまだあったその文庫をまた少し読んでしまった。仕事に行かねば。

この時期は鳥も親元を離れ自分から世界と関わっていかなければならない。それぞれの声を持つ時期なのかもしれない。とても素敵な声をもっているのにとても受身な鳥もいるだろう、身近で何人かそんな人を思い出して少しおかしかった。愛しさに頬が緩んだのがわかった。

「あの頃はいつでも小鳥の声を待ち望んでいたのに、その時小父さんはいつまでもメジロが歌わないでいてくれることを願っていた。その方がより長く彼女と二人でいられると思ったからだった。小鳥ではなく彼女に向って、小父さんは耳を済ませていた。」ー168頁、小川洋子『ことり』(朝日文庫)

音、声、二人を繋いだり離したりするそれに私は今日も耳を澄ます。なぜかそういう仕事についた。同じ母国語をもち同じことについて話しているはずなのにまるで鳥の声のように、外国語のようにわからなくなり通じなくなるそれに時折苛立ち不安になる。でもそれが元々なのかもしれない。言葉は少しずつ二人の間で意味を持ち共有できる記号へ変わっていく。「おやすみ」のことは数日前に書いた。私も好きな言葉だ。

でも今はおはよう。朝だよ、そろそろ動き始めようか。鳥たちはもう遠くの方で鳴いている。

「私のためになど、歌わなくていいんだよ」鳥籠に顔を寄せ、小父さんはささやいた。「明日の朝、籠を出よう。空へ戻るんだ」ー303頁、小川洋子『ことり』(朝日文庫)

私たちはどこへ戻るのだろう、生きている間。どんなに受身でもこの世界に居場所を見つけ、日々戻る場所を得る必要があるらしい、人間は。そこは日々変わるかもしれない。一つに定めることが難しいかもしれない。どこにいてもそこを居場所だと感じることはできないかもしれない。それでも今ここにいる自分の身体を、声を、言葉を、自分自身を宿らせる場所として一日をはじめられたらと願う。大丈夫。時々そう呟きながら。

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精神分析

見えないもの

わかってて言わないことなんてたくさんある。そんなの当たり前じゃないかと思うが、相手が言わないことに対して想像力を働かせることができない、あるいはしたくない人もいるのだ。相手が言ったことに対してさえそういう人もいるのだからそりゃそうだろう。

見えないものを見る見ない見ようとするしない問題はその人のこころがどれだけのキャパをもっているか、どれだけ揺れに耐えられるかと関係しているだろう。何かを見ることはとてもモヤモヤしたり不安になったりするものだから。

今日は楽しかった。久しぶりに好きな人と会えた。パートナーに「今から帰る」とメッセージを送りながら「今日はありがとう」とその人にもメッセージを送る。

多分気づかれていない、誰も見ていない、と周りをもう一度確認する。最初からここにあったといえばいいんだ。間違えてもってきてしまった他人のものをそこに置く。

よくある例だ。こころの揺れは行動に分裂をもたらす。それに葛藤を覚え誰かの傷つきを想い苦しみながら行動する人もいれば自分の行為の外側で誰かが自分のことを想っていることを忘れ、さらには一瞬訪れた「まずい」という感覚もSNSを開いた途端忘れいつも「いいね」をくれる人のTLを眺めては自動的に指を動かしはじめる人もいる。誰かを忘れても自分を忘れてほしくはない。後ろめたさに時間差で襲われることもある。

表面が全体を表すとしたら他者との間でこころの動きを使って変容に身を委ねる精神分析が向いているのは前者だろうし、精神分析を求めるのも前者だろう。どちらにしてもパターンだが「そういう風に悩む」ことができることは精神分析には必要だ。

相手の気持ちといった見えないものにあまり重きを置かない人は期限も「解決」もない精神分析には魅力も感じないというかむしろネガティブな気持ちさえ持つかもしれない。外側の他者と繋がりそこから得られるライフハックで自分の生活を豊かにしていくことと相手に対して想像力を働かせることは当然両立するが、自分が他者や異質なものをどのように感じるかに細やかに注意を払い続けるためには外との交流に閉ざされた孤立した部分を持つことが必要だ。精神分析は頻回(週4日以上)に定期的な時間と空間を提供することで誰とも関わらないでいるこころ、関わろうとしないこころの体験の場を共にする。

私にとってそのような場が必要だったのは分断や対立にうんざりしていたからだと思う。どうして好きな人を好きでいられないのだろうと思ったからだと思う。たとえ国籍が異なったとしても同じ国で同じ時代に生まれ大きな環境を共有しているのに少しの違いを大きな違いにすり替えていくものはなんなんだろう。いじめや差別、虐待、育児放棄、パワハラ、セクハラ、呼び方は色々だが人を排除するこころが小さな個人のこころを壊し、命さえ奪うことがある。そして排除するこころ、分断を持ち込むこころは自分の中にも蠢いているわけで、それとどうやって私は生きていくのだろう。人は人をコントロールできない、と私はこの仕事を通じて実感している。それでもそれが可能に見えるのはどうしてだろう。

さまざまなことを考える。毎日の寝不足を引き起こす小さな傷つきと心の揺れを通じて。いい悪いの話とは別のところで。なにかを裁く態度からはできるだけ離れたところで。

私は見えないものを見ることができない。見えているものの僅かさとそれ以外の広大さもすぐ忘れてしまう。でもせめて大切な人のこころから締め出されたと感じてもそう感じることを否認したくない。誰かと比べることはしないが世界はこんなもんじゃない、人のこころの世界も今誰かが生まれたり死んだりしている世界もこんなもんじゃないのだろう。自分の愚かさをすぐに忘れすぐに苛立ち寂しさに発狂しそうになり泣いては眠れない日々を繰り返したとしてもこうして回復したい。いくら取り乱しても少しは取り戻す、たとえ独りよがりでも壊れたり壊したりする方向へ向かわない自分でいられますように。毎日、小さいんだか大きいんだかわからない願い事で始める朝だ。

東京は雨らしい。雨の音がする。気温も上がらないみたい。暖かくして出かけよう。電車に傘を忘れないようにしよう。まずはそこから。

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精神分析

おやすみ

前に誰かがSNSで「寝る」だか「おやすみ」だかいってからしばらく起きている人のことをSNSあるあるとして書いていた。

「おやすみ」背後から声をかけられた。PCに向かったまま中途半端に首を回して「おやすみー」と応える。きちんと振り向いたときにはもう気配だけ。寝室のドアが閉まるのが聞こえた。

いつもの分かれ道にきた。「おやすみなさい、また明日ね」手を振ってわかれる。お互い振り返りはしないが(多分向こうも振り返っていないが)反対方向へ薄くなっていく気配を感じながら歩く。「ただいま」一人暮らしでも小さな声で。

オンラインでの「おやすみ」は「あなたとは今日はこの辺で」という区切りだと思うので一緒に住んでいない人と夜に別れるときに直接いう「おやすみ」とあまり変わらないはず。なのでその人がそのあと起きていようと何をしていようと構わないわけだけだが、SNSではそれがさっきまでと同じ画面で見えているからなんとなく違和感があるのかもしれない。この見えているけど切断されている時間というのを私は以前より余韻として感じる。共にいる三次元空間で相手の存在が遠のいていく感じは背後を感じさせ身体性を伴うが、二次元だと、どうなんだろう。そのうち考えてまた書くかもしれないけどマッチ売りの少女感覚かな、声は聞こえない、姿も見えないけどあちら側で生きている人を遠くから眺めるように視覚から描き出すイメージ。自分が手元を照らしている間は。マッチ売りの少女だと少し寂しすぎるかもしれないがそんな気持ちの人もいるかもしれない。

「おやすみ」を交わし、お互いを背後に感じながら離れていく二人。「おやすみ」のあとも画面を見たままもう今日は交流をしない相手が別の誰かと小さな交流をしたりしているのを眺めている一人。それもどちらかのさらなる切断によって見えなくなったり一瞬で消える。なんにしてもそれ自体が二人の関係をすぐに変えるわけではない。どんな二人であってもずっとそばにずっと一緒にいることはできない。誰もが体験する離れていく(離れている)時間は、それまでの生活で誰かと空間を共にするという体験をどのくらいどのようにしてきたかによって異なるだろう。

私は安心したい。せめて眠る前くらい。眠れない夜を過ごすのは嫌だ。悪夢を見たとしてもそれはそんな直前の出来事のせいとは思わないけど一つ一つの行為はそれまでと連続性がある以上不安は夢に侵入してくるだろう。

何時間経っても「ママ、ママ」と泣き続ける子ども、親が拍子抜けするくらいあっさり手を振って部屋の奥へ駆けていく子ども、保育園の仕事ではさまざまな分離を目にする。私はどんな体験をしてきたのだろう。そしてそれは今どのように反復されているのだろう(ある程度わかってきたように思うが)。できるだけこころの空間を広げていきたい。どんな情緒にも反射的に動かされるのではなくできるだけ時間をかければ回復できる程度に抱え、丁寧に言葉にしていきたい。相手を想う気持ちを形にしていきたい。そこが二次元であっても三次元であっても余韻をうむのはそんな想いなのだろう。

外をけたたましくサイレンを鳴らしながら消防車が通り過ぎた。こんな朝早くに。何もありませんように。無事に「おはよう」を交わせますように。また今夜「おやすみ」といえますように。

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読書

はじめまして

今日はなにやら楽しそうな名前の保育園に行く。これまで担当していた人が遠くのご実家にお帰りになるので私が引き継ぐことになった。はじめまして。

先週の「はじめまして」もとてもスムーズだった。この仕事ももう長いのでどこへいくのもわりと気楽でどんな対応であったとしてもそうそう驚かない。いや、驚くけど「ほー、こういうこともあるのか!」と自分の知らない世界に自分のやり方で適応しようとがんばることをしない。馴染みはあるが知らない街を散策する。実際そうだし、気持ち的にもそんな感じではじめましての場へ向かう。こんなところにこんな建物が、全然知らなかった、ということばかりだ、日常は。

その園はとてもウェルカムな雰囲気で迎えてくれた。商店街のはずれ、ちょうど傘を閉じられるアーケードの端っこの方にある小さな保育園で何度か通り過ぎたけど時間ちょうどにたどりついた。その日は雨で少し寒かった。

私が担当する園は注意をしていても見過ごしてしまうような小さな園が多く、よくこの間取りで工夫して保育してるな(基準って・・・と思わざるをえない)と感心する。もちろん感心されている場合ではなくて自治体は乳幼児が育つ環境について真剣に対策を練るべきであろう。保育というのは大変だ。大変なのは保育士だけではない。月齢によって離乳食の内容も変わる0歳児の食事と他の年齢の子供たちの食事をひとりで作る栄養士の仕事ぶりにも頭が下がる。特に用事はないが「○○さん」と言っては振り向かせ何かを言ってもらいニコニコと帰っていく子供たちに対応しながらプラスチックのお皿を少量かつ多彩なおかずで着々と埋め、サランラップをかける。アレルギーを持つ子供たちの食事も特別な注意を必要とする。小さな園はひとりで全てをやっているので保育士との連携や園長の援助も絶対必要。誰かが孤立したら保育の流れが滞る。ただでさえ子供の動きは統制不可能だ。思った通りに動いてなんかくれない。言葉はそんなにたよりにならない。物理的にも仕事の内容的にもこれだけ近い関係だったら保育士の間にも色々あるだろう。それでもそれは二の次だ。やるべきことをやるためには協力せざるをえない。本来家庭だってそのはずだ。

「こんにちは」と何度もやってきては逃げるように去っていく。だいぶおしゃべりが達者になってきた2歳児だ。全身ではにかむような姿がとてもかわいい。私も同じようなトーンで「こんにちは」と返し続ける。私は観察をして助言をする立場なので能動的に関わることはほとんどしない。だから距離や時間の変化を肌で感じられる。たまには定点でじっとしている大人に近寄っては離れ離れては近寄りを繰り返しながら自分のペースで距離を調整していくことも悪くないだろう。大人も子供も忙しすぎる。

村田沙耶香『信仰』(文藝春秋)を読んだ。主に海外からの依頼で書かれたいくつかの短編とエッセイが収録されている。相変わらずなのに凄まじかった。「現実」と「信仰」。言葉が作る境界など曖昧なものだ。読めば「正しさ」がぐらつく。私はどこか気持ち良くなっていて実は誰かをひどく傷つけていることに気づいてもいないのではないか。自分に対する疑わしさはかつて大人に対して持った疑わしさかもしれない。

「何度も嘔吐を繰り返し、考え続け、自分を裁き続けることができますように。」p117

村田沙耶香は子供の頃、「個性」という言葉に感じた薄気味悪さとそれに傷ついた体験を忘れない。なのに繰り返す何かを彼女は罪として裁き続けながらこういう文章を送り出し続けている。凄まじいことではないだろうか。私はこれを愛情と感じるし、子育てにおける激情と近いように感じる。私は彼女の文章を読むと救われる。そこがどんなに血の流れる場所であっても、私たちがいかに愚かでも、私は動物的な部分をケアされたように感じる。世界を肯定するように、という言葉も浮かんだが肯定という言葉が何かとても上から目線のような気がした。私は私の好きなようにしたい。だから好きな人にもそうしてほしい。でもそれは噛み合わない。私のしてほしくないことがその人のしたいことだったりすることがほとんどなのだ。私たちはあまりに違う。こんな小さな、時折小動物のようにもみえる子どもたちが世界と出会う仕方も様々だろう。見るものが違う。感じることが違う。食べるものは同じでも消化の仕方が違う。お昼寝だって暗くするほど興奮する子もいる。ほしいものは大抵手に入らないかもしれないし、手に入れたものはほしかったものではないかもしれない。

私はすでに大人になってしまった。相変わらず自分の気持ちよさにかまけては苦しむ大人に。人なんて変わらない。毎日思う。それでも動きをとめない。感じること、考えることをやめない。罪と知って選択したものだってある。それでも。

いまだに「はじめまして」があるのは幸運かもしれない。「滅びるまで続ける」というセリフがこの本にあった気がする。はじまりに遡ることは難しくとも滅びるまでの距離と時間を子供の頃よりは定点観測できるようになったと思いたい。今日も今日を続けながら。小さな罪深き存在として。

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精神分析

非対称の関係

マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か。#Me tooに加われない男たち』(集英社新書)で著者の杉田俊介は以下のようなことを書いている。

男性がquestioningな男性として自分を「反省する意識としての自分」と「反省される対象としての自分」に分裂させ、二重化するだけでは普遍的な「人間」にはなれない。なぜならその一つ高次化した視点もやはり何らかの男性性に汚染=侵食されているからだ。そこには「観察の観察」「観察者の観測」のジレンマ(無限のメタ化/無限後退のジレンマ)がつきまとう。そこでそうではなく、男性と女性の間の非対称性と敵対性からはじめること、それを思考や行為が立ち還るべき根源とすること、つまり異なる他者の眼差しに貫かれながら、男性が男性問題を問い直していくことが必要なのではないか、と。

「男らしさ」「本物の男になる」みたいな発想ではなく、ということだろう。そうだそうだ、と私は思う。「らしさ」とか「本物の」という言葉ほど疑うべきものはない。

この本は男性にとってのまっとうさについて考えるための本なので非対称性は女性との間にあるが、精神分析では分析家と被分析者の非対称性がまさにこれである。精神分析の場合、それは親と乳児の非対称性としても語られる。この本でいう「男性」=分析家、親として考えてみる。分析家になるには訓練分析を受ける必要がある。その目的を簡単にいうとしたら、訓練によって、他者(内なる自己とも重なる)とその歴史のいいところ悪いところの全てをこころの内外に住まわせながらもそれにのみこまれることなくともに生き、自分としても他人としても自分のことを考え、他人のことは他人のこととして考えられるようになるためだろう。それは常にbeではなくbecomeの問題である以上「らしさ」や「本物の」という言葉はここでも適用しにくい。

治療者が正解を持っているわけではない、大体正解なんてあるのかしら、いい悪いの問題ではない、それって誰が決めるのかな、「みんな」がそうなのはわかった、だからなに?あなたは?というのは私の口癖だが精神分析の口真似でもあるかもしれない。

他者の眼差しに貫かれ続け、問われ続ける関係の中にいつづけること、被害的になり攻撃的になり敵対しながら、逃げない手応えのある相手として約束通りの時間にいつもそこにいつづける分析家を十分に使いながら自分を問い直し、その欲望に複数の形で開かれていくこと。複数のというのは、正解や本物のない世界において常に揺らぎながらということ。苦しくて辛くて耐え難いこともたくさんある。むしろそんなことばかりだ。精神分析は「幸福」も想定していない。結果として想定するとしたら「今よりましな苦しみや不幸」だろう。自分をたやすく外に開かず、目の前の相手とともに考え続け言葉にしていくことは自分に対する配慮でもあり誰かを愛するための準備でもある、と私は思う。ダメさも愚かさもひっくるめて愛していくとはどういうことか、なかなかの苦闘だけれどともにいるってそういうことではないか、と私は思う。

杉田俊介はいう。

「かつてリブの田中美津は「わかってもらおうと思うは乞食の心」と言いました(もちろんこの言葉がはらむ「乞食」に対する歴史拘束的な差別性も書き換えられるべきでしょう)。ボクたちのつらさを女性たちにも理解してほしい、男だってつらいんだ、という期待は捨て去りましょう。それは「女性からの承認待ち」であり、卑しく惨めな心です。「強く」「男らしく」ある必要はありません。ただ、まっとうな人間であろう。被害者意識の泥沼に落ちることなく、加害や暴力に居直ることもなく、自分(たち)の自由を公的な言葉にしていこう。その限りで、女性の同意ではなくむしろ異論を。対話ではなく論争を。友愛ではなく敵対を待ち望みましょう。それらを待ち望みながら、当面は、男たちのことは男たちが考えていくしかないのです――いつの日か、対等な「人間」同士でさわやかに語り合い、愛し合える日が来るまでは。」

そうだそうだ、と私は思う。男女というより非対称の関係において。「いつの日か」がいつになるかわからないけど瞬間としてならそのプロセスで何度も訪れているであろう愛し合えている瞬間を信頼して考え続け、問われ続け、いつの日かを待ち続ける、今日も。

今日は日曜日。東京は曇のち晴れ(雨も?)の予報。小さな願いが叶わなくても寂しさに心押しつぶされそうでもそれだけで今日が終わってしまうことはないだろう。それぞれの1日をせめて無事に。

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精神分析

短い・長い

コーヒー。頭痛が少しはまし。身体が温まった。ストールをグルグル反対側に回してはずした。週末か。週末って金曜日からのことをいうの?土日は週末でしょ?一週間は7日しかないのによくわからないとは何事。というかわからなくても不便がないからこんな歳になっても曖昧なのです。曖昧でいいことっていっぱいある。正解なんてないことだらけだ。

とはいえ、と「私はあなたにとって都合のいいものとして扱われたくない、私にもこころがある。」ということを書きはじめたが「とはいえ」というのは違うか、と消した(が、結局残っている)。意識はしていないが好きな接続詞(あるいはそれ的なもの)というのがある。自分にとって使い勝手がいいとすぐ使ってしまう、と思ったが使い方を間違っていたら使い勝手もなにも、である。まぁ、こうやって毎朝家事やらなにやらの合間にダラダラとだが一気に書かれるこんな短文においては曖昧でも問題なし。

短文ってどのくらいのことをいうのだろう、と思って以前調べたような気がするがもう覚えていない。調べてさえいないかもしれない。私が毎朝書いているこの文章は短文だと思う。少なくとも長文ではない。短いと長いの間は?中短文、中長文、中間文とは言わないからスペクトラムか。スペクトラムなものは曖昧さによっていつの間にかそのどちらかになるのだろう。『へんしんトンネル』(あきやまただし作・絵)を思い浮かべた。この前保育園で子どもが「よんでー」という意味のなにかを言いながら持ってきて膝に座ったので読んであげたばかりだ。要求の言葉はまだでも絵本を十分に楽しめていた。そうだ、短文って?このブログの編集画面には文字数が出ないので他にコピペして調べてみた。いくつかの記事で見る限り大体1200字平均か。そうか、1200字程度の体感がこれか。無理なくなんとなく独りよがりに曖昧を許容しながら思いを巡らせるウォーミングアップ的文章量。

「私はあなたにとって都合のいいものとして扱われたくない、私にもこころがある。」

当たり前だな。書くまでもない。非対称の関係であっても、というより非対称の関係であればあるほど前提が異なるのだから相手を尊重し、私はこんな感じなんだけどあなたはどんな感じか教えてもらえるかしらという態度が必要だと思う。

昨年からTL上で話題になっていた男性性に関する本を読むようになった。男性が著者のそれらは私が男女という非対称な関係をどう感じているかを意識させてくれた。著者たちだってそれをずっと意識して生きてきたわけではないだろう。むしろ意識してこなかったからこそ逡巡の末に書きはじめたのだろう。どこか後ろめたさを残しつつ、自分の生きてきた歴史のみならず自分が生まれる前から組み込まれている歴史に対する態度を模索するようにさらなる「誤解」が生じることを警戒しながら異質なものと共にあることをあらかさまな目的とはしないような書き方が印象的だった。当たり前と感じるか配慮と感じるか当たり前の配慮と感じるかなど色々受け取り方はあると思う。私は個人的には多くの男性は自分が持つ力にあまりにも無自覚だと思うことが多いが、無自覚であることに対して女性である私も自分が組み込まれてきた短くも(個人史)長い(人類史)歴史のなかでどういう態度をとってきたか内省する必要があると感じている。

共にあること、それが自然になされているのは胎児のときだけかもしれない。そのときですら「そうせざるを得ない」という感覚は生じているかもしれない。誰かと一緒にいる以上、避けられない傷つきと痛みに対してどのような態度をとっていくか。時代と歴史という観点をどのくらい自分の中に維持することができるか。書いているうちにそんなことを考えた。

短い。長い。文章は歴史と違ってそこに区切りを入れることができる。こんなダラダラな文章も手を止めればあっさり終わる。私は「〜しつづける」ことにそんなに価値も置いていない。それはそうせざるを得ないものとして無意識には常にあると考えるから。

今日もふつうに心揺さぶられたりふと冷静になったり色々あるだろう。行きつ戻りつの毎日を。

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精神分析

これまでもこれからも

これまでもずっとそうだったじゃん、とふと思う。

変な時間に起きて変な格好でうとうとしていら左腕が圧迫されて手が動くなった。数年前に橈骨神経麻痺になった時みたいに。今回はしばらくしたらバキバキながら動くようになった。

以前から身体がこわばりやすく、こんなときにこうしてタイプするのはほとんどリハビリだ。

今日は曇りときどき晴れらしい、東京。少しずつ梅雨に向かっているのだろうか。

人なんて変わらない。これまで何度呟いてきたことか。精神分析を何年受けても誰かが思うようにはその人は変わらない。その人自身は確かに変わるけれどそれが誰かにとっても変化とは限らない。

どうして変わる、いや、変わってくれると思ったのだろう。「きちんとする」って言われたから?「きちんとって何を?」って聞いたらまるで想像したのと違う言葉が返ってきただろう。だって、これまでもそうだったじゃん。自分のしたいようにしたいんだよ。全然変わりたいなんて思ってないんだよ。隠したいとすら思っていないと思うよ。したいようにしたいっていうのはそれをみてて、認めてってことなんだから。わかってたはずじゃん。

本当にそうだ。私はよくわかっていたはずだ。

痛みをそのまま伝えられる距離にいられるのは特別な立場の人だけだ、とひたすら痛みに耐えているとまるで人体実験だなとちょっと可笑しくなる。自分の情緒に振り回されながら強い衝動に突然涙をこぼしたりしながらそれを観察している。体験は共有されず適当な言葉でつなぎとめられていることを知っているけどそれでいいんだ、仕方ないんだ、と思いこむ。すごく悲しくて辛いけどもはや怒りも出てこない。相手との関係を諦めているというより自分の愚かさに諦めている。交流していないのだから一人相撲だけど。強い気持ちに打ちのめされながらもそこに入りきれていない自分に可笑しくなる。私がこんな気持ちになる権利なんてないんだ、と自分を責めるような言葉が出てくる。すると、いや、権利はある、と戒める私が出てくる。言葉を正確に使え、と。大きなお世話だ、と思うがそうだなとも思う。いろんな現実をききすぎたせいかドラマ的に感情を展開することさえツッコミが入る。権利はあるが人を傷つけるリスクが高いということだよね、と私は応える。一人相撲だけど。もう冷静になっている。さっきのドラマチックな感情は一体どこへ、と思うがまたすぐに出会うだろう。現実は変わっていないのだから。何も交流していないのだから。

交流しないのは怖いからだ、と知っている。その結果を考えれば怖い。でも少し先のことを考えればトライする価値も必要もあるのかもしれない。

悶々とした朝だ。なのにコーヒーも入れてチョコも食べた。いつもの朝だ。過剰になるな、ぞんざいになるなとこれまでの自分に戒められる。

これまでもそうだったんだ。これからもそうかはわからない。全ては暫定的で流動的だ。

遅くまで週末の仕事のやりとりをしていた仲間たちも寝不足だろう。毎日いろんなことが起こる。これまでの積み重ねでもうどうにもならなそうなことでも誰かが声をあげている以上無視もできない。自分の声より他人の声に対しての方が遥かに真摯になれてしまっている気がするがごまかしだなと思う。人体実験のようにではなく、衝動のまま、自分に対する観察やツッコミなど入れないまま突っ走れたらその瞬間は生きている実感を持てそうだ。でももう子供ではない。さっきまでの痛みはもうない。過剰にならない。ぞんざいにもならない。大丈夫。いつも言い聞かせるように。

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精神分析、本

男性性研究の本を買いに行ったら忍者のことも学べた。

NHK WORLD-JAPAN On DemandでNINJA TRUTH Episode

を見ていた、というか流していた。早朝からKUSARIGAMAとか聞いて何をしているのだ、私は。

昨日本屋へ寄ったときに東大出版会のPR誌『UP20226月号があったのでいただいてきた。表紙に「忍者」という文字を見つけた。金沢に忍者寺(妙立寺)というのがあって私はその仕掛けだらけのお寺が大好き。忍者大好き。それにしても忍者学というものがあるのか。と「忍者学への招待」という連載を読んでみた。今回は3回目「忍者の火器・火術」について。ふーん。忍者学というのは学際領域なんだな。これを書いた荒木利芳さんは三重大学の水圏生物利用学というのがご専門らしい。??…なんだそれは。三重大学のHPによると「水圏に棲息する魚介類を対象とし,それらの生産する有用物質の抽出解析並びに未利用資源の開発を行うとともに,遺伝子操作を用いた魚類の品種改良や微生物による生合成のための原理と技術を研究する。また,化学物質と生体の相互作用を分子レベルで解明し,その作用機序を細胞から生体レベルで明らかにするための技術やシステム生物学に関する教育研究を行う。」という学問領域らしい。世の中にはいろんな研究があるのだなぁ。それにしても「水圏に棲息しない魚介類」というのもいるのかな。「すいけん」とうつとやっぱり「酔拳」と出てきた。あまりテレビをみる子供ではなかったがたまにみる「酔拳」はべらぼうに面白かった。

忍者といえば伊賀、伊賀といえば?そう、三重。三重大学はすごい。三重大学国際忍者研究センターというのを持っている。本も出している。その出版記念シンポジウムの内容も多岐に渡りなんだか面白かった。もう素早く動けないのでそういう人にも使える忍術を教えてほしいしアナログ忍者ゲームもやってみたい。にしてもこういうのみると勉強って大事。物理学も生物学もわかってないと忍術なんて編み出せないじゃん、ということも楽しく学んだ。しかも冒頭に載せたのは英語なので忍者を通じて世界と繋がることができますね。

昨日、本屋へ寄ったのはレイウィン・コンネルの『マスキュリニティーズ 男性性の社会科学』(伊藤公雄訳、新曜社)を買うため。高い本だが男性性研究は今の時代追っておくべきだろう、私の仕事では特に。この本も「第一章 男性性の科学」の冒頭はフロイトの引用だ。著者は「ジェンダーに関する私たちの日常的な知は、理解し、説明し、判断すべき相反する主張にさらされているのである。」という。それはそこに複数の実践があることを暗示しており、その実践を支えている理論的根拠は何か、ということに目を向ける必要があろう、ということで著者は広がりを見せる男性性研究における知を紹介していく。まだ途中だがとても丁寧な本だと思う。

そういえば忍者学の皆さん、男性ばかりではなかったかな。忍者にはくのいちがいるけど。「万川集海」にも登場しているって書いてあったよ。精神分析の世界も男性社会ですね。IPAの会長は二代続けて女性なので少しずつ変わってきていると思うけど。私は男女の違いをとても感じながら生きているけれど精神分析における両性性に関する議論は転移状況において私たちが性別を超えて被分析者にとっての重要人物になっていくことを考えればもっと臨床と理論を掛け合わせたところで深めていけるもののように思う。そのためにもこの本は活躍してくれそうだ。

あーあ。このドアをひっくり返したらあの人がいる場所に行けたらいいのに。忍術が戦いのためじゃなく使われるような世の中にいつかなるかしら。願いましょうか、今日も。

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精神分析

夢現

目覚ましをかけなくても起きられるようになってからもう何年も経つ。老化だと笑われてからももうだいぶ経つ。最近は考えごとの中身が具体的なので眠れない夜は振り回されている自分がちょっと可笑しい。

やたら具体的な夢の途中でパッと目が覚めた。若い頃、どうしてあんなに不機嫌な寝起きだったのか。起きてなんとかキッチンのイスにたどり着くなりテーブルに突っ伏し寝ていたなんてこともしばしばだ。現代の機械だってウォーミングアップが必要なのに今の私は最初から熱いお湯が出るシャワーみたいだ。といったところでなんのありがたみも自分に感じない。寝た方がいいに決まってる。夢で作業をした方がいいに決まってる。

朝4時くらいにはブラインドの外はもう白くなりはじめる。マットを敷いた床でゴロゴロしながら空を眺め起き始めた鳥たちの声を聞きバキバキになった身体を重たく感じながら空想にふける。今日も少し寒い。

昨日見た夢。あれはなんだったのだろう。正確には昨日の朝を迎える前に見た夢。精神分析において夢は転移状況であり、とてもパーソナルなものなのだ。誰にでも話すものではない。精神分析状況で密やかに大切に扱われるそれは話すことでようやくこころに棲みつくことができるのだろう。

そのおかげで夢から覚めてすぐに家事ができる私でも微睡んだ部分を維持できる。だから何かをしながら空想することができる。覚醒しているのに夢現の身体のまま、私は多分ずっと私以上のことを感じている。きっとそれが今夜の夢を構成し、過去の夢を再構成するのだろう。ひとりでみた夢もすでに誰かとの出来事だ。私はそこを生きた覚えがないが夢では普通にそこで生活していた。

昨日の夢のそこは古いアパートだった。見たことも住んだこともない部屋の中がドアの隙間から少しだけ見えるアパート。分析で話せば夢の中の誰かが私にとっての誰でそこでの出来事が私にとってなんであったのかに自然と注意が向く。共有するとはそういうことだ。最近の私の考えごとがいくら具体的でも夢はそんなこととは関係なく知らない出来事を平然とみせてくる。私、そこで何やってたんだろ、あれは誰だったんだろう、それは夢で実際に見えたもの(矛盾)とは違う、というのが考える前提となっているのも興味深い。恋人が父親のようだったり兄弟姉妹が我が子だったりする。夢には様々な置き換えがある。

と書きながらも昨日見て、昨日話した夢のことを思い浮かべている。書かないけど。パーソナルなものだから。

朝はコーヒーを飲みながらチョコばかり食べてる。甘さ控えめ、厳選素材とあってもチョコはチョコ。この美味しさも歯磨きで流してしまうのにどうして食べるのだろう、と思ったけど変な問いだなとすぐに自分で引き取る。書いては消す、見ては忘れる、出会っては別れる、生まれては死ぬ、そういうものなんだろう。ただ、食べている間は、こうして書いている間は、夢を見ている間は、あなたといる間は、今こうして生きている間は私の存在は比較的確かで、誰かを感じながら考えたり心揺らしたりできる自分がいることに少し安心できるのだ。

今日も少し現実よりに夢見がちな時間を過ごそう。ひそやかに夢をそこそこに現実を。

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精神分析、本

悩める朝に

明るい。朝はとりあえずカーテンを開ける、というのは大切なことですね。内側がどうであれ外側くらい大切にしないと。

この前、ゲンロンカフェでやっていた安田登さんと山本貴光さんの「心を楽にする古典講義──『古典を読んだら、悩みが消えた。』刊行記念」イベントをアーカイブで見た。

昨年夏には安田登×玉川奈々福×山本貴光「見えないものの見つけ方」イベントにもいった。それは『見えないものを探す旅 旅と能と古典』刊行記念イベントだった。

安田登さんはとてもたくさん本を書いているんだな。今回の『古典を読んだら、悩みが消えた。』もとてもユニーク。今ちょっとエネルギーがないので書きたいことも書けないけど出版社のページをぜひチェックしてみて。と言いたいのだけど目次が載っていないのが残念。

「自分より強くてイヤなやつがいるなら」「自分の気持ちをうまく言葉にできないなら」「自分は陰キャだと思うなら」「コミュニケーションで失敗しがちなら」などなど私たちがよく悩む事柄に対して古事記、和歌、平家物語、能、おくの細道、論語を解釈しながら応えるという超難易度高い人生相談を安田さんは誰にでも読める形で実現してくれました、というかわいい表紙(中の漫画もかわいい)のすごい本。読んでいるうちになんか昔見たことあるあれ、聞いたことあるあれって本当はこういうことだったんだ、とか思っているうちに悩みにも別の意味が与えられて「まあこれでいいのかな」と思えると思います。お悩みがなくても私は夢の話とかすごく面白かった。能は特に興味深いなと感じます。ゲンロンのイベントで「みんな必ず寝るけど必ず起きるでしょ」(超雑な抜粋です、アーカイブでチェック)というようなことを安田さんが話していたのだけどこれ本当にそうで、この流れで話されたこともよかった。本では能は“「残念」を昇華する芸能”と書かれていてフロイトのいう個人的な無意識の産物とは違うよ、というようなことが書かれています。今は精神分析は個人のこころを集団的なものとして扱う視点があるので安田さんの書いてあることは本当にそうだなぁと思うのでした。

なんだか文章がバラバラしてしまうな、今朝は。いつものことか。私が悩んでいることもこの本にあるから読み直すことにしよう。

そうだ、昨年のイベントでは能の「忘却と疲労」のお話がとても印象的でブログにも書いた。コロナ禍だったけど現地で見られてラッキーだった。少人数で間近で見られた安田さんと玉川奈々福さんのおくの細道の実演は迫力とユーモアがあったし、一緒に声に出して読むのも新鮮だったし(今回のイベントでもやってたね)、山本さんがお天気のせいか何かで電車が止まっちゃって遅れちゃったことが起きたのもおくの細道の世界と相俟って面白かった。

朝から楽しかったことを思い出せたことに安心した、今。こころを集団として、全部私だけど全部私だけではない部分で構成されていると考える。変化しつづけていると考える。いろんなことは「変わらない」と感じられることの方がずっと多くて「もういやだ」ということばかりかもしれないけどこころを集団的かつ力動的なものと捉えれば綻びや虫喰いを見つけたときこそ変化のチャンスかもしれない。とはいえあまり思い切らずにいこう。行動化っていうのはあまりよくない、私たちにとっては。

ふー。なんとか今日も過ごしましょうね。東京は気温もちょうどよさそうです。

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迷路

薄く窓を開けた。コーヒーも失敗せずに入れた。雨は静かに降ってるみたい。どこかに打ちつけるような音はしないけどまっすぐの通りを走り去る車の音が雨を引きずっている。

今日は新しい出会いがある。これまでいくつの保育園を回ってきたのだろう。何年もの間、一年に20園ほどを巡回してきた。主に0歳から2歳の子供たちをたくさんみてきた。今年は巡回の仕事を半分ほどにしたので担当する園を組み替えていただく必要があり、何年も一緒に仕事をしてきた保育園との別れもあったし、今日ははじめての保育園へいく。どこの園を担当するかは新年度にならないとわからないためお別れなどもできないが「来年も先生かはわからないんですよね」というのが毎年、年度内最後の巡回の日の決まり文句なので「そうなんですよ。また担当になったらよろしくお願いします」と互いを労って別れる。保育士にも異動がある。出会いと別れは当たり前なのでさっぱりしている。ただ、同じ区内で長く巡回を続けているとこっちの園でお別れした保育士と別の園でバッタリなんてこともあって偶然も楽しい。全て同じ区内の保育園なのでこれだけ何年も回っていれば土地勘も身につきそうなものだが、その駅自体は頻繁に利用していても知らない道の多いこと。こんなところにこんなものが、というのは昨日オフィスのそばを散歩したときもそうだった。

人もそうだよね、と急に思う。人なんて迷路みたいなもんだ、とかとりあえず思い浮かんだ言葉を書いてみるが、書いてみるとそんな気がしてくる。戸惑いながら「好きだ」という以外になんの確信ももてないまま一緒にいるようになった。だからいつでも時々迷子になる。見慣れた景色が見えて安心したかと思えば突然の事故で思考停止することもある。恋ほど理由なきものも先行きの見えぬものもない。精神分析バカの私はなんでも反復強迫だと思っているが、そんな言葉で説明する気にもならない色とりどりの情緒が、激しい衝動が、そこには溢れていることも臨床経験で実感している。

どうして、ばかり問う。自分にも相手にも、心の中で。こんなにくっついているのに、「なに?」と聞いてくれてるのに、言葉にすることができない。「なんで今?」「なんでわざわざ」「どうして私が嫌がると知ってるのに?」「どうしていつも」などなど。見て見ぬふりが増えていく。不安で眠れない夜を経験しても理由をいうことができない。恋は少なからず人を狂わせる。暴走したい気持ちに苦しむこともある。どうしてこんな苦しいのに。どうしてこんなに好きなのに。いや、好きだからだ。愛情は必ず憎しみとセットである、とフロイトだってウィニコットだっていってる。むしろ憎しみが生じない愛情関係をそれということができるだろうか、と思ったところで苦しいものは苦しい。不安や疑惑に苛まれるのも辛い。それを溶かすように、包み込むように安心させてくれる瞬間もたくさん知っているのに。

同じ傘の下でそっと指を触れ合わせながら「やまないね」と空を見上げる。このままやまなければいいのに、とさっきよりほんの少しだけそばに寄る。そばにいたい。あなたを知りたい。そんな気持ちがいずれなんらかの形で終わることもどこかで知っているが今だけでも、と願う。人なんて迷路みたい、というか人生が迷路ってことか。

東京は雨。さっきより屋根を打つ音が増えている。色も素材も形も全て異なる屋根を雨が打つ。鳥たちの鳴き声もいつもと違う。何を伝えているのだろう。好きな人の気持ちだってわからないのにあなたたちのことをわかるはずもないか。また、バカみたいだ、と苦笑する。恋は少なからず人をバカにする。抱えてくれる腕や胸や言葉を必要とする。どんな拙くても、どんなわかりにくくても自分の言葉でいってほしい。それがどんな言葉だとしても何かの真似っこのような言葉より目に見える物よりあなたがどんな感じでいるのかをいってほしい。

人を想うのは難しい。シンプルなことほど難しい。それでも今日もシンプルに考える。見えるもの、感じたことをたやすく複雑なものに変形しないように自分の限界がいくら近くてもそれを大切にする。先のことはわからない、なんていうことはどこの誰にとっても同じこと。あなたが大切だ。それでももっとも確からしいこの気持ちを胸に、今日も。