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Netflix 精神分析 読書

日曜

昨日は寒かった。部屋は暖房いらずだったから春ではあるのね。さて日曜なので最近のことを振り返ってみましょう、といっても特に新しいことはしていない。Netflix「アドレセンス」はよかった。13歳の容疑者に対するイギリスの警察の手続きも勉強になったし(必要事項はとりあえず伝えたぞ、クレームは受け入れるけど今は従って、みたいな雰囲気に疑問はあれど)、この年代のリアル(大人はなにもわかってくれない以前にあまりになにも知らないのでコミュニケーションの相手とされていない)のも本当によく描写されていたし、母ではなく父が対象とされているのも新しいと思った。私は職業柄、自分の仕事と重なる第3話の殺人を犯した少年とセラピストの面接場面が最も印象に残った。あの喉が変になる感じ、何も言っていないのに自分の言葉にパニくる感じ、それをどうにかしようとして何事もなかったかのようにこちらに圧をかけてくる仕草、どれもよく知っている。子供としても治療者としても。誰もが知らず知らず狂わされる記号や行動、誰かのために生まれてきたわけではないのに誰かのためにしたことによって搾取されるという現実、どこで失敗したのか、何が足りなかったのか、できたとしたらなにを、という答えのない問いの反復、まさに取り返しのつかないことをしたことを認めるまでのプロセス、などなどいろんなものが盛り込まれていた。日テレでやっていた「グレイテスト・ショーマン」も結構最初の方から見られた。ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンのバーでのシーンがかっこよすぎて意味わからないと目眩した。ヒュー・ジャックマン演じる主人公にはひどいひどい言いまくっていたのになんかあのシーンはずるかった。ザック・エフロンとゼンデイヤはもちろん最高にロマンチックでよかったけど。This Is Meはすごい名曲なのにストーリー的にはひどいシーンだよね。Netflixで「メダリスト」も新エピソードみた。人気シーンですね。フィギュアはちょうど世界選手権だった。坂本花織の演技、見たかった。ショートで出遅れてしまったのに銀メダルはさすが。坂本の実際のスケーティングって本当に早くてパワーがあってすごいらしい。テレビでもすごい筋力を感じる。そのスピードでそんな高く飛べるんだ、と「メダリスト」に出てくる子供たちみたいな感想を持つ。ほかにもちょこちょこみたかな。いきたい展覧会には行けていない。ちょっと「ながら」ができるものばかり。本は相変わらず隙間時間にちょこちょこ読んでいるけど、村田沙耶香の影響が関係ない話題でも出てきてしまうらしく「発想が怖いよ」と指摘されるようになってしまった。ヘーゲルとかもちょっと読んだ、すでにあまり覚えていないけど。最近はいい入門書もたくさん。ラカンが取り入れたヘーゲルはヘーゲル本人ではなくてコジューブ経由だけど何が違うのかしら、などちょっと勉強した。あとはもっぱら花を追いかける日々ですね。昨日の朝は雨で寒かったけどスマホ濡らしながらいろんなお花を撮りながらオフィスへ行った。今日は寒いけどお天気はいいらしいのでフラフラ寄り道しながら出かけましょう。

[臨床家の方へお知らせ]

6月に私が所属する日本精神分析協会の学術大会が行われます。

週4日以上、カウチでの自由連想という精神分析実践は今の日本でも細々と引き継がれています。その実際やそこから生まれた論点に関心をお寄せいただけたら幸いです。私は司会者とパネリストと一般演題の演者を務めます。

日本の精神分析家は名誉会員2名、会員44名で46名しかおらず、支部は福岡と東京のふたつ、会員は名古屋、京都、大阪などさまざまな地域で活動しています。

今回は日本精神分析協会の大会なので精神分析家と候補生だけでなく、日本の協会独自の機関である精神分析的精神療法家センターの精神分析的精神療法家、精神分析的精神療法家研修生のパネルや演題もあります。

精神分析的心理療法を実践されている方はもちろん、精神分析って言葉は聞いたことあるけどまだあるんだ、という方も多様な治療と治療文化を良い形で引き継いでいくために対話にいらしていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

日本精神分析協会 第43回 学術大会

6月7日(土)午後〜6月8日(日)午後

@東京、市ヶ谷

詳細は日本精神分析協会のWebサイトをご覧ください。

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Netflix 言葉

折々のことば、アカデミー賞

昨日は少し雪が降った。ものすごい厚着をしていたので寒さは少ししか感じなくてすんだ。今日も夜は雪の予報。たくさん着こんでいこう。

鷲田清一の朝日新聞「折々のことば」を読んだ。『宮田珠己の楽しい建築鑑賞』からの引用。「スルーしていた風景」と出会うことは難しいが、これまでスルーしていたことに気づいたときは見えたときで、それはそれまでとは別の見方ができるようになったということだから少し嬉しい。

第97回アカデミー賞の授賞式があった。「ザ・レディ・イン・オーケストラ NYフィルを変えた風」が短編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。この映画は、ニューヨーク・フィル初の女性コントラバス奏者オリン・オブライエンの軌跡を追ったものだ。Netflixでみて気に入っていた作品だ。オリンが入団したのは1966年、レナード・バーンスタインが常任指揮者だったとき、というのもなんだかしみじみする。オリン・オブライエンは2021年に引退。指導や演奏活動は続けているらしい。彼女がたったひとりの身内である姪に、友人に、教え子に話す言葉はどれも力強く印象的。この映画で、映画になる要素をたくさん持っている人であることを知ったが、それをこんなコンパクトな映画に仕上げたのがすごい。

長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされていた伊藤詩織さんの映画はそれに関するニュースしか見ていないし、論点が多すぎて、というか論点を増やすようなことが次々に起きて何かをいうことは難しくなっていると思う。個人の権利や尊厳はどんな職業であっても守られてほしいし、女性同士は特に守りあっていくために慎重にならねばならないことがたくさんある。衝動か、必要なスピードか、というのは当事者でも区別がつきにくいように思う。

気持ちが暗くなるようなニュースばかりだが、今朝は山梨の友人の花豆のケーキと静岡の丸子紅茶をいただいた。今日もそれぞれの土地で暮らす人たちの小さな日常が守られますように。

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Netflix 俳句 短詩 言葉

『アンメット』、俳句文学館

大寒。とはいえ6時の時点で6度ある。東京の日の出は6時49分。少しずつ空が白っぽくなってきた。沖縄の日の出は7時18分。冬に西に旅に行くと早朝散歩はいつも真っ暗。その分暗くなるのは遅い。光のあり方は生活にかなり影響を与えているだろうからその土地の風土を知ることはとても大切。大学のとき、何かの授業で風土について色々と学んだ。和辻哲郎を読むばかりでなく、何の授業だったか。「風土」という言葉の印象ばかり強く肝心の中身を覚えていない。

『阿修羅のごとく』で満足したのに『アンメット-ある脳外科医の日記-』を見始めて1週間で見終わった。アンメットは満たされていない、という意味なのね。満たされるってなにかしら、とは思うけど若い頃よりは確実に満たされやすくなっている。そしておそらくこれは記憶容量と関連している、と思う。ドラマの影響で言っているのではなくて。いや、もしかしたらそうかもしれないけど。精神病院で働いていた頃、神経心理検査を色々実施した。ドラマで失語症や半側空間無視に対する新たな理解が加わった。症状の個別性の部分ではあるけど。ドラマでは高次脳機能障害のように器質的な病変が存在する症状がそれだけでは説明がつかない記憶のあり方とともに密な人間関係で描かれていて何度も泣いた。主人公二人の相槌の仕方が印象に残った。杉咲花の食べっぷりも素敵であんな小さい顔の小さな口でどうしてそんなに大きい一口が可能なのかとびっくり。

『阿修羅のごとく』で昭和を満喫したが、週末は俳句で明治、大正、昭和を感じた。新宿区百人町の俳句文学館で昨年11月から開催されている「俳人協会所蔵名品展 近現代俳句の歩み1」を鑑賞した。とても小さな展示室は17音の世界にぴったりだった。作品数としては多くないがおなかいっぱいになった。たった17音が刺激する世界はとても広いのでこれ以上あると疲れて丁寧に鑑賞できなかったと思う。文字のインパクトもすごかった。五大家俳句寄書の軸装や本人直筆の色紙や短冊で俳句をみた。五大家とは高浜虚子と4S(青畝、誓子、素十、秋櫻子のこと。

蚊いぶしの紬をさらふ追風哉 阿波野青畝

畑打や池田の鯉を手捕つたり 山口誓子

餅花の火燵布団に照りはえぬ 高浜虚子

芦刈のそこらさまよふ一人かな 高野素十

啄木鳥や落ち葉をいそぐ牧の木々 水原秋桜子

秋桜子の句は知っていた。4Sの句でもネット上では探せないものもあり、彼らの作品の膨大さを思った。

小鳥来て午後の紅茶のほしきころ 富安風生

麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子

雪はしづかにゆたかにはやし屍室(かばねしつ)石田波郷

などの句も文字と共に心に残った。

昨年5月、老衰で亡くなった鷹羽狩行を偲ぶコーナーもあった。

数といふ美しきもの手毬唄 鷹羽狩行

しずけさに加はる跳ねてゐし炭も 鷹羽狩行

にウキウキした。

紅梅や枝々は空奪ひあひ 鷹羽狩行

有名な一句。やはり迫力がすごい。近所の公園では梅が咲き始めた。この景色は私も実景として体験できる。俳句は実景が基本なのがいい。

さて、今日は大寒。冬苦手なのに冬を満喫したくてスーパーのお菓子の棚で「冬限定」と書いてあるお菓子を買い占めてきた。といっても3種類しか見つけられなかった。

大寒の天気つゞきの檜垣かな 富安風生

大寒と敵のごとく対ひたり 富安風生

富安風生の句も心に残るものが多いことに気づいた。好きなのかもしれない。どうぞ良い一日を。暖かくしてお過ごしください。

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Netflix イベント 趣味

お正月、水族館、コミュニケーション

鳥が鋭く鳴いている。元気かな。今日もいいお天気?昨日、2日もいいお天気だった。元日は初詣に行った神社で初日の出をみた。本来なら地平線や水平線にみる1月1日の太陽のことなのだろう。なので少し昇ってしまった太陽だったけどみんなで歓声をあげるほどきれいだった。空に馴染むまでみんなの顔が赤く照らされていた。朝の太陽はみんなよけないのね。元日も陽射しが強くて前にいたカップルはストールで遮っていた。私もずっとキャップをかぶっていた。

おせちも分けていただいた。紅白かまぼこ、伊達巻、昆布巻き、田作り、手綱こんにゃく、里芋、きんぴら。紅白なますと黒豆は今年はいただかず。みんな食べたいもの、作りたいものだけでいいのだ。おやつにはレトルトのぜんざいと薄いお餅をもらっていたのでそれを。お休み中はなんでも特別特別と思ってクラフトビールも色々試した。親戚の子がまだ小さかった頃、私たちが遊びにいくと「特別」と言って好きなもの三昧していたことを思い出す。親から何か言われるのを見越しているのね。親たちは「特別?」と笑っていた。特別な日をいっぱい作ってあげたいし自分にも作りたい。そのために地道に習慣を続けていく。

習慣には趣味も含まれているがライブや演劇は普段はなかなかいけないので主に配信。美術館とかはちょっともったいないなと思いつつ自分の時間に合わせて動けるから行く。配信はみたいのがたまっている。タロン・エジャトン主演のApple TV+のリミテッドシリーズも見たいが入っていない。Netflixでやってくれないよね、だからリミテッドなんだよね。限界は大事。有限性あってこその趣味。休みだって終わるから楽しいんだ。でも、となる。「グッド・ドクター6」もU-NEXTでやっているがこちらはNetflixでやるのだろうか。優先順位大事。

私は水族館が好きで先日も行ってきた。特にこだわりがあるわけではないのだが各地の水族館にはその土地にしかいない魚がいるので面白い。イルカはどこにでもいるがイルカショーとなるとだいぶ違う。イルカの学習能力については昨日少しベイトソンの学習理論で触れたが(触れたか?後で確認)体重とかも違うからそれぞれやりやすい技も変わってくるよね、など思いながら訓練士さんとのコミュニケーションを見守ることが多い。聴覚や視覚の違いとかも気になる。ショー自体よりショーの前のリハーサルとかショーが終わった後のイルカの様子をじーっと観察することが多い。聞いたり調べたりすればいいのだが答えが知りたいわけでもない。しかし、なんとなくじーっと見てると係員さんの方から声をかけてくれることもある。先日はタツノオトシゴが元気いっぱいのお魚(名前を忘れてしまった)に餌を取られてしまうのをどうなることかと見守っていたら係員さんが動きがゆっくりのタツノオトシゴのことを教えてくれた。元気いっぱいのお魚のこともちょっと困った顔をしながら愛おしそうに話してくれた。この水槽の子たちをみんな大切に思っているのね、と思いながら聞いていた。餌を取られてしまうとしてもいろんな種類のが一緒にいた方がいいのかしらね、とまたベイトソンのことを思い出す。

『精神の生態学へ(下)』(岩波文庫)「クジラ目と他の哺乳動物のコミュニケーションの問題点」は討議の記録なのだがベイトソンの言葉に同意する形でレイ博士がニューヨーク水族館でのシロイルカの観察について話す場面がある。彼はそこでイルカが水槽の中で退屈しないようにする工夫として次のようにいう。気に入った箇所なのでメモをしておいた。

「イルカをいじるというのではなくて。干渉されるのは嫌いますからね。そうではなくて、たとえば、違った動物を連れてきて同居させてみるとか、ちょっとした気の利いたことをわれわれがやってみせるとか、そうすれば、連中ももっと反応してくるようになると思うんです。今のままだと、檻の中のサルと同じで、高度な知能と営みを持ちながら、鈍い動物として暮らすよう強いられてしまうことになる。」

「ちょっとした気の利いたとをわれわれがやってみせる」。これ非常に大事。なにが気が利いているかは観察ありきだが。「違った動物を連れてきて同居させてみる」というのはタツノオトシゴと元気いっぱいのお魚を同居させることと似ているかもしれない。別にそれでタツノオトシゴの動きが早くなって確実に食事にありつける、とかそういう目的のためではなくて。うーん。今赤ちゃんのこととか戦時中のこととか色々思い浮かんでこういう説明はそれこそコンテクストが共有されていないと議論になりにくいんだよなあ、と頭の中で頭を抱えた。

今日もいい日でありますように。

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Netflix 映画

黒人女性の映画など。

今朝も三日月がきれい。空の色が薄くなってもほっそり輝いている。さっき食べたキウイもキラキラしてた。贈り物でいただいたいいキウイ。ちょうどよい柔かさと酸味と甘味でとても美味しかった。

先日『6888郵便大隊』(The Six Triple Eight)を見たと書いた。黒人女性の映画で実話ベースのものだとKKKの支部長と黒人女性活動家の対立と対話を描いた『ベスト・オブ・エネミーズ 〜価値ある闘い〜』(The Best of Enemies)、女性としてはじめて大統領に立候補した『シャーリー・チザム』(SHIRLEY)なども比較的最近見た。 どちらも嘘みたいな本当のお話で先駆者たちのパワーがすごい。こんな差別が当たり前のようにあることが嘘だと思いたいが本当に本当の話なのが辛い。『ベスト・オブ・エネミーズ 〜価値ある闘い〜』のラストがほぼ『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams)なのは可笑しかったが感動した。『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams)も公開された当時は何も思わなかったが見直すとすごく速い展開の映画でびっくりした覚えがある。「カーネーション」とか「虎に翼」とかの朝ドラでも感じたここにこれだけのものを詰め込めるのかという驚き。多くの観客にわかるようにそれを作れるのが本当にすごい。NTLiveの『ベスト・オブ・エネミーズ』はまた別の話だがこの舞台はものすごく好評だったらしいのでそれも見たい。こちらは共和党と民主党の討論バトル。対話も討論も生産的にいきたいものだ。

最近、筋トレのおかげで代謝が上がったのか動くと暖かくなるのが早まった気がする。以前は1時間のヨガで周りが汗だくのなか最後の方になってようやくポカポカするような状態だった。猛烈に厚着をしているせいかもしれないが。インフルエンザもコロナも流行っている。気をつけて過ごしましょう。

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Netflix 音楽

SPY×FAMILY、クリスマスソングなど

南の空の三日月がきれい。今日も晴れかな。傘いらずは助かるけど乾燥がひどいのは辛い。

子どもたちにサンタが来るのは今日ですか。今日じゃなくても期待に対して応答があるのは大切なことね。いいことあるといいね。

先日、配信で「劇場版 SPY×FAMILY CODE: White」を見た。いつもの感じで面白かったし映画ならではの盛り込み方だったけどお話はいつもの方が面白いかな。原作とかアニメを見ていない人がどれだけ楽しめるかは不明。親や出自の秘密を子どもは知らない、みたいな設定は多いけど、SPY×FAMILY(自動変換で出るんだね)は親子であるということ自体が嘘だしそれぞれが(犬まで)秘密を持っている設定が面白い。そして誰もその秘密を悪用しない。特にいいことをしようとかも思っていない、というか誰かを守るという大きな使命感なり自然な信念は持っているけど普通じゃない家族が普通っぽさを維持しているのが面白い。

最近、いろんなクリスマスソングを聞いてたのだけどエイミー・マンのOne More Drifter in the Snow、サマラ・ジョイのA JOYFUL HOLIDAY、ノラ・ジョーンズのI Dream Of Christmasあたりがしっとりしていていい。マライア・キャリー、アリアナ・グランデ、ジェニファー・ハドソンのコラボとかもよかったけどクリスマスソングもジャズが好きだな。

エイミー・マンは映画『17歳のカルテ』の原作『思春期病棟の少女たち』の舞台版で音楽を担当していたのだけどコロナ禍で上演されなかった。でもそのためのアルバム『Queens of the Summer Hotel』は素晴らしい。お話を知っている人にはとても響くと思う。あれもいい映画だったねえ。

最近、映像のことばかり書いて大好きな本のことを自然に書くみたいなモードにならないのだけどベルクソンのせい。ベルクソンばかり読んでいるから理解が断片的で印象を書くこともできない。精神分析は時間と記憶を問題にしていかねばならないと思っているから読んでいるのだけど壮大だね、ベルクソンの発想は。でもどっかに閉じてしまわない、というか、むしろそうしないための議論だから明るいのはいい、くらいの印象しか持てていない。他に読まなければいけない本があるのだけどノルマの方はどうも面白くないのが困る。勉強にはなるのだけど疑問も多い。しかしいいかげん読まねば。

どうぞ良い1日を。

ちなみに来週はオフィスはお休みになります。お問い合わせへのお返事は1月6日以降になります。このブログはただのメモみたいなものだから精神分析、あるいは心理療法については私のオフィスのウェブサイトをご参照ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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Netflix

『6888郵便大隊』を見た。

朝焼けの赤が薄くなった。リビングが暖まってきた。夜は同じように暖房をつけていても寒く感じるのに朝はあまり感じない。洗面所とか行かねばならないところが寒いのは辛いけど電気ストーブにしている。

Netflixで配信がはじまったアメリカの映画『6888郵便大隊』(The Six Triple Eight)をみた。タイラー・ペリー監督、脚本の史実ベースのお話。第二次世界大戦中、米国には有色人種の女性だけの陸軍部隊があったそうだ。移動もある戦地への手紙、戦地からの手紙、届けることが困難で溜まりに溜まったそれらを届ける任務を命じられた彼女たちに降りかかるのは任務内容を遂行することの困難以前に女性であり黒人、有色人種であるというどうにもならないことに対する差別である。話の流れはわかりやすく終盤の展開は史実をより希望のあるものに変えていると思われるが当時から何かが変わったとは言いがたい差別には常に希望が必要なので大事なことだと思う。見どころは主演のケリー・ワシントン。ほぼケリー・ワシントンのための、というかそこから目が離せないほどカッコよく素敵だった。権力による管理ではなく最低限の人権を感じられる場をマネージメントしつつ責任を引き受け強いリーダーシップを発揮するキャプテン、最高。

この前、イルミネーションを見に行ったんだけど、ということも書こうかと思ったけどやることやろう。寒いけどなんとかうごこー。

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Netflix お菓子

冬支度、ムーミン谷のお菓子、『天狗の台所』

薄いダウンを羽織ったまま寝た。冬用のモコモコの敷布団も毛布も出したけどカバーをかけるのが面倒で適当に羽布団の上に置いたまま寝た。すでに色々な暖かグッズがベッドに置いてあるせいでぬくぬくのまま朝になった。少し汗ばんだ気さえする。昨日今日と空が明るくなるのが早い気がする。実際、日の出は1分、2分、3分あたりの間隔で遅くなっているはずだから気のせいに違いないが。私がこうしてPCに向かうのが数分単位で遅くなっているのだろう。今朝は時間があるから冬支度を整えるために部屋を温めたり、作業に取り組むための構えを作っていた。寒いと本当に何もする気が起きないのでガンガン温めて一気に作業してから出かけたい。

ハーブティーを入れた。夜寝る前用の。また眠くなってしまうかなあ。実際、あくびが止まらない。お菓子はMOOMIN VALLEY PARKのニョロニョロスティック。結構しっかりしたニョロニョロと同じ棒状の生地に白餡が詰まっている。甘さ控えめ。りんごの味がちょっとするかな。美味しい。袋だけ見るとフィナンシェみたいなのだけど和菓子でちょっと意外なのも楽しい。ムーミン谷にお土産を持っていくとしたら和菓子かしら。

料理をしながらNetflixでなにかしらを流していることが多い。最近は『天狗の台所』。美味しいものの話をしているときに勧められた。確かに泣けてくるくらいきれいで美味しそうな食材とお料理が登場する。そして一条天皇はどんな役でも美しいのね。オンくん役の越山敬達くんがとってもかわいくて驚いたが『Season2』では大きくなっててびっくり。子供は一気に変わるよねえ。思春期になった子たちと昔の写真をみたりしていると自分で自分のこと「かわいー」とかいって懐かしい話をしはじめたりする。それもかわいい。生意気盛りがそういうときだけ子供がえりしたり。複雑な時期には媒介が必要ね。オンくんがお兄ちゃんと距離を縮めていくにはおいしいお野菜が必要だったしね。

さてさてこの週末も色々大変だ。いつもよりは時間あるから冬支度しっかりして臨みましょう。

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Netflix 俳句

10月20日

風がある。窓から顔を覗かせると少し寒い。部屋は暖かい。まだ何もつけなくても大丈夫。昨日はノースリーブに七分袖カーディガンを羽織っていた。10月後半でそんな服装なんて。今年は全然わからないなと思って重ね着するための夏服はまだ片付けていない。片付けてもすぐそこにあるけど。気温差があるからリュクに小さくたためる上着も持ち歩いてるけどこのくらいの薄い重ね着でずっと過ごせたらいいのに。一番楽なのは袖なしだけど日光で肌がボロボロしてしまう。どの時期も肌に色々あるわん。

今日はいつも以上にぼんやり。NHK俳句は「栗」。栗おいしいよねえ。でも外で食べるかお裾分けしてもらうか買うかばかりで自分で茹でないなあ、栗。今年の夏は枝豆も茹でなかったしなあ。青菜は茹でるけど今年は電子レンジ使ってる気がする。今はパスタも少量の水で茹でられるし。パスタもうちで作らなくなったなあ。まいにちのようにパスタ作っていた時期もあったのに。お水をたっぷり使ったあと捨ててしまう(きっと捨てずに有効活用している人もいる)お料理ってほかに何があるかな。冬って水いっぱい使うけど捨てないお料理ばっかり。おでんもお鍋も。やっぱり温まるには水分大事。

この前、テレビで『アリス・イン・ワンダーランド』を少し見た。赤の女王、とってもかわいくて笑ってしまう。白の女王はアン・ハサウェイ。何みても超魅力的。演技力だなあ。ティム・バートンの世界にピッタリだった。ミュージカルもやるんだよね。みたい。何かで見られるのかな。私はそういう情報を探すのが下手すぎる。精神分析の文献以外全然上手に調べられない。というか精神分析のはひたすら量にあたってるうちに出会っているだけだから何も上手じゃないか。

いいかげん終わらせねばな仕事が二つ。10月いっぱい。移動が長いからそこでがんばるか。ああ。難しいんだよなあ。道は見えてきた気はするけど。ま、がんばりましょ。風邪ひかないように服装気をつけて過ごしましょ。良い一日を。

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Netflix 精神分析

習慣とか「無意識」論文とか。

早朝作り置き習慣確立したっぽい。自分がしていることなのにそれが習慣化するかどうかは自分次第、とは思っていない。私は無意識を信じているけど意識的に何かができるとはあまり思っていないのだろう。

世の中が長期休みに入るとフロイト読書会番外編を行っている。この夏は十川幸司訳の『メタサイコロジー論』の第3論文「無意識」。難解だがその前の二つの論文「欲動と欲動の運命」「抑圧」を踏まえてさらにメタをいこうとする重要な論文。

私がアドバイザーとして参加している読書会は読んできたものを話し合う形式で、その読書会の番外編なのだが、そこでは私が仕切らせてもらって、私のオフィスで主催している精読方法でフロイトを読むことをしてみている。今回は2日連続2時間ずつ。精神分析はフロイトは週6日60分くらいずつが定番、今は週4日50分くらいずつがIPA基準なのだが、なんにしても集中して何かをやるということはいいことだと経験から思う。

『宇宙兄弟』で、注意を多方面に分散させて別の情報で頭をいっぱいにして考えることを回避するシーンがあった。「わかる!」と一瞬思ったが、あんなふうに情報を正確に拾う集中力は私にはなかった、そういえば。何かを回避するために、というか回避自体に集中するというのはよくあることだが、それは集中して何かをするのとは異なるだろう。そうしたくても大抵は「注意力散漫」という言葉で示されるような状態になるだろうし。今回のフロイト読書会番外編は形式的には集中型だが、内容の難解さに注意が散漫になっていく様子が見られた。そりゃそうだよ、ということも伝えた。医学書や哲学書を「わかる!」と思わないだろう、と。錚々たる知性がいまだに格闘しているテクストなのだから私たちはもっと地道に取り組んでいく必要があるのは当たり前といえば当たり前。私たちは臨床家だからつい同じ語彙の世界を生きている人としてフロイトを読んでしまうかもしれないが、精神分析実践を伴っていても、高度に専門的で抽象的な内容はそう簡単に「理解」できるものではない。だからこそ形式を集中型にしておく必要があるのだと思う。

今朝はパプリカを使って作り置きしたのだけどひとつでもかなり量があるしきれいだから満足。いつも大体Instagramで美味しそうなレシピを見つけて真似したりしている。今朝もチェックしてみたら三浦哲哉さんがトマティーヨなるもので何やらすごく美味しそうなサルサを作っていた。ウィキペディアによるとトマティーヨというのは「ナス科の植物、およびその小さな球状の緑または紫がかった果実。学名はPhysalis philadelphica、和名はオオブドウホオズキ。 」だそう。メキシコ料理には欠かせないんだって。美味しそう。いいないいな。今日はたくさんテクストを読む日になる。おいしいものを支えにがんばろう。どうぞ良い一日を。

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Netflix 短詩

「宇宙兄弟」、きのふのいまごろなら

アニメ『宇宙兄弟』(原作:小山宙哉)をみて寝不足。早朝に料理を作る習慣ができてしまい寝不足解消せず。習慣によって目覚ましいらず。料理は匂いや見た目や手触りなど色々な感覚を刺激してくるにも関わらず無心になれる。脳の働きが本を読んでいるときとは全く違うし、人と会っているときとはもっと違う。小さなスペースで積み重ねるプチ未知、プチ地道な作業が落ち着くのかもしれない。『宇宙兄弟』は茨城県つくば市にあるJAXA筑波宇宙センターでパネルを見たとき、いやもっとそれ以前、映画化されたときに読みたいなと思ったけどあっという間に10年とか過ぎるわけで・・・。映画化は2012年だって。アニメ版、面白かった。三次試験の終わりまでしか見てないけど。宇宙飛行士になるためにはものすごく強靭な身体とそれをバランスよく使える感性と知性、そしてそれらは良好な人間関係と繋がっているわけで、それらがどの程度普通とかけ離れたものかはよくわからないけど私には絶対になれないということははっきりとわかる。意識的には一度も憧れたことがない職業なのにJAXA関連施設があればなんでも行く。種子島宇宙センターにも一度は行ってみたい。沖縄宇宙通信所へも行った。なんなんだろう。最初からなれないものとわかっているから憧れたことがなかったことにしているのかもしれない。

室生犀星の有名な詩を思い出す。

きのふ いらつしつてください
きのふの今ごろいらつしつてください
そして昨日の顔にお逢ひください
わたくしは何時も昨日の中にゐますから
きのふのいまごろなら
あなたは何でもお出来になつた筈です

昭和34年8月15日発行の最後の詩集「昨日いらつしつて下さい」の一部を引用。犀星は「人間は死ぬまで美にあこがれている生き物」だと言った。だから書き続け、書く人であったことに感謝した。特別に好きな詩人ではないがスッと心に入ってくる。「ふるさとは遠くにありて思ふもの」は教科書で読んだ人も多いだろう。多分私も読んだ。「昨日」や「ふるさと」に何を見出すのも自由だがやはりそれはすでに過去で「そうであったはず」の世界なんだな。兎にも角にも今は今。今は朝。今はまだ朝。

室生犀星のこの詩集が出たのと同じ頃の映画について話したのを年代を見て思い出したのだけどなんだったか。当時はあり得かったSFの世界が今は現実になっていてビビる、という話だった。ありゃなんだったか、と思っていたらその友人からLINEがきた、今。面白いな、つながりは。お互い歳をとって自分に対して諦めると同時になんでも学びとして面白がれるようになってきた。力を抜いて今日も過ごそう。どうぞ良い1日を。

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Netflix お菓子 精神分析、本

三体、ほっこり餅、夢判断

 コーヒー&和菓子。机に向かうのが遅くなった。最近、帰宅するとNetflixの『三体』をちょこちょこみている、と早朝からすでに朝を2時間ほど過ごしたにもかかわらず書き始めたら昨晩より前に頭が戻った。朝らしさいっぱいの部屋なのに。昨晩もちょっとみた。『三体』は読もう読もうと思って読んでいないので何も知らないがこれはこれで面白い。すごいコンパクトにしちゃってるんでしょ。でも私はこれでいいや、みたいになってる。しかし、すごいね、原作も役者もゲームのことも知らない私みたいな人でもこのなんとなく知っている全く知らない世界を作り上げてしまうのだから。あ、しまった。こんなこと書きながら京都土産の「ほっこり餅」を食べてたらあっという間になくなってしまった。もっと味わって食べようと思ってたのに。この若菜屋さんのお菓子はほんと小さくてかわいい。ペタッ、モチッとした生地でニッキの香りほんのり。パクパクしちゃったけどニッキの味が残ってて美味しい。やっぱり知らない世界を知らないようにえがくって本当に難しいんだな、とまたドラマのことを思い浮かべてる。けど、味覚は「うん?何この味?」ってかなり新規性を感じるものがあるね。歯磨き粉とかも。この前、いつもと同じメーカーだからとあまり何も考えずに買った歯磨き粉が使い始めて何回かはいちいち「なんじゃこの味」となった。でも今は慣れてしまった。この最初の未知との遭遇の時間の短いこと。貴重。今年はもっとベルクソン勉強したいな。昨年、平井さんに問いを発したもののそれをしたことで自分が考えていたことにも疑問符がついた。この前のクドカンドラマはタイムマシンだったけどあれも既知である未知との遭遇だよね。そうそう、タイムマシンの物語って19世紀末までなかったそうですよ。アインシュタインの相対性理論が契機らしい、って何かで読んだ。でも記憶が意識されている以上、脳の中はいつもタイムマシン状態なわけだから「これタイムマシンものじゃない?」って今からなら思える物語はたくさんありそうですよね。神話とか。でも空間というか場所の移動、というのはかなり特殊な事態なのか、よく考えれば。一番そういう世界をたやすくこなしてるのは夢ですかね。昨晩、NHK Eテレで『夢判断』のことやってたけど立木康介さんの説明も面白かった。伊集院さんが指摘してたけどこんなこと自分でやってしまうフロイトやっぱり変だろう、と思いながら楽しくみた。しかし、なぜこの番組は岩波版の『夢解釈』ではなく古い訳を使ったかな。いろんな事情があるのかな。昨日はエイプリルフールだったけど「なにか嘘ついた?」という会話しかそれらしいことはしなかった。楽しい嘘ならつきたいもんだ。今日はどんな感じになるかな。良い一日になりますように。

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Netflix 写真 読書 音楽

ビヨンセ、中平卓馬。

パフェを食べた。美味しかったけど多すぎた。うーん。昨日は調子が狂った、というかすでに色々狂っているところにまた狂ったからもとに戻ってるかもしれない。もとはどこだ。昨日はビヨンセが渋谷タワーレコードにきたというのを聞いて最初に狂った。誰かが同じ空気を吸えるだけ幸せ、といっていたが私もそう思う。ライブじゃなくて『COWBOY CARTER』のプロモーション?Jay-Zも来てたって。Jay-Zのライブ?わからないけどビヨンセがあそこにきたのかあ。ゴージャス。そしてうっかりNetflixで「ドリームガールズ」を見てしまった。寝不足。「HOMECOMING」もまだみられるかな。みたい、とか言っている場合ではない。

 でもね、今、東京は見るべきものが多すぎて危険。元写真部の私には欠かせない写真展たちも。竹橋の東京国立近代美術館で開催中の『中平卓馬 火ー氾濫』展は彼がもと編集者で理論家であることもあって文字情報も多い。新聞も日記も小さい文字がびっしり。急性アルコール中毒で記憶の一部を失って以降の作品を後期とすると、写真それ自体の変化というよりこの展示の仕方を許容できるようになったんだ、というかむしろこの展示の仕方で保たれる何かがあるのか、など複雑な気持ちになった。ものをものとして撮るという点に関しては後期の方がもうどうしようもなくそうなっている印象を受けた。最近は女性の写真家たちも増えて私が高校の写真部の薄暗い部室で眺めていたそれこそ中平たちの時代の雑誌にはない世界が広がっているように感じる。生活に対する構えも違うのだろうか、と考えるが、その辺だとそれは男女差というよりもっと個別的な歴史の話かもしれない。

朴沙羅『記憶を語る、歴史を書く』も関連して思い浮かべた。多くの写真がマイノリティを映すということとも関わる。私は人の話を聞くという行為でそれをしていると思っている。朴沙羅さんのようにオーラル・ヒストリーをきく仕事の人もそうだろう。そのときにこの仕事を難しくしている自分の問題に直面することがある。そこで「健康」を保ち続けるには「スキル」がいる。私は精神分析を受けなければこれだけの語りと出会うことは難しかっただろう。聞き出すわけではない仕事だから。対象とどう出会えばいいのか、という苦闘を体験しやすい仕事だからいろんな歪みも出る。だからいろんな人と関わっておく必要がある。中平のいろんなエピソードがぽつぽつと思い浮かぶ中こう書いているが後期の不自然なくらいピカッとツルッとした展示に前期とのつながりがあろうがなかろうが同じ人間の作品であることに違いはない。そういう重みと私もどう向き合っていくのだろう。いろんなことを考えた。

さあ、もう行かねば。どうぞ良い1日を。