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Netflix テレビ 言葉

休暇果つ。

早起き。まだ窓を開けない。洗濯機ももう少ししてから。Duolingoでフランス語をやった。今セクション2・ユニット24「周りの環境を説明する」。季節とか釣りとかの単語が出てくる。こんな簡単なことも忘れているのだから忘却力ってすごい。忘れたいことには発揮されないくせに。

夏は知らない人や一年に1、2回しか会わない親戚と話す季節。一時帰国した人たちの話を聞くのも楽しい。日本人であることを常に意識させられる環境を普通として育っているんだな。それが本人にとってどんな体験かはわからないけどいくつになっても、たまにしか会えなくてもいろんな話ができるのは嬉しい。

週末、NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」を見た。実話ベースのフィクション。朝ドラや大河でおなじみの俳優たちはほぼ同時に別の人生を演じたりもしているのだろう。大変なことだが彼らの影響力は大きいから必敗とわかっている戦争を始めるようなことが二度とないように魅力的に演じ続けてほしい。それにしても戦争ものの画面はとにかく男ばかり。銃後の声を描いたNHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」を見ていたからなおさら女、子どもはお国のために消えてよし、という世界が戦争なんだよな、と思う。実際、ドラマでも救われていないことが言葉だけでわかるし。現実は死にそうになりながら生きていた女子供はたくさんいた。このドラマでは二階堂ふみの声が効果的に女の存在を示していたと思うけど。なんたることかのう。

休暇果つ。今週もがんばりましょう。

秋風のしづかにつよし蜂も来る 岸本尚毅

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Netflix テレビ 哲学 散歩 映像 映画 精神分析

戦争に関する番組をみたり。

早朝から歩いた。曇り空だけど蒸し暑い!

この数ヶ月、ずっと戦争に関するドキュメンタリーをちょこちょこみていた。ヒトラー、チャーチル関連の作品を見終えたあとは「NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争」のシリーズなどをみていた。昭和館とかにたくさん資料があるからまた行かなとな。デジタルアーカイブはこちら

昨晩は地上波で『火垂るの墓』をやっていたのでそれもみてしまった。何度見ても目を背けたくなるが、好きなシーンもたくさんある。後半の節子がひとりで遊んでいるシーンはもうどうしようもなく尊い。尊厳を守ろうとする子どもたちが守られることを当たり前としないのが大人の世界なのかもしれないが、それでも本当にこういう尊い子どもたちはこれからも生まれてくる。

NHKスペシャルもエゴ・ドキュメントという当時の日記や手記の引用や分析から太平洋戦争の知られざる側面に迫っていたが、『火垂るの墓』をみるとアニメーションの力はすごいなと思う。いろんなドキュメンタリーを見ているときはひたすら言葉をなくす感じというか、思考停止になる感覚ばかりで、何を見たり聞いたりしても何も感じなくなっているのは私ではないか、という不安に襲われたが(それこそが戦争という現実の怖いところなのだろうと思うが)アニメーションはというか『火垂るの墓』はひとりひとりの人間の重みがずっしり伝わってきて、それは思考を促すもので、想像力が勝手に刺激される感じがする。だから見るのはとても辛いのだけどまだ感じられる自分は何を感じ、何を考え、どう生きていくのかということを考えさせてもらえる。それは全然知的な理解ではなくて、単に情緒を伴った人間の自然な振る舞いなのだろうけど。自然さや本来さなんてすぐに失われて、実はそっちが本質だった、みたいな言い方に導くのが戦争なんだと思う。たとえそうだとしてもそれに抗うように人間はできているという信念を貫いていきたい。

それにしてもお盆の期間、東京は人が少なかった。いつもなら夕方にいったらほぼ何もないような安い八百屋さんにもしかして、と思って寄ってみたらいいものがまだ少し残っていて買えた。大好きな無花果まで安いのに残っていた。この前、スーパーで高くて諦めたばかりだったからテンションがあがった。ハチミツとかでドレッシング作って無花果のサラダにしてみたり楽しんだ。時間があるときにやっておきたいことはたくさんあるけどバタバタするのももったいないからのんびりできて幸せだった。八百屋さん的にはちょっと苛立つ状況なのかブツブツおっしゃっていたけれど。安く売るというのは全部さばくというのが条件だろうからなあ。私は買えてありがたかったけどヤキモキする時間帯ってあるのだろうなあ。

お天気はどうなるのかしら。みなさんの地域はどうでしょう。大雨の影響が大きかった地域のみなさんも元気でありますように。

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Netflix 映画 読書

森崎和江『能登早春紀行』とかTOKYO MER〜走る緊急救命室〜 南海ミッション』とか。

キッチンの小窓を開けたまま寝てしまったと気づく。南側の大きな窓を開けると少し涼しい風を少しだけ感じた。明け方の地震は少し長かった気がした。体感だとなんでも「少し」という言い方になってしまうが。大きな地震がこないといい。能登の大雨の被害も心配。地震のあと、能登に旅をして少しずつ地名に馴染んできたのでニュースもグッと身近になった。それだけに心配だ。あののどかで美しい景色と共存する人たちにこれ以上の痛みをもたらさないでほしい。

地名に馴染むといえば森崎和江の『能登早春紀行』での能登の駅や景色の描写が素晴らしかった。のと鉄道能登線は2005年に廃線となった。能登の景色は森崎和江が見て聞いたものとは大きく変わってしまった。それでもこれを読めば失われずに残っているものの大きさにも気づける。その土地の人なら尚更だと思う。私たちは今度はいよいよ輪島と珠洲を旅する予定。みなさん、元気でがんばってほしい。

早朝の地震でiphoneの充電をしなくてはとコンセントにさしたらすぐに熱くなって怖くなって抜いた。パソコンとかもたまにそうなるけど冷房があるところで充電した方がいいのかな。今朝はまだ冷房つけていないのだけど。

先日、久しぶりに日本のドラマの劇場版を見にいった。若い人に誘われて『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜 南海ミッション』を。これは映画で見て正解。わかりやすくできすぎといえばそれは映画だからそうなのだが、単なるみんながヒーロー的な話ではなく、離島医療が気づかせてくれる関係性の重要性を具体的に感じさせてくれたのはよかった。帰宅してNetflixで劇場版一作目も見た。こういうのは映画の迫力でみるのが大事というか、映画として作られているのだからテレビだといまいちだが、映画を観た直後だったのでその感覚を持ち込んで補えたのはよかった。それにしても俳優陣は若い人が多く、私が馴染んできた人たちは私と同じように歳をとったんだなあ、と当たり前のことも思った。

今朝は美味しいフルーツで水分をとって満足。良い1日になるといいですね。

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Netflix

雨、夢、神社

雨の音?夢?ウトウトしている時間が長くてずっと夢の中にいるみたい。ずっと雨の音に包まれてるみたい。Netflix『グラスハート』は雨がとても美しく撮られていて映像自体に音楽を感じられたのがよかった。

変な夢ばかりみてひとりでうけていた。何が何だかわからない物体をとりあえずお灸ということにして無理だとわかっているのに活用しようと試行錯誤したり。かなりはっきりとそれがお灸ではないとわかっているのに。わからないものと出会ったときの仮説の立て方に無理があるのはいつものことなので夢でも結構ウケていた。

昨日はお寺と神社の両方にいって神社の方に神仏分離や廃仏毀釈のことをきいた。宗教的なものに対する人々の態度にはいくつかのタイプがあると思うがひどいこと考えるもんだよ、と思うがそれにあっさりのった人たちの心性やいかに。遺産が破壊される暴力的な映像をみることがあるがああいうのは外国だけの話ではない。「この辺の人たちはそんな出来事関係なくお詣りされていたと思いますけどね」という言葉に笑ってしまった。私なんて今まさにそんな感じだし。しかし、こういうことを知って考えておくことは自分の政治に対する態度を作ると思うので大事にしたい。

今日はどんな一日になるかな。体調に気をつけて過ごしましょう。

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Netflix テレビ

暑い。ドラマ。

暑い。早朝の空の青の変化が美しかったのを思い出してしのぐ。昨夕から晩にかけて月がどんどん輝きを増していったのを思い出してしのぐ。暑い。やっぱり冷房をかけてしのぐ。三鷹の国立天文台でスタッフさんにいろんなことを教えてもらったり(なんでも教えてくれるからいっぱい喋ってしまった)、辻村美月の『この夏の星を見る』を読んだりしたから空に対する憧れが増している。映画も見たかったけど時間が合わず。土浦で20時とかならあったが。

土曜ドラマ『ひとりでしにたい』をみねば。最終回。前回の綾瀬はるかのセリフがすごくよかったし今回はその続きでしょう。楽しみ。あの自分の言っていることを自分でひっくり返しながら進む言い回しが論理的だし前向きだしすごくいい。内容がどんどん心に響いてくる。もちろんきちんと耳をもつナスダックあってこそだが。そして魯山人が綾瀬はるかと同じくらいとてもかわいい。

そしてNetflixドラマ『グラスハート』もすごく楽しんでいる。原作は若木未生。1993年刊行で今も続いているらしい?佐藤健が演出も主演もがんばってる。Netflixはスケジュールさえきちんと押さえればお金はふんだんに出してくれるらしいからよかったねえ、と若い世代を応援したい気持ちでいっぱい。みんなとってもかっこいい。あまりに漫画的で「きゃー、恥ずかしい」となる場面もあるけど、映像の美しさとこれまた現実離れした美しさをもつ俳優陣の良さでどうしてもみてしまう。山田孝之と菅田将暉の使い方は理想的。バンドもの大好き。

今日は午前も午後も事例検討会。いろんな人、いろんな文化と触れるのは人と話していくだけでもできる。それを負担に思う人ももちろんいるし好きにしていくのがいいのだろうけどね。

良い一日にしましょう。

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Netflix 精神分析、本

夏の朝、象徴、『W・R・ビオン全集』自伝2巻。

早朝からカビ取りスプレーを使い、窓を全開にしたら生ぬるい風が入ってきた。こういうスプレーは自分もやられてしまうので大変だ。

新宿中央公園のセミたちも本格的に鳴いている。結界を張るかのように鳴いているせいか日中は人が少ない。まあ、暑すぎるということだけれど。

今朝は能登のお米でごはん。2年続けて七尾線に乗った。七尾線は石川県の津幡駅から和倉温泉駅までをつなぐ路線で能登半島の田園風景を満喫できる。GWの車窓には空を映す水田がずっと続いていた。ずっときれいだから同じようで少し違う写真がたくさん撮れた。

最近、夏のフルーツを色々もらった。今朝は「サマーエンジェル」というすももの一種を食べてみた。山梨県オリジナルとして「ソルダム」と「ケルシー」を交配して育成したとのこと。酸っぱさも甘さもちょうどいい。夏はこういうサッパリしたのがいい。

『鬼滅の刃』の映画が話題。無限列車編以降追えていないけど、話題になると見たくなる。主人公がいい子すぎるところに最初からあまり乗れていなかったが見たら見たで止まらなくなる多彩さがある。この前、同業の先生たちとNetflix話をしたが、それぞれすごくよく見ている。実はわたしたち暇なのでは、と思うほどだが、単に睡眠時間が少なくなっていたり、そのための時間確保や体調管理に務めているという話でもありその話も面白かった。楽しむためのいろんな管理は大事。

私は最近思うところがあり、というか相変わらず日本でいう15年戦争を入り口に色々みたり読んだりしていて、そのひとつに当然マンハッタン計画もあり、そういえば『オッペンハイマー』をまだみていないな、と思った。とりあえずすぐにみられるクリストファー・ノーラン監督のものということでDark Knight Trilogyを見直そうと『バッドマン・ビギンズ』を再生。このお母さんってジブリに出てくる夫のそばにはいるがちょっと子供と距離のあるお母さんみたいと思ったり、子供のトラウマを父と母が共有しないことで父子の物語にして執事に母性を担わせたのは男社会の映画として面白いな、とか適当なことを思いながらみているが、本当に断片しか覚えていないものだな。映画も本も本当に覚えていられない。だから何度も見たり読んだりする、ともいう。主人公が自ら「象徴」になろうとする話って日本のアニメでも色々あると思うのだけど「俺はなる!」みたいな感じでなるものではないよね、「象徴」って。

精神分析は象徴をめぐるあれこれを扱う学問だけど、特定の誰かが象徴として機能している学問ではないと思う。「祖」と呼べる人が数人いるだけで。その一人であるビオンの精神分析家以前(生い立ち、第一次世界大戦)と精神分析家にならんとするプロセス(第二次世界大戦を経てクラインと出会うなど)をビオンの嘘のない言葉で読めるのが『WR・ビオン全集』(著作15冊+索引)The Complete Works of W.R. Bion. Karnac Books. (2014)の第1、2巻。これまでもビオンをたくさん訳されている福本修先生の監訳。訳者はそれぞれドイツ、イギリスの文化に馴染んでいる方々で注釈もとてもありがたい。戦争のあれこれに触れ続けているのは今、世界がそういう状態だからというのもあるけれど、フロイトをはじめとするユダヤ人分析家とナチスの関係に対する関心が強いから。あとはこのビオンの戦争体験。すでに色々なところで話されていることだとは思うが、ビオンの言葉を断片ではなく追うことでビオンの理論の背景がいかに困難が多く、かたそうなのにものすごく豊かな思考がそれらをいかに言語化してきたか、ということ自体に胸を打たれる。高いけど全集の全訳というのは本当に価値があるので(絶対自分でできないから)チェックしてみてほしい。

WR・ビオン全集』(著作15冊+索引)

The Complete Works of W.R. Bion. Karnac Books. 2014.

第一巻

長い週末 1897-1919』(The Long Weekend 1897-1919: Part of a Life)

第二巻

『我が罪を唱えさせよ 人生のもう一つの部分』(All My Sins Remembered: Another Part of a Life

『天才の別の側面 家族書簡』The Other Side of Genius: Family Letters

第ニ巻の邦訳にはビオンの息子ジュリアンが父ビオンのことを書いている。福本先生が寄稿をお願いして引き受けてくださったらしい。ジュリアン・ビオンはthe Professor of Intensive Care Medicine at the University of Birminghamということでバーミンガム大学の集中治療医学の教授で、その分野の様々な会の長を務めたり数多くの賞を受賞されている。第二巻は妻とジュリアンたち子どもらへの父ビオンからの手紙も収められているが、一人の息子として父ビオンを語るジュリアン先生の文章もミルトンの引用もとても素敵だった。いろんなことを感じたり考えたりしながらビオンを読んでいけそう、と思った。ビオンもフロイト同様、徹底して精神分析家であり、良き父親だったらしい。ビオンの書き方はフロイトとは全然違うけど(対象も目的も違うから当たり前だけど)とても読む価値ありの二冊だと思う。

今日も暑そう。熱中症ってあっという間になるから気をつけましょうね。どうぞ良い一日を。

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Netflix イベント 映画

当たり前に

まだこの時間は爽やか。朝晩はいい感じ。光もきれい。鳥たちもいい声。

日本で政治家になりたい人たちが平和を望まないのはなぜか。自分が差別されるとか、傷を負うとか、ましてや死ぬのとか殺されるのとか絶対嫌だろう、それ以前に自分の人生を他人にコントロールされるのとか絶対嫌だろう。なのに、される前にしてやろう、くらいの勢いで、というかそれしか方法を知らないかのように暴力的なことを軽やかで達者な言葉で撒き散らしているのは、そうされるのが嫌で嫌で仕方ないからなのか。そうしてもしなくても他人はコントロールできないので自分的リスクが減ると思うのであればそれは幻想だと思うのだけど別に自分的リスクさえ減ればいいのだからそれでいいのか。いや、よくない。本当にやめてほしい。自分の不安や衝動を他人を巻き込むことでどうにかしようとしないでほしい。それよりもみんなが同じ平和を願うことを信じて、すぐに管理や排斥を匂わせるようなことをしないで思考する努力はできないものだろうか。現時点で自分たちよりずっと無力な人たちがあれやこれや自分のペースで自分の人生を考え、希望を叶えられるような環境整備をどうして最優先にできないのか。人は誰でもいつどういう形で無力になりうるかわからないからこそ、現時点でもっている権力で社会を良い方向に、と奮闘するのが政治家ではなかったか。そのための税金ではないのか。なんでも現時点のことでしかないという現実を受け入れ難いがために自分ルールで他人を縛るのか?

意味がわからないことばかり。そんな気分だからか戦争に関する資料や映画ばかり見ていている。本も映画も毎年いろんな賞が話題になるわけだからそれが書かれたり撮られたりする文脈を生きている間に読んだり見たりすることが大事なのかもしれないが、私はそういうのに疎いし、そのとき注意が向いたとしてもすぐに忘れてしまう。日々が過ぎるのが私には早過ぎるのだ。ということで「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」をようやく見た。途中で「え?これ、ゲイリー・オールドマン?」となった。そっくりさんにしなくてもゲイリー・オールドマンのままやってほしかったなあ。だって史実だって全部史実じゃないわけでしょう?ダンケルクの描き方だって違うのでしょ?どこから描くかで変わるのは当然だし。あの妻役の女優さんもすごい素敵、と思って調べたら「フォー・ウェディング」の人か!クリスティン・スコット・トーマス。あの映画は良かったねえ。懐かしい。この前のヒトラーの映画でも思ったけど、日本の政治家はもっとまともな原稿を作って演説の練習もきちんとすべきだと思う。脅しばかりって感じがして本当に嫌だし怖い。迷いのあとがみえる言葉が聞きたい。

新宿住友ビル33階、平和祈念展示資料館(帰還者たちの記憶ミュージアム)にも寄った。新宿に行くのに少し遠回りすればオフィスから近いのもいい。ジャズピアニストの秋吉敏子が満州で過ごした子供時代の証言をしている映像も見ることができた。家に帰ったらソ連軍が略奪をしている最中だった、とかいう話を普通にしつつ、ピアノへの情熱の方がむしろ強く語られていた。先日、『黒川の女たち』をみたばかりだったし、朝ドラでも戦争が描かれたばかりだったから展示に対する想像力も以前よりは高まっていると思う。小さい子を連れたご家族や若い女性、あと私くらいの女性の来館者が多かった。夏休みは平和祈念展示資料館もしょうけい館(戦傷病者史料館)昭和館も色々イベントがあるらしいのでチェックしておきたい。秋吉敏子も本当にすごい人なので柳樂光隆さんの記事とかから音源も辿ってほしい。子供たちもたくさん訪れたらいいと思う。普通にやってはいけないことはやってはいけないということを当たり前にしておきたい。色々おかしすぎるよ。いけない、これでは。

今日は土曜日。夜はオンライン座談会。危機感も希望も共有したい。

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Netflix 映像

見たり聞いたり。

今日は少し爽やか。窓を開け放している。向かいの家の屋根は濡れているけど雨のやみ間なのかしら。

この前、友達といろんな場所の話をしていて八景島シーパラダイスのことも出てきた。東京の心理職は非常勤かけもちが多いからいろんな土地にいく。それと子供たちを連れてとかプライベートな話が重なっていく。今は敷地内にホテルがあるのね。前からあったのかな。私がブルーフォールがめちゃくちゃ怖かったという話をしたら友達は知らなくてびっくり。もうないのか。私が言ったのは20年くらい前だからそりゃ変わるよね。J-WAVEでお馴染みだったDJ TAROがイルカショー盛り上げててびっくりした。当時はまだラジオの人たちの声をいっぱい知っていた。今だったら声優さんの声をいっぱい知っている、みたいな感じかも。

カレー沢薫原作のNHKドラマ『ひとりでしにたい』をやっとみはじめた。面白い。綾瀬はるかと松坂慶子のラップバトルが可愛くて可笑しかった。原作も30話まで無料公開中。

Netflix『オールド・ガード2』も見た。冒頭はすごく良かったけど途中から「あれ?あれれ?」となり「えー、まだ続く用に作られた2だったの?」と残念な気持ちになりました。だったらもっとアンディとクインの関係をロマンチックに書いてくれよー。今回から出ているユマ・サーマンとヘンリー・ゴールディングは立ち姿だけでかっこいいが、こちらももっと使い方あったでしょー、と素人の私は思った。が、しかし、きっとこれはこれで、なのだろう。続編だって作られたらきっと見てしまう。この前、トレーナーの先生にシャーリーズ・セロンの筋肉のかっこよさを話した。彼女は南アフリカの生まれで大変な体験をしてきた人なのね。知らなかった。すごい体験を生き抜いてきた人たちの話を聞くとその状況でよくここまで、と思う。ますますまともな政治家が選ばれますように、という思いを強くする。

さあ、今日も木曜日。鳥たちは元気そう。がんばりましょう。

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Netflix 映像 映画 精神分析、本

Netflix『リディア・ポエットの法律』、館直彦『ウィニコットの臨床』

今朝も風がない。そういえば昨日は急に大粒の雨のが降ったり、何事もなかったかのように晴れたり変なお天気だった。日本の気候は変わってしまったのだろう、など話した。同じ日本でもすでに様々ということもいろんな土地に行くと知ることではあるけれど。奄美大島で出会ったスコールを思い出した。地元の人も呆れたように空を見ていた。

コロナ禍にNetflixに入会しなんでもかんでもみていたことも思い出になりつつある。本当はこの時期に起きたことをもっと詳細に語り合った方がいいと思うが・・・。私はコロナ禍でもそれほど変わらない生活を送れていたが、配信で映像を見るのが当たり前になったのはその頃からだ。といってもNetflix以外に手を広げることもなく(間違って入ってしまったAmazonプライムをもったいないから少し使ったことはある。あの誘導システムやめてほしい。)ちょっとした時間に断続的にみているものも多い。映画は断続的にみても面白度が下がるのでドラマシリーズを見ることが多い。あとアニメ。最近だと『リディア・ポエットの法律』という実話ベースの作品が面白かった。1885年生まれのイタリア人初の女性弁護士がモデル。『虎に翼」みたいでしょ。舞台はトリノ。ひどい話だが、リディアは女であるという理由で弁護士資格を剥奪される。冒頭からなんなんこいつらと怒りが湧くが、諦めないリディアが兄の助手として活躍しつつ自分の権利も取り戻していくような話なのだと思う。シーズン2まであるとのことだがまだ1の途中。兄の助手としてというあたりはエノーラ・ホームズっぽい。実話では弁護士資格を取り戻したのはなんと60歳を過ぎてからとのこと。ひどい。よく諦めずに戦ってくれた。

それにしても映像技術の進歩の速さよ。エジソン、リュミエール兄弟、情景からストーリー、トーキーからカラー、特殊効果、CG、SFXっていうのかな、あとVFX、ゴジラとかの特撮というのは特殊効果を使った撮影、という意味でいいのかな。私みたいな高校時代の写真部、つまり静止画像で満足している人でもこれらはすでに自然に触れていた技術だった。私はVHS時代の子どもだった。

ちなみに『映画が恋したフロイト』の著者、岡田温司先生は1954年生まれ。学生のときにリアルタイムでみたものをDVDで見直してきた世代。今なら配信でご覧になっていると思う。なんにしてもデジタル技術の発達に遅れることなく論考を発表しつづける情熱がすごい。

先週末の精神分析的心理療法フォーラムのシンポジウムでは舘直彦先生ともご一緒させていただいた。数年前に精神分析学会の教育研修セミナーで討論を務めたときにはじめてお会いして以来。今回、会場で「はじめまして」のご挨拶をする先生方ばかりとご一緒だったので少しでも知っているお顔があって安心した。もっともウィニコットの仕事をわかりやすく咀嚼してご著書を出されてきた館先生のお仕事は以前から身近だった。

シンポジウムでお会いしたときに2023年に出版されたきれいな水色の本『ウィニコットの臨床 症例との対話から生まれる「あること」の精神分析』をいただいた。2013年に出版された赤い本『ウィニコットを学ぶ 対話することと創造すること』とセットで持っておきたい一冊である。私は水色の本もすでに読んでいたけど著者の先生からいただける本は特別なのでありがたく頂戴した。

私がこの本で一番いいと思っているのは「第6章 Winnicottの治療論」。取り上げられている論文が「精神分析的設定内での退行のメタサイコロジカルで臨床的な側面(1954)」なのがいい。詳しくはまた今度。今日もがんばりましょう。

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Netflix イベント 写真 散歩

写真とか街とか。

雨止んでる。昨晩、オフィスを出たら結構降っていてびっくり。慌てて折りたたみ傘を出した。今日のお天気はどうなのかしら。さっき窓を開けたらもう暑かった。

先日、「被曝80年企画展 ヒロシマ1945」をみに東京都写真美術館にいった。受付の横のチラシ置き場に「おとなり美術館散歩」というマップがあった。おなじみ太田垣晴子さんのイラスト。かわいい。手に取ってみると東京都写真美術館と東京都庭園美術館までのMAPが見どころつきで書かれていた。1.8km、徒歩約30分とのこと。この二つの美術館を同日に行ったことがなかったし、目黒区と港区でお隣というか、そういえば庭園美術館は目黒駅から行くもんね。わざわざ白金台に出ない。写真美術館がある恵比寿駅でも目黒寄りだしたしかに近い。そうか。私は恵比寿ー渋谷間は結構歩いているし東京は狭いですね。

この前、久しぶりに渋谷駅から桜丘町、代官山を通って恵比寿までいった。Shibuya Sakura Stageがすっかりオープンしていた。朝早かったから通り抜ける人しかみなかったけど私が慣れ親しんだ景色はなくなった。少しずつ変わっていくのを見ていたけど一年ぶりくらい。駅からの歩道橋もサクラステージに続いていた。渋谷駅前の再開発であおい書店が閉店したのが2018年。その前はJTBだったか。ながーく親しんだ街だから変な感じ。しょっちゅういっていた定食屋もなくなった。一方、少し駅から離れればなにも変わっていないな、とも感じる。街を全部変えるなんてやりたくても無理だもんね。破壊はいくらでもできたとしても、と思ったのはNetflixでみた『ヒトラーとナチス』を思い出したから。ガザだってあれだけの殺戮が行われているのにガザはある。ありつづけてほしい。死なないでほしい。というか殺すなよ。東京都写真美術館でみた「被曝80年企画展 ヒロシマ1945」にも言葉を失った。感情も失いそうになった。静かに、きちんと怒りが伝わってくる展示だった。広島や長崎に行けなくても東京が近い人はいってみたらどうだろう。同時にやっている「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」もすごくいい。絵画と写真はそう簡単に分けられるものではないということがよくわかる。モランディのアトリエの写真はちょっとびっくりした。モランディの絵そのものだ、と。あと光とか雪とか自然が作る在不在にも。楽しみにしていた展示だったので駆け足だったけど行ってよかった。あとミロ展も大急ぎで行ってきた。これももっとゆっくりみたかったけど行けただけよかった。晩年の作品をみたかったので初期の作品はかなりざっとしか見ていないが黒の使い方が最初から印象的。スペイン内戦の頃の俳句的な表現もあり非常に興味深かった。芸術家は何があっても作り続けていた。ミロ展はまたやってくれるように思う。今回は巡回展はないみたい。そういえば「ルイジ・ギッリ」の写真にはトリエステの景色もあり、ショップには須賀敦子の対談集が売っていた。「トリエステの坂道」は本当に素敵な文章で綴られた短編。須賀敦子って一時すごく読まれていたと思う。特にトリエステは。水村美苗とか米原万里とか母国語以外を自由に使える人の日本語は別格の美しさがある気がする。うまくいえないけれど。今日の移動本は須賀敦子にしよう。求めていた景色に急に出会えるような気がする。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

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Netflix

Netflix『ラリー・フリント』をみたり。

北側の窓がオレンジ色になった。でもすぐにグレーに溶けた。なんでだろう。この時期の日の出。どうなっているんだろう。今はうっすら水色に雲。始発前なのに空だけはもう一日を始めている。人間の場合、これからようやく眠るという人もいるのだろう。

起きたとき固まって動かなかった左手に強い痺れがきて元に戻った。痺れがくるうちはいい、と思うのは前に神経の麻痺で全く動かなくなったことがあるから。その状態への適応は早かったが不便だったことに変わりはない。なので動く身体であってほしい。

久しぶりに朝にコーヒーを淹れた。麦茶もまた作っておいた。筋トレも久しぶりにできそう。

昨日、時間ができたのでNetflixで『ラリー・フリント』を見た。ポルノ雑誌の出版、編集を手がけるラリー・フリントの活躍(?)と表現の自由をめぐる激しい法廷闘争を描いた映画。実話ベース。監督は『カッコーの巣の上で』のミロス・フォアマン監督。戦争とSEXを映像と共に比較する演説シーンは強力だった。そして何より主人公の妻を演じたコートニー・ラブが強烈で悲しかった。カート・コバーンのことも思い出しちゃうし切なかったな。主演のウディ・ハレルソンの器用さはもとより弁護士役のエドワード・ノートンも本当によかった。後半の法廷での語りもこの人の実直さあってこその名演説だった、というわけではないのか。実話ベースだから。実際にこんなに忍耐強く頭の回る弁護士がいたのだね。頭が回り、柔軟だから忍耐強くいられるのかもしれない。

なんて書いている場合ではない、と今ふと気づいた。どうしてこんなに焦ったり困ったりしているのにこんな呑気な時間が訪れてしまうのだろう。昨日、初回面接を検討するグループでも世代を超えて協力しあうような話し合いができたし、なんか楽しい気持ちになっていたせいかもね。今日からまた1週間、がんばりましょう。

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Netflix 精神分析 読書

日曜

昨日は寒かった。部屋は暖房いらずだったから春ではあるのね。さて日曜なので最近のことを振り返ってみましょう、といっても特に新しいことはしていない。Netflix「アドレセンス」はよかった。13歳の容疑者に対するイギリスの警察の手続きも勉強になったし(必要事項はとりあえず伝えたぞ、クレームは受け入れるけど今は従って、みたいな雰囲気に疑問はあれど)、この年代のリアル(大人はなにもわかってくれない以前にあまりになにも知らないのでコミュニケーションの相手とされていない)のも本当によく描写されていたし、母ではなく父が対象とされているのも新しいと思った。私は職業柄、自分の仕事と重なる第3話の殺人を犯した少年とセラピストの面接場面が最も印象に残った。あの喉が変になる感じ、何も言っていないのに自分の言葉にパニくる感じ、それをどうにかしようとして何事もなかったかのようにこちらに圧をかけてくる仕草、どれもよく知っている。子供としても治療者としても。誰もが知らず知らず狂わされる記号や行動、誰かのために生まれてきたわけではないのに誰かのためにしたことによって搾取されるという現実、どこで失敗したのか、何が足りなかったのか、できたとしたらなにを、という答えのない問いの反復、まさに取り返しのつかないことをしたことを認めるまでのプロセス、などなどいろんなものが盛り込まれていた。日テレでやっていた「グレイテスト・ショーマン」も結構最初の方から見られた。ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンのバーでのシーンがかっこよすぎて意味わからないと目眩した。ヒュー・ジャックマン演じる主人公にはひどいひどい言いまくっていたのになんかあのシーンはずるかった。ザック・エフロンとゼンデイヤはもちろん最高にロマンチックでよかったけど。This Is Meはすごい名曲なのにストーリー的にはひどいシーンだよね。Netflixで「メダリスト」も新エピソードみた。人気シーンですね。フィギュアはちょうど世界選手権だった。坂本花織の演技、見たかった。ショートで出遅れてしまったのに銀メダルはさすが。坂本の実際のスケーティングって本当に早くてパワーがあってすごいらしい。テレビでもすごい筋力を感じる。そのスピードでそんな高く飛べるんだ、と「メダリスト」に出てくる子供たちみたいな感想を持つ。ほかにもちょこちょこみたかな。いきたい展覧会には行けていない。ちょっと「ながら」ができるものばかり。本は相変わらず隙間時間にちょこちょこ読んでいるけど、村田沙耶香の影響が関係ない話題でも出てきてしまうらしく「発想が怖いよ」と指摘されるようになってしまった。ヘーゲルとかもちょっと読んだ、すでにあまり覚えていないけど。最近はいい入門書もたくさん。ラカンが取り入れたヘーゲルはヘーゲル本人ではなくてコジューブ経由だけど何が違うのかしら、などちょっと勉強した。あとはもっぱら花を追いかける日々ですね。昨日の朝は雨で寒かったけどスマホ濡らしながらいろんなお花を撮りながらオフィスへ行った。今日は寒いけどお天気はいいらしいのでフラフラ寄り道しながら出かけましょう。

[臨床家の方へお知らせ]

6月に私が所属する日本精神分析協会の学術大会が行われます。

週4日以上、カウチでの自由連想という精神分析実践は今の日本でも細々と引き継がれています。その実際やそこから生まれた論点に関心をお寄せいただけたら幸いです。私は司会者とパネリストと一般演題の演者を務めます。

日本の精神分析家は名誉会員2名、会員44名で46名しかおらず、支部は福岡と東京のふたつ、会員は名古屋、京都、大阪などさまざまな地域で活動しています。

今回は日本精神分析協会の大会なので精神分析家と候補生だけでなく、日本の協会独自の機関である精神分析的精神療法家センターの精神分析的精神療法家、精神分析的精神療法家研修生のパネルや演題もあります。

精神分析的心理療法を実践されている方はもちろん、精神分析って言葉は聞いたことあるけどまだあるんだ、という方も多様な治療と治療文化を良い形で引き継いでいくために対話にいらしていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

日本精神分析協会 第43回 学術大会

6月7日(土)午後〜6月8日(日)午後

@東京、市ヶ谷

詳細は日本精神分析協会のWebサイトをご覧ください。

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Netflix 言葉

折々のことば、アカデミー賞

昨日は少し雪が降った。ものすごい厚着をしていたので寒さは少ししか感じなくてすんだ。今日も夜は雪の予報。たくさん着こんでいこう。

鷲田清一の朝日新聞「折々のことば」を読んだ。『宮田珠己の楽しい建築鑑賞』からの引用。「スルーしていた風景」と出会うことは難しいが、これまでスルーしていたことに気づいたときは見えたときで、それはそれまでとは別の見方ができるようになったということだから少し嬉しい。

第97回アカデミー賞の授賞式があった。「ザ・レディ・イン・オーケストラ NYフィルを変えた風」が短編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。この映画は、ニューヨーク・フィル初の女性コントラバス奏者オリン・オブライエンの軌跡を追ったものだ。Netflixでみて気に入っていた作品だ。オリンが入団したのは1966年、レナード・バーンスタインが常任指揮者だったとき、というのもなんだかしみじみする。オリン・オブライエンは2021年に引退。指導や演奏活動は続けているらしい。彼女がたったひとりの身内である姪に、友人に、教え子に話す言葉はどれも力強く印象的。この映画で、映画になる要素をたくさん持っている人であることを知ったが、それをこんなコンパクトな映画に仕上げたのがすごい。

長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされていた伊藤詩織さんの映画はそれに関するニュースしか見ていないし、論点が多すぎて、というか論点を増やすようなことが次々に起きて何かをいうことは難しくなっていると思う。個人の権利や尊厳はどんな職業であっても守られてほしいし、女性同士は特に守りあっていくために慎重にならねばならないことがたくさんある。衝動か、必要なスピードか、というのは当事者でも区別がつきにくいように思う。

気持ちが暗くなるようなニュースばかりだが、今朝は山梨の友人の花豆のケーキと静岡の丸子紅茶をいただいた。今日もそれぞれの土地で暮らす人たちの小さな日常が守られますように。

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Netflix 俳句 短詩 言葉

『アンメット』、俳句文学館

大寒。とはいえ6時の時点で6度ある。東京の日の出は6時49分。少しずつ空が白っぽくなってきた。沖縄の日の出は7時18分。冬に西に旅に行くと早朝散歩はいつも真っ暗。その分暗くなるのは遅い。光のあり方は生活にかなり影響を与えているだろうからその土地の風土を知ることはとても大切。大学のとき、何かの授業で風土について色々と学んだ。和辻哲郎を読むばかりでなく、何の授業だったか。「風土」という言葉の印象ばかり強く肝心の中身を覚えていない。

『阿修羅のごとく』で満足したのに『アンメット-ある脳外科医の日記-』を見始めて1週間で見終わった。アンメットは満たされていない、という意味なのね。満たされるってなにかしら、とは思うけど若い頃よりは確実に満たされやすくなっている。そしておそらくこれは記憶容量と関連している、と思う。ドラマの影響で言っているのではなくて。いや、もしかしたらそうかもしれないけど。精神病院で働いていた頃、神経心理検査を色々実施した。ドラマで失語症や半側空間無視に対する新たな理解が加わった。症状の個別性の部分ではあるけど。ドラマでは高次脳機能障害のように器質的な病変が存在する症状がそれだけでは説明がつかない記憶のあり方とともに密な人間関係で描かれていて何度も泣いた。主人公二人の相槌の仕方が印象に残った。杉咲花の食べっぷりも素敵であんな小さい顔の小さな口でどうしてそんなに大きい一口が可能なのかとびっくり。

『阿修羅のごとく』で昭和を満喫したが、週末は俳句で明治、大正、昭和を感じた。新宿区百人町の俳句文学館で昨年11月から開催されている「俳人協会所蔵名品展 近現代俳句の歩み1」を鑑賞した。とても小さな展示室は17音の世界にぴったりだった。作品数としては多くないがおなかいっぱいになった。たった17音が刺激する世界はとても広いのでこれ以上あると疲れて丁寧に鑑賞できなかったと思う。文字のインパクトもすごかった。五大家俳句寄書の軸装や本人直筆の色紙や短冊で俳句をみた。五大家とは高浜虚子と4S(青畝、誓子、素十、秋櫻子のこと。

蚊いぶしの紬をさらふ追風哉 阿波野青畝

畑打や池田の鯉を手捕つたり 山口誓子

餅花の火燵布団に照りはえぬ 高浜虚子

芦刈のそこらさまよふ一人かな 高野素十

啄木鳥や落ち葉をいそぐ牧の木々 水原秋桜子

秋桜子の句は知っていた。4Sの句でもネット上では探せないものもあり、彼らの作品の膨大さを思った。

小鳥来て午後の紅茶のほしきころ 富安風生

麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子

雪はしづかにゆたかにはやし屍室(かばねしつ)石田波郷

などの句も文字と共に心に残った。

昨年5月、老衰で亡くなった鷹羽狩行を偲ぶコーナーもあった。

数といふ美しきもの手毬唄 鷹羽狩行

しずけさに加はる跳ねてゐし炭も 鷹羽狩行

にウキウキした。

紅梅や枝々は空奪ひあひ 鷹羽狩行

有名な一句。やはり迫力がすごい。近所の公園では梅が咲き始めた。この景色は私も実景として体験できる。俳句は実景が基本なのがいい。

さて、今日は大寒。冬苦手なのに冬を満喫したくてスーパーのお菓子の棚で「冬限定」と書いてあるお菓子を買い占めてきた。といっても3種類しか見つけられなかった。

大寒の天気つゞきの檜垣かな 富安風生

大寒と敵のごとく対ひたり 富安風生

富安風生の句も心に残るものが多いことに気づいた。好きなのかもしれない。どうぞ良い一日を。暖かくしてお過ごしください。

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Netflix イベント 趣味

お正月、水族館、コミュニケーション

鳥が鋭く鳴いている。元気かな。今日もいいお天気?昨日、2日もいいお天気だった。元日は初詣に行った神社で初日の出をみた。本来なら地平線や水平線にみる1月1日の太陽のことなのだろう。なので少し昇ってしまった太陽だったけどみんなで歓声をあげるほどきれいだった。空に馴染むまでみんなの顔が赤く照らされていた。朝の太陽はみんなよけないのね。元日も陽射しが強くて前にいたカップルはストールで遮っていた。私もずっとキャップをかぶっていた。

おせちも分けていただいた。紅白かまぼこ、伊達巻、昆布巻き、田作り、手綱こんにゃく、里芋、きんぴら。紅白なますと黒豆は今年はいただかず。みんな食べたいもの、作りたいものだけでいいのだ。おやつにはレトルトのぜんざいと薄いお餅をもらっていたのでそれを。お休み中はなんでも特別特別と思ってクラフトビールも色々試した。親戚の子がまだ小さかった頃、私たちが遊びにいくと「特別」と言って好きなもの三昧していたことを思い出す。親から何か言われるのを見越しているのね。親たちは「特別?」と笑っていた。特別な日をいっぱい作ってあげたいし自分にも作りたい。そのために地道に習慣を続けていく。

習慣には趣味も含まれているがライブや演劇は普段はなかなかいけないので主に配信。美術館とかはちょっともったいないなと思いつつ自分の時間に合わせて動けるから行く。配信はみたいのがたまっている。タロン・エジャトン主演のApple TV+のリミテッドシリーズも見たいが入っていない。Netflixでやってくれないよね、だからリミテッドなんだよね。限界は大事。有限性あってこその趣味。休みだって終わるから楽しいんだ。でも、となる。「グッド・ドクター6」もU-NEXTでやっているがこちらはNetflixでやるのだろうか。優先順位大事。

私は水族館が好きで先日も行ってきた。特にこだわりがあるわけではないのだが各地の水族館にはその土地にしかいない魚がいるので面白い。イルカはどこにでもいるがイルカショーとなるとだいぶ違う。イルカの学習能力については昨日少しベイトソンの学習理論で触れたが(触れたか?後で確認)体重とかも違うからそれぞれやりやすい技も変わってくるよね、など思いながら訓練士さんとのコミュニケーションを見守ることが多い。聴覚や視覚の違いとかも気になる。ショー自体よりショーの前のリハーサルとかショーが終わった後のイルカの様子をじーっと観察することが多い。聞いたり調べたりすればいいのだが答えが知りたいわけでもない。しかし、なんとなくじーっと見てると係員さんの方から声をかけてくれることもある。先日はタツノオトシゴが元気いっぱいのお魚(名前を忘れてしまった)に餌を取られてしまうのをどうなることかと見守っていたら係員さんが動きがゆっくりのタツノオトシゴのことを教えてくれた。元気いっぱいのお魚のこともちょっと困った顔をしながら愛おしそうに話してくれた。この水槽の子たちをみんな大切に思っているのね、と思いながら聞いていた。餌を取られてしまうとしてもいろんな種類のが一緒にいた方がいいのかしらね、とまたベイトソンのことを思い出す。

『精神の生態学へ(下)』(岩波文庫)「クジラ目と他の哺乳動物のコミュニケーションの問題点」は討議の記録なのだがベイトソンの言葉に同意する形でレイ博士がニューヨーク水族館でのシロイルカの観察について話す場面がある。彼はそこでイルカが水槽の中で退屈しないようにする工夫として次のようにいう。気に入った箇所なのでメモをしておいた。

「イルカをいじるというのではなくて。干渉されるのは嫌いますからね。そうではなくて、たとえば、違った動物を連れてきて同居させてみるとか、ちょっとした気の利いたことをわれわれがやってみせるとか、そうすれば、連中ももっと反応してくるようになると思うんです。今のままだと、檻の中のサルと同じで、高度な知能と営みを持ちながら、鈍い動物として暮らすよう強いられてしまうことになる。」

「ちょっとした気の利いたとをわれわれがやってみせる」。これ非常に大事。なにが気が利いているかは観察ありきだが。「違った動物を連れてきて同居させてみる」というのはタツノオトシゴと元気いっぱいのお魚を同居させることと似ているかもしれない。別にそれでタツノオトシゴの動きが早くなって確実に食事にありつける、とかそういう目的のためではなくて。うーん。今赤ちゃんのこととか戦時中のこととか色々思い浮かんでこういう説明はそれこそコンテクストが共有されていないと議論になりにくいんだよなあ、と頭の中で頭を抱えた。

今日もいい日でありますように。

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Netflix 映画

黒人女性の映画など。

今朝も三日月がきれい。空の色が薄くなってもほっそり輝いている。さっき食べたキウイもキラキラしてた。贈り物でいただいたいいキウイ。ちょうどよい柔かさと酸味と甘味でとても美味しかった。

先日『6888郵便大隊』(The Six Triple Eight)を見たと書いた。黒人女性の映画で実話ベースのものだとKKKの支部長と黒人女性活動家の対立と対話を描いた『ベスト・オブ・エネミーズ 〜価値ある闘い〜』(The Best of Enemies)、女性としてはじめて大統領に立候補した『シャーリー・チザム』(SHIRLEY)なども比較的最近見た。 どちらも嘘みたいな本当のお話で先駆者たちのパワーがすごい。こんな差別が当たり前のようにあることが嘘だと思いたいが本当に本当の話なのが辛い。『ベスト・オブ・エネミーズ 〜価値ある闘い〜』のラストがほぼ『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams)なのは可笑しかったが感動した。『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams)も公開された当時は何も思わなかったが見直すとすごく速い展開の映画でびっくりした覚えがある。「カーネーション」とか「虎に翼」とかの朝ドラでも感じたここにこれだけのものを詰め込めるのかという驚き。多くの観客にわかるようにそれを作れるのが本当にすごい。NTLiveの『ベスト・オブ・エネミーズ』はまた別の話だがこの舞台はものすごく好評だったらしいのでそれも見たい。こちらは共和党と民主党の討論バトル。対話も討論も生産的にいきたいものだ。

最近、筋トレのおかげで代謝が上がったのか動くと暖かくなるのが早まった気がする。以前は1時間のヨガで周りが汗だくのなか最後の方になってようやくポカポカするような状態だった。猛烈に厚着をしているせいかもしれないが。インフルエンザもコロナも流行っている。気をつけて過ごしましょう。

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Netflix 音楽

SPY×FAMILY、クリスマスソングなど

南の空の三日月がきれい。今日も晴れかな。傘いらずは助かるけど乾燥がひどいのは辛い。

子どもたちにサンタが来るのは今日ですか。今日じゃなくても期待に対して応答があるのは大切なことね。いいことあるといいね。

先日、配信で「劇場版 SPY×FAMILY CODE: White」を見た。いつもの感じで面白かったし映画ならではの盛り込み方だったけどお話はいつもの方が面白いかな。原作とかアニメを見ていない人がどれだけ楽しめるかは不明。親や出自の秘密を子どもは知らない、みたいな設定は多いけど、SPY×FAMILY(自動変換で出るんだね)は親子であるということ自体が嘘だしそれぞれが(犬まで)秘密を持っている設定が面白い。そして誰もその秘密を悪用しない。特にいいことをしようとかも思っていない、というか誰かを守るという大きな使命感なり自然な信念は持っているけど普通じゃない家族が普通っぽさを維持しているのが面白い。

最近、いろんなクリスマスソングを聞いてたのだけどエイミー・マンのOne More Drifter in the Snow、サマラ・ジョイのA JOYFUL HOLIDAY、ノラ・ジョーンズのI Dream Of Christmasあたりがしっとりしていていい。マライア・キャリー、アリアナ・グランデ、ジェニファー・ハドソンのコラボとかもよかったけどクリスマスソングもジャズが好きだな。

エイミー・マンは映画『17歳のカルテ』の原作『思春期病棟の少女たち』の舞台版で音楽を担当していたのだけどコロナ禍で上演されなかった。でもそのためのアルバム『Queens of the Summer Hotel』は素晴らしい。お話を知っている人にはとても響くと思う。あれもいい映画だったねえ。

最近、映像のことばかり書いて大好きな本のことを自然に書くみたいなモードにならないのだけどベルクソンのせい。ベルクソンばかり読んでいるから理解が断片的で印象を書くこともできない。精神分析は時間と記憶を問題にしていかねばならないと思っているから読んでいるのだけど壮大だね、ベルクソンの発想は。でもどっかに閉じてしまわない、というか、むしろそうしないための議論だから明るいのはいい、くらいの印象しか持てていない。他に読まなければいけない本があるのだけどノルマの方はどうも面白くないのが困る。勉強にはなるのだけど疑問も多い。しかしいいかげん読まねば。

どうぞ良い1日を。

ちなみに来週はオフィスはお休みになります。お問い合わせへのお返事は1月6日以降になります。このブログはただのメモみたいなものだから精神分析、あるいは心理療法については私のオフィスのウェブサイトをご参照ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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Netflix

『6888郵便大隊』を見た。

朝焼けの赤が薄くなった。リビングが暖まってきた。夜は同じように暖房をつけていても寒く感じるのに朝はあまり感じない。洗面所とか行かねばならないところが寒いのは辛いけど電気ストーブにしている。

Netflixで配信がはじまったアメリカの映画『6888郵便大隊』(The Six Triple Eight)をみた。タイラー・ペリー監督、脚本の史実ベースのお話。第二次世界大戦中、米国には有色人種の女性だけの陸軍部隊があったそうだ。移動もある戦地への手紙、戦地からの手紙、届けることが困難で溜まりに溜まったそれらを届ける任務を命じられた彼女たちに降りかかるのは任務内容を遂行することの困難以前に女性であり黒人、有色人種であるというどうにもならないことに対する差別である。話の流れはわかりやすく終盤の展開は史実をより希望のあるものに変えていると思われるが当時から何かが変わったとは言いがたい差別には常に希望が必要なので大事なことだと思う。見どころは主演のケリー・ワシントン。ほぼケリー・ワシントンのための、というかそこから目が離せないほどカッコよく素敵だった。権力による管理ではなく最低限の人権を感じられる場をマネージメントしつつ責任を引き受け強いリーダーシップを発揮するキャプテン、最高。

この前、イルミネーションを見に行ったんだけど、ということも書こうかと思ったけどやることやろう。寒いけどなんとかうごこー。

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Netflix お菓子

冬支度、ムーミン谷のお菓子、『天狗の台所』

薄いダウンを羽織ったまま寝た。冬用のモコモコの敷布団も毛布も出したけどカバーをかけるのが面倒で適当に羽布団の上に置いたまま寝た。すでに色々な暖かグッズがベッドに置いてあるせいでぬくぬくのまま朝になった。少し汗ばんだ気さえする。昨日今日と空が明るくなるのが早い気がする。実際、日の出は1分、2分、3分あたりの間隔で遅くなっているはずだから気のせいに違いないが。私がこうしてPCに向かうのが数分単位で遅くなっているのだろう。今朝は時間があるから冬支度を整えるために部屋を温めたり、作業に取り組むための構えを作っていた。寒いと本当に何もする気が起きないのでガンガン温めて一気に作業してから出かけたい。

ハーブティーを入れた。夜寝る前用の。また眠くなってしまうかなあ。実際、あくびが止まらない。お菓子はMOOMIN VALLEY PARKのニョロニョロスティック。結構しっかりしたニョロニョロと同じ棒状の生地に白餡が詰まっている。甘さ控えめ。りんごの味がちょっとするかな。美味しい。袋だけ見るとフィナンシェみたいなのだけど和菓子でちょっと意外なのも楽しい。ムーミン谷にお土産を持っていくとしたら和菓子かしら。

料理をしながらNetflixでなにかしらを流していることが多い。最近は『天狗の台所』。美味しいものの話をしているときに勧められた。確かに泣けてくるくらいきれいで美味しそうな食材とお料理が登場する。そして一条天皇はどんな役でも美しいのね。オンくん役の越山敬達くんがとってもかわいくて驚いたが『Season2』では大きくなっててびっくり。子供は一気に変わるよねえ。思春期になった子たちと昔の写真をみたりしていると自分で自分のこと「かわいー」とかいって懐かしい話をしはじめたりする。それもかわいい。生意気盛りがそういうときだけ子供がえりしたり。複雑な時期には媒介が必要ね。オンくんがお兄ちゃんと距離を縮めていくにはおいしいお野菜が必要だったしね。

さてさてこの週末も色々大変だ。いつもよりは時間あるから冬支度しっかりして臨みましょう。

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Netflix 俳句

10月20日

風がある。窓から顔を覗かせると少し寒い。部屋は暖かい。まだ何もつけなくても大丈夫。昨日はノースリーブに七分袖カーディガンを羽織っていた。10月後半でそんな服装なんて。今年は全然わからないなと思って重ね着するための夏服はまだ片付けていない。片付けてもすぐそこにあるけど。気温差があるからリュクに小さくたためる上着も持ち歩いてるけどこのくらいの薄い重ね着でずっと過ごせたらいいのに。一番楽なのは袖なしだけど日光で肌がボロボロしてしまう。どの時期も肌に色々あるわん。

今日はいつも以上にぼんやり。NHK俳句は「栗」。栗おいしいよねえ。でも外で食べるかお裾分けしてもらうか買うかばかりで自分で茹でないなあ、栗。今年の夏は枝豆も茹でなかったしなあ。青菜は茹でるけど今年は電子レンジ使ってる気がする。今はパスタも少量の水で茹でられるし。パスタもうちで作らなくなったなあ。まいにちのようにパスタ作っていた時期もあったのに。お水をたっぷり使ったあと捨ててしまう(きっと捨てずに有効活用している人もいる)お料理ってほかに何があるかな。冬って水いっぱい使うけど捨てないお料理ばっかり。おでんもお鍋も。やっぱり温まるには水分大事。

この前、テレビで『アリス・イン・ワンダーランド』を少し見た。赤の女王、とってもかわいくて笑ってしまう。白の女王はアン・ハサウェイ。何みても超魅力的。演技力だなあ。ティム・バートンの世界にピッタリだった。ミュージカルもやるんだよね。みたい。何かで見られるのかな。私はそういう情報を探すのが下手すぎる。精神分析の文献以外全然上手に調べられない。というか精神分析のはひたすら量にあたってるうちに出会っているだけだから何も上手じゃないか。

いいかげん終わらせねばな仕事が二つ。10月いっぱい。移動が長いからそこでがんばるか。ああ。難しいんだよなあ。道は見えてきた気はするけど。ま、がんばりましょ。風邪ひかないように服装気をつけて過ごしましょ。良い一日を。

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Netflix 精神分析

習慣とか「無意識」論文とか。

早朝作り置き習慣確立したっぽい。自分がしていることなのにそれが習慣化するかどうかは自分次第、とは思っていない。私は無意識を信じているけど意識的に何かができるとはあまり思っていないのだろう。

世の中が長期休みに入るとフロイト読書会番外編を行っている。この夏は十川幸司訳の『メタサイコロジー論』の第3論文「無意識」。難解だがその前の二つの論文「欲動と欲動の運命」「抑圧」を踏まえてさらにメタをいこうとする重要な論文。

私がアドバイザーとして参加している読書会は読んできたものを話し合う形式で、その読書会の番外編なのだが、そこでは私が仕切らせてもらって、私のオフィスで主催している精読方法でフロイトを読むことをしてみている。今回は2日連続2時間ずつ。精神分析はフロイトは週6日60分くらいずつが定番、今は週4日50分くらいずつがIPA基準なのだが、なんにしても集中して何かをやるということはいいことだと経験から思う。

『宇宙兄弟』で、注意を多方面に分散させて別の情報で頭をいっぱいにして考えることを回避するシーンがあった。「わかる!」と一瞬思ったが、あんなふうに情報を正確に拾う集中力は私にはなかった、そういえば。何かを回避するために、というか回避自体に集中するというのはよくあることだが、それは集中して何かをするのとは異なるだろう。そうしたくても大抵は「注意力散漫」という言葉で示されるような状態になるだろうし。今回のフロイト読書会番外編は形式的には集中型だが、内容の難解さに注意が散漫になっていく様子が見られた。そりゃそうだよ、ということも伝えた。医学書や哲学書を「わかる!」と思わないだろう、と。錚々たる知性がいまだに格闘しているテクストなのだから私たちはもっと地道に取り組んでいく必要があるのは当たり前といえば当たり前。私たちは臨床家だからつい同じ語彙の世界を生きている人としてフロイトを読んでしまうかもしれないが、精神分析実践を伴っていても、高度に専門的で抽象的な内容はそう簡単に「理解」できるものではない。だからこそ形式を集中型にしておく必要があるのだと思う。

今朝はパプリカを使って作り置きしたのだけどひとつでもかなり量があるしきれいだから満足。いつも大体Instagramで美味しそうなレシピを見つけて真似したりしている。今朝もチェックしてみたら三浦哲哉さんがトマティーヨなるもので何やらすごく美味しそうなサルサを作っていた。ウィキペディアによるとトマティーヨというのは「ナス科の植物、およびその小さな球状の緑または紫がかった果実。学名はPhysalis philadelphica、和名はオオブドウホオズキ。 」だそう。メキシコ料理には欠かせないんだって。美味しそう。いいないいな。今日はたくさんテクストを読む日になる。おいしいものを支えにがんばろう。どうぞ良い一日を。

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Netflix 短詩

「宇宙兄弟」、きのふのいまごろなら

アニメ『宇宙兄弟』(原作:小山宙哉)をみて寝不足。早朝に料理を作る習慣ができてしまい寝不足解消せず。習慣によって目覚ましいらず。料理は匂いや見た目や手触りなど色々な感覚を刺激してくるにも関わらず無心になれる。脳の働きが本を読んでいるときとは全く違うし、人と会っているときとはもっと違う。小さなスペースで積み重ねるプチ未知、プチ地道な作業が落ち着くのかもしれない。『宇宙兄弟』は茨城県つくば市にあるJAXA筑波宇宙センターでパネルを見たとき、いやもっとそれ以前、映画化されたときに読みたいなと思ったけどあっという間に10年とか過ぎるわけで・・・。映画化は2012年だって。アニメ版、面白かった。三次試験の終わりまでしか見てないけど。宇宙飛行士になるためにはものすごく強靭な身体とそれをバランスよく使える感性と知性、そしてそれらは良好な人間関係と繋がっているわけで、それらがどの程度普通とかけ離れたものかはよくわからないけど私には絶対になれないということははっきりとわかる。意識的には一度も憧れたことがない職業なのにJAXA関連施設があればなんでも行く。種子島宇宙センターにも一度は行ってみたい。沖縄宇宙通信所へも行った。なんなんだろう。最初からなれないものとわかっているから憧れたことがなかったことにしているのかもしれない。

室生犀星の有名な詩を思い出す。

きのふ いらつしつてください
きのふの今ごろいらつしつてください
そして昨日の顔にお逢ひください
わたくしは何時も昨日の中にゐますから
きのふのいまごろなら
あなたは何でもお出来になつた筈です

昭和34年8月15日発行の最後の詩集「昨日いらつしつて下さい」の一部を引用。犀星は「人間は死ぬまで美にあこがれている生き物」だと言った。だから書き続け、書く人であったことに感謝した。特別に好きな詩人ではないがスッと心に入ってくる。「ふるさとは遠くにありて思ふもの」は教科書で読んだ人も多いだろう。多分私も読んだ。「昨日」や「ふるさと」に何を見出すのも自由だがやはりそれはすでに過去で「そうであったはず」の世界なんだな。兎にも角にも今は今。今は朝。今はまだ朝。

室生犀星のこの詩集が出たのと同じ頃の映画について話したのを年代を見て思い出したのだけどなんだったか。当時はあり得かったSFの世界が今は現実になっていてビビる、という話だった。ありゃなんだったか、と思っていたらその友人からLINEがきた、今。面白いな、つながりは。お互い歳をとって自分に対して諦めると同時になんでも学びとして面白がれるようになってきた。力を抜いて今日も過ごそう。どうぞ良い1日を。

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Netflix お菓子 精神分析、本

三体、ほっこり餅、夢判断

 コーヒー&和菓子。机に向かうのが遅くなった。最近、帰宅するとNetflixの『三体』をちょこちょこみている、と早朝からすでに朝を2時間ほど過ごしたにもかかわらず書き始めたら昨晩より前に頭が戻った。朝らしさいっぱいの部屋なのに。昨晩もちょっとみた。『三体』は読もう読もうと思って読んでいないので何も知らないがこれはこれで面白い。すごいコンパクトにしちゃってるんでしょ。でも私はこれでいいや、みたいになってる。しかし、すごいね、原作も役者もゲームのことも知らない私みたいな人でもこのなんとなく知っている全く知らない世界を作り上げてしまうのだから。あ、しまった。こんなこと書きながら京都土産の「ほっこり餅」を食べてたらあっという間になくなってしまった。もっと味わって食べようと思ってたのに。この若菜屋さんのお菓子はほんと小さくてかわいい。ペタッ、モチッとした生地でニッキの香りほんのり。パクパクしちゃったけどニッキの味が残ってて美味しい。やっぱり知らない世界を知らないようにえがくって本当に難しいんだな、とまたドラマのことを思い浮かべてる。けど、味覚は「うん?何この味?」ってかなり新規性を感じるものがあるね。歯磨き粉とかも。この前、いつもと同じメーカーだからとあまり何も考えずに買った歯磨き粉が使い始めて何回かはいちいち「なんじゃこの味」となった。でも今は慣れてしまった。この最初の未知との遭遇の時間の短いこと。貴重。今年はもっとベルクソン勉強したいな。昨年、平井さんに問いを発したもののそれをしたことで自分が考えていたことにも疑問符がついた。この前のクドカンドラマはタイムマシンだったけどあれも既知である未知との遭遇だよね。そうそう、タイムマシンの物語って19世紀末までなかったそうですよ。アインシュタインの相対性理論が契機らしい、って何かで読んだ。でも記憶が意識されている以上、脳の中はいつもタイムマシン状態なわけだから「これタイムマシンものじゃない?」って今からなら思える物語はたくさんありそうですよね。神話とか。でも空間というか場所の移動、というのはかなり特殊な事態なのか、よく考えれば。一番そういう世界をたやすくこなしてるのは夢ですかね。昨晩、NHK Eテレで『夢判断』のことやってたけど立木康介さんの説明も面白かった。伊集院さんが指摘してたけどこんなこと自分でやってしまうフロイトやっぱり変だろう、と思いながら楽しくみた。しかし、なぜこの番組は岩波版の『夢解釈』ではなく古い訳を使ったかな。いろんな事情があるのかな。昨日はエイプリルフールだったけど「なにか嘘ついた?」という会話しかそれらしいことはしなかった。楽しい嘘ならつきたいもんだ。今日はどんな感じになるかな。良い一日になりますように。

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Netflix 写真 読書 音楽

ビヨンセ、中平卓馬。

パフェを食べた。美味しかったけど多すぎた。うーん。昨日は調子が狂った、というかすでに色々狂っているところにまた狂ったからもとに戻ってるかもしれない。もとはどこだ。昨日はビヨンセが渋谷タワーレコードにきたというのを聞いて最初に狂った。誰かが同じ空気を吸えるだけ幸せ、といっていたが私もそう思う。ライブじゃなくて『COWBOY CARTER』のプロモーション?Jay-Zも来てたって。Jay-Zのライブ?わからないけどビヨンセがあそこにきたのかあ。ゴージャス。そしてうっかりNetflixで「ドリームガールズ」を見てしまった。寝不足。「HOMECOMING」もまだみられるかな。みたい、とか言っている場合ではない。

 でもね、今、東京は見るべきものが多すぎて危険。元写真部の私には欠かせない写真展たちも。竹橋の東京国立近代美術館で開催中の『中平卓馬 火ー氾濫』展は彼がもと編集者で理論家であることもあって文字情報も多い。新聞も日記も小さい文字がびっしり。急性アルコール中毒で記憶の一部を失って以降の作品を後期とすると、写真それ自体の変化というよりこの展示の仕方を許容できるようになったんだ、というかむしろこの展示の仕方で保たれる何かがあるのか、など複雑な気持ちになった。ものをものとして撮るという点に関しては後期の方がもうどうしようもなくそうなっている印象を受けた。最近は女性の写真家たちも増えて私が高校の写真部の薄暗い部室で眺めていたそれこそ中平たちの時代の雑誌にはない世界が広がっているように感じる。生活に対する構えも違うのだろうか、と考えるが、その辺だとそれは男女差というよりもっと個別的な歴史の話かもしれない。

朴沙羅『記憶を語る、歴史を書く』も関連して思い浮かべた。多くの写真がマイノリティを映すということとも関わる。私は人の話を聞くという行為でそれをしていると思っている。朴沙羅さんのようにオーラル・ヒストリーをきく仕事の人もそうだろう。そのときにこの仕事を難しくしている自分の問題に直面することがある。そこで「健康」を保ち続けるには「スキル」がいる。私は精神分析を受けなければこれだけの語りと出会うことは難しかっただろう。聞き出すわけではない仕事だから。対象とどう出会えばいいのか、という苦闘を体験しやすい仕事だからいろんな歪みも出る。だからいろんな人と関わっておく必要がある。中平のいろんなエピソードがぽつぽつと思い浮かぶ中こう書いているが後期の不自然なくらいピカッとツルッとした展示に前期とのつながりがあろうがなかろうが同じ人間の作品であることに違いはない。そういう重みと私もどう向き合っていくのだろう。いろんなことを考えた。

さあ、もう行かねば。どうぞ良い1日を。