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精神分析、本

ジェンドリン『プロセスモデル』を読んでいた。

 

ユージン・T・ジェンドリンの『プロセスモデル 暗示性の哲学』(みすず書房)を読んでいた。ジェンドリンといえば来談者中心療法(Person-Centered Therapy)の創始者、カール・ロジャースの統合失調症に対する治療に関する研究であるウィスコンシン・プロジェクト(Wisconsin Project)のメンバーで、その後フォーカシング(focusing-oriented therapy)を開発した人。ウィーン生まれ、ナチスを逃れてアメリカへ移住、シカゴ大学で哲学のPh.D、その後ロジャースのいるウィスコンシン大学精神医学研究所へ。私が若い頃は村瀬孝雄先生とかまだ生きていらしたけど大体の臨床心理士は特定の治療技法の訓練システムに入るなら海外へいく必要があった(ABAだってそうだったから諦めたし)時代だったから日本で学ぶならその技法の「大家」と言われる人のセミナーに出たりという感じで、特定の技法というよりいろんな治療法を満遍なく取り入れていた牧歌的な時代だったと思う。CBTと精神分析の対立は一部ではあったみたいだけどどちらも日本でトレーニングを積んでいる人は少ない時代だったし(精神分析は今もだけど)私の学習環境や臨床環境は極めてのどかで恵まれていたと思う。今も当時の同僚は友達として助けてくれる。私にとってフォーカシングもそういう技法の一つだったのだけど村瀬孝雄の話を聞くために講演会に行ったらちょうど亡くなってしまってそれ以来フォーカシングは遠くに行ってしまった気がする。私は精神分析のトレーニングに入ったし、身近な友達もそれぞれ別の技法へ向かってフォーカシングを使った臨床をしている人がいなかった。あれから30年近く経って私が唯一ジェンドリンといえば日本では、ということで知っているのは末武康弘先生だけど今回の『プロセスモデル』は末武先生たちの翻訳。難しい本なはずなんだけど意外と読みやすく感じるし註が勉強になるしフロイトとかウィニコットとか出てくると嬉しい。

中身について書こうと思っていたのに思い出話を書いてしまったらまあいいかという気分だな。みすず書房のサイトとかをご覧くださいね。フォーカシングの背景をなすジェンドリンの哲学が詳細に書かれているから。私はもう技法としてフォーカシングを学ぶ余裕はないけれどどの技法もその技法がどうやって生じてきたかを学ぶことはこうやってしていくと思う。ジェンドリンは体験と体験過程(ing系が大事ということ)を分けてフェルトセンス、IOFI(instance of itself)という普遍原理を想定し意味創造プロセスを理論化しようとした人なのだと思う。それは人間だけではなく生命体全体の進化に関する心理学でもあった(雑すぎるので興味がある方は本をお読みくださいね)。インタラクションファーストであるのに言葉を持つゆえの不自由さを持つ人間の知覚以前の場を身体に見出してそこで暗示されているfelt meaningに触れていくことが新たな意味の想像へ繋がるという身体とシンボルの橋渡し的なことをジェンドリンは考えていたのかな、というのが私の単純な理解。とにかく知覚以前を「暗示性」という言葉で明示していきたいという感じ?そうそう、翻訳の副題「暗示性の哲学」なんだけど本文中では暗示はインプライとカタカナで表現されている箇所が多いのも印象的でした、とかいってパラパラ読みだからあくまで今のところの印象。

誰かのいっていることにはその背景があるって考えるのは普通だと思う。誰にでも個人の歴史を超えた歴史が備わっているわけだから。だから何というわけではないのだけどそういうこと考え出すとこっちではこんな苦しくてでも本当にそれはどうしようもなくて何をどうしたところで何かが終わることなんてないんだみたいな辛さに覆われてしまうときがある。大抵は目の前のことに追われているからそれに呑み込まれずにすんでいるけどそういうときに本がベストセラーになったりする学者とかそうでない人がラディカルな物言いしていると「あなたはご自身もそこに含まれているって覚えてらっしゃいますか」と言いたくなるし、逆に一方では「ただの言葉」であるそういう表現に対してその人の人生全部乗っかってないと嘘つきだみたいにいう人にも「あなたその人の誰ですか」って言いたくなる。なんで生活を共にしているわけでもない人に一貫性押し付けられなきゃいけないんだよ、しかもその一貫性って矛盾だらけのおまえのだろうが、と汚い言葉遣いで言いたくなったりね。人間って矛盾だらけだから苦しんで苦しんでそれでもなんとか生きてるんじゃん?と思わないですか?だからなんかもう本当に辛いけどなんとかやろうねくらいのちょっと思考停止したことしか言葉にできなかったりするわけです。たしかに言葉は頼りないよ、ドクタージェンドリン。でも新しい体験に開かれているはずだよね、人間も。完全に自分に都合のいい読み方をしている部分だけ書いてしまった。みんなはどうかな。今日はお休みですか?お休みの人もそうでない人もどうぞご無事で。体温調節も難しいけどお気をつけてお過ごしくださいね。