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精神分析

空海とか。

陽射しがなくはないけどまだ曇っている。早速肌がやられてるからこのくらいがいいな。

昨日、協会の仕事の前にちょっとカフェによって土居健郎選集を開いた。土居の甘えに対する執着はすごい。わざと執着と書いてみたがこれは執着でもこだわりでもないな。ふとひとつ向こうの席を見たら「空海」のデカい文字がみえた。空海の言語論を読んだばかりだったのでなんだか嬉しくなった。あの分厚いのは安藤礼二の空海だ。読んでいないが姿形だけは知っている。人間だって大体そうだろう。いいなあ、と思ったが私はしばらく精神分析以外の本であの分厚さの本を読む余裕はない。夏休みになったら読めるかも。もうずいぶん前になるが年末年始を高野山の宿坊で迎えたことがある。単に宿坊にとまっただけだったが早朝の朝勤行に無料で参加できた。足がとても冷たくて辛かったけど厳かなルーティンは興味深く、キョロキョロしたいのを我慢して参加した。宿坊のおもてなしのひとつひとつがとても丁寧でありがたかった。お食事もとても豪華だったがダラダラ食べるものでもないから2度ほど声かけされた。就寝時間も早く、食事が終わると二人のお坊さんがささっと素早く綺麗にお布団の準備をしてくれた。おおっ、と少し可笑しかった。きちっとした生活を一泊二日だけでもしたのはよきことだった。今は老化のために動きが遅くなったMacが原因不明でフリーズしたのも高野山だった。お正月の銀座のアップルストアでみてもらったが原因不明、時間が解決。結局寒すぎたのではないかということだったが真相やいかに。お互い歳をとったね。今度は雪ではない季節にいってみたい。高野山くらいの観光地だと雪でも歩ける道は確保されてるけどやっぱり自由度は下がるし、足腰が健康なうちにもう少し色々歩きたい。でも雪の高野山はそれはそれで静かで厳かで修行気分にはとてもよかった気もするな。空海の話はどこへ。カフェで『空海』を見かけて今流行ってるのかなと思ったけど、空海ってずっと流行ってるといえば流行ってると思う。最澄よりずっとイメージがいいのは多分「日本の歴史」の漫画のせい。空海は中国語も早くから喋れたというしサンスクリット語もあっという間にマスターしたという。母語は日本語だが当時はまだ今のような日本語のシステムは確立されていない。そのような多様な言語環境で考え、書かれたテキストが『声字実相義』だ。今も空海について書いたり読んだりする人がたくさんいるのも言語という根本的なものに対する関心が失われていないからだろう。SNSなどではその力は相当弱まっていると感じるが。そして仏教。あらかじめ無を想定しつつその実相を顕にすること。言葉というものを考えざるを得ないのは宗教が先なのか?勉強しないとよくわからないが。そういえば先日、空海も修行したという広島は宮島の大聖院の霊火堂が全焼した。山火事、神社仏閣の火災が続いているが、燃え盛る日の前に呆然と立ち尽くす人を思いつつ、実景を言葉にしていくことが必要なのだろうと思う。

ソニー・ロリンズが死んだ。高校時代、隠れて聴いたのがマイルス・デイビスで、ほぼ同時にソニー・ロリンズを知った。思い出をかけばキリがない。幸せな人生であったことを願う。