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精神分析、本

1月7日(日)朝

急に空が明るくなった気がした。ブラインドやカーテンの隙間から覗いている空はまだ暗い。目線をずらしたときに部屋の明かりが揺れて空の光と錯覚したのだろう。昨年からますます目が見えにくくなり世界の光を瞬時に捉えることができなくなったように感じる。視力にあった老眼鏡に作り直したが改善した気もしない。本を読むのも異様に疲れるのでそんなに読んでいない。専門書は難しくて同じ箇所を何度も読むことになるので目がよかったときとスピードはそんなに変わらないけど疲れる。今、私の左腕の向こうに積み上がっているのは『対象関係論の基礎 クライニアン・クラシックス』『転移分析』などなど。全て何度か目を通しているはずの本だが何度読んでも同じようなスピード。理解が深まれば深まるほど疑問も生じてくるからそうならざるを得ないのだろう。

私が所属する日本精神分析協会(JPS)は国際精神分析協(IPA)のthe Asia Pacific regionの一つだ。先日、Asia Pacificとはということでウィキペディアを見ていたのだがそんなに明確な区分がなされているわけではなさそう。環太平洋(パシフィック・リム)の方がすっきり。「パシフィック・リム」って映画があったけどみていない。菊地凛子が出ている映画。菊地凛子は今朝ドラにも出てるでしょう。数回見たけどつけまつげがすごく似合う。趣里の演技がすごく可愛らしくて切なくて単発でみても泣いてしまう。

ここまで書いて放置してしまった。何を書こうとしたのだったか・・・。まあよい。今日もがんばろう。

そうだ、と思い出したけど大したことではない。アジア太平洋とか環太平洋みたいな集合体としての地域概念は単に地理的な分類ではないのだろうけどIPAの場合はまだ地理的分類という感じがする。というのはこの分類自体新しいからそこが集合体としてどう機能する必要があるかの模索はこれからなのかもしれない、とか考え出すと終わりのない議論になりそうな論点ばかり見えてくるけど「違いこそ強み」と言えるかどうかだろうか。私はあまりそういうポジティブさはないなあ。違いは当たり前とは思うけど。違うもので集合体を作ったら当然そこに類似点と相違点を見出す動きが起きるだろうけどその分類には個人の欲望が見え隠れするわけでしょう。するとその個人とやらをどこまで広げておくかが重要になるわけで個人的には(ややこしや)自分の子供が大人になる頃(今は30代半ばくらい?)までの未来なら具体的に想像できるかもよ、と思っていて、曖昧に「子供たちのため」「未来のため」とかいうより、その辺までの未来をいろんなデータをもとにシミュレーションしつつ現在のあり方について考えるというのができることのひとつかなあとか思ったりしている。

2007年に三省堂から出た『世界言語のなかの日本語 日本語系統論の新たな地平』という本があって環太平洋という視野を持って言語の成立と変遷を眺めてみる試みがなされている。日本語の系統問題はそれまで正しいとされてきた学説が間違っていたとわかったことでどこにもいけなくなってしまったみたいなんだよね。今までそうだと思っていたものを間違っていたと認めるだけでも大変だろうし新たな視点を持ち込むことは至難の業だと思うけどこの本は環太平洋という視点を持ち込んだらこう考えられるのでは、ということを書いている。日本語の場合だったら「環日本海」という視野を維持しつつということでもある。何を考えるにしても狭めたり広げたり行ったり来たりして大変だよね。迷ってばかり。といっても自分が生きているうちに行けるところは具体的にも抽象的にも限られているわけだからとりあえず今日、とりあえず明日、でもやっぱり昨日も、とかウロウロしながらやるのも悪くないってことね、多分。