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精神分析

精神分析と絶滅

吉川浩満『増補新版 理不尽な進化ー遺伝子と運のあいだ』(2021,ちくま文庫)を読んでいると「グールドよかったね」と親戚でもなんでもないのに思う。

語られること、読まれることで生き続ける、という意味ではグールドのような登場人物だけでなく、作者も作品もそうかもしれない。当人が願っているかどうかはともかく(むしろ大きなお世話である可能性すらあるがこれはこれで読者の営みなのでご容赦を)。


吉川さんがこの本で最初に登場させるラウプの3つのシナリオでもっとも有力と思われるシナリオ=「理不尽な絶滅」。詳細はぜひ本書をお読みいただきたいが、ここでは例によって「絶滅」から「精神分析」をちょっとだけ考える。自分に引き寄せて読む悪い癖だけど癖はなかなか直らない。

精神分析は語ってくれる人を持ちづらい誰かが自由連想を試み、治療者がそれを受け取ろうとする試みを続ける限りは生き残るだろう、と私は思っている。

精神分析を絶滅危惧種という人もいるし、実際そうなのかもしれない。が、精神分析そのものは特に実体ではないので、絶滅しようもないのでは、とも思う。もとよりそんな大きな集団でもない。

誰かに向けて自分を語る、その行為がなくならない限りはこの営みもまた細々と続いていくのではないだろうか。

それにしても、精神分析がどうというより、誰かに向けて自分を語ること、その場所が保たれること、この状況下ではまずはそれを願うべきかもしれない、とも今思った。