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ダナの本、アンドレ・グリーンの論文

早朝だけど、もう、少し蒸し暑い。沖縄県知事選挙で起きていることがあまりにひどすぎてずっとニュースを追っていた。今朝はなんとなく美ら海水族館で買ったクジラのTシャツを着た。

昨日はアンドレ・グリーンを読むセミナーだった。グリーンの論文に慣れてきたせいか、ウトウトしても追いつくのが早くなった気がする。

週末は精神分析における時間論に関する論文を色々読んだ。

ひとつはダナ・バークステッドーブリーンの‟The Work of Psychoanalysis: Sexuality, Time and the Psychoanalytic Mind” (2016.Routledge)これはグループで原著を読んでいる間に邦訳がでた。『精神分析の仕事-セクシュアリティ,時間,精神分析のこころ』ダナ・バークステッド-ブリーン 著/松木邦裕,富田悠生 監訳(2025、金剛出版)である。出版社が「解題」を公開している。目次はこんな感じ。

Acknowledgements xv
Introduction 1
Chapter 1 Setting the Scene 11
Chapter 2 Modalities of Thought and Sexual Identity 49
Chapter 3 The Feminine and Unconscious Representation of Femininity, a Duality at the Heart of Femininity 69
Chapter 4 Sexuality in the Consulting Room 83
Chapter 5 Bulimia and Anorexia Nervosa in the Transference 101(この章だけ邦訳されていない)
Chapter 6 Phallus, Penis and Mental Space 126
Chapter 7 Time and the Après-Coup 139
Chapter 8 The Work of Interpretation 158
Chapter 9 Reverberation Time, Dreaming and the Capacity to Dream 173
Chapter 10 Taking Time, the Tempo of Psychoanalysis 192
Chapter 11 Bi-ocularity, the Functioning Mind of the Psychoanalyst 213
Chapter 12 Termination in Process 231
Bibliography

監訳者まえがき:松木邦裕
イントロダクション
第1章 場面を設定すること
第2章 思考と性的アイデンティティの様相
第3章 女性性と女性性の無意識的表象,女性性の中核にある二重性
第4章 面接室でのセクシュアリティ
第5章 ファルス,ペニス,心的空間
第6章 時間とアプレ・クー
第7章 解釈の作業
第8章 反響時間,夢見ること,夢見る能力
第9章 時間をかけること,精神分析のテンポ
第10章 双‐眼性,精神分析家の機能するこころ
第11章 進行中の終結
文献
解題:富田悠生
索引

週末に読んだのは日本語訳だと第9章「時間をかけること、精神分析のテンポ」。原著だとChapter 10 Taking Time, the Tempo of Psychoanalysis。これについては昨日簡単に書いた。

翌日、アンドレ・グリーンの論文を少し予習しておこうとGreen, A. (1987) LA CAPACITÉ DE RÊVERIE ET LE MYTHE ÉTIOLOGIQUE. Revue française de psychanalyse 51:1299-1315をメンバーが訳してくれた邦訳を英訳と合わせて読んだ。英訳は”The Freudian Matrix of ​André Green Towards a Psychoanalysis for the Twenty-First Century”By Howard B. Levine(2023,Routledge)に収められているChapter4 The capacity for reverie and the etiological myth。この本については以前ほんの少し紹介した。

この論文のアブストラクトを訳すとこんな感じ。おかしいなと思ったら原著の内容紹介でご確認を。

「本論文は、ウィルフレッド・ビオン――グリーンがとりわけ好んだ思想家の一人――について、その象徴化の理論と母親のもの思い(maternal reverie)、そしてそれが分析技法の概念化にもたらす帰結をめぐって、個人的かつ批判的で創造的な読解を提示するものである。

グリーンは、心的発達についてのいかなる著者の見方にも、その一般的な帰結として一つの「病因論的神話(etiological myth)」があり、それが「臨床的機能についての暗黙の理論モデル(implicit theoretical model of clinical functioning)」の根底にある、と提唱する。

ビオンが母親のもの思いを特権的な位置に置いたことを弁証法的に補完しようと、グリーンは、分析家の心的作業を拡張し豊かにするものとして、父親のもの思い(reverie of the father)について考察する。

そしてある臨床ヴィネットに基づき、分析過程の主要な次元として、構成(construction)と歴史化(historization)の作業を展開している。」

まさに読んだばかりのダナの論文とつながっている、ラッキーと思いながら読んだ。

歴史化historizationとは、過去を想起し、正しい歴史を再現することではない。グリーンは、なぜ精神分析には構成construction が必要なのかを考えている。これは、ダナの論文に出てきた、分析家が即時的な反応を差し控えることで duration(持続・時間的な間隔) が生じる、という議論と並べて考えることもできなくはない。分析家の reverie は、まだ歴史になっていないものが歴史になりうるための時間をつくる働きでもあるのだろう。

ウトウトして途中までしか読めなかったが、とりあえずセミナーの時間になったので会場に向かって訳を担当してくれた人の声に耳を傾け始めると、さっきまで私が読んでいた論文と違うではないか!ビオンの『精神分析の方法』も持ち歩いていたのに。確認したら、なんと、私は2025年10月のセミナーの資料を読んでいた。最近、本当にこういうことが多い。今は2025年でもなければ、まだ10月でもない。私の中の時間はいったいどうなっているのだ。しかも、ってことは、一度読んでるってことではないか。全然覚えていなかった。これで実は自分が担当したやつだったらどうしよう・・・と思うけど、怖いから確認しない。

予習すべきだったのは、英訳が‟Contemporary Psychoanalytic Practice”の第3章に入っているIssues of interpretation: Conjectures on construction。これも「構成」の話だったし、ダナの話とつながりが深かったからよかったけど、私の時間、私の記憶、どんなふうにいったりきたりしてしまっているのか。早くも加齢によるあれか。なんとかこのくらいでふみとどまってほしい。

今日はボラスの書誌情報を書こうと思ったのにもう時間がない。東京は暑くなりそう。どうぞ良い一日をお過ごしください。

箱根のお土産!
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ダナ・バークステッドーブリーン「時間をかけること、精神分析のテンポ」を読んだり。

今日は久しぶりに晴れるらしい@東京。早朝はまだ少し降ってように思ったけどぼんやりした頭で窓を開けて眺めたからそんな気がしたのかもしれない。でもまだ曇っている。

風邪気味かも、と昨日感じた不調はすでに治っているのにごろごろしていたからすでに時間がない。すでにすでに。

ダナ・バークステッドーブリーン『精神分析の仕事』の第9章「時間をかけること、精神分析のテンポ」を女性の精神分析家グループで読んだ。数か月に一度集まるが、その数か月があっという間にすぎる。でも現在はそう簡単に過去にはならない、というか、時間はそんな直線的ではない。ベルクソンもそういっているが、ダナがこの本で展開しているのも精神分析における時間論だ。

ダナは、ベルクソンのいう「持続」ではなく、「こころの状態は即座の反応を差し控え、結果として[時間]の持続を意味する」(邦訳185頁)といった。この「持続」はdurationである。 時計は先に進み、時間は失われていくようにみえる。しかし、分析の仕事は時間を生じさせる。現在をただちに過去に送り出したりしない。なぜなら時間は宙づりに出来るから。フロイトが「平等に漂う注意」といったように。分析の仕事は、現在において過去を思い出させることではない。現在においていまだ過去になっていないものが生じる場をつくることである、というのは私の解釈。むろん、フロイトの場合、宙づりにされるのは直接には「時間」ではなく、何かを選択し、意味づけ、判断してしまう分析家の「注意」だが。

昨晩、読んだ章では、ビオンの「もの思いreverie」のなかに時間性temporalityあるいはテンポtempoを見出しながら、精神分析家がとるべき時間に対する態度が検討されていた。症例も二つあった。temporality は構造寄り、tempo は分析の場で実際に経験される速さ・間・リズムなど具体的な臨床状況寄りなのだろう。抽象的な時間論を、精神分析状況において具体的思考が象徴的思考に変形されるプロセスとともに示す論文だった。ダナはめちゃくちゃ博識だから、ここから展開できそうな種まきもいっぱいしてくれているように思う。

関連してスカルフォン(Dominique Scarfone)のL’impassé, actualité de l’inconscient について書きたいが時間がないのでまた今度。今日は一日、精神分析における時間性について考える機会になりそう。どうぞよい一日をお過ごしください。

小雨に濡れつつ。
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強風、Dana Birksted-Breenの本、「クライン派用語事典」

西側の窓はまだ暗い。ブラインドが時折風でカタカタいう音が少し大きいので布で対処。少し風が強い。台風22号の影響か。伊豆諸島7町村に暴風・波浪の特別警報が出ているとのこと。建物が揺れるくらいの風だという。眠るのも大変だったかもしれない。被害が出ませんように。

学会前なので教える側として出版情報をチェックしているが、自分の勉強をしなくてはならないし(大体英語の論文を読む作業)ここ数年、翻訳情報にも非常に疎いので既に翻訳が出ているのかどうかもパッと出てこない。

The Work of Psychoanalysis Sexuality, Time and the Psychoanalytic Mind By Dana Birksted-Breenの翻訳が出るのはいいことだと思う。女性の精神分析家たちで原著を読んでいるが翻訳があれば助かる。Dana Birksted-Breenは1946年生まれ、2024年1月に亡くなった。The International Journal of Psychoanalysisの編集長を2007年から2022年まで長く務めたDanaの論文のリストはこちら。国際色豊かな言葉の持ち主であることは明確で、今回翻訳された本を読めばそのワールドワイドな知識にも圧倒される。

『精神分析の仕事 セクシュアリティ,時間,精神分析のこころ』 ダナ・バークステッド-ブリーン 著/松木邦裕,富田悠生監訳(金剛出版,2025)

Bulimia and anorexia nervosa in the transference以外の全訳である。この章のアブストラクトならこちらで読める。秀逸な臨床論文だと思う。私は、引用文献を探すためにDanaの仕事を参照する、ということをしている。 精神分析に向けられてきた批判を十分に意識した書き方も勉強になる。

批判といえばR.D.HinshelwoodのA Dictionary of Kleinian Thought(1991)は第二版で1989年の第一版への批判を受けて改訂された。2014年に衣笠隆幸総監訳で『クライン派用語事典』(誠信書房,2014)として全訳されている。第1版への批判は第二版へのまえがきに書いてある。その主なものの一つは「死の本能」と「羨望」のある側面について、もう一つは、ベティ・ジョセフに関連した最近の技法の発展について、ということでその内容が書いてある。

ヒンシェルウッドのこの第二版はクライン派の中心的な13の概念がエントリー。技法、無意識的幻想、攻撃性、サディズムおよび要素本能、エディプス・コンプレックス、内的対象、女性性段階、超自我、早期不安状況、原始的防衛機制、抑うつポジション、妄想分裂ポジション、羨望、投影性同一視。各見出しに定義と関係論文の年表がついている。この第二版では引用文献も1987年から1989年までのものに更新されている。

そしてこの事典のさらなるアップデート版がE.B.スピリウス版 The New Dictionary of Kleinian Thought(2011,Routledge).こちらは多分まだ翻訳されていないと思う。この第二版が翻訳された時点で既に出版されていたことは衣笠先生の総監訳者あとがきを読むとわかる。衣笠先生によるとこちらは「より整備された構成と記述からなっているが、やや教科書的で個性のないものに改訂されている」とのこと。原著で確認すると、こちらは無意識的幻想、子供の分析、内的対象、妄想分裂ポジション、抑うつポジション、エディプスコンプレックス、投影同一化、超自我、羨望、象徴形成Symbol-formation、病理的組織化Pathological organizations、で最後に技法というエントリー。クライン派関連文献はこちらも1989年まで。1989年だけみてもブリトン、フェルドマン、ヒンシェルウッド、スタイナー、ジョセフ、メルツァー、オーショーネシー、サンドラーなど重要文献がたくさん出版されている。

とまあ、事典、辞典、辞書は大事ですよね。ヒンシェルウッドが書いているようにクライン派の概念はフロイト派の思考の中から生じているからその枠組みを理解することが必要だし、そういうのを整理してくれることのありがたみをすごく感じる。ヒンシェルウッドがこの事典以上に説明が必要な人にはラプランシュとポンタリスの『精神分析用語辞典』とライクロフトの『精神分析学辞典』をお勧めすることしかできないと書いているけど、この二冊も必携と思う。私は若いときに古本で半額とかで入手したような気がする。学問としての精神分析を大切に思う人は信頼できる辞典に何度も立ち返りながら勉強を続けていってほしい。お互いがんばろう。

窓の外で時折、風がうねる音がする。都心はどうなるのだろう。どの地域にも早く平穏が訪れますように。どうぞお気をつけてお過ごしください。