2026年5月4日に配信されたIPA Podcast Talks On Psychoanalysisを聞いた。このポッドキャストは補足用のテキストがあってご本人がそれを読み上げてくれるのがいい。声が持つ情報って多い。
この回はスペインのマドリードで開業しているマドリード精神分析協会(APM)の訓練分析家、Dr.アリエル・リベルマン(Ariel Liberman)のお話。題はPsychic change and enactment:some reflections。
リベルマンはAPMでさまざまな要職を歴任。複数の論文を執筆しているほか、2冊の著書、“An Introduction to the Work of D.W. Winnicott”(2011)および “Conversations on Psychoanalysis with Stephen A. Mitchell”(2022)を出版とのこと。
論文と関係ないがフロイトの著作が全集として最初に訳されたのがスペインだそう。翻訳者はスペインのドイツ文学研究者のLuis López-Ballesteros。フロイトからの手紙はFreud, S. (1923) Letter to Señtor Luis Lopez-Ballesteros Y De Torres. The Standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud 19:289/RSE 19, Page 295
先日、Early Women Psychoanalysts: History, Biography, and Contemporary Relevance(Klara Naszkowska編、2024、Routledge)のことを少し書いた。精神分析のパイオニアであるにもかかわらずその貢献が語られてこなかった女性たちに関する本である。海外文献紹介の依頼をうけているのでこの本だったらすぐに書けたかもとあとから思った。それはともかく、精神分析家にいくら女性が増えていようと女性の地位が向上したわけではないのは日々のニュースから明らかなので、自分が生きる道を切り開いてきてくれた先人たちのことを知り、語り継ぐことは大事だと思う。
特に第4部のBeyond the Holocaustが印象深いと書いたが、そこには若くして自殺したふたりの女性精神分析家が登場する。ひとりはワルシャワの裕福で愛国的な家庭に生まれたポーランド系ユダヤ人のEugenia Sokolnicka。彼女の母は女性による愛国運動の著名な活動家であり、逮捕をされたこともあるが、ポーランド独立後には国葬に準ずる盛大な葬儀をもって追悼された人だという(Geissmann & Geissmann, 1998)。一方、ソコルニツカは当時のロシア帝国支配下のポーランドにおける女性への制限のため、大学への進学を許されなかった。
しかし、ソコルニツカは Sigmund Freud や Sándor Ferencziの分析を受け、lay analystとして活躍の場を広げていく。彼女に関する彼らのやりとりも興味深いというかなんなんだ、という感じはするが、フランスの精神分析に貢献したソコルニツカの名が Marie Bonaparteの登場によって、フロイトと同僚たちとの往復書簡から徐々に姿を消していったという記述は切ない。これだけみても女性分析家としての立場の弱さを感じるが、マリー・ボナパルトの登場は象徴的な例であり、男性中心社会における女の使用、権力構造のありようはどこでもなにも変わっていないのだろう。それに加えてヨーロッパの社会政治的状況、具体的にはユダヤ人に迫りくるヒトラーの脅威、様々な歴史的文脈があるにせよなんにせよ、彼女は1934年5月19日、58歳でソコルニツカはガス中毒によって自ら命を絶った。
ソコルニツカの死に際して、彼女の元被分析者であり生涯の友人であった小児科医・精神分析家の Édouard Pichon は、フランスへのフロイト理論の導入と精神分析家養成におけるソコルニツカの功績を公に認め「彼女は医学の学位を持ってはいなかったが、未来の精神分析家を養成できる唯一の人物であった。」と述べている。
2年ほど前にここでも書いたがKlara Naszkowska編集のEarly Women Psychoanalysts: History, Biography, and Contemporary Relevanceはその観点からみてもいい本だと思う。
各章はBeyond Wife, Lover, Muse、Beyond Psychoanalyst、Beyond the Homeland、Beyond the Holocaustと「Beyond〜」のどれかに収められており、それぞれの章の著者は、精神分析家だけではなく、歴史家、ジェンダー研究者、文学研究者、ユダヤ研究者もいる。
この本は、特定の観点からしか語られてこなかった、あるいは語ることさえされなくなった女性たちを、既存の物語を超え、アイデンティティを超え、その枠組みの向こう側から読み直すものといえるだろう。なかでも第4部のBeyond the Holocaustの各章は印象深い。これらの章は女性分析家の語られなかった側面を語るだけでなく、精神分析を記憶、亡命、思考の歴史として読み直す視点を提供してくれる。彼女たちの体験とそれを語ろうとする言葉たちは胸に迫るものがあり、思考を促さあれる。Taking CureとかけたThinking Cureというタイトルも彼女たちの歴史の延長上で私も精神分析家になったことを思うとより集団的な態度として有効であるように感じた。
私が土居健郎の「甘え」について考えるとき、同時にアンドレ・グリーンのネガティブ、そしてウィニコットの鏡役割についても考えている。たとえばContemporary Psychoanalytic Practice(2025, French Psychoanalysis: Contemporary Voices, Classical Texts series)のThe enigma of guilt and the mystery of shameの以下の部分は「甘え」の説明になりうる。訳はいつも通り間違いがあるかもしれないので参照する場合は必ず原著を。
誰かと親密になることを対人関係の目的にする必要はないと思うけど、回避しつづける関係はそれはそれでいいけど、親密になるならお互いを思いあえる関係の方がいいだろう。傷つけあうことを快楽とする場合もあるが、それも単純なものではない。自分が人にどういう態度をとっているかは怒りの表現でわかることが多い。怒りは結構自覚しにくく衝動的に表出されやすいものなのでそれが関係を一気に変えることはすごくありうる。多くの人が経験済みだろう。出せば伝わるものではないのがメッセージであり、子供と大人のコニュニケーションともなればなおさらだ。フランスの精神分析家ラプランシュは以下のようなことを言っている。今ラプランシュが手元にないのでAnat Tzur Mahalelの Routledge, History of PsychoanalysisシリーズのReading Freud’s Patients: Memoir, Narrative and the Analysandから孫引きしたのを訳してみる。
Blass, R. B. (2024). What’s in a word? A brief reflection on why the understanding of Freud is not changed by replacing the word “instinct” with “drive” and the importance of reading in context. The International Journal of Psychoanalysis, 105(5), 757–765.
今年度はDominique Scarfoneの論文を少しずつ読んでいる。2021年4月にIPAのポッドキャストTalks On Psychoanalysisにも登場していた。このポッドキャストはテキストのリンクが載っているのでそれを読みながら聞くことができて助かる。論文The time before usの短縮版とのこと。副題はThe Unpast W. S. Merwin、Walter Benjamin、Virginia Woolfを召喚しての精神分析的時間論。先日読んだダナの論文と重なり合う。短縮版は最初にノーベル賞作家のフォークナーの有名な文章が引用されている。
夜は分析家同士の読書会だった。何度読んでも内容を覚えられないのも困るけど、興味をひかれて一生懸命調べた相手のことを忘れてしまうのも困る。昨日、忘れていたのはHaydée Faimbergというパリでプライベートプラクティスをしているパリ分析協会の訓練分析家。SNSをメモ機能として使っているので検索してみたら昨年3月に彼女の論文をアンドレ・グリーンとトーマス・オグデンの論文と一緒に良きものとしてポストしていた。結局全部ウィニコット関連。ナルシシズムにおけるtemporality、symbolization、subjectivationの文脈で差異の認識の発生と伝達について考えていたらしい。Macにも部分的に翻訳したものが入っていた。ここまでやってどうして忘れるのか、といえば使用していないからだろう。書き物や発表で引用すれば忘れる頻度はかなり下がるはず。すごく雑ながら訳したのはFaimberg, H. (2014) The Paternal Function in Winnicott: The Psychoanalytical Frame. International Journal of Psychoanalysis 95:629-640とメモしておかないとまた忘れる。このブログもほぼ備忘録。忘れる力はこんなにいらないのにな。たぶん、なにかで引用しようと思って訳したのだろうけど結局使わなかったからこんな我が家の放っておかれ花壇みたいな雑さで保存されていたのね。我が家の花壇の春菊は次々にかわいい花を咲かせるのはいいけど茎がたくましすぎてほかの植物を圧迫しつつある。どうにかせねば。
最近、チェックしていたカナダの精神分析家、Dominique ScarfoneのFrom traces to signs: presenting and representing をセミナーで取り上げてもらえるみたいで嬉しい。ScarfoneがHoward B. Levine, Gail S. Reedと共に編者をつとめた“Unrepresented States and the Construction of Meaning”という本に入っている。ScarfoneはSociété psychanalytique de Montréalの訓練分析家。実践からはもう引退しているとのことで残念。ラプランシュによってフロイトに立ちかえり、その方法を再検討し、ラプランシュの考えもさらに展開させた本も書いている。『Laplanche』(2014)『The Unpast』(2015)『The Reality of the Message: Psychoanalysis in the Wake of Jean Laplanche』(2023)がその主な成果。主な関心は、心的機能における時間次元に関する概念的研究ということで私にとってはすごく読む必要がありそう、と思ってチェックしていた。
セミナーは『ウィニコットとラカンに学ぶ』(ルイス・A・カーシュナー編著 · 筒井 亮太訳)に入っているアンドレ・グリーンの「現代の精神分析の分岐」が前半、後半は同じくグリーンの「Illusions and Disillusions of Psychoanalytic Work」にFernando Urribarriが寄せたPostscript、Clinical passion,complex thinking,towards the psychoanalysis of the futureを読んだ。これらは精神分析の世界でグリーンがどういう場所でどういう理論を展開してきたかをおさらいするにはいいのだけどグリーンの学術論文を読むのと比べたら退屈だった。フロイトやグリーンは精読しながら彼らの思考を追うのが楽しい。わかるわからないの世界と離れている時間は楽しい。事例検討会普通のわかるわからないの世界にいたら感じられないことの方が多いのでグループでやるのは楽しい。