それにしても朝は目が見えない。週末、いろんな友人と老眼の話をした。付き合いが長いとお互い目がよかったこととか元々悪かったこととか色々知っているし老いのあれこれを実感を持って語ることが増えるのか。若い頃には知らなかったな。いつもお世話になってきた先生に講演会で思い出話をしたといったら「そういう年齢に」と言われ、まさに私が言いたかったのはそこなので笑った。こんななのに思い出話するようになっちゃったよ、と少しおかしい。東畑さんとか私から見たら若い心理士たちのいっていることとかに触れたときに世代差を実感した。「先生の時代は」とか言われることも増えた。「はいすくーる落書」の話が通じた同世代は THE BLUE HEARTSのTRAIN-TRAINがそこから出てきたのを知っているかどうかだよな、みたいなことを言っていて面白かった。その頃の尾崎豊について同世代と少し下の世代の実感が異なるのも興味深かった。私は尾崎が死んだ日のニュースを寮で同じ歳の子たちと見たのでその日の異様な雰囲気を覚えている。泣いている子たちもいた。週末の講演のためのメモは私が影響を受けてきたというよりは通り抜けてきたテレビや本のことが多かったがそれらはほとんど使わなかった。薬物の観点からも時代の話はできる。歴史というのは面白いのだ、なんて実感もここ10年くらいの間に生まれた。老いると自分語りが増えるのは仕方ないことなんだな。そうそう、週末、学術大会ですごく久しぶりに揃った昔の職場の先輩たちと当時、嘱託でいらしていた元管理職の教職のみなさんがいかに体力があったかということも話した。私たちはまだその先生たちの年齢においつていないけど、すでにあんな元気はないことは確定している。
This transformation of unity into ‘three-ness’ coincides with the transformation of the mother-infant unit into mother, infant and observer of mother-and-infant as three distinct entities.
これはオグデンの本の一節だけどどの本だかメモしておくのを忘れてしまった。
ウィニコットのこれもいい。
From now on the subject says: ‘Hullo object!’ ‘I destroyed you.’ ‘I love you.’ ‘You have value for me because of your survival of my destruction of you.’ ‘While I am loving you I am all the time destroying you in (unconscious) fantasy.’
–The Use of an Object and Relating Through Identications Donald W. Winnicott
「歴史は過去とは違う」by オグデン。これも基礎的な認識として大事。
History is a creation reflecting our conscious and unconscious memory of, our personal and collective rendering of, our distortions of, our interpretations of, the past. –Ogden, T.H. Matrix of the Mind
昨晩、クリス・モーソン編の『W・R・ビオンの三論文』(岩崎学術出版社)を読んでいた。原著は“Three Papers of W.R. Bion” Edited by Chris Mawson, Routledge, 2018.。翻訳は福本修先生。各論文に編者であるクリス・モーソンの「編集後記」がついている。これが大変興味深い。クリス・モーソンは『W・R・ビオン全集』の編者でもある。福本先生の補遺も「あとがきに代えて」ということでついている。ビオンもだいぶ読み慣れたせいか、そんな新しいことが書いてあるとは思わなくなった。身近な先生のお話を繰り返し聞いている感じ。これは講演録で、原稿なしでビオンが話したものを書き起こしたもの。話すことと書くことの違いはすごくあると思う。講演や講義でのビオンはどっか苛立っているようでもあり、なんかイキイキしていていて好き。キーツのNegative capabilityがかなりしっかり取り上げられているからビオンのこれを引用する人は絶対読むといいよ。『注意と解釈』と一緒に。三論文の方はコンパクトな本ですぐに読めるし、なんて20年前は全然思わなかったと思う。意味がわからないままみんなでうちで読み合わせとかした。その後たくさん解説書も訳されたし、今は本当になんでも学びやすい状況でいい。一方、というわけでもないが、ラファエル・E, ロベス・コルボの『ビオン事典』(金剛出版)は使いづらい。事典なのに索引がない。これ原著からそうなのかなあ。翻訳されたものをあいうえお順で並べているわけだから英語つきの索引は欲しかったなあ。索引ないからパラパラめくっていたら「原始ー現実対象」Prote-real objectの項目に「生気あるものと生気ないものとの違い」p95を参照と書いてあった。これ一つの項目になっているんだ、と思ってパラパラ。142ページに登場。ビオンのAnimateを「生気あるもの」と訳しているのね。ウィニコットのAlivenessとはだいぶ違う。こうやって使用しながら自分で索引作っていくのがいいかもしれない。
女の精神分析家たちで女の精神分析家の本を読む会のために一つ論文を読んだ。今読んでいるのはDana Birksted-Breen “The Work of Psychoanalysis Sexuality, Time and the Psychoanalytic Mind”。今回はその第5章、Bulimia and anorexia nervosa in the transference。摂食障害の治療は非常に難しいとされるがこの章で取り上げられる事例のひとつは非常に詳細にそのプロセスが書かれ、摂食障害の治療に特有な転移関係の展開と関わりを示す努力がされている。今回、少し参照されていたH.ローゼンフェルとの「ギャング」と「マフィア」という言葉で示される破壊的で万能的なナルシシズムの心的構造は摂食障害に限らず大変有効だと思う。
昨晩、瀬尾まいこの『その扉をたたく音』に出てくるGreen Dayの曲を聴いていたら、さっきネットでGreen DayがHollywood Walk of Fameの星をGETと出ていた。まだGETしていなかったんだねえ。おめでとう。私にとってGreen Dayは若いバンドで少し下の世代の男の子たちがバンドでやっていたと思う。彼らももう大ベテラン。若いバンドというのは彼らの音楽自体にそう感じてきたからというのもあるかもしれない。瀬尾まいこのこの小説はいろんな曲が登場するのも楽しくて懐かしくて関わることの良さと切なさを感じて泣いてしまう。実際はこんなこと、なんて小説に思う必要なし。小説ってそういうものだし関わりの要素でいったら実際にこういうものはあるのだから。別の文脈でちょうど『そして、バトンは渡された』も話題になっていたし瀬尾まいこを一気するのもいいのではないか。他人の生活にあれこれ首突っ込んだところで事実なんてわからないし似たような言葉しかやりとりされないけど小説は豊かに気持ちが動くよ。