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精神分析

いつのまにか、とか。

空。冬っぽさを感じないのは暖かい場所にいるから?凍てつくような雲がないから?微妙に色が変わっていくのがきれい。いつのまにかピンクがかってくるのも素敵。

いつのまにか。いろんなことはそうなんだと思う。

昨日は今年度最後のグループをひとつ終えた。初回面接を検討するグループ。もうひとつ同じグループを異なるメンバーで持っているがいつのまにか良いグループになったと思う。サポーティブというのは何か技法があるわけではなく、それぞれが自分のしていることについて他の人の意見をもらいながら、それを取り入れられないならなんで、あまりに素直に取り入れてしまうならそれはそれでなんで、この人が言うと腑に落ちるけどこの人が言うとなんかイラつくのはなんで、とモヤモヤしながらそのうち「ああ」と気づく。そういういつのまにかが起こるような相互関係をサポーティブというのであってどちらかの工夫をいうものではないだろうと私は思っている。そういう意味でサポーティブな良いグループになったと思う。2時間、メンバーの一人の初回面接を検討して「ああ、私、この患者さんのお父さんとか周りの人と同じことしてる」と気付くにいたり、そこからその人自身がどのような無意識的努力を重ねて生きてきたか、そこにどんな環境との相互作用があったかなどを知り「ああ、それでこの主訴なんだな」と理解し、それを伝え共有しできることがあればそれを提案し契約が成立するなら次のステップへ、という流れだろうか。今、ざっと書いているだけだけどある程度きちんと書いた文章は私のオフィスのWebサイトをご参照くださいませ。妙木浩之先生の本などからまとめています。いつ書いたか記録しておけばよかったな。見直して更新した方がいい部分もあるかもしれない。どうも私はそういう履歴やせっかく教えてもらったりして学んだ方法を活かすのが下手すぎる。これは私が「いつのまにか」を怠惰の言い訳として使っているからだと自覚している。私みたいにここまでこういうことが下手な人はしっかり定着するように意識せねばならない。本当にできないことはどんなに頑張ってもできないけど一度できたなら定着の可能性はなくはないのだから習慣化せねば、と思うのだけどね、とナマケモノさんが顔を出す。というか動物のナマケモノはかわいい。先日、テレビでズートピアを途中から観たがナマケモノになによりもウキウキワクワクした。面白かった!

今日は月曜日。あー。そんな気がしない。サブレも熱いお茶といただいたしがんばりましょう。今日も昨日くらいの気温だったらまだやり過ごせるのだけどどうなのかしら。一応暖かくして過ごしましょうね。

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チョコサンドおかきとか。

出涸らしというほどではない緑茶とチョコサンドおかき。冬はチョコが美味しいな、と毎日のようにコンビニでチロルチョコを買う。チロルチョコ一個だけレジに持っていくのも楽しいけどなんとなく恥ずかしくてセルフレジを使うときもある。私の手はいつも冷たいけどそれでも握りしめて溶けてしまったら嫌だからポケットに入れたり手から離す。今はkiriとのコラボでクリームチーズチョコが出ている。kiri大好きだからすぐに買ったけどこれらは別々でいいかな。かなり甘かった。チョコサンドおかきは甘いのとしょっぱいのがちょうどいい!こういうのを求めていた!ありがとう。クリスマスのお菓子を色々もらってホクホク。チョコサンドおかきもサンタさんと雪だるまのシルバーのちっちゃい袋に入っていました。詰め合わせにはフィンガーチョコも入ってる!昔からあるよねえ、フィンガーチョコ。あー素敵。気持ちポカポカ。お部屋もポカポカ。作業しながら寝ちゃったからだけど。

大谷、ドジャースか。ロサンゼルス大好き。身内が住んでいた頃、ドジャー・スタジアムも数回行った。ホットドッグのケチャップもマスタードもデッカかった。大谷がんばってー。

Take me out to the ball game, Take me out with the crowd. Buy me some peanuts and Cracker Jack, I don’t care if I never get back, Let me root, root, root for the home team.If they don’t win it’s a shame.For it’s one, two, three strikes you’re out at the old ball game♪

みんなで歌うのは楽しいさ。

朝からお洗濯もしたし、今日中に翻訳仕上げねば。グループもあるしがんばらねば。お菓子も買いに行かねば。お菓子食べてるだけで全然進まないじゃんってことのないようにせねば。そうなりがち・・・。適当にポチポチしたテレビでブリテッシュベイクオフやってる。なんかすごいな。クリスマスのお菓子より出演者の服装に釘付け。いかん。釘付けられている場合ではない。そういえば昨日翻訳しててこれは釘付けになるより張り付くの方がいいなと思った言葉があったのだけどなんだったか。辞書には両方の意味があった。うむ。語彙を増やしていかねばな。

さあやろう。まずはもういっぱいお茶を。

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翻訳とか。

空がきれい。光はこうやって色になっていくんだなあ。年末年始は西の方へ。きっとこの時間はまだ真っ暗だろう。

翻訳の仕方がようやくわかってきた気がする。これまでもウィニコットの『ピグル』や『短期力動療法入門』、海外から分析家が来るときのセミナー資料などを訳したことはあったけどやっぱりなんだか全然わかっていなかった。今はIPA Inter-Regional Encyclopedic Dictionary of Psychoanalysis(IRED)、訳すと国際精神分析協会 地域間精神分析百科事典というのをみんなで分担して訳している。私はそもそもワードなどを機能的に使うということからわかっていないので保存の仕方もチグハグだし取り組むたびにやり方が変わってしまったりしていたが、翻訳を相互チェックしている中で少しずつ学んできた。進行は遅れに遅れているがこの週末とりあえずのものは仕上げなければならない。仕事から帰ってくるのがそこそこ遅いし朝もそれなりに早いので帰ってきてからがんばろうと思ってもほぼ成功していない。だからこうやって朝にやる、しかしこうやって時間を無駄にしている。がーん。こういうところ変われない。変わるぞ、今日。この数日ラテンアメリカの精神分析の歴史や最近の動向も学んだし。

本当は今年読んでよかった本とか音楽(ほぼ柳樂光隆発)の話がしたいけど少し進めないと朝も時間がない。まあ、とっても勉強になるのでがんばりましょう。英語はどちらにしても触れ続けないとやばい。来年はシドニーで発表。ひえー。日本でも発表あるよ。精神分析の訓練に興味がある臨床家の人にはぜひいらしてほしい。今日は土曜日。楽しみもあるからなんとかやろう。東京は晴れみたい。暖かい飲み物で喉も潤して出かけましょう。

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れんこんサブレー、寮

「れんこんサブレー」なるものをもらった。裏面をみると茨城県土浦市が販売元。ほー。そんなにれんこんの味はしない、というかそもそもれんこんの味とは?独特の水っぽさ(あるいは水が抜けたっぽさ)と土っぽさ以外にどういえば。形が最高にかわいい。このサブレーもぽこぽこ空いた穴がかわいい。茨城県のれんこんは作付面積、出荷量ともに全国トップとのこと。主な産地は低湿地帯の多い霞ヶ浦地域。土浦は霞ヶ浦地域になるんだね。予備校のときの友達が土浦出身で方言を少し恥ずかしがりつつネタにもしていた。寮だったからたくさん友達ができていろんなことが起きた。上板橋駅はなんの不足もない住みやすい場所だった。いろんな国の人がいた。肉じゃが定食は当時550円。それだって決して安いとは思わなかったけどよくいく定食屋もあった。ケンタッキーで鶏肉の部位を選べることも知った。これからごはんを食べる日も外で何か食べてきてしまった日も通学の一環のようによく通った。いつも一緒に行く友人はケンタ(と呼んでいた)でバイトの経験があったからいろんな裏話を聞いた。もう覚えていない。しょっちゅう門限に遅れては呼び出され寮母さんのおにぎりを食べながら説教というより雑談をされた。このセットはほぼ説教であった。このおにぎりは密やかに恐れられており確実に抑止力になっていた。急に雨が降ってきて隣の部屋の子の布団を取りこんだりもした。その子とはあまり話したことがなかったから迷ったけどベランダは繋がっていたし誰か取り込んでくれたらなあ、と今頃思っているに違いない、と思い込むことで取り込んだ。感謝された。ホッとした。尾崎豊が死んだ年だった。食堂のテレビのニュースを見ながら泣き崩れている子がいた。私は尾崎より氷室とかの方が身近だった、というか比べるものでもないが、尾崎のことをよく知らなかった。嫌な報道のされ方だなと思った。フレディ・マーキュリーが死んだのはその前の年か。高校で隣の席の友達がずっと静かに泣いていたことを思い出した。10代後半は最後の独特の時期という気がする。私は不登校を理由にやってくる小中高生と会うことが多いが何年一緒にいてもその年代ならではというのが現れるのが興味深いし愛おしく思う。今はあの感じが30代まで続いている印象があるがまあそれはそれでそれはそれ。今日は金曜日。がんばろう。

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泣き相撲、池田晶子など。

まだカーテンを開けていない。まだ外は暗そう。今朝は鹿沼名物泣き相撲にちなんだ錦京堂本舗さんのいちごパイ。いくつかの和菓子屋さんが同じロゴを使ってるみたい。「鹿沼銘菓 泣き相撲 元気UP」がセットらしい。行司が軍配を上げる時の団扇の半分に「泣き」もう半分に「相撲」と書いてありその横に鉢巻をさせられた赤ちゃんの泣き顔。でその下に「元気UP」。いいね。元気UPという表現。無病息災、健やかに育て、赤ちゃんたち。この行事は毎年9月に行われるらしいです。

さてさて、名古屋の先生にお返事をせねば。名古屋にいる仲間のことも少し聞いたけど元気かな。コロナ前は毎月セミナーとかで会っていたのに。本当にコロナには困ったもんだ。つい最近まで身近で感染したと聞いていたけど今はインフルエンザでもないしでも熱が出る、喘息みたいに咳が出る、という話の方が多くなってきた。乾燥もしてるし寒暖差もあるし予防も難しい季節。首と足首は温めた方がいいよー。あとこの前首に貼る「めぐリズム」をもらって、いつも勿体無くて結局溜めてしまうから早速使ってみたらぽっかぽかで眠ってしまった。お布団に入るときにすべきだったけど気持ちよかったですよ。今はお布団もいろんな工夫があるから駆使して健康保ちましょうね。

なんか色々してたら時間が経ってしまった。

Amazonから何回か配送か置き配します、遅れます、配送かおき配します、遅れます、を繰り返してようやく届いた池田晶子、陸田真志『死と生きる 獄中哲学対話』を読み始めた。高橋ユキさんがツイートしていたから。池田晶子はすごいね。こういうやりとりを見ると対面かオンラインかとか頻度とかいう形式だけ整えてもね、と思う。もちろんその形式からしか生まれないものもあると思うし大抵の人は一人の人を大切にすることもできないわけだから形式は必要ではあるけど言葉についての研究を深めた方がよさそう。そうそう、蔦屋書店でやってた古田徹也さんの選書フェアのリストが柏書房のnoteで公開されたよ。ウィニコットフォーラムで私が書名を忘れた『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)も載っています。ぜひチェックを。言葉繋がり。池田晶子は載ってないけど土居健郎も私たちには特に必読本。土居先生はすでに言葉の研究をこうして始めてたんだよね。がんばらないと。もういかないと。木曜日か。がんばろう。

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常に相互。

キウイジューシー、りんごしゃくしゃく、パイをむしゃむしゃ、コーヒーちびちび、鳥がピーピー、あなたたちの世界は無差別な攻撃や殺戮はないの?殺戮に理由なんてあるの?殺戮って昔は刑罰として殺すことだったみたい。今は?罪なすりつけて殺すの?それは罪だと決めつけて殺すの?生まれたての子供にも?殺していいと決めてるあなたは誰?安全な場所でおいしいごはんを食べくだらない話に笑いながら血だらけの大きな瞳の子供を画面にみる。私もそうやって加担しているのかな。なにをすればいいのだろう。毎日全然わからない。中村哲さんの言葉に「王様は裸だ」といえる子どもであろう、どうにか踏ん張ろうと思っても王様は一人じゃない。私だって王様かもしれない。空を飛びそこには多分その国の人というくらいにしかわからない相手がいると知って爆弾を落とす。どうして?対面の緊迫した状況に画面の向こうからきれいごとをいわれる。暴言と暴力だらけの家に週末だけ電話をかけてきてがんばれといわれる。事態は全く異なる。異なる?心のあり方も?相手に心があること、傷つく身体があることを忘れていることなんてしょっちゅうある。精神分析は心がいかに無慈悲で暴力的かを露わにする。快に基づく行動ではなく思考という行動を高次のものとして考える。そしてそれは常に相互のものであると認識する。どっちかのなにかではない。それが抑止力になると信じる。以前、激しいやりとりをききながら、これが裁判だったら、と考えたというよりこれだけどっちがどうとかといっているのにこれを裁判に持ち込まない理由を考えていた。裁判も誰かのなにかをたやすく決めつけることはできないから個人に対して時間かけるのは当たり前だよね、表向きは。そのせいでなにもしていないのに人生の時間を奪われる人もいるわけだけど。裁きの場に持ち込まずに対話にならなくてもそこに共にいつづけることはとても苦痛だよね。いないほうがいい場合もあるよね。私はどうするんだろう。自分のことなのにずっとずっと迷っている。考えて行動してみて、の繰り返しなのだろうけど。さあ、いかないと。今日は水曜日。色々指差し確認するようにひとつひとつ。ひとりだけどひとりじゃない不思議を確認しつつ。

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コスメよりサブレ。

まだ暗い。今朝は昨日と同じく松月さんの「屋台最中」だけど今日は小倉餡。半分にするとちっちゃい屋台に小豆色がみっしり。あとは松栄堂の「はとむぎサブレ」。鹿沼は全国有数のはと麦の産地だそう。一時、肌にいいとかで母が定期的に飲むように定期的に送ってくれていたのははと麦茶。私は定期的に飲むのを忘れてしまうから美味しくともその効果はわからず。色々きちんとやれば良いこともたくさんあるのだろうけどねえ。この前、東京駅の八重洲口の地下街にいったらメイクとかネイルとか美容系の色々が入ったお店が朝から並ぶほどの混雑でびっくり。これからおしゃれして新幹線で結婚式に行くとか?と思ったけど普段使いだったりするのかしら。友達や患者さんの話を聞いているだけで美容情報も溜まっていくけど進化も早いみたいでこの前も地下街歩きながら友人の話に「今ってそんなネイルあるの!?」と驚いてしまった。中高生も新大久保のコスメとか詳しいし身の丈でするおしゃれって楽しいよねと思う。コーヒーとはとむぎサブレ美味しかった。私はコスメよりお菓子だな。そういえばこの前ローソンでまずいお菓子を見つけた。味がまずいのではなくてやばいと言った方がいいのかもしれない。どれだかわかるかな。どの季節もコンビニスイーツを食している人ならピピっとくるかも。あれは一人で食べたらダメ、というか竹の楊枝というのかな、が二つ刺さってたから二人でいただくものなのかもしれない。

ああ、どうしてお菓子のことばかり書いてしまうのかしら。言葉にできないことが多すぎて時間が止まってしまうことも多くてどうやって声をあげたり対話を続けたりすればいいのかと思い悩み続けているんだけどね。人はどこまでならなかったことにしていいのかな。なかったことにするのは本当に簡単。どんどん上書きされる記憶はそういう志向性をもってるでしょう。うまくいかなくて混乱が残ってしまうことがたくさんあるから厄介なわけだけど。私たち厄介ね。なんとか今日も過ごしましょう。

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鹿沼のお土産など。

少しずつ明るくなる。この鳥の鳴き方のリズム、何を伝えているのかな。

今朝は栗羊羹と栃木県鹿沼市の御和菓子司松月の「屋台最中」。鹿沼には江戸時代から続く「鹿沼秋祭り」というのがあって、その中心となるのが「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」(2016年ユネスコ無形文化遺産登録)だそう。そこで披露されるのがものすごい緻密で華麗な彫刻屋台。それをちっちゃくちっちゃくした最中が「屋台最中」。今調べたら大中小あるのね。お土産は小。ちっこいのに屋台の形してる。お味はゆず餡と小倉餡の2種類。今朝はゆず餡をいただきました。鹿沼は芭蕉も訪れたそうで鹿沼宿「光太寺」に一泊、笠と草鞋を替え日光へ向かったとのこと。5月には「芭蕉の笠替え」という行事もあるって。

曾良の日記によると鹿沼に寄ったのは3月末のこと。昼過ぎから曇りはじめて鹿沼では雨だったみたい。だから笠と草鞋を変えたのね。日光へ着いたときには雨は止んでいたとのこと。こういうシンプルな日記はよいですね。

一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火(文)バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石へ弐リ。 ) 一 四月朔日 前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日曇、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺ノ書、養源院ヘ届。大樂院ヘ使僧ヲ 被レ添。折節大樂院客有之、未ノ下尅迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿。壱五弐四 。 

ー『曽良旅日記」

「おくの細道」には鹿沼のことは書いてないみたい。日光のことは書いてあって、芭蕉と曾良がよんだのはこの三句。あらたふとの句のあとに「黒髪山は霞かゝりて雪いまだ白し。」とある。旧暦だと季節がわかりづらい?旧暦4月1日は新暦5月19日ですって。まだ寒かったのね。

あらたふと青葉若葉の日の光

剃り捨てて黒髪山に衣更 曾良

しばらくは滝にこもるや夏の初め(夏=げ)

鹿沼には「掬翠園」に句碑があるそう。

入あひの かねもきこえす はるのくれ

芭蕉にちなんだお菓子もあるのね。『統一銘菓 芭蕉のそば餅』。食べてみたい。

しかし寒い。動きたくない。起きてすぐ出かける準備万全にしておけばよかった・・・。冬の間はこんな後悔を何度も何度もするのでしょうね。さて今週もなんとかがんばりましょう。芭蕉と「ましょう」が韻を踏んでるな、と今思った。だからなんだ。またね。

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syoutengaiとか。

早朝から他愛もない任務を完了。洗濯OK.昨日寝てしまい見逃したSPY×FAMILY OK.もらった小さな羊羹を食す、OK.他にもう少し大切なこともした気がしたがそうでもなかったのかもしれない。東の空に少しオレンジが広がってきた。きれい。

さっきPCのパスワード入れるときに「syoutenngai」と打ってしまった。福引の紙にウキウキしてたからか?地元の商店街で10円券と歳末福引補助券どっちがいいか聞かれたから迷わず福引を。あのカラカラ回すのをやりたい。が、5枚集められるだろうか。お肉屋さんやクリーニング屋さんでもくれるかな。年末に向けてクリーニング済みの服を寄付というのをみていい服だけど着ていないのをそうしようかなと思っていたから行ってみようかな。そうか、よく考えれば商店街の組合の主催なんだから組合に入っている店でお金使えば貰えるってことだよね。よし。お菓子ばかりではなく上手にお金を使おう。そういえばお菓子屋さん、よく行くお店なんだけどいつも一人か二人なのに四人か五人の店員さんがいて何やら忙しそうだった。お菓子屋さんはクリスマスとお正月に向けて大忙しなのね。お世話になります!というかいつもお世話になっております。

今日は慣れない街でミーティングやら学問やら。迷わずたどり着ける、ということはなさそうだから早めにいってモーニングとかしちゃおうか。きっといつも通りドトールとかタリーズとかサンマルクとかだが。あまり歩き回ると一回確認した場所もまた忘れるからな。チェーンのカフェもクリスマスな感じだね。サンマルクのチョコクロはほとんど制覇している。クリスマスバージョンも既に食した。生地がもっとサクッとしてくれたら嬉しいのにな。

今日もいいお天気なのかな。寒くないといいですね。どうぞ良い日曜日を。

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アントニオ・ロイレイロとか。

再びジャズを聴くようになってからマルチ奏者の多さに驚いている。先月聴きにいったコーシャス・クレイもフルートとサックスをすごいレベルで奏でていたし、今はアントニオ・ロイレイロ。ブラジルのミナスジェライス出身のマルチ奏者。ミナスジェライス連邦大学(UFMG – Universidade Federal de Minas Gerai)出身の第二世代でミナス新世代とも呼ばれる豊富な人材のうちの一人らしい。くるりとも一緒にやっているらしい。私は全然知らなかったが指揮者の狭間美帆とかもアントニオ・ロイレイロをよくきくとあったからきいてみた。Spotifyでアントニオ・ロイレイロを検索。おすすめされるままにながら聴きしていた。手を止めて思わず調べた曲はSpider’s Egg / Live Recording From The 50th Swr Newjazz Meeting のMad Man.同じくブラジルのペドロ・マルチンスと、LAのKNOWERのジェネヴィェーヴ・アルターディを中心とする「Spider’s Egg」がスイスのバーデンで行ったライヴ盤とのこと。曲の最後の拍手でこれがライブ盤だと気付いた。ブラジル音楽、とてもとても魅力的。伝統を知らないけど伝統を感じる。素晴らしい流れとリズムが現代の音楽として蘇っている感じがすごい。Antonio Loureiroの2ndアルバム『Só』(2012)もヴァリエーションに富んでてすごくいい。ひとりでいくつもの楽器を奏でられる人が作曲をするときってどんな脳の動きになっているんだろ。そもそものシステムが違いそう。それでもライブとなれば、と思ったけどコーシャス・クレイはフルートもサックスも声もシームレスだったからな。どんな身体してるんだろう。アントニオ・ロウレイロもそんな感じなのかな。実際に見て聴いてみたいな。そしてブラジルの音楽をもっと知りたい。はっ。じっと聴いていたらこんな時間。今朝は栗山米菓の「星たべよ」も食べたよ。いい名前。それではみなさんも良い1日をお過ごしくださいね。

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お菓子 読書

12月1日朝

ちょうどいい温度のお茶と聖護院かぶらのお漬物。まんまるでまっしろ。そういえば昨日の月もきれいだった。雲に包まれていてもそこに月があるんだなとわかる見事な明るさだった。悪者に呑み込まれちゃった主人公が復活するときに黒い内側からブワッって光が溢れる描写があるけどそれみたいだった。聖護院かぶらは真っ暗な土の中でよくもこう真っ白に育ったものよ。京野菜は今ではすっかり馴染みのものも多いけどきっとまだ知らないものもあるのだと思う。少し甘めのお漬物で食べすぎちゃいそう。後柿とみかんを少しずつと勝沼のお土産の最後の一つ「しっとりぶどうチーズケーキ」。作っているのは長野の「れんがはうす」というところらしい。パティシエマークがかわいい。これも美味しい。最近の焼き菓子はしっとりが上手。私は泉屋のクッキーみたいなパサっとした硬いお菓子も大好きだけど最近は歯も欠けやすいから柔らかいお菓子の方が安心するようになってしまった。歯医者さんは私の歯が欠けるたびに「噛む力が強いから」と笑うのだけど硬いものを食べるために歯ってあるんじゃないっすか、先生、と思うけど口開かれてると無力。日曜日にやっててくれるし  「キャプテン翼」でサッカーやっていそうな容姿でとても親切な先生なのだけどムー。最初、岬くんみたいって思ったのだけど岬くんを調べたら私の思っていたのと違った。どちらかというと翼くんだった。「キャプテン翼」は生まれてはじめて自分で買いにいった漫画。岡山県津山市の商店街の本屋で。私も休み時間はいつもサッカーやるような「ボールは友達」に「そうだよね!」と思える子供だったしうまかったし、サッカー。結局親にねだってはじめて買ってもらったのはバスケットボールで部活もバスケ部に入ったけど。それでもボールは友達だから毎日学校に持っていっていたらなぜか持ってくるなと注意されて教室で使うわけでもないのになんで、と無視して持っていってた。おさがりのエナメルの紫の大きなショルダーバッグと。ミッキーの。ランドセルもいいランドセルで気に入ってたけど先生に注意されてもそういうことがしたかったのね、当時の私は。今は毎日でっかいリュックで移動してるし運動なんて全くしない大人になったのに。ミッキーのことはよく知らなかったけどエナメルのムラサキというところが素敵だったんだ、多分。こうやってプチヤンキーってできていくのね。高校生になって本格ヤンキーの友人がエナメルのムラサキのバッグ持ってて似合っていた。私もその年齢まで待つべきだったな。当時私はすごく背も小さかったし引きずるように持っていたような気がするもの。彼女は背も高くて明るい茶色のながーい髪も似合ってた。バイト先では嫌味と悪口しか言わないお客さんに文句を言わせない迫力があったしアイスクリームを盛るのも上手だった。私は下手すぎてついにはやらなくていいといわれた。私なりにがんばったのだけど私なりはどこまでいっても私なり、と当時学んだ。不器用な人は器用な人に助けてもらえばいいのだ。みんな元気ならいいな。まだ10代だった私たち。

10代といえば最近読んだ本で一番良かったのは

アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』(小学館)
著/ベンジャミン・アリーレ・サエンス 訳/川副智子

シンプルな言葉が響くのはこの年代ならでは。「ボールは友達」だって子供の言葉だからいいわけでしょう、大人が書いたものだとしても。この本で「会えてよかった」に傍点がつくわけも。冒頭の二行は思春期の患者からも大人の患者からもよく聞く言葉。そのあとの母子の会話に胸が小さく何度もギュッとなる。この感覚も10代のものだ。星を見上げたりしながらぜひ。でもまだ朝が始まったばかり。今日もなんとか過ごしましょうね。外は寒そう!暖かくして出かけましょう。

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お菓子 音楽

11月30日朝

うっすら明るくなってきた。うっすらでウルスラを思い出した。魔女の宅急便。今朝熱いお茶とあんぽ柿といづみやさんの「すかのわ」。いずみやさんのウェブサイトには

「横須賀の船をモチーフに「うきわ」の形をした焼きドーナツ。
メープルきなこの贅沢な味わいが口いっぱいに広がります。」

とのこと。ほんまや。美味しい。うきわ真っ二つにしてしまったけど。そもそも沈まないで。

今、ジャズピアニストのエメット・コーエンが来日している。行きたかったなあ。これもおなじみ柳樂光隆さんのインタビューとそこにある音源をぜひ。今年一番好きになったピアニスト。アルバム『Future Stride』は何度も聴いた。今も聴いている。周りに音楽を楽しむ人がたくさんいるライブハウスに来たみたいな気持ちになれる。実際のそれを体験したかった。ピアノを作った人は本当にすごいと思う。それではピアノの歴史をみてみましょう、ということでウィキペディアをみてみる。ふむふむ。すごく詳しいので途中まで。誰か弾いてるときのグランドピアノってウキウキする。叩いて鳴らす音楽。このPCのキーボードも一音ずつ音が違ったら今の私はどんな音楽を奏でているのかな。素敵な文章だと素敵な音楽になったりするのかな、やっぱり。

それにしても眠い。帰ってくるのが遅いというのもあるけど帰宅後は何もできないままきちんとした格好で眠りもせず朝が来てしまう。そりゃ眠いさ。寝てはいるんだけど。

この前、4歳児とzoomで話した。「あみさん、スヌーピー好き?」というから「好き好き」と答えつつ何かなと思ったらその子のセーターがサングラスをかけたスヌーピーだった。まあ、かわいい。褒めると恥ずかしそうに満足そうに画面の外へ行ってしまった。しばらくしてまたその子が「あみさん、ネイルしてる」と。へ?ちょっと映った指がそんなふうに見えたのかな。おしゃれ爪に見えた?ありがとう。全然しないのだけどたまにはしましょうかね。今の子は「ネイル」っていうのね。かわいい。今日もチビさんたちとのお仕事がありますね。お互いがんばりましょ。

それにしても眠いのよ。エメット・コーエンの音楽のせい?心地よいの。寝てしまう前に出かけましょう。みなさんもどうぞお元気で。

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バター、プロセスなど。

ブラインドからのぞいている空はグレー。カーテン開けたくない。寒そう。今朝は相変わらず熱い紅茶といずみやさんの「横須賀銘菓よこすか焼き」。船の形らしい。パッケージにお大きな船が描いてあるからこのオムレツ型が船なんだろうなとわかる。オムレツにも色々あるけど元々はフランス語のomeletteからきているという場合の元々のオムレツはこういう形だったんだよね、きっと。前にも書いたけど群馬県前橋市のバラ園のそばにギャラリーとかもある素敵な空間があってリッツというお店のオムレツがすごく美味しかった。そしてオムレツ以上についてくるパンについてくるバターがとてもとても美味しかった。今もF-ritz art centerとして色々なお店がはいっているみたい。バラ園のある敷島公園一帯は萩原朔太郎記念館もあるし本当にいいところ。いろんな人と行ったけどリッツは高校時代の友人とお互い東京に出てからも何回も行った、バターを求めて。エシレバターをもらったときに思い出したのもリッツだったなあ。前に渋谷でエシレのお店があったから寄ってみたら焼き菓子が予約のみと聞いてびっくり。一番売れるお菓子は予約で、他のお菓子なら買えるよ、ってことだったかな。残念であった。が、リッツのバターほど執着もしていない。

「生きのばす」という表現を見た。生きのびるの打ち間違いかもしれないけど生きのばすように一日一日を生きている場合ってある。今日じゃない、死ぬのはまだ今日じゃないと。心や身体を傷つけ時間を止めた相手が元気に生きているのを見るだけで背筋が凍ってまた動けなくなる。性的に傷を負わせた相手がいろんな女性に公私混同で近づいているのをみると吐き気がする。あの軽薄な繰り返しの中で大事な場所を傷つけられ貴重な時間を奪われたのだと。理不尽。でも裁けばそれが消えるわけでもない。誰かを世界から出入り禁止にすることはできない。自分の場所から物理的に追い出せてもトラウマを負った心は記憶をうまく整理できない。そしてこのSNS社会。心なき人ほど平然と顔を出す。私が一番好きなノンフィクション作家の高橋ユキさんの傍聴日記、裁判記録でもある高橋ユキの事件簿を読んでいると裁く裁かれる、被害者、加害者というまるで対極にあるものがいかに複雑に絡み合っているか、いかに社会がことを複雑にしているか、ということがよくわかる。多分この複雑さは高橋さんみたいに実際に足を運び続けて当事者の声を聞き続けているライターさんの記録を追うことでしか感じられない。私たちは結果を気にしがちだが当事者にとってはプロセスこそ大事だろう。「生きのばす」は生きたい人の言葉のはず。どうかその気持ちが守られますように。これ以上侵襲を受けませんように、と願う。

11月29日水曜日、なんとか一歩ずつ行きつ戻りつ。

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ふざけんなのテンションとか。

朝からお風呂でポカポカして今日も美しくて甘い柿をいただいた。そんなことをしている場合か、と言われればそんな気もするけどこんなこと生活のほんの一部だもの。豊かさの積み重ねこそ危機のときに役立つはず。でもフォローしているわけでもないブラッド・ピットのファンページでやっていたボールを投げ入れるバージョンの○✖️が面白くて眺め続けてしまったのは今の時間には無駄だったかも。もうこんな時間。髪が濡れたまま出なくてはいけないのも危険。なんか危機を招いているかもしれない?

私は少し運動家なんだけど問題って本当に次から次に起こるのに対策は全く進まないのはなんででしょうか。対策が全く進まないから問題が次から次に起こるともいう。明らかに問題であることを犯罪ではないから問題ではないくらいに扱っている大きな団体もあるわけだがそういうの全然ダメでしょう。で、声を上げれば上げた方の負担は大きく、運動してもほぼ忍耐の日々の末に物事は何も変わらず、みたいなことも大いにあるわけだ。普通にふざけんなと思うわけで本やら何やらでとても正しいことを言っている有名な人たちは理事会の人とかとも親しい人もいるわけだから本とかで言っていることをそのままお伝えいただければ私たちが仕事の合間に地道に展開する運動なんかよりずっと効果的ははずなのだがそうはなっていないのが社会ってやつなんですね。ふざけんなと普通のテンションで言いつつ口先ばかりで支持を集めている権力者に対する対策を淡々と練らねばいけないわけです。変なの。

さて、うちは炬燵がないのは安心なんだけどホットカーペットを出してしまったのでまずいです。大地から距離を取る季節!とあったかいスリッパとか足元対策をしていたのにこれを出したら今度は床にずっとぺったんこ。下手すりゃ全身ぺったんこしてぐーぐー(-_-)zzz。しっかりしましょう。やれることを模索しましょう。いろんなことが同時に起こる世界に住んでいるわけだから辛いこともたくさんあるけどなんとかそれぞれの防衛効かせながら協力していきましょう。まだ火曜日、というときのテンションともう12月、というときのテンションは少し違いますね。なんとか今日も無事に過ごしましょうね。

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お菓子

勝沼のお土産とか。

勝沼ぶどう郷のお土産が色々。もちろんワインも♪下北沢に日本のワイン専門の美味しいお店があるんだけどそこでみたことがある。ビンもきれい。身延の方へ泊まり込みボランティアに行っていた頃勝沼によく立ち寄った。子どもたちとぶどう狩りにも行った。小さいワイナリーもたくさんあってフルーツ公園からは夜景がきれいで、といろんな思い出がある。少し前にフルーツサンド屋さんに行ったら当時よく行っていたワイナリーのワインがあってびっくり。あまり見かけたことなかったのだけど。あら、今ウェブサイト見たら大きくなってる?あの店と同じ?すごく小さい店で、小さい駐車場に赤ちゃん猫がいてかわいくてかわいくて一緒に行った友達カップルはそのおかげで仲直りしていたよね。もうすっかり有名ワイナリーになったのかもね。それはそれでなにより。彼らもそれぞれ別の相手と。あれ?一人は今でも仲いいから知ってるんだけど。当時学校に行かないで山梨の廃校に集っていたみんなももう大人。実はあまり年齢変わらなかったんだよね。みんなみんな元気ならいいな。今は「ぶどうのつぶやき」というレーズンをミルク(?)でコーティングしたちっちゃい粒々のお菓子を熱い紅茶といただいています。これはワインに合うようになのね。紅茶とでも止まらない・・・。どうしましょう。昨日は友人に奈良の柿ももらった。すごくきれいですごく美味しかった。この季節は食べ物が美味しいだけが救い。寒くて日に日に動きが鈍ってるもの。でも寒い方が好きという人も多いですよね。なんて羨ましい。昨日も仕事だったけど日曜だから何かしたいな、と映画に行こうと思ったら有楽町とか決まった映画館でしかやっていなくて新宿渋谷以外に行く気力がなかった私はやめてしまったのでした。有楽町の映画館はすごく昔に父に連れられて『モモ』を見て建物が嘘みたいに素敵と思ったけど改装されたね。群馬っ子にはお城の階段みたいに思えたよ。そのせいか有楽町ってどこか特別感があって物理的にというより心の距離が遠いのよね。それを超えるエネルギーがなかった、寒すぎて。新宿渋谷、まして下北沢だったら庭くらいに思ってるんだけど。とかいって最近の下北沢は全然知らないお店ばかりでキョロキョロしてばかりだけど。変わる変わるよ色々変わる。まわるまわるよ時代はまわる。また地球はまわるって歌ってしまった。寒い寒い。それでも太陽が出ているうちに動き出しましょう、というか動かねば。時間どろぼうはこころのうちに住んでるものね。がんばりましょ。

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音楽

Mama,I Want To Singとか。

あっつい紅茶と隣町の美味しいパン屋さんのちっちゃいパン。おなかの調子は相変わらずだけど元気は元気。寝る場所にはいつも失敗。でも失敗なりに工夫が進んでちょっと寝心地良くなってしまっている。まずい。『Mama, I Want To Sing』のCDをオン。カセットも聴けるコンポ。いつから使ってるのだろう、というか全然使わなくなっていたけどラジオを聴きたくて手の届く場所に移動してきた。CDは差し込んで入れるタワー型のラックから。これはこれであなたはどこから?いつから?Mama, I Want To Singの歌はすごかった。特にD’atra Hicks。その後はCDはあまり出してないみたいだけど舞台は続けているのかな。私よりちょっと年上くらいだと思う。は!もう引退してたり?そういう歳だったり?私も遠くない感じ?ああ。私の引退は私が決める、なんだけど、私の場合。「セーフティーバーは私がおろす」風に言ってみた。あれつい真似しちゃう。TDLなんてどのくらい行っていないんだろう。小さい子がいる友人のお供的な感じで行くことは一時よくあったけど。みんなもうすっかり大人だ。大きい音に大きな声で泣きだしたチビさんを抱っこして小さい子用の場所、名前を忘れてしまったけどなんとかタウンみたいなところのお店に入って音とお別れしていろんな仕掛けにこっちも実際びっくりしたりしているうちにご機嫌になって全然足のつかない、というか座面にほぼ全部乗るくらいのちっこい身体で上手に座ってちっこい両手でジュースを飲んでニッコリ、で、また泣く、みたいな。大きい音苦手なんだもんね。ディズニーは音すごいよね、と改めて感じるよ。でも子供用サービスもすごいというかうまい。シールとかきちんと忍ばせてるんだよね。チビさん、ビクって警戒してもニコニコパッと出されたシールは思わず受け取ってしまってママに見せてご機嫌、みたいな。魔法だと思っちゃうよね。

『Mama, I Want To Sing』は1988年の大ヒットミュージカル。私はミュージカルは見ていないはずだからあとからサントラを買ったのだろう。『天使にラブソングを』はもう少し後だ。ゴスペルはこれらのイメージだったからNYのハーレムにある教会に連れていってもらって聞いたゴスペルにはびっくりした。すごいスピリチュアルな感じであまり統一感なかったけど教会音楽とゴスペルはまた違う?でもゴスペルって言われたと思うから同じかな。D’atra Hicksは無料で通えるゴスペルのスクールに行っていたという記事を読んだと思うのだけど今検索しても見当たらない。夢?柳樂光隆のいろんなジャズミュージシャンへのインタビューを初めて読んだときにすごく印象に残ったのはその教育資源の豊かさだった。小さい頃から無料でプロの音楽に触れて学べる場所があったら才能ある子のチャンスは広がるよね。日本でもそういう場所が増えたらいいな。音楽はいいよ。何も準備いらないし。私の仕事もそういう意味ではいいよ。身体がそこそこ健康ならできる。ということで今日もがんばりましょう。グループ2つ。みんなはなにするのかな。寝正月まであと1ヶ月ちょいだよ。私は旅に出るさ。楽しみに過ごそう。みなさんも良い日曜日をお過ごしくださいね。

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お菓子 音楽

マドレーヌ、ソフィア・レイなど。

またまずい寝方をしてしまった。顔が潰れているのか腫れているのかわからない変な感じになっている。暖房はつけっぱなしだったからあったかいのはいいけど。さてあったかい紅茶と横須賀土産のマドレーヌ。昨日はよこすか海軍カレーマドレーヌを食べた。今日は普通のだけどでっかい。半分ずっこ。っていう?半分ずつと半分こが混ざってるのかしらね。

今来日しているホルヘ・ローダーとソフィア・レイのアルバムからSofia Rei & Jorge Roeder “Callejon de un solo caño“From “Coplas Escondidas”. ソフィア・レイも楽器みたい。ひとりでいろんな音が出せてしまう。素敵な声。

しまった、関連でジョン・ゾーン(JOHN ZORN)のことを調べ始めてしまった。『The Book Beri’ah, Vol. 1 – Keter』は Sofía Rei & JC Maillard。うむ。30分も経ってる。ジュリアン・ラージが参加しているジョン・ゾーンのアルバムは、と調べていたら「哲学者ジル・ドゥルーズの著作と思想に触発されたアルバム「Multiplicities: A Repository of Non-Existent Objects」の第2弾」というのがディスクユニオンのページで出てきた。今はそれを聞いている。Multiplicities II: A Repository of Non-existent Objects

あーだめだ。これ仕事行けないよ。あとで柳樂光隆が何か書いていないか探そう。彼の記事は私みたいな初心者にも本当にいい。

今日は移動も多いし大変だな。ちょっとした時間に翻訳しないと。昨日は朝少し進んだけどその後は全然進まなかった。11月中にやらないと。お待たせしてしまっている。

しかし、ソフィア・レイの明るさと深さの両方がある声は素敵ね。いつのまにか『The Book Beri’ah, Vol. 1 – Keter』は Sofía Rei & JC Maillardに戻っていた。

今日は今日も今日こそなんかいいことあるといいね。いい音はそこら中にあるね。いい景色も。今日はまた冬らしい気温に戻るのかな。本当に寒くなるのはこれからだけど。こわいこわい。暖かくしてお過ごしくださいね。

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精神分析

ウィニコットフォーラム、投函

はあ。今日もおなかが痛いけど柿食べちゃった。多分何も食べないのが一番正解。胃の痛みは薬でだいぶ治るけど。昨日はウィニコットフォーラムというウィニコットに関する色々をウィニコットの理論に馴染んでいる人が発表して話し合う会だったんだけど朝から絶不調でどうしようかと思った。なのに薬持っていくの忘れてお昼に薬局へ行って薬飲んだからと安心して美味しいお弁当も少し食べてしまって、こういうとこだぞ、という友達の声を思い出しながら後悔。でも午後の岡野憲一郎先生のウィニコットが弱者を守ろうとして戦ったという話は私が昨年学会の教育研修セミナーで言ったことと重なっていて岡野先生はそれに論拠を示してくれた。セミナーは論文化したからそのうち学会誌に載るけど論拠が弱いなと思って書けなかったところだったんだ。よかった、お話聞けて。私は妙木浩之先生と興味が近いみたいでウィトゲンシュタインの名前をちょこっと出して、その説明も求められたけどウィトゲンシュタインは普段私たちが考えているところに普通の人は全く想定しないような視点を持ちこんで「え?どういうこと?」と混乱気味に考えていくプロセスの先で「生活様式としての言語ゲーム」に辿り着かないと永遠に「なにそれ」の世界な気はする。古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス)はウィトゲンシュタインの後期理論(前期とは全然違う)を取り上げてるけど私はこの本を読みつつ講座にも出つつ勉強したけど「やっぱり言葉はややこしいぜ」という感想になってしまったし。まあなんにしてもウィニコットを読むこともそうだけど「なにが言いたいの?」「えーさっき言ってたとこと違うじゃん、どういうこと?もうちょっと先読んでみよう」とかダラダラ読み続けていくのは楽しい。研究となればもう少し違う読み方が必要だと思うけど一日中臨床やりつつ読む隙間時間読書だからケースとケースの間にする雑談みたいな感じだよね。あー、おなか痛い。でも昨日よりはいいな。倦怠感とかがないとほんと部分的な痛みだからこういう作業には特に影響ないね。腰を据えてやらねばとなると集中できないかもだけどそれはどこも痛くなくてもそうだからな、私の場合。マクドゥーガルとReading Freudの準備もせねば。ウィニコットフォーラムはいい息抜きになった。最近ずっと追われっぱなしでいつもとだいぶ違う感じだったから。でも大切な書類を先輩に見守ってもらいながら投函できたのはよかった。一人だと本当にきちんと投函したっけ、と不安でいっぱいになってしまう。そこかよ、とまた友達の声が聞こえてきそうだけどそこなのよ、私の場合は。そろそろ忘年会も続くからおなかよくなるといいな。みんなもお大事に。休み明けはなんだかぼんやりするけどがんばりましょ。

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舞台 読書 音楽

11月23日朝

今朝はいつだかどこだかのホテルからもらってきたほうじ茶。いい香り。昨日はコンビニで珍しくほうじ茶を買った。冷たいのはあまり飲まないのだけど「あんこたっぷり!シュー」と。変なところに「!」があるなと思ったけど別の種類の「シュー」もあるのね、きっと。

昨晩も遅くまで本を読んでいたのは覚えているけどどうやってベッドにいったのか覚えていない。きちんとベッドにいて起きたときが夢かと思った。

乾燥がひどい。ユースキン使っても乾燥で傷見たいのができてしまう。足首が乾燥するのは靴下があってないとかあるのかしら。むくみもひどいし。あったかいほうじ茶で循環良くなるかしら。

今日はウィニコットフォーラムに登壇。オンラインだから登壇ではない、ということを書くために登壇と書いてみた。どこまで言葉を曖昧に使うかとかも含めてウィトゲンシュタインをもっと引用しながら話したかったけど咀嚼が追いついていないので古田徹也さんの本を紹介だけしてウィニコットの「ひとりの赤ん坊というのはいない」というテーゼ(っていう?)を中心に日常語で書くことと絡めてお話しするよ。

昨晩は2022年11月に出た『言語はこうして生まれるー「即興する脳」とジェスチャーゲームー』モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター著 、塩原通緒訳。ちょうど一年前だね。これすごく読みやすいのだけどいつも途中までになってしまう。なぜだろう。面白いのにね。とまた古田徹也さんの本を読んでいた。こっちは決して読みやすいとは思わないけど読んじゃうのはこっち。ふティぎ。お茶を飲んでいる時は「ち」が全部「ティ」になる癖がある。言語はこうして生まれる。

朝からjon batisteとSamphaの動画をみて相変わらずコーシャス・クレイ聞いてまた素敵な余韻に浸ってしまう。違うのを聞きたいなと思いつつ戻ってきてしまう。そしてこんな感じの曲もやるのね、と以前の曲からも発見。MVも面白い。不動産屋さんで働いてたんだって、コーシャス。あんないい声で物件紹介されたらきっとおうちもいいおうちと思って借りてしまうかもなっ。

大急ぎで色々書きまくった勢いでさらに書いておきたいけど眠くなっちゃった。ケムリ研究室の『眠くなっちゃった』は本当に悲しくて素敵なお話だったな。ケラ&緒川たまきはほんと素敵カップル。前にしもきたでお二人を見かけたけど緒川さんがケラさんにくっついてニコニコおしゃべりしててすごくかわいかった。ケラさんが緒川さんをはじめて使った舞台も思い出すなあ。あれは何年前だろう。別役実の脚本だったっけ。

今日はみなさんおやすみかな。それぞれいい1日になるといいですね。いいこと降ってきたり落ちてたりしますように。

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お菓子 俳句

眠い、あたたかい、ありがたい。

毎日毎日あったかいお布団で寝ないとダメだよ身体痛くなる、とおよげたいやきくんの替え歌として歌う、脳内で。ウトウトして起きるたびに腕が痺れてるからまた麻痺になったらまずいなと思うのだけど寒くなるなりよりだめになる。

薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫 松本たかし

ああ、炬燵でひとりぬくぬくしたい、が我が家に炬燵はない。なくてよかった。仕事に行けない。

そういえばオンラインでやってる小さな句会で俳句を打ちこんでいる間に寝落ちして一句しか投句しなかったうえに選句するのを忘れるという失態をまたさらしてしまった。毎日毎日なにかの理由で謝る事態が発生している。全て自分が発生源。ごめんなさい。でもみなさんいつも通り優しくてあたたかくて素敵な選評までいただいてとてもハッピーでした。人に恵まれてるのにいつまでもだめなオレはどうしたらよかんべ。今月も俳句の雑誌に句友たちの句がいっぱいのってるんだ。発売されたら買いに行かねば!選評も面白いの。そんな観点があるのか!と目を見開いてばかり。手動かさんとね、わたしも。

今朝はアーモンドとチョコのマフィン。あったかい。美味しい。あっついコーヒーとね。昨年からカフェインとりすぎたみたいで調子悪くしたから気をつけながらね。日々、気をつけねば、ということが多すぎるからこの優先順位は低そうだけど。しかし持つべきは友。ありがたいことだ。ありがとうございます。今日もよろしく。みんなも元気で。

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精神分析

コーシャス・クレイたちを見た聴いた。

熱いお風呂で長風呂してしまった。暑い。危険。湯冷め注意。髪が濡れたまま外に出ると寒いからマフラー巻き巻きして首と髪を遠ざける。昨晩もベッドまでが遠すぎた。身体が痛い。

保育園を出て商店街を歩きながらメールをチェック。ああ。大変だなぁ、とメールを閉じたくなったが何度もきちんと読まないと本当に取りこぼしが多いのでため息まじりで何度も読んだ。通過儀礼には色々な手続きが必要で自分のせいだけど色々短時間でやらねばで大変だなぁ、みんな毎日の臨床やりながらこれ越えていったのすごすぎるよな、偉すぎる、と思いながらトボトボ保育園からオフィスへ移動した。

本当は10月中に諸々済んでいる予定だったのでご褒美を準備していた。コーシャス・クレイのライブ。柳樂光隆のRolling Stoneやノートでのインタビュー記事がいつもとてもよくて行きたいライブがいっぱいになってでもそこから厳選してしかも時間が取れたのがコーシャス・クレイだった。ジョン・バティステ、カッサ・オーバーオール、ジュリアン・ラージ、ブランディー・ヤンガーなどなど実際の演奏を聴きたすぎるアーティストは増えていく一方だけどコーシャス・クレイに行く時間が取れて本当によかった。記事を読んでから何回も何回も聞いてその優しい声とフルートはもうすっかり耳に馴染んでいた。行く前はアルバムで一緒に曲も作ってるジュリアン・ラージが一緒でないのが少し残念だった。ライブではなくても本当にすごいギターを奏でていてコーシャス・クレイとのレコーディングシーンも素敵で何度も見ていたから。ライブはアリーナ席で舞台に手が届きそうだった。始まる前に置いてあるサックスとベースとドラムをまじまじと眺めた。かっこいい。サックスってこんなかっこよかったっけ。コーシャスはフルートは自分で持ってくるのかなと思ったらそうだった(と思う)。赤ワインのグラスも持っていた。今回のツアーのギターはニア・フェルダー。ギターはすごくシンプルなギターに見えた。コーシャスが舞台に上がるときにニコッとしたのがもうすでに素敵で静かで柔らかい第一声を聞いてふわあってなった。koreaとjapanを最初に言い間違えてしまってロングフライトでお疲れのご様子で本当大変なことだよなぁと思いながら耳を傾けた。プロポーズが実ったというカップルにみんなで拍手も贈った。今後何が起ころうとこれは素敵な思い出になるよね、きっと。ベースはJoshua Crumbly、ドラムはBrian Richburg。アルバム「Karpeh」の曲を中心に柔らかなフルートで一気に優しい世界へ。場所的になのかずらしの効いた迫力のあるドラムだったせいか最初はドラムの音を中心に拾ってしまっていたが3曲目くらいから頬杖ついてゆらゆらしてしまうくらいうっとり。お疲れなのにこれかよ、ともうほんとすごすぎる、と思いながらうっとり。サンタナのカバー曲も良かった!フルートと歌の移行が一体どうなっているのかというくらいスムーズ。高校の時、友達がフルートでもう一人の友達がピアノで私はただの聞き役で休み時間の音楽室で演奏したことを思い出した。すごかったな、二人とも。群馬でいえば進学校だったけどみんな勉強というよりそんなことばかりしてた気がする。自由だったもんね。そんなこと思い出しつつもコーシャスのフルートには驚いた。違う楽器に聞こえた。サックスの掠れ具合いもすごい世界作ってたし、なんか息の使い方とかがもうコーシャスにしかできないものになっているんだよね、きっと。全部「声」って感じ。色々終わってないのにご褒美設定しておいてよかった。行く前に一気に一本書けたのもこれが楽しみすぎてきちんと楽しみたかったからだし。遅すぎたけどご褒美って効果的なのね。そして今回ものすごく見られてよかったと思ったがニア・フェルダーのギター。ジュリアン・ラージ聴きたかったなとか思っていたくせにあっという間になんだこの人は、となった。コーシャスの優しい声というか曲の世界をジュリアンとは別の形で広げるような繊細で彩り豊かなギターをすごい何気ない感じで目瞑って弾いててこの回はニアに結構ソロを任せている時間が長かったのかもしれないけど堪能。こういうのを堪能というのだと思った。ニアがコーシャスの様子をすごくよく観察していて時々隣のジョシュア・クランブリーとニコッと視線を交わして二人でめっちゃいい音出してるのもすごくよかった。終わって少しゆっくりしてから店を出たつもりだったけどその後サイン会もしてくれたみたいで、もっとゆっくりすべきだった!お礼言いたかった!さて今はニア・フェルダーのThe Longeset Starがかかってる。このアルバム好き。こういうことずっと書いていたいけどもう行かねば。東京はいいお天気。いよいよ風が冷たいけどあったかくして過ごしましょうね。

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精神分析

記憶。

知覧のみどりゆたか美味しい。あ、ゆたかみどりだった。知覧は複雑な景色をもつ街だったな。知覧特攻平和会館で本当にたくさんの資料を読んでものすごく複雑な気分になってから武家屋敷ののんびりとした豊かな生活を感じさせる通りを歩いたからかもしれない。「検閲」という文字が浮かぶ。ここはノー検閲だし検閲ノー、といったところでそれは無理なお話。無意識を想定するなら。それよりもあからさま「検閲」の恐ろしさ。先日久しぶりに見た芝居。記憶を奪いそれに殺される。記憶を奪われ愛を取り戻す。奪われた記憶のどれかもどこかも愛ゆえだったのかもしれないけど一気に見せられた人は狂い死ぬほどのものに変形してた。というより変形できなかったがゆえにそれはそのままの力を持ってしまったのかもしれない。恐ろしく悲しい記憶と夢にまつわる芝居だった。人は全部全部を忘れられるわけではない、と書きながら若年性アルツハイマーの患者さんのことを思い出した。毎週毎週会うたびに記憶を失っていく人と何度も出会い続けるように会っていた日々。厚生労働省のハンドブックを見て最初にくるのは社会で生きるためという視点なんだなと思った。実際まず最初に思い浮かぶのはそのことだろうけど。なんだかとても悲しい。

昨日も遅れに遅れていた原稿を一気に書いた。中身はともかく(ではまずいのだけど)このスピードで書けるのにこの2ヶ月くらいなにやってたわけ、と自分に呆れた。この2ヶ月どころではなく時間が止まっていたのでまだまだ色々こなさねばならないことが続々。本当にどうかしてる。

やりましょうそうしましょう。今日はお菓子不足。こんな日もある。チョコならあるけど今はチョコの気分じゃないの。和菓子が食べたいけど今そんな気分になるなんて知らなかったから準備してないし。そんな気分になる可能性は十分あったがな。さてさてさて。辛いわね。と思ったけどすっごく素敵なこともあったんだった。今その余韻に浸る音楽を聴いているのに書いている間は忘れちゃってたよ。うむ。がんばりましょう。

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俳句 音楽

日曜日

いいお天気。南側の大きな掃き出し窓からも西側のわりと大きな窓のブラインドの向こうもオレンジ。きれいな空。東京は晴れかな。今日はゆっくり。NHK俳句を見た。忘れていた書き物を一気に仕上げて大きな机を覆っていた本を一度全部本棚にしまった。今はまた別の書き物のための本が出ている。今日のNHK俳句は南風主催の村上鞆彦さん。熱い紅茶とアルフォートを食べながら見ていた。なんかしょっちゅうアルフォートもらっている気がする。昨日は雪見だいふくのCMを見てコンビニに雪見だいふくの「白い恋人」バージョン買いに行っちゃた。別の新作デザートも買っちゃったからアイスはまだ。絶対普通の白いのが一番美味しいと思うのだけど「白い恋人」も大好きだからつい。オフィスのそばのコンビニで見つけて気になっていたの。あ、また甘いものの話になってしまった。村上鞆彦さんはとっても素敵。南風のみなさんの句も村上鞆彦さんの佇まいとか話し方とかもとても好き。とか言ってるけど今月は自分の結社の句誌に出す俳句も気づいたら締切を過ぎていた。今気づいたよ。ああ。とりあえず出すのが目標だったのに。全然余裕がないな。あ、NHK俳句のゲストは山崎ナオコーラさんだったのだけど子育て俳句よかった!「母の友」で本紹介(だったかな)もされていたはず。今日は都会にも出るから本屋さんへ行ってみよう。オフィスのある初台は新宿から歩いて15分くらいなわりに都会ではないからね。コンビニの数と高速道路の近さは都会だけどね。

洗濯物を外に干してきた。晴れるみたい。そんなに気温も低過ぎないみたい。低過ぎないというのは服装でどうにかなる気温ということ。

ああ、今日も切羽詰まってるのに日曜日というだけでなんだか気持ちがのんびりしている。チョコ食べたのに朝ごはん食べに行きたいとかなってる。別にいつも行かないじゃん、日曜だからって。そうね。せいぜい電源のあるカフェに朝からこもってるとかだよね。逃避せざるをえない状況ってことだよ。ならこんなこと書いてないで早くやりなよ。えーん。わかってるよー。でもあそこのパン屋さんの美味しいスープが思い浮かんじゃったんだよー。行きたいー。でもだめ。あそこは日曜日は多分遠くからくる人も多いから混んでる。ああ。どうしてあんな小さな駅までわざわざみなさん・・・。うーん。とりあえずやるか。紅茶冷めちゃった。

BGMはずっとコーシャス・クレイ。来日中。昨日すでにライブがあったのかな。お、今日明日か。なんだこれ、「60秒でわかるコーシャス・クレイ」だって。後で見てみよう。アルバムに参加していたジュリアン・ラージはこの前来たばかりだから別の人がギターするんだよね。ジュリアン・ラージとのはこれ。とてもとても素敵。

もうさっきから頭の隅っこの方で怖い自分が「早くやれよ」とうるさい。はいはい。やりますやります。返事は一回。はい。大人だからうざいとか言わない。大体私が子供の時にうざいなんて言葉なかった。

さ、がんばりましょう。

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精神分析

ため息

お菓子と紅茶を合わせて「おかティ」。今日は月餅をもらったので半分食べた。もうこんな時間。色々ダメダメだ。ため息ばかりついていても仕方ないのだけれど。はあ。ため息。

今日のお天気はどうでしょう。東側の窓を開けたときはあまり風もないように感じたけれど。

大きな机の上が開かれたページを下にした本でいっぱい。本には付箋もいっぱい。私はこれのどこから手をつければいいのだろう。もっといろんなことスッキリさせないとこれから衰えていくばかりなのに適応できない・・・。最近階段降りるのも一段一段確認しないとなんか怖くなっちゃったし。

どうでもいいのだけどこんなときにふと昨日のレーズンバターサンド美味しかったな、とか浮かんできてしまうのはどうして。不真面目だから?切羽詰まりすぎてどっかおかしくなってる?この程度のおかしさはいつも?

毎日厚着しすぎてオフィスもポカポカ。まだ対応できてる。でも今からこんなでは今年はいよいよ冬を越せないのではないか。これも毎年いっている、と毎年言っている。季節に関する言葉はマトリョーシカ。

今日は沖縄社会学会に少し参加するつもりだったけど無理かも。ああ。それでも日々はすぎてくね。がんばろう。

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精神分析

カレー@初台&佐賀

夜の間は雨の音が聞こえるくらいに降っていた。今は雨の音はしない。鳥が鳴いている。でもきっとまだ降ってる。寒いね。

また自分の足首をもう一つの足首に乗せて眠ってしまい痛い。自分の重みで自分がやられている。結構本格的に痛い。

数ヶ月前、オフィスのそばのカレー屋さんがとても美味しい、と友達に聞いた。最近ちょこちょこ行っている。美味しい。ごはん少なめにするとトッピングをひとつ選ばせてもらえる。小さな店で並ぶことの方が多いみたいだけど回転は早い。辛さの調節は0が中辛で20まである。それ以上もできるみたい。「17とかできます?」「できますよ」と聞いてどんなふうに調節してるんだろー、と興味津々だったが皆黙々と食べて帰るような店なので誰かがお店の人に尋ねる場面にはまだでくわしていない。私は聞けないから「あの小さなタッパーたちに秘密が?」とか思いながら観察しているが多分違う。ご夫婦でやっているらしい。奥で男性が黙々と同じ動きを繰り返している。お二人とも無駄のない素早い動きなのにどこかあったかい雰囲気。はじめて行ったとき勝手がわからずあわあわしていたら最小限の言葉で静かに指示を出してくれてありがたかった。私のあとにあわあわしていた人にも同じ対応をしていてなんだか入学式とか試験会場みたいだった。はじめてってあわあわするよね。ごはん多分g数に合わせて自動で出てくる機械があった。初回はよくわからぬまま「なら普通で」とか言ったが2度目に行ったときになんとなく「3で」と言ってみたら結構辛かった。エビカレーのエビがプリップリでトッピングのほうれん草で見た目も豪華になった。周りの人は「10」が多かった気がする。17ってどんな感じだろう。ああ、佐賀の白山文雅に行きたいー。元はバーだったみたいな狭いスペースが待合室になっていて、順番が来るとお店の人が道を渡って呼びにきてくれるシステム。人気店だから待つのは普通みたいだけどそんなに待ち時間長くなかったと思う。キョロキョロしたり置いてある佐賀情報を眺めたりそばの人の話をなんとなく聞いていたらあっという間に呼ばれた。私たちが行った日は休日だった。隣で待っていたご家族は地元の人みたいでいつものメニューがないことに慌てていた。なにやら平日はセットがあるようでみなさんそれが狙いだったようなのだ。しかもその方が全然お得らしく、お母さんはいいよ、お金出せるよと言っていたが息子たちがそれだったら別のところでみたいな感じで平日に出直すことにしていた。とても残念がりながらも気持ちを切り替えようとしている姿にいい店なんだなーと思った。順番が来た。店は意外と広い、と思ったら鏡の効果もあった。アンティークな感じでとても素敵だった。ここでも「ごはん少なめ」と言おうとしたら少しお店の人に制されるようなタイミングで何か言われた。不思議に思って待っているとごはんのお皿が出てきた。びっくり。すっごく小さなごはんがお皿にちょこんと乗っかってる!ごはん少なめって言ったからではなくてスタートの量がこれ。あとはおひつから自己調節。かわいい。カレーもとっても美味しかった。隣にきた若い女性たちはインスタとメニューを見比べながらずーと迷っていたが結局お店の人に色々聞いて選んでいた。迷うよね、これは。写真とかみちゃうとなおさらね。その人たちはセットで頼んでいた。特別な店ではちょっといいもの頼みたくなるよね。私たちは旅に出ると早くから呑むからおなかいっぱいになりすぎないように普通にカレーだけいただいた。また行きたいな。夜にいって豪華なコース食べるのもいいな。11月上旬は佐賀バルーンフェスタだったね。佐賀に行ったときに電車から普通にバルーンが見えてすごく感動した。「うわー」ってなったんだけど電車の人たちだーれも反応していなくて「おお、日常・・・」って思って小さく騒いだ。

ああ、寒くて動きたくないぜよ。もう金曜日なんて最悪だよ。なにも進んでないじゃん。なのにこんなことばかり書いてしまった。はあ。準備準備。どうぞ良い1日をお過ごしくださいね。

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精神分析

悪口とか。

眠い。おなかがすいた。りんご食べた。ちっちゃいチョコと熱い紅茶もある。よき!

今色々悪口をそうとはわからない形で書きたいけど書かない。そんな暇じゃない。悪口ならそうとわかる形で書く。そうとはわからないと思ってされてることって第三者からみたら結構あからさまに「そう」なので小細工するよりわかるように書いたほうがいいでしょう。悪口とか大雑把に言ってるけどこっちにはごく普通のありがちな文句でも悪意や非難としてしか受け取られない世の中なんだからもうなんでも悪口でいいや、みたいな気分になる。悪意で受け取りやすい人は自分より弱い立場の賢いが孤独な相手を使っていい人アピールするのは上手だから厄介。これも悪口。全部悪口。馬鹿は一生言ってろ、と馬鹿にすればいいのだ、これまで通り。これ、全く逆の褒め言葉でも言える。どっちかにすることは簡単。毎度同じように「最高!」とか言ってるのは褒め言葉ではないけどね。本の帯とかもある層にはかっこよく響くであろう、ある知識を前提としている言葉が書かれていると思いやりのなさを感じてしまう。昨日読んでいた英語の本の書かれ方もそんな感じで「この人の本は私の分野では読んだほうがいいから買って読むけどこの人の書き方あまり好きじゃないんだよねー」と近いうちに友達にいうであろう言葉を頭の中で言っていた。なんか基本的に意地が悪い、というかなんであえてそんな言い方するの、とか思う部分が多いのだけどもう大御所だからか書評とか見るとそこはもうみんなわかってることとして、みたいな感じなんだよね。わかってないよ、私は、と思うし私の英語の読み方がおかしいのもあるだろうからな、とぶつくさ思った。何かをだしにしてる感じが嫌なのよね。お料理だけにしといてくださいよ、と思っちゃう。嘘つきの優しい言葉よりはましか。あー悪口悪口。

ジュリアン・ラージは今日も優しくて確かな音色を超人的なテクニックで奏でてくれる。ミュージシャンたちのSNSが好きでよく見てるせいかFacebookで勝手に流れてくるのもそんな画像ばかりなんだけどものすごいのがいっぱいある。ライブ会場、どこまで広がってるの、砂漠なの?というくらいずっと遠くまで人で埋め尽くされてるライブとか。この前、年齢的に生きてる時代が重なっていない二人が一緒に写ってる写真があって面白いなと思ったのだけどついてたコメントが「フェイクだ!」という指摘でびっくりした。まあそうもとれるかと思ったけどこれも前もってもっている知識とかその対象に対する思いとかが関係してくるから難しい。載せた人のことは全然知らないけどしかしたら本当にフェイクとして載せてる可能性だってあるものね。難しいな。

今日もいろんな言葉と出会う。がんばりましょう。

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音楽

雲、ジュリアン

この時期は夏より淡い白の大きな雲がじーっと浮かぶ。今朝もそんな感じ。東側の雲は朝日のいれものみたいになっててオレンジがはみでてるのもきれい。まだ空気は秋。冬の鋭い感じがない。紅葉も今本格的にきれい。2週間前の広島もきれいだったけど東京のほうが遅く感じる。実際どうなのかしら。

おなかの調子が悪くて仕事以外じっとしてる時間が長い。やることがたまってく。ただでさえ時間が止まってたんだなと気づいてショックを受けてたのに。そのショックの身体化かもね。あーあ。しょうがないね。調子悪いと音楽も刺激になっちゃってイヤホン忘れて元気なくしてた日々はどこへという感じ。それでも昨日延々流していた、というよりPC前でウトウトしっぱなしの間に繰り返し流れてたのはジュリアン・ラージの新曲”omission”。

宣伝用に一部切り取られたのがずっと流れてたんだけどここちよかった。ギターの可能性だけではなくて一緒にやる人たちの演奏の可能性も広げていくのがすごいと思う。コーシャス・クレイのアルバムのギターもジュリアン・ラージなんだけど生で聴いたらどうなっちゃうんだろうというくらいきれいな重なり合い。本当はきれいって言葉じゃ全然足りないのだけどこれだけ良いとどの言葉でも当てはまるからいっかみたいな気分にもなってしまう。彼らの緻密かつ考えと正反対な気がするけど言葉にするとしたらもっと体験しないとって感じ。ライブいくとか。トップミュージシャンたちは背景を作るのも最高に上手。どの世界でもそれは同じか。デザイナーの世界もそうだよね。分業が素晴らしい。心理臨床も分業として考えればいいのだけどなかなかそうもいかないのでしょうね。私世代までは多分そうやってきたと思うのだけど。心なんてそもそも全体で語ろうとするからおかしなことになるんじゃないの?と思ったりするもの。

はあ。早く通常の状態に戻りたいな、と思ったけど通常でもたいして変わらない疑惑が出てきた。それもそうか。まあ、できる範囲で行ける範囲までやりましょう。寒いけど紅葉楽しもうね。

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精神分析

寒い。

寒い。PCも床も冷たい。マットって偉大。それにしてもお風呂場に暖房があるって画期的、嬉しい、ありがたい!と思ってもう10年以上だけどやっぱりありがたい。フィルターを取り替えたらその下に干していた洗濯物が揺れるくらの暖かい風が最初から出てきた。冬になると色々億劫すぎるけど暖房がないともっと億劫。フィルター取り替えるとか微妙に面倒だけどやってよかった。洗濯物はすでに乾いていたからたたんだ。あとはキッチンが難関。マットを新シクしようと思ったまま買っていないから。お掃除しやすい方がいいからあまり何も敷きたくないとか思ったのはきっと暖かい時期だったのね。冬はできるだけ大地から距離を取りたい。昨日はすごく寒かったけどショートブーツが暖かく感じた。そのうち何着ても何履いても寒い!!ってなるんだよね。もう嫌。今から結構厚着してるのにどうしよう、って毎年言ってる。毎年辛くて同じく冷え性の友達と辛さを分かち合っては暖かい飲み物をありがたがりおいしいお菓子情報を交換する。あったかグッズ情報もいろんな人に教えてもらうし実際にもらったりするのだけどどうにも使いこなせていないな。もらったらすぐ使うとかしよう。使ったらきっと「これいい!」って自分でも買うだろうし。今日のりんごは少し酸っぱい。柿は昨日少し渋かったから皮を厚めにむいた。私が大地と距離をとるように。接触面に栄養とかいいこといっぱい詰まっていることは多いのだろうけどね。冬でもお花は健気に地べたに咲くしね。

先日ここで柳樂光隆による稲垣次郎のインタビュー記事を読んだって書いてすごく興味深いことがいっぱいで笠置シヅ子のブギウギとの関連も気になっていたわけだけど佐藤利明さんという方が柳樂さんへの返信でブギウギのことに少し触れてた。これが気になってたから玉川裕子『「ピアノを弾く少女」の誕生 -ジェンダーと近代日本の音楽文化史-』玉川裕子著(青土社)を読んでる。今は読んでいる場合ではないのだけどちょっとずつね。

寒いけど無事に過ごしましょう。

今朝はコーシャス・クレイ(Cautious Clayを聴いてるよ。この人も本当にすごい。『KARPEH』は

「言ってしまえば、ナラティブ(出来事を伝えるストーリー)なんだ。」(Rolling Stoneのインタビュー by柳樂光隆)

とのこと。これもコーシャス・クレイの魅力全開のいいインタビューだった。広いところへ視野が広がっていくような優しく導いてくれるようなアルバムKARPEH』もぜひ。

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和ジャズ!

寒い。キーボード打つときに手の付け根の方の平たいところが当たって冷たい。熱い紅茶と久々の柿と昨日と同じりんご。お薬を飲もうとしたら落としてしまった。這いつくばるように探したのにない。どこまでコロコロしてしまったのかしら。転がる形態でもないのに。

今朝も昨晩に引き続き和ジャズ!今度はリアルサウンドの記事で柳樂光隆さんがインタビュー記事を書いていた。数日前に名前を聞いて気になっていた稲垣次郎というジャズミュージシャンの記事。まだ前編なんだけどやりとりが可笑しい。その場にいたら思わず笑ってしまいそうな瞬間がいっぱい。いなくても笑ってしまったけど。この年代の人はすごいね。90歳。本当に単純に好きなもの取り入れてやりたいことやってくぜ、という感じが好き。ものすごい人たちとも普通に対等で飄々としてていいよねえ、こういうの。

マイルス・ディヴィスに関してもこんなやりとりが。

――それはシンパシーみたいなものもあるわけですか?

稲垣:それはないですね、自分とはちょっと違うなって(笑)。

なんかシンプル!!面白い。私が当時大好きだったピンクレディの後ろにもいらしたのね。秀樹もですって。

音、かっこいいですよ。ロックとジャズはどんどんいい関係になりそう。最近ここであげるようなジャズ・ミュージシャン、みんなどの分野とも誰とでもセッションできそうな人ばかり。石若駿とかの世代とか30代は稲垣次郎の世代がやりたかったことをこれまた自然に展開させてるのではないかしら。よくわからないけど柳樂さんの記事を読んでいるとなんかそんな気がする。ルーツを意識し歴史を忘れさせないジャズと少年の心を意地でも忘れないロック、両方大好き。ネガティブな部分もなんでもきちんと出ちゃうのもいい。稲垣次郎さんかっこいい。アルバムはこちら

『WaJazz Legends: Jiro Inagaki – Selected by Yusuke Ogawa (Universounds)』

配信リンクはこちら

和ジャズ!ブギウギの笠置シズ子の少し下の世代ということになるね。歴史は面白い。その曲で今もみなさん繋がってますよ、とお伝えしたいミュージシャンがたくさん。「あ、そう」とか「へえ」というお返事かもね。繋ぐためにはじめたわけでもなかろうから。

さてさて色々大変じゃ。でもグッドミュージックbe with you!

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精神分析

一問一答。1袋2枚。オジー。など。

ふー。本を積み上げただけで疲れたぜ、と言えるほどには元気だぜ、ひどいことをした人が温かく励ましてもらえる社会にはひどいことをされた側は傷つくけどそういう人にもそういうことがないと世の中良くならないしひどいことされた側はどうやって過ごせばいいかわからなくてもとりあえず存在してることが大事、ということで今日は日曜日。りんごをシャクシャク。この冬初めてのりんご。トロッコ問題みたいな問いって答えるのが大事なんじゃなくてそういう問いが立ってしまう状況が問題なのでは、と思うけどそんなこというと「あれは」と穏やかだけどでかい声で説明をはじめる知識人が思い浮かぶ。問いに対してすぐ答えないと死んじゃうのかよ、と突っ込みたくなるほど一問一答(答えに多義性があろうとなかろうと)が好きな人はそれはそれでいいけどそんなこと求めてないよ、という人にはいらないよ、そういうの、大抵の場合。それが単に侵襲になっている場合もあるから。大人になると問題になりにくいけどね、ありがたがって群がる人もいっぱいいるし。その陰でしているひどいことまでそれで誤魔化せちゃったり。子供はそういう体験が外傷になる場合があるわけだけど、ということをウィニコットは書いたけど。そうそう、トロッコ問題なんていちいち言わなくてもそういう問いは心の中に実際立ってしまうでしょう。個人の傷なんてあっという間になかったことにされる集団のあり方なんてみんな言語化しないで行動化してるから見えにくくなってるだけで、というと「あれは」と間違いを指摘する声が聞こえる。そのでかい声がフラッシュバックして眠れない日々を過ごす。あれを穏やかと感じられる関係性の人はいいね、と呟きながら。何かを考えるとすぐに正解がほしくなる心と戦っている人の苦しみの起源は正解を押し付けてくる心だったりするのかも。それが正解だろうとなかろうと押し付けるなよ、といっても押し付けに感じる方が悪いんだろ、という堂々巡りにもなりがちだしね。何か言われたらとりあえず考えて答える、ということをするのではなくて「はいはい、私が悪いんですね」みたいに終わらせたがる人もキャパ狭いけどそういう人にも実際の濃いやり取りを必要とせず、つまりキャパが狭くても取り入れることができる知識なら大抵の人の一生分以上あるし、誰か一人の大事な場所に小さな傷をつけようと「なによりも家族!」とか嘯いて暮らすこともできるし、そういう人にも優しい社会はあるから他人事として考えると優しくされて優しい心が持てるようになるといいですね、せめてひどい言動はこれで終わりにできたらいいですね、となるけど当事者にとっては色々うんざりってことも多いから難しいですね。「どこがなによりもだよ」とか。人間関係に対するキャパって知識に対するそれとは全く異なるけど連動もしてるから今日も人のあれこれをあちこちから眺めて自分で体験しながら考える。とりあえず存在することの大切さを共有していくような仕事だからみんなであれこれやりましょう。今日はグループだからね。みんなよろしく。

しまった。2枚入りの美味しいクッキーを2枚とも食べてしまった。あーあ。1枚目が半分に割れてたから枚数感覚が狂ったか。そんなはずないか。美味しかったから残しておきたかったのに。群馬のケーキ屋さんのクッキーなのに。

今朝は昨日ノミネート作品が発表になったグラミー賞の昨年の受賞曲が集められたプレイリストを聞いている。今はオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のPatient Number 9feat.ジェフ・ベック(Jeff Beck)。オジーも大好きだった。オジーはbeingもdoingも両立してるというかdoingの前提がbeing.オジーのあとにWet Leg。良い並び。今日はこういう感じがぴったり。みんなはどんな感じかな。どうぞ良い日曜日を。

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精神分析

グラミー賞とか。

第66回グラミー賞ノミネート作品が発表されたのね。外は風が強い。音がすごい。肌寒いけど膝掛けにも肩掛けにもなるフワフワのを羽織って熱い紅茶を飲んだら少し暑い。飲まないとすぐ寒くなる。冬ね。グラミー賞は時間があった頃は授賞式の映像を見るのを楽しみにしていた時期もあったけどここ数年音楽をきく余裕をなくしていた。ということに気づいたのもほんの数ヶ月前。それからはイヤホンを忘れると一日中元気がないほどに暇さえあれば何か聴いている。Spotifyでおすすめされるままに流していることもあるけど音楽評論家の柳樂光隆がすごい勢いで出してくる(ありがたい)インタビュー記事を読んでその音源をきくことが中心。重なってくる情報も多いおかげで最近少し頭が整理されてきた気がする。好きなロックミュージシャンたちは今も色々話題豊富な人が多いのかFacebookとかで流れてくるものからチェック。最近はCoverdale & Pageのことが流れてきて久しぶりに聴いた。YouTubeに1993年の大阪公演があがってた。東京公演行ったよ。ディヴィッド・カヴァデイルがほんと美しくて、そしてあの声、うっとりした。ジミー・ペイジはもうなんだか凄すぎた。かっこよかったなあ。一枚しかアルバム出さなかったけど今となってはあれでおなかいっぱいな感じもする。特別な二人の特別なアルバムって感じでいいよね。

ちなみに今年のBest Rock Albumは以下の5グループ。

Foo Fighters – But Here We Are
Greta Van Fleet – Starcatcher
Metallica – 72 Seasons
Paramore – This Is Why
Queens of the Stone Age – In Times New Roman…

やっぱり一番聴いているのはメタリカだねえ。Queens of the Stone Ageになると私にはちょっと新しいな。ライブに一番行ったのは1990年代前半だから2000年以降はほとんど新しい人だと思ってしまっている。しかもここ数年のブランクでよほど有名な曲でないと全然知らない。女性アーティストは結構フォローしてたかな。最近、ずっと聴いているジャズは根っこがつながっている感じで今のジャズを聞いても当時聴いていた古典が全然古びていないというかむしろすごいリスペクト向けられてるから古いも新しいもないかんじ。今私が聴いているジャズは、だけど。多分全然知らない世界もいっぱいあると思う。

あら。風の音が止んだかな。そろそろ行かないと。鹿児島で地震があったのね。どうぞお気をつけて。鹿児島、近いうちにお邪魔します。よろしくお願いします。良い週末をお過ごしくださいね。

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バティステ、ルララ♪

キッチンの小さな窓から入ってくる風がいよいよ少し冬。コーヒーとタルイベーカリーのパウンドケーキ。小さな人気パン屋さん。お隣のカフェも行ってみたい。昔、ボーイフレンドに焼いてくれた母のバナナパウンドは本当に美味しかったな。あげたことはお話としてしか覚えていないけど自分が食べたことは覚えている。

今、またジョン・バティステを聞いてる。今年9月、柳樂光隆のインタビュー記事を読んで知ったなんでもできるジャズマン。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/39978

アカデミー作曲賞もグラミー賞もとっているすごい人だった。ニューオリンズ出身というのも素敵。この記事で最新アルバムを聴いてそのかっこいい始まり方から魅了されて何度も聴いた。そして昨日出た新たなインタビューで『Chronology Of A Dream』(2019)の音源と出会った。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/40193/1/1/1

全然イメージが違った。ワーオだった。このライブ行きたかったな。みんな絶対すごくいい1日になったと思う。この曲かっこいいですよ。

2本めのインタビューでバティステはこう言っている。

「JB:スタイルよりも、どうやって制限を持たせないかということを考えていたんだ。『World Music Radio』は「ワールド・ミュージックを作らない」ための良いスタートになると思ったんだ。世界中のカルチャーをカラーパレットのように見立てることが、ジャズやソウル、ポップ、さらにワールド・ミュージックというジャンルから自由になる一種の方法で、僕はその自由さに美学を感じた。とても自由な発想で作るんだよ、まるで子供のようにね。だって、子供は音楽を「これはラップだ、クラシックだーーだから、僕の趣味じゃない」っていうふうに音楽を聴かないよね? 耳に入った音楽に自然と反応する。そういった感覚で音楽を作ったんだ。」

1本めのインタビューでの多様性の解釈とその現実化もすごいな、と思っていたけどこうやってさらに知るともうなんだか多様性、多義性に関して本気の人って、とリスペクトしかない。

柳樂光隆の質問がすごくいいというのも大きい。他の媒体の別の人によるインタビューも見たけどこっちが知りたいのはそんなことではないですよ、と思うものもいくつかあった。良い問いを発明することは世界に別の見方をもたらすのね。素敵。

サマラ・ジョイが流れてきた。とても好き。ちょうど良い深みの声。美味しいコーヒーみたい。そしてとてもかわいい。

音楽は安らぐ。色々辛いこともたくさんあるけど色々なんとかなっていくといいね。ガンバリルルラリルルララ♪

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コミュニケーション大事。

コーヒー&カステララスク(ゆず)あとアルフォート。カンマを使わなかった。

高橋ユキさんが書き手を下に見ている編集者のことを書いていたけどわかるーと思った。書き手としてすでに人気がある編集者でも担当作家のこと見下してた男性もいた。嫌な人だなと思った。相手が女だと上手に依存関係築いて職権濫用をお互いにしているというよりはwin-winだから別の女への搾取の歴史は消えていく。それはそれでどちらの女のことも家族とか身近な人も見下しているんだけど大人な人にはバレてるんじゃないかな。嫌な人だ。やっぱりいろんな人と会ってコミュニケーションとるのって人として大事だと思う。気持ちのいい関係に安住できる環境がある人はそれを守るのも大事だけど気持ちのいい関係以外は排除しながらそれを維持している人は他者から学ぶ気がないわけでしょう。その人もいつも似たようなカッコよさめの文章を書いてキャーって言われるみたいなパターンがあってオレイケてるって思ってるらしいのだけど(表面的には「いやー」とかいって謙虚っぽいけど)あれはコール&レスポンスですね。中身はどこへ。ファンがいるっていい面悪い面あるけど嫌われたくない!と強く願っていたから願いが叶っているともいう。読まずに「名著!」とか紹介する方もする方だよ。それも愛情なのかよ、って思うけどきっとそうなのね。変なの。変なの、って一緒に言ってくれる人がいるのもすごくいいと思う。その人はすぐアスぺとか病気とかいう人だったし。そういう言葉遣いもパターンってあるのかしらね。パターンというかそういう言葉を使う人だと知っている人は知ってるし知ろうとしないか知る機会のない人は知らないしということでしかないか。

今日はちょっとひんやり。風邪引かないようにして過ごしましょう。

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精神分析

立冬

立冬。冬らしさまだ感じず。でも熱いお茶がこんなに美味しいからやはり季節は寒い方へ。高尾のお土産と一緒に。お菓子いっぱいで冬眠準備みたい、と思ってもすぐになくなってしまうから冬眠に至らず。準備不足でも冬眠してもいいですか。いいですよ。でもおなかすきますよ。それは困りますよー。

しまった。突っ伏して眠ってしまった。PCにwがいっぱい。この前はdがいっぱいだった。

昨晩はフロイトの「終わりのある分析と終わりのない分析」からメルツァーが引用した箇所を探していて何度見てもなくて途中からもしかしてと思ってメルツァーの本を確認したら引用ではなかった。やっぱりなあ。こんな文章あったっけ、と思っていたんだよ。でも私の記憶力なんて当てにならないし見逃してるだけだろうと思って結構時間を取られてしまった。何回か見たところであれ?と思ったのだからそこで確認すべきだった。確認が面倒で引き延ばしたのだろうね。そういうこともよくやる。昨日までに出すとか言ったのにダメだった。こんなに色々間に合っていないのはじめて。でもこれについては目処が立った。結構困難な作業だったな。勉強になったけど。とか言っていないで早く仕上げましょう。

昨日は石若駿のツイートでBanksia Trioを知ってそのアルバムを聞いていた。駿くんはいろんなグループにいるんだね、自分のグループも持ってるし。

「須川崇志(Banksia Trio)インタビュー & 『MASKS』全曲解説 | 日本のジャズシーンを代表する精鋭トリオ、バンクシア・トリオの成り立ちから、ニューヨーク時代の恩師、菊地雅章との出会いまで」という記事もざっと読んだ。みんな素晴らしいのだけど今それを書く余裕がないのでぜひお読みになって。アルバムも渋くてかっこいいのでぜひ聴いて

あー、突っ伏し寝は胃腸にも腕にも悪いしなによりこんな時間。立冬の光がブラインドの向こうで明るく光ってる。気持ちよく過ごせたらいいですね。行ってきまーす。

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精神分析

強風、アメリカ、環境

昨晩からすごい風がおさまることなく吹いている。今朝は何も胃腸にいれる気がしない。入れすぎていたのだろう。早く元気になって。体調が悪いと何もしたくないけど動けている程度だからゆっくり動き続けましょう。無理はしない。

ふと写真が目に入る。ジーンズのポケット部分に写真が入るデザインの写真たて。このデニムのシャツを着た大きい男の人のオブジェはPasadenaだ。身内がLAに住んでいるときによく行ったのんびりしたモール。毎回文房具屋さんでかわいいカードを集めた。小さな美術館もあった。米国同時多発テロ直前、2000年には彼らとNYにいた。別の身内はあの日もNYにいたし今もNYにいる。その後、戦争が始まり、やけにすいた飛行機でLAに行った。はじめてLAに行ったのは20歳のとき。暴動の余波を感じる時期で近寄ってはいけないと言われた場所がいくつもあった。国内での暴動に比べて戦争中でもアメリカは静かだったなと感じる。そうではないアメリカもたくさんあっただろうけど。アメリカは広い。

サックス奏者、ヌバイア・ガルシアのインタビュー by Mitsutaka Nagiraを読みながら彼女の曲を聞いていた。何度読んでも小さい頃から当たり前のようにあった音楽環境の豊かさに驚かされるが私もクラシック音楽は小さな頃から身近だったなとか考えていた。ドイツだったと思うけど有名な指揮者がうちに来たこともあった。フィンケさんだっけな。私は楽器も習っていたけど才能もなかったしクラシック音楽は身近なだけで好きでも嫌いでもなかったしどちらかというとオーケストラのコンサートとかいくのは面倒だった。すぐに寝てしまうから。母なんて始まる前から私に肩を差し出していた。寝ないよ、まだ…、と思った。大学に入ってバイオリンをやっていた友達に誘われて親とは関係なくコンサートにいくようになってからようやくクラシックの魅力がわかった。ヌバイア・ガルシアみたいに豊かな音楽環境を自分の生活の一部とできていなかったことが少し悔やまれる。

昨日、ウィニコットのいう「環境」や「退行」について少し考えていたので関連部分を載せておこう。私は退行概念は以前からたやすく使えない用語だと思っているので何か言うならこの辺は参考になるかなと思った。もう行かなくては。とりあえずメモ。ほんとに風が強いからみなさんもどうぞお気をつけて。交通機関にも影響が出なければいいですね。

「私は、通常の赤ん坊において、誕生以前にも誕生以降にも同様に適用できる存在のあり方の仮説を提示したい。この存在のあり方は赤ん坊にとってのことであり、観察者にとってではない。存在し続けることは健康なことである。比喩として泡を例に取るならば、外側の圧力が内側の圧力と適合していれば、泡は存在の連続性を有しており、このことを人間の赤ん坊に当てはめるならば「生存する」と呼ぶことができるだろう。それに対して、泡の外側の圧力が内側の圧力に対して大きいか小さい場合、泡は侵襲に対する反応の状態にある。これは環境の変化に対する反応として変化するのであり、個人的で衝動的な経験によるのではない。人間という動物の観点から考えると、これは存在の連続性に中断があったということであり、存在の場が侵襲への反応に取って代わられるのである。侵襲が終わると、反応は終わることになり、また存在することへと復帰することになる。」ー『人間の本性』第4章「最早期の段階」

「子宮のなかの素晴らしい時という観念(大洋感情など)は、依存に対する複雑に組織化された否認である。退行に伴って起こる喜びはすべて、環境は完璧だという観念を前提としている。これに対抗するものとして、環境があまりにも悪いために人間が存在する希望が全く無いのではないかという、退行した子どもや大人にはまさにリアルなものとなりうる考えを、検討しなければならないだろう。」

ー『人間の本性』第10章「環境」

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お菓子 音楽

1987年、高尾のお菓子、Jazz

月曜日になってしまった。どうしましょう・・・。雨が降っているのね。寒くはないけど首にストールを巻きましょう。昨晩、阪神の応援で騒いだわけでもないから喉が痛いとかではないけど肌が出ているところはなんかひんやりする。今日も明日も日中は暑いくらいらしいけど8日(水)は立冬。きっと急に冬を感じる瞬間が訪れる。毎年そうですから。昨日の阪神は強かったですね。今年はずっと強かったわけだけど日本シリーズでも勝つとは。私は岡田、掛布、真弓時代の阪神を知っているので岡田監督が前の優勝の時は27歳だったというのを聞いて時の流れをしみじみ感じたのでした。当時は毎年巨人ー阪神戦、いわゆる「伝統の一戦」というものを後楽園球場に見にきていた。今wikipediaで「後楽園球場」を見たところ

「最後のパ・リーグ公式戦は1987年10月13日の日本ハム-近鉄戦で、近鉄先発の吉井理人がプロ初完投勝利を挙げている。最後のナイター開催試合は10月17日の巨人-ヤクルト戦で、巨人のサヨナラ勝ち。最後のセ・リーグ公式戦は10月18日の巨人-広島戦で、巨人の吉村禎章が4ボール2ストライク(4ボール目の見落とし)から本塁打を打っている。最後のNPB主催試合は10月30日の日本シリーズの巨人-西武第5戦で、最後の投手は西武の工藤公康、最後の打者は篠塚利夫だった(結果は三振だった)。」

馴染みの名前ばかり。前回の阪神優勝は1985年。私が最も野球をよく知っていた時代かもしれない。野茂がドジャースに入団するのはその10年後。いまだに野茂は偉かったよね、という話をする。

そういえば昨日はまた同世代で BUCK-TICKの櫻井敦司を偲んでしまった。BUCK-TICKのデビューは1987年。後楽園球場閉鎖と同じ年。1987年のwikipediaには

「5月25日 – 森高千里が「NEW SEASON」で歌手デビュー。9月12日 – マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート。9月20日 – おニャン子クラブが解散。12月24日BOØWY、渋谷公会堂にて解散宣言。」

はあるのにBUCK-TICKデビューはない。なぜだ。それにしても「そうか、これはこの年だったか」と思う出来事ばかり。38年。うーん。

ストールしてコーヒー飲んでたら暑くなったので巻き巻きをぐるぐる外したら今度は寒い。なんなんだ。今朝のお菓子は高尾のお土産。めじろ台に店舗があるパティスリーメゾンの高尾ラスクとマドレーヌ。ラスクはカステラを焼き上げてるんですって。今朝は黒蜜味をいただきました。マドレーヌも蜂蜜使ってて美味しい。蜂蜜大好き。

昨晩からグレッチェン・パーラトを聴いている。音楽の記録はTwitterとnoteにしていこうかな。なんとなくすでにそうなってる。時間があるときにメモ的に。グレッチェンは少し前に聞いてその優しい歌声にすっかり虜になってしまったのです。グレッチェンと一緒にやっていたベッカ・スティーヴンスもいい。

“’Cause there’s only now,
change all your thoughts from loneliness to solitude,
sacred,
the space that you’ve found.”

Becca Stevens BandのWeightlessに収録されている Weightlessという曲の歌詞なんだけどウィニコットみたい、と思いながらウィニコットはsolitudeという言葉を使ったかどうか、と考えていた。isolationを使ってはいるけど。

もうこんな時間か。辛いな。辛くてもお菓子は美味しく感じるんだからいいことですよね。みんなにも「あーこんな状態なのに空はきれい」とか「もう秋が終わっちゃうけど今年も紅葉みられた」とかほんのり良い感じのことがありますように。

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精神分析

11月5日朝

秋もみじ、というもみじ饅頭を熱いお茶と。くるみやら色々入った豪華もみじ饅頭なんだけどもはやもみじの形をしていない。ハンバーグみたいな形。でも美味しい。ポロポロ崩れるけど落ち葉ってことで。

寝不足。もうこんな時間。朝だね。朝イチの音楽は柳樂光隆が直近でお勧めしていたこちらKNOWER(Louis Cole&Genevieve Artadi)というのね。おー、エレクトロニック。かわいいおしゃれかっこいい。普通の褒め言葉が全部当てはまりそうな音楽だな。 YouTube、これ最初の撮り方かっこいい。普通の部屋で撮ってる?こういう感じは懐かしいな。インタビューもとったとのこと。すごいペースで記事書いてる。この量だと情報に合わせて音源コピペするだけでも大変だと思う。すごい。私の進まない原稿とは大違い。

KNOWERさんはLA発とのこと。なぬっ!レッド・ホット・チリ・ペッパーズのオープニング・アクトに抜擢されたこともあるのか。おお。なんでもできそうだしな。

YouTube見始めたら止まらなくなってしまった。いかん、今日もずっと書かねば。明日からまたまとまった時間はない。腰が痛いなあ。この前の長時間新幹線で悪くした感じがする。昨日も座りっぱなしだったし。鳥たちは元気らしい。とりあえず大きな声で鳴いておられる。なんだかまだ寒くないのがありがたいね。ここ数日暑いくらいだったけど寒いと身体がこっちこちになってしまう。手はもうしわしわ。あんなジメジメしてたのにもう乾燥。痛くなる前にクリーム塗りましょう。コロナ禍で肌荒れた人も多かったよね。消毒液で荒れてクリーム塗ってなんてなんか変だし。うちのピヨ(Hansaのひよこ)が倒れてるから首をPCの縁に乗っけた。deleteキーが打ちにくい。どかせばいいのだがなんかかわいい。君も何かおしゃべりしたらいいのに。私が一方的にしゃべっちゃうでしょ。まあいいか。というかあなたは喋らないもんね。表情で相手してくれてるんだもんね。いいこひよこ。かわいこひよこ。ありがとさん。

昨日は「あ、これって結局こういうことじゃん」となんか発見したような気分で書いていたんだけどもう夜もすごく遅くて「これあとから見たらなんだこれってなって消すやつかもよ」と思い直して見ずに寝た。今見るのも怖くてYouTube見ちゃってる。この前も「これって結局意識、前意識、無意識の言い換えじゃん」と発見した気分で寝てあとから見たら「どうしてそう思ったんだろう・・・」ってなって消したばかり。結局睡眠が大事ということか。とりあえず見て見ましょう。あー、怖い。饅頭怖い。お茶が怖いよー、ということでまたお茶いれてこよう。

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精神分析

11月4日朝

すごく鋭い鳥の声。昨晩、山手線で大きな声で話していたオタクらしき3人の会話を思い出した。あまりに大きな声なのでクワイエットモードで音楽の音量を上げたがそれでも耳に入り込んできた。相手に言われたことを「それは違う」と自分の見方を主張する仕方に攻撃性は感じず確かな証拠を持ったこだわりといった様子で面白かった。でも周りが見えていないというか実際に立っている位置がたくさんの人が降りようとしているのを塞いでしまっているのに立ち位置を変えることができず慌てた感じで仲間も似たような感じでそれまで見えていなかった世界が急に動き出した感じみたいだった。人って意外とこうなるんだよね。イヤホンとかしてると特にそう感じる。この前、カフェでイヤホンで音楽聴きながら作業してたら周りの人がバラバラと急に立ち上がったのを感じてなんだなんだと振り向いたら怒鳴るように話している人がいてみんな避難したみたいだった。確かにそれまでもその人の声って違和感を持って入ってきてはいたんだけどイヤホンのせいで随分普通サイズになっていたみたい。周りの人たちみたいな切迫感は感じなかった。危機管理的によくないな、と思うのだけど聴きたくなっちゃうねえ。たやすく欲望に負ける。あー。

今朝は熱いお茶をいれたけどもみじ饅頭にしようか、みかんにしておこうか迷う。買ってきたみかんがさっぱりしすぎていてもう少し甘みのあるものが食べたいなあと思ったり。でももみじ饅頭じゃ甘すぎるかなあ、今の私には、と思ったり。絶対あとでもっと甘いもの食べると思うのだけど朝の味覚はわりとうるさい。

昨日、橋本麻里さんのツイートでとても気になる作品を見つけた。「かみ添」さんというところの作品。これは見たいなあと思った。

「かみ添」というのは唐紙老舗「唐長」で修行したのち、独立した新世代の唐紙師・嘉戸浩による屋号とのこと(美術手帖より)。

11月1日からTERRADA ART COMPLEXⅡ BONDED GALLERYで始まった特別展「ひかりの底」で見られるらしい。キュレーターが橋本麻里さん。橋本さんの記事の熱量もすごい。熱量とはいわないのか。私が勝手に受け取るもののずしんとした感じがすごい。2021年に出た『かざる日本』なんて豪華な図録みたいな本だった。宝物をさらに大切にしたくなる記述に溢れてた。

ああ、かみ添さんのこの作品は見たいなあ。ビオンというサミュエル・ベケットの分析をした精神分析家の研究者でベルギーの精神分析家のベルモート先生という人がいるのだけど彼がとりあげた作品はビオンの見方の一例を示すものだった。

Kazimir Malevich, Suprematist Composition: White on Whiteという作品。1918年の作品だからビオンの著作に出てくるのかもしれない。私はベルモート先生から知ったのだけどどうなんだろう。

うーん。時間できたらいいのだけど。自分次第自分次第。あー。

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11月3日早朝

星がきれいと空を見上げたら月がまだ高いところにいた。

始発で新幹線の止まる駅まで向かう。この時間でもそれなりに人がいる。いつもより荷物が軽い。急ぎの書き物があるがPCiPadももってこなかった。大きいノートは持ってきた。断片は集めてあるから順序を考えよう。

おなかがすいた。大きい荷物を持っている人は連休でどこかいくんだね。私はひと仕事しにという感じ。とにかく書かねば。なのに。まあがんばりましょう。

今私が一番恐れているのはイヤホンの充電がきれること。柳樂光隆のnoteのおかげで私の音楽生活が戻ってきた。ただ書いてあること以上に調べるのは我慢してる。行きたい店もいっぱいあるがそれは普通にいけないので諦められる。でも調べものは隙間時間でできてしまうからまずい。優先順位大事、と他人にいうのだから自分もね、と戒め戒め。

昨日はジョシュア・レッドマン“Where Are We”のアルバムと、アルバムでカヴァーされたり引用されたりしている原曲の両方を聴ける柳樂光隆のプレイリストの両方を聞いていた。ヴォーカルがとてもゆったりしていて気持ちよく眠れてしまいそうだったが寝てはならぬ時間だった。世知辛い世の中じゃのう。

周りに続々と人が集まってくる。この時間でもおしゃべりしてる人たちが元気で羨ましい。私の仕事はそこそこ身体が元気ならできるからよかった。愛想とか忖度とか大変だよね。しなくてもいいものをどうしてしているのかって自分もその循環に巻き込まれてそれを要求する側にもなってるからだよね。人間関係は難しいね。

よく寝てちょうどよく食べて無理せず過ごしましょう。車窓にはまだ暗い朝。今日最初に鳥の声に気づくのはどこになるかなあ。イヤホンしてたら聞こえないから充電きれてもいっか。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

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精神分析

11月2日朝

地震だ。昔あれだけ怖かったのに2011年5月以降、何度か東北の被災地へ出向いて余震を経験したからだろうか、正確には被災した子供や親たちと余震を経験したからだろうか、地震が起きると怖いとかいう以前に東北は、と思うようになった。今朝の震源地は千葉らしい。

今朝も社会福祉法人ぎんが工房のかわいいクッキーと大好きな街、神戸の岡本に本店があるモンロワールの葉っぱのチョコ。これも大好き。秋だし。東京でもいろんなところで買えるけど先日神戸の友人がくれた。三宮で働くその人が甲子園の熱気を伝えてくれたときは嬉しかった。昨晩の日本シリーズ第4戦はすごかった。8回裏からしか見ていないが申告敬遠という文字が電光掲示板に出てなんでそのフォントということ以上に作戦に驚いた。満塁策で4番と勝負。大山が最後きれいに打って決めたのも気持ちよかった。みんな激しく喜んでるんだろうな、といろんな阪神ファンの顔を思い浮かべる。私は特にどこファンでもないが周りに阪神ファンが多いので今回は阪神を応援している。中江有里が毎日甲子園に行って応援しているのが面白い。わらし姉妹も一人は毎日来ている。しかもなんで「お帰りなさい」「湯浅」のプラカード準備しているのだ。すごい。あらゆる可能性に備えているのかな。さすがだ。私の身近な兄弟は一人はオリックスファン、一人は阪神ファンなので兄弟対決とか言っていたがオリックスって阪急ブレーブスだったよね。阪急の帽子持ってたって言ってた。私も新しいキャップが欲しい。この前新宿ピットインにあるかなと思ったけど混んでてよくわからなかった。

10月中に色々終わらせる予定のものが終わらなかった。締切伸ばしてもらったけど平日は無理だな。色々割り切ってとりあえずやらねば。学会準備もせねば。あー。そんな今日もグッドミュージックと共にがんばりましょう。みんなは何聴くのかな。聴かないのかな。良い1日になりますように。

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工房のクッキー。

やっぱり平日は書き物が全く進まないなあ。忙しい・・・。

さて今朝は米粉のクッキー。ピスタチオ&ココナッツ味。山梨県甲斐市天狗沢の社会福祉法人ぎんが福祉会ぎんが工房というところのお菓子。グルテンフリーだって。作業所なのかな。こういうところのパンとかクッキーとかすごく美味しいのにすごく安かったりする。私が知っているところはそこで売り手をするのも作業の一貫だったけど今回は高尾のお土産やさんで買ってきてくれたもの。かわいいパッケージでおいしい。これはいくらだったのかわからないけど相場の値段で売れていればいいのだけど。相場があるわけではないのかもだけど大抵とても安いから。いろんな作業所があるけど都合のいい解釈がされない場所であってほしいな。近所の作業所の前を通るといつも大きな声で挨拶されて私も挨拶をするのだけどそこはまだ場所が良くて地域にも馴染んでる感じがある。おしゃべり好きなスタッフさんがいらしたのだけどここ数年見かけなくなってしまった。品物を見ると安いなあと切なくなる。障害や病気と一括りにしないでひとりひとりにあった仕事を紹介してくれるような支援センターもあるし、患者さんの話を聞いていると効率的に多職種が連携している地域もあるんだなと知るのだけど多分そんなに多くはないと思う。関わりの難しさはお互い様だから生活に必要なお金を自分で稼ぐ仕組みとかあるいは当たり前のように基盤作りをしてくれる専門家とか増やしていければいいけど。小さい正方形のきれいな二色のクッキー、美味しかった。熱い紅茶といただきました。ごちそうさまでした。

なんか秋になっても爪の伸びが早いわ、と思ったけど時が過ぎるのが早いだけかもしれない。書き物進める前に資料作らないとだ。あー。今日は暑くなるの?体調崩しそうですよね、調整が難しくて。寒さにも暑さにも対応できる重ね着でまいりましょう。

どうぞ良い1日をお過ごしください。

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精神分析

頭の中とか。

井の頭線の浜田山のお店を調べるつもりが同じ京王線だけどメインの京王線の方の八幡山と打って調べていた。なのに検索結果は浜田山のお店が出てきた。なぜだ。同じ店があるわけでもないのに。私が打ち込んだ文字より打ち込んだ私の脳を読んでくれちゃってる?出てくる広告とかみると絶対読まれてるなと思うことは多いけどついに検索も念じるだけでできるようになっちゃった?これ冗談みたいで全然冗談じゃないと思ってるんだ、私は。近い未来にそんな感じになるんじゃないかな。

精神分析は自由連想といって思い浮かんだことをなんでも話してとお願いしてやってもらうのだけどこれ全然自由じゃないじゃんと皆さんすぐに気づく。自分が実際に声に出している言葉と考えていることが全く違ったりすることにもすぐに気づく。言葉はどんどん意味内容よりその話し方や言い間違いやなんかこういう感じがするというものに変わっていって治療者がその感覚をもとに言葉にしたものの方がずっと患者の心を動かすことがある。人は強く心が動くと自分でもコントロールできなくなるから言葉が揺れたり途切れ途切れにしか話せなくなったり言葉にならなくなってずっと沈黙したり急に多弁になったりいろんな様子になる。こういうコミュニケーションの情緒抜きバージョンをAIは可能にするんじゃないかな。情緒抜きでもある程度心を動かすコミュニケーションにはパターンがあるからそれくらい学ぶべるだろうし。もし心を動かしたいだけならそれでいいけど人間の防衛をどう扱うかは難しいのではないかと思う。私がこんな感じのことを言うとあなたはいつもそんな感じのことを言う、と「感じ」のパターン化が結構難しそう。

こんなこと書きながら今私の頭をそこそこしめてるのは早朝からずっと読んでいた精神分析家のビオンに関する本「Reading Bion」に書かれていたこと。そして2種類のBGM。Gretchen ParlatoのButterflyと彼女がカバーしたHarbie HancockのButterflly.グレッチェン・パーラトのButterflyはLive in NYCバージョンもいいし、アルバム “in a dreamに入った日本版限定ボーナストラックのButterflyもいい。湧水みたいなやさしくてきれいな声。

自分でも知らない自分の部分に期待して今日もがんばりましょう。失望の方が多くてもそっちの方が普通だよ、多分。回復しては沈み、寝込み、でもまた起きよう。心にも二度寝、三度寝が必要なときもあるものね。

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音楽

お菓子、鳥、Alabaster DePlume

寝不足です。起きていてもぼんやりしがちなので眠った方がよかったのに切羽詰まりすぎています。

昨日は「りんごの道明寺」というのをはじめていただきました。赤白の道明寺を混ぜ合わせてりんご餡を包んだ和菓子。あと栗きんとん。熊本の球磨栗というのを使っているんですって。調べたら「人吉球磨地方は日本有数の栗産地」とのこと。この地名って友人が昔勤務していたところだと思うのです。どっちのお菓子も小さくてかわいくて秋のおやつにぴったり。夜おやつとしていただきました。

眠い、という言葉しか出てきませんねえ。熱い紅茶を入れてきました。

この前、なんだこの声は、とあまりきれいではない声に空を見上げたら水色のきれいな鳥が数羽、桜の木に降り立っていきました。写真を撮りたかったのですが葉っぱに隠れてしまうのと動きが速くて。水色だから見つけやすいかと思ったのですがこれまた絶妙な水色、薄い空色で全然目立たないのです、木に入ってしまうと。そしてこの桜の木、かなり老木なせいか紅葉もせずすでに枯れ枯れで外から見るとスカスカなのに大きめの鳥の姿も隠してしまえるのですね。毎年「これ桜だったよね?」と思うくらい枯れ枯れなのですが毎年きれいに花が咲くのです。不思議です。変な鳴き声のきれいな鳥が電線に止まったところをようやく写真に収められました。何の鳥だろう、と写真から検索してみるとオナガ!私の知っているオナガと違う、というよりは私は本当のオナガを知らなかったのですね。気づいておりませんでした。私がオナガだと思っていた鳥さんはどなただったのか・・・。ね、ピヨ、とそばにいるHANSAのひよこに話しかけてみますが無表情ですね、やはり。この子、お店で何羽か並んでいるときには一番いい表情があった気がしたのだけど、と思ってもう一度見てみたらさっきよりかわいく見えます。なんなのでしょう。

最近、再び音楽生活なのですが、最近の音源の8割は音楽評論家で大学の講師もされている柳樂光隆さんが公開されているインタビューからです。noteに課金もしているのですが公開のペースが早くて、あー、追いつかないよー、と嬉しい悲鳴をあげております。高橋ユキさんもそう。記事の更新がしっかりしててしかも内容も濃く、あー、追いつかないよー(嬉)となるのでした。

10月28日に柳樂光隆のnoteで公開されたAlabaster DePlume(アラバスター・デプルーム)のインタビューは大変興味深く心に残るものでした。ロンドンを拠点に活動するサックス奏者で作曲家だそうなのですが学習障害を持つ方に音楽を用いて支援をしていたりそこで生まれたメロディーを作曲に生かしていたりというお話は支援に関わる立場としても興味深いのですがそれよりもこの人なら相手が誰であっても対話を試みるだろうし、その人のための音楽を奏でてくれるんだろうなと思わせる内容でした。このインタビューはzoomで行われたようですが、最初から相手に対するリスペクトフルな態度に驚きました。独特のペースを感じさせる語りにこちらも耳を傾けるようにして読んでいると時折スピリチュアルにも感じる語りが現れて胸を打たれます。音源を聴いてみるとまたびっくり。不思議な揺れと控えめな音の重なりあいが静けさと懐かしさを呼び覚ましてくれるような音楽で、今は知らない国の小さな祈りの場のような曲が流れています。調べたらTo Cy & Lee: Instrumentals Vol. 1に収録されているSong of the Foundlingという曲だそう。うん?Foundling?捨て子という意味でいいのでしょうか。みなしごハッチを思い浮かべました。

このお二人の対話は静かでお互いの声が同じ音量とペースで響いてくるような心地よいものでした。でもとても不思議、と思ってAlabaster DePlumeを少し検索してみたら海外での対面のインタビューなどもみることができました。少し「やっぱり」で少し悲しくなるようなものもあってそれはすぐにみるのをやめてしまいました。当たり前のリスペクトに少し身を引く人がいるのもよくわかります。でも、と私は思ったのでした。

また月曜日がやってきてしまいましたね。皆さんもGOOD MUSICと出会えますように。

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精神分析

ねば。

雨。結構しっかりした音を立てている。晴れの予報と聞いていたというか、今日は山に行くという話を聞いていたから日曜って晴れなんだ、と勝手に思っていた。

昨晩はPC前の椅子に寄りかかったまま寝ていた。ようやく書き始めた原稿を見直したが何が書いてあるのかわからない・・・私が書いたんだよね?はい。くまったくまった。消す。ああ。

今日も夕方までセミナーがあるからどうしよう。読んで、書く、を繰り返すしかないけど遊べないのが本当に嫌、とか言っている場合ではない。読むのも書くのも嫌いではないのだから、と自分を励ますものの書きながらぶつかる種々の事態に思考が追いつかない。というか、早くとりかからないからこういうことになるわけですよ、と自分を叱る。励ましもお叱りも他人から受けたい。自分は自分のやったことをすぐ無効にすると経験上、知っている。メカニズムは知らないけどなぜか効果がない。セルフケアは大事だけどあれは「まずやってみる」が大事でしょう。私はその「まずやってみる」を失敗しがちだからこうなるんだと思うのでそういう本買っても読み物としてしか活用できないだろうなあ。「この本にこう書いてあったからやってみれば」とかアドバイスには使えるかもしれない。お菓子食べながらダイエットの動画を見るようなことは最近していないけど。あ、今日は日曜だからラジオ体操じゃないや、テレビ体操あるでしょう。あれも眺めてると終わっちゃうのよね。当たり前だけど。お手本になってくれる体操の人たちの動きが呼吸にもすごく意識払っていてめちゃくちゃキレイ、と感心していたりピアノの音聞いてたりすると終わってしまう。テレビ局の意図はわかってるんだけどね。学校だってある程度の強制力があるというのがメリットなんだよね。その加減が難しいから色々大変なことも起きるのだと思うけど。大体の子は行けている、ということがそこで生じていることが適切だということを示しているわけでもないし。私の場合は最初から学校がもつ強制力を感じていなかったのかな。空気読めなかったのかな。勉強も大学に拾ってもらうまではほとんどしてないし。よく高校入れたよなあ。バイトばかりしてたからやっぱり学校というものが発する意図を理解していなかったのだと思うけど。反発するような強制力の強い学校でもなかったし。友達とか先生とのエピソードは色々思い出す。いい学校だったな。なら行けよ。はい。でも当時はそんなこと考えてなかったんだもん。でもだってじゃない。はい。隠れてやっていたバイトは厨房のおじさんとか最初めっちゃ怒鳴っててなんやねん、と思ったけど休まず行っていたのに。今だったら怖くてやめちゃう。なんか別の意味で怖いもの知らずというか世の中で前提となっていることとか普通の流れとかがセットされていなかったんだろうねえ、自分の中に。バイトはお金もらえるから、というほどもらっていなかったし、ほしいものがある子どもでもなかったからある程度貯まると郵便局に預けちゃっててそれでバレたんだけどね。怪しいことしているのではないかと疑われたけど一応労働の対価なの。ごめんなさい、心配かけて。はあ。論考書かねば、なのにこっちをダラダラ書いてしまった、と取り掛かろうとすると途端に眠くなる。これ強制力あるよ、締切間近ですよ。大丈夫ですか、自分。大丈夫じゃないよー。もう嫌だよー、じゃないよ、自分。って自分と追いかけっこ始めてはいけないわけです。はい。これが怠惰というの?ですね。コーヒー淹れよう。出かけるまでに進めねば。ネバー。

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精神分析

月、カーテンみたいな花。

毎晩、月がきれい、と思っていたら昨晩は十三夜。いよいよ満ちてきたその姿自体というよりは澄み渡った空の黒にすっきりと輝く様子に心落ち着きました。気温もちょうどよいからリラックスした身体で眺められますしね。

昨日はコンビニへ向かう緑道で花の写真を何枚か撮りました。金木犀はまだ花が残っているけど大分香りが薄くなりましたね。金木犀はみんなが思わず呟きたくなる花だと思いますど「え?金木犀?」とキョロキョロするくらいどちらの方向にいるのか分かりにくいですよね。「あ、カレーのいい匂い♪」と帰り道とかに感じる時って大体このお家、ってくらいには方角がわかるのに不思議じゃないですか?緑道には色々な花が咲いていたのですが「ゴージャス!カーテンみたい」と思ったのはケイトウ。学名は燃焼という意味のギリシャ語に由来する、とウィキペディアに書いてありました。今調べました。確かに。私が「カーテンみたい」と思うのは実家のリビングの大きな窓にかかっていたカーテンがこんな色だったから。岩崎ちひろの絵のようにお留守番のときに電話がかかってくるとくるまっていたカーテン。ベロア素材みたいで気持ちよくて隠れたりぐるぐる巻きになったり色々遊んでもらいましたね、カーテンさんには。

鳥がそばで鳴いています。カラスも遠くで鳴いています。遠いのに大きな声。読みたいと思っていたカラスの本があるのを思い出しました。これを閉じたらすぐにまた忘れそうだけど書いておきましょう、本屋さんで急に思い出すかもしれないから。声とか文字とか。記憶を引き出してくる情報は恒例のイベントとかだったら分かりやすいけど感覚的なものはすぐに空気に溶け込むように形を崩してしまうし意識的に引き出すことは難しかったりします。でも多分一度出会ったものは必要なときに出てきてくれるでしょう。フラッシュバックみたいな辛い記憶もあるけれど昨日の月みたいにギュッとした輝きに守ってもらえますように。

どうか今日もご安全に。良い週末を。

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精神分析

バンド世代、國分・千葉世代

今朝はぬるめのお茶。やさしい緑とかおり。

先日、ウドー音楽事務所の創業者の有働誠次郎さんが亡くなった。懐かしいアーティストたちが続々とSNS上に現れたのは彼を追悼するためだったのか。yahooニュースでは彼が招聘したアーティストとして「エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、KISS、エアロスミス、サンタナ、ジェフ・ベック、デヴィッド・ボウイ、ビリー・ジョエル、ボン・ジョヴィ、ジョージ・ハリスン、ザ・フー、ヴァン・ヘイレン、TOTO、ブライアン・アダムスら」を挙げているが、私はこの3分の2くらいのライブに行っている。私のロック時代はウドー音楽事務所によって支えられていたわけか。確かに名前にはとても馴染みがある。

今は久しぶりにEric Claptonを聴いている。『MTV Umplugged』のライブを収録した『Unplugged』がグラミー賞を取った年か次の年に私は東京へ来た。CDは1992年発売だからその年か。18歳の私たちは聴きまくったし歌いまくった。池袋の河合塾の帰り道や隙間時間にバンドマンの男子たち3、4人と楽器屋さんやヤマハで歌った。私は聴いてただけだけどすごく楽しかった。なんで彼らはあんなに弾けて歌えたんだろう。全員がバンドマンだったわけでもなかろうに。いやでも当時はバンドブームか。そのときの彼はベースを弾いていた。あの頃はいろんなところで自由に演奏できた。CD屋さんに入りびたっていろんな曲を教えてもらったりレコファンでレコードを漁ったりした。プレイヤーは実家にしかなかったのに。西武百貨店にはまだリブロがあった。フロイトの『精神分析入門』の文庫を買ったのもリブロだ。リブロにはあまりに馴染みがあり、池袋に通わなくなったあとも演劇を見にいくついでなどに寄った。2013年の千葉雅也選書フェアで色々買ったのもリブロだ。震災後、2011年から2013年は千葉雅也、國分功一郎の書き物からたくさん学んだ。二人ともほとんど同世代だったし臨床実践を意識しつつフロイトに触れてくれる人だったからなんとなく親近感があって勉強も楽しかった。

ふふふ。きっと今ここに書いたことって前にも書いている。何も考えずに書いている場所ではなんでもありなのだ。何度も思い出して何度も書く。精神分析設定での自由連想では毎日のように起きていることだ。反復に含まれる反復ではないものと少しずつ出会っていく実践だからその侵襲性に注意を払うために高頻度の設定が必要になる。精神分析的な心理療法を週1回の頻度で受けはじめた人が頻度をあげることを希望するのは当然のことだろう。もちろんそれが可能かどうかはお互いの現実的な事情による。やりたいからという理由でできることはそれほど多くないものだ。自らが置かれた状況で自らの持ち物で、今日も一日。

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精神分析

朝(Asa)、閃き、直観

明け方のまだ暗い空に大きな布を広げよう

透かしてみえる小さな世界

混ざってく光がまだら模様

ー石若駿 feat.角銅真実 「Asa」 (『Song Book』収録)

石若駿のプロジェクト『Songbook』シリーズは本当にいい。角銅真実さんの声がとても安心する。お二人は藝大で打楽器を専攻した先輩後輩関係にあたるらしい。

精神分析学会でも音楽を取り上げるとのことで聞こうと思っているがまだきちんとチェックしていない。Institute of Psychoanalysisでも象徴化されない経験の新たなコンテイナーとしての音楽ということでセミナーがある。バイオリニストのSara Trickeyがバッハのthe Chaconne for solo violin from the Partita in D minor by Bachを演奏してくれるらしい。精神分析で音楽を語るとしたら特にこの曲だと反復が重要になってくるのかな。フロイトはグスタフ・マーラーの分析はしたけど音楽に親しむ人ではなかったらしい。フロイトの部屋に音楽関連の機材ってあったっけ。あとで写真を見直してみましょう。

先日、友人にコロナの症状に「風味がわからない」という症状が残ることがあると聞いた。「風味!」と驚いたが抹茶風味のチョコレートのチョコの味はわかるのに抹茶の風味がわからないという話を聞いてなるほどと思った。そして日本のお菓子や料理がいかに風味を大切にしているかという話になった。またこれも一例だがコロナで味覚障害になった人が回復するときに甘味と酸味を最初に取り戻したという。これも動物としての人間を実感するエピソードだった。母乳と腐った食べ物の対比を思い浮かべたからだ。そして今度は母乳を飲まない赤ちゃんの話になった。お母さんも赤ちゃんも双方大変だろう。これは腐っているぞ、食べさせてはいけない、という嗅覚を働かせるのは母親のほうであり、早期の母子はやはりユニットとして存在しているのだ(cf.ウィニコット)と思わざるをえない。もちろんその役割はすぐに父親にも共有されるだろう。

そうだ、これも今書かなければいけないもの(全然書けない)で取り上げようと思っているのでメモがてら書くが、精神分析家のビオンが1978年7月3日のタヴィストック・セミナー

「私たちはこの残骸すべてを見て、その中に何らかの生命の火花vital sparkを探知することができるでしょうか」(2014, p.54)

という問いを投げかけている。

ウィトゲンシュタインは

「私が変化しない二つの顔をじっと眺めていたとする。突然、両者の類似性が閃く。こうした経験を、アスペクトの閃きと私は呼ぶ。」(私が引用したのは古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHK出版)p274)

「アスペクトの閃き」というのはビオンのいう「直観」ときわめて近いものとして私は実践にもとづく感覚から捉えているがそれによって捉えたものをどうするか、ということについても考える必要がある。あくまで患者「と」の体験である精神分析においてどちらか一方が何かを捉える(それだとおそらく「理解」の範疇)ということはない。その二人の体験には必ずぶつかり合いが生じる。ビオンが「火花」という言葉にその事態を含んだかどうかはわからないが理解ではなく体験を重視したのは確かだろう。

ということで書かねば。

どうぞ良い一日を。

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精神分析

厄介

かりんと饅頭、美味しい。やっぱりかりんと饅頭は美味しい。「やっぱり」をつけるなら「かりんと饅頭は美味しい」は一回でいいよね。熱い緑茶といただきました。

女の権利が脅かされる出来事って事件化されていなくても第三者に話せば「ひでえな、クズだな」と言われるようなことは色々ある。たとえば、妻、愛人、ビジネスパートナーと都合よく使い分けをしていることを搾取として自覚しないどころか、こっちには怪我をさせたけどあっちにはしていないから大丈夫、となかったことにできる「俺倫理」を持っている知識人もいる。また、単なる快楽の種類に基づく使い分けをみんなを少しずつケアしてあげてるつもりでいる勘違いフェミニストである賢人もいる。しかし、都合よく扱える女が複数いても足りないこともあり、SNSで「がんばる」宣言をして「いいね」をもらわないとがんばれない50代もいる。この例は、女は数ではないということを示してくれてはいるが、その場しのぎの部分利用でそこそこ満足できればそれで構わないので、そういう自分のあり方についてはどうでもいいらしい。複数の人を「ケア」しているつもりであるがためにダブルブッキングなどスケジュール管理できなくなって苛立ったり自己嫌悪に陥っている人を見たときは、この人その前に何か感じないんだ、と思ったりした。彼の主観としては「まさか俺様が女を見下したり傷つけたりするなんて」という感じだろう。女の方も見下されていると思いたくないので美味しいもので「満足!」となかったことにしたり、それこそ身体的な満足を優先することもあるのでお互い様となってしまう場合もある。相手を部分利用するだけではなく、自分をスプリットさせる防衛を使ってしまう。ナルシシズムが傷つかないための防衛は次から次へ発動する。傷ついてもそんな人が支えてくれるわけはないし、そんな人と関わっている間に失ったものにあとから気づいても戻ってこないのだから難しいことだ。人が健康に一人の全体として大切にされながら生きる時間を奪っておいて平然と快原理、一次過程優先でいられるのも人間だし。残酷。など事件化されない出来事にも事件になるものと同じ芽が潜んでいるとみて基盤となる構造は同じでもたまたまそれが表面化しないような環境があったとかなかったとか正当防衛とかいって責められる前に責めておいて黙らせるとかいろんなふうに出来事は処理されるわけだし人間関係は厄介だ。

今日も色々あるでしょう。自分を大切にがんばりませう。

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精神分析

ジャニス、お菓子、ブランディー

Don’t compromise yourself. You are all you’ve got.

ーJanis Joplin

ジャニスを聴き続けていた。ジャニス・ジョプリン。27歳ってどんな年齢だったっけ。私は大学院を修了してはじめての職場、といっても非常勤だったから学生時代からの塾講師のバイトも続けながら。当時も朝から晩までよく働いていた。朝、自転車で教育相談室へ向かう途中、同じ方角の大学に通っていた塾の教え子と時間が重なりいつも一緒に行っていた。生意気盛りの中学生集団の時期からみていたが彼だって27歳を無事に過ぎた。私はちょうどお金の準備ができたから精神分析家のところへ連絡をした頃か。その時は2、3回のやり取りで「まだいいのでは」となり治療は始まらなかった。その分析家はそれから数年して亡くなった。電話とFAXの時代だった。あの緊張と安堵の体験があったから私はずっと精神分析を信頼して自分もそれになろうとしているのだろうといつも思う。精神分析を受けるということは私にとって当たり前の選択だったのが自分でも意味がわからないがなんらかの形で生き直さねばならないと思っていたのだろう。私にとってはそんな年齢だったがジャニスはそれまでに多くの曲を作り、ライブをし、死んだ。薬物中毒と言われている。ジャニスは母と同じ世代で絵を描く人だった。母はジャニスを聞いていただろうか。聞いたことがない。絵は自分を内に籠らせる、歌は外に開く、歌が自由にしてくれた、というようなことをジャニスは言っていた。同窓会のときのインタビューで。冒頭の引用も有名だが引用元がわからない。ジャニスの辛い体験や底知れぬ孤独が彼女の死と直接結びつくわけではないだろうけど、彼女のあの声によって生かされてきた人もいることを思えば彼女の生き様が見事だったことだけは確かだろう。ものすごい歌声だった。夜中にお風呂に浸かりながらずっと聞いていた。身体が乾くまできいていた。出てきてしばらく半袖でいたら冷えた。寒いなと感じながらジャニスの歌声を頭の中で反芻していた。20代の頃から着ているテキサスっぽいリバーシブルのトレーナーを着た。というかこれテキサスロングホーンズのか。大学名やチーム名が入ったトレーナーが流行った時代だったか。ジャニスは生まれ故郷のテキサスに戻るかはわからない、サンフランシスコが好きだから、というようなことも言っていた。切ないよ、ジャニス。

今朝は先日書いたプレオープン中のケーキ屋さんの「焦しバターのフィナンシェ」。名前だけで美味しそう。美味しかった。だるま珈琲といただいた。そして今朝の音楽は柳樂光隆のインタビューを読んで知って聞いてみたらハマってしまったジャズハーブ奏者のブランディー・ヤンガー。柳樂光隆のプレイリストがまた素晴らしい。ずっと聞いていられる。

お菓子と音楽、仕事仕事仕事。がんばりましょう。

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精神分析

月曜日、お菓子、週末

月曜日がまたきましたね。あえて「きてしまった」と書かないのが味噌。味噌ってなんだ。「手前味噌」とかもさ。「みそっかす」のみそも味噌?なんなんだ。旅に出て朝ごはんがついている宿に泊まるとお味噌汁の味に驚くことがある。そうか、ここは赤味噌か!とか。旅先に思いを馳せている場合ではない。再び月曜日ということはもう月末ということなのだから。

私の朝ごはんはほぼお菓子。今朝はパッケージの素敵な薄い珈琲とこの前散歩中に通りかかった小さなケーキ屋さんのちっこくてかわいいマロンの焼菓子。なんだここは、とのぞいたらプレオープンということでどうぞどうぞとしてくれた。オープンしたらケーキを買ってみよう。とても素敵な缶入りクッキーがあって思わずきれいと呟いたらデザイナーさんと協力して作ってるとのこと。特別な贈り物にしたい。焼菓子、ちっこいのにしっかりマロンの味がしておいしい。満足じゃ。でもお土産にもらったぐんまちゃんのこちらもちっこいメープルケーキもつけた。SPODEの小さなお皿にちっこいふたつを並べたらとてもかわいい。ぐんまちゃんって今や群馬のゆるキャラとして有名だけどもともとはあかぎ国体のキャラクターだったと思うんだよね。私がまだ小学生のときだったけどそこら中で見かけていたように思う。あかぎ国体は身内が吹奏楽部で演奏していたし、小学校の行事としてみんなで見にいったんじゃなかったかな。家族でいったのかな。

週末はいくつか事例検討グループがあったのだけどとても有意義だった。初回面接を検討するグループでは逃れられない自分の思い込みをどうやってできるだけスタンダードとかニュートラルとか言われる状態に持っていくか、そのための訓練、という話とかした。あとグループのマネージメントについて。人が3人以上いたらマネージメントは必須になる。私は臨床の基本はマネージメントだと思っているのでこういう小グループでじっくり話し合う時間があるのは私もありがたいしみんなにも役立ててほしいと思う。

昨日は閉館間際に滑り込めるかなと思っていた展覧会に行けなかったので勇気を出してはじめての喫茶店に行ってみた。はじめての場所って緊張しないですか。私はいちいちドキドキする。でも行ってよかった!音楽に浸れるお店で大好きなIPAを飲んだ。お店の人も素敵だった。今度はレコードのこともうちょっと教えていただこう。

さあ、月曜日。洗濯物は外に干したよ。秋晴れは信頼していいよね。少しでもすすめなくては。はあ。がんばろー。