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精神分析

度忘れ

何かを言おうとして口を開いた瞬間にそれがどこかへ行ってしまうことがあります。ありませんか?いわゆる度忘れです。

フロイトは『日常生活の精神病理に向けて』(1901/1904)のなかでこの度忘れに触れています。フロイトとしては、精神分析が想定する「無意識」ってこんなふとしたところに現れるんだよ、ということを一般の人にも知ってほしくて書いたようですが、なにはともあれ、度忘れ、面白い現象です。

度忘れ、言い間違い、読み間違い、書き間違い、どれもよくありませんか?私はしょっちゅうあります。言い間違いとかとても恥ずかしくてどうして言い間違えたかなんてフロイトみたいに考えたくもないときもありますが、勝手に考えてしまうので「きっとあれのせいだ」と気づいたときにはやっぱり恥ずかしくて誰も見てなくても机に突っ伏したりしてしまいます。あーあ、ちょっと本音出ちゃったな、と。これぞ無意識ですね。

フロイトのこの本はとても売れました。この前に出した『夢解釈』がフロイトが思ったよりも売れなかったのに対して、『日常生活の精神病理に向けて』はフロイトの予想を超えて売れたようです。夢も日常ですが、夢解釈なんてちょっとおせっかいだな、とか、自分の夢なんだから自分が一番よくわかってるし、とか思われたのでしょうか。たしかに夢はみんなみるとはいえ、内容が個別的なのに対して、この『日常生活の〜』に出てくる失策行為の例は「わかるわかる、自分にもこんなのあるある」と受け入れやすかったのかもしれません。

それにしてもどうして忘れちゃうのでしょう。頭に浮かんだ瞬間に消えている、と私は感じるけど、もっと細かくみるとたくさんの不思議な現象が一瞬にして起きているのでしょうね。

眠くなってきてしまいました。度忘れどころかいろんなものが遠のいてきました。また、っっっっっっっっっって打ってた。無理せず休みましょう。今度は、いいいいいいって打ってた。いい夢、をって打ちたかったのでしょう。

明日も度忘れや言い間違いがあってもそれなりに良い日でありますように。おやすみなさい。