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世界、社会、バウンダリーとか。

秋の朝は爽やか。今日はちょうどいい気温。ずっとこのままだったらいいのに。でもこれはこれで温暖化の結果のお天気なのかしら。世界で起きていることの深刻な事態とつなげて考えていく面とかいろんな時間感覚や距離感覚が必要なんだろうな。

家族以外の場所で他人の心身弄んでいる人がフェミニストに尊敬する人とか救世主とか言われていたり学者ぶって教育者やっているのを見ると絶対に変わりようのない社会の縮図を見たような気になる。片方でそれで片方でそれ、というあり方は誰しもそうだがこの場合中身が重要。バウンダリー、有限性がなぜ大切か、ということ。ちなみにフェミニストというのはその人の部分しか表していないとはいえその方面で稼いで生活をしている人に対しては私はあえて使う。家族って、教育って、友達って、セクシュアリティって、身体って、心って、と考えながら戦地で殺されていく子どもたちのことを思い浮かべたりする。以前は日本に住んでいた人たちでもあったりする。自分って、人間って、と考えるだろうか、彼らは。どうか早く戦いが終わりますように。

ベルクソンとドゥルーズの勉強続けたいな、と思ったけどもう目の前のことに追われて余裕がなくなっている。平井靖史さんの朝カル講義が昨日から始まり、それは見逃し配信ありだったので申し込んだ。自分の言ったことで派生していくものをつかむためにももう少し学んでおきたい。自分に違和感や不快感を与える相手を加害者にしながら別の気持ちよくさせてくれる対象に依存しいろんなことをなかったことにする他人事でしか偉そうなことを言えないお友達ごっこではない真剣さを感じたのはぶつかりあいは当然生じるであろうという態度で対話を求められたから。私たちの組織にもこういう緊張感は必要だろう。

今日はみんなどうかな。元気だろうか。秋の美味と出会えますように。今朝の柿も美味しかったです。