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お菓子 散歩 読書

お菓子、海、夢。

ベランダに出たら風を感じた。涼しくないけど気持ちいい。ちょうどいいキウイと長野県茅野駅そばのきれいな通りにあるかわいい洋菓子屋さんアニバーサリーチロルの「セロリーのパイ包み」を友だちがくれた神戸の紅茶と一緒に。「茅野特産のセロリーを当店にて砂糖で煮て、白あんとドッキングし、パイ生地で包みました」というお菓子。あんがほんのり緑。いろんな地域発のお菓子があって楽しい。

いろんな地域でいろんなお話を聞いていると驚くことばかり。特に海が身近な人たちのお話には。週末も海辺で驚いてばかりいた。

今日もすごく暑いのか。昨日もすごい暑さだったが海の近くにいたせいか時折とても涼しい風が吹いてきた。山でも風の通り道みたいなところがあって暑いとずっとそこにとどまっていたくなるが海辺は日陰がないから日傘必須。時折、急な風で裏返っていたけど。海の家も賑わっていた。今年は通常より長く営業しているのかしら。海水の温度が上がっていつもの魚が全然取れないという話も聞いた。「今朝もそこからたっくさんの船が出ていったのに帰ってきたら」など漁港で具体的に言われると漁の様子もまざまざと見えてきてほんと温暖化怖い、という気持ちになる。青森に行ったときも最近の魚や原発のことなどその場で聞いたからすごく心にきた。本当に本当にまずいんだ、考えなくては、行動しなければ、と思うから勉強もするし、いろんな地域の人の話を聞くことがますます大切に思える。昨日は90歳の方のお話も聞いた。この街のことはもう自分しか知らない、と語り部の役割を引き受けてくださっているようだった。ハキハキと詳細ながら簡潔にわかりやすく説明してくださってずっと聞いていたかったけど切り替えもしっかりしていて日々の営みの強さを感じた。

そういえば昨晩、村田沙耶香が選ぶ本、みたいな感じで「その本、私も大好き!」と思ったが全部夢だった。夢の中ではその本のことをはっきりと思い出していたのになんの本だったかもわからない。好きな本はたくさんあるけど多くのことは忘れられていく、私の場合だけど。言われれば「そうだったそうだった」となるときもあるけど「そうだったっけ」となることも多い。それでもいろんな本を読んでいろんな土地へ行っていろんな人と会うことは楽しい。精神分析のように日々を積み重ねていく仕事もだから好きなんだと思う。歴史を紡ぐ、人を繋ぐ、文化を大切にする。破壊より創造を。外からの変化ではなく自分で感じられる変化を。

今日も無事に過ごしましょう。

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Netflix 散歩

アニメとか。

早朝というのに窓を開けたらムッとした空気が停滞していた。風がほしい。二日前の秋風が。

昨日もとても暑かったが「夏のおすすめ」というメニューを見て食べ物はもう夏ではないな、と違和感を感じた。相変わらずとうもろこしには惹かれるし、ゴーヤも食べたくなるけれど。

夏休みの間にいろんな人と話していろんなおすすめをされた。そのひとつが「鬼滅の刃」。Netflixでまたみはじめてしまった、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』手前で止まっていたのに。見始めるとやっぱり止まらず泣きながら見た。炭治郎がいい子すぎるとか思っていたけど炭治郎がこういう人であることが重要であることがよくわかった。炭治郎はナルシストではないから水面に映った自分が他者としてきちんと機能した。あの場面もよかった。これ、連載はもう終わっているはず。すごい。

この前、プラネタリウムで「ゆるキャン」という番組を知った。山梨県身延町が聖地とのこと。身延かあ。この前書いた不登校の子たちと長い休みを過ごしていた廃校があっちの方だったから身延は身近だった。身延山も文句を言う子どもたちと一緒に登った。そんなに大変じゃなかったと思うのだけど今だと私も文句言いながら登るのかな。また行ってみたい。

また眠くなってきた。何か書いているとすぐに眠くなる。今日で8月も終わり。良い1日にしましょ。といっても昨日と同じ暑さだときついな。気をつけて過ごすべし。

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お菓子 精神分析 精神分析、本

因幡の白うさぎフィナンシェ、Dana論文、オグデン

毎日、空が明るくなる前に起きてしまう。そこからすぐなにかやりたいわけでもないのでカーテンの向こうに強い陽射しを感じるまでは寝ていよう、とぼんやりしていた。ウトウトしてすごく眠ったと思ったがそんなに時間は経っていなかった。そんなのを繰り返しているうちにNHK俳句の時間になったのでテレビをつけた。桃も剥いた。桃もとてもちょうどよく熟していて皮は引っ張るとつるんと向けてどろっとせずにきれいな形に切れた。果物の水分って贅沢。美味しかった。食べたらまた眠くなった。コーヒーをいれよう。寿製菓の「白ウサギフィナンシェ」をお茶菓子にしよう。有名な「因幡の白うさぎ」の洋菓子バージョン。「古事記」の神話「因幡の白兎」は有名だけど、この夏、その神様が祀られている白兎神社に行ったの。鳥取駅からバスで行けるのだけどそのバスだとその後の行程を考えたとき、白兎神社にいられる時間が短くなってしまうからちょうど出るところだった山陰本線で無人駅の末恒駅で降りて30分くらい歩いていった。おかげで結構時間が取れたし、面白い神社だった!地元の人って様子の方がひとり、またひとりと兎いっぱいの小さな神社に参拝に訪れていて、私がみたのはみなさん割と年配の男性ばかりだったのも興味深かった。

さてさて勉強のメモをしておこう。

昨晩は、Dana Birksted-Breen ”The Work of Psychoanalysis Sexuality, Time and the Psychoanalytic Mind”に収めれている6 PHALLUS, PENIS AND MENTAL SPACEを読んだ。少し前に準備したのですっかり忘れていたがみんなと話しているうちにDanaはこういうことを言いたいのだろうと考えていたことが口から出た。思い出せなくても話しているうちに出てきてそうそうそうだったとなることは多い。この人の論文は膨大な理論的裏付けがあるので、それらの歴史的変遷をこちらが踏まえている必要がある。勉強勉強。

が、今の頭の中はオグデンとそれにヒントをもらいつつ深めるウィニコット。特にウィニコットのgoing on beingについて。これは胎児の状態といえるが、ウィニコットは生まれてまもなくの状態もその延長と考えているのだろう。ウィニコットはこの特別な時期における母親と胎児の体験を彼らの時間感覚で書いているのだと思う。

オグデンThomas H. Ogdenは、サンフランシスコで開業している精神分析家。今のところ、彼の一番新しい著書、What Alive Meansもだいぶ読み進めた。次回、アプライしたい演題に向けて再読したのは7 Transformations at the dawn of verbal language。オグデンがこの章の後半で引用するヘレン・ケラーのThe Story of My Life(1903)はヘレンがサリヴァン先生との間で、前言語的な記号の世界から言語的に象徴化された世界に開かれるプロセスを描いている。言葉によってヘレンの時間がそれまでとは異なる感覚で大きく動き出す瞬間ともいえるだろう。書いてあるのはこんな感じ。

With the acquisition of verbally symbolic language, there developed a new way of experiencing, a new way of coming into being, and a new way of being alive. Emotions that she had not previously been able to feel-repentance and sorrow and love-Helen became able to experience. It is not that these feelings were latent and were waiting to be unearthed. This is emphatically not the case.

These feelings were created for the first time when Keller entered the world of experience verbally symbolized. “Everything had a name, and each name gave birth to a new thought… every object which I touched seemed to quiver with life.” Names are not simply designations for feelings and things, they are ideas about feelings and people and things. Language gives rise to a qualitatively different realm of experience, a realm in which one is both subject and object, one is able to think of oneself thinking, one is alive to levels of meaning, range of emotion, complexity of feeling, and forms of experiencing not previously attainable.

「言語的な象徴言語(verbally symbolic language)を獲得することで、まったく新しい経験の仕方、新しい存在の仕方、そして新しい生のあり方が生まれた。ヘレンは、それまで感じることができなかった感情――悔恨、悲しみ、愛――をはじめて経験できるようになったのである。だが、これらの感情がもともと心の奥に潜んでいて、掘り起こされるのを待っていたわけではない。断じてそうではない。これらの感情は、ケラーが言語によって象徴化された経験の世界に足を踏み入れたとき、初めて創造されたのである。「すべての物には名前があり、それぞれの名前が新しい思考を生み出した……私が触れたすべての物が、生命の震えを帯びているように見えた」。名前は、単に感情や物のラベルではない。それは感情や人や物についての思考そのものである。言語は、質的に異なる経験の領域を生み出す。その領域では、人は主体であり対象であり、自分自身を考えることができる存在であり、意味のレベル、感情の幅、感情の複雑さ、そしてこれまで到達できなかった経験の形態を生きることができる。」

直訳だけど。

この記述の前にオグデンの分析的第三者の記述があって、病理的な分析的第三者Pathological forms of the analytic third (“the subjugating third” (Ogden, 1996))が出てくるのだけどここは保留。the analytic thirdってこういう形態変化するものではなくてもっとニュートラルな概念として登場したのではなかったっけ、と思ったから。あとで確認。

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散歩

腰が痛い。鹿に会った。

キッチンの小窓を開けた。風がない。大きな窓は開けない。カーテンもまだ開けない。腰が痛くて何もしたくない、と思いつつ無花果を朝から食べられるなんてなんて幸せ、と冷蔵庫を開けた。体調イマイチで登山をやめて駅周りの観光に切り替えたのに2万5千歩も歩いてしまったのが腰にまずかったか。蝉が結界を張っているような森が気になって向かってみたら遠くから見えた木の階段の前に小さな公園があった。たくさんの雀が木槿に潜りこんだり飛び出したりして賑やか。公園があるなら少し安心かな、と熊が出たら怖いな、という気持ちを落ち着けつつ歩くとすぐに人家に続くアスファルトへ出て森への行き方を見失った。そのうち出るかな、と鮮やかな花々やカーブミラーに映る見事な雲や美しい緑の田んぼを写真に撮りながら歩いていると前方にその森が現れた。と同時にそこには鹿がたくさん。私が驚いて立ちすくんだのがわかったのか、それなりの距離があるのに向こうもパッと顔をあげ一斉に背中を向けてあっという間に森に消えた。野生の鹿だ。奈良の鹿なら馴染みがあるし、山に行けば時々出会うことはある鹿だがあれだけの数の野生と出会うとは。一瞬の出来事だったがそこから自分もやや野生化したのか歩きに歩いていたら歩きすぎた。15時頃、駅に戻る途中に広告で気になっていたお茶のお店の前を通ったので寄ってみた。お昼を食べるにはおなかの調子が悪かったので(けど)途中の素敵な洋菓子屋さんで買った小さなクッキーを3枚しか食べていなかった。朝、駅の観光案内所でもらった地図を広げてみたがよくわからない。地元の人に「ぜひ行ってみて」と言われた場所に行きたかったが現在地がわからず距離が測れない。野生の感覚はいつのまにかゼロになっていた。しかたなくお店の人に「私が今いるのはどこでしょうか」と地図を見せながら聞いてみたら一緒に見てくれた。お店の人も最初は笑っていたが「えー、なんだこの地図。どこだ?」と言っていた。安心した。私は地図の読めない人ではないが、集中力がないのですぐに見るのをやめるか別の何かをみてしまう悪い癖がある。でも今回は地図が悪かった。なんとなく理解して美味しいお茶をいただいてまた歩き出すと朝みた景色にすぐ出会った。あれ?もうここまできていたのか、とようやく頭の中に地図が描けた。

それにしても腰が痛い。ぶらさがり健康器がほしい。実家にあったときは父親の、みたいな感じでほとんど使わなかったがぶらさがるだけの効果をわかっていなかった。自力で身体を伸ばすということがどれだけ難しいか。私の仕事は座りっぱなしで腰に悪い。痛み止めを打っても効き目がなかったぎっくり腰のひどい痛みを経験してから予防には励んできた。今回もこのくらいなら動けるのでまだいいがいつもと微妙に違う動きになるのでもっと悪くする危険は高まる。気をつけて動くことにしよう。座って作業するの辛いけど短時間ずつやるか・・・。良い1日にしていきましょう。

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テレビ

8月15日

朝日でオレンジに染まった空はあっという間に薄い水色に落ち着いた。

今年は水分補給の下手さを実感する。加齢で身体に不調が出やすくなったせいでそう思うのもあるが、調子が悪いときは大抵水分をあまりとっていない。しかしこれも不調を感じてから気づくことなので熱中症とかそういうのは本当に危険なのだ。小さい子たちに時間を決めて一定量の水分を取らせることはとっても大切、ということをたくさんの子どもたちを見てきて実感しているので自分にもそれを適用すればいいのだが。子供にいうことは自分にも適用した方がいいんだよね。逆に、子供にだけ要求するのは不平不満が出てもしかたないので理不尽ではない理由が必要になるのでしょう。ああ。子供にもなれず、十分な大人にもなれず。

この前、小淵沢に行ったとき、駅がすごくきれいになっていてびっくりした。町名も北杜市になり、駅舎も新しくなり、懐かしいと感じるはずの以前の駅をもう正確には思い出せない。まだスクールカウンセラーをしていた頃は同じ地域で働く人たちと箱庭とかいろんな研修会に一緒に行っていて、小淵沢へも神田橋合宿で一緒に行った。みんなで色々歩いたはずだがそれがどの辺だったのか全然わからない。線路沿いを少し歩いただけだったのかもしれない。最近はようやくいろんな土地の記憶がつながりつつあり、入笠山、諏訪湖周り、車山などこれまでに出かけた場所が意外とその辺だったこともわかる。朝露に靴があっという間に濡れてびっくりしたのも思い出す。

小さな頃からなんでも読み、とりとめもなく書きつづけてきた。先日、NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争1944 絶望の空の下で」をみながら、なんとなくそうしてきたことの意味をぼんやり考えていた。その番組では、サイパンで両親とともになんとか生きながらえていたのに目の前で父母を亡くした14歳の少女の日記、体調を崩してもヒロポンを渡されながら工場で働き、B29の爆撃で亡くなった女学生の日記、人間魚雷回天の特攻で亡くなった若者から父と妹へ宛てた手紙など、絶望的な状況で書かれた言葉たちが紹介されていた。それらは貴重な資料であると同時にそこには書かれていない思いを想像させるものだった。

被爆者の声を集め続けた元放送作家とある被爆者の交流を中心に描かれるNHK戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」では語られたことと語られていないこと、語りを聴くこと、残すことについて考えさせられた。原案は伊藤明彦『未来からの遺言ーある被爆者体験の伝記』(岩波現代文庫)。西日本新聞に伊藤明彦に関する記事がある。

今日は8月15日、終戦記念日、敗戦忌。今日も暑くなりそう。大切に過ごそう。

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読書

富山のまちづくりの本とか。

窓を開けた。風はあまりないみたい。昨晩の魚の匂いに早く出ていってほしい。キッチンの小さな窓からは涼しい風が入ってきた。

昨晩、専門書ではない棚からなんとなく取って開いた『にぎわいの場 富山グランドプラザ:稼働率100%の公共空間のつくり方』山下裕子著(2013年/学芸出版社)。八戸ブックセンターでおすすめしてもらった一冊。 「本のまち八戸」を推進する彼らが自分たちと似たような試みを推すのは当然。私もまちづくりの話は大好き。だから八戸ブックセンターでもその形式が可能になったわけを色々訊いて教えてもらった。

富山に行ったのは何年前になるのだろう。GWに行ったが黒部峡谷のトロッコ電車が寒くて、当時はまだ旅慣れていなくて準備が足りていなかった。眩しすぎる雪山にびっくりして電車から降りて遊んだ。私たちは宇奈月から乗ったがその日は途中で電車が止まっていた気がする。次回は欅平駅まで行きたいね、とか今度は富山から長野に抜けてどうこう、とか話した気がする。どういうルートを考えていたのだろう。覚えていない。それにしてもあの雪の眩しさはすごかった、と書きながらほかの場所と記憶が混じり合っていないかと思っている。

富山市の中心市街地活性化は成功事例として全国に認知されているという。この本は、2015年の北陸新幹線開通以前に書かれており、まちづくりの進行の様子を詳細に知ることがで、非常に参考になる。なにの?と言われても私がまちづくりに携わることはないのでなんとも言えないが、人と人が繋がり、何かが形になっていくプロセスから学ぶことは多い。

先日、友達といろんな話をしたが、人との対話は本を読むのとは全く異なる世界で「学び」とかではない心の動きがその場を作っていく。まちづくりの現場ではここに書かれていないことの方がずっと多く起きているはずで対話の難しい局面だって山ほどあっただろう。地方都市のこうした成功は本当に素晴らしいが、そこでの困難に持ち堪える人たちがいたことがもっとも素晴らしい。そういう人たちがまちづくりのプロセスに参加することで増えていったという面もあろう。参加は大切。サルトルもそう言ってた。

今日はどんな一日になるかな。多くはお盆休み。東京は曇りらしい。暑さにまいった身体を休められるといいですね。

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俳句 言葉 読書

ニュース、眠る。

すごい風。熊本の雨はどうなのだろう。能登にも洪水警報が出ているという。どちらも地震や水害ですでに弱っている土地だ。被害に対してできるだけ早く援助が入れますように。

1985年8⽉12⽇、⽇航機123便が群⾺県上野村の御巣鷹⼭に墜落し520⼈の方が亡くなった。あれから40年になるのか。3人の娘を亡くした両親の記事を読んだ。あの日、私は群馬を離れて水道橋にいた。思考停止を体験した大きなニュースはこれまでにいくつかあるが、御巣鷹山での事故もそのひとつだった。

昨晩、8月15日必着の投句を清書していた。10句出すのだが作るのもギリギリ、清書までにまたぼんやりし、推敲不足なために清書の段階で自分の言葉に違和感を感じて止まったり、最後の一句でついに書き写し損ねた。6句目くらいから集中できなくなっていることに気づいてはいたが最後にやってしまった。そして今度は修正テープを探すのに手間取った。テープのりならなぜかいくらでもあるのに修正テープがいつもない。使用頻度の高いものこそ置き場を定めなくてはいけない、といつも同じような場所に戻しているつもりなのだけどなぜかいつも探すのに時間がかかる。そして修正テープ初期のものでは、というレトロな未開封ものを見つけた。封筒の宛名もきれいに書けなかったし、郵便料金が変わったせいで切手もたくさん貼らなければで見栄えが悪い。でもとりあえず間に合いそう。毎日俳句を作る習慣が崩れていたのがよくなかった。清書から封を閉じるまで一気にスムーズにできる人も多いだろうけど、私の場合、それは小さなステップの積み重ね。丁寧に、きれいに仕上げたいなら時間的にも精神的にも余裕が必要。

先日、バスで、大きな大会の選手たちと一緒になった。「◯◯も出れば」と言われた女子が「男子の大会だから」というと「男尊女卑」と男子はつぶやいた。バス停で待っているときからありがちな力関係を感じさせない喋りをする子たちだなと思っていた。私はバス停の柱に作られた細長い巣に素早く出たり入ったりする燕を写真におさめようと伸びたり縮んだり落ち着きなく動いていたのだが、彼らの会話は落ち着いていて、物理的にも心理的にも相手のスペースを脅かさない普通の譲りあいや気遣いがあった。男子選手は女子選手の実力に敬意をはらっているらしく、女子選手も静かな闘志を見せていてカッコよく、心の中でたくさん応援しながら先にバスを降りた。外は大雨で、祭りの予定だったその街は静かで、図書館も美術館も開館時間が予想より遅く、美術館併設のおしゃれだけど古びたカフェで時間をつぶした。若い世代は意外とこういう会話をしている、と私は知っている。子どもたちのため、とか言っている大人はあまり信用できないことも私は知っている、というか、子どもたちがそう言う大人にうんざりしていることを知っている。実際、私もそう言いたくなるときは自分に欺瞞を感じる。私に彼らのような振る舞いができているとは思えない。

この辺は福尾匠『非美学 ジル・ドゥルーズの言葉と物』の「第4章 言語 概念のプラグマティック」やジュディス・バトラーが参照する論者たちのパフォーマティヴィティに関する議論で深めることができそう。ジェンダーとセックスに対する考え方を更新する可能性は子どもたちにあるのだろう。

再び眠くなってきた。昨晩は夜も遅かったからこのままだとかなり寝不足になる。もう少し眠ろう。水木しげるも「睡眠は幸福のモト」と書いている。たしかに「眠れる」という事態は特別なことだ。眠ろう。そしてまた起きよう。

燕の尾しか撮れず。

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読書

水木しげるの言葉とか。

窓を開けたら渦巻くような風にあたった。変な風。雨はそんなに降っていないみたい。気温が低めなのはありがたい。

渦巻くと書いて水木しげるが戦時中、海の中に逃げ込んだときに竜巻のようなものが起きて仕方ないから銃を捨て、命からがら隊に戻ったら死なずに逃げたことを責められ、天皇から頂いた銃を捨てるとは、と殴られたという話が浮かぶ。

水木しげるが何度も生き残ったのは奇跡中の奇跡で、身体の強靭さはもとよりそのなかで命が大事という当たり前を当たり前に持ち続ける強さも関係していたのだろう。水木しげるが敬意を持って「土人」と呼ぶパプアニューギニアの人たちとの交流も驚くべきもので「7年後に戻る」という約束を20数年後に本当に果たし、当時親しくしていた人の仲人まで務めたという。水木しげるの描く戦争は想像を絶する理不尽な現実なのにあたたかさとユーモアが自然発生する世界でもある。妖怪の世界だってそうだ。見えないものを見える人が描く。みんなみんな生きているんだ、はやなせたかしだけど、そういう当たり前を当たり前に。

「奇妙な価値観みたいなものをもたずに、自分に興味ありそうなことをなんだってやってみればいいんだ」

水木しげるの言葉にたくさん励まされながら今日もがんばろう。

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Netflix

雨、夢、神社

雨の音?夢?ウトウトしている時間が長くてずっと夢の中にいるみたい。ずっと雨の音に包まれてるみたい。Netflix『グラスハート』は雨がとても美しく撮られていて映像自体に音楽を感じられたのがよかった。

変な夢ばかりみてひとりでうけていた。何が何だかわからない物体をとりあえずお灸ということにして無理だとわかっているのに活用しようと試行錯誤したり。かなりはっきりとそれがお灸ではないとわかっているのに。わからないものと出会ったときの仮説の立て方に無理があるのはいつものことなので夢でも結構ウケていた。

昨日はお寺と神社の両方にいって神社の方に神仏分離や廃仏毀釈のことをきいた。宗教的なものに対する人々の態度にはいくつかのタイプがあると思うがひどいこと考えるもんだよ、と思うがそれにあっさりのった人たちの心性やいかに。遺産が破壊される暴力的な映像をみることがあるがああいうのは外国だけの話ではない。「この辺の人たちはそんな出来事関係なくお詣りされていたと思いますけどね」という言葉に笑ってしまった。私なんて今まさにそんな感じだし。しかし、こういうことを知って考えておくことは自分の政治に対する態度を作ると思うので大事にしたい。

今日はどんな一日になるかな。体調に気をつけて過ごしましょう。

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会話、夢

大きな窓から見える空が綺麗。水色がいろんな風に変化する。秋になって、とはいえ、まだまだ暑くて、雨が降ったり止んだり空も忙しそう。

昨日は知らない人といろんなお話をした。知らない場所に行くといろんな人と会っていろんな人と距離が縮まるプロセスが面白い。会話の発生。

ぼんやり寝たり起きたりを繰り返していた。ひどい欺瞞に嫌な気持ちになることもあったからこういう夢もみるだろうなという気持ちにはなった。すかさず私の問題として照らし返してくるのが夢だから悲しくもあったけど登場人物が会いたい人ばかりだったのがきちんと願望充足もしてた。自由連想しておこう。

昨日は山育ちの私と海育ちのあなたという対比もあってそれも面白かったな。知らない環境を受け入れていくことで生じる豊かさを大切にしたい。

どうぞ良い一日を。

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精神分析 読書

自分の言葉、森崎和枝『能登早春紀行』など

立秋。夜明けの空がきれい。

毎晩、月が膨らんでいく。明るさも毎日違う。にしても暑すぎではないだろうか。昨晩は帰り道でも涼しさを感じられなかった。朝から広島の映像、広島の語り、広島への祈りをずっと感じていたからかもしれない。最近『火垂るの墓』も『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』も見ていた。首相が「自分の言葉で」語ったことが多く取り上げられていた。

「自分の言葉で」。精神分析へのニーズをそこに見出す人は多い。それを欲しながらもいかに難しいかを実感している人は探究の苦痛に耐えうるかもしれない。私たちは他者なくしては生きられず、果たして「自分の言葉」なんて存在するのか、という気もするが、表現の自由と言うのは「自分の言葉」で話す限り有効でだと思うので存在するという希望を捨てない。他者との関わりのうちに育つ言葉をそう呼ぼう。相手を変えようとする言葉ではなく。

米田翼『生ける物質-アンリ・ベルクソンと生命個体化の思想-』、前よりも読める感じがする。平井靖史さんの著作のおかげだろう。

「創造とはまさに新規性nouveautéなのである。」

そうに違いない。この本は様々な一元論をとても丁寧に解説してくれている。補論のアレクサンダーの形而上学は狙い通り、ウィニコットを読むときのヒントになってくれそう。嬉しい。移行対象は時空から構成された素材、ととりあえず仮説を立てた。

『能登早春紀行』 森崎和江 著もすごくいい。震災後の夏に羽咋、小松、金沢、今年のGWに和倉温泉、七尾、金沢へ行った。来年は輪島へ行きたい。森崎和江の豊かな五感による観察が深い思考を通じて言葉にされているこの本、とても好き。能登がこうやって語られていること自体が今はとても貴重に思える。

現場へ。いつもそばに、ということはできなくてもいつも心を寄せておくことはできる。大雨の被害も広がりませんように。

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お菓子 精神分析

お菓子、事例検討会

今朝の光は少し柔らかかった気がした。風も静か。8月7日は立秋。昨晩の月はまだ夏を感じたけれど。

今朝は宇都宮の老舗、高林堂さんの「かりまん」。かりんとう饅頭は美味しい。包みも使われているフォントもかわいい。かりまん特設サイトもあり。あと、今日は同じく栃木県は小山市の蛸屋さんの「大開運」。よい名前。いいことありそう。見た目も上品。“皮種には「栃木県産大麦」と「栃木県小山市産はとむぎ」を使用し、素材の上品な甘さを感じさせる一品に仕上げました”だって。お味も上品。蛸屋さんのお菓子もいくつかいただいたけどどれも美味しかった。どこの県にも仙台銘菓「萩の月」に似たお菓子があるけどここでいえば「みかもの月」がそれ。あれも美味しかったなあ。こんなお菓子ばかり食べてていいのか、と自分で心配になるけど蛸屋さんは工場併設の「おかしパーク」で食べ放題やってる!いいのか?豪華だし全部食べたいけど超危険。「みかもの月」詰め放題(時間制)とかもあるではないか。ガーン。

数年前、しまなみ海道を巡っていたとき、工場併設の小さなお菓子屋さんに寄ったら賞味期限が近くないのまで含んだお菓子の詰め合わせをどんと渡されてびっくり。本当に小さな販売スペースで工場で作業中の方が手を止めて出てきてくれるような場所だったと思うけど特にサービスをしているという感じでもなく当たり前のように渡されたのにも興奮した。なんか楽しいし嬉しいってなった。あれはどこだったか。大三島だったかな。また行きたいな。お菓子は食べ過ぎは危険だけど、いろんな場所のお菓子をいただけるのはやっぱり素敵。旅先ではお菓子屋さんを見つけるとその場で食べられるお菓子をちょっと買ったりしながら歩いたりする。旅先じゃなくてもしてるか。夏はどんなお菓子に出会えるかな。楽しみ。

昨日の初回面接の事例検討会と仲間内の密な事例検討会、どちらもとても勉強になった。やっぱり私は動物の進化について考えねばならない。個体の起源とは何か。環境とは何か。性と死が生きる場所である無意識はどこで生まれたのか。ウィニコットのいうほどよい母親が持つ要素が揃えばそれだけで人は安心できる居場所を得たと感じるのだろうかあるいはほどよい母親が持つ要素は「それだけ」ではなくもっと万能なのだろうか。あるいはウィニコットはそれ以外の何かを暗示したのだろうか。などなど。

今日は月曜日。今週もがんばりましょう。

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料理 精神分析

習慣とか廃村集落のこととか。

夜の間、冷房除湿みたいな設定にしていた。少し寒かった。リモコンが見つからず消すことができなかった。起きたらリモコンが身体に敷かれていた。

南側の大きな窓を開けた。少し風が入ってくる。この時間はまだ冷房が入らない。それにしても5時かその前には起きたくなくても起きてしまう。加齢。昨日のピーマンの肉詰めの匂いが消えていく。印度カリー子レシピ。タンドリー塩サバのレシピとヨーグルト以外は同じ。これも大変美味しかった。八百屋さんで大きくて安いピーマンを買ってあったので何を作ろうかなあと思いながらなんかしっくりこないな、と思っているところにレシピが流れてきて「これだ!」となった。カリー子さんのおかげで、ターメリック・クミン・コリアンダー・チリペッパーが順調に消費されていく。これまで買っても賞味期限切らしてしまったりしていたのに。習慣は変わる。漬け込んでおいて帰ってきたらそれを焼くだけ、みたいなレシピもお気に入りが増えてきたのでポリ袋もたくさん活用するようになった。混ぜるだけレシピも多いから使い捨て手袋も。道具って素晴らしい、と使うたびに思う。

今は札幌のビアガーデンが最高らしい。札幌出身の人がこの前実家に帰るついでに行ってきたと。いいなあ。特定のお店にしかおいていない「白い恋人」ももらってしまった。とってもかわいい。札幌おもしろ話を色々聞いてゲラゲラ笑った。地元にいるとわからないその街の魅力を一度出て戻ることで再発見するのは楽しい。

先日、東京都庁1階にある全国観光PRコーナーに寄った。オフィスから近いからたまにいく。7月下旬にやっていたのは「四国石鎚山麓・西条市フェア」。愛媛県西条市ってなんとなく聞いたことがあるくらいだったけど写真を見るとやはり瀬戸内は素晴らしいなと思う。お隣の今治市には旅したことがある。西条市は「うちぬき」と呼ばれる水が噴き出す被圧地下水の自噴地帯が広範囲にわたって形成されているとのこと。面白い。「石鎚山麓東之川」と書かれたいい紙を使ったパンフレットが目立っていてもらってきたのだけど、いい紙を使っていることが気になって調べてみたら廃村集落とのこと。最後の住民が村を出たのが平成24年。2012年?村へ通じる車道が崩落したとのこと。林業で栄えていたとても美しい村だったそう。確かに写真を見るととても魅力的な石積みの集落。保全せねば、と思うよね、これは。旧村民の方のお話が伺えるうちにツアーコンテンツとして開発していきたい思いがこのパンフレットを作らせたんだろうな、と思った。認知拡大しないことには保全もかなわないから。全国各地にそういう場所はあると思うから私が続けている小さな旅も少しは貢献したい。

フランス精神分析のことをメモしておくつもりが全然関係ないことを書いてしまった。フランス精神分析用のノートをめくっていたら昨年、書評を書いた(校正もこれからみたい)コレット・ソレール『情動と精神分析 ラカンが情動について語ったこと』(福村出版)のメモがあった。もうすっかり忘れてしまっているなあ。ラカンの勉強もたくさんしたからそっちは結構覚えている。アンドレ・グリーンを読む中でラカン理論も補強されるからだろうな。ソレールのこの本は論点多すぎだから。

おなかがすいた。夜遅く食べても朝はきちんとおなかがすく。胃腸には負担をかけるねえ。なるべく気をつけてるけど。

今日は8月2日土曜日。雨予報?今降っていないけど。よい1日にしませう。

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Netflix 精神分析、本

夏の朝、象徴、『W・R・ビオン全集』自伝2巻。

早朝からカビ取りスプレーを使い、窓を全開にしたら生ぬるい風が入ってきた。こういうスプレーは自分もやられてしまうので大変だ。

新宿中央公園のセミたちも本格的に鳴いている。結界を張るかのように鳴いているせいか日中は人が少ない。まあ、暑すぎるということだけれど。

今朝は能登のお米でごはん。2年続けて七尾線に乗った。七尾線は石川県の津幡駅から和倉温泉駅までをつなぐ路線で能登半島の田園風景を満喫できる。GWの車窓には空を映す水田がずっと続いていた。ずっときれいだから同じようで少し違う写真がたくさん撮れた。

最近、夏のフルーツを色々もらった。今朝は「サマーエンジェル」というすももの一種を食べてみた。山梨県オリジナルとして「ソルダム」と「ケルシー」を交配して育成したとのこと。酸っぱさも甘さもちょうどいい。夏はこういうサッパリしたのがいい。

『鬼滅の刃』の映画が話題。無限列車編以降追えていないけど、話題になると見たくなる。主人公がいい子すぎるところに最初からあまり乗れていなかったが見たら見たで止まらなくなる多彩さがある。この前、同業の先生たちとNetflix話をしたが、それぞれすごくよく見ている。実はわたしたち暇なのでは、と思うほどだが、単に睡眠時間が少なくなっていたり、そのための時間確保や体調管理に務めているという話でもありその話も面白かった。楽しむためのいろんな管理は大事。

私は最近思うところがあり、というか相変わらず日本でいう15年戦争を入り口に色々みたり読んだりしていて、そのひとつに当然マンハッタン計画もあり、そういえば『オッペンハイマー』をまだみていないな、と思った。とりあえずすぐにみられるクリストファー・ノーラン監督のものということでDark Knight Trilogyを見直そうと『バッドマン・ビギンズ』を再生。このお母さんってジブリに出てくる夫のそばにはいるがちょっと子供と距離のあるお母さんみたいと思ったり、子供のトラウマを父と母が共有しないことで父子の物語にして執事に母性を担わせたのは男社会の映画として面白いな、とか適当なことを思いながらみているが、本当に断片しか覚えていないものだな。映画も本も本当に覚えていられない。だから何度も見たり読んだりする、ともいう。主人公が自ら「象徴」になろうとする話って日本のアニメでも色々あると思うのだけど「俺はなる!」みたいな感じでなるものではないよね、「象徴」って。

精神分析は象徴をめぐるあれこれを扱う学問だけど、特定の誰かが象徴として機能している学問ではないと思う。「祖」と呼べる人が数人いるだけで。その一人であるビオンの精神分析家以前(生い立ち、第一次世界大戦)と精神分析家にならんとするプロセス(第二次世界大戦を経てクラインと出会うなど)をビオンの嘘のない言葉で読めるのが『WR・ビオン全集』(著作15冊+索引)The Complete Works of W.R. Bion. Karnac Books. (2014)の第1、2巻。これまでもビオンをたくさん訳されている福本修先生の監訳。訳者はそれぞれドイツ、イギリスの文化に馴染んでいる方々で注釈もとてもありがたい。戦争のあれこれに触れ続けているのは今、世界がそういう状態だからというのもあるけれど、フロイトをはじめとするユダヤ人分析家とナチスの関係に対する関心が強いから。あとはこのビオンの戦争体験。すでに色々なところで話されていることだとは思うが、ビオンの言葉を断片ではなく追うことでビオンの理論の背景がいかに困難が多く、かたそうなのにものすごく豊かな思考がそれらをいかに言語化してきたか、ということ自体に胸を打たれる。高いけど全集の全訳というのは本当に価値があるので(絶対自分でできないから)チェックしてみてほしい。

WR・ビオン全集』(著作15冊+索引)

The Complete Works of W.R. Bion. Karnac Books. 2014.

第一巻

長い週末 1897-1919』(The Long Weekend 1897-1919: Part of a Life)

第二巻

『我が罪を唱えさせよ 人生のもう一つの部分』(All My Sins Remembered: Another Part of a Life

『天才の別の側面 家族書簡』The Other Side of Genius: Family Letters

第ニ巻の邦訳にはビオンの息子ジュリアンが父ビオンのことを書いている。福本先生が寄稿をお願いして引き受けてくださったらしい。ジュリアン・ビオンはthe Professor of Intensive Care Medicine at the University of Birminghamということでバーミンガム大学の集中治療医学の教授で、その分野の様々な会の長を務めたり数多くの賞を受賞されている。第二巻は妻とジュリアンたち子どもらへの父ビオンからの手紙も収められているが、一人の息子として父ビオンを語るジュリアン先生の文章もミルトンの引用もとても素敵だった。いろんなことを感じたり考えたりしながらビオンを読んでいけそう、と思った。ビオンもフロイト同様、徹底して精神分析家であり、良き父親だったらしい。ビオンの書き方はフロイトとは全然違うけど(対象も目的も違うから当たり前だけど)とても読む価値ありの二冊だと思う。

今日も暑そう。熱中症ってあっという間になるから気をつけましょうね。どうぞ良い一日を。

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イベント

花火大会、姑娘、戦後80年

灰色の空。パウル・クレーが気をつけろと言った灰色。はじまりの色。窓を開けた。今日は少し風がある。鳥の声も穏やか。エアコンはまだつけなくて大丈夫そう。冷たい麦茶が美味しい。

最近、コンビニで花火を見かけることが増えた。夏だ。祭りだ。花火大会だ。オフィスからはヤクルトスワローズの本拠地である神宮球場であがる花火が見られる。5回裏の終わりに。いつもちょうど観られないけど。そういえばこの前「花火だ」と思ったのだけどスワローズのは夏休み期間だけだと思う。なんだったのだろう。外苑の花火大会はお盆のときかも。能登はどうかな。七尾市、加賀市、和倉温泉の花火大会は中止みたい。昨年、羽咋に泊まった夜にちょうど「復興花火in千里浜海岸」をやっていたのだけど不覚にも眠ってしまって見に行けなかった。昼間、炎天下の千里浜海岸を自転車でたくさん走って疲れていたらしい。はじめての試みだからホテルが指定する場所から見えるかわからないのだけど、とチェックインしたときに言われたけどとてもきれいに見えたと朝になってから聞いた。今年はやらないのかな。暑い夏も元気に乗り越えてほしい。「日本三大火祭り」のひとつ、能登島向田の伊夜比咩神社の火祭りは7月26日に無事に開催されるらしい。たくさんの人で盛り上がりますように。能登島はのとじま水族館がある島。GWに行ったときはちょうど避難していた全ての魚たちが戻ってきたところだった。地震から水族館再開までの様子とかをパネルで見たけど本当に大変な作業をみんなでされてきたんだなと涙が出た。

石川といえば山中温泉に泊まり街中を散歩していたとき「姑娘」という中華料理屋が目に入った。なんと読むのだろう、と思いながら通り過ぎた。翌日金沢の茶屋街に行くとギャラリーのようなお茶屋さんで箸置きや器に「姑娘」がいた。アヤベシオリという作家さんの作品だった。どれもとてもかわいくて連れて帰ろうか迷った。お店の人とおしゃべりしながら「姑娘」の意味を聞いたがわからないと言われた。その後に出会ったのが水木しげるの「姑娘」。強烈だった。戦争が人生を想像もしなかった方に連れていくということは頭では知っている。いろんな人がいろんな資料を残してくれたから。しかし、こういう方向もあるのか、というか水木しげるが知っているリアルはすごい。ちなみに読み方はクーニャン。若い女性という意味らしい。同じ本に収録されている作品も太平洋戦争のもの。戦艦や駆逐艦の絵も凄まじく細やか。悲惨なことが次々に起こるなか人間の書き方は軽やかでユーモアさえ感じさせるがそれだけではもちろんなく多面的。人間の愚かさって本当に説明しがたいということがなおさらなんともいえない気持ちにさせる。戦後80年、恵比寿の東京都写真美術館で開催中の「被曝80年企画展 ヒロシマ1945」にも行ってきたが、あの惨状にカメラを向けずにはいられなかった人たちの記録が特に心に残った。

7月1日締切の原稿のために出していた本たちを本棚に戻して、なんとなく積み重ねていた洋服を整理した。心配していたとおり梅雨に気温が下がるということがなくずっと暑かったので薄手の長袖ニットとか全然着なかった。しまってしまおう。そういえば関東の梅雨明けはまだ?引き続き熱中症に気をつけて過ごしましょう。

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精神分析

夏本番、支え

カーテンも窓も開けたくない。別の部屋に行きたくない。除湿運転でちょうどよくひんやりしたここにいたい。と何度もベッドに戻りたくなる。いよいよ夏本番。一応まだ梅雨なんだろうけど昨日もとても暑かった。

が、昨日はポッカリあいた時間を使って弾丸プチトリップを敢行。身体が動くうちにやっておきたい、そして夏休み前だけどリフレッシュ必要ということで東京と距離をとった。1時間あればかなり別の環境に行ける。

知らない人の隣に座ってなんとなくその人が反応した方向をみたらびっくりするような景色があったり、自分の目より人の目を借りた方が世界は広く感じる。この前、久しぶりに若い頃からの付き合いの先輩たちと話をしていてその先輩たちにもその職場の人にもいろんなことを分け合ってもらったなと思った。当時の俺らの仕事のやり方はどうなんだ、という部分はあるが、当時本当に大変だったことや人に対して今は別の見方ができるのも彼らのおかげ。

そういう彼らが学術大会で「すごく久しぶりに精神分析の人の話を聞いたけど昔より身近になってる気がした」といってくれた。私みたいのがいるくらいだから以前の高学歴、高知能男性(という言い方をしている人は結構いた)ばかりの集団ではないし、なにより実践が一定の水準でなされていることが臨床家である彼らにいい印象を与えたらしい。以前はすごく賢い人たちが失敗する事例を出すのが精神分析という印象だったという話も聞いた。多分理論と結びつけた説明が届かない場合に精神分析では必然的に生じる「失敗」が何か自分たちの臨床感覚と全然違うという感じをもたらしたのだろうと思う。私たちがもっといろんな言葉を使っていかなければならないのだろう。

日本では精神分析という言葉は「的」をつければかなり広い意味になるが精神分析を実践している人は協会の人や海外で精神分析のトレーニングを受けてきた人だけだと思う。別の友人たちにも「そういえば実践なき議論を続けてきたから実践している人の話は大事だよね」と言ってもらえたのも嬉しかった。精神分析は高いが、そこまでの投資を自分に対して必要と感じた人は自分から希望する場合もあるし、こちらからの提案でその存在に委ねてみようと決心したりする。精神分析の知見はそれこそ日常生活で生かせるものだし、今も実際に生き残っている実践であることを広めて行けたらいいなと思う。なのでこうしていろんな会話で労ったり励ましたりしてくれる友人たちの存在がとてもありがたい。今日もそういうみんなの支えを還元すべく色々がんばろう。

熱中症にお気をつけてお過ごしください。水分水分。休息休息。

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読書

思い出

岸政彦『はじめての沖縄』(よりみちパン!セ、新曜社)のカバーには3枚の写真があって三匹の猫がいる。面には2匹、袖に一匹、裏は住宅街の小道の写真。そこにも猫がいるのかもしれない。

2024−2025の年末年始、モノレールのゆいレールができてからはじめて沖縄に行った。空港直結のモノレールはとても便利。奥武山公園駅で下車し、とりあえずホテルに荷物を預け、駅までの小道に入ると低い屋根の上に猫がいた。シーサーも多いが猫も多い。

ある日、岸さんは調査のためにバスで移動する。

二月の、寒い曇りの空の日だった。いくら亜熱帯とはいえ、冬はやっぱり寒い。ー『はじめての沖縄』p150

そうなのだ。一日の気温差がすごい。私も脱いだり着込んだりした。岸さんは「いちおうガイドブックでは繁華街あるいは商店街ということになっている、近くの通り」に行く途中、一匹の痩せた野良猫を見つけ写真を撮る。それがカバーの写真というわけではないらしい。そして

(この日から毎日キャットフードを持ち歩くようになった)。ー『はじめての沖縄』p151

「いちおうガイドブックでは」というくだりも旅好きの感覚として馴染み深いし、この括弧付きもいいが、さすが猫好きさん、と思った。そしてふと思い出した。

私もいつも給食でコッペパンが出る日は放置されている犬にあげてた。今思うとあんな狭い場所に閉じ込めてひどいなと思うけど、当時はかわいいしか思っていなくて毎日寄って声をかけてちょっと遊んで(そんなスペースないからひっかけてくる前足と戯れたり)帰っていた。親が車で迎えにくるときの待ち合わせ場所もその小道の角で、大きくなってから母に「コッペパンあげてたわよね」と言われてびっくりした。私はこっそりのつもりだったが見てたのか。多分、あの犬はごはんももらってなかったんだと当時の私は知っていたのだと思う。そうじゃなきゃむやみに食べ物をあげたりしない。母も止めただろう。今はかわいそうにと思うがやっぱり当時はかわいいとしか思っていなかった気がする。かわいそう→だからコッペパン、というのは成長してからの思考回路でもっと直感的な行為だっただろう。捨て猫を拾うときだってある種の直感に突き動かされての行動だったし、いちいち理由など考えずにやっていることはとても多かったと思う。ある日、その家の表通り側に大きなゲージが出ていて中にはつかまり立ちができるくらいの小さな子がいて私と同じ学校帰りの生徒はかわいいかわいいと大騒ぎだった。私はすごく嫌な気持ちになったが、その日はその脇の狭いスペースにいるいつもの犬に会わずに表通りをそのまま帰った気がする。多分すごく怒ってた。

岸政彦さんの言葉は不思議で、書き言葉にも喋り言葉にもこういうことをたくさん思い出させる力がある。そしてこの150、151ページをめくった次のページの写真もいい。この本はページをめくっていると突然写真が登場する。特に見開きの写真はインパクトがある。目も耳も使うために足も使う。そして出会う。昔の感情とかデジャブとか一緒に歩きたかった道とか。沖縄はすでに梅雨入り。東京も今日は雨。結構降っている音がする。どうぞ足元お気をつけて。

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白鳥の赤ちゃんとか朝ドラあんぱんとか

今朝は曇っている。夜のうちは雨の音がしていたけど今は止んでいる。鳥たちは元気そう。最近、少しだけスズメとスズメみたいな鳥の区別がつくようになってきた。そりゃじっくりみればわかるのだろうけど飛んでる鳥はほぼシルエットなので形と大きさが似ているとみんな同じに見える。でも昨年『鳥展』でスズメ科の鳥の多さを知ったからまあほぼスズメという分類でも間違ってはいない気がする。昨日、大原美術館のSNSが、倉敷川で白鳥の赤ちゃんが誕生したことを書いていた。背中に乗ってる少しグレーの赤ちゃん。とってもかわいい。大原美術館側の倉敷川ってそれだけで観光地なのにさらに白鳥まで、そして白鳥の赤ちゃんまで。なんて素敵。倉敷もとっても素敵な街。また行きたい。備前焼のギャラリーでそこの器でモーニングやっているところがあったり、『蟲文庫』もあるし、何か小さなお店で倉敷の古い倉庫の写真とかも買ったのだけどそれはオフィスに飾ってある。またのんびり歩きたいなあ。あのときはお正月でホテルのロビーで餅つきとかもやっててお餅食べた気がする。コロナ以降、そういうイベントって一気になくなったけどコロナ明けてからお正月に佐賀の唐津に行ったとき、泊まったホテルが数年ぶりに餅つきをするというので支配人自ら餅と酒を振る舞っていた。子供たちも大喜びでみんなでこうしてワイワイできるって当たり前じゃないんだな、と大人たちはみんな思ってちょっと心豊かになっていたと思う。そんなこと関係ないかのようなひどい事件もいっぱい起きてるし、SNS上なんてほんとなんなんでしょうみたいなことがいっぱいだけど、他人は自分とは違う、ということが本当に曖昧になってると思う。自分の思い通りにいかない世界だからこそ世界は広いのに。ああ、朝から辛い気持ちになる。昨日の朝ドラあんぱんもとても辛かったけどのぶちゃんも蘭子ちゃんもすごくいい演技。豪ちゃんとあんなドキドキの思い出があったとは。のぶちゃんってこれまでの朝ドラヒロインとはちょっと違う。聡明さより鈍さ、ネガティブケイパビリティが高いといってもいい、子供の頃から変わらない立ち止まる力がある。のぶちゃんは走るのは早いけどいろんなことでぐちゃぐちゃになる仕方がゆっくり。蘭子ちゃんみたいに秘めたる思いで熱くなることも少ない。まっすぐに表現することを頑張らなくてもできてしまう。うじうじのたかしも手紙を声に出しながら書いちゃうのがいかにも。たかしの素直さはのぶちゃんとは違う素直さ。今田美桜がこれまで演じてきた男の子にとってのヒロインではない一人の人としての女の子の成長を丁寧に演じていてとてもいいなあと思って見ている。「花のち晴れ」の時だったか、ちょっといきがった女の子をやっていた今田美桜がすごくよかった。東リベのひなたちゃんもみおちゃなんだって最近知った。アニメでしか見てないからなあ。それはそうと朝ドラ、のぶちゃんも三姉妹もみんなみんな辛い時代に入ってきた。演じる役者さんたちも揺さぶられるだろうけどその演技にすごく期待してる。戦後80年、やなせたかしの「僕は戦争は大きらい」という言葉を軽やかにしっかり言い続けて「だから絶対いやだよ、やらないよ」と付け加えていきたい。今日が良い一日でありますように。

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精神分析

咳、和倉温泉、事後性

南の空に月。早朝の月はいい。鳥たちもよく鳴いている。私が夜中にする咳は鳥たちの声と違って不快に響きそう。自分の咳で起きてしまい寝不足が続いている。それでも3週間ぶりに筋トレをした。その間は全く咳が出なかった。風邪症状もなく突然止まらなくなる咳につく名前はないが少しずつ改善しているのは確かだ。筋力もそんなに衰えていなくて安心した。上半身って姿勢を保つ以外に日常でそんなに使っていない気がする、という話をした。胸と背中を鍛える自重トレーニングも教えてもらったのでやってみよう、と思うがひとりになるとほんとがんばれない。それにしても眠い。当たり前か。

5月18日、19日と天皇家の愛子さまが七尾市の和倉温泉に行ったニュースを見た。GWに和倉温泉の被害状況を見たばかりだったし、瀬尾夏美さんたちの配信でも温泉の従業員の方にも「被害は大きかった方から支援は入るから」と七尾への支援が届いていないことを知っていたのでよかったと思った。七尾の青柏祭の「でか山」も和倉温泉お祭り会館で見たとのこと。2年ぶりに開催された青柏祭。「でか山」が練り歩く様子はものすごい活気なので来年もたくさんの人が集まったりいいなと思う。とにかく人が来ないことには復興が始まらない。歩きにくい隆起した道路、崩れ落ち内部の断面があらわなままの旅館、ゴロンと倒れたままの少比古那神社の狛犬。見れば見るほどいろんなところに被害が出たまま残されていた。東日本大震災のあと、津波で薙ぎ倒された建物が目の前にあるのに気づかなかった時のことをよく思い出す。

人間はそのままをそのままに見ることがいかに難しいか。それは精神分析をやっていても明らかだ。精神分析を受け始めた人たちはいずれ自分が見てきたものはなんだったんだろうと愕然とする瞬間を体験する。抑圧と抵抗の力の大きさに何度も驚く。自分のことなのに。フロイトは『心理学草案』において「事後性」の概念を探索した。精神分析における「嘘」と「真実」は心の非同時性、現時点、つまり後がある、という段階差を含むフロイト独自の時間概念によって説明される。この「事後性」の概念あってこその「自由連組」であるという認識は重要だろう。頻度そのものが重要なのではない。精神分析が患者と共に発見し、確認し、修正を加えてきた心の装置の歴史における時間概念を追求することが大事。今週末のReading Freudはちょうどその辺の話になるだろう。楽しみ。

ということで今日もがんばりましょう。暑くなるみたいだからお気をつけて。

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七尾線とか図書館とか。

昨日はいいお天気だった。青空に白い雲。緑もすっかり濃くなった。子どもたちの大きな声もたくさん聞いた。夏。今日のお天気はパッとしない。雨は降るのかな。

家の大きい机の位置を変えた。私的にはだいぶスッキリしたけどどっちを見ても本が積み上げられ資料の入ったファイルボックスがたくさん並べられ。領収書も埋もれている。いけない。

能登半島地震が起きて、その年の夏には羽咋山中温泉、小松、金沢へ。今年は和倉温泉(七尾市)、金沢。金沢から特急があるからとても行きやすかった。次回は輪島に行くつもりだけど輪島は車じゃないと行きにくいのでバス利用になる予定。そのときは七尾市の能登演劇堂の公演も見にいきたいが金沢を拠点にできればの話か。この前、七尾駅前の七尾市立図書館に行ったら郷土の作家を紹介する部屋で無名塾の仲代達矢が能登演劇堂の紹介をしている映像が流れていた。5月30日からはその無名塾が令和6年能登半島地震復興公演ということでブレヒトの「肝っ玉おっ母と子供たち」を公演予定とのこと。ポスターも貼ってあった。能登演劇堂があるのはのと鉄道七尾線の能登中島駅。愛称は「演劇ロマン駅」。七尾線の駅はそれぞれ愛称があって面白い。そのときも金沢によって今度は石川県立図書館で石川の本が読みたい。こちらも愛称があって「百万石ビブリオバウム」。

いい図書館はいい。読書が捗る。色々な図書館に行った。昔は暗くてちょっと狭い場所が好きだったけど今は本を読むなら天井が高くて明るい場所の方がいい。勉強するとかでもその方がいいような気がする。今は図書館で勉強することがあまりないからなんともいえないけど。精神分析の本がたくさんあればいいんだけど自分で持っているものの方がずっと多いから。

そういえば先日、下の世代の臨床家に本をあげた。私ももう少しずつ片付けながら前に進まないとだし、この溢れかえる本を積んだままにしておくのももったいないから。そしたらそれらの本はもう絶版ならしくなおさら譲っていこうと思った。活用してくれそうな人に渡せるのは嬉しい。

今日はどんな1日になるでしょう。頑張りましょ。

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お菓子

和倉温泉、のとじま水族館

曇っている。空が薄く白い。気温が低くも高くもないのが嬉しい。

今朝は石川県七尾市石崎町の小さなお店「おやつ屋Brown」のパウンドーケーキ。和倉温泉駅から温泉街へまっすぐに伸びる道を歩いていると右手にかわいい小さな小屋を発見。二人はいればいっぱいの店内に魅力的なスコーンや焼き菓子が素敵に並んでいた。迷って塩バターのスコーンとマーブルのパウンドケーキとお土産用にクッキー缶を購入。サイズも小さめで嬉しい。小さくバターがのったスコーンはその日のうちにいただき、今日はマーブルのパウンドケーキをいただいたフォートナム&メイソンの紅茶と。袋を開けると甘いいい香り。ココア部分との色合いもかわいい。疲れが出て体調がイマイチなはずなのにこういう時間はそんなの忘れてる。素敵なお店だった。近くにあればいいのに。いや、和倉温泉駅そばにあることが大事か。

2024年元日の能登半島地震で七尾市の被害は大きかったと聞いていた。実際に行って、まず驚くのが道路の隆起とひび割れ。東日本大震災の後、郡山へ向かったときも車が跳ねるような道路状況だったが、今回は一見何事もなかったかのように見える歩道の状況に驚いた。前を躑躅に巻きついたつるを抜こうとしている人が歩いていた。どんな状況でも私たちは雑草を抜こうとするし、雑草はどんな状況でも生えてくるんだな、と瓦礫の隙間から伸びて咲いた小さな黄色い花を見て思った。一見何事も、と思ったも束の間、凸凹道を歩きながら建物に目をやるとほとんどの宿の入り口は暗く、張り紙が貼ってあった。断面も露わに崩れ落ちた大きなホテルも見えた。震災から1年4ヶ月が経つ今も、これだけの被害が続いている。どんな言葉も足りないようでなんの言葉も出てこなかった。宿で食事をいただくときにこの道40年というベテランの方に少しお話を伺った。チャキチャキと明るく動き、外国からの新人さんらしき従業員の方に的確に指導を出すその方が地震の話になると途端に声を詰まらせた。被害の大きかった地域優先の支援と解りつつつももどかしいのは当然だろうし、近隣の状況を知りながらたまたま被害の少なかった自分たちの職場で毎日を過ごす気持ちはどんなものだろう。どこも全く無傷ではなかったのに、傷が大きなところから支援が入るのも当然のことだろうけど、傷というのが見えるところばかりではないのも当然だ。翌日の早朝、温泉の中心街の方に出て応援の気持ちでいっぱいでいると緑のシラサギの像が2羽立つ湯元「涌浦乃湯壺(わくうらのゆつぼ)」できれいな人が何かしていた。近づくと卵を持っていた。ここで温泉卵を作れるという。その方は2年前に和倉温泉を訪れ、そこで作った温泉卵の塩気がちょうどよくて今回もいらしたそうだ。お湯も少ししょっぱいんですよ、と教えてくれた。柄杓も使い込まれたザルも広場に備え付けてあった。その方とお別れしてお湯の熱さにビビりつつもちょびっと舐めてみたらほんと少ししょっぱい。これでしばらくつけるとちょうどいい塩加減の温泉卵ができるのか。大きな被害の中、しっかりと残りこうして良さを伝えてくれる出会いも提供してくれる街の力に感激する。和倉温泉から能登島にもバスですぐ渡れる。七尾湾の景色はきれいな海も点在する島も遠くの緑もとてもきれい。のとじま水族館には避難先からイルカやアシカたちも帰ってきて完全復活営業。地震からこれまでの経緯も写真や絵で説明してあった。先の見えない本当に大変な状況でひたすら作業を続けてこられたんだなと思うと本当にすごいしか感想が出てこなかった。昨年は羽咋市に行った。羽咋も七尾も和倉温泉も金沢から七尾線で遠くない。今は水田がとてもきれい。たくさんの人が訪れることで早急な支援の必要性の声も届いやすくなるかもしれない。みなさんもぜひ、と思う。

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言葉

伝統

オレンジの光をあびてた。もう白い光に変わった。いいお天気で嬉しい。

昨日は祭りの伝統、嫁入りの伝統など地方の文化について色々考え難しいなあと思った。

少し前に地域社会の祭りなどを研究してきた武田俊輔さんがパートナーの富永京子さんと対談していて祭りにおける女性の役割と気持ちについて話されていた。「個」と「家」の問題は本当に難しい。

その中の有料部分ではあるのだけど「職業人としてやっているつもりだった。それは、その裏でがんばっている人を無視しているという話にもなり得るんですよね。」という富永さんの言葉があった。それもそうだなと思う。

伝統が守っているものというか「守る」は保護でも縛りでも依存でも可能性でもあるので本当に難しい。

とにかく語りを聞き続けることは大事。お休みの日はいつもと違う語りを色々聞く。言葉をなくすこともあるが続けよう。

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お菓子 読書

曇り、永瀬隼介『一家四人惨殺犯の告白 19歳』の完結版、栗助、パンダ

雲が広がっています、とテレビの天気予報がいっている。仙台。名古屋。東京も雲が広がっているね。雀たちもいつものリズム。「すっきりとはしない天気」という言葉がテレビから何度も聞こえる。

作業が全然進まず頭の中がうるさくなるばかり。困った困った。すっきりしたいが自分次第だから難しい。いや、自分次第なのだからどうにかなるはず。ああ。読書なら隙間時間でいくらでもできるのに。前に本の内容については書いたけど永瀬隼介『一家四人惨殺犯の告白 19歳』の完結版が光文社から出た。解説が高橋ユキさんなので読みたいけど角川文庫版を持っているからなあ。ノンフィクションはフィクションよりずっとありえない。現実に起きているのはこっちなんだけどフィクションでこれを書くのは相当難しいと思う。唖然とすることばかり。日本の法制度について知ることも多い。朝から読む本でもないが、こういう事件に朝も昼も夜もない。感覚も判断も狂う。著者が死刑囚と会った後に倒れて大怪我を負ったエピソードも強烈だ。全てが淡々と書かれているが全てが凄まじい。「現実」について昨日も何か考えていたのを今思い出したが内容を忘れてしまった。

今朝は秩父菓子処「栗助」の看板商品「栗助」。ここのお菓子は何度かもらったことがある。栗助も何度目か。栗がまるごと一個どーん。ミルク餡も皮も美味しい。というのをロシアによるウクライナへの攻撃の映像を横目に書いているのもなんだか嫌な感じだ。

そして和歌山のパンダたちのニュース。驚いた。彩浜ちゃんが生まれたときと、どうしてもお名前を思い出せないのだがそのあとにも赤ちゃんパンダを見にいった。映像で成長も追っていた。アドベンチャーワールドのみなさんはどんな気持ちだろう。突然決まったことでもないだろうけどパンダも現場も外交に振り回されるのか。辛い。

私は私で今日はせめてやるべきことを勧められたらいいが。お天気と同じ気分。がんばりましょ。

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熊本。

春の朝だねえ、と南の空にうっすら残る月をみてぼんやりしていたらなんと今日は夏日だと、東京。この時間は本当にちょうどいい。風もない。少し冷めてきたお茶も美味しい。甘夏の厚い皮を向くとしっかりした甘酸っぱい実。柑橘って地域によって色々ある。微妙な差はわからないけど晩白柚くらいになるとわかる。熊本に旅したときに大きいのをたくさんみた。4月16日は熊本地震の日だった。2016年のこと。4月14日の大きな地震に次ぐ2度の強い揺れ。あれから9年。早いと感じるか遅いと感じるか。その日から時が止まってしまった方もおられるかもしれない。時間の流れはひとつじゃない。こんなとき心の存在を感じる。時計の針は確実に同じ方向に進むのに別の時間は強い衝撃から離れられず止まったり戻ったりさらに別の時間へ乖離したりする。心がばらばらになる。地震は特にばらばらのイメージを強くさせる。私は2012年に熊本を旅して熊本城のそばに泊まった。石垣が崩れる映像だけでもとてもショックだった。あの地震で「益城町」を読めるようになった。熊本の空からも朝の月は見えただろうか。熊本城の全体の復旧は2052年度の見通しとのこと。無事に作業が続けられますように。そして昨晩は長野で地震があった。直前にしか予測ができない自然の揺れがもどかしい。なんだってそれはそうなのだが私たちは普段なんとなく同じような毎日が続くという見通しのもとに生活をしている。それが大きく崩れることのありませんように。特に被災地においては立て直そうとする心がそれ以上不安になりませんように。

今日は土曜日。良い一日でありますように。

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読書

生活のリアル、本とか能登とか。

この前、怪しい雰囲気の雑居ビルのエレベーターに乗ったんだけどのぼって用事すませておりてくる間に会った人たちがみんな個性的だった。その日はそのあとオフィスに戻るまでもいろんな人に会ってちょっとした言葉を交わしたりなんか世の中のリアルという気がした。いろんな空模様のなかを自分の脚で歩くのとオンラインで似たような言葉を眺めるのとではずいぶん違う。おもしろかった。一方、初期のオンラインも面白かったな。色々思い出してフフフとなる。バカだったな、恥ずかしいな、と思うこともたくさん。黒歴史とは思わない。私はその言葉が嫌いだ。そういえば向田邦子のエッセイに「お辞儀」というのがある。『父の詫び状』にはいっている。そのはじまりは留守番電話に残された様々なメッセージ。さっき書きながらふと思い出した。生活にリアルさを感じるとき、向田邦子の文章を思い出す。森茉莉や幸田文の文章も。向田邦子は51歳で死んだ。飛行機事故で。今の私と同じ年で。だからなにというわけではない。母親の本棚から知ったずっと好きな作家だ。

最近好きな歌人が「ちょうどいい」という言葉に対する反発をかいていた。すごくわかると思った。少なくともそれ誉め言葉じゃなくない?と私も思う。向田邦子とのつながりでこれを思い出したのだがなんのことだか忘れてしまった。一瞬、強い気持ちが動いたのだが、それがその歌人の言葉を思い出したことでフフフに変わってしまったからだろう。自分の気持ちを大きく揺るがすものがあれば文章は書ける、といったのも向田邦子だと思うが、私はあまりそういうものがないので文章にしたいぞ、という欲望もない。精神分析家になるための修了論文を書いたり、アジアンパシフィックでの発表を原稿にしたらなんだか落ち着いてしまった。強い実感を言葉にできたのはよい体験だった。村田沙耶香みたいな小説が書きたい、とAIに小説談義をもちかけたが全然おもしろくならなかったのでやめたし。私は読む専門だな。最近も何冊か面白いのを読んでいたが心に残ったのはそんなに読者が多くなさそうなnoteだったりしたのでなんとなく心にしまっておいた。村田沙耶香の新刊は大作なせいか私が読み終わったときはあまり感想がでておらず、自分で布教してしまった。村田沙耶香に関しては布教という用語を使いたくなる。

昨晩、帰宅して『心理臨床の広場』をめくった。少し前に届いていたと思うが開封していなかった。今回は巻頭対談が『虎に翼』脚本家の吉田恵梨香さんと神田橋先生との共著『スクールカウンセリング モデル100例』の著者、嘉嶋領子さん。嘉嶋さんの『スクールカウンセリング モデル100例』は2006年の出版だが、私の周りでは名著とかなり話題になった。神田橋合宿に行ったりしてみんな神田橋先生が身近だったせいかもしれない。神田橋先生のチョイスはいつも正しいのだ、という雰囲気が当時はあった。みんな同じワインを買うとか。九州まで陪席に通っていた人もグループにはいた。私はそういうタイプではなかったが、実用というニードからその本を持っている。嘉嶋さんは「かしまえりこ」と書くこともあるというかむしろ私はひらがなで覚えてしまっていたが使い分けをされているのだろう。

金沢と能登をつなぐ「のと里山海道」がなかなか繋がらないらしい。昨年行った羽咋市の「千里浜なぎさドライブウェイ」はその途中で通行止めは解除されていたと思う。私は自転車だったので所々通行止めの文字は見たけど無事に行けた。千里浜なぎさドライヴウェイは名前の通り、波打ち際を自転車や車で走ることができる。気をつけないと埋もれるけどあんなに長く海岸線を自転車で走るなんてはじめてで不思議な気持ちになって楽しかった。日焼け止めを塗るの忘れてすごく日焼けしたのは辛かったけど羽咋は楽しい街だったな。その時は千里浜海岸ではじめて復興花火が開催される日で、ホテルの人もはじめてのことだからきちんと見えるかどうかわからないけどと言いつつ案内してくれた。私は肝心のその時間には寝てしまっていたが海辺からきれいに見えたという。翌朝、その場所へ散歩にいったらきれいに片付いていたけど誰もいない朝の海も最高だった。羽咋のことはすでにいろいろ書いた気がする。宇宙科学博物館コスモアイル羽咋が意外に最高だとか。旅では駅員さんや街の人とのちょっとした会話とかがとても楽しいのだけど羽咋でもそれがあった。今度は七尾。七尾市と穴水町の区間は復旧に向けた工事が今月されたばかりだけどどうなっただろう。調べると観光として行けるところは増えているがまだ行けないところもたくさんある。できるだけ人が入ることで復興の必要性は増すだろうから少なくとも数で協力したい。

本を読み旅をする。生活をする。仕事する。がんばろう。

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俳句 言葉

甘夏、テレビノークスペシャル「能登とつなぐ」

すっかり朝の光。日の出が急に早くなったのかと思ってしまうけどそんなはずはなく日々が着々と過ぎているだけ。こんないいお天気な感じなのにこれから荒れるのですって。雷怖い。気をつけましょう。

先日、大きな甘夏をもらった。ゴロンゴロンと冷蔵庫に入れた。甘酸っぱくて美味しい。「俳誌のサロン」にこんな俳句が載っていた。

エプロンに甘夏柑の重さかな 須賀敏子

3月23日に愛媛県今治市で発生した林野火災がようやく「鎮火」とのこと。発生から23日。被害は数字以上のものがあるのだろう。というか数字からできるだけ正確に現地の被害状況を掴めるようにならないといけないのだろう。十分な支援というのも量だけではないわけでどこにどのように何をどのくらいということを考えるには現場の状況がわからないといけないだろうし、支援は本当に難しい。東日本大震災のとき、私たちが避難所へ出向いたときはトラックで提供した暖かい食べ物が最も喜ばれた。自分たちもそれがいいだろうと思ってやっていることでも実際の受け取られ方を知ると言葉をなくす。冷たいおにぎりに飽きる、という体験を実際に言葉で聞くこと。そのインパクトのもとに再び被災地へ出向くこと。支援は継続的に、対話しながら、学びならやっていくことが最低限必要という、一見当たり前のことがいかに難しいか。震災が起きるたびに「あのときの体験はなぜ生かされないのか」「あの体験から何を学んだのか」という言葉が聞かれる。瀬尾夏美さんたちNOOKが行う災禍を経験した人たち、現地に入った人たちの声、作品、など様々な記録を残すプロジェクト「カロクリサイクル」は本当に大切だ。各自治体にこのような民間組織とスムーズかつ強力に連携できる形態の組織ができたらいいなと思う。3月29日にNOOKはテレビノークスペシャル『能登とつなぐ』と題した配信を行い、能登で起きている出来事を共有してくれた。アーカイブがあるのでぜひ。長い番組だが七尾市の方が「(輪島、珠洲だけでなく)七尾も被災地なのになあ」とおっしゃっていた。輪島市に次いで2番目に被害が多い地域だという。私もよくわかっていなかったが今度七尾市に行くので色々調べた。 映画にもなった漫画「君は放課後インソムニア」(著・オジロマコト/小学館)の舞台。七尾市のウェブサイトがファンマップを公開している。何をきっかけにしてもいい。多くの人が様々な被災地に実際に足を踏み入れてみる機会を持てますように。

空が暗く、風が冷たくなってきた。嫌なお天気。気をつけて出かけましょう。虹が出てるよ。

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コミュニケーション 言葉

関心を向け続ける、「なごみ」の活動

昨晩、帰宅したらゆうパックが届いていた。前にも書いたが相馬広域こころのケアセンターなごみのセンター長の米倉さんご出演の教材DVD「被災地の依存症者への関わりから読み解く~生きることを支えるヒント~」だ。東日本大震災、原発事故から13年を経た2024年に映画になったドキュメンタリー「生きて 、 生きて、生きろ。」の 出演者の方のご協力のもと、なごみのスタッフが依存症の方の回復までどう関ったかをいくつかの過程に分け、それを解説とともに教材として編集したものだ。試写版を見てとても勉強になったので購入した。Amazonと日本電波ニュース社より発売されている。継続的なアウトリーチの実践が多くの方に共有されますように。支援者の皆さんは特にチェックしてみてほしい。

また、明日4月12日(土)23時からETV特集「心の扉をたたき続けて~福島 アウトリーチ支援の現場から~」が放映される。NHKのウェブサイトにはこう紹介されている。

「原発事故から14年、今なお癒えぬ心の傷を抱え生きる人がいる。福島県南相馬市の「こころのケアセンターなごみ」では、看護師や精神保健福祉士、社会福祉士など多職種の専門家が連携し、被災者宅を定期的に訪れるアウトリーチ(個別訪問型支援)を継続、人に寄り添い続ける心のケアの現場に密着した。相馬市の「メンタルクリニックなごみ」では、原因となる出来事から半年以上経って発症する遅発性のPTSDに苦しむ人を取材した」

こちらもぜひ。震災後、私もボランティアに行かせていただき「なごみ」のスタッフの方々と一緒に仮設住宅を周り、集会室のような場所でみなさんとお話したり運動したりした。津波以前の景色を全く知らない私は全てが流されたあとに広がった青々とした草地をきれいと言った。そこの以前の姿を聞いて言葉をなくした。どの被災地にも多くの方が訪れ、話すことを続けられますように。

【ETVホームページ⇒https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/schedule/

今日は早朝から窓を開けている。しまい忘れたサンダルが風に飛ばされ雨に濡れていた。今日も不安定な天気らしい。相馬はどうだろう。春が来ているだろうか。能登は?暖かい日は増えてきただろうか。能登からの報告は瀬尾夏美さんの活動から知った「のと部」で私はチェックしている。関心を向け続けることの大切さを私は実感している。また話をしにいきたい。

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言葉

雨の朝

雨。細かい雨。村田沙耶香を読んだばかりだと雨が人を傷つけるようにしか思えない。でも最近雨乞いの声も聞こえていたし大切な雨。農家の生活を第一に考えることが私たちの生活に直接響くことだということを最近切に感じる。

卒業や異動の声をたくさん聞く季節。それぞれが色々な思いになっている。区切りによって助けられる人、絶望する人、色々だ。少しずつそれぞれの新しさに慣れていけますように。

今朝は熱い緑茶がおいしい。一年中温かい飲み物はおいしいな。茶摘みは春の季語。以前、静岡の遠い親戚の茶畑でしたことがある。ほとんどそのうちの子供と遊んでいるかその子たちが上手に摘むお茶を受け取っていただけだけど。茶畑はとてもきれいでこうやって生活と仕事がつながっている家庭もあるんだよな、と思った。彼らももう大人だろう。元気だといい。

明日明後日はとても寒いらしい。またダウンを着るのか。荷物を最小限になるように工夫して過ごそう。やることを早くやれば荷物は減らせるはずなのだ。がんばろ。他の地域のお天気はどうなんだろう。みんな元気で。

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写真 精神分析、本

サバカレー準備、逃避読書

朝。ここ数日は本当に寒くてすぐにベッドに戻ってしまう。

昨日はサバカレーの準備をがんばった。印度カリー子さんが使っているサバ缶は成城石井にあった。ココナッツミルクを探すのに手間取ったがカレールーとかと同じ場所にあった。ココナッツオイルはいろんなオイルの棚にあるけどミルクはいろんなミルクの棚にはない。冷やさなくていいしね。お店の人に聞こうかな、と思ったけど今後も自分で探せるように自力で探した。ということでがんばったような気がしている。

読むべきものが英語だとつい日本語の本を読んでしまう癖がなおらない。逃避癖のひとつ。でも細々と学ぶ中で千葉雅也と國分功一郎の『言葉が消滅する前に』(幻冬舎新書)はクロード・アジェージュの『絶滅していく言語を救うために ことばの死とその再生』(白水社)へのオマージュか?とか思ったり、とっても敬愛する俳人岸本尚毅の『文豪と俳句』(集英社新書)で岸本尚毅の俳句を通じた文豪たちへの眼差しの優しさにじーんときたり、手元にある本たちの読みがアップデート(?)しているのはいいことだ。

図書館でも俳句か哲学の棚にいくことが多い。昔は精神分析の本もそのそばにたくさんあったのにね、と精神分析の書物の少なさを少し嘆きつつもその時間は至福。最近は持っておきたいけど高くて変えないなと思っていたリオタール『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』(法政大学出版局、三浦直希訳、合田正人監修、2011)を読んでいた。ここでも取り上げられるフロイトの夢作業、だけではないのだけど哲学者が精神分析を利用する仕方には学ぶことが多い。臨床とはかけ離れるけど内容と形式、欲望と言葉の関係には注意を払い続けることが必要だと思うし。

それにしても今日は花粉をとても感じる。困った。雪国で暮らす友が写真を送ってくれたが大変なことだ・・・。きれい!と素直に思えない年齢になってきた。大変さをたくさん聞くし、冬にも北に旅してた頃に何度も泣きそうになった経験も重ねてきた。そこで生活をしている人たちがよく休める時間とか場所とか協力とか色々あればいいと思う。どうぞ良い一日を。

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イベント

立春、高橋是清

冬の朝の空。立春だけど。この時期が一番寒いのは毎年のこと。梅が咲く頃、桜が咲く頃に暖かい数日間があり、咲き始めると一気に寒くなる。まさに三寒四温。少しずつポカポカしてくるはず。カラスが泣きやんだ。早朝、ずっと鳴いててそのリズムに二度寝してしまった。でもうとうとしながらもカーカーってずっと聞こえていたから二度寝の質はイマイチ。それでも昨日は寝不足のなか出かけたせいかよく眠れた。

熱い紅茶とイチゴ。小さいアルフォートを一つつまんだ。起きるなり高橋是清のことを考えてしまった。昨晩もずっと考えていた。俳句にしようと思って。「江戸東京たてもの園」に高橋是清邸を復元したたてものがある。二・二六事件の現場となった寝室に立ちながら陰鬱な気分になった。彼はあの日、布団の上に座っていたという。話を聞こうじゃないか、と言ったとか言わないとか。しかし即死。青年将校たちに率いられた部隊には貧しい農家から出てきた人たちも多くいたという。高橋是清も幼い頃に養子に出されてからひどく苦労した人だった。私は唐津へ行った時に旧唐津銀行で高橋是清の教え子の辰野金吾のことを色々教えてもらい高橋是清のこともずっと心に残っていた。なので復元とはいえその家のその場所に立ってなんともいえない気持ちになり、それについて考え込んでしまった。今日はもう行かねば。

立春であることを支えに寒さを乗り切ろう。

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お菓子 俳句

保田小学校と秋桜子

夜明けの空。配色も月の配置も完璧でとてもきれい。

『桜の園』大千穐楽か。ケラリーノ・サンドロヴィッチが2020年版、幻の『桜の園』の稽古場最終日の写真をSNSに載せてくれてる。すごく楽しみにしていた舞台。まさかコロナという感染症によって全公演中止になるとは思わなかった。ケラさんによるチェーホフ四大戯曲。全部見られた人が本当に羨ましい。

千葉県安房郡鋸南町保田の道の駅は「保田小学校」というそうだ。そこのお土産をもらった。この道の駅、給食メニューが食べられたり、教室のような宿泊施設もあって楽しそう。日帰り入浴もできる。金次郎もいる。びっくりしたのは校歌の歌詞が水原秋桜子だったこと。私は昨日、日々を吟行とするためにということを考えていて小川軽舟の『俳句入門』(角川俳句ライブラリー)の第11章「「吟行」をどう生かすか」」をパラパラ読み、そこで紹介されていた秋桜子の第一句集『葛飾』をほしいな、と思ったばかりだった。なので秋桜子がなぜ保田?と驚いてしまった。さっき調べたら「町報きょなん」のバックナンバーを読めるサイトがヒットし、そこに秋桜子と保田のつながりが書いてあった。

保田小学校校歌について

伊丹信太郎と秋桜子について

なるほど。小学校は平成26年3月に閉校したそう。こうして道の駅として地域の交流の場になったのはとってもいいこと。ここは元小学校らしく子供の遊び場もきちんとあるらしい。一時期、全国の「道の駅」に出かけようと思って色々行っていた時期があったのだけど最近は行った場所にあったら行く、という感じでこだわらなくなっていた。でも地域交流の拠点としてその町の歴史を受け継ぐ大事な場所だから今度からもっときちんとまわろう。いつもその地域のお野菜やお菓子やお惣菜やお酒ばかり見てしまうから。今回のお土産は「保田どら 保田小びわつつみ」。水色のランドセルの形をしたお菓子。千葉県産びわあんをかわいく包んだ小さいお菓子。かわいくておいしかった。

今週も色々いいことあるといいですね。良い一日を。

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阪神・淡路大震災から30年

阪神・淡路大震災から30年、ちょうどこの時間に起きた地震、東京でテレビのない生活をしていた私が知るには少し時間がかかった。朝刊はもうすでに配達されていた。今だったらネットですぐに状況が映し出されただろう。神戸、大阪、京都の友達とは割とすぐに電話が通じた。何事もないことは全くない状況だろうにみんな無事だと知らせてくれた。日常、いかに些細なことをおおごとにしていることか。もっとも被害の大きかった地域の友人がなぜかうちだけライフラインが生きてて近所の人が集まっていると笑いながら言っていたのを思い出す。人はこんなときでも笑うんだと知った。朝刊、夕刊と1000人単位で増えていく死者、不明者の数に衝撃を受けた。目の前の人の無事さえ確認できない人にとってはその何千人のうちにその人が含まれていませんようにとどれだけ祈ったことだろう。朝ドラが神戸のことを描いているのでなんとなく見続けているがドラマ内では東日本大震災が起きた。主人公の友人が栄養士として支援に入りみた状況を報告するシーンがあったが私も体験したことだった。私たちはチームを組んで炊き出しができるトラックで行った。温かい食べ物は本当に喜んでもらえた。阪神・淡路大震災の時にも支援に行った体験のある友達がいたことは私にも心強かった。コロナ直前の年始は神戸にいた。海沿いのメモリアルパークの展示は古びてだいぶ見えにくくなっていた。潮風の影響もあるのだろうか。今年初めに改修されたらしい。よかった。神戸で学会があったとき、友人と神戸の街を歩きながらいまだ震災の跡が残っていることに驚いたが、あのときはかなりの年月が過ぎたと思ったがそれは現場にいない私の時間感覚でしかなかったのかもしれない。当事者の感覚を大切にするという当たり前のことをこの仕事をしていても忘れることは多い。断続的にでも思い出したときにすぐに消してしまわないようにとどまれたらと思う。

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俳句

成人の日、絶滅危惧種

今日は暖かい、でも明日は寒くなるみたい、と昨日いろんな人から聞いた。昨晩の帰り道、すでに風が冷たく昼間の温もりはどこかへ消えていた。深夜ソファでうとうとして寒さで目が覚めた。潜り込んだベッドも冷たくてできるだけ小さい面になるように丸まった。

年末年始の休みのあとは様々な土地のお菓子が集まる。知っているものもあれば知らないものも懐かしいものも。直接会えない相手が多いのでそれにまつわるエピソードを聞くことができないのが残念。

1月第二月曜日13日は成人の日だった。今年自分や娘が成人した人やこれから自分や娘が成人の日を迎える人がいろんなふうにこの日のことを語るのを聞いてきた。女の子はとにかくお金がかかる日でもある。その地域での育ちや関係性が見直される日でもある。当日を迎えるまでに色々と思い悩むことも多い。ただの通過点というわけにはいかなくするのが儀式の狙いでもある。そういう話をただただたくさんしよう、というのが私の仕事である。

成人の日の華やぎにゐて孤り 楠本憲吉

色あふれ成人の日の昇降機 斎藤道子

角川『俳句』で句友や主宰や好きな俳人の句を読みながらみんななんて正確に日本語を使っているのだろうと思う。これをこう読むのは言い過ぎではないか、とかいう話の水準が違う。その言葉の意味をギリギリまで広げるかつきねけるならもっと別の工夫も施している。私もせっかく沖縄へ行ったのだからと色々と思い出していた。琉球開闢伝説にもあらわれる、琉球王国の聖地「斎場御嶽」では池にシリケンイモリがたくさんいてみんなで彼らを眺めた。沖縄ではレッドリストで準絶滅危惧種だとそこでボランティアガイドをしている人が教えてくれた。前回の年末年始、奄美大島で一緒になった家族の子が見つけて感動していたのもシリケンイモリだ。その子はイモリを家でもたくさん飼っているらしくお父さんと大興奮で私も興奮した。イモリは夏の季語で今の季節に使うなら冬眠だなと思ったが沖縄では冬眠していなかった。ガイドさんがハブも冬場は少ないから沖縄の温度でも冬眠するのではないか、と言っていたが、昨日調べたら「ハブは冬眠しません」と書いてあった。沖縄の明るい雰囲気を纏ったあのゆるーいガイドさん(しかし仕事きっちり)なら「え、しないのー。してるのかと思ったー」と沖縄の発音で笑うだろう。絶滅危惧種といえば、と夏井いつきの『絶滅危急季語辞典』をパラパラ。載っているはずもないかと思いながら索引でイモリを探したがやはりいなかった。しかし尾類馬(じゅりうま)という沖縄の季語を見つけた。

説明を引用する。

ジュリ(尾類)は沖縄の方言で遊女を指す。陰暦の正月二十日、那覇市の旧辻遊郭で遊女を二組に分け、練り歩いたもの。獅子舞と弥勒神をそれぞれ先頭に、板でできた馬首を腰にくくりつけ、紫の長布と絶型衣装を着て手綱をもち、「ユイユイユイ」と囃す。春駒(「絶滅寸前季語辞典』ちくま文庫版三六八頁参照)の一種。那覇三大祭にも数えられる伝統行事である。

とのこと。「ゆいゆいゆい」といえば沖縄だがこういうところでも使われるのか。今の大河ドラマでも遊郭は描かれているが、尾類馬も女性団体等の非難や資金面を理由に中止されたり復活したりした経緯があるらしい。この絶滅危急季語辞典は2011年刊行だから今はまた違う状況があるのかもしれない。この本には例句も載っているが尾類馬を使った例句に夏井さんがお手上げとなっているのもあって面白かった。今年はもっと俳句のことをというか正確な日本語を意識して読書もしていきたい。

と書いているうちに空が白みを増してきた。良い1日でありますように。

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メリハリ

まだ暗い。洋梨がようやく柔らかくなった。瑞々しくてとってもおいしい。

今日締切の仕事を昨晩の帰り道になんとか送信した。休みの間はPCを持ち歩きたくなくてここ何回かの長期休みは実際に持ち歩かなかった。休み前にやるべきことを終わらせるつもりでそういう決意をしたわけだが持ち歩かなくなった今もそれが達成できているわけではない。おととしの大晦日は奄美大島のホテルでiphoneに一生懸命打ち込み締切ギリギリで応募書類を出した。東京に戻りPCで内容を確認したら誤字脱字が数箇所見つかり老眼の怖さを改めて知った。もちろんただの不注意もあるだろう。ひとしきり反省したつもりの先日もPCは持っていかなかった。iphoneでも仕事しなかった。応募書類は旅に出る前日に出した。今週中にやらねばならない課題たちはそのまま放置した。旅先で気になってどうせiphoneでやってしまうだろう、と思っていたがのんびりしすぎて忘れていた。暖かい土地で食べ歩き遊び食べ飲み寝るを繰り返したおかげで十分チャージされたせいか帰ってきてからすぐに取り組めた。メリ!ハリ!だな。思いのほか時間がかかったが残るはあとひとつ。今日明日の隙間時間に仕上げねば。私はAI以前にいろんなソフトを効率的に使うことができないのでなんでも印刷して手書きで確認してそれをまたデータとして戻すということをしているが印刷したものを探すまでにすごく時間がかかったりもする。非常に厄介。自分が。がしかし、今年はわりとがんばっている。まだ10日だが。成果物をみたり、周りと比較したりすればそうでもないのかもしれないが比較は禁物。筋トレにおいても私の自己肯定感は高い。「さっきよりうまい」と自分で言って笑われている。筋トレはメンテナンス以上の目的がないのでやっていること自体を自分で褒められる分野だ。今だったら冬を越そうとしているだけでえらい。そんな感じ。苦しむ自分に「がんばれ」と励ましながらきついメニューをしたりする。私の身体でも私のコントロール下にあるわけではない。なんとかがんばってー、と他人にするように励ます。今日も仕事も勉強もがんばってー。みんなもいい1日を。

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散歩 読書

沖縄。岸政彦『はじめての沖縄』。散歩。

今朝は「高尾ポテト」。京王線橋本で買ってくれたそう。これは何度もいただいている。今回は3種類。今朝はメープル。しっとりスイートポテト。美味しい。冬にはこういうポクッとしたお菓子を熱いお茶といただくのが素敵。

沖縄都市モノレール ゆいレールのD-51が歌うテーマソング「おきなわ」をかけながら岸政彦『はじめての沖縄』を久々に手に取った。謝辞には先日亡くなった打越正行の名前もある。私がはじめて沖縄へ行った頃、まだゆいレールは通っていなかった。打越正行も生きていた。昨年11月には「ひめゆり学徒隊」の生存者である与那覇百子さんが九十六歳で亡くなった。2019年焼失した首里城正殿は2026年秋に再建される。沖縄戦から今年で80年。私は久々に沖縄へ行った。

岸政彦はこの本の序章で、沖縄の人びとと内地の人びとの「区別」は実在すると明確にし、

境界線の「こちら側」にはっきりと立ち、境界線の向こう側を眺め、境界線とともに立ち、境界線について考えたい

と書いた。沖縄の人たちは親しみやすくよく喋る、と言っていいほど私は多くの人と出会っていないが今回もそんな印象を受けた。そして境界線も感じた。一方、私が知識で勝手に引いてきた境界線は今回私が移動した範囲では感じなかった。ゆいレールが変えたものもあるだろう。前回は沖縄の人に助けてもらいその人に憧れた。

私は何か書き物をしなくてはならないとき、いつもより念入りに散歩をする。そうしたいと思っているが、いつのまにかいつも通りぼんやりキョロキョロした散歩になる。思索にふけることもなく鳥の声がした枯れ木の前に立ち止まる。濡れ落ち葉は慎重に踏み、粉々になる大きな葉っぱは避けて歩く。そうこうしているうちに原稿のことはどこかへ行ってしまう。そして締切ギリギリになんとか書く。それでも拙くともそれができるのはこういう散歩のおかげだと思っている。何かを手放してみてもそれは要素として蠢き続けている。それがいつのまにか曖昧な形をなし何とか書き言葉になってくれる。そんなイメージ。そこには身体の動きが必要なんだと思う、私には。沖縄のことはまだ書けない。書く必要もないのだがこんなブログにさえ書けない。散歩が全然足りない。また行きたい。

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精神分析、本

吉野ヶ里、女が読む女の本

空の色が薄い。昨晩は少し雨が降った。雨の予報じゃなかったよね、と話しながらiphoneで天気予報を見るとその時間帯だけ小さな雨マークが雲の上についていた。朝はついていなかったようなので何時間かごとに修正されるのかもしれない。今も少し雨が降っていそうな色の空だけど降っていないみたい。昔の人は空を見るだけでいろんなことが分かったのだろうなあ。尊敬する。佐賀の吉野ヶ里遺跡で緊急地震速報が大きな音で響き渡った時のことを思い出す。「昔の人」「自然」というキーワードで脳が勝手に検索をかけたのだろう。客はほとんどおらずのんびりしていたら突然大きな音がしたのでそこにいた人たちとなんだなんだとなったけど誰も地震を感じずにみんなで笑い合った。彼らも現代人なので彼らだから予知できるはずはないのだが、当時の服装をイメージしたものを着ていたから「この人たちにも予知は難しいのか」と思った。当たり前じゃ。吉野ヶ里は着くまでの道のりが楽しかったな。この電車に乗った、と話したら地元の人にもびっくりされたり。そのくらいローカル線ということ。こっちはよくわからないままやっていることがその土地の人からすると「そういう観光客珍しいよ」みたいなことは結構あってそういわれたこっちが「え、そうなんですか」とびっくりすることも多い。こっちはそれが当たり前なのかと思っているからね。話してみるもんだ。出会ってみるもんだ。

女の精神分析家が書いたものを女の精神分析家たちで読む会をしているがあえてそういう形式でコミュニティを作ることは大切だと思う。特にそれまで家父長的と言われ続けてきた領域においては内側の人が行動していくことをしない限り変化は起きない。外側にたてば家父長制に対して冷笑的で「そうはいっても女もね」とか「そういうものでしょ、誰だって自分が大事なんだから」とか言えるかもしれないが、一つの治療法を持つ文化がそういうことを言っている場合ではないので緩やかにやっていけたらいいと思う。そういえば吉野ヶ里で笑いあったみなさん、全部女性だった。役割分担はそれはそれとして大事。

今日はグループ3つ。全てやることが違う。年末年始の休みに向けてがんばろう。

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映画 精神分析 音楽

北村紗衣連載、『8 Mile』、『女の子のための西洋哲学入門』、NewJeans

朝焼けが始まる。細い月も東の空に。今朝は河口湖の金多留満(きんだるま)の富士山羊羹。京柚子味。包み紙では金多留満は「多」に濁点がついている。洋菓子みたいな包みなんだけど出てくるのは富士山。京柚子味は透明な黄緑。さっぱりな甘さで美味しい。あ、でも結構甘いかも。でも美味しい。なんといってもきれい。河口湖の定番土産。湖は囲いという感じでいい。琵琶湖くらい広くなってしまうと海みたいだけど遠くても先が見えるってなんか安心するのかもしれない。昔、バド部の合宿で行ったのは河口湖だったか、山中湖だったか。あの時みんなでもっと観光も楽しめばよかった。ひたすら練習をしていた。といってもサボり好きの(ゆえの)弱小チームだったからみんなでワイワイしにいっていた感じだけど。それでもひどい筋肉痛でフラフラになるくらいには練習した。その後、バド部はすごく強くなってしまったそうだ。あの頃の私たちはなんだったんだろう。隣のチアがマドンナの曲で準備運動をしているのに合わせて踊りながら打ったりゲラゲラ笑ってばかりでひたすら呑気だった。ある試合で私が相手のエースになかなか点をあげなかったら(といってもひたすら拾うだけのミス待ちで時間がかかるだけで着々と点は取られていた)相手チームが泣き出して(最初はこちらを笑ってたのに)かわいいユニフォームの女子大を舐めているな、同じ女子なのに、と思ったこともあった。弱小だからせめてユニフォームはかわいくしたのにそういうのがムカつくみたいな感じなのかしら。今はあんなの着られないから(シンプルな白のミニスカートタイプってだけだったけどね)着ておいてよかった。今またこの歳で筋トレはじめて数十年ぶりにひどい筋肉痛を経験しているけど今週は関節痛。痛みは増えるものだ。減らし方も学んできたが関節痛の対処はよくわからないから様子見。身体がなんとか健康を保ってくれますように、いうのが一番の願い。

前にも書いたけど『8 Mile』が公開された頃、私はアメリカが身近だった。ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドのエスカレーターから大きなエミネムのポスターが見えた。『8 Mile』のエミネムはなんか弱々しくてどこか上品で私は大好きだった。その映画をフェミストで批評家の北村紗衣さんの連載「あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評」が取り上げていた。さすが、プロは違う。

「デトロイトの自動車工場ってかつては全米をリードする、エネルギッシュなところだったはずですよね。それがいまや、隠れてこっそりセックスするようなしょぼい場所になっている……みたいな。」

たしかに。唸った。デトロイトといえば自動車工場だった、そういえば。当時の私は白人、黒人という軸は持っていたけど(自分もアジア人として差別されたからわかりやすかったのか?)、当時のアメリカの状況を政治的、歴史的、地理的な文脈(ほぼ全てではないか)で考えたことがなかったし、アレックスのことこんな風に考えたことはなかった。ラビットの母親のことは色々思ったがそれは女として、というより母親としてであって、というか母親は女でもあるという視点がどこか欠けていたと思う。精神分析が持つ父権性や母性を別の言葉で記述できないかという格闘をこうして内側ですることがなければずっと何も思わなかったか、口先だけだったかもしれない、と思うと恐ろしい。男たちの世界の当たり前を何も感じずに素敵素敵と言い続けることすらしたかもしれない。誰々にもいいところが、とか、そこじゃないだろう的な表現をしていたかもしれない。ということは当時、このような記事を読んでもあまりピンとこなかった可能性があるということだ。今、読めてよかった。

昨日、アガンベンを勉強しながら「なんか結局男の本ばかり読んでるよな」と思った。分析家仲間とは女が女の分析家の本を読む、ということを続けてるけど。お昼に本屋に寄ると『女の子のための西洋哲学入門 思考する人生へ』が並んでいた。メリッサ・M・シュー+キンバリー・K・ガーチャー編、三木那由他+西條玲奈監訳、青田麻未/安倍里美/飯塚理恵/鬼頭葉子/木下頌子/権瞳/酒井麻依子/清水晶子/筒井晴香/村上祐子/山森真衣子/横田祐美子、共訳の本。「女の子かあ」と思って捲るとすでにそこに抵抗を覚える人に向けた言葉が書いてあった。あえてこういう本を出していく必要があるんだな、まだまだまだまだ。しかし、こういうのだって女の心身をものあつかいするような男の本と並んでいたりそういう人が書評書いたりおすすめしたりするわけで「変わらないよね、世界」とまた失望する。しかしこういう本が翻訳されること自体に希望を持つ必要もある。自分のことは棚上げしないと仕事にならない、というのは実際あるけど重大な問題であるという認識が足りないことに変わりはない。まあ、私もそうだった、という話でもない。色々難しいものだ。自分はどうありたいのか、何を大切に生きていきたいのか、そういうことをずっと考えていくのが日常をかろうじて守るのだろう。

今朝もジョン・バティステの『Beethoven Blues』を聴いている。Be Who You Are で共演したNewJeansが大変そうだ。世界に認められた若者も守れないとしたらこれからどうするつもりなのだ。昨日はイマニュエル・ウィルキンスの口承音楽について読んで考えていたが当たり前の自由を必死に守るための音楽だけではなく、もちろんそこに潜在する自由こそがインパクトを持つとしても、若い世代がひたすら自分のために伸び伸びと発する音楽も早く聞こえる日がきますように。

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お菓子

十勝、柳月のお菓子

とても早くに起きてしまった。夜がそのまま続いているみたい。まあ、続いているのだけど。まだ鳥たちは起きていない。朝焼けも始まらない。

北海道帯広市に本社がある「柳月」の「三方六の小割」をいただいた。嬉しい。イレギュラーなコンサルの仕事。いつも帰りに何かを持たせてくれる。三方六は柳月の看板商品。広瀬すず主演の朝ドラ「なつぞら」を見ていた人も見ていなかった人も「柳月」のことは知っているのではないか。お菓子をみれば「ああ、これ見たことあるかも」となるのではないか。「柳月」のある町は「なつぞら」に名前を変えたくらい朝ドラとコラボしていたらしい。「三方六」はバウムクーヘンなのだけど形が少し変わっていて一本だとちょっと長くて今の時代には合わないので小割にしたらしい。個包装なのでお土産にしやすい。まあるいバームクーヘンもまるでもらったら嬉しいは嬉しいけどやっぱり小分けの方がありがたいかな。十勝はコロナ前に最後に旅した場所だ。帯広には六花亭の本社もある。どちらも観光地として楽しめる工夫がされていてたくさんの人が訪れていた。二度目に柳月の前を通ったときは車がずーっと長い列を作っていてなんだなんだといってみたらお買い得商品を求めて並ぶ列だった。生産の都合でお買い得商品へとなるお菓子の種類も個数も当日までわからないという。どのくらいお買い得なのか。そんなに買って賞味期限は大丈夫なのか。三方六を一本サイズで買うのだって躊躇するのに。でもいいなあと思ったけどすでに家用のお土産も買っていたので我慢した。十勝でも本当によく遊んだ。中札内村は散歩しながらアートを楽しめるし、吉田美和の故郷、池田には「いけだワイン城」もある。駅からワイン城にいくまでにはドリカムの衣装が展示されている”DCTgarden IKEDA”がある。ここもとても素敵だった。ちょうど「勝毎花火大会」の日で宿泊先の近くのデパート藤丸の屋上から楽しんだ。その藤丸も閉店した。行けてよかったな。長いこと旅していろんなデパートの閉店のお知らせを聞いてきた。生活はどう変わるのだろう。そこの土地はどうするのだろう。なにがなくなっても人はなんとかやっていくものだろうけど寂しいは寂しいと思う。

鳥が鳴き始めた。朝焼けも始まった。お互い良い一日でありますように。

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鳩、靴

雨がパラパラ。虫の声ではなく鳩の声がきこえる。私はなぜか長い間、鳩は春に鳴くものだと思っていた。東京にいれば毎日たくさんの鳩をみるし、実家にいた頃も見なかったわけではないと思うのだけどあの声ののどかさが春のイメージに直結していたのだろう。きちんと通わなかった学校の窓からはずっと先まで空が見えた。窓際の席からずっと空をみていた。そうしてると目が良くなるんだって、といわれ当時は両目ともよくみえていたけど遠くを見ているといつもその声を思い出した。

インスタでスーツケースにきれいにたくさん詰め込むためのパッキング術?圧縮用品?の動画が何回も流れてくる。今年5月、数年ぶりにスーツケースを使う旅に出たがシドニー空港で待ち合わせていた友達のスーツケースはみんな大きくて私の小ささに驚かれた。私は国内でみんながコロコロするくらいの大きさだったけど忘れ物もなかったし特に特別なスキルや道具も使わなかった。普段の旅に出るのと同じ感覚だといつものリュックひとつで足りるのでこれでも私には大きいくらいだった。あ、でもホテルの部屋にスリッパとパジャマがなかったのでそれはもっていくべくだった。パーティグッズの店でコアラとか書いてあるサンダル買えたのもよかったけど。都会ってすごい。

Netflixでみた『ウィル&ハーパー』はウィルと親友のハーパーが結構長いロードトリップにでる話なんだけどハーパーがトランス女性として靴を何足もっていくべきか悩むシーンがある。思い返せば旅に靴を複数もっていく人は多いらしい。でも確かに旅の計画に山登りが含まれているときは基本的にトレッキングシューズを履きつつ気楽なスニーカーも持っていく時がある。旅の準備はいつもなにがプラスアルファで必要か迷うことが多いけど少しずつ知識とスキルをためていきましょう。

なんか肌寒い。昨晩はムシムシするなぁと思ったのに。喉もイガイガしやすいから気をつけましょ。どうぞ良い一日を。

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俳句

魚の骨とかお盆とか

昨晩の魚の匂い。サバの匂い。ちょっと血の混じったような匂い。骨抜きに失敗したのでwebで方法をチェック。「料理の基本!」だって。そうですよね。そうなのでしょうね。でも私には昔から難易度が高い魚の骨。骨をきれいに取りながら食べる人が身近にいるけどその人は釧路で炉端焼きに行ったときも焼いてくれる大ベテランの女性店主にも褒められていた。有名な店だったが今は次の代の方が継いでいるらしい。ということを知ったのももう何年も前。みんな歳をとって次の世代に継いだり継がなかったり。ウィキペディアで「炉端焼き」を調べたら炉端焼きの発祥は第二次世界大戦後の宮城県仙台なんだって。釧路かと思ってた。

“「炉ばた」の一番弟子が大阪府で、二番弟子が北海道釧路市栄町で、ほか3人の弟子が青森県や福島県などで炉端焼きの店を出した(大阪府の店は既に閉店)。”

とのこと。それはそうとこの記事、いろいろな点で興味深いのだが「また、1960年代以前の日本の農業では人糞を使っていた」という記述にびっくり。「化学肥料が戦前と同等の生産量にまで回復したのは1950年頃。」ですって。実家にいた頃はそう数は多くないけど近所にも牛がいて「田舎の香水」も身近だったし、バキュームカーも普通に見かけていたからそんなびっくりでもないか。公衆衛生の歴史はとても大事だよね。平成26年版厚生労働白書労働白書に「第1章 我が国における健康をめぐる施策の変遷」がある。コロナもこの歴史に書き加えられていくだろうし、諸々なかったことにしないようにされないようにしないと。

ずっとめくっていなかった日めくりをめくる。一年も半分過ぎたとか言ってからもそれなりの日々が過ぎた。今日の日めくりは

長き脚もらひて立てり茄子の馬 明隅礼子

お盆ですね。馬というと『スーホの白い馬』をあの赤い服の表紙とともに思いだす。

日めくりを過去側にめくると

魂迎ふ闇を涼しき草の音 鷲谷七菜子

お盆初日ですね。迎え火を焚くのは真っ暗な夜があってこそ。明日は終戦の日。なかったことにしないように、されないように。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

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俳句

秋、石、露

昨日の光の強さは異世界に行ったみたいだった。地下鉄を降り、地上に出ると世界が白く輝いていて「光ってこんなに白かったっけ」と少し混乱した。空の色が見えない。火のそばに寄ったときみたいな熱さ、だったか、とにかく暑かった。

此秋は何で年よる雲に鳥 芭蕉

芭蕉が亡くなる半月ほど前に作った句だそうだ。51歳だった(はず)。ほぼ私の年齢だ。体調を崩すことはそれまでもあっただろうがこの年のはなにかが違ったのだろう。加賀乙彦が『わたしの芭蕉』でこの句について何か書いていた。と思って本を探したが見つからなかった。いつものことだ。

此石に秋の光陰矢のごとし 川端茅舎

茅舎は「石」と「露」をたくさん読んだ俳人だった。病気を患っていた茅舎にとっても日々はあっという間に過ぎゆくものだったのだろう。しかしこの句は芭蕉の読む秋よりはっきりとした存在感がある。茅舎は43歳で亡くなった。

岸田劉生に師事した画家でもあった茅舎の目は儚さを力強く読む。

金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎

露は秋の季語。「きごさい歳時記」で子季語を見ると「白露、朝露、夕露、夜露、初露、上露、下露、露の玉、露葎、露の秋、露の宿、露の袖、袖の露、芋の露、露の世、露の身、露けし」など。

石の上で破れることもなく水を湛える露の姿は自然に視覚化され絵画となる。「茅舎浄土」と虚子が讃えた世界を示す。

先日、茅舎の腹違いの兄である川端龍子の絵を見た。茅舎も龍子も高浜虚子の「ホトトギス」に属し、龍子はその表紙も提供している。

硯かと拾ふやくぼき石の露 芭蕉

石と露といえば西行に大きな影響を受けた芭蕉が伊勢神宮参拝の折、二見ヶ浦で読んだ一句。

茅舎の露の句とはだいぶ異なるが過ぎゆく年月に儚くもたしかに存在しつづけた人たちの言葉が大切にされる社会でありますように、と思う。と書いていても自分の俳句は一向に作れない。〆切間近。無理やもしれぬ。がんばろう。

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お菓子

紅茶やサンダルを買った店とか通りとか。

今朝も「杜の色相環」の夏みかんケーキ。爽やか。T2のJust Peppermint Tea Bagと一緒に。私たちが最初に偶然辿り着いたのは多分Wynyard店。あってた。調べた。そうそう、George St, Sydney。このジョージストリートが路面電車の走る素敵な通りだった。泊まったホテルはこの通りに並行して走るPitt St.ここも主要道路みたいだけど車通りが多くジョージとは全く異なる雰囲気だった。同じ通りの別のホテルに泊まった友人は最初ピットにパッと出ちゃったみたいで帰りに少し土地勘のついた私がその人とホテルに向かってジョージを歩いていたらあまりの雰囲気の違いに道を間違えていると思ったくらい。紅茶の専門店T2はWynyard Stationのすぐそば。電車は最終日に空港に向かうときに使っただけだけどこの駅は使わなかった。シックでかっこいい駅だった。オーストラリアの人も大体定時で帰るらしく(私が経験したイギリスもそうだった。むしろ少し前からお店が閉まっているかのようにしていた店もあってドアを開けたら本気で残念がられたこともあった)ちょうどラッシュアワーと重なった。初日にこのビルの存在を知りスーパーで食材を、Everything Party Suppliesでサンダルを買うつもりで出向いたら駅に向かう列が続いていた。止まってしまうことはなくみんなどんどん駅に吸い込まれていった。私はそれと逆行してEverything Party Suppliesへ。さっき調べるまでEveryday Partyだと思っていた。最初に通りかかったときにこっちではどれだけパーティーが日常なん、と笑った。入ってみたら仮装用のグッズとかなんじゃこれはという楽しい小物とかいっぱい。小さい店内にはお客さんも数人いて真剣に商品を見ていらした。包装紙とかカードとかかわいいのもいっぱいあった。空港からホテルに着いてチェックインしてすぐにランチにでたのでホテルの部屋にスリッパがないことに気づいたのは散策して夕方帰ってきてから。飛行機のが持ち帰れたのに忘れてきてしまった。うちにもこういうとき用にいくつかあったのに入れるの忘れちゃったしな。スニーカーを脱いでベッドに座ってしばしぼんやり。そうだ、あそこ行こう、と思いついたらテンションがあがった。あそこなら変なものかも知れないけど絶対ある、と思って再びEverything Party Suppliesへ。あっさり行けた。スリッパはなかったけどサンダルがあった。しかもコアラとか書いてあって思いっきりオーストラリア。即購入。店近くのスペースで写真を撮って友達にLINEしたらうらやましがられた。その人もスリッパがなくて困っていた。帰り道ウロウロしてほかにも安いサンダルを売っているところを見つけたのでそれもLINEした。すぐに買いに出かけていた。T2もEverything Party Suppliesも入っているそのビルのスーパーには毎日お世話になった。安いものを探すのが大変だったけど美味しいジュースにも会えた。まだこうして思い出せるけどいつくらいになったら「あそこなんだったっけ?」って言い出すかな。思い出を共有している人たちがいるからそんな話もできるわけで「あそこなんだったっけ?」って言い合えるだけで楽しいんだろうね、きっと。なんかえらくのんびりしたことを書いている。休日っぽい。今日は自分主催のグループとセミナーと会議ともりだくさん。それでも日曜日は日曜日。気持ちはのんびり。がんばりましょ。

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お菓子 音楽

ケーキ。滋賀。ノラ。

コーヒーのいい香り。今朝は「杜の色相環」のケーキ。5月、6月のケーキは「フルーツパウンドケーキ」と「夏みかんのパウンドケーキ」。今朝は夏みかんの方をいただきます。特別なケーキなのでお裾分け用も切ってラップラップ。もう何年のおつきあいになるのでしょう。お店ではなく頒布スタイルにしてから直接会うことはほとんどなくなったけどその人が以前に働いていた彦根のレストランでお店のご夫婦とその人のことを話したり間接的な交流も含め随分長いおつきあいになってきた。彦根のレストランもめちゃくちゃ美味しくて1日に二度(ランチとおやつ)に行ってしまった。滋賀をぐるっと旅したときのこと。大津、草津、彦根、あとどこだったか地名を忘れてしまった。どこからも琵琶湖が近くのどか。犬もいる素敵なカフェにも行ったな。大きい犬に大きいおなかのサングラスの妊婦さんにいろんな子供たちに短パンとかの大人たちにといろんな犬や人がテラスにも大きな窓が開け放たれて境目をなくした店内にもいた。猫や鳥もいたのかな。鳥は湖畔にはいたね。妊婦さんがおっきなバスタオルをばさっとかぶって急に授乳を始めた。周りの人はそばの荷物をどかしたり赤ちゃんに微笑みかけていた。すごく自然。大きな犬たちもかわいくて湖畔に停められたでっかい車に乗せられてきたのか地元の犬なのかわからないけどうちの近所の犬連れOKカフェとは全く違ってそこにいるのが犬だか人だかよくわからない空間がとても素敵でのんびりした。一緒にいた人は犬用のお皿で水を飲んでしまった。今でも笑う。犬用のお皿、カラフルで素敵だったもんね。つい手に取るよね。面白い。突然ライブが始まったのもよかった。こういうのはとっても楽しい。私たちも若い頃、公園で急にギターでみんなで歌ったりしたねえ。私は聴いてるだけだったけどなんで彼はギターを持ち歩いていたのだろう・・・。みんなそれぞれバンドマンだった。尾崎豊が死んだ年だった。そういう時代だったか。私は尾崎豊が死んだときの友達の反応で彼がいかに有名だったかを知ったので曲をきちんと聴いたのはそのあと。洋楽ばかり聴いてたからな。びっくりするかっこよさだった、尾崎。尾崎裕哉も声似てるよね。音楽はいい。何も聴きたくなる時期もあるだろうけど自分の中に流れているなんからの音楽ってきっと誰にでもあるでしょう。それ自体が煩わしい時もあるだろうけど。

そういえば昨日また柳樂光隆のすごいインタビューを読んだ。なんと今回ノラ・ジョーンズ。新作が出てすぐの別の人によるインタビューがいまいちだったようなのだけど、私も読んだのかな、覚えていないのだけど、柳樂さんがやってくれたらきっといいんだろうなあ、と思っていたら叶った!ご本人も願っていたことらしいのでよかった。いつもいいけど今回のインタビューはいつもとはちょっと違うというか、ノラくらいジャンル横断型の世界的シンガーになると内容も変わるだろうし、深めるの大変そうなのにすごかった。私みたいな偏った聞き手にも別の視点(聴点?)をくれるっていうのかしら。ノラの軽やかだけど緊張感も力強さもある答えにワクワクした。一緒に作業する人に対する信頼も強くてかっこいい。それにしてもノラ・ジョーンズくらいになると答え方がもう大御所、というか貫禄があるのね、私より若いのだけど。出てきたときかわいくって声がきれいでびっくりしたよねえ。今朝は「よねー」という感じの気分になりやすいな。早起きしすぎたか。みんなノラの新作聞いた?すごくいいよ。自由で楽しそうだし、今回のインタビューで曲作りのプロセスも話していてもちろん苦労もたくさんあるみたいだけど一貫して力抜けてる。かっこいいの。読んでみて。というか聴いてみて。70代の人とノラの話で盛り上がった。もう20年以上経つんだもんね、デビューから。その人との出会いの頃だな、そういえば。ああ、時間があるとノスタルジックになるわね。仕事前に明日の資料読まねば。フランス語バージョンは読めないから英語バージョンを。誰か日本語バージョンをおくれよ。フロイト、ラカン、ヘーゲルの線は少し勉強した。ラカンに関する本はフロイトに関する本よりずっと豊か。そういうものだよね。補助線を引く人が現れて創始者のものは豊かになっていくんだもんね。今日は晴れかな。洗濯物どうしましょう。勇気を出してほしっぱなしでいくか。どうぞみなさんも良い1日を。

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シドニーの紅茶とか。

眠い。何をいれようかな。シドニーで買ってきたT2の紅茶にしようかな。夜遅く羽田を出て午前中にシドニーについてタクシーでホテルに向かってすぐにランチに出かけてそのまま散策をした。すぐ近くにフードコートがあるビルがあってその地下にはメトロというスーパーやたしかWから始まる電車の駅があった。その駅構内にT2があった。友達がオーストラリアブランドの紅茶だと教えてくれた。すごくかわいい。色も形もみんなかわいい。友達はこのあと一人でたどり着けるかわからないからと早速お土産を買っていた。結局私たちはそのビルのスーパーを気に入って何度も足を運ぶことになったけど。チョコレートBARのコーナーが大充実で危険だった。水が安いと聞いたけど本当にそうで助かった。円安関係なくとにかく物価が高いからこういうスーパーはありがたかった。それでも高かったけど美味しい飲み物も見つけたりみてるだけで楽しかった。観光の時間があったのはその日だけであとはほとんど学会会場のホテルにいた。朝昼おやつと軽食が準備してもらえたので出る必要もなかったし一度出てしまったらサボることしか考えられない位置関係だった。会場はカフェみたいなコーヒーマシンがあって背の高い素敵な人が長い列にスマートに対応していた。私も多くの人と同じくカプチーノをお願いした。そのあとの人もそのあとの人もそのあとの人もカプチーノだったので4杯分一気に入れていた。でっかいミルク!など思いながら眺めているとカップにミルクを入れすぎた!という顔をしながらシナモンかココアパウダーをたくさんかけて、やっぱりしまった、と思ったのかそばの人を呼んで確認してもらったらその人はすっごく適当な感じで「まあいいんじゃない?」みたいなことをクールに告げて言われた方が肩をすくめて私をみた。この二人は仲良しなんだな、と思った。その人はクールな人の真似をして「いつもこうなの」みたいなことと何かを早口で言った。全部は聞き取れなかったけど面白くて笑った。このコーヒー、売り切れがちで(フリーだけど)何度か直前でなくなってしまったのだけどそのときにマシンの横に置いてあったのがなんとT2のティーバッグ。味が確かめられるの嬉しい!と思って自分でお湯を注いで飲んでみた。美味しい!私もお土産これにしよう、と決めて次の日も次の日も飲んだ。T2には日本茶もあった。これだったかな。私はペパーミントの紅茶をとても気に入ってそれを帰りの空港の免税店で買った。シドニー空港、なんにもないな、というかこれにこの値段!お土産買えないな、と残念に思いながら思い出づくりのために空港の人たちがいっぱい出入りしているカフェでホットチョコレートを頼んだらカフェラテというか多分フラットホワイトだった。向こうではそういう呼び方するんだって。私の発音が悪すぎたのか?1ドル多く取られたと思うんだけど。会計と作る人違うから仕方ないか。とてもいい感じで渡してもらったし。まあ美味しいからいいや、とトボトボフードコートでドーナツも買って時間を潰した。荷物を預けられるカウンターが開く時間になって行ってみたらでっかいサーフボードを置いた友人がいた。この人はまたサーフィンもしたのか!すごい!と自分の荷物を預けてから声をかけて写真を撮らせてもらった。学会とサーフィンを同時並行でこなす友、すごい。身軽になってお土産どうしようかなあと思いながらもう入ってしまえと出発ロビーに入ったらびっくり。高級デパートみたいな華やかさ。普通は逆ではないのか。入ってよかった。T2もあった!よかったー。買えたー。ウロウロしたりぼんやりしているうちにわりとあっという間に時間が経った。夜出発だったから飛行機で寝たり映画見たり食べたりストレッチしたりしているうちに羽田に着いた。時差が少ない国に行くときはこういうスケジュールにしようと思った。また綺麗な夜明けを機内からみた。行きにみた見たこともない赤い空ではなかったけど穏やかな赤のあと涼やかな水色が広がった。帰国してすぐに日常に戻れてよかった。疲れもあまりなくすっかりいつも通り。不思議。遠い国が近い。でも本当は何も知らないという意味ではすごく遠い。うん。今日も1日がんばりましょう。

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映画 読書

カカオとかテンペストとか。

鳥が鳴いているのを耳で探しながら聞いていたら二度寝してしまった。しっかり夢も見た。最近の夢はみんなで一緒に動きながら何かをやっている夢が多い。どうにも眠いので普通の濃いめのアールグレイを入れた。ハーブティだとまたまったり眠くなりそう。冬の間にもらったチョコがなかなか減らない。今日はこれ、今日は・・・と食べ続けているような気がするのだけど。今日は剥き出しになっていない金の包みにくるまっているのにした。どうしてこれだけくるまっているのかしら、と思って開けてみたけどその特別さはよくわからなかった。ただ、甘い!びっくりした。このちっこいのにどれだけの甘味を詰め込んだのか。句友でもある和田萌監督の映画『巡る、カカオ〜神のフルーツに魅せられた日本人〜』の「うま味」の話をまた思い出してしまった。あれもみんなで何かやる話。映画のおかげでカカオがすっかり身近になった。先日、筑波実験植物園の熱帯資源植物温室でもカカオを見つけた。そこは本当に暑くて迷い込んだ先で知り合いにあったような気分だった。

昨晩は河合祥一郎によるシェイクスピア新訳シリーズの第15弾『新訳 テンペスト』を読んでいたらあっという間に2時を過ぎていた。私が演じながら読んでいるとミランダがちょっとバカっぽくなってしまう。父プロスペローに「聴いているか」と問われる理由が単に集中できず眠りこけてしまう自分と重なってしまう。ミランダはいい子なんだけどあまり思慮深くないというか男に囲まれた世界で育つって苦労も多かったんだろうなと思ってしまう。キャリバンは当時王女が嫌なやつのあだ名にしていたエピソードがあるほど不快な人物として描かれているがものすごくイキイキしている。ミランダの母親が全く描かれないのに対しキャリバンはおふくろの存在を軸に言葉を紡ぐ。自分の言葉は育てられたものでもあるゆえ誰にも奪われるものかという矜持を感じる。舞台で観たい。戯曲は面白いな、と思ってもう一冊読んでしまっているのが町田康『口語 古事記』。これはいい意味でずるい面白さで戯曲ではないのだけどなんか近いものを感じる。軽みとイキイキさがにているのかもしれない。

さて、今日も休みという感じはないができるだけ色々進めよう。東京寒い。でもこのくらいの寒さはなんてことないはず。どうぞ良い一日を。

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1月8日(月)朝

よく寝た。時間的にというより質的に。暖房が急速に部屋を温めるために強い温風を出している。2022年の年越しをした佐賀(佐賀、有田、伊万里、唐津)で買った伊万里焼の風鈴がいい音を立てている。佐賀城へ行ったときにたくさんの風鈴が飾られているのをみて一気に惹かれた。有田、伊万里でかわいい小皿を買うんだ、と意気込んで行ったのにまさか風鈴を買うとは自分たちでもびっくり。伊万里の青木陶房では「氷青磁」というとても綺麗な色の陶器に一目惚れ。誰もいない一軒家の入り口には「窯にいます」というようなことが書いてあって、お邪魔してどれもこれも素敵な作品をじっと眺めていたら青木さんが戻っていらした。色々と教えていただき、湯呑を買ってお土産にした。この正月に椿餅を買ってお茶に行ったら「これ使わせていただいてます」と愛用してくれていることがわかってよかった。実際に生活の場にあるとそれはなお素敵だった。

今年に入って早くも予定を間違った。あると思っていたものがなかったというだけで逆でなくてよかった。現地までいって気づくというのは結構なロスで自分におちこんだ。今年は本当に大変になることがわかっているけど毎年そう言っている気もするので一歩ずつだ一歩ずつ。一歩進んだらそんななん歩も戻らない。サボらない。いちいち止まらない。でも走らない。また怪我するよ。自分に対する注意事項が多すぎる。年賀状に「さぼらないこと!」とだけ書いてくれた指導教官はさすがだった。今は施設で暮らしておられる。1932年生まれ。当時、女性が東大に入り大学の先生になるのは大変だったと別の先生から聞いた。ご本人からそういう話を聞いたこともあったかもしれないがそれよりも海外にいくと一組ずつ買って集めているとみせてくれたご自宅のカップ&ソーサーたちの方が記憶に鮮明。お世話になった。お元気でいらしてほしい。

朝からお風呂でポカポカ。シャワーを使いながら今朝の夢の断片を急に思い出した。事実とは異なるが本質的にはそうともいえる、みたいな指摘をされた場面。文脈は忘れた。起きたときは鮮明だった場面も忘れた。覚えておこうとしたことは覚えている。小学生が悪態つくみたいな言い方での指摘、そこだけ思い出しても苦笑いするしかないが本質ってなんだよというつっこみも自分にいれておく。

寒い被災地に早くできるだけ手厚い支援がなされますように。

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お菓子

パックマンとか。

寒いから起きてすぐに準備をした。暖房の種類も色々で我が家も広い場所はエアコン、洗面所はカーボンヒーターなど使い分けている。田舎の一軒家(実家)に住んでいた頃は家が広い分、いろんなところが寒すぎた。でも多分子どもだったから寒い寒いって騒ぐのもワンセットでこんなに動きたくないとはならなかったのかも。朝ごはんのときとかは母が前もって暖めておいてくれたし。

毎冬、春と長期休みは朝日新聞社主催のスキー教室にいっていた。小学生低学年から参加していて1班で大会に出るようなお姉さんたちが眩しかった。万座温泉スキー場。大好きなスキー場になった。私もすごい怖いコースにでる3班くらいになるまでは行っていたと思う。ほかの学校のいろんな年齢の人たちと仲良くなったというかバカなことをたくさんした。お互いの部屋から聞こえてくる声からふざけあいが始まっていつのまにか蹴り合いになって壁に穴が空いたときはビビった。大きくなって「こんな薄い壁じゃ穴もあくわな」と思ったがその前に蹴るなよという話である。若かったというか幼かった。夜のビンゴ大会だったか、クイズ大会だったかで上位に入り原辰徳のサインボールをもらった。当時ファンだったので嬉しかった。小さな売店の横にあったパックマンにも相当お金を使った。初期のパックマン。はまったなあ。相当お金を使ったが今の子供たちの話を聞いているとまあかわいいもんだった、と思いたい。実際どうだったんだろう。もともとそんなにお小遣いもたされていないだろうからやりくりしたのだろうと思いたい。子供の頃の自分も信用ならない。今もそこそこ心配だが当時よりはだいぶまし、だと思いたい。

今朝は朝からクレープ。毎日おなか痛くなりませんようにと願うなら食べなければいいのだがそうもいかないのが私たち、と思いたい。パックパックパックマン。

主に欲望のお話でした。今日もがんばりましょう。

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音楽

11月3日早朝

星がきれいと空を見上げたら月がまだ高いところにいた。

始発で新幹線の止まる駅まで向かう。この時間でもそれなりに人がいる。いつもより荷物が軽い。急ぎの書き物があるがPCiPadももってこなかった。大きいノートは持ってきた。断片は集めてあるから順序を考えよう。

おなかがすいた。大きい荷物を持っている人は連休でどこかいくんだね。私はひと仕事しにという感じ。とにかく書かねば。なのに。まあがんばりましょう。

今私が一番恐れているのはイヤホンの充電がきれること。柳樂光隆のnoteのおかげで私の音楽生活が戻ってきた。ただ書いてあること以上に調べるのは我慢してる。行きたい店もいっぱいあるがそれは普通にいけないので諦められる。でも調べものは隙間時間でできてしまうからまずい。優先順位大事、と他人にいうのだから自分もね、と戒め戒め。

昨日はジョシュア・レッドマン“Where Are We”のアルバムと、アルバムでカヴァーされたり引用されたりしている原曲の両方を聴ける柳樂光隆のプレイリストの両方を聞いていた。ヴォーカルがとてもゆったりしていて気持ちよく眠れてしまいそうだったが寝てはならぬ時間だった。世知辛い世の中じゃのう。

周りに続々と人が集まってくる。この時間でもおしゃべりしてる人たちが元気で羨ましい。私の仕事はそこそこ身体が元気ならできるからよかった。愛想とか忖度とか大変だよね。しなくてもいいものをどうしてしているのかって自分もその循環に巻き込まれてそれを要求する側にもなってるからだよね。人間関係は難しいね。

よく寝てちょうどよく食べて無理せず過ごしましょう。車窓にはまだ暗い朝。今日最初に鳥の声に気づくのはどこになるかなあ。イヤホンしてたら聞こえないから充電きれてもいっか。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

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映画 言葉

高崎、高橋、ギター、千葉

今朝の飲み物はだるま珈琲。先日、突然高崎へ行った帰り、新幹線改札前にある充実のお土産屋エリアで我が家用に買ってきた。この前ノンフィクション作家の高橋ユキさんが高崎駅を利用して前橋に傍聴に行っていて、そのルート知ってる、と嬉しかった。前橋地裁で働いていた知り合いもいたし、高橋さんが以前その近くの美味しい珈琲やさんのことも呟いていたのも嬉しかった。もちろん布袋のことも呟いていた。新幹線ホームの発車メロディが布袋虎泰になったから、多分今年。高橋さんは氷室ファンなんだっけな。高橋ユキさんの傍聴記録はvividですごいし、有料だけど最近始まった日記もすごく面白いからチェックしてみて。人のこころと行動のわからなさに対する理解が深まるから。

さてさて珈琲のお味はどうかな。パッケージは白地に赤い達磨の絵が書いてある素敵なデザイン。いただいたちんすこうと一緒に。美味しい。この珈琲、結構コンク(うち語)。色々あって美味しい。みんな違ってみんないい。金子みすゞは上田出身なんだっけ、など話す。ちなみに画家の星野富弘は群馬出身で美術館もある。小学校の授業で色々みたり聞いたりしたときはどうしてそんなことができてしまうのかと驚いた。かわいいお花の画集も持ってる。群馬にはね、といえばそこそこ観光案内できる程度に色々行っているな、群馬出身者のわりに。高崎は隣町で小さい頃はクリスマスケーキは高崎のお店のと決まっていたし、夏のキャンプでは新幹線からも見える白衣観音の麓にあったカッパピアというプールに連れていってもらっていたくらいしか記憶がない。ここ数年で少しずつ知った。高崎市は達磨の生産量が全国第一で、この珈琲は市内の珈琲やさんがそれにちなんで作ったみたい。高崎だるま市は東京都調布市の深大寺、静岡県富士市の毘沙門天大祭だるま市と並ぶ「日本三大だるま市」の一つ。高崎はアニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』の舞台になっていて映画にも達磨が登場。主な舞台は大きなイオンモール。あの辺何もないから遠くからでも目立つ大きな建物なんだけど行ったことないな。イオンモールって割とそういうところにあるイメージ。滋賀県草津のイオンモールもこんな感じだった気がする。滋賀は色々と興味深い土地だし友達にも会いたいからまた行きたい。そのまま京都へ行くこともしてみたい。

昨晩久しぶりにギターを触った。コードは4つくらいしか覚えていない。Cを押さえて弾いてみたらCの音がしなかった。ガーン。以前は教わるままにやればそれなりにそれっぽい音が出たのに。ガガーン。とかショック受けてないでジャラーン♪ってカッコよく弾けるようになりたい。せめてバンド組んで失敗する夢くらいみたい。なんか夢ってあまり成功しなくない?そんなことない?意外と現実の方が無難だったりする気がするよ。とにかくなんでも触れ続けていないと夢にだってでてきてくれないよね、続けよう。続けるのが一番大変なんだけどね、というのは3回くらいしかみていない朝ドラの蒼井優のセリフ。まさに。

昨日は朝から千葉雅也さんの言葉にしんみりしっぱなしだったなあ。この前の平井靖史さんの時間論とも重なったし読者でいてよかったなと思った。人の言葉は断片で聞くものではないからね。

さあ、準備して出かけましょう。準備なんてあっという間。持ち帰り仕事もそのまま持って出ましょう・・。

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お菓子 音楽

羊羹、お茶、音楽

PC前に突っ伏して寝ていた。よく働きよく遊びよく疲れている。が、翻訳とか書き物とかは全然進んでいない。なぜだ。やっていないからだ。

南側の窓を4分の1開けた。これまでは半分。それ以上は開かない。戸袋がないから。大学生のとき一人暮らしをしていた仙川の小さなアパートは雨戸があって戸袋があった気がする。いや違うかも。どこかで私は戸袋に窓を入れるのが下手だな、と落ち込んだ記憶がある。ああいうのに上手いも下手もあるのかよ、と思うかもしれないがあるんだよ。不器用な人は本当に驚くようなことに苦労しているものなのだ。今はとにかくゆっくり動く、仕組みをよく見る、人の真似をする、それでも無理ならやってもらう、ことが上手くなった。最初のステップである「ゆっくり動く」が最大の難関だったが優しい人たちの上手な声かけが徐々に内在化され今は不安や恐怖や眠気が強いとき以外はまるで落ち着いている人のように振る舞うことも可能になった。

戸袋といえばこれももうどのくらい前になるのか。母と京都の町屋に泊まったことがあった。とてもとても古い建物でとてもとても高齢に見える女性がお孫さんと思しき方と一緒に経営されていた。お二人ともとても素敵でお二人の姿が見えなくなるたびに母と静かに盛り上がった。建物も古さゆえの不便はあれど私の語彙では表現できないがとてもよかった。あの町屋はもうなくなってしまったはずだけどまた行きたい。

今朝は、暑い間は食べる気がしなかった羊羹をようやく開けた。熱いお茶と一緒にいただきたかったから。羊羹は数年前、河口湖に行ったときにふらっと入って一目惚れした「富士菓匠 金多留満」の「富士山羊羹  甲州もも」。今回はお土産でもらった。パッケージはまるで洋菓子。桃と羊羹の断面がいろんな向きで配置されているピンク基調の絵柄なのだがよく見ると少し面白い。かわいいピンクのワンピースに羊羹の柄を描かないでしょう、桃は描いても、という感じ。フフフ。かわい面白い。さて、少しの弾力を感じながら小さなナイフを入れる。伊万里の青木陶房で買った水色の小皿にそっと置く。青木さんもとても素敵だったな。土のこととか色々教えてくださった。お茶も夏の間は開けなかった滋賀のお土産、中村農園の「土山煎茶」。爽やか。緑がきれい。少し暑くなってトレーナーを脱いだがまた着た。今朝は少し寒いくらい。

お茶といえば来月はルピシアのBOOK OF TEAが出ますね。知ってるかな。いろんなお茶を丁寧に、でも気楽に飲みたいな、という紅茶好きな方に特別な贈り物をしたいときにはこの一冊(一箱)。最初にいただいたとき、大感激した。みんなであれこれ言いながら分け合うのも楽しいです。お茶とか陶器とかはそのヴァリエーションの多さに本当に驚く。葉っぱとか土とか基本は同じなのにね。

今朝はNubya Garcia『Source』。ゆったりかつ力強いサックスが心地よい。最近は柳樂光隆の記事が私の音楽の指針。どの記事も背景がしっかり書かれていてその人の個人史としてもジャズの歴史としても興味深いし勉強になるし紹介されている音源が素晴らしい。あと彼らが所属していたり受けてきた教育の話がとても参考になる。多様性を実現しようとするチャレンジャーたちの資質と地道な努力が素晴らしい音楽とともに受け継がれる土壌づくりにもしっかりと目配りが利いている。上質のグループで教育を受けられることは本当に素晴らしいこと。そういう人たちを単に「恵まれている」とするのではなくそういうグループ作りが可能であることを私たちはまず知らないといけないのかもしれない。ヌバイア・ガルシアのインタビューはこれ

今日は再び月曜日。色々あったはずの9月も体感5日分くらいでしたね。そうでもないですか。日常は慌ただしいけど心の中の時間だけは過去にも未来にもどこかへも引き伸ばす工夫をしながらなんとか過ごしましょうか。