最近、精神分析における時間論について、数人の精神分析家や哲学者を引用しながらちょこちょこ書いてきた。日本の精神分析家は土居健郎しか挙げてこなかった気がするが、吾妻壮も時間性について興味深い論考を書いている。
『精神分析における関係性理論――その源流と展開』(2016、誠信書房)に収められた「第5章 精神分析における時間性についての存在論的考察」がそれである。
ここで吾妻は、精神分析における時間を、過去・現在・未来に生じる心的出来事の問題としてだけでなく、ハイデガー Heidegger,M.を参照しながら、人間の存在そのものにかかわる時間性の問題として捉え直そうとする。
章の構成は、「精神分析と時間性」「精神分析における時間性の存在的な理解」「精神分析におけるもう一つの時間性:存在的時間性から存在論的時間性へ」「精神分析における存在論的時間論のさらなる射程」「終わりに」となっている。
この章は、臨床的議論はなく、その手前の理論の整理と今後の使用にむけての準備が行われる。吾妻はまずグリーン Green, A.―カーンバーグ Kernberg,O.F.的な時間理解を検討し、それとは異なる概念的枠組みをハイデガーに求め、そこからレーワルドLoeward,H.W.―ストロロウ Stolorow,R.D.的な時間理解へと進む。
吾妻によれば、前者は時間を客観的・実在的なものとして捉える時間理解であり、後者はハイデガーの存在論的な時間理解、すなわち過去・現在・未来を脱自的統一として捉える時間論である。
吾妻がまず検討するのは、私がしょっちゅう触れているアンドレ・グリーンの時間性に関するモデルである。グリーンは、フロイトの局所モデルと構造モデルに応じて、二種類の無時間性について提示したという。局所モデルでは、異なる時点に由来する表象が無意識において時間的に整理されないという静的な混淆。構造論では、イド由来の反復強迫によって表象化が妨げられ続ける「時間の殺害(the murder of time)」(Green,2007)という動的な無時間化。
これを読んで知ったのだが、米国の対象関係論的自我心理学に分類される精神分析家、カーンバーグは、グリーンを参照しているという。カーンバーグは、主観的時間を客観的時間の派生物として理解し、病的時間性を、主観的時間経験の変容として記述しているという。
私は、吾妻のアンドレ・グリーンの時間性の捉え方にはやや違和感も覚えるのだが、吾妻がここで焦点化するのは、グリーンとカーンバーグがともに、時間を客観的で実在するものとして捉えている点である。時間が「殺害」され、「破壊」されうるものとして語られ、またその「短縮」や「停止」が経験されうるものとして論じられていることから、吾妻はそのように捉えるのだと思う。
そして、それはハイデガー的にいえば存在的(ontisch)な理解ではないか、ということで、ハイデガーの時間論を導入する。吾妻がここで検討しようとしているのは、存在的な理解ではなく、存在論的な理解であり、時間性を理解するためのオルタナティブな概念的枠組みらしい。
吾妻は、このあと、ハイデガーの本来的時間性、非本来的時間性、時熟、脱自的統一を手際よく整理し、ハイデガーの存在論的時間論に近い考え方としてレーワルドの時間性の理解とストロロウのそれをあげる。吾妻は、ハイデガーの時間論の影響を受けた精神分析家として両者を取り上げている。
精神分析における時間性の理解について考える途上で吾妻の論考も紹介してみたが、要約することが目的ではないと気づいたので、急に駆け足になってしまった。でももうちょっと書いておく。
章の後半では、吾妻自身の専門である関係学派における自己の多重性・非直線性にも触れられる。ここで吾妻が援用するのは、非直線的で多重な自己状態(multiple self-states)を論じる関係学派の精神分析家、ブロンバーグ(Bromberg, P. M.)である。そして、ブロンバーグが参照するレーワルドの言葉を引用する。
また、吾妻は、外傷体験において時間性の変容が生じ、病理においては非直線的で多重な自己状態が解離として経験されるというブロンバーグの考えを、ハイデガーの存在論的時間性とも接続して理解する。そして吾妻は、解離されている自己状態が治療の場に持ち込まれることを肯定的に捉えるブロンバーグの議論を、本来的時間性の経験という観点から読みながら、今後の臨床実践に生かすことのできる時間性の枠組みを模索することを課題として、この章を終える。
私がここで取り上げてきたフロイト、グリーン、ラプランシュ、ダナたちの議論とはまた異なる視点である。吾妻がハイデガーを参照することで問題にしているのは、時間のなかで人間がどのような経験をするのかということだけではなく、人間の存在そのものが時間的である、ということなのだと思う。
ちなみに、この論考の初出はおそらく、吾妻壮・小笠原將之・井上洋一(2012)「精神分析における時間性についての存在論的考察」『臨床精神病理』33(3), 293–303である。日本精神病理・精神療法学会第35回大会では、中村昇による基調講演「ベルクソンの『純粋持続』と西田の『場所』について」も行われている。こちらも雑誌で読んでみたいと思った。
吾妻の論文を改めて読んで、最近ベルクソンに偏っていた私の脳内にハイデガーが蘇ってきた。2021年、NHKブックスから池田喬『ハイデガー――『存在と時間』を解き明かす』が出た。その頃、池田喬と古田徹也のイベントにも行ったな。おもしろかった。
今は出かけられないほどの雨ではないが、特に用事もないので、この本を読み直すのもいいなと思っている。みなさんもそれぞれ、よい時間をお過ごしください。

