寒い。暖房のあごは?外れてる。がばーって温風を出してくれている。がんばれー。紅茶あつっ。いつもこれで火傷する。火傷といえばいつかの元日に三重県伊勢の二見興玉神社に初詣に行った。その途中かどこかで振る舞われたとても熱い甘酒を喉に流し込んでしまった。すっごくチビチビ飲むつもりが手元が狂った。多分カップが熱すぎたのだろう。あの時は大袈裟ではなく生命の危機を感じた。火傷というのは本当に怖いものだ、ということを火傷を中心にみる科の病棟に勤めていた看護師さんから何度も聞いていた。口の中も喉も爛れた。どうやって回復したのか覚えていない。ただ強烈な体験だったのは覚えており、この前も女ばかりで話していたときにその話をした。なんの話の流れだったか。「構造式まで書いてある」という言葉が出たのを覚えている。彼女たちは化粧品の話をしていた。すでに医療現場にいる私たちとこれから医療の道へ進む若者とでいろんな話をした。彼らは化粧品にすごく詳しかった。今は消したり上げたりする技術があるとはいえそれにお金かけるなら予防をがんばりたいと若者が話していた。成分を吟味してしっかりスキンケアをしているそうだ。皮膚科でドクターズコスメを扱っている看護師に化粧品をプレゼントされその成分をみながら大喜びしていた。なになにが入っているとなになにが入っているのと違ってどうこう、と大変わかりやすい説明をしてくれたが「なになに」が耳慣れずひたすら感心するのみだった。趣味で化粧品検定1級もとったという。実際ノーメイクの肌はツヤツヤピカピカでびっくりした。思春期にニキビに悩まされた話はみんな持っていて当時からこんなに詳しければと悔やんでいた。彼女は結構いろんなことを悔やんでいたな、そういえば。大雑把に「高校生なんてそういうもんだよ」とか話しながらと書いていたらうとうとしてしまった。ほんと5分くらいだ。今朝はこの前会ったばかりの友人たちとお別れする夢を見た。単にしばらく会えないという話で夢のようだったのに。結構別れを惜しんだ気がする。起きだけ起きて昨晩何も進まなかった資料作りを今のいうちにせねば。しかしん眠い・・。どうぞよい水曜日を。お過ごしください。
月: 2024年1月
奄美の本屋さんとか。
昨晩、机の上に辻村深月を見つけた。鹿児島県奄美市名瀬入舟町の本屋、棚田書店で買ってきた本だ。入舟町という名からわかるように漁港が近い。宿泊したのもその近辺だったがそこに海があることを忘れるほど磯の香りがしない。自然の循環がうまくいっていて腐敗臭が生じないからだときいた。棚田書店は同じく近所にある本屋、あまみ庵とは全く雰囲気の異なるこざっぱりしたいわゆる街の本屋だ。小さな店内に過不足なく並べられた本たちは生活と観光が自然につながっている様子で好ましかった。棚田書店に寄る前に長居したあまみ庵のインパクトが強かったが棚田書店にもたくさんの奄美に関する本があった。このスペースにこれだけの本を揃えているのか、と見れば見るほど充実していた。おそらく近所に住んでいる父子が必要なものをサクッと買って帰っていくのを見送ったりしながらそこそこ長居した。そんな高くない本棚の向こうには大きな倉庫に繋がるドアが(扉があったかなかったか)開かれていて広いスペースに段ボールがたくさん積まれていた。教科書なども売っているとのこと。お口は小さいのに中が大きい、とおばあちゃんに言われていたという人のことを思い出した。そのとき買おうと思っていた本があって探したのだがそれはなかった。なんの本だったか。特に奄美で買う必要はなかったと思うが本屋に長居できる時間は貴重だ。なんの本だったか、やはり思い出せない。その代わりというわけではないが辻村深月の本を買った。瀬戸内海の島に暮らす子どもたちと大人たちの物語だが島つながりなのだろう。島にまつわる本が多く目に入った。辻村深月は子どもの心を描写するのが本当にうまい。特に女の子の。しおりが挟んであるところまで読んだ。ひとりひとりの心を知ればそんなに大雑把に人をモノのように消費することなどできないはずだがそう思わされる出来事が多い。辛いときほど時間をかけて静かにしていようと思う。どうか今日もご無事で。よい一日でありますように。
胃腸が疲れている気がする。お菓子を食べる気がしない。昨日美味しいものを食べすぎた。もたれたりとかそういうのではなく単に使いすぎた感じというのが嬉しい。みんなその小さなイタリアンをとても気に入った。食材も珍しく本場ローマの食べ方を再現したお料理は見た目もお味も素晴らしかった。美味しいお店のシェフがおすすめしてくれたと友人が教えてくれたご夫婦でされている小さなイタリアン。私が6月に資格を取れたらそこで貸切パーティをしようという話になった。嬉しい。イタリアの特産物や食事情に合わせて店を閉める時期もあるそうで今年はそれが6、7月になりそうとのこと。6月末にパーティをしたかったけど夏になるかな。無事に取れますように。
お菓子を食べる気になった。食べる気にならない→食べる気になった、までの間が短かっ。岩手のお土産「かもめの玉子」。みかん味があるのね。知らなかった。このお菓子はやっぱりかわいいし美味しいねえ。さっきまで感じなかったひんやり感を感じて熱いお茶を飲んだ。昨晩、おなかいっぱいになったあともみんなでいろんな話をしていたら急にひんやり感を感じてそろそろ帰ろうかとなった。とてもたくさん話した。大切な話、嬉しい話、日本と世界の話、たくさんたくさん。満席だった店内はいつのまにか赤ちゃんのいるグループだけになっていた。お店の人と貸切計画について話しながら赤ちゃんと目があった。ニコッとするとニコッとしてくれた。周りがそれに気づいて大人たちともニコニコしあった。「みんなのアイドル」と言われていたその子はかなり小さいのに色々わかるようでお名前を呼ばれると小さな手をパッとあげて「わかるんだよねー」と言われていた。大人の「バイバイ」という声に合わせて私に小さな手を振ってくれた。あら、わかるのー、と私も思った。バイバイと手を振り返した。幸福な時間だった。
クドカン「不適切にも程がある」もみた。クドカンドラマリピート率の高い私は今回も満足。まさか歌い出すとは。そしてツッパリはかわいい。
外は光がいっぱいだけど能登はまだまだ過酷な避難状況が続いている。東日本大震災の教訓が生かされていないことに憤りを感じる、と支援のプロたちが話していた。本当にどうして生かされないのだろう、と思いつつ自分の学びのなさに胸が痛む。あれだけの被害が出てもシステム構築の機会にならないとしたら私たちは一体何からなら学べるのか。人の心だけでなく行動に突き動かすものはなんなのだろう、ということを最近ずっと考えている。どうか暖かく柔らかな居場所が確保されますように。どうぞご無事でお過ごしください。
長風呂した。NHK俳句で伊集院さんの言葉になんか涙ぐんでしまった。言葉にこだわるのは面白いよね。前にケースカンファレンスに英語で症例を出したときにこの日本語はどの英語がしっくりくるかわからなくてそういってみたらその場でみんながあれこれ考えてくれてとても面白かった。普段から英語で喋ってるのはオーストラリアとインドの人でモデレーターの韓国、台湾の人たちも英語ペラペラだけど英語は第二外国語。参加者もみんなそう。その中で英語でしっくりくる言葉を探す作業はそのプロセスがとても面白かった。まだ言葉が拙い小さい子たちと話しているときと似た感覚。治療場面でもそうか。お互い何いってるかわからない瞬間っていっぱい訪れてるのよね、本当は。いちいちわかろうとすることよりもそのままきいてる。Netflixで “Love on the Spectrum.”という番組を見つけた。そこで使われていたりいなかったりする言葉の世界も本当に胸を打つものがある。
It’s a documentary series about young adults on the autism spectrum navigating dating an relationship.
と説明すればいいのかな、と友人に送ってみた。悪くないか。コミュニケーションのための言葉というのはひとりのものではないから一人と二人の間を探索することが大切になるのだと思う。ウィニコットが強調した中間領域は絶対に残しておく必要がある触れられない場所のことも示していると思うし、フロイトがいった陰性治療反応は精神分析ではどうしても起きてしまうけど起きてしまうからといって防ぎようのない世界への手がかかりをくれたと思う。昨晩は私がやっているReading Freudの会だった。精神分析を体験しなくてもそれに魅力を感じ、その理論を使用することに慎重なメンバーのみなさんは自分が当事者であることを忘れない。常に自分も「そっち」であるという意識は臨床をしていれば誰もが持ちそうなものだがそうでもない。言葉で非対称を語るのはたやすいがどんな非対称か。権威という言葉をたやすく使うことで誤魔化されているものに目を向けた方がいいかもね、などなど。やることが多いから頭がそっちに行ってしまって落ち着かないけどそこから逃避してこんなこと書いているわけですね。困った困った、自分。今日もいろんな人と会う。みなさんも良い1日をお過ごしください。
ちょbit a ちょbit
今朝はつくばのコートダジュールの「くりくりぼうず」。かわいく愉快な黄色い袋の個包装。栗がくりくり坊主を手にしている。食べるんかい。昨晩、友人から送られてきた深夜ラーメンの画像を思い出してフフフとなった。かなりの中年になっても変われない俺ら。俺はラーメン食べないけどお菓子の量でいったら似たようなものだ。夜に色々やらねばでかろうじてやるべきものを積み上げる。だけどいつもそこまで。朝にちょこちょここなすのみ。bit a bit.ちょびっと、ちょびっと。英語の勉強もこんな感じで全然進まない。この前ラーメンの友人が教えてくれた英会話アプリでAIさんがゲームをしようとかいってルールを言ってきたんだけどよくわからなかった。やっているうちにわかるかなと思ってAre you ready?と聞かれてI’m ready.と答えてはじめてみた。決まった文句からはじめて、お互いに経験したことのないことを当てっこするみたいなゲームなんだけどいまだによくわからない。お互いに話したことは画面に文字化される。ゆっくり読めば理解はできるが会話のスピードが早く確認したい画面がどんどん上に消えていってしまう。よくわからないままなんとなくyour turn.とか言われてなんか言ってみる。なんて言えばいいんだっけ、と何かを曖昧な発音で言ったらなんか全然わからない文章が文字化された。たしかに発音上はこう言ったかもしれないがなんだこれは。自分で言ったことが意味のわからない言葉に変換されていた。しかもゲーム相手のAIさんはそれを聞いてhaha(じゃなかったかも)と笑い「うまいこと言ったな。やられた!」みたいなことを英語で言ってきた。これは文字になったからわかったけど肝心の英語を覚えていない。よくわからないが私が不意打ちを喰らわして勝ったらしい。意味わかんねー、と思いつつ形だけイェーイみたいな気分でいたら次の何かへ移っていった。最後は適当にロンドン行ったことある?いいとこだよね、みたいな私にでもできる会話をして終えた。あれはなんだったんだろう。どこどこ行ったことある?という質問はお決まりで楽ちんなのだがAIさんにこれまで行った場所でどこが一番好きか聞かれたからケンブリッジと答えたらやたら細かくそこでやったことや見たものを聞かれもう30年前なので覚えていませんといったら英語を直された。ああ。全てにおいてこんな感じ。bit a bit.ちょびっと・ちょびっと。
フロイト読書会とか。
連日月がきれい。満月は今夜みたい。オフィスを出る頃には月は遠く空の上の上の方にいる。夕方に薄くて丸い月を見つけられたらラッキー。そこにいましたか、となる。
昨晩は遅い時間からのフロイト読書会だった。新しいメンバーも入ったそろそろ指導的な立場になりつつある中堅たちの週一の集まりにアドバイザーとして月一くらいで参加している。私たち候補生にも週一とかでフロイトを読む会が訓練として義務付けられていればいいのに。セミナーは月一回あるし、いろんな候補生と自主的にいろんな勉強もしているが訓練として位置付けられていないと都合に合わせてスケジュールを組むことになるからなかなか合わない。3人くらいなら合うから3つくらい勉強のグループを作ってるけど月一とか3ヶ月に一回とかになってしまう。私は8時から仕事を始めるから朝1時間でもあったらいいのに、と思う。実際に精神分析を体験しながらフロイトを読んでいる人が体験はしなくても精神分析的にものを考えている人たちにフロイトの理論を伝えていかないとフロイトを読むということはますます難しくなると思う。ラカンを読むのは精神分析を体験していたとしても読みにくいし現代思想の流れで読むことも意義があるような気がするけど、フロイトは精神分析を志す人には必読なわけで、それはラカンとは比べものにならない。しかもゲーテ賞をとるくらいの文章を書く人であり、読み物としてとしてわかりにくいわけでもない。素直に読んでいけば文章としては理解できる、と私はいつも言っているのだが違うのかな。みんな文章自体の理解を何かが邪魔するような読み方をしている時が多い気がする。というかもう何年前だか忘れてしまったが初期のこのグループはフロイトを読むのが本当に苦痛そうだった。内容の理解が難しいというのはもちろんあるが、その理由のひとつに自分が知っている現代の精神分析理論の用語で理解しようとするからというのがあったと思う。私は読書自体がそういうものではないと思うし、私たちが知っているわずかな知識をもとにするのではなくてフロイト本人がその概念なりなんなりができるプロセスをを書いているわけだからそれに素直に沿っていって文章として読みにくいところはチェックしてとりあえず普通にただ読むということを続けていくのが一番シンプルに現代につながってくると思う。フロイトほどの天才はそんなに多くないわけだからまずはきちんと乗っかろう、というようなことを何度も言ってきた気がする。創始者と生涯をかけて語らうように関わり続けて自分の新しい言語を作るラカンほどの人もなかなかいないわけで、多くの場合、自分の狭い世界に巨人のイメージだけを住まわせて必要なときだけでてきてもらうみたいな使い方になりがちなわけだけどまずは実物と出会って手のひらとか肩に乗せてもらおうぜ、と思う。多くの物語が最初はデカくて異質で逃げ出すことしか考えられなかった対象と格闘するうちにヒョイっと肩に担がれてそこから見える景色に大感動する場面を描いているではないか。このグループの初期メンバーは肩に乗ることに成功した人たちだと思う。まずはそこに辿り着くのが大事だよね。フロイトの概念がどのように変遷してきたかを理解しているから議論もふわふわしないし丁寧。すごいことだ。継続は力。昨晩読んだのは『性理論のための三篇』(1905、岩波版フロイト全集6)。この三篇は、倒錯、幼児性欲、思春期におけるその変化の3つに分かれている。フロイトが「対象」というのはモノではなく人なのはたしかだけど社会的なお付き合いの範囲の人ではなくあくまで基盤は欲動の話。しかし3つ目の思春期における男性と女性の分化を語る段階になると錯綜しはじめる。281ページ以降は別の言葉で書き直した方がいいのではないのかと思ったりする。そのためにも何度も何度も咀嚼しないとだけど。精神分析は社会的な人間関係を描写するには向いていないと私は思う。精神分析でしか起きないことを精神分析だから起きることとして記述していく技法論も大事だけど精神分析家もびっくりしてしまうようなことが起きるのが精神分析なんだということを前提とする必要があると思う。予定調和なことは一切起きない。日常生活が本来そうだろうけど。とにかくよく読み終えました。二度目?三度目?また読みましょう。私主催のリーディングフロイトも卒業生が出るからきちんと募集しないと。ああ。やることが多すぎる・・・。がんばろう。能登の地震後のニュースがひどいけど考えさせられることも多い。人間って・・・というのは大抵私って・・・ということでもあるのできれいごと言わないように自分に注意したい。早く暖かくなりますように。
今朝は寒い。暖房をつけた。顎が外れたみたいに開いた吹き出し口から風が勢いよく出る音が聞こえはじめる。色々やって戻ってきたらモーター音が弱まるのが聞こえた。ちょうどよく暖まったがPCで作業するために冷えとり靴下を履いた。暖かくなる電気足置きマットも買ったがあまり使っていない。むしろ100円ショップで買った小さな踏み台の方が活躍している。そこに足を置いて距離を地面と距離をとる方が効果的な気がする。台自体が冷たいのでそこからも着る毛布の足元を調整して距離をとるけど今朝はベッドに着る毛布を置いてきてしまったからちょっと冷たい。靴下のおかげでそのうち忘れるだろう。ぼんやりコーヒーを淹れていたら溢れそうになった。慌ててドリップパックを持ち上げると思ったより多くは入っていなかった。今朝も善行のCafe花笑の焼き菓子。今日はベリーティーパウンドケーキ。さっぱりしていて美味しい。「さっぱり」って「して」よりも「していて」とか「した」とかのほうがしっくりくる。状態をしっかり言ってあげたい感じなのかしら。それとも文法上そういうものってこと?あるいは耳慣れているから?
昨日1月24日の俳句日めくりカレンダーの俳句は
寒卵一つ怒涛の前に置く 中村正幸
季語は寒卵。「かんたまご」と読む、と知っていたのになぜかぼんやり「カンランひとつ」とつなげて読んでしまってなんかリズムが、と思って「ああ、寒卵じゃん」となった。最初からそう書いてあるじゃんね。ダメな俺だぜ、と思うと軟式globeの「そうだよアホだよ」が思い浮かんでしまう。なぜかYouTubeで流れてくるからたまにみてうけている。小室ファンだったからか?
さてこの一句がなぜか気になりいつもはしないのに調べてみた。そうしたら同じ作者で
絶海のしづけさにあり寒卵
が出てきた。雰囲気が似ている。中村正幸は昭和18年愛知県生まれ。平成12年から「深海」を創刊し主宰を務められているとのこと。この二句を見ると「寒卵」がまるで美術作品のように見えてくる。直島の海の前に置かれた草間彌生の「南瓜」みたいな。あれは台風で壊れてしまったけど復元されたらしい。この「寒卵」はハンプティダンプティみたいな脆さもないだろうなあ。すごく逞しい。今みたいな一番寒い季節に産まれた卵。新宿の京王百貨店では物産展「石川・福井 物産と観光展」が始まった。売り上げの一部は被災地に寄付されるという。29日まで。ぜひ行こうと思う。
寒い、眠い、ウトウトを繰り返しているうちにこんな時間。小さなクッキーを半分食べた。あとでうなぎパイも食べる。お茶はすっかり冷めてしまった。先日、岡野憲一郎先生の「行動化」についての講義でオットー・カンバーグのことを久し振りに聞いた。アメリカの大御所精神分析家でありボーダーラインの治療といえばカンバーグだった。1928年生まれ。まだお元気。岡野先生が講義で話された臨床体験は私も初期に体験してきたものであり当時の臨床は身体的にも相当なエネルギーを使ってとても大変だったが若かった自分には必要なハードさだった。今はエネルギーがなくなった分、病理の理解とか動きのパターンとかが身についているのでコンパクトに動けるようになった。昔は「若い」というだけで頼りなくみられることに複雑な気持ちを感じたこともあったが実際頼りなかったと思う。経験しないとわからないことだけれど臨床は経験するしかないことだから真摯にやっていればそのうち遅ればせながらという形にはなってしまうけど色々わかるようになるよ。日本の心理臨床は幅広過ぎて自分が何をしているかわからなくなってしまいがちだけど経験を積み重ねるというのは自分が何をしているかわかるようになってくるということなので頑張ろう。特定のアプローチに沿ってやっていない人も多いわけだけどそれはそれでそういうアイデンティティとして自覚できるわけだし、まずは現在の自分って何者?今後どうなる予定とかどうなりたいとかある?と問いかけておくことが大事なのかもね。労働環境を変えていくのも自分たちだし。
精神分析家候補生を志す皆さんには
I’d like to introduce you to a book.
Otto F.Kernberg writes a one chaper of this book..
The title of the book is
“ Dear Candidate: Analysts from around the World Offer Personal Reflections on Psychoanalytic Training, Education, and the Profession.”
This book is a good guide to candidates.
なぜ突然英語かって他の人に送ったものコピペだから。英語は使えないと本当にダメだなということで英語でやりとりするグループを作ったの。高いお金かけて国際学会とかいったのに観光だけになったら本当にもったいないし先がそんなに長いわけでもないから精神分析家になって、訓練分析家になってというプロセスをたくさんの人と交流しながら積み上げていけたらいいな。私はそんな感じ。みんなはどうだろう。今日もがんばりましょう。能登だけでも早く春が訪れればいいのに、と思うけどせめて春の気配だけでも感じさせてくれるものがあるといいのに。花粉とかは嫌だけど。難しい。春を待てる気持ちになるような実質的な支援ができるだけ手厚くされますように。どうぞご無事でお過ごしください。
毎朝毎朝きれいな空。俳句が降りてこないかしら。空、雲、月、星が全て季語になっているのは冬と夏だけかな。「冬の空」とか「冬の雲」とか。春と秋は「星」が季語ではないかも。昨晩はオンライン句会の選句の締め切りだった。「夏雲システム」というオンライン句会のために作られたすごいシステムがあるのだが私たちも初期からそれを利用させていただいている。私たちは選句締切と同時に作者と点数が公開される設定にしている。今回も面白い句が多かった。参加者それぞれが題を出す型式でやっている。出された季語は使っても使わなくてもいい。今回は「宝船」という季語がお題のひとつにあり、それを使った句が大変面白かった。宝船というのは大抵七福神がたくさんの宝物と乗っている帆をいっぱいに張った船の図案。めでたい初夢を見るために枕の下にしいて寝たりするものだ。今回は宝船がやってくる様子が見えてくる句が大変面白く、穏やかだったり賑やかだったりするその来方がその人ならではの言葉で書かれていた。七福神そのものを書いていなくても大体全員揃っている船を思い浮かべる人が多いだろうけど今回は帆がなくなってしまった句があって愉快だった。江戸時代とは紙も印刷方法も異なるからな、と書けば想像がつくだろうか。意外性のある句こそ面白いのだが日常はあえて言葉にすればどれも結構意外なので見たまま切り取っておくというのは面白い作業だと思う。と書いて私の俳句熱が高まるわけではないのだがこの文芸を面白いと思う気持ちは変わらない。この小さな句会はいまや結社の実力者である人たちが集まっていて私だけなんだか場違いな気もするが私が作ったので彼らの力の抜けた俳句に出会えて嬉しい。こういう句会はそれぞれが実験的に使えるから良い。俳句は賞が絡む文化だから結構体育会系なのだ。私は実際は体育会系育ちなはずなんだけどそこでもゆるゆるダラダラだったせいか俳句においてもそうなっている。今回は選評にも「面白い」という言葉が多かったのも面白かった。俳句は空を見なくても(見えちゃうけど)花の名前を知らなくても読めば浮かんでくる景色が凝縮された17文字なのでお得だ。最中みたいのにお湯をかけると中から色々出てくるお吸い物があるでしょう。あんな感じ。読むってそういう楽しみ。知識はとても大切だけど人との関わりが言葉を見つけさせる。私の仕事も幸せなことにそういう仕事だ。色々な人の言葉を聞き、彼らだけが知っている景色を知る。私たちは同じものを見ていても全く違うものを見ているものだ。切り取り方というのは本当にそれぞれで語り方もそれぞれ。フロイトが驚きを持って患者の言葉に耳を傾けることが大切だと言ったのはあえて言わずともそうなってしまうのが精神分析でありとても自然なことを言葉にしただけなのだ。見えたものをそのまま言葉にする俳句と同じ。私もこんなに長く会っている人なのに毎回驚かされたりしているのだから驚く。人の心の世界はわからないからこそ、自分で喋ってみてそんなこと考えていた自分にびっくりということがよく起きる。醍醐味と可能性。傷や事件は心に不自由をもたらすけどそれはまた別の話、というか時間がなくなってしまった。
今朝はしょうが紅茶と善行の洋菓子屋さんのショコラオランジュでした!美味しかった。
明るくなってきた。二度寝してしまったうえにのんびり朝風呂してしまった。とはいえ寝不足。今日はアルフォートと紅茶。フォートナム&メイソンのかわいいティーバッグをもらった。世の中にはかわいいものが溢れていると都会に出るといつも思うが混み過ぎていて立ち止まることはほとんどない。いつも通過してばかり。寒いし、いつも見ている範囲で足りてしまっているというのもある。たまたま最寄り駅が同じ同業者と私たちの住む小さな街の満足度の高さを話したばかり。この街に来てから長いがチェーン店の根付かないこの街を「地元の金銭感覚がわかっていないんだよ」と昔からこの街で商売を営んでいる人に聞いたことがある。今はチェーン店もいくつかあるしおしゃれな店も増えたがローカル感は強い。一方昔からある店の店員さんの高齢化は見ればわかる、というか私がここでとった歳を考えればあの店の人亡くなったのかな、最近見ないけど、という会話が増えるのは当たり前だ。長く店を営むというのは大変なことだろう。コロナ禍に閉じた店もあるし復活した店もある。どうにかこうにか乗り切ったように見えていてもこの数年間の影響がすぐに出るとは限らない。人間関係でも「すいませんでした!」とかいえば色々チャラにできると思っている人がいるが人が受けた傷というのはそんな簡単ではない。ということをわかっていない人が多いのだから絶望が深まる。先日、女性ひとりでやっている小料理店に行ったがどれもこれもとても美味しく、ひとりで切り盛りしていると聞いて驚いた。私の仕事もそうだが偶然の出会いからはじまるのがほとんどな仕事に特有の困難というのがある。しかも女ひとりだと。だからなおさら人や情報を消費することだけうまい嘘つきとか政治家とかには腹が立つ。消費がうまい、というか相手の気持ちなど考えていないから平然とそういうことができる人がいるということだけど。世の中は理不尽に溢れているが今日も落ち込んだり嫌な気持ちになったりしながら普通にやろう。店での出会いや友人たちや先生方との会話みたいに積み重ねられている良きことも多い。本当にひどい人が平然としている社会は本当に気分が悪いが居場所はある。というよりまずは居場所を、と被災地のことも思う。
待ち合わせまでに時間があったので少し本を読み進めておこうと思った。はちみつ紅茶を入れて濃厚チョコレートを二つ食べた。ランチをする余裕があるかどうかわからなかったから中途半端にお腹を満たしてしまった。読むのは専門書だ。発表に向けて音読しながら読む進めている。最近はずっと音読をしている。なぜなら眠ってしまうから。
この14歳の被分析者は制止の問題は扱えるが回避の問題は扱えない人だった。著者はどちらの問題も享楽としてまとめる。フランス精神分析だからそうなるのだろう。この本は身体と言葉の関係にまつわる本なのでこの症例でも問題となる身体が登場する。
「たしかにシモンは身体を持っている。しかし、彼にとって身体は重荷であり、まるで荷物のように担がなければならないものである。」p73
彼が身体に感じる違和感や回避の傾向を覆い隠してきたのは両親が彼に与えた「早熟な」というシニフィアンだ。彼は普通の子どもたちがやるようなことは全て拒否していた。
「早熟な子どもはなにもせずとも学んでしまう。」p74
「主人のディスクールの目的はみなと同じようにさせることである」というラカンのディスクールにも彼は従わない。
彼の症状を規定するのは
「まずは<他者>のパロールと関わりのある享楽である。もうひとつは、<他者>の身体と関わりのある享楽である。」
「いわば、分析のなかで「語られた」症状が、「沈黙させられた」症状を覆い隠している」p74
だから「身体は重荷」なのだ。シニフィアンによって身体は外部に置かれたままである。
この少年はやるべき勉強をしないで「無用で意味のない勉強」のようなものをやり続けることで「あらゆる強制を拒む」。すごくよくわかる、といいたくなる振る舞いを彼はし続ける。先伸ばしにすることで「もう遅い」という状態を享楽する。
NHK俳句を見て書くのを中断してしまった。今日の選者は大好きな村上鞆彦さん。南風俳句会の主宰。ゲストは松田ゆう姫さん。松田優作は彼女が1歳の時に亡くなったのね。自分の声が好きというのは素敵。俳句も声に出すと感じが変わるものね。音楽性のある句も紹介されていて面白かった。今日も長いぞ。素敵な俳句作れないかな。降りてこい!東京で降っているのは雨。
能登言葉親しまれつつ花の旅 虚子
能登は輪島、一本松公園にあるという虚子の句碑も見にいこう。夏に。厳しい冬がこれ以上何事もなく過ぎていきますように。
つくばワイナリーの「TSUKUBA ROUGE」をもらった。とても美味しい。あっという間に眠くなってしまったが。
月面着陸、軟着陸は成功とのこと。これはとても凄いことなんだろうなあ。「神酒の海」のそばに降りると言っていたけど月でいう「そば」ってどのくらいの距離なのかしら。月感覚が全くわからないわ。
きたやまおさむ新刊 『「むなしさ」の味わい方』 をいただいた。早速序章を声に出して読んだ。この本は一般向けだから「きたやまおさむ」なのね。芸能人でもある北山先生ならではの素材が最初からたくさん出てくる。永六輔から近松門左衛門の「虚実皮膜の論」からご自身の「治療室楽屋論」から縦横無尽。「間」と「むなしさ」を語るにはこれだけ言葉を尽くす必要があるのか、とやはり思う。月面よりも遠い場所。言葉でしか辿りつけない場所、というか時間か。北山先生は「間」は「魔」でもあると書き、「虚しさ」は「空しさ」と並べて書いている。ないものの「味わい方」を書いてしまうのがウィニコット研究者でもある北山先生らしさでもあると思う。
私は友人のチョコレートケーキの最後の一欠片を味わいました。「欠片」も「ないのにある」言葉ね。昨日の俳句日めくりカレンダーに「滝の欠片」という言葉が入っていたように思うのだけど違ったかな。いい句だなと思ったのに忘れてしまった。俳句日めくりカレンダーを毎年もらうのだけど今年度から慣習は神野紗希さん。宇多喜代子さんの解説が大好きだったから少し寂しいけど神野さんの優しく丁寧な言葉選びも好き。そういえば先日届いた結社誌には夏に青森に行ったときの句が載っていた。もうそんなに経ったのか。記録としての俳句というのはいいものだと思った。夏以降、本当に余裕がなく毎月のオンライン句会の投稿しかしていない。3つあるうちの2つにしかできていない。しかもいつも当日。俳句好きなのに全然仲良くしていない。余裕ないってよくない。何気に韻を踏んだ気分。朝はこれでよしとしましょう。昨年の俳句の日めくりカレンダー、1月20日は「極寒のちりもとどめず巌ふすま 飯田蛇笏」。うう。ほんと極寒な感じ。今日の東京は雪の予報が雨に変わったみたい。能登で物資の運び込みや移動をされているみなさんも体調にお気をつけて。支援する側はつい自分は大丈夫と思いがちだと思うけど疲れたら風邪をひきやすくなるとかはみんな同じですものね。お大事にお過ごしください。今日もどうかご無事で、ご安全に。
若い頃、明治生まれの人の話を聞いたことがあった、と思うのだがあまり覚えていない。大正生まれの人の話は結構聞かせていただいた。100歳を超えた方の話を今もたまに聞くことがあるが大正13年生まれの方が今年100歳か。そろそろそういう機会もなくなってくるのだろう。私もだいぶ歳をとった。20代の頃に患者さんの年齢が高いと少し身構えていた頃が懐かしいが人は何歳になっても心理療法を求めるのだと今は知っている。60代、70代になってもだ。フロイトは精神分析の適応を随分狭く考えていたが彼自身のことを考えれば適応年齢などないだろう。日本精神分析協会は訓練分析家が候補生の訓練分析を委託されるのは75歳までとしているがスーパーヴィジョンはその限りではない。年齢で区切るのはそれが訓練だからであり協会の仕事でなければ自分で決めればいい。私もそうだが定年のない仕事に区切りを入れるのは自分。とはいえ予期せぬ出来事で続けられないことも生じるだろう。子供の頃に被災した30代の方の言葉を読んだ。シンプルな感情表現と感謝の言葉はものすごい力を持って迫ってきた。涙が出た。彼や彼の周りの方の人生が続いていることを本当に良かったと思うし、彼が失ったものを思うと言葉もない。大正生まれの人の話を聞くときにただじっと聞くだけの時間が多くなるのは相手がお年寄りだからではなく彼らの歴史に区切りを入れることが憚られるからかもしれない。彼らは聞いてくれてありがとうと言ってくれる。しかし抱えられるのはこっちだ。こんな歴史を生き延びてきた人たちがいる。それをどこか軽妙に語る。「若い人にはわからないでしょうけど」と言われると実際に若かった頃は複雑な気持ちになった。しかし今はその言葉に彼らの痛みだけでなく気遣いも感じる。だからじっとみみをすます。病院に勤めていた頃、古い建物の狭い部屋ですごく近い距離で患者さんの話を聞いていた。最初は戸惑ったが長く常勤で勤めていらした先生に陪席させていただいたり自分で経験を積むにつれその距離はとても貴重なものとなった。教科書的にいえば全く理想的な空間ではなかっただろう。しかしあるものでどうにかするのも人の自然なあり方だろう。私たちは手を伸ばさなくても触れられるほどの距離で言葉を体験した。予約制ではなく希望制だったのに押し黙ったまま時間を過ごす人もいた。言葉の体験にはそういうものも含まれる。みなさん、どうされているだろう。お元気でいてほしい。私は元気になんとかやっています。今日も無事に過ごせたらいいですね。被災地のみなさんもどうか孤独でありませんように。人に、自分に失望してしまうことのありませんように。
震災とか精神分析の言葉とか。
昨日1月17日は「阪神・淡路大震災」から29年が過ぎた日だった。朝からいろいろなことを思い出しつつ言葉にしなかった。場所は遠かったが友人が多かった。その後、何度か訪れている神戸で感じたこととか中井久夫先生はなぜこうも神格化されたかなども考えた。精神分析の文献しかわからないが中井先生の訳語は特殊だ。精神分析実践をしている人にはピンとこないという話は内輪ではされるが結局その訳語が受け継がれてしまう。言葉というのはなんと権威に弱いものか。というかどうして人は誰かに力を与えてしまうのか。本人が欲しようが欲すまいが。震災のとき、中井久夫と連絡を取り合った精神分析家の土居健郎は近い感じがする。私が土居健郎に近い人たちから臨床を学んできたせいもある。というか近ければ近いほどその人自身の何かを引き継ぐというよりその人が大切にしてきた歴史を見直すことになりそれは結局日常言語とは何かということを考えるということにつながっていくのではないだろうか。「甘え」という言葉は誰にでも通じるゆえに辞書にものり、外国でも何度も検討される言葉になった。そうだ、日常言語で思い出した。ウィニコットフォーラムの発表を原稿にせねば。ウィトゲンシュタインのことをもっと明確に盛り込まねばならない。毎日友達に支えられなかなか取り組めない雑務も少しずつやっているが全然追いついていない。書くことは好きだからなんとかやろう。翻訳もまたやりたくなってきた。辞書を訳してこれは超重要な作業だと思った。知ってはいたがこういう実感を持ったのは私が精神分析の文化の中にいてそれを受け継いでいこうと決めたからだと思う。精神分析臨床と本の言葉を離れさせてはいけない。ラカンの言葉が臨床と離れて使用されることで精神分析が特定の位置からしか語られなくなった側面があるのは残念なことだがラカンに十分親しみながらも議論と実践のなかでラカンと袂を分かち自分たちの言葉で精神分析を語り直そうとするラカン派以外のフランスの精神分析家たちの本を読んでいると臨床家としてのラカンに逆に親しみが持てる。文化を語り継ぐという先生方がずっと話してきたことにようやく実感が持てるようになってきたのかもしれない。長いトレーニングが必要だったわけだ。今日も能登は寒いだろうか、と書きつつ、阪神・淡路の震災のことも同時に思い浮かべる。当時、当日のことを書いた人たちがSNSに改めてあげていた文章にあった光景も想像する。どうか長く続くトラウマに苦しむ人も見通しのつかない今にどうにか立とうとしている人もご無事で、ご安全に。
お菓子、現代ラカン派の本
地面と距離を取るのに失敗した。眠気に勝てず寒さ対策、姿勢対策を怠った。それでもこれだけどさどさと身体にかけてれば芯から冷えているということはなく恵まれているなと思う。今日は寒い場所にいる時間が長くなるかもしれない。気をつけねば。
今朝は信玄餅もどき、といっては申し訳ないがそんなようなきなこと黒蜜をかけていただく小さなお餅。包み紙はキッチンにあるが見に行くのが面倒。何度か見たのに忘れてしまった。埼玉のお菓子をいただいた。いつもいろんなお菓子をいただくのはその方がお寺の方だから。いいなあ、というのも違うか。黒蜜はどの時間に食べても美味しいなあ。
平日は忙しくてメイン仕事と移動で終わる。昨日は風が強かった。顔が冷たいと本格的な冬と感じる。温暖化は怖いが寒さも怖い。雪国の友人の話を聞くたびに私には住めないと感じる。みんな怪我とかにも気をつけて。
昨日は『言葉にとらわれた身体 現代ラカン派精神分析事例集』(誠信書房)を読んでいた。昨年、邦訳が出てラカン協会でもイベントがあった。フランスの精神分析の勉強会で一緒の人が面白かったと言っていた。原書名はLE CORPS PRIS AU MOT: CE QU’IL DIT, CE QU’IL VEUT.これってWhat he says, what he wants?この部分が「事例」ということか。そう言われたらそんな気もする。私たちがセッションで考えていることってこの二つだものね、大体。
読んでいたのは「3章 身体に支障をきたすこと 透明な身体 動揺」を読んでいた。
エレーヌ・ボノー(Hélène Bonnaud)は最近活躍中の分析家と聞いた。身体の症状を単に症状としてではなく身体の出来事として語るのが分析で語られる言語なんだという考えのもとに事例の理解がされている様子。身体と言語はお互いに巻き込み合う関係だと思うけど身体自体は何もしていないんだよね。何かを表す舞台になっているだけで、というとマクドゥーガルの本にも繋がってくるのかしら。
今日は遅くなってしまった。東京はいいお天気。能登は地震が続いている様子。今日もたくさんの支えが向かうことができますように。
フランスの精神分析家の年齢など。
姉妹と兄弟とでは関係が異なると感じるし、文学作品でもそういう違いを感じさせるものは多いが、セクシュアリティの扱いが変わるにつれこのような括りも再考を迫られるのだろうか。精神分析でいうセクシュアリティは幼児性欲から始まっており、それは欲動に関わるものである。精神分析という枠を超えて理解するのは難しいし安易に使用するべきではないだろう。
先日も触れたがアンドレ・グリーンをメインに据えたジャック・アンドレ企画のセミナーが収録された講演集『フランス精神分析における境界性の問題』ではメラニー・クラインのスプリッティングを受け継ぐ英国対象関係論とフランス精神分析は異なるというのが前提としてあるようだ。演者の一人、精神科医であり精神分析家でもあったDaniel Widlöcher (8 June 1929 – 14 December 2021) は第四章「境界例における分裂(cIvage)と幼児性欲」において幼児性欲が形成される諸段階における様々な分裂を記述している。
ところでこの本の訳書が日本で出版されたのは2013年でジャック・アンドレが「日本語版に寄せて」でAndré Green (12 March 1927 – 22 January 2012) とPierre Fédida (30 October 1934 – 1 November 2002)に対して追悼の意を表している。その後、ダニエル・ヴィドロシェ、ジャン=リュック・ドネ(Jean-Luc Donnet,2 March 1932 – 19 Octobre 2022)も亡くなった。ジャック・アンドレとカトリーヌ・シャベールは1947年生まれ。日本の精神分析家でいえば北山修先生(1946年生まれ)と同じくらいだ。私たちのトレーニングを引き受けてくれた先生方もだいぶ歳をとった。日本は訓練分析家の数も少ないから雑務といえるような仕事も含め負担が大きい。この講演集みたいに精神分析理論をガッツリ述べるような機会よりももっとふんわりとした外向けの企画の方が多い。先生方から教えていただいたことを精神分析という現場において熟成させていかないとなあと思う。
途中、いろいろ家事をしたらもう鳥が鋭く鳴く時間。今日もがんばりましょう。これまでも様々な被災地へ支援に行った人たちはすでに淡々と被災地へ入り活動している様子。なるほど、それが必要だった、と学ぶことも多い。今日も少しでも多くの注意が注がれますように。関心が減ることがありませんように。
ぼんやりしているといつのまにか明るくなっている。高校のときの友人がついに広島に引っ越したそうだ。友人は夫の転勤に伴って数年に一度引っ越していたが高松在住期間が思いがけず長くなった。遊びに行ったこともある。高松は全国の中でも上位に入る好きな街だ。高松なら精神分析の需要もなくはないと思う。東京でも需要が多いわけではないが遠くて近い関係を築きやすい距離が人との人との間に保ちやすい風土がある気がする。広島はすでに精神分析の文化がある土地だ。昨年11月に行ったばかりだがまた行きたいし行く機会はあるだろう。私は今日もくるっと近隣の区を回りつつマイオフィスで仕事。今日も長い一日になる。
志賀町はまだ断水が続いているのか。そこに大雪。全く知らない街だけどこれまで旅してきた雪国の風景を重ねつつ震える。もう15日。支援が足りるということはない。できるだけ早くできるだけ多くできるだけ丁寧にと願うばかり。
ラジオを聴いている。ラジオも聞き流しているだけだし、こっちの手は完全に止まっている。なのにお菓子だけは食べ終わっている。うーん。オフィスでの仕事はイレギュラーなことが起きない限り問題ないが、他の仕事と隙間時間の使い方を変えていかないとまずい。いろんなことに注意は向いているが進めなくてはいけないことを進めていない。この前、カフェで待ち合わせをしたときに混んでいるかもなと思って早めに行ったらすごく混んでいた。待ち合わせにはまだ時間があったので並んでみた。立ったまま本を開いた。ペンを持ちながらだったのでやりにくかったし周りも騒がしかったが集中できた。騒がしさに関しては気になる時と気にならない時がある。というより刺激の質によるのだろう。音楽を流すでもなくイヤホンをしているだけで静かになるがまだそうすることが習慣になっていない。その状況では本を読むことが優先順位一位となったのだろう。いつまででも並んでいたいとか立ったまま読んだ方がいいのではとか少し思ったけどそういう部分的な要因ではない。どこでも眠れるのと同じくらいどこでも本は読んでいるけど読むべきものを読んでいるかというとそうでもない。あ、こんな時間。今週もきっとそんなこんなだけどとりあえずがんばりましょう。
フランス精神分析の本とかNetflixとか。
寝不足。電化製品に頼ってヌクヌクしすぎている結果だ。全然ダメだな、と思いつつテレビまでつけてる。作業のために必要なものは全てうちにある。だからうちで没頭すればいい。それを邪魔する誘惑も全てうちにある。うーん。お菓ティがまずい。いやお菓子もお茶も美味しすぎてまずい。昨日、カフェに行ったら周りのみんなは一生懸命勉強していた。私も隙間時間に少しでも勉強しなくてはと思って行ったのだけど「ココア美味しい」とヌクヌクぼんやりしていたらすぐに時間になってしまった。「だって雪だったし」とか理由はなくもないが今日は晴れる予定だとしても「だって寒いし」とぼんやりし続ける理由なんていくらでも作れる。誰も困らないのだけど。いや困るかもしれない。やっぱりやらねば。
本は少し読んだ。ラカン派ではないフランスの精神分析家アンドレ・グリーンの理論を少しずつ咀嚼しているので読んではやめていた『フランス精神分析における境界性の問題
─フロイトのメタサイコロジーの再考を通して─』も読めるようになってきた。
・1996年11月〜1997年5月
・ジャック・アンドレ主催、サンタンヌ病院でのセミネール
・目次は講演順、演者による加筆修正あり
第一章 唯一の対象
──ジャック・アンドレ
第二章 境界例の生成と状況
──アンドレ・グリーン
第三章 境界例は精神分析家にとって夢の患者なのか
──ピエール・フェディダ
第四章 境界例における分裂(clivage)と幼児性欲
──ダニエル・ヴィドロシェ
第五章 境界性機能様式:いかなる境界か
──カトリーヌ・シャベール
第六章 境界性患者、境界性状況──ジャン=リュック・ドネ
155ページに高名な精神分析家たちの講演が詰め込まれた贅沢な一冊だ。そしてどの論文も無駄がない。講演会の記録の加筆修正だからか。無駄な前置きもない。いや、無駄と思うのは私だからそれが本当に無駄かどうかはわからないのだけど「どうしてこの部分が必要だったのかしら」と思う読み物もあるから。そしてどの演者も立ち返るのはフロイトでありラカンではない。ただフランスで精神分析を営むにはラカンの影響を受けずにはいられない。そもそもフロイトへの回帰を強力に促したのはラカンであり、ラカンのフロイト再読はやはり何度も通るべき道でもある。さて、この講演の中心であるグリーンはラカンのセミネールに強く影響を受けラカンと対立し論争を繰り広げることができる人だった。そして袂をわかった。彼は英国対象関係論の系譜とは異なる形でウィニコットを読みこむと同時に、フロイトの第二局所論の読み直しを続け、欲動に新たな役割を与えた。フロイトの快原理、ナルシシズム論はこれによって深まる。
と書いていたがいつのまにかNetflixを見てしまっていた。いけない。今日こそがんばろう。
能登はどうだろう。安東量子さんのmastodonでの言葉がこれまでと今回の震災で生じていることを考えるヒントをくれる。被災地のみなさんが自分に合った音量で発信を続けられる環境づくりが進められるますように。それは常にこちらの態度次第だということが忘れられることのありませんように。
今日は「あんぽ柿の日」なのか。福島県伊達市梁川町五十沢地区で製造、販売されたのが始まり、という一説があり、昨年は出荷が始まって100周年だったそう。それを記念して五十沢のいさざわの「いさ」=13、ということで12月、1月、2月の13日は「伊達のあんぽ柿の日」と制定したそう。美味しいよねえ、あんぽ柿。柿自体も柿のお菓子もお料理も大好き。伊達市のHPはあんぽ柿のみならず果物が美味しそう。
しまった。ぬくぬくしていたら二度寝してしまった。お料理の夢を見ていた。いつも食べることばかり。今日は何をいただきましょう。朝はケーキ屋さんの友人のナッツのケーキ。細かく砕いたいろんなナッツが少し大人味の生地にたっぷり。いろんなすっごく美味しい。ドトール協賛みたいなことが書いてあった安いのにおいしそうなドリップコーヒーと一緒に。
山崎まどかの書評を読んで野溝七生子の自伝的長篇『山梔』を読みたくなっている。気になっていたのだ。毒親などの言葉を私は使わないが母と娘の関係は私が出会う人たちが抱える解決しようのないメインの問題でもある。解決というよりはそこをどう生きるかを選択していく、そのプロセスを大切にする、これまで大切にされたことのない自分の生き方を。こういう書評も彼女たちの生き方にある種の救いをもたらすのだろう。著者はすでに亡くなっているとしても似たような少女は今も存在するから。
FacebookのKarnakのページが流れてきてBrett Kahr’s Top Ten 2022からの一冊が紹介されていた。へーと思った。そういうシリーズがあるのか。精神分析家がおこなう精神分析的心理療法における逆転移の諸相が書かれた本も勉強になりそうだが私は今はthe Institute of Group Analysis LondonのトレーニングアナリストであるJohn Schlapoberskyが1969年、学生時代に南アフリカで逮捕、拷問、拘留されながら書いた日記の回想録らしい。When They Came for Me: The Hidden Diary of an Apartheid Prisoner という本。
まあこれもそのうち。今日は分析家の古典をもっと正確に読めるようにがんばらねば。
別のところにも書いたが「全住民避難」のニュースを聞きながらいろんな気持ちになった。私は当時理事をしていたNPOで3.11の震災の後、福島県双葉町から埼玉県加須市の旧騎西高校に集団避難したみなさんのところへ毎月「遊びの出前」を行っていた。そのNPO仲間が作った保育園で仕事をしに行ったついでに色々話していたのもあっていろんなことを思い出してちょっと調べたら当時の活動がいくつかの記事になっていた。知らなかった。その一つ。記録になるから保存しておこうと思った。
今日もどの時間帯にもできるだけ細やかな視線が被災地に注がれこれまでの震災から学んだことが活かされた支援がされますように。どうかご無事で。ご安全に。
お茶が熱い。熱くて美味しい。お茶の緑はきれい。今日は「吉祥最中まねきねこ」のこしあんと。
64年前の1月11日のPEANUTS、かわいい。チャーリー・ブラウンとライナスの会話。”OUTRAGEOUSLY HAPPY!”というのいいね。南町田クランベリーパークにスヌーピーミュージアムというのがあって、と調べてみたら今リニューアル工事中なのね。アートディレクターは天才、祖父江慎さん。大好き。これまでのでも十分楽しかったけどどうなるのかなあ。祖父江慎さんのお仕事はどれもワクワクだからいろんなところにびっくりの工夫がされるのだろうなあ。楽しみ!
テーブルの上に2018年の名刺サイズのカレンダーがある。2018年は平成30年だったのね。平成って31年までだったっけ。新潮社って書いてある。昨晩、本をどさどさと置いたときに落ちてきたのかも。表面は塩野七生『ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力』の宣伝。「古代ギリシア 賢人たちの言葉」が書いてある。2017年12月15日発売だったのね。この本は読んでいないけどこの頃になにか本を買って本屋さんでもらったのだろうね。これって栞にもなりますよ、ってことなんだよね?どうやら私はそう使っていたらしいけど。さてさてアリストテレスさんは何を言っているかな。「論理的には正しくても、人間世界でも正しいとはかぎらない」。どういうこと?正しい間違い問題とか成功失敗問題とか苦手。私は昨日ライヘンバッハの言っていることを理解したくて本を読んでいたのだけど合理的と論理的は違うんだよね。人間世界ってここだよね。論理と人間って分かれてるの?人間世界は論理的であるだけではどうにもならないこともあるってことだとしてもなんかよくわからないな。教えて、アリストテレス。さてプラトンさんは?「驚きは哲学の始まりである」。うんうん。これはフロイトがいう「驚き」と同じかしらね。だったら理解できる。とか書いているとキリがないですね。ほかにはアリストファーネス、アレキサンダー大王、エウリピデス、ソクラテスの言葉が載っておる。
ケーキ屋さんの友人からのお手紙に小淵沢にはもう雪が積もったと書いてあった。寒いのだろうなあ。神田橋先生の合宿でみんなで小淵沢に行ったのっていつだっけ。もう20年以上前になったりする?SC仲間に誘われて入った箱庭の体験グループのメンバーだったかな。楽しかったなあ。あ、30歳の頃だ。箱庭に当時の自分が問題としていたことが出ていて「おー、箱庭もプロに見てもらうとこうなるんだなあ」と思ったのを思い出した。私は当時明確に精神分析家を目指してはいなかったけど精神分析は受けると決めてすでに分析家に会いに行ったりしていたからその体験と合わせて思い出した。みんな元気かな。
能登の地震に関連した話、あまりにひどいことが多いですね。あまりにひどくて何か書く気もしないけど権力者たちには論理的であってほしいと思う。言葉だけでなく論理的に行動してほしいと思う。
今朝はきれいな色の熱い緑茶と「吉祥最中まねきねこ」。小判型の最中にまねきねこがいます。今日はつぶあん。かわいい。最中はあまり好きではないけどお茶と上手にいただきましょう。水分を必要とするお菓子ですものね。何がなくとも水分も上手に摂らないと。乾燥がすごいですから。すぐシワシワの手になっちゃう。年末年始を過ごした奄美大島の湿度はすごかった。湿度が高すぎるとまた大変なこともたくさんあるみたいだけど概ね暖かいし過ごしやすかった。スコールのような雨には地元の人も驚いていたけどよくあるみたい。というか地元の人によくあると聞いていて実際にすごい雨に降られてホテルの方へ戻ったら別の地元の人が「すごい雨だね!」と驚いていたから「おお、これは地元の人も驚く雨なのか!」と私も驚いた。すごかったもの。奄美大島の名瀬市は大きな街で精神分析の仕事は難しいかもしれないけどとても暮らしやすそう。旅に出るとそこで仕事をしながら暮らすことをイメージするからメンタルクリニックとかに目がとまりがち。今は多分どこへいっても開業すると思うけど。コロナで移住した人も多いというのも頷ける。地元の人にも「大きくてびっくりした?」と聞かれて「そうなんです。失礼かもしれないけどイメージが間違ってた」と言ったら「みんなそういうよ」と笑っていた。その方も移住して11年、子育てしながらその店をやっているということだった。かっこいい人だった。オープンでウェルカムな街という印象だなあ、奄美。日米間の復帰協定によって日本に返還されて70年、ちょうどさまざまな式典が先月行われたばかりだったらしい。街も自然も豊かで、虹の端っこが海に落ちてプリキュアのワンシーンみたいにその水面を彩っているのも見た。ワクワクする島だった。この時期はいないと言われたけど森を歩くときはハブ怖いとビクビクした。全国を旅してきたけど「郷に入りては郷に従え」というのはとりあえず本当だと思う。そうするためにもこっちもオープンでいられたらいいなと思う。私はいろんなことにあまりこだわりがないのでぼんやりしていると自然と助けてもらえることが多いけど、まあ助けてもらうような事態が生じている時点で自分どうなのかと思うときもある。なんにしても土地には土地の歴史があるしそこで触れ合うのはきっといいことなのでしょう。なんにも知らないのだから。カサカサの東京は明るくなってきました。被災地の様子はどうだろう。発信も受信もやめないでいきたい。できる限り暖かく安全な場所にいられますように。
寒さを感じる前に寒い場所での色々は一気にやった。リビングに戻ったら暖かい。これをまだ暖かいと感じる間に着替えた。昨日新潟中越地域でも地震があったと聞く。寒さだけはどうにもならないのかもしれないが少しでも暖かく地面の揺れと遠い場所にいてほしいと願う。新潟に越したという友人は元気だろうか。
今朝は相模原の「菓子工房くろさわ」の干支ホワイトチョコを食べている。神田近江屋洋菓子店が能登半島地震の義援金を集めるためにチャリティエコバッグを作るにあたり
・石川県所在地でチャリティバックを作成できる会社
・石川県在住もしくは出身でデザインしていただける方
を募集していた。東日本大震災の後、被災地の方から海での仕事がなくなってしまったことが非常に心配なことだと聞いた。私は多くの女性が港で従事していた細かい作業のことを意識できていなかったのでそれを聞いて衝撃を受けた。郡山の避難所で子どもの遊び場の整備をしながら被災者でもある保育士さんが「うちが被災地」と子育ての大変さを笑いながら話してくれたのとはまた異なる気持ちになった。それぞれに毎日毎日してきたことがある。それができなくなった。ルーティンがなくなるというのは本当に大きな変化だ。しかも予期せず。人間はそんなに変化に強い動物ではない。私は特に変化を苦手とする人たちと会っているが変化に強い、という人がいるとも思わない。見通しを持てるかどうかでそれに対応できるかどうかは変わってくる。精神分析に時間がかかるのはその対象が変化できなさ(欲動の問題でいえばしたくなさだけど日常言語での「したくなさ」とは意味が異なるので使用が難しい)だからだろう。しかも表面的なスキルではどうにもならない部分の動きを変えていくようなものだからリスクもある。それを助けてくれるのが高頻度、カウチ使用という密な設定だ。生活の大半を何気なく埋め尽くしていた作業がなくなること、意識せずとも居場所になっていたところを失うこと、自分は何をしていたのか、あれはなんだったんだろう、これからどうすればと連鎖的に生じてくる不安にパニックになることだってある。色々と考えるだけでやりきれない想いになるが「そういうこともあるのか」と知るためには現場に触れる必要がある。それは現地に行くということだけではなく現場の情報に触れてひどく限定的な自分の想像力を刺激することでもあるのだろう。失ったものの大きさも日常が少しずつ戻るのと並行して意識されるのだろう。迅速で集中的な対応のあとも長く長く関わりが必要であることを私たちはいくつもの災害から学んできたはずだと思いたい。できるだけ早くできるだけ先に繋がる支援を現地の情報に触れつつ模索したい。どうかご無事で、ご安全に。
スッキリ起きたけどしょうが紅茶をいれて椅子に座るなり眠い。能登のみなさんは寒さで眠れていないのではないか。新潟出身の友人が実家で被災し一日避難所で過ごしたそうだ。寒くて眠れなかったそうだ。小さな子を抱えながらの避難、それだけでも色々考えてしまって眠れそうなのに基本的に寒いというのは相当身体にきそうだ。体育館の寒さとか部活をしていた頃を思い出す。きついフットワークでようやく身体が温ってくるほどの寒さだった。相双地区の避難所へ「なごみ」の皆さんと訪問したとき、ケアマネさんが教えてくれた体操をみんなでやった。伴侶を亡くした男性の笑顔をよく思い出す。その人はずっと笑っていた。思えばケアマネさんも被災者だったのだ。これまで一緒に働いてきたケアマネさんは仕事のできる美しく優しい人ばかりだった。生活に寄り添うというのはこういうことなんだなととても勉強になった。
今日はすでに二度手間になることが確定している。昨晩、それに気づいてため息が出た。一人二度手間。何やっとんのじゃ。なんかこうして数字を眺めると数なんか気にしないで、二度でよかったじゃん、と思わなくもないが二度で済めばよいがという気もす流。まあ、そんな心配をするくらいなので色々な失敗は織り込み済みということか。もしど二度で済まなかったら落ち込むだろうが驚きはしないだろう。私って・・・となるのが誰も巻き込んでいないならとりあえずよしとするか。
ぬくぬくするたびに被災地の寒さを想像する。夏には必ず行く。ずっと発信を続けてほしい。しまなみ海道の島々を旅したことがある。水害のあとだった。問い合わせると「是非いらして」といってくれた。宿の人にその時の様子を聞いた。道一本でライフラインの状態が分かれた。「うちはたまたま」とおっしゃっていた。無事だったのだ。被害の跡も目の当たりにした。胸が締め付けられた。石巻、南三陸、相双地区の景色も甦った。崩れ落ちて土の色が違う場所にでた。大きな一軒家の前を通るとき家の中の方と目が合った。その人はそっとカーテンを閉じた。いかにもその土地の人ではない私たちは余計なことをしないことも求められる。そこにマニュアルはない。こうした一つ一つの体験から学び考えていくことなのだろう。
どうか1秒でも早く支援の車両が被災地へ入れますように。
よく寝た。時間的にというより質的に。暖房が急速に部屋を温めるために強い温風を出している。2022年の年越しをした佐賀(佐賀、有田、伊万里、唐津)で買った伊万里焼の風鈴がいい音を立てている。佐賀城へ行ったときにたくさんの風鈴が飾られているのをみて一気に惹かれた。有田、伊万里でかわいい小皿を買うんだ、と意気込んで行ったのにまさか風鈴を買うとは自分たちでもびっくり。伊万里の青木陶房では「氷青磁」というとても綺麗な色の陶器に一目惚れ。誰もいない一軒家の入り口には「窯にいます」というようなことが書いてあって、お邪魔してどれもこれも素敵な作品をじっと眺めていたら青木さんが戻っていらした。色々と教えていただき、湯呑を買ってお土産にした。この正月に椿餅を買ってお茶に行ったら「これ使わせていただいてます」と愛用してくれていることがわかってよかった。実際に生活の場にあるとそれはなお素敵だった。
今年に入って早くも予定を間違った。あると思っていたものがなかったというだけで逆でなくてよかった。現地までいって気づくというのは結構なロスで自分におちこんだ。今年は本当に大変になることがわかっているけど毎年そう言っている気もするので一歩ずつだ一歩ずつ。一歩進んだらそんななん歩も戻らない。サボらない。いちいち止まらない。でも走らない。また怪我するよ。自分に対する注意事項が多すぎる。年賀状に「さぼらないこと!」とだけ書いてくれた指導教官はさすがだった。今は施設で暮らしておられる。1932年生まれ。当時、女性が東大に入り大学の先生になるのは大変だったと別の先生から聞いた。ご本人からそういう話を聞いたこともあったかもしれないがそれよりも海外にいくと一組ずつ買って集めているとみせてくれたご自宅のカップ&ソーサーたちの方が記憶に鮮明。お世話になった。お元気でいらしてほしい。
朝からお風呂でポカポカ。シャワーを使いながら今朝の夢の断片を急に思い出した。事実とは異なるが本質的にはそうともいえる、みたいな指摘をされた場面。文脈は忘れた。起きたときは鮮明だった場面も忘れた。覚えておこうとしたことは覚えている。小学生が悪態つくみたいな言い方での指摘、そこだけ思い出しても苦笑いするしかないが本質ってなんだよというつっこみも自分にいれておく。
寒い被災地に早くできるだけ手厚い支援がなされますように。
急に空が明るくなった気がした。ブラインドやカーテンの隙間から覗いている空はまだ暗い。目線をずらしたときに部屋の明かりが揺れて空の光と錯覚したのだろう。昨年からますます目が見えにくくなり世界の光を瞬時に捉えることができなくなったように感じる。視力にあった老眼鏡に作り直したが改善した気もしない。本を読むのも異様に疲れるのでそんなに読んでいない。専門書は難しくて同じ箇所を何度も読むことになるので目がよかったときとスピードはそんなに変わらないけど疲れる。今、私の左腕の向こうに積み上がっているのは『対象関係論の基礎 クライニアン・クラシックス』『転移分析』などなど。全て何度か目を通しているはずの本だが何度読んでも同じようなスピード。理解が深まれば深まるほど疑問も生じてくるからそうならざるを得ないのだろう。
私が所属する日本精神分析協会(JPS)は国際精神分析協(IPA)のthe Asia Pacific regionの一つだ。先日、Asia Pacificとはということでウィキペディアを見ていたのだがそんなに明確な区分がなされているわけではなさそう。環太平洋(パシフィック・リム)の方がすっきり。「パシフィック・リム」って映画があったけどみていない。菊地凛子が出ている映画。菊地凛子は今朝ドラにも出てるでしょう。数回見たけどつけまつげがすごく似合う。趣里の演技がすごく可愛らしくて切なくて単発でみても泣いてしまう。
ここまで書いて放置してしまった。何を書こうとしたのだったか・・・。まあよい。今日もがんばろう。
そうだ、と思い出したけど大したことではない。アジア太平洋とか環太平洋みたいな集合体としての地域概念は単に地理的な分類ではないのだろうけどIPAの場合はまだ地理的分類という感じがする。というのはこの分類自体新しいからそこが集合体としてどう機能する必要があるかの模索はこれからなのかもしれない、とか考え出すと終わりのない議論になりそうな論点ばかり見えてくるけど「違いこそ強み」と言えるかどうかだろうか。私はあまりそういうポジティブさはないなあ。違いは当たり前とは思うけど。違うもので集合体を作ったら当然そこに類似点と相違点を見出す動きが起きるだろうけどその分類には個人の欲望が見え隠れするわけでしょう。するとその個人とやらをどこまで広げておくかが重要になるわけで個人的には(ややこしや)自分の子供が大人になる頃(今は30代半ばくらい?)までの未来なら具体的に想像できるかもよ、と思っていて、曖昧に「子供たちのため」「未来のため」とかいうより、その辺までの未来をいろんなデータをもとにシミュレーションしつつ現在のあり方について考えるというのができることのひとつかなあとか思ったりしている。
2007年に三省堂から出た『世界言語のなかの日本語 日本語系統論の新たな地平』という本があって環太平洋という視野を持って言語の成立と変遷を眺めてみる試みがなされている。日本語の系統問題はそれまで正しいとされてきた学説が間違っていたとわかったことでどこにもいけなくなってしまったみたいなんだよね。今までそうだと思っていたものを間違っていたと認めるだけでも大変だろうし新たな視点を持ち込むことは至難の業だと思うけどこの本は環太平洋という視点を持ち込んだらこう考えられるのでは、ということを書いている。日本語の場合だったら「環日本海」という視野を維持しつつということでもある。何を考えるにしても狭めたり広げたり行ったり来たりして大変だよね。迷ってばかり。といっても自分が生きているうちに行けるところは具体的にも抽象的にも限られているわけだからとりあえず今日、とりあえず明日、でもやっぱり昨日も、とかウロウロしながらやるのも悪くないってことね、多分。
空がきれい。月がまだ高いところで光っている。今朝はあまりお腹がすかないな、と思ったばかりなのにこうして何かを始めるとすぐにお腹がすいた、となる。食欲で満たされるのはおなかだけじゃないけど持続時間が短いからなあ。おなかを満たしてくれるのは食欲だけだから必要ではあるけどこんなに食べるのが好きだと困るなあ。
そうそう、今ともだちの編みメーション作家のやたみほさんがいがきけいこさんと「アメチャウ国の王さまと恐竜」という2人展をやっている。行かねば。場所は神保町のこどもの本専門店ブックハウスカフェ。展示自体は小さいと思うけどかわいい実物を見られるだろうし(受注販売だそうです)靖国通り沿いにある大きな本屋さんで絵本もたくさんあるからカフェでゆっくりしながらお気に入りの一冊に浸るのもいいと思う。そういえば昨年は素敵な絵本とたくさん出会った。保育園で子どもたちにせがまれて読む絵本も「へー」と思うものもたくさんあったし、保育園では子供たちの読み方(読み聞かせているのは私だけど)が本当に面白いしかわいい。ただそれ以上に慌ただしいので絵本の名前をゆっくりチェックし直す時間もなくどんどん記憶から抜けていってしまう。カフェとか図書館とかで出会った絵本の名前も覚えていないから忙しさのせいでもないけど。「谷川俊太郎 絵本★百貨店」ではじめましてだったり再会したりした絵本たちも素晴らしかったな。展示も工夫が凝らされていて遊び尽くした。詩の世界はこんなに楽しいということを改めて教えてもらった。旅先で読んだ絵本はその土地のもの。松谷みよ子監修だった。松谷みよ子は海軍の施設で働いていたんだよね。戦争中に童話を書き始めた。私はどの作品もとても好き。保育園にも松谷みよ子の作品は大抵置いてある。私はやっぱり小さな頃に衝撃を受けた『モモちゃんとアカネちゃん』が一番かな。松谷みよ子は数年前に亡くなってしまったけど、私が同じく小さな頃から読み耽っていた谷川俊太郎はまだ生きている。私もこんな年齢なのにもっとずっと生きて詩を書き続けている。すごい。かなり上の世代の人とも谷川俊太郎の話で盛り上がったりできるくらいshared realityになっている。生きた移行対象。すごいことだ。
さてさて今日も色々。がんばりましょう。本当におなかの疲れが出てくる頃みたい。七草粥も優れもの。どうぞよい一日を。
追記:松谷みよ子さんのことを調べたら戦争体験を語ったNHKのアーカイブがあった。「狂い出さないためにいるためには〜」
昭和20年2月3日の出来事と新聞記事。松谷みよ子さんの証言。徳川夢声の日記。
寝坊でもないけどせっかく起きたのに電気膝掛けにぬくぬくして眠ってしまった。腰が痛い。今朝はお鍋の残りで雑炊。ポカポカ。少しの塩分でちょっと目が覚める。しかしまたもやぬくぬく、眠ってはいけない。二度寝の間に見た夢が割と鮮明、と思っている間にもどんどん忘れていく。まつやにのような、蜂蜜のようなあれは何だったか。旅の間もこの年齢であることを忘れてしまうくらい世話を焼いてもらった。おそらく精神分析家を志す時点で日常的な世話とは縁を切れなくなっているのだろう。だからこんなに長くこどもの臨床の現場にいる気がするし、結局自閉症を探求することになっている。ずっと大切な関わりの記憶だ。旅先で体験した世話はいまどき大きく語られる「ケア」とは全く異なるごく基本的で失われても内在化さえしていれば他の人にもごく普通に発揮できる小さくて大きな世話だった。コロナのときもピリピリしないでやれていた、その時期に移住してきた人も多いらしい、と聞いた。その島はたしかにウェルカムで少し先を考えて自然に動いてくれる人とたくさん出会った。夢の私はすでに今の私で場所は保育園だった気がする。たくさんの赤ちゃんが1歳、2歳、3歳、、と大きくなっていくのを見てきたがコロナで突然の転居、転園を余儀なくされた家もあり別の理由で突然会わなくなった子供もいた。もちろん理由は様々で大人にとって喜ばしいことでも子供の環境の変化を考えるとと迷う場合もあるし、せっかく得た機会だからとサッと行動する場合もある。生活に正解はないわけだから(あるという人もいるだろうけど)状況に迫られながら委ねながらやっていくしかないというのが現実的だろうか。今は高校バレーをやっていると聞いた。久しぶりにスポーツ観戦とかしたい。野球はわりと行っている方だけどアメフトとかバスケとか見たい。サッカーは寒くなくなったら行きたい。今日も色々あるだろう。被災地が落ち着いたら旅に行くことを決めてウェブサイトを見ている。地震の情報が載っていない珠洲市のサイトもあった。動かす余裕がないのだろう。このサイトが動き始めたら少しだけ余裕ができたと思ってもいいのだろうか、などと思いながら支援ができるだけ早く、できるだけ良い形で届くようにと願う。
上野は人がいっぱいいた。いろんな言葉を話す人とすれ違った。元日から羽田にも渋谷にも人は多かったけど久しぶりに混雑を見た気がした。子供たちが元気に走り回る姿もたくさん見かけた。広い場所って必要なんだなと改めて思う。3歳くらいの子が芸大の学生作なのか幽霊のような作品に「こわい」と言ったらしく手をつないでいた母親らしき人が「こわいっていうんだ。こんな小さくてもうこういうのに違和感感じるんだ」と驚いていた。そうやって驚ける人もすごいと思う。実際怖い作品だったがああいう作品を作れる人もすごいと思う。「幽霊」と名付けられた作品はそんなに怖くなかったがその後ぶらぶら入り込んだ谷中霊園で「ここで幽霊に会ったんでしょ」と言われた。そうだった。若い頃、散歩ばかりしていて一人で谷中霊園に入ったことがあった。多分迷いこんだのだと思う。そのときに突然学ランを着た人が現れて声を上げてしまったことがあった。あまりにびっくりしてその人がどこへ行ったのかも見送れなかった。向こうからしたら私を幽霊だと思ったかもしれない。今は周りに亡くなった人も増えて墓地もそんなに遠いものではなくなった。幽霊も人間と同義になってきた。身内といてふと同じ人を思い浮かべるとき、まだそこにいるのかなと思ったりする。悲しかったり悔しかったりするお別れが減ればいいなと思う。谷中霊園を抜け日暮里駅の脇を通り谷中銀座へ向かった。途中、日蓮宗のお寺で梅が咲いていた。どこかで蝋梅を見られるかもしれないとは思っていたがもう梅と会えた。寒緋桜も見ることができた。近所をぷらぷらして帰ってくるつもりがずいぶん遠くまで行ってしまった。お財布と携帯しか持っていなかったが特に不便もなかった。もう一月も四日が過ぎた。がんばらねば。被災地への支援が遅れていると聞く。できるだけ早くと願う。
明るくなってきた。
昨日の夜、『義母と娘のブルース』FINAL 2024年 謹賀新年スペシャルを見た。今回もたくさん笑ってたくさん泣いた。元日には羽田空港にいた。飛行機を降りて建物に入るとすれ違う人たちが地震の話をしており空港内のテレビに釘付けになっている人もいた。翌日は羽田空港自体が大変なことになった。前日にたまたま何事もなく帰宅できたがなんともいえない気持ちでニュースを眺めた。周りの安否を気にしつつも平穏に過ごした。こんな平穏も本当にたまたまなんだという気持ちを強くした。よく行く店の人が能登出身で帰省していたそうだ。4日から営業予定だったが帰れる目処が立たないという。ちょうど「4日からだな」と確認して帰宅したばかりだった。身内に夫を突然亡くした人がいるが高齢の彼女は大晦日の夜、具合が悪かったという。心配しながら聞いていると翌日自分の調子を慎重に見極め少し歩かないとと思い明治神宮まで出かけたというので驚いた。破魔矢を納めに行ったがお財布を忘れて今年のを買えなかったと笑った。何度も何度も「お父さん」という言葉が出てきた。旅先でナビに従っていると少し尻込みするような道に出た。道自体は悪くないが道幅が狭く、両側からススキやら何やらが道路側へ伸びている。とりあえず進んだ。対向車が来たら来たときに考えるしかないと進んだ。ナビが「まもなく目的地です」と言ってまもなく車は少しだけ開けた場所にでて対向車がきた。あちらもびっくりしたようだった。ナビは目的地といったが私たちが目指したのはそこではなかった。狭いスペースで慎重にUターンをして今きた道を戻った。行きと同じように枝葉がパシンパシン車にあたる音がした。目的地は行きに通り過ぎるときに一瞬ここかなとなった場所できれいに整備されていた。さっきの車の人がいた。心配して待っていてくれたらしい。ニコニコしているので車を降りて「ナビの通りに行ったつもりだったのだけど」と言ったらニコニコとあそこをあのまま行くと3キロほどで別の集落だと教えてくれた。直接的な心配や社交辞令的な言葉はなく小さな顔いっぱいの笑顔で何度か同じことを言いつつ色々教えてくれた。言葉があまり聞き取れないところもあったがしばらく話してお礼を言うと彼はトイレに向かった。地元の人ならではの慣れた感じだった。美しい海をみながら再び走り旧陸軍が作った弾薬庫へ向かった。男性がひとり案内板を見ていたが中へ入った様子はなかった。四角くくり抜かれた空間はひんやりしていてすぐに行き止まりになったようだった。暗くて先があるのかないのかもわからずただなんとなく怖かった。携帯の懐中電灯で照らすとそこは行き止まりの壁に見えた。明るい光がさす入り口に戻ると壁面に小さなスイッチがあった。押してみた。電気がついた。さっき行き止まりの壁だと思ったところにはもっと奥があった。右への通路も伸びていた。ここに弾薬庫があることは地元の人も知らなかったという。すでに何もないただの空間になっているのに壁も天井も通路もあまりに冷たく感じてざわざわした。優れた技術が用いられた弾薬庫だったそうだ。何に優れていたのだろう。優れているってなんだろう、と思った。車に乗り元来た道を戻ると細い道の正面に車が止まり何かを運び出していた。急いでくれているようだった。お正月の準備かな、と眺めていると車はバックして曲がり道をあけてくれた。通り過ぎるときにそっちを見るとさっきの人だ!あちらも驚いた顔をしてすぐにあの笑顔になった。お互いニコニコしながら会釈をして通り過ぎた。何かを届ける仕事の途中だったんだ。もう会うことはないのだろうけど私たちは彼のことをまた話題にするだろう。
今日は1月3日。寒い地方の被災地に少しでも早く多くの支援が届きますように。
早朝にブログを書いたと思ったら一言も書いていなかった。「一言も」ではないか。一文字も。寝転んだまま優しい人のことを考えていたんだ。私にとってはすごく具体的なその人のことを抽象的に書くとしたらどんなかなとそれを言葉にしたつもりだった。いつにまにか眠ってしまったらしい。幸福なことだ。地震のあった地域の方は眠れただろうか。地震が起きると私にとって全く優しくない人と一緒にいるときに地震が起きたことを思い出す。私はまた福島の方だったら辛いなと思って携帯をチェックした。その人にそう言ったら同意して地震で自分の抱えている仕事がなくなればいいのにといった。とても忙しくてしんどいようだったが「嫌われたくない」と公私混同で曖昧なことをやってたらそれは辛いだろう、と思った。その人は欲しいものが手に入らないとすぐ不機嫌になる人でよくわからない圧力もすごかった。自分では気づいていないようだった。知らない人がその人が持つ独特の圧力について書いていて同じように感じる人がいることに安心した。私はその後その人がひたすらしんどいと呟きながら快楽を追い求める方法を知った。そしてその圧力の意味も。一次過程優位の心は自分と自分みたいな人にしか優しくなれない。結局いろんな嘘をついていたしつき続けている。元日、みんなが集まっていてよかったと思う人もいればそれが苦痛な人もいるだろう。できるだけ普通の思いやりのなかで過ごしていてほしいと願う。
紅白を見ながら眠ってしまった。イビキをかいていた気がする。起きたら案の定上半身が痛い。数年ぶりにカヌーに乗った。広いところへでるのはいい。一緒のグループだった4人家族も最高だった。そのあとも滝を見にいったりしたが長らく会っていないのに会えば自然にあそびはじめる親戚みたいだった。ウトウトしてしまった。もう少し寝よう。
目を閉じたら下から上へ流れる水を思い出した。樹木のこと。水のこと。乾燥しない世界にはそれはそれで色々あるとのこと。部分的に利用する心性に崩される(だけではないだろうけど)生態系の行方はいかに。私たちの死もその一部。難しい現実をよく笑いよく食べて過ごしている不思議。ただそのまんまがいいとも限らない。いろんなルールが変わってきてるようでそうでもないこの世界。いろんなことがあるけど今日もいいことありますように。