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精神分析

安全な暴力

安全な場所から振るう暴力、について考えていた。らしい。今日も下書きの上書き。下書きを一気に消して、理論的なことも考えずに印象だけまた書いておく。下書きの上書きを繰り返して学会発表とかに備えて頭使っとこう。すぐぼんやりウトウトしてしまうから。特に最近の頭痛と眠気。全部お天気のせいかしら。

安全な場所から暴力を振るう人の典型として政治家がすぐに思い浮かぶかもしれない。私はSNSにおける言葉の暴力のことを考えていたような気がする。精神分析的心理療法のような生々しいコミュニケーションにおいて顕わになる攻撃性とは全く異質のものが蔓延するSNS空間。抜き差しならない緊張感のもとでは不可能であろう饒舌さと退行した言葉の使用を私は暴力的と感じたのだろう。投影先を広げればそれに対する反応も多様になると同時に単純な分断も招く。それぞれ見たいものを見て反射的に反応することが制限なくできてしまうのだから当たり前だ。

果たして最初に自分のなかで小さな声をあげたそれは本当にこんな形で公にされることを望んでいたのだろうか。知識や経験は武装のためにあるのだろうか。正しさの押しつけなど糞食らえだと思っていたのではなかったか。苦労して身につけてきた防衛手段は安心して徒党を組み相手を見下したり、相手に変化を促すためのものだったのだろうか。自分は自分の言葉を使っただけで周りが勝手についてきただけということもできるが、もしそうだとしたらひどく冷たい話だなと思う。「嫌なら♡をしなければいい」「そのときにそういってくれればよかった」というのも安全な場所からの暴力のひとつかもしれない。そこまで「正しい」ことを知っていて相手に賢くなることを公の場で求められるのに弱い立場の人が陥りがちな状況に対しては無知ですか、と反射的に言いたくなるが当然口をつぐむ。継続した話し合いの場が持てないところで投げるような言葉ではない。もちろん私もそれを暴力とした場合、加害者の位置にたつこともある。だから意識的でありたい。なので書いているのだろう、こうして。ただその場合もSNS状況と臨床状況は全く異質であるので同じ基準では全く考えない。そしてもし身近な男性との間で女性蔑視を感じたときに突然フロイトを責めたりもしない。その想いが、その言葉がどこで誰に対して生まれたものかを大切にしたい。それぞれの事情やそれぞれのあり方を平べったいスクリーンに羅列できるわけはない。言葉は本当にやっかいだ。SNSと臨床状況が大きく異なるのは言葉の使用であり、SNS上では想像力を駆使して相手の言葉を理解しようという契機がそもそも奪われている。投げられた言葉をカテゴリー化してゲームでまた敵がでてきたときみたいに自分もパターン化した言葉と態度で撃ち抜いたり殴ったりする。それではいつまでも「それはそのままあなた自身のことではありませんか」という応酬になりそうで不毛だ。お互い傷つけあうようなやりとりはしないほうがよくないか?「普通に」考えれば。

相手に対して言葉を選んでいく余地を持つこと、それは普通の思いやりだと思う。今日も現実の人と言葉を交わしたり黙ったりする。

穏やかな1日でありますように。

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浮遊

父と息子の物語として語られる精神分析、文学の世界を見ると現代は母と娘の物語の時代らしい。

私はなにかを誰かと誰かの物語にするのが好きではない。でも自分も「これは父と息子の物語であると同時に、母と息子との物語でもある」といったりする。いいながら「ふーん」と自分に冷めた目を向けなくもない。

誰かと誰かがいたら誰かがいたりいなかったりするだろうし、現在の精神分析が焦点をあてるとしたらこの「不在」のほうだろうし「出来事」のほうだろう。

私たちは親のない子供と出会うし、親になったその子供とも出会う。親と子供というカテゴリーは適切だろうか。

もうここにはいない誰かとの時間はそこにいたかもしれない誰かの時間でもあって物語れているようにみえたその人との出来事はたやすく別の出来事にとってかわられるようなものだった。

物語の数を増やすより出来事のなかにかき消された声を探す。意味ではなくまなざしを。固定するのではなく浮遊するがままに。 

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下書き上書き

パンチのある言葉で笑いをとってしまうと後悔する。別に笑わせたかったわけではないから。

とこれ、いつかの下書き。今となっては何があってそんなことを思ったのかはわからない。そして今私は何かを書こうと思ってここにきたのだが今度はそっちを忘れてしまった。まあいっか。

私の仕事は「とりあえず」を作り出すことだな、ということもいつかの下書きに書いた。すごくたまってるんだ、ここの下書き。でも多分何日か何十日かたったら自然に消える設定のはずだからこうして下書きを上書き。なにをやってるんだか。

でも毎日ってそういうものかもしれないよ、とも思う。想起と忘却。痕跡を触発するものが現れるまでそれは形をとらないかもしれない。とる必要がないのかもしれない。その場合の主語が誰だかはわからないけれど。

誰かを好きになった。失いたくないと思った。そんなとき私たちの言葉は変わる。たとえその気持ちを隠していたとしても気持ちの強さが言葉を揺らす。いつのまにか機械みたいになってパターン的に思考や言葉を生み出していた心が動く。

またか、めんどくさい、もう二度と、あんなことは、でも、もし、とありきたりの言葉の組合せが変わるわけではない。痕跡というのはもっと違う、傷のようなものだ。手術痕のように手当されたあとのものではなく、それよりずっと以前のもはやたどることのできない記憶の彼方の。

気持ちが言葉を求める。相手の応答を求める。正答ではなく。傷がいまさら治りたがっているわけでもなかろうに。もう二度と隠すことのできない傷になるかもしれないというのに。

なにをやってるんだか。

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公園へ行った

埼京線に乗って大きな公園へ行った。今月2回目の埼京線。この前遊びに行ったばかりの友人が住む駅を通り過ぎたのでLINEした。その友人も時々行く公園だそうで今度ちびさんを連れて一緒に行こう、などやりとりした。

土地勘がないのでどっち口のバス乗り場かもわからず駅員さんに聞いた。駅員さんに「多分東口だけど運転手さんに聞いて」と言われて少しおかしかった。運転手さんに聞けるくらいまで行ければ多分大丈夫、行き先はわかってるんだ。さて、教えてもらったほうの階段を降りるとスタバはあるのに妙に殺風景で目の前のバス停に気づくのに時間がかかった。それにしてもスタバはどこにでもあるな。うちの実家の方にはないけど、多分。

ぼんやりバスを待っているといつのまにか後ろに数人並んでいた。最後尾で友人がニコニコしていた。手を振って先頭から後ろへいくとすっかり大きくなった息子さんが恥ずかしそうにしていた。彼が保育園の頃、とてもたくさん遊んでとても楽しかったというと友人も「すっごくたくさん遊んでくれてすっごく楽しそうだったんだよ」と笑った。私たちはあの日、大きな声とさまざまな表情で遊ぶ彼に大層驚いたのだ。そんな姿は親にとってもはじめてだったという。だから多分お互いいまだ記憶が鮮明で声も少し大きめになった。彼もそれを覚えているかのように私たちの言葉に何度も頷きはにかむように微笑んだ。変わらない、この印象。いい子だ。

バスを降りたら目の前かと思ったらそこはただの道路だった(大抵の場合そうなのだろう・・)。川と緑を目指せばなんとかなるだろう、と適当なことを言っていたら若い彼が携帯をみながら案内してくれた。川岸へ軽やかに駆け登る彼についていき「もうすでに疲れた」と言いながらも湿った草花が広がるのどかな景色に嬉しくなった。登り切ると目の前が一気に広がり「あそこだ」とわかる場所があった。別の友達がすでに設営をはじめていた。もう何年ぶりだかわからないが、子供たちに挨拶するなかで大体予測をつけた。まだ赤ちゃんだった女の子。生まれたとはきいていたがはじめて会う子はすでに3歳、ということは、など。いちいち「もう!?」という言葉が口をついた。

若い頃から子育て支援のNPOで何かと活動を共にしてきた。夏には20年近く、地域の子供会や自閉症児親の会と協力して大きなキャンプを開催し続けてきた。私は障害のある子どもたちの担当として参加していた。それにしても、というくらいキャンプの知識は何も身についていない。タープやテントを立て、火を起こす。私がしたのはキャンプ用の椅子を広げることくらいだが、3歳児は慣れた様子でペグを打ち込もうとしていた。まだ力が足りないがすでに形ができている・・・。かっこいい・・。私には一生身につかないことを彼らは普通にやっていくのだな。頼もしい。これからも私は安泰だ。よろしくね。

今日は保育園巡回の仕事だ。大分減らしたがこの仕事ももう長い。赤ちゃんから卒園するまで本当に多くの子どもたちを観察し、保育士さんたちと話してきた。

彼らがどんな大人になるかは想像もできない。でも信頼はできる。彼らが大人になって、いかに自分が無視をされ蔑まれなんとか生き延びてきたかを言葉にならない声で主張しなくてもすむように、彼らに時間と場所を優先的に準備していくこと、自分に対してより少しだけ優先的に。きっと今日もそれを具体的にする方法について話すことになるだろう。

今日は暑くなるそう。どうぞお大事に。

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日記

知床の観光船、心配です。とっても寒いでしょうし。

知床には一度行きました。GWに。お願いしていたユースホステルのガイドさんがとてもよくて観光バスなどの渋滞にも巻き込まれず、知床の自然をゆったり満喫できました。スキーで移動する時期を強くお勧めされました。私はスキーは好きですが寒いのが本当に辛いので相槌をうつにとどめました。こんなのんきな思い出話ができるようにどうか無事でありますように。

今日は今年度最初のReading Freudでした。『フロイト全集4』に入っている『夢解釈』の第一章を途中まで読みました。1パラグラフずつ順番に音読し、区切りのいいところで私が解説を入れつつ議論しながら進めました。フロイトは膨大な先行研究をあっちとこっちに分けて後者の意見で自分の理論を基礎づけていく書き方だと思うのですがそれはいつもと変わらない気がしました。「いつも」とか書きましたが、私たちが昨年度読んでいたのは1905年の「あるヒステリー分析の断片」で、『夢解釈』の方が早いので「いつも」は変ですね。その頃すでにそうだった、と。

國分功一郎さんが動画で精神分析について話されているのをみました。問題意識がぶれないなあと思いました。が、しかし、転移の力をその恐ろしさを含め十分に理解していそうな國分さんにやや通俗的な説明をされてしまうのは複雑な気分になるな、毎回、と感じました。またお話できたら嬉しいなあ。

眠くてゴロゴロしていたら書類をかけませんでした。読書会は趣味なので楽しくできました。進捗もないが矛盾もない毎日、と一瞬思いましたが、矛盾がないなんてどの口が、って感じだな、と思いました。相手あることに対して葛藤を否認し自分だけ現状にのっぺりと馴染んでダラダラ過ごしているだけなのにそれを「矛盾なし」とはなにごとと。甘えと依存の問題はこういう一瞬一瞬の心持ちに現れるのかもしれません。愛すること、働くこととはよくいったものです。実際にフロイトがそう言ったかどうかはわからないそうですけれど。

とりあえず今はまともな姿勢で眠ることを心がけることにします。

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居場所

日記なる文学に興味を持って色々読んでいる最中、作家を主たる職業にしているわけではない方々の手作り日記を購入できるイベントへ行ってきた。外でのイベントは楽しい。日記の書き手とおしゃべりしながら数冊購入。この世界には本当にいろんな人がいて、いろんな仕事、いろんな恋愛、いろんな生活がある。なにかを体験するともついつもの感想だが本当に毎回驚くほどそう思う。

それにしてもだ。人はなぜ自分のこんなことあんなことを見知らぬ人に向けて語るのか。語りたいから語る、というのがシンプルな考え方のように思うけど、だとしたらなぜ語りたいの?私だってここでこうやって書いているわけだけどみなさんの日記にあるような個人的なあれこれを書きたい衝動にかられることはほぼない(ぶちまけたいことはたまにある)。

私はよくしゃべるほうだがそれよりももっと聞くほうだと思う。仕事がそうだからというだけでなく、私のしゃべりは私ひとりからは生まれない。日記を書いたり、小説を書いたり、俳句や川柳を作ったりする人たちはたぶん自分との対話がとてもとても上手なのだ。

自分のなかに知らない人物を作り上げて、その人物に性格や生命や物語を与えていく。誰もが目にしているはずの景色や仕草をさりげなく引き寄せその存在の確かさを知らせる。寝転んでも持っていられる言葉たちを反転し分解しポンと置いてたまたまそれを目にした人を驚かせる。自分のなかの言葉が豊かで見せ方も上手ということは見方も上手なのだろう。

彼らの中には自分以外の目も耳も色々ある。もともと備わっている。もちろんそれを発見して育てるのは他者である私たちにほかならない。これは運だな。うん。どっちの運がいいとか悪いとかの話では無論ない。

私はどうだろう。同じ曜日同じ時間に同じ人の話に耳を傾け様子を観察する。様々なことを考えてはいるが、うっすらと透明人間みたいに互いを侵食しあっているから「自由連想」とかいったところで互いに不自由、という事態にいる気がする。ところで透明人間になってずっと好きな人のそばにいられたとして、それって絶対自分の首をしめるというか苦しみって増えるよね、余談だけど。

患者さんが発する言葉はみんな違う。同じ言葉をしゃべっていてもまるで違う。きっと私といるときとそうでないときでも違う。伝えようとしても伝わらなかった、一生懸命言葉にしたのに無視された、ペラペラと喋れば喋るほどむなしくなった。

私がきく言葉たちはそういう言葉。公に向けた言葉ではない。

多分日記の書き手たちもそういう言葉をもっているだろう。伝わらない言葉、伝えようのない言葉、言葉なんて意味ないじゃないかとはねつけたくなるような言葉。

それでも公にむけて書くとしたらそれは患者さんが自分だけの場所を求めて私のところへくるように、彼らの言葉がそこを居場所として求めたからかもしれない。

私は読み手として、聞き手として彼らの居場所づくりをともにしているというわけだ。なるほど。「居場所」の話なんてこれまで数えきれないほどしているが、なんとなく書き始めた言葉から導き出されるそれはいつもとは少し違う気がした。

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大抵のことは

大抵のことはなんとかなるよ、大丈夫。とよくいう。テキトーと笑われたりしかめ面されたりする。

でも思う。

大抵のことは大抵の場合なんとかなる。なんとかしたいことがなにかにもよるけど。

と言い出すと「それ結局なんともなってなくない?」ってなるかもしれないけどこういうやりとりしてるだけでも相手の話きいて気持ち動かしてつっこみいれたりしてるわけですよ。

やりとりを誰かしらと続けるうちに時間は過ぎる。それに持ち堪えているうちに最初の問題は別の何かに変わってる。

この繰り返し。

だから大丈夫、とはいわない。でも時間の経過に身を委ねられた自分のことは信頼してもいいのでは?

いい悪いではなくて変化していくものとして今日も一日を(やり)過ごせますように。

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地震

地震、びっくりしました。気持ちも身体も大きな変化ありませんでしょうか。

何月であっても地震がくると11年前の3月11日を思い出します。あの日の地震は神田小川町で体験しました。その日は週一回の専門学校勤務の日でした。もう何階か忘れてしまったけれど高い階にあったカウンセリングルームからエレベーターで下に降りて職員室でみんなといるときに大きな揺れがきました。その日だったか、地震の後、カウンセリングルームのドアをはじめて開けたら、掛け時計が落ちてガラスが飛び散っていました。それまでに被災地の映像をみていたにも関わらず、私は誰もいないその階で鍵を開けドアを開いたときのその光景に最もリアルな衝撃を受けた気がします。

今思うと地震直後は混乱してぼーっとしていたのかもしれません。表面上はみなさんと会話をしたりしていました。大きな揺れの最中に繋がった携帯もすぐに繋がらなくなりました。東北にご実家がある先生もおられました。いつの間にか玄関先のテレビに皆が少しずつ集まりはじめました。その黒いものが海水であると知るまでに時間がかかり、それが一気に大地を覆っていく様子を見つめていました。その日はたしか東京ドームホテルで卒業式があり、懇親会中だったか、終えたあとだったのか、両側に立ち並ぶビルが音を立てて揺れるなか無事に戻っていらした先生方が涙ながらに話すのをみてようやく我に返ったような気がします。

交通機関の復旧も目処がたちそうもないため歩いて帰りました。いつもスニーカーなのにその日はなぜかぺったんことはいえパンプスを履いていました。そして寒かった。神保町に立ち並ぶ古本屋さんの前を人の波にのまれるようにゆっくりと歩くしかなくただ寒かったけれど、途中途中の居酒屋には電気がつき、楽しそうな人の姿が見えて安心しました。新宿駅が真っ暗に封鎖されているのをみたのははじめてでしたがぼんやりと横目でみて通り過ぎただけだった気がします。少しずつ人がばらけ、電話もつながりはじめました。その間にも東北では被害がどんどん広がっていたことは間違いありません。でもやっと家に着いたときの私にはそれを想う余裕はあまりなかったような気がします。

多分こういうことを前にも書きました。地震がくるたびについ書いてしまうのだと思います。

だから後悔しないように、とは思いません。だってそんなことできない、多分。喪失の可能性に対して何をどう準備したりすればいいのか私にはわかりません。ただいずれ喪失は起こる、なんらかの形で、お互いに。その現実を否認しないことも大切でしょう。でも実際の喪失を前にしたら起きてもないことに対する注意など、とも思うのです。

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3月10日夜

お菓子が食べたい、こんな近くにコンビニがあるのに買いに行かなくてえらい、寒くて出るのがめんどくさいだけだけど。まだ夜寒いよね。毎日暖かくなったら買いにいっちゃうのかな、そう考えるとこれまで寒い辛い動きたくないばかりいわれていた(私が言っていた)冬のえらいところってそこじゃないかな。制止機能。

寒さ>お菓子。冬、私の欲望を簡単に萎えさせる強力な存在。でも早く暖かくなってほしいな。というか、コンビニいかないのはすでにお菓子があるからでしょ、春限定ピノとかも買ってしまったじゃないか(アイスじゃないか、寒いとかいってるくせに)。

などどうでもいいことをつらつら考えているうちに時間は過ぎていく。それはそれでいい。冬のいいところを見つけたし。きっと昔はもっといいところを知ってた、冬の。でもちょっと待って。私の故郷はからっ風で前髪が凍ってしまうし、肌は粉吹きになってしまうし、本当に辛かった。あれ?せっかく見つけた冬の良さはどこへ?

制止機能、自分を止めてくれる存在。本当に大事。やり続けている行動って止められないからやり続けているわけで、それを助長してくれる存在の方に親しみも信頼も感じやすいかもしれないけど、依存とか中毒の問題になってくるとそうも言っていられない。難しいです、欲望の問題は。

自分のそれが膨れあがって相手の心配も制止も振り切って暴走して気持ちよくしてくれる相手で隙間を埋めることばかり上手になってその先が虚空と知りながら痛みや恐れを別のものに変えて露悪的に振る舞って時折かすめる罪悪感や恥ずかしさもごまかすように外へ外へと向かってく、それはとっても仕方がない。

「でも」と言われるのはわかってる。私たちは一人では生きていけない、っていうんでしょ。「というか生きてないでしょ、実際」と誰かに言い返される。

最初は好きなだけだった。一方は我慢せず、一方は我慢して、そんな関係も楽しかった。大好きと言ったり言われたりすればなんとかなった。でも少しずつ言い訳が増えていくのも感じてた。そしてそして、と涙が増える。心が突然音を立てた。動けなくなってようやく少し気づき始める。このままでは、と。

辛い。いろんな生き方があるのは間違いない。全ての症状が時折救いになっていることも間違いない、かもしれない。

私たちは誰を満たしたくて誰を救いたいのだろう。そんなできもしないことをなぜ試みるのだろう。自分で実験済みなのに。自分にさえしてあげられないのに。いつも身近な人を泣かせて、苦しませて、傷つけて知らない人と出会っていく。いつか、どこかに、あの人となら、そんなことをいつまで続けるのだろう。何にだって意味はある。そうね、それもそうかもしれない。

「でもね」となる。いつだって「でもね」がつく。うるさく感じるでしょう。実際正解などないでしょう、おそらく。

「でもね」と何度も言われ、何度も跳ね返してきた私だって思う。「でもね」と。いずれ戻る場所はそのうちできていくかもしれない、一度は何もかもなくなったその土地に戻る人がいるように。例えば雨が強くて、例えば人身事故で、例えばウィルスで、うん、止めるのは人だけじゃない。できたら意図せず生じるなにかが、なにかを奪う形ではなく、時間と居場所を準備してあなたや私をひとりにしてくれますように。少しずつ孤独を知って、少しずつ素直に触れ合えますように。いつも最後は祈るように。できることがなくてもできることだから。

明日は3月11日。

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SNS雑感

「神経症は倒錯の陰画である」といったのはフロイトだ。

現代は倒錯を空想においてのみ許すような時代ではなくなった。これまでひそやかな空間でおこなれていた主に性的なひそひそ話は単純な画像と揶揄か自嘲かわからないような短いコメントとともにSNSを流れ、これまた見たくない人にも見える形でコメントやイイネ!がつくようになった。

もちろんそれがすべてどうというわけではない。

ただ、それらの表現が時間をかけて「すべきでなかったこと」「二度とみたくないもの」あるいは「暴力を振るわれたような体験」に代わっていく可能性に対する想像力が乏しすぎるのではないか、と思うことはしばしばある。

そしてそこに一往復だとしても相互作用がある場合、それがいくら条件反射的ですぐ忘れられる類のものであれ、いやむしろそれが条件反射であればあるほど自分が「モノ」として消費されたように感じる人もいるのだ、ということに対する注意力がなさすぎではないか、と感じたりもする。

SNSは表現のプロの場所ではない。誰もが参加している日常生活の延長だ。

私が仕事柄、そのような双方の傷つきに多く触れているせいでそんなことが気になるのだろう、という人もいるかもしれない。それはそうかもしれない。だとしてもそれは「そんなこと」では全くない。

精神分析でいう分裂と否認という防衛機制によってSNS内個人も集団も守られてはいる。でも私たちは画像や書き言葉といった平面を生きているわけでも、そこで年をとっていくわけでもない。分裂や否認という防衛機制は自己を一時的に守っても基本は崩壊を防ぐためであり、ぎりぎりを保ちながら生活をする不安定さを積極的に求める人はそう多くないだろう。

条件反射的な賞賛や批判で膨れたり崩れたりしていく自分を支えるためにさらにみえない他者の評価を気にするような循環にあまりいいことがあるとは思えない。

が、私たちは繰り返す。自己や二者、三者という小さな集団に戻ってアンビバレンスを自分として体験し苦しみたくなどないから。だから自分と他者の境界をあいまいにする努力をしながら「傷つけたのは自分じゃない」と自分にも相手にも言い訳するようにいつも少し刀を外にむけながら毎日を過ごしている。気まずさや後ろめたさがそこに生じているなら未来はまだ明るいかもしれない。あるいはまず身近な人と、と思えるならまだそこはやり直せる場所かもしれない。

私たち専門家は、たとえばSNSで心身を病んでしまった人たちにそこから離れることを勧めるだろう。あるいは限定するだろう。行動の結果に責任をもてないなら体験を減らしたほうが負担も減る。

ひっそりと、どこにもださない自分をもつ重要性。秘め事としての性。それを言葉少なに謳歌する人間の部分。このSNS時代にこそその価値は強調されてもよいのではないだろうか。

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俳句

菜の花と雛

二度寝して少し汗ばんで起きる。すでに起き出していた身体とすでに暖まっていた部屋が少し春を行き過ぎた。暖房を消してあれこれして机に戻ると足元が寒い。外はすっかり明るい。少し前に「日脚伸ぶ」とキャプションをつけて夕日の写真を投稿した。もはやわざわざ日が長くなったと言わずとも朝も夕もそれが当たり前になってきた。過ぎていく季節を感じながらまだ済ませていない確定申告が頭をよぎる。毎日空をみあげ、花を愛で、鳥を追いかけながら暮らしたい、とかいっていられない。世知辛し。

辛子ってさ、と辞書を引いてみた。やっぱり形容詞「から(辛)し」の終止形からきてるんだ。「カラシナの種子を粉にした香辛料。黄色で辛く、水で練って用いる。またカラシナの別名。」とある。辛子は最初から練ってあるチューブのを使っている。おでんの時期ももう終わり。この冬はおでんもお鍋も数えるほどしか食べなかった。この後辛子の出番は?ああ、ひな祭りか。菜の花の辛子あえ。スーパーできっちり切り揃えられた菜の花が白い薄い紙でくるんとまとめ置かれているのはなかなかの存在感で、その緑を茹でてさらに鮮やかに、そして黄色いお花の代わりに辛子を置く、というか菜の花のおひたしに辛子を使うのってそこからのアイディア?など連想が浮かぶが、兎にも角にも春はこれから濃くなっていくはじまりの色を楽しむ季節。

目を入るるとき痛からん雛の顔

長谷川櫂 『天球』1992

When the eyes are put in

how it must hurtー

the doll’s face

こちらは英訳。「澤」主宰、小澤實さんの『名句の所以』の英訳版で読むことができた。

Well-Versed

Exploring Modern Japanese Haiku

Ozawa Minoru
Translated by Janine Beichman
Photography by Maeda Shinzō & Akira

今日も海の向こうでは色を失うばかりの戦いが続いているところがある。雛に痛みを見出すようなこころが「贅沢」なんかにならないことを願う。

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読書

神田桂一『台湾対抗文化紀行』を読んだ。

台湾対抗文化紀行』神田桂一 著、2021年、晶文社

まず目に留まるのは黄色くておっきい帯。表紙の三分の二。つい黄色くてといってしまったが下の三分の一は黄色くなかった。鮮やかな写真。おいしそう。楽しそう。向かって左の方の眼鏡もおしゃれ。台湾はいいよね!撮影は川島小鳥さん。大好き。文中にはご本人も登場。

そしてそのデカ帯を外すとなんとまたレトロでおしゃれな装丁。そのままブックカバーとかファイルとかジップロックみたいな袋にして売り出してほしい。相馬章宏さん(コンコルド)のお仕事。とても素敵。

さらにこれも外してみます。おー。台湾の国旗の色でしょうか。鮮やかな赤というか朱色?台湾はその穏やかなイメージの背後にアイデンティティの問題を抱えているのですよね、そういえば、となります。

ごちゃごちゃ感とすっきり感、レトロとモダン、まさにカルチャーとは、そして人の集まる場所というのは雑多。多様とかいうよりしっくりくる気がする。ただ、この感触も第七章において少し再考を迫られる(お楽しみに)。

普段、学術書を読むことが多いのでこういう本の読書はほんとに贅沢!だけど学術書よりずっと安い。もちろん台湾にいくよりも。台湾料理を台湾ビールと一緒にいただくくらいのお値段。1700円+税なり。

台湾には一度行ったことがある。もう何年になるだろう。ガイドブックにあるような観光地をまわっただけだがとにかくよく歩いた。普段から住んでいる人のように歩いた。コンビニにいき、袋がいるかどうか聞かれた時だけ「不要」と台湾語を使った。郵便局でちびまるこちゃんの切手(だったか)を買い、若者の街ではB級グルメ(なのか)の買い方がわからない私に列の少し離れたところに並んでいた若い女性が身振り手振りで教えてくれたり。タピオカミルクティーは私には甘すぎたが、言葉の通じないお店の人とのやりとりは楽しかった。バスの運転手さんは上手なウインクで送り出してくれた。夜市は暗くて(当たり前だ)雑多で楽しかった。

この『台湾対抗文化紀行』はとてもパーソナルなもので私のような台湾の観光地にとりあえずいってみよう、という人向けではない。著者もいまやたくさんある紀行文に載っているようなことはそちらで、と書いている。私は対抗文化、カウンターカルチャーというものをよくわかっていないが、それも特に問題ない。いい感じに力の抜けた著者に同一化し、その好奇心と、出会い任せの動きになんとなくついていくだけでただの観光客には知りえない場所へ連れて行ってもらえる。どちらかというと取材に同行させていただく感じだろうか。

音楽と政治の関係もライブハウスで語られるようにナチュラルに聞き取られる。日本には友好的で親しみやすい台湾も政治的には難しい立ち位置にある。思えばとても政治的なものである(だった)音楽にもそれは影響しているという。

著者が台湾アイデンティティなるものがあるならそれを明らかにと友人のdodoさんから話をきく第三章は、朴沙羅さんの『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房)を思い出した。もちろんここではアイデンティティについて聞くという明確な目的があるので個人史を聞くのとはまるで違うが、人に歴史あり、というか人は歴史から逃れられない。

「台湾の自由は、抑圧あっての自由なのよ」とdodoさん。著者ならずともドキッとする。著者の様々な語りを聞きたい気持ちは止まらず別の友達はこう応えた。

「現状維持というのは選択肢としてはないなと思った」「台湾人は生活に対するすべてのものが政治だから。」

日本の自分のアイデンティティが自ずと照らし返される。

台湾、といっても私は台北しか行ったことがないので台湾の街という「生態系」について聞き取りがされている章(四章)も興味深かった。ずっと変わらないでいて、なんていう言葉はしっくり来ないであろう街、台湾。台湾の<下北沢世代>という本屋さんにも行ってみたい。そして『秋刀魚』を「ああ、これがあの」と実際に手に取りたい。「台湾人から観た日本」(中国人側からも)、「日本人から観た台湾」、著者は複数の視点の中でぶれない台湾人を発見しつつより本質をと知りたがる。著者は割とすぐに眠くなってしまうらしく、待ち合わせに遅れた友人を待っている間に自分が眠ってしまったりする、カフェで。真面目に偶然か必然かと自らの行為を夢想する姿もゆるくてちょうどいい。

メインカルチャーありきのカウンターカルチャー、メインとマイナーの有機的なぶつかり合いは境界の曖昧な日本のカルチャー内部ではもはや起きづらいとしても日本と台湾との行き来においては可能かもしれない、それが著者にとっての台湾の魅力なのかもしれない。

第七章、著者の中国語の先生も務めた田中佑典さんの語りが興味深い。

「日本は「衣食住」に対して台湾は「衣食住と”行”」があるんです。」

移動、交通とは「変化」の意味、と田中さんはいう。

「まず何か口から出まかせでやって」という始まり方が「アジア的」というならそれはとっても魅力的。日本だってアジアなはず。

それにしても各章最後の著者雑感は切実なはずの相互理解への希望が素朴に、しかもやはりどこか眠そうに綴られていて心地よい。

「あとがきにかえて」は「就職しないで生きるには」である。私は題名が気になってしまって最初に読んでしまったが、最初から読めばなるほどである。そしてこれからはモラトリアム期間は<waiting room>って呼びましょうか、という気にもなった。

パラレルワールドで体験した自由、みなさんもその追体験を美味しいアジアンスイーツとともに。週末贅沢読書のススメ、のつもり。

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こみあげてきたもの

仕事の合間に近くの本を開く。ひとことめで涙がこみあげてきた。「父が死んだ」、というようなことが書いてあった。

朝から胃がいたい。ここは胃ではないか?「おなかがいたい」、断続的とはいえ人生でもっとも長く感じている不調なのではないだろうか。ここ数年はひどい頭痛もしょっちゅうだが、どちらも大きな病気ではないのはありがたいことだ。

どうしてさっき一気にこみあげてくるものがあったのだろう。さっきはわからなかった。でも今こうして書いていると「そりゃそうか」というようなことに思い当たった。

好きな人のことを思ってはそう考えてしまう自分にいらだち、でも相手のせいにしたくてその理由を探せてしまうのも苦しくてつらくてしかたなくなってしまうということは多くの人が経験しているだろう。色々空想しては泣きたくなったり怒りたくなったりしている。でもこれをそのままぶちまけてしまったら嫌われてしまうかもしれない、面倒がられてしまうかもしれない、でも伝えないでがまんして維持する関係なんてお互いを想っていないということではないか。あなたと会わない間に私がこんなに想っていてもあなたはなにもしらない。いや、当たり前だ、言ってないのだから。でも、なのに、あなたは?あなたのこころのなかに私はいる?あなたは私じゃなくてもだれかしらに想われていればそれで保てるかもしれない、でも私は違う、こんなこといったら子供だって思われるのか、こういう気持ちを想像さえしないで楽しそうにふるまって仕事だって成果をあげているあなたみたいな人を大人というの?

など。


なにも起きていないのにその人の言動すべて、そこから空想されるすべてに心と体が支配されてしまう。とする。しかし、突然突き刺してくるような痛みやこみあげてくる悲しみはそのような文脈とはまったく別のものだったりしないだろうか。

あのときだって、あのときだって、と次々思い出される出来事はもはや目の前の人とは異なる人とのものだったりしないだろうか。

私たちは目の前の人にとらわれているようでいてそうでもない。突如襲ってくるソレの出どころはそこではなかったりする。もちろん気持ちが強く鋭く向かうのは目の前の相手だから、そんなことを考える余裕はないかもしれない。精神分析が「過去にさかのぼって原因を求めてる」という誤解をされっぱなしなのもこのあたりのことと関係があるのだろう。

精神分析は「転移」を主戦場とする。戦争の比喩が多いから私も真似しておく。争ってばかりの神話も実際の戦争も精神分析という文化の中心をなす。精神分析は転移という現象によって、過去は今ここの出来事として現れると考える。この時点でさかのぼっていもいないし原因も求めていない。ただそういう出来事が生じるといっている。

転移状況では、治療者には知る由もない彼らの昔からのこころの優勢な部分が治療者を使って立ち上がってくる。治療者の口調や態度、言葉、すべてが契機となり、彼らが守りたい、あるいは変えていきたい彼ら自身のこころの部分を様々な形で刺激する。それが侵襲と受け取られるときもあれば支えとして受け取られるときもある。治療者は、というより、その思考や存在は、少しずつ彼らの時間と心の空間に入り込み重なり合っていく。彼らはそれがなぜこんなに気になるかわからない。痛みや不快さ、でもそれだけでない感覚や気持ちにもやもやする。治療者も患者のこうした揺れを感じ取るがなにが起きているのかわからない。ただこれを転移と知っている。ただ聞き、見えないものをとらえるべく観察し、こころを揺らし、言葉を探す。わけのわからない気持ちがでてくると、たいていの言葉はしっくりこないものとして体験される。それまで治療者に理解されてきたと感じていたものも本当は自分はそんなこと考えていなかった、先生がそういうからそうなのかなと思っただけだ、というかもしれない。

治療者がそれまでとは別の、多くの場合、ネガティブな情緒を引き起こす対象になりはじめる。こんなはずじゃなかった。こんなつもりじゃなかった。どうして自分だけ、なんで私じゃない人ばかり、自分でもどこかでわかっている理不尽な感情が蠢きだしてそれまでは受け入れられていた言葉をはねつけたり追い出したりしはじめる。精神分析プロセスでは必然的に生じる現象だろう。

どうしてわかってくれないのか、どうして伝わらないのか、自分はこんなに一生懸命伝えようとしているのに、こんなに苦しんでいるのに。わかってる。コミュニケーションには齟齬が生じる。人が違うのだから。育ってきた環境が違うのだから。使ってきた言葉が違うのだから。それだって専門家ならわかるでしょう、そういいたくなるときだってある。でも専門家は、少なくとも私は、彼らのそんな気持ちを正確に写し取る魔法はもっていない。というかそれは魔法だと感じてしまう。ただ、私たちの今のこの状態と似たことをあなたはすでに体験してきたのではないか、私のような人に対して、似たような場面で、だったら教えてほしい、気持ちを、言葉で、それが正しいかどうか、他人と比べてどうかななんて関係ない。時間はかかる。でも長い時間をかけてこうなってきたのだから、今と過去が重なり合うこの場所で、あなたが当時気づくことができなかった、言葉にすることなどあまりに遠かったその気持ちを少しずつ共有してほしい、未来というものを想定するのであれば。精神分析がしているのは多分そういう作業だ。

突然こみあげてきたアレ、さっきよりは少しわかる。私は誰かが死ぬということをものすごく具体的に思い浮かべた。時間が突然止まる。もう思い出は作れない。その人抜きのものしか、いや、その人を思い出しながらの思い出なら。「父が死んだ」。作者が衝撃をうけたのか、深い悲しみに打ちひしがれているのか、ようやくという気持ちなのか、それは全くわからない。いや、この本に関しては書いてあるので知っている。淡々と綴られる在りし日の父のこと、その父はもういない。その事実だけが先行し前景をなしているような書き方だった。

まだ胃が痛い、ここは胃じゃないのか、こんな短時間でまた同じ間違いをした。突然こみあげてきたアレは夢を突然中断するようなアレだった気もする。こうしている今も現実だが、それよりもずっと強度の強い、瞬間的な。

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読書

斎藤環著『コロナ・アンビバレンスの憂鬱 ー健やかにひきこもるために』を読んだ。

コロナ禍によって依頼ではなく自発的に書くようになったという斉藤環先生の文章を集めた単行本。斎藤環著『コロナ・アンビバレンスの憂鬱 ー健やかにひきこもるために』2021年、晶文社。これらは主にブログサービスnote、つまりウェブ上で発表されたものだという。という、というか私も読んでいた。いくつかかなり話題になった文章もあり流れてきたものは読んでいた。

著者がいうようにnoteはどんどん書けてしまう場所だった。私はやめてしまったけど。運営の問題とか見聞きしていたせい。詳細がわからないので積極的に何かを言うほどでもないが、共謀することになってしまうのは嫌だな、という消極的な姿勢から。コロナ禍における「自粛警察」のこともこの本に書いてあるけど、ああいうのも迎合と共謀という感じがする。自分からいつのまにかなにかにまきこまれにいってた、なんてことは嫌だな、私は。途中で引き返すにももう色々コントロールが効かなくなってたりするかもしれないし、言い訳してその場にい続けることしか考えられなくなってしまうかもしれないし、適切に振舞える自信がない。だから違和感を持ったならとりあえずその違和感のほうに合わせた行動をとったほうがこれまでの経験から失敗が少ないように思う。具体的には、地道に情報を集めたり、自分で納得できていないのにすぐに動いたりしないように気を付けるとか。事柄にもよるけど。

何はともあれ紙媒体はいいですね。気ままに指や目を止めることができる。抑制がきく。

普段は医師として「当事者」と協力する著者だってコロナ禍では当事者だった。誰もそこから逃れられた人なんていない。実感を伴う第三者的ではない文章は共感を呼ぶ。一方、そこから哲学的な思索や議論が発展しなかったことは著者には不満として残ったらしい。しかし、わけのわからない事態に対して一定の方向性を持った言葉を与え、思考を巡らせるのはあまり早急ではない方が、とも思う。ここでも私は消極的なのかもしれない。なんだこれは、わけがわからないぞ、という混乱の中で狂わないこと、とりあえずそこにとどまるために今までの言葉で思考すること、まずはそれが安全、肝要な気がする。もちろん著者も何か新しい発見や変化をこの状況に見出そうとしているわけではない。むしろ著者が注目したのは私たちが普段当たり前なものとして、考えるどころか問題として取りあげたこともない事柄だった。ずっとそこにあったはずなのに可視化されていなかった事柄。

わたしたちは混乱すると躁的になったり退行したりしてそれぞれ様々な仕方で変化に対応しようとする。不安なのだ、とにかく。著者は医師なので診療の形式など実践面で何をいかに変更するのかしないのか、ということも考えざるをえなかった。私もそうだが、お互いが当事者である状況でどのように治療を続けていくのかについて考えるために必要なのはまずは正確な情報だ。しかしこれが今回はいまだに難しい状況にある。新型であり変異もする。なんという無力。とはいえ、人間にとってはそのような対象の方がずっと多いわけで、私たちにできることはごくわずかであることもみんなどこかではわかっている。今回の事態は特にそれを強く認識させた。この本は実践もかかれており実用的(198頁からの「穏やかにひきこもるために」など)だ。

一方で私は、「生き延びようね」という言葉が冗談ではなく交わされ、それが力をもったことも忘れないでおきたいと思った。私たちは無力だが、でもできるなら、とお互いに対して願うこと、それはどんな状態でもできると知った。

この本の内容にもっと触れたいけれど、あまりに多岐にわたるテーマをせっかく寄せ集めてもらったこと自体が貴重。ということで「まあ、読んでみて」となる。まず目次

どんな本だって「読むべき」とは思わないが、「社会的ひきこもり」に対する世間の理解を大きく変えた著者の思考が助けにならないはずはない。私たちはこんな形で突然生じたできるだけひきこもってという要請に対してどうしたらいいかわからなかった。

また、コロナがそのあり方を変えつつも、私たちが当初より混乱せずに事態に対応できているように見えたとしてもこの本で取り上げられていることはアクチュアルな話題であり、こう可視化されたからにはコロナを抜きにしてもアクチュアルであり続けるだろう。きっと可視化を待っている問題はまだまだある。でもわたしたちは危機と出会うまでそれとも出会うことはできない。だからいまだに続く不安と不自由に慣れることなく、不安だ、不自由だ、と感じ続け、根源的な問いを対話において考え続けると同時に、実用的な方法を身につけていくことは、著者がいうように「未来予測」にはなり得なくとも、マニック、あるいは万能的に傷つけ合うのではなく、地道に支え合う手立てとなってくれるだろう。

著者は、一対一の対面でも、オンラインのイベントでも、不特定多数に向けたメディアでも、変わりゆく情報に対応しつつ、幅広い話題や出来事において、特に差別や偏見が生じる場所に素早く言及することで、私たちがそれを思考することを促す。引用されるエッセイ、文学、アニメ、ニュースなども多岐にわたり、興味のある領域からはいればいつのまにか別の領域へいっていたという学び方もできる。

私が一臨床家としてこれらのことを考え続け、実際に手立てを練るなかで感じていたのは、事態に対応するときはそれまで変化しなかったことで守られてきたもの、可視化されなかったものに対する目配せも欠かせないということである。想いや願いが相手との関係に置かれるとき、それは大小問わず変化への誘因となる。だからたとえ不可避であったとしても、それが孕む暴力性を意識したい。それは臨床家としての私のこの2年間の実感でもあったし、それまでの実感がさらに強まったものでもあったように思う。

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読書

『読書会の教室ー本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』を読んだ。

バタバタとした毎日、隙間時間に本を読む。ここの下書きにも何冊分かの感想が断片のまま放っておかれている。

長い間、専門書の講読会には参加してきた。先生方から教えていただいたことをたよりに今や自分でフロイトとウィニコットの読書会を主催するようになった。もうそういう年齢だ。

本は一人で読むのもみんなで読むのも黙読も音読もそれぞれに楽しくて好きだ。昨年は京大の坂田さんや専修大の澤さん、昔からの臨床仲間、さらにそのお仲間と一緒に吉川さんの『理不尽な進化』の読書会や短期力動療法の読書会(ロールプレイ)もした。

「読書会」というものを定義づけようとしたこともない。そこに一定の方法があるのかどうかも知らない。それでも特に困っていなかった。

ところが2021年12月に晶文社から『読書会の教室ー本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』という本がでた。著者の竹田信弥さんと田中佳祐さんはすでに『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)という本をだされていて素敵なWebサイトでその内容を知ることもできた。「街灯りとしての本屋」、美しい修飾。

もうすぐ2年か、緊急事態宣言がでたとき、私のオフィス近くのビルは数段暗くなった。昼間というのに人気のない薄暗い通路を抜け、エスカレーターを上るといつも通り明るい場所があった。それが本屋だった。新宿の高層ビルでさえこういう体験をする。街灯りとして、といわれればこれまで目をとめ足を止めてきた様々な街の本屋さんがほの暗い私の記憶に浮かび上がってくる。

読書会は二人からはじめられる、とこの本にも書いてあった。確かにここ数年、本当にたくさんの読書会情報と出会うようになった。いい機会だ。私ももう主催する立場なのだから自分がしていることがどんなものかくらい知っておかねば、と思ったわけでもないが、見知らぬ人々さえ集うその場所で何が行われているかを知るにはちょうどよさそうな本だった。しかも装幀が気が利いている。まじめ好きなあなたにもかわいい好きのあなたにもしっくりくる2パターンをカバーの取り外しだけで体験できる。

さらにこの本は昨年末出版とあって、コロナ禍においてオンライン読書会の経験も積み重ねてこられた著者たち、そして彼らがインタビューをしておられる読書会やイベントを主催する側のみなさんの具体的なお話をうかがえるのも実用的だ。

目次をみれば、読書会初心者にもこれから読書会を主催してみたい人にもやさしい本であることがすぐわかる。はじめての遠足のように読書会も楽しもうというわけだ(たぶん)。

先述した主催者側として登場するのは、読書会に関心のある方ならSNS上でもおなじみの猫町倶楽部の山本多津也さん、京都出町柳のコミュニティスペースGACCOHで活動するみなさん、そして八戸ブックセンターの方々である。私が注目したのは三つ目、青森県の市営の書店である八戸ブックセンターの活動である。

幸運なことに本屋に恵まれた新宿で仕事をしている私でも、時折思い出すのは子供時代に通った本屋だ。地方出身かつ全国を旅してきた身として地方の本屋の魅力もそれなりに知っているつもりである。子供のころから本屋さんにはお世話になってきた。旅先でも必ず立ち寄る。活字がどんどん電子化されていくであろうこれからも私たちの居場所としていつまでもそこにあってほしい。そんな本屋さんはたくさんある。

八戸ブックセンターにはまだ行ったことがないが、市営の書店がみんなの居場所として様々な工夫をこらしている様子は明るい未来を覗き込むようで眩しい。地域の本屋さんも運営に携わってくれているという。公共と民間の架け橋としての強みを活用していく、という話は確かにとてもいい話だ。

お金もなく居場所もないが時間はある、書店がある、本がある、そこが居場所になっていく、書店にはそういう体験のための幾重もの空間が潜在している。まして八戸といえば、というか青森には寺山修司がいる。

「書を捨てよ町へ出よう」

声に出さずにつぶやいて本をそっと棚に戻し書店をでたい。

さてここは西新宿、手元にあるのは『読書会の教室』。主催者インタビューのあとには「紙上の読書会」も開催されている。この本にあるように読書会には様々な形があるとはいえ、その実際をのぞかせてもらえると読書会初心者としては安心感が増す。

本自体にもそういう機能がある。人と直接向かい合うのではなく、その間に本が置かれるとき、その本はライナスの毛布となってくれるのだ。人と人をつなぐ、現在と過去をつなぐ、世界と異界をつなぐ、移行対象としての本、移行現象としての読書、その共有としての読書会、そういえば私の分野の人にはわかりやすいかもしれない(そんなことないかもしれない)。

この本の最後では本読みのプロたちの対話をきくことができる。登場するのは本と読書の楽しみを伝える名人でもあるのでもう聞いてるだけで満足、と思うかもしれないが、この本は読者を読書会の主催者側に誘う本でもある。憧れをこえて「読書会しよー」と誰かを誘ってみたくなったらこの「教室」での学びはさらに確かなものになるかもしれない。読者に優しい本なのでまずはこの本を使って誰かとやってみてもいいかもしれない。二人でも読書会。その懐は深い。

そして著者のおふたりの丁寧なお仕事ぶりは目次や語り口だけでなく付録にも現れている。巻末の「必携・読書会ノート──コピーして活用しよう」はまだどうしていいかわからない私たち初心者の最初の一歩を助けてくれそうだ。

本の話は楽しい。安心してそれができる場所があればもっと楽しい。相手のなにを知らずとも自然と伝えたくなるそれ、それを伝えることでおのずと発見されるそれ、どれもこれもその場その場で零れ落ちていくものだとしてもそれはそれ。

いずれどこかの読書会で。

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読書

『日本の戦死塚 増補版 首塚・胴塚・千人塚』室井康成著を読んだ。

日本の戦死塚 増補版 首塚・胴塚・千人塚室井康成著を読んだ。これは2015年に刊行された『首塚・胴塚・千人塚 : 日本人は敗者とどう向きあってきたのか 』の増補・改訂版ということで、今回はありがたいことに文庫、といっても私が入手したのはkindle版なので528頁もあるというその厚み、重みを私は感じられていない。実際が何ページであっても常に平面にしか感じられないのがKindleの残念なところだ。だけど内容はずしんと響いた。

「敗者」という単語は文庫版の書名からは消えてしまったが、文庫版ウェブサイトの紹介文にあるように、本書は、”「敗者」の声なき声を記憶にとどめようとする日本人の心意が刻みこまれている” 戦死塚の伝承を誰もが知る歴史的な戦争を素材に時代順に紹介し、戦死者、特に「敗者」がどのような霊的処遇のもと記憶化されてきたのかを示し考察を加えた本である。

著者の「趣味」によって見いだされた戦死塚が柳田国男を祖とする日本の民俗学の膨大な資料のもと検討しなおされ、大河ドラマ以外の歴史(それすら怪しい)をよく知らない私のような読者にもその厚みに関わらず一気に読めてしまう書物として編まれたことに驚くしありがたい。

この本は、まず読み物として面白い。もちろん扱われているのは戦いであり、死、それも戦死、自決、処刑であり、その結果としての首塚であったりする。しかし、著者に導かれその戦死塚の伝承の変遷を知るにつれ、また、だれもが知る歴史上の戦いで命を落とした「敗者」に対する霊的処遇のあり方が、近代にかけて、死んでなお「勝者」と「敗者」を分けようとするしかたに変化していくことを知るにつれ、現代を生きる自分自身がちらつき、心がざわめく。

そして自分たちがいかに自分の声や想いを託す場所を、私の専門領域でいえば投影先を必要としているかも自覚する。本書でのそれは戦死塚という対象を伴った語りであり、それはいずれ伝承となり、時にはその「敗者」の、時にはその土地の人たちの声と共鳴しながら後の時代まで響いたり、怨霊譚になったり、神格として崇められたりという変遷の末、消えていったりした。語り継がれなくなる、塚そのものがなくなる、ということだって実際に起こる。首塚があり「忌地」として恐れられていたその土地が、今や何も経緯を知らない市外の人に買い取られ、アパートが建設されたという話も載っていた。

目に見えないものは本当にそこにはないのかという問いはいつだって必要だ。だけど私たちは自身の考えと矛盾したり、信念が脅かされるくらいなら今目の前にみえるものだけ見ていたい、という心性ももつ。

「勝者」「敗者」というのも、括弧つき以外ありえないだろう。それはその戦争において、という条件つきである。にもかかわらず、もし「戦争を知らない子供たち」である私たちが、著者が言うように「男/女、成人/未成年、親族/他人、健常者/障碍者、国民/外国人、正規/非正規など」「属性を峻別していく苛烈さ」から逃れようとしないとしたら、、、ということも考えさせられた。

著者は歴史的真贋ではなく伝承を重視したという。敗者の声はどう奪われ、どう記憶されてきたか。「その声なき声に耳をそばだてること」、それは私たちひとりひとりに潜む「勝者」と「敗者」の対話をも導くかもしれない。私たちは自分を「敗者」だと言いながら誰かに対して「勝者」であろうとすることもしばしばだ。果たして私たちは何者として何を伝承していくのだろう。

文庫版に加えられた「補章 彼我の分明──戦死者埋葬譚の「近代」」の結びの言葉もこの本の重みを増しているようだった。歴史から学ぶ、単に事実からではなく。反射的に反応するのではなく。

本書はその試みを手助けしてくれる一冊だと思う。

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精神分析 精神分析、本

オグデンを読み始めた

昨年、邦訳が待ち望まれていた『精神分析の再発見 ー考えることと夢見ること 学ぶことと忘れること 』(藤山直樹監訳)がようやく出版された。原書名はRediscovering Psychoanalysis ーThinking and Dreaming, Learning and Forgetting。https://kaiin.hanmoto.com/bd/isbn/9784909862211

オグデンのこれまでの著作はRoutledgeのサイトで確認できる。https://www.routledge.com/search?author=Thomas%20H.%20Ogden

『精神分析の再発見』以前に邦訳されたのはおそらく2冊目の著書『こころのマトリックス ー対象関係論との対話』、4冊目『「あいだ」の空間 ー精神分析の第三主体』、5冊目『もの思いと解釈』、6冊目(かな?)『夢見の拓くところ』の4冊だと思う。つまり12の著書のうち5冊が邦訳されたことになる。未邦訳のものも翻訳作業は進行中のようでそう遠くないうちに日本語で読めそうでありがたい。

2021年12月にはThe New Library of Psychoanalysisのシリーズから新刊が出た。このシリーズはクライン派の本はすでに何冊も訳されているが、独立学派のものは昨年邦訳がでたハロルド・スチュワートの著作と、そのスチュワートが書いた『バリント入門』くらいだと思う。オグデンの最新刊はComing to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility

オグデンは本書でフロイトとクラインに代表される”epistemological psychoanalysis” (having to do with knowing and understanding) からビオンとウィニコットに代表される”ontological psychoanalysis” (having to do with being and becoming)への移行とその間を描写する試みをしているようだ。

この本はこれまでに発表された論文がもとになっているが、私はまずはオグデンがその仕事の初期から行ってきた”creative readings”に注目したい。読むという試みは常に私の関心の中心にある。

オグデンは『精神分析の再発見』においても「第七章 ローワルドを読む―エディプスを着想し直す」(Reading Loewald: Oedipus Reconceived.2006)と「第八章 ハロルド・サールズを読む(Reading Harold Searles.2007)とローワルド、サールズの再読を行っている。

これまで彼が行ってきた精神分析家の論文を再読する試みには

2001 Reading Winnicott.Psychoanal. Q. 70: 299-323.

2002 A new reading of the origins of object-relations theory. Int. J. Psycho-Anal. 83: 767-82.

2004 An introduction to the reading of Bion. Int. J. Psycho-Anal. 85: 285-300.

などがある。

ほかにも詩人フロストの読解などオグデンの”creative readings”、つまり「読む」仕事は精神分析実践において患者の話を聴くことと同義であり、それは夢見ることとつながっている。

オグデンの新刊”Coming to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility”ではウィニコットの1963、1967年の主要論文2本が取り上げられている。

Chapter 2: The Feeling of Real: On Winnicott’s “Communicating and Not Communicating Leading to a Study of Certain Opposites”

Chapter 4: Destruction Reconceived: On Winnicott’s “The Use of an Object and Relating Through Identifications”

まだ読み始めたばかりのこの本だが、50年以上前に書かれた論文がなお精神分析におけるムーヴメントにとって重要だというオグデンの考えをワクワクしながら読みたいと思う。

オグデンがウィニコットとビオンに十分に親しむ(ウィニコットの言い方でいえばplayする)なかでontological psychoanalysisをhaving to do with being and becomingと位置付け、「大きくなったらなにになりたい?」という問いを”Who (what kind of person) do you want to be now, at this moment, and what kind of person do you aspire to become?”とbeingとbe comingの問いに記述し直し、ウィニコットの”Oh God! May I be alive when I die” (Winnicott, 2016)を引用しているのを読むだけでもうすでに楽しい。

そしてすでにあるオグデンの邦訳が広く読まれ、精神分析がもつ生命力を再発見できたらきっともっと楽しい。

本当ならここでもっとオグデンについて語った方が読書案内になるのかもしれないがここは雑記帳のようなものだからこのあたりで。

そういえば中井久夫『私の日本語雑記」の文庫が出ましたよ。おすすめ!

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読書

『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』清田隆之(桃山商事)著を読んで

自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと

長い。書名が。しかしそのままの本だ。「一般男性」が括弧つきである理由は「はじめに」を読めばわかる。読み終えると「男らしさ」にも括弧をつけたくなるかもしれない。

著者の清田さんは「桃山商事」という恋バナ収集ユニットの代表だそうだ。主に女性たちの話をたくさんきいてこられた。

こんな記事もありました。ユニーク。)

そのなかで著者は、彼女たちが発する「男の考えていることがよくわからない」という声に賛同し、この本ではその男性たちが「何を感じ、どんなことを考えながら生きているのか、その声にじっくり耳を傾け」る作業を行っている。もちろん、著者が聞いた女性たちの「男の考えていることがよくわからない」という声は、特定の男性を思い浮かべるところに端を発していると思われ、本書に登場する男性たちもその彼女たちの特定の相手ではない。しかもたった10人の男性たちが「男の考えていること」を代表できるはずもない。自身でインタビュアーも務めた著者も当然そこに「それぞれの人生」という固有性を見出す。しかし同時に「驚くほど似通った価値観やメンタリティが浮かび上がってくる瞬間」も多く体験したという。

読者が本書を読んでそれを体験するかどうかはわからないが、私は読んでいてそれぞれの語りごとに思い出す顔があった。このインタビューは、著者の細心の注意によって加工されている。私たちの仕事における多くの症例報告がそうであるように、そのような加工は素材の生々しさを剥ぎ取り、第三者に伝わりやすい形にそれを変形する効果がある。つまり、こうして抽象度をあげることでより多くの人がそこに自らの体験を投影しやすくなる。私が自分の知っている顔をどの話に対しても思い出したように。本書の表紙のイラストにもそのような意図があるのだろう。三十三間堂で自分に似た顔を探せてしまうのも私たちのそういう性質ゆえだ。

とはいえ、このインタビューは「男性たちの正直な気持ちを知ることを目的とするため、質問や相づち、個人的な価値判断などは一切入れず、それぞれ「語りおろし」という形でありのままを伝えられたら」という考えのもとになされたと書かれてもいる。誰もが知るようにありのままという言葉は厄介だ。このありのままにも著者自身が即座に括弧をつける。言葉は語られてしまえば独り歩きする。「ありのまま」にはあっというまに色がつく。ある人にとっては我が事のようであり、ある人にとっては普遍的な事柄として、あるいはある人にとっては、、、と。

昨年『ヘルシンキ 生活の練習』(筑摩書房)という大変軽妙で悩ましく、しかし他者と社会の中で生きる希望をくれる本(必読!)をだされた社会学者の朴沙羅さんの『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房)という本がある。私も仲間に勧められて読んだ。朴沙羅さんの父親は在日コリアンの二世で、母親は日本人だ。父は10人兄弟の末っ子、つまり朴さんには在日一世の9人の伯父さんと伯母さんがおられる。この本は、その「面白い」伯父さん、伯母さんの生活史を聞き取り考察を加えたもので、在日コリアンの人の歴史を知る上でも必読だと思うが、聞き手と語り手の呼吸や語り口、その場の空気が伝わってくるかのような生き生きとした書き方がとても魅力的で、「声」で語ること、それを聞くことを大事にしたい、と改めて思わせてくれる本だった。

一方、この『自慢話でも武勇伝でもない~』は先述したように、一切介入をしないという方法をとっている。そのため、文章がさらさらと流れ「読み」やすく、ひとりひとりの語りが発生する土地の違いのようなものを感じることはできるが、あまりによどみなく、彼らがそれぞれ異なる形で体験したであろう様々な情緒に直接的に心揺さぶられることはなかった。これは著者が「プライバシーの保護の観点から」彼らの語りを加工したせいではないだろう。20年近く、非常に多くの人の語りを聞いてきた著者には相当の具体例の積み重ねがあり、それはこれらの加工によって抽象化されたとしてもそのリアリティを失うことはないだろう。だったら、もしかしたらこのよどみなさこそが、著者が出会ってきた女性たちがいう「男の考えていることはわからない」ということと関係しているのだろうか。わからないが、私には形式の作用というか効果が大きい気がした。

著者は、10人の男性のインタビューの後に得た印象をそれぞれの語りの後に記している。その短い文章が挟まれることで、私たち読者は今読んだばかりの男性の語りに個別具体的な印象を見出すことができる。

著者は、この男性たちの語りはこうだが語られた側からしたらそれは別の語りになるかもしれない、という可能性を常に考慮に入れている。「おわりにー「感情の言語化」と「弱さの開示」の先にあるもの」で、著者は自分が「多数派という枠組みの中で守られ、様々な優遇や恩恵を知らぬ間に享受してきた“マジョリティ男性”だった」ことに気づくまでの著者自身のプロセスを書いている。そして「男の考えていることがよくわからない」と言う女性たちがいう「男」とは「この社会のマジョリティとして生きてきた男性たちではないか」と言う。

著者自身の言葉は少ない本書だが、男性に対しても女性に対しても一貫して流れているのは、これらを読む女性たちのこころの動きに対する配慮に加え、たとえ“マジョリティ”であったとしてもそこに潜むそうではない部分、いわばその人だけが持つ感じ方や考え方、あるいは体験に侵入しないようにという配慮のように感じた。私にはこの配慮が、介入を控えるという形式を採用したことと通じているように思えた。

もう少し具体的に書いておく。もし、彼らの語りがいかにも特定の相手に向けた形で対話の形で記述されたとしたら、著者が危惧するようになんらかのトラウマに触れる可能性は強まるだろう。特に、性が軽んじられたり、暴力的な関係においてはそれらが身体に与えるインパクトに比して言葉は貧困でパターン的になりがちだ。女性たちの「わからない」という言葉が傷つきの体験を伴う場合、その体験の再現にさえなるかもしれない。しかし、本書では彼らの語りを聞く相手の存在を意識しないですむため、読者は自分のペースや距離感でその語りに接近することができ、受身的に内容だけを取り込みながら読み進めることもできる。つまり、話されている内容が陰影や情緒で膨らむには読み手の能動性を発動させる必要があり、読みながら急激に自分の体験を近づけてしまうような、自動的に何かが生じてしまう危険性は遠ざけられる。少なくとも男性同士の対話として記述されるよりは、と思った。

私は、最初、それぞれの語りに対して「これって男性に特有のものなのかな」などと思いながら読んでいたが、身体性の関わる描写が増えるにつれ、違いはたしかに存在するし、お互いの想像力と対話が欠かせないことも改めて感じた。

著者の言葉は、内省的でシンプルで中立的で柔らかい。私が感じたように、読者がするかもしれない負担が減っているとしたら、直接彼らの話をきいた著者のこころがたくさんの作業をしてくれたおかげかもしれない。ただ聞く、というのはなかなかできることではない。

さて、題名に戻るが、もし、男性の話が「自慢話」や「武勇伝」に聞こえるとしたらそれは固有の事情以前に歴史も関係していることも意識できたらと思う。朴沙羅さんの本でもそれを学んだ。そしてもし「生きづらさ」を感じるとしたら、その歴史に対してあまりに受身的に巻き込まれているせいかもしれない、とも考えてみたい。

「らしさ」というのは曖昧なものだ。それをめぐってあれこれするよりも目の前の相手や状況に対する自分のあり方に少し注意をむけてみるのもいいかもしれない。自分が何者であるかはすでに内からも外からも規定されているかもしれないが、結局はなにかひとつの分類におさめられるものでもないだろう。そして自分のことをこうして静かに聞いてくれる誰かに話す機会を持つことの重要性も思う。たとえそこに多くの間違いがあったとしてもそれはたやすく個人の問題に還元できることではない。小さな声で届く範囲でなされること、それがより広い視座をもたらしてくれる可能性はこうして実際にあるのだから。

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マホガニー

マホガニーということばにふわっと記憶が蘇った。あの扉の向こう、いつも同じ場所で同じ姿勢をとって少し遠くの大画面をみつめる人のこと。あのテレビは当時は最新だった。ゴルフも野球も大河ドラマも「ベータ」に撮りためられた大量のビデオも遠くからでもよく見えた。ハウス食品劇場は別の部屋の小さなテレビで見た。しょちゅう泣いた。ハイジに似ている、といわれていたが、結構多くの子どもがそう言われていたことを大人になってから知った。囲碁はあの大画面で見る必要はなかっただろう。もちろんそこに映される側がその内容や登場する素材の大きさを私たちのために調整する義理などあるはずがないが、囲碁はただでさえ視聴者にみやすいように盤拡大版をみせてくれていたし。

さて、今や倍速の時代だ。少なくともそれが簡単にできる時代だ。サッカーなんてすぐに結果が分かってしまう。立ち上がれないくらい走り切ってコートに一礼してベンチに戻る選手の肩にタオルがかけられる瞬間に思いを馳せることも少なくなったりしているのだろうか。もちろん何度も何度も巻き戻してみる場面もあるにはある。そうそう「ビデオ判定」ってやつ、あれは面接をビデオ録画して見直して検討するのと同じような違和感がある。必要性は十分に理解しているつもりだが、結局見るのは人の目だろう、私たちの視覚の信頼性はどんなものだろう。目に見えるものが教えてくれるこころなるものはどんなものだろう。

マホガニー、今は少なくなった、とその人は続けた。えんじっぽいカーペットにむらさきっぽいベロアのカーテン。いまはない場所の記憶はおぼつかない。重たくて暖かくてくるまって遊ぶにはちょうどよかった気がする。レースのカーテンは隠れる用ではなく顔を押し付けてふざける用。岩崎ちひろの「あめのひのおるすばん」を思い出した。また少し記憶が浮き上がっては混ざりだす。家のどこかが少し軋んだ音をたてるだけで、風で庭の木の影が少し揺れるだけで、台所の氷がカランと音をたてるだけでキョロキョロしては居場所をなくしカーテンにくるまった。

マホガニー色の扉。あの扉はとても重かった気がする。でももしかしたらあの頃の私にはそうだっただけで簡単にひらいたのかもしれない。向こう側から強い力でひっぱられてどうしてもあかないときもあったけど。

その人が扉をあけてくれた。急かされることもなく迎え入れ送り出してもらえる。閉ざすのではなく、隔てるのではなく、たとえそうだとしてもノックをすれば返事がある。私がするよりずっと軽やかに扉がひらく。

そして交わす、言葉を。また思い出が少しひらく。孤独も寂しさもなくなることはない。カーテンがくるんでくれたそれらを大人になった私は少しは自分でくるめるようになっているのだろうか。少しずつでもそうだったらいいと思う。

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精神分析

ミュート

PCでTwitterを使っているときになにかを押してしまったらしかった。「自分をミュートすることはできません」と画面にでてきた(と思う)。「そりゃそうでしょ」と「え、そうなの?」が同時に出てきた。正反対のことを思ったのはどっちも私であるらしく、そう考えると「自分をミュートする」ということを無意識的にはやっているのではないか、という気にもなった。自分で自分を拒む、拒むまで行かなくても制限する。

自分なんて曖昧なものだ。いつも思う。あの人は「本当は」どんな人なんだろう、と悶々とすることはあれど、その問いが自分に向けられればやはり「わからない」となる。似たようなことは昨日も書いた。だって毎日そんなことを考える出来事と出くわすから。むしろそんな出来事を紡ぐのが仕事でもある。

「わたし」でなにかを感じ、なにかを考え、発信したりしたとしても、それが「本当」かどうかなんて怪しいものだ。ただここでこうした曖昧さを感じながらこうしている。
そうこうしているうちに夢をみることもある。

生まれてはじめてみた夢はどんな夢だっただろう。そこに「わたし」はいただろうか。誰かはいただろうか。そこに形なるものはあっただろうか。

一瞬、眠ってしまった。あの場面だ。あのとき、なにかを意識していたわけではないのにこうして夢で見る私はたしかにあのときのわたしの情緒を伴っていた。思い出そうとして思い出せるようななにか印象に残った場面でもなんでもない。だけどこうしてみせられればたしかにその場面を私は経験した。そしてその夢に音声はなかった。わたしは少し振り返り、私より背の高い人になにかを答えていたのだが、わたしがしたのか誰がしたのかミュートだった。

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写真 精神分析

真夜中の銀杏に輝きをみつける。さらに濃く。どうやって?写真に撮ることで。

都心の夜は明るい。今年はイルミネーションが復活し、駅に近づくにつれ、街道沿いは明るさを増していた。

地上にも頭上にも道路が交差し、そびえたつビルは夜通し様々な光を反射しつづけ、暗闇は遠くても夜はずっと向こうまで広がっていた。少し山のほうまでいけばむしろ空のほうを明るく感じるかもしれない。東京は狭い。

私たちはこの狭い世界でどうして惹かれあうのだろう。あるいは憎しみあうのだろう。

同じ景色に足を止める。iphoneで写真を撮る。私のカメラは誰かのカメラほどきれいに光を取り込むことはできない。私の目に映るよりさらに暗くそれらは映る。それでも私は撮り続ける。理由など考えたことはない。こういうところであえて言葉にするなら小さな感動を忘れたくないから、とか?書いたとたんに嘘っぽさがつきまとう表現を陳腐というのだろうか。

小さな関心を向け続ける。何が好き?何が嫌い?
どうして今この写真を撮ったの?

ありふれた質問かもしれない。でもそんなことを訊くことさえ躊躇する。本当のことをいってくれているだろうか。無理していないだろうか。だって私だって自分で答えては嘘っぽいとか言ってるのだから。

「どんな気持ち?」「あなたはどうしたいの?」

精神分析においてこれらの質問に答えることは容易ではない。意識的になにかをいったところでそれは本当だろうか、それは私の言葉だろうか、という問いがすぐに自分自身に向かう。無意識とともにあるというのはそういうことであり、精神分析家を「使うuse」のは、治療状況に複数の人物を置くことで、複数の思考を自分に許容するためだと私は思う。

誰かの写真では光のコントラストがはっきりと現れ、路上の小さな光たちは銀杏にもまとわりつき、深夜でも光の粒がまぶされたような輝きを保っていた。あったかい。優しい。あるいは自分には眩しすぎるという人もいるかもしれない。

「寒い!」とコートの前をしめたが夕方よりも寒さを感じなかった。多くの車や人を包み込んでいるうちに冷気もこの街になじんだのだろうか。

小さなことを感じ続ける。小さな関心を向け続ける。少しずつあなたと出会い、わたしと出会う。たとえそこが暗闇で寒くて寂しくてどうしようもなくても、そこからは見えない光の粒がそこにまぶされている可能性を捨てない。とりあえずこの冬を越せますように(寒がりにはつらすぎる季節!)。

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こころ

「こころをつかう」という表現が苦手だ、ということは以前にも書いた。こころって誰かが使えるものではなくて常に受け身だと思うから。心揺さぶられたり心苦しくなったり。たとえ能動的に誰かを心から締め出したくなったりしたところでそんなことはできないから私たちは苦しむ。もちろん苦しまない人もいるだろうけど、私は、そして私が会っている人たちはこころなんていうあるんだかないんだかわからないけどたしかに自分の身体の内側でうごめているものに苦しめられたり、色々している。

色々と雑に書いたのは苦しいだけではなくて、そこから救われたと感じたり、誰かへの愛しさでいっぱいになったり、心白くなるほどに自分や相手を区別しない瞬間もあると知っているから。

首都高の真下の寒椿、手入れのされていない枯れ木にまみれて小さな赤い花をたくさんつけていた。たくましいなと思った。もっと栄養を与えてもらったら、もっと別の場所に植えられていたら、と一瞬思ったけど、これはこれでこうして私が目を止める鮮やかさで咲き、人知れず散っていくであろうことにもなんの想いももたないのだろうから私の大きなお世話は素直に「たくましいな」「かわいいな」でとどめておくべきなのだろう。

花の名前も鳥の名前もそれらをいくら愛でたとしても覚えることができない。でもそれが特に必要というわけではない。いつも似たような人の似たような行動に似たようなことを感じてばかりいるわたしの「こころ」なるものがどうあろうと、わたしになにがなくともそこにいてなにかを感じさせてくれる存在をありがたく思う。

時間は有限だ。どうであってもいつか終わる。今日のわたし、今日のあなた、今のこころ、なにがどうなるのかまるでわからないけれどこうしている間にも太陽は少しずつ高いほうへ。私の小さなオフィスに差し込む光とそれが作る影もいつのまにか姿を変える。「いつのまにか」動かされるこころのようなものを静かに感じながら今日も過ごせたらと願う。

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写真

ピント

iPhoneで写真を撮った。冊子の中の写真を。2枚並んだその写真の両方にピントがあえばいいな、と思いながら。

一枚にはすぐにピントが合い、黄色い枠がその顔を囲った。もう一枚はより遠い写真だ。どうかこの写真にも同時にピントが合いますように。

私はiPhoneをほんの少しずつ動かしたり傾けたりしながらそれを待った。

先にピントがあった一枚はすでになにかに印刷された写真のようだ。

遠くにいるほうの人の背中にはいつだかわからない、多分私はまだ生きていなかった時代の空が広がっている。

遠く離れた二人がせめてここで同じ鮮やかさで出会え直せますように。

そしてすでにいない二人を想いながらこれを並べたであろう人が、まだ何も知らなかった時代を、知ろうとすればできたはずでは、なのに自分は、と悔やむことのありませんように。

ピントがあった。遠くの人の顔をさっきより小さな黄色い枠が囲った。

私はシャッターを切った。

移動を繰り返す。何かを探して。それは間違いだったかもしれない。間違いでなかったかもしれない。そもそも間違いかどうかなんて何を基準に?

移動を繰り返し世代をつなぐ。写真が撮られ、その写真がさらに撮られる。それで時代が変わるわけでも二人が生きてまた会えるわけでもないことは誰にだってわかる。

それでも無意味なことをしつづける。重ねて撮られ媒体を移動してきた写真の人物になんとかピントを合わせてまた撮ろうという行為もまたなにももたらすことはないだろう。

ただやっている、ただそこにいる。誰かは正しいかもしれないがあなたはただそこにいた、それに意味や価値を見出す必要などない、ただそんな気持ちになった。

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精神分析、本

言語と身体あれこれ

いつからこんなんなっちゃったんだろう、といえば「もともと」となる。いまや人に言われる前に自分が答えるほうが早い。なんだか前はもう少しましだったような錯覚をしていたいのね、私は、きっと。と思えるようになっただけましかもしれない。

まあ、自分からこうしてことをややこしくしたいときはやりたくないけどやらねば(あるいは考えたくないけど考えねば)ならないことがたまっているときだ、私の場合。前にも書いたが自分で自分をごまかす技ならたぶんたくさんもっている。まったく自分のためにならないのに不思議なことだ。いや、損得で言ったら損かもしれないが、自分の気持ちがまいってしまわないためには必要な技だし、気持ちがまいらないことはかなり大切だ。精神分析でいえば防衛機制というやつ。

精神分析家の北山修は母と子の間でしか通じない言語を「二者言語」といい、第三者に分かる必要のある「三者言語」と区別した(『ピグル』まえがきとしてーウィニコットの創造性)。

社会学者で作家でもある岸政彦は又吉直樹との対談で「言語以前」「無意味に身体を肯定される瞬間」について話していた(ネット上で読めます)。

北山修は「二者言語」を「言語以前の言葉」ともいっているが、私はそこに「身体」を持ち出すこと、つまり乳幼児的であることを言葉ではなく身体で説明すること、そしてそれを肯定していくことに価値を見出す。もちろん精神分析はそれをやってきてはいるが、どうしても説明は言葉でなされるのでその身体の肯定の瞬間はなかなか伝わりづらいかもしれない。

自分の身体の輪郭は自分ではなかなかわかりづらい。鏡をみればわかると思うかもしれないが、ボディイメージこそ自分をごまかしたり裏切ったりするものであることは多くの人と共有できるだろう。私たちは思いこむ動物だ(あえて断定したい)。

赤ちゃんはしっかりと腕に抱かれるまでに時間がかかるときがある。泣き叫んだり、のけぞったり、ひっかくようにしがみついてきてこちらが思わずのけぞったりするときもある。なかなかの困難を伴うが、多くの場合、大人の苦闘によって彼らは徐々に腕におさまる。動きを止めたその子の身体は形や重さを明確に知らせてくれるだろう。まだとっても小さくて軽いんだ、この身体であらん限りの力でなにかいってたんだ、とこちらが我に返るときもある。

線と中身は同時に作り出される、私はいつもそう感じる。抱きかかえるまでのプロセスこそが輪郭をつくり、中身を伴わせる。そこには赤ちゃんとそれを抱きかかえる腕や胸とが溶け合うように、しかし区別された形で存在する。ウィニコットの言葉を思い出す、というかそもそもピグルのことを考えていたのでウィニコットの言葉発でこんなことをつらつら書いている。

ややこしい書き方になるのは、とまた繰り返したくなるが繰り返さずにやることをやらねば。

ちなみに北山修『錯覚と脱錯覚』は『ピグル』を読んだ方にはぜひ読んでいただきたい。名著だと思う。

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精神分析

初期不良

取り外しておいておいた自転車のライトが煌々とついていた。なぜ。誰も何もしていないはずなのに。なんで、と思って消そうとしたが消えない。ますますなんで?明るさと点滅で何パターンかに調整できる機能は正常。でもオンオフができない。勝手にオンされているだけでオフができない。よってオンもできない。長押しでできたはずなのに。しかもこれまだそんなに使っていない。

かなり明るいライトなのでついたりきえたりされるのは非常に困る。とりあえずみえないところにしまって仕事をした。

さっき時間ができたのでこれを購入した自転車屋さんへいったらお店の人も「あれ、ほんとだ」と消えないライトをいじり、「初期不良だと思うので」と新しいのに交換してくれた。

一応、購入時の領収書があるかときかれたから「あるかもしれないしないかもしれない」とほんとのことなんだけどえらく曖昧な返事をしてしまった。でもお店の人は落ち着いていた。今度は「購入時期ってわかりますか」ときかれた。「あー、このお店ができてちょっとした頃だったかと」とまたえらく曖昧なことをいてしまった。でも気持ちだけはなんとかできるだけ正確にこたえたいと焦っていた。そんなとき私は思い出した。そういえば私はここに自転車屋さんのことを書いた。慌てて過去にさかのぼる。

あった!「自転車と親子並行面接」という変な取り合わせの記事を書いていた。「2月18日頃!」といってから、ちょっと待てよ、この記事、自転車屋さんにいってからすぐに書いたのか?と思ったけど、忘れっぽい私がさかのぼって書くことは少ないからずれたとしても数日だろう。果たして果たして。あった。あっていた。「鍵と一緒に購入されました?」とPCから戻ってきた店員さんにきかれた。それも一瞬どうだったか、となったがそれはすぐに思い出した。「そうです!」ということでまだ新しい箱に入っているライトをいただいてきた。いい人だ。これは急についたり消えたりしませんように。そして、これを書いておくことでこの購入日も忘れませんように。

それにしてももうあれから8か月にもなるのか。もっと乗ってあげないとかわいそうだ、私の自転車、と思ったのに明るい時間にちょこっと乗るだけでたいして活躍の場を与えていない。持ち主として責任をもたねば。ライトももっと使ってればもっと早くになにか気づいたかもしれないものね。「初期不良」っていわれちゃったけど。なんかすまなかったね、と思ったのでした。

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読書

習慣

本を読みながら歩いてくる小学生がいる。片時も目を離せないかのように、もうすっかりその世界に入っているかのように、すれ違ったことにさえ気づかずに(多分)そのままの姿勢で歩いていく。

うまく避けるものだな、あるいはこちらが避けているのか、人間の視野は広いんだか狭いんだかわからないからな、など思いながら私も歩き続ける。

大きなリュックを前に抱えて指で小さくトン、トンとしながらiPhoneを見ている人がいる。それは最近の私。iPhoneに入れたKindleで本を読んでいるのだ。そんな習慣なかったのに。いちいち老眼鏡を出すのもめんどくさいから歩きながら読むなんてことしなかったのに。不思議だ。なぜか。

ひとつはそうでもしないとなかなか本を読む時間がないということ。ただこれは私がなんでもかんでも読みたくなるからであって、むしろ早く読んでおしまいなさい、という本を落ち着いて読むべき、と毎日自分に注意しているけれどなかなかいうことを聞かない。

もうひとつはiPhoneを新しくして容量が増えたのでたくさん本を入れておけるようになったということ、本来メインで使おうと思っていたKindle paperwhiteよりも動作が早いということ、索引に載っていない自分的キーワードで検索したいときが多い私にとっては大変便利であるということ、そのままツイートもできるし(私のツイートは大体メモ置き場)何よりiPhoneの画面は小さくて(文字も大きめ設定)1ページに収まる文章が少ないということ。「もうひとつ」と書いたのに一気に書いてしまった。

あ、なぜ1ページに収まる文章が少ないとよいかというと英語で読むときは構文がわかりやすいし、没頭しすぎて轢かれたりぶつかったりすることもなく適度に外に注意を向けていられるから(もちろん意識的に注意もしている)。

デメリットについては以前すでに書いた。マルジナリアを使えないことと段落番号をどんどん振っていく作業がしにくいこと。

まあ、こんなことを書いている場合でもないのだが、今夜は数年前から続けているオンラインのフロイト読書会のアドバイザーをつとめる日でPC前に待機していたので、習慣って変わるんだな、と思い、もちろん他にもさまざまな要因が絡みあってのことだとは思うが、これからも変わるであろう習慣の記録として(というのは今思いついたことだけれど)なんとなくピン留め的に書いてみた。

参照

『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』(2020、山本貴光、本の雑誌社)

https://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114450.html

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精神分析

基盤と繋がり

CBTとか精神分析とかなんでも専門的な技法以前に共通してやることとしてマネージメントがあって、それがその後の展開にとって大切、といつも思う。

20年以上、様々な現場で臨床をしてきたが、基本の型みたいなものは身に付いていると思う。それを相手や状況に合わせてどうカスタマイズするか、はこれからもいちいち立ち止まりながら考えることになるだろう。

私の世代の心理士は、特定の技法のトレーニングをするというより分野、領域横断的に勉強してなんとか自分の臨床とそれらを接続してやってきている人が多いと思う。私は今は精神分析のトレーニングをしているけれど、これまでも今もその仲間関係に支えられていることが多い。

昨日もまだ効果研究が積み重ねられていない領域についてCBT専門の知り合いに連絡したらすぐに様々な資料を送ってくれた。そういう分野はたいていまだ英語文献しかないのだけれど自動翻訳でわかる明快な文献も多いので助かる。

こうやって困ったら「教えて」って言える信頼できる相手がいて、自分もいい加減教えてもらったらサクッと勉強するという流れができているのでなんとかなっているのだと思う。

結局いろんな人と繋がりがないと何事も難しい、というか人との繋がりのない臨床実践というのはない。


現在は特定の技法のトレーニングへのアクセスも簡単になっていて、日本語で学べる機会も多くて、それはとてもいいことだと思う。ただ、教える立場が増えてきて感じるのは、最初に書いた「マネージメント」など、思想や思考の仕方の違いがあっても共有されるような基盤がなかなか基盤として置かれにくいということ。

どうしても技法の違いや自分の求めている方向に話が行きがち。なのでまずは、その人がその人のいる場所でいつ何を誰とどのように感じているか、という視点に戻ることをお勧めしている。そして、特定の技法の知識だけではなく、環境面において概ね共有された言葉で説明できる事象のなかでその人がどういう立ち位置にいるか、ということを他者との関係性を含めて描写することも大切と伝える。患者と誰か、そして自分の繋がりや交流のありようを多面体において記述することの大切さは伝えていきたいと思う。


特にこのコロナ禍で私がずっと懸念していることは、症状を含め自分に生じている出来事を繊細に吟味しないと、そこにどうコロナが関わったかという部分が忘れられる可能性があるのではないかということ。私たちは強く心揺さぶられたことでも意外とすぐなかったかのように振る舞える。でも基盤の変化はその後に必ず影響してくると私は思う。特に精神分析は基盤というものを重要視してきたと思う。


コロナ以前とコロナ以降の違い、あるいはその期間に生じた変化がすごいスピードでかき消されるか、大雑把な言葉でひとくくりにされる様子を思い描くのは難しくない。震災について考えるなどすれば。

個人的にはコロナ後の症状や環境側の反応の揺り戻しを警戒している。繋がりがいつどのように切られるかわからない、そういう状況で過度に繋がろうとしたり、逆につながれないことに悩まなくなったり、この期間で徐々に生じた他者に向ける注意の質の変化を感じるから。私はたまたま精神分析を受けている間にこの事態になっているから自分自身の気持ちの揺れ動きにもいちいち注意を払う機会を持てた。

この一年半、意志と記憶に関する本をよく読んだと思う。それは多分私が自分にも生じている変化に対して意識的であろうとする無意識のせいだと思う。

焦っても急がない、先走らない、とりあえず何度も立ち止まる。自分がいる場所はたまたまという偶然の積み重ねでできているとしてもそこをマネージしていくのは自分であり、身近な他者との繋がりがそれを助けてくれる可能性には常にかけていいと思う。

今日も地道に。

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読書

中吊り、立花隆、ノスタルジー、そして偶然性

「週刊文春」が2021年8月26日発売号を最後に中吊り広告を終了するという。

たまたまだが、先日読書会にきてくださった(オンライン)『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』著者の吉川浩満さんが「私の読書日記」という連載を担当している号である。さすが(?)「偶然性」をおす吉川さん。

ちなみに吉川さんが連載に参加したのが2020年8月27日号だという。これもTwitterで知った。そして執筆陣のひとりに立花隆の名前がある。ご存知のように立花隆氏は2021年4月30日に亡くなった。多分「週刊文春」の中吊りが終了することも知らずに。いや、知っていたのかもしれない。わからない。彼もデジタルを使いこなしていたのだろうか。私の記憶(イメージにすぎないかも)ではいつも紙媒体を手に外にいるか、積まれた本のなかでやはり紙媒体をもっている姿しか思い浮かばないのだが。

そういえばこの立花隆追悼のムック本(っていうのかな)にも吉川さんは書いているという。これもTwitter情報。

今回、「私の読書日記」は「ペンギン、恋愛、偶然性」ということで数冊の本がとりあげられている。紹介されている本は吉川さんのツイートをチェックすればわかる。私からもおすすめしたい本がとりあげられている。

私は「週刊文春」を読んでいないのでそこになにが書いてあるかはわからないけれど、紹介された本の訳者の方のツイートなどをみると「こういうことかなぁ」と推測できたりする。というように、やはり時代はデジタルなのだ。自分の目で確かめなくても誰かが断片を呟き、書き手、売り手、ファンたちがそれをすぐに拡散し、画面をみれば1分もかからずそれらを目にすることになる。そういう時代だ。

いや、そういう時代なのか?

大体私は読んでいない。どうして断片から想像してわかったような気になっているのか。まったく違うことが書いてある可能性だって十分あるではないか。でもなぜか本屋に走るような衝動も生じない。読もうと思えば「週刊文春」は電子版をはじめたらしいし(中吊り広告にかかった費用がかなり浮くらしいし)。いや、電子版も読まなそうだ。私の好奇心はデジタルの情報である程度満たされてしまった。食べ物の絵を見て空腹を満たすのとはわけが違う。断片であっても複数の人間が呟いていれば紙媒体の情報とそれほど変わらないだろう、内容だけを掴むのであればの話なら全部を見る必要はないのかもしれない。

中吊り広告はどうか。

両手で吊革につかまって中吊りを見上げている姿を目にしたことがある。当時は話したこともなかったけれど今はお世話になっている先生と偶然同じ車両に乗っていたのだ。先生は力の抜けた様子でぼんやり中吊りを見上げていて少し子どもみたいだった。この日を境に私の先生に対するイメージは刷新!、というほど大げさなことではないが、なんだか中吊りのテンションってこういう感じがする。実際、いろんな話をするようになった今は中吊り以前のイメージは私の投影にすぎなかったとわかる。

また、私はあの見上げる形式の広告が満員電車での小競り合いの数パーセントを減らす役割を果たしていると主張したこともある。私は背が低いので電車内で痛い目にあいやすい。そんなとき近くの人が中吊りに魅入ってくれているとほっとしたものだ(まだ過去ではないが最近満員電車に乗っていない)。

中吊りには独特の魅力がある。TwitterなどSNSはわりと正確な引用がされていることが多いが(発信元が書き手、売り手、ファンの場合)、中吊りにあるのは「見出し」ばかり。毎号異なる出来事についての見出しが躍っている、はずなのに毎号同じテンションを感じるのも面白いところだ。写真の大きさの違いや並べ方も戦闘的で興味深く、序列を知らせつつも勝敗の決まらぬ世界がそこにはある気がして読者の投影を気楽に引き受けてくれる。私の場合は、それをみても駅の売店や本屋に駆け込もうとはならないがちょっとのぞいてみたいな、という好奇心を維持させる効力がある。誰もが見出ししか知らないのに「見た見た」とお昼のおしゃべりがもりあがったことだってある。要するに情報の重みづけがとても効果的にされているのだろう、今思えば。

うん。やはり業界トップクラスのこの最後の中吊り広告はみておかねばならない。デジタルでではなく、本物を、つまり電車の中で。しかしコロナか(禍)。

立花隆は亡くなり、中吊り広告も終わる。だからなに、というわけではないが、若者に「昭和?」ときかれて「そう」と答える私はそんなにすぐには新しいものには馴染めない。変化を感じるたびにノスタルジックになる。それにしても「昭和?」って聞き方もどうかと思うが。同じく昭和生まれの仲間は取入れ上手で古いものとも新しいものとも上手に付き合っているけれど、私は紙媒体が好きだ。

3.11から間も無くして佐々木中さんの講義に出たことがある。彼は書物の価値を真剣に語っていた。もちろん彼の『夜戦と永遠』におけるルジャンドルを引用した議論はもっと複雑なものだけれど、確かに震災からまもなくの5月、私が石巻で目にしたのは横倒しになった家と水溜りに散らばった年賀状だった。映画「つぐない」において引き裂かれた二人を繋いだのは手紙であり、二人を引き裂いた罪悪感に苦しむ主人公が生きるためにしたのも書き続けること(=読まれ続けること)だった。

話が逸れた。中吊りにはお世話になったんだな、とこう書いてみて思う。出来事はできるだけ正確に伝えてほしい。それはどの媒体に対しても同じことだ。しかし、中吊りは中途半端で大雑把な情報を派手な形で切り取ることで大衆である私たちの注意を引きつけた。だからこそ私たちはそこに含まれるある種の嘘っぽさを前提にそれと触れることができた。中途半端な優しさより嘘とわかる優しさのほうがこちらを戸惑わせないこともある。これは恋愛の話でもあるかもしれない。

吉川さんが取り上げた本『南極探検とペンギン』。こちらはぜひお勧めしたい。ロイド・スペンサー・デイヴィス著, 夏目大翻訳、原題はA Polar Affair: Antarctica’s Forgotten Hero and the Secret Love Lives of Penguins。ペンギン’s affair相当びっくりな本で、生と性を語るのは精神分析以上に南極とペンギンなのかもしれない、と思わされたりもした。

こちらはツイッターと違って推して知るべし、ではない断片からは描けない世界が広がっていた。本来は全ての出来事がそうに違いない。「偶然性」に身を委ねること、おそらくペンギンだって恋愛だってそうなのだろう。

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読書

『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』をざっと読んで

妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』橋迫瑞穂著(集英社新書)が届いていたのでざっと読んだ。ざっとでも内容が入ってくるシンプルな書き方と構成(というのかな)。章立ては出版社のHPを参考にしていただきたい。

この本の主題は「妊娠・出産のスピリチュアリティがどのような内容を現代社会に示しているのだろうか。それが社会に広まった背景として、何が考えられるのだろうか」という問題について考えてみることである。

スピリチュアリティには「教義や教団組織がないのが特徴」ということで、それはつまり検閲、禁止の外部にあるということだと思うが、それゆえにか「生成される価値観や世界観はモノや情報を媒介として広まりを示すことがある」という。

本書では、2000年代以降の「スピリチュアル市場」における主要コンテンツ3つが取り上げられ、宗教学者の堀江宗正と同じ観点から、書籍を中心とするメディアを素材とし、社会学の質的調査法の手法である言説分析を用いて分析が行われている。

コンテンツは「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」の3つ。女性にはどれも「あー知ってる」という範囲の言葉だと思う。これらのワードを用いて会話をしたことがある人にはその体験をきいてみたい気もする。ごく自然にそれを良いものとして語る人、良さそうなものはなんでもやってみようと一情報として気楽に取り入れている人、なんらかの価値の押し付けを嫌って「そんなのデタラメだよ」と相手に諭す人、その場では話を合わせるがその後、その相手と距離をとる人、医学的な知見をもとにその正当性を説く人などなど様々な体験があるだろう。

本書は多様な消費者を抱える「スピリチュアル市場」から主要なコンテンツを抜き出し分析することで、妊娠・出産をめぐる女性たちがそこでどのような消費者であることを求められているのかを浮き彫りにする。

より詳細にいうと、各コンテンツが「スピリチュアル市場」に現れるまでの流れを踏まえ、日本におけるこれらの言説を書籍を素材に概観し、再度「スピリチュアル市場」との関連でそのコンテンツが果たす役割や問題を分析することで、妊娠・出産をめぐる女性たち(と同時に子ども)を取り巻く状況を浮かび上がらせようとする。

「自然なお産」という「医療が内包するイデオロギーへの対抗」として培われてきた「スピリチュアル市場」の「総仕上げ」である概念に向かって、「子宮系」「胎内記憶」というコンテンツについて知るうちに、読者はリスクを伴うとしてもそこに自分の居場所、あるいは希望を見出そうとする女性たちの姿を見つけ出すかもしれない。そしてそれはもしかしたら自分の姿と似ているかもしれない。

子どもを持つことについて「常に決断と絶え間のない努力を」要求されてきた女性にとって、子どもを産むことは間違いなく価値があることだと言ってもらえること、しかも「医師」の言葉がそれに科学的な根拠を与えてくれるとしたらそれほど心強いものはない、のかもしれない。

著者は、宗教学者の島薗進にならってスピリチュアリティという言葉を新霊性運動・文化とほぼ同じ意味に用いて、それ以前の歴史においては不可分だった妊娠・出産と宗教、呪術が何をきっかけに分離してきたかについて様々な文献を用いて記述する。たとえば月経を含めた妊娠・出産の母胎となる女性の身体性に対する見方の変化、妊娠・出産の医療化がそれである。またそれらに影響を与えたウーマン・リブなどのフェミニズムとの関係にも注意を払う。

宗教ブーム、主に島薗が取り上げたオウム真理教での女性の位置づけがまとめられている箇所(32頁〜)は興味深い。母親としての役割を強化するにしても母親になるという選択を無効化するにしてもその極端なあり方を迫られるのは当事者である女性と子供である。それぞれの事情に基づき、それぞれの選択をするというような複数の選択肢はそこにはない。また著者も指摘するように、妊娠・出産はそのプロセスありきで女性単独でなし得ることではない。つまり男性の関与が必須な出来事のはずの議論に男性が登場しない。もっともこの事態はすべてのコンテンツにおいて見出される傾向であるらしい。

また著者は、宗教社会学者のピーター・L・バーガーの宗教の「世俗化」論を参照しながら「スピリチュアル市場」の拡大を描写し、妊娠・出産が神聖化から「世俗化」、そして「再聖化」という流れをたどってきたことを示す。その様子は各コンテンツについて詳細に検討される第二、三、四章で知ることができる。

なるほど「スピリチュアル市場」は女性たちに選択の機会を増やしただろう。書店で女性向けの雑誌コーナーなどに行けば、女性の医師の写真やヨガのポーズをきめた若い女性の写真が表紙を飾る本を見つけるのはたやすい。妊娠・出産体験談も芸能人のものに限らず求めれば読むことができる。

これらのコンテンツに投影されるのは女性たちの意識や価値観であり、消費者側からそれらに求められるのは、肯定的(もちろん何を肯定と感じるかは人それぞれだ)な受容であり、妊娠、出産という内外からの制約とともに暮らす日々において具体的に役立つ何かであろう(ここでも役立つとはいかなることかという問題はある)。

本書で取り上げられる3つのコンテンツ「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」、これらはいずれも医学、科学の言葉で語ることができる一方、当事者による「身体や感性や直観をも含み込む知」によって語られる領域でもあり、スピリチュアルに関心のない層にも、そして一枚岩ではないフェミニズムの領域ともゆるやかに(この本で印象に残った言葉)つながっていきやすい曖昧な形式をなしている。

いずれにしても、それまで「穢れ」として共同体に管理あるいは排除されてきた女性の身体性は不可視な領域を保ちつつ、主体的に関われるものとしてその位置づけを変えつつあるということらしい。そしてそのプロセスで「スピリチュアル市場」に生じた生産者と消費者の相互的、流動的な関係は、特に孤独を感じやすくなるこの特殊な期間の女性たちに能動性をイメージさせるのかもしれない。無論それが、頼るのではなく努力をせよ、痛みや苦しみを乗り越えて「母親らしさ」「女性らしさ」をつかみ取れ、という要請に応えることにつながるリスクも含むわけだが。

さて、本書で最初に取り上げられるコンテンツ「子宮系」(第二章)は、それに関する書籍の執筆者のほとんどは女性であり、医療従事者が最も多く、鍼灸師やヨガ・インストラクターなどもいる領域だそうだ(51頁)。私はヨガをするので中身は知らなくとも著者の名前や馴染みがある謳い文句の書籍が登場するたび、知っているのに知らなかったこと、特に実践するわけでもないが特に疑問も持っていなかったことの少なくなさに苦笑した。現在のコロナ禍においても「生活や意識を変える」ことが求められてきた。しかし、果たして私たち人間はそんなにコントロール可能な存在だっただろうか、という疑問は疑問のままだ。いずれにしても切実な苦悩に短期的な「癒し」を提供する情報は貴重だろう。しかしそれを提供する側の個人的な物語やイデオロギーを透かしみるとき、ジェンダーバイアスなど現代社会がかかえる問題は依然としてそこにあることに本書は気づかせてくれるのである。

2つ目に取り上げられるコンテンツは「胎内記憶」(第三章)だ。著者はアップリンク渋谷で「かみさまとのやくそく」を見て大きな戸惑いを覚えたという。「胎内記憶」は胎教とリンクしている。本書では種田博之による胎教についての先行研究と数冊の書物、それらと「胎内記憶」についての書物(そのほとんどが産婦人科医の池川明によるという)を比較することで「胎内記憶」の特徴を明らかにする試みがなされる。この領域は男性の執筆者が多いのも特徴という。

「胎内記憶」が持つ意味や価値は一読しただけではピンとこないかもしれない。少なくとも私はそうだった。なので著者の戸惑いも理解できる気がするが、一方でこのコンテンツは人気もあるらしい。たしかに、私の仕事柄、知らない話ではないし、私が聞く個別の話からすればこのコンテンツが人気がある理由はわかるような気がする。しかし、ここでは本書から読み取れる以外のことはひとまず脇に置いておくべきだろう。著者が言説分析という手法を選択したことで得た広がりを経験によって別のものに変形することは避けたい。

ただ、「胎内記憶」に対して思ったことはメモ程度に書いておこうと思う。すでに書いたように切実な苦悩に短期的な「癒し」を提供する情報は時に必要だ。しかし、ただでさえ不安が強いこの時期になされるべきは、まだみぬ子供の行く末を「こうすると(orしないと)こうなる」的に直線的に予言することでは決してないし、infantの語源を無視して胎児に言葉や人格を与えることでもないだろう。しかし「胎内記憶」はそういう方向を向いているように思う。

この章に限らずだが、母になる女性に負わせるものを少しでも減らす、預かる、小分けにするなどしながら、彼女たちが自分を許す(=罪悪感を持つ)物語を「胎内記憶」に語らせずとも大変な日々を過ごしていけるように気を配ること、何ができるわけではない、という無力をともにすること、そういう言葉のいらない関係の必要性を思う。

「スピリチュアル市場」のマーケターには明らかに前者の方が向いている。一方、後者の態度を維持することは、母親と胎児の関係を重要視する(≒孤立させる)結果、父親をいなくてもよい存在、最初からいなかったかのようにする可能性を減らすかもしれない。妊娠・出産のプロセスはひとりでは生じ得ないということはすでに書いた。不安の軽減という観点からいえば、「胎内記憶」に語らせなくても、二人の大人のペアで、あるいはユニットで、生まれくる胎児について、親になる不安について語り合う方がいろんな不安に対応できると思うがどうだろうか。

最後、3つ目のコンテンツはすでに何度か登場している「自然なお産」である。「自然なお産」は「妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティの、いわば総仕上げとして設定されてきた」と著者はいう。そしてそこには次の第五章でみるフェミニズムの影響がある。なぜなら「自然なお産」は、「男性中心の医療体制において妊娠・出産が組み立てられてきたことに対する異議申し立てでもあった」からだ。

2000年代に「自然なお産」に関する書物が倍増し「スピリチュアル市場」の興隆とともにこのコンテンツが顕在化したという。ちなみにこのコンテンツの書き手は産婦人科医や助産婦がほとんどで、女性の書き手が比較的多い傾向にあるという。また欧米からの影響が強いのも特徴だそうで、海外の「自然なお産」との違いも興味深い。

さて、「自然なお産」の一応の定義は「医薬品や医療にできるだけ頼らずに、女性が主体的な意識を持ってお産に向き合うこと」(113頁)とある。また「自然なお産」は、「子どもを分娩する体験そのものが神聖な意味を持つという価値観に接続している」。(121頁)

ここでもいくつかの書物が取り上げられるが、なかでも強烈かつ対照的なのが「自然なお産」のパイオニア、産婦人科医の吉村正、そしてホメオパシーを日本に広めた由井寅子だ。

両者は、母となることを重視し、母となる過程として「自然なお産」の意味を強調したが、彼らにとって「自然なお産」はすべての母親と子どもにとって好ましいこととは限らず、弱い母体や子どもが「自然」によって「淘汰」される機会でさえある、という。著者が少ない言葉で指摘するようにそこに優生思想的な要素を見出すのはたやすい。

ここでも本文から引用するが、彼らには「お産が母体にとっても、子どもにとっても「命がけ」であるべきだという信念」がある。「スピリチュアル市場」の形成に大きな影響を与えた由井寅子は、医療を排した「自然なお産」の重要性を繰り返し説く。母親として愛情を持ち強く生きるというとき、この「強い母親」とは子どもの死をも乗り越えらえる内面性を備えた母親のことを指している。また、由井にとっての「自然なお産」とは、健康な子どもとそうではない子どもとが、いわば峻別される機会であり、そこにも「自然淘汰」という差別的とも言える価値観が透けて見えるのである。自分自身がシングルマザーで二人の子供を育てた経験があるせいか、由井にとって「母になることとは、父親の役割をも凌駕する存在になること」らしい。

ここまで客観的な立場を維持し、問題点の指摘も著者自身の主張も最小限に留めていたかのようにみえた著者は、3つのコンテンツの分析の最後でこう述べる。「問題なのは、日本における「自然なお産」の言説には、生命の権利を許容する優生思想的な傾向が見られることである。」「第三者が、妊娠・出産に介入することは私的な領域に踏み込む行為であり、それが妊婦の安全性を時に揺るがしかねない危うさを含んでいることを考慮すれば「自然なお産」の促進は決して軽視できないことである。」と。

また「この背景には現在の産科医療が男性中心であることに起因する問題がある」。著者は「自然なお産」における「自然」とは、医療が内包するイデオロギーへの対抗として培われてきた概念と言えるだろう、と述べる。(144頁)

さらに、この章では、男性の位置づけが海外と日本では異なることにも言及している。「海外における言説では、男性はお産に介入する医療を象徴する存在というフェミニズム的観点からの医療批判が垣間見られるが、日本ではあまり強調されない」。また「海外では分娩とセックスが同列に論じられるのに対して日本では男性は分娩や育児における補助としてのみ登場するにすぎない。男性はあくまで補助的、脇役的な位置づけ」「妊娠・出産の担い手たる女性の存在を聖性視し、男性にとって不可視の存在として設定している。」「逆にいえば妊娠・出産において男性は何ら責任を負うことがなく、最初から免責された存在として見なされていることを指す。」「こうした状況が男性の産婦人科医によってより強調されているのも興味深い点」とここで述べられておりペアとして対等に支え合う男女を見出すことは難しい。

これらにフェミニズムとの関連を見出すのは自然な流れであり、本書はそのまま「女性・「自然」・フェミニズム」と名づけた一章へ向かう(第五章)。この章だけは読むのに少し苦労した。

ここまでの分析から見えてきた「妊娠・出産のスピリチュアリティ」における女性の身体性そのものになされる価値づけ、そしてその価値づけにおいて「自然」という言葉が持ち出されるのがこうした言説の特徴である一方、「妊娠・出産のスピリチュアリティ」をめぐる言説ではフェミニズムが遠景に置かれたり、あるいは捨象されたりしている、ということに著者は触れ、「日本社会において、こうしたフェミニズムの排除が置かれるのはなぜか」ということを検討する。

ここで参照されるのは疫学者の三砂ちづる、評論家の青木やよひというフェミニズムに対して対照的な立場をとってきた二人の議論である。そして青木のいう「自然」を批判する社会学者の江原由美子、三砂の主張を「宗教」であり「女性嫌い」が透けて見えると批判するウーマンリブの旗手田中美津らも登場する。

批判が向けられているのは「身体性とジェンダーとが不可分という前提に基づき、自明のものとする見解そのもの」だという。一方、著者は別のパースペクティブに立つ。著者は、ここまでみてきたような妊娠・出産と「自然」との結びつきについて、聖性が持ち込まれている点が見過ごされている点に着目する。そして、フェミニズムとスピリチュアリティの接点である「自然」という言葉の役割や意味について整理するために、三砂(フェミニズムに批判的)と青木(エコ・フェミニズムの枠組み)という対照的な二人の議論を「自然」という観点から整理する。

この二人は「女性の身体性を「自然」と結びつけることで、聖性を付与している点で共通している」。一方、「妊娠・出産と「自然」を結びつける立場にありながら、その方法や目的において、特に母と家庭に向けた視線」が異なるという。

たとえば三砂の見解を貫くのは「女性が子どもを産んで家族をつくり、その子どもがまた家族を作ることへの絶対的な肯定」である。一方、「やさしさや暮らしの感覚を含めた感性の復権要求」こそが女性解放運動のあるべき姿ととらえ、「産む性である女性のトータルな自己実現」を価値あるものと位置づけ、「性」の分類を行い、その先に包摂的、超越的な「自然」を見出した(152-153頁)青木。彼らの考え方の類似点や相違点など詳細はぜひ本書で確認してみてほしい。

それにしても三砂が女性の「身体性」に向けるフェティシズム、そこを彩る「超越的な色彩」は日常のそこかしこでみられるような気がする。

さて、ここまで読み進めれば「スピリチュアル市場」のコンテンツはあくまで、母となり保守的な家族や家庭に居場所を見つけることへと接続しており、そのために、女性の身体性と「自然」との結びつきが強調されるのだという現状(180頁)にも納得がいくだろう。

何となく書き始めたわりになんだかずいぶん長くなってきてしまったのでこの辺りにしておくが、素人の印象として、第五章で著者はこのかっこ付きの「自然」の扱いに手を焼いたのではないかというような気がした。そしてもしかしたらこれが言説分析の難しさなのではないか、とも感じたが、私は言説分析に全く明るくないのでいずれ学び、このような印象についても再考できたらと思う。

第六章はそれまでの議論のまとめと今後の課題が書かれている。もっときちんと読めばさらなる発見があるに違いないが、とりあえずの要約(というかほぼ引用)と感想をメモがわりに書いてみた。

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精神分析

終わりのない仕事

なんだかひどく疲れる。見て見ぬふりをできるものもあればできないものもある。難しいのは見て見ぬふりができるのは最初からしっかり見ていない場合であって、二度見とかしちゃってきちんと目に入れてしまったら見て見ぬふりなどできなくなることだ。見て見ぬふり、というのは他の記憶とまぜこぜにしてなかったことにできる程度にしか見ない、ということではないか。もしそうできない場合は見て見ぬふりは失敗し、むしろしっかり見てみるまで気になってしょうがなくなってしまったりするのではないだろうか。

精神分析の訓練の間はものが書けない、と妙木先生がおっしゃっていた。どこかに書いてもいらしたと思う。これはとてもよくわかる。別に訓練が終わったら書けるかというとそうでもないだろうし、訓練中に書いている人だってもちろんいる。

でもおそらく妙木先生が言っているのはそういうことではない。ものすごく書ける彼でさえそういう状態に陥るのだ。

精神分析は自分の人生を差し出すような試みである。何かを形にする行為ではない。

吉川浩満さんが山本貴光さんとの共著「人文的、あまりに人文的』でロビン・G・コリングウッド『思索への旅ー自伝』を取り上げている。コリングウッドが提唱した「問答倫理学」は、命題や作品に接するときには、「誰それはこれをどんな問題に対する解答にしようとしたのか」と問うような態度のことらしい。

私はいつも通り精神分析という体験と結びつけて考えているわけだが奇遇なことに(?)コリングウッドは哲学をやる以前は考古学をやっていたそうだ。フロイトもまた考古学には強い関心を向けていた。

やっているのは常に問題の再構成だ。そして「問題」とは、精神分析でいえば現在の在り方であり、過去の出来事なのだろう。そしてそれを語るさまざまな症状を持った(人は誰でも症状を持つ)その人の身体と言葉、暫定的な私という存在が「解答」なのだろう。一体、私という暫定的な解答は今のところどんな問題を示しているのか。

もちろん精神分析ではこれは一人の作業ではなく精神分析家との作業として思考される。技法としてはそのはずだ。それをなすべく、精神分析家も一定の訓練を受けており、自分自身も精神分析家との間に自分を差し出した経験を持ち、それがどんな出来事か知っており、解体しそうな患者にそれと気付かせないように抱える腕を持っているはずだ、理論的には。

そしてそれもまた錯覚であり、幻想であることを知らせるのもまた精神分析なのだろう。終わりのない仕事だ、生きている限りは。

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精神分析

精神分析と絶滅

吉川浩満『増補新版 理不尽な進化ー遺伝子と運のあいだ』(2021,ちくま文庫)を読んでいると「グールドよかったね」と親戚でもなんでもないのに思う。

語られること、読まれることで生き続ける、という意味ではグールドのような登場人物だけでなく、作者も作品もそうかもしれない。当人が願っているかどうかはともかく(むしろ大きなお世話である可能性すらあるがこれはこれで読者の営みなのでご容赦を)。


吉川さんがこの本で最初に登場させるラウプの3つのシナリオでもっとも有力と思われるシナリオ=「理不尽な絶滅」。詳細はぜひ本書をお読みいただきたいが、ここでは例によって「絶滅」から「精神分析」をちょっとだけ考える。自分に引き寄せて読む悪い癖だけど癖はなかなか直らない。

精神分析は語ってくれる人を持ちづらい誰かが自由連想を試み、治療者がそれを受け取ろうとする試みを続ける限りは生き残るだろう、と私は思っている。

精神分析を絶滅危惧種という人もいるし、実際そうなのかもしれない。が、精神分析そのものは特に実体ではないので、絶滅しようもないのでは、とも思う。もとよりそんな大きな集団でもない。

誰かに向けて自分を語る、その行為がなくならない限りはこの営みもまた細々と続いていくのではないだろうか。

それにしても、精神分析がどうというより、誰かに向けて自分を語ること、その場所が保たれること、この状況下ではまずはそれを願うべきかもしれない、とも今思った。

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俳句 読書

旬を味わいたいな、と思って草間時彦『食べもの俳句館』(角川選書)を開いた。

「六月は梅雨。関東地方の梅雨入りは六月九日ごろという。」と読み始めて、あ、もう7月、と少し先のページに移動する。この本は1月から順番にページが割かれているのだ。

冷奴、鮒ずし、朝餉、冷酒などなど上段に並べられている季語を眺めるだけで美味しい食卓が見える。

鮒ずしの季語はとても懐かしい。もう何年が過ぎたのか。まだ何も知らなかった。知ればご一緒するには気が引けていただであろう大きな俳句結社のみなさんとの鮨屋での句会。友人が連れて行ってくれた。どなたの句か忘れてしまったが鮒ずしと雨を取り合わせた一句をいただいた。似たような湿度と匂いを感じてとてもお似合いの素材だと思った。まだ句会のルールも何も知らなかった頃。とてもとても懐かしい。

さて7月(p136〜)には16個もの季語が並ぶ。

6月は?とページを戻すと泥鰌鍋、莫迦貝、新生姜(この二つはセット。一杯屋下物莫迦貝と新生姜 石塚友二)など7個。

7月のエッセイはこう始まる。「立葵の赤い花は下から咲き昇って行く。花が天辺に達したら梅雨明けだというのは、昔からの言い伝えである。」なんて素敵なんだろう。6月を読み直す。

「六月は梅雨。」ふむ。そうだね。7月の方が断然好きそうだ、作者は。

冷奴隣に灯先んじて 石田波郷

もいい。しかし、

朝餉すみし汗やお位牌光りをり 渡辺水巴

が気になった。

「戦争前の東京の中流の家庭の姿をよく見せてくれる一句である。」とこの朝餉の場面を描写する時彦。水巴は「黒胡麻はお気に召さない」そうだ。

ここで水巴のことを調べ出してしまい、とりあえずメモのようなTweetを残して仕事へ行った。

わたなべすいは。1882(明治15)年、東京都台東区に生まれ、1946(昭和21)年、強制疎開で移った藤沢市鵠村で没。父は近代画家の渡辺省亭。妹のつゆは水巴と同じく俳人である。

内藤鳴雪に師事後、復活した『ホトトギス』雑詠欄で虚子に見出された。主観の尊重を説く「主観句に就いて」という拝論も発表しており、虚子には「無情のものを有情にみる」と評された。

同時代の俳人としては村上鬼城、飯田蛇笏、前田普羅、原石鼎が輩出、大正の興隆期だった。水巴は1916(大正5)年に俳誌『曲水』を創刊・主宰、俳人以外の職業につかず、生涯それを貫いた俳人だった。

という。それぞれの俳人がそれぞれの時代を生き、食べ、俳句を作り、生活をする。

冷酒の氷ぐらりとまはりけり 飴山 實

水飯のごろごろあたる箸の先 星野立子

ルンペンに土用鰻香風まかせ 平畑静塔

などなど。

食べ物の句は美味しそうでなければいけない、と言われる。

それは見栄えや味だけではない。音、香り、感触、空模様、全てがその時々の食べ物を作っている。

もうこんな時間だ。明日は明日の朝餉あり。ありかなしかも人それぞれか。まずはどうぞ良い夢を。

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読書

忘却と疲労

ブラインドの傾きを変えると部屋が少し明るくなった。でもほんの少しだけ。今日も雨。のっぺりした薄いグレーの空が遠くの方まで広がっている。色々なところで色々な音を雨がたてる。降りこんでくる感じではないので窓を開けたままにする。

この一年以上、移動範囲、行動範囲をごく限られたものにするという不自由に驚くべき順応力で、それぞれが「我慢」をし、新しいウィルスに、というか事態に対応してきた。

保育や介助、介護が必要な世界では物理的な距離を取ることはそれ自体が相手の生死に関わる。それでも見えざる力による行動制限のなかそれらを行うことはこれまでごく自然にされてきた「ケア」に対しても躊躇や再考を促した。赤ちゃんを抱っこしないことなどありえない保育園を巡回している私も保育士の皆さんとさまざまなことを話した。身体に関われなければなにもできないという苛立ちや焦燥感は、ニードとニーズの境界を明らかにした側面もあるかもしれない。ここで今、自分ができることはなにか、関わらねば死んでしまうとしたらなにをどうやって?関わらないでなにかを成しうるならどうすれば?

触れたそばから拭き取られ消毒を求められる日常は、私たちの生活の一部をひどくのっぺりしたものに変えた気がする。今朝の空みたいに。「しかたない」という言葉が理由になる日常で、どうにか、少しでもできることをともがくのはひどく疲れる。しかしそれをしないとコロナにかからずとも生活が危うくなるかもしれない。どうすれば、どうすれば、と頭を働かせようとすればするほどぶち当たる無力感。もうどうしようもないのでは、という疑念が確信に変わっていくのを感じつつもそれを止めるにはあまりにも希望が足りない。あまりに自由が足りない。だんだん頭がぼんやりしてくる。オンラインで笑いあって画面を閉じたあと、また空虚と出会い無表情の自分と出会う。まるで生きるか死ぬかの二択を常に突きつけられているロボットみたい、と感じることもあるかもしれない。でも私たちにはこころがある。といったところで「こころ」って?と思うなら感覚でもいい。とにもかくにも私たちはひとりひとりみんな違う。感じるのは自由なはずだ、と自分で自分に言い聞かせる・・・

人間にあってAIにないもの、世阿弥において無主風から有主風を生み出すもの、それは忘却と疲労だと能楽師の安田登さんはおっしゃっていた。記憶については私もこの一年で数冊の本を買った。多方面からの知見が続々と積み重ねられている領域だ。しかし、なるほど疲労か。人間を人間たらしめているもののひとつにそれがあるとしたら、私たちは見えざる力による制限に疲れ、ぼんやりと曖昧な状態にあることでカッコつきの「正解」に向かって突き進むことを回避できているのかもしれない。

「疲れた」、この言葉がこれだけたやすく共有できた日々などあっただろうか。すぐに励まされたりなにかいわれることなく「ねー」と疲れた声を出しあえる基盤をこの事態はもたらした。「消毒疲れ」といっても説明なく通じるようになった。「疲れた」、力なく、ダラダラと、無力と疲労を表現すること。私たちはそうやってこれまで積み重ねてきた記憶が新しい情報や枠組みに乗っ取られることから自分を守ってきたのかもしれない。新しい情報は進化において定着してきた記憶よりも忘却されやすくはないだろうか。今日の稽古も疲れた。もう途中から師匠の言葉が入ってこなくなってしまった、でも身体は動く。自分には染み付いた記憶がある、と。

それぞれのペースでそれぞれの日常を。取り返すというよりは少し別の仕方でぼんやりと過去に浸りながら。変えられてしまうのではなく急がず少しずつ変わっていく自分を感じられたら。多分、この期間、それぞれがなんとかやってきたという事実が支えてくれる。そうだったらいいなと思う。

ちなみに安田登さんの新刊『見えないものを探す旅ー旅と能と古典』もおすすめです。試し読みはこちら

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精神分析

不確かさと沈黙

ほんと言うだけなら簡単、と私も思われているに違いない。してもいない経験をまるでしたかのようにいうことには相当の注意を払っているつもりだが、経験をするということがどういうことかということも常に問い直される。

ひどく痛むのに「ここだよ」と痕すらみせることができない傷、もはやどこにも起源を見出せない痛み、精神分析は痕跡について特殊な理解を示してきた。一見因果論にみえるかもしれないそれは触れればそうでないとたやすく知ることになる。

これはこうだと決めることはできない。確定した途端にそれが錯覚だったと気づくような不確かさに触れ続ける体験は精神分析に独特のものだろう。どっちにもいけない場所で自分を感じ続けること、精神分析家になる訓練が必然的にもたらすはずのその痛みを十分に生きることであるとしたら「真の」精神分析家などいないのではないか。その懐疑とともにそこにいる以上はともかくも死んではいないということだろう。

饒舌な語り手の前に沈黙し、上書きされ累積する痛みに身を沈めること、判断を保留し、自分に閉じることで開かれること。いずれ、と願うばかりの毎日にもいつか、と思えるようなささやかな出来事が今日もありますように。

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精神分析

5月4日

今日は5月4日、スターウォーズの日だそうだ。なんで?と思ったらすぐ調べられる時代だけどまあいいか。私は最近吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 増補新版』(ちくま文庫)の紹介をするのにMay the Force be with youは使ったばかりだ。

さて5月4日、GW。いつもならどこかを旅しているはずだった。旅先での夜は早い。ほとんど店のない土地へ泊まるときは宿の夕食をいただく。その後、散歩に出たとしても真っ暗な道を何時間も歩く気も起きないのでなんとなく別の道を通って戻る。地方局のテレビを流しながら明日の天気を確認したり、一日をぼんやり振り返っているうちに眠ってしまい、空が白み始める頃にはすでに起きてからしばらくが経っている。

早朝から散歩に出るのは旅先での常だ。どの土地へ行っても朝はほとんど誰にも会わない。年末年始以外は。1月1日は朝9時くらいにのんびり初詣に行ったほうが人は少ない。すでに大量の人がそこへきた跡を目にしながらのんびり歩く。

色々な人から故郷の話を聞く。日本の全県を通過しさまざまな土地を旅してきた。話をききながら思い浮かぶ景色もそれなりにある。そのうちに家族の話になる。すると途端に景色が息づく。同じ業種であっても土地が違えば働き方は異なる。同じ父母と呼ばれる誰かから生まれた子供であっても育ち方はまるで違う。その人が語る土地や家族、育ちの歴史、そんな話を聞いているとその人の景色が色づきはじめ、わたしのこころも揺れる。

私が精神分析を信頼できるのは「なんらの一般的な原理や法則にも還元できない歴史的事象の細部にまなざしを注ぎ、些細な生物や忘れ去られた科学者と行った題材をその単独性において描き込んで」きたからだ。これは先述した吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 増補新版』(ちくま文庫)p372-3にあるトルストイとグールドに対する記述でもある。

彼らについてはこの本を読んでいただくとして、ひとついえるのは、私が信頼するこのあり方は何者かになろうとすれば混乱を引き起こし過ちを犯しやすいということだろう。

「精神分析家」という特異な存在に向けられるまなざしを自分の中に見出すことはたやすい。私は引き裂かれずに生きていくことができるのだろうか。

とはいえ、私たちは生き残るために生きているのではないし、敗北や絶滅という事態が生じたとしてもそれは私たちの生をなんら意味づけない気もする。

May the Force be with you.

私の仕事は彼らのなかに、そして私のなかにあるそれを信頼することなのだろう。精神分析はコロナ禍であってもなくても身体的な接触はもたない。私たちは卵をあたためるようにそれに触れないまま相手を抱え、感じ続け、殻がつつかれればそれを助ける。それぞれのペースやリズムがある。ただその「それぞれ」はどうしても単独では生じえないのだ。あまりに人間的ななにかより自然としての人間の力、あの映画もこの本も私の今もそれについての再考という点でつながっている気がした。

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くりかえし

私のオフィスからは明治神宮がきれいに見える。目線の先に広がる森の下で誰がどんなことをしているのかは知らない。初夏を迎えたことははっきりとわかった。

月の満ち欠けも感じることができる。仕事を終えて電気を消してもう一度カーテンの向こうを振り返る。さっきよりずっと明るい満月が見えた。たなびく雲の、という歌を思い出す日もある。時々色を変える東京タワーの見え方も日々違う。

ほとんど時計をみなかった。到着時刻を知らせるメッセージが届いたがこの後の予定はだいぶあとだ。領収書の整理をしたり、視界に入った埃を拭いてみたり、積まれた本を棚にしまったり、友人の作品を眺めたりしているうちにチャイムが鳴った。

窓を大きく開けていたので音に気付くのが遅れた気がした。ちょっと待たせてしまったか、と思いつつ迎え入れる。特になにをするわけでなくただ話したり黙ったりした。その人は眠そうだった。私はどうだったのだろう。あまり何も考えていなかったみたい。

ほとんど時計をみなかったな、とひとりになってから思った。ただぼんやり過ごすとかできない、という友人たちの顔を思い出した。私はいくらでもできる。

普段は時間を常に気にしている。というか時間がくればいつもと同じことがはじまって、時間がくればそれが終わる。その繰り返しを過ごしている。

オフィスにきてカーテンの向こう、ああ、5月だ、と感じる。私のオフィスはひんやりしている。外はあんなに暑かったのに。

季節がめぐる。私たちは会い続ける。私たちと季節は常に同期しながら色を変えていく。これまでもこれからもずっとそうだろう。ずっと同じ人とずっと同じ場所でずっと同じことをしているかどうかはわからない。でも何かが変わっても私は私で季節とともに生きていくのだろう。

休日はいい。素朴な気づきにこころが静かになる。

もうすぐ9時だ。空から闇が抜けて水色になる頃にはすでに起きていた。今日もあの森を眺めて、電気を消して空を振り返る。一日が過ぎて一日が始まる。その繰り返しのなかに今日もいる。

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精神分析

無力

人との「つながり」がいかに理不尽なものか、私はわりといつもそればかり考えているような気がします。コロナ禍では特にそうです。そのせいか何かと押しつけを嫌います、今は特にかもしれません。もうちょっとゆっくり考えさせてほしいと思うこともしばしばです。自分の押し付けがましさを棚に上げてと言われるかもしれないけれど、少なくとも私は治療者としてはそれに対しては意識的なほうだと思うのです、多分(自分のことは自分ではわからないのでまだ訓練中の立場です)。

ウィニコットという英国生まれの精神分析家がいます。

彼は『情緒発達の精神分析理論』という本で「交流することと交流しないこと」について書きました。

英語だとCommunicating and Not Communicating Leading to a Study of Certain Opposites (1963)

書名はThe Maturational Processes and the Facilitating Environment: Studies in the Theory of Emotional Developmentです。

ウィニコットは英語で読むことが大切だと思っているのでがんばって英語でも読んでいます。

冒頭にはKeatsがBenjamin Baileyに当てた手紙からの引用があります。

Every point of thought is the centre of an intellectual world (Keats)

ウィニコットもたくさん手紙を書く人だったそうです。そしてこの文章は私がこの論文で最も好きな箇所で再び繰り返されます。

I suggest that in health there is a core to the personality that corresponds to the true self of the split personality; I suggest that this core never communicates with the world of perceived objects, and that the individual person knows that it must never be communicated with or be influenced by external reality. This is my main point, the point of thought which is the centre of an intellectual world and of my paper. Although healthy persons communicate and enjoy communicating, the other fact is equally true, that each individual is an isolate, permanently non-communicating, permanently unknown, in fact unfound.

いつも考えていることの大半はこの文章に集約されている気さえします。ウィニコットが何を持って「健康」とするかはともかくいわゆる「普通」と言い換えてもいいかもしれません。

肝心なのはthe other fact以降です。an isolateである私たち(=私)、これを維持することは生きているということの本質をなしているように思います。

コロナ禍において断たれたつながりは私に改めてその理不尽さを知らしめました。コロナというウィルスは誰のせいでもなく広がりました。そしてそれに対する無力に耐えられなかった集団化した思考の行動化によって私たちは無力でいることさえ許可が必要になった気がします。それもまたひどい無力感の現れですが。

偽りの「つながり」や「連帯」がan isolateである私たちを、本来誰からも見つけられることのない不可視であるはずの私たちを剥き出しの状態にしたともいえるでしょう。

今はただこういう抽象的な言い方しかできません。もちろんこれは具体的な体験に裏打ちされている感覚です。しかし精神分析は渦中にあるものがいかに潜在性を帯びているかに驚かされてきたはずであり、その事後的な発露を待ち続けるような学問でもあると思います。

だから私は判断を最大限保留したいと思っています。それは思考や情緒が無駄に波立つことを抑えるためではなく、むしろ逆で、刻々と時は過ぎ、老いていく自分にはその時間を同質に引き延ばすことなどできないと感じながらその無力にとどまることが大切なように感じるからです。

それぞれの「孤立」が守られること、私のそれを私自身が裏切らないこと、不安な毎日が続きますがこの無力を抱え込みながら過ごすこと、まずはそこからと思っています。

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精神分析 精神分析、本 読書

友人が好きな歴史小説を教えてくれた。早速Kindleで買って読み始めた。本に限ったことではないが、その世界全体を見渡そうにもそれは海を眺めるようなもので「ここからみた景色が好き」と連れて行ってくれる友人はありがたい。ありがとう。

一方、ただ海を眺めるときの様々な情緒の揺れや混じり合いは独特でほかの行為では得難く時折とてもそれを欲する。

歴史小説にあまり馴染みがないせいか、まずは登場人物の関係図が頭に出来上がるまでに時間がかかってしまった。まぁこれも歴史小説に限ったことではないが、私の場合。

時代ものと言えばいいのだろうか、私は藤沢周平を敬愛しておりいつも手元に置いている作品がある。以前、ここかどこかでそれについて書いた気がする。

同じ土地に生きていてもそれぞれの日常がある。それはごく当たり前のことだ。

藤沢周平の作品でもモチーフ自体が斬新だったり、いつも何か新しいことが起きるわけではない。どれもこれも小さなまちで寝起きしている男女の日常が描かれているだけ、といわれればそんな気もする。しかし、彼らは生きている。激情を、諦めを、嫉妬を、殺意を、愛しさを。

海が海でしかないように言葉にしてしまえばそれはそれでしかないのかもしれない。それでもそれは「それぞれ」のものでこころ模様ほど多様で複雑なものはない。

藤沢周平の流麗な文章は、めくれたりとじたりする「それぞれ」のこころのひだを私に体験させ沁み渡らせる。

歴史も海も人も全体をみわたそうとすれば途方に暮れる。

精神分析を体験している人はその途方もなさに唖然としたことがあるだろう。自分のこころなのにあまりに・・。

精神分析は、毎日のようにカウチで自由連想をすることを基本原則とした。だから今日、せめて明日、刻々と色合いを変える自分のこころの「今ここ」の描写を、ひとりでは難しいからふたりで、と考えた。

途方もない自分のこころの全体性あるいは潜在性を信じ、自分自身に丁寧に関わることでこんな困難よりは少しはましな生き方をしたい、そう願う人は少数かもしれない。なぜならその営み自体もまた困難を伴うから。

藤沢周平は、自分のこころの動きに押し潰されそうになりながら小さな理解と小さな諦念のもと悲しみと清々しさと共に小さな一歩を踏み出す「普通の」人たちを生き生きと描き出す。

傷つきや困難を伴わない関係性などおそらくないのだろう。

海を見たい。いずれいつかの週末に。少し足を伸ばせばいける場所にあるのだから。

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精神分析、本

進化

「短期力動療法入門」に関するアカウント@amisoffice1を作ってみました。

GWにみんなでこれについて学ぶのでちょこちょこ情報発信をするつもりで関係のある本から断片的に引用をしていたのですが、引用は断片でも引用する私はそれが書かれている文脈全体をみているので色々と考えだしてしまい、気づくと関係のないことばかり自由連想的に書きそうになってしまっていたのでした。

なのでこちらでちょっとメモ的に書き流しておこうと思った次第です。短期力動療法は焦点化アプローチですが、拡散する思考をそのままおいておくのも私は好きです。いずれどこかへ消え去るとしてもとどまったり通り抜けたりすることにはなんらかの意味があるでしょうから。

さて、フロイトもウィニコットもダーウィンの進化論の影響を強く受けていました。進化論それ自体もいまだに進化の途上にあるわけでリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は内容を知らなくても書名は知っているという方も多いでしょう。無神論者という点ではフロイトと同じですね。

進化本としては、昨年文庫化されたマーク・チャンギージーの『ヒトの目、驚異の進化』には驚かされました。石田英敬さんが『新記号論』でこれに触れておられたのと、その石田さんの解説+豪華な帯に惹かれて買ってしまいました。

なんだか私たちの姿を別の仕方で見せられれば見せられるほど自分の感覚の不確実性、あるいはこんな私、私は知らない、という感覚を持ちます。

精神分析をうけることもそういう驚きにみちているのは確かですが、なんだかそれが自分だと思うことの難しさも感じたりしますね。

ということで私は仕事に戻りましょう。

今日は土曜日、明日は日曜日。よい週末をお過ごしください。

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写真

小彼岸桜

つれづれともの思ひをれば春の日のめに立つ物は霞なりけり

ー和泉式部日記

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精神分析、本

珈琲

早朝のルーティンをこなし、珈琲を淹れた。淹れる、という漢字を使うのってこんな時だけかもしれない。「淹れる」はお湯にしか使わないのね。いや、そうでもないのか。ネット上にはいろんな情報があるから結局何が正解だかよくわからない。まぁいいか。すぐに忘れてしまうし、珈琲を淹れる、淹れた、と書くときにしか使っていないのだから。

以前、noteで、バイトしていた店のアイスココアの思い出を書いた。こっちのブログに移行したかどうか忘れてしまったがあれはとても美味しかった。一昨日かな、ここで書いた自転車もそうだけど思い出には必ずモノが登場する。臨床場面を描くときもそうだ。舞台上の小道具にスポットライトが当たるように私の記憶のなかでそれらは時折こうして浮かび上がり再びその記憶と私を交合わせる。

そういえばnoteは退会した。多くの方に読んでもらいたい場合には適したメディアだったみたいだけど、私はSEO対策(?)とかもよくわからないし、これも本当はどうかわからないけど運営上の問題を(ネットで)見聞きしてお金をかけるのをやめた。noteにはダッシュボードというのがあって、アクセス数がわかったのだけど相当の数の人が読んでくれていたらしい。でも私の周りでnoteをやっている人が時折呟いているアクセス数とかものすごい数だから私にはびっくりしてしまうこの数も大したものではないのかもしれない。私は小さいオフィスで地道に仕事をしているだけだからこういう場所で徒然にただ書くのがあっている気がする。

全ての記事を移行したわけではないが(理由はないが移行に疲れてしまった)大したことを書いていたわけでもないからまあいいかと思う。また同じようなことを書くだろう。

いろんなことは相対化することで意味が変わってしまう。その点、モノというのはただそこに、素朴に、確かに(だと思う。触れるし。)存在しているのがいい。マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』という書名が頭をよぎった。来月でる本のなかの一章を書かせてもらったけれど、そこにはモノが登場していない。そこにはどんな意味が、と一瞬思ったけど、すぐに登場している場面を思い出した。私の記憶なんて曖昧なモノだ。

何を書きたかったのか忘れてしまった。珈琲はコロンビアだ。紙のフィルターがどうにもドリッパーっていうのかな、フィルターをセットするあれに収まりが悪い。たぶん、円錐型じゃなくてなんだろう、台形形っていうのかな、それだからだと思う。円錐型も探せばあるけど近くにあるものを使ってしまうのもいつものことだ。お湯を注ぐと陶器のポットにリンリンときれいな音をたてて珈琲が落ちていく。ポットは21年前、北沢タウンホールに移る前の聖葡瑠の前にあった雑貨屋さんの閉店セールで買った。ポットが大好きで、どこの土地へ行ってもポットがあれば足を止める。友達と山中温泉にいったときに山中に工房を見つけて一目惚れしたポットがあったが、迷いに迷った挙句買わなかった。ポットはポストカードみたいに気軽に買えないし、数はいらないので迷って買わないことの方が多い。でも今もあのポットだけはこうして何度も思い出す。あの旅からも20年近くが過ぎた。金沢と山中温泉の旅。激しい頭痛というものをはじめて知ったのもそのときだったが、それも辛い思い出ではない。そのときのことを思い出すと今もちょっと可笑しい。楽しかったな。

聖葡瑠はもうない。移転後も何回か行ってマスターと言葉を交わした。素敵な人だった。独特の雰囲気を持つ常連さんも多くて、小さな店で写真や絵を眺めながらマスターと彼らの話を聞くのも楽しかった。こだわりの珈琲を几帳面な様子で丁寧に淹れてくれた彼は今はどうしているのだろう。だいぶお年に見えたけれど。

書きたかったことを忘れたのに文字を打ち続けてしまった。まだ少し出かける前にやることがあるのだった。

今夜は一年かけて読んできた『フロイト症例論集2 ラットマンとウルフマン』を読み終える。昨年度は『フロイト技法論集』を読んだ。これらについてもオフィスのHPやもうひとつのブログに書いた。来年はドラを読むが、この岩崎学術出版社版フロイトではいつか訳されるのだろうか。そもそも症例論集1、っていつ出るのかな。そもそも存在するのか。世界は存在しないのか。まあ、いいか。フロイトの翻訳はたくさんあるから色々読んでみれば。

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精神分析、本 読書

『ウィトゲンシュタインの愛人』を読み始めた

デイヴィッド・マークソン『ウィトゲンシュタインの愛人』(木原善彦訳、国書刊行会、2020)を読んでいる。隙間時間にパラパラしているのでなかなか進まないけれどとっても好きな書き方でワクワクする。

Kindleの不便なところ、あ、これ早く読みたくてあまり得意でないKindleで買ってしまったのだ。そうそうKindleの不便なところ、1、マルジナリアに書き込みできないこと。2、紙の本とページが対応していないところ。

デバイスや設定によってページ数も変わっちゃうし。大きい字にできるのは老眼にはありがたいけど。

でもこの本はKindleでよかったかも、私には。

主人公の語りはさながら自由連想。夢を語るように自由に景色を行き来する。この世界はこの主人公だけのものだ。今のところ圧倒的に孤独な。身体の変化だけがかろうじて時間に一貫性を与えているようだけどそれもずいぶんぼやけてきたらしい。豊かな知識で一見饒舌な語りだがとてもとても乾いている。何が燃えても彼女には風景の一部だ。しかし時折情動に突き動かされたかのような様子も見せる。一体、この話はどこへ進んでいくのか。進むのを拒むように揺れ動く景色。

こういう書き方が私はとても好きだ。好きな接続詞がいくつも出てくる。あぁ、この書き方がとても好きだ、と読み始めてすぐに思った。そしてKindleでよかったと思った。

もしかして、と思って、ちょっと先走って検索してしまった。やっぱり、と嬉しくなった。好きな接続詞がたくさん使われている。こういうときKindleって便利だ。どんな単語も検索ができる。

もちろん翻訳だから元の単語はわからないけど、木原善彦さんの翻訳は山本貴光さんと豊崎由美さんがとてもいいといっていたからとても信頼できる。信頼の連鎖。

本の読み方は色々あるが、山本貴光さんが『文体の科学』か『マルジナリアでつかまえて』で私と同じような、いやもっとずっとマニアックな方法で本を全方向から楽しんでいるのを知ってとても共感した。無論あちらはプロの文筆家でありプロのゲーム作家なのでその緻密な方法には驚くばかりだ。

山本さんは吉川浩満さんと「哲学の劇場」という動画も配信していてそこでも本の読み方について話していた。

ちなみにこの『文体の科学』もすぐにほしくてKindleで買ってしまったけど山本さんの本は紙の本で買うべきだった。わかっていたはずなのに欲望に勝てなかった。せっかく載せてくれている資料がKindleだと全然楽しくないことを学んだからいいけど。失敗から学ぶことばかりだ。

ばかりだ、と二回使った。

早朝から家事を済ませ、こうして短時間書く作業はとても楽しい。この時間に読めばよかった、と今気づいたけど。

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精神分析 精神分析、本

自転車と親子並行面接

オフィスのそばの自転車屋さんへ行った。学生時代に新宿で買ったマウンテンバイクもどき(マウンテンバイクなのかも)はもはや枠組以外残っていない。長い年月を経て様々な部品を交換しながらも原型を保っているこの自転車がちょっと愛しい。最近、ずっと乗っていなくてごめん。

枠組みは大切だ。

2020年、私が子どもと親御さんの心理療法を行っているクリニックのメンバーで本を編んだ。『こころに寄り添うということ 子どもと家族の成長を支える心理臨床』(金剛出版)という本だ。院長を中心とした日々の試行錯誤を仲間たちとこうして形にできたことは喜びだった。それぞれがそれぞれの技法でそれぞれの患者と実践を積み上げてきた痕跡がそこにあった。

私はそこで親子並行面接を取り上げた。「クリニックにおける心理療法の実際」の「第5章親子並行面接という協働」という論考である。社会人になってはじめて勤めた教育相談室時代からこの枠組みはずっと私の実践にある。多くの親子の「子担当」、あるいは「親担当」になり、私は先輩方と協働していた。慶應心理臨床セミナーに出始め、児童精神科医にスーパーヴィジョンを受け始めたのもその頃だ。まだ「親子並行面接」そのものを問うてはいなかった初期の初期。

その後、20年、実践を重ねるにつれ、この枠組みの意義について疑問を持つことが増えた。教育相談室をやめたあとも親子の心理療法を担当する場は持ち続け、この枠組みとはともにあった。今回論考を書くにあたり、テーマはあっさりと決まった。

昨日もここで、精神分析は、こころのなかに複数の人を住まわせる作業だと書いた。私は、集団をひとつのパーソナリティとみなすと同時に、個人のパーソナリティを複数の自己と対象からなる集団とみなす、というビオンのアイデアを援用し、親子並行面接という枠組みを見直してみた。

親子並行面接はこころの複数性に形を備えたものであり、それぞれが緩やかにつながりを維持することで、子どもと親のこころが安全に重なり合う場として空間的に機能する、というのが私の概ねの主張であり、論考ではそれを事例を用いて示した。

店には美しいフォルムのかっこいい自転車がたくさんあった。私の古ぼけた自転車も当時はそこそこ素敵でたくさん褒めてもらった。スクールカウンセラーをしていた学校の嘱託の先生は自転車乗りで、私の自転車を気に入ってくれてメンテナンスの仕方を色々教えてくれた。一緒に100キロ走ったこともある。若かったな、と今思ったが、彼は当時すでに還暦を過ぎていたわけで、若さの問題ではなさそうだ。

「これとっちゃっていいですか」若い店員さんの声に振り返る。手を黒くして作業してくれている。すでに本体のない台座を彼は指差していた。昔つけたスピードメーター、そのセンサー、最初につけたライト、2番目につけたライトなどなど。台座という痕跡が本体の記憶を蘇らせ、思い出を再生する。こんなに痕跡を残したままだったんだ。少し可笑しくなって笑いながら答えると店員さんもつられて笑った。

タイヤもサドルも当時とは違う。なのに見かけは当時のままだ。だいぶ黒ずんだけど。強固な枠組みは痕跡を抱え、私の年月を抱え、思い出を作ってくれた。私はこの自転車でとてもたくさんの場所を走った。昨日も自転車をとめては降りずに写真を撮った。曇り空の向こうに残る水色の空と夕焼けがきれいだった。

オフィスのある初台は昔住んだ街だ。当時とは街並みも変わった。商店街の名前は当時のままだ。あの頃から乗り続けているんだな。あれから何人の人と出会い、別れてきたのだろう。

これまで出会ってきた親子の多くはもうすでに別れているだろう、物理的には。当時子どもだった彼らはもうすでに子どもではないのだろう。当時すでに親だった彼らはきっといまだに親であり子どもでもあるのだろう。

私は教育相談室時代の仲間と今も緩やかにつながり、コロナ禍においても支えあった。私たちは彼らとの共通の思い出がある。いろんなことがあった。この論考も読んでくれた。まだ同じことを考え続けていることを褒めてもらった。論考に「協働」とつけたのはまさに彼ら彼女らとの仕事がそうだったからだ。

私たちは親子、あるいは大人と子どもという枠組みを維持したまま世代をつないでいく。緩やかに繋がりながら痕跡を残し、壊れたり、壊されたり、修復したり、捨てて新しくしたりを繰り返しながら日々を過ごしていく。この自転車ともいずれなんらかの事情で別れるのだろう。もう危ないからやめなさい、と言われまではメンテナンスを繰り返していろんな道を走りたいと思う。

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精神分析

True Colors

Cyndi LauperのTrue Colors、思春期のあたたかな思い出だ。THE BLUE HEARTS「少年の詩」もあのカセットには入っていた。♪1.2.3.4 5つ数えてバスケットシューズがはけたよ♪

私はバスケ部だった。大好きでいつもそのことばかり考えている。バスケはそういうものだった。精神分析は今もずっとそうだ。これからは俳句もそうなっていくかもしれない。〆切までに出すのが精一杯だけど。

人が人を想う。言葉だけならすでに使い古されているかもしれない。私はチームスポーツが好きだ。組織での訓練にも大きな価値を見出している。喜びも悲しみも苦痛も絶望も希望も終わってみれば全て夢のようかもしれない。それでも生きている限り、それらは私たちのこころを彩り続ける。

そばにいてもわからない人のことを想う。電話越しでも伝わってくる人のことを想う。会えない距離の人のことを想う。明日会えるのに囚われてばかりの人のことを想う。

精神分析は複数の人をこころのなかに住まわせる仕事だと以前にも書いた。私はあなただったりあなたは私だったり彼や彼女が私やあなただったりする。あの時の場面、あの時の出来事が、今ここと交差して立ち現れる。

思春期はまだ幼い。それまでとは異なる性愛の世界の入り口で身体もこころも戸惑っている。私は何者なのか。それはこれから先も長い間あなたを悩ませるかもしれない。

問い直し、出会い直す。痛みも多い作業だ。それでも人は人を想う。想われた記憶がふと現れるとき、想う私も現れる。それがないならここで紡ぎ、編み出していく。

大切な曲がたくさん詰まったカセットテープをもらった。小さな几帳面な字で曲名が書かれていた。「シンディー・ローパー/True colors」。今はApple Musicで聴くこの曲も探せばあのカセットテープできけるだろう。

I see your true colors and that’s why I love you.

忙しない日常を今日もはじめよう。また思い出すことはできるだろうから。

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精神分析 精神分析、本

「その場での旅」

今日は雨に濡れた。乾燥に困っていたので雨自体はありがたかった。夕方の空はすっきりしていてピンクと紺の重なり合いがきれいだった。細い月も出ていた。

オンラインでの仕事が始まるまでに片付けがてら見つけた資料をパラパラしていた。10年前に受けた江川隆男さんの「ドゥルーズの哲学」の講義資料だ。

江川さんは修論をカントで書いたそうで、その頃はまだアカデミックにやれるほどドゥルーズは知られていなかったのだといっていた。

私は、重度の自閉症の方と過ごす仕事をしていた頃、ABAを学びたいと思ったが、当時はアメリカで活躍しているセラピストの通信教育くらいしか見つけられなかった。今だったら日本でもスーパーヴィジョンを受けながら学べる。

学問との出会いは時代が大きく絡んでいる。文学だってそうだ。先日久々にパラパラした(パラパラしてばかりだな)柄谷行人『意味という病』にもそんなことが書いてあった。古井由吉のことを。もうすぐ彼が死んで一年が経つ。

それにしても「意味という病」を「意味のない無意味」と書いてしまう。年代的に近いのは千葉雅也さんの方だからか。いや、違う。あれは『意味がない無意味』だ。ドゥルーズつながりではある。

江川さんはドゥルーズの哲学は、新しい対象について考える哲学ではなく、考えている自分自身を変えないとわからない哲学だと言ったらしい。私の記憶にはないが、私のマルジナリアにはそう書いてある。それって精神分析が必要ということでしょう、と私は思うけどきっとそういうことではなかったと思う。

それにしても私のマルジナリアは読めない字が多いな。片方の肺がないのにタバコをやめなかったとも書いてある。ドゥルーズは「自宅の窓から投身して死去」した。

「哲学は悲しませるのに役立つのだ。誰も悲しませず、誰も妨げない哲学など、哲学ではない。」ドゥルーズ『ニーチェと哲学』江川隆男訳。

私はこれを読んでいない。江川さんが引用していたのを引用した。この講義はとても難しくて、かっこいい引用が多かった記憶がある。そのときすでに受けていた國分さんの講義で「ドゥルーズ読めるかも」と思ったのとは大違いだった。でも江川さんはわざとそうしているとも言っていたし、素人の私にも残る言葉がたくさんあった。否定でみるのが多義性、肯定するのが一義性、とか。フロイトの「否定」論文を再読したくなった、今。

ドゥルーズは「その場での旅」と言った。これは「運動」が生じるための「条件」の話であり、そこには「不動の差異」が存在するということらしい。ベケットとカフカが例にあげられている。「意味がない無意味」も再読したい、今。

「今」と書いても「いずれ」と書いても取りかからない限り同じことなのだが、あえて書き分けたくなるくらいの心持ちの違いはある。「その場での旅」。染み入る。

まずは今ここでやるべきことを。

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ジャズ

昨晩は大きい地震があった。みなさん、ご無事だろうか。

ずっとチック・コリアを聴いている。生きているのか死んでいるのかわからないほど、というより、ずっと生きているような錯覚を持っていたことに彼が死んで気づいた。いや、実際生きていたんだけど、ほんの数日前まで。

まだ79歳だったんだとも思う。まだ若いじゃないか。

私が初めてCDで聴いたジャズは家にあったマイルス・デイヴィスだった。チック・コリアのこともそれで知った。

大体のCDはレンタルの店にせっせと通ってカセットテープにダビングしてウォークマンで聴いていた。ジャズやロックはイトーヨーカドーの一角だったか新星堂だったか輸入盤を安く手に入れることができ、バイト代でせっせと集めた。

東京に出てから多くの時間を費やしたのもレコファン、池袋HMV、シスコ、渋谷タワーレコードなどだった。新宿レコファンでバイトしたかった。よく通ったカフェもずっとジャズが流れていたがあれはどこだったか。

日本での公演情報も目にしていたけど当時の私には高かった。ブルーノートには憧れ続けた。今思えばハードロックのライブにはすごくお金をかけたのだからチック・コリアもいっておけばよかった。大人の世界と思って敬遠したのだろうか。

BGMとして聴いていても時折焦燥感をもたらすのが私にとってのジャズだったけどジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、そしてチック・コリア、彼らは違った。聴き続けることができた。

生き続けている、そういう錯覚は聴き続けることができるという身体感覚と無関係ではないだろう。数年経ってチック・コリアの名前を聞いたときに「あれ?亡くなったんだっけ」とか言いそうだ。

昨晩のような地震があると、3月11日が近い、という感覚とともに過去に再接続される自分がいる。誰かの死を抱え込んで生きている、という感覚は以前このブログで墓の俳句と土居健郎に触れたときにも書いたと思う。

こころを抱えこころに抱えられて生きている。

地震が続きませんように。

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精神分析

春の句

春の句を10句作りました。

もう冬の句はしばらく作らないのね、と思って手元にためた1月の日めくりを眺めていたら苦手な冬が少し愛しくなりました。でもそれも多分少し遠ざかってくれたからいえることですね。

1月のベスト俳句は「手袋の左許りになりにける」かな。正岡子規の句。この句は1月13日(水)の日めくりにのった俳句です。私の手袋が手元に戻ってきてくれた日でした。俳句は実景を読むことでインパクトを与えるけど、実景にならなくてよかったです。

ちなみに今日2月12日(金)は「空ばかり春めく底の信濃かな」仲寒蝉

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読書

『新プロパガンダ論』

ゲンロン叢書008『新プロパガンダ論』について早朝から呟いていた。2018年4月から2020年9月にかけて、辻田真佐憲さんと西田亮介さんのお二人がゲンロンカフェで行った5回の対談が書籍化されたのがこちら。この間に何が起きたかを私たちは共有しているだろう。ウィルスによって。

辻田さんの「辻」は本当はしんにょうに1点なんだけど2点しか出ないからすいません。本当は1点のしんにょうの「つじ」さんです。

ところで、私は対談がそのまま掲載されているような本は、対談形式が多い著者以外のはあまり好きではないが、この本は書籍化に伴い大幅に加筆修正がされたという。というか大抵の場合、そうだと思うけどそうでないものもあり、雑誌ならともかく書籍だとなんだかなとなる。

内容についてはすでに呟いてしまったので書かないけど、書籍の一部はネット上で読めるので関心のある方はチェックを。私はとても関心があったのでゲンロン友の会に入っていると選べる本の中からこれを選んだ。表紙もカラフルでポップ(ポップの意味を本当はよくわかっていないけど)で置いておくだけでもかわいい。

でも置いておくだけにしないで読んだ。辻田さんは朝ドラ「エール」の時代考証(?)的つぶやきが好きでみていたのだけど、近現代史の研究者なんですね。西田さんは公共政策の社会学がご専門だそう。

この本、「プロパガンダ」というやや古い、しかもネガティブなイメージを伴う言葉を巡って二人が語り合っているわけだが、「新」と書名につくだけあって、この言葉がこの数年で生じた出来事を眺めるときのちょうどよいフレームになってくれる。

というより、お二人、とくに辻田さんがこの言葉の使い方がとても上手なのだ(西田さんはあえて使っていない)。議論を狭めるためではなく、広げるためにこの用語を使い、結果的にこの用語自体がもつイメージに曖昧さを与えることに成功している。少なくとも私はこの用語ってこうやって役に立ってくれるんだ、という感触を得た。

知ったり、学んだりすることが何かに気をつけることばかりにつながりがちな気がする昨今、情報を自分の自由な思考のために使えるようになりたい。

プロパガンダ、要するに情報戦略だが、それがどのように人のこころに入り込み、行動変容を促してきたか。精神分析的臨床の世界でも患者やクライエントと治療者がオンラインで出会うようになった。それだけではない。セミナーなどのオンライン化で彼らをオンラインにのせることになった。私たちは彼らをどのように表現していくのか。

私は、特に臨床家が対談をそのまま書籍化することが好きではない。これらは同じ問題意識から生じている感覚だと思う。話し言葉と書き言葉は違う。ともにいる場で話される言葉と身体が別々のところで話される言葉も違う。

コロナ禍の「利用」も言い方を変えれば悪いことばかりではないだろう。経験から学ぶ、という点ではたしかにものすごく気持ちを揺さぶられ、思考を促される体験だった。そこにどういう形を与えていくか、それをなんらかの合理化のもとに情報戦略として利用するか、空気感で忖度を迫るものたちに対して冷静に思考を維持できるか、どれも人のこころをどれだけ普通に慮ることができるかという話かもしれない。

辻田さんの冷静で率直な語り口は、西田さんがいうとおり「優しい」と思った。西田さんの政策に関する話は非常に勉強になった。よい対談だった。

そして以前『ゲンロン』に掲載された「国威発揚年表2018-2020」も加筆されていた。この対談が行われた期間は加筆せざるを得ない数年であり、それは今も続いている。今回「プロパガンダ」という用語がそのイメージに反していろんな世界を見せてくれたように、情報を単なる情報として受け取った結果、ダメージを受け、思考停止に陥るのではなく、情報が単なる情報である可能性を踏まえ、あれこれ考えることを意識するにはとてもタイムリーな本だと思う。

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読書

『往復書簡 言葉の兆し』

「言葉は浮くものです」と古井由吉は佐伯一麦への手紙に書いた。日付は2011年7月18日とある。

東日本大震災後まもなく2011年4月18日からはじまったお二人の往復書簡。

「それにしても「創造的復興」とか「絶望の後の希望」とか、「防災でなくて減災」だの、これはもう絶望の深みも知らぬ、軽石にひとしい。」

「生きるために忘れるということはある。しかしこれは、忘れられずにいることに劣らず、抱えこみであり、苦しみです。風化とはまるで違います。」

古井由吉は空襲を体験し戦後を生々しく肌に感じながら書き続けた作家だった。

ラカンが示したように、作家は精神分析が明らかにするまでもなく、事の本質を知っている。古井由吉の言葉には怒りが滲む。

あれから10年。私は何も変わっていない。ただ歳をとった。多くのものを失った。

私ひとりを抱えられない言葉で私は誰かのこころと何ができるのだろう。軽石のような言葉に傷つき浮かんでこなくなった言葉とどうやったら出会えるのだろう。

あれから10年。その事実の重さをそれぞれの小さな肩に感じながら生きる人たちを支えるのはなにか。私には想像もつかない。それがあることをただ願うばかり。そしてせめて私が軽々しく人の尊厳に踏み込まないように。

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ヒトの言葉

毛布みたいなロングスカートと静電気とともに帰る。

見出しだけでウンザリするようなニュースを読むべきかどうか迷って結局読まないまま電車を待つ。

静かな空。東京の空は暗くない。

こうしてなんとなく言葉を書きながら川添愛さんの『ヒトの言葉 機械の言葉』をぼんやり思い出す。

言葉がもつ曖昧さを処理する私たちの無意識。AIには困難なこと。私たちは「ヒト」だよね?

心底ウンザリする言葉には本来言葉がもつ力がない。何を言っても無駄だ、そんな言葉ばかり浮かんでくる。

そんなとき私はヒトだよね、と確認したくなる。

これ以上は、と感じるときAIのようになれたらと思うけど何も感じなくなるのは嫌だ。

人間の言葉はもっと難しくて複雑なはずで私たちはそれとともに生きていけるはず。

これ以上は、と思いつつ日常の一切はまだまだ言葉になっていないことに希望を。