まだそんなに気温高くないですね。鳥たちの声は聞こえません。なぜなら早朝からNetflixを見ているから。きっと今日も鳥たちは元気。「離婚しようよ!」はとてもおもしろかった。特に5話までが。今は「バーレスク」。朝から観るものでもないかもだが観たかったんだ。クリスティーナ・アギレラ大好き。楽屋でのDon’t touch my stuff!というセリフに反応してしまった。ケンブリッジに6週間いった時に寮で2週間同室だったコロンビアの子に私が圧を込めていったセリフ。Shit!なことが多かったぜ。一度本気でキレたら部屋に寄り付かなかくなったけど。不良少女たちみたいな雰囲気で妹分のような子たちはかわいかったし仲良くしてたんだけどな。腹たつ。私も相当やばいと思われたみたいだけど知らんがな、仕掛けたのそっちやろ、とまだ元気な20代でした。今でも同じことされたら同じことする気がするけど。戦略なんて増やしたくないしね。しかしシェールもかっこいいな。
三段ボックスの組み立てに苦戦しているときにたいして使っていなかったコンポ(という言い方自体懐かしい)でラジオを聞いていた。東京に来てから結構長くテレビもなかったしずっとラジオ生活だった。よい。音楽のサブスクもやめた。コンポのそばに積んであったCDやたくさんのカセットやMD、これら全部この小さなコンポで聞けるのだから、と場所を変えた大きなテーブルにコンポを置きラジオを聞きCDを聞きはじめた。今日はなぜかずっと一枚だけそばに置いておいたSonny Rollins、Way out west。1957年製作、発表。私が買ったのは1991年。
フロイトは「夢はひとつの願望充足である」とその機能を位置付けた。これは「快楽」と結びつけられるかもしれないが、フロイトによる「快」はとりわけ無意識においての「快」は前意識や意識にとっては必ずしも快ではない。フロイトの「快」や「一次過程」(eine andere Lokalität)の彼岸については『快原理の彼岸』とラカンによる発展を追う必要があるが夢がどこからどこへどうやって何をしようとしているのかを考えることは面白い。夢が不在の表象を代理するものとして(ラカンだったら来るべき表象とかいうんだっけ?)なにかしらのスプリットされた主体部分を呼び寄せるものだとしたらウィニコットが「夢を見られない」ことを主訴として精神分析を求めたのはその切迫した不安、あるいは切迫することができない不安に突き動かされてのものだったのかもしれない、など思ったりした。
今朝もCafe du Jardin。今朝は福生の地酒使用「吟のカカオ」。大吟醸酒が使われてるって。大丈夫かしら。仕事になるかしら。すごくしっとり。すごく濃厚。すごく美味しい。めちゃめちゃ濃いブラウニーって感じ。袋から出す時にしっとりすぎて少し手についたけど全部引き出すしたら薄いフィルムでそっと保護されていた。このお店は「金のカカオ」というお菓子が有名ならしいからそれの日本酒バージョンなのね。それにしても名前で遊んでるわね。面白い。そういえば昨日のアメリカン・カステラの袋にきちんと「福生基地前通り」って書いてあった。基地に対しては思うところあるけどそこで暮らす人たちのこともそこそこ知っている。この仕事を長くしていると本当に色々な暮らしを知ることになるので自分の体験に基づくもの以外は言及を控えることになる。私がファシリテーターをしている初回面接を検討する小グループでも「誰にもいえないこと」「言いにくいこと」がどういう風に現れるか頻繁に話題になる。聞けば聞くほど聞けないことが出てきたりその場では言葉にできて安心した風になってもそこを出た途端「言わなければよかった」「言うべきではなかった」という声が湧き上がってきたりする場合だってある。精神分析的治療は抑圧、否認されていた意味の意識化のために言葉を使うのではない。臨床現場にいれば言葉がさらなる混乱を導く場面に圧倒される体験は必ず訪れる。なのでその暴力性を認識せざるをえない。ごく一般的な本の一言にいつまでも苦しめられたりする場合だってある。「場合だってある」というのが大切。精神分析は言葉そのものを手段とする治療であるために常にその力と使用については特に議論がなされている領域だろう。イギリスの小児科医であり精神分析家であるウィニコットは晩年「交流しないこと」の価値を見出した。その論文が載っている彼の二冊目の論文集The Maturational Processes and the Facilitating Environment(1965)は昨年『成熟過程と促進的環境』という新訳かつ全訳がでた。この論文の題は「コミュニケートすることとコミュニケートしないこと:いくつかの対極の研究へ」(1963)と訳されている。以前の翻訳では「交流することと交流しないこと」と訳されていたが確かにこの言葉が持つ安易な方向性には注意が必要なのかもしれない。訳者の意図を知っているわけではないが。どこかに書いてあったかな。
“gift for you”とシンプルに書かれた小さな紙袋にウキウキ。マカダミアナッツのクッキーとアーモンドあられが入っていましたー。もう少ししたらコーヒーか紅茶を淹れよう。我が家は今紅茶も豊富。コーヒーの味はよっぽど特徴がなければあまり違いがわからないのだけど紅茶は全然違うからあれこれ楽しい。もう何ヶ月前になるのか早朝から作業をしていたカフェが突然休みになりいつの間にか閉店した。最初はコロナが出ちゃったのかな、大変だなと思っていたのだけど結局理由はわからないまま何もなくなってしまった。そしてそこには何事もなかったかのようにチェーンのカフェが入った。老若男女が集うカフェだったけど今は若者ばかり。いろんなことが起きるカフェで迷惑だなと思うこともあったけどお店の人たちも自由だったしいかにも地域のカフェって感じだったのにな。飲み物も頼まず電源だけ使っている若者は誰にも何も言われずやりたいことをやっていたな。何ってドライヤー使って友達の髪をセットしてた。流石に不衛生だし非常識だろ、と離れた席から眺めた。あ、でもこれコロナ前。コロナで非常識はマスクを外すことみたいな感じになっちゃったしなんだかな。時が経つのは早い、というかなんだかな。
1910年に設立されたIPAに所属する分析家が増えるにつれて制度化は求められ国際規格の訓練の義務化が動き出した。1925年バート=ホンブルクBad Homburgでのコングレスでのことだ。IPAの歴史はIPAのウェブサイト、HISTORY OF THE IPAで読める。現在はEitingon, French and Uruguayanの3つのmodelがIPAのトレーニングの基盤をなす。ちなみにこれは地理的な区分ではない。この前史、つまり1925年バート=ホンブルク以前のトレーニングを巡る状況とバート=ホンブルグ以降、Eitingonが主導したトレーニング委員会(International Training Board (のちのITC)が成した仕事をレイ・アナリストの問題と絡めて論じたSchröter, M. (2002) Max Eitingon and the Struggle to Establish an International Standard for Psychoanalytic Training (1925-1929). が非常に参考になった(IPAジャーナル83:875-893)。こんな感じ↓で動き出したらしい。
A new chapter in the history of psychoanalytic training began in 1925 at the Homburg Congress with a ‘Preliminary discussion of the question of analytical training’, convened by Eitingon. This led to the Congress decision that all the branch societies should elect a training committee and that the committees should combine to form an ‘International Training Commission’, to act as the ‘central organ’ of the IPA for all questions relating to psychoanalytic instruction (Int. J. Psycho-Anal., 1926, p. 141).