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1939年9月23日

1939年9月23日、フロイトが死んだ。その生涯はあまりに有名だ。でも、未公開の資料がいくら公になったところで、フロイトについての本が何冊書かれたところで、彼や彼以降の精神分析家が患者のことを知ったようにフロイトが理解されることはなかった。精神分析の創始者である彼には自己分析という方法しかなかった。

先日、認知行動療法家の先生から本をご紹介いただいた。『認知行動療法という革命』という本だ。原題は、A History of the Behavioral Therapies: Founders’ Personal Historiesなので本当は「行動療法」の第一世代の個人史だが、翻訳は「認知行動療法」となっている。

錚々たる顔ぶれが集まったこの本は、新しい世代の行動療法家が技法ばかりで歴史を重視していないことに対する警鐘から始まるが、精神分析を専門とする私が興味があるのはやはり精神分析に対する彼らの態度である。

「精神分析から行動療法へのパラダイムシフト」という章もあるが、精神分析に対して最も明快な態度を示しているのは「社会的学習理論とセルフエフィカシー ─主流に逆らった取り組み」を書いたアルバート・バンデューラと「認知行動療法の台頭」を書いたアルバート・エリスだろう。特にエリスは精神分析実践をよく知ったうえで書いている。

もっとも精神分析に向けられる批判はいつの時代も実証性のなさなのだが、体験した人にとってはそれ以上にこれを退ける意味や理由があるのだろう。実際、実証性に関してはエリスの時代よりも効果研究が進んで、それなりのデータを持っている。一方、もし、体験が精神分析を遠ざけたとしてもそれも十分にありうることだろうと、精神分析を体験している私も思う。むしろ体験したからこそわかるのだ。

精神分析はそんなに希望にあふれていない、不幸を「ありきたりの不幸」に変えるかも、とフロイトが書いたことからもそれははっきりしている。そんなものをどう信じればいいのか、と言われれば、まあそうだよね、という気にもなる。

でも、私たちはそんな簡単に何かが修復されたり、改善されたり、正しくなったり、美しくなったりする世界に生きているだろうか、とも思う。

他の場所でも書いたが、実際、精神分析は、設定と技法以外は臨床で生じる驚きを説明するには十分ではない。そしてそれは精神分析にとっては当然のことである。無意識を扱うとはそういうことだ。したがって、比較対象にはなりにくい、と私は思う。エリスのように経験してそれを放棄するのもよくわかる。

対象の選択がその人の歴史性を示すように、私たちが何かを選択するということはそれほど意識的なものではない。精神分析を選択する人もいれば、認知行動療法を選択する人もいる。また、患者からみれば、その治療者の技法が何かよりも自分のニードを繊細に受けとってくれることのほうがずっと大切だろう。

フロイトはこの日付に死んだ。私たちはいまだに精神分析が精神分析らしいか、あるいは精神分析と認知行動療法はどちらが効果的か、という議論をしている。先人たちは丈夫な種を蒔いてくれた。改めて感謝したいと思う。

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精神分析

一語文

移動時間に徒然なるままものを書き続けたら自分の本音がみえてくるだろうか。この時点ですでに何度か打ち間違えているがフロイト的にはこの失策行為のほうに本音をみるだろう。

二語分を話し始める前の子供は単語でいろんなことを教えてくれる。一語文ともいう。一語で文章になっているということ、そこに含まれる様々な情緒、それを受け取ろうとする主観、喃語がいれものを得て人を介して広がっていく。一語文というのは本当に意味深い。

もはや一語文で何かを伝えられるほどの何かを持っていないからかもしれないが、私は少し長い文章を使う、こうやって。指が動くままに。特に何も考えず立ち止まることもせず。

そして少し不安になる。その行き場のなさに。この言葉のいれもの、置き場はあるのだろうか。この場を一応そことしたとしても、主観と客観も能動も受動も区別を曖昧にしながら文章が組み立てられていくときにポロポロとこぼれ落ちていく意味や意味のなさは増える一方。

ひどく切迫した瞬間が訪れればそれらは一語文になるのだろうか。それとも言葉を失うのだろうか。

筒美京平が死んだ。誤嚥性肺炎だったという。昭和に浸透する歌を送り出した作曲家の最後の言葉ってどんなものだったのだろう。その人を思い出せば歌が流れるような、そんな人の言葉に最後もなにもないか。人は記憶する。

一と多を含みこむ二者の言葉を一語文として、それが本当に人との間に放たれるとき、それまでとは別の何かが始まってしまう。それはどうしようもないことだけれど、そのどうしようもなさに抗うかのように主観というものがあるのかもしれないけど、種のようなその一語文にひきこもってしまいたいときもあるかな。ただの可能性に戻ることはもう難しいから。ただのじゃなければわからないけど。

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アイスココア

なんとなくお昼を食べそびれたまま用事を終えてオフィスへ向かう。今日こそ最後の暑さらしい。すでになんどか聞いた気がするけど。

ぶりかえしつつも夏が遠のく。新宿中央公園の蝉は数がわかる程度になり、空はすっかり高くなった。夕方に向かうにつれ日射しは柔らかくなったが、10分以上歩いたら軽く汗ばんだ。最後の暑さか、と思ったからでもないがココアフロートを飲んでみた。しゃりしゃりの氷がおいしい。

学生時代、人がほとんど通らない階段そばの喫茶店でアルバイトをしていた。薄暗い店内は外の大通りからみても怪しく、客のほとんどはそのビルの従業員だった。煙草臭くアングラな雰囲気を漂わせていたその店は若かった私に多くの経験をさせてくれた。

もっとも明るい記憶は、そこのアイスココアの味だ。今ではちょっと甘すぎるその味をいまだに求めてしまうほどそれはおいしかった。バタバタしたランチタイムを終えて、ぼんやりテーブルを拭いたり、紙ナプキンを折っていると店長が「何飲む?」と聞いてくれる。時々ちょこんと生クリームが乗せられたとてもいい香りのオレンジティーもお願いしたが、ほぼいつも「アイスココア」といった。珈琲なんてまだ大人の飲み物だった。フィルターの準備はたくさんしたけど。

まかないドリンクも食事も基本はメニューから頼むのだが、好みはなんでも聞いてくれて、どれもとてもおいしかった。パリパリの海苔がかかった明太子パスタの美味しさもそこで知った。

メニューにないものを頼む先輩(いつでもとっても優しかった)もそれに平然と応える厨房のおじさん(最初はめちゃめちゃ怖かった)もすごくかっこよかった。でも私はメニューからだって決められないのだ。いつもメニューと睨めっこして結局いつもと同じものをお願いしていた。こういうところ、今と全然変わってない。

アイスココアをのんだらちょっとタイムスリップしてしまった。いかんいかん。今はもうバイトではないのだ。バイト先のみなさんには大変お世話になった。なんとか仕事しています。ありがとうございました。

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ヒーロー

オフィスのエアコンがぽこぽこいうようになった。あれは7月だったか、窓側の換気扇を閉めて、エアコンを消したら急にぽこぽこぽこぽこ言いだした。小人がお祭りでも始めたのではないか、と驚いた。怖いし、でも音はなんとも呑気だし、しばらく祭りが終わるのを待ったが終わりそうもない。リズムも一定でないので音楽としてもどうかと思う、とか思いながら聞いていたが、もう夜だし管理会社もやっていない、仕方ないか、と玄関に向かい、玄関側のキッチンスペースの換気扇をきったらピタッとやんだ。なんなんだ。

ネットで調べてなんとなく理由は分かったが、患者がきている間にこんな呑気な音をたてられたらたまったもんじゃない。私は患者の声が聞きたいんじゃ。かといって業者の人に入ってもらう時間もない。ということでなんとか夏を過ごし、そろそろエアコンを使う頻度も減ったので管理会社に電話をした。私のオフィスを管理してくれている会社は同じビルの中にあるので「音がでたらすぐ呼んでください、すぐ行きます」といってくれた。頼もしい。

が、しかし、せっかくその時間をとったのにエアコンがポコポコいわない。ネットで調べて「こうやったら一時的に直る」というのの逆、というか特に何も対処せずに放っておいたのになにもいわない。なんで?と思っている間に眠ってしまった。寝不足だったのだ。気づいたらもう管理会社は閉まる時間。私が眠っている間に音はなったのだろうか。夕方からはエアコンがいらないほどだったのに、音を出すためだけに除湿や冷房をつけ、寒さを凌いでいたこの時間はなんだったんだ・・・。

まあよい。なんせすぐに駆けつけてもらえるのだ。私の大切な部屋を守ってくれるヒーローだ、今のところ。

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精神分析

自由連想

透明なものが好きだ。

大学のとき、ゼミで墨田区の硝子工房へ行った。ゼミで、といっても専攻である発達心理学とはなんら関係はない。たくさんのガラス製品ができるまでをみせていただき、柴又まで足を延ばし、みんなで大きな縁台に座って団子を食べた。

小学校の遠足の帰り、大型バスの小さなテレビにはいつも宇宙戦艦ヤマトか寅さんの映画が流れていた。学校に到着すれば、それが途中であろうとバスから降ろされる。そのことに特に未練を感じた覚えはない。バスの窓に見慣れた景色が現れたときには、すでに映画からこころが離れていたのかもしれない。

宇宙戦艦ヤマトは家でも何度もみた(そして泣いた)、寅さんはこのバスでの時間でしかみたことがないかもしれない。バスに酔いやすい私はいつも一番前の席でぐったりしながらこれをみていたが、密に心躍る時間だった。

柴又に行ったのは初めてだったと思う。江戸川の近く、たしかに風を感じた。みんなはそのあと、矢切の渡しに行ったが、当時、バイトに明け暮れていた私はここでみんなとお別れだった。今思えば、その日くらいバイトを休めばよかった。

その後、それぞれにいろんなことがあった。大きな出来事もあった。若い頃は今過ごしている時間の意味など考えたこともなかった。その後、何が起きるかなんて誰にもわからないなんていうのは今も同じなのだけれど。

その後、私の専門は精神分析になった。発達心理学は大切な基盤としてそれに貢献してくれている。フロイトは無意識は無時間だといった。そしてあまりある不断のそれを扱う設定として、休日以外の毎日、特定の時間を患者と過ごし、その対価で生活をしていた。フロイト自身の生活も非常にパンクチュアルだったという。このあり方を日本人的という人もいる。精神分析は日本人に馴染まなくはないだろう、ラカンは別の文脈でそうはいわなかったけれど。そう、日本人は確かにパンクチュアルかもしれない。私があの日、バイトに間に合うように急いで帰らねばと思ったように。

誕生日プレゼントに文庫本を開いたまま置いておける文庫サイズの透明なアクリル板をもらった。ほかのことをしながらでもパサっと閉じてしまわないし、ページをめくるときにいちいちそれを持ち上げる時間があるのもなんだか素敵だ。もちろん早く次へ、という気持ちを抑えきれないときはアクリル板を外して手に持ってしまうのだけど。

いまやアクリル板は刑務所のものでもなく、日常的に人と人とを隔てるものとなった。前にも書いたが是枝監督の『三度目の殺人』で使われるアクリル板は多くのものを映し出した。私もアクリル板越しに患者と会うとき、そこに映る自分や背景がこれまでとは異なるこころの風景を描くことがあると感じる。

文庫に重ねる透明なアクリル板は、立てるのはではなく重ねるものなので、ページをめくるときにこれまでとは少し異なる時間を体験させてくれるだけで、私と本を遠ざけない。

ガラス、画面、窓、川面、アクリル板、まるでフロイトのマジックメモWunderblockのようだ。透明な接触面越しの記憶を秘密が守られる場所で語るとき、その体験が別の姿で現れるように、限りはあるがあまりある不断の時間に身を委ねることは、不幸を「ありきたりの不幸」に変えていくのだろう。

そういえば私は以前にもこんなことを書いた気がする、と思って記憶を探った。谷川俊太郎さんの詩について書いたときだ。https://www.amipa-office.com/cont8/20.html

ああ、そうだ。本に重ねる透明なアクリル板、これには谷川俊太郎さんの書き下ろし三篇がついていた。紐解くように、自由連想のように、語れば重なるものなんだな。

「ありがとう」という詩は私の気持ちにぴったりだった。

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読書

限界

海外の本、特に、その国が、その国の人たちが経験してきた傷つきの歴史について知ることは意義深い。ときには目を背けて本を閉じたくなり、それでもそれを読むこと自体が何かの供養になるのではと思い、それでもやはりひたすらに胸をえぐられる思いに耐えきれないと感じる。

一方で、私はその国のことを何も知らない。こんな簡単にまるで自分が同じ体験をしたかのような振る舞いをしてよいものか、私の体験は私の体験でしかなく、それと重ね合わせて何かを理解したかのような仕草をしてもよいものだろうか、と考えあぐねることも多い。

物事を近くから、遠くから、斜めから、上から、下から、鏡を通じて、あるいは音声だけで、あるいは・・とできる限り多様な仕方で見られたらいいのかもしれない。でもそれほどの余裕を私たちは大抵持っていない。

だからこそ限界を知ること、そのうえで語ること、それが大切なのではないか、そんなことをよく考える。とても難しいことだけれど。

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精神分析

Fort-Da.

渋谷方面のホームは塾帰りの小学生で溢れている。久しぶりにみる光景だ。器用にマスクをずらし、傘をトントンと床に打ちつけながら「あいつ、本当にうるせえ」と悪口合戦をしていたかと思えばキャハハと別の話題で盛り上がっている。


時間通りにきた電車に乗り込むと、追いかけっこのまま駆け込んできた数人の男の子にぶつかられてつんのめった。ひとりの子が一瞬視線を走らせてまたダンゴになってぶったりぶたれたりしている。


身体の大きさもそれぞれだ。子供の頃にみていたドラマを思い出す。主人公は中肉中背の男の子だった気がする。ガキ大将という言葉は今も通じるだろうか。相変わらず駆け回っていた彼らを中年女性が一喝した。説得力のある声に誤魔化すような動きでなんとなく隣の車両に移った彼らは隣駅で降り、また声をあげながら走っていった。


電車を降りて濡れたタイルを慎重に踏みながら急ぐ。小さな段差も難しいらしい杖を持った老婦人にご家族だろうか、「私、下いくから先に行ってて」など声を掛け合っている。
今日の雨はなんというのだろう。霧雨でいいのだろうか。SNSには今夜は涼しいという言葉が並んでいたけれどあまりそうは感じない。

きっとこれは霧雨だ。遮断機が上がってから街灯の灯りを避けてシャッターを切った。あっという間に小さな水滴がつく。
都心には遮断機がない。


保育園にいくと子どもたちが駆け回っている。駆け寄ってくる子どもたちに遮断機を作ると笑顔がもっと大きくなる。なぜ腕を下ろすだけで遮断機とわかるのだろう。お散歩でも彼らは行ったり来たりする電車に何度でも同じように声をあげる。
行ったり来たり。Fort-Da.いずれはいったままに。残像と遊ぶように今日を明日へ。

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精神分析 読書

適応と適当

早朝が一番色々捗ります。今日は土曜日ですね。一日中雨かしら。

昨日は色々書いたまま眠ってしまい、内容は昨日仕様だったので消してしまいました。ほんと、画面からって消すのも消えるのも簡単。

でもたとえ私が文章を消したところで私の考えだからまた何かの形で出てくるでしょうし、たとえ私が姿を消したところで私が消えてしまうわけでもないので、何度でもやり直せますね。

でも現実に姿を消したとしたらどうでしょう。社会学者の中森さんの『失踪の社会学』を以前ご紹介しましたが、失踪とかで姿を消されたら辛いな。と、今、私が失踪される方であることを大前提として書いてしまいましたが、こういうのは注意が必要かもですね。「誰にでもありうること」、病気でも障害でも喪失でもなんでも。いや、なんでもはないか。

精神分析はその人のあり方全体を大切にしますが、それだってその人だけのこと、私たちだけのこと、誰にだって起きること、社会全体のこと、全てに関わることであって、単なる密室的なにかではありません。営まれる場はふたりだけのプライベート空間ですが。

精神分析では「適応」を特に目指さなくても治療の副産物として、いや違うな、「適応」というよりは、その人がその人らしさをある程度保ったまま、その場に適当に、ほどよくいられることができるようになります。それは精神分析が、固有のものを大切にすることのなかに社会を大切にすることを含みこんでいるからだと私は思っています。

静かな朝です。朝の暖かい飲み物がしっくりくる季節になりました。どうぞ良い一日をお過ごしください。

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精神分析

度忘れ

何かを言おうとして口を開いた瞬間にそれがどこかへ行ってしまうことがあります。ありませんか?いわゆる度忘れです。

フロイトは『日常生活の精神病理に向けて』(1901/1904)のなかでこの度忘れに触れています。フロイトとしては、精神分析が想定する「無意識」ってこんなふとしたところに現れるんだよ、ということを一般の人にも知ってほしくて書いたようですが、なにはともあれ、度忘れ、面白い現象です。

度忘れ、言い間違い、読み間違い、書き間違い、どれもよくありませんか?私はしょっちゅうあります。言い間違いとかとても恥ずかしくてどうして言い間違えたかなんてフロイトみたいに考えたくもないときもありますが、勝手に考えてしまうので「きっとあれのせいだ」と気づいたときにはやっぱり恥ずかしくて誰も見てなくても机に突っ伏したりしてしまいます。あーあ、ちょっと本音出ちゃったな、と。これぞ無意識ですね。

フロイトのこの本はとても売れました。この前に出した『夢解釈』がフロイトが思ったよりも売れなかったのに対して、『日常生活の精神病理に向けて』はフロイトの予想を超えて売れたようです。夢も日常ですが、夢解釈なんてちょっとおせっかいだな、とか、自分の夢なんだから自分が一番よくわかってるし、とか思われたのでしょうか。たしかに夢はみんなみるとはいえ、内容が個別的なのに対して、この『日常生活の〜』に出てくる失策行為の例は「わかるわかる、自分にもこんなのあるある」と受け入れやすかったのかもしれません。

それにしてもどうして忘れちゃうのでしょう。頭に浮かんだ瞬間に消えている、と私は感じるけど、もっと細かくみるとたくさんの不思議な現象が一瞬にして起きているのでしょうね。

眠くなってきてしまいました。度忘れどころかいろんなものが遠のいてきました。また、っっっっっっっっっって打ってた。無理せず休みましょう。今度は、いいいいいいって打ってた。いい夢、をって打ちたかったのでしょう。

明日も度忘れや言い間違いがあってもそれなりに良い日でありますように。おやすみなさい。

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和菓子

和菓子ってどうしてあんなに魅力的なのでしょう。季節ごとにどうしてこんな形が、どうしてこんな色合いが、と驚くような和菓子がショーケースにたくさん並びます。と書き出すと私の頭のなかにはいろんなお店がポコポコと浮かんできます。

一番はあそこかな、でもこの季節はこっちかな、食べたことないけどあそこのは一度は食べてみたいよね、そういえばあそこでいただいた和菓子はとっても美味しかった、と近所からデパ地下から旅先まで、私の和菓子地図は小さなエピソードと一緒に一気に広がっていきます。

季節の和菓子は大抵高価ですし、一度にいくつもいただくものでもないので、生きているうちに実際に味わえるのはとっても一部でしょう。迷って迷って迷った挙句、結局いつもと同じのを買ってしまうこともしばしばですし。あー、また同じのにしちゃった、今日こそあれを試そうと思って行ったのにな、とお店の名前が書かれた包みを開いて、お茶を入れて、竹の和菓子切りでいただくと、やっぱりこれにしてよかったー、となることもまたしばしばです。

特別なお菓子は失敗したくないので、つい守りに入りますが、そのおかげで味わえる幸せもありますね。

と美味しいもののことばかり考えているときは、あまりやりたくない作業から逃げているというのも世の常でしょうか。

空想チャージがなくならないうちにしあげましょう。今夜も少し雷がなっていますね。どうぞよい夢を。

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精神分析

本人

支援でも補償でもなんでも本人から申し出る必要がある。この「本人」というのは拡張していくことはできないものだろうか、とよく考える。私たちは誰もが裕福になれるわけではないけれど、誰もが困難を抱える可能性はある。住む場所をなくしたり、身体が動かなくなったり、言葉を失ったり、考えたり感じたりすることができなくなったり。

それでも「私が本人です」というために証明書だって必要なわけで、どうして私たちは身ひとつで、あるいは身近な人の言葉で本人になることができないのだろう。もちろん嘘はだめだ。でも本当のことなのにどうして本人ではない人がそれを証明してはいけないのだろう。

精神分析は他者を必要とする。精神分析の最大の特徴は無意識を想定し、それを言語化するところだ。つまり、自分は自分のことをわかっていない、というのが前提だ。

他者との間に言葉を差し出してみると「あれ?こんな風に言いたかったわけじゃないのだけど」とか「いざ話そうとすると言葉が出てこない」とかいう体験をする。カウチ に横になって自由連想を求められるだけで私たちは自分のなかに(でもどこでもいいのだけど)知らない誰かを見つける。

こうして少し曖昧になった自分を「あなたはそう思う」「あなたはそう感じる」とふわっと本人のものとして留めておいてくれるのが分析家だ。

今、っっっっっっっっっって打ってしまっていた。眠るときも自分が曖昧になるね。とりあえず夢で。

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読書

遺稿

今年2月、クルーズ船での感染が騒がれ出した頃、敬愛する作家、古井由吉が亡くなった。その後、『新潮』に遺稿が載せられた。

多くの本屋がコロナを理由に休業するなか、オフィスのそばの本屋はいつも通り開いていた。『新潮』自体、よく売れていて手に入りにくいと聞いていたが、本屋が開いていると思わなかった人も多かったのだろう。私はいつもより暗いひっそりした通路を行き、エスカレーターを歩いて上り、いつも通りの明るさの本屋へ向かった。この本屋のことは大体知り尽くしている。『新潮』があるはずの棚へ真っ直ぐに向かうと一冊だけそれはあった。私はすぐにそれをレジに持っていった。いつもなら時間が許す限り長居していろんな本を見るが、この日は違った。

古井由吉はおじいちゃんだからもうすぐ死んじゃう、と思っていたにも関わらず、いざ亡くなってみると親戚でもなんでもないのにそれなりに衝撃を受けた。悲しかった。

「杳子」を読んだときの衝撃は忘れられない。女を描くならこう描きたい、と思った。薄暗いのは陽の光のせいだ。まるで病床にいるかのような女を男は観察しつづける。その視線もまた仄暗い。

コロナをめぐる状況は2月とは変わった。日々の景色も変わった。マスクをしない顔と会えるのは画面の中だけ、といったら大袈裟だが人は距離を取るようになった。

古井由吉は亡くなった。彼だったら今の状況をなんというだろう。

私はまだこの遺稿を読めていない。こころの距離がとれていないから。

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俳句

小鳥来る

長月、旧7月17日、大安、立待月、小鳥来る

日めくりには素敵な言葉がたくさん。いつも1日の仕事を終えて、めくって、というか、私の場合は剥がしてからじっくり見るのだけど(見ないで積まれていく時もあるのだけど)今夜は特に癒されます。

だって立待月と小鳥来る、なんて素敵な言葉なのでしょう。「なんて素敵な」という言葉を使うときに思い浮かべるのはジュリー・アンドリュースです、なぜか。

毎日毎日空ばかり見ています。夕方オフィスに戻るとき、急に黒い雲がやってきて冷たい風が吹いたときは少しびっくりしました。降るのかしら、と思って少し急ぎ足でオフィスに帰って、夜の仕事を終えてカーテンの向こうを見たら広い空が白く光りました。そしてオレンジの稲妻も。パソコンに手書きで描くときのちょっと曲がってしまった線みたいな光が短くビビッと。

今日はパソコンも持ち歩いているし、大雨とかいやですよ、と思って今度は小走りで帰宅。降られずに間に合いました。

降られた方もいらっしゃるでしょうか。地震や大雨の地域のみなさんはご無事でしょうか。

小鳥来る、秋の季語です。空を見ていて出会えたらきっと笑顔になるような、いろんなことあったけど今年も会えたね、と思えるような、そんな季語だと思いませんか。

小鳥来る、この季語は、私が使っている平井照敏編の『新歳時記(秋)』河出文庫には載っていません。私が持っているのは1996年の改訂版初版です。その代わりではないけれど載っているのは「小鳥網」。「秋に群れなして渡ってくる小鳥を霞網、別名ひるてんを用いて捕獲してしまう猟法で、昭和二十二年以降禁止されてしまったもの」で「残酷な猟法」だったそうです。

どうしてこちらの季語を載せたのでしょう。理由はわかりません。今日の日めくりの「小鳥来る」をみて明るくなったこころが曇ってしまいそうです。

人を見て又羽ばたきぬ網の鳥 高浜虚子

これを読むとき、私たちは網の鳥になった気がしませんか。生きようとする力を本能と呼ぶとして、人はあまりに大雑把な万能感を行使して自らのそれを放棄することもあるのかもしれません。

その行為がなくなるとき、その季語もまた私たちから遠くなっていきます。でも多分、言葉は行為よりずっと長生きする必要があって、想像力がどんどん乏しくなっている私たちはそれに助けてもらいながら同じ過ちを繰り返さない努力をしたり、生きて会うことはなかった人と対話したりするのかもしれません。

小鳥来る音うれしさよ板庇  蕪村

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8月31日

立秋に「もう!?」と虫の声に驚いたことを書き、8月半ばに「もう慣れた」みたいなことを書きました。今日は8月31日。虫の声が本当に涼やかに響くようになりました。さらに今夜の風、半袖でオフィスを出てきたら「寒い!」と感じたことに自分で驚いてしまいました。「うわっ、本当に来た!」という感じ。秋の方からしたら「立秋の頃からちょっとずつ慣れさせてきたではありませんか」という感じかもしれないけどちょっと突然冷たくなりすぎじゃないかしら。

そういう人間関係もありそう、と今いくつかの場面を思い浮かべてしまいました。

雨がポツリポツリ落ちてきたから急いで帰宅したら、仲間から「こちらは月が綺麗です」とメッセージ。オンラインの繋がりなのでどこにお住まいなのかも知らないのですが・・。もしかして、と思って窓を開けてみたのですが、やっぱり秋の雨が静かに降っているだけ。でもそうか、この空のどこかで月は綺麗に輝いているんだ(やっぱり「綺麗」って漢字は抵抗あるけど)。

月がどんなふうに輝くかなら私も知っています。想像できるって希望をもつことと似ている気がします。

今の日本の現実に視線を戻すと、多くの方の失意や絶望に目を奪われるかもしれませんが、いろんなことは今に始まったことではないはずです。もうだめだ、といつだって言いたくなるかもしれないけれど。

私たちは生きながらいつも、なにかに持ちこたえられるように準備をする機会を与えられているような気がします。患者さんとの関わりからそう学んできました。秋の虫からも少し。

予測不可能な未来をすでに知っている風景から透かし見ます。そこは決して楽園ではないことを私たちは経験から知っています。でも、その経験があるからこそ、私たちは、驚いたり、絶望したりしながらもそこにとどまることができているような気もします。

人生なんてろくなもんじゃない、でも捨てたもんでもない、そんな言葉を私たちは知っているような気がしませんか。

なんだかんだ気づかないうちに時計の針は8月を超えていくでしょう。また明日。9月にお会いできたらと思います。

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俳句 精神分析

写生

朝、窓を開けると秋の風が入ってくるようになりました。でもあと数時間もすればまた夏の熱気に覆われるのですね、この街も。すっきりと去ることはできない夏の気持ちを熱気というのかもですね。

ところで、俳句のお話ですが、俳句は素材を写生することで感動が生まれるので、擬人法は「月並み」としてあまり歓迎されません。

友死すと掲示してあり休暇明 上村占魚

どきっとしますね。休暇明けの掲示板を写生しただけなのに。これが俳句が持つ力です。たった17音なのに知らないはずのその風景がパッと浮かび、こころ打たれてしまう・・・。それでは月並みといわれる擬人法はどうでしょう。

五月雨を集めてはやし最上川

えっ、擬人法なの?と思うくらい自然。これは月並みではありません。松尾芭蕉ぐらいになると自然も人もこころの中で十分に融けあってしまうのでしょうか。月並みではない擬人法も実はたくさんあるのですが、私なんかが作ると月並みというかやや陳腐な句になりがちですねえ、やはり。

素材を時間をかけて観察してその感動を伝えること、事例研究みたいです、私たちの世界でいったら。相手のことをよく観察して、そこで生じているやりとりや二人の間の現象を細やかに言葉にしていくこと、精神分析でいえば、クライン派や対象関係論と呼ばれる学派の人たちがそうですね。事例を読むだけでその方の様子が浮かび、こころの世界まで伝わってくる。後からならいくらでもなんとでもいえる、みたいな書き方とは全く違います。私はそういう事例研究が好きだし、そう書けたらいいな、と思っています。その人の姿を勝手に変えてしまわないように。

今日はどんな風景と出会うでしょうか。目にとまったものがあったらいつもより少し長く立ち止まってみようかな、日曜日ですし。

さえざえと水蜜桃の夜明けかな 加藤楸邨

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精神分析 読書

モモ

ミヒャエル・エンデの『モモ』が、最近また取り上げられていましたね。『モモ』は私にとってとても大切な作品で、好きな本を聞かれるといつも「モモ」と答えていました。もう少し大きくなると、同じくエンデの「鏡のなかの鏡」と答えていました。

映画も観に行きましたが、私が描いていたモモとはだいぶ違う、と思った記憶があります。本を読みながらはっきりしたイメージを持っていたわけではなかったのに不思議です。

赤ちゃんが泣きわめくとき、私たちはその子が何をほしがっているのか見定めようとします。0歳児に慣れている方は「おなかすいたね」「おむつかえよっか」「眠くなっちゃった」など声がけをしながらニコニコと抱っこをする余裕がありますが(もちろんこころで泣いて、というのはあっても)、はじめての子どもを持つお母さんや0歳児の担当ははじめて、という保育士さんは、赤ちゃんの切迫した泣き声に含まれる不安や不快や苦痛を自分のもののように感じてしまうことがとても多いです。この子はどうしてほしいのだろう、これでもない、あれでもない、もうどうしたらいいのだろう、もうやだ、と本当に辛く悲しくなってしまうときがあります。

たとえばおかずひとつでも、あれもだめ、これもだめと大きな声で泣き、小さな手でお皿を払いのけようとし、これまた関わる人は大慌てで「これ?」「こっち?」と彼らの本当のニードを必死に探ろうとします。でももう全部だめ、何をやってもだめ、させてもらえるのは抱っこだけ、と抱っこして泣きやむのを待って、落ち着いたらもう一度お座りをさせて、小さなスプーンであげてみたらぱく、ぱくぱくってなったりして、こちらがほっとするとあちらもにっこりしたりして・・。

私たちはなにがほしいのか、どうなりたいのか、なんて本当ははっきりしないのかもしれません。そのときの体調やそれが差し出されるタイミングやなにかいろんな感覚的なものが混じりあって、パッと決められるときもあれば、これかな、あれかな、とやりながら「これかもな」と一番自分のイメージにしっくりくるものを選択するときもあるのでしょう。そしてそれはあとから変わることもあるのでしょう。

モモは受け身で、静かな子どもです。人の話を聞くのが上手です。話したくてウズウズしても、怖くてしかたないときでも性急に言葉を発することを控えることができる子です。そう学びました。

眠って、夢をみて、目覚めたら、やるべきことが自然に定まるような、なんとなく言葉の形になるような、まるで精神分析プロセスのようなプロセスを踏んで、モモは強くなっていきます。

もしかしたら、私はそんな時間が大切で、精神分析家を目指しているのかなぁ、と思いました。私が思い描いているそれと「精神分析」のイメージが違うかもしれないから(違ってもいいのだろうけど勝手に変えることはできないから)、私はどうしたいのかな、ということを長い時間をかけて、眠り、夢をみて、目覚め、言葉にして・・というトレーニングを繰り返しているのかもしれません。

今日の言葉は、明日は少し違う形を描くかもしれません。時間をかけて、二人で、大切にしたいなにかと出会っていけたらいいなと思います。

それでは今日もおやすみなさい。

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未分類 読書

雲の絵

今日の空、すごかったですねえ。入道雲がすごすぎてアニメみたい!と思ったのですが間違いでした。こんな景色が本当にあるからあんなアニメもできるわけですね。

歩いていても、電車に乗っていても、何層もの雲が湧き上がるように青空を占めていて、太陽の光がつくるグラデーションがきれいで、いちいち目が離せなくなってしまいました。

雨が降るっていうから傘を持ち歩いていたのですが降られませんでした。降ったのかしら、雨。

「のはらうた」のくどうなおこさんだったらどんな詩を書くでしょう。かぜみつるくんが「でかい くもだぜ」とかいって通り抜けるのをやめて眠っちゃったり、きりかぶさくぞうさんが「きょうは くもも 「どっこいしょ」 をしている」とかいったりするのでしょうか。

ご存知ですか、「のはらうた」。とっても素敵な装丁の小さな詩集です。それを眺めているだけでもいと楽し、ですが、自然の声を聞きたくなったときに開いてみるといいかもしれません。

夜になっても雲は、昼間の形のまま、背景の空より少しだけ薄いグレーになって、街を包みこんでいます。

画像は昼間の新宿駅です。まるで絵みたいじゃありませんか。

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精神分析

蝉の死

新宿中央公園はいまだに蝉の国だけど、蝉の死骸もだいぶ増えてきた。仰向けに寝転がるように一生を終えた彼らの透明な羽をきれいだと思った。

この時期なら新宿中央公園への道案内は簡単。「ここをいくと蝉の声が聞こえてくるからそこ」って言える。蝉の声が空間の輪郭を描く。

精神分析はいまだ輪郭を持てずにいるその人の部分に触れる。そこに無理に言葉を与えてしまわないように細やかに注意を払う。そうありたいので訓練する。簡単じゃないけど、いろんなことは大抵簡単じゃない。

蝉は「精一杯生きたぞ」とか思わないで力尽きて死んでいく。それはある意味「力の限り生きた」という感じでもある。

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俳句

虫の息

アブラゼミも虫の息か、と少しトーンダウンした声をききながら帰ってきました。アブラゼミに「虫の息」とかいうものかしら。虫が虫の息なのは当たり前か、など考えられるのは平和なことかもしれません。

今日は俳句の日だそうです。バイクの日でもあるそうです。ハイクの日、と山へ向かう人もおられるようです。819. 他にも何かあるかもしれません。

今年の夏はお祭りの音をほとんど聞きませんでした。「あ、お祭り!」と思って音のする方へ向かったらお寺のなにかだったことはありましたけど。駅や電車が色とりどりの浴衣でいっぱい、という光景も見ませんでした。来年はどんな夏になるのでしょう。と思う前に秋ですね。木々は今年も変わらず色づいてくれることでしょう。

現れて消えて祭の何やかや 岸本尚毅

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『秋刀魚の味』

尾道といったら小津安二郎。小津といったら『東京物語』なのかもしれないが私には『秋刀魚の味』。あれ、秋刀魚の秋だっけ、と思ったけどそれだと『八月の蝉』と同じですね。あれは『八日目の蝉」でした。角田光代さんの小説。映画も好きでした。

『秋刀魚の味』、娘を嫁がせる老いた父のもの想いとがんばりと悲哀。語るべき箇所は多々ある映画だけどこの映画、食事の場面がたくさん出てくるのに食べ物そのものがほぼみえないのです。お料理の音だってするし、器も食べ物が入った紙袋も登場するのに。秋刀魚も然りで登場せず。

やはり悲哀を味わう、というときの「悲哀」がみえるものではないのと同じように、ここでは見せないことに意味があるのでしょうか。

この主人公は妻に先立たれ、ひとりで子供たちのことを考えなくてはならないのですが、子供にとっては母親の不在を生きるということ。味というのは象徴的です。小津安二郎にとっても母親は大きな存在だったと聞いたことがあります。

尾道のことを書こうとしたら小津のことを書いてしまいました。今年のサンマ漁はどうなるでしょうか。豊漁と漁の安全をお祈りします。

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精神分析、本

『ピグル』

Twitterで東畑開人さんが、青山ブックセンター本店のブックフェア「180人が、この夏おすすめする一冊」で北山修先生の『心の消化と排出』を挙げていた。北山先生の本から「おすすめ」を選ぶとしたら私もこの本を選ぶ。「夏」っぽいとは思わないけど。

北山先生の『錯覚と脱錯覚』も私に大きなインパクトを与えてくれた。ウィニコット の『ピグル』とセットで読むべきこの本も「夏」かといえばそうでもない。

2歳の女の子とおじいちゃん先生ウィニコットとの交流が描かれた『ピグル』、16回のコンサルテーションの間にピグルは5歳になった。最初は1ヶ月に1回、二人が会わない時間は少しずつ増えていく。それでも1年に3,4回というのは私が保育園巡回に行くペースだ。3歳、4歳ともなればその頻度でも「また会えたね」となる。

ウィニコットはピグルと会わなくなった4年後に亡くなった。これからを生きる子どもと死の準備をする大人。妹の出生によって母親の不在を体験したピグルはウィニコットを一生懸命使い、持ちこたえ、生き残るウィニコットを発見し、「私」とも出会っていく。ピグルの名前はガブリエルだ。

1964年7月7日、6回目のコンサルテーションの冒頭、ウィニコットは「今回は、ピグルではなく、ガブリエルと言わなければならないとわかっていた」と書き、そこからの記録はすべて「ガブリエル」に代わる。そして帰宅したガブリエルも母親に「ウィニコット先生に、私の名前はガブリエルだよって言いたかったの。でも先生はもう知ってたの」と満足そうに言った。母親からの手紙でウィニコットはそれを知る。

子どもの治療の重要な局面だ。二人は通じ合っている。

夏の休暇前のセッション、「私はサンドレスと白いニッカーズを着てたの」とひなたに仰向けに寝転がるガブリエル、私はこの場面が好きだ。子どもが安心して空想に浸れること、複雑な情緒を体験する場所はいつもこうして開かれている必要がある。

そして夏の休暇後、二人がはじめて会う7回目のセッション、ガブリエルは「ウィニコットさん」とよそよそしい。「先生」ではないウィニコットの休暇に対する抗議のように「だれにも一緒にいてほしくなかったの」とひきこもっていた自分を知らせるガブリエル、このとき、彼女は3歳になったばかりだが、大きくなった。ウィニコットの記録を読むとそう感じる。

精神分析は週4日以上会っているので休暇の意味は大きい。たまにしか会わなくても会えない日々のことを想うのだから、この二人のように。

いない人のことを想う。いたはずの人のことを想う。そうやって描かれる私たちは大抵いつも現実と違うけれど、想うことだけが私たちを生かすこともある。

この夏、『ピグル ある少女の精神分析的治療の記録』(ドナルド・W・ウィニコット著、妙木浩之監訳、金剛出版)を読んでみるのはどうだろうか。彼女が青い瓶を目に当てて「ウィニコット先生は青いジャケットを着て、青い髪をしているのね」というように、本を読むことで(もはやなんの本でもいいかもしれない)この暑さを違う色に染めてみたり、2歳の頃の目で世界を見直してみる。この夏は、そんな旅もいいかもしれない。

(翻訳作業についてはオフィスのサイトに少し書いてあります。)

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黎智英氏も周庭氏も逮捕された。周庭氏と一緒に活動してきた黄之鋒氏(Joshua Wong)、若い政治家の羅冠聡氏(Nathan Law)は流暢な英語で海外に向けて声を出し続けている。

20代、自由を求めて国を相手に戦うなんて考えたこともなかった。自分の意見を言えなくなることは自分の母国語を使えなくなることと同じ、それはつまり自分の出自を存在を否定されるようなものなのだろうか。頭ではいろんなことを考える。考えれば考えるほど身体も重い。

言いたいことが言えないこと、程度の差はあれ、おそらく誰もが子供の頃から経験したことのある事態について考えるだけでも原因に向かって紐解けるものではないので相当難しい。それは症状にもなりうるので臨床的にも身近だし、精神分析のように主な道具が言葉である場合、それは単に症状ではなく、治療関係そのものに大きく関係しているので何が起きているのかと常に再考を迫られる。

私たちが当然もつ権利を行使させなくする行為には敏感に抗っていく必要がある。コロナがわかりやすく明らかにしたゼロリスク志向、「正しさ」による支配とも根は繋がっているのだろう。物事は一気に動く。集団であることが自制しないことを正当化する。一方、そうしようとする力に抗う物語は昔から数え切れないほどある。歴史から学ぶことはいくらでもできるはずだと言い聞かせる。

目的としてではなく結果として抗えるように、繊細でしなやかな網目を張りつづけるようにこころを動かし、言葉にできたらいいなと思う。それには言葉を大切に扱ってくれる人の存在がなにより必要だろう。

彼らが発しつづける声を大切にすること。自分の声を大切にすること。いつも立ち返るのは当たり前のようなことだけど、その当たり前こそ守りたい。

蝉が鳴いている。彼らはいつも自然体。

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長崎

昨日からずっと、というより広島に原爆が落とされた8月6日からずっと長崎のことも合わせて考えている。といっても、私の知っている長崎について思い出を辿っていただけなんだけど。

長崎は平和公園や原爆資料館は必ずいく。長崎は本当に「祈りの街」という感じがする。小道や坂道、広場、ひっそりした場所がたくさんある街というイメージ。電停でいろんなところへいける。眼鏡橋がかかる川沿いもとてもいい散歩道。中華街は私は神戸が一番好きだけど長崎もいい。長崎はいろんな国のお菓子も美味しくて楽しい。グラバー園ではスコールにあった。鍋冠山からの景色が穴場、と長崎の人に聞いていったら、あの時は何かの理由で頂上への道が封鎖されていたんじゃなかったかな。途中からでもすごい眺望だったけど。稲佐山からの夜景もきれいだし、長崎造船所はすごいインパクトあった。色々考えてしまった場所だった。軍艦島は風が強くて上陸できなくて別の島に上陸した。私は船に酔ってしまってダウンしていたからずっと休憩室にいたけど。そのときの船の乗組員さんがすごくさりげなくサポートしてくれたのがありがたかった。船内では、軍艦島の悲しい歴史を映像見ながら話してくれるのだけど実際体験された方のお話で胸が締め付けられた。長崎は「祈りの街」というより祈らざるをえない街といえるかもしれない。

ほかにも色々行ったけど、一番好きなのは平戸かなあ。島原もよかった。貝雑煮を食べた。島原城にはキリシタンの史料がたくさんあって説明も受けられるのだけど関係する場所、全てに行ってみたいと思った。説明してくれた人が上手だったのだと思う。萩、津和野へ行ったときも史料を結構読んでいろんなことを感じた、そういえば。興味深くて誰かに喋った気もするけど内容をもう忘れてしまった。インパクトは覚えているけど。

長崎はとても素敵な街で何度でも行きたいと思う街のひとつだ。あそこに原爆が落とされたなんて信じられない穏やかさで、でも街全体が静かにいろんな国のいろんな痛みを抱えこみながら、祈りながら生活しているように思う。今頃、蝉があの静けさを際立たせているかもしれない。ニイニイゼミはまだ元気に鳴いているかな。五島列島は台風が近づいているようだけど皆さんご無事で、と祈ります。

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残暑お見舞い

残暑お見舞い申し上げます。

風立ちぬ、今は秋。今日から私は心の旅人♪の季節ですね。私は今日から夏休みです。お元気ですか?

毎年やっている夏メロ(意味違う)ハガキ、今年の書き始めはこんなふうにしてみました。聖子ちゃん好きでしたよね?

今年は句会で夏の句に行き詰まると杉山清貴や井上陽水を使ってしのいでいました。すぐに「陽水かよっ」とバレましたが。サングラスという季語を「君は1000パーセント」で作ったときは「それ杉山清貴じゃないから」とか。同世代の素早いツッコミはどんな暑くても健在です。

今年は少しでものんびりできますように。どうぞお元気でお過ごしくださいね。

空想暑中見舞いシリーズはあっという間に立秋がきてしまったので二枚しか書けませんでした。残暑お見舞いの時期もあっという間に過ぎそうでしょうか。時間感覚は人それぞれだと思いますが、せめて自分で自分を急かすことなくお過ごしになれますように。

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俳句

立秋(仙台七夕まつり)

さっき「つぶやき」で今日は立秋ですよ、びっくり、というようなことを書いて、日めくりの写真を載せました。その右上に小さく「仙台七夕まつり」と書かれていたのを見つけた方もいらっしゃるかもしれません。

一度は行ってみたい仙台七夕まつり。今年は8月6日から8日まで行われるはずでしたが「250万人もの大勢の観客を安全安心な形でお迎えすることは、その準備を含めとても難しく」中止を決定した、と「仙台七夕まつり」のサイトに書いてありました。日本一といわれる誇りある伝統行事の中止、悔しさ、悲しさ、虚しさ、決断を余儀なくされたみなさんがどんなお気持ちかははかりかねます。現実的な損失も大きいかもしれません。それでも「伝統を絶やすまいと、市内の各商店街では素敵な七夕飾りが飾られています。いつもとは違った思い思いの七夕を、ぜひお楽しみ下さい。」と「仙台七夕まつり」のFacebookに書いてありました。たしかに、伝統のはじまりはひとりひとりの小さな、でも切実な願いだったりするのかもしれません。

それにしても250万人ですか。宮城県の人だって全員が行くわけではないでしょうけど宮城県の人口を超えていますね。

華やかな喧騒をのんびりのんびり移動して、賑やかな通りを抜けて、ほとんど人気のない場所に出るときのあの感じ。東京の満員電車から吐き出されるように外に出て互いの顔も知らなまま四方八方に向かっていく、あの無言の群衆とは全く異なる人の流れ、音、空気。ひとりひとり全く異なる文字で書かれた願い事。

お祭りは身体とこころの全部で感じるような特別な瞬間を思い出せてくれるような気がします。移動や集まりが難しいのであれば記憶のなかで、夢のなかで出会えたらと思います。 

今日は立秋。まだ真夏と出会ったばかりだけど秋がどんな感じかはよく知っています。

そよりともせいで秋たつ事かいの 鬼貫

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八月六日

8月6日木曜日、原爆投下・全記録という番組を見ていた。

広島には学会でも旅行でも何度か訪れている。野球も見た。広島で広島の友達に電話もした。思い出が多い。

もう10年になるが、世界平和記念聖堂を訪れたとき、そこの職員さん(?)に声をかけられて、特別に見せてあげる、と普段は公開していないというところを案内してもらった。誰にでもそういっているのかもしれないが、たしかにここはあまりに舞台裏、という場所も見せていただいた。このとき、偶然一緒にいた男性が建築家か建築に詳しい人か忘れてしまったけど、とにかく建築に詳しく、この建物のこともそうだし、広島市内にある建築物について本当に色々教えてくれた。その後、時間の許す限り行ってみたが、彼との出会いのおかげでそのときの広島の旅は特別なものになった。

世界平和記念聖堂は村野藤吾の設計。平和記念資料館を設計した丹下健三とは対照的な建築家だ。私は村野藤吾の建築が好きだ。東京にいてもたくさんみられる。この日はその男性たちのおかげで聖堂に施された工夫を隅々まで堪能でき、広島と建築の関係についても聞くことができ、この旅のあとしばらく、私は建築のことばかり考えていた。

75年前、広島で生きていた方々、今も生きている方々が当時の記憶を住まわせる場所を私たちは作り続けていく必要があるように思う。目を背けたくなるような場面を見る目を、その後を生きてその日のことを伝え続けてくれる方々の声を聞く耳を、その瞬間とそれ以前、その後を具体的に想像する身体とこころを、空間として差し出せるように、なにかに囚われていない場所を自分のなかに準備しておけたらと思う。

エノラ・ゲイ の乗組員のために牧師が祈りを捧げるシーンが流れた。私は何をどう祈ったらいいかわからないけど、歴史から学ぶこと、二度と起こしてはいけない、あれは過ちだったということを忘れないでいたい。

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俳句 精神分析

「月がきれい」と思いながら帰宅できる日が続いている。とかくと、そう思えない日もあるのか、と思われるかもしれないけど、不思議とそうでもない。ほんとに不思議と。

山を 海を 川を 空を 月を 私たちは嫌ったり憎んだりすることができるのだろうか。私は山育ちだから山に対する怖さと海に対する怖さは質が全く異なる。知っているからこその怖さと未知ゆえの怖さ。しかし知っているといってもごく一部。災害と会えば呆然と立ち尽くすしかない。憎むにはあまりにも知らなすぎる。

一方、私たちは本当に小さなことで誰かを好きになったり嫌いになったり愛したり憎んだりする。自分とよく似た姿の相手は自分とよく似たこころを持っている、という前提があるせいかもしれない。

フロイトは精神分析の創始者だけど、やっぱり怖かったんじゃないかな、両方の意味で、と思うことがある。読んでいると。

こころと自然。昔からあるテーマ。似たような木々が立ち並ぶ山を切り崩すことはその多様性を奪うかもしれない。表面ではなくそのなかをその背後を見ようとすることはとてつもなく侵襲的かもしれない。

最初に何かをしようとする人が背負うであろう大きな何か。フロイトも、地球が回っているといった人も、「神は死んだ」と言った人も、月を目指した人たちも、はじめての子を持つお母さんお父さんも、この世界に出てきた赤ちゃんも、と書いていると先のことを見通すことができない私たちみんなが主語になりうるか、とも思う。積み重ねては振り出しに戻るような、でも最初の最初とはちょっとずつ違うような軌跡を積み重ねる。ひとりひとりがみんな。

今日の香港のニュースにもいろんなことを感じた。「それって誰が決めるんですか」という問いかけも普遍的かもしれない。

こんな何十年も月がきれいと言い続けて、しかもそれは私が生まれるずっと昔から言われ続けていることで、愛でるものがあることの大切さを思った。

墓石に映つてゐるは夏蜜柑 岸本尚毅

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俳句 精神分析

精神分析は時間がかかる、というけれど、なんだって時間がかかりますよね、と思う。この歳になってもまだこんな、ということからして。

だから急がない。

いつ何が起きるかわからないから早く決めて次へ進まなくちゃ、という場合もあるかもしれないけど、いつどうなるかわからないからこそ急がなくても、とも思う。走らなければならないときは自然にそうするだろうし。そうでもないかな。たまには走っておかないと急に走ろうとしてぎっくり腰になる、みたいなことも起きるのかしら。

現実的なことには合わせざるを得ないし、それが全て、という時もあるとは思うけど、それならそれでいずれ来たるべきなのか、いつまでも来ないのかよくわからない先のことより今に委ね直すことをその都度していけたらいいなと思う。

着物に詳しい友人に博多織というのを教えてもらってそれについて調べていたらなんとなくそんな気がした。たくさんの経糸と太い横糸、中島みゆきの歌も思い出しますね。

私たちは何も知らない。

いつか、いつか、と小さく願いながら出会いをつないでいく。言葉を紡いでいく。昨日引用した石田波郷の手花火の句もそうかな。

少しずつ少しずつ。

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俳句 読書

花火

今日も暑かったですね。夜の風もなんとなくまとわりつく感じになってきました。月は良い感じに雲隠れにし、でした。夏の月って雲の向こうでもなんとなくすっきりと明るく感じませんか。

以前、お世話になっている先生に「書く」練習として沢木耕太郎を「読む」ことを勧められてとりあえず『一瞬の夏』を読みました。内容はうろ覚えですが、最初に神田でビールを呑んで、新宿でウィスキーを呑んで、1杯目のビールだけが汗を引かせてくれた、というような記述があるのです。この話って結構暑苦しいお話だと思うのですが、その前振りとしてかっこいいなぁと思いました。

ビールの一杯目ってほんとそういう感じですよね、という話ではないのですが、夏ですねえ。今年はビアガーデンとかどうするのでしょう。

今年は十勝の勝毎花火大会は中止らしいです。帯広の藤丸百貨店屋上でビールを呑みながら見たことがあります。ああいう夏がまたきてくれますよね、と誰に聞いたらいいかわからないけど、きてくれるといいですね。でも私には北海道は寒くて、その日も途中でリタイアしてガラスの内側で音と本物が放つ光をみていましたけど。東京の夏はエアコンで喉がやられてしまうし、一体どこがちょうどよいのか・・困ったものです。

今年は小さく線香花火もいいかもしれないですね。

手花火を命継ぐごと燃やすなり 石田波郷

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俳句

暑中見舞い その二

暑中お見舞い申し上げます。

先日お会いしたばかりですがお元気ですか?あのお話はまた改めてお返事しますね。

会うといつも同じような話ばかりしてしまうので、お手紙くらいなにか目新しいことを書きたいな、と思ったのですが意識するとなおさら何も思い浮かばないものですね。

明日も「暑い暑い」ばかり言っているうちに一日が終わりそうです。それはそれで平和でしょうか。

何も思い浮かばないので、今日の日めくりにあった俳句を書きますね。大好きな俳人のちょっとあれな句です(私の鑑賞を今度聞いてくださいね)。

男にも唇ありぬ氷水 小川軽舟

それではまた近いうちに。またみんなでいつものお店で集まりたいですね。それまでなんとか無事に過ごしましょう。

ということで、今日も宛先のない暑中見舞い、やってみました。書くことがない、みたいなことを書いていますが、今日は結構あったかも。月もきれいだし。十三夜ですって。でも葉書に書ける量は本当はもっと少ないですものね。自分のなかにおさめておくことも大事かもです。いずれもっと伝えたい気持ちが強まったときのために。

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ポッカリ

というわけで(前のつぶやきとつながっています)8月です。

今日は夜の予定を間違ってしまいぽっかり時間ができました。ポッカリ月がでましたら、舟を浮かべて出掛けませう、は中原中也でしょうか。彼が生まれた山口県湯田温泉、いつでもいつまでものんびりお散歩していたくなる大変よいところです。お目当てだった居酒屋さんが満席で、お知り合いのお店を紹介してくださって、なぜか駄菓子も持たせてくれて、うかがったお店も暖かく迎えてくださって地元ならではの雰囲気を堪能したことを覚えています。今年はそんな旅もお預けでしょうか。行かれる方は楽しめますように。観光客を待っていてくださる地元のみなさんもどうぞお元気で、と願います。

本当に今年は辛いことが多いですね。もちろん毎年そういうことはたくさんあるのですが、新型コロナはこれまでと違う形で私たちの生活を変えつつある気がします。

ようやく梅雨があけたので「そうだ、暑中お見舞い書こう!」と思い立ち、さっき架空の宛先に暑中見舞いを書いてみました。8月はこんな夏だからこそちょこっと想像書簡のようなもの、あるいは夏の宿題シリーズ的なもの、あるいはこれまで通り?まぁ、気ままに書きたいときになんか書こうと思います。

今夜の月は穏やかです。これからグンと暑くなるでしょうから大雨の被害に遭われた地域の方の体調も心配です。どうぞご無事で、ご安全に。

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精神分析 読書

誤配

東浩紀は『哲学の誤配』のなかで、フロイトにこだわる理由を問われ、フロイトとユングの比較をしたうえで、フロイトは個人主義者なので、「人間一人ひとりはバラバラだけど、各自がバラバラの状態で出力したデータを集積すると、データのうえでは集合的無意識が立ち現れる」という東さんの考えとしっくりくる、と答えていました。

 それはそうと、この「誤配」という概念は大変有効で、精神分析のように明確な目的を持たず、特定の問題を焦点化するでもなく、二者でいるのに自分のことばかり語り、沈黙し、感じ、それをまた言葉にしていく作業を連日続けていくというのはまさに誤配をつくり出す作業なのではないか、というようなことを研究会で話しました。

 倉橋由美子的だな、とも私は思っていました。

 ほかにも色々話しましたが、やはり「誤配」概念の射程は広く、精神分析の可能性を示すための補助線になるように感じました。東さんはこの本のなかで誤配は意図的に作り出すのは不可能なので、誤配が起こりやすい状況を作りだせないか、と考えているともいっています。

 精神分析は「先のことは誰にもわからない」という現実を無責任にではなく素朴に言い続けているようなところがあります。「いい悪いではなくて」とか「今ここのことを話している」という言葉も先のことはわからないという現実とつながっているように私は思っています。

 精神分析は、他の人からみたらなんの意味があるかわからない、無駄な時間なのでは、と思われるかもしれません。実際、精神分析を受けたり、実践したりしている側にもそういう思いは生じます。でも「で、だから?」というのが精神分析なように思います。答え、目的、意味って?自分で無駄という言葉を使うなり「無駄って?」と自分に問い直すようなことが起き続けているという感じでしょうか。

 この前、「三度目の殺人」という映画を観ました。ぼんやりとみていたので詳細もぼんやりですが、「それって誰が決めるの?」というような言葉を広瀬すずさんがいっていました。線引きに対して疑義を呈するというのは是枝作品に一貫した態度のような気がします。そうでもありませんか?

 私たちはそんな確かな存在ではないので、というか、私はそう思っているので、いろんなことを感じて考えていつも揺れ動いて、なんだか大変だなぁ、ということが多いです。一方でよく笑ったりくだらないこといったり、ちょっとしたことで今日はいい日だったなぁ、とか思うことも多いです。「だから何?」みたいなことを書いているのもそんなわけです。

 明日はどんな一日になるのでしょう。ウィルスも災害も気になるし、それどころじゃない、むしろ目の前のこの人の気持ちの方が気になる、という場合もあるでしょうし、特に何も気にならない人もいるでしょうし、色々ですね。かなり確かなのは明日から八月ということですね(びっくり)。とりあえず睡眠は大切なのでみなさんもよく眠れますように。

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密、親密、秘密

6月に社会学の本を読んだよ、ということで気鋭の若手社会学者、中森弘樹さんの『失踪の社会学 親密性と責任をめぐる試論』を取り上げました。

この本、コロナ関係の本かと思ってしまいませんか?題名だけみると。でも違うのです。出版は2017年ですから。そのくらいコロナは親密性と責任について考えることを余儀なくしたウィルス、というかもはや出来事となったと思いませんか。

そして、コロナ関連の本が続々。本というか雑誌?みなさん、仕事が早くてすごいです。危機のときの情報の取り入れ方は人それぞれだと思いますが、私はネットニュースやSNSで流れてくる情報をぼんやり眺めながら、そのなかでも信頼している書き手が参照している元の資料や文献をみて、でもよくわからないから関連のもみて、とかやりながら自分の仕事をどうしていくかを考えています。終わりがない作業ですねえ、こういうのは。開業だと最後は自分で決めるしかないけれど。

研究者のみなさんはすでに視点が定まっているから「この視点でこの出来事を見た場合」という感じで書けているわけでしょうか。これが臨床との違いかなぁ。でもこういう雑誌を読むときもどの論考も大抵「今の時点で」というような言葉は入っているわけだから変わりゆくものとして取り込むことが大切なのかもしれませんね。

あ、「こういう雑誌」というのは2020年8月に出た『現代思想』のこと。今号は、パンデミックを生活の場から思考する、ということで「コロナと暮らし」という特集を組んでいます。目次は青土社さんのHPをご覧くださいね。

冒頭に挙げた中森さんの本、やはりコロナにも通ずるテーマですよね。親密性と責任。ここでは、【家族と「密」】という分類(分類、やや雑ではないか?と思わなくもないけどスピーディーな作業には必要かもしれない)で『「密」への要求に抗して』という論考を書かれています。

 まず、「コロナ離婚」という言説、あるいは社会現象を「ステイホーム」がもたらす親密圏への過負荷に対する私たちの不安感を示唆するもの、として捉えるところから始まるこの論考。

ワイドショー的な言葉の使い方はこうやって言い換えてもらうと急に自分のこととして考えられる言葉になるような気がします。これぞ専門家の役目かもしれません。

「密を避ける」、で「ステイホーム」、といってもそもそも「家族」って形式としては「密」ですよね、でもそこは前提だから議論は避けて通りますか、だとしたらそれはなぜでしょう、みたいな疑問を中森さんはきちんとしたデータをもとに書いておられて、「それを自明の前提として受け入れるとき、その背景にはどのような規範が存在しているのだろうか」という「問い」に変換していきます。

「そんなの当たり前じゃない?」というのは昨日書いたような「あっちがあるじゃない」というのとたいして変わらないような気がします。前提を顧みること、「前提が、現状に対してとりうる選択肢を狭めている」可能性を考えること、中森さんがここでしているのはそういうことかと思います。

「家族を特別視する背後にあるもの」を検討するために援用されるのは山田昌弘(2017)。私にとっては久しぶり。あとは読んでいただくのがいいと思うので詳しくは書きませんが、確かにコロナ禍のコミュニケーションのなかで、それぞれが前提としている「家族らしさ」ってあるんだなぁ、と思ったのは本当。そしてその前提から要求が生じ、いつの間にか大切にしたかったものはなんだったっけ、となることも確かにあると感じます。

中森さんはご著書でも「親密」をキーワードにされていましたが、ここでも家族にとどまらない親密な他者との関係について、まずは「親密圏」とはという概念から教えてくれます。これも昨日書いた「広場」の概念を考えることと私には重なってきます。

とサラサラ書いていたらなんかすごく長くなってきてしまいました。読みにくいですね。もしご興味のある方は、まずは本屋さんでちょっと見てみてください。他の方の論考も興味深いです。

中森さんのこの論考、最後はジンメルの「ある程度の相互の隠蔽」を引用し、「ステイホーム」においては、「秘密」「奥行き」、すなわち「距離」あってこそ生じるものの確保という課題が想定されるため、「「密」への要求に抗する新たな規範を構築してゆく必要がある」と結ばれています。

ここは土居健郎の「隠れん坊」とか「秘密」の概念と重ねて考えるところです、私の専門としては。

そういえばジンメルも「人間関係論」のテキストに出てくるなぁ。有名な社会学者です。

「人間関係」は本当に幅広くて複雑で難しいこともたくさんですが、目の前の誰か(とかSNS上の文字とか)のキャッチーな言葉に自分のことを当てはめたり、当てはめられたりしてしまう前に、「なんでこんな不安なのかなあ」とかまずは自分のこころの奥行きを使ってみてもよいかもしれません。本来であれば、そこは秘密の場所だと思うので。

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広場

新宿中央公園、10代後半からずっと馴染みのある場所だ。少し前から蝉が一斉にわんわんと鳴き出した。先日、学生もホームレスの人も会社員も私たちも誰でも寝転がることができた芝生広場がリニューアルオープンした。「魅せる芝生」エリアの分だけ私たちの居場所は少なくなった。

広場。私たちが出会う場所。お互いが何者かなんて知らなくても言葉を交わす場所だった。

「いいじゃん、こっちがあるんだから」と残された広場を指差す人もいるかもしれない。単に寝転がるという目的を果たすだけならその通りかもしれない。でもすでに「残された広場」と書いた私は、美しく整えられたその場所を侵襲を受けた場所として捉えているらしい。一個だけ、あともう一個だけ、と言っていたら全部なくなってしまった、というような欲望、あるいは関係のあり方にも馴染みがある。「そこだけは」「それだけは」という抵抗こそ虚しく奪われていく場面も見聞きしてきた。

自分だけの場所を守る。それがどのくらい必要で、どのくらい難しいことか、いろんな人の表情や語りが思い浮かぶ。一度侵襲を受けた場所は多くの場合、最初からそうだったかのように少しずつ姿を変える。事実は変わらないとしても侵襲の記憶に苦しむのは辛い、お互いに。

広場、それは作られるものではなくてどちらかというと余白だろう、と思うのは昨日、マルジナリアのことを書いたからかな。

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読書

「マルジナリアでつかまえて』

楽しみにしていた本が届きました。

予約していたからサイン本です。細字ボールペンで丁寧に描いてくれています。嬉しいです。

学生時代、友人に極細ペンできれいに平行線を描くコツを教えてもらったことを思い出しました。新宿の「世界堂」に連れていってくれたのもその子でした。はじめての「世界堂」はインパクト大でした。下手絵しか書けないけど画材が好きです。

さて、マルジナリアとは「余白の書き込み」のことだそうです。

山本貴光さんの『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』

題名だけでいろんなことを連想しませんか。そして題名を打ち間違えたらまた新たな発見がありました。間違いや失敗って大切です。

透明のきれいなビニール袋から取り出してパラパラっとしたらウワッとなって、一度閉じて、表紙を眺め、二度目はもっとそっと開きました。この本、嬉しい。最初のページからしばらく続くカラー写真。豪華。すごく楽しい。きっと本好きな方には共有していただけるような気がします。

本当は今夜読みたいけど余裕がないのが残念です。作業に疲れたらこの写真たちで休憩してから作業に戻ろうと思います。そして作業が終わったらつかまえにいこう。

いろんなニュースに気持ちがあっちこっち行きますが、本はいつも静かにそばで待っていてくれるから、まずは目の前のことをやりましょうかね。

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失念

毎週1回1時間半を15回、講師の仕事をしています。「人間関係」全般についての講義です。なんて幅広い、と思われるかもしれません。実際そうなのです。なのではじめてテキストを見たときは「へー、こういうところをピックアップするのね」ととても新鮮だったのを覚えています。そしてそれはテキストを書く人によって異なるので、2年目にテキストが変わったときも「ほー、今度はこういうところを」とやはり新鮮でした。そして今年度もテキストが変わっていたのですが、見た目が全く同じなので全く気づかず昨年度のを使っていました。気づいたのはなんと先週。今年度は新型コロナの影響で始まりも遅かったとはいえ、すでに15回のうち半分が過ぎました。学生が指摘してくれたとき、最初の数回はオンラインだったから言いにくかったのかしら、とも思ったのですが、今回がはじめて違ってたとのこと。私が世帯数とか世帯人数の表を見ながら「これ2015年の統計だから今はもう少し平均世帯人数が減ってるかも」と言ったことで「あれ?先生古くない?」と気づいてくれたようです。よかった。ただでさえ最新の情報を手に入れるのが苦手なのに。やはり対人関係は大事です。そしてやはり平均世帯人数は減っていました。

新型コロナによって世界が人の移動、人との関わりを制限する方向に動いたときに私が思ったのはますます少子化になりそうということでした。今年も人間関係に関わる様々な統計が出るでしょう。10年後とかに年次推移を見たときに「あれ、2020年って何かあったの?」と思うような数値になるのでしょうか。こう書きながら10年経ったらどころか今年の春頃の混乱もすでに忘れられてしまったのではないかと感じることもあるなぁ、と思いました。同時に、忘れたいのに忘れられないこともそれ以上にたくさんあるかもしれないとも思います。

さっき「2011年」って打って、「あ、違った」と今度は「2021年」と打ってしまいました。私はまだ2020年である今年をきちんと過ごせていないようです。もう半分が過ぎたけど。

2011年はどうしても大震災の記憶から離れられないのかもしれません。2021年はまったく不明です。やはり今年の諸々は全くなかったことになっていたりするのでしょうか。わかりません。

画像は、実は新年度に入る前に送っていただいていたのに私がすっかり失念していた新しいテキストです。テストにするとしたらこんなところを覚えておいてほしいかなぁ、というところに付箋をはりました。もう後半だけど新しいテキストで気持ちも新たにがんばれたら、と思います。早速、自分でも読めない字で書き込みをしちゃったけれど。

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未分類 精神分析

雨女

今日は日曜日か。どおりでどこの保育園に行くか思い出せないわけだ。夢から覚めながら今日の予定を探っていたのだけど何も思い出せなかった。もともとないものを探しだすことはできないね。

雨が強くなったり弱くなったり。窓を細く開けている。昔から雨の音が好きだ。私が旅に出るときの雨の確率は高く、雨女だといわれている。同僚が今年の雨を「梅雨というよりもはや雨季」と言ったので笑った。月別の年間降水量でいったら6月から9月はあまり変わらないし、平均日照時間もそれほど変わらないのにあえて「梅雨」と名付けるのは不思議なことだ。「それほど変わらない」は私の読み方が大雑把なせいかもしれないが。

梅雨入り宣言はあとから取り消すことができる。桜の開花宣言は取り消せないだろう。一旦咲いたものは咲き続け、やがて散る。

最近CBTを集中的に勉強していたが、CBTはどちらかというと桜だと思う。出来事の循環を継時的にあらわす。精神分析は梅雨だと思う。涙も多いし、明けたと思ったらそうでもなかったということも多い(無理やりだけど)。でも共時的に出来事が生起することや空間の想定は空メタファーでいけるのではないか。だからほとんど更新しないオフィスのFacebookページに私は空模様のことばかり書いているのかもしれない。

また雨の音が弱くなった。今はとても弱い。熊本が本当に大変だ。GO TOトラベルではなくGO TO HEIPだろう。こちらは取り消せない現実だ。きちんと見る必要がある。

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精神分析

ワークする

海外の分析家の文献を読むとき、Obituaryを参考にする。この人誰だろう、と思って調べると結構上位に出てくるのだ。Obituaryとは死亡記事のこと。生涯を通じた略歴が載っているので全体像をつかみやすい。この人ってあの分析家の分析受けてたんだ、この人ともこんなの書いてるんだ、この人の娘さんはお父さんより先に亡くなったんだ、などなど色々思いながら読んで、これから読まんとする論文なりの位置づけをなんとなくしてから読むとちょっと新鮮。読んでいる途中は生きているその人との対話になるし。

でも死ぬって止まっちゃうことなんだなと改めて思う。どんなに名を残しても、フロイトみたいにどんなに私生活が暴かれても、その人が個別に築いていた関係がどのようなものであるかは誰にもわからない。本人にだってわからないだろう。

生きていれば「今の時点」を積み重ねて、その先はわからないことにしておけるけど、死んでしまうとその先を作ることができない、当たり前だけど。

今日は幼い頃に父親を失い、その死を否認することでしか生きられなかった母親とともに生き、こころのなかにカップルを描けず、執筆活動ができなくなった女性の事例が載った英語論文を読んだ。創造性はこころのなかに安全に両性性をすまわせるプロセスと関係している。そしてそれは喪の作業とも関係する。この論文の患者は、分析家とともにその作業をやり通した。その結果、彼女の母親も在りし日の夫を再び胸にすまわせることができた。

長くて苦しい作業。患者とその作業をしていくためには、分析家自身が訓練をやり通す、精神分析ではワークスルーと言うけど、それがとても大切なんだろう。そしてそれ以前にまずは生きながらえること、死亡記事に載せるものなんか何もなくてもそれが基本的に重要だと思う。

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精神分析 精神分析、本

出自

小此木啓吾先生の古希とフロイトの誕生日を祝う学術集会が収められた『精神分析のすすめ』(2003、創元社)という本は冒頭に三浦岱栄先生(小此木先生が慶應の精神科に入局したとき(昭和30年、1955)の教授、『神経病診断治療学』の著者)との激しい葛藤が綴られている。ものすごく高度な戦いで、その中で「僕は精神分析に負けた!」といえる三浦先生がすごいなと思った、とTwitterで書いた。

本当にそう思う。「第一部 各研究の個人史的背景と次世代へ」と名付けられたこの最初のセクション「神経学との出会いー三浦岱栄先生と」でこのエピソードを話す小此木先生の討論者が狩野力八郎先生で、もうお二人ともいらっしゃらない。

小此木先生が書かれた何冊もの本、遅筆だったといわれる狩野先生の著作集、そして日本の内と外を橋渡しした土居健郎先生、北山修先生の著作などは精神分析は精神分析でも「日本の」精神分析について深く考えさせられる書き方がされている。

精神分析がクライン、ウィニコット、ビオンによって母子のメタファーを用いることでその潜在力を開花させたように、私たちも何かと出会うとき、自分という存在、自分の考えの由来を早期のできごとから探らざるを得ない、わけではないかもしれないが何かを人に伝えようとするときその基盤となった個人史に言及する人は多い。

出自を知る。多くの文学が描いてきたようにそれは類型化されるものではない。生まれることの理不尽を、生きることの理不尽を、私たちは感じながらどうにか生きている。自分とは違う誰かとの出会いがいかに生を揺さぶるとしても、その生を規定されたものとして諦めることなく、その潜在力を信じたい。

様々な報道を目にしてふとそんなことを思った。

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読書

『銀河の片隅で科学夜話』

『銀河の片隅で科学夜話』、どんなお話を想像するでしょう。全卓樹(ぜん・たくじゅ)さんの本です。副題というのかな。とっても素敵な表紙には「物理学者が語る、すばらしく不思議で美しいこの世界の小さな驚異」とも書いてあります。この表紙についても素敵エピソードがあったそうで、それは全氏が勤務されている高知工科大学のHPで読むことができます。

本をめくった時の裏表紙というのかしら。そこに載せられた絵もこれから出会うお話への期待を高めてくれます。この本は、天空編、原子編、数理社会編、倫理編、生命編と全22夜の語りがおさめられているのですが、各編冒頭に引用される吉田一穂の詩(ですよね?)は魅惑的な世界の入り口にぴったりです。

これまで高度に専門的な内容をこんなに美しく、門外漢にも自然に通じるように書いてくれた科学の本があったでしょうか。というほど数を読んでいませんが、子どもの頃は子ども向けの図鑑や絵本とたくさん出会えました。でもこの本は大人になった今だからこそ染み入るお話のような気がします。バタバタとすぎる日常でふと見上げる夜空のこと、人類が出会ってしまった原子のこと、案外単純な計算で示しうるこころのこと、人間という存在が進もうとしている未来のこと、倫理のこと、人間を相対化する生き物たちのこと、一話ずつ読むつもりが一気に読んでしまいました。

人間なんてちっぽけな存在、という言葉を誰が言い始めたのかわかりませんが、きっとそれって誰もがふと感じる瞬間があるから生まれた言葉のような気がします。自分の知らない世界の存在を実感するとき、そしてそれに美しさを感じるとき、私たちはなおさらそんなふうに感じるのかもしれません。

素敵な本と巡り逢えました。今夜もどこかで降り出した雨の音をききながら未知の世界を想う科学者がいるのでしょう。たくさんの被災地にも静かな夜が訪れますように。

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俳句 読書

成長

坂の上の小さなおうちだった保育園はいまや駅前に第一、第二と園舎を持つ認可保育園になった。あの頃赤ちゃんだった子たちはもう小学生だ。長い間成長を見守っていると大きくなったその子たちに当時の面影を見ることがある。

毎月どこかしらの保育園を巡回する。4、5歳になると年に数回しかこない相手のことも覚えている。「また会ったねー」と寄ってくるスピードも雰囲気もそれまでとあまり変わらない。

万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男 

少し前にここでとりあげた句だ。その日、保育園にいくともうすっかりおしゃべりでやりとりするようになった子どもたちが「またきたー」と寄ってきた。そして口々に「歯が抜けたんだよ」と口をいーっと横にひらく。最初に生えたであろう下の前歯が抜けている。なんともいえずかわいい笑顔はこの時期だけのものだ。「永久歯」が生えてくる。

永久歯とはに抜け落つ麦の秋  桑原三郎

この歳になると目に見える変化もないので特に成長は喜ばれないが再会を喜び合うことは相変わらずある。喪失は子どもの頃よりもずっと日常になる。

ところで、女が歳を重ねることをリアルに書いたのは藤沢周平だと思うがどうだろう。今、私の手元には「夜消える」が二冊ある。何故だかわからない。第一刷が1994年。多分一度読んで、読んだことさえ忘れてまた買ってしまったのだ。古い方の一冊にはもうカバーもかかっていない。別の小説を探していたら本棚に並ぶ二冊を見つけた。並べたことすら忘れてしまっている。そもそも今これを書き始めようとしたときに私はこのことを書こうとしたのだ、そういえば。

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精神分析

紡がれ編まれる言葉

来月はお世話になっている先生のお誕生日。お祝い句をお送りすることになったが、果たしてお祝いの気持ちを句にのせられるだろうか・・・・

ことばに気持ちをのせることは本当に難しい。自分が言葉を話すときもそうだし、相手の言葉にのせられたそれを受け取る場合もそうだ。私たちは大抵、言葉を字義通りに受け取ることはせず、無意識の文脈にのせてそれらを変形する。話し手と受け手の双方がそれをする。宛先がないとしても言葉はひとりだけのものではなりえない。

昔、鍵のついた日記帳を使っていた。簡素ですぐ外れるような鍵だった。でもとても気に入っていた。「ひみつのノート」を作っている子もいた。ノートの表紙にそう書いて。自分だけの秘密のノート。誰かを想定しているから「秘密」は生じる。

松田聖子の「秘密の花園」を思い浮かべた。80年代。カセットテープに秘密を吹き込んだ思い出のある人もいるかもしれない。好きな子のために夜通しカセットテープにダビングを繰り返した人もいるかもしれない。たとえ口下手でも音楽なら率直に伝えられる。「どうしてこの曲?」と相手が思ってしまう場合もあったかもしれないが(もはや笑える思い出になっていることを願うが)。

SNSで一方的に知っている立場から投げかけられる攻撃的な言葉、あれはなんなのだろう。たとえ本当にそう思ったとしても秘密にできないものだろうか。投げてしまうことで、自分から放してしまうことで自分の内側は少し楽になるのだろうか。画面上で削除できても人のこころはそうなっていない。痕跡が残る。

お祝いの一句。攻撃の言葉よりずっとずっと難しい。プレゼントを買うときのように数えきれない言葉から17音を選びとる。困難で幸せな時間だと思う。

お互いのこころで紡がれ編まれる言葉。今日がよい1日でありますように。

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精神分析

TEACCHプログラムの勉強会にでた

コロナ以前から遠方の方のスーパーヴィジョンや読書会でzoomやSkypeは使っていたけれど大人数に向けて(講義)使うのははじめてだった。今は対面で学生たちと会えるようになったけど、様々な感覚の違いを体感できたのは収穫だった。身体の潜在性と表現力。

私の場合、講義は一コマのみで仕事のほとんどは一対一の対面あるいは平行、あるいはカウチ使用(背面になるかな)の臨床なので、そこで身体が持つ意味を見直すのに良い機会だった。

受講する側としては、オンライン講義、録画視聴の講義が増えていることは助かっている。移動時間を考えなくていいとなると参加できるものが増えるのだ。今回、出たのは昔から馴染みがあるのに最近の動向を書籍以外では追えていなかったTEACCHプログラムのオンライン勉強会。グループに分かれて現場の人たちとワークもできた。

TEACCHとはTreatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Childrenの略である。TEACCHプログラムとは、アメリカのノースカロライナ大学のE.ショプラーの研究を基礎に始まった自閉症の方、そのご家族、支援者の方を対象とした包括的なプログラムのことだ。日本には児童精神科医の佐々木正美先生が導入し、今は療育の領域ではよく知られている。

これは簡単に言えば「自閉症(今ならASD)の学習スタイルの側から考えて療育の枠組みを整えよう」というものである。当たり前では?と思う方もおられるだろう。または、彼らも私たちと同じこの複雑で見通しの立てにくい社会で生きていかねばならないのだからそんな特別扱いせずに体験させていかなくては、という子育て観をお持ちの方もおられるだろう。

後者の場合、これは本人だけでなく周りの負担も大きく、非効率的だろう、というのが私たちの理解である。私たちは基礎がないのに難しい問題を解くことはできないし、「わからない」体験は「わかる」体験をしてからのほうがどこがわからないかをわかるようになるので、「ここまではOKだからここから始めようね」という具体的な計画が立てられ、むやみに自信をなくしたり混乱したりせずに済む。できないことをやらされる、あるいはやらせることはどちらにも無理があり、負担が大きい。これはASDの支援でなくてもいえることだろう。

今回、参加したTEACCHプログラム研究会の「自閉スペクトラム症の特性理解」は録画視聴とワークショップの二部構成で、ASDの特性理解と構造化(今はStructure TEACCHingというらしい)について事例を用いて丁寧に確認ができた。内容は以前とそれほど変わっていなかったが、より精緻化されている気がした。

私は当時、コミュニケーションとしての言葉をほとんど使うことのできない重度の自閉症の子どもや大人と関わっていたが、私が学んだ時代はまだ親も支援者も試行錯誤の連続だった。様々な勉強会に出たり、月刊『実践障害児教育』などの雑誌で連載されていた講座などを読みつつ支援策を練っていた時代が懐かしい。

理解されないということも辛いが、理解ができないということも本当に辛かった。今だってそういう局面はたくさんあるに違いないがASDの理解は以前よりもかなり浸透しているといえるだろう。そして確かな理解に基づいた枠組みを提示できる現場の人も増えつつある。とても重要なことだ。特に保育園や幼稚園、小学校という早期の教育現場をサポートするときはASDかどうかにかかわらず、その人の特性に立って、その人の側から理解するための視点をわかりやすく提示し、具体的な枠組みづくりを提案してもらえたら現場はとても助かるし、なによりご本人が世界や社会を過剰に怖がらずに過ごせる確率はあがるだろう。

様々な現場でASDの子どもや大人、そしてその周りの方々と仕事をしている専門職の皆さんと話しあいながら行動評価をできたことも楽しかった。講師の諏訪利明先生にアイコンタクトのことで質問できたのもよかった。

療育の現場は言葉以前に感覚、身体そのものという生身で距離の近い関わりが中心だが、だからこそ支援する側がそういう現場から離れてオンラインくらいの距離で言葉でやりとりすることも時折必要なことでもあるのかもしれない、と思った。

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精神分析 精神分析、本

「その後」

昨晩は『フロイト症例論集2 ラットマンとウルフマン(藤山直樹編・監訳、岩崎学術出版社、2017)』のラットマンの部分、つまり「強迫神経症の一症例についての覚書(一九〇九)」を読了。

昨年度からオフィスで始めた小さな読書会。4月から新しいメンバーを加え2年目をスタートさせたけど、コロナの状況を考えてまだ一度も対面でお会いできていない。

昨年度は同じく岩崎学術出版社から出ている『フロイト技法論集』をちょうど一年かけて読み終えた。今回のラットマンは
 Ⅰ 病歴の抜粋 Ⅱ 理論編 というシンプルな構成。1ヶ月に1回2時間で4ヶ月、8時間で読んだ。強迫神経症の症例としても、転移を扱わなくてもよくなった症例としても、フロイトとラットマンの幸福な時期の描写としても読める本である。

ラットマンという名前は彼の病歴からとっている。私も自分の問題に名前をつけるとしたら何かな。病名よりはその人固有の感じが出る方がいいなと思う。

ラットマンはフロイトにお母さんのようにお世話をされ、陽性転移の中よくなっていくが、第一次世界大戦で戦死する。だから「その後」は「戦死」以外、分からない。

ウィニコットの子どもの治療記録『ピグル』に出てくる女の子は50年後にインタビューに応じている。

死に方には色々あるし、いつどうなるかは誰にも分からないけど、できたら「その後」を死以外のなにかで伝えたり、伝えられたりしたいな、と思う。

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精神分析 精神分析、本

どうして5年日記とか10年日記は続かないのに毎日の日記なら続くのかしら。と思ったけど、日記ですものね。その日のことを記す場所として好きに紙面を割けばいい。その自由度の高さ、気ままにやれる感じがきっとよいのでしょう、私には。紙じゃないけど。

雨が降っています。昨晩より強く土砂降りのような音。レインコートと長靴かな。

フロイトは『夢解釈』が有名でしょうか。以前は『夢判断』と訳されていたけど精神分析ではやっぱり「解釈」かなぁ。

夢は本当に不思議で矛盾する出来事が普通に生じる時間を生きられる唯一の場所です。小学生の頃から「夢占い」とかもしました。フロイト を持ち出すまでもなく。

でも持ち出すと、フロイトには A  Lovely Dream(「素敵な夢」フロイト 全集5『夢解釈2』p12)、「すてきな夢」という題がつけられた夢が登場する。どんな夢だと思いますか。きっといろんな「すてき」を思い浮かべますよね。これ、読むとわかるのだけど夢だけみても特に素敵ではない。「すてきはどこ?」と思って読んでいくと、実はこれゲーテ『ファウスト』からの引用である。「いつか見た夢すてきな夢さ」。

連想のたくましい患者である。精神分析ではフロイトの時代から夢と分析状況は関連づけられている。そして今も私たち臨床家は患者の夢の中に自分たちを見出す。自分の夢の中にも様々な関係が姿を変えて現れる。「現実に起こったことと空想で起こったことは、まずは等価なものとして現れる」。私たちはごくわかりやすそうな夢もみるが「巧妙に仕込まれた夢作業」をすることもある。それは小学生の時代からそうだったように他者との間に置かれると意味をもつ。

当時の可愛いイラスト満載の「心理テスト」とか「夢占い」という本は大抵「A.〇〇の夢をみた人」→「ほかに気になる男の子がいます」とか選択方式で、それを読んで「きゃーっ」と盛り上がるという感じだった。現実的に好きな子が今いないとしても一部あっているような気がしてしまうのは昔から変わらないことである。みんな想像してしまうし、「ちょっと気になる子」は大抵いる。だからちょっと興奮して盛り上がる。ちょうどよい遊びだ。

精神分析は選択肢がない。使うのは「自由連想」である。こちらも想像力を必要とする。が、精神分析という状況で現れる夢は今ここにいる二人の関係だったりするので結構複雑だ。秘め事としての夢だからキャーキャーできていたのにここに置かれてしまう。置かれることで連想は質を変える。その連想がまた夢想に近くなる場合もある。

ひとりの夢がふたりの夢に。精神分析ってそういう場所だ。

出かけるまでに止まないな、この雨。今朝はどんな夢を見て起きただろう。精神分析家のウィニコットは「夢をみられない」ことを主訴に精神分析を受けはじめた。夢という時間と場所を失うことは主訴になりうる。こころの世界が守られること、いつだってそれはとても大切なことに違いない。

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精神分析

心理職

多くの同業者の実感と違うかもしれないけど、学校や病院みたいな他職種のみなさんの中にいると心理職はいいとこどりというか立場を曖昧にしておけるミステリアスな存在だと思うんだな、私は。それに対して外部に伝わりやすい名前をつけないと給与面での交渉はできないと思うけど、とりあえずそう思う。

一回30分とか50分とかいう枠のあるところもあるけど、なくてもやれることはたくさんあるし、隙間産業という人がいるのもうなづける。私が今、しっかりした設定の精神分析臨床をプライベートなオフィスで営めるのは、これまでのいろんな現場での流動的、中間的、ある程度可塑的なあり方を許容されてきたからだと思う。そこでの試行錯誤がないまま開業したらなおさら「精神分析とは」みたいな迷子になっていたかもしれない。

心理職は、家族と違うのは当たり前だけど、教師や医師や看護師とも違って、「心理教育」はするけど叱ったり、お説教したりする親役割をとることはない。どちらかというといいお兄さん、お姉さん、おばさん、おじさんみたいなちょっと立ち位置をずらした曖昧なところにいて、生徒や患者から「先生にこう言われた」とか愚痴や不満を聞いて、気持ちの一時預かり所みたいなことしながらお互いの仲介のような役割をとったりしていると思う。

しかも病院とかだと来院してはじめてそういう立場の人(心理士)がこの集団の中にいるってことを知った、というような患者さんも多いわけで、いつもは背景に紛れていて、必要とされたときにふわーっとそこから現れでてこられるような仕事だと思うのだ。前に別のところでも書いたけどスクールカウンセラーが週一回という設定なのも逸脱を防いだり、必要な子に開いておける仕組みになっていると思う。もちろんこちらの活用の仕方次第だけど。

私は組織内の心理士としては、ミニマムな存在でありながら使われるときは勤務時間内にしっかり(持ち帰りとかはせず)役割を果たす、という移行対象的な存在でいたい。(しつこいけど)勤務時間内にその人の固有性にちゃんと使用され、しばらくしたらその人にとってはもう必要ない存在にきちんとなるべく、中立性とか平等に漂う注意とか精神分析が大切にしてきたことをどこでも大切にする。

こういう存在に名前をつけられれば仕事として成立すると思うけどこういう考え方は少数派かな。ある意味、社会から少し逸脱した場所で、役割ありきではなく、荘子の「哀れみ」のような、人を基礎付ける何かを大切にできる存在として動きすぎず静かにそこにいながらしっかり使われる、心理士としては(分析家とは違ってという意味)そういうことを続けていきたいと思ったりしています。

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「適切な」

バンクシーがロンドンの地下鉄で書いた絵を清掃員の人が気づかずに消していたというニュース、バンクシーも計算済みで描いているのですよね、多分。「交通局は、マスクなどの着用を促すメッセージを伝える適切な場所を提供したいとコメント」とニュースにあったけど、これはバンクシーに対してってことかな。バンクシーは「適切な場所」が地下鉄だったのでしょうけど、ねずみがくしゃみしているわけだし。

バンクシーって男性?女性?今「彼」とかくか「彼女」と書くか迷ったけど、それもどっちでもよくしておくことが大事なのかしら。

「適切な」って言葉、私も使うけど使いながらいつも微妙な気持ちになります。そういえば最近はKYって聞かないかも。空気読めないってなに、と思っていたので良いことのような気がします。ところでKYは看護のテキストだと「危険予知」という意味です。危険予知トレーニングは「KYT」。言葉はそれが置かれる文脈や文化でいくつもの意味になるから面白いというか厄介というか・・。

人もそうかもしれません。一例ですが、吉川浩満さんが山本貴光さんとやっている YouTubeチャンネル「哲学の劇場」で東浩紀『哲学の誤配』を「2020年上半期の本」としてあげていました。そこで話されていたことです。彼らと(私も)東浩紀さんはほぼ同年代で、昔からの読者としてその多彩な言論を知っているわけだけど、この『哲学の誤配』は韓国の人が韓国の読者のために東さんにしたインタビューなので、彼がどんな人か知らない人も彼のこれまでの活動をシンプルに追える構成になっていて、それがかえって東浩紀という人の本質を浮かび上がらせるよね、というようなこと(ちょっと違うかもですけど)を話しておられました。

東さんは彼自身が自分はそもそもデリダ研究者で、と自己紹介しなければならないほどその像が断片化してしまっているようで大変そうだな、とただの一読者ですが思います。少なくとも人をそういうふうに捉えてしまうと対話するのは難しいだろうなあと。ちなみに「哲学の誤配」(白)とセットで出たのは『新対話篇』(黒)。彼はゲンロンカフェという対話の場を提供している開業哲学者(他にそんな人いるのかな)で、同じく開業して生活している私はそこにも親近感を感じています(心理士は開業している人はそこそこいます)。

対話はその人の全体から編み出される言葉のやりとりだから、対話相手によってその人の像が変わるとしても、それは決して断片にはなり得ないと思いませんか。奥行きや広がりは生じるとしても。でも、もし、断片化するために人の話を聞くということがあるとしたら、それはその人に対する受け入れ難さがあるからかもしれないな、とも思います。確かに「私の知らないあなた」と出会うことを避けたり、自分がみたいようにしかみない、ということも私たちの日常かもしれない。

言葉も人もそれが置かれる場所、いる場所によってその姿を変えてしまう。でもだから私たちは流動的で、潜在性をもった存在でいられるのかもしれないですね。いつも決まった場所で決まった言葉の範囲内で生活しなさい、それが「適切な」あり方、とか言われたら私は嫌、というか辛いです。

今日も雨ですねえ。足元お気をつけておでかけください。

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曖昧

誰にともなくこれを書く。曖昧な思考、とりあえずの言葉。浮かんだ場面。

あの日、私は足立美術館にいた。もうずいぶん前の話だ。スクールカウンセラーをやめてしばらくした頃だった。駅から無料シャトルバスがあるから、と乗り場に向かったら、満席だから、とバスは私たちをおいていってしまった。このあとはしばらく来ないという。なんともすげない断られ方に少し苛立った私たちは知らないもの同士でタクシーに乗り合わせて美術館へ行った。他愛もない話を少ししたかもしれない。

足立美術館といえばその庭園が大変有名で、実際見事な景色が広がっているが、私はそれほど心動かされなかった。苛立ちが残っていたのかもしれない。

足立美術館は横山大観のコレクションでも有名だ。大観と戦争の関係もあまりに有名だろう。私は大観の作品たちとその説明をみながらとても複雑な気持ちになったし様々な疑問をもった。頭もこころも重たくなった感じがした。その時、別の大観の作品の前で熱心に学芸員(だと思う)から話を聞いている人がいた。ちょっと注意を惹かれたが何ということもなく次の部屋へ向かった。多くの作品に心惹かれ、北大路魯山人の作品に感動して部屋を出たとき、さっきの人とすれ違った。思わず二度見した。向こうもこちらをみた。私たちは思わず大きな声をあげそうになったけどあげなかった。スクールカウンセラーをしていた学校でとてもお世話になった美術の先生だった。見慣れた笑顔がとても嬉しかった。先生は陶芸もやっていてどこかに窯も持っていて我が家にもいただいた小皿がいくつかある。軽やかであったかい先生だった。

それから私たちは年賀状で、今年は〇〇の美術館に行きました、また偶然お会いしたいですね、とか、今年は〇〇でどこにもいくことができませんでした、など、私が学校をやめた日からではなくて、東京から遠く離れた土地で偶然出会った日を起点に挨拶を交わすようになった。いろんな記憶が薄れていきやすい私でもそのときの記憶はとても鮮やかだ。私にとってそこは、日本一の庭園で有名な美術館というよりあの先生に会えた場所としてとても思い出に残る場所になった。

いつか、偶然、どこかで、確かな約束というのも確率の問題。曖昧な未来も悪くない、というかむしろちょっといいのではないか。

窓の外は降りしきる雨。あの日の天気は多分晴れ。だって庭園がきれいに見渡せたから。

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生後と没後

昨日はデリダの誕生日で生誕90周年だった、と哲学者の宮﨑裕助さんのTweetで知った。宮﨑さんは昨年、小寺財団が毎年秋に行う学際的ワークショップ 『精神分析の知のリンクにむけて 第四回「精神分析と人文学」』の登壇者だった。なぜこの布陣、という組み合わせで興味深かったが、別の用事で参加しなかったので内容は知らない。

ちなみにこのワークショップ、今年は9月にオンラインと現地の両方で行われる。村上靖彦さん(現象学者)と東畑開人さん(臨床心理士)をゲストに「ウィニコットの思想」というテーマで行うそうだ。せっかくだからゲンロンカフェのようにアーカイブにしてほしい。私がデリダに触れたのだって宮﨑さんと東浩紀さんのゲンロンカフェでの対談だったと思う。特に求めなくても落ちている、旅に出たら偶然出会った、そんな「誤配」(東浩紀)の種を精神分析にもまいてほしい。

さて、ウィニコットは私にとってフロイトの次に大切な対話相手。今回のお二人はどちらも表にウィニコットを掲げてはいないが、村上靖彦さんはずっと以前からウィニコット に言及しているし、東畑さんはイルツラ本の題名自体、ウィニコットっぽい。ウィニコットは「つらい」とは書かなかったと思うが。いや、彼だって寅さんを知っていたら書いたかもしれないが。

デリダ、以前、精神分析の先生が「最初にデリダなんか読んだってダメなんだよ」と古典を読む重要性について話されていたのをよく思い出す。精神分析の講義だったけど、特にデリダの話をしていたわけではなくフロイトを読む重要性について話されていたのかな。覚えていない。そもそも臨床家である私たちが学ぶ精神分析のセミナーにデリダが登場することはほぼない。それはそれで不思議なことだ。デリダは『精神分析の抵抗』など精神分析に深く切りこんだ哲学者なのに。そういう私も鵜飼哲、東浩紀、宮﨑裕助といった哲学者の名前とデリダがセットになって出てくると目を止めて読むけど、自分がその中にいる精神分析の文化とリンクさせることはせずにただ読んでいるだけ、という感じだ、いまだに。

少し前にここで私は生誕何周年より没後何年という言い方の方が好き、と書いたけれどデリダが亡くなったのは2004年10月、鵜飼哲さんの『ジャッキー・デリダの墓』は心打つ書き方だった。やはり死は終わりではなく、こうやって生き続けるのだ、ということをその本でも思った。

私は昨日、それについて考えていたんだ。なぜ私は「没後」という言い方の方が好きなのか。宮﨑さんのツイートのように生誕90周年か、彼が生きていたら今この時代に、と考えることは確かに多い。でも私は生誕何周年ってなんか死を否認しているみたいじゃない?と思ったのだ。

死について考えること、受け入れることの難しさ、それは自分の死だけではない。「デリダについて、ずっと書くことができなかった」と『ジャッキー・デリダの墓』で書いた鵜飼哲さん、「先生がお亡くなりなったことを真に認識することを促進するために」書いたという精神分析家の藤山直樹先生(『続・精神分析という営み 本物の時間をもとめて』)、おそらく大切な誰かの死を考え続け、ともに生き続けるひとつの形が書くことなのだろう。もちろん別の形式もあるに違いない。墓を作ること、穴を掘り続けること、ベクトルは異なるけれど死にはなんだか無限のイメージが付き纏う。だからこそ一旦区切りをいれたほうがいいのではないか、生誕何周年といって生が無限であるかのようにいうよりも、と私はなんとなく思ったのだ。

そういえば「夢」もどっか墓っぽいかも、と思ったけど、それもまた考え続けてればいずれ書くかな。あれ?お寺の鐘を聞き逃した。ちなみに昨日はチェーホフが亡くなった日だったそうだ。早く舞台でチェーホフがみたい。4月にみられるはずだったのになくなってしまったから。いろんなことが根を絶やすことなくあり続けてくれますように。

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伝言

1990年、小此木啓吾先生の日本精神分析学会第36回大会会長講演「わがフロイト像」から引用です。全文は『精神分析のすすめ』(創元社)で読むことができます。

「むすびのメッセージとして、会員諸氏に次の言葉をお贈りします。『フロイド先生に常に初対面して下さい』この言葉は、古澤平作先生から私が、先生自身が熟読した独文の『精神分析入門』をいただいたときに、先生がその表紙に書いてくださった言葉です。このメッセージを、今度は私からみなさまにお贈りしたいと思います。」

はい。受け取りました。これなら私でも覚えられる。伝言ゲームでもたぶんずっと後ろまで正確に伝わるはず。でも「初対面」というのが大事だからそれが「対面」になっちゃったら残念。意識しておこう。