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俳句

珈琲分布地図

早朝からせっせと仕事。どうして今やっておけばいいのに、という時間はダラダラ過ごしちゃうのかしらね、とあんまり気にしていない感じで書けるのは締切を一日過ぎた作業を終えられたから。ダメですね。

とても高い声で鋭く鳴く鳥がいるのだけど毎朝聞いてるのにその鳥の名前を知らない。鳥の名といっても個別の関係ではないから呼ぶ機会もないのだけど「あの子は一体誰かしら」とは思う。

毎朝、スーパーでお得大容量みたいな感じで売ってるドリップパックのコーヒーを淹れるのだけど今日も失敗してしまいました・・。安物のせいかお湯を注ぐと肩というか腕みたいにカップに引っ掛ける部分が片方ちゃぽんと落ちちゃって粉がブワーっとカップ内に広がるという惨事、惨事というほどではないけどコーヒーの粉って細かいからちょっと面倒。ということで毎回両側を注意深く押さえながらそっと淹れることを心がけてる。不器用さがこういう失敗に拍車をかけてるから注意深く。もう子供の頃からなんだから大丈夫。ならどうしてさっき失敗したのー。どうしてかしら。そっと両側を押さえてゆっくりお湯を注いで「よし、できたー」と思って手を離したときに指に引っ掛かってしまったのかもしれない。なんか余計なことを考えた気もする。トポン、プワーッ。見慣れた景色。もはや「あ」とか「あー」とか声を上げることもせず「またやってしまったけど大丈夫」と心で呟きながら棚から茶漉しをだし、別のカップにコーヒーの液体(って書くのもなんか変だけど)のみを移しかえる。よし。茶漉しと最初のカップに残ったコーヒーの粉はやっぱり細かすぎるのでしっかり乾くのを待ってから捨てましょうね。乾くと匂い消しにもなりますしね、ということでサク山チョコ次郎(お菓子)と一緒にいただいております。

新涼の壁に珈琲分布地図 岩崎照子

1980年、牧羊社から出版された句集『二つのドイツ』から。

確かに珈琲専門店に行くと地図が貼ってある。私はそんなに味にこだわりがないので「酸味が強くないのがいいです」くらいをお伝えしてお店の人に教えてもらっておすすめを買うときもある。でもコロンビアがちょうどいい感じというのは覚えたからそれを買う時もある。

あぁ、コーヒーの生産国のこと。大学時代の友人がホンジュラスで働いていた。ホンジュラスの教え子たちの労働のことも聞いた気がする。今こうして思い出したのだからきっと大変な状況を聞いたのだろうと思う。水を出すとかそういうところから一緒にやっていたように思う。彼女の明るくのんびりした口調とかわいい笑顔と子供たちとの楽しいエピソードしか思い出せないせいかその深刻さは教科書的知識で後付けするように思い出さねば、という感じになっている。

珈琲分布地図は労働の場所の地図でもある。爽やかな夏の朝に鳥の声を聞き分けようとしコーヒーを失敗しながらも入れ直す。今ちょうど月刊「母の友」2022年7月号の特集「涼しく楽しく!夏をのりきる」の表紙を見た。とても素敵。みんなでスイカを食べている。平和にも幸せにも色々あるだろう。「〜だから不幸」と決めつけることはできないように思うし、戦火の中、心で守る小さな平和は紛れもなくそうなのだろう。でも季節をいちいち楽しみながら他愛もないことを他愛なく繰り返せることは決して当たり前ではないんだな。すぐに忘れてしまう考えるべき問題を少し思い出せてよかった。

Tちゃん、元気かな。帰国しておうちに遊びにいっていろんなおしゃべりをして以来会っていないかもしれない。どこかで小学校の先生をしていると思うのだけどまた外国で似たような仕事をすると聞いた気もする。

みんなそれぞれの場所でどうか元気で。

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精神分析

限りあること

また後出しジャンケンさんが上から目線でなにかいってる。夜中にも投影先を探し続けていたらしき方々のRTのせいで追ってもないのに目に入ってきた。当事者である彼らもまたこれをみるのだろうか。

特定の親子とか男女を「こういう人たちって大抵こう」みたいに語れるほどあなたはその関係を生きてきたのだろうかと言いたくなる。そこがどれだけ複雑で知れば知るほど外からは何もいうことができない世界か少なからず体験しておられると思うのだけど、と言いたくなる。体験していないとしても研究者としてはそういうことをとても弁えておられるようだからその知性と言語能力でかっこ付きでもいいから「想像力」を作り出してみては、ご自身の中に、と言いたくなる。安全な場所からの暴力については前にも書いた。

今も私たちと同じように大きな葛藤を抱えながら生きているペアにどんな課題があるとしても彼らも私たちも生きていかなければいけない。大勢の人に刃物をちらつかせるように言葉を使われては二人の間でなら考え直せたかもしれないものも別の何かにすり替わってしまうだろう。いつ代弁をお願いしたっけ。もちろん彼らにそんな「つもりはない」のだろう。「会えばいい人」なのだろう。

投影と行動化、自分で自分を抱えることができず素朴に素直に吐き出された言葉を「そのつもりなく」利用してしまうこと、私たちがよくやることだ。「あなたが言えないなら私が言ってあげる」と吐かれる言葉は大抵その人が言いたいことではないだろうか、と外からみれば思う。

あいつのせいでこうなった、と声を震わせ叫ぶように話す人と共にいる。これまでそれが当たり前だと思っていた。でもこう話してみればそうじゃなかった。子供の頃からあいつらのせいで自分は自分らしく生きることができなかった。なのにどうしてあいつらじゃなく自分がこんなところに時間とお金をかけなければいけないんだ、変わる必要があるのはあいつらだろう。

強い憤りに圧倒される。そうかもしれない。そうなのだろう。でもここにきたのはあなたでそう思ってしまう自分自身を変えたいといったのもあなたなんだ。いい悪いの話ではない。正解や間違いがあるわけでもない。確かに「あいつら」があなたにしてきたことはひどい、ひどすぎる。でも今、あなたがこれまでとは違う感じでそんなに怒っているのは「あいつら」を変えることはできないと実感したからではないか。それが何よりも辛いのではないか。悔しいだろう。苦しいだろう。だから今こうしてこれまでに感じたことのない憤りをあなたは感じていて私に対してもそれを向けている。

絶望と憤りを繰り返すうちに「もういい」という言葉が出てくる。順番でいけば彼らが先に死ぬだろう。私は死ぬまであいつらへのこの怒りに囚われていくのだろうか。そんなのはごめんだ。なんであいつらのために私がこんな辛い想いをして時間を割かなければいけないんだ。もういい。

そしてまた怒り出す。おさめようとしてはぶり返す暴力的なまでの衝動がかろうじて行動化しない形で私に向かって吐き出される。幼い頃からこれまでの体験がいくつもいくつもその時の実感を伴って私相手に繰り広げられる。二人でいるとき以外は決して体験できない激しい情緒に突き動かれその背後に広がる無力と空虚にものみこまれる。これはあなたの問題だ、ではない。これは今や私たちの問題だ。二人の問題だ。ようやく私たちは「あいつら」から自分たちを取り戻す。

これまで誰かと体験を共にしたことなんてなかった。暴力を振るわれずに言葉を吐き続けることなんてしたことがなかった。それが当たり前だと思っていた。だから私はこんな大人になってもまだどう話していいかわからない。私は子どもに戻ったような彼らの言葉を聞き続ける。あの饒舌はもうない。辿々しく曖昧にしか言葉を使えない、それでも以前よりはずっと安心した様子で話す彼らを観察しつづけ、ときどきなにかを伝える。

激しい痛みを体験している人を前にまずすべきは沈黙だ。彼らの言葉を聞き彼らをがんじがらめにしている糸の様子を調べるように論理的に言葉を使う。断ち切りたい関係ばかりではないだろう。断ち切れない関係ばかりでもあるだろう。関わることで生じる新たな傷に対しても注意を向ける。反復は常に生じる。そこで共にいる。それは外側から何かをいうことではない。自分も生身の人間として多くのものを引き受けていく。傷や痛みと関わるというのはそういうことだと私は思う。それができないのなら言葉ではなく物理的な援助やそれが有効に活用されるようにマネージメントを行うべきだろう。

それぞれに事情がある。状況はそれぞれだ。あなたのことを知りもしない人の言葉に振り回されずにいこう。時間と労力を割くべき対象ではない。あなたの時間も私の時間も限られている。共にいる時間はもっと限られている、物理的な意味では。共にいられるうちにできることをしていこう。「人から見たら」「みんなは」と言いたくなるだろうけど言ったところで、だ。

私もだいぶ白髪が増えた。苦労してるからだよ、と気遣ってくれる人もいるけど単にとしをとった。時間に限りがあることをだいぶはっきり認識できるようになった。今更だけど。だからこそなおさら地道に、と思う、今日も。

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読書

詩集『ひのひかりがあるだけで』さわださちこ

最近の家電はなんでも音楽だな、と洗濯が終わった音を聞いた。「最近の」とかいっているが最初にそう思ったのはもう随分前のはず。月日が流れるのは早い。

昨年春、友人が編み物で作った作品を届けにきてくれた。私たちが卒業した大学に講師として勤めながら作品を作り続ける彼女と昔話をするなかでさっちゃんが自然豊かな土地へ引っ越したと聞いて驚いた。彼女たちは以前二人で詩集を出していた。その詩集は賞を取って授賞式のときの二人が写ったポストカードを私も持っている。詩集もいただいた。『ねこたちの夜』という詩集だ。

毛糸で編まれた薄い紺色の夜に大きな三日月の下、影を作ってたたずむ猫の表紙がとてもかわいらしく、掌サイズのそれを開けばさっちゃんが願う通り” 今の自分が本当にかきたいことを、子どもにもわかるやさしい言葉で”書いた言葉がたっぷりの余白に優しく配置されていた。詩集は余白が多いのがいい。そういえば山本貴光さんの『マルジナリアでつかまえて2 世界でひとつの本になるの巻』(本の雑誌社)に詩集は出てきただろうか。詩集の余白は余白という文字な気がするのでそこに書き込むとしたら上書きになってしまう、など一瞬思った。

「ああ 今日も

きみに おはようが言えた

そのことが こんなにもうれしい」

ー「こまる」より抜粋 『ひのひかりがあるだけで』さわださちこ

さっちゃんの10年ぶり2冊目の詩集からの引用だ。昨日、帰宅したらポストに入っていた。ありがとう。さっちゃんの字、変わらない。

やっぱり表紙は猫。今回はやぎ公さんというさっちゃんが惚れ込んだという画家さんが描いている。

「ねこで よかったね

なんにも しんぱいしないで」

ー「ねこは」より抜粋

クッションにすっぽりとおさまりなんの心配もなさそうな顔で眠る猫が本当にシンプルな線だけで描かれている。さっちゃんの猫でよかったね、こんな素敵な詩集にも登場してるよ。

ウクライナの猫たちが浮かんだ。先日、瓦礫となった街を紹介する記者が放送中に猫を見つけ戦争が始まって以来はじめて笑ったというようなことを話していた。

さっちゃんの優しい視線を思い出す。さっちゃんはいつも微笑んでいた気がする。のんびりとはっきりとしたことをいうイメージ。きっと今もそうだ。私の友達はマイペースでのんびりとしている人が多くてこうして作品を作る友達は特にそうだ。

「だれにも おそわることなく できたこと

そして やすみなく つづけてきたこと

すーはー すーはー

すって はいて すって はいて」

ー「いき」より抜粋

さっちゃんは「子どもにもわかる言葉で」というのをいつも心がけている。この場合の「わかる」は知的な理解という意味ではないだろう。あなたの生はいつも肯定されている、それが伝わりますように、というさっちゃんの願いだ。私はそう思っている。

<詩集>

ひのひかりがあるだけで』さわださちこ 詩・やぎ公 画

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読書

蜃気楼という真実ー村田沙耶香『生命式』

村田沙耶香『生命式』(河出文庫)は私にとって名言集だ。

「あそこってさ、誰も、着ぐるみの中の人の話しないじゃん。皆が少しずつ嘘をついてるだろ。だから、あそこは夢の国なんだよ。世界もそれと同じじゃない?みんながちょっとずつ嘘をついてるから、この蜃気楼が成り立ってる。だから綺麗なんだよ。一種のまやかしだから」

本当にそうだと思う。とかいってみるが、この台詞が吐かれる世界はぜひ本で体験してほしい。自分では絶対に想像ができない出来事がそこでは繰り広げられている。

これも全くそうだと思うので引用する。

「だって、正常は発狂の一種でしょう?この世で唯一の、許される発狂を正常と呼ぶんだって、僕は思います。」

この時代、セックスは受精と呼ばれている。花粉のような私たちはただ数を増やすために受精する。死んだ人の生命を美味しくいただきながらときどき涙したりして。

「本能なんてこの世にはないんだ。倫理だってない。変容し続けている世界から与えられた、偽りの感覚なんだ。」

わかったような、正しそうな怒りの言葉もそこが狂気の世界なら儚いものだ。偽り?正常?それが何?村田沙耶香の小説の登場人物はそれぞれの快楽に恐ろしく素直で本当に恐ろしくも可笑しい。その快楽がその人のものかいつの間にか押し付けられたものかなんてどうでもいい。それはもうそうでしかないものとしてそれぞれに生きられていて私たちは内臓になったりたんぽぽになったり「自分」とか「本当」とかそんなものは問われない世界に迷い込んで混乱し発狂する。

私は気持ちが混乱して辛いとき村田沙耶香の小説を読むと安心する。なぜならそこは自分では到底辿り着くことのできない狂気の世界だからだ。混乱を感じるうちはまだ辛いかもしれないが発狂し快楽を快楽と言わずただ体験しながら生きる。そんな恐ろしい世界はまだ私には遠いのではないだろうか。いずれ一気に近づくのかもしれないが…。これら短編を読み終わるごとに「戻ってきた」という感覚をもてることが多分私を安心させるのだろう。

さあ、今日もまだここまでは狂っていないであろう社会で仕事をしよう。人と会おう。笑ったりサボったり眠ったりしよう。それがいずれ全てまやかしだと言われても。

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眠れない夜を

人の嫌がることをしない、というのは難しい。誰かを喜ばせることが別の誰かを嫌がらせることもある。相手が何を不快と感じているか知っていてもどうしても自分の快を欲してしまうのも子供のままの部分だろう。子どもがいたり介護が必要な家族がいたりすればいつの間にかその性質が変わるかというとそうでもない。人はそんな簡単には変わらない。ただやらざるを得ないことが増えれば時間もないので守られる必要がある方が優先されるのは当然のことだ。

もちろん「人はそんな簡単に変わらない、子どものままの部分がある」ということが非対称な関係で生じる侵入や搾取の理由になどなるはずはない。私は家族的な関係を仕事にしているので思い浮かべているのは大体親密な関係だ。親密な関係に巧妙に偽装された搾取的な関係もあるが家族的な関係になればそれはすぐに暴かれることが多い。生活を共にすることの力は大きい。気持ちいいところだけで付き合えない違いだらけの人間たちが空間と時間を共にしていく。日々葛藤し否認し行動化しながらもなぜかそれを維持していこうとするこの生き物らしさ。それはやはり子どもという存在に向けられた本能のように思う。相変わらず寂しがりで構ってもらいたがりの大人の中の子どもに対しても。誰かを大切に想うこと、特定の誰かを愛すること、それは自分の一部を相手に開き委ねることだ。誰にでもはできない。直感的に選択される関係のなかで私たちはどれだけ相手を大切にできるだろう。多くの失望と絶望によってその選択は間違っていたとようやく気づいたとしても一度委ねてしまったという事実を取り消すことはできない。うんざりして苦しくて泣きながら皮膚をかきむしっても食べては吐いてを繰り返しても無理は無理だ。自分に同化してしまった異物はモノではなかったのだから。

取り消せずに上書きされ深くなった傷に絆創膏を貼るように。今はまだそんなものでは到底足りないとしても。いずれ瘡蓋に、何度もかき壊したとしてもいつの間にかそれが剥がれ落ちてくれますように。そしてまた自分の愛する能力を信頼できますように。願う。それを使うことができる関係を今度こそ選択できますように。願うことさえ勇気がいることだとしても。未来の存在へと向かう私が大人になりたがる私が子どもへ向かう私がそこに生きていますように。眠れない夜をただただ願い続けることで明日へ。

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郵便局

大急ぎで資料を仕上げた。今日は絶対に郵便局に行かねばならない。それにしても暑い。鳥は元気そう。元気かどうかわからないけど空を飛べてよく届く声で鳴けるくらいの状態ではあるらしい。あ、いっぱい鳴き出した。いっぱいというのは鳥の数ね。一匹がピーピーピーピー(私だとこんな単純な音にしかしてあげられないの残念だけどみんな知ってることだもんね)たくさん鳴いているのってあまり聞かないかな、そういえば。

郵便局へは1通が速達。毎月提出しているものなのに速達料金があっているのか不安だからみてほしいけど午後までいく時間がないから自分でー速達ーって書いてポストに入れるか・・。これ何年もやってるんだけどこんなこといってられるのって通り道だけでもいくつかの郵便局があるからかも。そうでなければいくら大事な書類だからって毎月決まって払っている料金くらい覚えて自分でさっさとやるはずだから。田舎だとすごく近い距離でも車でいくよね、と助手席からの景色が思い浮かんだ。郵便局は進行方向左手にあった。そこまでに信号はない。一軒一軒全て思い出せる程度の近さだ。それを横切る小道にはそれぞれ小学校の時の友達の家がある。誰が住んでいるかはもうわからないけれど。助手席の私は車が止まるとパッとドアを開けて小走りにポストへ何かを入れるか、郵便局の中のいつもの郵便局員さんに何かをお願いして走って母が待つ車へ戻る。今思えば急ぐ理由は特になかったと思うのだが母は何かと早く済ませたい人なのだろう。何かと急かされていた気がする。私も何がなくともすぐ走ってしまう落ち着きのない子供だったのでそういうペアだっただけかもしれない。のっぽさんのようなおじさんがひとりでやっていた「ストア」はそのおじさんの苗字で呼んでいた。「Iさんのところでこれ買ってきて」とか。Iさんの店は信号のある交差点にあったけどいつの間にかコンビニに変わった。郵便局の向いには檻があって何かを自営しているおうちだった。そこのアヒルと少し遊んでから帰るのがいつもだったがそれももう40年近く前の話だ。郵便局は数年前に移転した。周りが変わりゆくなか、いつまでも私が小さな頃のまま佇むようにそこにあった小さな小さな郵便局はバージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』のようだった。

今日はどちらにしても郵便局に行かねばならない。大阪の古本屋さんから届いた本が「上」だったのだ。私がお願いしたのは下巻だったのだけど。「上」は「ゆうメール」で送り返してと言われたのだけど「ゆうメール」って中がわかるように一部封筒開けておいたり透明にしたりしないといけないみたいで本だからちょっと開けるとかも嫌だし一応濡れたりしないように送ってきてくれたままビニールにはいれるけど郵便局で中身が確認できればいいみたいだからそうしようと思って。これだけなら急ぐ必要はないから午後にのんびりいけばいいか。その時間は暑くなりそうね。

と朝から友達に話すような他愛もないことを書いているが理由は特に考えない。朝の短時間をこうするのが日課になってしまった。私が他愛のないひとり喋りをしているうちに鳥たちはもう遠くに出かけていってしまったようだ。一羽の鳴き声しか聞こえない。いってらっしゃい。私もいくよ。今日もきっと色々あってそれぞれがいろんな感じ方をしていろんな思い出と触れ合ったりいろんな未来を思い描いたりするだろう。いろんなことは今日で終わるわけではないはずだからなんとか過ごしてみよう。

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読書

清水晶子著『フェミニズムってなんですか』をざっと読んだ。

清水晶子著『フェミニズムってなんですか?』(文春新書)の「はじめに」にこう書いてある。

”この本は「フェミニズムとは何であるのか」に対してひとつの正解を提示することを目指してはいません。そのかわりにこの本が目指すのは、社会や文化の様々な局面において、女性たちの生の可能性を広げるためにフェミニズムは何を考え、何を主張し、何をしてきたか、何をしているのか、その一端を振りかえり、紹介することです。”

そして「何かをしたい、何かをしなくちゃ」と感じたときに「やってみる」を駆動する燃料になれたら、と著者は書く。

最初にフェミニズムの基本は①その対象は社会/文化/制度であること②おかしいことはおかしいということ③「あらゆる女性たちのもの」であることが確認され、フェミニズムの歴史における四つの波が簡潔に説明される。フェミニズムを著者がするように”「女性の生の可能性の拡大」を求める思想や営み”と位置付ければそれは日常生活のあらゆる局面で生じているものだろう。そのためこんなコンパクトな本にも関わらず社会/文化/制度それぞれの観点からのトピックが取り上げられ、今まさに議論されるべき事柄が提示されている。同時に、3人の女性との対談が挟まれ、それらが持つ個別性、具体性がある種の柔らかさをこの本に与えているように思う。「おかしいことはおかしいということ」の逡巡は女性が置かれてきた状況や歴史だけでなく、人間誰もが持つ傷つきやすさとの関連で考えることも大切だろう。それらは外に向けて表現される前にまずは安心できる場所で表現される必要がある。声を上げることで同じ傷つきが繰り返されそもそもの自分の欲望や願いを見失うようなことは避けたい。

私は今、臨床心理士の資格認定協会に対する要望書を提出するために署名活動をしているが発起人は皆女性である。精神分析家候補生の会の三役もしているがそれも皆女性である。どちらもたまたまである。

そんなに悪い時代ではないのかもしれない。こんなたまたまが生じるなら、とも思うが現状をみればそんな希望は楽観的なのかもしれない。もちろんこういう小さな希望が小さな抵抗を支えるに違いないと私は思っている。戦う女性たちの傷つきをみて、ものいえず傷つき続ける女性たちをみて、その両方の部分を持つ個人として私もやはり傷つきながらあり方を模索する。揺れ動きつつも考えるのを諦めないためには様々な支えが準備される必要があるだろう。こういう本もその一つにはなると思う。それぞれが個別の体験を大切にしてもらえる場所や相手を得られることを願い、自分にできることを探す。

ため息も多い毎日だ。しかも今朝の東京は雨でなんだか憂鬱だがため息をつきながら「憂鬱だ」といいながら過ごしていればそうではない瞬間も訪れるだろう。ずーっと同じことを言い続けたりやり続けたりすることも案外難しいものだ。

今日も無理は無理としつつも諦めずなんとか、と思う。

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言葉は難儀

昨晩、スーパーで安くなっていたスイカを買った。美味しい。むくみにも効くらしい。夏じゃのう、秋の季語だけど。わかりづらいから夏でもOKな季語にしてほしい。もちろん先生によっては全然OK.俳句の世界も大変じゃのう。

ものすごい詩歌とか文章とか書けて溢れんばかりの知識を自由自在に使いこなす人たちがたくさんいて彼らの話を聞いたり作品をみるととても感動したり感心したりする。

そして私は作品は作品だと思っている。そうでないと悲しくなってしまうことが多いから言い聞かせるようにそう思う。どうしてこんな詩歌を作れる人がこんな言葉遣いでこんな露悪的に、とかどうして外向けにはこんな優しく楽しい先生がこんな反射的に他人の言葉をひっくり返しに、とか。憧れの作家とかとプライベートで知り合いになる機会が少ないのは幸運なことかもしれない。幻滅したくない。といっても今は憧れの作家がいない。いやいる。朝吹真理子さんとか村田沙耶香さんとかか。彼女たちには幻滅しなさそうだけど、とかなってしまうのがファンの悪い癖だ。私は彼らのことを何も知らないではないか。理想化で繋いでる希望なんていくらでもあるから悲しいし切ないのだ。

私が「あーあ」と残念に思ってしまう彼らは言葉を追求して言葉で仕事をしていくうちに目の前の相手が自分の作品には登場しえない部分を持つ他人だということを忘れてしまったのかもしれない。自分の広大な世界に引きこもって「自信」に支えられたナルシシズムでその世界観とやらを守っているのかもしれない。もし私が彼らの家族や恋人で「どうして」と感じてしまったら絶対言ってしまう。「そんなにたくさんのことを知っていてそんなにたくさんの人の気持ちがかけるのにどうして目の前の私のことは知ろうともしないのかな」と。それすら言葉で言い返されて「今のそれを言ってるんだよ」とさらにいうかもしれないし悲しくて暴れ出したくなる気持ちをドアとかにぶつけて一人でやけ食いとかするかもしれない。

言葉は難しい。

先日もはじめて読んだ作家の本がとてもよくてついその人のことを調べてしまった。そうしたら過去の論争というか素人からみれば「言葉の世界の人はなんでもかんでも言葉にしないといけないから大変だな」とポカンとするようなことが書かれていて作品に対する感動が少し冷めてしまった。いろんなことをいう人たちがいるが私は作品は作品だと思う。もし私の身近な人が作家デビューしたとしたらその作品を全て読むだろうし買うだろうし書いていること自体を尊敬すると思うがその作品に対する評価は読者としてするだろう。こういうことを想像しながら好きな作品を作り出した人のことも考え続けてしまうのはすでにほとんど(恋)みたいなもんだが(恋というのはそもそも最初からカッコ付きみたいなものかも)出会いを一気に理想化してしまう心性をどうにかしたい。「あー無理」と爽やかに距離をとれるようになりたい。私の経験上、多くに人にとってそれは難儀だ。

あと厄介だなと思うことがひとつ。もし私の家族が作家デビュー(ほぼありえないからちょっと笑いながら書いているのだけど)したら彼らが作家になったあとの喧嘩とか「ものを書く人がそういう言葉使うんだ。相手のこととか考えないとものとか書けないのかと思ってた」とか嫌味なことをいうに違いない、だってここでサラサラとこんなセリフを書けてしまうのだから。

とにもかくにも言葉は難しい。でも、大体の人は今日も誰かと言葉を使って色々するのだろう。難儀やなあ、と使えない関西弁みたいな言葉が出てくる。まあ、やりとりは継続する限り修正もやり直しも可能な場合が多いので色々すれ違ってものんびり構えていきましょうかね。

今日もじわじわ暑くなってきた。なにはともあれ身体は大事。どうぞお気をつけて。

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読書

佐藤亜紀著『喜べ、幸いなる魂よ』(角川書店)を読んだ。

佐藤亜紀著『喜べ、幸いなる魂よ(角川書店)を読んだ。

読み始めてすぐなんだか雰囲気が違うと感じた。それほど多くの物語を読んでいるわけではないので自分が何と比較してそう思ったのかはわからない。そこには歓待を当たり前のものとする人たちがいた。親が死にある家族に引き取られた主人公、といったときに思い浮かぶような言葉はこの家族にはない。同じ年頃の双子の姉弟ともありがちな葛藤も生じない。歓待というほど大袈裟なものでもない。他者を違和感なく受け入れるその態度こそ違和感と感じる人もいるかもしれない。主人公はごく「普通」の人間だ。私たちは彼の行動や思いに対してなんら違和感を抱くことはないだろう。思春期になりそれぞれの距離は少しずつ変わりはじめる。彼は世界の全ては探究の対象である好奇心旺盛な双子の姉に恋をし、彼女は生殖と繁殖の終わりなき反復を見つめながら実験としてのセックスに彼を誘う。方法と結果を記録するようにセックスを試みる彼女が時折身体が感じたままに吐く息を愛おしく感じる彼はすでに彼女の全体を愛している。大体の場合はこうなるという推測通り彼女は妊娠する。全ての事態に対して落ち着いてみえる彼女と大体の人はこうなるであろう彼の心の揺れは対照的だ。彼と我が子とではなく女性信徒たちと共同生活を営む彼女と彼女との生活を望みつつ様々な欲望に揉まれる彼の生きる俗世間を断絶する塀は名前と顔を忘れない門番のおかげで限定的に行き来可能だ。それぞれのモノローグは彼らがそれぞれのスケールで実直に論理的に人を想うことができる人間であることを明らかにしており胸をうつ。誰もがもつナルシシズムの蠢きに彼らが囚われないのはその愛する力故だろう。彼は彼女のあり方に苦悩しつつも彼女が跳ね返せるほどの侵入しか試みずその世界を尊重する。彼女は彼の想いを十分に認識しつつも女性であることで自由に表現できなかった類稀な知性を弟の名を借りて現状を変える形にしていく。十分に理解し愛しながらも直接的には応えず自分の欲望を自己でもあり彼でもある他者への未来に投資する彼女とそれを抑制的に見守る彼が織りなす関係は緻密で美しい。切ないが周りがどんどん死ぬなかで生き残り離れていても共にいられる時間が続くのがせめてものなにかという気がする。二人の子どもは早くに彼がひきとり彼女が親であることを知るのはだいぶ大きくなってからだ。子どもはそうとは知らず積み重ねてきた出来事もそうと知る場面自体も彼ら二人が親としても十分に生きてきたことを示すものだった。

どちらかの性に生まれた私たちが自分も相手も今も未来も過去も大切にしながら生きていくということはどういうことなのか、こういうことなのかもしれない、とこの本を読んでじんわり感じた。

知識は当然大事で勉強はしたほうがいいに決まってる。でもそれはあくまで人との間で生活を営むときに必要だからではないだろうか。彼らが歳をとりそっとお互いに触れるときそこには性を超えた交わりがある。共にありつづけるための模索とその価値を教えてもらった。そう感じられた本だった。

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精神分析

ずっと学級委員だった。ひどく荒れた小学校で。なんの役割も果たしたことはないと思う。隣のクラスの体育教師はいつでも私のクラスに駆け込む準備ができているようだった。彼がくると私たちは喜んだ。細身で優しくサングラスの似合う先生だった。なぜ教室で彫刻刀が飛び交うのか。私も怪我をしたことがある。そんなクラスだった。私はたまたま自分に当たったそれにブチ切れて投げた男子をボコボコにしたかどうかは忘れたが即座に立ち向かったのは覚えている。それが私たちの刺激ー行動パターンだった。ほとんど動物だった。なので、というわけではないが出来事の詳細は覚えていない。ただのパターンだった。4年生のときの担任はやめてしまった。私たちに耐えかねたらしいことはなんとなく聞いたように思う。数年後、大人たちから「あの先生にもね」と聞いたときは不思議な気持ちになった。理由など考えたことがあっただろうか。あったとしてもそれがなんだろう、と今もぼんやりするところがある。休み時間になれば校庭に出てサッカーをした。年に数回しか降らない雪の日の雪合戦では石を混ぜるヤツがいた。私たちは仲がよかった。暴力を受けている子を助けに向かったことも何度かある。暴力をふるっている子も友達だった。どうしてここにこんなというような短いカーブのような階段を登り短い言葉をいって彼らを連れ帰った。こう書きながら思うのは私はいまだにこれらに対してあまり考えることができないということだ。そしてそれをする気にもならないということだ。ドラマで見るようなことはどんなひどいことであっても意外と現実で起きている。近隣の高校はある学園ドラマのモデルになった。ひどく荒れていたからだ。今となれば幾人かの友人は相当暴力的な家庭にあったことも知っている。そんな日々は淡い恋心や親友との三角関係や大人の事情による突然の別れなどにも彩られていた。「夜逃げ」という言葉もあとから知った。今になっても私はそれらが事実以上のなにかだとは思わない。意味づけを拒否しているのだろうか。専門家としてだったら「ひどく暴力的な環境で育って」とか一言にするのだろうか。するだろう。まずはそう位置づけてそこからその出来事が今のその人にとってなんだったのかを考えていく。その繰り返しをするなかでその出来事が別の姿をみせてくる。それを今は知っている。私の仕事でならするだろう。絵画のようだ。同じ画面である景色は前景に、ある景色は背景として塗りつぶされたり上書きされる。そこは実は層になっている。精神分析は重層決定という考え方をするということはすでに書いた。でも仕事を離れた私は過去の出来事に対して何かをしようとは思わない。それはそれだった。今日だってそんな出来事の集積として昨日へと変わっていく。いろんなことがだからなにというわけではない。だからといって大切でないわけではない。むしろだからこそ大切だ。意味を与えるのは誰か。それを必要としているのは誰か。もしするならその人を断片化するのではない方向へ。

今日は土曜日。ようやくお休みという人もいるだろう。なんだか暑くなりそうだ。窓辺でこうしているとじわりと気温が上がるのを感じる。彼らはどんな1日をどこで誰と過ごすのだろう。まだ生きていてほしいし元気でいてほしい。

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精神分析

風も雨もあなたも。

強風にブラインドが揺れ、向こうの部屋のドアが軋んだ音を立てバタンとしまった。こんな早朝に。ギィという音がしたときにきちんと閉めればよかった。洗濯機は何事もなかったかのようにリズミカルに回っているらしい。水が回転する様子を思い浮かべられるのはこの音がそれと知っているから。もし知らなかったらこれをなんの音だと思うのだろう。

風の音はなにかと重なって聞こえてくる。ブラインドを持ち上げ、鳥の声と混じり、時折鋭く空気を切り、草木を揺らす。全て違うのに「風だ」と感じる。私の故郷は空っ風で有名だが(辛かった!)そういう季節の風というのもある。触れながら動きながら音をさせてはそちらを振り向かせそうしたときにはもういない。人を正気にもびくつかせも怪我させたりもする。もちろん彼ら(風)にそんなつもりはない。

また雨が降り出した。昨晩は随分激しく降り始めたなと思いながら布団に潜りこんだがこれは夏の雨だ。空から真っ直ぐ静かに大量の水が落ちてくる。音が強まっていく。窓を閉めようか。風はやんでいる。「風邪は病んでいる」と自動変換されたがそれはそうだろうと思う。

私が空を見上げると「鳥?」と聞かれた。私は頷く。一緒にいるときに急に空を見上げる理由なんてそんなにはない。たしかに音のする方へ素早く目を向けたつもりだったがもう去ったのか、私の目が見つけられなかったのかその姿を捉えることはできなかった。

「なに?」と聞かれて「ん?なにもいってないよ。」という。「何か聞こえた?」と笑うときもあれば「私、何かいった?」というときもある。自分のことがもっとも疑わしい、と昨日書いた。

無意識は私になにをさせるかわからない。精神分析を受けはじめて数年はそれと出会うたび愕然としたり悲しくなったり自分に失望したり失望させる相手に怒ったりした。今は大体のことは自分のコントロールの外にあるけど、大抵のことはなんとかなるように無意識が構造化されている、お互いの言葉の曖昧さによって、と考えるようになった。なのでこころにかなり負担を強いられていると感じても「これを私の無意識はどう扱うのだろう」と無意識的な好奇心と意識的な不安を感じつつじっとその場で持ち堪え、委ねるようになった。何かを変えようとするのではなく自分のこころの動きや考えが何かを組み立てようとしては壊しまた組み立てようとするのをじっと追うようになった。精神分析は無意識を想定し重層決定という考えを導入した。何かあってもいずれ回復する、不幸をありきたりの不幸に、というのを物足りなく思うかもしれないがそこそこにほどほどに曖昧さを残しておくことが異物や他者を受け入れる場所を作る。ナルシシズムをナルシシズムと気付かされるときの耐え難い痛みを回避して引きこもり、似たような相手と自分の世界を構築するのも悪くはないかもしれないが客観的にみれば苦労は多い。無意識に身を委ねるというのは他者との関係に身を委ねることでもある。他者にではなく、他者との関係に自分を開いておくことであって依存とは異なる。

それにしても外はいつの間にか土砂降りだ。今日は移動が多いので少しは弱まってほしいな。と思ったら雨の音が弱まって鳥の声がまた聞こえはじめた。このまま止んでほしいなあ。人はすぐに欲張りになる。

今日も誰もよんでないのに振り返ったり、なにもいっていないつもりだったのに誰かに問い返されたりするのだろうか。きっとするだろう。こころに場所がある限り風も雨もあなたの存在もそれぞれの仕方で私を通り抜けて何かを想起させ愛しさや切なさや独り言のような呟きを生むだろう。

おはよう、と空へ向かう。東京は雨だけどみんなの場所はどうだろう。それぞれに良い一日でありますように。

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精神分析

きつくしんどい毎日

大きな息を吐いて目の前の人が力を抜いた。こんなふうに感じるのは自分だけなのではないか、こんなこと考えるなんて頭がおかしいのではないか、私たちは日々自分自身を疑っている。

その人は胸を撫で下ろしまたいくつか大きな息を吐いたあとさっきより柔らかくゆったりした口調で話し始める。場の空気が変わる。キュッと目をつりあげて少し前のめりに力の入った姿勢で不貞腐れたような口元で一気に語るその人と私の間にあったはずの物理的な距離がまた見えてくる。後退りしたくなる圧力は今は感じない。この出来事の間、私の見た目はほとんど動いていなかっただろう。頭とこころとは裏腹に。

押しとどめたりなだめたり何か言いたくなるときは私がその人を異物として体験しているときだ。その人自身がほとんど発狂しそうになりながらなんとか引き剥がそうと断片的に投げ込んでくる自分のなかの異物を私はまず感覚で受け止めるしかない。すぐに形にできたらこんなふうにはならないのだから。意識的に思っていることと無意識が言わせることがぶつかり合って言い間違えたりつっかえたりしながら混乱気味に吐き出されつつある前言語的なそれは流血と感じられるときもあれば爆撃と感じられるときもある。なんだこれは、とただただ晒されているときがほとんどだが。

その人は私に十分にその異物感を感じさせている。こんなふうに感じているのか、と圧倒されつつも私はじっとしている。若い頃はただただ圧倒され何も考えられないまま身動きが取れなくなっていた。今はそうなっていることを感じることができる。どうにもならないまま時間がくることもある。人間の力ではどうにもできない部分を扱うとき時間はお互いを守ってくれる。ひとまずデタッチする。関係も長くなればこうもなるが時間がそれを区切ってくれることにも慣れている。

きつくしんどい毎日だ。と言い切ってみる。会いたい人に会いたい時に会えない。いつだって片思いのような寂しさを感じる。最初は小さな痛みかもしれない。ちょっと呟いていくつかいいねをもらえれば落ち着いたかもしれない。日々さまざまな刺激に晒されるうちに私たちのこころは時折暴走するようになる。世界が疑わしく、自分は最も疑わしい。こんなはずじゃなかった。どうして自分だけ。全て忘れたくて激しい運動を始めるかもしれない。一瞬だけ優しい人なら誰にでも身体を預けるかもしれない。空っぽさに耐えられずコンビニで手当たり次第買い込み食べ続け吐き続けるかもしれない。人は暴走する。自分が自分を最も信じられない。きつくしんどい毎日だ。

それでも、というのもいつものことだ。どこかで気づいているはずの狂気は暴走を始めたら自分ではどうにもできないだろう。私たちは自分ではどうにもできないものを内側に抱えながら生きている。だから安心して眠れる場所を話せる場所を何もせず一緒にいてくれる人を求める。解決を急がない。結果は何もしなくてもいずれ誰にでも等しくやってくる。それがいつになるかわからないから治療では有限性を持ち込む。日常でも「今日」という時間をなんとか生き延びるために「昨日」と「今日」を切断してくれる睡眠が大切だ。よく眠れただろうか。今日は今日の自分にとりあえず出会う。それがこれまでの積み重ねであったとしても私たちは次々アップデートされるわけでもないし、古くなったからといって交換できるわけでもない。こんな自分で今日もとりあえず。いいことも少しはありますように、なくても嘆かないでいられますように。

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こだわり

明るい。ブラインドの向こう、水色と薄いオレンジがグラデーションのようになっている。きれい。

私はいろんなことにあまりこだわりがない。さすがに最近は言われないが見かけに関しては「もっときちんと」的なことはよくいわれていた。相手の見かけも周りが色々いえばそのようにも見えるという程度に目に入ってくるが特に何も思わない。きれい、かっこいいなどは思うが合コンで男子も女子も相手の見かけを値踏みするのには驚いた。でも付き合う相手はそれに基づいてもいなかったしあれはなんだったんだろう、でもあった。水準の異なるテーマだがルッキズムなどの差別や暴力について私は自分の体験からは語らない。自分の体験を名付けるためにではなく、それが私にとってなんであったのか、どんな感じであったのかを語ることは非常に重要であると考えるので精神分析を必要とした部分は大いにあると思うが。

音楽も演劇も絵画もいろんなイベントもなんでも好きだし行けば楽しむし、音楽と演劇に関してはかなりの量に触れて相当影響を受けたつもりだが今それを具体名を持って語ることができない。B’zならかろうじてできるか。友人や家族が自分だけの「ベスト10」をカセットテープに集めていたようなことを私はしたことがないし、熱い語りを楽しみはするが内容よりも語る相手が好きだから楽しいというほうが大きいように思う。演劇は人生においてかなりこだわりを持って相当の時間とお金を費やしてきた。生の舞台のインパクトは舞台ごとに異なるので同じ公演を何回かみにいくこともあった。演劇は私にとって好きな店に食べに行くようなものだ。お店の人と話すような身近さに舞台の人たちもいる。ただ数年前からみにいく時間がほとんど取れなくなってしまった。そうなると例のごとく具体名を持って語れなくなってしまう。まあいい。私は評論家でもなんでもない。あの世界にいけばあんな感じを得られる。それを知っているだけで十分だ。

私の周りにはいろんなことにこだわりの強い人がそれなりにいる。私は彼らが好きなので彼らの話を聞くのが好きだ。彼らはこだわりがあるからその世界のことも広く詳しく知っていて評価の基準をしっかり持っていて私の感覚的な好き嫌いとは全く違うと感じる。そしてこれもだから何というわけでもない。

「正しさ」というものがなんだとしても、私が色々忘れてしまって「大好き」と感じるものをぼんやりとしか伝えることができないとしても私は私と全く異なる人と愛しあえるだろうし、別れたとしてもそれらが異なるからではないだろう。「こだわり」が憎しみや差別に近づいていくとき、そこが関係に変化をもたらすきっかけにはなるかもしれない。一見それが「正しい」もので、たとえSNSでどんな支持を集めていたとしても自分がそれにどう関わるか、私の好きな人たちはそれにどう関わるかということに私は注意がむく。

知らない人や世界に対して自分の体験や知識や感触はそれ以上のものではない。それが相手を得たときにどう語られるか。その語り方には私はこだわる。これだけ時間をかけてこれだけの出来事をここで共にしていても常に驚きがある、精神分析はそういう世界で、そこで生じないはずがない憎しみをお互いがどう生きるかにその後の展開はかかっている。私はあまりいろんなことにこだわりはないが、それらの表現の仕方にはこだわっている、そういえば。

“Sentimentality is useless for parents, as it contains a denial of hate, and sentimentality in a mother is no good at all from the infant’s point of view.”

Through Paediatrics to Psycho-Analysis. Chapter XV. Hate in the Countertransference [1947]

D.W.Winnicott

否認と排除のセットを使わないではいられない人間関係に今日も苦しむ人がたくさんいる。私もそうだろう。愛するためにしているつもりの努力が憎しみに変わる場合だってあるだろう。名付けてしまえばそれはそれでしかないかもしれないが動きのある部分にはきっと希望もある。簡単にいえば「決めつけない」ということか。今日もとりあえず動きはじめよう。動ける範囲で動き続けてればいつの間にか別の景色に気づく。そんな感じで。

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思う、願う、祈る

朝なにかを書くということは眠れない夜のことを書くということだ。

と思ってSNSをみたら「眠れない」という呟きがあった。すでに活動を始めている友人の呟きもあった。昼夜を問わずSNSで反応しあえる時代、私が信頼する言葉の紡ぎ手たちはほとんど呟かない、夜は特に。心落ち着かず彼らの言葉を探しにでても少し前の言葉をもう一度目にするだけだったりする。でもだから安心したりする。簡単に上書き、とはいわないか、軽い言葉が量だけの重みでその言葉を下へ下へと追いやっていく様子をみたくない朝もある。

鳥の声が鋭い。今日は特に。寺の森から起き出した彼らはしばらくこの辺りの空を数羽ずつで巡回してからどこかへいくのだ。時折カラスの大きな声も混ざる。鳥や動物たちと同じように自然と調和して眠ったり起きたりしていると思うと少しまともな気持ちになる。

相手との関係で「無理」」や「我慢」が生じると、と書きたくなるときは別の言葉を探せなくなっている可能性があるんだった、と数日前に自分が書いたことによって立ち止まる。書いておくもんだ。ありきたりの空想しかできないときは鬱々する前に眠ってしまったほうがいい。布団にくるまって目を閉じてひどい頭痛のなか「このまま死んだりして」「これ毎回思うけど意外と死なない」などぼんやり感じているうちに眠りに落ちた。浮腫みで足が痛むが今朝も無事に起きて椅子に座ってぼんやりしていた。そのうちまた少し眠気がきた。ウトウトしながら昨晩囚われていた空想にいまだ囚われつつもそこから少し離れた場所で何かをしている私たちをぼんやりみつめているのを感じた。夢でも現実でもなくこういうまどろみによってなんとなく生かされているんだな、とそこに身を委ねながら感じた。分裂するのではなく自分がいくつかの奥行きを同時に体験するような定位置にいる自分と浮遊する自分の両方を感じた。そのうちまた少し眠ってしまった。起きたときはまだ数分しか経っていなかった。

眠りは時間も空間も拡張する。夢はその証拠としてみられるのかもしれない。

相手との関係において行き詰まったときはとりあえずそこにとどまる。窮屈で身動きの取れない場所に身を委ねる。もともと出会いだって偶然だった。「あなたしかいない」「あなたがなによりも」といわれるような関係でも終わってしまえばそうではなかった、ということは経験済みだろう。あの時は死にたいほど辛かったのに今思い出すとすでにその理不尽さえちょっと可笑しい、ということも積み重ねてきたと思う。もう若くない。ある程度定位置を見出してもいる。苦痛を外に投げるのではなくじっと感じ続けているとこれまでとは別の形が自然と生じることも増えてきた。大切にする、慈しむというとき目の前のものや相手だけではなくその背景に広がっている景色に対してもそうしていきたいと思うようになった。そこにどんな矛盾があろうともみたくないものはみないという方法では大切にできないんだと知った。あえて目を凝らさなくても耳をすまさなくても鳥の声のように私に届くものたちをせめて。いつまで「無理」なくそう思えるのかは誰にもわからないことだけど囚われては気づくちょっとした新しさをあなたやあの出来事との出会いのおかげだと思えるとき、私たちはまだなんとかなるんだ、と私は思う。願う。祈る、今日も。

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嘘とか隠し事とか

ジンジャーとハニー、と書きながら生姜と蜂蜜と書いた方がしっくりくる気がするなどと思いこうして書き直してみた。いい香り、最高の組み合わせ、今朝のお茶はこれなのだ。

昨晩もたやすく心乱されてしまった。昨日だったかもっと前だったか「優しい人だからといって嘘をつくのが許されるわけではない」というのをもっと個人的な感情に引きつけて書いたような文章を読んだ。(他の文章を読む限り)この知的で優しそうな人はとても優しいパートナーに嘘をつかれてしまったんだな、と思った。そのまんまだが。静かな言葉でもSNSに書かざるをえないくらい揺さぶられてしまったのかな、など勝手なことを思った。というか「許す」って書いてあったかな。許す許さないの話になってしまうとまた難しい。神視点という言葉が思い浮かんだ。

神でもなんでもない私は嘘をつかれたらとても悲しい。そんなもんバレないようについてほしい。というか嘘って本当にバレてしまう、親密な関係では。本当に不思議なことだと思う。嘘つく方はむしろバレたいから嘘ついているんだろうな、何か知らせたいんだろうな、と思ったりもする。私たちは親密になると嘘とまでいわなくても「あぁ言いたくないんだな」「なんか隠してるんだな」と感じる瞬間をたくさん経験する。「空気を読む」というのはよく言ったもんだが親密になるまでに積み上げてきた「いつも」との微かな違いに対する注意は場の空気が変わる瞬間に対するそれよりも能動的で情緒を伴う観察の積み重ねでできていると思う。なのでそれを受身的に気付かされるとき「やっぱり」とどこかで思いながらも軽くか深くか失望する。どうしてそんなことをする必要が?

果たして私がその出来事に対してどの程度ものがいえるだろうか、ということを考えながら「いえないな」と思って布団に入った。身体もこころも部分利用できない。それを扱う方はそうできているような気がしたとしてもされる方にとってはそれは全体的な体験でしかない。もしそれを部分的な体験に押し込めようとするならそれは大層無理な否認を必要とする。どちらにも誰にでもそれぞれの事情があり、それを全部知ることはどんな関係においても難しい。理解しようとしたところで自分にはあまりに的外れな推測のもと相手は行動しているのかもしれない。どっちにしたって苦しいのだ。私は否認している自分を意識しつつせめて行動化せず考える時間を引き伸ばす方を選んだ。夢がどうにかしてくれることを期待して。

以前『スパイの妻』という映画をみた。妻のこともいずれ暴きたい国家機密のことも守り抜きたい男に対して妻は自分にとって何が大切なのかをまっすぐに訴えていく。そばにいられることが嬉しい、一緒に何かを守れることが嬉しい、どんな危機においても不安よりもその喜びに笑顔が溢れてしまう蒼井優の演技がとてもよかった。もちろんそれは夫が十分にその想いに応えているからこそだが、隠し事が持つ力を存分に見せつける映画でもあったと思う。

今日は空が明るい。気温も上がるようだ。誰にもいえないことを胸にすでに多くの人が様々な朝を迎えていることだろう。昨晩はよく眠れただろうか。これから眠る人もいるのだろうか。今日は月曜日。多少はリセットのきっかけになるだろうか。今週もなんとか過ごそう、と打ったら「凄そう」とでた。「凄そう」だったら「なにかと凄そう」とかだな、などどうでもいいことを考えた。大丈夫。こんなことを考えられるのならば。大丈夫。ひとつひとつやっていこう。

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最悪の状況とは

「最悪の状況を想定しておく。そうすればダメージが少ないから。」

という言葉をいろんな患者さんから聞いてきた。頭ではわかるが人の気持ちってそうやってコントロールできるものなのかな、とそのたびに思ってきたし、言ってきた。

想定通りにいかないから色々苦しいんじゃん、と。もちろん仕事で「じゃん」とは言わない。時々言ってるか。

ところが私は最近これについて考えることが増えた。

私も少しは世の中のことがわかってきたというか、精神分析を体験したことで人が(=自分が)いかに変わらないかということに対して抵抗しなくなってきた。「とりあえず」とか「ほどほどに」とか「どうにかこうにか」とか曖昧かつ暫定的な表現が多いのもそのせいだ。まあ、そんなもんだよ、と思うのだ。少なくとも意識的に変わろうと思って変われる部分は少なそうなのだ、私たちは。もちろんCBTのように見える部分に正確に緻密に関わってもらえれば行動面での変化はあるだろうし、それは意識の変化と連動しているだろう。それでもより引いたところから見ると人はそんなに変わらない。そしてそれは多くの場合「別にそのままでもいいんじゃないの?」ということでもある。精神分析は「別にそのままでもいいんじゃないの?」というところに対して「全然よくない。いつもいつも同じようなこと繰り返して同じような苦しみを味わうのはもう耐えられない!」という人が求めるものなのだろう。

私はといえばそんなことを意識できていたわけではないが(なんなんだ)若いときから自分には精神分析が必要なんだと思っていた。なぜだかよくわからない。よっぽど自分を持て余していたに違いない。フロイトを文庫で読んではいたが今となればその内容など何も理解していなかったし、当時からそんなことは知っていた。それでも社会人になって精神分析家に会うために一生懸命働いた。そのくらい切実だった。なにが、と言われてもわからない。ただこんな自分のまま生きるって大変だ、どうにかせねば、とそれまでの積み重ねで強く思うようになっていたのだと思う。

「最悪の状況を想定しておく。そうすればダメージが少ないから。」

彼らはこれをすることにほとんど失敗していた。だからこそ私は「それはコントロールできることではないからさ」などと思いもしていたわけである。彼らのいう「最悪の状況」は個別的で具体的でとても複雑だ。「死ぬよりマシ」とか「死」=「最悪の状況」でもない(「死」は誰にでも訪れる「結果」ではあるが)。彼らにとって「死」はとても身近で「死んだ方がマシ」と叫び暴れ出したい気持ちをなんとか抑えながらどうにかこうにか日々をやり過ごしているというのが実情だ。つまり「結果」へと急いでしまわないために彼らは工夫をしているのだ。でも長年かけて繰り返され変わらない方向へと結び目がガチガチになっているような状況に対して自分たちはあまりに無力なまま囚われている。そこに働きかけたところでこれからも変わることはないだろう。彼らはそれを意識的にはよくわかっている。なのにそれまでと同じようなダメージを受け続ける。人は変わらないのだ。変わらないのか?本当にそうだろうか。

私は彼らとの作業や精神分析体験から人が変わらない方向へ向かっていること、変化がとても痛みを伴うことを学んだ。人は変わらない。いや、そうではない。正確には相手を変えることはできないということだろう。だからときに人は暴力的になる。支配的になる。実際に暴力を振るわなくても相手を説き伏せようとしたり、自分の主張を受け入れてくれるまで追い縋ったりする。それでも相手を変えることはできない。意見に同意させることはできるだろうし、表面的に従わせることはできたとしても。

相手を変えることはできない。だったら「このままでいいんじゃないの?」どころか「このまましかありえないんじゃないの?」とも思うかもしれない。暴力的な状況の場合、暴力を受ける側はそういう無力感で身動きがとれなくなる。しかし、私たちは最初からこうだっただろうか。変わらない、なんてむしろありえただろうか。

ずっとこうだった、いつもこうだった、そういえばあのときは、何歳くらいまでは、誰々が何何をしてから、あのことがあってから、あぁ思い出した、あのとき私は、と自分と自分を取り巻く状況は変化しつづけ、そのプロセスにいまだあるというのが私たちの現状ではないだろうか。

私が想定する「最悪の状況」は自分がものを感じたり考えなくなったりする状況だ。彼らが失敗してしまうのは「最悪の状況」をこれまで通り彼らを絶望させる状況が再び起こることと想定するからだと私は思う。それを想定して「またか」「やっぱりか」と思えるという意味では「ダメージは少ない」かもしれない。でもそれは「これまでと同じように大きなダメージをまた受けた」といいかえることもできるのだ。その痛みは累積してこれまで以上に変化のチャンスとなりうるゆるい結び目を探すのが困難な状態に陥るかもしれない。彼らはもう少し自分のことを心配した方がいいと私は思う。そのために「あなたはどうしたいの」という問いを頻繁に発する。これ以上自分の持ち物を奪われる必要が?そんな理不尽を誰がなんの権利で?あるいはあなた自身がそうしているのはどうして?そう問い続ける場があってもいいはずだ。これ以上奪われるのならば、私自身がそっちの方へ進もうとするならば、私は自分を守るためにこの関係を終わりにする、これ以上のダメージは受けたくもないし、受ける理由などどこにもないはずだ、そう考える場があってもいいはずだ。そしてそれは一人ではできない。短時間であっても、すでに巻き込まれているその場から離れる必要がまずはある。

私たちは「人は変わらない」ではなく「相手を変えることはできない」ということを実感する場を持ちにくいのだろう。一人でそれを実感することはできないし、時間的にも余裕のない時代だ。一方、変わってほしい人に変わってくれることを期待してしまうのはどの時代でも人の常だろう。頭ではわかっていても相手に期待しつづける、その繰り返しがいつもある。もちろん相手が自分との関係において変わる必要性を感じる場合もあるだろう。それは悪くないことのように思える。ただその場合も別の苦しみは生じるだろう。「私がわがままをいっているだけではないのか。会わせてくれているだけではないのか」などなど。人は変わってほしいと願いつつ自分の影響がそこに及んでいる可能性に猛烈なアンビバレントを経験する生き物でもあるのだ。本当に難しくやっかいで自分のことを「めんどくさい」といいたくもなる。むしろそう思えることが大事だろう。そういうアンビバレントに葛藤しながら持ち堪えるキャパシティのないこころは自らの攻撃性と連動して行動化しやすいから。なかでもあまりに反射的に自分の体験したくない痛みを相手に体験させる行為を暴力というのだろう。

生きていくのは苦しい。だからこそ自分を心配しケアすることが大切になる。こんな身体で、刻々と進む限られた時間で、あなたはどうしたい?そう問い続けてくれる相手をまずは実在する他者に、いずれそれをこころに住まわせることができるように。自分が自分を失うこと、それを危機だと感じられますように。あなたも私も。

今日もどうにかこうにかかもしれないけど良い一日でありますように。

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端正な気分

オグデンが引いた印象深い文章を私も引用しようかと思ったけどそんな端正な気分ではないのでやめた。端正な気分ってなんだろう。

コロナ以降、はじめて遠出したのは奈良、奈良は4,5回目だろうか。歴史に詳しいわけではないが行けば魅了されるばかり。母はとりわけ興福寺の五重塔に魅了され長時間佇み見上げていた。2010年に奈良の居酒屋で誕生の知らせを聞いたあの子はもう6年生だ。無事に生まれてくるかどうかわからないなか私は春鹿を出す店にいたわけだが何度も何度も確認していたガラケーにメッセージが届くなり号泣した。3歳まではとてもゆっくりした発達ぶりだったが、今や思春期の猛烈なエネルギーを携え、しかしそれを持て余す必要のない恵まれた環境で伸び伸びとやっているようにみえる。本人は全くそんなこと思っていないのかもしれないが・・・。奈良の大和西大寺のデパート、なんだっけ、近鉄百貨店だ(調べた)、最終日はとても寒くてもうそんないろいろ行かなくてもいいかということで近鉄で奈良の一刀彫やらなにやらをみたりのんびり過ごした。お昼はどこも混んでいた。時間は十分にあったので美味しい皿焼きそば(だったか?)を食べたいという母と中華料理屋に並んだ。相当なベテランらしき声のよく通る細身の店員さんの客さばきが軽妙で、ずっとみてても飽きないね、すごいね、と母と感嘆しながらみていた。全方位に明るい関心を向け豊かで簡潔な言葉で常連も観光客も十分にもてなしつつ素早く移動を促す熟練の技。これも奈良の技か。

前置きが長くなってしまった。そこの中華料理屋でテイクアウト用に売っていたほうじ茶を母が買ってくれてそれを飲んでいるということを書きたかっただけなのだが。今朝は寒くはなく家事をしている分には半袖で十分だが温かい飲み物はホッとする。美味しい。鳥たちも起き出して時々鋭い声が聞こえてくる。

そういえば東京の中華料理屋にも行ったばかりだ。もう10年以上前にその店のことは聞いていた。途中で「ああここがあの店か」と気づいた。当時イメージしていた空間とまるで異なるそこは魅力がつまった細い路地の一軒家で異国情緒とともにどれもこれも丁度良い味付けの料理を楽しんだ。店員さんはイメージ通りだったかもしれない。小さなポシェットを斜めがけして客の声になんの愛想もなく素早く応対していく様子も次々に開けられるビール瓶がガシャンガシャンとポリバケツに投げ込まれていく景色も新米らしき女性店員が何度も何度も真剣に伝票を確認しては困った表情を見せるのも完全に興奮を持て余し大声でしか話せなくなってしまった右側の若者たちと友人のセックスレス問題に対して静かに仮説を語りあう左側の若者たちとの対比も彼らと比べると随分年をとっている私たちの会話も全て色合いが違って楽しい時間だった。

今もまだコロナ禍といえると思うがあっという間に人波は戻ってきた。生き生きした世界の猥雑さが人を生かしてもいる。

端正な気分という変な言葉を最初に書いた。言葉を切り取ることをしなくてよかった。どんな猥雑な言葉も切り取れば単なる品も味気もない断片にみえたりもする。どんな含蓄のある言葉もそこを生きない限りただのかっこいい鎧だったりする。それらひっくるめて「端正」と感じているのだろう、私は。短く縮めれば縮めるほどすっきりとする世界は今朝の私のこころにはなかったらしい。

今日もこころ動くままに。無意識に委ね、今の風を感じ鳥や車や大切な人の声を聞き力を抜いてなんとなくはじめることにしようかな。なにかしらがんばれたらと思う。

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記憶

音楽が聴こえてきてそっちの方を見上げた。古い集合住宅の多分あのオレンジの光の部屋あたりから知らないJ-POPが聞こえてきた。昔のアイドルっぽい歌い方だけど最近の曲かもしれない。今夜は窓を開けていると気持ちいいのだろう。外はだいぶ気温が下がってきたけれどいい夜だ。

ということを思った昨晩の帰り道。こう感じたことを今書き留めておきたい。私はきっと忘れてしまうから。

でも書き留めなかった。忘れるのは常。子供の頃からどんな好きな曲の歌詞もぼんやりとしか覚えることができなかった。合唱コンクールくらい練習を重ねればかろうじて覚えることができたけど本番では「地声が大きい」ときれいな声を出せていないことを指摘された。歌も下手だし、自分の声もどうにかならないかなと新宿御苑のビルにヴォイストレーニングに通ったこともある。宇多田ヒカルがデビューした頃だったのだろう。automaticを歌った。仲良しと通ったのでどうしても笑いが止まらなくなってしまう瞬間があり不真面目な私のちょっと変わった声に対する効果はなかったが先生がとても素敵で楽しい時間だった。

覚えているもんだ、こういう出来事は。結構繰り返し話したことのあるエピソードだからかもしれない。「推し」(今でいえば)とはじめて話したときもした気がする。声だけだったからなおさら。

私はあなたのこころにいるのだろうか。私はいつも心配になる。これだけ時を重ねても安心できないのはどうしてだろう。足りないのはなんだろう。時間だろうか。言葉だろうか。経験だろうか。わからない。精神分析のように毎日のように会っていても私たちはお互いにそんな気持ちを体験する。目の前の人が心ここにあらずであることがはっきりと感じられることもある。どうしてだろう。

少し前に「僕のマリ」というちょっと変わった名前の著者の『常識のない喫茶店』(柏書房)という本を読んだ。とても目をひくかわいらしいイラストと美しい彩色の本だ。この喫茶店では店員が特徴のある客にあだ名をつけている。なかにはなかなかひどいのもあるが高校時代、喫茶店バイトに明け暮れていた私は当時を思い出してたくさん笑った。彼らが客と体験した出来事と情緒がそのあだ名だけで想像できる。非対称の関係において理不尽さを感じたときそれをどうにか丸めておける言葉は必要だ。

私はあなたのこころにいるのだろうか。その人との関係における私にあだ名をつけてみた。悲しくなった。いくらでも悪く言えてしまう。苦笑いだ。なら関係にあだ名をつけるとしたら?

難しい。友達、恋人、兄弟、家族、客と店員、患者と治療者など個別性を欠いた表現になってしまう。精神分析家と被分析者という言い方は「精神分析」というものに対する関係を表しているからまた別物な気がする。そこでは「私」と「あなた」は普通の感じでは分かれていない。

私とあなた。私たちは一体何者なのだろう。同じ時間を同じ場所で過ごし互いの記憶を共有し笑いあう。意見が違って「もういい」と言われると悲しくなって「もういいって言わないで」と怒り謝られる。そんな他愛もないやりとりの積み重ねはお互いのこころに二人の場所を作るプロセスになっているのだろうか。共にいるときはそこが巣となり、離れればそこには何もなかったように、ということができてしまうのがこころだ。私は時々とても不安になる。あなたやあの人はどうかわからないが彼らだってそうだろう。

記憶力の悪さは不便だ。でもたとえ覚えていても、愛しさを抱え形にするこころを持てなくなったらそれは死んでいるのと変わらない気がする。覚えておく類の記憶ではなく身体に染み込んで生き続ける記憶。それらに支えられ苦しめられ毎日を過ごしている。

今日はどんな1日になるのだろう。見えるもの、感じるものに振り返ったりニコニコしたり不快になったり言葉にしたりいろんなことが起きていろんなことをするのだろう。

Remind yourself today that you matter!

PEANUTSのアカウントが言ってた。

大事。Remind yourself today that you matter!

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好きな本を読むように。

大人の身体をした人が学問的にはレベルが高いのであろう言葉を武器に正義の味方をやったり、正義の味方をやらないときは少し子どもがえりして別の似たような大人に甘えたりというのは夫婦関係を描くときにもおなじみの構図と思う。外ではこうで家ではこう、子どもの前ではこうで二人になるとこうとか。子どもがいると役割を使い分けてる余裕はないかもだけど。良いも悪いもきれいも汚いもごった混ぜの世界に生きている子ども(すごいと思う)を育てる大人の役割を降りられる時間は少ない。だから「子どもが眠ってから」となる。

SNSはそういう表裏も内外もないから全部見えてる。もちろん見えてる部分における全部ということ。当たり前すぎるけど。開けっぴろげなごっこ遊び。夜眠る必要のない人や眠ることができない人の夜の会話は見えない場所でされるそれとは随分違う感じ。実際の空間がなければいつでも演じらえる「ケア」して「ケア」される立場。それらを断片的に演じる必要は誰にでもあったほうがいいのかもしれない。ちょうどよくお互いを満たすものとして。「本当は違うんだ」というのはいつでもできるし。好きな役割を演じ、囚われている役割を降りられる場所として。

私はSNS上で密かに好きな人がいて、というかその人の言葉が好き。いつも追っているわけではないのだけど心穏やかじゃないときには探しにいく。私は反射的にも戦略的にもハートマークをたやすくポンっとしたりしない方だと思ってるけど、その人は反射的かもしれないたくさんのそれらからも繊細に何かを感じ取って、というか天気や食べ物やそばの人の会話や生活のすべてに静かに関わりながら感じたことを素朴に品よく言葉にしていて、「吐き出す」こととの違いを教えてくれる。私のような見知らぬ相手にも馴染む刺激的なのに消化できる言葉の数々。個人的には知らない人だからずっと理想化していられるわけだけど交際したり結婚したりするわけでもないから好きな本を読むように贅沢で大切なものとしてそっと胸にしまう。

毎日実際に身体を伴って私に向かって話される言葉はものすごく多様でこちらのこころをフルに動かそうとする(あるいは決して動かさないようにする)インパクトを持っていて言葉の使用について考える余裕はその場ではあまりないのだけど、好きなその人の言葉に感じるナルシシズムの傷つきをある程度ワークスルーしたあとの静けさは患者との間でもふわっと訪れることがある。そのときに彼らが使う言葉も素朴で中立的で胸をうつ。私たちが侵入しあう形ではなく触れあえた感覚を持つ貴重な一瞬。

きっと今日も辛いことがある。それでも素朴に自分が見ているものと丁寧に関わりたい。言葉にするならこうして文章にしよう。そうだ、メールも書かねば、、、ああ、こうして現実に引き戻されて1日を始めるのですね。今日もなんとかやっていきましょ。

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願うばかりの今日を。

もういない人のことを思って泣いた。私はその人のことをほとんど知らないのに。こんなに助けられていたんだということを泣きながら感じた。自分で選んだとはいえ、人が人を想うということが誰にでも当たり前にあるのならば私がこんな気持ちになることをあの人はどう感じるのだろう、いや、私はそう想うことで自分が暴走することを防いでいるだけかもしれない。誰にもいえない気持ちをどう抱えていけばいいかわからない。これだけ訓練を受けているのに。違う。精神分析こそがその理由だろう。以前とはまるで異なる揺れ幅で心が動く。どうにもできないんだと知っている。否認はできない。それでもどうにかやっていく。今日も生きたまま起きたのなら生きる。なにも感じない身体ならよかったのに、と思うなりそれが不可能であると知る。同時に部分的に様々な形で自分が死んでいること、死んでいくことも事実だと知る。

辛い。あの頃はこんなには感じなかった。感じたいわけじゃない。身体がそうなってしまった。生きるなら今はこの身体しかない。今なら、今あの人が生きていたらまずはメールをしたりするのだろうか。当時は電話とFAXだった。薄れていく文字を追いかけるようにコピーをとった。どうしても会いに行かねば。若かった私はその人に何を賭けたのか。

お会いしたいです。今なら相談したいことがたくさんあります。

あの日も困っていることを話したけれど。当時の私には切迫した事柄だったと思うけれど。今となってはそれがとてもつかみどころのないものだったように感じる。自分の愚かしさを知り、またよく知りもしない誰かに自分の一部を懸けてしまったことで苦しんでいる。私は変わっていないのかもしれない。

とても会いたいです。どうして気づいたときにはもう失っているのだろう。なんでいつもその繰り返しなんだろう。

その人を思って涙が溢れてきたときにすでに感じてた。大丈夫、と。とても辛い、こんな風に感じる身体なんかいらないと思いつつ。身動きが取れなくなり狭まる視界がつけっぱなしだった画面をぼんやり捉えた。その人の名前があった。もういないのに。知らない人がその人の言葉をSNSで引用していた。一気に涙が溢れてきた。口走るようにいろんな言葉が私の中を駆け巡った、その人へ向かって。そうしながら「ああ、大丈夫だ」とも感じた。誰かを想うことは苦しい。とてもとても耐え難く。でも心が動くと感じる身体があるから思い出せた、その人を。誰かを想うことが時間を超えてその人と再び出会わせてくれた。

罪深きこと、あまりに愚かなこと、事実は積み重なるばかりで忘れられても消えることはない。辛いのは私だけど私じゃない。申し訳なさにすべてを投げ出したくなったとしてもそれは償いでもなんでもない。とりあえず今日を。とりあえず。いつもそればかりだけど。とりあえず、願うばかりの今日を。

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我慢と無理2

(つづき)

なのでそういう状況で「無理しないで」「我慢は体に悪いよ」とかいえるはずがない。さっき書いたようにそういう状況になるまでに言葉の意味はとてもパターン化されたものに変わってしまっているかもしれない。ただただそれ以上の負担がその人にかからないように静かに注意をはらい続けること、できるのはそのくらいかもしれない。そもそも変わりたくもない相手にアドバイスめいたことをいうのも大きなお世話である可能性が高いように今まさに行動しようとしている相手になにかを言いたくなるとしたらそれは当事者の途轍もない不安を自分の不安のように感じてしまうからかもしれず、それを黙って抱えておくことの難しさは誰にとっても当然ではある。なので仕方ないともいえる。ただ、それをする生物にとって一大事である脱皮の邪魔をしないのと同じという気はする。ちょっと手伝ってあげることはあっても本人が自分でやったと思える範囲でしか手はださないものだろう。

私は無理や我慢を関係を変化させようとするときに不可避に生じてしまうものと捉える。そのときにお互いが「こういうときはそういうものだよね」とお互いの無理や我慢自体に無理や我慢がないかを思いやれたら素敵なことだと思う。

この言い方は変だと思わないだろうか。私が思うに終わりのない入れ子構造を作る言葉は日常語としてとても便利だがその分個別性、具体性に欠ける。「ご無理なさいませんように」というとき私たちは相手のどんな無理を想定しているのだろうか。臨床でこれらの言葉を使うときは相当の具体的エピソードを伴うので社交辞令的な意味は乏しい。親密な間柄の人に対してもそうかもしれない。

まただ。この人が無理をしているときは返事のタイミングがコンマ何秒遅れる。無理をさせないように考えて言ったつもりの言葉だったけどやっぱり同じことが起きるんだな。相当我慢を重ねたつもりだったけど。「無理なんかしてない」という言葉を信頼できない方が悪いのか。我慢とかいってこの人を思い通りにしたいだけなのか。もうダメかもしれない。こういうことを考え出すと決まって頭痛がひどくなる。きっとこの気持ちをそのまま伝えてもまたコンマ数秒遅れの返事がかくるだけだ。「いつもあなたはそうなんだよ」と伝えたとしてもその行動を抑制するだけでまた別の「いつもの」が始まるだけだ。こんなお互いに我慢と無理を重ねることになんの意味があるのだろう、と一方が思ったとする。そしてもう一方は、なんだかまた不機嫌になってるみたい。また何かしてしまったのだろうか。あの人がいう「無理」ってなんなんだろう。いつもひどく我慢させてしまっているみたいで申し訳ない。我慢と無理はお互い様だっていってたのにそれをしたらしたで悲しませたり怒らせたりしてしまうのはなんでだろう、と思ったかもしれない。

入れ子は入れ子。どこまでいっても似たような構図だけが生じてくる。ならどうしよう。この苦しい状態を抱えていてもいいことはない。自分も相手も辛くなるだけだ。離れるしかないのか。頭痛はひどくなるばかり。とりあえず眠ろう、とベッドに入っても布団をかぶってもぐるぐるぐるぐる同じことを考え続ける。

さて、本当にどうしようか。ふと冷静になる。そうか、別の言葉があるんだ。

毎日毎日同じ道を歩き続けていると「あれ?」と思うことがないだろうか。こんなところにこんなものあったっけと。精神分析でもそれは生じる。もう本当に無理だ、何も変わらない、これまでの苦しみはなんだったんだ、と追い詰められて追い詰められて何かが弾ける。「あれ?」もう無理だ、とこれまでも何度も思ってきた。今回こそ限界だ、そのはずだった。なのにどこか呑気ではないか。絶望している自分でいながらどっかそれを演技的に感じもする。そんなはずはない。私は本当に死にたいほど絶望している。なのにこれまでとは明らかに違う。そこは暗闇だけではない。

景色が変わったことに気づくのは必ずしもいいことばかりではない。これまでも散々見えていなかったという事実に驚愕してきた。どんなに泣いてどんなに苦しくても見えていなかったものが見えるならまだいいだろう。間に合ったのだから。見ようとしたときにはもうそれは存在しなかったということだってあった。

そうか、別の言葉がある。ぐるぐるが止まる。我慢と無理という言葉ではないんだ。今私たちはそれに囚われすぎてる。数えきれない言葉の世界を生きながらそんなのはおかしいだろう。まだ間に合う。少し時間をおこう。まずは別の言葉があることを思い出そう。いつのまにか頭痛が少しおさまっている。少し眠くなった。夢を見る。全く話せないはずの外国語で話している夢を。

多分私たちは「まだ間に合う」とどこかで思っている。それはかなりの程度「希望」とよんでもいいように思う。なのに同じことを繰り返しては我慢だ無理だなどの言葉で事態を説明しようとする。どうしてだろう。きっとそれは機会を作り出すためだ。入れ子の言葉に私たちが縛られながら生活している理由があるとしたらそれは言葉を常に互いのものにしておくことでその呪縛に気づくためではないだろうか。十分に浸され、体験しないとそこがどこでそれが何かはわからない。抜け出すために囚われるのだ。もちろん時間は刻々と過ぎ、あったものはなくなったり別の何かになっていく。それだって仕方ないのだ。誰にも止めることはできない。どうにかしたい。あなたが大切だ。立ち戻るのはひとりの想い。何度でもそこから始められたらいつかきっと間に合うはず。そう信じながら言葉を探す。

たとえいっときでも言葉を離れてよい夢を。

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我慢と無理1

我慢と無理について考えていてそれは全然努力すべきことではなくて単にすべきことではないとも思うけどどうしても生じてしまうものなんだと思う。たとえばこちらが我慢や無理をしていることに気づいてほしくて何かアクションを起こした(そのまま伝えるとかでも)としてもあちらがそれに応えるには我慢や無理がいるとなったりもする。コミュニケーションに我慢や無理は生じてしまうと考えておいた方がいいのだろう。

ただそれで体調を崩したり、辛い状況に囚われてしまう場合はどうしようか。話し合いとか対話でどうにかできる事柄もあるだろうけれど心身が参ってしまうような事柄になると話し合いや対話はすればするほど失望や絶望につながることも多い。二者関係や状況が綻びをみせていればそれは当然そうなのだ、そこで定点から客観的に物事を見ることを期待された第三者の存在が望まれ相談事業はそうやって成立していると思うのだけど、私はもっとミクロに自分で考えられる範囲のことをダラダラ考える。こういう仕事をしているからこそ。相談相手や場所がずっとそばにいるわけではない。私たちは基本的にひとりだ。

親密な関係における無理や我慢について考える。暴力のように明らかにやってはいけないことに対しては無理や我慢はしてはいけない。自分だけが相手に対して寛容でいられる、自分ならどうにかできると思ったとしてもだ。その思いが間違いとは思わない。でもそもそもそれを「寛容」とは言わない。ときに同じ構図の言葉を暴力をふるう側も口にする。変化に対する強い抵抗は言葉の意味もどんどん変えていき、第三者の言葉はすでに機能しないかもしれない。そんな状況を抜け出そうとするときにする「無理」や「我慢」は私が考えられる範囲で考えようとしている無理や我慢とスペクトラム上にはあるかもしれないが、むしろ様々な心の機能が破綻しかけたところでどうにか動き出そうとするときに襲ってくる強い痛みに対して持ち堪えるためのものであり、戦火を逃れるためにせざるをえないような切迫したものである。

(とりあえずここまで)

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『小鳥たち』を読んだ。

他愛もないやりとりのあと、読んだばかりの本をパラパラしながら突然涙ぐむ。泣きたい気持ちは突然始まったものではないとわかっているけれどこみあげてくるものを感じ両方の目に少し力を入れて抑えようとした。

7時か7時半に開くカフェで仕事をすることが多い。連休中、ここもそこもとても空いていて「今年はみんな東京から出たのか」と数日前の誰かの言葉を思い出した。

小川洋子『ことり』を読んで思ったことはすでに書いた。暮田真名『ふりょの星』を探しているときにきれいな表紙の本を見つけた。『小鳥たち』、スペインの作家の本らしい。

私は鳥が好きだ。好きだ好きだ、とあえていう必要などないくらい身近で、毎朝「おはよー」と声に出さずに最初に挨拶をするのは鳥たちだ。

『小鳥たち』、手にとってパラパラすると短篇集のようで(表紙にもそう書いてあったのにみていなかった)表題作を読んでみた。ああ、この感じ、懐かしい重み。子どもの頃は「親に叱られる」が真っ先にあるようで好奇心があっという間にそれを忘れさせた。そこに不安や恐怖があったとしても見ずにはいられないなにか、思わず出してしまう声、常にこころと仕草が近くて、ごちゃまぜの気持ちが身体をいろんな状態にして、自分でもその状態を掴めているのにコントロールはできなかった。それは今も同じか。突然涙ぐんでしまうのをどうにもできないように。

親や保育士が子どもたちに「落ち着いて!」と声をかけたくなるのもわからなくはない。子どもだけの体験で言えばどうしようもなくこころと身体が連動してしまうだけなのだけど。

表題作「小鳥たち」は子どもの目線で書かれた短篇で、他の短篇には子どもが出てこない大人だけの話もあるが、その世界はすでに子どもの心にあるもので、位置付けるとしたら児童文学であるように思った。

大人の薄汚さや性愛の世界は最初から子どもの世界をとり囲んでいる。子どもが大抵の場合セックスから生まれているという事実以前に精神分析には「原光景」という考えがあり、臨床をしているとそれを否定することはもはや難しい。もちろん大人の世界に晒されすぎないように守るのも大人の役割だが、子どもの好奇心はどうして今それを忘れたのか不思議なほど強力で直感的にさまざまなことを知ってしまう。

「子どもってのは目ざといねえ。」

ー表題作「小鳥たち」より

著者は子どもの観察眼を維持したまま豊かな言葉と淡々とした筆致で情景を描き、誰かと生活すれば出会わざるを得ない現実、その現実と出会うときの衝撃、それに伴い一気に湧き上がるさまざまな気持ちを描く。

短篇ならではの多彩な事情(登場人物が背負う「家」の事情など)と出来事に心があちこちに揺さぶられ読後感はやや重たいが、子どもの頃の感覚と気持ちと仕草の連動を思い出させる上質な一冊だった。

誰かを想う。そんなとき感情が溢れる場所を求めるのは当然のことだ。今日も人ゆえの小さな苦しみとともに。

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変わってない

ずっと囚われているわけではない。でもほぼずっと、何をしていてもずっと注意をそらせないことがある。それを囚われているというんだよ、と誰かが笑う。

再会は20年ぶりだという。なんらかの形で言葉を交わし続けてきたので驚いた。「全然変わってない」と言いつつも今の私を褒めてくれる優しい人たちをありがたく思う。

でも多分本当にずっと考えているわけではない。というか考える仕方が色々で自分でも持て余す。人と離れ音と離れぼんやりしだすと頭痛がひどくなる。一体私は何を考えているのか。これからどうしていくつもりなのか。これは身体化だと気づきながらも仕方ないとしていくか。正常と異常はスペクトラムだとしても、いい悪いの問題ではないとしても。

相手との関係を考える、という場合も色々だ。自分の不快さをどうにかすることを最優先にする人もいれば、私がこう感じることを伝えたらあの人はどう思うのだろう、と二者関係で考える場合もある。さらに私たちがこういうやりとりをするということが彼らにどう影響するだろうか、とさらに広く考えざるを得ないこともある。ともかくも相手あることは仮の答えを出すにもその相手がいないと難しい。物理的にではなく心理的に。心理的にいるということは物理的にもなんらかの形で「在」は示されているものだと思うが。私たちが会わない間も言葉を交わし続けたように。

もしひとりで考えなくてはいけないとしたらそこに相手はいないと思った方がいいかもしれない。無理して何かアイデアを生み出そうとするよりそこにいない相手との関係を再考すべきかもしれない。

コミュニケーションがいかに複雑で、それをしないことも含めてその意味を考えていくことが必要なのは仕事では当たり前というかそれせずにこの仕事はできない。なのにどうしてこんなに難しいのだろう。毎日そんなことしかしていないのに上達する類のものではないのはたしかみたい。たしかに私は「全然変わってない」のだ。

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架空のこと

「とりあえず眠ろう」と眠ったはいいがすぐに起きてしまった。

大切な人が雨の中立ち尽くしている。傘もささずに。探しに出た彼女はすぐに気づく。相手もそれを待っていたかのように彼女をみる。彼女はある種の衝動と「またか」という気持ちを抑えその人を手招きする。いつのまにか二人はエスカレーターに乗っている。前にいるその人の服がびっしょりで触れてどうにかしたい気がするがそれをしたときに流れ落ちる水の重さが気になって触れずにいる。

火葬場でカラカラの骨を拾う、子どもと。此岸から彼岸への橋渡しは二人でやるものだという。人間の身体のほとんどは水分だ。玄関脇の暗がり、もう弾まないバスケットボールのことを思い出した。

あれは暴力でした、と周りの人には話す。でも私にはそれだけではなかった。私に力があることを教えてくれた。甘く優しい時間もたくさん過ごした。役割をくれた。今でもちょうどよく満たされたい、自分を忘れてほしくない人たちが私を求めてメッセージを送ってくる。直接会ったこともない人たちが私を求めてくれる。だからあの人を絶対に悪くはいわない。あれは暴力でした、と話すけれど、周りには。

私も夢を見た。久しぶりにvividに。

これからも心身に大きな不具合が生じない限りたくさんの患者さんの夢や欲望と過ごす生活をしていくんだな。代わりに夢を見たり代わりに言葉にしたりして。もちろんその逆も。

The woods are lovely, dark and deep,
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.

ーStopping by Woods on a Snowy Evening

BY ROBERT FROST

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とりあえず

さて、ここで何が起きているかだ。

と何かを描写しては考える。例えばこの前の記事では個別の臨床例については加工どころか触れることをしていない。理論的な説明を加えるならロナルド・ブリトン『信念と想像:精神分析のこころの探究』(松木邦裕監訳、古賀靖彦訳、金剛出版)のどうこうなどということはできるが、治療状況を思い出しつつも取り上げているのは治療状況外でありがちなことなのでそこからぼんやり考えていることを下書きのように書いては「ちょっと待てよ」と考え直すことを繰り返している。

「いい悪いの話はしていない」「正解かどうか、どうすべきかという話はしていない」。ほぼ私の口癖だ。そんなの誰が決めるのでしょう、と自分に対しても思う。

精神分析は他者の場所(物理的にも心理的にも心的にも)で自分のことをあれこれ思いついたままに話すのだが思いついたまま話せるようにはかなり時間がかかる。それは永遠に不可能かもしれない。が、それは実は達成すべき事柄ではない。ただ、それが困難であると実感するプロセスを繰り返しているうちにいつの間にかできるようになったりもする。なんなんだよ、と思うかもしれないが、無意識を信頼するには努力より大切なものがある。それは曖昧さをそのままにしておくことだ、と私は思う。

一方が謝った。他方はそれが文脈にそぐわないと瞬間的に察知した。なのですぐに介入した。「なんで」と。別にその人が相手と話しながら別の誰かや何かとの体験に基づいた反応をすることになんら問題はない。むしろ何かしら内省的になっているのは好ましいことではないか、それを目の前の相手がそれを無視されていると感じるとしたらそれはまだ二者関係におけるなんらかの問題をワークスルーできていないということではないか。

なんて中途半端な理論的理解を当てはめることは日常生活でだってしては行けない。シンプルに起きていることを追う。

「謝る」という行為について。これもまた文脈によって全く異なる意味を持ってしまう。「別に謝ってほしくていっているわけではない」と返したくなるとき、「謝る」という行為はあったことをなかったことにする、あるいは起きていることを誤って認識している、とその人には認識されているかもしれない。そして謝った本人はそういう反応をされて「え、なんで?」となるかもしれない。すぐに介入したのはそれ以上その行為に関する何かを続けてほしくないと反射的に思ったのかもしれない、なぜならいつもそうやって謝るから、など。もっと具体的な状況が分かればこの行為が持つ多様な意味を知ることができるだろう。確実なのは行為の言葉は文脈なしで理解することは不可能だということ。

第三者として受け取る時でも相手との関係性によってその意味は異なる。いつもの友人からの相談だったら大体文脈がわかるから起きていることは理解しやすいし、友人が私に何を求めているかも大体わかる。このときも必要なのは曖昧さだ。判断なんか求められていない。

精神分析を体験してから以前には考えられなかったような仕方で自分の気持ちを振り返るようになった。このプロセスこそ曖昧さに耐える訓練だった。持ち堪える、生き延びる、という表現も随分しっくりくるようになった。

「耐え難い」と感じる状況では何かを誰かのせいにすることは日常生活のライフハックかもしれない。私にとってそれはあまり楽になるものではないので自分の気持ちの変化にじっととどまる。親密な関係においてはなおさらそうだ。SNSを投影先にしたりもしない。平面ではなく三次元の場所で生じた出来事のみを信頼する。どんな親密な関係でも相手が何を考えているかはわからないし、相手だってそんなのは常に流動的で暫定的だろう。だからこそなおさらその場に共にいるときの感覚を貴重に思うし、そこで生じた気持ちに関心を向け、それがどう変化していくかを見守ることに価値を見出す。相手をなじったり、もう相手が謝るしかないというようなことを言い募りたいときもあるがことをさらに複雑にするようなことはせずにじっと感じ続ける。変数を増やすことは一時凌ぎにはなるだろうけど結局相手を変えて同じことを繰り返すだけだと理論的にだけでなく経験で実感している。よって判断を保留し、変数も増やさない。ただ身を浸し心と身体を馴染ませる。

睡眠をとるということも時間の引き延ばしという観点からとても重要だ。夢を見るかもしれないから。自分の感覚や感情にじっととどまろうとしても相当揺さぶられているとそれは単なる我慢になってしまうので無理になるようなことはせず眠る。無意識がどうにかしてくれるだろうと身体を投げ出す。とても残念な未来を描くこともあるけどそのときはそのとき。とりあえず眠ろう。

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言葉とセクシュアリティ

小川洋子『ことり』(朝日文庫)を読んだ、と昨日書いた。

図書館という設定の豊かさを改めて知った。桜庭一樹の小説で図書館最上階に住む女の子の話、なんだっけ、思い出そうとすることは全て思い出せないといういつもの現象。その子はすっごく頭が良くてというのは覚えている。あの設定も素晴らしいなと思ったしほかにも図書館が登場する小説は多い。檻でもなく鳥たちを窓の外に本の内に息づかせ、どんな人でも利用できるマージナルな場所。

この本ではここが主人公と外界の中間領域となる。彼だけがその言葉を理解する兄との場所ではなく、鳥たちとの交わりえない交流でもなく。もうこのあたりから私は切なくてどうしようもなくなった。多くの患者さんを重ねてしまったからだ。

言葉が通じると感じられる場所。「通じる」とはなにか。

「それはごくありふれた事務的な連絡事項にすぎないのだとよく分かっていながら、小父さんはなぜか、自分だけの大事なお守りを無遠慮な他人にべたべた触られたような気持に陥った。」—小川洋子『ことり』

想いは空想は生み言葉を暗号化する。セクシュアリティの機能だろう。身を隠すようにささやかな生活に「じっと」身を浸してきた彼はもはや本を閉じたら消えるような世界にはいない。著者は極めて耽美に鳥から人間の声に耳を澄まし始める主人公の様子を描き出すが、一瞬のセクシュアルな混乱や相手はこれを夢だと知っているという現実もさりげなく織り交ぜる。

「一粒だから、今でも夢のように美味しいと思えるんです。」–小川洋子『ことり』

言葉とセクシュアリティ、精神分析が取り組んできたもののすべてだろう。切なさも絶望もささやかな喜びも自由を求める衝動も私たちは患者との間で体験する。

セクシュアルな感覚は人を少なからず病的にする。言葉は暗号になったり精神安定剤になったりする。簡単に絶望しODしたりもする。確実な言葉などどこにもない。のみこんでも吐き出しても不安は尽きない。

時を重ね身体を合わせ言葉を交わし続けるなかで言葉の質がふと変わる時がある。この本の主人公は長く継続的な関係を築いたのは兄のみだった。彼のセクシュアリティは幻滅を体験するプロセスにはいるほど機能していなかったのかもしれない。継続的な関係ではお互いがお互いを想う限りにおいてセクシュアリティと言葉は錯覚と幻滅を繰り返しそのあり方を変えていく。それはふたりのプロセスでありもはや切り分けることはできない。

たとえば一方が急に謝った。するともう一方はそれに被せるスピードで「なんで」といった。今誰と対話してた?私はあなたのその部分だけを切り離して考えるなんてできない。それが「世間」からみてどうであったとしても。

分析家がスーパーヴァイザーや文献との対話を「今ここ」に持ち込むことを患者は嫌う(ことがある)。外側の第三者が私たちの何を知っているのか。私たちはそれぞれの関係を築いている。

一人の、あるいは第三者のモノマネのような言葉はセクシュアリティが引き起こす危機とは別の困難を生じさせる。それはこの本を読めばわかる。

言葉を紡ぎ二人が繋がり次へ繋がっていく。セクシュアリティのもつ豊かさと困難を毎日そうとは知らず生きている。そんなことを考えたので書いておく。

小川洋子『ことり』を読んだ。

小川洋子『ことり』(朝日文庫)を読んだ。本屋で平積みされており、装幀、装画に目が留まった。新刊かと思ったら結構前の本だった。小川洋子の本は随分たくさん読んだような気がしていたが少し調べてみたら私が読んだのはすでに初期と言われているかもしれない作品たちだった。

静かな筆致は相変わらずで少しずつ登場人物の世界へ入っていくことができる。世間と正反対の穏やかさに開かれた空間、関わらないことで保たれる静けさ、関わろうとすれば漣立つこころ。ここから先へ行かなければ、これ以上話をしなければ、と意識的にコントロールしているわけではない。父や母、環境を憎んでいるわけでも社会化を拒んでいるわけでもない。ただ動物としての感覚が衰えていない。美しい音、色、パターンを愛し、常に元通りにできるものを持ち歩き、指示には受身的に従うこと、そうすれば人間に壊されることはない、と無意識が知っている。とても限られた生活圏内で、人に通じる言葉を持たなければ、と。

一方、私たちは願ったり欲望したりして今の自分になったわけではない。たまたまそうなった。言葉でほしいものが買えた。それは喜びだろうか、そうはできない人がそばにいるとして。好きな人と言葉を交わすことができた。これは偶然だろうか。興奮は少しずつ暗雲を連れてくる。僕だけが彼と言葉を交わしあえた。だけど彼はもういない。きっと彼女はこう思うだろう。空想が広がる。感じたことのない喜びが静かに躍動する。彼がそうなればなるほど「世間」である読者の私は苦しくなる。はじめて自然と僕の職場へ彼女を連れてくることができた。でも僕がいつもいる場所のドアだけは開けなかった。侵襲に怯え、関係を避けるなかいまや中年だ。年齢差など意識できるほど同年代と馴染んできたわけではない。両親を早くに亡くした。「世間」とはできるだけ距離をとってきた。それでも関わりたい人ができてしまった。関わってしまった。子供の頃から自分たちを知る人だけが警告してくれる。でも自分たちはただ静かに生きてきただけだ。鳥たちと会話をしながら。

事件が起きる。私の予想を裏切らない事件が。世間の反応も事件の結果も私の予想を裏切らなかった。一方、私は少しずつ気づいていた。彼が単にautisticな人ではないことに。それどころか思ったよりずっと情緒的で相手を多面的な全体としてみていることに。彼が出来事のなかで変わってきた面はあるだろう。でも私が決めつけていたところもあるのだ。人は分類も予測もできない。ラストへとつながる出来事の描写は見事。通じる通じないにかかわらず私たちは歌う、あるいはその歌声が届くのを待つ。死までの日常を痛みとともに生きる。何が起きるかわからない毎日をそれぞれの羽根で。

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精神分析

馴染む

依存についてずっと考えているのはどの病理にもその問題があるから。依存に関しては一般的な意味で使っているけれど、ナルシシズムに関しては一般的な意味でいうそれと精神分析でいうナルシシズムは異なるので私はあくまで後者の意味で使う。

臨床家としては治療の文脈でそれについて考えるのは仕事だから当たり前で、患者さんがナルシシズムの傷つきと出会うことも必然なのでその段階での治療状況はとても苦しいものになる。

プライベートで付き合う人に専門的な視点を向けてしまうと辛いことが多いので苦しくなる仮説がたったとしても言語化はしない。実際に深刻な問題が生じそうだったり、大切なその人がひどく傷つきそうだったり、誰かを傷つけそうな場合に指摘すればいいことだから。もちろんプライベートで客観的に相手を見ることはできないし、仮説を確かめる過程を治療状況以外では踏まないのでただの勘違いの可能性もある。でも今はこちらがみたくなくてもいろんなことがみえやすくなってしまっているので「あーあやっぱり」とか「また自分から構われにいってる」と思ってしまうことも多い。こちらが確かめなくても行動がみえてしまえばそれだけ確からしさは増す。

特にナルシシズムの傷つきを安全な距離感での依存関係によって回避している関係性は外からは見えやすいのに当事者はそこに安らぎを感じているから外からどう思われるかは否認しやすい。たいして知らない人と気楽に公然とやりとりできる現在、その関係を「安全」とは私は思わないが、当人たちのナルシシズムの傷つきの回避ということだけを考えれば当人たちにとっては「安全」で手放しがたい環境だろう。

ナルシシズムの病理は、親密な関係において葛藤し言葉を探し相手の問題と自分の問題を区別できないまま傷つき傷つけそうするなかで少しずつわかりあえない部分をもつ二人であることを認識しもしお互いを思いあうプロセス、そしてそれが維持できないのであれば自分をそれ以上傷つけないほうを選択する、という時間もかかるし苦しみの多いプロセスを過ごすことを難しくする。自分は本当の意味では愚かではないということを証明してくれる自分のことをあまり知らない相手と都合のよい距離を保つ。それは相手を自分のために部分的に使用しているということなのでは、という疑いは否認する。

精神分析はさっき書いたプロセスに価値をおくが、現代はそうではない。ナルシシズムの時代だと思う。私はそのプロセスに価値を見出すのでその内側にいるが多くの人にとってそうではないのはそれを回避するシステムがこれだけ整えばそりゃそうだろうと思う。だから私は精神分析治療以外でそれを重要だと言い続けるよりも相手の在り方に馴染んでいくことが必要なのだろうと考えるようになった。諦めるのではなく。かつてはナルシシズムの病理とみなされたものもそれが病理として現れる場所は減り、むしろそのありかたがマジョリティになりつつあるというのは現実だろう。そして行き過ぎたものだけがあっというまにネット上で拡散されネット上で「いいね」を送りあったくらいの関係(といえるのかは不明だが)のペアや集団における分断のシステムにおいてあれこれするのだろう。個人的には恐ろしいなと思うので私はナルシシズムの病理としてそれらを考え続けるけれど治療の文脈以外ではそうは言わない。言わないけど、大切な人が傷ついたりお互いに傷つけあったりというのは嫌だ。私は実際に触れ合える親密な関係のなかであれこれ繰り返していくことを大切にしたい。辛いこともたくさんだけど喜びもあることはすでに知っている。もしもう無理だな、と思ってもひとりではない。誰かを部分的に利用して孤独を癒そうとせずきちんと悲しんでからまた立ち上がりたいと思う。

いつもその作品で私を「ふつう」に戻してくれる友が悩んでいた。LINEで作品に関する短いやりとりを交わすなかでふと漏らされた弱音に少し驚き驚いたことだけ伝えた。そのまま手の届く距離にあった本を開いたら友が応募して落選したばかりの賞に冠せられた人についての文章が載っていた。評価などは気しない、これがおれの道、というようなことをその人は言っていた、と書いてあった。少し笑って「だそうです」と友に送った。明るい一言が返ってきた。

お互いもう大人だ。孤独をSNSのような場所に投げたりするタイプでもない。自分を立て直すすべは自分で持っている。互いに対してそういう信頼がある。だから短時間での少ないやりとりは少し笑いを含んでいる。きっと大丈夫。また眠れない日もすぐに来るかもしれない。でも多分また大丈夫。そういう小さな回復を繰り返せる自分たちを信頼して助け合ってやっていくのだろう、これからも。

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俳句 短詩

誰川

依存というのは応える人がいるから成立する。それを「依存」に変えるのは受け手であり、自由度を狭めていくのは両者。

身内に誘われ句会にでたとき斜め前に座っていた人の句がいちいち素敵でファンになった。その後仲良くなってこの前ももうすぐ1歳になる子と遊びつつたくさん話をした。

コロナ以前に私が立ち上げた小さなネット句会の「談話室」でその人が俳人津川絵理子さんのファンなんだと書いていて、そーなんだ!と思って私も句集を買ってみた。私は結社には入っているが結社誌と毎月のこのネット句会で締め切り直前に句を作るだけなので全く上達しない。仲間たちの情熱になんだか申し訳なく感じることもあるが彼らとおしゃべりするのは楽しいし、この句が好き!と感じるのにはなんの努力もいらない。好きな句はたくさんある。曖昧にしか記憶できなくても特に問題ない。

それにしても鳥たちが元気。おはよー。お互い早起きだね。

とても楽しいおしゃべりを終えて仕事に戻る電車でぼんやりSNSを眺めていると「あなたが誰でもかまわない川柳入門」という文字を見つけた。「あなたが誰でもかまわない」というので申し込んでみた。こういうノリは久しぶりだ。

私はまぁもろもろなんだっていいのではないか、ある程度のルールを守って楽しくやれれば、と思っているので俳句界に限らず人間関係の「濃さ」を感じる場所は排他的なものを感じてしまうことがある。まだ若い人たちが他人に「才能」を見出したり見出されたりしていろんな感じになっているのを見るとなおさら大変そうだなぁとなる。それだけで食べているわけでもないのにそんな使命感やマッチョ感は必要なのか、いやそういうのが好きなのか。というか使命感とマッチョ感(という言葉はないか)を一緒にしてはだめか。とにかく過剰さを感じることがある。言葉が本当に豊かな人たちの集団なので過剰なのは言葉だけなのかもしれないが。その人とも「そういうのは私はいいかな」と話した帰り道だった。こういうのは肌感覚というか生き方というか個人的な好みのようなものにすぎないが判断や選択には影響を及ぼす。

私の好きなその人の句は何かや誰かに依存的な感じがしない。使命感も義務感もなんかアツいものがない。ただポンッと場面や景色が置かれているだけ。シンプルでわかりやすく受け手に特に何も求めてない。賞をとったりもするわけだからそのあり方で十分人のこころをつかむのだろう。

「あなたが誰でもかまわない川柳入門」、川柳のことも講師のことも何も知らなかったが俳句を相対化してみたかったのかもしれない。相対化できるほど知らないので違和感を少し明らかにしたかったのかもしれない。

講師は暮田真名さん、後から知ったのだがZ世代のトップランナーと言われている柳人だ。Z世代というもの自体よくわかっていなかったし、時間的にアーカイブで受講するしかなかったのだが、導入ですでに「この人すごいな」と思った。私の好きなその人と似た雰囲気を感じた。

ということで仕事をせねば、だからまたいずれ。

暮田さんの講義の課題提出率の高さにスタッフの方も驚いていたが、あの講義ならそうだろう、と思う。本当にこちらが誰でも構わないのだ。何も求められていないのだ。ここには逆説がある。

が、またいずれ。良い連休でありますように。

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安全な暴力

安全な場所から振るう暴力、について考えていた。らしい。今日も下書きの上書き。下書きを一気に消して、理論的なことも考えずに印象だけまた書いておく。下書きの上書きを繰り返して学会発表とかに備えて頭使っとこう。すぐぼんやりウトウトしてしまうから。特に最近の頭痛と眠気。全部お天気のせいかしら。

安全な場所から暴力を振るう人の典型として政治家がすぐに思い浮かぶかもしれない。私はSNSにおける言葉の暴力のことを考えていたような気がする。精神分析的心理療法のような生々しいコミュニケーションにおいて顕わになる攻撃性とは全く異質のものが蔓延するSNS空間。抜き差しならない緊張感のもとでは不可能であろう饒舌さと退行した言葉の使用を私は暴力的と感じたのだろう。投影先を広げればそれに対する反応も多様になると同時に単純な分断も招く。それぞれ見たいものを見て反射的に反応することが制限なくできてしまうのだから当たり前だ。

果たして最初に自分のなかで小さな声をあげたそれは本当にこんな形で公にされることを望んでいたのだろうか。知識や経験は武装のためにあるのだろうか。正しさの押しつけなど糞食らえだと思っていたのではなかったか。苦労して身につけてきた防衛手段は安心して徒党を組み相手を見下したり、相手に変化を促すためのものだったのだろうか。自分は自分の言葉を使っただけで周りが勝手についてきただけということもできるが、もしそうだとしたらひどく冷たい話だなと思う。「嫌なら♡をしなければいい」「そのときにそういってくれればよかった」というのも安全な場所からの暴力のひとつかもしれない。そこまで「正しい」ことを知っていて相手に賢くなることを公の場で求められるのに弱い立場の人が陥りがちな状況に対しては無知ですか、と反射的に言いたくなるが当然口をつぐむ。継続した話し合いの場が持てないところで投げるような言葉ではない。もちろん私もそれを暴力とした場合、加害者の位置にたつこともある。だから意識的でありたい。なので書いているのだろう、こうして。ただその場合もSNS状況と臨床状況は全く異質であるので同じ基準では全く考えない。そしてもし身近な男性との間で女性蔑視を感じたときに突然フロイトを責めたりもしない。その想いが、その言葉がどこで誰に対して生まれたものかを大切にしたい。それぞれの事情やそれぞれのあり方を平べったいスクリーンに羅列できるわけはない。言葉は本当にやっかいだ。SNSと臨床状況が大きく異なるのは言葉の使用であり、SNS上では想像力を駆使して相手の言葉を理解しようという契機がそもそも奪われている。投げられた言葉をカテゴリー化してゲームでまた敵がでてきたときみたいに自分もパターン化した言葉と態度で撃ち抜いたり殴ったりする。それではいつまでも「それはそのままあなた自身のことではありませんか」という応酬になりそうで不毛だ。お互い傷つけあうようなやりとりはしないほうがよくないか?「普通に」考えれば。

相手に対して言葉を選んでいく余地を持つこと、それは普通の思いやりだと思う。今日も現実の人と言葉を交わしたり黙ったりする。

穏やかな1日でありますように。

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浮遊

父と息子の物語として語られる精神分析、文学の世界を見ると現代は母と娘の物語の時代らしい。

私はなにかを誰かと誰かの物語にするのが好きではない。でも自分も「これは父と息子の物語であると同時に、母と息子との物語でもある」といったりする。いいながら「ふーん」と自分に冷めた目を向けなくもない。

誰かと誰かがいたら誰かがいたりいなかったりするだろうし、現在の精神分析が焦点をあてるとしたらこの「不在」のほうだろうし「出来事」のほうだろう。

私たちは親のない子供と出会うし、親になったその子供とも出会う。親と子供というカテゴリーは適切だろうか。

もうここにはいない誰かとの時間はそこにいたかもしれない誰かの時間でもあって物語れているようにみえたその人との出来事はたやすく別の出来事にとってかわられるようなものだった。

物語の数を増やすより出来事のなかにかき消された声を探す。意味ではなくまなざしを。固定するのではなく浮遊するがままに。 

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下書き上書き

パンチのある言葉で笑いをとってしまうと後悔する。別に笑わせたかったわけではないから。

とこれ、いつかの下書き。今となっては何があってそんなことを思ったのかはわからない。そして今私は何かを書こうと思ってここにきたのだが今度はそっちを忘れてしまった。まあいっか。

私の仕事は「とりあえず」を作り出すことだな、ということもいつかの下書きに書いた。すごくたまってるんだ、ここの下書き。でも多分何日か何十日かたったら自然に消える設定のはずだからこうして下書きを上書き。なにをやってるんだか。

でも毎日ってそういうものかもしれないよ、とも思う。想起と忘却。痕跡を触発するものが現れるまでそれは形をとらないかもしれない。とる必要がないのかもしれない。その場合の主語が誰だかはわからないけれど。

誰かを好きになった。失いたくないと思った。そんなとき私たちの言葉は変わる。たとえその気持ちを隠していたとしても気持ちの強さが言葉を揺らす。いつのまにか機械みたいになってパターン的に思考や言葉を生み出していた心が動く。

またか、めんどくさい、もう二度と、あんなことは、でも、もし、とありきたりの言葉の組合せが変わるわけではない。痕跡というのはもっと違う、傷のようなものだ。手術痕のように手当されたあとのものではなく、それよりずっと以前のもはやたどることのできない記憶の彼方の。

気持ちが言葉を求める。相手の応答を求める。正答ではなく。傷がいまさら治りたがっているわけでもなかろうに。もう二度と隠すことのできない傷になるかもしれないというのに。

なにをやってるんだか。

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公園へ行った

埼京線に乗って大きな公園へ行った。今月2回目の埼京線。この前遊びに行ったばかりの友人が住む駅を通り過ぎたのでLINEした。その友人も時々行く公園だそうで今度ちびさんを連れて一緒に行こう、などやりとりした。

土地勘がないのでどっち口のバス乗り場かもわからず駅員さんに聞いた。駅員さんに「多分東口だけど運転手さんに聞いて」と言われて少しおかしかった。運転手さんに聞けるくらいまで行ければ多分大丈夫、行き先はわかってるんだ。さて、教えてもらったほうの階段を降りるとスタバはあるのに妙に殺風景で目の前のバス停に気づくのに時間がかかった。それにしてもスタバはどこにでもあるな。うちの実家の方にはないけど、多分。

ぼんやりバスを待っているといつのまにか後ろに数人並んでいた。最後尾で友人がニコニコしていた。手を振って先頭から後ろへいくとすっかり大きくなった息子さんが恥ずかしそうにしていた。彼が保育園の頃、とてもたくさん遊んでとても楽しかったというと友人も「すっごくたくさん遊んでくれてすっごく楽しそうだったんだよ」と笑った。私たちはあの日、大きな声とさまざまな表情で遊ぶ彼に大層驚いたのだ。そんな姿は親にとってもはじめてだったという。だから多分お互いいまだ記憶が鮮明で声も少し大きめになった。彼もそれを覚えているかのように私たちの言葉に何度も頷きはにかむように微笑んだ。変わらない、この印象。いい子だ。

バスを降りたら目の前かと思ったらそこはただの道路だった(大抵の場合そうなのだろう・・)。川と緑を目指せばなんとかなるだろう、と適当なことを言っていたら若い彼が携帯をみながら案内してくれた。川岸へ軽やかに駆け登る彼についていき「もうすでに疲れた」と言いながらも湿った草花が広がるのどかな景色に嬉しくなった。登り切ると目の前が一気に広がり「あそこだ」とわかる場所があった。別の友達がすでに設営をはじめていた。もう何年ぶりだかわからないが、子供たちに挨拶するなかで大体予測をつけた。まだ赤ちゃんだった女の子。生まれたとはきいていたがはじめて会う子はすでに3歳、ということは、など。いちいち「もう!?」という言葉が口をついた。

若い頃から子育て支援のNPOで何かと活動を共にしてきた。夏には20年近く、地域の子供会や自閉症児親の会と協力して大きなキャンプを開催し続けてきた。私は障害のある子どもたちの担当として参加していた。それにしても、というくらいキャンプの知識は何も身についていない。タープやテントを立て、火を起こす。私がしたのはキャンプ用の椅子を広げることくらいだが、3歳児は慣れた様子でペグを打ち込もうとしていた。まだ力が足りないがすでに形ができている・・・。かっこいい・・。私には一生身につかないことを彼らは普通にやっていくのだな。頼もしい。これからも私は安泰だ。よろしくね。

今日は保育園巡回の仕事だ。大分減らしたがこの仕事ももう長い。赤ちゃんから卒園するまで本当に多くの子どもたちを観察し、保育士さんたちと話してきた。

彼らがどんな大人になるかは想像もできない。でも信頼はできる。彼らが大人になって、いかに自分が無視をされ蔑まれなんとか生き延びてきたかを言葉にならない声で主張しなくてもすむように、彼らに時間と場所を優先的に準備していくこと、自分に対してより少しだけ優先的に。きっと今日もそれを具体的にする方法について話すことになるだろう。

今日は暑くなるそう。どうぞお大事に。

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精神分析

日記

知床の観光船、心配です。とっても寒いでしょうし。

知床には一度行きました。GWに。お願いしていたユースホステルのガイドさんがとてもよくて観光バスなどの渋滞にも巻き込まれず、知床の自然をゆったり満喫できました。スキーで移動する時期を強くお勧めされました。私はスキーは好きですが寒いのが本当に辛いので相槌をうつにとどめました。こんなのんきな思い出話ができるようにどうか無事でありますように。

今日は今年度最初のReading Freudでした。『フロイト全集4』に入っている『夢解釈』の第一章を途中まで読みました。1パラグラフずつ順番に音読し、区切りのいいところで私が解説を入れつつ議論しながら進めました。フロイトは膨大な先行研究をあっちとこっちに分けて後者の意見で自分の理論を基礎づけていく書き方だと思うのですがそれはいつもと変わらない気がしました。「いつも」とか書きましたが、私たちが昨年度読んでいたのは1905年の「あるヒステリー分析の断片」で、『夢解釈』の方が早いので「いつも」は変ですね。その頃すでにそうだった、と。

國分功一郎さんが動画で精神分析について話されているのをみました。問題意識がぶれないなあと思いました。が、しかし、転移の力をその恐ろしさを含め十分に理解していそうな國分さんにやや通俗的な説明をされてしまうのは複雑な気分になるな、毎回、と感じました。またお話できたら嬉しいなあ。

眠くてゴロゴロしていたら書類をかけませんでした。読書会は趣味なので楽しくできました。進捗もないが矛盾もない毎日、と一瞬思いましたが、矛盾がないなんてどの口が、って感じだな、と思いました。相手あることに対して葛藤を否認し自分だけ現状にのっぺりと馴染んでダラダラ過ごしているだけなのにそれを「矛盾なし」とはなにごとと。甘えと依存の問題はこういう一瞬一瞬の心持ちに現れるのかもしれません。愛すること、働くこととはよくいったものです。実際にフロイトがそう言ったかどうかはわからないそうですけれど。

とりあえず今はまともな姿勢で眠ることを心がけることにします。

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精神分析

居場所

日記なる文学に興味を持って色々読んでいる最中、作家を主たる職業にしているわけではない方々の手作り日記を購入できるイベントへ行ってきた。外でのイベントは楽しい。日記の書き手とおしゃべりしながら数冊購入。この世界には本当にいろんな人がいて、いろんな仕事、いろんな恋愛、いろんな生活がある。なにかを体験するともついつもの感想だが本当に毎回驚くほどそう思う。

それにしてもだ。人はなぜ自分のこんなことあんなことを見知らぬ人に向けて語るのか。語りたいから語る、というのがシンプルな考え方のように思うけど、だとしたらなぜ語りたいの?私だってここでこうやって書いているわけだけどみなさんの日記にあるような個人的なあれこれを書きたい衝動にかられることはほぼない(ぶちまけたいことはたまにある)。

私はよくしゃべるほうだがそれよりももっと聞くほうだと思う。仕事がそうだからというだけでなく、私のしゃべりは私ひとりからは生まれない。日記を書いたり、小説を書いたり、俳句や川柳を作ったりする人たちはたぶん自分との対話がとてもとても上手なのだ。

自分のなかに知らない人物を作り上げて、その人物に性格や生命や物語を与えていく。誰もが目にしているはずの景色や仕草をさりげなく引き寄せその存在の確かさを知らせる。寝転んでも持っていられる言葉たちを反転し分解しポンと置いてたまたまそれを目にした人を驚かせる。自分のなかの言葉が豊かで見せ方も上手ということは見方も上手なのだろう。

彼らの中には自分以外の目も耳も色々ある。もともと備わっている。もちろんそれを発見して育てるのは他者である私たちにほかならない。これは運だな。うん。どっちの運がいいとか悪いとかの話では無論ない。

私はどうだろう。同じ曜日同じ時間に同じ人の話に耳を傾け様子を観察する。様々なことを考えてはいるが、うっすらと透明人間みたいに互いを侵食しあっているから「自由連想」とかいったところで互いに不自由、という事態にいる気がする。ところで透明人間になってずっと好きな人のそばにいられたとして、それって絶対自分の首をしめるというか苦しみって増えるよね、余談だけど。

患者さんが発する言葉はみんな違う。同じ言葉をしゃべっていてもまるで違う。きっと私といるときとそうでないときでも違う。伝えようとしても伝わらなかった、一生懸命言葉にしたのに無視された、ペラペラと喋れば喋るほどむなしくなった。

私がきく言葉たちはそういう言葉。公に向けた言葉ではない。

多分日記の書き手たちもそういう言葉をもっているだろう。伝わらない言葉、伝えようのない言葉、言葉なんて意味ないじゃないかとはねつけたくなるような言葉。

それでも公にむけて書くとしたらそれは患者さんが自分だけの場所を求めて私のところへくるように、彼らの言葉がそこを居場所として求めたからかもしれない。

私は読み手として、聞き手として彼らの居場所づくりをともにしているというわけだ。なるほど。「居場所」の話なんてこれまで数えきれないほどしているが、なんとなく書き始めた言葉から導き出されるそれはいつもとは少し違う気がした。

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精神分析

大抵のことは

大抵のことはなんとかなるよ、大丈夫。とよくいう。テキトーと笑われたりしかめ面されたりする。

でも思う。

大抵のことは大抵の場合なんとかなる。なんとかしたいことがなにかにもよるけど。

と言い出すと「それ結局なんともなってなくない?」ってなるかもしれないけどこういうやりとりしてるだけでも相手の話きいて気持ち動かしてつっこみいれたりしてるわけですよ。

やりとりを誰かしらと続けるうちに時間は過ぎる。それに持ち堪えているうちに最初の問題は別の何かに変わってる。

この繰り返し。

だから大丈夫、とはいわない。でも時間の経過に身を委ねられた自分のことは信頼してもいいのでは?

いい悪いではなくて変化していくものとして今日も一日を(やり)過ごせますように。

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精神分析

地震

地震、びっくりしました。気持ちも身体も大きな変化ありませんでしょうか。

何月であっても地震がくると11年前の3月11日を思い出します。あの日の地震は神田小川町で体験しました。その日は週一回の専門学校勤務の日でした。もう何階か忘れてしまったけれど高い階にあったカウンセリングルームからエレベーターで下に降りて職員室でみんなといるときに大きな揺れがきました。その日だったか、地震の後、カウンセリングルームのドアをはじめて開けたら、掛け時計が落ちてガラスが飛び散っていました。それまでに被災地の映像をみていたにも関わらず、私は誰もいないその階で鍵を開けドアを開いたときのその光景に最もリアルな衝撃を受けた気がします。

今思うと地震直後は混乱してぼーっとしていたのかもしれません。表面上はみなさんと会話をしたりしていました。大きな揺れの最中に繋がった携帯もすぐに繋がらなくなりました。東北にご実家がある先生もおられました。いつの間にか玄関先のテレビに皆が少しずつ集まりはじめました。その黒いものが海水であると知るまでに時間がかかり、それが一気に大地を覆っていく様子を見つめていました。その日はたしか東京ドームホテルで卒業式があり、懇親会中だったか、終えたあとだったのか、両側に立ち並ぶビルが音を立てて揺れるなか無事に戻っていらした先生方が涙ながらに話すのをみてようやく我に返ったような気がします。

交通機関の復旧も目処がたちそうもないため歩いて帰りました。いつもスニーカーなのにその日はなぜかぺったんことはいえパンプスを履いていました。そして寒かった。神保町に立ち並ぶ古本屋さんの前を人の波にのまれるようにゆっくりと歩くしかなくただ寒かったけれど、途中途中の居酒屋には電気がつき、楽しそうな人の姿が見えて安心しました。新宿駅が真っ暗に封鎖されているのをみたのははじめてでしたがぼんやりと横目でみて通り過ぎただけだった気がします。少しずつ人がばらけ、電話もつながりはじめました。その間にも東北では被害がどんどん広がっていたことは間違いありません。でもやっと家に着いたときの私にはそれを想う余裕はあまりなかったような気がします。

多分こういうことを前にも書きました。地震がくるたびについ書いてしまうのだと思います。

だから後悔しないように、とは思いません。だってそんなことできない、多分。喪失の可能性に対して何をどう準備したりすればいいのか私にはわかりません。ただいずれ喪失は起こる、なんらかの形で、お互いに。その現実を否認しないことも大切でしょう。でも実際の喪失を前にしたら起きてもないことに対する注意など、とも思うのです。

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3月10日夜

お菓子が食べたい、こんな近くにコンビニがあるのに買いに行かなくてえらい、寒くて出るのがめんどくさいだけだけど。まだ夜寒いよね。毎日暖かくなったら買いにいっちゃうのかな、そう考えるとこれまで寒い辛い動きたくないばかりいわれていた(私が言っていた)冬のえらいところってそこじゃないかな。制止機能。

寒さ>お菓子。冬、私の欲望を簡単に萎えさせる強力な存在。でも早く暖かくなってほしいな。というか、コンビニいかないのはすでにお菓子があるからでしょ、春限定ピノとかも買ってしまったじゃないか(アイスじゃないか、寒いとかいってるくせに)。

などどうでもいいことをつらつら考えているうちに時間は過ぎていく。それはそれでいい。冬のいいところを見つけたし。きっと昔はもっといいところを知ってた、冬の。でもちょっと待って。私の故郷はからっ風で前髪が凍ってしまうし、肌は粉吹きになってしまうし、本当に辛かった。あれ?せっかく見つけた冬の良さはどこへ?

制止機能、自分を止めてくれる存在。本当に大事。やり続けている行動って止められないからやり続けているわけで、それを助長してくれる存在の方に親しみも信頼も感じやすいかもしれないけど、依存とか中毒の問題になってくるとそうも言っていられない。難しいです、欲望の問題は。

自分のそれが膨れあがって相手の心配も制止も振り切って暴走して気持ちよくしてくれる相手で隙間を埋めることばかり上手になってその先が虚空と知りながら痛みや恐れを別のものに変えて露悪的に振る舞って時折かすめる罪悪感や恥ずかしさもごまかすように外へ外へと向かってく、それはとっても仕方がない。

「でも」と言われるのはわかってる。私たちは一人では生きていけない、っていうんでしょ。「というか生きてないでしょ、実際」と誰かに言い返される。

最初は好きなだけだった。一方は我慢せず、一方は我慢して、そんな関係も楽しかった。大好きと言ったり言われたりすればなんとかなった。でも少しずつ言い訳が増えていくのも感じてた。そしてそして、と涙が増える。心が突然音を立てた。動けなくなってようやく少し気づき始める。このままでは、と。

辛い。いろんな生き方があるのは間違いない。全ての症状が時折救いになっていることも間違いない、かもしれない。

私たちは誰を満たしたくて誰を救いたいのだろう。そんなできもしないことをなぜ試みるのだろう。自分で実験済みなのに。自分にさえしてあげられないのに。いつも身近な人を泣かせて、苦しませて、傷つけて知らない人と出会っていく。いつか、どこかに、あの人となら、そんなことをいつまで続けるのだろう。何にだって意味はある。そうね、それもそうかもしれない。

「でもね」となる。いつだって「でもね」がつく。うるさく感じるでしょう。実際正解などないでしょう、おそらく。

「でもね」と何度も言われ、何度も跳ね返してきた私だって思う。「でもね」と。いずれ戻る場所はそのうちできていくかもしれない、一度は何もかもなくなったその土地に戻る人がいるように。例えば雨が強くて、例えば人身事故で、例えばウィルスで、うん、止めるのは人だけじゃない。できたら意図せず生じるなにかが、なにかを奪う形ではなく、時間と居場所を準備してあなたや私をひとりにしてくれますように。少しずつ孤独を知って、少しずつ素直に触れ合えますように。いつも最後は祈るように。できることがなくてもできることだから。

明日は3月11日。

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精神分析

SNS雑感

「神経症は倒錯の陰画である」といったのはフロイトだ。

現代は倒錯を空想においてのみ許すような時代ではなくなった。これまでひそやかな空間でおこなれていた主に性的なひそひそ話は単純な画像と揶揄か自嘲かわからないような短いコメントとともにSNSを流れ、これまた見たくない人にも見える形でコメントやイイネ!がつくようになった。

もちろんそれがすべてどうというわけではない。

ただ、それらの表現が時間をかけて「すべきでなかったこと」「二度とみたくないもの」あるいは「暴力を振るわれたような体験」に代わっていく可能性に対する想像力が乏しすぎるのではないか、と思うことはしばしばある。

そしてそこに一往復だとしても相互作用がある場合、それがいくら条件反射的ですぐ忘れられる類のものであれ、いやむしろそれが条件反射であればあるほど自分が「モノ」として消費されたように感じる人もいるのだ、ということに対する注意力がなさすぎではないか、と感じたりもする。

SNSは表現のプロの場所ではない。誰もが参加している日常生活の延長だ。

私が仕事柄、そのような双方の傷つきに多く触れているせいでそんなことが気になるのだろう、という人もいるかもしれない。それはそうかもしれない。だとしてもそれは「そんなこと」では全くない。

精神分析でいう分裂と否認という防衛機制によってSNS内個人も集団も守られてはいる。でも私たちは画像や書き言葉といった平面を生きているわけでも、そこで年をとっていくわけでもない。分裂や否認という防衛機制は自己を一時的に守っても基本は崩壊を防ぐためであり、ぎりぎりを保ちながら生活をする不安定さを積極的に求める人はそう多くないだろう。

条件反射的な賞賛や批判で膨れたり崩れたりしていく自分を支えるためにさらにみえない他者の評価を気にするような循環にあまりいいことがあるとは思えない。

が、私たちは繰り返す。自己や二者、三者という小さな集団に戻ってアンビバレンスを自分として体験し苦しみたくなどないから。だから自分と他者の境界をあいまいにする努力をしながら「傷つけたのは自分じゃない」と自分にも相手にも言い訳するようにいつも少し刀を外にむけながら毎日を過ごしている。気まずさや後ろめたさがそこに生じているなら未来はまだ明るいかもしれない。あるいはまず身近な人と、と思えるならまだそこはやり直せる場所かもしれない。

私たち専門家は、たとえばSNSで心身を病んでしまった人たちにそこから離れることを勧めるだろう。あるいは限定するだろう。行動の結果に責任をもてないなら体験を減らしたほうが負担も減る。

ひっそりと、どこにもださない自分をもつ重要性。秘め事としての性。それを言葉少なに謳歌する人間の部分。このSNS時代にこそその価値は強調されてもよいのではないだろうか。

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俳句

菜の花と雛

二度寝して少し汗ばんで起きる。すでに起き出していた身体とすでに暖まっていた部屋が少し春を行き過ぎた。暖房を消してあれこれして机に戻ると足元が寒い。外はすっかり明るい。少し前に「日脚伸ぶ」とキャプションをつけて夕日の写真を投稿した。もはやわざわざ日が長くなったと言わずとも朝も夕もそれが当たり前になってきた。過ぎていく季節を感じながらまだ済ませていない確定申告が頭をよぎる。毎日空をみあげ、花を愛で、鳥を追いかけながら暮らしたい、とかいっていられない。世知辛し。

辛子ってさ、と辞書を引いてみた。やっぱり形容詞「から(辛)し」の終止形からきてるんだ。「カラシナの種子を粉にした香辛料。黄色で辛く、水で練って用いる。またカラシナの別名。」とある。辛子は最初から練ってあるチューブのを使っている。おでんの時期ももう終わり。この冬はおでんもお鍋も数えるほどしか食べなかった。この後辛子の出番は?ああ、ひな祭りか。菜の花の辛子あえ。スーパーできっちり切り揃えられた菜の花が白い薄い紙でくるんとまとめ置かれているのはなかなかの存在感で、その緑を茹でてさらに鮮やかに、そして黄色いお花の代わりに辛子を置く、というか菜の花のおひたしに辛子を使うのってそこからのアイディア?など連想が浮かぶが、兎にも角にも春はこれから濃くなっていくはじまりの色を楽しむ季節。

目を入るるとき痛からん雛の顔

長谷川櫂 『天球』1992

When the eyes are put in

how it must hurtー

the doll’s face

こちらは英訳。「澤」主宰、小澤實さんの『名句の所以』の英訳版で読むことができた。

Well-Versed

Exploring Modern Japanese Haiku

Ozawa Minoru
Translated by Janine Beichman
Photography by Maeda Shinzō & Akira

今日も海の向こうでは色を失うばかりの戦いが続いているところがある。雛に痛みを見出すようなこころが「贅沢」なんかにならないことを願う。

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読書

神田桂一『台湾対抗文化紀行』を読んだ。

台湾対抗文化紀行』神田桂一 著、2021年、晶文社

まず目に留まるのは黄色くておっきい帯。表紙の三分の二。つい黄色くてといってしまったが下の三分の一は黄色くなかった。鮮やかな写真。おいしそう。楽しそう。向かって左の方の眼鏡もおしゃれ。台湾はいいよね!撮影は川島小鳥さん。大好き。文中にはご本人も登場。

そしてそのデカ帯を外すとなんとまたレトロでおしゃれな装丁。そのままブックカバーとかファイルとかジップロックみたいな袋にして売り出してほしい。相馬章宏さん(コンコルド)のお仕事。とても素敵。

さらにこれも外してみます。おー。台湾の国旗の色でしょうか。鮮やかな赤というか朱色?台湾はその穏やかなイメージの背後にアイデンティティの問題を抱えているのですよね、そういえば、となります。

ごちゃごちゃ感とすっきり感、レトロとモダン、まさにカルチャーとは、そして人の集まる場所というのは雑多。多様とかいうよりしっくりくる気がする。ただ、この感触も第七章において少し再考を迫られる(お楽しみに)。

普段、学術書を読むことが多いのでこういう本の読書はほんとに贅沢!だけど学術書よりずっと安い。もちろん台湾にいくよりも。台湾料理を台湾ビールと一緒にいただくくらいのお値段。1700円+税なり。

台湾には一度行ったことがある。もう何年になるだろう。ガイドブックにあるような観光地をまわっただけだがとにかくよく歩いた。普段から住んでいる人のように歩いた。コンビニにいき、袋がいるかどうか聞かれた時だけ「不要」と台湾語を使った。郵便局でちびまるこちゃんの切手(だったか)を買い、若者の街ではB級グルメ(なのか)の買い方がわからない私に列の少し離れたところに並んでいた若い女性が身振り手振りで教えてくれたり。タピオカミルクティーは私には甘すぎたが、言葉の通じないお店の人とのやりとりは楽しかった。バスの運転手さんは上手なウインクで送り出してくれた。夜市は暗くて(当たり前だ)雑多で楽しかった。

この『台湾対抗文化紀行』はとてもパーソナルなもので私のような台湾の観光地にとりあえずいってみよう、という人向けではない。著者もいまやたくさんある紀行文に載っているようなことはそちらで、と書いている。私は対抗文化、カウンターカルチャーというものをよくわかっていないが、それも特に問題ない。いい感じに力の抜けた著者に同一化し、その好奇心と、出会い任せの動きになんとなくついていくだけでただの観光客には知りえない場所へ連れて行ってもらえる。どちらかというと取材に同行させていただく感じだろうか。

音楽と政治の関係もライブハウスで語られるようにナチュラルに聞き取られる。日本には友好的で親しみやすい台湾も政治的には難しい立ち位置にある。思えばとても政治的なものである(だった)音楽にもそれは影響しているという。

著者が台湾アイデンティティなるものがあるならそれを明らかにと友人のdodoさんから話をきく第三章は、朴沙羅さんの『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房)を思い出した。もちろんここではアイデンティティについて聞くという明確な目的があるので個人史を聞くのとはまるで違うが、人に歴史あり、というか人は歴史から逃れられない。

「台湾の自由は、抑圧あっての自由なのよ」とdodoさん。著者ならずともドキッとする。著者の様々な語りを聞きたい気持ちは止まらず別の友達はこう応えた。

「現状維持というのは選択肢としてはないなと思った」「台湾人は生活に対するすべてのものが政治だから。」

日本の自分のアイデンティティが自ずと照らし返される。

台湾、といっても私は台北しか行ったことがないので台湾の街という「生態系」について聞き取りがされている章(四章)も興味深かった。ずっと変わらないでいて、なんていう言葉はしっくり来ないであろう街、台湾。台湾の<下北沢世代>という本屋さんにも行ってみたい。そして『秋刀魚』を「ああ、これがあの」と実際に手に取りたい。「台湾人から観た日本」(中国人側からも)、「日本人から観た台湾」、著者は複数の視点の中でぶれない台湾人を発見しつつより本質をと知りたがる。著者は割とすぐに眠くなってしまうらしく、待ち合わせに遅れた友人を待っている間に自分が眠ってしまったりする、カフェで。真面目に偶然か必然かと自らの行為を夢想する姿もゆるくてちょうどいい。

メインカルチャーありきのカウンターカルチャー、メインとマイナーの有機的なぶつかり合いは境界の曖昧な日本のカルチャー内部ではもはや起きづらいとしても日本と台湾との行き来においては可能かもしれない、それが著者にとっての台湾の魅力なのかもしれない。

第七章、著者の中国語の先生も務めた田中佑典さんの語りが興味深い。

「日本は「衣食住」に対して台湾は「衣食住と”行”」があるんです。」

移動、交通とは「変化」の意味、と田中さんはいう。

「まず何か口から出まかせでやって」という始まり方が「アジア的」というならそれはとっても魅力的。日本だってアジアなはず。

それにしても各章最後の著者雑感は切実なはずの相互理解への希望が素朴に、しかもやはりどこか眠そうに綴られていて心地よい。

「あとがきにかえて」は「就職しないで生きるには」である。私は題名が気になってしまって最初に読んでしまったが、最初から読めばなるほどである。そしてこれからはモラトリアム期間は<waiting room>って呼びましょうか、という気にもなった。

パラレルワールドで体験した自由、みなさんもその追体験を美味しいアジアンスイーツとともに。週末贅沢読書のススメ、のつもり。

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精神分析

こみあげてきたもの

仕事の合間に近くの本を開く。ひとことめで涙がこみあげてきた。「父が死んだ」、というようなことが書いてあった。

朝から胃がいたい。ここは胃ではないか?「おなかがいたい」、断続的とはいえ人生でもっとも長く感じている不調なのではないだろうか。ここ数年はひどい頭痛もしょっちゅうだが、どちらも大きな病気ではないのはありがたいことだ。

どうしてさっき一気にこみあげてくるものがあったのだろう。さっきはわからなかった。でも今こうして書いていると「そりゃそうか」というようなことに思い当たった。

好きな人のことを思ってはそう考えてしまう自分にいらだち、でも相手のせいにしたくてその理由を探せてしまうのも苦しくてつらくてしかたなくなってしまうということは多くの人が経験しているだろう。色々空想しては泣きたくなったり怒りたくなったりしている。でもこれをそのままぶちまけてしまったら嫌われてしまうかもしれない、面倒がられてしまうかもしれない、でも伝えないでがまんして維持する関係なんてお互いを想っていないということではないか。あなたと会わない間に私がこんなに想っていてもあなたはなにもしらない。いや、当たり前だ、言ってないのだから。でも、なのに、あなたは?あなたのこころのなかに私はいる?あなたは私じゃなくてもだれかしらに想われていればそれで保てるかもしれない、でも私は違う、こんなこといったら子供だって思われるのか、こういう気持ちを想像さえしないで楽しそうにふるまって仕事だって成果をあげているあなたみたいな人を大人というの?

など。


なにも起きていないのにその人の言動すべて、そこから空想されるすべてに心と体が支配されてしまう。とする。しかし、突然突き刺してくるような痛みやこみあげてくる悲しみはそのような文脈とはまったく別のものだったりしないだろうか。

あのときだって、あのときだって、と次々思い出される出来事はもはや目の前の人とは異なる人とのものだったりしないだろうか。

私たちは目の前の人にとらわれているようでいてそうでもない。突如襲ってくるソレの出どころはそこではなかったりする。もちろん気持ちが強く鋭く向かうのは目の前の相手だから、そんなことを考える余裕はないかもしれない。精神分析が「過去にさかのぼって原因を求めてる」という誤解をされっぱなしなのもこのあたりのことと関係があるのだろう。

精神分析は「転移」を主戦場とする。戦争の比喩が多いから私も真似しておく。争ってばかりの神話も実際の戦争も精神分析という文化の中心をなす。精神分析は転移という現象によって、過去は今ここの出来事として現れると考える。この時点でさかのぼっていもいないし原因も求めていない。ただそういう出来事が生じるといっている。

転移状況では、治療者には知る由もない彼らの昔からのこころの優勢な部分が治療者を使って立ち上がってくる。治療者の口調や態度、言葉、すべてが契機となり、彼らが守りたい、あるいは変えていきたい彼ら自身のこころの部分を様々な形で刺激する。それが侵襲と受け取られるときもあれば支えとして受け取られるときもある。治療者は、というより、その思考や存在は、少しずつ彼らの時間と心の空間に入り込み重なり合っていく。彼らはそれがなぜこんなに気になるかわからない。痛みや不快さ、でもそれだけでない感覚や気持ちにもやもやする。治療者も患者のこうした揺れを感じ取るがなにが起きているのかわからない。ただこれを転移と知っている。ただ聞き、見えないものをとらえるべく観察し、こころを揺らし、言葉を探す。わけのわからない気持ちがでてくると、たいていの言葉はしっくりこないものとして体験される。それまで治療者に理解されてきたと感じていたものも本当は自分はそんなこと考えていなかった、先生がそういうからそうなのかなと思っただけだ、というかもしれない。

治療者がそれまでとは別の、多くの場合、ネガティブな情緒を引き起こす対象になりはじめる。こんなはずじゃなかった。こんなつもりじゃなかった。どうして自分だけ、なんで私じゃない人ばかり、自分でもどこかでわかっている理不尽な感情が蠢きだしてそれまでは受け入れられていた言葉をはねつけたり追い出したりしはじめる。精神分析プロセスでは必然的に生じる現象だろう。

どうしてわかってくれないのか、どうして伝わらないのか、自分はこんなに一生懸命伝えようとしているのに、こんなに苦しんでいるのに。わかってる。コミュニケーションには齟齬が生じる。人が違うのだから。育ってきた環境が違うのだから。使ってきた言葉が違うのだから。それだって専門家ならわかるでしょう、そういいたくなるときだってある。でも専門家は、少なくとも私は、彼らのそんな気持ちを正確に写し取る魔法はもっていない。というかそれは魔法だと感じてしまう。ただ、私たちの今のこの状態と似たことをあなたはすでに体験してきたのではないか、私のような人に対して、似たような場面で、だったら教えてほしい、気持ちを、言葉で、それが正しいかどうか、他人と比べてどうかななんて関係ない。時間はかかる。でも長い時間をかけてこうなってきたのだから、今と過去が重なり合うこの場所で、あなたが当時気づくことができなかった、言葉にすることなどあまりに遠かったその気持ちを少しずつ共有してほしい、未来というものを想定するのであれば。精神分析がしているのは多分そういう作業だ。

突然こみあげてきたアレ、さっきよりは少しわかる。私は誰かが死ぬということをものすごく具体的に思い浮かべた。時間が突然止まる。もう思い出は作れない。その人抜きのものしか、いや、その人を思い出しながらの思い出なら。「父が死んだ」。作者が衝撃をうけたのか、深い悲しみに打ちひしがれているのか、ようやくという気持ちなのか、それは全くわからない。いや、この本に関しては書いてあるので知っている。淡々と綴られる在りし日の父のこと、その父はもういない。その事実だけが先行し前景をなしているような書き方だった。

まだ胃が痛い、ここは胃じゃないのか、こんな短時間でまた同じ間違いをした。突然こみあげてきたアレは夢を突然中断するようなアレだった気もする。こうしている今も現実だが、それよりもずっと強度の強い、瞬間的な。

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読書

斎藤環著『コロナ・アンビバレンスの憂鬱 ー健やかにひきこもるために』を読んだ。

コロナ禍によって依頼ではなく自発的に書くようになったという斉藤環先生の文章を集めた単行本。斎藤環著『コロナ・アンビバレンスの憂鬱 ー健やかにひきこもるために』2021年、晶文社。これらは主にブログサービスnote、つまりウェブ上で発表されたものだという。という、というか私も読んでいた。いくつかかなり話題になった文章もあり流れてきたものは読んでいた。

著者がいうようにnoteはどんどん書けてしまう場所だった。私はやめてしまったけど。運営の問題とか見聞きしていたせい。詳細がわからないので積極的に何かを言うほどでもないが、共謀することになってしまうのは嫌だな、という消極的な姿勢から。コロナ禍における「自粛警察」のこともこの本に書いてあるけど、ああいうのも迎合と共謀という感じがする。自分からいつのまにかなにかにまきこまれにいってた、なんてことは嫌だな、私は。途中で引き返すにももう色々コントロールが効かなくなってたりするかもしれないし、言い訳してその場にい続けることしか考えられなくなってしまうかもしれないし、適切に振舞える自信がない。だから違和感を持ったならとりあえずその違和感のほうに合わせた行動をとったほうがこれまでの経験から失敗が少ないように思う。具体的には、地道に情報を集めたり、自分で納得できていないのにすぐに動いたりしないように気を付けるとか。事柄にもよるけど。

何はともあれ紙媒体はいいですね。気ままに指や目を止めることができる。抑制がきく。

普段は医師として「当事者」と協力する著者だってコロナ禍では当事者だった。誰もそこから逃れられた人なんていない。実感を伴う第三者的ではない文章は共感を呼ぶ。一方、そこから哲学的な思索や議論が発展しなかったことは著者には不満として残ったらしい。しかし、わけのわからない事態に対して一定の方向性を持った言葉を与え、思考を巡らせるのはあまり早急ではない方が、とも思う。ここでも私は消極的なのかもしれない。なんだこれは、わけがわからないぞ、という混乱の中で狂わないこと、とりあえずそこにとどまるために今までの言葉で思考すること、まずはそれが安全、肝要な気がする。もちろん著者も何か新しい発見や変化をこの状況に見出そうとしているわけではない。むしろ著者が注目したのは私たちが普段当たり前なものとして、考えるどころか問題として取りあげたこともない事柄だった。ずっとそこにあったはずなのに可視化されていなかった事柄。

わたしたちは混乱すると躁的になったり退行したりしてそれぞれ様々な仕方で変化に対応しようとする。不安なのだ、とにかく。著者は医師なので診療の形式など実践面で何をいかに変更するのかしないのか、ということも考えざるをえなかった。私もそうだが、お互いが当事者である状況でどのように治療を続けていくのかについて考えるために必要なのはまずは正確な情報だ。しかしこれが今回はいまだに難しい状況にある。新型であり変異もする。なんという無力。とはいえ、人間にとってはそのような対象の方がずっと多いわけで、私たちにできることはごくわずかであることもみんなどこかではわかっている。今回の事態は特にそれを強く認識させた。この本は実践もかかれており実用的(198頁からの「穏やかにひきこもるために」など)だ。

一方で私は、「生き延びようね」という言葉が冗談ではなく交わされ、それが力をもったことも忘れないでおきたいと思った。私たちは無力だが、でもできるなら、とお互いに対して願うこと、それはどんな状態でもできると知った。

この本の内容にもっと触れたいけれど、あまりに多岐にわたるテーマをせっかく寄せ集めてもらったこと自体が貴重。ということで「まあ、読んでみて」となる。まず目次

どんな本だって「読むべき」とは思わないが、「社会的ひきこもり」に対する世間の理解を大きく変えた著者の思考が助けにならないはずはない。私たちはこんな形で突然生じたできるだけひきこもってという要請に対してどうしたらいいかわからなかった。

また、コロナがそのあり方を変えつつも、私たちが当初より混乱せずに事態に対応できているように見えたとしてもこの本で取り上げられていることはアクチュアルな話題であり、こう可視化されたからにはコロナを抜きにしてもアクチュアルであり続けるだろう。きっと可視化を待っている問題はまだまだある。でもわたしたちは危機と出会うまでそれとも出会うことはできない。だからいまだに続く不安と不自由に慣れることなく、不安だ、不自由だ、と感じ続け、根源的な問いを対話において考え続けると同時に、実用的な方法を身につけていくことは、著者がいうように「未来予測」にはなり得なくとも、マニック、あるいは万能的に傷つけ合うのではなく、地道に支え合う手立てとなってくれるだろう。

著者は、一対一の対面でも、オンラインのイベントでも、不特定多数に向けたメディアでも、変わりゆく情報に対応しつつ、幅広い話題や出来事において、特に差別や偏見が生じる場所に素早く言及することで、私たちがそれを思考することを促す。引用されるエッセイ、文学、アニメ、ニュースなども多岐にわたり、興味のある領域からはいればいつのまにか別の領域へいっていたという学び方もできる。

私が一臨床家としてこれらのことを考え続け、実際に手立てを練るなかで感じていたのは、事態に対応するときはそれまで変化しなかったことで守られてきたもの、可視化されなかったものに対する目配せも欠かせないということである。想いや願いが相手との関係に置かれるとき、それは大小問わず変化への誘因となる。だからたとえ不可避であったとしても、それが孕む暴力性を意識したい。それは臨床家としての私のこの2年間の実感でもあったし、それまでの実感がさらに強まったものでもあったように思う。

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読書

『読書会の教室ー本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』を読んだ。

バタバタとした毎日、隙間時間に本を読む。ここの下書きにも何冊分かの感想が断片のまま放っておかれている。

長い間、専門書の講読会には参加してきた。先生方から教えていただいたことをたよりに今や自分でフロイトとウィニコットの読書会を主催するようになった。もうそういう年齢だ。

本は一人で読むのもみんなで読むのも黙読も音読もそれぞれに楽しくて好きだ。昨年は京大の坂田さんや専修大の澤さん、昔からの臨床仲間、さらにそのお仲間と一緒に吉川さんの『理不尽な進化』の読書会や短期力動療法の読書会(ロールプレイ)もした。

「読書会」というものを定義づけようとしたこともない。そこに一定の方法があるのかどうかも知らない。それでも特に困っていなかった。

ところが2021年12月に晶文社から『読書会の教室ー本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』という本がでた。著者の竹田信弥さんと田中佳祐さんはすでに『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)という本をだされていて素敵なWebサイトでその内容を知ることもできた。「街灯りとしての本屋」、美しい修飾。

もうすぐ2年か、緊急事態宣言がでたとき、私のオフィス近くのビルは数段暗くなった。昼間というのに人気のない薄暗い通路を抜け、エスカレーターを上るといつも通り明るい場所があった。それが本屋だった。新宿の高層ビルでさえこういう体験をする。街灯りとして、といわれればこれまで目をとめ足を止めてきた様々な街の本屋さんがほの暗い私の記憶に浮かび上がってくる。

読書会は二人からはじめられる、とこの本にも書いてあった。確かにここ数年、本当にたくさんの読書会情報と出会うようになった。いい機会だ。私ももう主催する立場なのだから自分がしていることがどんなものかくらい知っておかねば、と思ったわけでもないが、見知らぬ人々さえ集うその場所で何が行われているかを知るにはちょうどよさそうな本だった。しかも装幀が気が利いている。まじめ好きなあなたにもかわいい好きのあなたにもしっくりくる2パターンをカバーの取り外しだけで体験できる。

さらにこの本は昨年末出版とあって、コロナ禍においてオンライン読書会の経験も積み重ねてこられた著者たち、そして彼らがインタビューをしておられる読書会やイベントを主催する側のみなさんの具体的なお話をうかがえるのも実用的だ。

目次をみれば、読書会初心者にもこれから読書会を主催してみたい人にもやさしい本であることがすぐわかる。はじめての遠足のように読書会も楽しもうというわけだ(たぶん)。

先述した主催者側として登場するのは、読書会に関心のある方ならSNS上でもおなじみの猫町倶楽部の山本多津也さん、京都出町柳のコミュニティスペースGACCOHで活動するみなさん、そして八戸ブックセンターの方々である。私が注目したのは三つ目、青森県の市営の書店である八戸ブックセンターの活動である。

幸運なことに本屋に恵まれた新宿で仕事をしている私でも、時折思い出すのは子供時代に通った本屋だ。地方出身かつ全国を旅してきた身として地方の本屋の魅力もそれなりに知っているつもりである。子供のころから本屋さんにはお世話になってきた。旅先でも必ず立ち寄る。活字がどんどん電子化されていくであろうこれからも私たちの居場所としていつまでもそこにあってほしい。そんな本屋さんはたくさんある。

八戸ブックセンターにはまだ行ったことがないが、市営の書店がみんなの居場所として様々な工夫をこらしている様子は明るい未来を覗き込むようで眩しい。地域の本屋さんも運営に携わってくれているという。公共と民間の架け橋としての強みを活用していく、という話は確かにとてもいい話だ。

お金もなく居場所もないが時間はある、書店がある、本がある、そこが居場所になっていく、書店にはそういう体験のための幾重もの空間が潜在している。まして八戸といえば、というか青森には寺山修司がいる。

「書を捨てよ町へ出よう」

声に出さずにつぶやいて本をそっと棚に戻し書店をでたい。

さてここは西新宿、手元にあるのは『読書会の教室』。主催者インタビューのあとには「紙上の読書会」も開催されている。この本にあるように読書会には様々な形があるとはいえ、その実際をのぞかせてもらえると読書会初心者としては安心感が増す。

本自体にもそういう機能がある。人と直接向かい合うのではなく、その間に本が置かれるとき、その本はライナスの毛布となってくれるのだ。人と人をつなぐ、現在と過去をつなぐ、世界と異界をつなぐ、移行対象としての本、移行現象としての読書、その共有としての読書会、そういえば私の分野の人にはわかりやすいかもしれない(そんなことないかもしれない)。

この本の最後では本読みのプロたちの対話をきくことができる。登場するのは本と読書の楽しみを伝える名人でもあるのでもう聞いてるだけで満足、と思うかもしれないが、この本は読者を読書会の主催者側に誘う本でもある。憧れをこえて「読書会しよー」と誰かを誘ってみたくなったらこの「教室」での学びはさらに確かなものになるかもしれない。読者に優しい本なのでまずはこの本を使って誰かとやってみてもいいかもしれない。二人でも読書会。その懐は深い。

そして著者のおふたりの丁寧なお仕事ぶりは目次や語り口だけでなく付録にも現れている。巻末の「必携・読書会ノート──コピーして活用しよう」はまだどうしていいかわからない私たち初心者の最初の一歩を助けてくれそうだ。

本の話は楽しい。安心してそれができる場所があればもっと楽しい。相手のなにを知らずとも自然と伝えたくなるそれ、それを伝えることでおのずと発見されるそれ、どれもこれもその場その場で零れ落ちていくものだとしてもそれはそれ。

いずれどこかの読書会で。

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読書

『日本の戦死塚 増補版 首塚・胴塚・千人塚』室井康成著を読んだ。

日本の戦死塚 増補版 首塚・胴塚・千人塚室井康成著を読んだ。これは2015年に刊行された『首塚・胴塚・千人塚 : 日本人は敗者とどう向きあってきたのか 』の増補・改訂版ということで、今回はありがたいことに文庫、といっても私が入手したのはkindle版なので528頁もあるというその厚み、重みを私は感じられていない。実際が何ページであっても常に平面にしか感じられないのがKindleの残念なところだ。だけど内容はずしんと響いた。

「敗者」という単語は文庫版の書名からは消えてしまったが、文庫版ウェブサイトの紹介文にあるように、本書は、”「敗者」の声なき声を記憶にとどめようとする日本人の心意が刻みこまれている” 戦死塚の伝承を誰もが知る歴史的な戦争を素材に時代順に紹介し、戦死者、特に「敗者」がどのような霊的処遇のもと記憶化されてきたのかを示し考察を加えた本である。

著者の「趣味」によって見いだされた戦死塚が柳田国男を祖とする日本の民俗学の膨大な資料のもと検討しなおされ、大河ドラマ以外の歴史(それすら怪しい)をよく知らない私のような読者にもその厚みに関わらず一気に読めてしまう書物として編まれたことに驚くしありがたい。

この本は、まず読み物として面白い。もちろん扱われているのは戦いであり、死、それも戦死、自決、処刑であり、その結果としての首塚であったりする。しかし、著者に導かれその戦死塚の伝承の変遷を知るにつれ、また、だれもが知る歴史上の戦いで命を落とした「敗者」に対する霊的処遇のあり方が、近代にかけて、死んでなお「勝者」と「敗者」を分けようとするしかたに変化していくことを知るにつれ、現代を生きる自分自身がちらつき、心がざわめく。

そして自分たちがいかに自分の声や想いを託す場所を、私の専門領域でいえば投影先を必要としているかも自覚する。本書でのそれは戦死塚という対象を伴った語りであり、それはいずれ伝承となり、時にはその「敗者」の、時にはその土地の人たちの声と共鳴しながら後の時代まで響いたり、怨霊譚になったり、神格として崇められたりという変遷の末、消えていったりした。語り継がれなくなる、塚そのものがなくなる、ということだって実際に起こる。首塚があり「忌地」として恐れられていたその土地が、今や何も経緯を知らない市外の人に買い取られ、アパートが建設されたという話も載っていた。

目に見えないものは本当にそこにはないのかという問いはいつだって必要だ。だけど私たちは自身の考えと矛盾したり、信念が脅かされるくらいなら今目の前にみえるものだけ見ていたい、という心性ももつ。

「勝者」「敗者」というのも、括弧つき以外ありえないだろう。それはその戦争において、という条件つきである。にもかかわらず、もし「戦争を知らない子供たち」である私たちが、著者が言うように「男/女、成人/未成年、親族/他人、健常者/障碍者、国民/外国人、正規/非正規など」「属性を峻別していく苛烈さ」から逃れようとしないとしたら、、、ということも考えさせられた。

著者は歴史的真贋ではなく伝承を重視したという。敗者の声はどう奪われ、どう記憶されてきたか。「その声なき声に耳をそばだてること」、それは私たちひとりひとりに潜む「勝者」と「敗者」の対話をも導くかもしれない。私たちは自分を「敗者」だと言いながら誰かに対して「勝者」であろうとすることもしばしばだ。果たして私たちは何者として何を伝承していくのだろう。

文庫版に加えられた「補章 彼我の分明──戦死者埋葬譚の「近代」」の結びの言葉もこの本の重みを増しているようだった。歴史から学ぶ、単に事実からではなく。反射的に反応するのではなく。

本書はその試みを手助けしてくれる一冊だと思う。

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精神分析 精神分析、本

オグデンを読み始めた

昨年、邦訳が待ち望まれていた『精神分析の再発見 ー考えることと夢見ること 学ぶことと忘れること 』(藤山直樹監訳)がようやく出版された。原書名はRediscovering Psychoanalysis ーThinking and Dreaming, Learning and Forgetting。https://kaiin.hanmoto.com/bd/isbn/9784909862211

オグデンのこれまでの著作はRoutledgeのサイトで確認できる。https://www.routledge.com/search?author=Thomas%20H.%20Ogden

『精神分析の再発見』以前に邦訳されたのはおそらく2冊目の著書『こころのマトリックス ー対象関係論との対話』、4冊目『「あいだ」の空間 ー精神分析の第三主体』、5冊目『もの思いと解釈』、6冊目(かな?)『夢見の拓くところ』の4冊だと思う。つまり12の著書のうち5冊が邦訳されたことになる。未邦訳のものも翻訳作業は進行中のようでそう遠くないうちに日本語で読めそうでありがたい。

2021年12月にはThe New Library of Psychoanalysisのシリーズから新刊が出た。このシリーズはクライン派の本はすでに何冊も訳されているが、独立学派のものは昨年邦訳がでたハロルド・スチュワートの著作と、そのスチュワートが書いた『バリント入門』くらいだと思う。オグデンの最新刊はComing to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility

オグデンは本書でフロイトとクラインに代表される”epistemological psychoanalysis” (having to do with knowing and understanding) からビオンとウィニコットに代表される”ontological psychoanalysis” (having to do with being and becoming)への移行とその間を描写する試みをしているようだ。

この本はこれまでに発表された論文がもとになっているが、私はまずはオグデンがその仕事の初期から行ってきた”creative readings”に注目したい。読むという試みは常に私の関心の中心にある。

オグデンは『精神分析の再発見』においても「第七章 ローワルドを読む―エディプスを着想し直す」(Reading Loewald: Oedipus Reconceived.2006)と「第八章 ハロルド・サールズを読む(Reading Harold Searles.2007)とローワルド、サールズの再読を行っている。

これまで彼が行ってきた精神分析家の論文を再読する試みには

2001 Reading Winnicott.Psychoanal. Q. 70: 299-323.

2002 A new reading of the origins of object-relations theory. Int. J. Psycho-Anal. 83: 767-82.

2004 An introduction to the reading of Bion. Int. J. Psycho-Anal. 85: 285-300.

などがある。

ほかにも詩人フロストの読解などオグデンの”creative readings”、つまり「読む」仕事は精神分析実践において患者の話を聴くことと同義であり、それは夢見ることとつながっている。

オグデンの新刊”Coming to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility”ではウィニコットの1963、1967年の主要論文2本が取り上げられている。

Chapter 2: The Feeling of Real: On Winnicott’s “Communicating and Not Communicating Leading to a Study of Certain Opposites”

Chapter 4: Destruction Reconceived: On Winnicott’s “The Use of an Object and Relating Through Identifications”

まだ読み始めたばかりのこの本だが、50年以上前に書かれた論文がなお精神分析におけるムーヴメントにとって重要だというオグデンの考えをワクワクしながら読みたいと思う。

オグデンがウィニコットとビオンに十分に親しむ(ウィニコットの言い方でいえばplayする)なかでontological psychoanalysisをhaving to do with being and becomingと位置付け、「大きくなったらなにになりたい?」という問いを”Who (what kind of person) do you want to be now, at this moment, and what kind of person do you aspire to become?”とbeingとbe comingの問いに記述し直し、ウィニコットの”Oh God! May I be alive when I die” (Winnicott, 2016)を引用しているのを読むだけでもうすでに楽しい。

そしてすでにあるオグデンの邦訳が広く読まれ、精神分析がもつ生命力を再発見できたらきっともっと楽しい。

本当ならここでもっとオグデンについて語った方が読書案内になるのかもしれないがここは雑記帳のようなものだからこのあたりで。

そういえば中井久夫『私の日本語雑記」の文庫が出ましたよ。おすすめ!

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読書

『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』清田隆之(桃山商事)著を読んで

自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと

長い。書名が。しかしそのままの本だ。「一般男性」が括弧つきである理由は「はじめに」を読めばわかる。読み終えると「男らしさ」にも括弧をつけたくなるかもしれない。

著者の清田さんは「桃山商事」という恋バナ収集ユニットの代表だそうだ。主に女性たちの話をたくさんきいてこられた。

こんな記事もありました。ユニーク。)

そのなかで著者は、彼女たちが発する「男の考えていることがよくわからない」という声に賛同し、この本ではその男性たちが「何を感じ、どんなことを考えながら生きているのか、その声にじっくり耳を傾け」る作業を行っている。もちろん、著者が聞いた女性たちの「男の考えていることがよくわからない」という声は、特定の男性を思い浮かべるところに端を発していると思われ、本書に登場する男性たちもその彼女たちの特定の相手ではない。しかもたった10人の男性たちが「男の考えていること」を代表できるはずもない。自身でインタビュアーも務めた著者も当然そこに「それぞれの人生」という固有性を見出す。しかし同時に「驚くほど似通った価値観やメンタリティが浮かび上がってくる瞬間」も多く体験したという。

読者が本書を読んでそれを体験するかどうかはわからないが、私は読んでいてそれぞれの語りごとに思い出す顔があった。このインタビューは、著者の細心の注意によって加工されている。私たちの仕事における多くの症例報告がそうであるように、そのような加工は素材の生々しさを剥ぎ取り、第三者に伝わりやすい形にそれを変形する効果がある。つまり、こうして抽象度をあげることでより多くの人がそこに自らの体験を投影しやすくなる。私が自分の知っている顔をどの話に対しても思い出したように。本書の表紙のイラストにもそのような意図があるのだろう。三十三間堂で自分に似た顔を探せてしまうのも私たちのそういう性質ゆえだ。

とはいえ、このインタビューは「男性たちの正直な気持ちを知ることを目的とするため、質問や相づち、個人的な価値判断などは一切入れず、それぞれ「語りおろし」という形でありのままを伝えられたら」という考えのもとになされたと書かれてもいる。誰もが知るようにありのままという言葉は厄介だ。このありのままにも著者自身が即座に括弧をつける。言葉は語られてしまえば独り歩きする。「ありのまま」にはあっというまに色がつく。ある人にとっては我が事のようであり、ある人にとっては普遍的な事柄として、あるいはある人にとっては、、、と。

昨年『ヘルシンキ 生活の練習』(筑摩書房)という大変軽妙で悩ましく、しかし他者と社会の中で生きる希望をくれる本(必読!)をだされた社会学者の朴沙羅さんの『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房)という本がある。私も仲間に勧められて読んだ。朴沙羅さんの父親は在日コリアンの二世で、母親は日本人だ。父は10人兄弟の末っ子、つまり朴さんには在日一世の9人の伯父さんと伯母さんがおられる。この本は、その「面白い」伯父さん、伯母さんの生活史を聞き取り考察を加えたもので、在日コリアンの人の歴史を知る上でも必読だと思うが、聞き手と語り手の呼吸や語り口、その場の空気が伝わってくるかのような生き生きとした書き方がとても魅力的で、「声」で語ること、それを聞くことを大事にしたい、と改めて思わせてくれる本だった。

一方、この『自慢話でも武勇伝でもない~』は先述したように、一切介入をしないという方法をとっている。そのため、文章がさらさらと流れ「読み」やすく、ひとりひとりの語りが発生する土地の違いのようなものを感じることはできるが、あまりによどみなく、彼らがそれぞれ異なる形で体験したであろう様々な情緒に直接的に心揺さぶられることはなかった。これは著者が「プライバシーの保護の観点から」彼らの語りを加工したせいではないだろう。20年近く、非常に多くの人の語りを聞いてきた著者には相当の具体例の積み重ねがあり、それはこれらの加工によって抽象化されたとしてもそのリアリティを失うことはないだろう。だったら、もしかしたらこのよどみなさこそが、著者が出会ってきた女性たちがいう「男の考えていることはわからない」ということと関係しているのだろうか。わからないが、私には形式の作用というか効果が大きい気がした。

著者は、10人の男性のインタビューの後に得た印象をそれぞれの語りの後に記している。その短い文章が挟まれることで、私たち読者は今読んだばかりの男性の語りに個別具体的な印象を見出すことができる。

著者は、この男性たちの語りはこうだが語られた側からしたらそれは別の語りになるかもしれない、という可能性を常に考慮に入れている。「おわりにー「感情の言語化」と「弱さの開示」の先にあるもの」で、著者は自分が「多数派という枠組みの中で守られ、様々な優遇や恩恵を知らぬ間に享受してきた“マジョリティ男性”だった」ことに気づくまでの著者自身のプロセスを書いている。そして「男の考えていることがよくわからない」と言う女性たちがいう「男」とは「この社会のマジョリティとして生きてきた男性たちではないか」と言う。

著者自身の言葉は少ない本書だが、男性に対しても女性に対しても一貫して流れているのは、これらを読む女性たちのこころの動きに対する配慮に加え、たとえ“マジョリティ”であったとしてもそこに潜むそうではない部分、いわばその人だけが持つ感じ方や考え方、あるいは体験に侵入しないようにという配慮のように感じた。私にはこの配慮が、介入を控えるという形式を採用したことと通じているように思えた。

もう少し具体的に書いておく。もし、彼らの語りがいかにも特定の相手に向けた形で対話の形で記述されたとしたら、著者が危惧するようになんらかのトラウマに触れる可能性は強まるだろう。特に、性が軽んじられたり、暴力的な関係においてはそれらが身体に与えるインパクトに比して言葉は貧困でパターン的になりがちだ。女性たちの「わからない」という言葉が傷つきの体験を伴う場合、その体験の再現にさえなるかもしれない。しかし、本書では彼らの語りを聞く相手の存在を意識しないですむため、読者は自分のペースや距離感でその語りに接近することができ、受身的に内容だけを取り込みながら読み進めることもできる。つまり、話されている内容が陰影や情緒で膨らむには読み手の能動性を発動させる必要があり、読みながら急激に自分の体験を近づけてしまうような、自動的に何かが生じてしまう危険性は遠ざけられる。少なくとも男性同士の対話として記述されるよりは、と思った。

私は、最初、それぞれの語りに対して「これって男性に特有のものなのかな」などと思いながら読んでいたが、身体性の関わる描写が増えるにつれ、違いはたしかに存在するし、お互いの想像力と対話が欠かせないことも改めて感じた。

著者の言葉は、内省的でシンプルで中立的で柔らかい。私が感じたように、読者がするかもしれない負担が減っているとしたら、直接彼らの話をきいた著者のこころがたくさんの作業をしてくれたおかげかもしれない。ただ聞く、というのはなかなかできることではない。

さて、題名に戻るが、もし、男性の話が「自慢話」や「武勇伝」に聞こえるとしたらそれは固有の事情以前に歴史も関係していることも意識できたらと思う。朴沙羅さんの本でもそれを学んだ。そしてもし「生きづらさ」を感じるとしたら、その歴史に対してあまりに受身的に巻き込まれているせいかもしれない、とも考えてみたい。

「らしさ」というのは曖昧なものだ。それをめぐってあれこれするよりも目の前の相手や状況に対する自分のあり方に少し注意をむけてみるのもいいかもしれない。自分が何者であるかはすでに内からも外からも規定されているかもしれないが、結局はなにかひとつの分類におさめられるものでもないだろう。そして自分のことをこうして静かに聞いてくれる誰かに話す機会を持つことの重要性も思う。たとえそこに多くの間違いがあったとしてもそれはたやすく個人の問題に還元できることではない。小さな声で届く範囲でなされること、それがより広い視座をもたらしてくれる可能性はこうして実際にあるのだから。

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マホガニー

マホガニーということばにふわっと記憶が蘇った。あの扉の向こう、いつも同じ場所で同じ姿勢をとって少し遠くの大画面をみつめる人のこと。あのテレビは当時は最新だった。ゴルフも野球も大河ドラマも「ベータ」に撮りためられた大量のビデオも遠くからでもよく見えた。ハウス食品劇場は別の部屋の小さなテレビで見た。しょちゅう泣いた。ハイジに似ている、といわれていたが、結構多くの子どもがそう言われていたことを大人になってから知った。囲碁はあの大画面で見る必要はなかっただろう。もちろんそこに映される側がその内容や登場する素材の大きさを私たちのために調整する義理などあるはずがないが、囲碁はただでさえ視聴者にみやすいように盤拡大版をみせてくれていたし。

さて、今や倍速の時代だ。少なくともそれが簡単にできる時代だ。サッカーなんてすぐに結果が分かってしまう。立ち上がれないくらい走り切ってコートに一礼してベンチに戻る選手の肩にタオルがかけられる瞬間に思いを馳せることも少なくなったりしているのだろうか。もちろん何度も何度も巻き戻してみる場面もあるにはある。そうそう「ビデオ判定」ってやつ、あれは面接をビデオ録画して見直して検討するのと同じような違和感がある。必要性は十分に理解しているつもりだが、結局見るのは人の目だろう、私たちの視覚の信頼性はどんなものだろう。目に見えるものが教えてくれるこころなるものはどんなものだろう。

マホガニー、今は少なくなった、とその人は続けた。えんじっぽいカーペットにむらさきっぽいベロアのカーテン。いまはない場所の記憶はおぼつかない。重たくて暖かくてくるまって遊ぶにはちょうどよかった気がする。レースのカーテンは隠れる用ではなく顔を押し付けてふざける用。岩崎ちひろの「あめのひのおるすばん」を思い出した。また少し記憶が浮き上がっては混ざりだす。家のどこかが少し軋んだ音をたてるだけで、風で庭の木の影が少し揺れるだけで、台所の氷がカランと音をたてるだけでキョロキョロしては居場所をなくしカーテンにくるまった。

マホガニー色の扉。あの扉はとても重かった気がする。でももしかしたらあの頃の私にはそうだっただけで簡単にひらいたのかもしれない。向こう側から強い力でひっぱられてどうしてもあかないときもあったけど。

その人が扉をあけてくれた。急かされることもなく迎え入れ送り出してもらえる。閉ざすのではなく、隔てるのではなく、たとえそうだとしてもノックをすれば返事がある。私がするよりずっと軽やかに扉がひらく。

そして交わす、言葉を。また思い出が少しひらく。孤独も寂しさもなくなることはない。カーテンがくるんでくれたそれらを大人になった私は少しは自分でくるめるようになっているのだろうか。少しずつでもそうだったらいいと思う。