そして第4章のエピグラフは『不思議の国のアリス』 。毛虫にWho are you? 「誰ですか、あなたは」と問われるアリス。「あなたこそ、あなたが誰であるか、先におっしゃるべきだと思います」、とアリスがいうまでになされる「わかる」「わからない」の会話はおなじみだが、土居の文脈でいえばこれこそ治療者と患者の関係で生じることだろう。
アンドレ・グリーンAndré Green (1927–2012)のことはよくここにも、もうひとつのブログにも書いてきた。しかし、この一年で修正すべき点もみえてきた。自分の言葉とはいえ書き散らかしているので修正箇所を特定することはできないし、いまだ理解が十分でないところが多いので、ここに書いていることは正しい知識というよりは、すべて理解へのプロセスだと思って読んでいただきたい。勉強する時間がもっとほしいし、もっと賢ければいいのだけどないものねだりはまた今度、と自分に言い聞かせる。
土居はここで、Glad,Donald D.のOperational Values in Psychotherapyを援用し、精神分析を受けた場合、サリヴァン派の治療をうけた場合、ランク派の治療を受けた場合とそれぞれの治療の目的を示す。そしてこの著者が言っているのは要するに、それぞれの治療体系の中に含まれている価値が治療の状況の中で患者によって学ばれるといいます。
赤ちゃんとお母さんという組み合わせで治療者と患者を見立てるならば、というかそれが最近の常だが(ここでの土居は違うが)、お母さんにも先のことはよくわからないけど赤ちゃんの鏡になることで赤ちゃんになり、とまではいわないが、赤ちゃんに同一化しようとしながらその人は母親になっていく。そこにはウィニコットのいう存在し続けること(going on being)が双方にみえる気がする(もちろんウィニコットはそんなこといっていない)。同時に、非対称な方向性へ分離していく人の姿がみえなくもない。土居が例にあげた即興劇における患者が舞台にあげられ、治療者はいつのまにか舞台にいて、でもどちらもまだ観客であるように。
それと同時に精神分析過程をよりメタで考えるために毎日色々読んでいるわけだが、私が相変わらず目をとめるのはアンドレ・グリーンであり昨日目を通していたのは時間論。“From the Ignorance of Time to the Murder of Time: From the Murder of Time to the Misrecognition of Temporality in Psychoanalysis”。Leticia Glocer Fiorini & Jorge Canestri 編 The Experience of Time: Psychoanalytic Perspectives に収録されている論文である。
それはつまり、治療者と患者の関係には精神的距離を維持することが必要だということだ。土居は美学者エドワード・バロウEdward Bullough(28 March 1880 – 17 September 1934)の「精神的距離」Psychical distanceを引用して説明する。土居の本は引用も楽しく、幅広い本を読んで訳していたことがわかる。
この本は「精神療法はこれを構造と過程の二つの面から考察することが最もわかりやすい。」という一文からはじまる。ここにすでに、サイコセラピーのストラクチュアルな側面について書いたエクスタインの影響がある。これももとはといえばもちろんフロイトの技法論の影響であり、フロイトのOn Beginning the Treatment(1913)「治療の開始について」(精神分析技法に関するさらなる勧めⅠ)の冒頭が引用される。土居はフロイトを精読し、取入れ、自分の臨床感覚によって書きなおせた唯一の人だと思う。もちろん精神分析家なら多かれ少なかれ同じことはやっているが、土居ほどたしかな日常語で緻密にそれを行った人はいないだろう。
12月の精神分析基礎講座(対象関係論勉強会)は岡野憲一郎先生による「サリヴァンとコフートと自己心理学の流れ」の講義。私は司会を務めるので2022年10月に出たばかりのサリヴァンの本を読んでいる。KIPP主催のサリヴァンフォーラムに申し込むのをすっかり忘れていたが出席された方に聞くとサリヴァン(Sullivan,H. S 1892―1949)のオリジナリティはもとより阿部先生が大変個性的でとても面白い会だったそうだ。サリヴァンの翻訳といえば中井久夫先生のイメージが強いが、阿部先生が今回訳出された日本語版オリジナルの論集は個人の病理を実社会に位置付けるサリヴァンの主張の源泉を感じさせてくれるものだと思う。各論考の冒頭にある《訳者ノート》が大変ありがたい。